特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

知らぬが仏

2024-05-25 05:30:35 | ごみ処分
特殊清掃と遺体処置のダブル依頼で現場へ。故人は中高年女性。

何人かいた遺族にお悔やみを述べ、

「よろしくお願いします」

と言われて家の中に入った。泣いている人も何人かいたが、一人だけ態度に落ち着きがなく、私にピッタリくっついて離れない人(中年女性)が居る。故人と同居していた長女らしい。


「妙な人だなぁ」

と思いながら、とりあえず遺体の安置されてある部屋へ。遺体には不自然なくらい(顔が隠れるくらい)に布団が深く掛けてある。それを見て更に妙に思った。
長女は、私に何かを言いたそうにしているのだが、他に人がいるから言えないといった様子で、歯がゆそうに私の動きを逐一監視していた。

その様子を感じ取った私は、

「遺体処置作業の都合」

ということで長女だけ残して他の遺族には席を外してもらった。葬儀では長女が喪主を務めるということだったから、ちょうどいい口実だった。
長女は、二人きりになってもしばらく黙っており、何となく気まずい雰囲気。
突然、

「事情がお分かりですか?」

と尋ねてきた。

「ん?事情?」

と、私は少々けげんな顔をしてしまったと思う。

でも、遺体を見てすぐ分かった。

掛布団めくってみると、首には季節はずれのマフラー?スカーフ?みたいなものが当ててあった。内心

「首吊りかぁ・・・」

と思いながら、その布をとってみた。やはり、首にはクッキリと紐の痕がついていた。

「事情って、このことか」

と思いながら、長年の経験がある私は首吊自殺くらいでは驚きはしないから、長女には

「慣れてるから平気」

であることを伝えた。


しかし、長女が気にしていたのは全く違うことだった。

「故人が自殺死であるということは、家族・親族内では自分以外誰も知らないし、これからも隠し通したい。」

と言うことだったのである。


これには、ちょっと驚いた。早朝、首を吊った母親を発見し、自分一人で降ろして、布団に寝かせ、家族には突然死(自然死)に見せかけたというのだ。救急隊員や警察にも、他の者には知られないようにお願いしたとのこと。

そんな話を部屋から声が漏れぬようヒソヒソ話。そして、私への要望は、

「遺体を誰が見ても首吊自殺だと分からないようにして欲しい」

というものだった。

その要望自体は大して困難な作業ではないので、快く引き受けて無事完了(細かい作業内容は内緒)。その仕上りに、長女も私も満足。
作業が終わってから部屋を開放し、遺族の皆さんに集まってもらった。
皆が皆、自然急死だと思っているので、故人の子供や孫達をはじめ、かなりの人が

「お母さん(お婆ちゃん)、可哀想に・・」

等と言いながら泣いていた。


長女は、肩の荷が軽くなったようで、表情も穏やかになった。仕事を終えた私は、遺族で混み合った家の中で長女と目で会釈を交わしから現場を後にした。


故人の死去を聞いて駆けつけてきた親類に対しては時間稼ぎもできるし、何とか隠すことができても、同居している夫や子供達にまで隠し通していたのは見事であり、表現がおかしいかもしれないが感心した。

長女には長女なりの情があった故のことだろうし、その家族・親族にも他人には分かり得ない事情があったのだろう。


何がともあれ、これが、長女が母親にしてあげられる最期の親孝行だったのかもしれない。



トラックバック 2006/06/24 08:38:38投稿分より

遺体処置専門会社
ヒューマンケア株式会社
0120-74-4949

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死体と向き合う

2024-05-24 05:42:08 | ごみ処分
読者の書き込みの中にある質問で多いのが、この仕事をやっている動機ややることになったきっかけは?というものと、収入の金額を尋ねる内容のものである。あとは・・・幽霊についての質問などもあった。

先日も書いたが、ご質問についてはブログを通じてお応えするつもりである。
もちろん、全ての質問には応えられないだろうし、答えたくないネタには触れないので、ご容赦願いたい。そして、賛否両論もあり、読者個々に色々な感想を持たれるだろうが、書いている内容はあくまで私個人の主観であり、偏見や先入観があっても自然なことだと思っていることも併せてご了承を(つまらないジョークもね)。
ただ、できるだけ率直な気持ちで持論(自論)を吐こうとしているだけで、決して正論を書いているとか、人の上に立っているという勘違いをする程バカではないと自認している。


