特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

笑顔の想い出  ~2010epilogue~

2010-12-31 09:19:54 | Weblog
2010年12月31日、金曜日。
大晦日の東京は晴天。日向にいれば少しは暖かい。
しかし、残念ながら、私の気分は曇ったまま。そして、凍えている。
そうは言っても、晴れ間がないわけではない。
一時的ながら、雲の切れるときがある。
寒い今だからこそ、その分だけ空気は澄み、暗い今だからこそ、その分だけ青い空はきれいに映る。

心は空に映り、空は心に映る。
曇る日もあれば、雨の日もある。
雪も降れば、風も吹く。
晴れた日ばかりじゃないのは、自然の摂理、自然の知恵。
人生も、また同じ。
明暗寒暑それぞれに、はかり知ることのできない意味がある。

毎年のことだけど、今年も色んなことがあった。
色んな人との、色んな死との出合いがあった。
色んなことを教えられ、色んなことを感じ、色んなことを考えさせられた。
気持ちが落ちたこと、気分が浮かなくなったこと、ブルーな気分を引きずったこともあった。
もちろん、嬉しかったこと、楽しかったこともたくさんあった。
この経験が、この先にどう表れてくるものか、この経験を、来年にどう生かせばいいのか・・・
毎年、大晦日には、こんな感慨が湧いてくる。

今年は今年なりに、一生懸命にやってきたつもり。
しかし、仕事において、その必死さは、昨年よりも劣るように思える。
「休みなく働くこと」と「必死に・一生懸命に働くこと」は同義ではないと思うけど、何となく自分に甘くしてしまったように思える。
まだまだ、楽していい歳ではないはずなのに。
私に余計な思い煩いが多いのは、この辺にも原因がありそうだ。
でも、まぁ、浮かべた笑顔は昨年より多かったと思える分、幸せかもしれない。


現地調査の依頼が入った。
現場は、“孤独死+腐乱”。
亡くなったのは、50代の男性。
依頼者は、「知人」と名乗る中年声の女性で、「正式な依頼人ではない」とのこと。
私は怪訝に思ったが、細かいことは現地を見た後に確認することにして、現地調査の日時を女性と約した。

現場は、ある程度の築年数を感じさせる大規模マンション。
依頼者の女性は、約束の時刻を前に現れた。
女性は、どこか落ち着かない様子。
私に対して悪い態度をとることはなかったものの、その感情には、日常にないザワつきがあることが伺えた。
そしてまた、女性には、故人の死を悼んでいる様子はなし。
それどころか、もう何年も故人の存在すら忘れていたみたいで、本件に関わらざるをえないことがかなり迷惑そう。
「さっさと部屋を片付けて、売却処分するつもり」と、この後始末を早く終えたいようだった。

女性は、故人の元妻。
故人とは、20年数年前に結婚。
しかし、平和な結婚生活は長くは続かず、数年で離婚。
二人の間には男児が一人いたが、まだ幼かったこともあって、女性が養育することに。
その後、二人の間には、事務的な手紙のやりとりが数回あったのみ。
顔を合わせることや電話を交わすことはなく、近年はずっと音沙汰なしの状態が続いていた。

幼かった息子は、父親(故人)とは会うことなく成長。
そして、故人の死によってその法定相続人となった。
しかし、当人は、仕事の都合で海外に暮らしており、相続についての実務が担えず。
そこで、本来は相続権のない女性が、相続権者である息子の代理として動いていたのであった。

このマンションは、二人が結婚して間もない頃、新築で買ったもの。
大手施工の建物で、購入時の金額は安くなかったよう。
二人が別れて以降は、故人が一人で暮らしながらローンを払い続けていた。
女性は、間取りこそ記憶していたものの、具体的な状況は把握しておらず。
警察もまた、室内の様子を説明したうえで、“入らない方がいい”と女性に忠告した。

警察は、遺体の回収と同時に、財布と通帳・カードなどの主だった貴重品も回収。
遺体との面会は勧められなかったが、貴重品類は受け取るように促された。
ただ、それ以外の貴重品が部屋にあるかどうかまでは不明。
女性は、「たいした物はないはず」と興味なさそうで、また、それらを手に入れようとする気もさらさらなさそう。
結局、片付け作業の中で貴重品類がでてきたら取り避けておくことにして、私は、本件を任されることになった。


