特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

尻拭い

2020-05-30 08:20:51 | 孤独死
ある日の朝、見知らぬ番号で私の携帯が鳴った。
「“とても良心的な方”ってきいたものですから・・・」
「実際にお仕事を頼むことになるかどうかわからないんですけど・・・」
「相談だけでも大丈夫ですか?」
声の主は、年配の女性。
以前から懇意にしてくれている人の紹介での、仕事の問い合わせだった。

人には人それぞれの生き様があり、人生には人それぞれのドラマがある。
そして、それをじっくり聴くのが嫌いじゃない私。
下衆な野次馬根性もあるけど、それだけじゃなく、自分にとって糧になることも多いから。
ただ、結果として、人の目には、それが“親身に話をきいてくれる”という風に映るのかもしれない。
私は、“良心的”という言葉に、小さな罪悪感と、中くらいの照れ臭さと、大きなプレッシャーを感じながら、それでも、単細胞らしく気を良くして、イソイソと現場に出かけて行った。

出向いた現場は、古い鉄筋構造の建物。
「マンション」と呼ぶには老朽低層すぎる、そうは言っても、重量鉄骨構造は「アパート」と呼ぶには相応しくない。
メンテナンスも行き届いておらず、朽ち果てるのを待っているだけのような建物。
間取りは2DK。
充分に床は露出していたけど、掃除なんか何年もしていない様子。
散らかり放題、汚れ放題、たくさんのゴミが溜まり、至るところが真っ黒・真っ茶色、ホコリだらけカビだらけ。
タバコ臭・油臭・ゴミ臭などの生活異臭も充満。
それは、そのまま故人の人格や生き様を表しているようでもあり、「男性の一人暮らしなんて、だいたいこんなもんですよ」といったセリフもお世辞に聞こえるくらい、ヒドい有り様だった。

そこで暮らしていたのは、70代後半の男性。
無職・無年金、生活保護を受けての一人暮らし。
フツーだったら、部屋の汚さに目を奪われるばかりで、そんなことは気にも留めないのだろうけど、フツーじゃない私には“ピン”とくるものがあった。
それは、そこが孤独死現場であるということ。
もともと、「孤独死現場」とは聞いていなっかたが、DKの床に敷かれた新しい新聞紙と それに滲むシミが、私にそのことを教えてくれた。

相談者は、「一応、血のつながった妹」と名乗る高齢の女性。
相談の内容は、この一室の後始末について。
故人の死を悼んでいる様子はなく、滲み出ているのは困惑の想い。
困惑の表情、怒りの表情、狼狽の表情、嘆きの表情、苦虫を噛み潰したような表情・・・色んな表情を織り交ぜながら、また、複雑な心情を滲ませながら、ことの経緯を話してくれた。


故人は女性の実兄で、若い頃からの放蕩者。
高校の頃からグレはじめ、以降、ずっと家族に迷惑をかけ通し。
自ら高校を中退して社会に飛び出たものの、コツコツ働くことができず。
どんな仕事に就いても長続きせず、トラブルを起こしてクビになることも多々。
色んな理由をつけては転職を繰り返した。
一方、飲む・打つ・買うの三拍子は勢揃い。
おまけに、ケンカや借金も日常茶飯。
収入はないくせに金遣いは荒く、両親が、借金の肩代わりをしたもの一度や二度のことではなく、親のスネは細る一方。
悪い連中と悪さをしては警察の厄介になるようなことも繰り返し、二十代も後半になると、そっちの世界にズルズルとハマっていった。

素行の悪さは近所でも有名。
で、人間という生き物も、他人のスキャンダルを好む。
故人の悪行は、近隣奥様方の井戸端会議のかっこうのネタにされ、犯罪者をみるような好奇の目は、本人を飛び越え家族にまで向けられるようになった。
特に近所に迷惑をかけていたわけでもないのだけど、そのうちに、好奇の目は白い目に変わっていき、そこでの暮らしは“針の筵”のようになっていった。
しかし、だからといって家を越すことはできず、ただただ、それに耐えるほかなかった。

家族が故人と“絶縁”したキッカケは二つ。
一つ目は、借金のかたに家を失いかけたこと。
両親が保証人になっていたわけでもないが、借金の取り立ては両親のもとへ容赦なくきた。
犯罪ギリギリの嫌がらせを受けたこともしばしば。
借金取りは近所の目もはばからずやって来ては、脅しにもとれる派手な雑言を吐いて、女性家族を追い詰めた。
「子の不始末は親の責任」と、それまでも故人がつくった借金を肩代わりしてきた両親だったが、借金のペースは返済のペースを上回り、とうとう、家を売らないと弁済できないところまできてしまった。
しかし、家を失ったら生活が立ち行かない。
切羽詰まった両親は、「これを最後にしよう!」と、親戚縁者を頼って何とか金を工面。
ささやかなプライドと生活の余裕を失うこととを引き換えに、ギリギリのところで家を失うことは免れた。

二つ目・・・それは、女性が当時 交際していた相手の両親に結婚を反対され、破談になったこと。
「実兄にそんな人間がいたら、いつ どんな災いが降りかかってくるかわからない」と。
事実、“災い”は、何度も降りかかってきていたわけで、女性は相手方にまったく反論することができず、泣く泣く身を引いた。
この出来事は、本当に悲しくて悔しくて、自殺すら考えたという。
その後、別の人と縁を持つことができたけど、その時もやはり兄の存在が邪魔をした。
相手側の両親には露骨にイヤな顔をされ、事実上、兄と絶縁することが結婚の条件みたいになった。

事を起こす度、「心を入れ替えてやり直す!」と詫びた故人だったが、すぐに堕落。
血のつながった親兄妹といっても、それぞれが一人の人間であり、それぞれに人生がある。
繰り返し、何度も故人に裏切られた家族は、故人を信じることを諦めた。
そして、自分達の人生が台なしになる前に故人との絶縁を決意。
固い意思をもって、「親でもなければ子でもない」「兄でもなければ妹でもない」「死のうが生きようが、まったく関知しない」と絶縁を宣した。
それに逆ギレした故人は、それまで散々迷惑をかけてきたことを棚にあげ「そんな冷たい人間とは、こっちから縁を切ってやる!」と捨て台詞を吐いて、姿を消した。
そして、それ以降、音沙汰はなくなり、結局、それが、故人との最期の別れとなった。

生前の両親も、それ以降、二度と故人と顔を会わせることはなかった。
故人のせいで大きな借金を負った両親は、平穏な老後を奪われ、身体が動くかぎり働き続けた。
その上、世間の好奇の目にさらされ、下げなくてもいい頭を下げ、親類縁者の中で肩身の狭い思いをしなくてはならなかった。
楽しい余生を故人が奪ったかたちとなり、二人とも、疲れ果てたように逝ってしまった。
女性は、故人にその死を知らせようとも思わず、故人もその葬式に来ることはなかった。

「絶縁!」と言ったって、それは社会的・心情的なもので、血縁をはじめ、戸籍上の縁を切ることはできない。
したがって、故人が何かやらかせば、警察から何かしらの連絡が入ってくるはず。
また、いつ難題が降りかかってくるかわからないわけで、別離後の数年は落ち着かない日々が続いた。
それでも、時間は多くのことを解決してくれる。
年月が経過するとともに故人のことは記憶から遠のいていき、そのうちに頭から消えていった。
何年かに一度、ふとしたときに、
「どこかで生きてるんだろう・・・」
「どうせ、ロクな暮らしはしていないだろう・・・」
と、思い出すようなことはあったけど、そこには楽しい想い出も懐かしさもなく、再会を望む気持ちも湧いてこず。
「このままアカの他人として忘れたい」
という気持ちが変わることはなかった。
そうしているうちに、女性の歳を重ね、子供達は独立し、夫は亡くなり、一人きりの老後ではあったけど平穏に暮らしていた。
そんな静かな日々に、突如、何十年も前に別れたきりの兄の訃報が舞い込んできて、再び、女性の心に苦悩の種を撒いたのだった。


