特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

酒肴

2016-09-14 09:14:56 | 特殊清掃 消臭消毒
早いもので、九月も もう半ば。
朝晩は涼が感じられるようになってきた。
過去形にして油断するのは少し早いかもしれないけど、夏の酷暑は過ぎ去った。

幸い、今年は熱中症にはならなかった。
そうならないよう気をつけたのはもちろん、例年に比べて暑さが少し楽だったから。
そうは言っても、「暑くなかった」というわけではない。
多くはなかったけど、強烈な暑さに襲われてしんどい思いをしたことは何度かあった。

特にキツいのが、前回書いたようなサウナ部屋での作業。
そして、炎天下、階上から階段を使って荷物(不用家財等)を搬出する作業。
階段の上り下りは、かなり身体に堪える。
上るときは手ブラなのに、やたらと足(身体)が重い。
体重を増やしていないから少しはマシだと思うけど、汗が滝のように流れるのはもちろん、腕を見ると、汗が皮膚から噴き出しているように見えることもしばしば。
心臓はバクバクと鼓動するし、身体も、その核でマグマが燃えているように熱を帯びる。
酷いときは呼吸が苦しくなり危険な状態に陥る。
ここまでくると危険。
どんなに忙しくても、作業を中断して小休止しないと、とんでもないことになる。

そんな状態では、とにかく、日陰に入って水分補給。
そして、乱れた心動と呼吸を、ゆっくり整える。
あまり長く休むと気持が萎えてくるのだが、それが整わないうちに作業を再開しても、またすぐに休むハメになり、結局、作業効率が落ちる。
そうなると元も子もないので、ある程度、呼吸が整うまで待ってから作業を再開。
「ツラいなぁ・・・キツいなぁ・・・苦しいなぁ・・・」
そうボヤキつつも、
「何のため?・・・自分のため!生きるため!」
と、自分を励ましながら、再び熱暑の中に身を投じるのである。

それでも、過酷な労働は永久ではない。
一仕事終えれば休息が待っている。
特に、肉体労働に汗した日には、どうしても晩酌がしたくなる。
日常に楽しみが少ない私にとって、晩酌は大きな楽しみ。
「今日は飲んでいい日」だと思うと、朝から少し気分が明るくなり、昼間の仕事にも精がでる。
ただ、決めた数の休肝日を守るのは自分と約束したこと。
その敗北感・劣等感を思うと、到底、約束を破る気にはなれない。

現在、週休肝二日を越えて週休肝三日を堅持している私は、仕事のスケジュールに合わせて日程を調整している。
「明日はキツい作業だから晩酌したくなるはず」
「だから、今日は我慢して休肝日にしとこう」
と言った具合に。
でも、飲みたい日に我慢するのは楽じゃない。
だから、「飲まない」と決めた日は、多目の夕飯を早々と食べたり、喉がどうしても欲しがるときはノンアルコールビールを飲んだりしてしのいでいる。

現在、私は、ウイスキー党。
糖分と懐具合を気にして、大好物の にごり酒も、近年は手を出していない。
また、もともとはロックで飲むのが好きだったのだけど、身体と懐具合を考慮して、近年はハイボールで楽しんでいる。
銘柄は、スコッチか国産が好みだけど、もちろん、高級酒には手が出ない。
一本700mlで数百円の庶民的なヤツ。
更に、コストパフォーマンスをよくするために、二週間ほど前に、これの4ℓの大ボトルを買った。
それでも、味は悪くなく、充分に美味しい。
“安い=美味くない”なんてことはまったくない。
また、ウイスキーは肴を選ばない。
個人的には、唐揚や刺身を好んでしまうが、野菜や乾物・菓子だって上等のツマミになる。
味や香はもちろん、色味も気に入っているけど、この、肴を選ばないところも大いに気に入っている。

・・・なんて、読み手にはつまらない(?)ウイスキー談義はこれくらいにしておこう。


出向いた現場は郊外の一戸建。
築年数は古いものの、部屋数は多くしっかりした造り。
新築当時は、結構な高級感をもっていたであろうことは、家の雰囲気から伝わってきた。

家には、かつて老夫婦が住んでいたのだが、夫は90を越えて他界。
80代の妻も、介護が必要な状態になり、老人施設に入所。
結局、この家には住む人がなくなり、また、子供達もそれぞれに家族を持って自前の居を構えていたため、将来に渡っても住む人はおらず。
結局、売却処分することになり、長男が担って家財生活用品を片付けることになったのだった。

リビングには、暖炉を模した立派なカウンターがあった。
そして、その上には色々な調度品が並んでいた。
中でも目を惹いたのは、大きなウイスキーボトル。
そのウイスキーは“SUNTORY OLD(特級)”の4ℓ大瓶。

私が、マジマジとそれを眺めているのに気づいた依頼者の男性は、
「これ・・・だいぶ前にオヤジが買ってきたんだよね・・・」
「いつだったっけな・・・え~っと・・・38年!38年前だ!」
と、その瓶を見つめながら、懐かしそうにそう言った。
そして、亡き父親から聞いた話を、懐かしそうに私に聞かせてくれた。

