特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

逃げ道

2017-05-22 08:50:50 | 腐乱死体
特殊清掃の依頼が入った。
依頼者は初老の男性で、現場となったアパートの大家。
男性は客面することもなく、礼儀正しく言葉遣いも丁寧。
その語り口は、謙虚な人柄を感じさせるものだった。

いつものごとく、私は、男性と日時を合わせて現地へ。
まずは、男性の要望に従って、現場近くの男性宅を訪問。
男性の腰の低さからは想像できないくらいの豪邸で敷地も広く、何度も番地と表札をみて間違いがないことを確認。
金の力に弱い私は、やや緊張しながら門扉のインターフォンを押した。

男性は、すぐに表にでてきた。
そして、電話と同じ雰囲気で、丁寧に頭を下げてくれた。
私は、玄関先で簡単な挨拶を済ませて鍵を預かるつもりだったが、男性は先に話したいことがあるようで、私を家の中へ上がるよう促した。

足元に置かれた高級そうなスリッパをすすめられた私は、靴下の汚れを気にしながらそれを履き、応接間の扉をくぐった。
通された応接間は豪華、置かれた調度品もまた高そうなものばかり。
一方の私は、くたびれた中年男+貧相な作業服姿。
どう見てもミスマッチな私は、ソファーに腰掛けるのが躊躇われたが、立ったままというわけにはいかない。
背もたれに背中をつけないよう浅く腰掛け、出されたコーヒーの苦味に起こった出来事を重ねながら、男性の話に耳を傾けた。


男性は、地主の家系で結構な資産家。
下衆な言い方をすると“お坊ちゃん育ち”“育ちのいい人”。
裕福な家庭に育ち、窮々とした生活には縁がなかったよう。
そのせいか、のんびりした感じの、おっとりした感じの、温和な人柄。
見栄や虚勢を張る必要がないものだから人に偉そうにすることもなく、年下の珍業者である私にも 終始 礼をもって接してくれた。

不動産経営を始めたのは先代。
その昔、所有地の大半は畑だったが、時代の波に乗って男性の親がアパートを建てはじめた。
そして、男性の代になってからも、新しくアパートを造ったり、畑をつぶして駐車場にしたりして、少しずつその規模を拡大させていった。
また、一部は畑として残し、道楽で土いじり(耕作)もしていた。
そんな風に悠々自適に暮らしていた男性に、いきなり衝撃の災難が降りかかってきた。
それは、長年にわたって不動産賃貸業を営んできた男性にとって初めての出来事・・・住人がアパートで孤独死したのだ。

最初に異変が表れたのはポスト。
故人宅のポストから郵便物が溢れていることを変に思った他の住人が、そのことを大家である男性に連絡。
しかし、当初、男性は、
「チラシやDMを取り出さずに放っているだけじゃない?」
と、室内で重大なことが起こっていることを微塵も疑わず。
ただ、アパートの住人は男性にとって“客”でもあるので、住人の要請を無視するわけにもいかず、男性は、とりあえずアパートに行ってみた。

見ると、確かに、数あるポストの中で、故人宅のポストだけが荒れていた。
たくさんのチラシや郵便物が押し込まれ、それが口から溢れていた。
その様を見た男性は、さすがに
「フツーじゃないな・・・」
と思った。
そして、
「もしかして、夜逃げ?」
と思った。
が、家賃の滞納はないし、電気メーターも動いていたため、
「仕事で長期出張にでも出ているのか?」
と思いなおした。

しかし、考えてばかりいても仕方がない。
とりあえず、その部屋を訪問してみることにし、インターフォンを押した。
が、応答はなし。
ドアをノックしても同様。
そうは言っても、居留守を使っている感じもしない。
となると、あとは、室内を確認するしかない。
ただ、いくら所有者でも、貸した部屋は他人の家。
気にはなっても、住人の許可なく開錠して入室するのは犯罪になるような気がした。

考えた末、男性は、玄関ドアにメッセージを書いたメモを貼って二~三日様子をみることに。
しかし、数日経っても応答はなし。
その頃になると、もう、“長期外出ではなく室内で孤独死している?”という不安が頭を占めていた。
そして、男性は、いよいよ室内を確認することを決意。
合鍵を使って玄関を開錠し、恐る恐るドアを引いた。

