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特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

石橋に杖

2025-06-25 06:53:15 | 特殊清掃
世の中の景気は少しずつ良くなっているような空気が感じられる中、相変わらず、物価高や実質賃金の低下を伝えるニュースが流れ続けている。
一部、大幅な給与アップで余裕がでてきた人をよそに、大方の人の家計は苦しいまま。
入ってくるお金が増えても、出ていくお金がそれ以上に増えているわけで、そうなるのは当然。
中小零細企業や非正規の労働者など、入ってくるお金が増えない人は尚更キツイ。
もう、生活のレベルを下げてでも出ていくお金を減らすしかない。
ターゲットにしやすいのは、食費・水道光熱費・日用品費・通信費・交際費・趣味娯楽費などの流動費。
これは、工夫したら工夫しただけ、我慢したら我慢しただけ抑えることができる。
ただし、やり過ぎるとメンタルをやられるおそれもある。
場合によっては身体の健康を害することも。
“生活のための倹約”が“倹約のための生活”みたいになってしまっては元も子もないので、その辺の塩梅をうまく匙加減しないといけない。

質素倹約生活については、私も自慢できる(恥ずかしい?)くらいの達人であることを自負している。
この分野に“級”や“段”があったら、結構な有段者になれるはず。
本当なら、いちいちここで紹介(自慢にならない自慢を)したいところだけど、“ドン引き”されるのがオチなのでやめておく。
とにかく、私は、衣食住で余計な金は使わない(酒は別)。
周りからは、“どケチ貧乏”に見えるだろうけど、これはもう完全に定着したライフスタイルになっているので、それで虚無感を覚えたり惨めな気持ちになったりすることはほとんどない。
うまくやるコツは、サバイバルゲームや野生キャンプでもやっているかのような“遊び心”を持つことと、時々はプチ贅沢(“それが贅沢?”と笑われそうなことだけど)をすること。
あと、大まかにでも家計簿をつけて自己チェックしながら達成感を得ること。
もちろん、多少の(多大な?)難はあるけど、誰に迷惑をかけるわけでもなし、バカにされることに慣れている私は、そんな風に淡々と生活している。



出向いた現場は公営団地の一室。
そこで暮らしていた高齢の女性が孤独死。
発見されるまで数日が経過。
暑い季節でもなかったものの、遺体は相応に腐敗。
遺体痕は2DKの間取りの中のDKにあり、突然に倒れたことが伺えた。
何かを訴えようとするかのごとく床に貼りついた人型の残留物からは、意思を持ったかのような異臭が放たれ、それが部屋中に充満していた。

特殊清掃の依頼者は、故人の姉と妹。
夫や子供のいない故人にとって、この二人が最も近い血縁者だった。
三人姉妹は、それぞれ別の公営団地で一人暮らし。
“公営団地での高齢独居”、姉妹で示し合わせたわけでもないだろうに、皆、似たような境遇で生活。
三人とも病気や介護の不安があり、頭の隅では孤独死に対する不安もチラホラさせていた。
イザとなって頼れるのは互いしかいなので、姉妹間で、安否確認の意味も含めてこまめに連絡を取り合うことを心掛けていた。

ただ、難しいのはスマホの扱い。
SNSをやらない高齢者は、電話をかけるときか電話を受けるときくらいしかスマホを開かない。
そのため、着信音が消されていると、着信があったことに気づくのに何日もかかることがある。
そんな中、操作ミスなのか何なのか、以前、故人のスマホの着信音が消えていたことがあった。
で、「連絡がとれない」と一騒動に。
それに懲りた姉妹は、以降は、連絡がとれなくなっても数日は待つように。
しかし、今回はその教訓が仇となり、連絡がとれなくなって数日後に故人宅を訪れたとき、故人は既に異様な風体に変わっていたのだった。


故人は、元来 用心深い性格で心配性。
更に、30~40代の頃、結婚を諦めた頃からそれがエスカレート。
両親や姉妹に対し、将来の不安をよく口にするようになっていった。
第一の心配事は、やはりお金のこと。
それを少しでも解消するには経済力をつけるしかない。
基本は、勤勉に働き、貯えること。
老後を見据えてキチンと年金を掛けることも怠ってはいけない。
そのため、故人は、質素倹約を心掛け、贅沢や無駄遣いとは無縁の生活を送った。
第二の心配事は心身の健康。
ケガや病気が、人生プランを大きく狂わせることはよくある話。
だから、故人は健康管理にも重きを置いた生活をした。
適度な運動を心掛け、食事にも気を配った。
往々にして口に美味いものは身体にマズイことが多い中、素食は、故人にとって節約にもなるし身体にも悪くないし、まさに一石二鳥だった。