特殊清掃は、その日のうちに施工。
そして、その数日後、室内物の撤去作業を実施した。
女性の言っていた通り、女性に引き渡した方がよさそうな貴重品類はほとんど出てこなかった。
ただ、取捨を迷ったものがないわけではなかった。
それは、TVラックにしまわれた数冊のアルバム。
その装丁はかなり古びており、年代物であることが一目瞭然・・・
チラッと中をめくると、中には何枚もの古い写真・・・
そこに写っていたのは、故人らしき若い男性、若かりし頃の女性、小さな男の子・・・
それは、家族三人が共に暮らしていた頃の写真なのだろう・・・皆が幸せそうな笑顔を浮かべていた。

私は、それを処分するかどうか迷った。
勝手に処分したからといって、文句は言われないはず。
そうは言っても、ひょっとしたら、“とっておきたい”と思うものかもしれない。
私は、しばらく、その取捨を迷い、結局、女性に確認することに。
間違って捨てないよう、少ない貴重品とともに押入れの隅に隔離した。


部屋を空にしてから数週間後・・・
室内には二十数年分の生活汚損は残ったものの、臭気は通常のレベルにまで回復。
請け負った作業が完了し、私は、空になった部屋で女性と再会した。

「とりあえず、請け負った作業は完了しましたので」
「ありがとうございます」
「この後、売却されるんですよね?」
「はい」
「少しでも高い値がつくといいですね」
「息子に決めさせますけど、多分、買って下さる方の言い値で処分することになると思います」
「そうですか・・・」
「もともと自分達のものではありませんし、息子にとっても思い入れがある部屋ではありませんから・・・」
女性にとって、そこは、元の自宅。
離婚して依頼、一度も訪れたことがなかったとはいえ、結婚当初の想い出がつまっているであろう部屋。
しかし、女性のサバサバとした態度は、最初に会ったときと変わりなかった。

「必要なものかどうかわかりませんけど・・・」
「???」
「部屋に写真がありまして・・・」
「写真ですか?」
「捨てていいものかどうか判断しかねたものですから・・・」
「・・・」
「いらなければ、処分しますけど・・・」
「写真ねぇ・・・」
女性は、怪訝の表情。
興味なさそうに、手渡した袋から一冊のアルバムを取り出した。
そして、無言のまま、ページをめくった。

「見たところ、昔の写真みたいですけど・・・」
「ですね・・・」
「どうです?必要なものですか?」
「んー・・・」
「いらなければ、回収していきますけど・・・」
「“いらない”って言えばいらないものですけど・・・」
「・・・」
「でも・・・せっかくですから、持って帰ります・・・ありがとうございます」
若き日の想い出が甦ったのだろうか、女性の表情はにわかに緩んだ。
そして、昔を懐かしむ心情が、その表情に見え隠れしはじめた。
一考の末、女性は、写真を持ち帰ることに。
わざわざアルバムを取り避けておいた私に義理立てしてくれたのかもしれなかったけど、女性は、どことなく嬉しそうな笑みを浮かべた。
そして、そんな女性の笑顔に、私は心をあたためられ、ひと仕事を終えたのだった。


今の私は、笑顔をつくれるような気分ではない。
外でみせるプラスティックスマイルも引きつり気味で、浮かない顔・力ない表情をしている。
明日からの2011年も、自分にどんなことが起こるのか、自分に何が待っているのか、“楽しみ”よりも“不安”の方が大きい。
しかし、楽しくたって苦しくたって、この現実は夢幻。
いくら浮いたって、いくら沈んだって、永遠の現実ではない。
いつか、夢幻の想い出に変わるのである。

“想い出”っていいもの。
私は、想い出をあたためるのが昔から大好きである。
そして、それを反芻することも。
忘れたくても忘れられないものもあれば、忘れたくなくても忘れてしまうものもあるけど、それがしまってある引き出しは自分で選べる。
笑顔の想い出だけを取り出すことができる。
そして、そんな想い出は、今と未来をあたためてくれる・・・自分を癒し、励ましてくれるのである。

隊長最後の2011年に一つでも多くの笑顔が残せるよう、今宵は、好きな酒でもゆっくり飲んで、冷えた心をあたためよう・・・
笑顔の想い出を肴にして。




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Merry Christmas ~自分へ~

2010-12-24 11:59:40 | Weblog
こんな時だからこそ「Merry Christmas」
こんな私だからこそ「Merry Christmas」
こんな世だからこそ「Merry Christmas」

希望を持とう。
勇気を持とう。
元気をだしていこう。
そんなに悩むほどに人生は長くないのだから。

澄みきった青天を心に仰ぎ見つつ・・・
一人一人に「Merry Christmas」
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新生の希望

