特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

2016-07-27 08:57:02 | 特殊清掃 消臭消毒
今年の梅雨明けはいつになるのか・・・
このままだと「○日に梅雨は明けていた」といった過去形の宣言になるのではないだろうか。

このところ、関東は曇天が多く、過ごしやすい日が続いている。
朝晩は涼しさが感じられ、このまま秋になるんじゃないかと錯覚するくらい。
陽が照らないと困る人もいるのだろうけど、私個人としては、この涼は歓迎できる。
日中はムシムシするけど、カンカン照りに比べたらマシ。かなり。
猛暑に比べたら、身体が随分と楽だからである。

しかし、残念ながら、それも束の間のことだろう。
暑さの本番はすぐにやってくる。
そんな中での現場作業は、ホントにキツい!!
暑い中、多くの人が頑張っているのだから、愚痴ばかり言ってはいられないけど、ホントにツラい!
汗は滝のように流れるし、心臓もバクバクしてくる。
目眩を起こしそうな、危険な状況になることもある。

昨年の今頃も、私は著しく体調を崩した。
夕飯を食べた直後から吐気をもよおし、夜通しそれに苦しんで、何度か嘔吐。
翌日も体調は回復せず、吐気と倦怠感に襲われ続けた。
それでも仕事の約束を違えるのは憚(はばか)られ、身体を引きずるように現場へ。
フラフラの状態で、何度も座り込みながら汚仕事に従事したのを憶えている。

病院に行ってないから、あれが熱中症だったのかどうかわからないけど、油断は大敵。
常日頃から注意が必要。
こまめな水分補給はもちろん、作業を急く気を抑えてチャンと休憩をとる必要もある。
また、食事も三食バランスよくしっかりとり、夜もゆっくり休養することが大切。
酒を飲み過ぎないこともそう。

そうは言っても、この時季は、一段と酒が美味い。
一本目、350mlの缶ビールなんて、1分ともたない。
二息半くらいで飲み干してしまう。
そして、それを皮切りに、ハイボール、缶チューハイと立て続けに喉に流し込んでいく。
自分と約束した週休肝二日(実際は三日)を堅持している分、一晩の酒量が増えてしまっているが、これも庶民のささやかな幸せ。
健康と翌日の仕事に気を配りつつ楽しみたい。

健康管理の術は、減酒だけではなく体重管理もある。
一昨年の秋から冬にかけて、私は、標準体重を目標に数kgダイエット。
それから今日に至るまでリバウンドに気をつけながら、体重を維持している。
結果的に、このダイエットは正解だった。
たった6~7kgの減量だけど、身体が軽いと動いて楽。
特に、現場作業では、その効果が覿面(てきめん)に表れる。
疲れはするけど、テキパキと身軽に動くことができるのである。
体重を増やさないためには“食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲む”なんてことはもちろん、“時間が空けば、とにかくダラダラ・ゴロゴロ”なんてことはできないけど、結局のところ、小さな自制が自分を大きく助けてくれている。

ただ、留意しなければならないこともある。
体重は標準でも体脂肪率が高くてはどうしようもない。
体重だけでなく体脂肪率も適正値にしなければ意味がない。
そう・・・“隠れ肥満”にならないようにしなければならないのだ。
しかし、私は、その辺の意識に欠けていた。
だから、手法は食事制限のみ。
「運動で消費できるカロリーなんて、たかが知れている」と、運動には一切注力せず過ごし、体重減だけで満足していた。

そんな中で、昨年秋からはじめたウォーキング。
運動不足解消や体脂肪率減少が目的で始めたことではなく、第一の目的は、気晴らし・気分転換・日光浴。
冬に向かって欝っぽくなっていく自分がイヤで、できる努力はしようと思い立ったのだ。
結果的に、それが運動不足解消や体脂肪率減少の一助になり、まさに一石三鳥となった。

ただ、このところは、股関節を傷めたこともあり、現場も忙しくなってきたため、毎日のようには歩けなくなっている。
「一日一万歩が理想」とも言われるけど、無意識のうちに、なかなかそこまで歩けるものではない。
そうなると、日常生活や仕事上で動き回って歩を重ねるしかない。
ただ、難なのは、自分の怠け心、だらしなさ。
コイツが、私の邪魔をする。
何事も面倒臭がるコイツをいかに始末するか、これが難題なのである。