現役を退いて収入が激減すると家賃の安い公営住宅へ転居。
水道光熱費も「大丈夫?」と心配になるくらいセーブ。
スーパーで買い物をするにしても値引品や特売品が主。
日用品のほとんどは100均で入手。
出掛ける先も公園や図書館など、金のかからないところばかり。
外出時に携行する飲み物も、自分で煎れたお茶を空のペットボトルに詰め替えたもの。
身なりも質素で、何年も同じ服を着回し。
流行を追ったり、オシャレをしたりする習慣もなし。
かなりの徹底ぶりだったが、故人は、そんな生活を苦にしていた風でもなかったよう。
「とにかく、お金を使わない人だった・・・使いたがらなかった人だよね・・・」
姉妹は、溜息まじりの浮かない表情でそう呟いた。
“ケチだった”と非難したかったわけではなく、ただ、故人のことを想い出すと、まずその印象が浮かぶようだった。


姉妹からの依頼は、
「遺品チェックをしたいので部屋に入れるようにしてほしい」
というもの。
私の感覚ではライト級の汚染異臭でも、一般の人にはヘヴィー級。
しかも、遺体のカタチがクッキリと浮き出た汚れ方でグロデスク。
そんな光景を目にしたくないのは当然で、ニオイを嗅ぎたくないのも当然。
「そんなに時間はかからないと思います」
と、玄関前に姉妹を残し、私は一人、作業に着手。
作業は順調に進み、程なくして完了したものの、フローリング材が腐食しており人のカタチが残留。
そのため、防臭と目隠しのためのフィルムを貼り付けた。
また、一次的な処理しかできなかったため、ある程度の異臭も残留。
ただ、近隣に迷惑かかからないレベルにまでは低減できたので窓を開けて中和させた。

作業を終えると、姉妹は、
「もう終わったんですか?」
と驚き気味に喜んでくれた。
そして、前人未踏の地に赴くかのように恐る恐る入室。
それから、玄関を入ってすぐのDK、故人が倒れていた床に向かって合掌。
次に、遺品チェックのため奥の部屋へ。
ただ、そこは故人のプライバシーがタップリ詰まった“他人”の家。
勝手に入り込んで家財に手を出すことに戸惑いを覚えているようだった。
が、当の故人かいない現実において遺品は誰かが整理し片付けなければならない。
姉妹は、躊躇いがちな気持ちを振り払うように、部屋のあちこちを探り始めた。

財布・携帯電話・鍵などの手回り品は警察が一旦部屋から引き揚げ、後日、姉妹に引き渡されていた。
キャッシュカードも財布に入っていた。
慎ましい生活をしていた故人の部屋にブランド品や高価な宝飾品はあるはずはなし。
財産らしい財産は預貯金のみ。
そして、それを裏付けるのは預金通帳。
姉妹がもっとも探し出したかったのは、その通帳と印鑑だった。

通帳探索の目的は預金残高の確認。
夫や子がおらず両親も他界している故人の遺産を相続する権者は姉妹の二人のみ。
他に首を突っ込んでくるような者はおらず、相続手続きに障害はなし。
そして、生前の故人は、姉妹に貯金の大切さを説きながら自分が貯金に励んでいることも口にしていた。
また、姉妹は、故人の徹底した倹約生活も見知っていた。
そんなところから、まとまった金額が残されていることは容易に想像できた。
無論、姉妹はそれを相続するつもりで、気になるのは どれくらいの貯金があるか。
だから、具体的な金額を把握するべく預金通帳を確認しようとしていたのだった。

家財量も少なく整理整頓が行き届いた故人の部屋で通帳と印鑑を見つけるのは容易いことだった。
出てきた通帳は二通。
姉妹は、残高確認を目当てに、そそくさとページをめくった。
そうして現れた最終ページに記された金額は、姉妹が想像していたものよりもはるかに大きいものだったよう。
驚き・戸惑い・喜び、そんな感情が入り混じって化学反応でも起こしたかのように、通帳を見入る姉妹の目はにわかに輝きを帯びた。

しかし、それは肉親の死に起因するもの。
しかも、親から子へ“順当”に引き渡されるものではなく姉妹間のもの。
“横取りする”みたいな感覚がしないでもない。
姉妹は、露骨に喜ぶのは不謹慎、故人に申し訳ないと思ったのだろう、また、傍らにいる私に対してバツが悪かったのだろう、笑みがこぼれそうになった顔を意識的に神妙なものにつくり変えた。
が、互いの腹の中はバレバレ。
笑みを堪える姉妹と その心中を読んでしまった私のいるその場には微妙な空気が流れた。
ただ、姉妹は、故人の死を喜んだわけではない。
単純に、“棚から牡丹餅”を嬉しく思っただけ。
だから、私は、遺産に喜びを覚える姉妹の人間らしさに不快感は抱かなかった。