室内は薄暗く、物音もなくシ~ン。
そして、それまで体験したことのない異臭がプ~ン。
それを感じた瞬間、嫌な予感が現実味を帯びて脳裏に走った。
が、先走って110番して、何もないのに騒ぎになってはマズい。
とりあえず、男性は、奥へ進んでみることに。
異臭に耐えながら、勇気を振り絞って室内へ足を踏み入れた。

「こんにちは・・・大家です・・・○○(故人名)さん・・・いらっしゃいます?」
足を進めるにしたがって異臭の濃度は高くなっていった。
また、心臓の鼓動も大きくなっていった。
同時に、恐怖感に襲われ、また、引き返したい衝動にかられた。
しかし、この役目を頼める人は他にいないこと、自分には逃げ道がないことを悟って耐え、足を進めた。

「!!!!!」
2DKの狭い間取りに故人を見つけるのは容易かった。
部屋の扉を開けると、住人は、部屋のベッドの上、こちらに背中を向ける格好で身体を曲げて横たわっていた。
それは、一見、普通に寝ているようにも見えなくはなかった。
しかし、部屋に充満する異臭と、そんな劣悪な環境でもジッと寝ている住人が、その“普通”を真っ向から否定していた。

「○○さん!○○さ~ん!!」
声をかけても無反応、ピクリとも動かない。
男性の心臓は、飛び出しそうなくらい激しく鼓動。
更に、頭はクラクラしだし、手足はワナワナと震えだし、結局、足がそれ以上前に出ず。
男性は、住人の安否を確認しないまま、逃げるように部屋を跳び出した。

男性の動揺は、部屋を出てからも治まらず。
激しく揺れる気持ちに目眩を起こしそうになりながら、110番に電話するべきか、それとも119番に電話するべきか迷った。
ただ、どうみても、住人は死んでいる。
119に電話しても無駄だと思った男性は110番に電話。
しかし、返ってきたのは「119番が先」とのつれない返事。
警察が助けてくれることを信じ、門前払いされることなんかまったく予期していなかった男性は、一時、頭が真っ白に。
そして、震えがくるほど心細くなってきた。

しかし、警察にそう言われてしまえば従うしかない。
納得できないものを感じながら、急いで119番。
「これで何とかなるだろう・・・」
と、少しは落ち着きを取り戻すことができた。
が、そんな安息も束の間。
消防は、
「救急車が到着するまで、心臓マッサージと人工呼吸をして下さい」
と、耳を疑うような、予想だにしない無茶なことを言ってきた。

黒く変色した皮膚、その周囲に浸み出している得体の知れない液体、立ちこめる異臭・・・
住人は既に命を落とし、その肉体の腐敗がすすんでいることは一目瞭然。
そんな人間に「救命処置を施せ」なんて・・・
救急対応のマニュアルなんだろうし、事後の批判を避けるためのリスク管理でもあるのだろうけど、それは、あまりに現実離れした指示。
それによって、使命感・責任感のようなものを負わされた男性は、逃げるわけにもいかなくなり、泣きそうになりながら、勇気を振り絞って、再度、部屋に入った。

住人は、先程と同じ姿勢のまま、顔は男性の反対側を向けていた。
少し近づいてみると、耳や横顔は、腐ったバナナのように黒く変色。
自分を奮い立たせようと自分なりに努力はしたけど、もう恐ろしくて恐ろしくて・・・結局、故人の顔を見ることができず。
そんな状態で、心臓マッサージなんてもってのほか、人工呼吸なんてできるはずがない。
及び腰で背中側から近寄り、その辺にあったモップの柄で肩をチョンチョンとつつくのが精一杯だった。

男性が、戸惑って右往左往しているうちに救急車が到着。
隊員は玄関を開けるなり、異臭に顔をゆがめた。
そして、まだ住人の身体を診たわけでもないのに、
「ダメだこりゃ!」
と一言。
そして、室内に入ったかと思うとすぐに出てきて警察に通報。
心臓マッサージや人工呼吸をした様子は微塵もなし。
電話対応した職員と現場に来た隊員は別の人物とはいえ、そんな乾いた対応に、男性は、自分に遺体への人工呼吸と心臓マッサージを指示してきたこととのギャップを感じて歯ぎしりしたのだった。

