特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

黙視録

2015-12-31 09:29:14 | 特殊清掃
2015年12月31日木曜日。
今年も今日でおしまい。
ここ数年は不定期で更新頻度も低いこのブログだけど、毎年、大晦日には必ず更新している。
人の最期を締めている者の習性か、年の最後も締めないと、何かやり残したような気がして落ち着かないのだ。

例によって、私の仕事納めは今日。
似たような毎日を繰り返すばかりだったけど、何だかんだと、今年も色々なことがあった。
凄惨現場での過酷作業に疲労困憊した日も多かった。
それでも、今日という日を平和のうちに迎えることができていることに喜びを感じている。
そして、明日の元旦は仕事始め。
長期休暇がとれない生活にはもう慣れている(願望はあるけど)。
何かにつけ不平・不満が先行しやすい私だけど、まずは、こうして達者に働けていることに感謝したい。


呼ばれて出向いたのは公営の団地。
そこは大規模団地で、同じ造りの棟が無機質にいくつも並んでいた。
依頼者の女性とは、現場の棟下にある駐車場で待ち合わせ。
女性は、時間厳守がモットーの私より先に来ていた。
当然、初対面なのだが、互いのことは醸し出す雰囲気でわかるもの。
視線が合った我々は、軽く会釈をしながら歩み寄り、挨拶の言葉を交わした。

亡くなったのは女性の父親。
発見までしばらくの時間がかかり、腐敗はかなり進行。
女性は苦悶の表情を浮かべながら、
「警察から、“見ないほうがいい”って言われまして・・・」
「顔も見ないまま火葬したんです・・・」
「ただ、亡くなった部屋くらいは見たいんです・・・」
「そうでもしないと、父に申し訳なくて・・・」
と言って、声を詰まらせた。

死体検案書は「○○欠損」と書かれた箇所がいくつもあり、遺体の状態がかなり悪かったことを示していた。
と言うことは、部屋の方も軽症ではないはず。
「部屋の方も悲惨なことになってるんだろうな・・・」と、私は内心で憂いた。
しかし、女性は、部屋の状況までは想像しておらず。
「遺体を搬出すれば、その跡には何も残らない」とでも思っているのか、警察の説明によって、いくらかの虫と異臭が発生していることは承知していたものの、やはり素人の想像には限界があるのだろう、大して深刻には捉えていない様子。
また、腐敗によって遺体が変容することは理解できても、肉体が液化して残留するなんてことは想像できないよう。
「ヒドイ」と言っても頑張れば耐えられる範囲内のことで、耐えられないほどの悪臭と惨状が広がっているとは夢にも思ってないようだった。
しかし、現実の凄惨さは、そんな覚悟なんか瞬時に打ち壊してしまう。
結果、「入らなければよかった・・・」「見なければよかった・・・」とショックを受けるのである。
そして、深刻な場合、そこで受けたダメージが後々にまで波及し、心に陰を落とし続けていくのである。

現場は、階段を上がった上階の一室。
螺旋状の階段をゆっくり上っていくと、目的階に近づくにつれ、鼻に例の異臭が感じられてきた。
そして、目的の部屋前に到着すると、その玄関ドアの隙間には、長方形の目張り。
異臭漏洩が激しいものだから、管理会社が貼ったようだった。
それは、見るまでもなく、ドアの向こうが重症であることを物語っていた。

私は、女性の承諾をもらい、目貼りテープをベリベリと剥がした。
すると、下のほうから何者かが顔を覗かせた。
そして、それは次から次へと、滴のようのこぼれ落ちてきた。
そう・・・それは、遺体に涌いたウジ。
栄養を充分に摂り丸々と肥え太った彼らが、玄関ドアの隙間から続々と這い出てきた。

「キャーッ!!何ですか!?」
女性は、それを見て驚愕の声をあげた。
そして、それが故人の身体から発生したモノであることがわかると、腰を抜かしたようにその場にしゃがみ込み、
「お父さん・・・お父さん・・・」
と、人目もはばからず泣き始めた。

目を覆いたくなるような凄惨な光景でも、仕事を進めるうえでは、それを見て・憶えて・伝える必要がある。
見たくないものを見、憶えたくないものを憶え、口にしたくないことを口にすることも大事な役割。
私は、まず一人で室内に入ることを女性に提案。
それで室内の状況を報告し、その上で女性自身に入室の可否を判断してもらうことにした。