女性は、弁護士に相談して相続放棄の手続きをすすめていた。
そして、永年の絶縁関係なのだから、当然、部屋の賃貸借契約の保証人にもなっておらず。
弁護士からも、「家財処分等、一切やる必要はない」と言われていた。
つまり、死後の始末において、“女性には法的責任はない”ということ。
ましてや、負の遺産の始末なんて、好き好んでやる人はあまりいない。
女性は、そのことを充分に理解していた。
しかし、一方で、大家からは「家財は身内が片づけるべきでは?」とプレッシャーをかけられていた。
そして、“血縁者の道義的責任”ってヤツが、女性の心に引っかかっていた。

女性は、年金生活。
決して裕福な生活ではなく、普段は爪の先に火を灯すような生活をしていることは容易に想像できた。
しかも、既に、故人を葬るため、結構な費用を負担。
それを知ったうえで私が算出した見積は“○十万円”と決して安くはなく、「どこが良心的!?」と憤られても仕方がない金額に。
「“儲けが入ってない”と言ったらウソになりますけど、経費もそれなりにかかるものですから・・・」
それを聞いた女性は、ヒドく表情を曇らせて、
「やっぱり、それくらいかかるんですね・・・」
と、諦めたように溜息をついた。

単に金銭だけの問題ではなく、迷いの種は他にもあり、女性は悩んでいた。
仮に放棄しても、大家に顰蹙をかうくらい。
借金はあったかもしれないけど、広く社会に迷惑をかけるわけではなく、女性が負うべき責任は見当たらず。
それでも、女性は、放棄することが正解だとは思えないみたいで、少しでも正解に近い答を求めるように、
「どうしたらいいと思いますか?」
と訊いてきた。

「血縁者として道義的な責任は負うべき」と言えば、商売根性丸出し、足元をみての押し売りみたいになる。
「法的責任はないのだから放ってもいいのでは?」と言えば、自らの手で大事な一仕事を捨てることになる。
だから、
「私は、お金を払っていただく側の業者ですから、“こうした方がいい”って言える立場じゃないんですよね・・・」
と、結論を導き出すことを躊躇。
結局、“良心的な人間”らしい気の利いた一言が捻り出せず、あとは沈黙でフェードアウトするしかなかった。

女性と故人のような疎遠な関係ではなく、懇意にしていた親族でも、死を境に“知らぬ 存ぜぬ”を通す人もいる。
ヒドい人になると、金目のモノだけコッソリ持ち出して知らんぷりする者もいる。
そんな悍ましい光景を目の当たりにすると、薄情な私でさえ「薄情だな・・・」と軽蔑してしまう。
逆に、どんなに疎遠な関係でも、法的責任はなくても、血縁者としての道義的責任を感じて、身銭をきって故人の後始末をする人もいる。
薄情な私は、「俺だったら放っておくけど・・・奇特な人だな」と、感心することもある。
私は、自分ごときが意見できるものではないことを承知のうえで、それまでに携わってきた多くの現場を思い出しながら、色々なケースがあり、色々な人がいることを話した。
そして、ことは善悪で判断できるものではなく、その人その人の価値観や考え方によって異なること、また、それが、その後の人生に“吉”とでるか“凶”とでるかはわからないけど、何かしらの“節目”というか・・・“分岐点”になるのではないかということを話した。
そして、
「決して小さい金額ではありませんし、相続放棄に抵触することがあったらいけないので、お子さん達と弁護士とよく相談して決めて下さい」
「返答に期限はありませんし、お断りいただいても構いませんから」
と、最低限、“良心的な人間”らしいところをみせて、その場を締めた。

“時間をかけると迷いが生じるばかり”と考えたのだろうか、女性からの電話は翌朝に入った。
“数日先か・・・もしくは、もう連絡がくることはないかもな・・・”と思っていたので、早々の連絡は意外だった。
「子供達は反対したんですけど、お願いすることにしました!」
「何かの因果でしょう・・・こんな人の妹に生まれてきたのは・・・」
「私だってこの歳で先は短いですから・・・この先、心に引っかかるものを残したまま生きていくのは気がすすみませんしね!」
女性は、自分に言い聞かせるようにそう言った。


世の中にとっては ありえない現場でも、私にとっては ありがちな現場。
慣れた仕事でもあり、作業は難なく進行し終了。
最後、完了の日、私は再び女性と待ち合わせ。
私は、薄汚れたまま空っぽになった部屋で、実施した作業の概要を女性に説明。
女性は、作業工程一つ一つに会釈するように頷きながら、黙って私の話に耳を傾けた。
そして、一通りの説明を終えた私が預かっていた鍵を差し出すと、
「ありがとうございました! 本当にお世話になりました!」
と言って、恐縮するくらい深々と頭を下げてくれた。

「さようなら・・・」
現場を去るとき、玄関にカギをかけながら、女性はそうつぶやいた。
その表情は、長年負っていた重荷が肩からおりたのだから、清々しい笑顔であってもよさそうなものだったけど、その横顔はどことなく寂しげな感じ。
こんな性格の私の目は それを見逃さず、また、このクセのある感性は自ずと動いていった。

故人の犠牲になって多くを失った青春時代・・・
故人と別れて平和に過ごした数十年・・・
そして再び、老い先短い自分に降りかかった故人の尻拭い・・・
そうした自分の人生を振り返ると一抹の寂しさが過り、それが顔に表れたのかもしれなかった。
そして、それを振り切るため、残り少ない人生を楽しく生きるため、上を向いて堂々と生きるために、“涙の想い出”にサヨナラしようとしたのかもしれなかった。


そんな風に想うと・・・
私にとっては ただの汚仕事が、私の人生にとっては ただならぬ大仕事になる。
そして、サヨナラしたい過去をたくさん抱えながらも、“特掃隊長ってのも悪くないか”と、この人生を笑って受け入れられるのである。




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自制の時世

2020-05-24 07:25:39 | その他
4月7日に緊急事態宣言がだされてから、はや一か月半余が経つ。
そして、5月14日には、多くの地域で宣言が解除された。
同じく、5月21日には関西圏でも。
苦境に喘いできた人々にとっては、「長いトンネルの出口が見えてきた」といった感じだろうか。
私がいる首都圏一都三県でも、解除が期待されていたが、結局、それもなし。
それを象徴するかのように、昨日午前中までの数日間、空も記録的な雨曇が続いていた。
しかし、判明している感染者数の明らかな減少が「遅くとも月内には解除されるだろう」といった憶測を呼び、14日を機に、何かよくないものに誘惑されているかのように、人々の気が緩みはじめたような気がする。
しかも、明日には宣言が解除される見込みだそうで、それ以降の人々のハジケぶりが心配になる。
そんな中でも私は、幸か不幸か、元来の悲観的神経質・ネガティブ思考派であり、この先の生活不安が常につきまとっているため、一向に気は緩んでいかない。

私の勤務先は「ヒューマンケア株式会社」という零細企業で、所属しているのは「ライフケア事業部」という部署なのだが、事故現場・自殺現場・腐乱死体現場など“不要不急”じゃない仕事もある中、遺品処理・ゴミ部屋・リフォームなど“不要不急”の仕事も多い。
で、その“不要不急”の仕事は減っている。
三月下旬から、コロナの影響で新規の仕事は減りはじめ、4月は激減。
ただ、それ以前に契約していた現場が何件かあったので、5月以降が正念場になることや、新規受注がゼロになることを覚悟しながら、4月はそれらをポツポツとさばきながら何とか乗り越えた。
しかし、GWを過ぎると再び仕事が入り始め、今現在は、恐れていたほどは減っていない。
何のお陰か・・・そういうわけで、あくまで「今のところ」という条件は付くけど、「失業」という最悪の事態は免れている。
一方で、世の中に目を向ければ、倒産・失業の数値は上がりっぱなし、自殺者が増加することも見込まれ、更年期脂肪に覆われた胃が締めつけられるような憂いは続いている。