「異臭が漏れて近隣から苦情がきている」
「できるだけ急いで来てほしい!」
不動産管理会社から連絡が入った。
他の現場で作業をしていた私は、急務ではなかったそれを途中で切り上げ、依頼の現場へ急行した。

訪れたのは、街中に建つ小規模マンション。
全戸、ワンルームタイプで、学生や独身者向けの建物。
問題の部屋は、その上階。
エレベーターを降りると、すぐに覚えのあるニオイが私の鼻をくぐってきた。
そして、部屋に近づくにつれ、異臭の濃度はどんどんと高くなっていった。

とりあえず、近隣の異臭騒ぎを収めるのが、求められた私の役目。
そのためには、とりあえず、室内の遺体痕を処理するのが先決。
しかし、権利者(相続人・遺族など)の許可なくして立ち入るのはリスキー。
したがって、室内の処理は権利者に確認した上で行うことになり、管理会社は鍵を持ってはいたものの開錠まではせず。
私は、共用廊下に消臭剤と消毒剤を撒いて、ドアの隙間や換気口をテープで塞ぎ、その場を収めた。

数日後、「遺族から立ち入りの許可がもらえた」とのことで、私は再び現場に呼ばれた。
「遺族」というのは、故人と何年も前に別れた元妻と子。
ただ、別れて以降は絶縁状態で、故人との付き合いは一切なかったよう。
だから、よくよく聞くと、遺族は“立ち入りを許可した”のではなく「関知しない」「すきなようにしていい」と放任しただけ。
「知らぬ、存ぜぬ」と、血縁によってふりかかりそうになった火の粉を避けただけだった。

亡くなったのは初老の男性、生活保護受給者。
故人の部屋は、いわゆる“ゴミ部屋”。
「山積み」という程ではなかったものの、床はゴミに覆われほとんど見えておらず。
また、掃除らしい掃除は一切していなかったようで、風呂はカビと水垢だらけ、トイレは糞尿まみれ、台所流台のステンレスも厚みを感じさせるくらいの汚れが付着。
体調を崩していたが故にそうなったのか、部屋には何種類もの薬が散乱。
それでも酒の瓶缶がたくさん転がっており、結構、荒んだ生活をしていたことがうかがえた。

遺体汚染痕は、ベッドの布団に一部、その脇の床に一部残留。
私には、ベッドに座った状態で、そのまま横に倒れたと思われ、布団には上半身の型が浮き出ていた。
ただ、その布団は、まるで雑巾のようで、遺体痕があってもなくても大差ないくらいボロボロ。
また、その下の床もゴミだらけで、腐敗液が広がっていたものの、それがあってもなくても大差ないくらい酷い有様だった。

凄まじく汚らしい光景だったけど、私にとっては驚くほどのものではなし。
私は、とりあえず、腐敗液が浸みた布団をウジごとたたんでビニール袋へ。
そして、それを、ニオイが漏れないよう何重にも固く梱包。
それから、遺体搬出時に警察が放り投げたと思われる掛布団も拾い上げ、汚れていることを確認して同じように梱包した。

次は床。
先に片付けた布団は、汚れてない部分を選んで掴むことができ、手を汚さなくても済んだが、ここはそういうわけにはいかない。
腐敗液は大量のゴミに絡みついており、ゴミごと処理するより術はなし。
私は、腐敗液でヌルヌルになったゴミを掴んでゴミ袋に詰めていった。

汚物を始末したら、今度は掃除。
ベッドに着いた腐敗液、床に広がった腐敗液、その下に凝固した腐敗粘度、それらを拭き取り、削り取っていく作業。
床にしゃがみ込んで黙々と行う地味な作業で、頭に湧いたことが否応なく巡っていった。

