特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

家族(前編)

2007-01-31 13:37:35 | Weblog
特掃の依頼が入った。
亡くなったのは中年女性、独り暮らしだったらしい。
依頼者してきたのは、故人の夫から委託された管理会社。
当の夫は、仕事の都合で遠方に単身赴任。
仕事の都合がなかなかつかず、葬式を済ませるのが精一杯で部屋の片付けまでは手が回らないらしかった。

現場は、閑静な高級住宅街に建つマンション。
現場に着いて驚いた。
「うわぁ~いいマンション!俺には場違いなところだなぁ」
敷地内の駐車場には高級車ばかり、出入りする住人達は上品そう。
勝手な想像ながら、人々は生活に追われているように思えず、みんなが笑顔で暮らしているように見えて羨ましかった。
「一体、何をどうすればこんな暮らしができるんだろう」
私は、諦めの溜め息をついた。

ピカピカに磨かれた大理石のロビーは、いつもの特掃靴で入るのは申し訳ないくらいだった。
(ちなみに、特掃靴は普段はきれいにしている。)

管理事務所で鍵を借り、暗証番号を教えてもらってから上階の部屋に向かった。
玄関前に立っても腐乱臭は感じなかった。
玄関ドアには、「携帯電話?」と思うような鍵がついており、厳重にロックされていた。
「間違って警報でも鳴らしたら大変だ」
私は、教わった番号を慎重に押し、鍵を回した。

「失礼しま~す」
私は、誰もいるはずのない部屋の玄関を開けた。
すると、プ~ンといつもの腐乱臭。
「やっぱこの臭いか!高級マンションでも、この臭さは変わりないな」
そして、玄関から伸びる廊下を目を凝らしてよく観察した。

玄関の上がり口を観察するには理由がある。
パッと見はきれいでも、よく見ると汚れていることがよくあるからだ。
それが、普通の家庭汚れなら我慢もできる。
注意しなければならないのは腐敗液・腐敗脂の類。
特に腐敗脂は見えにくいので要注意。
そんなのを素足(靴下は履いてるけど)で踏もうもんなら、もう大変。
精神的にも物理的にも、その汚れは簡単には落ちない。

また、警察が遺体を回収するときに土足で上がり込んだのか靴を脱いで上がったのか、それを見極めることも肝心。

普通、土足のまま家に上がる人はいまい。
ましてや、人様のお宅に靴を履いたまま上がり込むなんて、もってのほかだ。
しかし、特掃の現場ではそれが許されることがほとんどなのだ。
土足には土足、素足には素足、私も警察の足跡に従うようにしている。

結局、この現場では特段の汚れと警察が土足で入った形跡は目につかなかったので、私は靴を脱いで部屋に入った。
部屋はきれいで広く、外の眺望もよかった。
更に、置いてある物も高そうなものばかり。
「お金持ちって、ホントにいるんだなぁ」
と、感心。
しかし、それら全てを腐乱臭とハエが台なしにしていた。

目当ての腐乱痕は台所にあった。
「これか・・結構ヒドイな」
故人は、台所に立って料理でもしていたのだろうか、流し台から床にかけて茶黒い腐敗液がベットリ付着していた。
あちこちにべばり着く長い髪が、唯一、故人が女性であったことを物語っていた。

見積を立てる材料を集めるため、汚染箇所を中心に部屋のあちこちを観察した。
台所の周囲はウジ・ハエで汚れていたものの、部屋全体はきれいに片付いており、上品な生活ぶりが感じられた。
だだ、調った部屋に似合わないゴミとワインの空瓶が目についた。
「ゴミ出しって面倒臭いからなぁ・・・」
ゴミを溜めた故人を心の中で弁護した。

私は、汚染箇所を眺めながら思った。
「どんなお金持ちでも、どんな上品な人でも、死んでしまえばただの肉塊と言うことか・・・」
「そして、腐ってしまえばただの臭い汚物・・・」
「故人も、まさか自分がこんな死に方をするなんて、思ってもみなかっただろうなぁ」

一通りの見分を終えた私は、管理事務所に挨拶をしてから現場を離れた。
しかし、程なくして現場にUターンすることになるのだった。

つづく






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榴の咲くころ(後編)

2007-01-29 09:25:49 | Weblog
病院から出発する頃、時間は明け方近くになっていた。
それでも、晩冬の夜明けは遅く、まだまだ空は暗い。
澄んだ空に、光る星がきれいに見えていた。

「行き先は、ご自宅じゃないんですか?」
「自宅なのですが、その前に行きたいところがありまして・・・」

料金メーターこそついてないものの、遺体搬送業務の料金体系はタクシーと同様。
走行距離・時間帯・待機時間によって、かかる料金が変わってくる。
私は、時間のことも気になったが、増額されていく料金が気にかかった。
しかし、夫を亡くして消沈している女性に
「料金が上乗せされますが、よろしいですか?」
なんて確認はできなかった。

「で、どちらに行けばよろしいですか?」
「○○公園まで・・・主人と私が好きな場所なんです」

後部座席(故人の横)に座った女性は、ずっと何かしらの言葉を故人に掛け続けていた。
そして、シーツの上から故人の身体を摩っていた。
「死別って、やっぱ悲しいもんだなぁ」
東の方から白んでくる空の下、ハンドルを握る私はそんな風に思った。

ちょっと余談。
最近の傾向として、病院から自宅に行くケースは減っている。
逆に、斎場の霊安室や葬儀場に直行するケースが増えている。
単なる自宅スペースの問題なのが、遺体を家に置くことに不安があるのか分からないが、そんな傾向が強くなっている。
その場合、遺体を運ぶルートに自宅前を入れることがある。
「安置はできないけど、せめて故人に自宅を見せてあげたい」
そう願う遺族が多いからだ。

ただ、この場合は違った。
行き先が夫婦の思い出の地と聞いて、私はますます料金のことを言い出せなくなった。
「俺の裁量でサービスできるかもしれないけど、距離メーターにはバッチリでるからなぁ・・・あとは野となれ山となれ」

特に急がなければならない道程ではないので、私は快く引き受けた。

夜が明けて到着した○○公園は大きな公共公園だった。
梅・桜・榴など、たくさんの草花や樹木が植えられ、広い芝地もあった。
その広大さから、昼間は多くの人が憩っているであろうことが伺えた。

「さてさて、どこに車を停めようかな」
駐車場は営業時間外。
眺めのよさそうな所を探して周囲を走り、ちょっとした停車スペースを見つけた。

「二人でよく来た○○公園よ」
女性は故人に話し掛けながら泣いていた。私は黙っていた。

「主人を車から降ろすことなんてできませんよね?」
「え!?降ろすんですか?さすがにそれは・・・」
私は、驚き弱った。
女性の気持ちが分からないでもない。
しかし、公共の場所に遺体をさらすことには抵抗があった。
女性にとっては愛する夫、私にとっては大事なお客さん。
しかし、一般の第三者にとってはただの遺体(死体)。
それを外に出すことなんて、とてもできることではなかった。

「できる範囲のことをしよう」
私は、そう考えた。
故人は車の右側に積んでいる。
公園の景色が右側にくるように、車の向きを変えた。
そして、担架の固定ベルトを一つ外し、故人をスッポリ包んでいたシーツの顔の部分だけをめくった。
面布を取ると、故人の顔が現れた。

「故人様を外に降ろすことはできませんけど・・・」
私はそう言って右のスライドドアを開けた。
冬の乾いた空気が冷たかった。

何分にも早朝のことで、街の人通りが少なかったことが幸いし、ゆっくりと公園を眺めてもらうことができた。

女性は、感慨深そうな表情で外の景色を眺めていた。
「二人でオニギリ持って、榴の花見によく来てたんですよ」
梅や桜を愛でる人は多いけど、この夫婦は、ひっそりと咲く榴が好きだったらしい。

「榴かぁ・・・俺の人生には花がないなぁ」
私も車を離れ、身体を伸ばしながら深呼吸した。
睡眠不足で目がショボショボしていたけど、女性と故人の静かな別れが気分を穏やかにしてくれた。

女性は、きっと元気を取り戻して、また一人で公園に来るだろう。
残りの人生で何度出会うことになるか分からない、榴が咲くころに。



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榴の咲くころ(前編)

2007-01-27 08:47:04 | Weblog
夜の長い晩冬、今と同じ寒い時季。
そんな夜中に、一本の電話が鳴った。
2:00頃だったから、いわゆる丑三つ時だ。

私にかかってくる夜中の電話は、誰かが死んだ話に決まっている。
仕事と割り切りながらも、とても明るい気分にはならない。

そんな毎日だと、
「どこかの夫婦に赤ん坊が生まれた」
「どこかの男女が結婚する」
なんて、たまにはめでたい知らせが欲しい。
(そんなニュースがどっかにない?)