TVをつければコロナのニュースばかり。
毎日のように各地域の感染者数が発表され、一喜一憂している。
しかし、私は、「感染者」という呼び方に異論がある。
「感染者」ではなく、「感染判明者」とか「発症者」という風にした方がいいと思う。
「感染者」だと、「保菌者」「無症状感染者」をイメージしにくい。
そして、その「感染者数」が減少していると、ウイルスが死滅していっているような印象が強く、どうしても警戒心を薄まってしまい、気が緩んでしまう。
しかし、現実は、決して油断できる状況ではないはず。
これまでも「感染経路不明者」は多くいたわけで・・・ということは市中に保菌者がたくさんいるわけで・・・
細心の注意をはらって生活してはいるものの、私自身が保菌者である可能性だって充分にある。
ということは、緊急事態宣言が解除されても、外出自粛・休業要請が解除されても、それは、あくまで机上の事情による処理。
また、発表される感染者数がどんなに減っても、保菌者数までは把握できない。
重症化しやすい要因をもっている人はもちろん、一般の人も油断は禁物!
万人が感染しない努力をするべきで、万人が感染させない責任を負うべきだろう。

これから夏にかけて感染者数が落ち着いてくることが予想されているが、それは季節的要因や我々の努力(休業・自粛)があってのこと。
コロナウイルスに勝利したからではないわけで、根本的な問題は何も片付いていない。
秋冬にかけて、また大きな波・長いトンネルがくることが懸念されている。
だから、専門家の「この夏は、秋冬にかけてやってくるであろう大きな第二波に備えるべき」という言葉は重く受け止めなければならない。


明日以降、段階的に緩められていくのだろうけど、今現在、首都圏では、市民への外出自粛要請、店舗への営業自粛要請も継続中。
しかし、一部の市民、一部の店舗には、「我関せず」と無視し続けている者も少なくない。
社会的動物である一人一人には、法律上の責任の前に社会的責任を負う。
社会から守られている反面で、社会を守る責任も負っている。
「普段、自分は社会に守ってもらっている」という意識が希薄・・・皆無なのだろう。
「ヒマだから」「営業する方がわるい」「居酒屋の方がよっぽど三密」等と言ってパチンコ屋に行列している連中。
ただ欲望の赴くまま、自制できないことを“自分の自由”“当然の権利”とでも思っているのだろう。
“忍耐力がない”“自制できない”“欲望を抑えられない”ということ以外にまっとうな理由があるのなら聞いてみたい。
おそらく、「なるほど」「それなら仕方がない」と思えるような理由なんかないはず。
結局のところ、義務を負わないヤツほど権利を主張する、責任をとらないヤツほど人に責任をとらせたがる。
そして、何かのときに、そういう輩の尻を拭く羽目になるのが、愚直に社会的責任を負う善良な市民なのである。

また一方、多くの店舗(企業)が苦渋の休業をしている中、「自分さえよければ」と営業するパチンコ店にも不快感はある。
しかし、多分それは、死活問題を抱えているが故の営業。
経営者からすると「倒産or存続」、従業員からすると「失業or雇用継続」という事情がある。
大袈裟な言い方かもしれないけど、倒産・失業は社会的な死を意味する
そして、それがキッカケとなり、生命の死にまで至ることも少なくない。
事実、自殺原因の多くは経済的な問題が占めている。
したがって、役所から指示されようと、世間から非難されようと、「これで死ぬわけにはいかない!」と営業するのである。
そして、それは、「自分が生き残るためには、他人が死ぬこともいとわない」という解釈にもつながる。
もはや、「弱肉強食」というより、「弱肉弱食」・・・露骨な言い方をすれば「共喰い」。
どうしたって殺伐感は否めない。
ただ、実際は平時より繁盛している店もあるようだけど、せめて、休業しても そこそこ耐えられる体力のある店が「他店が休んでいる今が儲けどき!」とばかりに営業しているわけではないことは信じたい。


この状況は、かつての世界恐慌にも例えられる。
それが第二次世界大戦にまで発展した経緯を知ると、「なるほどな・・・」と思ったりするけど、「歴史の勉強になる」なんて呑気なことは言っていられない。
やがてくる“第二波”のことを考えると、「新しい生活様式」とやらを定着させることも急務だろう。
検査・医療体制を立て直すこと、ワクチン・治療薬を開発することはその道のプロにしかできないけど、「新しい生活様式」を確立して定着させることは我々一般市民にもできる・・・我々一般市民がしなければならないこと。
安易にコロナ前の生活様式に戻るのではなく、“新しい生活様式”を習慣化させる必要がある。

「自分一人が変わっても社会は変わらない」と思うかもしれない。
しかし、社会を変えるのは一人一人。
一人一人がつながれば大きな力になる。
中国武漢の街角でうまれた小さなウイルスが、今や、世界中に多大な影響を及ぼしているように、我々も連帯して、従来の生活様式を大きく変革するしかない。

人前で口と鼻を露出するのを恥ずかしく思うようになるのかな・・・
人と向かい合わず、無言で食べるのがテーブルマナーになるのかな・・・
人の間近で話すのが無礼な社会になるのかな・・・
ヒソヒソ話が上品に思われるようになるのかな・・・
“新しい生活様式”って、なんだか窮屈そうな感じもするけど、皆が明るい気持ちで工夫すれば、ちょっと面白い世の中になるかもしれない。


前述のとおり、我が“ライフケア事業部”において、今月は“仕事ゼロ”も覚悟していた私だけど、そこそこの仕事にはありつくことができている。
で、一戸建・マンション・団地etc・・・あちこちの現場で、多くの人と会っている(一人をのぞき、あとは全員初対面)。
正直いうと、この時世では、あまり人と会いたくないのだけど、食べていくためにはそうもいかない。

そこで感じたのは、人々の“感染に対する警戒心の薄さ”。
“どこの馬の骨かわからないヤツ(私)”と会うというのに、中には、マスクもつけず接近会話する人もいた。
“俺だってウイルスを持ってるかもしれないのに・・・初めて会う人間(私)に対して警戒心を持たないのだろうか・・・”と不思議に思ったくらい。
一方の私は、警戒しまくり。
マスク着用はもちろん、エレベーターボタン・インターフォン・ドアノブ等、なるべく素手で触らないように心がけ、依頼者と顔を合わせた時も、
「マスク着用のままで失礼します」
「こういう時世なので、お互い距離をとりましょう」
「換気にもご協力ください」
というセリフが、定番の挨拶になった。

しかし、対する人々はほとんど「?」みたいな、怪訝な表情を浮かべた。
私の言いたいことを理解しつつも、まるで「別世界の出来事」「他人事」のように捉えている様子。
話しはじめるとそれに夢中になり、私との距離なんか一向に気にせず。
更に、窓も玄関も閉めっぱなし。
狭い密室に複数名の親族がひしめき合うように集まっていた現場もあった。
さすがにその状況には耐えきれず。
他人の家に上がり込んでおいての失礼は承知のうえだったが、一言いって窓を開けさせてもらった。
ドアストッパーがないところでは玄関ドアに自分の靴を挟んで通気したこともあった。
なんだか・・・“私一人が異常に神経質”みたいな雰囲気で、罪悪感みたいな変な気マズさを抱きながら。

確かに、もともと、私は、不安神経症気味で神経質。
“潔癖症”とはちょっと違いのだが、病的なまでに敏感になるときもある。
思い返すと、子供の頃からそう。
それは自分でもわかっている・・・自分でもイヤになるくらい。
そのせいでもあるのだろうけど、ここ二カ月で、それなりの数の人達と接してきた中で、私以上に感染対策に神経をすり減らしていそうな人には一度も会わなかった。
悪意に至るような疑心暗鬼は自制しなければならないけど、ただ、人と会うときは、相手も自分も「保菌者かもしれない」という前提が必要ではないだろうか。
私は、うつされるのも嫌だし、うつすのも嫌。誰だってそうだろう。
どこまでが必要で、どこが適正で、どこからが過剰なのか判断できない感染対策が変なストレスになって、無頓着な人に対して嫌悪感を抱くようにまでなってしまっている。


