特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

愛スクリーム

2007-08-30 06:19:02 | Weblog
甘くて冷たいアイスクリーム。
子供の頃からの好物で、大人になった今でも、その好みは変わっていない。
特に、今のような暑い季節には格別の食べ物。
冬の暖房の中で食べるのも、またオツなんだけどね。


この季節、一体、一日に何リットルの汗をかいているのだろうか。
猛暑の中の肉体作業では、こまめな水分補給が欠かせない。
私は、一日に、何リットルものスポーツドリンクと水を飲んでいる。
しかし、日中にトイレに立つことはあまりなく、ほとんど汗となって発散されているのだろうと思う。

規則性のない私の仕事では、昼食をとるタイミングを逸することも多い。
普通だと、自分の空腹感が燃料補給の必要を訴えてくるのだが、水分で満たされた胃は、なかなかそれを訴えてこない。
それをいいことに、ガス欠寸前の身体を放置しておくと、夏バテになってしまう。

そこに登場する救世主がアイスクリーム。
熱くなった身体を中から冷却。
口の中でサラッと溶け、食欲がないときでも喉を通りやすい。
そして、その甘さが脳の疲れを癒してくれる。
また、カロリーもそれなりに高いので、夕方までのエネルギー分は補給できる。

この夏は、そんなアイスクリームに助けられている。
しかし、アイスクリームを昼食代わりにしていると、さすがに体重が減少。
身体が軽くなるのはいいことだけど、あまり好ましい痩せ方ではなさそうだから少し気をつけようと思う。
それがもとで、夏バテ以上に体調を崩したら目も当てられないからね。

私が子供の頃は50円のアイスが主流。
しかも、〝当りクジ〟つきのモノ。
たくさんのアイスが詰まった店頭のアイスクリームケースは、ワクワクの夢の箱。
ケースに頭を突っ込んでアイスを選ぶ作業は、とても楽しいものだった。
そしてまた、私は、ケースの中の何とも言えない匂いが好きだった。
あの、冷たくて甘い匂いがね。

当時の私にとっては、100円のアイスなんて夢の高級品。
ハ○ゲ○ダ○ツなんてものには卒倒していたかもしれない。

たまに、100円アイスが食べられるようになったのは、中学後半。
現存しているので商品名は控えるが、一口サイズのバニラをチョコレートコーティングして6個一箱で売っているあのアイスにハマった。
それを初めて一口頬張ったときは、私の中に衝撃が走った。

「な、なんだ?このうまさは!」
深みのある甘さと、コクのある後味が私の口にフィット。
箱の裏を見てみると、〝種類別:アイスクリーム〟と記されてあり、私が常食していた〝ラクトアイス〟〝アイスミルク〟とは一線を隔したものだった。
そして、私は本物のアイスクリームの美味しさに、ひたすら感心・感動するのであった。

ちなみに、私はソフトクリームも好きなんだけど、この時季はダメだね。
食感や味はいいんだけど、溶けるのが早す過ぎてジックリ味わう暇がないから。
セコイようだけど、アイスクリームに比べて値段も高いしね。


「かなり溶けちゃってるなぁ」
現場は古いマンションの一室。
和室の中央には、見るからにウェッティな色彩を放つ汚腐団が敷きっぱなし。
汚染状況からみると、故人は布団で休んでいたところ、そのまま急逝したっぽかった。
ベトベトの状態で汚妖服が散らかされていたが、これは警察の仕業らしかった。

依頼者は中年の男性で、故人はその父親。
それなりの事情があったのだろう、男性は故人と疎遠で、ほとんど絶縁状態らしかった。
そしてまだ、男性は故人のことを嫌悪しているようでもあった。

そんな調子だから、男性は、父親の後始末をするのも迷惑そうで、
「とっておくモノなんて何もありませんから、全部捨てちゃって下さい」」
と、ドライに言い放った。

「とりあえず、汚染部分だけ何とかしてきますから、ちょっと待ってて下さい」
そう言って、私は部屋の中に入った。

「普通に寝ていただけかもしれないのになぁ・・・こんなことになっちゃって・・・」
予期せぬ腐乱は故人のせいでもなく・・・茶黒く変色した布団を見ていると私の中に妙な情が湧いてきた。
同時に、後始末をしなければならない残された人の苦労も頭を過ぎった。

言わずと知れたことだが、汚腐団と普通の布団は違う。
普通の布団なんてそんなに重いものではない。
しかし、汚腐団は重い。
人間を吸収しているわけだから、それなりに重いのだ。
それでも、汚腐呂掃除とかに比べれば、汚腐団の片付けなんて楽チンなもの。
旅館の仲居さん顔負けの手際のよさで、チョチョイと片付ける。

「さっさと済ませるか!」
私は、まず掛布団から着手。
パラパラと落ちる例のチビ達は無視して、パタパタパタと畳んで梱包。
次は敷布団。
その端を持ち上げてみると、予想通りの重量感。手が汚れることなんか気にせず、それをボテボテボテと畳んで梱包。
敷布団の下では彼等がぬくぬくとしていたが、それも無視して一気に畳を上げた。

「あちゃ~!やっぱ床板までイッてたか・・・」放っておくと、人間はどこまでも溶けていくもの。
故人は、布団も畳も通り抜け、その下の床板まで到達していた。
ただ、床板をはがすことはその場の独断ではできず、とりあえずの応急処置を施しておくしかなかった。

「アブナイ所は片付けましたので、中に入ってみて下さい・・・大事なモノがでてくるかもしれませんから」
と、私は、汚染物・汚染箇所の処理を終えた部屋へと男性を促した。

「大したモノはなさそうだけどな」
そう言いながら、男性はゆっくりと部屋に入り、
「随分な貧乏生活をしてたみたいだな・・・」
と、感慨深げに部屋をグルッ見渡した。

そうして後、男性は家財・生活用品の物色を、私は明らかな不用品の梱包を開始。
少しすると、男性が声を上げた。

「あ!こんなところにあったのか!」
「何かでてきましたか?」
「ええ、・・・これが・・・」
そう言って、紫の布に包まれたモノを渡してくれた。
そっと開けてみると、それは小さな位牌だった。

「位牌ですねぇ・・・どなたのでしょう」
「お袋のです・・・」
「お母さん・・・」
「親父はどうしようもない男でしたけと、お袋はでいい母親でした」
「・・・」
「しかし、お袋の位牌を親父が持ってたとはね・・・」
男性は、驚きながらも、わずかに嬉しそうな表情を浮かべた。
しかし、この後、話は意外な方向へ進んだ。

「でも、これもいらないから捨てちゃって下さい」
「ええっ!?いいんですか?」
「ええ、私は宗教を持ち合わせない人間でしてね」
「はぁ・・・」
「そんな木片を持って帰っても仕方ないですよ」
「まぁ・・・」
「親父が持ってたことが分かっただけでスッキリしましたから、問題ないです」

男性の穏やかな表情からは、色んな感情が滲み出ていた。
この父子が確執の関係に至った経緯も事情も知る由もなかった私。
ただ、男性が心に抱えていた冷たくて固いものが、ゆっくり溶け始めるきっかけができたのではないかと思い、私の特掃魂がホッと温かくなるのだった。

本来、冷たいものは溶けやすいはず。
なのに、心の中で冷たく固まってしまったものは、なかなか溶けない。
固定観念・先入観・偏見・習慣・世間体・面子・プライドetc、色々なものが邪魔をして。
実のところ、それを溶かすのは、夏の猛暑のような熱を帯びた哲学ではなく、春の暖かさに似た子供のような素直さなのかもしれない。

現場からの帰り道、ハンドル片手にアイスクリームを食べながら、そんなことを考える私だった。







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目に汗、心に涙

2007-08-27 06:57:37 | Weblog
私は、歳を負うごとに涙もろくなっている。
ちょっとしたことでも、すぐに泣いてしまう。
どうしてだろう・・・自分でも分からない。
昔は、Cool&Dryを誇っていたくらいの私なのに。

blogの書き込みにもちょくちょく泣かされる。
こんな堕blogでも、それをヒントにして生きる術を模索してくれる人がいることに、目頭が熱くなる。
それは、安堵や喜びの涙ではなく、感謝の涙。
「こんな俺でも、少しは生きている価値があるんだな」
と思わせてくれる感謝の涙だ。
私にとっては、自分の存在価値を感じられることは滅多にないことだから。

