特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

見あげてみれば

2012-06-05 17:12:04 | 特殊清掃
5月21日(月)、日本の空に金環日食がみられた。
その何日も前から騒がれていたため、天体観察には興味のない私でも、「ちょっと見てみたいなぁ」と思っていた。
それだけのために日食グラスを買うかどうか迷ったくらい。
当日の朝は快晴とまではいかなかったが、太陽はあった。
そして、日食をじかに見ることができた。
長くは注視できなかったものの、時折、雲がかかってくれたおかげで日食グラスがなくてもハッキリ見えた。
ただ、ピーク時には空はかなり暗くなるものかと思っていたのだが、明るさはほとんど変わらず、期待していたほどのインパクトはなかった。

次に日本で金環日食が見られるのは2030年6月1日の北海道らしい。
18年後か・・・生きていれば還暦を過ぎた頃だ。
その歳になっても特殊清掃をやっていたら・・・やらざるをえない状況に置かれていたら・・・考えると恐ろしい。
冗談ぬきでブルーになる。
ま、そんなこと心配しても仕方がない・・・なるようにしかならない。
人生は、そんな心配をよそに過ぎ、そして終わるのだから。

今回と同様、日本の広範囲で見られるのは、なんと2312年4月8日とのこと。
実に300年も後。
300年後、世の中はどのようになっているのだろうか・・・
日本は、人類は、地球は、存在しているだろうか・・・
社会は、文化は、人間は、どのように変わっているだろうか・・・
その頃、私はもちろん、我々はとっくにこの地上から姿を消している。
ホント、人生って儚いものだ。


5月22日(火)、東京スカイツリーが開業した。
「完成開業はまだ随分と先のこと」と思っていたら、いつの間にかその時が来てしまった。
時は無常・・・時の移ろいなんて、往々にしてそんなものだ。
工事中のときは、よくケータイで写真を撮ったものだ。
そのスカイツリーがある墨田区はうちの会社がある江戸川区の隣。
だから、間近の建物を避ければ、そびえ立つ姿がよく見える。
そして、スカイツリーの近くを通ることもしばしばある。
そんな時、まるで初めて見るかのように、口を開けて見上げてしまう。

昼間のスカイツリーも見応えあるが、夜のスカイツリーもまた格別のものがある。
工夫された電飾によって、昼間とは違う顔をみせているのだ。
それは、子供の頃、図鑑の絵で見た未来都市を彷彿とさせるような光景。
実際に、未来都市にタイムスリップしたような不思議な感覚を覚える。
それでも、300年後にはスカイツリーはなくなっているはず。
そんなの遠い過去のことで、同じところの景色は一変しているであろうことを思うと、妙な寂しさを覚える。

そんな風にスカイツリーを眺めている私だが、のぼるつもりや施設内に入る予定はない。
外から眺めるだけで充分。
もともと高いところが苦手だし、そこまでの好奇心はない。
何かのきっかけがないかぎり、自分の積極意思では行かないだろうと思う。
何はともあれ、うつむき加減の世の中にあって、多くの人々に上を見上げるきっかけを与えているのは幸いなことだと思う。



出向いた現場は、古い木造アパートの二階。
私は、下から上を見上げて、部屋の並びをカウント。
目的の部屋を見定めながら、錆びた鉄階段をゆっくりのぼった。
そして、玄関前に立ち、ドアの隙間に鼻を近づけ、眉をひそめた。

約束の時刻になると、一人の老女の姿が階下に見えた。
足腰を弱めているのだろう、女性は杖をついてゆっくり歩いてきた。
それに気づいた私は、すぐさま階段を駆け下り、女性に近づいた。
そして、少々大きめの声で自分を紹介し挨拶した。

女性は、
「全室が空いたら取り壊す予定なので、他の部屋に迷惑がかからない程度にしてくれればいい」
「長く住んでくれた人だし、かかる費用は香典代わりに自分が負担する」
と、部屋の鍵を私に差し出した。
その穏やかな表情とのんびりとした口調は、ことの深刻さを感じさせず。
私は、作業に課せられたハードルの低さと、女性の寛容さに気を緩めた。

故人は70代の男性、老体に障害を抱えた生活保護受給者。
身寄りらしい身寄りもなく、遺骨の引き取り手もないとのこと。
部屋は1DK、今では珍しくなった畳の和室。
家財生活用品の量は少なく、質素な生活をしていたことが伺えた。