ドアを開けるといきなり汚染痕。
確かに、倒れていたのは台所だったが、その頭部は玄関の土間に落下。
そこには、丸型痕があり頭皮と大量の頭髪が付着。
更に、隅には無数のウジ群が大きな塊をつくっていた。

残念ながら、部屋は相当に悲惨なことになっていた。
私にとっては、珍しい光景ではなかったが、女性にとってはショッキングな光景に違いなく、トラウマみたいになって今後の人生に影を落とすようなことになったらよくない。
私は、迷わず「見ないほうがいい」と判断し、この厳しい状況を少しでも優しく説明するため、汚れた頭にきれいな言葉をかき集めた。

室内の見分を早々に済ませた私は、異臭と共に外へ。
そして、一緒に出てきたウジ達を捕獲し、それ以上の脱走を防ぐため、再びテープで密閉。
それから、下まで降り、人目のつかないところで女性に室内の状況を説明。
できるだけグロテスクな表現は避けながら理解しにくいことを理解しやすいように話し、できるだけ遠慮しながら言いにくいことも話した。
やはり、自身が抱いていた当初の想像は甘かったようで、女性は、私の身体が発する異臭と口が発する言葉に眉をひそめながら、また、止まらない涙をハンカチで拭いながら固い面持ちで私の説明に耳を傾けた。

「結構なことになってるので、見ないほうがいいと思いますよ・・・」
「後々まで精神的なダメージを引きずることになってはいけませんし・・・」
意見を求められた私は、そう応えた。
しかし、女性は簡単には同調せず。
どうも、女性は、父親の死に気づかなかったこと、そして、酷く腐乱するまで放置してしまったことに強い罪悪感を抱いている様子。
私の目には、入室を諦めない女性の向こうに自分自身に罰を与えようとしている姿が映り、その心の内に同情を越えた不快感のような感情が涌いてきた。

そもそも、孤独死というものは、そんなに否定的に見るべきことではない。
生まれて間もない赤ん坊だっていつかは死ぬし、鍛え抜かれた肉体だって死ねば朽ちる。
人が死ぬことが摂理なら、肉体が朽ちることもまた道理。
どんな凄惨な状況であれ、死を覚えることを罰にするなんてもってのほか。
私は、少しテンションを上げながら、かねてから持っている自論を展開し、僭越なことと知りつつも懇々とその考えを説明した。
女性のほうは、目を伏せたまま黙ってそれを聞き、しばしの沈黙の後、部屋に入るのは断念する旨を口にした。
そして、玄関ドアに向かって手を合わせ、涙しながら故人に詫びたのだった。


これまで、多くの遺体を目にし、多くの現場に遭遇してきた私。
腐敗した遺体、損傷した遺体、変容した遺体、
血まみれの部屋、ウジだらけの部屋、元肉体が覆う部屋、異臭激しい部屋、
目を覆いたくなるような現場、直視することが躊躇われるような遺体が私の脳裏に焼きついている。
そして、それらは人々に嫌われ、怖れられる。
人の死も、肉体が腐って変容することも自然なことなのに、そのプロセスにはおぞましい光景がともなうため、嫌悪を通り越して、恐怖される。
ただ、それも仕方がない。
あまりに嫌悪されていると故人を気の毒に思うこともあるけど、人が抱く自然な感情だと思う。
しかし、生跡も死痕も、嫌悪感だけで簡単に片付けてはいけない。
私は、これに人生の多くの時間を懸けてしまっている。
だから、ただ機械的に作業をこなすだけの木偶の坊(でくのぼう)になるのはイヤ。
こんな仕事でも、その中から、自分(人)に必要な善性と自分(人)が大切にしなければならない正義を見つけたいのだ。

私(人)は、自分が思っているほど高等ではない。
私(人)には、自分が思っているほどの力はない。
色々な出来事や人間模様の中に人間悪が垣間見えることも多い。
しかし、
悪性の中に善性を持ち、
愚かさの中に賢さを持ち、
弱さの中に強さを持ち、
非情の中に情を持ち、
不義の中に正義を持ち
冷たさの中に温かさを持ち、
厳しさの中に優しさを持つ。
少なかろうが小さかろうが、人は、そのような良いものも持っている。
そして、それがわずかでも輝いたとき、それに呼応することによって人間悪を覆す人間美が生まれ、自分(人)が必要とし大切にしなければならないものが現れるのである。