その他の場合では、人に優しくしてもらったときも弱い。
私自身が、人に優しくできないタイプの人間だから。
そして、人が人に優しくしている時・・・人のために、よろこんで自分を犠牲にしている人の姿を見るときは、涙腺をくすぐられる。
私自身が、自分のためにしか生きられないタイプの人間だから。

私の心には何かが欠けている。
欠けているモノの正体は分からずとも、それを埋めるのが苦悩の涙と汗であることは何となく分かっている。


とあるマンション・とある部屋の前。
異臭が漂う玄関先で、一組の夫婦が私の到着を待っていた。

「お待たせしました」
と駆け付けた私に、
「どうも・・・」
と、軽く頭を下げる男性。
それに対し、女性の方は、
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」
と、泣きながら私に何度も頭を下げた。

故人は若い男性、夫妻の息子。
学生だった故人は、両親を田舎に置いて都会で独り暮らし。
生計は、実家からの仕送りとアルバイトで成り立たせていたようだった。

二人は、部屋の中を未確認。
漂う異臭だけでいっぱいいっぱい、とても中を確認できる状態ではなさそうだった。

「とりあえず、中を見てきますからちょっと離れてて下さい」
と、私は首にぶら下げていたマスクとポケットにネジ込んでいた手袋を装着し、二人を遠ざけた。
そして、玄関ドアを小さく開けて自分の身体を滑り込ませると、急いでドアを閉めた。

「あ゛ー・・・」
見慣れた光景とは言え、私は、その凄惨さを無言で受け入れることはできなかった。

既に、腐敗液は玄関の上がり口まで到達。
それを踏まずしては奥に進めないため、脂で滑りやすい汚染床の上を、壁に手をついて身体を支えながら慎重に歩行。

「そういうことか・・・」
視線を上げると、キッチンと部屋を隔てるドアの上部金具に皮ベルトがシッカリと固定。
それは、そんなに高い位置ではなく・・・故人は、意図的に自らの体重を首に掛けたものと思われた。
床には、大量の腐敗物が広がり、おびただしい数のウジが徘徊。
その光景は、とても両親に見せられるものではなかった。

「なんで自殺なんかしちゃったんだろう・・・年齢的にも身分的にも、他に逃げ道をつくりやすかっただろうに・・・」
若年、しかも学生の身の上での自殺に、釈然としない疑問を感じた。
しかし、自分のその頃を思い出し、すぐに〝自分のことを棚に上げている〟ことに気づく私だった。
「本人にしか分からない事情があったんだろうな・・・」

自然死は〝早い・遅い〟を言われがちだけど、自殺には〝早い〟も〝遅い〟もない。
もちろん、人生の価値や生きる意義は、人生の長短で測れるものでもないと思うけど、自殺は全く別次元の問題。
若年だろうが老年だろうが、そうそう受け入れられるものではない。

一通りの現場観察を終えた私は、両親の待つ玄関前に戻った。
不安そうな女性と怒ったような顔付きの男性が、私を待ち構えていた。
父親は、息子が死んだ悲しみより、その理不尽さに強い憤りを持っているみたいで、不機嫌そうに憮然。
一方の母親は、悲しみと動揺でオロオロしっぱなし。
そんな二人の心境は、私にも痛いほど伝わってきた。

私は、鼻口に着けていたマスクを外し、中の状況を報告。

「一応、中を見てきましたけど・・・自殺・・・ですか?」
「・・・ええ・・・」
男性は、認めたくなさそうな表情で渋々頷いた。

「失礼を承知で率直に申し上げますけど、かなり悪い状況です」
「・・・」
「目に見えてるところもそうですが、流台の下や床下まで汚染されている可能性も大きいです」
「・・・」
「まずは、特殊清掃と消臭消毒をしないと、どうにもなりませんね」
「・・・何とかなりますか?」
「最終的には、全面リフォームになると思います」
「そうですか・・・」
そのやりとりの最中、男性は表情を強張らせ、女性は両手で顔を覆った。

私は、故人が残した遺品・貴重品類を探し取り出すため、再び部屋に入ることになった。
物理的にも精神的にも、夫妻が部屋に入るには酷過ぎる状態だったから。

「ちょっと行ってきますから、しばらく待ってて下さい」
私は、マスクを装着し直して再び部屋に入った。そして、遺品・貴重品類を探した。

1Rマンションの独り暮らしだから、家財・生活用品も大した量ではなく、だいたいの貴重品類は一つの小引出しにまとめられていた。
そこからは、財布・預金通帳・保険証・写真etcがでてきた。
更に、財布の中には現金の他に免許証・学生証・カード類。
また、別の引出しには、まとまった量の手紙があった。

「随分とたくさんの手紙があるなぁ」
手にとって見ると、差出人は両親、つまり玄関の向こうにいる二人だった。
都会で独り暮らしをしていた故人を案じてのことだろう、その手紙の数は、息子を想う親の気持ちを如実に表していた。

子供を育てるのを〝自己犠牲〟とする親はなかなかいないだろう。
ただ、そうは言っても、一人の人間を育てることは並大抵のことではない。
そこには、並々ならぬ汗と涙が伴ったはず。
そして、故人も、それに気づかないではなかっだろう。
なのに、それを超えて自死を選択した故人・・・私は、ザワつく感情を抑えながら、貴重品探しを続けた。

気温が高いわけでもないのに、そのうちに、額から汗が滲み出てきた。
次第に汗の量は増え、床に広がる元故人に向かって滴り落ち始めた。
また、汗は目に入りその塩分が涙を誘発。
目からは感情の伴わない涙が溢れでて床に広がる元故人に向かって滴り落ち始めた。

やりきれない悲哀と虚しさを感じながら、その汗と涙と両親の想いを重ね合わせ、亡くなった故人に何かを強く訴えたい衝動に駆られる私だった。


自分の命は自分だけのものではない。
母の胎に宿ることも、生まれ出ることも、育つことも、寿命を定めることも、全て自分で力でなしていることではないから。
その本性・本質として、人はもともと自分のためだけに生きるものではないような気がする。

自分の快楽を第一にしているから、ちょっとしたことに虚無感を感じる。
全ての基準を自分に置いているから、些細なことにつまずく。
自分のために生きようとするから、生きているのが辛くなる。

しかし、人は人のために生きなければならない時があると思う。
人は人として、誰かのために生きなければならないものだと思う。
そしてまた、人のためだったら生きられることもあると思う。

〝情けは人の為ならず、巡り巡って己が為なり〟
そんな人生に流れる涙と汗は、人生の苦悩をも洗い流してくれる。
それを信じて、明日も生きるしかない。





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牛丼

2007-08-24 06:49:50 | Weblog
どちらかと言うと、私は大食いの方だと思う。
どこで何を食べても通常の一人前では全然足りず、ライス大盛でも満腹にはならない。

高校~大学の頃は特に大食いで、最盛期には一度の食事で三合の御飯をたいらげていた。
スポーツや身体を動かすことには縁がなかった私だったのに、それでも当時は太ることはなく、体重は標準数値を少し下回るくらいで維持されていた。
今とは比べものにならないくらい新陳代謝がよかったのだろう。

満たされない心を腹で満たそうとしたって身体を壊すだけなので、今は腹八分で過ごすことを心掛けている。

そんな私は、食事のスピードが早い。
モタモタと食べるのは空っぽの胃が許してくれないのだ。
また、いつまでもモグモグやっていては、せっかくの食べ物が口の中で腐ってしまいそうだし。
噛む回数が少なく、ほとんど丸呑みしてしまっているのかもしれない。

そんな私は、素早く豪快に掻き込めるワンディッシュフードを好んで食べる。
一口に〝ワンディッシュフード〟て言っても、そのメニューは様々。
皿物・器物、そして丼物。

私の中で上位に位置している丼物は牛丼。
どこかの宣伝文句の通り、〝旨い・安い・早い〟から。
あちこちに店もたくさんあるし、臭くなければ一人でも入りやすい。
つゆダクにして、紅生姜と七味唐辛子を多めにかけるのが私の食べ方。
若い頃は玉子も常連にしていたが、この歳でこれ以上エンゲル係数を上げる必要はないので、今は御無沙汰している。