その電話は、遺体搬送の依頼だった。
私は、寝ボケ口調にならないように気をつけながら、病院名と所在地、氏名と連絡先を素早くメモに落とした。

昼間に比べると夜間の電話本数は少ない。
が、夜中に電話が鳴ることは決して珍しいことではない。
そんな具合だから、私の枕元には携帯電話・電気スタンド・筆記用具を置いておくことが欠かせない。

遺体搬送は昼夜の時間帯を問わない。
人が亡くなるのに時間帯は関係ないから。
そして一報が入ったら直ちに動かなくてはならない。
動けなければ仕事にならないから。
私は急いでスーツ着替えて、飛び出した。

病院で対面する遺族は、愛する身内を亡くした現実と生きていた余韻の間で、穏やかに消沈・呆然としていることが多い。
仕事として動いている私と遺族の間に温度差があるのは当然のこと。
遺族の温度は計り知れないし、単なる同情は失礼にことになってしまうことがあるので、余計な感情移入は控えるようにしている。

指定された病院は、小さな病院だった。
大病院になると、霊安室が完備されていることがほとんどなので、我々のような者が病室にまで入ることはない。
ただ、この病院には霊安室がなかった。
私は、物音に注意しながらストレッチャーを押し、病院に入った。

夜中の病院は、シーンと静まり返っている。
他の患者に悟られぬような注意が必要。
私は、出迎えてくれた看護士とヒソヒソと会話し、靴音を潜めて病室に向かった。

不幸中の幸い、病室は相部屋ではなく個室だった。
容易に察してもらえるはずだか、相部屋の場合はかなりやりにくい。
「疫病神参上!死神見参!」
看護士が「白衣の天使」なら、私などは「黒衣の悪魔」。
とても歓迎されるような者ではない。
そんな訳で、まるで悪いことでもしているかのような気マズさと、針のムシロにでも座らされているような居心地の悪さがある。

目的の病室に着きドアを開けると、中には初老の女性がいた。
傍らのベッドには、顔に面布(死人の顔を隠す白い布)を 掛けられた故人が横たわっていた。
故人と女性は夫婦らしかった。

「こんな時間にありがとうございます」
女性は、私に深々と頭を下げてくれた。
「この度は御愁傷様です」
私は、温かみのない決まり文句で応答した。

私は、遺体の状態を簡単に確認するため、面布をとって故人の顔を見た。
布の下から現れた男性の顔は、米噛みが凹み頬も欠け、明らかに痩せていた。

搬送しなければならない遺体は、太っているより痩せていた方がいい。
そして、大柄より小柄な方がいい。
これは単に、運び易さの問題。
遺族を襲う死別の痛み・悲哀には関係なく、自分が仕事を無難にこなすことばかりを考える自己中な私。
神妙な面持ちは表面的なパフォーマンス。
「俺は死神じゃなくて、ただの偽善者だな・・・」
だからと言っても自戒する訳でもないし、悔い改める訳でもない。
ただただ、与えられた仕事を進めるだけだった。

痩せた故人の身体は軽く、担架に移すのは簡単だった。
そして、頭から爪先までスッポリとシーツで包んみ固定ベルトを装着。
再びストレッチャーを押しながら、女性とともに来た道を引き返した。


慣例なのか真心なのか、どこの病院でも何人かの職員が見送りに出て来てくれる。
ここでも、何人かの看護士が我々を見送ってくれた。
双方でお辞儀を交わして車は出発。

「では、これからご自宅に向かいますので」
「・・・わがまま言って申し訳ないのですか・・・」

女性のそんな一言から、私はちょっとしたドライブに出掛けることになった。

つづく






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血闘

2007-01-25 09:01:21 | Weblog
今回の表題は、「決闘」ではなく「血闘」。
言葉としてはおかしいかもしれないが、特掃の中には「血闘」と言いたくなる現場が多くある。
まさに、人間の血と格闘する現場だ。

そのほとんどは、血管を切ったうえでの自殺。
そんな現場は強烈なインパクトをもって、何かのメッセージを視覚に訴えかけてくる。
ホントは、何のメッセージもないのかもしれないけど、少なくとも、その時私の精神が揺れ動かされることは間違いない。

人の血は、どうして赤いのだろう。
そして、その色にはどんな意味があるのだろうか。
血は、鮮度に応じて赤から黒へと変色していく。
赤い血には生を、黒い血には死を感じる。
赤は命の色、黒は闇の色。

ワンルームマンションの玄関を開けて、私は驚愕した。
フローリングの床が、一面に赤黒く染まっていたのだ。
そして、何度も嗅いだことがある血の臭いが鼻を突いてきた。
腐乱臭も同様だが、鼻が慣れるよりも精神が慣れる方が時間がかかる。

「人間って、こんなに多くの血があるもんなんだぁ」
大量に流れ出た血を見ながら、感心にも似た溜息をついた。
「また、自殺かぁ・・・」
ここの故人は、手首を切っての自殺したらしく、発見された時はとっくに手遅れだったらしい。
ワインレッドに染まった布団と服も生々しかったが、私にはそれよりも床に広がった褐色の方が強烈にきた。
更に、壁に飛び散った黒い血痕が衝撃的だった。

比較的、高い位置まで付着した血痕を見て・・・「まるで映画でも観ているようだな」
「手首だけでこんなに血が飛び散るかなぁ・・・首も切ったのかなぁ」
首だろうが手首だろうが、そんなことは私にとってどうでもいいのに、頭の中でそんな詮索をした。

「しかし、これを掃除するのは大変だぞ」
「どういう手順でやろうかなぁ」
床に広がる血は、一部は固体に、一部は半固体(半液体)に、一部は液体のままだった。
考え込んだところで、作業手順が大きく変わるわけでもない。
私は、余計なことは考えないことにした。

作業の日、私は床にしゃがみこんで、隅の方から黙々とそれらを削り拭いた。
根気のいる地味な作業だ。
乾いた部分は、パリパリと固い水飴のように簡単に剥がれていく。
半乾きの部分は、蝋のようで簡単には剥がれない。
乾いてない部分は、溶けかかったチョコレートを拭く感じに似ている。

単調な動きを続けていると、全く違うことを考えていても身体が勝手に動いてくれる。
そして、自分が相手にしているモノが何なのか、余計なことを考えなくても済む。
この状態になると、肉体的はキツくても精神的には楽。

作業時間の経過に比例して、知らず知らずの間に私の身体は血で汚れていった。
特に手や腕は血まみれ。
第三者が見たら、卒倒しそうになるくらい衝撃的な光景だろう。
「頭がおかしくならない?」
と、私のことを奇異に思いながらも心配してくれる人もいるかもしれない。

