特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

火炎(前編)

2008-04-30 09:24:05 | Weblog
世の中には、恐いこと・怖いものがたくさんある。
地震・雷・火事・親父
死・事故・ケガ・病気・
・・・ある種、〝人間〟もその類に入るかも。
それらには、人的なものもあれば自然的なものもある。
自然的なものの代表格は、やはり地震か。

日本は地震大国。
特に、私がいる関東は地震が多い。
〝地面は動かない〟という前提で暮らしているのに、それが揺れるのだからたまったものではない。
ただ、小地震が頻発する中に暮らしているので、無意識のうちに〝地震慣れ〟している。
グラッときても、
「また地震かぁ・・・ま、たいしたことないだろ」
なんて、ナメてかかっている。

子供の頃は、学校の防災訓練で習った通りテーブルの下に隠れたりしたものだが、結局、今まで大地震に見舞われたことがないため、今では避難の初動さえしなくなっている。
挙げ句の果てには、少し大きく揺れたり揺れがなかなか治まらなかったりすると、
「ジタバタしたって無駄!」
「自然が相手じゃどうしようもない」
「ここで死んでも、それが俺の運命だ」
なんて、妙に開き直ったりなんかして。
でも、そんな人間に限って、いよいよの時はなりふり構わず、みっともないくらいに狼狽えるんだよね。

何はともあれ、地震に遭遇すると、自然に対して人間は小さく無力であることを痛感させられる。


人為的なケースが多いのだろうが、火事も怖い。
幸い、私自身は火事をだした経験はないけど、火事の恐ろしさを感じたことは何度かある。
数はそんなに多くはないけど、特殊清掃撤去作業の一つとして、火災跡の片付けや消臭消毒を依頼されることがあるのだ。

その昔、初めて行った火災跡には衝撃を受けた。
煤臭さ・煙臭さが充満する室内は真っ黒。
家財生活用品は火事前の形をとどめず、元が何だったかもわからない状態。
何もかもが、ボロボロのゴミにしか見えず。
直接燃えてないところまで煤で真っ黒、熱で変形・変質。
天井も壁も床も煤だらけ、家財生活用品も燃えカス状態。
電気・ガス・水道などのライフラインも完全に遮断。
「ここまでイッちゃうのか!」と、ヒドく驚かされたものだった。


ある日の朝、火災現場の跡片付けを相談する電話が入った。
電話の向こうの女性は三十を過ぎたくらいの年齢に感じられたが、災難に遭ったせいか、声に張りがない。
どうも、関係各所にあたった末に、うちにたどり着いたようだった。
しかし、対する私は、現場を見ていないので大まかな返答しかできず。
細かいアドバイスをするには、現地調査が必要であることを伝えた。
結局、女性は火事で脚に火傷を負っていたため、現地調査の日取りは、そのキズが癒えてからあらためて決めることになった。

それから数日後、その女性から再び電話が入った。
まるで別人のように、前回の電話よりも声は明るく「脚の火傷も普通に歩けるくらいまで回復した」とのこと。
私達は、日時を合わせて現地で待ち合わせることにした。

現場は、狭い路地が迷路のように入り組んだエリアに建つ賃貸マンション。
一階入口には小さなエントランスがあり、私は、そこで女性が現れるのを待った。
それから程なくして、想像していたよりも更に若い感じの女性がやって来た。

「ご苦労様です」
「こんにちは・・・大変でしたね」
「ええ・・・」
「電話で伺ったこととダブるかもしれませんけど、簡単に中の状態を教えて下さい」
「はい・・・」
女性は、思い出したくなさそうに表情を曇らせたが、それでは私の方は仕事にならず。
私は、作業に必要と思われることを気を使いながら尋ねた。

女性は、一人暮らし。
その夜、いつものように一人で晩酌。
ホロ酔いの中、適当にふかしていた煙草をきちんと始末せずに寝入ってしまった。
その火が何かに引火、そのまま周囲に延焼。
女性が気づいたとき、火の手は足元にまで及んでおり、完全に手遅れの状態。
瞬時に消火を諦め、煙が充満する視界ゼロの中を四つ足で脱出。
モウモウと上がる黒煙・狂気乱舞する炎・静かな夜を切り裂く消防車のサイレン・・・
「逃げ出せた後も、しばらくは生きた心地がしなかった」
と、女性は興奮気味に語った。

女性は、ヘビースモーカーというわけではなく、昼間は〝ほとんど・・・〟と言っていいほどタバコを吸わず。
その嗜好度は、やめようと思えばいつでもやめられる程度。
ところが、夜、酒を飲むと無性に吸いたくなり、晩酌をしながらの一服は長年の習慣になっていた。
ただ、キチンと灰皿を使っていたし、それまで危ない目にも遭ったことがなかったため、火事に対する危機感はほとんど持っておらず。
その油断が、この惨事を引き起こしたのだった。


火事をだすと、被害はその家だけでは済まされない。
仮に、直接的な延焼は免れたとしても、近隣の住宅は煙・煤・汚水・悪臭などの害を被る。
それが集合住宅なら尚更のこと。
特に、現場の上下階には甚大な被害をもたらす。
それは、家財・生活用品や建物だけではなく、他人の生活をも破壊することもある。
また、場合によっては、命まで奪うことになりかねない。
それが分かってのことだろう、エントランスを通る他の住人は我々を眼中に入れることなく素通りしていのだが、女性は行き交う人々に対してオドオド。
他人に迷惑をかけてしまった罪悪感と顰蹙をかっているいたたまれなさに焦心しているようで、人が通るたびにビクビクと顔を俯かせた。
〝それも本人の自己責任〟と言えばそれまでのことだったけど、私は、そんな女性を気の毒に思った。

「ところで、ケガはもう大丈夫なんですか?」
「ええ・・・でも、最初はヒドかったんですよ」
「そうですか・・・」
「でも、足だけで済んでよかったです・・・しかも、比較的軽かったんで」
「そうですね」
女性は、目立つところに負傷しなかった幸運に微笑。
片足の脹ら脛を愛おしそうに何度もさすった。

「軽傷で済んだのは何よりなんですけど、逃げるのが精一杯で、大事なものは何一つ持ち出せなかったんですよ」
「でも、自分の命を持ち出せただけ御の字じゃないですか!」
「そう・・・ホントそうですよ!」
「ホント!ホント!」
女性は、災難の中にあって命を落とさなかった喜びを強調。
笑顔の上に笑顔を重ねた。

「ただ・・・」
「は?」
「飼っていた猫がいまして・・・」
「え゛っ!?」
「あの時、必死に呼んだんですけど、出てこなくて・・・」
「と言うことは・・・まだ、中に?」
「た、多分・・・」
「・・・」
女性の明るい表情は一転、今にも泣き出しそうに。
同時に、私の頭にイヤな予感が、背中には冷たい悪寒が走った。

「申し訳ないのですが・・・」
「はぃ・・・」
「その猫を探し出していただきたいんですけど・・・」
「はぁ・・・」
「無理ですか?」
「無理かどうかはやってみないとわかりませんけど・・・」
私の悪い予感は的中。
悪寒は、現実のものへとかたちを変えつつあった。

「なにせ、中は真っ黒で、残骸の山ですからねぇ・・・」
「ダメですか?」
「探し出せる約束はできませんけど、やれるだけのことはやってみましょうか」
「ありがとうございます」
探し出せる自信もなかったし探し出したくもないような心境だったが、私に断る術はなく・・・
何はともあれ、とりあえず現場に入ることにした。

玄関付近には、火災跡の独特のニオイが停滞。
周辺の壁には、煙が吹き上がった流れに沿って黒い煤汚れが広がり、そこが火災現場であることは誰の目にも明らか。
私は、重く軋むドアを引いて、中に足を踏み入れた。

「あ゛ー・・・やっぱ、こんな感じか・・・」
予想通り、2DKの室内は真っ黒・真っ暗。
寝室らしき一室は全焼、上下・前後・左右ほとんど炭と灰と煤。
もう一室と台所は、煤と熱で完全に崩壊。
猫の件があったので、私は、注意深く懐中電灯を動かした。

「こりゃ、全然ダメだな」
部屋の中は瓦礫の野と化し、使えそうなものは一切見当たらず。
財産を一瞬にしてガラクタにする火事の怖さをあらためて思い知らされた。

「ネコちゃ~ん」
微妙に震える声で呼び掛けたが、当然のように反応はなし。
部屋で生き残っている可能性が極めて低いことはわかっていたけど、〝ひょっとして、女性の気づかないところで脱出を果たしているかも〟と淡い期待を抱きながら、ゆっくり部屋を進んだ。

「あ゛!」
懐中電灯の光は、燃えカスの中に動物の身体らしきものを発見。
黒く汚れたそれは、明らかに動物に見えた。

猫の死骸を片付けるのは慣れてはいたけど、何度やっても、嫌悪感に近い緊張感は湧いてくる。
その時も、作業服の下にブツブツと鳥肌が立っていくのが自分でもわかった。
ただ、いちいち自分の好みに口を挟ませていては仕事にならない。
私は、自分の頭と身体を機械化して目的物に接近。
手の先を見ないようにしながら腕を伸ばした。

「うへぇ・・・」
どこの部位がわからないけど、触った感触は柔らか。
腐乱していればグズグズ、そうでなければ死後硬直でカチカチのはず。
しかし、それは、そのどちらでもなく弾力のある柔らかさがあった。

「どおすっかなぁ・・・」
依頼された作業は単純なもの。
私は、考えることなんか何もないのに、その場に硬直。
腰が引けているのが自分でもわかるくらいに、精神のバランスが崩れかかっていた。

「お゛りゃッ!」
私は、頭を真っ白にして手をパーに。
そして、目を閉じて一気にグー。
それを引き上げながら、心にチョキをだした。

「はへ? 」
予想を超えた軽さにビックリ。
私は、薄目を開けながら、それに懐中電灯を向けた。

「???」
すると・・・それは、ぬいぐるみ。
汚れて見窄らしくなった、ただのぬいぐるみだった。

「カーッ!紛らわしいなぁ・・・もおっ!」
ビビっていた分の反動が、やり場のない苛立ちになって噴出。
同時に、緊張の糸は切れて身体の力が抜けてしまった。

それからしばらく探索を続けたものの、時間経過とともに気力が消失。
私は、適当なところで探索を打ち切り、エントランスに戻った。

「だいたいの状況はわかりました」
「はい・・・」
「一日いただければ片付きますよ」
「そうですか・・・よかったぁ」
「あと、猫ですけど・・・」
「はい・・・」
「一通り見てみましたけど、ちょっと目につきませんでしたね」
「・・・」
「何かの陰に入り込んでるのかもしれませんし・・・残骸を片付けながらでないと見つけるのは難しいと思いますよ」
「・・・」
私は、〝できる限りのことをやった〟という自負心のないまま、次の作業を提案。
消沈する女性の顔に猫の最期が重なり、何ともブルーな気分になった。