今回は、この仕事をやっている動機・きっかけについて簡単に記そう。
動機・きっかけをきれいに言うと、「好奇心」である。悪く言うと「現実逃避」とも言えるかもしれない。

東京都内の三流私立大学卒の私は、学生時代はアルバイトと遊興三昧。学業はおろか、就職活動業もまともにやらなかった。当時は、企業の求人に対して学生の方が少ないような好景気だったから、同級生達は皆、名の知れた企業(ほとんどが上場企業)へと就職していった。

そして、私はそのまま卒業し、社会的な肩書はいきなり「学生」から「無職」(当時はプータローと呼ばれていた)へ。住所不定じゃなかっただけマシかもしれないが、22歳で無職の私は、いきなり社会(家族)からダメ人間の烙印を押されたのである。

特に専門的な資格・技能を持っている訳でもなく、他人に抜きん出た能力がある訳でもなく・・・一番問題だったのは夢(やりたい仕事)がなかったということ。他人からすると、バカバカしいくらいワガママで自分に甘くて弱々しい人間に見えたことだろう。


そういう状況で、人から非難され続けると、次第にやる気が減退していき、徐々に鬱状態になっていき・・・そのうち「人生の意義」とか「生きる意味」とかを考えるようになり、生きる気力を失っていった。

そして、極端な鬱状態に陥った。学生時代の楽しかった思い出ばかりに浸り、幸福を空想し、実家の一室に引きこもった。そんな生活が半年続いた。
「このまま生きていてもいい事は何もない」「自分の将来には辛くて苦しいことばかりが待っているだけだ」「生きていても仕方がない」と考えるようになっていった。
そして、とうとう自殺を図ったのである(自殺未遂の詳細は省略。思い出したくないので。とにかく、心身ともに辛かった!)。


幸か不幸か自殺は未遂に終わり、私は生き残った。助けてくれた方々に申し訳ないけど、その時は生き残った喜びはなかった。
とにかく、周りの人々・家族に大変な迷惑をかけてしまったことは事実。

とりあえず、生きてみることにした私は、夢や生きがいを求めるのはやめて、ただ少しでも興味の持てそうな仕事を探した。精神科と職安と立呑屋に通いながら。
その時点では「新卒」ではなくなっていたものの22歳の私に選べる仕事はたくさんあった。しかし、人生を悲観している私でも、何故か将来(人生)が先読みできてしまうような仕事に魅力を感じなかった。
そうこうしているうちに巡り合ったのが「死体業」であり、好奇心の赴くままにその世界に飛び込んだのである。その時も、「あとはどうにでもなれ」という、人生を投げやりに思う、短絡的な気持ちがあったのも事実。


さて、応募して面接に行みたら・・・年齢も若く華奢に思われたのか、最初の面接でいきなり不採用にされてしまった(もちろん、精神科に通っていることは内緒にしていたのだが)。

さすがに「不採用」はショックだった。

「こんな仕事なんだから、雇主からすると即採用、大歓迎に違いない」

と高飛車にたかをくくっていたのである。

「三流とは言え大卒だし、年齢も若いし、どこに不採用にする要素があるんだ?よりによって死体業なんかで」

と全然納得できなかった。そう、つまり、私自身が死体業を蔑み見下していたのである。


しかし、せっかく生きることにして探し当てた仕事である。そう簡単に諦める訳にはいかない。と言うか、不採用に納得できなかった。しつこく不採用理由を問い合わせているうちに、雇主も私を相手にするのが面倒臭くなったみたいで、とりあえず押し掛け状態で仕事に就かせてもらった。

後から聞いた話だが、雇主は、「どうせ2~3日もすれば根を上げて辞めていくだろう」と思って、私には特にキツイ現場の下働きをさせたらしい。
それが、一ヶ月経っても二ヶ月経っても辞めない、半年くらいした時点では完全に戦力の一員になっていて、やっと正スタッフとして認めてもらえた。
当時のスタッフは皆、訳ありの中高齢者ばかりだった。黙々と仕事に励んでいるうちに、始めは冷たかった先輩達もはるかに年下の私を親切に可愛がってくれるようになっていた。


家族は?というと猛反対!仕事の影響でまた自殺を図ろうとするかもしれないと心配したのか、私の将来を心配したのか、世間体を気にしたのかは分からないが。お陰で?家族には、最初の何年かは勘当・絶縁状態にされてしまった。
とにかく、中途半端なことはしたくなかったし、反対した人達への意地もあったので、どんなに辛くても三年は辛抱しようと心に決めて働いた。
「石の上にも三年」「桃栗三年・・・」とも言うし。