実際はどうなのだろう。
自問自答してみる。
「頭がおかしいかどうか」は、人が判断してくれるだろうから、自分では考えない(既におかしい?)。
「頭がおかしくならないかどうか」は、微妙なところである。
実際、おかしくなりそうな時もあるからだ。
「血の海+故人の自殺」と言う現実は、まともには受け止めようがない。
そんなことをしたら、自分が潰れる。
「俺は掃除屋だ」
と、事務的にやる方が得策(楽)なのである。
しかし、そのスタンスは意識して堅持しないと、すぐに崩れてしまう。

「故人は何歳だったんだろう」
「何で自殺なんかしたんだろう」
「この手段を選んだ理由は何だろう」
「家族は大丈夫だろうか」
等と、少しでも考えてしまうと心臓が重くなる。

「俺は、ただの掃除屋だ」
と、必死に割り切ろうとしても、一度ついた特掃魂の火は消えない。
こうなると、しんどい。
故人と汚物と自分との三角関係において、三位一体になったような現象に陥るからだ。
そんな状態では、作業がツラいのかこの現実が重いのか自分でも分からないままイヤな脂汗がでてくる。
時には涙も流れる。

何故だか分からない。
自殺が続く時期があれば、自殺が止まる時期がある。
その中で、血闘が続く時期があれば、血闘が止まる時期がある。
その要因の一つとして、「気圧の影響」を挙げる人が今までの出会いに何人かいた。
この世界には、人に自殺衝動を起こさせる何かの流れがあるのか?
それは、誰にも止められないのか?

日々の決闘は仕方がない。
受けて立つしかない。
闘いながら生きているのは、私だけではないし。

血闘は私の宿命か。
宿命なら、黙って受け入れるしかない。
黒い血が騒ぐ罪を負いながら。

残念ながら、私の血闘はまだまだ続くだろう。
いつになるか知る由もないが、最後の闘いを終えた後、全ての闘いがなかったかのように忘れさせてほしい。





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おでん(後編)

2007-01-23 08:33:30 | Weblog
「殻を剥くのを面倒臭がった!?」
「おでんの玉子に殻?」
私は、思わず手を止めて奥さんの顔を見た。

「おでんの玉子って殻つきだっけ?」
「アレ?そうだっけ?」
私は、自分の常識に自信がなくなってきた。

ことの真相を確かめたかったが、仕事には関係ないことだし、私はそんな質問ができるような立場ではない。
でも、奥さんの発言が気になって仕方がなかった。

すると、私の疑念を察するかのように他の親戚が声をだした。
「玉子の殻を剥くってどういうこと?」(親戚)
「食べる時に殻を外すことだよ」(遺族)
「おでんの玉子って、普通は殻はついてないだろ?」(親戚)
「そう?・・・」(遺族)
「殻つきの玉子なんて変だよ!」(親戚)
「なんで?」(遺族)
「ひょっとして、生玉子をそのままおでん鍋に入れる訳?」(親戚)
「そうだけど・・・」(遺族)
「え゛ーっ!?まさか!」(親戚)
「何かおかしい?」(遺族)
「おかしいに決まってんだろ!」(親戚)

この辺りから雰囲気がピリピリし始めた。
だんだん感情的になってくる両者、気マズそうに黙る外野。
「第一、玉子の殻は不衛生だろ」(親戚)
「洗ってるだろ・・・出荷するときに・・・」(遺族)
「それに、殻つきじゃ味も浸みないだろ?」(親戚)
「少しは浸みるよ」(遺族)
「え!?浸みるの?でも、うまくないだろ?」(親戚)
「うまいよ!」(遺族)
「どちらにしろ、その食べ方はおかしい!」(親戚)
「いいんだよ!うちはずっとそうやってきたんだし、そうやってる人だっているはずだし」(遺族)
「いない!いない!コンビニのおでん玉子は殻つきか?」(親戚)
「買ったことないから知らない・・・」(遺族)

ヒートアップしていく言い合いを、
「この話題は、この辺でやめてくれないかなぁ」
と、私は頭の中でボヤきながら黙って聞いているしかなかった。

どう考えても、おでん玉子は殻がついてない方が一般的。
世間を味方につけた親戚は更に追い撃ちをかけていき、次第に遺族の方が劣勢になってきた。
本来は悲哀に満ち、厳粛なはずたった納棺式が、既に一触即発の緊張状態に変わっていた。

私は、この小競り合いが自分に飛び火してくるのを恐れた。
そして、その恐れていたことが起こった。

「貴方は、どう思います?」
普段から、臨機応変なアドリブは利く方だと自認している私だったが、この時は言葉に詰まった。
中途半端なことを言っても納得してもらえないだろうし、偏った意見は自分自身の立場を危うくしてしまう。
いっそのこと、「おでん玉子は嫌い」と言ってしまおうかと思ったけど、故人を否定するみたいでこれも危険だと判断。
結局、
「おでんは作ったことないものですから・・・」
「それに、軽い玉子アレルギーがあるもので・・・」
と、応えるに留まった。
(心情的には、ホントに玉子アレルギーになりそうだった。)

食文化や食習慣が国や地域によって異なるのは自然なこと。
狭い日本でさえ、地方ごとに多種多様である。
だから、各家庭で食習慣が違っていても自然なことで、本来はそんなにムキになる必要もないはず。
なのに、こんな議論になってしまう。
やはり、食い物の怨みツラミは恐ろしい。

「おでん玉子を殻つきのまま煮たって、誰にも迷惑かけてないだろ!」(遺族)
「・・・」(親戚)

結局、故人の偲び、冥福を祈る厳粛さはどこかへいってしまい、淡々と納棺式は終わった。
その後、柩におでんが入ったかどうか、玉子に殻がついていたかどうか、私は知らない。

単純に、おでん玉子は美味しい。
玉子は物価の優等生だから、財布にも優しい。
なのに、私も子供の頃は故人と似たような境遇で、「二個まで」と決められていた。
親からは、
「三個以上食べると体に悪い」
と、説得力のない説明を聞いた憶えがある。
栄養価が高いから?コレステロールの問題?
なんでなんだろう。

この記事を書いていると、何だかおでんが食べたくなった。
あと、殻がついたまま煮られた玉子も。
殻がついたままでも少しは味が浸みるなんて、私には新しい常識だ。
一体、どんな味になるんだろう。

それにしても、人間というヤツはやたらと人の殻を壊したがるわりには自分の殻を破りたがらない生き物だね。
人間アレルギーがある私は、そう思う。






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おでん(前編)

2007-01-21 09:33:05 | Weblog
故人を納めた柩に、生前の愛用品や嗜好品を入れる遺族は多い。
そして、お菓子など、軽い食べ物を入れることも珍しくない。
ただ、食べ物でもやっかいなモノがある。
水分を多く含んだものだ。
水分が多いものは中途半端に燃え残るだけでなく、火葬炉の燃焼効率を落としてしまうらしい。
場合によっては、遺骨を汚してしまうことも。

水分の多い食べ物というと、果物や飲物が代表的。
いくら故人の好物とは言え、スイカやメロンを丸ごと柩に入れることはほとんど不可能。
リンゴくらいでも、丸ごと入れるのは避けた方がいい。
丸ごとOKなのは、せいぜいミカンか、それよりも小さなものに限られる。ま、大きな果物でも小さくカットすればOKなんだけど。

飲物の場合は、やはり酒類が多い。
アル中?の私は、この気持ちはよく分かる。
日本酒や焼酎は、小さい紙パックのものがあるからまだしも、瓶か缶に限られるビールは簡単には入れられない。
「どうしても入れたい」
と言う場合は、蓋付きの小さな紙コップに入れ替えてもらうようにしている。
しかし、やはりビールは瓶か缶のままがいい。
美味しそうなビールが、容器を変えた途端にマズそうなビールになってしまう。
遺族や故人に申し訳ないような気持ちになるけど、火葬場(火葬炉)の都合もあるので仕方がない。