この先も、私は色んな光景を目にするだろう。
この仕事を続けていくかぎり、一般の人が目にしえないような汚れた景色を目の当たりにすることも多いだろう。
仕方がない・・・愚かなことかもしれないけど、自分が選んだ道だから。
大切なのは、その中に何を見るか、何を見つけることができるか。
そして、それを一つ一つ拾い集めてそれを自分にどう適用させるかなのである。

さて、明日から始まる新しい年。
一年を生き通せるかどうかもわからないけど、来年もまた、現場を走り回る日々において、色んな場面に遭遇し、色んな人々と出会うだろう。
そんな中で増えていく私の黙視録のページには、これまで同様、「現場凄惨、作業過酷、疲労困憊」の文字が連なるだろう。
しかし、その次には「されど心晴々、気分爽快、闘志満々」と書いてみたい・・・そう書けるような人間になりたい。
そして、厚みを増していく黙視録と同じように、人間としての厚みも増していきたい。

曇多くとも晴れ間も見える大晦日。
一年を締め括るにあたって、そんな夢のようなことを願いながら新たな年に想いを馳せている私である。


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忘嫌者

2015-12-24 08:54:37 | Weblog
今年は暖冬と言われているが、その言葉の通り、先の何日か極端に暖かな日があった。
その日は、春を通り越して初夏のような暖かさで、現場で作業をしていても季節に似合わない大汗をかいた。
そうは言っても、冬は冬。
暖かな日は長く続かず、寒さは戻ってきている。

そうやって冬か深まっていく中、今年も、だんだんと終わりに近づいてきた。
そして、今日はクリスマスイブ。
街は、どこもかしこもクリスマスカラーで彩られ、「Merry Christmas」の文字が躍っている。
私には、クリスマスに宴会をする習慣はないけど、街の賑わいに包まれているだけで楽しい気分になる。
これもクリスマスの恩恵だろう。

私にとって、年の瀬の宴会といえば忘年会。
忘年会は「その年の苦労を忘れるための宴会」(諸説あり)と言われているように、本来は楽しく飲むべきもの。
だけど、実際は、職場や仕事上で行われることが多く、色んな人に気を使って忘年会自体が苦労になってしまっているケースも多そう。
前ブログにも書いたように、私も、今年は、仕事上で二回の忘年会があった。
ただ、無礼講ではないものの微礼講的な雰囲気で、そんなに堅苦しい思いはしなくて済んだ。
だからか、気をつけていたつもりなのに、ちょっと飲みすぎた。
若い頃に比べると弱くなったとはいえ、もともと酒は強いほうなので「泥酔」とまではいかなかったけど、結構酔ってしまった。
ま、それでも、記憶を喪失することもなく、醜態を晒すこともなく、社交的に楽しくやれたのでよかった。

しかし、過去には、忘れてしまいたいような失態が多々ある。
友人宅、駅、タクシーetc・・・嘔吐したことも数知れず。
自分で掃除するわけでもないのに・・・
まったく、掃除する人の身になって考えると、土下座級の失態だ。
(今、何倍にもなってそのツケが回ってきてる?)
また、相手が暴力に訴えることができない公務員であることをいいことに、飲み仲間を連れていった警官に悪態をついたこともあった。
もともと小心者なので酔ってケンカをすることはなかったし、酷い暴言を吐くこともなかったけど、たまに、そんなみっともない振る舞いをしてしまうことがあった。

また、以前に書いたことがあったかどう忘れてしまったけど、恐い経験もある。
学生の頃、仲間内でも一二を争う酒豪だった私。
若輩者の集団においては、「酒が強い=カッコいい」「酒に弱い=カッコわるい」みたいな文化があり、得意になっていた。
そして、「強い!強い!」と煽てられると、人間が強いかのように錯覚し無茶な飲み方をしていた。

そんな時分、バイト先の忘年会があった。
始めて間もないバイトで、まだ親しいバイト仲間もいなかった私。
話の輪に入れず寂しい思いをするリスクもあったけど、私は、あえて参加。
積極的に人間関係をつくろうとしない今とは真逆で、「友達をつくるには絶好の機会」と考えたからだった。

ありがたいことに、会の責任者は新米の私が参加したことを喜び歓迎してくれた。
そして、他の皆も、私に気をつかってくれ、旧知の輪に入れてくれた。
それが嬉しかった私は、気分も上々に。
すすめられるまま酒をグイグイ。
当時、痩型色白だった私は酒が飲める風には見えなかったらしく、そんな私が誰よりも飲む姿は周囲にインパクトを与えたよう。
すすめられる酒の量はどんどん増えていき、調子に乗った私はそれに応えていき、泥々の深みにはまっていった。