「どこに頼んでも断られまして・・・」
「まぁ、火災現場は普通の片付けのようにはいきませんからね」
「はぃ・・・」
「実際、作業を嫌がるところは多いですよ」
「ここは、猫の件があるから尚更で・・・」
「・・・でしょうね」
「もう他に頼めるところがないんです・・・」
相手が弱った女性であることが影響したかどうかは自分でもわからなかったが、その一言は、私の特掃魂に火をつけるには充分の火力があった。

つづく









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食べ放題・生き放題

2008-04-26 16:49:40 | Weblog
私のブログは、飲み食いネタが多い。
これは、私の趣味志向の現れだろう。
そこで読み取れるのは、これを書いている人間の食欲が旺盛であることと、食べることくらいしか楽しみがない寂しさ。
・・・自分でも可笑しいくらいに動物的な暮らしだ。
そんな変わり映えのしない毎日、目新しいことが何もない毎日を〝退屈〟と捉えるか〝平和〟と捉えるかは個人差がありそうだけど、私は少なくとも、それも幸せの一種であると思っている。
その味わいはなかなかの珍味なので私の口にしか合わないものだろうけど、こののっぺりとした生活にも、ささやかな楽しみと幸せを感じられることがあるから。


言わずと知れたこと・・・
この仕事は、決まった時間に決まった場所で決まった内容の作業がある訳ではない。
人の死を取り扱う仕事なのだから、当然だ。
早朝仕事や夜間残業は当り前。
盆も正月も日曜祝祭日も関係ない。
休暇の予定も定まらず。
昼間に比べれば少ないものの、夜中に電話が鳴ることも珍しくない。
だから、ある意味での〝退屈〟はない。
しかし、気の休まるとき・・・〝平和〟もない。
実は、自分でも気がつかないところで、それが疲労を蓄積しているのではないかと思う。

極端に過酷な仕事が続く日もあるけど、日によっては楽な作業で終わるときもある。
しかし、そんな日でも、私の疲労感は癒えることはない。
かつては、栄養ドリンクやビタミン剤に頼ろうとしたこともあったけど、それで身体が軽くなることはなかった。
たまたま私はこんな人間だから、こうして簡単に愚痴や弱音を吐いてしまうのだけど、世の中のほとんどの人は、黙って辛抱に忍耐を重ねて頑張ってるのだろう。
だから、本当は、私も甘えたことばかり言ってちゃダメなんだけどね・・・


ある日の午後、とある商店街を歩いたことがあった。
汚れた服装に好奇?の視線を浴びながら、哀れな死に方をした猫をビニール袋にブラ下げて歩いていたのだが、そんな私の目に一つのフレーズが飛び込んできた。
〝〓〓食べ放題!〟
それに興味を覚えた私は、立ち止まって書いてある内容をジックリ観察。
書かれたメニューはどれもこれも美味しそうなものばかりで、私の飢えた腹を強烈に刺激。
しかし、片手に、食事をしない〝連れ〟を伴い、ヒドく汚れた格好をしていた私が店に入れるわけもなく、頭だけで試食して店の前を後にしたのだった。

そう言えば、ここ何年か、あちこちに食べ放題の店が見られるようになってきた。
私が子供の頃には、食べ放題の店なんかなかったのではないだろうか・・・記憶にない。
また、少し前までは、〝安かろう不味かろう〟的な店が多そうだったけど、最近はメニューも味もグレードアップ。
小さな個人店から大きなチェーン店まで、和洋中、さらには菓子・デザートまで揃えられている。
これは、飽食の時代の象徴でもあり、将来の食糧難を危惧させられるような文化でもある。

私の場合、食べ放題で食べるのと普通に食べるのとでは、明らかに胃袋の緊張度が違う。
制限時間と食い意地を敵に回した、独特のプレッシャーがある。
食い意地を越えた意地汚さ・・・それが顔を出した途端、胃壁の柔軟性が低下、食べる前から胃に何かを入れたような感覚に襲われてしまうのだ。

結局、食べることの目的が定まらないまま、ただ物理的に腹を満たすために動物的な捕食を繰り返すのみ・・・
それはそれで一種の満足感を与えてはくれるのだが、同時に妙な不快感も湧いてくる。
何故だろう・・・

あと、〝飲み放題〟はいけない。
飲めば飲むほどモトはとれるのかもしれないけど、脳と身体は破滅的な方向へ行くばかりだから。
大勢の飲み会とかでないと、飲み放題は飲めない。

モノを食べる行為って、普段は何の意識もなくやっていること。
この行為、ちょっと考えると面白いことに気づく。

どんなに満腹に食べても、しばらくすると減ってくる。
そして、毎日毎日、何度も何度もその同じことを繰り返している。
この単純な作業は、生きるためには欠かせない営み。
つまり、〝食べる〟ことと〝生きる〟ことは、直結相関関係にあり、食欲は生存本能に由来する。
だから、生きる力が弱くなると食欲も減退する。
精神的にも肉体的にも、病んでしまうと食欲がなくなる経験は多くの人がしたことがあるだろう。

逆に、心身が元気なときは食欲も旺盛に湧いてくる。
と言うことは、食欲があることは悪いことではない。
食は、舌と腹だけでなく、心まで満足させることができる幸せの一つだから。

何はともあれ、私は、御馳走を陰気に食べるより、どんなものでも陽気に食べる方がいい。
高級食をすまして食べるより、大衆食を笑顔で食べる方がいい。
・・・雰囲気や気分が食べ物の味を変えることってある。
〝人間味は、抜群の調味料〟ということなのだろう。


故人は中年の女性。
200kgを超える巨漢。
老いた父母との三人暮らし。
自宅にいたところ、苦しそうな呻き声を上げて卒倒。
救急車が到着したときには、既に呼吸は止まっていた。

私は、遺体の着せ替えと納棺を依頼され、ある葬儀場の霊安室に出向いた。
故人には申し訳なかったが、私は、大きな好奇心と小さな不安感をもって霊安室に入った。

故人は、部屋の中央に安直。
通常、その霊安室では、遺体はストレッチャーに寝かされた状態で置かれているのだが、この故人は、そのまま床に安置・・・いや、〝放置〟されていた。

そしてまた、普通なら布団に包まれて顔に白い面布が掛けられているのだが、この故人にはシーツがスッポリと掛けられていた。
シーツを通して伝わってくる故人の体格はやはり大柄で、それは、仕事が困難なものになることを暗示していた。

「失礼しま~す」
私は、ちょっとだけドキドキしながら、そのシーツをめくった。

「200kg・・・」
シーツの下からは、見るからに重そうな遺体が出現。
予想以上に大きな身体の故人だった。

「気の毒だな・・・」
検死をしたせいだろう、故人は裸の状態で白地に紺柄の浴衣が無造作に掛けられていた。
その姿もそうだが、生前の暮らしぶりを勝手に想像して、私は、思慮なく故人を哀れんだ。

故人に失礼な言い方になるかもしれないけど、それは、大人1人や2人でどうにかできるような重さではないように感じられた。
動かしようがない重量と体型・・・
関節は硬直してるのに、肉部はブヨブヨ・・・
やはり、実際の作業は困難を極めた。

本意・不本意も関係なく、必然的に作業は荒いものとなり・・・とにかく、故人をモノのように扱わないと仕事にならず。
それを遺族が見ていたらさぞ胸を痛めただろうが、察しがついていたのか、遺族は納棺が終わるまで霊安室には入ってこなかった。

用意された柩は、大柄な人用の大型柩。
これは、身長の高い人や太った人用の柩で、縦・横・高ともに通常の柩よりも大きく作られている。
ただ、ニーズが少ない分アイテムも少なく、デザインもシンプルなものが多い。
その大型棺を使っても、故人はかなり窮屈そうで、箱の壁面は外に膨らむかたちで湾曲。
私は、〝柩が壊れてしまわないか〟と気が気ではなかった。


納棺が終わり、何人かの遺族が霊安室に入ってきた。
そして、その中の母親らしき年配女性が、真っ先に柩に近寄った。

「〓〓ちゃん(故人)、きれいにしてもらってよかったね」
それは、納棺された故人と喜びを分かつと言うより、私に気を使ってくれた言葉のように聞こえた。
その私は、荒っぽい作業の内容を思い出して内心で恐縮した。

「重かったでしょ?」
亡くなっているとはいえ、女性の体重を「重い」と言うのは失礼かとも思ったけど、白々しい気づかい(嘘)も失礼になると考えた私は、会釈するように黙って頷いた。

「ホントに、食べることが好きな娘でして・・・」
女性は、誰かに言い訳でもするように苦笑い。
故人の生前を懐かしそうに話した。

「でも、まさか、こんなことになるなんて・・・わかってたら、無理矢理にでもやめさせたのに・・・」
女性は、諦めと悔しさと入り混じったような複雑な表情。
そしてまた、諦められない気持ちと戦っているようでもあった。

「結局、結婚もせず・・・育て方を間違ったんでしょうね・・・」
その言葉には、女性の自責と自戒の念がヒシヒシ。
だだ、それを自分で言いながらも認めたくないようでもあった。

故人は、〝拒食症〟とは逆の〝過食症〟を疾患。
若い時から太めではあったけど、以前は普通のOL。
それが、ある時期を境に急に食欲が増してきて、次第にそれが抑えられなくなってきた。
食べる量と体重は、みるみるうちに増加。
そのうちに仕事も辞め、家にいる時間が長くなった。
幸か不幸か、家がそれなりに裕福であったことも手伝って、故人の生活は外界との関わりを薄くしても成り立った。
恋人をつくることもなく、他に趣味を持つこともなく、まるで中毒にでもかかったかのように、ただ食べることだけに没頭。
晩年は、重すぎる体重で脚を悪くしたせいもあって、ほとんど外出をしなくなっていた。

人の死は、体力や精神力・修行鍛錬などで阻止できるものではなく、極々、自然なこと。
〝誰もが死に向かって生きている〟・・・人間が自然に死んでいくことは、誰かに罪があり・誰かが責められるべきことではない。
されど、誰かが罪を負わされ・誰かが責められる・・・もしくは、誰かが自責の念にとらわれることがある。
この女性(母親)も故人(娘)の死に対して、そんな想いを抱いているようだった。