姉妹二人も、それぞれ公営団地での一人暮らし。
その生活には病気や介護問題が並走しており、故人同様、孤独死の可能性も低くはない。
更に、主な収入はかぎられた年金で、暮らし向きは楽ではないはず。
だから、相続した遺産は、そんな生活を大きく支えるものとなったはず。
ちょっと気になったのは、故人がそれをどう思うか・・・
「“もっと使っておけばよかった”と後悔しながらも、姉妹の役に立てて嬉しく思うかな・・・」
私はそんな風に思った。
と同時に、姉妹は、故人の生き様を振り返り、故人の想いを大切しながら、もらった遺産を大事に使っていくものとも思った。


現代社会において、「宵越しの銭は持たない」といった気質は通用しない。
一方で、わざわざ「“生涯において死ぬ間際が一番金持ち”なんて愚か」という意見が出ることも、貯め込んでいる高齢者が社会に多いことを危惧しているわけで、つまるところ、現代社会の生きづらさや不安の多さを表しているものでもある。

結局のところ、金勘定だけでみると、故人の質素倹約人生は姉妹のために費やされたみたいになってしまった。
そんな人生は、他人は「もったいない」「一人でバカをみた」等と思うかもしれないけど、それも故人なりの生き方。
遊びたければ遊べたはず、贅沢したければできたはずの故人は、気楽にゲーム感覚でやっていたのかもしれず。
故人にとっては、それも一つの“楽しみ”になっていたのかもしれなかった。

“負け犬の遠吠え”のように聞こえるかもしれないけど、身の周りには金で買えない幸せや楽しさがたくさんある。
だが、私も含め、幸せや楽しさに対する人々の感度は著しく鈍化・麻痺してしまっている。
金をかけた物品やサービス、刺激的な遊びや時間にしか喜びを感じない。
あとは、「あって然り」とばかり完全スルー、気づきもしないし気づこうともしない。
しかし、この命も、この五体も、この心も、自分の長所や美点も、人の情愛や優しさも、五感に感じる自然の恵みも金で買ったものではない。
頂いたものであり、幸・楽・喜の種として気づくものである。

転ばぬ先の杖で石橋を叩いて渡った故人。
そして、その道程と足跡を垣間見た私。
この故人もそうであったように、姿なく触れ合う名もなき先人は、言葉なく 私に何かを教えてくれる。

私の質素倹約生活は、これからも続く。
小銭に一喜一憂しながら、大切な何かに気づかされながら。



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いたみわけ 

2025-06-15 06:32:31 | 腐乱死体 ごみ屋敷
出向いた現場は、住宅と商店が入り混じるエリアに建つアパート。
徒歩圏内にはなく、最寄りの駅に行くにはバスを乗り継ぐしかないエリア。
建物は築古で、三回建の鉄筋構造ながら「マンション」とは呼びにくい雰囲気。
家賃が割安なのは、物件情報を調べなくてもわかった。

目的の部屋は二階の一室、間取りは広めの1DK。
そこで居住者の男性が孤独死。
故人は、ベッドマットだけが敷かれた寝床で息絶えていたそう。
発見はやや遅れたが、季節の低温低湿のお陰もあって、深刻なまでの腐敗は回避。
身体をカタチがわかる程ではないくらいの体液跡が薄っすらとあった。
ただ、最大の問題は、そこではなかった。
重症のゴミ部屋・汚部屋になっていたのだ。

もちろん、「こんな汚部屋には遭ったことない」という程ではなかったけど、とりわけ、水廻りの汚損具合には閉口。
まずは、キッチンシンク。
シンクには、使用後の鍋・フライパン・調理器具・食器・箸などが突っ込まれたままで、残飯までも放置されヒドく腐敗。
しかも、排水口が詰まって、溜まった水が腐敗してドブのように(小さい汚腐呂の状態)。
汚物は手作業で取り除くしかなく、そのクサいこと!クサいこと!
一緒に作業していた仲間も、私から離れていくような始末だった。
トイレもゴミだらけ。
かろうじて用を足せる状態ではあったものの、便器は、座ったら病気になりそうなくらいの汚さ。
掃除なんて、ここに来て一回もやってなかっただろう。
「ここで亡くなってた?」と思うくらい、ゴミの下から顔をのぞかせた床は得体の知れない茶黒色の粘液が覆っていた。
風呂も同様。
洗い場はゴミだらけ、しかも水場であるため、水分タップリのグジョグジョ状態。
天井壁も全面、カビ・水垢だらけ。
唯一、浴槽内にはゴミはなく、おそらく、故人は浴槽内に入ってシャワーを浴びていたものと思われた。