問題はここから・・・
楽しく騒いだ二次会のカラオケがお開きになった後。
そこは、家から離れた街で飲むのも初めての街(八王子)。
自宅に帰るには電車を二度乗り継ぐ必要があった。
が、同じ方向に帰る人(面倒をみてくれる人)は誰もおらず。
最初の駅までは誰かと一緒だったのだが、その後は一人自力で帰途につかなければならなかった。

翌朝、私は、目覚めるとしばし呆然。
ヒドい二日酔いに襲われたのと同時に前夜のことが甦り、周囲をキョロキョロ。
すると、そこは見覚えのあるところ・・・つまり自宅。
相当の千鳥足だったはずだが・・・どうやら私は無事に帰還したようだった。
が、しかし、どこをどうやって帰ってきたのか何も思い出せず。
一人で電車を乗り継ぎ、道を歩いて帰ってきたことが信じられず、
「夢か?」
と思いながら、自分の中で、頭痛と倦怠感の原因とその後の動向を探った。
しかし、いくら考えても、二次会が終わって駅の階段を上ったところから翌朝目覚めるまでの記憶が甦ってこず。
唯一思い出せたのは、二度目の乗換駅で嘔吐したこと。
ホームのベンチに座って嘔吐していると、その前を「汚ねぇなぁ!」と吐き捨てるように言いながら若い男女が通り過ぎていったことを思い出した。
と同時に、それまで味わったことのない恐怖感が襲ってきて、心臓を大きく鼓動させたのだった。

結局、二日酔いが治っても、それ以外の記憶が戻ることはなかった。
そして、そのことは私に強烈な恐怖感を覚えさせ、それ以来、私は、酔うほど飲むことはあっても、記憶を失くすほど飲むことはなくなった。
そして、その経験は、中年になった今でも生きている。


「お礼に一杯・・・」
数は少ないけど、たまに、そう言ってくれる依頼者がいる。

現場の状況や依頼者の要望によるけど、私の仕事では、依頼者と長い期間関わることになるケースもある。
特に、ハイレベルの消臭消毒や内装改修工事を請け負った場合はそう。
となると、自ずとコミュニケーション量は多くなる。
そうすると、自然とお互いの気心が知れてくる。
その結果として、「一杯どう?」となるのである。

もちろん、
「現場での色んなエピソードを聞いてみたい」
「珍業に従事する人間の話を聞いてみたい」
等といった好奇心もあるのかもしれないけど、それでも誘ってもらって悪い気はしない。
しかし、私は、その気持ちだけありがたくいただき、実際に付き合うことはしない。
日時が合わないことを口実に丁重に断っている。

ただ、実際の理由は別なところにある。
それは、酒に酔うことによって表れる人間性(悪性)。
酔うと、感情や欲が露出する。
普段は、理性良心によってきれいに包み込まれているものが剥き出しになる。
私は、軽薄な人間だから、ちょっと褒められると調子に乗ってしまうはず。
そして、ちょっと煽てられると、すぐに高飛車になるはず。
つまらないことを自慢したり、くだらない話を偉そうに喋ったり、挙句の果てには泣いてしまうかもしれない。
また、相手が女性だったりしたら、イケない方へいってしまうかもしれない。
どちらにしろ、醜態を晒すことになりかねない。
つまり、 “忘れてしまいたい過去”をつくらないために予防線を敷いているのだ。


幸い、今年、「忘れてしまいたい」と思うほどの出来事はなかった。
もちろん、一般の人が見たら仰天失神してしまうような光景には何度となく遭遇したし、過酷な作業に従事した数も多々ある。
確かに、どれもこれも、きれいな光景ではなかったし、愉快な作業でもなかった。
記憶に残しておきたくないと思っても不自然ではないような出来事ばかりだった。
だけど、実際に、「忘れてしまいたい」という気持ちは抱いていない。
マイナスの出来事でも、人々の汗と涙と苦悩と想いがその底を持ち上げ、私の心に落ち着く頃にはプラスに転じているのだろう、それが、私の死生観を上向きに育んでくれているような気がするから。

忘れてしまいたいことって、ほとんどはイヤな過去だと思う。
失敗したこと、後悔していること、恥をかいたこと、苦痛だったことetc・・・
しかし、実は、“忘れてしまいたいこと”の多くは“忘れてはいけないこと”“忘れないほうがいいこと”ではないだろうか。
苦い思い出は、自分を律する教訓として、自分を導く教本として、自分を学ばせる教師になるから。