ま、牛丼に限らず、毎日美味しい食事がとれていることに感謝・感謝!だね。


特掃の依頼が入った。
現場は古い公営団地。
現場棟の下には何人かの人が集まり、私の姿を見つけるとジーッと視線を送ってきた。
そして、私が何者かがすぐに分かったらしく、興味深そうに近寄ってきた。

「○○(故人名)さんちに来たの?」
「そうです」
「いい人だったから、きれいにして上げてね」
「はい・・・」
「○○さんには、みんなお世話になっててね・・・」
「・・・」
「よろしく頼みますね」
「了解です」

集まっていたのは、生前の故人と親交があった人達ばかり。
独居老人が多い団地で、お互いで仲良く助け合って暮らしているらしかった。

人の死は、回りの人間の心を騒がせる。
ましてや、孤独死・腐乱ときたら並ではない。
そんな中、ここの人達は、どこにでもありがちな恐怖心や嫌悪感よりも故人に対する同情心の方が強いみたいで、故人のためを想って私にアレコレと注文してきた。
そんな人々の優しさは、特掃前の緊張感を和らげてくれた。
また人々は、注文をつけるだけではなく、私が仕事がしやすいように協力もしてくれた。
その心遣いには、実務上だけではなく精神的にも大きく支えられるものがあった。

「ここか・・・んー、たいしたことなさそうだな」
玄関を開けたすぐの台所に故人が亡くなっていた痕があった。

「こりゃ、すぐ済むな」
汚染部を踏まないようにしゃがみ込み、そう思った。

「きれいに片付いている家だな・・・」
室内は、古そうなモノばかりながらきれいに整理整頓されていた。

ふと見ると、ガスコンロには鍋がかかったままになっていた。
だいたい、このパターンでは鍋中はロクな状態になってないことがほとんど。
ドロドロになった汚味噌汁とか、毛の生えた正体不明物体とか・・・。

腐乱したニオイが強烈なのは人間ばかりではない。
食べ物が腐敗したニオイも同様。
そのパンチは腹を直撃、思わず鳴咽してしまう。
だから、そんな鍋の蓋をとる時は、それなりのドキドキ感があるのだ。

「メニューは何だったんだろうな?」
私は、恐る恐る鍋の蓋をとってみた。

「は?」
鍋の中は、レトルト食品が一袋、水に浸かっているだけだった。

「ホッ、これだけか・・・」
レトルトをつまみ上げながら、安堵した。

「牛丼の具か・・・故人も好きだったのかな」
牛丼好きの私は、故人にちょっとした親近感を覚えた。

「と言うことは・・・」
私は炊飯器を探した。
しかし、それらしきモノは目につかない。

「となれば・・・」
側にあった電子レンジの扉を開けてみた。

「あったー!」
案の定、電子レンジの中には、パックライスがあった。

この状況から、故人は食事の仕度をしているところでバタンと逝ってしまったことが想像できた。

「おっとと、こんなことやってる場合じゃなかった・・・お掃除、お掃除!」
私は、つくりかけの牛丼を放っておいて、床の特掃にとりかかった。

普段から近所付き合いがあった故人は発見も早く、汚染もライト級。
特掃隊長の手にかかれば、難なく片付けられるレベルだった。

「次は食べ物を片付けないとな」
上記の通り、現場で腐るのは人間ばかりではない。
食べ物も、放っておくとどんどん腐って、末期には相当にヒドイことになる。
だから、戸棚・収納・冷蔵庫の中の食品は早々に片付けることが必要。
私は、あちこちを開けて、腐りそうな食品がないか探した。

「随分と古い冷蔵庫だな」
旧式の冷蔵庫を開けると、中には調味料類と惣菜が少し入ってるだけだった。

「棚はどうかな?」
古びた戸棚を開けると、そこにはインスタント食品・レトルト食品・缶詰・乾物etc、結構な量がまとまっていた。

「高齢の独り暮らしじゃ、食事をつくるのも大変だろうからな」
手軽に食べられるものが生活に合っていたのだろう、保存がきいて簡単に食べられるものばかりがあった。

限られた年金で自分の丈に合った生活を送っていたのだろう、置いてあるものを見渡しても、故人が慎ましい暮らしをしていたことは明らかだった。
そして、近所の人達から伝わる故人の人柄が、私に故人に対する親しみを帯びた同情心を覚えさせた。

鍋の中にはレトルト牛丼。
電子レンジの中にはパックライス。
テーブルの上には小さな丼。

「牛丼・・・食べずして逝っちゃったのか・・・片付けてしまうのは何だか偲びないな」
「ここのお婆さん、今にも〝ただいま〟って帰ってきそうな気がするし」
「腐るわけでもないし、これはこのままにして行くか」

その日の作業を終えた私は、故人が生きていた余韻を台所に残し、現場をあとにするのだった。





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企業戦士

2007-08-21 07:31:24 | Weblog
「会社、辞めてえなぁ・・・」
ホロ酔いになった頃、居酒屋のテーブル越に友人はそう溜め息をこぼした。

友人の勤め先は一部上場企業。
学生当時、第一希望にしていた会社。
しかし、理想と現実・夢と実際は大きくかけ離れ、やりきれないジレンマにストレスを抱えているようだった。

友人は、経済社会という戦場で、生き残りをかけたサバイバルを繰り広げる企業戦士。
本音風の建前を吐き続けているうちに自分の本心が分からなくなり、仲間風のライバルと付き合っているうちに真の友を見失い、〝俺は回りの人間とは違う!〟と孤高を張っているうちに孤独な身の上になってしまった。
頼りにしていた上司は他部署へ移動になり、新しい上司は肌の合わない頭脳派イエスマン。
そんな上司に相談できることは何もなく、気心の知れた妻子には仕事の話は通じない。
妻子が起きる前に家を出て、妻子が寝た後に帰宅する毎日。
家族とは会話らしい会話もなく、子供はとっくに父離れし、妻は能面のような顔で愛想笑い一つしない。
休日に家にいると、粗大ゴミか家政夫扱い。
妻と結婚した当初の頃が夢のように脳裏を過ぎり、それからの妻の変貌ぶりが悪夢となって自分を襲う。
抱えきれないストレスは、週刊誌のゴシップと他人の不幸で中和。
それでも、企業戦士は与えられた目標を目指して、日々、つくり笑顔と平身低頭で成績を上げ続ける。

そんな中、友人は、同期入社組の出世競争に遅れをとった劣等感と、ウマの合わない上司の下でなかなか評価されない挫折感に苛まれていた。

「辞めて何すんだよ」
「・・・」
「お前の会社、世間ではちゃんとした企業で通ってるじゃんよー」
「いいのは外面だけ!やり甲斐なんか何もなし!」
「やり甲斐?、甘いこと言ってんなぁ」
「?・・・」
「まずは、〝食うため・生きるため〟じゃないの?」
「・・・」
「やり甲斐がどうのこうのって言えてるうちは幸せだよ」
「・・・」
「給料だって悪くないんだろ?」
「まぁ・・・年収で言うと○○円」
「いいじゃん!いいじゃん!俺なんかこの歳で〝ピー〟万円だぞ」(過去blog参照)
「・・・」
「それに、週休二日で盆暮れ・GWには長期休暇もとれるんだろ?」
「まぁな・・・」
「俺なんか、月休二日で連休なんかとれないんだぞ!」
「それもヒデー話だな」
「隣の芝生が青く見えるのは目の錯覚!」
「・・・」
「冷たいこと言うようだけど、お前がお前である限り、どの会社に勤めたってどんな仕事をしたって同じだよ」

孤独な企業戦士は、いつまでも尽きない愚痴を吐き続けた。
対して私は、タダ酒に免じて我慢して聞いてやるのだった。


とある一軒家。
回りの家と比べて築年数は浅そうだったが、荒れた外観は家自体を古いものに感じさせた。
そして、中は俗にいう〝ゴミ屋敷〟に近い状態で、家中のあちらこちらにゴミが散乱。
床もろくに見えてない。
ゴミのほとんどは弁当や食品の容器・ペットボトル・空缶・酒瓶。
食べ残したモノも放置、干からびたりカビたり虫が湧いたりで、ヒドイ状態だった。