今、多くの人が苛立ち、多くの人が悩み、多くの人が苦しんでいる。
“自粛疲れ”“自粛飽き”“自粛ストレス”が膨らんでいるのも事実。
この先 困窮しないともかぎらないので、余計なお金を使いたくない時期ではあるけど、私も、観光・レジャーに出かけたい衝動に駆られるときがある。
海、山、スーパー銭湯、居酒屋・・・
しかし、出かけない・・・今は、出かけないことが課された責任、社会貢献。
今、私が出かけるのは、4~5日に一回のスーパーと、たまの銀行・郵便局くらい。
それも、前述のような始末だから、人の影にビクビクしながら、人の存在にモヤモヤしながら、人の無頓着にイライラしながら。
ウイルスには厳しくとも、人には優しくするべきなのに。

ただ、従来の自分の生活スタイルを冷静に思い返してみると、今の外出自粛生活と大差ないことがわかる。
仕事!仕事!でロクに休みもなく、外食も少なく、旅行なんて滅多にしていなかった。
外で飲むなんて年に二~三度、近年は、たった一~二度。
スーパー銭湯だって、多い時季は週一くらいのペースで行っていたけど、何ヶ月も行かないときもあった。
コロナ渦の前後で、何が変わったというのか・・・
にも関わらず、これまでとは違ったストレスがかかっている。
一体、これはどういうことなのか・・・ひょっとしたら、気づかないうちに心の自由を失っているのかもしれない。
行動の自由が奪われたからといって、心の自由まで失う必要はないのに。

自己分析の結果、おもしろいことがわかった。
それは、「やっていることは変わらなくても、禁じられるとストレスがかかる」ということ。
“飲みにいかない”ことと“飲みにいけない”ことは、双方、飲みに行かないことに変わりはないのに、後者は妙にストレスがかかる。
“飲みに行かない”という事実(行為)に変わりはないのに・・・
それは“選択の自由”“自由意思による選択権”が奪われているから。
つまり、行為そのものではなく、この“自由意思による選択”の有無が明暗を分けているのである。

“自由意思による選択”、ネガティブな方に言い換えると「欲望の赴くまま」。
往々して、“志望”“願望”と違い、“欲望”というものには邪悪な性質が入りやすい。
“欲”というものは、もともと、人間の本性の中にある悪性に近いところにあるから、膨らみ具合によっては、どうしても穢れてくる。
だから、欲望は、あるレベルで抑えなければならない。
そうしないと、自分を、家族を、他人を、世の中を破壊する。
多くの人に心当たりがあるだろう、欲望に負けて虚無感や罪悪感を覚えたことが。
一時的に満たされはしたものの、結果的に後悔したことが。
また、欲望に支配されている人をみて、嫌悪感や悍ましさを覚えたことが。

欲望を抑えるには、先を見とおす目が必要。
欲望の赴くままに生きたら、または、自律・自制とともに生きたら、この先、自分がどうなるか、家族がどうなるか、世の中がどうなるかをリアルに考える。
また、未来に目的をみつけること、目標を定めることもひとつ。
合格を目指して勉学に励む学生のように、一流を目指してトレーニングに励むアスリートのように、そして、金持ちを目指して汚仕事に励む特掃隊長のように(?)。
あとは、“心は自由である”ということを認識し、“心の自由”を楽しむこと。
それは、妄想・幻想・夢想・空想の類と似ているものであるけど、もっとハッキリしたもので、理想の自分・理想の人生をもって過ぎた欲望を中和してくれる。
それでも、「そんなの知ったことか」「今がよければ それでいい」「自分さえよければ それでいい」といった短絡的な思考しかせず、欲望を抑える努力をする気がない者には、もはや ここで言うことは何もない。
とりあえず、「自分のケツは自分で拭け!」・・・いや、「自分で拭けないケツは汚すな!」とだけ言っておこう。


「あの時はよかったなぁ・・・」
今、ほんの少し前のことを思い出してそう想う。
「まだ、あの時の方がよかったなぁ・・・」
先々、今のことを思い出して、そう想わないようにしたい。
そのための今・・・自制の時世なのである。




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隣人愛

2020-05-18 08:45:23 | 腐乱死体
「いや~・・・まいった!夜も眠れなくてね・・・」
時は真夏の昼下がり、場所はマンションの共用通路。
私の傍に立つ男性は、深い溜息とともに葉巻タバコの煙を吐き出した。


現場は街中に建つマンション。
ほとんどの間取りが1Rまたは1DK、ありがちな“投資用マンション”。
部屋ごとにオーナーがおり、住人のほとんどが独居の賃借人だった。

その一室で、住人が孤独死。
暑い季節も手伝って、遺体はヒドく腐敗。
ベランダから玄関から、隙間という隙間から異臭は漏洩し、どこからどう出たのか ウジやハエまで室外に進出しているような始末だった。

「まいった!眠れない!」と私にボヤいたのは、その部屋の隣に暮らす男性。
年齢は七十手前といったところ。
ただ、醸し出す雰囲気は もっと若く、その辺にいるようなフツーの爺さんとは趣が異なっていた。

年齢を感じさせないくらいの鋭い眼光で、ドスのきいた低い声に荒い言葉づかい、常に葉巻タバコを吹かしている。
悪い言い方になるけど、“ヤクザっぽい”というか、“チンピラの風体”というか・・・
“そんなのどこで売ってんの?”と首を傾げるくらいド派手な半袖シャツの袖口から覗く くすんだ色の刺青が、私の斜め見が浅はかな偏見ではないことを証していた。

男性と故人は、隣人同士でも付き合いはなく、たまたま顔を合せたときに一言挨拶を交わす程度。
だから、お互い、身の上も知らず、情といった情もないよう。
それでも男性は、「可哀想になぁ・・・こんなことになっちゃって・・・」と、本来なら文句の一つ吐いてもおかしくないところで優しい気遣いをみせた。

亡くなったのは40代の男性。
独り暮らしで仕事はフリーランス。
結果的に、それが発見を遅らせ、肉体をヒドく腐らせてしまった。

出来事をきいて、遠く離れた実家から老親二人も駆けつけてきた。
ただ、警察からは「遺体は見ないほうがいい」「部屋は入らないほうがいい」と忠告を受けた。
それでも両親は甘く考えたのか、遺品チェックのため部屋に入ることを試みた。

腐乱死体現場って、一般の人には馴染みがないもの。
遺体が腐敗するとどうなるのか、部屋はどんな汚れ方をするのか、どんなニオイが出るのか、想像できないのも無理はない。
とにかく、その辺の生ゴミを腐らせるのとは訳が違う・・・違いすぎる。

玄関前は片側オープンの共用通路なのに、そこにはそれまで経験したことがない 腹をえぐるような異臭が滞留。
しかも、ドア下からはウジまで這い出ている。
そのインパクトは衝撃的で、結局、ドアを開けるのが恐ろしくなり、そのままの状態で鍵は私へ引き継がれた。

近隣住人からの苦情は、管理会社にガンガン寄せられていた。
しかし、それは仕方がないこと・・・
どこからどう見ても、「文句を言うな」という方が無理な状況だった。

故人宅は角部屋で、男性宅の反対側に隣室はない。
で、マンションの中で最も被害が大きいのが、すぐ隣の男性宅。
玄関だけじゃなくベランダ側からも悪臭とウジ・ハエが発生し、男性宅にまで及んでいた。

しかし、男性は、至って冷静。
他の住民が騒ぐ中、言葉は控えめ。
口から出るのは、「非難・苦情」というより、「独り言・愚痴」といった方がシックリくるくらいだった。

「しかし、“ウジ”ってのは気持ち悪いヤツだなぁ!」
「部屋ン中には、あんなのがウジャウジャいるんだろ?」
子供のように興味ありげにしつつも、気持ち悪そうに顔をしかめた。