イヤなことを忘れて、イヤなことから逃げて生きられるのなら、こんな楽なことはない。
それができないから人生は苦しい。
それができないから人生は辛い。
しかし、人間を成長させるため、強くするため、賢くするための種は、「悩」「苦」「痛」「悲」「哀」等といった陰の性質。
イヤなことだけど、「爽」「楽」「快」「嬉」「喜」等といった陽の性質ではない。
そして、その芽は、「格闘」「忍耐」「努力」「挑戦」。
そうして採れる実が、人間を養い、人生を輝かせるのである。

実を収穫するチャンスはたくさんある。
自分を見つめてみれば、そのチャンスがたくさん与えられていることがわかるだろう。
だって、生きることに苦しさや辛さを覚えることは多々あるから。
しかし、自らそのチャンスから目を背け、境遇ばかりを嘆いていないだろうか。
自分に言い訳をして、自分を甘やかしていないだろうか。
心のどこかで、それが自分のためにならないことがわかっていながら。

忘れてはいけない・・・
楽しい人生は、遊興快楽のみでつくられるものではない。
幸せな人生は、幸福のみでつくられるものではない。
遊興快楽欲を手放すことで採れる楽しさもある。
幸福欲を手放すことで採れる幸せもある。
・・・人生という荒野には、そうしなければ収穫できない喜びと希望がある。

どれだけ雨が続いても、どれだけ夜が長くても、人生の冒険者として、このことだけは忘れたくないものである。



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ケチな男

2015-12-16 07:55:11 | Weblog
楽しいクリスマスやめでたい正月を前にして、年末は何かと物入りである。
祝賀ムードが財布の紐が緩めてしまうのだろうか、「年末くらいは、ちょっと贅沢させてもらお」と、金を使ってしまう。
しかし、私はケチ。
いい言い方をすれば倹約家。
質素倹約が肌に合っており、とにかく、必要以上にモノや金を浪費するのが大嫌い。
例え、それが他人のモノであっても。
自分のモノだけに執着するならまだしも、自分のものでないモノでもそうで、筋金入りのケチである。

金銭欲はやたらと強いくせに、物欲は弱い。
金に余裕があれば考えも変わるのかもしれないけど、特に、欲しいモノはない。
正確に言うと、欲しいモノはあるのだけど、そのほとんどは、お金を払ってまで手に入れたいとは思わないモノなのだ。
だから、生活必需品を除き、普段、私は余計なモノはほとんど買わない。
花なんかはもちろん、菓子やデザート類を買うのも稀(眺めるのは好き)。
果物なんて、たまにバナナを買うくらい。
新聞もとってないし、本や雑誌を買うこともない。
服や靴も、ほとんど買わない。
髪も¥1000カット。
オシャレじゃないのは自分でもわかったうえで納得している。
電気や水道も同様。
真冬でも手はお湯で洗わない(さすがに、風呂は湯で入るけど)。
手を洗うだけのことでお湯を使うなんて、もったいないような気がするのだ。

日常生活上でも業務上でも、「再使用」「再利用」「使い回し」が大得意。
フツーの人ならとっくに捨ててしまうようなモノでも、平気で使う。
実例を挙げるとキリがないし、幻滅されるのもイヤだから明らかにしないけど、
「そこまで使う?」「そんなモノまで使う?」
と、驚く人(呆れる人)も多いと思う。

金をまったく使わない日も普通にある。
一般的には、昼時になると職場仲間と連れ立ってどこかの店に食べに行ったり、弁当を買ったりする人は多いと思う。
そして、そこで、数百円~千円くらいは使ってしまうのだろうと思う。
けど、私には、それがない。
決まった時間に昼休憩がとれる仕事でもないし、現場に向かって先陣をきる役割の私は単独行動も多く、誰かとランチする状況に置かれることはほとんどない。
したがって、いつ、どこで、何を食べようが自由。
人には見られたくないような粗食を車中でひっそり食べるのが常となっている。
何とも暗~い感じの話だが、結局、これで時間とお金とカロリーの無駄を抑えることができるので、私にとっては一石三鳥なのである。