最初は下働き中の下働き、キツイことや辛いこともあったけど、面白い事や楽しい事、もちろん刺激的な事もたくさんあった。仕事を始めてから半年で精神科も中退した。医師の判断による卒業ではなく、自分の判断による中退である。医師のカウンセリングや病院から処方される薬より、遺体から受ける無言のカウンセリングと遺族の反応という薬がバッチリ効いてきたのである。
あれから十数年・・・そのまま現在に至っている訳である。

人間は歳を重ねれば感性や価値観、ものの考え方も変わる。
正直言うと、

「大手上場企業に勤めてみたかったいなぁ」

とか

「堂々と人に言える仕事がしたいなぁ」

と思うことは何度もあった。大学時代の友人や世間一般の人と自分を比べてみて、今でも劣等感を覚えることがある。

学生時代の友人とたまに一緒に飲んでも、

「その手きれいか?」

「臭いはとれているか?」

等と冷やかされてしまうような始末である。
露骨な奴になると

「うェ~」

と嫌悪の悲鳴をあげてくる奴もいる。でも、それがまともな神経なのかもしれないし、否定できない現実。今更、気分も悪くならない。

悲しいかな、人生は一度、身体も一つ、複数の道を歩く事はできない。自分の仕事と人生、歩いてきた道と歩いていく道を想い、

「これでよかったんだろうか・・・これでいいんだろうか・・・」

と疑問に思ったり、将来を不安に思ったりしない訳でもない。後悔がないと言えばウソになる。

ただ、何故か、この仕事をやめようと思ったことは一度もない!
現在の私自身の微妙な心理と葛藤を正確に伝えるのは難しいが、それでも

「仕方なくやっている」

とか

「嫌々やっている」

とは思わないでもらいたい。


ついでに言うと、世のため、人のためにやっているつもりもない。これはビジネスである。他人の役に立つこと、喜んでもらうことは結果論・成果のひとつであって、それは初動の動機ではない。もちろん、私に仕事を依頼することによって、依頼者に満足して感謝してもらえれば素直に嬉しいし、今後もそういう仕事をしていきたいと思っているが、私は、社会貢献を口できるほど立派な人間ではない。私には「世の為、人の為」なんて、僭越過ぎる。

また、読者が私を賞賛や励ましの書き込みをくれるのは大変ありがたいし、とても嬉しいことだが(そんな書き込み大歓迎!)、勝手に私のことを善人・それなりの人格者(または極端なその逆)だと勘違いしないようにだけは気をつけてもらいたい。私は、ただただ風変わりな仕事をしている凡人。

ただ、次元は低いかもしれないが、私はこの仕事を通じて、自分なりの哲学やポリシーを育んできた。それは今も一件一件の仕事や読者からの書き込み通じて成長している。
きれい事を吐くようだが、身体は汚しても心まではできるだけ汚したくないとも思っている。


今回は(も?)堅苦しくつまらないブログになってしまった。気の利いたオチもなくて申し訳ない。


ちなみに、読者の皆さんは私のことを「管理人」「隊長」「Clean110」等と呼んでくれているが、呼称も「特掃隊長」とかに統一してもらえれば少し満足(?)。



トラックバック 2006/06/23 08:31:06投稿分より

-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社


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貧しさと切なさと心細さと

2022-11-28 07:00:22 | ごみ処分
11月も下旬、師走が目前に迫っている今日この頃。
朝晩はもちろん、陽によっては日中も寒さが感じられるようになっているが、そんな季節の移ろいをよそに、春だろうが夏だろうが、懐はず~っと寒いまま。
足音聞こえる真冬に忖度しているわけでもないだろうに、温かくなりそうな兆しは一向にない。

少し前、TVの報道番組で観た切ない話。
そこでは、コロナ禍、円安、物価高により、経済的に困窮している人に焦点を当てたコーナーで、何人かの実例が取り上げられていた。
これを観ても明るい気分にならないことはわかりきっていた。
しかし、他人事として片付けられない不安感に駆られて、チャンネルを変えることなく視聴した。

派遣業の20代男性。
仕事がなく、取材時の所持金は百数十円。
働く気があっても 自分に回ってくる仕事はわずか。
少し前まではネットカフェで寝泊りできていたものの、金がなくなり路上生活に。
何度か役所に生活保護の相談に行ったが、「若いから」「住居がないから」と門前払いになっていた。