故人は中年男性、大手企業に現役勤務。
以前は家族を持っていたが離婚し、ここ数年は独り暮しをしていたらしかった。

家の中からは例の異臭がするものの、あまりのちらかり様と、警察がゴミ山を引っかき回していったせいもあり、私は汚染箇所を特定するのに手間取った。

ゴミ野を越えゴミ山を越え二階に上がると、異臭は一段と強くなった。

「こっちかな?」
いくつかある部屋のうち、私はニオイの濃い方の部屋に入った。

「あ!?」
足に〝ヌルッ〟としたぬかるみを感じた。

「ん!?」
足元に、ゴミに絡んだ腐敗粘土が見えた。

「ここかぁ!」
親指と人差指でゴミをつまみ上げると、次第に腐敗痕が出現してきた。

「それにしても、ちらかってんなー」
その部屋は故人が寝室兼書斎に使っていたらしかった。

「ん?、これは・・・」
部屋の机に、まとまった量の名刺があった。
それは某大手企業の名刺で、記されていたのは故人の名前。
肩書は中間管理職。

「〝現役ビジネスマン〟だとは聞いてたけど、この会社だったのか・・・ちゃんとした会社じゃん」
私は、パリッとスーツを着こなしてバリバリ働く企業戦士と、故人が暮らしていたゴミ家が整合せず、複雑な心境だった。

「ん?ちょっと待てよ・・・会社の人はどうしたんだ?会社の人は!?」
「溶解するまでの無断欠勤を、黙って容認するような寛大な会社なのか?」
故人の孤独死にすぐ気づかなかったのは仕方ないにしても、腐乱するまで会社は気づかなかったのが不思議だった。

勝手に想像すると・・・
突然死した男性(故人)は翌日の会社を無断欠勤(当り前か)。
休暇届もないのに出社してこない男性を、職場の人達は疑問視。
ただ、とりたててアクションを起こすことはなかった。
男性は、そのまた翌日も職場に姿を現さなかった。
さすがに不可解に思った職場の誰かが男性の携帯に電話。
しかし、応答はなし。
自宅の電話も不通。
しかし、皆、自分の仕事に忙しく、そのうち誰もが〝知ったこっちゃない〟状態に。
突然に男性を欠いても日々の業務には大した支障はでず、男性のことを真剣に心配する人も、男性の自宅を訪れる人もいなかった。
ただ、ポストにたまる新聞と窓にたかるハエ、そして漏れ出る悪臭が男性の異変を知らせようとしているだけだった。


企業戦士の存在価値は、自分で決めるものではなく会社・回りの人間が決めるもの。
それって、自分が思ってるほど高くないことが往々にしてありそう。

経済価値が最優先される企業の中で生き残ることは、ある種のサバイバル。
自分が生き残るためには、他人のことなんか構っちゃいられない。
そんなサバイバルでは誰もが敵に見え、時には自分のまっとうな人格が敵になることだってある。
そんな戦いを積み重ねて、企業戦士は強く鍛えられるのだろうか。


「毎度毎度、同じような愚痴ばかり聞かせてスマンな」
「たまには俺の愚痴も聞いてくれよ」
「ああ、仕事の話以外だったらな」
「仕事の話以外?」
「お前の仕事はなぁ・・・インパクトがあり過ぎて食い物が逆流しそうになるんだよなぁ」
「そおかぁ?」
「いい話も聞けんだけどな」
「だろ?」
「ま、何はともあれ、俺も頑張るよ」
「そうだよ!普通に生きれたって、俺達の人生は残り半分!たったそれだけ!」
「お前らしいな、そのコメント」
「俺達の前途多難な人生に乾杯するか!」
「おお!」

いつまで続くか分からない人生のサバイバルに酒の力をかりて乾杯する、中年手前の企業戦士と死業戦士だった。





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他人事

2007-08-18 07:29:45 | Weblog
「あー、疲れたー!今日も一日、よく働いたー!」
「それにしても、よくやるよなー!」
一日の作業を他人事のように振り返っていたある日の夕刻、私のもとに一本の電話が入ってきた。

「こんな時間にスイマセン」
「いえいえ、どうされましたか?」
「知人がコドクシしましてね」

電話の主は私と同年代くらいの男性。
やけに落ち着いた口調と明るい声に、他の言葉を〝孤独死〟と聞き間違ったかと思った私は、受話器を左に持ち変えて替えて尋ね返した。

「スイマセン、よく聞こえなかったもので・・・もう一度お願いします」
「あ、ハイ、知人が死んじゃいましてね」
「そうですか・・・何かと大変でしょうけど、詳しい状況を伺わせて下さい」
「ハイ、何なりと」

私は、現場の状況を把握するべく、ポイントを絞って何点かの質問を男性に投げ掛けた。

「亡くなってたのは部屋ですか?それとも・・・」
「多分そうです・・・現場を見てないんで、ハッキリしたことは言えませんが」
「そうですか・・・で、ニオイはどうですか?」「玄関までしか入ってませんけど、かなりヒドかったです」
「んー、そうですかぁ」「中は、かなりヒドイ状態だと思います」

男性は、過酷な話の内容にも、声のトーンと口調を変えずに話を続けた。

「亡くなった方とは、どういうご関係ですか?」
「他人です・・・正確には妻の父親ですから義理の父ということになりますかね」
「じゃ、〝他人〟と言うわけではないですね」
「まぁ・・・でも、付き合いも全然なかったし、他人も同然ですよ」

身内だからと言って、皆が仲良く親密な関係であるとは限らない。
また、無理にそうしなければならないものでもないと思う。
人それぞれの状況があっても自然なこと。

「やはり、現場を見てみないと何とも言えませんね」
「ですよね、都合のいい時にお願いします」
「これからでも伺いますが・・・」
「イヤ、できたら昼間の方がいいんですけど」
「では、○日の○時に伺います」
「了解しました」

終始、淡々と喋る男性に、私は軽い戸惑いを覚えながら、結局、相手に合わせる温度を定められないまま電話を終えたのだった。

約束の日時、現場は公営団地の一室。
私は、依頼者の男性より早く現場に行き、部屋の場所を確認した。
玄関前に立つと、抜群の腐乱臭が漂っていた。

「一般の人は、これが何のニオイだか分からないんだろうな」
そんなことを思いながらしばらく待っていると、依頼者の男性が現れた。
「お待たせしました」
「どうもこの度は・・・」
「こちらこそ、来てもらって助かります」
「どういたしまして」
「それにしても、まいりましたよ」
「・・・」
「まさか、身近でこんなことが起こるなんてね」
「・・・」
「お陰で、女房がかなり気落ちして、欝っぽくなってるんですよ」
「奥さん・・・亡くなられた方の娘さんですか」
「正直言うと、もともと義父と私は仲がいいわけではなかったですし、過去にはそれなりの因縁もありましたし・・・ここ何年かは付き合いもなかったんですよ」
「・・・」
「だから、私にとっては義父が亡くなったことも他人事なんですよ」
「・・・」
「ただね、元気をなくしてる女房を放っとくわけにはいかないから、こうして動いてるわけなんです」
「そうですか・・・」
「義父のためじゃなく、女房のためですよ」
「なるほど、そういうことですか・・・」
「ところで、きれいに片付きますかね?」
「中を見てみないと何とも言えませんが、多分、大丈夫だと思います」
「そうですか、よろしくお願いします」
「じゃ、とりあえず中を見てきます」
「ハイ」
「後で様子をお知らせしますから」
「お願いします」

私は、玄関前に男性を置いて、中に入った。
問題の汚染はミドル級で、ドス黒い液体となった故人は台所から和室に渡って広がっていた。
また、例の白いチビ共が我が物顔で部屋中を闊歩。

「またコイツらか・・・また後で勝負してやるから、雁首揃えて待ってろよ!」

そう言って玄関をでると、外で待つ男性の傍に一人の女性がいた。
その立ち位置と物腰から、すぐに男性の妻君であることがわかった。
父親の孤独死・腐乱に相当のショックを受けているのは誰の目にも明らかで、女性は憔悴しきった表情で目を潤ませていた。

「父がこんなことになって、申し訳ありません」
そう言って深々と頭を下げる女性に、
「イエイエ、私が謝られることじゃないですから」
と恐縮する私。

「きれいになりますか?」
不安そうに尋ねる女性に、
「時間とお金とこれさえあれば、この部屋を何もなかったかのように戻してみせますよ」
と、自分の二の腕をポンポンと叩きながら冗談混じりに応えると、女性の顔にわずかな笑みがこぼれた。