どんなに節制していても病むときは病む。
逆に、どんなに不摂生にやってても健康なときは健康。
この故人がどうだったのかは知る由もなかったけど、私には、細かいことにクヨクヨすることが、心身に一番悪いことのように思えた。
そしてまた、蓋を閉じるときに見た柩の中の故人はどことなく笑っているように見え、そしてまた、その満面とそれを見つめる女性の涙の微笑みが、見た目や表向きの暮らしぶりで人の生涯を測ることの軽率さを教えてくれているようでもあった。


身体の糧は満腹までしか食べられないけど、心の糧はいくらでも食べられる。
私が、毎日のように触れる人の死に様は、毎日何かを食べ続けて生きているのと同じように、気づかないところで自分の生き様に糧を与えてくれているのかもしれない。
もちろん、その味は、甘いものばかりではない。
塩っぱいものもあれば酸っぱいものもある。
時には、吐き出したいくらいに苦いものもだってある・・・
だだ、それぞれの味わいが合わさってこそ人生は美味になる。
そう思いながら、今日もどこかの街に出没しているのである。









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安息の地

2008-04-22 17:28:22 | Weblog
人それぞれに〝ホッ〟と落ち着く場所や時間があると思う。
時間や場所ではなく、頭の中にそれを持っている人もいるかもしれない。
また、「誰かといるよりも、一人でいる方が落ち着く」と言う人も少なくないだろう。
好きなことをしながら一人で静かに過ごす時間っていいもの。
このネクラ的?要素は、私のような内向的な人間だけではなく、社交的な人でも多かれ少なかれ持ち合わせているのではないだろうか。

私の場合、第一は晩酌。
ただし、入浴後・就寝前であることが条件。
汚れた身体を洗ってサッパリとしてから、いつ寝てもいい状態でやる晩酌が格別だ。
だから、私は、どんなに腹が減っていても酒が恋しくても、風呂は先に入る。
私の場合、普通の汚れやニオイじゃないしね。

風呂上がりの一杯を楽しみにしながら浸かる風呂は至福の前味。
酒の味を倍増させるから、〝発汗でドロドロになった血液は、アルコールではサラサラにならない〟とわかっていてもやめられない。
どちらにしろ、飲酒後の入浴は身体にもよくないし、身体に汚れを着けたままでは、のんびり晩酌する気にもなれないから。

元来、私は風呂好き。
子供の頃は、心臓がバクバク・身体がフラフラになるくらいまで湯に浸かっているのが好きだった。
大人になった今も、基本的にその好みは変わらないのだが、ゆっくり湯に浸かることは減ってきた。
モタモタしていると晩酌の時間が押されて、その分、睡眠時間を削らなければならなくなるから。
眠りが浅い私にとっては、睡眠時間が削られるのは結構な痛手なのだ。

特掃は、衛生状態が極めて悪いところで作業しなければならないことがほとんど。
だから、やるにあたっては、衛生面にかなりの神経を使っている。
手袋・マスクを筆頭に、色々な防護策を整えて、身体が直接汚れないように注意する。
だから、実際は、汗・脂、ニオイ・ホコリ以外で身体が汚れることは少ない。
しかし、自分の身体がとても汚れたような気がしてならない。
だから、風呂に入ると念入りに身体を洗うため、湯に浸からなくても入浴時間はそれなりの長さになってしまうのだ。


最近は、健康ランドやスーパー銭湯があちこちにあるようだが、私はそういう所には出掛けない。
一時期は、銭湯に通っていたこともあったけど、今は、他人と同じ湯に浸かることに抵抗を覚えるようになってきた。
〝恥ずかしい〟等と言うことではなく、不衛生なような気がしてならなくなったのだ。
だから、ゆっくり温泉に浸かりたい気持ちはあれど、その条件は自分一人。
他人と共同の湯船は、いまいち爽快感に欠けてしまう。

しかし、本来、そのセリフ(思い)は、私が浴びるべき方の立場かもしれない。
普通は、身体に死体汚れや死体臭を着けた人間と同じ風呂になんか入りたくないだろうから。
ま、私のような人間は、余計な考えは捨てて、黙って小さくなってればいいのだろう。

ちなみに、サウナは大の苦手!
あの熱さは理解不能。
身体にいいとは思えない。
しかも、その空間は狭い。
出入口のドアが開かなくなったり、温度調節が狂ったりしたらどうするのか・・・考えただけで恐ろしい。
それでも、今まで何回かは入ったことがある。
でも、1分くらいが限界。
体温が上がる前に、恐怖心と緊張感で心臓がバクバクしてきて、とてもそのまま留まっていられなかった。
そんなサウナに好んで入るなんて、私はその神経を疑ってしまう。
しかし、まぁ、
「サウナ状態の真夏の腐乱死体現場を、密閉状態で片付けている人間の方がよっぽど異常だ!」
と言われてしまえばそれまでだけど。

余談だが・・・
「風呂が落ち着く」という人は多いだろうが、「トイレが落ち着く」と言う人も意外と多いらしい。
家族と暮らしていると、真に一人になれる場所はトイレくらいしかないからだろうか。
ゆっくりタバコをふかしたり、新聞を読んだりしながら用を足す人もいるらしい。
でも、さすがに、用を足しながらモノを食べるという話は聞いたことがない。
〝ものは試し〟で、やってみてもいいかもしれない(私は、やらないけど)。

何はともあれ、身体をほぐしてくれる風呂と頭をほぐしてくれる酒、そして、その後の布団が私の日常の安息の地になっている。


ある日の夜、男性から電話が入った。
その声と口調からは、男性が結構な高齢であることが伺えた。

男性はマンションのオーナーで、所有するマンションの一室で腐乱死体がでたとのこと。
どうも、浴室で練炭自殺を図り、そのまま腐乱してしまったらしい。
「早めに来て欲しい!」との要請に、私は翌朝の予定を変更した。

現場は、1Rマンション。
建物自体はそう新しくもなかったが、駅に近い街中に建っており、生活の便はよさそうな所だった。

依頼者の男性は、電話でイメージしていた通りの年配者で、穏やか人柄は言葉にしなくてもその顔つきに表れていた。
私に対する態度も丁寧で、優しい喋り方からもまたその人柄が感じられた。

「本人には、それなりの事情があったんでしょうけど・・・」
「・・・」
「こんなことをして、一体どれだけの人が悲しみの目に遭わせられることか・・・」
「・・・」
「ご家族が気の毒でなりませんよ・・・」
「そういう大家さんも災難ですよね・・・」
「それもそうなんですけど、真面目に生活している他の住人にまで迷惑をかけちゃってるわけでしょ?」
「えぇ・・・」
「変な話、気持ち悪がってる人もいるんですよ」
「そうでしょうねぇ・・・」
「大家として、それが心苦しくてね・・・」
「・・・」
「亡くなった人のことを悪く言うのもどうかと思いますけど、私はコノ人(故人)に怒りの鉄拳を食らわしてやりたい心境ですよ」
男性は、穏やかな口調を変えることなく、故人を非難。
マンションを汚されたことよりも、残された人に労苦・苦悩を与えること対する故人の身勝手さに強く憤っているように感じられた。

決行後の片付けは残された人間がやらなくてはならない。
遺族・関係者をはじめ、警察・葬儀社・不動産会社・大家、そして諸々の専門業者etc。
何人もの人が、その身体・金・時間を使って後始末に携わる。
そして、中には金では片付かないことも多く、人々の中に目に見えない汚れとキズが残る。
そんなこと、死ぬ本人にとっては、どうだっていいことなのだろうか・・・

遺体の第一発見者は男性。
故人は30代の男性。
決まって振り込まれていた家賃が入らなくなり、連絡もとれなくなったため、故人宅を訪問。
まさか、中で死んでるなんてことは微塵にも疑うことなく、合鍵で部屋を開けた。
そして、異様なニオイと雰囲気を醸し出していた浴室を開けてみると、浴槽の中で朽ちた故人を発見。
その凄まじい光景と衝撃は、とても言葉では言い表せないようだった。

故人には近い身内がいたが、あまりのショックでダウン。
現場の片付けは、男性が一任されたかたちになっていた。
普通なら、そこで抵抗・抗議してもよさそうなものだが、男性は遺族の心情を汲んでそれを引き受けたようだった。

一通りの説明を受けた後、私は現場に入った。
広めのリビングにカウンターキッチンがついており、なかなか住み心地のよさそうな部屋だった。

「こりゃ、スゴいことになってんなぁ・・・」
浴室は、凄まじい悪臭が充満し、辺り一面にはウジが徘徊。
そして、場に合わない七輪が二つ、不気味な雰囲気に輪をかけていた。

「あ゛ーぁ・・・」
浴槽を覗くと、赤茶黒の腐敗液にまみれた座布団とウイスキーの瓶。
故人は、練炭に火を着け、浴槽に敷いた座布団に座り、酒を煽りながら気が遠くなるのを待ったようだった。
酒を好む私は、それを想うと、嫌な親近感と切なさを覚えた。

「剥がすのが大変だな」
浴室内、隙間という隙間すべてに念入りな目張り・・・扉の隙間・排水口、天井の点検口・換気扇、全部が透明なビニールテープが何重にも貼ってあった。
それを貼るだけで、結構な手間と時間を要したであろうことは、容易に想像できた。
そしてまた、それを片付けるには、もっと長い時間を要することも覚悟した。

汚腐呂掃除は、いつどこでやってもツラい。
同じく、その現場の作業が辛酸を極めたことは言うまでもなく、頭に独特の重圧がのしかかってきた。
狭所・密室の作業が故人の遺志みたいなものを近くに感させたのか・・・
はたまた、私の弱い性質が原因か・・・
苦しみから解放される安堵感か、絶望の悲哀か・・・その時の故人の気持ちは、私には計り知れるはずもなく・・・
ただ、これから死に向かおうとしている人間の感覚が、そのまま浴室内に残っていることを錯覚させるような何かがあった。
その何かが、私の頭を重くしたのかもしれない。

燃焼しきる前の七輪も、中身の残った酒瓶も、腐敗液をタップリ吸った座布団も、シッカリ粘着したビニールテープも、何もかもが心にズッシリと重くて仕方がなかった。
ただ、オーナーの男性は〝自分も被害者の一人だ〟なんて素振りは一切見せず、また、私への気配りも忘れることなく後押ししてくれ、それに随分と支えられながら仕事を遂行したのだった。

「色々とご協力をいただいて助かりました」
「いえいえ、こちらこそ」
「大家さんも、これからまだ大変でしょうけど、身体な気をつけて頑張って下さいね」
「な~に、ここまで生きてきて色んな目にも遭いましたから、ちょっとやそっとのことじゃ動じませんよ」
「・・・」
「貴方くらいの年齢じゃ無理かもしれませんけど、私くらいの年になればわかりますよ」
「そうですか・・・」
「だから、いい若い者が自分で死ぬようなマネをしちゃいけないんですよ!」
「はい・・・」
既に、男性の心は安息の地に到達していたのか・・・こんな災難に遭っても、男性は表情も穏やかに落ち着いていた。
そして、老体を労うつもりの私が、逆に、生きる力をもらったのであった。