「そんな中で仕事して、身体は大丈夫か?」
「精神ブッ壊れないか?」
ある意味で、とっくにブッ壊れてる私の心身を気にかけてくれた。

「アンタ、若い頃、相当悪かっただろ?・・・今は真面目にやってるんだろうけど」
「俺も悪かったから、わかるんだよ・・・人に言えないような事情があるんだろ?」
昔を思い出したのか、タバコをゆっくり吹かしながら感慨深そうな笑みを浮かべた。

「俺だって、お隣さん(故人)と似たような境遇さ・・・」
「いつか、アンタの世話になるかもしれないじゃない?」
手すりの向こうに落とす灰を見下ろしながら、ちょっと寂しげにそうつぶやいた。

「誰だっていつかは死ぬんだから、あんまり大騒ぎするもんじゃないよな」
「ただ、さすがに、このニオイにはまいるけどな・・・」
タバコの火が消え、葉巻特有の甘香煙と入れ換わった悪臭に、閉口気味に苦笑いした。

「え!?一人でやんの!? 肝が据わってんなぁ!」
「アンタが神様みたいに見えるよ!」
バカの使い方に慣れているのか、大袈裟な言い方をして私をおだててくれた。

「一服やってくか? え?吸わないの?」
「じゃぁ、景気づけに一杯ひっかけてくか? 嫌いじゃないだろ? 冷えたのがあるぞ?」
タバコを差し出したものの、私が吸わないことがわかると、“クイッ”と一杯飲む素振りをみせながらビールをすすめてきた。

「そうか・・・車で来てんのか・・・俺なら、一杯くらい飲んじゃうけどな・・・」
「じゃ、これ飲んで行きな!精がつくから!」
車どうこうの問題でもないのだが、ビールを断った私に冷えたエナジードリンクを持ってきてくれた。

「じゃぁさ、どうせ誰も見てないんだから、服脱いで裸でやれば!?」
「そんで、うちでシャワー浴びて、服着て帰りゃいいじゃん!」
作業後は、私が凄まじい“ウ○コ男”になって出てくることを説明すると、意外な応えが返ってきた。

親切な人とは今まで何人も関わってきたけど、“裸特掃”なんていう珍アイデアをくれたのは、この男性が初めて。
しかし、無数のウジが這いまわり、無数のハエが飛び回り、高濃度の悪臭が充満し、大量の腐敗汚物が広がるサウナ部屋で、裸で作業するなんて、もう、達人なのか変態なのかわからなくなる(“超人”には違いない)。
その前に、その姿は、私の理性が受け入れないし、その羞恥心には耐えられない。

いくら「誰も見てない」ったってね・・・
目に見えないだけで、近くに見てる人がいるかもしれないし・・・
とか言いながら、一回やったらクセになったりして・・・

それにしても、マスク・手袋・靴だけ身に着けて、あとは素っ裸なんて・・・
しかも、その場所が場所なわけで・・・特掃隊長の秘密兵器、自慢の“巨砲”(?)も何の役にも“立たず”、ヘチマのように ただブラ下ってるだけ。
実際にやるわけないけど、想像すると、かなり笑える!・・・故人でさえ笑うかも。

世間の鼻つまみ者、“ウ○コ男”を自宅に入れてくれるだけでも相当に奇特なのに、風呂にまで入れてくれようとするなんて、もう、フツーじゃない。
私が逆の立場だったら、絶対にそんなことはしないし、それどころか近寄りもしない。
その善意と心遣いは、乱暴にもみえる人柄の対面で際立ち、目が潤むくらい気持ちを熱くさせるものだった。

男性は、型やぶりな性格で、破天荒な生き方をしてきたのだろう。
ただ、その見た目や物腰に似合わず、物事を冷静に見極める力をもっているように思えた。
過去の苦い経験が、そういう能力を身につけさせ、慈愛の人柄をつくっていったのかもしれなかった。


ドアを開けてみるまでもなく、想像されるのはヘヴィー級・・・無差別級の現場。
その状況に怖気づくほど青くはなかったけど、あまりの状況に一時停止。
仕事とはいえ、これからそこへ身を投じなければならない災難と“裸案”のミスマッチがコントのようにおかしくて、クスリと笑いがこぼれた。

泣こうわめこうが、その場から逃れる術はない。
私は、男性がくれたエナジードリンクを一気飲みし、いつものように額にタオルを巻き、手袋と専用マスクを装着。
そして、鍵を挿入、ドアを最小限開け、不穏な空気が充満する室内に身体を滑り込ませた。

中は凄まじい熱気、そして、超芳醇・・・・・もとい・・・超濃厚な悪臭。
鼻は専用マスクに守られていたものの、目がその臭い嗅ぎ取った。
更に、それがジリジリと皮膚にまで浸みこんでくるような感覚に悪寒が走り、猛暑の中でも鳥肌が立つくらいの状況だった。

遺体が残した腐敗物・・・腐敗粘土・腐敗液・腐敗脂が、六畳の床を半分くらいまで汚染。
室内には熱気がムンムン、足元にはウジがウヨウヨ、頭上にはハエがブンブン。
頭髪の塊もシッカリ残っており、爪や歯、指先の小骨等がどこかに置き去りにされていてもおかしくないレベルだった。

こういった現場で注意しなければならないのは熱中症。
根性だけに頼った無理な長居は危険。
私は、自分を客観視することを忘れないようにしながら、汚染部分を中心に部屋中を見て回った。

作業が困難を極めたのは言うまでもない。
汚物処理をはじめ、清掃、害虫駆除、そして消臭消毒、作業は何日にも渡った。
そして、重なる日々の中で、何人ものウ○コ男が生まれていった。

結局、私は、最後まで迷いなく裸にはならなかった。
男性宅に上がり込んで風呂を借りることも。
ただ、時折 顔を合わせた男性との どうでもいいようなくだらない話は、ただの気分転換にとどまらず、私に染みついた汚れ・・・非情さや薄情さを洗い流してくれているようにも感じられた。


“愛”は、“言葉”ではなく“行為”。
また、“愛”って多くのかたちがあるけど、“究極の愛”は「隣人愛」だという。
「利他愛」「自己犠牲」ともいわれ、「慈愛」「親切心」にも似ている。

一方、私は自他ともに求める「利己主義者」、“自分が一番大事”“自分さえよければ それでいい”という思考癖がある。
事実、人の為っぽく見えていることでも、何らかの打算があり、何らかの見返りを期待している。
しかし、こんな時代だからこそ、こんな時世だからこそ、隣人愛は必要とされる。

この利己主義者は利他主義者に生まれ変わることはできないかもしれないけど、心に響く一場面で変わることくらいはできるかもしれない。
私を激励し、エナジードリンクをくれた男性のように。
汚れた私にシャワーを使わせてくれようとした男性のように。

それは、誰のためでもなく、
今の自分のためでもなく、
明日の自分のため・・・その先の自分のため。

時を廻り、人を廻り、かたちを変え、やがて自分のところに戻ってくる・・・
目に見えない恵み、気づかない幸運を連れてきて、それが、知らず知らずのうちに 飢え乾いた心を満たしてくれる・・・
せっかく、人間として生を受け、愛の中で生かされているのだから、残り少ない人生の中、一度くらいは そう信じて、愛ある人間になってみたいものである。


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隣人哀

2020-05-12 08:48:07 | 腐乱死体
「誠意をみせろ!誠意を!!」
男性は、私に向かって大声をあげた。

ことの発端はこう・・・
とあるアパートの一室で、高齢の住人男性がひっそりと孤独死。
放置された日数は少なくはなかったが、冬の寒冷の中で腐敗速度は低速。
遺体は、膨張溶解ではなく乾燥収縮。
異臭は発生してはいたものの、それは「腐乱死体臭」というより、高齢者宅にありがちの“尿臭”にちかいもの。
私からすれば“ライト級”・・・いや、“ストロー級”、ホッとできるくらいの現場だった。