中の状況をキチンと伝えるには、少々はグロテスクな表現を用いなければならない。
しかし、それを女性に聞かせるのは酷なので、女性にはその場を離れてもらい、私は男性とだけ話をすることにした。

「奥さんは、遺体も現場も見てないんですよね?」
「ええ・・・知ってるのはニオイくらいです」
「だったら、きれいになった部屋に入ってもらった方がいいと思います」
「それは何故ですか?」
「ニオイにやられた頭の中では、悪い想像ばかりが膨らんでいるんだと思います」
「はぁ・・・」
「ただそれは、きれいな部屋を見れば消えると思うんです」
「なるほどね・・・」
「ま、そのためには、この部屋をバッチリきれいにする必要がありますが」
「できますか?」
「この状態ですからねぇ・・・んー、一週間、時間を下さい」
「それできれいになるんでしたら、お願いします」

男性にとって、義父の死は他人事でも、妻の消沈は他人事ではなかった。
これもまた自然なことだと思った。


省みて、私自身はどうだろう。
残念ながら、仕事を通じて遭遇する数々の死を〝他人事〟として処理しがちなのが正直なところ。
しかし、死体業者としては、それを〝他人事〟と切り捨てず、真正面で受け止めて、自分なりに消化していくことが大切なんじゃないかと思っている。

同時に、イヤでも他人事では済まないことがあることも忘れてはならない。
そう、身近な人の死・自分の死だ。

我々は、自分の死を他人事として、人として本当に大切なモノを見ずして生きがち。
しかし、それをちょっとだけ意識するだけで緊張感が走り背筋がシャンと伸びる。

その飾りのない真意が、先を生きる道筋を照らしだす燭になるのかもしれない。






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天井

2007-08-15 08:28:07 | Weblog
「暑いっ!!」
余計に暑くなると分かっていても、ついつい吐いてしまうコノ言葉。
一体、この暑さは何なんだろうか!
30年前、子供の頃の夏ってこんなに暑くなかったように記憶しているけど、気のせいだろうか。

気温自体は例年通りなのだろうが、今年の暑さは身体にこたえている。
夏もまだ中盤なのに、クタクタ・ヘナヘナになっているのだ。

その原因を自己分析してみると、五つのことを思いつく。
①ひとつ歳を増して、体力が衰えている。
②休みがなくて、疲れがたまっている。
③水分補給ばかりで、ろくに食べてない。
④水回りの特掃が連発し、汚れまくっている。
⑤自殺現場が多くて、精神疲労が激しい。

言うまでもなく、この季節の特掃作業は一段と過酷。
エアコンもなく、風も通せず、おまけにハエと悪臭が充満するサウナ部屋での肉体作業。
ジッとしているだけでも身体から汗と脂が滲みでてくるのに、この状況なら尚更だ。
それでも、できるだけ「仕事があるだけでありがたい」と思うようにしている。
でないと、気分が滅入るし身体に力も入らなくなるから。

一日の楽しみと言えば、やはり晩酌。
本当は、冷えた生ビールをグイグイといきたいところなのだが、プリン体とやらが気になる年頃の私は、だいたいチューハイで通している。
しかし、外で飲むときは、ほぼビール。
店で出されるサワー類はマズくてイケないから。
ちなみに、知らない店に行って、凍ってないジョッキで生ビールをだされるとガッカリするので、私はほとんど新規開拓はしない。
ぬるいビールは喉越しも胃への到達感も半減、耐えて待った貴重な一杯目をだいなしにするからね。

好きなのは、某社国産の高級ビール(前にも書いたね)。
ただ、私にとっては贅沢品なんで、実際は二ヶ月に一度くらいしか飲まないんだけどね。
これを、凍ったジョッキに注いだものを出される喉と胃がハフハフ言いだす。
冷たいジョッキを手に持つと、もう誰にも止められない。
天井を見上げ目を閉じると、ビールは怒涛の勢いで流れ込んでくる・・・一杯目のこれがたまらない!

一日のうちで、元気がないのは朝。
前日の疲れと酒を残しながらその日に待つ労苦を考えると、気分はかなり憂鬱。
そんな時、寝床の天井を見つめながら想像することがある。

人生の終わりが近くなった自分が、病床から天井を見つめている姿。
もう元気に起き上がる力もなく、ただ死を待つだけの身。
天井をジッと見つめながら、生きてきた道程を一人静かに振り返ってみる。

苦しかったこと、辛かったこと、泣いたこと、嬉しかったこと、楽しかったこと、笑ったこと・・・
忘れたい過去もあれば、忘れたくない過去もある。

「あんなこともあった」
「こんなこともやった」等と懐かしみ、また、
「ああしとけばよかった」
「こうするべきだった」
「あんなことしなけりゃよかった」
「こんなことするべきじゃなかった」
等と後悔する。
それでも、全てを夢幻の想い出として受け入れて、心静かに微笑んでいたいと思う。

朝っぱらからそんなことを考えながら、
「動けるうちに動いとかなきゃもったいないな」
と、軋む身体にムチ打って起き上がる。


呼ばれて参上した現場は、都会のマンションの一室。
浴室での孤独死だった。

「うわ゛ぁ~、これかよぉ・・・」
早々と不戦敗を宣言したくなるくらいの汚腐呂掃除が私の仕事。
浴槽に水はなかったものの、液状になった元人間がタップリ。
そして、浴槽の側面には多量の毛髪と腐敗液。

しかし、この汚腐呂はそれだけでは済まなかった。
無数のウジが発生し、浴室内を占拠していたのだ。
特に、私は天井を見上げて絶句。
建材の模様かと見紛うばかりのウジが、天井一面にビッシリ。
よ~く見ると、一匹一匹が生きていて、ムニュムニュと微動している。
それは、暑さを忘れて鳥肌が立つくらいの光景だった。

「これだけの数が同時に襲ってきたら、相手がチビでもヤバそうだな・・・」
そう考えると、冷汗もの。

「オイオイオイ、いい加減にしろよ!オマエら!」
ウジ達に文句を言っても仕方がないのに、虚勢をもって威嚇する私だった(ウジと同レベル?)。

万有引力の法則に従って、上部から片付けていくのが汚腐呂掃除のセオリー。
私は、まず天井の換気扇と点検口を封鎖し、ウジ共の逃げ道を遮断。
それから、天井・壁を這い回る彼等を掃い落とし始めた。
異変に気づいたウジ達は右往左往と抵抗。
軟体のウジは、力を加えると餅のように形を変えてなかなかじぶとく、そう簡単に掃い落とせるものではなかった。

また、浴室の天井は低い。
だから、ウジ達と私の顔は至近距離。
うまくやってるつもりでも腕や肩・更には顔・頭にポトポトと落下。
ウジ達の体当り攻撃に、〝うわっ!〟〝あ゛ーっ!〟〝ひぇーっ!〟等と悲鳴をあげる騒がしい私だった。

そうして、ウジ&腐敗汚物との格闘はしばらく続いた。

「よしっ!事情を知らなければ余裕で入れる風呂になったな」
きれいになった浴室にちょっとした達成感を得、この現場における最大の難関をクリアした私は、ふと浴室の鏡を見た。
そこには、汗ダクで真っ赤な顔をした私がいた。

「限界みたいだな・・・ちょっくら一休みするか」
外に出て装備を解き、熱い風を涼しく感じながら、蒸された身体と煮詰まった心を冷却。
そして、オーバーヒート気味の脳もクールダウンさせた。

腐乱痕も、片付けてしまえば人は跡形もなく消える。
人は、死ぬと何も残らないのだろうか。
人は、生きていくプロセスの中で、知らず知らずのうちに何かを残していっているのではないだろうか。
人の生命に始まりと終わりがあるのは、自分には想像も理解もできない何か深遠な意味があるのでらないだろうか。
おかしなことを言ってるようだけど、私は、何となくそんな気がしている。

「今の今の今が通り過ぎていく中で、一体俺はどんな歩を進めていかなければならないんだろうか」
どこまでも遠い青天井に心を透かされながら、そんなことばかりに思いを巡らせる私だった。