安息の地は、人それぞれ異なるだろう。
それは、ごく自然なことだと思う。
ただ、それを〝死〟に求めて〝死〟に見いだすのはどんなものだろうか。
「死にたい」「死んでもいい」と思ったことはあっても、実際に死んだことがない私が言っても説得力がないかもしれない。
ただ、自殺跡に残る何とも言えない悲壮感と漂う冷気が、〝自殺は、安息には程遠いものではないだろうか〟という虚無感を投げかけてくることは事実。
少なくとも、〝自殺では、安息の地に行けない〟・・・勝手な先入観と想いからくるものかもしれないけど、私は、そんな気がしてならない。


自分にとっての安息の地は、一体どこにあるのか。何によってもたらさせるのか。
表面的な遊興快楽か?
それとも、一時しのぎの楽観主義・プラス思考か?
人の愛か?
苦悩・苦悶の中でその答を求め、また一日が過ぎる。

一日生きたら、また次の一日を生きる。
そうして、一日一日を生きつないでいけばいい。
そうして生きていると、安息の地は自分に近づいてくる。
明日がこない日が自然にやってくるのと同じように。









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ハイエナ

2008-04-18 18:09:40 | Weblog
〝ハイエナ〟って、いい印象を持たれない動物。
例話で取り上げるにしても、いい意味の言葉としては用いられず、不名誉な表現にしか使われない。
〝強い者に弱く、弱い者に強い〟〝他人のモノを横取りして自分が生き延びる〟〝意地汚い〟〝あさましい〟といった、汚いイメージが強いせいだろう。
しかし、現実は、ハイエナだって自然の摂理に逆らわず厳しい自然界で一生懸命に生きようとしているだけ。
なのに、そんな悪者にされてしまう・・・何だか気の毒な感じがする。

同じような存在に〝ウジ〟がいる。
ハイエナよりももっと身近な存在なのに(私だけ?)、そのポジションはハイエナよりもマイナー。
知名度も低く、人々の口から「ウジ」なんて言葉が発せられるのは、極めて稀なことではないだろうか。
したがって、例話などで、〝ウジ〟という単語が用いられることはほとんどない。
ウジにとって、そんなことは知ったことではないだろうが、ウジなんて生き物は人々の頭には必要のないものなのだろう。

「俺は死体に群がるハイエナみたいだな」
披露困憊・気落ちしているとき、こんな考えに苛まれることがある。
自分を惨めに思うことがあるのだ。

「いや・・・ハイエナじゃなくて、ウジかな・・・」
ハイエナなら少しは名実が知れているけど、ウジはほとんど知られていない。
同様の職に就く私には、やはり〝ウジ〟の方がピッタリきそうだ。

「俺は、〝人間界のウジ〟か・・・」
ウジのように人知れず、誰もが嫌がる汚物を掃除して回っているのは紛れもない事実。
好き好んで?そんなことをしてるのは、ウジと私ぐらい?

「それでもしっかり生きられてるだけ幸せだ」
私が、自分のことを〝人間界のウジ〟と呼ぶことについては、自分を卑下する気持ちがないわけではない。
しかし、今は、開き直る気持ちの方が強い。
特段のプライドがあるわけではないけど、自己憐憫的な思考癖は薄まってきているような気がする。

私が、自分の仕事を卑下し、自己憐憫的な発想をしがちなのは、周りに問題があるというわけではなく、私自身に問題があるからだと思う。
自分自身の問題とは、自分が持っている、職業に対する偏見と差別意識。
正直なところ、人生をやり直せるとしたら、この仕事は選ばない。
ただ、たまたま今は、それを自分がやっているだけのこと。
つまり、仮に他人がやっているとしたら、私という人間は思いっきり見下してしまうのだと思う。
悲しいかな、そんな薄っぺらい人間なのである。
しかし、だからと言って、存在価値がないわけではない。
底辺だろうが日陰だろうが、嫌悪されようが見下されようが、世の中の役割の一つを担っていることには違いない。
だって、ハイエナだってウジだって、〝必要だから存在している〟のだから。


私が死体業を始めた頃、当時の上司がこんなことを言っていたのを思い出す。

「この仕事の社会的地位が向上する日は近い」
若い私を鼓舞するためか、自分を励ますためか、その根拠を示さないままそんなことを言っていた。
しかし、若輩の私でも、それを鵜呑みにする気にはなれなかった。
死体業の社会的地位が向上するとは、到底思えなかったからである。
個人的な固定観念(悲観)に捕らわれているだけかもしれないけど、その考えは今も変わっていない。

以前にも書いたことがあるように、人間が死を忌み嫌う本性を持ち、生存本能を持つ限りは、〝死〟を取り扱う者がそのマイナスイメージの影響を受けるのはやむを得ないものと考えている。
死を取り扱う職業で世間の嫌悪感を受けないで済むのは、医療関係者や宗教家ぐらいだろう。
それ以外は、やはり、特異な目で見られることが多いように思う。
でも、それでいいとも思っている。
人が死を恐れ嫌うことは生きる素地のようなもので、「死を嫌うから生きられる」とも言えるから。
死を恐れ嫌うエネルギーを、そのまま生に向ければいいだけのこと。
特に、生きる力が弱い私のような人間は、例えそれが消極要因であっても、死への恐怖感を生への執着心に変えていくことをしないと沈んでいってしまうのである。

〝死〟は、何故か怖い。何故か悲しい。何故か嫌。
だから、生きる・・・生きられる。


言い方を間違えると誤解を招きやすいのだが、死体業は〝人の死を待ち望む〟かのような側面を持つ仕事。
一般の仕事が〝商売繁盛〟を願うことと同義。
ただ、ことの良し悪しに関係なく〝人の死を待ち望む〟なんてことは前面にはだせない。
言わずと知れたことで、
「不謹慎!」「無礼!」
等と、人々の顰蹙をかい、嫌悪されるからだ。

そんなことは、人の不幸を糧にしている商売の宿命なのだから、甘んじて受けなければならないのかもしれないけど、本音を言うとそこは避けて通りたいし、目を閉じていたい。
私も普通に人の子。
人から哀れに思われることや嫌悪されることは避けたい気持ちがある。
「ハイエナ!」だの「ウジ!」だのと罵られて、耐えられるような強さは私にはないのだ。


特掃の依頼が入った。
現場は公営団地の一室。
連絡してきたのは不動産管理会社の担当者で、私とは何度か一緒に仕事をしたことがある間柄。
こういう仕事なので滅多に会うことはないけど、お互いに顔見知りだった。

「またでちゃいました」
「また・・・ですか・・・」
「例によって、近所に悪臭が漂って近隣住民の方が困ってるんで、早めに何とかしてくれます?」
「わかりました」
「とりあえず、現場を見に来ますよね?」
「ええ、できるだけ早めに伺います」
私は、担当者と日時を合わせて現場に行くことにした。

「どうもどうも」
「ご無沙汰です」
「私は中は見てませんけど、かなりヒドいみたいですよ」
「そうですかぁ・・・」
「とりあえず、中を確認しますよね?」
「ええ」
「じゃ、早速お願いします」
「たまには一緒に行きます?」
「また、冗談を・・・」
担当者とは、ある程度の馴染みになっており、ジョークもお互いにお許しのこと。
担当者の方も嫌味なく率直にモノを言ってくるので、余計な気をつかう必要がなくてよかった。

「これじゃ、苦情がきても仕方がないな」
玄関の前に立つと、話に聞いていた通り、腐乱臭がプンプン。
それは急にそうなったわけではなく、少し前から臭っていたはず。
ただ、近隣住民も、その原因を知る前は我慢できていたのに、ニオイの元を知った途端に我慢できなくなった模様。
その心理は、充分に理解できるものであったが、人の心理が嗅覚に及ぼす影響が妙で、私は、内心で苦笑いしてしまった。

「お邪魔しま~す」
私は、玄関を開けて土足のまま中へ。
狂喜乱舞するハエをかき分けて薄暗い部屋を前進した。

「これかぁ~・・・」
台所とつながった小さなリビングの床に厚みのある汚染痕を発見。
見た目にグロテスクなそれは、よく見ると人型を表しており、故人がそこに倒れていた姿がリアルに頭に浮かんできた。

「うひゃー!ウジもウジャウジャ!」
警察が遺体を運び出す際に放置していったのだろう、その傍らには、上下の汚妖服が放置。
腐敗液をタップリ吸った状態で、ウジの集合住宅と化していた。

一通りの見分を終えて、私は担当者のもとへ戻った。

「おっしゃる通り、中はかなりヒドいですね」
「そうですか!」
「汚染は全てフローリングの上ですけど、多分、床下までイッちゃってるでしょうねぇ」
「まいったなぁ・・・」
「汚染箇所の処理だけでも、すぐやりましょうか?」
「お願いします」
「では、早速・・・」
「前も思ったんですけど・・・こんな現場ばっかで、精神的にやられません?」
「は?」
「私は、もういっぱいいっぱいで・・・」
「ん゛ー・・・慣れちゃってるのか、基本的には平気ですねぇ・・・でも、現場によってはキツいときもありますよ」
「やっぱり、そうですかぁ・・・」
「一応、中身はただの人間ですから」
「・・・」
「ただ・・・仕事を大事にしないと、食べていけませんからね」
「そりゃそうですよね・・・私も頑張らないと!」
「ですよ」
「変なこと尋いてスイマセン」
「いえいえ、大丈夫です」
この仕事が、私の生きる糧になっているのは現実であり事実。
泣こうが喚こうが、頑張るほかに術はない。
私は、担当者と、お互いを励まし合いながら仕事を進めた。


変態地味ているかもしれないけど、私は、現場にに感謝の念を抱くことがある。
「死んでくれてありがとう」
「腐乱してくれてありがとう」
と思うわけではないけど、
「この仕事があるお陰で、俺は飯が食えるんだ」
と、誰にでもなく感謝する気持ちを持ってしまうことがある。
その孤独死も腐乱も、悲しく痛ましい出来事には違いないのに、私の中に、人の死を悼む気持ちを覆い隠すくらいに、自然にそんな感情が湧いてくるのだ。
もちろん、人の死を・人の不幸を直接的に喜んでいるわけではないし、それを望んでいるわけでもない。
しかし、それが形を変えて間接的な喜びになっているのも事実・・・自分で消化していいのか悪いのか、悩ましい命題である。
そんな中に置かれると、自ずと自分の存在価値を考える。