故人は老年の男性。
遺族(故人の妻子)は、
「柩に、お父さんが好きだったものを入れてあげたい」
と言いだした。
それは、よくあるケース。
しばらく検討した結果、「おでん」が挙がってきた。
なかなか珍しい選択だった。

「おでん?・・・故人の好物なのは分かるけど、おでんとはなぁ」
私は、どうやって入れてもらおうか考えた。
ビニール袋におでんを入れてもらうことも考えたが、あまり美味しそうに想像できない。
そこで、コンビニにあるような容器を用意してもらい、その中に入れてもらうことにした。

そうは言っても、無制限に入れる訳にはいかない。
特に故人が好んでいた具材を、4~5点選んでもらうことにした。
そして、ダシ汁も最小限にするように伝えた。

実際のおでんはまだ作られていなかったので、私は後日のためのアドバイスをするに留まったが、入れる量はくれぐれも少なめにするように念を押した。
火葬場からクレームがくると大変なことになるので、私も保身に走らざるを得なかった。

故人が特に好んだ具材は玉子らしかった。
これには、私も頷いた。
ただ、玉子は一度に何個も食べるのは身体(健康)に悪いということで、いつも数を制限して食べていたらしい。
そんな訳で、最期になる今回、遺族はたくさんの玉子を入れそうな雰囲気であった。

ちなみに、私が好むおでん具材は、大根・こんにゃく・スジ肉、そして玉子。
逆に、あまり好きじゃないのは、ハンペン・竹輪ぶ(私のケータイでは「ふ」の字がでない)、どちらかと言うとツミレも苦手な部類。

こんな風に思っているのは私だけかもしれないが、おでんって御飯のおかずにもしにくいし、酒のツマミにもしにくい食べ物だ。
濃くもなく薄くもない中途半端な味付けと、汁物か煮物が判断しにくい風体が、私にとってはシックリこないのだ。
だからと言って嫌いな訳じゃない。
ただ、その味より温かさや季節感・雰囲気を楽しむ食べ物のように思っている訳だ。
(この自論には、多くの人から異論を唱えられそうな気がする。)

故人を柩に納め、中を整えた私。
一通りのおでん指導も済んで、あとは柩の蓋を閉めれば作業終了となるはずだった。

そんなところで故人の妻が発した一言が、この後、物議をかもすことになってしまうのである。

「お父さんは玉子が好きだったんだけど、殻を剥くのを面倒臭がってたのよねぇ」

つづく






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最期の日

2007-01-19 08:45:07 | Weblog
ある女性が亡くなった。
死因は乳癌、30台半ばの死だった。

その一年半前、女性とその夫は二人の間に子供ができたことを喜んでいた。
お腹の中で胎児がスクスクと育っていることを実感し、幸せな日々を送っていたことだろう。

そんなある日、女性は胸の異変に気づいた。
念のために病院で検査。
そこでの診断は乳癌。
しかも、かなりの悪性。
軽率な表現になるが、まさに「天国から地獄」と言ったものだっただろう。

医師と夫婦は悩んだ。
抗がん剤の投与は胎児に悪影響がでる。
しかし、このまま放っておけば、出産まで命が保てるかどうか分からない。
そんな苦悩から出された結論は、最小限の投薬を行いながら、胎児の成長を待つ。
そして、帝王切開で出産の後、本格的な癌治療を開始するというものだった。

「身体が病むことより、子供が病むことの方が恐い」
女性は、そんな生き方をみせた。
癌細胞の拡大転移より早い胎児の成長を、命がけで祈っていたに違いない。

お腹の赤ちゃんは無事に成長し、そして生まれてきた。
薬の影響を受けている可能性が高く、女性は、子供に母乳を与えることはできなかった。
それでも、女性は子供の誕生がことのほか嬉しかったことだろう。

しかし、現実はそんなささやかな幸せも長くは与えてくれなかった。
既に女性の身体は抗癌治療に耐えられるレベルになかったのだ。
そこで下された診断は、「余命三ヶ月」。
酷な宣告だった。

それでも、夫婦は諦めなかった。
東洋医学や免疫療法にまで助けを求めた。
しかし、期待と裏腹に身体はみるみるうちに衰え、赤ん坊の一歳を共に祝うことなく最期の日を迎えたのである。

「最期の時、子供を抱いて逝きたい」
そんな女性の願いは叶えられた。

安置された女性は、痩せた笑顔を浮かべていた。

ある男性が亡くなった。
死因は悪性リンパ腫、40台半の死だった。

若かりし日の男性は、苦学生だった。
遊興に溺れる他学生を尻目に、一生懸命に勉強。
そして、大学で学んだことを生かして希望の仕事に就いた。
その仕事も順調で、妻と子供に囲まれて幸せに暮らしていた。
平凡かもしれないけど、あちらこちらに小さな幸せがたくさんあった。

そんなある日、何日も続く微熱が気になって病院に行ってみた。
検査の結果は、悪性リンパ腫。
早期の手術が求められた。

男性と家族は、その診断をとても受け入れることはできなかった。
男性は極度の鬱状態に陥り、妻は泣いて暮らす日々が続いた。
幼い子供達は、状況が理解できずに無邪気なまま。

手術は成功とも失敗とも言えないものだった。
戦いの日々の中で、男性はある確信にたどり着いた。

「身体が病むことより精神が病むことの方が恐い」
男性は、そんな生き方を見せてくれた。

強くなっていく精神とは逆に、身体は病に蝕まれていった。
手術も虚しく、そこで下された診断は「余命半年」。
酷な宣告だった。

男性とその家族は、自宅療法を選んだ。
病との闘うことより、家族との時間を優先したのだ。

残りの数ヵ月は、男性と家族にとって穏やかな日々だった。
寂しさと悲しみの中にも、輝いた真理があった。
そして、男性は家族のいる家で最期の日を迎えたのである。

「最期の時、空を仰ぎながら逝きたい」
そんな男性の願いは叶えられた。

安置された男性は、薄目を開けて微笑んでいた。

ある男が生きている。
30代後半。
時には心の闇に支配され、時には死人のようになり、色んなモノと戦いながら。

最期の日を、男はどんな顔をして迎えるのだろうか





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再会(後編)

2007-01-17 07:47:25 | Weblog
玄関ドアを開けた私は、女性を後ろに置いて一人で部屋に入っていった。
中に充満していた腐乱臭は相変わらずの濃さで、精神的にもかなりの苦痛だった。
臭いの種類には慣れても、悪臭そのものに対する免疫はなかなかできないものだ。

玄関ドアの開閉は、ほんの2~3秒の間のことだったが、その腐乱臭は後ろにいた女性にも届いたはずだった。
「どう感じただろうか」と思いながら、私は中に進んだ。

腐乱臭というヤツは、驚くほど瞬時に身体(服)に付着する。
濃い腐乱臭の場合はアッと言う間である。
その中に、ほんの数十秒もいれば、すぐに「生きた腐乱死体(ウ○コ男)」になれる(なりたくないだろうけど)。

「こんなことになるんだったら、もっと簡単にやっとけばよかった」
部屋を進む中で、自分でやった防臭処置を解くのに一手間も二手間もかかっり、イライラした私だった。

家具や家財道具の配置は、女性が描いてくれた見取り図とほとんど合っていた。
特に、腐乱痕が残るソファーまでが離婚当時のままの場所にあったことが、私に妙な感慨を与えた。
「昔は、二人で座っていたんだろうなぁ・・・」

私は奥に進み、クローゼットの中に書庫を見つけた。
そして、その中の引き出しに貴重品類を探した。
女性が指示した場所そのままに、権利書・預金通帳・カード、そして生命保険証書があった。