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新天地

2007-08-12 07:12:02 | Weblog
住み慣れた街・見慣れた景色に囲まれて変わりばえのしない生活を続けていると、少し遠い土地に行っただけで、カビた心に新鮮な風が通る。
旅行とかレジャーに縁がない生活をしている私だから、特にそう思うのかもしれない。

人生の節目などで新天地に立つことは、真間ある。
転居・就職・転職・進学・転校etc。
私自身も、ここまで生きてくる中で、色んな新天地を経てきた。
保育園・小学校・中学・高校・大学、各種バイト、転々と暮らした街々、そして死体業。

それぞれの新天地に踏み入るとき、それぞれに不安と期待、その先へかすかな希望をもっていた。
しかし、死体業だけは違っていた。
20代前半の頃に身を投じたこの仕事、期待も希望もなく、単に投げやりな気持ち。
「あとは、どうにでもなればいいや・・・」
と、短絡的なマイナス思考まっしぐら。

それから山あり谷あり、汗かきべソかき・体力と精神力を擦り減らし、他にやれることもなく・やりたいこともなく、何とかここまでやってきた。
食ってくため・生きてくためには、ワガママばかりは言ってられないからね。


ある中古マンションでの出来事。
孤独死した故人は、そのまま何日か放置され、腐乱死体となっていた。
亡くなった場所は寝室、その腐乱痕はベッドにあった。

シングルベッドのマットには、茶黒く凹んだ人のかたちがクッキリ。
故人にとって一番楽な姿勢だったのだろうか、真横に向いて腰と膝を少し曲げたかたちが残っていた。
枕には、タップリの頭髪も貼り着いていた。

「床までイッてなきゃいいけどな」
私は、腐敗液を吸ったベッドマット持ち上げて、脇からその下を覗き込んだ。

「あちゃ~、底板はダメだな」
ベッドの底板は、広範囲に濡れていた。

「だいぶ長いこと寝てたみたいだな」
その汚染深度は、故人の死が長い間誰にも気づかれてなかったことを示していた。

「やっぱ、ダメかなぁ?」
ベッドの下を覗き込んでみた。
しかし、暗くてよく見えない。

「ベッドをどかしてみないと分からないな・・・後にするか」
腐敗液が、布団・ベッドマット・床板でろ過されながら通り抜け、透明な腐敗脂となって床まで到達しているケースはよくあるので、私はそれも頭に入れて他の部屋の見分に移った。

「それにしても、随分と片付いている家だなぁ」
その他の部屋を見て回ると、目に見える家財・生活用品はやたらと少なく、部屋の隅々に積まれた段ボール箱や袋ばかりが目についた。

一通りの見分を終え、私は管理事務所に鍵を返しに戻った。
そして、中の状況を報告。
「床までイッてそうなんで、掃除はちょっと大変そうです」
「そおですかぁ・・・まいったなぁ」
管理人の男性は、嫌悪感丸出しで顔を顰めた。

「それにしても、部屋にあるモノは随分と片付いてましたけど・・・」
「あーぁ、○○さんは、ここに越してきたばかりだからねぇ」
「え?越してきたばかりなんですか?」
「ええ、だから梱包されたままの荷物がたくさんあるんでしょう」
「だから!ですね」

故人は、このマンションを前の所有者から購入。
そして、亡くなる少し前に越してきたばかりだった。
この新天地で老後をゆったり過ごすつもりだのだろう、引越しの当日はそんな話をしながら管理事務所や隣近所に丁寧に挨拶をして回っていた。
就寝中の突然死だったのか、体調が悪くて横になっていたのか、それから間もなくして亡くなった。

ここでは、故人が引越ししたてであったことが不運だった。
しばらく空室だった現場は、近所の住人も人気がないことに慣れていた。
そして、契約もしていないのでポストに新聞がたまることもなく、近くに知人もいないので訪問して来る人もいなかった。
したがって、故人の部屋から生活感が感じられなくても、誰も気にも留めなかったのだ。

そんな中、悪臭が漂いだし、近隣住民から苦情がで始めた。
多発する苦情を受けて、管理人は重い腰を上げた。
合鍵を使って部屋を開けると、強烈な悪臭とハエの大群。
瞬時に異常事態発生を察知した管理人は、寝室の故人を確認することなく110番通報。
マンション全体が騒然となる中、変わり果てた姿になった故人は、警察の手によって運び出されたのであった。

作業の日。
私はまず、寝室ベッドの片付けから始めた。
液体人間と一体化したベッドマットは〝哀愁のマットレス〟を彷彿とさせ、その場に相応しくない苦笑いを私に浮かべさせた。

腐敗液を吸ったモノを扱うのは、なかなか難しい。
手が汚れるのはやむを得ないにしても、身体まで汚してしまったら大変だからだ。
それでも、どうしても汚れてしまうのがこの仕事。
作業服に腐敗液を着けてしまうと身も心も重くなって、身体の動きが鈍るから難だ。

ベッドの始末が終わると、今度は床掃除。
フローリングの床は、薄暗い部屋で見ると、何の異常もないようにも見えた。
しかし、よーく見るとテカテカと濡れた様子が伺える。
そう、想定の通り透明な腐敗脂が広がっていたのだった。

なにも人間の脂に限ったことではないが、油脂類の清掃は簡単ではない。
かなり頑固に粘着しているので、それを除去するにはハイパワーの洗剤と固い特掃魂が必要。

寝室の片付けが終わって小休止。
共有廊下にでて外の風にあたっていると、管理人がやってきた。
私は、特掃の成果を報告し、あとの作業を説明。
管理人は、この件が元で判明した故人の身内関係を私に話し始めた。

故人には、身内らしい身内はいなかった。
遠い親戚がいるだけで、その親戚とも縁は薄かったみたい。
だから、その親戚も、故人の財産を相続するか放棄するか考えあぐねているらしかった。
平たく言えば、〝得なのはどっち?〟〝どっちが損しない?〟ということらしかった。

親戚は、金目のモノは残しておくように管理人に頼んでいったらしく、管理人はそれを私に依頼。
そんな動機で故人の荷物を漁るのは気が引けたけど、請け負った仕事は仕事としてキチンとやるしかなく、私は梱包された荷物を一つ一つ解いて金目のモノを探した。

この世の沙汰は金次第。
生前に関わりがなければ情なんてなくても仕方のないこと。
味気なくても、金で測ることもやむなしか。

「故人は、この荷物をどんな気持ちで梱包したのかな・・・」
「未来に希望があって楽しい気持ちだったんだろうな・・・」
「でも、まさかこの荷物を解くのがこんな特掃野郎だとは思ってもみなかっただろうな・・・」

きれいにまとめられた段ボール箱を一箱一箱開ける度に、何とも切ない気持ちになった。

新居での生活は短いものに終わった故人。
思い残したこと、やり残したこと、多くの未練があったもしれない。
「しかし、今頃は、最後の新天地でのんびり笑っている・・・」

身体も心も汚れやすい私は、ただただそう思いたかった。






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ロンリーチャッポリン ~アウトドア編~

2007-08-09 06:48:29 | Weblog
子供達の夏休みも折り返し地点にさしかかってきた。
地域によっては、既に後半に入ってるところもあるのだろうか。

「今のうちに、思いっきり遊んでおけよー」
「大人になったら、なかなか大変なんだからなー」
無邪気に楽しめる時間は、人生の宝。
真っ黒に陽焼けした子供達が走り回っている光景は、微笑ましいかぎり。

子供の頃の夏休みって40日もあって、本当に楽しかった。
見るモノ聞くモノ全てが新鮮で、ちょっとしたことにでも感動を覚えていた。
一体、あの時の感受性はどこに行ってしまったのだろうか。
もう、そんな純真無垢には戻れないと思うと、お盆を過ぎ、夏休みの残り日数が少なくなってきたときのような寂しさを感じる。
ま、今にして思うと、何もかもが遠い夢だね。

この季節の土日の道路は、いつもと違った混み方をする。
各高速道路の午前中は下りが渋滞し、午後は上りが渋滞する。
だから、そのルートに乗らないと現場に行けないときは、時間に余裕を持たせる必要がある。
そんな日は、朝も早くから夜も遅くまで仕事は続く。