故人の部屋は独立した角部屋。
アパートの構造上、隣室との間には、共用階段が挟まれていた。
つまり、壁一枚で隔てられた隣室はないということ。
しかも、室内の異臭は軽度で外部漏洩はなく、近隣に迷惑がかかっているというようなことはなし。
それは、不動産管理会社の担当者も現場に来て確認していた。

私は、調査からほどなくして作業に着手。
軽症の現場とはいえ、油断せず、近隣に対する配慮も怠らず、いつものように自分のセオリー通り組み立てた手順で作業を進めた。
遺体汚染は素人目にはわからないくらいのもので、尿臭も素人でも我慢できるくらいのもの。
床の残った体液は最初の30分で、室内にこもった尿臭も数日のうちに収束。
何も言われなければ、そこで人が亡くなったことはおろか、まだ、そこで人が生活していると言ってもいいくらいの部屋に戻った。

「隣の部屋の人が“クサい!”って言ってるんですけど・・・」
作業も終盤にさしかかった頃のある日の夕方、管理会社の担当者から電話が入った。
何日も前に特掃は終わらせ、消臭消毒作業も山場を越えて仕上げ段階にきてのこと。
「何かの間違いじゃないですか?」
まったく心当たりのない私は、首をかしげた。
現場を知っている担当者も、どうにも解せない様子だった。

しかし、臭覚は、個人的・主観的な感覚。
臭気の感じ方に、個人差があっても不自然ではない。
また、腐乱死体臭の場合、一度嗅いでしまうと精神にニオイがついてしまい、「鼻について離れない」と言われることも多い。
結局、「電話じゃラチが明かない」ということで、私は、急遽、現場へ出向くことに。
一日の仕事を終え帰り支度も終わった段階、暗くなってからの出動はとても面倒臭くはあったけど、付き合いの長い担当者は、いつも私の仕事ぶりを評価してくれ、何かとよくしてくれていた。
その恩義もあったので、私は、さっさと支度を整えて現場へ急行した。

現地に着いた頃、陽はとっくに暮れ、冷え冷えとした空気が暗がりを覆っていた。
まず、私は、現場の部屋の前へ。
周辺の空気を慎重に嗅いだが、当初から変わらず特に異臭は感じず。
ただ、常日頃から凄惨現場で苛めぬかれている鼻が、腐乱死体臭を“異臭”として感知しない可能性もある(そんなはずないけど)。
ミスがあってはいけないので、私は、念には念を入れて、外気と部屋の前の臭気を交互に嗅いだ。

結果、異臭を感知しなかった私は、「異臭なし」と判断。
「何かの勘違いだろう・・・」と、苦情を言ってきている隣室のドアをノック。
すると、中から初老の男性がでてきた。
「アンタが掃除の業者?」
初対面なのに、不愉快なタメ口。
「そうです・・・」
礼をわきまえない人間は嫌いなのだが、私は、敬語対応。
「クサくて部屋にいられないよぉ!どおしてくれんの?」
完全に上から目線で、何かをたかるような ねちっこい口調。
「特に変なニオイはしませんけど・・・」
まったく異臭を感じない私は、感じたことを率直に返答。
「何いってんだよ!こんだけ人に迷惑をかけといて、“臭わない”はねぇだろ!」
男性は不快感を露わに。
「この仕事、恥ずかしいくらい長くやってますから、ここに遺体のニオイがないことくらいわかりますよ」
こういうときに熱くなるのは禁物、私は冷静さを保つよう努めた。
「俺が“クサい!”って言ってんだからクサいんだよ!」
男性は、どこかの政治家みたいに論点をすり替えて、テンションを上げた。
「私が“クサくない!”って言ってるんだからクサくないんですよ!」
内心で苛立ちはじめていた私は、ギアを戦闘モードに切り換える準備をしながら男性の揚げ足をとった。

そんな平行線のやりとりを繰り返しているうちに、男性の怒りは頂点に。
「バカ野郎!」「掃除屋のクセに!」等と語気を強め、人差し指を頬にあてて「こっちの知り合いもいるんだからな!」と、化石級の脅し文句で威嚇してきた。
そして、そんなやりとりの中で、「誠意をみせろ!誠意を!!」と、大声をあげたのだった。

良識をもって作業を行うことはもちろん、近隣や他人に社会通念を逸するような迷惑をかけてはいけない。
しかし、根拠のない苦情や理不尽な行為は 到底 容認できるものではない。
そのうえ、私は、臆病者のくせに気は短い。
争いごとは好まないくせに、勝算のある揉め事は嫌わない。
また、弱虫のくせに口は達者で、屁理屈をこねるのも不得意ではない(“口が減らないヤツ”と褒めて?くれる人も多い)。

「金がとれる」等と、どこかの愚か者に入れ知恵でもされたのだろう・・・話の中で男性の魂胆が見えた私は“ニヤリ”。
「ちょっと不動産会社の担当者と相談しますから・・・」
と、男性の要求を検討する素振りをみせながら、一方、頭の中では形勢逆転を画策しながら、一旦、戦線を離脱した。

私は、ことの経緯を担当者へ報告。
どんな人間であれ不動産会社にとって入居者は客であるから、不愉快な気持ちを抑えて丁寧に対応してきた担当者だったが、事の真相が“金銭目的のゆすり”であろうことがわかると声色が変わった。
怒りを滲ませ、「何を言われても無視していい」とのこと。
更に、「反論していいですか?」の問いに、
「言いたいことがあるなら言い返してもいいですよ!」
「ただ、挑発にのって手を出したりしないように!」
「あと、念のため録音に気をつけて下さい」
と、男性に応戦することを認めてくれた。
本件の責任者である担当者の許可を得た私は、意気揚々かつ虎視眈眈と戦線に復帰。
再び男性と対峙し、先に口火を切った。

「ところで、“誠意”って何ですか? 具体的に言ってもらわないとわからないんですけど!」
「“誠意”ったら“誠意”だよ! ガキじゃないんだからそんなのすぐわかるだろ!」
「そう言われてもねぇ・・・」
「自分の頭で考えろ!」
「私、頭が悪いものでわからないんですよぉ・・・具体的に教えてくださいよ!」
「バカか!?オマエは!」
「そうなんでしょうねぇ~・・・全然わからないなぁ~・・・」
「ホント!頭にくるヤツだ!!」

男性が金銭を要求しているのは明らかだったので、私は、男性の口から「金」という一言を引き出そうとした。
しかし、自ら「金をよこせ」なんていうと詐欺・恐喝などの犯罪になりかねない。
あと、感情にまかせて暴力をふるっても同様。
男性はそこまでバカじゃなかったのではなく、同じようなことをやらかして懲らしめられた過去があったのだろう、その一言は口にしなかった。
また、拳をあげる素振りで威嚇してきたものの実際に殴りかかってくることもなかった。
男性はフルパワーで脅しているつもりだったのだろうけど、一方の私は、恐いどころか痛くも痒くもなし。
余裕の薄ら笑いを浮かべながら、“のらりくらり”と“おとぼけ”に徹した。

しかし、終わりの見えない口論は時間の無駄。
押し問答に飽きてきた私は、男性の弾が尽きそうな頃合いを見計らって、攻勢に転じた。
「○○(故人)さんが亡くなって発見されないでいる間はクサくなかったんですか!?」
「悪臭があったとしたら最初からのはずなのに、なんで、今頃になって言ってくるんですか!?」
「“クサい!クサい!”って、そもそも遺体のニオイを知ってるんですか!?」
「もともと△△(男性)さんちがクサいんじゃないですか!? その証拠に、アパートの他の人は誰も何も言ってきてないじゃないですか!」
「何をせしめたいのか、ハッキリ言ったらどうですか!?」
と、嫌味弾をたっぷり込めたマシンガンをブチかました。
更に、腹いせついでに、
「△△さんは、この先ずっと死なないんですか? その歳で、この先○○さんみたいにならない確証はあるんですか?」
「そもそも私が出したニオイじゃないんだから、私が文句を言われる筋合いはないですよ!」
「“一人きりで亡くなった○○さんが悪い”とでも言いたいのなら、どうぞ当人に言って下さい! 近くで、こっちを見てるかもしれませんから!」
「ただし、その後、何が起こっても私は知りませんけどね!!」
と、グーの手に立てた親指で故人の部屋をクイクイと指しながら、私は、意味のないことを ことさら意味ありげに言い放った。