「よかったぁ!こんなにすんなり見つかって」
猛烈な悪臭の中に留まっていると、皮膚から鼻腔・肺までが汚染されるような錯覚にとらわれる。
したがって、滞在時間は短いに越したことはない。
目的物がスムーズに発見できると、それだけ早く退却できるので、私にとっても楽なのだ。

私は、それらの貴重品を手早くかき集めて玄関に向かった。

「部屋の模様は、ほとんど図の通りでしたよ」
女性は、少し嬉しそうだった。
「教えてもらった所にありました」
私は、持ち出したモノを女性に渡しながら、野次馬根性が頭を出してきたことが自覚できた。
そして、書類の一つ一つを確認する女性の顔を見つめた。

マンションの権利書は有効。
預金通帳には、ほとんど残金はなし。
生命保険は・・・
突然、女性が泣き始めた。
「?・・・どうしたんだろう」
私は、涙の理由を知りたかったが、これ以上は人間を下げたくなかったので黙っていた。

少しして、涙顔の女性が「中に入る」と言いだした。
私には、それを拒む権利も理由もないので、協力するしかなかった。
ただ、嗅覚と視覚を襲われる中の状況と、「中に入ることは、あまりお勧めできない」旨を伝えた。
それでも女性は中に入りたがった。
その決意は固いようだった。

「仕方ないな、一緒に行くか」
暗黙の了解で、私が先に中へ。
女性は、私が渡した手袋とマスクも着けずに私の後を着いてきた。
「マスクぐらいは着けた方がいいですよ」
「イエ、いいんです」

中は猛烈な悪臭。
普通の素人なら吐いてもおかしくないレベル。
しかし、女性は気丈に私の後を着いてきた。
そして、リビングへ。

「ここです、亡くなられたのは」
私は、グロテスクに汚れたソファーを指さした。
女性は、驚愕の表情を見せた後、また泣き始めた。
「ゴメンナサイ・・・」
雰囲気+悪臭=私は、いたたまれない気持ちになった。

私には、女性の涙の理由を知る由もなかった。
あくまでも憶測でしかないのだが、故人は離婚後に女性を受取人にした生命保険に加入していたのではないかと思われた。
それが、故人が女性に対してできるせめてもの愛情だったのではないかと。

かつては夫婦として、幸せな日々も苦しい日々も共に生きてきた二人。
そして、これがそんな二人の再会となった。
同時に、別れでもあった。

人と人との出会いと別れの妙を噛み締めながら、静かにたたずむ私だった。






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再会(中編)

2007-01-15 15:52:38 | Weblog
私は、住民達の立場を考えてみた。
その苦境は容易に想像できた。

地域に葬式場が建設されるだけでも、近隣住民が反対運動を起こすような世の中。
死や死体は、それだけの嫌われ者なのである。
しかし、このマンションにとってはそんなの可愛いもの。
何てったって、腐乱死体現場が放置されたままになっているのだから。

想像してみてほしい。
自宅の隣家が腐乱死体現場で、更に腐乱臭まで漂ってくる状態での生活を。
ツラいに決まっている。
この私ですら、そんな暮らしはまっぴら御免!無理だ。
賃貸マンションなら住み替えも考えられるけど、ここは分譲マンション。
逃げたくても、そう簡単には逃げられない。

そんな住民を、私は気の毒に思ったし、何とか要望に応えたいと思った。
「んー・・・じゃあ、住民の皆さんと管理会社さんとの共同責任と言うことで、やれるだけやりましょうか・・・」
そういうことで、簡単な消毒と防臭作業をやることになった。

悪臭の元が残っている以上は、消臭作業にも限界がある。
腐乱痕を放置したままでは焼石に水。
私は、故人宅の外に悪臭が漏れ出さないようにすることに主眼を置くことにして、部屋中に目張りを施した。
換気口や戸窓をはじめ、排水口などの外気とつながりそうな箇所を徹底的に塞いだのだ。
それから、一時しのぎの消臭芳香剤を使用。
最後に玄関を念入りに密閉。

「これで完了、しばらく様子をみて下さい」
私がそう言うと、住民達は少し安心した様子だった。
私自身が放つ腐乱臭が、私の仕事の説得力を増したようにも思えた。

そうして、私は現場を後にした。
「相続人も見つかりそうにないし、また来ることはないかもな」

それから何日か経ったある日、管理人から連絡が入った。
このマンションのことをすっかり忘れていた私は、瞬時には思い出せなかった。

「故人の関係者が見つかりました!」
「え!?見つかったんですか?」
探し出すのが絶望的と思われていた故人の関係者が見つかったらしかった。
私は、妙に嬉しくなってテンションを上げた。

後日、私は再び現場に出向いた。
現場には「故人の関係者」とされる中年の女性がいた。
聞くと「元妻」と言うことだった。
「元妻か・・・関係者なのか関係者じゃないのか、よく分かんないな」

私は、女性を伴って再び玄関の前に立った。
アノ腐乱臭は臭ってこなかった。
「とりあえず、防臭作業は成功だな」
そう思いながら、私は自分で貼り付けた目張りを剥がした。

「入ってみますか?」
私が尋ねると、女性は重い表情で首を横にふった。
「そう、無理に入ることはないですよ」
女性は泣いてはいなくても、重苦しそうな表情をしていた。

女性と故人は数年前に離婚していた。
このマンションは、何年かの結婚生活を経て手に入れたマイホームだった。
時折、笑顔が浮かぶその話しぶりから、タップリの楽しい思い出が詰まっていることが伺えた。

しかし幸せな夫婦生活は、夫(故人)のリストラを機に崩れていった。
なかなか新しい仕事に就けない故人は鬱病を煩っていった。
就職活動にも挫折、次第に家に引きこもるようになった。
そのうち、経済的にも精神的にも耐えられなくなり離婚。
何よりも、故人が毎日のように「死にたい、死にたい」とふさぎ込んでいる姿を見るのがツラかったらしい。
「本当なら、私が受け止めて支えてあげられればよかったんでしょうけど・・・」
女性は、後悔と諦めの表情でつぶやいた。

離婚してから、二人は会ってもいないし、女性がこのマンションに来ることもなかったらしい。
気にはなっていたけど。

そんな話しを聞いていると、人生の羽陽曲折をしみじみ感じた。

女性は私に、
「部屋の中の貴重品を探し出してほしい」
と依頼してきた。
そして、
「私が一緒に住んでいた頃と変わっていなければ・・・」
と、家具の見取り図に書いて、貴重品のありそうな所を私に教えてくれた。

「俺は、また腐乱臭漬になるのか・・・」
私は、玄関のドアノブに手を掛けた。

つづく





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再会(前編)

2007-01-13 12:07:10 | Weblog
独り暮しの中年男性が死んだ。
現場は、大規模な分譲マンション。
中の状況をほとんど知らされないまま、私は現場に出向いた。
私が到着すると、管理組合の人達(近隣住民)が何人も集まってきた。

見積を依頼してきたのは、マンションの管理人。
管理会社も管理組合(住民)も、その部屋をどうすればよいのか、ホトホト困り果てているようだった。
そのまま放置しておく訳にもいかず、かと言って何をどうすればいいのか見当もつかない。
そんなところで探し当てたのが「特殊清掃戦う男たち」、とりあえず私の出番となった訳だった。

故人は、生前から近所付き合いもなく、住民からも嫌われていた。
ゴミの出し方や騒音など、回りとの協調性に欠け住民とのトラブルも少なくなかったらしい。
故人のことを良く言う人は誰もいなかった。