主たる汚染は、部屋の中央に敷かれた布団に残留。
立体的に盛り上がった腐敗粘度はウジの格好の餌となり、汚腐団は格好の住処となっていた。
私は、とりあえず、汚腐団を始末することに。
普通の布団ではありえない重さになった汚腐団を、逃げようとするウジを包むようにたたみ、ビニール袋に梱包。
更に、それを二重・三重に包み込んだ。

次は畳の始末。
しかし、物がのった状態では片付けようがない。
私は、畳の上に散乱する生活用品を梱包。
洋服タンス一棹を残して、あとのすべてはダンボール箱やビニール袋に梱包し、狭い台所に積み上げた。

六枚の畳のうち直接汚染されていたのは三枚。
そのうちの一枚は重汚染で、全体の約70%が“腐敗”。
二枚は中汚染で、全体の約30%が“腐敗”。
その他の三枚は、ウジが這った痕があるだけで軽症。
私は、とりあえず、放っておくとマズイ三枚を梱包することに。
隙間に金具を差し込んで腐敗していない部分をつかみ、畳をめくり上げた。

汚染度からすれば畳下の床板まで汚染されていてもおかしくないレベル。
ただ、遺体と畳の間には布団があった。
そのお陰で、床板は汚染を免れていた。
しかし、問題は他にあった。
捕っても捕っても、どこからともなくウジが出没・・・
隠れ潜んでいた連中が、より安全な場所を求めて這い出てきたのだった。
これには、さすがの?私も閉口。
“多勢に無勢”、一人対多匹の勝負では、引き分けに持ち込むのが精一杯だった。


“腐乱死体現場”であることの他に、この部屋には特徴があった。
天井に何十枚もの古いペナントが貼ってあったのだ。
故人は、生前、全国各地を旅したのだろう。
そして、出かけた先で買い求め、帰ってきて天井に貼っていったのだろう。
天井一面がペナントに覆われていた。
ただ、最後の何年かは、身体も経済も旅行することを許してくれなかったはず。
それでも、故人は、天井を見上げることによって、回想と空想の世界で旅行を楽しんでいたのかもしれなかった。
それを生きるための糧にしていたのかもしれなかった。
そして、最期のときも、それらを眺めながら微笑んで逝ったのかもしれないと思った。


部屋からでた私は、右に出る者がいないくらいのウ○コ男に大変身。
非日常的な部屋からでてきた私は、日常の街に合わない存在になっていた。
もちろん、覚悟していたことなのだが、これで街を歩くのはなかなか無礼。
しかし、現場アパートからコインパーキングまでは、通りを歩かなくてはならない。
私は、風向きを気にしながら、すれ違う人と一定の距離を保ちながら、また、日常世界の人達と目が合わないよう、空を見上げながら駐車場を目指した。

頭上には、オレンジ色の光に照らされた青い空が広がっていた。
人の死がつきまとう頭と腐敗臭がつきまとう身体にあっては、とても爽やかな気分になれるものではない。
ただ、一仕事を無事に終えた達成感と、目に見える死痕を消し、また目に見えないところに生痕を残せた安堵感に包まれて、穏やかな気分だった。


見上げてみれば空がある。
晴天、曇天、雨天、やさしい春の空、広い夏の空、高い秋の空、澄んだ冬の空・・・
空には色々な顔がある。
吸い込まれるような深遠さ、包み込まれるような雄大さ、生命が甦るようなあたたかさ、時空を越えた悠久の時・・・
空には不思議な力がある。
空を眺めると、気持ちが軽くなることがある。
空を見上げることによって力が漲り、心が和み、悩みが小さくなることがある。
何かが中和され、何かが消え、新たな何かが涌いてくる。
空は、自分の小ささ、人生の儚さ、自分という者が地に存在している理由めいたものを教えてくれる。
そして、抱える苦悩の小ささと、それに終わりがあることを気づかせてくれる。

しかし、人の心は弱く移ろいやすい。
ダメな状態に陥ったとき、空を見上げる気力を失うことがある。
見上げた空の輝きに劣等感を覚えることがある。
その眩しさに嫌悪感を覚えることがある。
その広さに疲労感を覚えることがある。
その青さに罪悪感を覚えることがある。
それでも、頭上に空はある。
頭上から空がなくなることはない。
肉眼で、心眼で、生きているかぎりそれを見上げるチャンスが消えることはない。


私が最期に見上げるのは病室の天井だろうか・・・
それとも、他の何かか・・・
できることなら、晴れ渡る空を、満天の星空を仰ぎながら逝きたいものである。
上向きになれない日々を、それでもガムシャラに生きてきた日々を振り返り、心にあたたかな笑みを浮かべながら。




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