夕飯においても外食は少ない。
外食したとしても、安いモノを選んで食べる。
また、酒も家飲みばかり。
30前後の頃は、毎週のように外で飲んでいたものが、今は年に3~4回程度。
しかも、そのほとんどが仕事がらみで義務的なもの。
今月も二度ほど忘年会があったが、仕事上の付き合いだから会社の経費でやらせてもらえたので助かった(前回ブログであれほど偉そうなことを書いておきながら、二回とも飲み過ぎてしまった)。
結局、今年、プライベートで外飲みしたのは一回きり。
しかも、友人が住む地域の夏祭りの露天で買ったビールを飲んだわけで、たいした金額にはならなかった。

そんな私だけど、「安ければそれでいい」という考えは持っていない。
価格と品質は比例するのが資本主義の世界。
もちろん、価格以上に高品質の物もあれば、その逆もある。
それでも、基本的に、価格と品質は比例する。
価格優先か、品質優先か、自分が最も満足できるのはどういうバランスかを自覚することが必要だと思っている。
だから、私は、生活必需品でも品質や好みを優先し、それから値段と相談する。
例えばビール(生活必需品じゃないけど)。
私は、発泡酒や第三のビールは買わない。
プレミアムビールには手が出ないけど、普通のビールを買っている。
発泡酒や第三のビールは、その味が口に合わない・・・つまり、私にとって味の悪さが価格メリットを超えているのだ。

そして、そんな私でも、無駄遣いじみたことをしないわけではない。
代表格は、酒肴と何種かのサプリメント(ちなみに、タバコは吸わない)。
これは生活需品ではないのに買っている。
酒なんて飲まなくても生きていけるし、飲まないほうが生きていけるかもしれないし・・・
サプリメントも、本当に身体にいいのかどうか定かではないし・・・
それがわかっていても、そられに金を使っている。
ま、これらは、私にとって精神安定剤みたいなものだから、別の意味での生活必需品だと思っている。

あと、日常にささやかな贅沢もある。
肴にちょっといいものを食べることと。
あと、ごくたまにだけど、スーパー銭湯に行くこと。
一回約¥700、特殊浴場(行ったことがあるかどうかはさておき)と違って営業時間内であれば時間制限はない。
混んでいなければ、ゆっくりのんびり入ることができ、どこかの温泉地にでも出かけたような気分を味わうことができる。

レジャーも皆無ではない。
これといった趣味を持たない私だけど、少ない休みを利用して遠出をすることもある。
昨季は何度か山登りに出かけた。
大した費用はかからないうえ、日常にはない景色を眺めることもできる。
それなりにハードに身体を動かすこともでき、いい気分転換になる。
ただ、今年も行きたいと思っているのに、なかなか機会に恵まれず、この秋冬はまだ一度も行っていない。
しかも、まだ計画すらなく、時間ばかりが過ぎている。
行けるときに行っておかないともったいないのに、悩ましいかぎりである。

あと、ケチな私でも、人にモノをもらったりおごってもらうのは嫌い。
もちろん、社交上の目的・意味があるものや礼儀として差し出されるものはありがたくいただく。
抵抗があるのは、筋合いも意味もない場合。
後のお返しを考えるのも面倒だし、何より、借りをつくるようで抵抗があるのだ。
返さなくていいものだとしても、借りは借り。
普のケチなら「得した!」とばかり、それに甘えるのだろうけど、私は真のケチ(←自慢してるわけじゃない)だから、自分の意向に関係なく借りを背負わされることがイヤなのである。


話は変わるけど・・・
この性質にこの職業が乗っかっているのだから、当然の現象(?)かもしれないけど、私は、「毎日、必ず」と言っていいほど、“死”を考える。
そして、他人の死は数え切れないほどみてきているのに、いつか自分も死んでしまうことが現実のことのように思えなくて不思議な感覚に囚われる。
「俺もいつか死ぬんだよなぁ・・・」
なんて、実感なく、まるで他人事のように思うのだ。

そう・・・私は死ぬのだ。
今日か、明日か、一週間後か、一ヵ月後か、一年後か、十年後か、時期はわからないけど死ぬことはわかっている。
突発的なことがなくても、余命は、あと20~30年のものだろう。
そう考えると、残された時間は長くない。
そして、減っていくばかり。
どんなに知恵を絞ったって、減っていくスピードを落とすことはできない。
また、大金を積んだって増やすことはできない。
誰も、定められた自分の寿命を延ばすことはできないのである。