極めて自己中心的・利己的な発想ながら、世の中の誰かを見て〝こんな人間は、いなければいい〟と思ってしまうことはないだろうか。
嫌いな人・自分を害する人・邪魔な人etc
そして、時には、それを自分自身に見いだしてしまうこともある。
自分で自分に〝存在価値のない人間〟〝必要のない人間〟というレッテルを貼るのだ。
それが、浅い傷心や自己憐憫でおさまらず、中には、実際の行動によって自分の存在を否定する人もいる・・・

どう理屈をこねたって、いなくていい人間なんていないと思う。
少なくとも、それを決める権利は誰にもない・・・そう、自分にも。
周りの誰もが自分を必要としてくれていないように見えても、身近にいる人から自分が疎ましく思われているように感じても。
どんなに自分が自分を嫌になっても、そんなことは、自分の存在を否定する理由にはならない。


今の今、私の五感に触れているものは〝現実〟という名の〝夢幻〟。
過ぎてしまえば儚いもの。
そして、ハイエナもウジも人間も、産まれて生きて死ぬことに違いはない。
ならば、もっと大胆に図々しく生きてもいいのかもしれない。

ゴミのように小さい私だけれど、ちょっとだけそう思って笑ったのであった。







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棚ぼた(後編)

2008-04-14 16:10:08 | Weblog
ミルクレープのその後について、ちょっと触れておこう。

〝チ~ン〟
電子レンジの呼ぶ音に立ち上がり、レンジの元に駆け寄った。
そして、いそいそと扉をオープン。

「うわっ!何だこりゃ!?」
中からは、予想もしていなかった熱気と妙なニオイが噴出。
見ると、何やらドロドロしたものが、皿から溢れんばかりに横たわっていた。

「何なんだ!?何でこうなるんだ!?」
頭に思い描いていたふんわりミルクレープは、無残に崩壊。
その様は、いつもの〝アレ〟と重なって、私のハッピー気分を奈落へ突き落とした。

分析の結果、私は電子レンジの使い方を間違っていたことが判明。
〝ケーキ解凍ボタン〟だと思っていたのは、ケーキを焼くためのオーブン機能。
電子レンジは、使い手の指示通り、一生懸命に庫内を熱くしただけであって故障でもなんでもなく、壊れていたのは私の頭の方だった。

でも、そんなことはちょっと考えればわかりそうなもの。
一般的に、普通の人が冷凍ケーキを食べる機会は多くはないはず。
そんなレアケースに対応するために、家電メーカーがわざわざ専用ボタンを設けるとは考えにくい。
我ながらのバカさ加減が、情けないやら可笑しいやら・・・クタクタに焦げ溶けたミルクレープを前に苦笑いする私だった。

それにしても、〝丸ごと食い〟ではなく〝切り分けた食い〟にしたことは賢明な選択だった。
もし、丸ごとチンしていたら・・・私の頭もチ~ンと葬られるところだった。

もちろん、ニ個目からは同じ失敗をすることなく、美味しく食べて幸せを味わった。
一個目の失敗があったから、なおさら美味しく感じたのかもしれない。
〝失敗は、成功の味わいを増す調味料〟(←うまく締まったね。)


次は、現場の話の続きを書こう。

依頼者の男性が探し出したいものは、故人が書いた遺言書だった。
「〝遺言書〟ですか・・・」
「そう!遺言書!」
「間違いなくあるんですか?」
「ん゛ー・・・〝書いてある〟って本人が言ってたから、あると思うんだよな」
「それは、いつの話ですか?」
「何年か前・・・」
男性の話を聞いて、この仕事の危険度が増大。
私は、〝リスクを回避できないうちは、この仕事は受るのはよそう〟と自分の気持ちを固めた。

「ある場所も、あるかどうかもハッキリしない遺言書を探すなんて・・・」
「ダメかな?」
「でてこなくても責任はとれませんので、今回は・・・」
「何とかならない?」
「〝発見保証〟ではなく〝努力目標〟よければやりますけど・・・」
「ん゛ー・・・それしかないよなぁ・・・」
「ないと思いますよ」
「費用は奮発するから、よろしく頼むよ!」
「トラブルになると困るので、代金は出来高でいいです」
「随分と慎重だね」
「大金には縁がないんで、こういうことになると気の小ささがでるんですよ」

既に、男性だって八方手を尽くして探索をしたはず。
それでも見つからないものを探さなければならないわけで、結局、私は何重にもリスクを回避策を打った上でこの仕事を引き受けた。


大事なものを隠す場所って、人によって千差万別。
泥棒が入ってきたらすぐに盗まれそうなところにしまっている人もいれば、〝何で?〟と思うようなところに隠している人もいる。
過去にも、冷蔵庫に財布を入れている人もいれば、枕の中に通帳を埋めている人もいた。
トイレ掃除の道具の中に貴金属を入れている人もいれば、先祖の遺影に権利書を差していた人もいた。
そんなものが、汚腐団の下から出てきて、切なさの中に身体を張って財産を守ろうとした?故人に親しみを持ったこともあった。

そんな具合に、私は色んなケースを経験しているので、普通の人が思いつかないようなところに目をやることができるつもりでいる。
それでも、目的物を探し当てるのは簡単なことではない。
でてこないこともザラにあり、その時々の運に任せるしかないものなのである。


数日後、作業の日が来た。
依頼者の男性は気が急いて仕方がないようで、早めに到着した私よりも更に早く現場に来ていた。
しかも、最初に会った時よりもハイテンションで、私の気持ちは早々と引き気味・・・。
作業に費やされるであろう心労を考えると、作業前にも関わらず疲れを覚えたのだった。

「いや~、まいっちゃったよぉ!」
「どうされました?」
「あれから、次から次へと相続人が湧いてでてきて、この前まで二人だったのが今じゃ九人に膨らんじゃってよぉ・・・」
「え?そんなに?」
「どいつもこいつも、普段は付き合いも何もなかったくせに、こんな時になってしゃしゃり出てきて!」
「・・・」
「用意のいいことに、弁護士を立ててきたヤツもいるんだよ」
「まぁ、それだけの財産ということでしょうね」
「懸賞金を出してもいいから、何としても探し出してよ!」
「プレッシャーかかりますね・・・」

金額に関係なく〝棚ぼた〟の遺産は謙虚に受け取って素直に感謝すればいいものを、男性の欲は、〝もっと!もっと!〟とおさまらない様子。
ライバル出現により、その炎は一気に燃え上がっているようだった。

「そんな状況で、勝手に家の中を探っていいんですか?」
「大丈夫!大丈夫!普段から付き合いがあったのは私ぐらいだから」
「そうですか・・・」
「あと、資産のほとんどは不動産と預金と株券だから、家財はガラクタ同然なわけよ」
「・・・」
「とにかく、予定通りいこう!」
「はい・・・」

男性の話からは、危険なニオイがプンプン。
〝仮に、遺言書があったとしても、男性に有利な内容だとは限らないよなぁ〟
〝不利な内容だったらどうするつもりなんだろう・・・〟
〝ひょっとして、揉み消すつもりか?〟
等と、考えれば考えるとほど私の不審感は膨張。
私は、モヤモヤした野次馬根性を抱えながら、とりあえず作業に着手した。
ただ、そのときの私は、見つかっても見つからなくても、どちらでもいいような心境・・・いや、むしろ、下手に見つかってトラブルを招くより、見つからない方がいいくらいにさえ思っていた。

本来なら、1~2日間あれば完了できる規模だったが、この仕事を完了させるのには丸々4日の時間を要した。
〝手当たり次第に梱包して次々と運び出す〟というわけにはいかず、一つ一つのものをチェックしながらの梱包作業。
しかも、それに男性の口と手を挟ませながらの作業となり、その効率の悪さは半端なものではなかった。

そんな作業の中、男性が見つけたがっていたものが何点かでてきた。

「金庫がありましたよ!」
押入の奥に古い金庫を発見。
長い間使っていなかったらしく、荷物に埋もれてホコリを被っていた。
また、鍵はない上にダイヤルナンバーも不明。
男性は、それを転がして中の物音を確認。
何も入ってなさそうであることがわかると、悔しそうに蹴飛ばした。

「お金がありましたよ!」
タンスの引き出しの服の下に、銀行の封筒に透けて見える紙幣を発見。
手に取ってみると、緊張感が走るくらいの厚みがあり、故人が普段の生活費にしていたもののように思われた。
男性に封筒を渡すと、中を覗くなり笑みを浮かべ、それをさっさと懐に収めた。

「通帳がありましたよ!」
台所の米櫃に、預金通帳・カードを発見。
米の中・・・見逃す可能性の高い、なかなか珍しいところからでてきた。
通帳を開いて見た男性は、これまた笑みを隠しきれず。
探し当てた私とは目も合わせずに、これも自分のセカンドバッグにいそいそとしまった。

結局、でてきたものはそれくらいで、権利書や有価証券などの高額資産は、銀行の貸金庫に入れられていることが判明。
そして、男性が最も気にしていた遺言書は、結局でてこなかった。
残念がる男性をよそに、私は、作業効率は極めて悪かったけど作業を男性の管理下で行った判断に安堵した。

人間の欲は、恐ろしく際限のないもの。
常に飢え渇き、〝満足する〟〝感謝する〟ということを知らない。
遺言書を諦めきれなかったのか、最終日の最後、トラックの荷台を恨めしそうに見つめる男性の姿に、人間の本性を見る私だった。


以上の話はレアケースだけど、誰もが受けた究極の〝棚ぼた〟が他にある。
この時間、この身体、この命だ。
これらは、自分の力で生み出されたものではなく、自分の努力で獲得したものでもない。
無償で与えられたもの・・・〝棚ぼた〟なのだ。

目に見える〝棚ぼた〟は、それが小さなモノであっても大喜びするのが人間の性質。
だったら、命の棚ぼたも、もっと喜んでいいはず。喜べていいはず。
なのに、虚無感と疲労感・不安と失望に苛まれてばかりで、そんな気持ちは微塵も湧いてこない。
これもまた人間の性質。
それがどんなに大きなものであっても、目に見えない〝棚ぼた〟は喜ぶどころか気づきもしない。

しかし、〝タダで授かった棚ボタものだから〟といって、〝粗末に生きていい〟ってことにはならない。
ありきたりの生命論に便乗するようだが、生まれてくることも奇跡なら生きていることも奇跡。
今日こうして生きていることって当り前のことではない。

「もう死んでしまいたい!」
「生まれてこなけりゃよかった!」
そんなセリフを吐いたり、そんな思いを持ったりしたことがある人は少なくないだろう。
私も、幾度もそんな考えを持ったことのある人間だから、そうなる心境はわかる。
しかし、楽しかろうが苦しかろうが、とにかく、モノを食い空気を吸って生きていること自体が価値あること。