「生きていても嫌われ、死んでからも嫌われる訳か・・・」
「せめて、発見が早けりゃなぁ・・・」
住民には住民の言い分はあるのだろうが、私は、故人を気の毒に思った。

話ばかり聞いていても仕方がないので、とりあえず現場の部屋に行ってみることに。
何人かの人が玄関前について来た。
玄関前に立っただけでいつもの腐乱臭がプ~ン。
「こりゃ、結構きてんな」
後退りする住民を置いて、私は玄関を開けて一人で中に入った。
熟成された濃い腐乱臭が充満する部屋を進むと、リビングに腐乱痕を見つけた。
それは、リビングのソファーを中心に広がっていた。
「ここかぁ・・・こりゃ死後かなり経ったな」
頭の形に丸く凹んだクッションが、故人の姿を想像させた。

中を見終えて玄関を出ると、住民達が待ち構えていた。
そして、「早く何とかしてくれ!」と言わんばかりの質問攻めにあった。
私は、中の状況を素人でも理解しやすいように説明した。
私の話を聞くと、皆がシカメッ面になり、鼻・口を手でふさいだ。
気持ち悪くなったのか恐くなったのか、話の途中で輪から抜ける人もいた。

住民達は、すぐにでも特掃業務を依頼したいようだった。
私だって、仕事はもらえた方がいいに決まっている。
恋愛関係に例えると、まさに一目惚れ・相思相愛状態。
しかし、私にとっては重大な問題があった。

「ところで、費用はどなたが負担されますか?」
皆が「えっ?」っていう顔をして、お互いの顔を見合わせた。
そして黙り込んだ。
肝心の費用を負担しようとする人が誰もいなかったのである。
住民や管理人の間に、気まずい雰囲気が流れた。
代金をもらえないのなら仕事にならない。
気持ちはあっても、さすがに無料ではできない。

独り暮らしの故人には、身寄りがいないらしかった。
「身寄りがいない」と言うことは、「遺族」と呼べる人が誰もいないと言うこと。
つまり、相続人がいないと言うことだった。
特掃の代金うんぬんどころではなく、実は、これがかなりやっかいな問題だった。

部屋の中がどんなに熟成されていても、中にあるものは故人の所有物。
相続人の許可もないうちから、勝手に片付ける訳にはいかない。
決定権者・責任権者がいないのだから、手の出しようがない。
「よかれ」と思ってやったことが後々に問題になる可能性だってある訳で、私は費用の問題以外にもこの現場に踏み込めない理由があることを説明した。

私が参上した時は期待して喜んでくれた人々だったが、私が「できない理由」を述べた途端にガックリ暗くなった。

「どうしても無理ですか?」
「だったら、この臭いだけでも何とかなりませんか?」
「そのくらいの費用でしたら、管理組合で負担しますので」
住民達は、藁をも掴む様子で頼ってきた。

こういう時に役に立ってこその私。
私としても、住民達の要望には応えたかった。
「しかしなぁ・・・」
私は、迷った。

つづく





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便所掃除

2007-01-11 16:36:19 | Weblog
昔々、私が小学校低学年だった時の話。
私が通っていた小学校は、校内の清掃を自分達(児童)がやっていた。
教室以外の公用部も、グループ分けされた児童が持ち回りで掃除することになっていた。
職員室・体育館・廊下etc、そしてトイレも。

子供の世界では(大人の世界でも?)トイレの掃除はぶっちぎりで不人気。
だから、トイレ掃除の当番に当たった者は「可哀相なヤツ」みたいな扱いを受けていたように思い出す。

ある時、私のグループにトイレ掃除の番が回ってきた。
私は、イヤでもなくスキでもなく、命じられるままに掃除にとりかかった。
当時から、気が弱くて主体性に乏しい子供だった私は、みんなが嫌がるトイレ掃除の中でも最も嫌われる便器掃除を暗黙の了解でやらされた。
まぁ、特に苦にもせず黙々とやる私だった。

そこに、教師が通りかかった。
素手に雑巾を持って便器を拭いている私を見た先生は、驚きながら私の行いを褒めてくれた。
「誰もが嫌がる便器掃除を、しかも素手でやるなんて偉い!」
ってな具合いで。
何事も、褒められて悪い気はしない。
ますます張り切って便器を拭く私(単細胞)だった。

先生には余程にインパクトがあったのだろうか、クラスのホームルームでもこのことを取り上げて私のことを褒めてくれた。
さすがに、そこまで褒め倒されると得意になる以上に「俺って変人?」と、複雑な心境になったのを覚えている。

承知の通り、私は、大人になった今でもトイレ掃除をしている。
生業として。
しかも、普通じゃないトイレばかりを。

「俺の汚掃除人生は、いつまで続くんだろうか」
余計なことを考えると気分が暗くなるので、あまり物事を深く考えないようにしたいのだが、何故だか考えてしまう。
「それも俺の性分」と諦めるしかないのだろうか。

また、余計なことを考えられるうちは、「まだ心的余裕がある」とも見ることができる。
マジでイッちゃってる特掃現場に遭遇したときは、余計なことを考える余裕はなくなる。
それで、頭の一部は楽になる。
反面、違う部分がツラくなるけど。
どっちが楽なのか、自分でも判断できない。

死体業、特に特掃は誰もが嫌がるものだろう。
人が嫌がることを率先してやっている私は偉いのだろうか。
子供の頃のトイレ掃除は無償の奉仕。
大人になってからのトイレ掃除は有償の仕事。
有償の仕事でやっている訳だから、特に偉いはずもない。

仕事を通じて、感謝してもらえることは多い。
ただ、礼を言われることはあっても、褒められることはない。
歳のせいだろうか・・・子供じゃないんだから仕方がないか。

以前にも書いた通り、私は世のため人のために仕事をしているつもりは毛頭ない。
人や社会への貢献は、二次的・三次的についてきているだけ。
虚しくなる時も多いけど、一次的には「自分のため金のため」だ。

そんな私でも、「たまには無償の奉仕をして人の役に立ってみたい」という願望がある。
誰も褒めてくれなくてもいいから。
でも、実際にそんな行動を起こさないところに私の弱さと汚さがある。

腐乱した人間の身体は弱くて汚い。
猛烈な悪臭を放つ汚物と化す。
故人や遺族に失礼な表現になるけど、糞尿よりも汚く思えるものかもしれない。
そんな遺体が使っていたトイレは並じゃない。

普通の人からすると、普通のトイレはそれなりに汚く感じるものなのだろうが、私にとって普通のトイレはやたらときれいに感じる。
たまに、自宅のトイレを掃除するけど、汚いなんてちっとも思わない。
糞尿の汚れなんて可愛いもんだ。

「やはり、この世で一番汚いのは人間なのではないだろうか」
時々、私はそう思う。






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魂、燃やして

2007-01-09 08:41:26 | Weblog
2007年が始まって今日で九日目。
長い人だと、昨日まで正月休みだった人もいるだろう(羨ましい)。
「正月休みは昨日でおしまい」「今日から仕事」と言う人も少なくないのではないだろうか。

新年早々のブログの幕開けは、私の気分を反映して低空飛行を続けている。
元来、私の書くものは明るく楽しいネタじゃないもんだから尚更だ。

この正月は、本ブログにとって初めての年越しだったので、正月早々から本ブログを開ける人はいるかどうか、興味のあるところだった。
実際がどうだったかは、管理人に尋いてみないと分からないけど。

年末年始を私が憂鬱に思うことは、過日のブログから何度も書いている通り。
したがって、今日も気分は大して浮いていない・・・と言うより、かなり落ちている。
新年が明けると「また今年も一月からやり直しか・・・」と、過ぎる前から疲れてしまう。
私の悪い癖だ。
一月早々からネガティブオーラを放ってしまって申し訳ない。