依頼者は故人の父親、80代後半の高齢。
「悠々自適な老後」とは全く無縁、妻と二人、公営住宅で年金に預貯金を崩し足しながら生活。
節約に節約を重ねながらの生活で、近年は妻に介護の手が必要になり、ひっ迫の度合いは月を追うごとに増しているようだった。
故人は50代後半。
メンタルを患って定職には就いておらず、主な収入源は生活保護費。
ここに越してきたのは8年近く前で、そのときは既に生活保護受給者となっており役所の仲介で入居。
役所は就業支援を続けていたが、それも虚しく、最期まで仕事に就くことはなかった。
それだけではなく、借りていた部屋を重症ゴミ部屋にしたまま放って逝ってしまったのだった。

故人は、金銭にルーズだったよう。
借金トラブルを抱え、何度か裁判沙汰にされたこともあった。
おまけに、仕事が長続きせず。
職や住居を転々としては、両親に金を無心することも度々あった。
息子(故人)がどんな人間であれ親は親、捨てきれない情愛をもって なけなしの生活費からいくらか工面することもあった。
その末に降りかかってきた息子の孤独死・ゴミ部屋問題。
父親にとっては、人生にトドメを刺されるような出来事となった。


当社が請け負ったのは、遺品整理・家財ゴミの処分で、簡易清掃と簡易消毒をサービスで付帯したもの。
一連の作業を終えて、空になった部屋をあらためて観察してみると、もう、内装設備は物理的に汚損・腐食・損壊しており、掃除で復旧できるレベルととっくに越えていた。
そして、本件を次の段階にすすめるため、別の日に当方・大家・依頼者の三者で時間を合わせて現地に集まった。
当方の用は、父親に作業後の部屋を確認してもらい貴重品類と鍵を返却すること。
父親の用は、当方の作業成果を確認し貴重品類と鍵の返却を受け、大家と協議すること。
大家の用は、部屋を確認したうえで父親と後々とのことについて協議すること。
そんな中、父親と大家の協議が最大の課題となった。

やってきた大家は老年の女性、外見上は父親と同じ80代。
私も、その時が初対面で、どんな態度で現れるか少し緊張していたが、表情は柔和で物腰も低め。
それは、父親との協議が平和的に進むことを期待させるものだった。
が、部屋を見た大家は唖然。
「ここまでのことになってるとは・・・“ゴミが多かった”とは聞いてましたけど・・・」
と、表情を引きつらせ、そのうちに苛立ちの形相に変わってきた。
一方の父親も、そんな大家を見て顔を強ばらせた。
「日常的な汚損」「経年による劣化」等と言い逃れできないことはわかっており、あとは、大家が何を言ってくるのか、だた、それを恐れていた。

大家は、沸いてくる怒りを抑えるようにしながら、
「お父さんは保証人になっておられるわけですし、部屋を元通りするためにかかる費用は負担してもらいますよ」
ある程度のことは覚悟していたとはいえ、実際にそう言われた父親は、返答に困った様子。
「保証人にはなった覚えはないんですけど・・・???」
と、戸惑いつつ、
「ちなみに、どれくらいかかるものなんでしょうか・・・」
と、遠慮がちに訊ねた。
いくらかかるのか見当もつかない大家は、“業者さんならわかるでしょ?”といった視線を私の方へ向け、その視線を追うようにして父親も私の方を見た。
二人の視線をキャッチした私は、過去に経験した同類工事をいくつか思い出し、
「おそらく・・・100万じゃ済まないでしょうね・・・」
「かなりザックリした金額ですけど、ユニットバスも交換するとなると150~200万円くらいはいくんじゃないでしょうか・・・資材費や人件費も上がってきてますしね」
と、軽はずみには言いにくい金額ではあったが、実状に則した金額を率直に伝えた。

「そんなお金ない・・・」
その金額を聞いた父親は表情を曇らせた。
父親にそれだけの資力がないことは想像に難くなかったのだろう、大家も顔を曇らせた。
ただ、それでも、大家には大家の事情があるわけで、
「それでも、払ってもらわないと困ります・・・」
と、少し遠慮がちにしながらも、そう要求した。
言われた父親は、その場で卒倒しそうに。
「どうしよう・・・どうすればいいんだ・・・」
顔の曇天は雨模様に変わり、人目もはばからず その場で泣き崩れてしまった。