男性が生まれるずっと前、戦争末期の昭和19年、独身だった父親に赤紙(召集令状)が届いた。
戦局は悪化の一途をたどり、敗戦の色が濃くなってきた時期で、本人も家族も、生きて帰れないことを覚悟する必要があった。
しかし、命じられた任務は本土防衛。
激戦の外地に送られなかったことが、結果的に、落としかけた命をつなぎとめた。
そうして、そのまま終戦を迎え、父親は復員することができた。
当時は皆がそうだったように、戦後、父親は、仕事を選ばずガムシャラに働き、結婚し、家族を持ち、この家を建てた。
そして、やっと上向きになった暮らしの中で、父親は、日本酒党なのに、このウイスキーを買ってきたのだった。

その昔、税制が変わる前は、ウイスキーは高かった。
“OLD”は、今では高級酒の部類ではないが、「特級」と書いてあるくらいだから、当時は高級品だったのかもしれない。
しかも、4ℓの大瓶となると、結構な金額だったはず。
男性の父親は、はなから飲むためではなく、飾っておくために買ってきたのだろう。
豊かで平和な暮しを手に入れたことの証として、また、“国産の洋酒”という点に 貧しいながらも夢と希望に満ちていた時代を重ねて。
それを想うと、乾いた時代に生きる他人の私でも感慨深いものを感じた。

ウイスキーは、アルコール度数が高いため「腐らない」とされている。
だから、賞味期限は設定されていないし、現に、どのウイスキーをみても、ラベルにも賞味期限や消費期限らしき印字はない。
実際に私も何年も前のウイスキーを飲んだことが何度かあるけど、味も体調も何の問題もなかった。
それを知っていた私は、
「これ、未開封ですから、まだ充分に飲めますよ」
と、言いながら、滅多にお目にかかれない珍品でも見るようにボトルに顔を近づけた。
すると、男性は、
「よかったら、どうぞ・・・持って帰って」
「これも何かの縁でしょう・・・美味しく飲んでくれる人に飲んでもらったほうがいいから・・・」
と言う。
自身でもウイスキーは飲むそうなのだが、どうも、そのウイスキーを自分で飲む気にはなれない様子。
その想い出があまりにも懐かしく、自分の中で重すぎて、飲むと涙酒になってしまいそうに思えたのかもしれなかった。

しかし、それは、38年もの間、リビングのカウンターに置かれて、家族の歴史を見てきた品・・・家族の想い出を象徴する品。
そんな宝物のようなモノを、アカの他人の私がもらうなんて恐縮しきり。
だから、私は丁重に断った。
が、それでも、男性は「遠慮なくどうぞ!」と強くすすめてくれ、固辞し続けるのも失礼かと思い、結局、私は、そのウイスキーをもらうことに。
仕事終わりに何度も礼を言って、赤子を抱くように“ダルマ”を抱え、持ち帰ったのだった。

瓶は、ホコリを被って汚れ、長く放置されていたせいでガラス面にツヤもなくなっていた。
そのままでは見た目も悪いし不衛生なため、私は、濡タオルを持ってきて拭いてみた。
すると、色褪せたラベルがボロボロと剥離。
それが垢のように汚くみえるものだから、更に擦り続けたら、ラベルはどんどん剥がれていき、文字のほとんどが見えなくなってしまった。
その様は、人生の儚さを象徴しているようにも見えて、少し物悲しいような切ないような気分にさせられた。
ただ、それも、過ぎた時間と事物の有限性が成したこと。
人間の領域を超えたところにある、人の手ではどうすることもできない真理。
しかし、外見は損じても中身は充分にイケるはず。
くたびれた外見を持つこの中年男も、「中身はまだイケるかな?」と酒味と人間味を重ねて、美味を期待したのだった。


私にとって、晩酌の時間は格別のひと時。
好きな酒が好きなように飲めるわけで、飲んでいるときは、それなりに楽しい。
そして、口に入れる肴だけではなく、心に湧く想い出を肴に酒を飲むのも、なかなか乙なもの。
甘味や旨味だけではなく、苦味もあれば妙味もあるけど、それらも私にとっては いい肴になる。
過酷な仕事や凄惨な光景を思い出しながらでも美酒が飲める私は変態なのかもしれないけど、それが自分を支える糧になっていることに間違いはないから。

ホロ酔の心には、色々な想い出が湧いてくる。
楽しかった想い出、嬉しかった想い出、苦しかった想い出、辛かった想い出、悲しかった想い出・・・
あんなこともあった こんなこともあった あんな人もいた こんな人もいた と想い出を掘り返しては、微笑んだり しんみりしたり・・・
先日なんて、チビ犬が死んだときのことを想い出して、ポロポロと涙酒になってしまった。

それでも、人生は短い・・
人生なんてアッという間・・・
自分が生まれる前の時間、死んだ後の時間、人類が生まれる前の時間、人類が滅びた後の時間、地球の歳、太陽の寿命、宇宙の始まりと終わり・・・
それらと比べると、自分が生きている時間なんて無に等しい。
だから、生まれてきたことに、生きていることに、生きることに意味がないというのではない。
逆に、だからこそ意味がある。
苦悩を流せる感性が芽吹き、幸福を尊ぶ志向が実り、短い人生にある一瞬一瞬が輝くのである。

今日は休肝日にしようか、どうしようか迷っている。
ハードな肉体労働は予定していないから休肝日にすべきところだけど、こんな記事で更新したら飲みたくなるに決まっている。
ま、どちらにしろ、飲んでるときぐらいは、美味い肴に舌鼓を打って、昨日の悔いも今日の不満も明日の不安も忘れたいものである。
そのたくましさが、また次の酒肴の味と己の心力を高めるのだから。



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