そこは、物理的にも心的にも凄惨な腐乱死体現場・・・
その痕を始末することによって生きている私。
人生を終えた故人と、人生の只中にいる自分を頭の演壇に上げ、働けることのありがたさ、仕事があることの嬉しさ、汚仕事のツラさ、珍業の惨めさ等々、私は、そういった心情をグルグルと回しながら、同時に、元肉体で汚れる手に自分の強さではない他の何かの強さを感じながら作業を進めていった。


故人は、どんな人生を歩いてきたのか・・・
若いときは元妻と恋愛し、好きで結婚したのだろう。
そして、望んで子を授かったのだろうし、幸せな家庭を築いたことだろう。
しかし、故人は、そこからは想像もできない晩年を迎えた・・・
妻子と絶縁状態になったのには、相応の経緯と理由があったのだろう。
荒れた生活をしていたのにも、相応の原因があったのだろう。
健康を失い、仕事も金もなく、そして夢も希望もなく、一日一日をただただ生きていたのか・・・
「侘(わび)しい晩年だった」なんて、他人が浅はかに決めつけてはいけないけど、どう見ても幸せに暮らしていたようには思えなかった。

私は、故人が生活保護費で酒を飲んでいたことに引っかかりも覚えたし、他人の迷惑も省みず部屋を著しく汚損させなかったことに違和感も覚えた。
ただ、これもまた、一人の人間の歩み。
終わってしまった人生に負の足を踏み入れても益はない。
私は、故人のためではなく自分のために、正の足をもって心を運動させ、自分なりにそれを鍛えようと努力した。


人それぞれに人生の歩みがある。
進む速さは皆同じながらも、長さと道は皆違う。
人が羨むような道もある。
逆に、人が嫌悪し蔑む道もある。
望む道だけではなく、望まぬ道を歩かなければならないときもある。
私自身、望むような道とは程遠い道を歩いている。
やりたくない仕事をやり、行きたくない現場に向かい、
逃げたいのに逃げられず、楽したいのに楽できず、
泣きたいのに泣けず、笑いたいのに笑えず、
「いつまでもこんなことやってたらマズい」と憂う自分と、「この道を究めるしかないのか・・・」と諦める自分の狭間で、頭を抱えている。
ただ、どんなに嘆いても、後戻りはできない。
どんなに肉体や精神を鍛えようが、気力を振り絞って念じようが、若返ることはできない。
間違いなく、歩は進み、月日は過ぎ去っているのである。

ならば、楽な方ではなく楽しめる方へ、逃げる方ではなく挑む方へ、下の方ではなく上の方へ歩きたいもの。
こうして悩んでいるうちに、いつの間にか終わってしまうのが人生かもしれないけど、尽きない不平・不満・不安を、限りない感謝・喜び・希望に変えて歩いていきたいものである。
この歩・・・この一歩一歩そのものが、輝ける唯一生なのだから。


公開コメント版

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追憶の影

2016-07-06 07:56:51 | 特殊清掃
遺品処理の依頼が入った。
依頼者は老年の男性。
「自宅の一部屋に家族の遺品がまとめてあるので、それを片付けてほしい」
とのこと。
私は、例によって、事前の現地調査が必要であることを説明し、その日時を約した。

訪れた現場は、古びた感のある一般的な一軒家。
約束の時間の五分前に家の前に車をとめると、その音を聞きつけてだろう、インターフォンを押す前に家の中から一人の男性がでてきた。
「こんにちは」
「お待ちしてました」
お互い、お互いのことはすぐにわかったので、すぐに 視線を合わせて挨拶を交わした。

目的の部屋は、家の二階の一室。
玄関を通された私は、男性の後をついて二階へ。
そこは、普通の六畳間ながら、日常の生活で立ち入っているような生活感はなく、色々なモノが所狭しと並べられ、また積み重ねられ、様相はまるで物置。
段ボール箱に入った荷物も多く、引っ越してきたばかりの家で、荷解きする前の荷物を仮置きしているような光景だった。

部屋には、老年の女性がいた。
女性は、男性の妻で、小さな椅子に腰掛け、自宅に現れた見ず知らずの私には目もくれず、ただ宙を見つめていた。
その顔は無表情で弱々しく、私は、ちょっと異様な空気を感じたが、とりあえず笑顔をつくって
「お邪魔します」
と挨拶。
すると、女性は、うつろな視線を私に移し、椅子に座ったまま私にお辞儀をしてくれた。