特掃ってキツい仕事だけど、高い給料がとれる訳でもない。
一般の人は、高い収入が得られるものと勝手に勘違いする。
「誰もやりたがらない過酷な仕事なんだから、給料くらいは高くないとやってる意味ないでしょ?」
そういう理屈だ。
それが、実際はそうじゃないと分かると、
「じゃ、何のためにやってるの?」
とくる。
そんな事を尋ねられても困る。
私自身でさえも他人事のように
「さぁ・・・なんででしょうねぇ」
と不可思議に思うくらいなんだから。
これが私の天職なのか宿命なのか・・・。

以前のブログにもハッキリ書いたので、話のついでに再び私の昨年の年収を公開しよう。
昨年の私の収入は500万円。
もちろん、手取額ではなく総支給額。
手取月給は30万円台前半。
例年通り、ボーナスはなし。
秋までの月給だと500万を下回りそうだったんだけど、11月・12月と挽回して何とか500万は割らずに済んだ。
前回同様、ウソをついても仕方がないんで正直なところである。
残念ながら、よくなかった一昨年を更に下回ってしまった。

景気が回復してきたのは表の社会だけだろう。
私のような者には関係がない。
労働法規が通用するのも役所や大手企業だけだろう。
私のような者がそんなことを言っていては食べていけない。
ま、ワーキングプアに陥らないことを願って(既に陥っている?)、今年も特掃魂を磨いていこう。

今年も、何人もの死と関わることになるはずだし、ここ数日で既に何人かと関わった。
これからの数は未知数だけど、まずは自殺者が少ないことを願う。
公にされている自殺者数からも分かるように、死にたくて死ぬ人の数は決して少なくない。
しかし、腐乱したい人は少ないのではないだろうか。
汚物を垂れ流し、悪臭を放ち、醜態を晒し、誰からも嫌悪される汚物になりたい人がいるだろうか。
自ら死を選ぶ人にとっては、「そんなこと、知ったことじゃない」のだろうが、残された人や私にとっては重大問題だ。
そんな人達の痕片付けは、私の魂を磨いてくれる(汚してもくれるけど)。

「生きていることに疲れた」
「もう死んでしまいたい」
私だって、そんな心の闇に襲われることがある。
でも、何とか踏ん張ってここまで生きてきた。
生き方に後悔はあるけど、生きてきたことに後悔はない。

また、これからどんな艱難が襲ってくるか分からない。
人や金etc、色んなものに怯え、ビビりながらの人生を歩いているけど、「こんな所でくたばりたくない」という本能がある。
イヤ、「本能」と言うより、死体業で育まれた生魂みたいなものだ(特掃魂もその一つ)。

魂を燃やして、人生を熱くする。
それも私の生き方だ。
(↑このポジティブさは私らしくない?)





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目的地

2007-01-07 08:53:18 | Weblog
長閑な昼下がりのある日、電車に乗っていたときのこと。
車内は乗客もまばらで空いていた。
私の向かい側に座る高校生らしき男子の会話が耳に入ってきた。
どうも、高校卒業後の進路(大学受験)について話しているらしかった。

「第一志望、受かりそうか?」
「厳しい!お前は?」
「俺もビミョー、模試もギリギリ」
「第二志望は?」
「だったら、イケるかも」
「落ちたら浪人?」
「多分な」
「だよな」

その昔、自分にもそんな時期があったことを懐かしみながら、目的地までの暇つぶしに彼等の会話に耳を傾けた。

「今時、高卒じゃ社会に通用しねぇだろ?」
「しねぇ、しねぇ」
「それどころか、大卒でも三流は厳しいらしいぞ」
「うぁ~、それだけは避けたい!」
「死んだ方がマシ!」

「死」というキーワードに私の脳が反応した。
もちろん、彼等は軽い冗談のつもりで吐いたセリフなのだろうが。
「死ぬなんて言葉を軽はずみに使える人間は、幸せ者かもしれないな」
私は、そんな風に思った。

学歴に対するこの価値観は、私にも身に覚えがある。
学問より学歴の方に価値が置かれている今の社会。
では、何のために学歴を求めるのだろうか。
社会的地位や権力の獲得?
その向こうには、やはり経済力への羨望が見える。
そして、経済力を持つ目的は、幸せな人生を手に入れること。

人々の考えの中には、幸せな人生を獲得する確率・可能性を少しでも高めるための重要素として学歴があるのだろう。

「経済力と幸福度は比例する」
こんな価値観が蔓延して久しい。
人類が貨幣経済を手に入れてからの、永きにわたる命題だ。

それはそれで今の社会を構成している大きな価値観なのだから、私は否定するつもりはないし、私が否定できるものでもない(私もお金が大好きだし)。
これも、時代の文化かもしれない。
しかしまた、これがどれだけ幸福人生の実現に貢献できるものなのか、調べられるものだったら調べてみたい。

こんな私が吐いたところで何の説得力もないけど、
「経済力を持つことと、人間が幸せに生きていけることとは必ずしもリンクしない」
と私は思っている。
この世を幸せに生きるうえでは、経済力の影響が大きいことも否定できないけど。

「経済力を持てない負け犬が、自己満足のために価値観の転換を図っているだけ」
こんな私は、一般にはそう映るかもしれない。
しかしまぁ、人の死にまみれて生きている者(私)にしか分からないことかもしれないね。

ある男子大学生が死んだ。
バイクでの交通事故、スピードのだし過ぎによる激突死だった。
運転していたのは、親が買い与えたオートバイ。
大学合格祝のプレゼントだったらしい。
ヘルメットのおかげだろうか、身体の損傷に比べて顔はきれいだった。
事故死の場合は、最期の対面がすすめられない遺体も少なくない。
不幸中の幸いと言ったら語弊があるだろうが、この親子はその状況は免れた。

彼の学校は「一流大学」と言っていいレベルのところだった。
両親いわく、中学から受験開始、高校も進学校に行かせ、大学も一流校を目指させて勉強ばかりさせていたらしい。
そして、晴れて大学生になった故人は、前から好きだったバイクに乗り始めた。
抑圧されていたものを吹き飛ばしたかったのか、受験勉強から解放された彼を抑えるものはなかっのか・・・。

「こんなことになるんだったら、好きなことをさせてやればよかった・・・」
大学二年になることなく逝った息子を前に泣く両親。
私は、掛ける言葉もなく黙って仕事を続けるしかなかった。

人生は長い道を歩いていくことにも例えられる。
その時々で、目標・目的地を持つことは大切だと思う。
ただ、それは中間目標・中間地点であることを忘れてはならない。

では、
最終目標は何?
最期の目的地はどこ?
まぁ、それが分かってれば、こんな苦労はしてないか。

私は、目的地に着いた電車を降りた。
そして、そのまま乗り去って行った男子高校生に思った。
「彼等の目指すべき目的地はどこなんだろうか・・・とにかく、中途半端な所で死ぬなよ」と。




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限りある時間

2007-01-05 09:07:57 | Weblog
人(この世)の命が有限なのは承知の通り。
だだ、時間そのものって無限なのだろうか、有限なのだろうか。

時間は万民に公平に与えられているようで、実はそうでもないようにも思う。
これは、単に寿命の長短を指してのことではない。

嬉しい時・楽しい時、時間の経つのがメチャクチャ速い。
その逆に、苦しい時・辛い時は時間が経つのも遅い。

と言うことは、人生を楽しく謳歌している人は、一生も短く感じるのだろうか。
そして、私のように苦しみながら生きている者にとっては、一生は長く感じるのだろうか。

時間経過の感じ方は皮肉なものだ。
少々簡単過ぎる解釈になるけど、「苦しめば長寿、楽しめば短命」ってことにもなりそう。
一般的によく耳にする言い方は、「細く長く、太く短く」。
そんなことを考えていると、むやみに「寿命は長い方がいい」とは言えなくなる。