「これまでの人生で、一番の試練でしたよ・・・しかし、人って死んでしまうと、あんな風になるんですね・・・」
男性は、大きな試練に立ち向かった自分と、また、人生の最終解答の一つを直視した自分に満足したようにそう言った。
確かに、腐乱死体との遭遇は、平穏裕福に生きてきた男性に限らず、誰にとっても稀な出来事。
「災難」と言い切るのは故人に失礼なような気もするけど、人生において かなりの災難だと思う。
しかし、“人生の最終解答の一つ”ではありながらも、住人はまだ生前の原形を留めていた。
遺体の腐敗過程には、それから まだ先がある。
肉体は何倍にも膨張し、体表には水疱が現れ、皮膚から腐敗ガスと腐敗体液が漏れ出し、肉が崩れていく・・・
そして、骨・爪・髪などを残し、最後は液状化し、そのまま、虫や微生物の餌食になり、その屑糟だけが残るのである。

見るに耐えない、嗅ぐに耐えない・・・そのプロセスは凄まじい・・・
私は、そのことを説明したかった。
そして、そういう凄惨な状況からも逃げずに頑張っていることを自慢したかった。
しかし、それは、ただの邪心、下衆の自己満足。
それが事実であるとはいえ、日常生活に必要な知識でもなければ、男性の幸せに貢献できる情報でもない。
場合によっては、自分の人の格を下げてしまう(もともと大した格ではないけど)。
男性の屈託のない表情によって それに気づかされた私は、余計なことは言わず、腹底で自己顕示にならない自己顕示欲を消化した。


人生には大きな試練が何度かある。
日常には小さな試練が何度もある。
私もそう、多くの人がそうだろう。
試練は耐えるしかない。
しかし、私の場合、「試練」と言えば試練かもしれないけど、試練じゃないような気もする。
ブログにおいて、この仕事を“試練に立ち向かっている”っぽく描写することが多いけど、この感性は、ある種の“甘え”からくるものかもしれない。
だから、「試練に立ち向かう」というより、「自分が撒いた種を刈り取らされているだけ」と言ったほうが正確かもしれない。

ま、そういうこともひっくるめて「試練に立ち向かう」というのかもしれないけど、悲しいかな、私は、耐えることができず、逃げてしまうことが多い。
そして、何事においても、逃げ道を考えるのが癖になってしまっている。
この仕事だってそう、“辞めたい”という逃げ根性は常にある。
だから、逃げ道があれば、とっくに逃げているだろう。
ただ、残念ながら、生きていくための逃げ道はない。
逃げ道はほしいけど、逃げ道はない。

しかし、私のような弱い人間にとって“逃げ道がない”というのは ありがたいことなのかもしれない。
どうしたって、あれば逃げてしまうから。
逃げてばかりの人生に幸福をイメージすることはできないから。

後悔と不満と不安を抱えながらも、この不運に、時折、ほんのちょっとだけ感謝している私である。



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嫌われ者

2017-05-12 08:36:46 | 動物死骸特殊清掃
自分の能を棚に上げて人を羨み、自分の格を棚に上げて自分を蔑みながら、人がやりたがらないことをやって、それでお金をもらって生きている私。
これもまた誰もやりたがらないことだけど、動物死骸の始末も仕事の一つ。
ただ、現場は、あくまで私有地や私有建物内。
誰しも、公共の道路に転がる犬猫等の轢死骸を見たことがあると思うけど、そういうのは範疇外。
役所と混同して無料処理を依頼してくる人も少なくないけど、さすがに無料ではできない。
「無料ではやれません」と断ると、「悪い業者」「冷たいヤツ」みたいな雰囲気で憮然とされて電話は終わるのだが、何か悪いことをしたみたいで後味が悪い。
そして、精神が弱っているときには、こんな些細なことがいつまでも心に引っかかったりして、自己嫌悪に陥ってしまうこともある。

対象物として圧倒的に多いのは猫。
少し前も、とある会社の工場で、機械に入りこんだ猫を取り出した。
充分に腐敗し、ウジも大量発生。
とっくになくなった眼球跡に掬うウジを見たら、可哀想やら気味悪いやら。
しかも、硬直した脚が機械に挟み込まれて なかなか抜けず。
しかし、骨を折るのは躊躇われるし、足を切断するのは心情的に不可能。
直視すると気持ち悪さが倍増するので、視線は他に向け、手探りで猫を掴み、頭の半分では猫の形状と動きを想像しながら、もう半分では“晩酌の肴は何にしようかな”なんて 全然違うことを考えて気を紛らわしながら、何とか猫を引っぱり出した。