行楽渋滞にハマって車をジリジリ進めていると、自然と他の車が目に入る。
楽しそうにしている家族連れや若いカップルを見ると、
「事故のないよう、気をつけてね」
と思う。
かつては、
「羨ましいなぁ・・・片や俺は・・・」
等と思って虚しさに気落ちしていたが、歳を重ねる度にそんな気持ちは薄くなってきている。
今でも、羨ましさや妬みがないわけでもないけど、かつて、他人の笑顔に嫉妬してばかりだった自分を思えば、今の自分はわずかでもマシな人間に成長しているのだろう。

例年は、夏に一度や二度は海に出掛けている私だが、今年はまだ一回も行ってない。
休みが全然とれてないから。
また、残念ながらとれる見込みもないから、今年は一度も行けないかもしれない。

仮に、行けるとしたらお盆前がいい。
お盆を過ぎるとクラゲがでてくるからね。
海に漂うクラゲって、ただでさえ不気味なのに、私から見ると汚腐呂に浮かぶ皮膚にも似てて、更に不気味。

何はともあれ、行楽先での事故にはくれぐれも注意されたし。
多くの溺死体や事故遺体、そして、残された家族の悲しみを目の当たりにしてきた私は、これを声を大にして言いたい。
私のように過剰に〝死〟を意識するのもつまらないけど、私達は常に〝死〟と隣り合わせ・表裏一体の状態で生かされていることも頭の隅に覚えておいてほしい。
無謀と勇敢さは違うし、スリルと油断も違うからね。
それを分かった上で、夏のレジャーを思いっきり楽しんで、いい思い出をたくさんつくってもらいたいと思う。


とある警察署。
担当の署員に連れられて向かったのは霊安室。
ドアを開けたら、部屋の中に充満していた腐敗臭が噴出。
手袋しか持っていなかった私は、マスクを取りに車まで戻った。

霊安室に入るとステンレスのテーブルに納体袋が乗せられていた。
袋の中身は、海から揚がったドザエモンらしかった。

腐敗が進むと、人間の身体は何倍にも膨れ上がる。
その納体袋の膨らみ方は、遺体の状態がかなり悪いことを想像させた。
皮膚は変色し表皮はズルズル。
パンパンに膨れ上がった身体は、腐敗ガスを内包してスポンジ状態。
当然、生前の面影はなくなり、かろうじて男か女かが判別できるくらい。
家族が見ても判別不能、肉親と言えども見ない方がいいくらい。

この溺死体は、事故なのか自殺なのか分からないみたいだった。
分からないのはそれだけではなく、住所・氏名・年齢etc、個人を特定できる情報は何もないみたいだった。
分かっているのは性別と体格、あとは死亡推定日くらい。
当て嵌まりそうな捜索願もなく、遺体は完全に身元不明の状態だった。

私の仕事は、この遺体を柩に納めて火葬場に運ぶこと。
遺体を見ても意味がないし署員もそれには反対したので、納体袋を開けることなく柩に納めた。
副葬品は、ゴミ袋に入れられた故人の着衣のみ。
悪臭の拡散を防ぐため、柩の蓋をガムテープで目貼りし、それを遺体搬送車に積み込んだ。
花も装飾もなく、その死を悼む者もなく、柩はゴミ箱のようであった。

柩を積んで向かった先は地元の火葬場。
そこまで、私と故人はしばしのドライブ。
目貼りが効いているとは言え、それでも柩は悪臭を放っていた。

「身元不明か・・・この人にだって親はいただろうし、子供の時分があったんだよな」
「こんな最期を迎えることになるなんて、誰も予想してなかっただろうな・・・」

到着した火葬場は閑散。
葬式もなく見送る人もない故人は、炉の空いている適当な時間に燃やされるみたいだった。

私は、入口に車をつけ、柩を降ろした。
そして、表情を引きつらせた二人の職員に引き渡した。
ただの同情なのか感傷なのか、汚いモノのように扱われる柩に、私は、何とも言えない寂さを覚えた。

人間、生まれるときも死ぬときも身体一つに変わりはないけど、産まれるときは孤独ではない。
母の胎につながれているから。
しかし、死ぬときは孤独。
孤独になりたかろうが、なりたくなかろうが、死ぬときは一人で逝かなければならないのだ。
最期は一人で迎える宿命にあるのなら、生きているうちから孤独を求めることって、案外、愚かなことなのかもしれないと考えさせられる。

「花くらい用意すればよかったかな・・・」
生命の寂しさを感じながら、職員に引かれていく柩をポツンと見送る私だった。





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ロンリーチャッポリン ~インドア編~

2007-08-06 06:47:52 | Weblog
梅雨が明け、本格的な猛暑が続くようになってきた。
ジッとしてても身体から汗と脂が滲みでてくるのに、身体を動かそうものなら汗は吹き出しすような勢いで流れでてくる。
私の仕事に限らず、この季節の肉体労働はキツいよね!

そんな一日を終えて入る風呂は格別。
汚仕事をして自宅に帰ると、まずは浴室に直行。
まずは風呂に入らないと、何をどうすることもできない。

夏場は、バスタブに湯を張ることは少なく、シャワーだけで済ませることが多い。
でも、暑くても、ゆっくりバスタブに浸かって寛ぎたいときがある。

でも、しばらく使わないでいると、バスタブはザラザラになっている。
そんなバスタブは湯を張る前に洗わなければならない。

「面倒臭いなぁ」
そう思うのだが、そんな時は自分が今までにやってきた汚腐呂掃除の苦労を思い出す。
すると、面倒臭さなんかどこかに消え失せ、普通のバスタブが洗えることを幸せにすら感じるのである。

風呂に入り、汗・脂・ホコリ、そして悪臭に塗れて汚れた身体を洗うとサッパリ、老朽ボディもそれなりにスベスベになる。
ついでに頭の中も洗って昼間のグロテスクも流してしまえば心身爽快。
あとは、口からアルコールを投入して雑菌だらけの脳と体内を消毒すれば、自分自身の特掃は完了。

ちなみに、私は、ボディーソープ・ヘアシャンプー・ヘアリンス等の類は使わない。
全て、ひとつの石鹸で済ませている。
俗に〝経皮毒〟と言われる余計な添加物が入っていない、古風な固形石鹸だ。
これは、お勧め。

私は、クサイ臭いに慣れ過ぎているせいか、人口的な〝いい匂い〟があまり好きではないのだ。
私にとっては、最近のシャンプー類は、〝いい匂い〟が強過ぎる。
香のオシャレが必要な歳でも仕事でもないし。
むしろ、それ以前に、ウ○コ男は回りに悪臭を放たないように気を配らなければならないんだよね。

身体を洗ったらバスタブに浸かる。
これがまたいい。
結構な長風呂になるけど、心臓がバクバクして額から新しい汗が流れてくるまで浸かってるのが好き。

できることなら、たまには広い浴槽を独占して脚を伸ばして入りたいもの。
温泉旅行なんて夢のまた夢だけど、銭湯や健康ランドくらいなら私でも行けるから、そうすればいいんだけど。
ただ、公衆浴場は他人と同じ湯舟、自分一人で独占なんてできるものではない。
やっぱ、孤独になれないところが難だね。


「随分と立派な家だなぁ」
現場の家は、高級感のある閑静な住宅街にあった。
立派な門扉にあるインターフォンを鳴らすと
「お待ちしてました、どうぞ」
と、家の女性が丁寧に応対してくれた。

門をくぐり玄関の方へ進むと、中年女性が出迎えてくれた。
玄関は、愛用の特掃靴で入るのが申し訳ないくらいにきれいで、家の中からもそれらしいニオイもしてこず。
私は、出されたスリッパに履き替えて、案内される方へ進んだ。

「ここなんです」
案内された先は浴室の前。
女性は、扉が閉まったままの浴室を指差した。

「バスタブに浸かったまま亡くなってまして・・・」
女性は、表情を曇らせた。
それは、故人の死そのものを悼むのではなく、この家からこんなかたちの死者をだしてしまったことに対する嫌悪感を露にしたような表情だった。

亡くなったのは、この家のお婆さん。
女性の姑だった。

前日の朝、いつもなら家族の誰よりも早く起きてくる姑が起きてこなかった。
最初は気にも留めてなかったのたが、朝食時になってもなかなか現れない。
さすがに気になり、部屋に呼びにいったが、そこに本人の姿はなし。
玄関を見ても、外出した形跡もない。
この時点で異変を感じた女性は、家の中に姑を探した。
そして、浴室の浴槽に沈んでいる姑を発見したのであった。