そんな宿命にあって、時間が過ぎ去るのを、ただ傍観していていいのだろうか・・・
いや・・・有効に、大切に使っていきたい・・・そう思う。
しかし、時を金のごとく意識して使っているだろうか・・・
時間を無駄に浪費していないか?
時間を愚かな行いに使っていないか?
残念ながら、私は、時間を有意義に賢く使うことができていない。
気が進まないことは後回しにして、ルーズにダラダタと時間だけをやり過ごしてしまうことが多い。
怠けることと休むことを区別せず、効率的に生活することと楽して生活することを混同し、
大した努力も、忍耐も、挑戦もせず、自分の性が企てる悪事に与(くみ)することが多い。

しかし、生きているかぎり、リセットはいつでもできる。
後悔のない人生は歩めないにしても、後悔の少ない人生を歩みたい。
そのために、今、できることがある。
それは、一日一日に“ベストを尽くすことを意識すること”。
仕事でも学業でも遊びでも休息でも何でもいい、理性良心に従ってベターな選択を心がけ、目の前のことを、怠けることなく、焦ることなく、気負うことなく懸命にやろうとすること。

本来なら、上文の“ベストを尽くすことを意識すること”という部分は、「ベストを尽くすこと」と言い切りたいところだけど、そうは言えない。
何事に対しても、釈迦力になって我武者羅に頑張ることはできないし、そのことだけに多くの時間を割くこともできないわけで・・・
言葉(文章)でいうのは簡単だけど、実行するのは極めて難しいことだから。
そして、私は、それを貫徹できるほど強い人間ではないことを知っているから。
つまり、「ベストを尽くせ!」と自分や誰かを励ましたところで、それは、机上の空論となり、このケチな男のケチな話にはケチがついてしまうわけ。
だからこそ、私は、その手前にある“意識”を持つことをすすめるのである。

ベストを尽くせない自分を責める必要もなければ、弱い自分を嘆く必要もない。
「今日、自分はベストを尽くそうとしているか?」
「今、自分はベストを尽くしているか?」
そう自分に問うだけでいい。
そして、ベストを尽くすことを頭の隅に置いている自分を喜び、少しでも頑張ろうとする自分を褒めればいい。
自分の人生が大切なら、それだけでも時間は有意義なものに変わる。


私はケチな男。
ただ、これ以上、ケチな男になりたくない。
しかし、時間にケチな男にはなりたい。
限りある時間を賢く使い、残り少ない時間を懸命に使い、感謝と喜びで満ちた人生を歩みたい。
そうして、いつか来る、いずれ来る、最期の時を穏やかに迎えたいと思っているのである。


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顔笑心泣

2015-12-07 08:43:14 | 特殊清掃
2015年も、もう師走。
朝晩は、めっきり冷え込むようになってきた。
朝、布団をでるのが億劫だし、外にでても寒さで身体が縮こまってしまう。
だからと言って、ジッとしていてはいけない。
身体に怠け癖がついてしまうし、何より、私の場合は精神がやられるから。

しかし、幸いなことに、ジッとしているヒマはなく、12月は雑用やイベントが多い。
現場仕事はそう忙しくなくても、何かとやることはある。
御歳暮を贈ったり、会社のカレンダーを配ったり、暮の挨拶に出向いたり。
餅つき、クリスマス、正月仕度、大晦日、そして忘年会もある。
(ちなみに、年賀状は出さないから、その準備はない。)

30歳前後の頃は、毎週のように外で飲んでいた私だが、近年、外で飲むことはめっきりなくなった。
余計な金もかかるし、とにかく面倒臭い。
“家飲み”が懐にも身体にも一番優しい。
だから、「外に飲みに行きたい」と思うことはほとんどない。
ところが、そんな私でも、この時季は付き合わなければならない忘年会がある。
先週一回目が終わり、今週二回目が予定されている。
そして、あと一回ぐらいあるのではないかと思う。
ま、どれも社交辞令的な付き合いで行くものだから、飲む量もほどほどにするつもり。
深酒・泥酔しても何もメリットはないから。

しかし、その昔、学生時代は、飲み会のたびに無茶な飲み方をした。
友人宅での宴会の際、客間で吐いたり、バイト先の忘年会の帰りに駅のホームで吐いたり、居酒屋で他校の学生と揉めたり。
社会人になっても、飲酒運転をしたり、タクシーで吐いたり、仲間を連れていった警官に悪態をついたりしたこともあった。
そんな具合に、若い頃は節操なく飲んで、醜態を晒したことが何度となくあった。