しかし、こんなのまだ軽い方で、中には、ここで書くのは躊躇われるくらい悲惨・凄惨な現場もある。
昔、猫の共食い現場のエピソードを書いたことがあると思うけど、残念ながら、たまに そのレベル、またそれ以上の現場も発生する。
特に、死骸の数が多い現場は凄惨を極める。
ペットは、人間と違って自殺したりはしない。
また、余程の条件が揃わないかぎり、孤独死することもない。
大方の死因は、飼育放棄や虐待等、人間のエゴや身勝手な振る舞いによるもの。
人間の悪意によって命を落とした数々の腐乱死骸・・・
そんな目に遭った動物達があまりに哀れで 怒りの涙が滲むことがあり、また、その始末をしなければならない自分があまりに惨めで 戸惑いの涙が滲むこともある。



「マンションの屋上に鳥の死骸があるので片付けてほしい」
不動産管理会社から、そんな依頼が入った。
「気持ちが悪いので近づいて確認はしていないが、犬猫ではなく鳥であることは遠目にもわかる」
とのこと。
犬猫と違って、鳥の死骸現場はライト級であることがほとんど。
しかも、天井裏とか床下とかではなく、立ち歩ける場所なので作業はしやすい。
というわけで、私は、結構 気楽にその話を請けた。

鳥死骸があるのは、マンション屋上から更に上の給水タンク設備の上。
そこに行くには、屋上からハシゴを昇らなければならなかった。
屋上を囲っているのは細い鉄柵のみで、生暖かい風がビュービュー。
とにかく、子供の頃から高い所が苦手な私。
屋上にいるだけでも尿意が刺激されたのに、更にその上に行かなければならず、気楽に出向いたはずなのに、結局、なかなかの緊張を強いられるハメになってしまった。

私は、何度もハシゴを昇降するのはイヤだったので、必要になりそうな道具一式を袋にまとめ、それを背負い、及び腰で給水タンクのハシゴを昇った。
そうして到着した給水タンク設備の上は、平面で障害物もなく二足歩行が可能。
また、たいして広くもなく、死骸は探す間もなく発見できた。
しかし、その形が どうもおかしい。
私は怪訝に思いながら、ゆっくり死骸に近づいていった。

「アララ・・・そういうことか・・・」
大きさと色から判断すると、それは鳩とかではなくカラス。
が、頭や足はなく、肩方の翼と肉が半分なくなった胴体と内臓少々。
何がどうなってこういうことになったのか・・・気の毒というか、とても悲惨な状態になっていた。

「気持ち悪・・・さっさと片付けて、とっとと帰ろ!」
高所恐怖症に死骸の気持ち悪さが加わった私は、作業に取り掛かるべく死骸の傍にしゃがみ込んだ。
そして、片手にビニール袋を持ち、もう片方の手で翼の先を摘まもうと手を伸ばした。

「痛ッ!!」
そこは屋上、横にも上にも何もないはずの場所で、突然、私の頭に何かがぶつかった。
慌てて視線を上げて辺りを見回すと、周囲を囲む柵に二羽のカラスがおり、私の方をジッと見ていた。

「なんか恐いな・・・」
“高所”というアウェーで、しかも、私一人対して敵は二羽。
私の中には、それまで味わったことがない妙な恐怖感が沸いてきた。

「仲間を守ろうとしているのか?」
まず、私はそう思った・・・そう思いたかった。
しかし、どこからどう見ても、死骸の状態はそれを否定するものだった。

「ひょっとして、これ(死骸)はコイツらの餌?・・・餌を取られまいとしているのか?」
そう思うと、風は冷たくなかったのに寒気がしてきた。
そして、冷静に考えればただのカラスなのに、二羽が私の動きを封じるため 悪魔的な威圧感を醸し出しているように思えてきた。