「・・・そ、そんなの俺の知ったことか!」
男性は、まともに反論できず“蜂の巣”に。
子供のようにそう言い捨てると、スゴスゴと自室に退却。
まだ弾が残っていた私が“話はまだ終わってない!”とばかりにドアをノックしても反応せず、天敵を前にしたカタツムリのように、そのまま部屋に閉じこもってしまった。
そして、これに懲りたのだろう、その後も、私が故人の部屋に作業に入っても自室から出てくることはなかった。

そんなある日、私が隣室に立ち入る物音をききつけた男性が、久しぶりに自室から出てきた。
「新たなネタを仕入れたか? 今度はどんな因縁をつけてくる気だ?」と私は警戒。
しかし、何だか、それまでとは様子が違う。
前回同様に私を睨みつけてくるのかと思ったら、予想に反し、どことなく気マズそうな顔に不気味な愛想笑いを浮かべて近寄ってきた。
「ご苦労様・・・この前は申し訳なかった・・・お互い、なかったことにして水に流してよ」
何があったのか、男性は私に謝罪。
私は、それまでとは別人のような低姿勢に気持ち悪さを覚えたものの、謝られて無視するのは礼に反する。
「こちらこそ・・・あの時はちょっと言い過ぎたかもしれません・・・スイマセンでした・・・」
男性に対する不快感は拭いきれなかったが、私は男性の謝罪を受け入れ、自分の非礼も詫びた。

それにしても、男性が態度を豹変させたのは奇妙だった。
しかし、何があったのか・・・その理由はサッパリわからず。
管理会社が金品を渡したわけではないし、大家に叱られたわけでもなさそうだし、他の住人にたしなめられたわけでもなさそう。
「何が起こっても知らないぞ!!」といった、私の意味深な言葉が効いたのか・・・
とにかく、その訳はわからず仕舞いだった。

何はともあれ、表面上でも男性と和解できたことはよかった。
自分に非がないとしても、心にシコリが残ってしまい気分が悪い。
また、作業が無事に完了ことにもホッとした。
ともすれば、忍耐力の弱さがでてしまい、大ゲンカに発展して仕事どころではなくなったかもしれないから。
そうなったら、私の仕事を信頼してくれている担当者や その向こうにいるアパートオーナーを裏切ることにもなったし、更には他住人や故人にまで迷惑をかけてしまうことにもなりかねなかった。

後腐れなく一仕事を終えることができて、清々しい気分に包まれた私は、
「ひょっとして・・・○○(故人)さんが、ちょっと恐いイタズラでもしたのかな・・・・・Good job!」
と、青く澄んだ大空を仰ぎつつ、透明になった故人に微笑んだのだった。


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笑顔の向こうに

2020-05-06 08:59:41 | 遺品整理
ぬけるような青空、心地よい春風、まぶしいくらいの新緑・・・
5月に入って、時折汗ばむくらいの、この時季らしい暖かさがやってきた。
このまま10日まで休暇の人もいるのかもしれないけど、とりあえず、今日はGWの最終日。
例年通りのGWなら、観光地・レジャー施設・繁華街は大賑わい。
連休とは薄縁の私でも、世の中の休暇気分のお裾分けをもらうことができて、少しはのんびりした気分が味わえる。

しかし、今年は一味も二味も違う。
今年は、GWならぬ“SHW”(ステイホームウィーク)。
緊急事態宣言も延長され、遊ぶ場所は軒並み休業で、外出自粛はもちろん他都道府県への移動も事実上制限されている。
こういう局面になっても自制できない連中のことはさておき、良識ある?私にはモラルをもった行動が求められる。
そうはいっても、自制心のある大多数の人の中にも、GWの過ごし方に悩み、“ステイホーム”しきれず、屋外の散策等に出かけた人も少なくないのではないだろうか。

“三密回避”の啓蒙がすすんだ反面、“密が三つ揃わなければ大丈夫”“屋外なら大丈夫”といった誤った認識も広がったのではないかと思う。
だから、人々は公園や海に出かけて平気で遊べるわけ。
人が密集していようが、人と密接していようが、「屋外」というだけで安心して。
実際、身近なところでも、マスクもせずハァハァ走っている中年や、数名で集まってワイワイやっている若者をよく見かける。
そして、利己主義者特有の自己中心的な苦々しさを覚えている。

かくいう私も、4月下旬に旅行を計画していた(正確にいうと、実兄が計画したものに乗っかっただけ)。
生まれて初めての四国旅行だったのだが、緊急事態宣言が出された段階で即中止に。
ちなみに、私は半世紀余も生きてきて、一度も四国四県に行ったことがない。
あとは、沖縄も・・・そういえば、福井・和歌山・長崎・佐賀にも行ったことがなく、岐阜は ただ何度も通過したのみ。
そう考えると、どこも行ってみたいところばかりだ。

でも今は無理だから、かわりに、「気分転換に海にでも行こうか・・・」と考えた。
そうはいっても、さすがに伊豆や熱海ってわけにはいかないから、もっと近場で。
鎌倉や江の島、湘南方面もいいところなんだけど、そのときは“不自粛サーファー”の悪い印象があった。
個人的には、館山や銚子、九十九里の方が気楽で行きやすいので、房総方面を検討。
しかし、結局のところ、それでは、“自制できない輩”と同じで、思慮のない無責任行動は世の中のためにならない・・・ひいては、自分のためにならないから いつもの狭い生活圏内にとどまっている。

ただ、絶え間ない自粛・緊縮は人々にストレスを与え、長引けば長引くほどそれは大きくなる。
私に笑顔がないのはコロナ前からの日常的なことだけど、人々から笑顔が消えてしまわないか心配。
そして、今はまだ理性で支配できている秩序が乱れていくことも。
ささいなことで揉める、ちょっとしたことでキレる、暴力や暴言が横行する・・・
医療崩壊だけでなく、このままでは社会秩序まで崩壊してしまうのではないかと懸念される。



遺品処理の依頼が入った。
依頼者は50代の男性。
亡くなったのは男性の父親、80代。
葬儀も終わり、身辺も落ち着いてきたので、故人宅の家財を片づけたいとのこと。
男性は、その死因までは言及しなかったが、話のニュアンスから急逝であったことが伺えた。

現地調査の日、男性は、約束に時刻より早く現地に来ていた。
外見上の年齢は、私より少し上。
ちなみに、私は、自分の外見について“実年齢より若く見える”といった勘違いはしていない。
男女問わず、“自分は若く見える”というのは、多くの人がやらかすイタい過ちである。
それはさておき、男性は仕事の合間をみて現場に来たらしく、私と似たような作業着姿で、同じ肉体労働者として親しみを持ってもらえたのか、私に対してとても礼儀正しく接してくれた。

現場は、閑静な住宅地に建つ老朽アパートの一室。
間取りは、古いタイプの2DK。
和室が二間と狭い台所、トイレ、浴室。
部屋は純和風、トイレも和式、浴室はタイル貼で、給湯設備も 今はもう少なくなってきたバランス窯。
新築当時はモダンだったのだろう、昭和の香りがプンプン漂う建物だった。

故人は、もともと、几帳面な性格で、きれい好きだったよう。
室内の家財は多めだったが、整理整頓清掃は行き届いていた。
老人の一人暮らしのわりには、水廻りもきれいにされていた。
「庭」と呼べるほどのスペースではなかったけど、物干が置かれた裏手には、数個の鉢植があり、季節の花が蕾をふくらませていた。
そして、これから花開こうとするその生気は、そこから故人がいなくなったことを・・・儚いからこそ命は輝くことを説いているようにも見えた。