「心臓が止まるかと思いましたよ!」
変わり果てた姿の姑を発見したときは仰天!
女性は、故人を発見したときの模様を興奮気味に話してきた。

もともと故人は風呂好きで、マイペースでゆっくり入るスタイル。
だから、この家では一番最後に入るのが習慣になっていた。
また、同じ家に暮らしていても、故人は自室で一人で過ごすことがほとんど。
家族と顔を合わせるのは食事の時くらいで、日常生活での関わりも薄かった。
モノ音だけでお互いの存在を感じるような家族関係。

そんな家族関係は、故人の突然死を半日の間、風呂に沈めてしまった。
ポックリ逝ったのか苦しみながら息絶えたのか分からないけど、故人は長い時間を一人寂しく湯に浸かっていたことには違いなかった。
どちらにしろ、そんな家族を故人が望んでいたのかどうか、知る由もなかった。

浴室の前に立った私は、いつものように鼻をクンクン。
「わずかに臭いますねぇ・・・あとは私一人で大丈夫ですから、離れていて下さい」
「では、よろしくお願いします」
女性が居なくなるのを待ってから、私はマスクを着用。
そして、浴室の扉を開けた。

「〝臭いモノには蓋〟か・・・」
浴槽には蓋がしてあり、まずはそれを外すのが私の仕事だった。

「はぁ~・・・汚腐呂掃除か・・・」
とマスクの中でそうボヤきながら、ドキドキの蓋に手をかけた。

最近の風呂は便利なことに保温機能がついている。
この汚腐呂はそれが裏目にでた。
たった一晩浸かっていただけなのに、お湯(水)はコゲ茶色に変色。
濁りこそ少なかったものの、故人の皮膚がビニール袋のように水中を漂っていた。

〝一人でゆっくり〟がいいのは普通の風呂。
汚腐呂に限っては、一人でゆっくり入ってる場合じゃない。
それでも、一人寂しく黙々と片付ける私だった。

常々、〝人付き合いが苦手〟〝孤独が好き〟等と孤高を気取っている私だけど、社会やいずれかのコミュニティーに属している感心感があるからこそ言えるセリフだとも思っている。
本当の孤独は、私ごときではとても耐えられるものではないだろう。

やはり、人生は人に助けてもらいながら、支えてらいながら歩くもの。
「もし、この人がいなかったら・・・」
と、身の回りの人ひとり一人を見てみると、おのずと人間関係に謙虚さがでてくる。

一人の風呂をチャポチャポ楽しみながら、
〝みんながいるから一人がいい〟
ということに気づかされる私である。






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電話談義(後編)

2007-08-03 09:11:50 | Weblog
慣れたこととは言え、食事中に電話が鳴ると、ちょっと慌てる。
親しい相手ならいざ知らず、仕事の電話は口にモノを入れたままでは喋れない。

そんな時、「電話にでない」ことが許されない私には、二つの選択肢しかない。
一つは「急いで飲み込む」、もう一つは「吐き出す」。
もたもたしていると電話が切れてしまうので、即断・即決・即実行が求められる。
言うまでもなく、前者を選択する方がベターなのだが、モグモグし始めたばかりの段階では後者を選択するしかないときがある。
もちろん、人前ではできないけどね。

問題は、その後。
吐き出したミンチを再び食べるかどうか。
やはり、食べ物は粗末にはしたくないもの。
自分の口から出たモノを自分の口に戻すわけだから、一見は何の問題もないように思われる。
しかし、実際にそれを口に戻すときは、若干の抵抗がある。
グチャグチャになった外見はまったく美しくなく(どちらかと言うと、気持ち悪い)、体温を失った冷たさは、自分の口から出たモノであることに疑問を抱かせる。
この温度差が、何とも言えない違和感となって味と食感を損ねる。
ま、それをたいらげてしまえば、また気を取り直して食事を進めるのだが。

電話の内容と食欲のギャップも妙。
人の死にまつわることばかり、グロい話も少なくないのに、電話を終えると、私は何も聞かなかったかのように食事を進めることができる。
ほとんどの場合、凄惨な話を聞いたあとでも、食欲が減退するようなことはないのだ。
もちろん、ラーメン・ビーフシチュー・カレーライス・ウニ丼(他にもあったっけ?)の類も、今でも普通に食べられる。

いい言い方をすると「タフ」、悪い言い方をすると「麻痺」。
そんな成長した?(デリカシーのない?)自分が、とても悪い人間・汚い人間のように思えたりすることもある。
私は、やはり、どうかしちゃってるのだろうか。


話を戻そう。

「た、助けてー!」
の悲鳴に、私は驚いた。
口からでるクチャクチャとした雑音が入らないように、電話を口から少し離して相手の話を聞いた。

電話をかけてきたのは不動産会社。
管理しているマンションの一室で腐乱死体が発生。
住人からの緊急要請で、異臭を発する部屋を開けたところらしかった。

「ひ、人が死んでて・・・」
「とりあえず、落ち着いて下さい、大丈夫ですから」
「すぐに片付けて下さい!」
「遺体は、ありませんよね?」
「イヤ!あります!ここに!」
「え゛ーっ!?」

遺体が部屋にある状態での入電に、私も仰天。
プロっぽい貫禄をみせて相手を落ち着かせようとした気持ちが、一瞬にして吹き飛んだ。

警察以上に頼りにされたことを喜んでいいのかどうか・・・警察に通報する前にうちに電話してきた、珍しいケースだった。

「さ、先に警察!警察に電話して下さい!」
「警察!?」
「そうそう、警察です!110番!」
「あ、そうか・・・」
「すぐですよ!すぐ!」
「は、はい・・・」
「警察の処理が終わってから、また電話下さい」
「わ、分かりました」

電話を切った後も、私はしばらく興奮状態。
慌てて飲み込んだモノが食道に詰まったみたいな感じで、瞬時には食欲が回復してこず。
また、本件の電話は再びかかってくる可能性が大きく、気持ちをなかなか落ち着かせることができなかった。
もともと気が小さい特掃隊長は、ちょっと気がかりなことが発生すると、すぐに精神不安定に陥るのだ。

味を感じないまま食事を終え、電話を気にしながら日常を夜を過ごしていると、その日の夜遅く再び電話が鳴った。
既に落ち着きを取り戻していた私とは対象的に、不動産会社の担当者はまだハイテンションだった。

「遺体は警察が持って行きました!」
「そうですか・・・あとは 立入許可がでるのを待ちましょう」
「すぐには片付けられないのですか?」
「ええ・・・時間も時間ですから、立入許可がでるのは早くても明日になると思いますよ」
「そうですか・・・」
「心づもりはしておきますので、警察から指示情報があったらすぐに知らせて下さい」
「わかりました、よろしくお願いします」

結局、その現場には翌日の午後に出向き、特掃をやることになったのだった。
その内容は、別の機会にでも書こう。


それにしても、今年の梅雨はちょっと変だった。
それでも、やっと明けたみたい。

子供達はとっくに夏休みを満喫しているのだろうが、サラリーマンの夏休みはこれから。
今年の平均休暇日数は8日余らしい。
この数字は本当なのだろうか。
ま、公務員や大手企業がベースなんだろう。
ものスゴク羨ましいけど、私のような者には全く縁のない別世界の話だ。。
できることなら、その半分・・・イヤ、三分の一でいいんで私も休みが欲しい。

私の場合は、二日連休だって無理・・・それどころか、丸一日を完全に休めることも少ない。
予定の立たない不安定な仕事であるうえに、技術的にも精神的にも、特掃をできる人間が少ないことも一因。
また、いつでもどこでも連絡がとれる携帯電話があることも原因であるかも。

そんな私には、もちろん夏休みなんてない。
何も、今年に限ったことではなく、死体業に入ってからずーっと。
それらしいことと言えは、行楽・レジャーで楽しそうにしている人達を眺めて夏休み気分に浸り、臭いニオイを身体からプンプンさせながら青い空だけ眺めて、ささやかな休息を得るくらい。

あ~ぁ、たまには海にでも行って、のんびり休養したいもんだな。
仕事のことも世の悩みも全部忘れて。
しかし、それでも携帯電話は持って行ってしまうんだろうかな・・・。






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