「・・・ということは共食い?」
“共喰い”って独特の地獄感がある。
仲間を守ろうとしたのか、餌を奪われまいとしたのか、真のところは定かではなかったけど、状況から判断すると可能性が高いのは後者の方で、私の背筋には悪寒が走った。

「くわばら くわばら・・・」
こんな所に長居は無用。
私は、騒ぎだしたカラスを威嚇しながら、そそくさと死骸を掴んでビニール袋に突っ込み、そして、飛び降りるようにハシゴを降りていった。


通り行く車を避けながら、道端で死んでいる犬猫の死骸を喰うカラスを見かけることがある。
内臓を引きずり出し、肉を啄(つい)ばみ、生をつないでいる。
生きるために必死でやっているのだろうに、その姿は、とても浅ましいものに見える。
そして、ただのエゴと偏見でしかないのがわかっていても、 “生きようとするたくましさ”ではなく“生きることの寒々しさ”を覚える。
また、燕や雀など、可愛らしく思える鳥が多い中で、カラスにはそれがない。
全身 真っ黒の喪服色は死や悪魔を連想させ、また、その乱暴な雑食性が 悪い印象を抱かせるのだろう。
夕暮れ時など、たくさんのカラスが集まって空中を旋廻している様が、何か不吉なことが起こるような不安感を覚えさせることもある。
あと、悪意はないとはいえ、ゴミ置場を荒らされて迷惑を被ることも多い。
だから、嫌われ者になってしまうのだろう。

しかし、よくよく考えてみると、自分と重なるところがなくはない。
残念ながら、私は人に好かれるタイプの人間ではないうえ、人に嫌われる仕事をしている。
それなりに人に対する礼儀やマナーは重んじるほうだけど、それ以前に、面白味のない人間である。
バイタリティーとかユニークに欠け、眉間にシワをよせ仏頂面で過ごしていることが多い。
しかも、性格は神経質で内向的、そのうえ、笑顔も少なく暗い(こういうことを書くこと自体 性格が暗い証拠)。
ネガティブ思考が常で自虐好き。
何かと細かく、その上、結構、わがままだったりする。
したがって、人から好かれにくいのではないかと思うし、自分でも嫌っている。
もちろん、“誰からも嫌われてしまう”なんてことはないと思うけど、関わっても楽しくないなんてことは多いにあると思う。
だからと言って、極端に寂しい思いをしたり孤独感に苛まれたりすることはない。
もともと、人づき合いが苦手で、一人きりの空間や時間を好むほうだから、いつまで経っても変われないのだろう。

それでいて、気が弱いから孤高にはなれない。
人の目をかなり気にしてしまう。
しかも、年の功によって、少しずつでも それが解消しているのではなく、それどころか、歳とともに増している。
自分の仕事について外で多くを語ることはなくなり・・・語りたくもなくなっている。
今とは逆に20代の頃は自分の仕事を自慢していたくらい。
気持ち悪がられようが、奇異の目で見られようが、そんなの気にならなかった。
(極端に見下されたり敬遠されたりすると、落ち込むようなことはあったけど。)
それどころか、「フツーの人間にはできない仕事をやってるんだ!」とばかり、内心で得意になっていた。
それが、今は、この始末。

“非社会的”とはいえ反社会的なことをしているわけでもないし、誰かに迷惑をかけているわけでもないのだけど、いい印象は持たれないのがこの職業。
カラス同様、生きるために必死でやっているだけなのに、
「ヤクザな感じの人が来るのかと思った」
「ぼったくられたり、強引に契約させられたりするかもと不安だった」
等と、依頼者や関係者に言われることも少なくない。
また、言葉だけではなく、実際に人からそのような扱いを受けることもあるし、明らかに気持ち悪がられることもあるし、それで、悔しい思いをしたり 惨めな思いをしたりすることもある。

だったら、人に心象や人の評価なんか気にしなければいい。
気にしなければ楽なもの。
しかし、なかなかそういかない。
どうしても人の目は気になり、ときに虚勢を張り、ときに格好をつける。
なりきれないのに八方美人になろうとする。
必要以上に好かれようとするから、大きなストレスがかかる。
必要以上に善い人に見られようとするから、大きなストレスがかかる。
だから、疲れるし、自分に嫌気がさしてくる。