地味~な暮らしをしている私には、時間が速く過ぎるといった感を覚えることはあまりない。
・・・あ!一つだけある。睡眠時間だ。
一日を終えて横になる時の気分は格別。
しかし、やっと布団に入れたかと思ったら、アッと言う間に朝になっている。
朝が来るのって、なんでこうも速いのだろう。
「さっき寝入ったばかりなのに、もう朝?」
「時計が壊れているんじゃない?」
と何度も時計を見直してしまうこともある。
特に、今のような寒い時季の起床は辛い!暗いし寒いし。

ちなみに、翌日にヘビーな特掃を抱えていると、別の意味で格別。
目が冴えてなかなか眠れないうえに、寝汗をかいて唸されることもしばしば。

他に、時間経過の感じ方が麻痺することもある。
仕事に追われている時。
やらなければならないことが後手後手になっている時や、何らかの理由で仕事が予定通りに進まない時だ。

老朽の公営団地。
ビビりながらも、「頑張ります」と請け負った汚腐呂掃除。
言葉通りに頑張って、浴室・浴槽をきれいにした。
仕事の成果に遺族(依頼者)も満足。
そんなところに管理組合の主が現れた。
「この浴槽は団地のモノではないので撤去して下さい」
「え?風呂も片付けなければならないの?」
困った遺族は、すがるような目で私を見た。
「仕方がないですね・・・」
予定外のことだったが、私は、浴槽を引き取ることにして、それを動かした。

ここで説明を入れておく。
古い団地やアパートには、浴室はあっても浴槽は住人が持ち込み設置するところがある。
そして、退去するときは住人の責任において撤去しなければならない。
風呂も、家財の一つという訳だ。

「風呂」と言っても色々ある。
浴槽だけの場合もあれば、給湯機械付のものまで多種多様。
ただ、総じてそのサイズは小さい。
「これが風呂?小せぇー」
と驚くほど小さいものがほとんど。
だから、一人でも持ち上げられる訳なのだが。

話を戻す。
浴槽を持ち上げた私は仰天!
浴室の出入口と浴槽のサイズが合っていなかったのだ。
明らかに、浴槽の方がデカい。
狭い入口からは、どうやっても浴槽を出すことができなかった。
「どうやって入れたんだろぉ・・・」
私はパズルでも解くかのように、浴槽の向きをあらゆる方向に変えながらチャレンジしてみた。

その時点では普通の浴槽に見えていたけど、それが元は汚腐呂だったことは遺族も管理人も承知のこと。
浴槽を抱えて四苦八苦する私を気まずそうに見ているだけで、誰も手伝ってくれようとはしなかった。
また、「手伝ってくれ」とも言えなかった。
モノがモノだけに、苦労が絶えない仕事だ。

「ハマってしまった!」私は、焦ってきた。
時間制限はなかったものの、素人っぽい仕事ぶりを遺族・管理人に見られていることにプレッシャーを感じていた。
悪いことをしている訳でもないのに「針のムシロ」状態で、妙に居心地が悪かった。
こういう時は、時間経過が速いようでもあり遅いようでもある。
結局、浴槽はかなりの荒ワザを使って撤去した。

私には、毎日が長い。
いいことなのか、わるいことなのか・・・いいことではなさそうだ。
それでも、一生を終えるときは「アッという間だった」と思うのだろう。

できることなら、毎日が短く感じるくらいに、充実した日々を送りたいものだ。
限りある時間の中に生きているのだから。




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2007-01-03 08:56:48 | Weblog
俗に言う「正月三が日」も今日で終わり。
明日くらいから、世間はいつもの動きを取り戻してくるのだろうか。
くどいくらいに言ってるけど、死体業には盆も正月も関係ない上にめでたい仕事でもないもんだから、世間とのギャップに私の気分は低滞気味である。

このブログを書き始めたのは昨年の五月、晩春だった。
あれから、8ヶ月弱。
喜怒哀楽・試行錯誤の中で今日まで書き(ケータイ打ちまくり)続けている。

特掃の仕事は、毎日決まった件数が入ってくる訳ではない。
一年を通じた季節変動もあるし、日々の仕事量にも波がある。
「もう勘弁してくれ!」
と思うほど立て込む時もあれば、
「今月は飲み代がでないかも?」
と不安になるほど仕事が止まる時もある。
しかし、自然の摂理なのか何なのか分からないけど、一年が過ぎてみると毎年うまく帳尻が合っている。
欲を言わせてもらえれば、もうちょっと稼がせてもらいたいけど・・・。
しかし、人が死ぬことによって糧を得る仕事って、心中複雑だ。
しかも、特掃は並の死に方じゃ仕事にならない訳で・・・。
私は、決して、人の死を望んでいる訳ではない。
ましてや、異常死なんて望む訳ない。
だけど、私はそれがないと食っていけない。

心の闇に支配されると、
「俺って、死体にたかるハイエナだな・・・いや、ハエ・・・ウジだな」
等と考えて、更に落ち込む。

私について書いてくれるコメントには、
「職業に上下をつけ過ぎ」
「社会的地位を気にし過ぎ」
「自分を卑下し過ぎ」
と言う旨のコメントが少なくない。

書き込んでくれる人の気づかいや励ましはありがたい。ホントに。
だけど、これをどう受け止めるべきかなかなか悩む。

死体業って、人が死ぬのを待つ仕事。
そして、一般社会では死を連想させることは敬遠され死体は嫌悪される。
商売繁盛を願うことと人が死ぬことを分離して考えていても、結局は一義的なもの。
私が、ことあるごとに自分を卑下してしまう原因の一つはこの辺にあるのかもしれない。

人の縁って不思議なもの。
人生は、出会いと別れの繰り返しだ。
その時々に色んな人と出会い、いつの間にか別れていく。

特掃をやってても色んな人と出会うが、昨年は例年にない出会いがあった。
ブログを読んでくれている人との出会いだ。
「まさか、現場で読者と会うことになるとは・・・」
依頼者には、うちに見積・作業を頼んだ後でブログを読んでくれる人が多い。
そんな中でも、現場が発生する前から読んでくれている人が数人いた訳である。
全体の施行件数から比べると少ないけど、その数人との出会いには、驚きとともに不思議な縁を感じた。

だいたいの現場では、見積検分の際に初めて依頼者と会う。
そこで初対面した時に、
「ブログ、読んでますよ」
「まさか、自分がお願いすることになるなんて、思ってもみませんでした」
そんな風に声を掛けてくれる。
「あぁ、そうですか・・・」
「それは、どうも・・・」
私は、わざと淡泊な反応をする。
ブログの外ではシャイな私、何となく恥ずかしいのだ。
幸いなことに、
「貴方が特掃隊長ですか?」
と、ハッキリ尋いてくる人はいなかった。
そして、尋ねられないので、私の方からも自分が特掃隊長であることは言わないでいた。
暗黙の了解?

ただ、ありがたいことに、どの人も紳士淑女的に接してくれ、気持ちよく仕事をさせてもらった。
そして、皆さんが私に礼を言ってくれ、中には、「これからも読みますね」と、不幸の最中なのに笑顔で手を振ってくれた女性もいた。
人に嫌悪されることには免疫があっても、人に優しくされることには慣れていない私。
何気ない心配りでも、涙がチョチョぎれそうになる。
「この仕事も悪いことばかりじゃないな」
と、ホットな気分になった。

「人生」って、「人が生きる」と書く。
「人間」って、「人の間」と書く。
やっぱり、生きるうえでは人と人との縁は大事だ。
ただ、私が持つ縁のほとんどは「腐れ縁」だ。
自慢にもならないことは承知だけど、これだけたくさんの腐れ縁を持っている人間は、一億日本国民の中にもそうはいまい。

どんな人も、日々の生活で、私などとは関わらないで過ごせるに越したことはない。
既に私に会ってしまった方々、二度と会わないで済むことを祈る。
まだ会ってない方は、会わないようにしたいもんだね。




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