こんな仕事をしている私は、今までに幾人もの人々を送ってきた。
男性も女性も、若い人も年配の人も、友多き人も孤独な人も、お金持ちもそうでない人も、健康な人も病の人も・・・みんな先に逝った。
そんな人達の多くに共通するのが、〝まだ死にたくない〟という強い想い。
私が、何の満足も感謝もなく、暗く虚しく過ごしているこの毎日は、先に逝った人達が生きたくて生きたくてたらまなかった将来の日々・・・
その想いを蘇らせると、うかうかしてもいられない。

葉桜の向こうに見える空を仰ぎながら、目に見えない大きな〝棚ぼた〟を胸いっぱいに受け取りたい春である。







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棚ぼた(前編)

2008-04-10 07:37:12 | Weblog
私は、結構な甘党。
〝自分に甘い〟甘党でもあるけど、甘い食べ物を嗜好する甘党である。

スナック菓子類はあまり食べないけど、生菓子類はだいたい好き。
中でも和菓子より洋菓子の方を好むのだが、年をとる毎にその嗜好は変わってきているような気がする。
コッテリ系よりもアッサリ系を好むようになってきたのだ。

アッサリ系の甘味と言えば、やはり和菓子か。
馴染み深い和菓子は、大福・草餅・串団子・ぼた餅などの餅系。
そして、それに欠かせないのが餡。
私の好みは断然つぶ餡!
こし餡の、口の中にネットリとまとわりつく食感と喉通りの悪さが苦手なのだ。
これについては、意見が分かれるところだろうが、この好みは子供の頃から変わらないままである。

先日、知人の女性が私にワンラウンドのミルクレープを送ってくれた。
私が羨望していたのを知っていて、送ってくれたのだ。
本気で買うつもりなら買えなくもないものなのだが、わざわざ買うほどでもなく・・・しかし、食べてみたいことは食べてみたい・・・
そんなところに、思いがけない〝棚ぼた〟が落ちてきたのだ。

大きさは5号くらいだろうが、見ただけでヨダレが垂れそうなそれは冷凍された状態で届いた。
待望の逸品を前に、〝一度に全部解凍して一気に食べてしまおうか〟とも思ったが、食べ残してしまうともったいないし、楽しみは何度かに分けて味わった方が得だと考えた私は、いくつかに切り分けて少しずつ楽しむことにした。

この時季の気温なら、自然解凍がベストらしいのだが、何分かかるかわからない解凍時間を気の短いメタ坊が待てるはずもない。
腹と相談した結果、電子レンジで解凍することに決定。
私は、三角に切った一つを皿にのせて、電子レンジに突っ込んだ。

「さてさて、ここからどうすればいいのかな?」
何かを温めるときぐらいしか電子レンジを使わない私は、温度も時間もさっぱり検討がつかず。
どのボタンを押せばいいものやら考えあぐねた。

「温まったらマズいし、溶けなくてもマズいし・・・」
過剰な加熱は危険。
されど、溶かさないことにはどうしようもない。

「これか?」
私は、〝刺身・生解凍〟と印されたボタンを発見。
そこに人差指を近づけた。

「ん?こっちは何だ?」
ボタンを押す寸前、そのすぐそばに、ショートケーキのイラストのあるボタンがあるのが目に入った。

「おー!随分と気の利いた機能があるもんだな!感心!感心!」
〝冷凍ケーキ解凍用ボタン〟を発見した私は、何の疑問も持たずそのボタンをプッシュ。
庫内でオレンジの光に照らされるミルクレープを愛おしく眺めた。

「ん゛ー・・・なかなか時間がかかるもんだなぁ」
しばらく待っても、なかなか変化が表れず、液晶に残り時間も表示されず。

「ま、デリケートな解凍だから、レンジも慎重にやるようにプログラムされてるんだろう」
私は、レンジがチンと鳴るまで離れて待つことにした。

〝チ~ン〟
それから、しばらくの時間が経過し、解凍終了の音が聞こえたと同時に、私はレンジに駆け寄った。

「どれどれ・・・何!?」
レンジの扉を開けると、ナント!そこには・・・
・・・このまま話を続けると長くなりそうなので、この続きはまた次回にでも。


最近の、私の大きな〝棚ぼた〟は、液晶テレビ。
ある企業(店)のキャンペーンで当たったのだ。

その店は初めて行った店で、二度と行かないであろう店。
仕事の用でたまたま立ち寄っただけで、買い物もせずポイントを貯めていたわけでもなく。
そこで、店員に進められるままに、応募用紙に記入しただけ。
それが、忘れた頃に、景品となって届いたのだった。

荷物が届いたときは、「新手の押し売りか?」と、いつもの気の弱さがでてかなり警戒。
伝票を見ると、受取人は間違いなく私。
ただ、発送元には心当りがない。
何だか気持ち悪くて、すぐには箱を開封せずにしばらく放置しておいた。

「ひょっとして?」
少ししてから、私は過日の店のことを思い出し、思い切って箱を開けてみた。
すると、中には立派な液晶テレビ。
同封の挨拶状に目を通すと、〝懸賞当選〟を伝える内容の文字。
やはり、そうだった。

これには、私もビックリ!
自分の不運を嘆いてばかりの私が、その時だけは幸運の男となって気分も上々。
その〝棚ぼた〟は、私の物欲を巧妙に刺激し、滅多にないラッキーな気分を味わわせてくれた。

ただ、私はテレビはあまり観ないうえに〝テレビが欲しい〟なんて全く思ってなかったわけで、テレビが新しくなっても放送される番組が変わるわけでもない。
あの時の高揚はどこへやら、配線はつないだものの、今は結局ホコリを被って休眠している。


遺品処理の依頼が入った。
電話をしてきたのは中年の男性。
数少ない故人の親戚らしく、何やら、少し興奮気味。
故人の死を悲しんでいるような雰囲気はなく、軽快な口調で機嫌も上々。
〝フランク〟と言うか〝口が悪い〟と言うか、横柄で乱暴な口をきく男性だった。

「死んだのは私の伯母なんだけどね、その家を片付けなければならないわけよ」
「はい・・・」
「身内は、私くらいしかいなくてね」
「そうなんですか・・・・」
「厄介なことが舞い込んできちゃって、こっちはいい迷惑なんだけどね」
「・・・」
「とりあえず、家を見てもらわなきゃ始まらないでしょ?」
「そうですね」
「とりあえず、一度見に来てよ」
「承知しました」

出向いた現場は、活気溢れる商業地域に建つ古い一戸建。
建物は古いながらも建坪は広そうで、新築時はそれなりの豪邸だったことが伺えた。
また、庭を含めた敷地面積は広く、それが資産価値としては相当のものであることは、素人の私にもわかった。

「どうも!どうも!」
約束の時間に、依頼者の男性も現れた。
その意気揚々とした態度に若干の戸惑いを覚えながら、私は挨拶を返した。

「このボロ家なんだけどね・・・」
男性は、ニヤニヤと嬉しそうに、故人と家にまつわる経緯を話し始めた。

亡くなったのは男性の叔母にあたる高齢の女性。
夫とは数年前に死に別れて、それからは一人暮らし。
その夫は結構な資産家で、故人がその遺産を相続。
所有不動産は複数箇所に渡り、現預金や株も少なくなく、総資産は億単位のもの。
故人には子供がおらず、その遺産を相続するのは甥である男性ともう一人の親戚しかいないとのことだった。

既に巨額の遺産を手にしたつもりで気分が大きくなっていたのか、男性は、かなりの大口で尋ねもしないことまでベラベラ。
遺産に関わること等、言わなくてもいいことまで私に吐露。
男性が、遺産に目の色を変えているのは明白で、その突っ走る欲が私にもビンビン伝わってきた。
そんな男性は、〝正直者〟と言えば納まりがいいのだが、高揚し過ぎた気分を抑えきれずに喋ってしまっているようにも見えて、少々滑稽にも映った。

「ま、とにかく中を見てよ」
「はい・・・失礼します」
「勝手に見て回って構わないから」
「では、遠慮なく」
私は、男性に促されるままに靴を脱ぎ、玄関を上がった。

家の中の荷物は多目。
家財生活用品が所狭しと置いてあり、中には高そうな調度品や工芸品もあった。
その模様からは、この家にはそれなりの経済力があったことが伺えた。
しかし、あちらこちらが散らかり気味。
もともとは、ある程度の整理整頓・清掃ができていたように見受けられたが、故人の死後、誰かが乱雑に漁った形跡がありあり。
それが男性の仕業であることは、言わずと知れたことだった。

「この辺のものも全て廃棄ですか?」
「いや、価値のありそうなものは、骨董屋を呼んで見てもらうつもりなんだよね」
「そうですか」
「おたくが買う?」
「いえ、私は目利きができませんので・・・」
私は、男性との物品売買に、危険なニオイを感知。
余計なトラブルに巻き込まれたくはないので、品物の買い取りをやわらかく断った。

「あら?この汚れは・・・」
家中を見て回る中で覗いた浴室の床に、チョコレート色の汚れを発見。
小さな汚れではあったけど、どうも普通の汚れではなさそう。
私は、その見慣れた色合いに、〝ピン!〟とくるものがあった。

「風呂場に妙な汚れがありますね」
「・・・」
「自然にできた汚れじゃないと思うんですよ」
「あの・・・言ってなかったけど、伯母は風呂で死んでたんだよ・・・」
「・・・」
「でも、何時間かのうちに発見されたらしいよ」
「そうですか・・・」
「ま、その辺のところは、あまり気にしないでよ」
「大丈夫です・・・慣れでますから」
「そりゃ、よかった」
「浴室、ご覧になりました?」
「いやぁ・・・気持ち悪くて近づけないんだよね」
「・・・」

汚れ具合のニオイから、故人が早期に発見されたであろうことは私にも察しがついた。
そして、それを男性が隠していたことも気にならなかった。
実際、身内の孤独死を隠そうとする遺族も少なくなく、その心理も理解できるから。
そのことよりも、むしろ男性の露骨な利己主義が気持ちに引っかかった。
利己主義者の仲間として贔屓目に見ても、男性のそれには違和感を覚えたのだった。

「しかし、もう一人の相続人の方と相談しなくていいんですか?」
「あー、いいの!いいの!もう一人は年寄りだから」
「・・・」
「ついてはね、探してもらいたいものがあるんだよ」
「はぁ・・・」
「私も、できるかぎり探したんだけど、まるっきり見つからないんだよ」
「・・・」
「ないはずはないんだけどな」
「それは、何ですか?」
「預金通帳・有価証券・カード・印鑑・年金手帳・・・」
「その類のものは、持ってて普通のモノですから、どこかにあるでしょうね」
「あと・・・」
「え!?・・・ですか!?」