零細企業経営の50代男性。
コロナ禍で売上が激減。
それでも、「コロナが過ぎれば復活できる」と希望を持ち続け、事業を継続。
しかし、コロナは一向に収束せず、それに物価高と円安が追い討ちをかけ、経営は更に悪化。
ほとんどの社員を解雇しても赤字は解消せず。
貯えも底をつき、本業以外のアルバイトで何とか生活を維持していた。

ホームレスの50代男性。
支援団体のサポートにより、雑誌を路上販売しながら生活。
しかし、日々の収入の波が激しく、一日の収入は数百円から数千円。
路上生活から脱出するには程遠い金額で、食事がとれないこともしばしば。
おまけに、行政により住み慣れた公園からも追い出され、新しいネグラを探すしかない境遇だった。

この類の話を書いていると思い出すことがある。
それは、K県Y市N区K町。
もう、十年以上も前のことになるだろうか、そこで2~3度仕事をしたことがある。
職業紹介所を中心に、ドヤ(簡易宿泊所)、反社っぽい事務所、そして、朝から酒を飲める飲食店等々が密集。
失礼な言い方になるが、ボロい建物が多く、ただの偏見なのだが、悪臭を感じるような全体的に不衛生に思える雑然とした街。
今はわからないが、かつては「日雇労働者の街」と言われ、当時は、「治安が悪い」とされていた。

実際に行ってみると、目的もなさそうにフラフラと歩いている人、昼間から店先で酒を飲んでいる人、路上に屯してタバコをふかしている人、歩道に寝転がっている人があちらこちらに・・・
そこには、「いかにも」といった荒れた光景が広がり、一般市民が近寄り難い不穏な空気があった。
出向く際、街を知る人から、
「警察も取り締まりに来ないから路上駐車しても大丈夫」
「ただ、“当り屋”がいるから車の運転には気をつけろ」
と言われ、そのエリアでは、慎重に前後左右の安全確認を行いながら最徐行。
また、
「車の外から見えるところにバッグとか置くな」
「食べ物もガラスを割られて盗まれる」
と言われ、外から見える座席には何も置かず。
しかし、そのように気をつけていたにも関わらず、ほんのちょっと目を離した隙に、私は、車の陰に置いておいた工具箱を盗まれてしまい、自分の甘さを痛感させられた。

多くの庶民が貧しくなっている現実は、私が長々と書き連ねるまでもないこと。
この30年、日本人の賃金が上がっていないことは、誰もが知る通り。
反面、物価や社会保険料・税金が上がっているのだから、実質賃金は低下。
「一億総中流」と言われていた時代は過去の夢物語。
日本の貧困層は拡大するばかり。
かつての中間層は貧困層に転落し、一部の富裕層だけが豊かさを独占。
とはいえ、今では、その富裕層さえ、世界的にみると増加数は著しく少ないそう。

年のせいもあり、最近、年金について興味を持つようになってきたのだが、年金制度も然り。
保険料は上昇、支給額は減少、納付期間は延長、受給開始時期は平均寿命に近づく一方。
それでも、老後の生活を年金だけで維持できるのは一部の人。
多くの人は、年金だけではやっていけず、極端な節約生活をするか、働いて副収入を得るか、どちらかしないと生きていけない。
まさに「死ぬまで働け!」「働けないなら死ね!」と言われているのと同じこと。
なんと心細いことか・・・
私が、俗にいう「負け組」だからそう感じるのかもしれないけど、ここまでくると、夢も希望も持てず「あまり長生きしない方がいいのでは・・・」と思ってしまう。

国民一人一人の苦境もさることながら、日本の行く末にも暗雲が垂れ込めている。
「販売力」だけでなく「購買力」も含め、国際競争力は低下の一途をたどっているよう。
「先進国」と言われる我が国より新興国の方に勢いを感じるニュースも多々。
低所得とデフレと円安により、外国からみても日本は「安い国」になっているし、「小国」になりつつあるという。
ひと昔前、日本人が海外で爆買いしていた時代があったのに、今やそれが逆転。
観光や一般消費に外国人が金を使うのは大歓迎なのだが、不動産・企業・人材・利権など、あまり買われたくないものまで買い漁られている。
海外からの「出稼ぎ」も同様。
出稼ぎ先としての魅力は低下するばかりで、今や、日本人が海外に出稼ぎに行くような事態になっている。