私も、ただの愚人。
欠点や弱点、直したいところや変えたいところはたくさんある。
嫌いな点はたくさんあるけど、それでも、基本的に、私は自分が好き(大切)。
だって、私は自分、私の命を持っているのは自分、私の人生を生きているのは自分なんだから。
ただ、人の目や世間体を気にし過ぎて、人に好かれようとし過ぎて、いつの間にか、好きになれない自分になっていることがある。
自分の中で、世渡り上手の嫌いな自分が大きな顔をしていることがある。

そうは言っても、この世知辛い世の中を うまく渡っていくためには、自分を殺した社会性と自分を殺す術が必要なことも事実。
だからこそ、たまにでも、短い一時でも、自分と正直に向き合ってみることが必要なのかもしれない。
駄欲を捨て、見栄を捨て、怠惰を捨て、想いを“どう生きていきたいか”の一点に絞って、誰もいないところで 一対一で自分と向き合うことが大切なのかもしれない。

だからと言って、それで自分の境遇や周りの環境が激変することはない。
自分が大きく成長したり変化したりすることもない。
ただ、一時的に、自分とってマシな自分が現れるだけかもしれない。
自分の中にいる嫌われ者が、ちょっとだけ自分の中に居づらくなるだけかもしれない。
しかし、自分を“自分を大切にする”という本道に戻すきっかけにはなる。
同時に、“自分を大切にするって、自分を楽しませることばかりでも、自分を甘やかすことばかりでもない” という教示と、“自分を鍛えること、叱ること、励ますこと、養うことも然り”という教訓を受け取るための知恵を育んでくれる。
そして、そのわずかなことの繰り返しと積み重ねが、好ましい自分をつくっていく。

それが、その先にある、
“自分を大切にできなければ、人生を大切に生きることはできない”
という真理に自分を導いてくれ、人生を好ましいものにしてくれるのではないかと 私は思うのである。



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Enjoy life

2017-05-07 08:58:50 | 遺品整理
楽しかったGWも今日でお終い。
長い人は九連休だったらしい。
連休なんて私には縁がないけど、それでもGWっていいもの。
休暇やレジャーを楽しむ人々の笑顔に、平和・平穏な世の中を見ることができるから。
自分が労苦していたとしても、それだけで心は和む。
しかし、楽しい時間って過ぎるのがはやい。
アッという間に、いつもの日常に戻ってしまう。

春もまた短い。
穏やかに過ごせる季節も終わりが見えてきている。
ついこの前まで冬の寒さが残っていたのに、もう、このところは初夏が感じられるような陽気が続いている。
酷暑の夏がくるのも時間の問題。
だからこそ、この春を楽しみたい。
青い空、白い雲、新緑の樹々、色とりどりの花々を愛でては、灰色に覆われがちな心を楽しませている。

そんな心地よい春にいながらも、このところ目眩(めまい)が再発している。
ただ、これは既に経験済みの症状。
昨年の秋、初めて発症したときには泡を食ったが、今回は、そう慌ててはおらず。
知り合いの医師からも
「季節の変わり目に発症しやすい」
と言われていたので、
「またでちゃったか・・・」
と冷静に受け止め、また、抵抗せず受け入れている。

自分で抑えられない以上、うまく付き合っていくしかない。
就寝時、暗い部屋で、壁に光る蛍光灯スイッチが視界を流れる様を見ては、
「流れ星みたいできれいだな・・・」
等と思ったり、グルグル回る天井をジッと見上げては、
「回転のスピードが どれだけ上がるか試してみよう・・・」
と妙なチャレンジをしたりして遊んでいる。
ただ、現実に、フラついて尻餅をついたりすることがあるから、楽しんでばかりもいられない。
また、転倒してケガをしたりしてはいけないし、車の運転も重々注意しなければならない。

あと、このところ、不眠症も重症化。
とにかく、同じ姿勢で寝ていることができず、頻繁に寝返りをうつ。
しばらく同じ姿勢でいると、すぐに身体がだるくなってきて、ジッとしているのがキツくなる。
色々な悩みが沸いてきて、生きることが辛くなり、静かにしていられなくなることもある。
また、死ぬことが恐ろしくなり、胸が騒ぐこともある。
特に肉体疲労がたまっているような自覚もないのだけど、身体が軋むようなダルさや身体が固くなるような重さがあるのだ。
そうして、寝返りをうつ度に目が覚めるわけで、長く睡眠を続けることができないわけである。