男性は、不敵な笑みにキナ臭い雰囲気を漂わせながら、ある探し物を要請してきた。

つづく






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一人歩き

2008-04-06 14:30:00 | Weblog
子供が一人歩きを始めるのは一歳くらいだろうか。
親の庇護とのもと一人歩きを始め、それからまたスクスクと育って独り立ちできるまでの足腰ができあがってくる。
ただ、それには結構な時間を要する。
野生動物だったらとっくに喰われているだろうに、人間はある意味で弱い生き物だ。

しかし、今の時勢、大人でも、真の意味で独り立ちできていない人が少なくないように思う。
それは、いい年になっても親に寄生するニートだけの問題ではなく、一見は、自立した社会生活を送っているように見える人の中にも実は自分の脚で立っているわけではない人が多いような気がするのだ。
そう言う私も、その一人なのかもしれないけど・・・
それは何故か。
この社会に生きていて、理性の崩壊がやたらと目につくからだ。
自立して生きていくためには、おのずと社会規範や道徳を守ること・・・つまり、濁った社会性とは次元を異にする、高い理性とか道徳観念が必要。
そうしないと、まともな社会生活を営んでいけないはずなのだ。
なのに、この社会は、理性をなくしても生きていられる・・・いや、その方が楽だったりする。

また、自分では一人歩きできているつもりでも、実際はそうでない人も多そう。
身近な例に、知人の身内の話がある。
彼は、年齢的には立派な大人。
自分でも、「俺は一人前」「誰の世話にもなっていない」と豪語。
しかし、その実態は・・・
転々としながらも、かろうじて仕事はしている。
ただ、実家暮らしで家賃・水道光熱費はかからず、おまけに朝晩の食事と掃除・洗濯などの家事までついている生活。
家にお金を入れることもなく、稼いだ給料は全部自分の小遣い。
まとまった出費があるときは、親の支援が必要。
そんな暮らしでそのセリフを当然のように吐く。
そんな彼に違和感を覚えるのは、私だけではないだろう。

色んなケースがあるのだろうけど、親に経済的な支援を受けている人は、若者だけではなく中年にも多いらしい。
〝親に迷惑をかけたくない〟と思っていても、働いても働いても楽にならない生活の中でついつい甘えてしまうのか。
それとも、〝親が子を支援するのも、親が望んでやっていること〟〝受けるのも親孝行のうち〟とでも思っているのか。
また、年老いた親の方も、〝子供には迷惑をかけないように〟緊張感を持ちながら生活する上で、ついつい子供に援助を与える。
子供の自立を阻害していることに気づきながらも。
別に、それを〝悪いこと〟として否定したいわけではないけど、一人一人が自立能力を失う・・・つまり一人で歩くための脚力を失う要因にもなる。
そして、それが、理性社会崩壊の一因になってはいまいかと危惧しているのである。

もちろん、人は一人では生きていけない。
物質的にも精神的にも。
しかし、その反面で、一人で歩けるくらいの脚力は必要とされる。
人生は、孤独へ向かう道程を歩いていくようなものでもあるから。


その現場は、都会の賃貸マンション。
〝高齢者が孤独死〟〝死後一カ月〟ということで、私は現場に向かった。

出迎えてくれたのは、マンションのオーナー。
紳士的な人物だった。

オーナー自身は〝現場を見ていない〟とのことだったけど、だいたいの状況は警察から聞いており、落ち着かない様子。
〝遺族の到着は、少し遅れる〟とのことで、私は、まず先に現場の部屋を見てくることにして鍵を預かった。

「失礼しま~す」
現場となった部屋は上の階。
誰もいるはずのない部屋に一声かけて、玄関を入った。

「グホッ!クサイ!」
専用マスクをずらしてニオイを確認。
すると、濃厚な腐乱臭が鼻に侵入。
慣れたニオイを覚悟していた私は、誰に訴えるでもなくわざとらしく咳き込んだ。

「女性か・・・」
キッチンの床には、カツラ状の頭髪。
その長い白髪は、故人が女性であることを私に知らせた。

「だいぶヒドいなぁ」
〝死後一ヶ月〟というのもうなずける状態。
キッチンからリビングにかけて、その床には人型の腐敗液が広がっていた。

一通りの現場観察を終えて、私はオーナーの待つ一階エントランスへ。
上がるときはエレベーターを使ったが、帰りは〝PERSONS〟が一緒なので、階段を使った。
あちこちに遍在する〝PERSONS〟をエレベーターに残しては他の住人が迷惑するため、そうする必要があったのだ。

エントランスには、何人かの黒服集団がたむろ。
それは、火葬場から駆けつけて来た喪服姿の遺族で、オーナーと神妙な顔で立ち話。
挨拶もそこそこに、私も、話の輪に加わった。

「言葉が悪くて申し訳ありませんが、部屋の状態はだいぶヒドいです」
「ヒドい・・・」
「私に着いたニオイがわかりますか?」
「わ、わかります!」
「五分もいなかったのに、これですから・・・」
「・・・」
私が連れてきた〝PERSONS〟のパワーに一同唖然。
同時に、重苦しい空気が辺りを占有した。

集まった遺族は、息子夫婦二組・娘夫婦一組と孫で、遠方から上京。
皆は、遺体が腐乱したらどうなるか、また、部屋がどういう状態になるのか、具体的には想像できないみたいだったけど、想像を絶する凄惨な状態であることだけは察することができるようだった。

第一発見者はオーナー。
オーナー宅も同マンションの別階にあったので、故人が、老いた身体をかがめて手押車を押しながら出歩く姿をよく見かけていた。
故人は、近所とのトラブルもなく家賃も毎月きちんと払い、特に人の手を煩わせたり人に迷惑をかけたりすることもなく普通に生活。
「一人で寂しくない?」
と尋ねても、
「子供達には子供達の家庭があるから、それぞれが幸せにやってくれることが何より」
と応える優しい女性だった。

そんな故人が、ここ一ヶ月の間、パッタリとその姿を見せなくなった。
気になったオーナーは故人宅を訪問。
ドアポストに溜まった投函物に異変を感じ、ドアを開けることなく警察を通報。
そして、残念なことに、悪い予感は的中。
開けられた玄関からは、強烈な腐乱臭と無数のハエが飛び出し、中からは、変わり果てた姿での故人が運び出されたのであった。

「〝子供には迷惑をかけないように〟と言うのが口癖でして・・・」
「・・・」
「私達も、それに甘えてしまって・・・」
「・・・」
「ちょっと考えれば、こうなる可能性があることはわかったはずなのに・・・」
「・・・」
「こんなことになってしまって・・・」
遺族の言葉には、悔しさと自分達への苛立ちが滲み出ていた。
一方の故人も、まさかこんなかたちで子供達に迷惑をかけることになるなんて、夢にも思ってなかったはず。
悲壮感を漂わせる遺族に、私は沈黙するしかなかった。

「できたら、部屋で手を合わせてきたいんですけど・・・」
「今?これからですか?」
「はい・・・今日は一旦帰らなければならないもので・・・」
「そうですか・・・」
「中には入れませんか?」
「〝入れる〟と言えば入れますし、〝入れない〟と言えば入れませんし・・・〝自分次第〟と言ったところでしょうか」
「・・・」
「とりあえず、玄関の前まで行ってみますか?」
「は、はい・・・」
遺族は、故人が亡くなった部屋で冥福を祈りたいらしく、それを私に相談。
そうは言っても、部屋に入るには抵抗がないわけではなさそう。
それで、遺族の一人が代表して行くことに。
遺族は、お互いに顔を見合わせながら牽制。
女性陣はいち早く辞退し、残った男性陣も複雑な表情。
そんな中から、長男の男性が選抜。
立場上、引き受けるざるをえない男性の顔には、動揺の心境が色濃く表れていた。

「さぁ、行きましょうか」
「は、はい・・・」
「上着くらいは脱いでおかれた方がいいと思いますよ」
「そ、そうですか」
「じゃ、上の〓階で」
私は階段で、男性はエレベーターでそれぞれ上の階へ。
私は、〝待たせたら悪い〟と思い、階段を駆け上がった。

目的の階で待ち合わせた男性の顔は硬直。
ガチガチに緊張し不必要にドギマギ。
とても部屋の中で手を合わせる余裕があるようには見えなかった。

「大丈夫ですか?」
「大丈夫かどうか、わかりません」
「少しドアを開けますから、ちょっとだけニオイを嗅いでみて下さい」
「は、はい・・・」
「どうです?」
「???・・・グホッ!グホッ!こ、このニオイですか!」
「そう、このニオイなんです」
「ダ、ダメです!これじゃ、とても中には入れません!」
男性は、腐乱臭のジャブを食らって、早々とダウン。
完全に腰が引けてしまい、部屋に入るどころか玄関に入ることさえ無理っぽかった。

「お気持ちはわかりますけど、中に入るのは厳しいと思いますよ」
「そ、そうですね」
「ここ(玄関前)じゃダメですか?」
「そうした方がよさそうですね」
「私が代わりに拝んできても仕方がありませんし」
「心遣い、ありがとうございます」
私は、男性が部屋に向かって手を合わせるのと同時に、少し離れた所に移動。
遠くからその様子を見守った。
目を閉じ頭を下げてジッと拝む男性の姿からは、言い尽くしがたい想いがあることが伝わってきた。

それを終え、私達は皆が待つ一階へ。
男性も、私に付き合って階段を降りてくれた。

「人間が腐ると、あんな風になるんですか・・・」
「えぇ・・・」
「大変なお仕事ですね」
「まぁ・・・〝大変じゃない〟と言ったらウソになりますね」
「しかし、こんな状況になっても、あそこにいたのがお袋だなんて思えませんよ」
「・・・」
「あの悪臭の原因がお袋だなんてね・・・」
「・・・」
「それがわかるには、しばらくの時間が必要なんですかねぇ」
「そうかもしれませんね・・・」
「いい歳して恥ずかしいですけど・・・親がいなくなることが、自分をこんなにも心細くさせるものだなんて、思ってもみませんでした・・・」
「・・・」
階段を下りながら男性が話してくれた胸の内は、他人事として聞き流してはいけないことのように思えて、私は真摯に受け止めた。


いくつになっても親は親。
そして、子は子。
子にとって親は、いつまでも強く頼もしい存在。
そしてまた、親にとって子は、いつまでも愛おしく助けてやりたい存在。
それぞれの死は、具体的にイメージしにくい・・・したくないもの。
しかし、死別の時は必ずやってくる。