そもそも、父親夫妻は、経済力が弱いから所得制限の厳しい公営住宅に暮らせているわけ。
また、生活保護法で「絶対的扶養義務者」とされる父親に経済力があれば、故人は生活保護受給者になることはできなかったはず。
父親は、大家を泣き落とそうとして デタラメを言っている・・・金がないフリをしているようには到底見えず。
老夫婦が困窮し、にっちもさっちもいかない状況に陥っている姿は、気の毒を通り越して痛々しいくらい。
男性と同年代の大家も、老い先の苦難がどれだけツラいものかが少しはわかるのか、父親の狼狽ぶりをみて悲しげな表情を浮かべた。

父親に責任をとってもらいたい大家、
責任を果たしたいけどお金がない父親、
100万円を超える話がその場で決着するわけはなく、協議を大きく進展させることができないまま継続協議をするということでその場はお開きに。
後味のよくない終わり方だったが、当初は“戦闘準備開始”みたいな雰囲気が感じられた大家が、父親に同情して、その気持ちを少し緩ませたように感じられたことが唯一の救いだった。


協議をすすめていくうちに、新たに分かったことがいくつかあった。
故人と大家の賃貸借契約、当初の連帯保証人は保証会社が担っていた。
一回目の更新も、二回目の更新も同様に。
しかし、三回目の更新時、契約書には父親の名があった。
故人が保証料をケチったのか、これは、故人が勝手に父親の名を書いて三文判を押したもの。
連帯保証人とは正式に認められないものだった。
また、不動産管理会社が保険に加入しており、それは、本件に関しては上限50万円が父親に支払われる内容のものだった。

誰がどう見ても故人に非があるのは明らか。
しかし、当の本人はいない。
法的責任、経済的責任、社会的責任、道義的責任・・・生じた責任を誰がどう背負うのが正しいのか、冷静に見る必要があった。

まず、法的責任。
故人は生活保護受給者で、過去に借金トラブルで裁判を起こされたことがあるくらいの人物。
遺産らしい遺産がないことは調べるまでもなく、となると、相続は放棄するのが順当。
また、父親はアパート賃貸借契約の連帯保証人とは認められず、故人の地位を引き継ぐ義務はない。
したがって、法的責任はないと判断することができた。
経済的責任も同じようなもの。
血のつながった親子とはいえ、故人と父親は別人格。
つまり、「故人の負債≠父親の賠償責任」ということである。
社会に広く迷惑をかけたわけではなく、他に被害者がいるわけでもないので社会的責任について問われる理由はない。
悩ましいのが道義的責任。
血縁者には、他人との間には生じにくい愛・情・絆・縁があるのが自然で、その延長で、「故人と同じ権利を得、同じ義務を負うのが当然」と捉えられることが多い。
その辺のところの大小・強弱・厚薄に一定のカタチはなく、個々の家族(親族)によって異なって然るべきものなので、遺族側の裁量でどうにでもできる。

しかし、これは、あくまで父親側に立った場合の理屈。
大家の立場になってみると、まるまる自己負担なんて感情的に収まらない。
とは言え、怒りの矛先を向けるべき相手はおらず、“死”というものが有する絶大な防御力を前にしては手も足も出せないのが実状。
あとは、「義務はない」と放り投げるのか、「親だから」とできるかぎりの責任を負うのか、ここで考えられる現実的な着地点は“父親次第”で決まるものと思われた。


大家は冷静に、父親は誠実に、その後の協議に臨み、私は公正にオブザーバーの役割を果たした。
父親は、当社への支払い(上限50万円>実費)を管理会社経由の保険金で賄うこともできたのだが、それはせず。
保険金を原状回復費用に充てれば満額50万円が降りるはずで、それに、自分が果たせる精一杯の道義的責任として なけなしの貯金20万円を叩いて上乗せし、計70万円を大家に納めることに。
厚顔で強弁すれば、大家には一円も払わずに済むにも関わらずそうすることに決めた父親の誠意は大家に通じ、金銭的問題はそれで決着した。

そのうえで、私の出番がやってきた。
ユニットバスを交換すれば、安くても50~60万円はかかる。
掃除で復旧できれば数万円の清掃代で済む。
重汚染のため どれだけきれいにできるか想定が難しかったが、ユニットバスを再生できれば工事費用をかなり抑えることができる。
重汚染部に変色シミは残るリスクはあったけど、風呂の材質は洗浄に適しているため(水場だから当り前)、きれいにできる自信もあった。
で、特殊清掃を施工、我ながら見事に完遂。
大家と父親との人間的な関りもハラハラ・ドキドキ、そしてホッコリと有意義だったし、元の仕事で算段通りの儲けを出すこともできたし、風呂の特掃はアフターサービスで無料とした。