ただ、表立ってニュースになるのは、ほんの一例、見えている問題は氷山の一角。
苦境に喘いでいる人は、陽の当たらないところにもっとたくさんいるはず。
資本主義・競争主義のわが国では、「自己責任」が大前提となるのだろうが、そこには、それだけでは片付けられない悲しみがある。
それは、皆、「仕事がほしい」「働きたい」と思っているからだ。
怠け者やズルい人間が貧乏をするのは、まぁ、仕方がないと思う。
しかし、そうでない人間が人並の暮らしができないなんて、どういうことなのだろうか。
働きたくないわけでも怠けたいわけでもないのに・・・ただ、「生まれてきた時代が悪かった」「生まれてきた国が悪かった」と思うしかないのだろうか。

そうは言っても、何もかも社会のせい、他人のせいにしていても仕方がない。
この時代をサバイバルしていくしかない。
となると、まずは、自分や家族を守ることが第一。
金にも心にも他人のことを思いやるような余裕はないため、どうしても、他人のことは二の次・三の次。
「自分さえよければそれでいい」とまでは言わないけど、この現実を前には、薄情にならなければ生き延びられなかったりもする。
人として心の貧しい状態に陥るわけだが、生き残るためにはやむを得ないのか。

経済的に豊かでなくなる分、心や生き方が豊かになればいいのだけど、人間は、長い歴史の中で、生き方や心の豊かさを物理的・経済的な豊かさに委ねるように。
残念ながら、経済的な貧困が心を貧しくさせる方程式は、ごく一部の人を除いて普遍の原理となっている。
そして、この感性や価値観を変えるのは至難の業。
この“豊かなような貧しさ”は、その時々でせめぎ合いながら、これからも我々を葛藤させるのだろう。



頼まれた仕事は、ゴミの片づけと清掃。
依頼者は、マンションの管理会社からその片づけを依頼された清掃業者。
管理会社の事業規模は大きく、何棟ものビルやマンションを管理。
多くの外注先や下請会社を抱えており、この清掃業者のその一社。
この清掃業者は、当管理会社とは古くから取引関係にあり、多くの物件で仕事を受注。
となると、立場的に、「できません」「やりたくありません」とは言えず。
そうは言っても、特殊清掃業者ではないため、あまりの汚さに自社でやること躊躇。
どこか、丸投げできる業者を探している中で、当社にたどり着いたようだった。

清掃会社がそういう社風なのか、担当者個人の性質なのか、この担当者は、感じのいい人物ではなかった。
取引実績もないのに客ヅラ。
物言いも上から目線で、会ったこともないのにタメ口。
こちらが仕事欲しさにヘコヘコするとでも思っているのか、とても、人に頼みごとをするような態度ではなく、私の中には嫌悪感が沸々。
しかし、あくまで一仕事上の一時的な関り。
いちいち引っ掛かっていては、世の中は渡っていけない。
とりあえず、現地調査の依頼はおとなしく引き受け、初回の電話を終えた。

訪れた現場は、マンション敷地内の一角。
外の道路とは大人の背丈より少し高いくらいの金網で隔てられており、普段は、人が立ち入らないような裏地。
そこに、大量のゴミが堆積。
おそらく、始めは、ゴミ出しルールを守らないマンションの住人が隠れて捨てたのだろう。
それから、少しずつゴミは増えていき・・・
そのうちに、ゴミがゴミを呼ぶかたちで、通行人も、道路から金網越しに投げ込みだし・・・
雨風にさらされたゴミは月日とともに腐食し・・・
腐敗した食品も見え隠れする中、害虫や異臭が発生し、ドブネズミの巣となり・・・
ゴミの内容を確認するため、私が少しのゴミを動かすと、「胴体だけでも20cmはあろうか」というくらい巨大なドブネズミが何匹も飛び出してきて、驚いた私は思わず「ウワッツ!」と声を上げ のけ反ってしまった。

現地調査を終えた私は、会社に戻って見積書を作成。
担当者にメールし、併せて、電話をかけ内容を説明。
私は、担当物に対する反抗心もあって、料金も免責事項も強気に設定。
「ご注文は、料金と作業内容に充分納得してからお願いします」
「後々、トラブルになっては困るので」
と、礼儀に反しないように気をつけながらも、あえて“お仕事くださいモード”の平身低頭な態度はとらなかった。