女性が身体の健康を損ねていることは一目瞭然。
それだけではなく、精神を弱めていることも容易に察せられた。
ただ、そんな心情を態度に出すと男性が余計な気を使うと思い、私は、そんなことは気にも留めていないフリをして事務的に事をすすめた。

勉強机、本棚、ゲーム玩具、レコード、カセットテープ、ミニコンポ、雑誌書籍、辞典辞書、洋服etc・・・
部屋には色々なモノがあったが、どれもこれも、時代を感じさせる古びたモノばかり。
ただ、よく見ると、「家族」と言っても夫妻の親兄弟が使っていたモノではなさそう。
私は、荷物の持主が誰であるかということが気になってきて、黙って荷物を見分しながら、そのことについて考えを巡らせた。

思いついた“答”は、夫妻の子供。
置いてある品物を確認すればするほど、それが最も合理的な結論となった。
成人し独立した子が昔使っていたモノで、実家に放置したままにしている可能性はあったが、ただ、男性は最初に電話で話したとき、荷物を「遺品」と呼んでいた。
と言うことは、夫妻の子は、もう亡くなっているということになるわけで・・・
つまり、“夫妻は子に先立たれた親”ということになり、私は、礼儀のつもりで浮かべていた笑顔を消し、神妙な面持ちに変えていった。
そして、訊かれたくないことかもしれなかったので、私は余計なことを訊かず、黙々と見分を進めていった。

荷物は六畳一部屋分のみで、散らかっているわけでもなし。
現地作業は半日もあれば充分で、必要な作業内容もかかる費用もシンプルなものとなった私は、それを男性に説明し、男性は、それについて私にいくつかの質問をした。
そして、男性は、傍らでそのやりとりを聞いていた妻の同意を丁寧に確認したうえで、契約書にサインと押印をした。


作業日は、双方の都合を調整し、現地調査から一週間後のある日に決定していた。
しかし、作業日の前日になって、男性が電話をかけてきた。
用件は、作業中止の申し出。
日時の都合が悪くなっての延期とかではなく、作業(契約)そのもののキャンセルを依頼するものだった。

一旦結んだ契約が解除になるのは仕方がない。
予期せぬ事情が後から生じたり、気が変わったりするなんてことは珍しいことではない。
そうは言っても、一旦成立した契約をキャンセルされるのは、決して気分のいいものではない。
しかも、前日になってのキャンセルはマナー違反。
気分を悪くした私は、相応の理由、もしくは相応のキャンセル料がないと承諾したくなく、権利をもってその理由を訊ねた。

「妻が拒んでいるもので・・・」
男性の口から出たのは、身勝手にも思われる理由だった。
現地調査のときには、妻も荷物の片付けに同意したはずであり、その場にいた私も自分の目でそれを確認していた。
が、その直後、妻は翻意し、荷物を片付けることを拒否。
その抵抗は強く、男性が説得を試みても、頑として受け付けず。
結局、男性は、作業中止を判断せざるを得なくなったのだった。

とりあえずの理由を聞いた私だったが、それでも納得はできず。
「だったら、もっと早く言ってくれればいいのに・・・」
と、不満を覚え、その気持ちを口から吐き出しそうになった。
しかし、目くじらを立てるほどの実害を被ったわけではない。
また、男性は、礼をもって詫びてくれている。
連絡が間際になったのも、直前まで妻を説得し続けていたことによるものと推察できたし、私は、不満を爆発させるエネルギーを、頭を冷やすほうに向けた。

男性は、とにかく私に平謝り。
電話の向こうで平身低頭になっている姿が思い浮かぶくらい、何度も何度も詫びの言葉を口にした。
そして、事情を詳しく説明する責任があると思ったようで、今回の遺品処理にまつわる経緯を話し始めた。


夫妻は、子供を三人もうけた。
最初は女の子。
しかし、長女は生後間もなく先天性の病で死去。
次は男の子が生まれた。
が、長男も若くして病死。
三人目の子、次男がいたが、一人残っていた彼も、中年を迎えることなく病気で亡くなってしまった。
つまり、夫妻は、せっかく授かった三人の子供全員を亡くしていたのだった。