結局のところ、大家が負担せざるを得なかった原状回復費はかかった費用の約半分。
父親も、精一杯の金子を捻出した。
私も、それなりの労力をもって風呂をきれいに掃除した。
死を悼み、心を傷め、心が痛み、そこには、三者三様の“いたみ”があった。
そして、互いに痛み分けをして、本件の仕事は心地よく終わったのだった。


「喜びは 誰かと分かち合えば倍になり、悲しみは 誰かと分かち合えば半分になる」
諺や格言でもないのだろうけど、これまで、何度かそんな風な言葉を聞いたことがある。
ただ、かつて私は、
「そんなのは大ウソ、きれいごと」
「何の役にも立たない」
と思っていた。
また、今でも、そう思うことがある。
しかし、仮にそう思ったとしても、今は、
「でも、人って、そうありたいもんだよな・・・」
とも思うようになっている。

それを私に教えてくれたのは孤独と重年。
「そう考えると、“ぼっち”も“老い”も悪いことだけじゃないな・・・」
そいつらに虐められることが多い私は、そうして、自分の中で痛みを分け合っているのである。



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姉の居ぬ間に選択

2025-06-05 07:00:00 | ゴミ部屋 ゴミ屋敷
前回5月26日の「兄妹」で書いたとおり、私には兄と妹がいる。
裏を返せば、「姉と弟はいない」ということ。
そんな私は、「姉」というものに憧れを持っていた。
母親の愛情に不足を感じていたのか、幼少の頃は「姉ちゃんがいたらよかったのになぁ・・・」と思うことがしばしばあった。

小学校低学年の時、姉が二人いる同級生(後に転校)がいた。
よくは思い出せないけど、当時、その姉二人は同じ小学校にはいなかったので、既に中学生や高校生だったはず。
つまり、“歳の離れた姉”ということ。
「可愛がってくれる」「世話を焼いてくれる」「甘やかしてくれる」等々・・・
級友から自慢話を聞かされたわけでもないのに、私は、“姉”というもの、とりわけ“歳の離れた姉”というものに対していいイメージしか持っていなかった。

唯一、姉に似た存在として、八つ上の従姉弟がいた。
お互いの家も近くはなかったし、それだけ歳が離れていると「一緒に遊ぶ」ということもなかった。
それでも、会えばフレンドリーに優しく接してくれ(それは大人になっても変わらず)、それが、私の“姉”に対するイメージを更に良いものにしていた。



訪れた現場は、東京 城東エリアの老朽マンション。
築年数は40年余・・・いや50年は経っているか、外見は公営団地、内装設備は木造アパートに見えるような地味な造り。
現場の部屋は小さめの3LDK。
人間同様、 “年相応”に内装・設備はボロボロ。
そんな中、この部屋をリフォームする話が持ち上がった。
そこで依頼されたのは、一時転居準備の一環である生活必需品以外の物品処分。
ただ、そんなフツーの仕事で当社が呼ばれるわけはなし。
実のところ部屋は半ゴミ部屋で、かつ家族間に温度差があり、依頼者が業者を厳選しての縁だった。

そこに暮らしていたのは、老年の母親と中年の息子(以後「男性」)の親子二人。
もともとは、父・母・娘・男性の四人家族だったのだが、娘は他所に嫁ぎ、父は既に他界。
男性は独身のまま、それから、ずっと二人暮らし。
つまり、男性は生まれてからずっと母親と一緒の生活。
食事・洗濯・掃除等々、身の回りの世話や家事全般は母親がやってくれるのが当り前。
社会人になってからも、男性は生活費を入れるだけ。
外身は大人でも中身は子供のまま。
そんな自由奔放な生活は何の訓練にもならず、結果的に、男性は、ゴミ出しはもちろん、ゴミをゴミ箱に入れることさえしない人間になっていた。
一方、母親の方は、還暦頃を境に老い衰えが目立つように。
「人間(生き物)の宿命(自然現象)」と言うには簡単だが、充分な家事ができなくなってきたことは 日々においては小さくても 年々においては大きな問題に。
そうして、部屋は次第に汚くなっていき、徐々にゴミ部屋化していったのだった。

男性には、歳の離れた姉がいた。
その姉は、若い時分に結婚し 家庭を持ち、少し離れた街に暮らしていた。
姉にとって、ここは母と弟の家でありながら自分の実家でもあり、もう何年も前から実家が荒れてきていることを把握。
母親が弱ってきていることを心配しながら、男性(弟)にキチンと家事をするよう、再三再四、発破をかけてきた。
また、時々足を運んでは、母親のために、掃除できるところは掃除し 片付けられるモノは片付けていた。
しかし、男性は姉の意見を聞き流し、一向に生活をあらためようとせず。
姉がどれだけ片付けても どれだけ掃除しても、男性の暮らしぶりがそれを邪魔立てし、ゴミ部屋化は止まらず。
結果的に、姉の手だけではどうしようもないくらいの状態になってしまったのだった。