対する担当者は、
「この値段じゃ、よそにお願いするしかないかな・・・」
「値段によっては、今後も、引き続き、おたくに仕事を出せるんだけどね・・・」
と、思わせぶりなことを言って駆け引き。
しかし、担当者に業者を選ぶ権利があるのと同じで、こっちにも客を選ぶ権利はある。
“良縁”は大歓迎だけど“腐れ縁”はご免。
実際、こういった業者が“お得意様”になったためしはない。
私は、ある程度の値引きに応じる余力はあったものの、
「“足元を見やがって”って思われるかもしれませんけど、あの状態ですからね・・・」
「特別な技術が必要なわけじゃないので、やろうと思えばご自分達でもできるはずですよ」と、ちょっと意地悪な言い方で譲歩せず。
その後のことは成り行きに任せることにして、値引きには一切応じず電話を終えた。

その後、数日して担当者から再び連絡が入った。
「他に業者が見つからなかったから」とは言わなかったが、おそらく、他にやってくれる業者がみつからなかったのか、当社より料金が高かったかのどちらかだろう、“渋々”といった感じで、当該業務を当社へ発注。
一方、私は、表向きは快く受諾。
ただ、腹の中では警戒をゆるめず。
作業後に難癖をつけられないよう、念を押すように免責条項を説明。
具体的な作業計画は契約書を取り交わしてから立てることを了承してもらい、できるだけ早急に対応することを約束した。

作業の難易度は想定内。
掘り出されて膨らんだゴミ・ガラクタの量も、ほぼ想定内。
しかし、陶器・ガラスやスプレー缶、電球・電池や刃物など、危険物は想定以上。
また、その不衛生さも想定以上。
ゴミ山は全体的にドブネズミの巣と化しており、あらゆるものをかじり砕き、大量の糞が混在。
ネズミは食料を持ち込んでくるだろうし、死んでしまえば死骸となって腐る。
ともなって、異臭や害虫も発生。
これもウジの一種なのだろうか、いつもの現場で遭遇するウジに比べると大型のイモ虫も大量に発生。
とにもかくにも、どこから飛び出してくるかわからないネズミを警戒しながら、鋭利なものでケガをしないよう注意しながら、それらを少しずつ始末していった。

作業が終わる頃、担当者も現地へ。
作業前に比べるとはるかにきれいになったのだが、それでも、
「こんなもんか・・・」
「これが限界?」
と、鼻で笑うかのごとく不満げにコメント。
労苦した作業の達成感もあって、
“ここまでやれば充分だろう”
“満足してもらえるだろう”
と自画自賛していた私にとって、それは非常に腹立たしい反応。
そんな私の腹が読めたのか、担当者は、もっと何か言いたげにしたが、事前に、免責事項を念入りに設けていたおかげで、それ以上のことは言わず。
私は、口から出かかった反論を呑み込み、“コイツとは二度と仕事したくないわ!”と思いながら、
「作業は、これで完了とさせていただきます」
「近日中に請求書をお送りしますので、よろしくお願いします」
と、一方的に話を締め、後ろ足で砂を蹴るようにして現場を後にした。


私もその一人だが、社会には色々なタイプの人がいる。
“良し悪し”は別として、合う人 合わない人がいるのも自然なこと。
担当者に悪意はなく、会社や上司からそう命じられていたのかもしれない。
一仕事として、自分の職責をまっとうしようとしていただけのことかもしれない。
私だって、公私を分けて生活している。
担当者のことを一方的にどうこう言えないようなところもある。
そうは言っても、不快感や憤りとは別のところにある、人間としての妙な貧しさを覚えてしまった。

経済力を頼りに、得ること、獲ることによって生まれる豊かさはある。
しかし、ある意味、欲は無限。
満足しないことで生まれる貧しさに気づかず、ひたすら追い求めてしまう。
私のような人間の価値観や志向はこれ。
一方、分けること、与えることによって生まれる豊かさもある。
他人の生き方や豊かな表情をみると、何となく、それを感じることがある。
ただ、残念ながら、これは、私のような人間には適わない、夢のようなもの。

「どうしたら、豊かな心が持てるのだろうか・・・」
「どうしたら、豊かな人間になれるのだろうか・・・」
「どうしたら、豊かな人生を送れるのだろうか・・・」
暮らしぶりも、外見も、内面も、どこからどう見ても貧しい人間であることの自覚がある中で、真に豊かなものに価値が感じられず、真に豊かな方へ志が向かず、心を痩せ細らせているのである。

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