夫妻が味わった悲しみは、どれほどのものか・・・
襲ってきた喪失感と寂しさはどれほどのものか・・・
その悲哀は、辛酸の真味を知らない私が想像できるものではなく・・・
亡くした子の人数で親の悲嘆の大きさが計れるものではないはずだけど、経緯を聞いた私は自分の耳を疑いながら絶句。
電話の場合、相手の表情や態度が見えないから、私は、「話はちゃんと聞いてますよ」という意思の表れとして、相槌の代わりに小刻みに返事をしていたのだが、あまりの気の毒さに、その短い返事すら口にすることができなくなった。

三人の子を授かって、三人とも自分達(親)より先に死ぬなんて・・・
普段の行いが悪いせいか、何かの罰か、何かの祟りか・・・夫妻は、そんな風に考えたかもしれない。
私は、そんなところに理由はないと思うけど、自分達の子供が短命で人生を終わらなければならない理由、自分達が子供を奪われる理由を欲しただろう。
そして、それが、“運命”“宿命”“摂理”等・・・人の力ではどうすることもできない領域にあるものだと頭では理解しても、心底では納得することができず、悲しみを超えた強い憤りを覚えただろう。
それでも、前向きに生きようと、出口の見えないトンネルを夫妻は必死で歩いたものと思われた。

しかし、紆余曲折を経て、女性は鬱病を発症。
結構な重症で、通院と服薬だけではラチがあかず、一時は入院し療養。
症状が深刻な時期、男性は「後追い自殺するんじゃないか」と、女性を独りにしておくことが心配でならなかった。
そして、男性の口から具体的な話はでなかったけど、夫妻の過去に、男性が心配していたような良からぬ出来事が残ったことは、受話器から流れてくる空気が感じさせた。

そう・・・現地調査の日、私が部屋で見た品々は、三人の子の遺品。
夫妻は、その部屋には三人の子の遺品と想い出を大切にしまっていたのだった。
ただ、時間は人の心に関係なく流れていく。
「一周忌を過ぎたら片付けよう」と思っているうちに三回忌が過ぎ・・・そのうち、七回忌、十三回忌、十七回忌、そして、二十三回と、事あるごとに気持ちを固めながらも、結局、寂しさに負けて、それを延々と引きずってきた。
しかし、夫妻も齢には勝てず。
自分達の死も視野に入れて生きなければならない年齢になってきた。
そして、子供達の遺品を片付けることをようやく決意し、今回の件に至った次第だった。


男性は、思い出したくないはずの苦しい過去を話してくれた。
私は、そんな男性の心情に報いたいという気持ちもでてきたし、夫妻の悲哀と苦悩を想うと、ここは後腐れなく承諾するのが私の道だと思った。
だから、
「事情はよくわかりましたので・・・気になさらないで下さい」
と、男性には見えない顔を真摯にして、電話を終えたのだった。


“笑顔の想い出”は、人生の宝物。
今の自分にも笑顔をくれる。力をくれる。
では、“悲涙の想い出”はどうだろうか・・・
今の自分に笑顔をくれるだろうか・・・力をくれるだろうか・・・
苦しみを甦らせ、悲しみを煽るばかりではないだろうか・・・
そして、人生に影を落とすのではないだろうか・・・

また、人生には、色んなことがある。
色んなことに遭遇する。
嬉しいこと、楽しいことばかりではない。
苦しいこと、悲しいこと、辛いことも多い。
乗り越えられそうにない壁にブチ当ることがある。
奈落の底が見える崖淵に立たされることもある。

それでも、人は生き、時間は流れる。
人には自分では如何ともし難い、無力さ、愚かさ、悲しさ、寂しさ、切なさがある中で、時間は人の苦悩を癒してくれ、人の精神を練ってくれる。


確かに、子供達の死は、夫妻の人生に暗い影を落としていた。
しかし、そこに光を当てるのもまた、亡くなった子供達の笑顔・・・
影があるから光があるのではなく、光があるから影がある・・・
そして、そこに“想い出”という名の希望があると、私は思うのである。


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