部屋の隅には、スペースと釣り合わない立派な仏壇が鎮座。
私の背丈よりは低いものの、重量は私よりも重そう。
また、私は安い人間だけど、仏壇の方は結構な値段がしそうなものだった。
中に置かれた仏具は整然と並んでおり、ホコリを被っているようなこともなし。
線香やロウソクも新しいもので、厚い信仰心を持っていたのだろう、故人が“日々のお勤め”を欠かしていなかったことが伺えた。

その仏壇の前の畳には、水をこぼしたような不自然なシミ。
特掃隊長の本能か、私の野次馬根性と鼻は、かすかにそれに引っかかった。
水なら数時間で乾いて消えるはず・・・しかし、油脂なら乾いて消えることはない・・・
つまり・・・それは植物性の油、もしくは動物性の脂ということになる。
肌寒の季節に似合わず窓が全開になっていることを鑑みて、私は“後者”だと推察した。

私は、それとなくそれを男性に訊いてみた。
すると、男性は、少し気マズそう表情を浮かべ、事実を返答。
やはり故人は、そこで亡くなり、そのまま数日が経過していた。
隠しておくつもりもなかったのだが、伝えるタイミングを探していたところ、私が先に尋ねてしまったよう。
ただ、時季が春先で、そんなに気温が高くなかったため、目に見えるほど腐敗はせず、その肉体から少量の体液が漏れ出ただけで事はおさまっていた。


晩年はアパート暮しだった故人には持家があった。
それは、故人が若い頃、男性(息子)が生まれたのを機に新築購入を考え、妻(男性の母親)と相談して建てたもの。
そして、長い間、そこで生活。
その間、男性も成長し、社会人になり、結婚して、子供(孫)も生まれた。
そうして、親子三代、平凡だけど賑やかに暮らした。

転機が訪れたのは、サラリーマンを定年退職した60歳のとき。
それを機に、故人は一人、このアパートへ転居。
その後は、前職のコネでアルバイトをしながら生活。
そして、70歳を過ぎるとアルバイトも辞め、のんびりした年金生活に。
贅沢な暮らしではなかったけど、時々は頼まれ仕事をし、時々は遊びに出かけ、時々は男性宅(実家)に顔をだし、自由気ままにやっていた。

男性をはじめ、嫁や孫との関係も悪くなかったにもかかわらずアパートに転居した故人には、ある想いがあった。
そこは、若かりし頃の故人夫妻が、一緒に暮らし始めたアパート。
当時の建物もボロで、その分、家賃も廉価。
もう50年も前のことだから、大家も代が変わり、建物は建てかえられていたけど、場所は同じところ建っていた。
そして、生前の故人は、「人生最後はあそこへ戻る!」と誰かに誓うように言っていたのだった。


故人が大事にしていた仏壇の中央には、若い女性のモノクロ写真。
穏やかに微笑む女性が写っていた。
背景はどこかの砂浜・・・多分、海辺。
胸元より上しか写っていなかったので想像を越えることはできないけど、服装はノースリーブの、多分、ワンピース。
背景・服装からすると、どうも、一時代前の夏のひとときのようだった。

何よりも、その表情・・・その“笑顔”が印象的だった。
穏やかな微笑であることに間違いはないのだが、ただ、 “目が笑ってない”というか“泣きそうな目をしている”というか・・・
“抑えきれない複雑な想いや葛藤が、笑顔の向こうからにじみ出ている”というか・・・
得体の知れない何かが感じられ、惹きつけられた私の視線は釘づけに。
そして、何かを推しはかろうとする心に従うように、頭は写真の中へタイムスリップしていった。

「それは私の母です・・・若い頃の写真なんですけど・・・」
アカの他人の私が仏壇の写真を注視する様を怪訝に思ったのだろう、訊かずして男性が口を開いた。
「私が小さいときに亡くなったんです・・・もう50年近く前になりますね・・・」
行年は30代前半、男性が小学校に上がる直前のこと。
死因は胃癌で、気づいたときはあちこちに転移し、手術することもできないほど進行していた。

「“もう長く生きられないから想い出をつくろう”ってことで、三人で海に出かけたんです」
とてつもなく切ない場面なのに、男性は、楽しかった想い出を懐かしむようにゆっくりと話を続けた。
「まだ小さかったですから、母親の記憶はあまりないんですけど、このときのことはよく憶えてるんです・・・」
“これが最後の家族旅行になる”ということが幼心にも感じられ、記憶に強く刻まれたよう。
そのときの家族三人の心情を察すると余りあるものがあり、返す言葉を失った私は、ただただ口を真一文字にして聞いているほかなかった。

そのときの女性は、どういう気持ちだったか・・・
末期の癌に侵され、「もう長くない」と宣告され、身体はどんどん衰弱し、病の苦しみが増す中で、どんなに、「息子の成長を見守りたい」と思ったことか、どんなに、「夫をささえていきたい」と思ったことか。
そして、どんなに、「家族と別れたくない!」「死にたくない!」と思ったことか。
もっともっと・・・ヨボヨボに老いるまで家族と一緒に人生を歩いていきたかったはず。
若い夫と幼い息子を残して先に逝かなければならないことの悲しみ・苦しみ、悔しさ、そして、その恐怖の大きさははかり知れないものがあった。

女性が、写真に笑顔を残した由縁は・・・
冷めた見方をすれば“つくり笑顔”。
しかし、父子家庭の主となる故人(夫)を末永く支えるため、幼い男性(息子)に待つ長い人生の糧になるため、必死につくった笑顔。
“笑顔の想い出は人生の宝物”・・・きっと、夫と息子、二人の その後の人生の糧になる“宝物”を残そうと思ったのだろう。
いわば、“決死のつくり笑顔”だったのではないかと思う。


「母は、“子供のためにも、いい人をみつけて再婚するように”って言ってたらしいんですけどね・・・結局、ひとり身のままでしたね・・・」
男性は、母親がいないことで、悔しい思いをしたり不自由な思いをしたりしたこともあっただろう。
両親揃っている友達を羨んだり、寂しくて一人で涙したりしたことも。
しかし、故人は、父子家庭であることをバネにさせるくらい愛情を注ぎ、丁寧に育てたよう。
男性の頭には、楽しかった想い出ばかり過っていたようで、ずっと笑顔を浮かべていた。

「夏になると、父は一人であの海に出かけてたみたいです」
故人と男性は、あれ以降、あの海に一緒に出かけることはなかった。
想い出の海辺に佇み、故人は一人で何を想ったのか・・・
それまでの人生を振り返り、想い出を懐かしみ、深い感慨にふけったのか・・・
知る由もないけど、多分、亡妻と一緒にいるような気持ちで、微笑みながら、あの時と同じ風に心地よく身をゆだねていたのだろうと思う。


やがてくる死別の悲哀を写した海辺の一枚。
カメラを向けた故人は、どんな気持ちでシャッターをきったのだろうか・・・
カメラを向けられた女性は、どんな気持ちでレンズに顔を向けたのだろうか・・・
・・・決して、幸せで楽しい気持ちではなかっただろう・・・
しかし、そんな中でも、二人は必死に幸せを見つけようとしたのではないか・・・
そして、その想いを微笑みに映そうとしたのではないか・・・
・・・そう想うと、死というものの非情さが恨めしく、また、死別というものの条理が一層切なく感じられた。

元来、薄情者の私。
これも一過性の同情、一時的な感傷・・・自分の感性に浸っただけ。
ただ、畳に残ったシミは、笑顔の向こうにあった涙と汗・・・・・先に逝った女性の涙と その後を生きた故人の汗のようにみえて、私は、なおも深いところで生きつづける“いのち”を受けとめさせられ、同時に“この命の使い方”を考えさせられたのだった。


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