2010-12-19 15:04:19 | Weblog
前回は、ホントに情けないことを書いてしまった・・・
私に対する個々の心象とは別に、私が発するマイナスのオーラが、誰かに伝染していないか、周りに害を及ぼしていないか気になる。
それでも、人は、励ましのコメントを書いてくれる。
多くの人が、私の欠陥やウサン臭さを攻撃することなく、励ましてくれる。
今は、外からくることに対して涙するほどの体温さえ失った状態だけど、本来の私なら、涙するところ・・・
アルコールでも入って、ホロ酔っていたら号泣するところだ。

いつの頃からか、私は涙もろい人間になっている。
“冷めたヤツ”“機械みたいな人間”と言われていた若い頃がウソのようだ。
人前で泣くのは避けているけど、現場で、車中で、自宅で、ちょっとしたことで目が潤む。
いい歳したオヤジが涙する姿なんて、美しくもなんともないけど、内から湧いてくることに対して少なくとも一週間に一度は泣いているように思う。
特に、最近は、二日に一度は泣いていると言っても過言ではない。
人らしくなったことはいいことかもしれないけど、この泣き虫はちょっとヒドイかも。
ただ、それらは、感謝・感動・喜び・苦しみの涙であり、悲しみの涙ではないことが救いである。

今のこれって、重症なのか軽症なのか、病気なのか気の持ちようでなんとかなるものなのか、自分でもわからない。
ただ、病院に行ったり薬を飲んだりする気にはなれない。
本質的に、それらに効果がないことは自分が自分に実証しているから。
ましてや、入院療養なんて、まっぴら御免。
その後、社会復帰できる保証はどこにもないうえ、そんなことしてたら食べていけない。
更にまた、それが原因で症状が悪化する可能性も大だし。
長期離脱した後に社会復帰する辛さがどれだけのものか・・・その辛酸を舐めたことがある私には、とてもそんな勇気は持てない。

勇気がいるのは、年末の風物詩である忘年会も同様。
やはり、この時季は、忘年会など飲み会が多くなる。
この精神状態で参加する飲み会は、かなりキツイのである。
ただ、幸いなことに、例年に比べて、今年は、参加しなければならない飲み会は少ない。
いつもは、だいたい4回~5回くらいはあるのだが、今年は2回。
一回はもう終わったので、残すところあと一回だ。
その日のことを思うとかなり憂鬱だけど、「たった数時間のこと」と思ってガンバルしかない。

若い頃は、“ノリの悪いヤツ”“付き合いの悪いヤツ”と思われるのがイヤだった。
でも、今は完全に“家飲み派”。
周りに評される付き合いの悪さもノリの悪さも、気にならない。
ストレスを感じながら飲む酒が美味くないことも理由にあるけど、その前に、人との会話がとにかく億劫。
元来、日常会話が下手な私。
興味・経験・知識を持っている分野に関することで質問に応えることや、決まったテーマで喋ることは、そんなに不得意ではないのだが、一般的な世間話や雑談は不得意。
したがって、できるかぎり、一人で大人しくしていたいのである。

今、内面はこんな状態でも、外観上は比較的普通に見えていると思う。
親しい人には正直な状態を伝え、顔つきに異変が表れていないか確認するようにしているけど、そうでない人には普通の態度を心がけて心情を吐露しないから。
程度に差こそあれ、世の中には、同じように重荷を背負い、逆境に耐え、もがき苦しみながら生きている人はたくさんいるだろう。
そして、私と違い、それでも楽観的にハツラツと生きている人もたくさんいるだろう。
そんな人達と自分を比べる必要はないのかもしれない・・・
そんな人と自分を比べることは愚かなことかもしれない・・・
しかし、そんな性質が与えられた人を羨ましく思い、変えたくても変わらない自分を惨めに思ってします。
この浮かなさは、ハンパじゃない。

ただ、こんな状態でも、希望がないわけではない。
今年は、受け止め方に変化がみられるのだ。
この陰鬱な苦悩は、自分が少しでもマトモな人間になるための、自分への訓戒、指導、教示、訓練ではないか・・・
今年は、何故かそういう受け止め方が与えられ、そこに希望を抱いている。

人(私)は弱い。
自分を変える力を持たない。
しかし、多くの人が、「自分を変えたい」といった願望を持つ。
理想の自分像を抱いている。
私にも、理想の自分がある。
「マトモな人間になりたい」という願望がある。
もちろん、私が私であるかぎり、人間が人間であるかぎり100%マトモになることはありえないのだけれど、それでも、少しでもマトモになりたいという願望と、マトモに変われるかもしれないという希望があるのである。