3LDKの間取りのうちLDKや水廻りは親子共用、二部屋を男性が占有し、残りの一部屋を母親が使用。
計画されたリフォーム工事は、単なる新装工事ではなく、バリアフリー化をともなうもの。
部屋数を減らして廊下やバス・トイレを拡張。
新しい間取りでは、男性が自分の部屋として使えるのは一部屋に。
広さはこれまでの約半分。
今の二部屋分の荷物が新しい一部屋に収まり切るわけはなく、更に、現状は二部屋ともギュウギュウの物置のようになっているわけだから、大半を処分しなければ新生活が始められないことは誰の目にも明らかなことだった。

工事にあたって、母親と男性は仮住居に一時転居。
母親は娘(姉)宅に、男性はウイークリーマンションに移るため、最低限の生活必需品だけを残し、その他の物は処分することに。
「全部捨てていいくらい!」
「本当に必要なモノなら買い直せばいい!」
と、片づけの段取りは、姉が全面的に仕切って進行。
それについて、先が暮らしやすくなることに期待した母親は協力的。
一方、男性(弟)の反応はいまいち。
そもそも、男性はゴミや物を増やし部屋を汚してきた張本人なわけで、積極的に協力することは見込めず。
拒んだり難色を示したりする可能性も充分にある中、そんなことはとっくにお見通しの姉は、姉としての威厳と正論を武器に男性を屈服させるつもりのよう。
「コレも要らない! アレも要らない!」
「コレも捨てていい! アレも捨てていい!」 
と、“男性の部屋=ゴミ箱”のような扱いで、ゴミ類はもちろんのこと、男性の所有物を含めて、部屋にある物の八割~九割くらいを 容赦なく“捨てるモノ”として指定した。


作業の日、一足先に娘(姉)宅へ転居した母親は不在。
姉は所用があって現場には来ず、男性一人だけが在宅。
ただ、作業の内容については姉とシッカリ話ついており、当方はその契約に則って施工するのみだった。
そして、当初は、男性も黙ってその様子を眺めていた。
が、しかし、作業の後半、作業の手が男性の部屋に伸びはじめたときに潮目が変わってきた。

男性の部屋は、床がほとんど見えておらず。
日用品をはじめ、書類や洋服が放られたまま。
雑誌・書籍・CD・DVD・アニメグッズ等が山積。
置かれた家具は埋没、押入も色んな物が重ね詰められて日常の用では使えない状態。
食べ物が混ざっていないことが“不幸中の幸い”だったものの、ホコリとカビが不衛生さに輪をかけていた。

DVDは大人モノと、昔のTVドラマや映画の類が混在。
CDや雑誌・書籍も古い物ばかり。
中には、大量の写真集もあった。
そのほとんどは、昭和・平成時代の女性タレントの水着姿やヌードを撮ったもの。
男性は、かなりの熱量で収集していたよう。
二百冊~三百冊くらいはあろうか、通販の箱にしまわれたままの物も多々。
「気持ちはわかるけど、さすがに集め過ぎじゃないか・・・」
と、羨ましさを通り越して呆れるような気持ちが湧いてきた。

それらの表紙や背表紙には憶えのあるタレントの名前や顔がチラホラ。
どうしても向いてしまう視線に困ったフリ(自分に言い訳)をしながらも、
「いた!いた! そう言えば、こんな人いたなぁ・・・」
と懐かしんだり、
自分のことは棚に上げて、
「もう、みんな いい歳のオバちゃんになってんだよな・・・」
と思って苦笑したり、
特定の名前が目につくと、
「この人に世話になったことあったなぁ・・・」
と青春を回顧したり、
スケベ心の中にも過ぎた時間の感慨が込み上げ、歳に似合わない甘酸っぱさが甦ってきた。

当初、男性の部屋についても、「生活必需品のみを残して、あとはすべて処分」という約束だった。
が、その場になると「要らないモノだけ捨ててもらえばいい」と微妙に変化。
色々と取捨選択しながら明らかなゴミだけを選別して捨てることを指示し、CD・DVD・書籍など、元々は捨てる約束をしていたはずのモノでも自分が捨てたくないモノは「要るモノ」として処分を拒み始めた。
しかし、男性の言うがままになると、片付ける量は契約した量の約半分になる。
そうすると、姉と交わした契約は不完全履行ということになり、当方に過失がないとはいえ、後で面倒臭いことが起こることも考えられた。
かといって、男性の許可なくその所有物に手を出すこともできない。
また、何の権利もない私が男性を説き伏せるなんてことできるはずもなく、「これ以上は無理そうだな・・・」と、思考は諦めの方に傾き始めていた。