しかし、それでも、この不眠症とは長い付き合い。
治らないものは仕方がないわけで、うまく付き合っていくしかない。
睡眠不足に不満を募らせても自分のためにならないので、
「横になって休んでいられるだけでもありがたい」
と、あえて感謝するようにしている。
ただ、日中、特に、車を運転しているときに襲ってくる睡魔には要注意。
人にケガをさせたり自分がケガをしたりしてはいけない。
だから、車にはガムやコーヒーを常備し、時間に余裕があるときは車を止めて仮眠をとるようにしている。



遺品処理の依頼が入った。
依頼者は、初老っぽい女性。
ただ、その話しぶりは明るくハキハキ。
声にも張りがあり、耳から受話器を離してもその声は聞き取れるくらいだった。

遺品の持主は、その亡夫。
ある程度のモノは女性と子供達で処分したのだが、趣味のものを中心に故人が特に愛用していた品が残っているとのこと。
それを自分達の手でゴミ同然に始末するのに抵抗感を覚えているよう。
「細かな片付けでもやっていただけるんでしょうか・・・」
と、少し申し訳なさそうに声のトーンを落とした。

細かな事情や心の機微を汲むには、直接会って話をするのが肝要。
実際に現物を確認する必要もあるし、例によって、私は、現地に出向くことに。
女性の都合に合わせて、現地調査の日時を約束した。

現場は、一般的な分譲型のマンション。
現場である女性宅は、その一室。
約束の時間の数分前に1Fエントランスのインターフォンを押すと、女性はすぐに応答。
名乗って用件を伝えると、すぐにオートロックを開けてくれた。
そして、私がエレベーターを上がって部屋に着くときには、女性は玄関ドアを開けて待っていてくれた。

問題の遺品は、寝室押入の一角に収められていた。
モノは軽登山用の道具・装備、カメラと付属品類。
野山に出かけては四季折々の風景や草花を写真に撮るのが故人の趣味で、女性もよく一緒に出かけていた。
“自分の手で処分できないほど愛着があるモノを他人の手で処分されて平気なのか?”
“生活の邪魔になるほどの量でもないし、気持ちの整理がつくまで このまま置いておいてもいいんじゃないか?”
私はそう思ったけど、“それを口にするのは もう少し話を聞いてからにしよう”と思い、黙って女性の話に耳を傾けた。

故人は女性の夫。
享年は67歳、死因は肺癌。
故人は、若い頃から年に一度、勤務先の健康診断を受けていた。
そして、定年退職の後に再雇用された関連会社でも、続けて健康診断を受けていた。
更に、還暦を迎えたのを期に、念のため、自費で人間ドッグも受けるようにしていた。
“肺の影”は、亡くなる前の年の人間ドッグで見つかった。
詳しく調べると、それは癌。
「癌」と聞いてはじめは動揺したものの、自覚症状がでてからの発見ではなかったため、意図して楽観に努めた。
しかし、診断はステージⅢ、やや進行した状態。
「摂生してきたつもりなのに・・・」
「キチンと受けてきた人間ドッグは何だったのか・・・」
故人は、憤りにも似たショックを受けた。

しかし、現状を憂いてばかりでは何も解決しない。
とにかく、回復に向かって最善の策を講じることに。
まずは、癌が掬っている片肺を切除。
転移がなかったからできた手術だけど、二つある肺のうち一つを失うわけだから、尋常なことではない。
呼吸をするのも重く、酸素が不足することもしばしば。
退院後の私生活でも、しんどい思いをすることが多かった。

また、再発転移を防ぐための抗癌剤も繰り返し投与。
投与する度に二週間ほどの入院するのだが、入院中と退院してからの一週間ばかりが特に辛かった。
入院中は、強い吐気と倦怠感に襲われ、自宅に戻ってからもしばらく倦怠感と食欲不振は続いた。
ともなって、身体は徐々に衰弱。
食欲不振は身体の衰弱をもたらし、身体の衰弱は更なる食欲不振をもたらす・・・
この負のスパイラルが故人を弱らせ、入院中は車椅子を使用してしのいだが、自宅では立って歩くこともほとんどできなくなってしまい本人も家族も難儀した。