若い頃、
「他人は、自分を変えてくれない」「自分を変えられるのは自分だけ」
といった考え方を持っていた。
世の中に出回る自己啓発・自己改革のための思考法もほぼこれに類していた。
そのため、当時から“変えたがり”だった私は、そんな世の中の価値観を頼りに、自己啓発に勤しんだこともあった。
しかし、今は、
「変えることができるのは、表面的なことだけ」「本質的に、自分で自分を変えることはできない」
といった考え方になっている。

「人は、変わることができない」「自分を変える必要はない」
と言いいたいのではない。
「自分を変えたい」「自分は変われる」
と思うことを否定しているのではない。
「自分は、変わることができる」「自分は、自分を変えることができる」
との考え二つを混同して過信しないことが自分には大切であることを、自分に理解させたい。
そして、虚しい疲労感をもたらす余計な力みを自分から抜きたいのである。

皮肉なことに、「変わりたい!」と必死になれるのは、苦しいときや悲しいときが多いのではないだろうか。
残念ながら、嬉しいことや楽しいことをきっかけとして、自分の深いところは、なかなか変えられない。
人は、辛いことや苦しいことを通してこそ、真に変えられるのではないかと思う。
自力で変えられないことが変えられるために、この欝があるとしたら、まんざら悪いことばかりではない。

これは、
「生まれ変われるチャンスは毎日にある」「ピンチは絶好のチャンスになる」
といったありきたりの言葉では伝えきれないもの。
また、
「苦悩は新生のチャンス」
として、安易に薦めることはできないもの。

それでも、このまま、陰鬱な悩みに支配されて老いていきたくはない。
自分の死期を悟ったとき、
「あー・・・おもしろかった!」
と、微笑める人生にしたい。
そのためにも、この時期を、新生のためのプロセスと捉えて希望を持ちたいと思う。
そして、これがいつまで続くかわからないものであっても、忍耐をもって過ごしたいと思う。




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弱音

2010-12-11 17:53:53 | Weblog
2010年も師走に入った。
夏が終わったのなんて、ついこの前のように感じられるのに・・・
毎年の口癖だけど、一年経つのは早いものだ。
そう感じるのは、年の瀬だからだろうか。
それとも、“年の瀬”ならぬ“歳のせい”?

私は、師走の慌ただしい雰囲気が好きである。
いい歳したオヤジに、とりわけ楽しい予定が待っているわけでもないのだけど・・・
ただ、冬休み・クリスマス・正月・お年玉・買い物etc・・・子供の頃の師走には、楽しみなことがたくさんあった。
思い返すと、懐かしい。
今、子供の頃に比べて楽しみなことが減っているように思えるのは、「感受性の鈍化+楽しみの種類の変化」のせいだと思う。
だから、そう悲観することもないかもしれない。

この師走を、子供の頃のように楽しめない理由は他にもある。
そう・・・精神の落ち込みだ。
今年は、早々と夏からイヤな気配があったけど、まさに今、下り坂を転げ落ちている感じ。
例年にも増して、状態は深刻。
原因不明の疲労感と脱力感、不安感と虚無感が身体中を占めている。
身体に力が入らず、不眠症が更に重症化。
食欲は減退し、好物の酒さえ不味くなっている。
何もかも否定的にしか受け取れず、何もかもが不安材料になり、何もかもが重荷になる。
ヒドいときは、身体を動かしているわけでもないのに呼吸が乱れ、心臓の鼓動が大きくなる。
・・・これって、病気なのだろうか・・・

病気のせいにしてしまえば楽なのかもしれないけど、そうでないことは、自分がよくわかっている。
ただ、甘ったれているだけ。自分が弱いだけのこと。
理屈ではそうわかっていても、これがどうにもならない。
この性格・性分は、どうにかならないものか・・・
「ならば」と開き直って受け入れようと試みるけど、やはり、こうして拒絶反応がでてくる。
これがまた辛い。苦しいのである。


つい先日も、ヒドく落ち込んだ朝があった。
重い疲労感と虚無感が頭と心を支配して、自分が支えられないくらいに陥った。
その日は、たまたま休暇をとっていた。
夕方になると、比較的、落ち着いてくるのがパターンなので、ずっと布団にもぐっていることにしようかと考えた。
しかし、若い頃、引きこもりを経験したことがある私。
休暇にかこつけて、一日中、布団にもぐっていることに大きな危機感を覚えた。
そして、何か手を打つことを考えた。

「どこか景色のいいところにでも出かけてみるかな・・・」
私の頭には、何となく、そんな思いが浮かんだ。
他に、コレといった策を思いつかなかったこともあり、海を見に行くことに。
普段は、そう思っても面倒臭くて出かけないのだが、その時は、とにかく、鬱々とした気分を何とかしたくて、ワラをもつかむような思いで決めたのだった。