とにもかくにも、業務上の権限は姉にある。
とりあえず、私は部屋を離れて姉に電話、困った状況になっていることを伝えた。
すると姉は、
「アイツめ、この期に及んで・・・」
と、イラ立ちを露わに。
「この後、どうればいいでしょうか?」
と指示を仰ぐと、男性と電話で話してもラチがあかないことを見越したようで、
「こっちの用は後回しにして、今からそっちに行きます!」
と、即座に自分の予定を変更。
そして、
「弟には、キッチリ言うことを聞かせますから!」
と、不敵な自信をみせた。

しばらくすると、姉がやってきた。
せっかくの美人が台なしになるくらいの鬼の形相で。
頭には、生えた角と 立ち昇る湯気が見えるような気がするくらい。
その登場により、静かに淀んでいた空気は波乱を予感させるものに一変。
「外せない用があるから来るわけない」と高を括っていたのだろう、突然 現れた姉に男性は驚愕。
“気マズい”をとうに越え、怯えたように顔を強ばらせた。
そんな男性に向かって、姉は長年に渡って溜め込んできた不満・憤り・ストレスを人目もはばからず爆発させた。

「アンタ! 何度言ったらわかんの!!」
と一喝。
そして、
「そのCD、もう何年も聴いてないでしょ!」
「DVDだって観るわけないし、本だって読むわけないよね!」
「そもそも、何がどこにあるか自分でもわかってないでしょ!」
「自分はやりたい放題やって、後始末は お母さんや私にやらせて、半人前のくせに一人前面すんじゃないわよ!」
と連打を浴びせた。

ヌード写真集に至っては、
「何でこんなにたくさんあんの!」
「全部いるの!? 全部見るの!?」
「気持ち悪っ!!」
と酷評。
続けて、「だからアンタは ずっと・・・」と、何かを言いかけた・・・
・・・ところで、何を思ったか、姉は悔しげな表情で吐きかけた言葉を呑み込んだ。


エロ本もヌード写真集も、姉(女)からすれば同じモノか。
しかし、男の都合では、それは似て非なるもの
“芸術愛好”と性的欲求“の狭間、その微妙な位置は、“こし餡orつぶ餡” “絹豆腐or木綿豆腐”くらいの違いかもしれないけど、いやらしい目で見るのか 美を求めて見るのか、見方を変えれば違いは大きい。 
男性がどちらの嗜好で集めたものはかはわからなかったけど、男の私には、「捨てたくない」という男性の気持ちがどことなくわかった。
ただ、下手な口出しは藪蛇になりかねない。
私は、野球でも観るかのような軽々しい気分で姉弟の攻防を傍観。
姉は、そんな観客を無視して、言葉の剛速球を男性の胸元に投げ込み続けた。
しかも、一つ間違えばデッドボール、危険球退場になりかねないくらいの内角ギリギリに。
しかし、そんな試合を客席で観られていたのは序盤だけ。
女のヌードを好む男性を非難する口撃には、他の男までションボリさせてしまうような破壊力があり、男性のいるところにだけに敷かれていたはずの“針の筵(むしろ)”は、私の足元にまで広がってきた。


「どうせ姉は来ないし、テキトーに片付ければいい」
当初、男性は、片付け作業を“鬼の居ぬ間に洗濯”くらいにしか考えていたのかもしれなかった。
しかし、実際にそれは叶わず。
“自分で自分の尻を拭けないヤツは黙ってろ!”といった姉の圧に抗う力は男性になし。
結局、
「新生活に必要なモノではない!」
「リフォームした部屋を再びゴミ部屋にしたら許さん!」
と一方的に断じられ、拒んだモノのほとんどは姉の命令で処分されることに。
次々に運び出される趣味嗜好品を男性は諦念をもって眺めているほかなく、その寂しげな様子は やや気に毒に思えるものでもあった。

ただ、大人になっても、自分を律してくれる人がいるということはありがたいこと。
弟には、母親を頼りに生きるのではなく、自立して、自分と同じように あったかい家庭を持って幸せな人生を歩いてほしい・・・
姉の厳しい振る舞いは優しさの裏返し・・・
母親を想う気持ちだけでなく 弟を想う気持ちからでてきたものでもあったはず・・・
あの時「だからアンタは ずっと・・・」と言いかけて止めた言葉の続きは、おそらく「女に縁がないのよ!」
しかし、姉は、その優しさで痛烈な一言を途中で吞み込んだ・・・

・・・と、うまくまとめようとしつつも、私は、
「でも、あのタイプの姉さんだったら・・・俺はいらないかな・・・」
とも思ったのだった。


コメント (2)
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