身体が病気に負けてきていることは、誰の目にも一目瞭然。
医師の診断を待つまでもなく、本人もそのことを自覚。
そして、嫌な予感は的中し、その後、癌は再発し転移。
リンパ節にまで転移したところで覚悟を決めた。

医師から余命宣告を受けたのは、それからほどなくして。
快方の希望は捨てなかったものの、同時に人生をしまう心積もりもした。
故人は、妻子の負担を考え、また、逝った跡が濁らないよう、できるかぎり自分の手で後始末をし、遺言を残し、死支度を整えていった。
そんな時間は、切なくもあり、寂しくもあり、また、家族にとって、かけがえのない大切なものでもあった。

「自分の家っていいな・・・家族っていいな・・・」
「人生って楽しいな・・・生きているだけで楽しいな・・・」
死期が迫ってきた故人は、よくそう言った。
その言葉が意味する深いものを家族も感じ取った。
そして、それを、後の人生に生かそうとも思った。

“生”も不思議なものだけど、“死”もまた不思議なもの。
ただ単に、“有”と“無”では片付けられないものがある。
女性の頭には まだシッカリ亡夫の姿や声が残っており、その心には亡夫との楽しい想い出が残っていた。
それが、あまりにリアルに感じられるため、夫の死を現実として受け入れることを阻んでいるよう。
だから、葬式が済んでも、身体が骨になっても、姿が見えなくなっても、夫が死んでしまったことが夢のことのように思えて仕方がないようだった。

ただ、それはそれで、一人の生き方、一つの生き方。
死人と共に生きることによって、その後の人生が楽しくなるならそうした方がいい。
愛する人との死別は、深い悲しみ、大きな悲しみをもたらすものだけど、その後の未来を照らす光にもなるのだから。
そして、それが、生きる指針や力を与えて、残された者の残された時間を濃くしてくれるのだから。



勝手に“十年から二十年くらい”と想定しているけど、私の余命はどれくらい残されているのかわからない。
一日かもしれないし、一週間かもしれないし、一ヵ月かもしれないし、一年かもしれない。
また、それ以上かもしれない。
ただ、ハッキリしているのは、死にたかろうが死にたくなかろうが、いつか死ななければならないということ。
そして、人生は、自分が思っているほど長くはないということ。

過ぎてみれば、時が経つのははやい。
節目の時季にかぎらず、日常でそれを感じることも多い。
したがって、多分、過ぎてみれば、人生もアッという間なのだろう。
ということは・・・“短く感じる”ということは、“楽しい”ということでもあるのではないだろうか。
もちろん、人生には悲哀や苦悩が少なくない。
楽しいことばかりではないし、笑ってばかりで生きられるわけでもない。
しかし、苦と楽も、不幸と幸も表裏一体。
苦の中に楽があり 楽の中に苦があり、不幸の中に幸があり 幸の中に不幸がある。
苦楽ある人生そのものが楽しいものなのではないか・・・
人生の根底には普遍的な楽しさがあるのではないか・・・
達観しているわけでもなければ確証があるわけでもないけど、私は、そんな風に思う。

大切なのは、その楽しさに気づくこと。
苦労の真味が美味であるように、遊興快楽ばかりが心を楽しませるのではない。
ただ、重い生活の中にあって、それに気づくことは難しい。
どうしても、目に見えるものに流され、表面的な感覚に惑わされてしまう。

能書きだけは上等(?)の私もそう。
日常の楽しみは たまの晩酌くらいで、特に楽しみがない日々を送っている。
代わり映えのない毎日、平凡な毎日、わずかなお金に執着して大きな労苦を背負い、つまらない世間体に囚われ大きなストレスを抱えている。
しかし、そんな つまらない人生が、とても贅沢なものに思えるときがある。
それは、自分の晩年と死を想ったとき・・・
漠然とではなく、他人事としてではなく、それを 恐怖感を覚えるくらいリアルに感じたとき。
意識して得られる感覚ではないけど、その心境に至ると気分はとても清々しくなる。

子供も、若者も、中年も、老人も、私も、我々に残された時間は短い。
そして、残りの人生は、楽しく清々しく生きていきたい。
だからこそ、“死がくれる生”に想いを馳せながら、“今を楽しもう!”と強く思うのである。



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