出かけたのは、普段、よく見る東京湾ではなく、外房の太平洋。
天候は、晴れ時々曇り。
時折、太陽は雲に隠れたりしたけど、頭上には青い空が広がっていた。
気温は、この時季としては高め。風も微風。
厚い防寒着を着ていなくても、外にいることができた。
平日の昼間で、人影はまばら。
それでも、浜辺には、サーファー・散歩をする人・楽器の練習をする人・私のように一人で佇んでいる人・・・様々な人がいた。

私は、何に思いを廻らせればいいのかもわからず、ただただ、気分が明るくなることを期待しながら、人々の姿を、目の前に広がる海を、頭上を覆う空をボーッと眺めていた。
そうして、数時間が経過・・・
自然に癒されることって多いけど、そうでないこともあるもの。
深呼吸のつもりでする呼吸も、溜息になってしまうような始末で、残念ながら、何時間いても気分は浮揚しなかった。
結局、五時間くらいが経過したところで、私は、自分を元気づけることを断念。
“自分の精神は、自分でコントロールできない”
“自分の心は、自分で変えることはできない”
あらためて、それを痛感させられ、重い心と脚を引きずって帰途についたのだった。


依頼された特掃の現場は、住宅地に建つ一般的なアパート。
そこで、30代の男性が包丁で自分の心臓を突き刺し自殺した。
部屋は、よくありがちな1DK。
玄関は小さな台所と兼用で、その奥に居室が見えた。
私は、鼻に感じる血生臭さから、靴を脱ぐ必要がないことを察知。
「失礼しま~す」と小さくつぶやいてから、室内に足を踏み入れた。

部屋の床の大部分には、赤褐色の汚れが付着。
ただ、発見が早かったとみえて、その大半は、腐敗液ではなく血液。
その特清作業は、血液の乾き具合によって難易度が変わる。
どちらにしろ、根気のいる作業にはなるのだが、私は、汚れの硬度を観察するため、腰を屈めて、床に目を近づけた。

床には、食べ物ゴミ・新聞雑誌・書類などが散乱。
それらに付着した血液が、起こったことの現実性を念押ししてきた。
私は、その中に、何枚ものメモを発見。
読むまいとする意思に反して、私の視線はそれらに吸い寄せられ・・・
それは、故人が、生前、自分を励まそうとして書いた言葉、そして弱音の数々・・・故人の“戦跡”だった。

私は、自死そのものは否定する。
それによって生じる実害が、確かにあるから。
泣かされる人、人生を狂わされる人がいるから。
しかし、自死した人のことは否定できない。
すべてではないけど、少なからず、その気持ちがわかるから。
故人が経た戦いの苦悩に、真の生気が感じられるから。

包丁で心臓を刺しての自殺は、ケースとしては多くはない。
不適切な表現かもしれないけど、インパクトのある方法だ。
そして、その痕の光景も衝撃的。
凄惨を極める。
それを平常時に戻すのが私の役目。
どこか病んでいる私にとってそんな仕事は、単なる仕事を超えたものになる。
故人に対し、嫌悪感でもなく、同情心でもない、何か同志的な感情が湧く。
そして、“今の今の今”と、そこを生きていることを充分に感じさせてくれるのである。


自分にとって都合のいい言い方をすると、私は、繊細な人間なのかもしれない。
しかし、“神経質な軟弱人間”とした方が適当そう。
日頃、ポジティブなことを書き連ねながらも、また一方で、それと矛盾するネガティブな弱音を吐いている。
弱音を吐かないに越したことはないけど、どうも私は、そんな性分にないようだ。
ただ、まだ何とか生きようと格闘しているからこそ、弱音がでるのかも・・・
そして、私には、こうして弱音を吐ける場所があるから幸せなのかも・・・
弱音を聞いてくれる人がいるから、恵まれているのかも・・・
そして、まだ、軽症だから、こうしてブログが書けているのだろう。
それこそ、私が、弱音を吐かなくなったらおしまい。
だから、これからも、弱音や愚痴の類は、大いに吐かせてもらうつもり。

めでたい正月や楽しいクリスマスを前にした年の瀬に、こんな話題を持ち出して、ホント気の効かない男・・・
何かを期待してこれを開いてくれる読み手の方々には、大変、申し訳ない。
ただ、こんな弱っちいヤツでも何とか生きていること・生きようとしていることを踏み台にして、明日へ、そして2011年へジャンプして






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