都会の賃貸マンションで一人暮らしをすることになった経緯は聞かなかったけど、その道程は平坦ではなかったはず。
それでも、子供や世間に迷惑をかけないように一生懸命に生きていた・・・老いた故人が一人で頑張れたのは、子を想えばこそだったのかもしれない。
そして、命は果て身体は朽ちても、その親心は子の心に温かく留まり、そのまた子へと受け継がれていくのだろう。

・・・故人が残した腐敗物に手を汚しながら、好感を越えた敬意を覚える私だった。







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ぽっぽっぽ(完結編)

2008-04-02 07:29:31 | Weblog
「先日は、どうもありがとうございました」
しばらく経ったある日、再び、男性から電話が入った。

「こちらこそ」
「一段落ついたんで、そろそろ、一階も片付けようと思うんですが・・・」
「そうですか」
「また、一度、現地に来ていただけますか?」
「では、作業の準備を進めておきますね」
「いや、そうじゃなくて・・・」
「は?」
「とりあえず、来てもらいたいんです」
「???」
男性は声のトーンを一段落とし、何かを思いつめたように話を続けた。

「実は・・・」
「何か?」
「姉は、あんなゴミ屋敷にしたにも関わらず、〝全部いるモノ!〟〝捨てるモノなんかない!〟って言い張るんですよぉ・・・」
「あ゛ー、よくあるパターンですねぇ」
「かと言って、あのまま放置しとくわけにもいかないでしょ?」
「そうですねぇ・・・」
「どうしたもんでしょぉ・・・」
苦情を寄せる近隣住民や家主女性の先々を考えると、その家をそのまま放置しておくわけにはいかず。
そうは言っても、所有権者である女性の反対を圧してまで片付ける力はなく。
男性は、困り果てた様子だった。

「それはそうと、元気に回復されたんですか?」
「お陰様で・・・」
「それはよかったですねぇ」
「ただ、さすがにアノ年でしょ?・・・頭はシッカリしてても身体がダメなんですよ」
「はぁ・・・」
「退院したってアノ家での独り暮らしは無理です」
「んー・・・」
「かと言って、私が引き取って面倒をみることもできませんし・・・」
「・・・」
「まぁ、どちらにしろ、身体がシッカリしてたって、あのまま(ゴミ屋敷)じゃ暮らせやしませんけどね」
家主の女性(男性の姉)は、入院療養の甲斐あって順調に回復。
しかし、その後の身の振り方や生活には難題が山積していた。

「だから、退院したら、そのまま老人施設に入れるしかないんですよ」
「それしかないのかもしれませんね」
「と言うことは、あの家にはもう戻らないということですから、必需品だけ残してあとは全部処分したっていいはずなんです」
「なるほど・・・」
「〝いるモノ〟と〝いらないモノ〟をいちいち選別してたら、片付くものも片付かないと思うんですよね」
「おっしゃる通り・・・〝使えるモノ〟と〝使わないモノ〟は違いますからね」
「あと、あんなボロ家にあのゴミでしょ?近所の人は、鳩害だけでなく火の気も心配してるんですよ」
「確かに・・・火事なんかだしたら苦情だけじゃ済まされませんからね」
「でしょ!?だから、そのまま放っておくわけにはいかないんです」
男性の身は、少々の障害があっても家をきれいに片付けなければならない境遇に置かれていた。

「しかし、姉がそれを了承しなくてね・・・困ったもんです」
「強硬に拒まれてます?」
「きちんとは話せばわかってくれるかもしれませんけど、今のところ拒否してます」
「そうですかぁ・・・」
「何かいい手ありませんか?」
「すぐには思いつきませんねぇ」
「こういったケースの御経験は随分積んでおられるでしょうから、姉をうまく説得してもらうわけにはいきませんか?」
「は?私がですか?」
「はい・・・」
「説得できる自信はありませんけど・・・〝失敗しても責任は問わない〟ということでしたら、やれるだけやってみますけど」
「それで構いませんから、よろしくお願いします」
男性は、女性を説得するための援護射撃を私に要請。
私はそれを断る理由もないので、逃げ道を確保した上で引き受けた。

「ところで、ベランダの鳩はどうなりました?」
「あれ以降、あのまま放ってますよ」
「随分と環境が変わってしまいましたけど、無事でしょうかねぇ」
「どうでしょうねぇ」
「卵がどうなったか、気になりまして・・・」
「そろそろ孵る頃?・・・それとも、もう孵ったかな?」
「そうかもしれませんね」
私は、女性を説得しなければならなくなったことへのプレッシャーを感じつつ、それよりもベランダの鳩のことが気になっていた。
それから、私は、再び現場に出向くことになり、女性が病院から外出許可をもらえる日に合わせて予定を立てた。


「無事にいるかな?」
その日、先に現場に到着した私は、まず二階のベランダに目をやった。
ただ、外からは何も見えず。
鳩親子が無事でいるかどうかは、確認できなかった。

「どんな人だろうなぁ」
私は、男性達が現れるのを待ちながら、家主女性の風貌・キャラクターを想像。
いい加減な先入観で、かなり濃いキャラの女性像を作り上げた。
また、当初は、亡くなったものと思い込んでいたことを思い出して苦笑した。

しばらくすると、一台の乗用車が徐行接近。
運転席には男性の姿があった。
後部座席にも人の姿。
その人が家主女性であることはすぐに分かった。

「どうも、お待たせしました」
男性は車を降りて私に会釈し、それから後席の女性を支えながら降車させた。
そして、二人は、玄関前に立つ私の方へゆっくりと歩いてきた。
そして、女性は長居ができないため挨拶は簡単に済ませ、男性が急ぐように本題を切り出した。

「見なよ、姉さん」
「・・・」
「こんなにゴミだらけにしちゃって?」
「・・・」
「これを片付けないでどおすんの!」
「使えるモノがたくさんあるの!」
「いつ使うってんだよ!」
「・・・」
「墓に衣は着せられないんだぞ!」
「そんなこと言うんなら、私が死んでから片付ければいいじゃない!」
「ぐ・・・」
「でしょ!?」
「周りに迷惑をかけてるのがわからないのか!?」
「迷惑なんかかかってません!」
「実際、近所の人達は〝迷惑だ〟と言ってるんだぞ!」
「そんな話、聞いたことないわよ!」
二人の会話は次第にヒートアップ。
女性は、身体は弱めていても口は負けず劣らず。
男性と互角の勝負。
人の生死を絡めた二人のやりとりには他人が入り込む余地はなく、私は、黙って聞いているしかなかった。

「アタシが死んだら、この家も土地もアンタにあげるんだから、やるんだったらそれからにしなさいよ!」
この一発で、男性はTKO。
命を切り札にした女性の勝利で、試合は終了。
そして、男性は私に〝選手交代〟のサインを送ってきた。


第二試合の相手は私。
他人への礼儀を考えてのことだろうか、男性に対するような押しの強さは出さず、私には冷静かつ礼儀正しく応対。
そんな理性的な態度に、私は少しは安心した。

「二階のベランダに鳩とその卵があるんですけど・・・」
「は?何ですか?」
「ベランダに、鳩の巣があるんです」
「鳩!?」
「そうです・・・」
「私は知りませんよ・・・鳩なんて」
「ご存知なかったですか?」
「えぇ・・・鳩なんか飼ってませんよ」
「そうじゃなくて、野生の鳩が二階に住み着いているんです」
「今も?」
「そのはずですが、お気づきにならなかったですか?」
「えぇ・・・もう何年も二階には上がってませんからね・・・」
女性は、悪意があるわけでも、トボけている風でもなく。
二階に鳩が巣作っていたことなんか、本当に気づいていないようだった。

「で、どうします?」
「殺しちゃ、可哀想でしょ」
「まぁ・・・それはできませんね」
「そのままにしといたら?」
「近所迷惑になりますからねぇ・・・」
「どうしましょう・・・」
「ん゛ー・・・」
「どうしたらいいですか?」
「とりあえず、どうなってるか確かめにベランダを見てきますよ」
私は、少し緊張しながら二階へ。
そして、ガラスに顔を近づけて窓越しにベランダを眺めた。

「アラ?・・・」
あの日と同じ巣はあったものの、鳩もおらず卵もなく空っぽ。
よく見ると、草や樹の小枝で組まれた巣も崩壊寸前。
また、新しい糞はなく、鳩が出入りしているような形跡もなかった。

「どうでした?」
「いなくなってました・・・」
「???」
「この前は確かにいたんですが、どこに行ったのか・・・」
「いない方がいいわけでしょ?」
「えぇ、そりゃまぁ・・・お騒がせしました」
私は、一人でテンションを上げていた気恥ずかしさと鳩親子が忽然と姿を消した寂しさが入り混じって、妙に消沈してしまった。

「ところで、家の中の荷物なんですけど・・・」
「・・・」
「弟さんが言われるように、少しは片付けた方がいいと思うんですよ」
「・・・」
「このままでは、戻って来ても生活することができませんし」
「そうか・・・そうですよねぇ・・・」
女性は、消えるような声で返事をして黙り込んだ。
そして、その難しい表情が、女性の心情を如実に表していた。

現実として、退院した女性がこの家で再び独り暮らしをすることは極めて困難。
それが自分でも分かっている・・・しかし、その現実を受け入れたくない気持ちもある。
そこは、自分の力で建てた、思い出も愛着も誇りもある家。
自分の老い先が長くないことを知りつつも、元気になって自宅に戻る希望も持ち続けていたい・・・そこに他人には理解できない葛藤があることが感じ取れた。
その上で、元の生活に戻る希望に賭けたのか、女性は、ゴミを片付けることに同意した。


女性を先に車に乗せてから、男性はまた私のところに来た。
「お陰様で、やっと片付けることができます」
「お役に立てて、よかったです」
「本人は、この家に帰ってくる気になってるみたいです」
「切ない気もしますけど、それが希望になれば何よりですね」
「それはそうなんですけど、現実的には・・・」
「やはり、厳しいですか・・・」
「えぇ・・・」
「今度は、〝施設には行かない!〟〝家に帰る!〟って揉めますかね」
「まったく、頭が痛いです」
「お察しします」
「でも、まぁ、あれでも私の姉です・・・子供の頃はよく可愛がってくれた姉ですから・・・」 「・・・」
「喧嘩できるのも生きてるうちですから、できる限りのことはやってやりますよ」
男性は、溜め息の中に何かを達観したような笑みを浮かべた。


話がついて、その場は解散。
玄関に鍵をかけ、名残惜しそうに家を眺める女性に、時の移ろいと人生の儚さを見るようだった。
また、生命を失って朽ちた鳩の巣が、この家の近い将来を暗示しているようで、何とも言えない寂しさと切なさを覚える私だった。






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