ただ、もう、この歳で、若い頃と同じような醜態を晒すわけにはいかない。
そんなの、社会的にも道徳的にも許されないし、身体的にも精神衛生にも害がある。
が、幸い、今の私は、自分で酒量をコントロールできている。
自分と交わした休肝日契約もキッチリ守っているし、ごくたまに、歴史・政治・思想・哲学等の人間論で興奮することはあるけど、酔うことによって機嫌が悪くなることもない。
愉快に騒ぐこともなく、極端にテンションを上げることもなく、一定量を静かに飲むのが私のスタイルだから、油断は大敵ながらもトラブルを発生させるリスクは高くないと思っている。

ただ、そんな私でも“酔い”に頼らざるを得ないこともある。
もともと人づき合いが苦手で、話題をつくることが下手なのに、人とうまく話して楽しい空気をつくらなければならないときがあるのだ。
外での忘年会もそんな感じなのだが、私は、そんなときに酒の力を借りる。
寡黙で口下手なキャラクターを明るく多弁なキャラクターに変えるため、早く酔いが回るようハイピッチで飲む。
そして、ホロ酔いになって口が滑らかになってきたところでペースを落とす。
そして、あとは深酒・泥酔にならないよう、タイミングを見計らって、適宜、ウーロン茶等のソフトドリンクを挟む。
そうすることによって、適度なところに酔いを置き、宴会の雰囲気を壊さないようにするのである。



ある晴天寒冷の日、特殊清掃の依頼が入った。
といっても、誰かが亡くなった現場ではなく、居住中の御宅。
汚れは生活上のものらしかったが、どれほどの汚染なのかは実際に見てみないとわからない。
私は、いつものごとく、事前調査のため現地を訪れた。

依頼者は独居の高齢男性。
男性は、玄関の外にまで出て私を出迎えてくれた。
そして、
「ご苦労さん!ご苦労さん!」
と、Welcomeムードを漂わせながら、初対面の私にもニコニコと笑いかけてくれた。
ただ、少し耳が遠いのか、隣の人が苦情を言ってくるんじゃないかと思うくらい声のボリュームは高め。
しかも、よく笑う人で、とにかく賑やか。
「酒でも飲んでるのか?」と思わせるくらい、事あることに「ガハハ ガハハ」と大きな笑い声をあげた。

現場は老朽マンションの一室。
間取りは1LDK、一人で暮らすには充分な広さだった。
ただ、風呂・トイレ・キッチンシンク等の水廻りはヒドい汚れよう。
足腰が不自由で、普段、掃除なんてほとんどできないらしく、フツーのクリーニング業者では引き受けないくらい重症。
それで、当方に声がかかったようだった。

部屋の見分は10分程度で終了。
水廻りのみの清掃で見積書を作成。
汚れ具合があまりにヒドかったため、作業時間は不確定で、費用も一般のクリーニング代と比べて割高となった。
それでも、男性は、その清掃を私に依頼。
契約は成立となり、作業日時の打ち合わせが済んだところで、現地調査業務は終了となった。
しかし、話はそこからが長くなった。
相手が人生の大先輩ともなると、仕事とは関係ない話をするのが得意(?)になる私。
椅子とお茶をすすめられたこと、そして、次の現場まで時間があることもあって、私は図々しく腰を落ち着けた。

私と男性が腰掛けたのは、台所のダイニングチェア。
そして、目の前のテーブルには、大きめの写真立てが一つ。
中におさまった写真には年齢の異なる男女四人の姿があり、その雰囲気は家族。
印字された年月日は昭和5○年1月○日。
それは、30年余前の正月に撮られた家族写真のようだった。

食卓に飾るにはその写真があまりに古いものだから、私は、気になって目をとめた。
すると、それに気づいた男性は、
「その写真はね、俺の家族・・・イヤ、“元”だね “元”家族・・・ガハハハハ・・・」
「部屋の片付けをしたら、たまたま出てきたんだよね・・・」
「昔のことだから飾るつもりはなかったんだけどね・・・捨てるのもなんでしょ?」
と、別に悪いことをしているわけでもないのに、ちょっと気恥ずかしそうに説明。
そして、
「え~と・・・これは女房、いい女でしょ?」
「これは長女で・・・確か・・・このときは短大の○年生だったな」
「これは次女で高校○年、そしてこれは息子で中学○年」
と、ニコニコ笑いながら、写真の中の元家族を一人一人指差しながら私に紹介。
更に続けて、
「今はもう長女は○○歳で、次女は○○歳で、息子は○○歳になってんだよね・・・もう、みんな、いい歳だよ・・・ガハハハハ・・・」
と、豪快に笑った。

男性が家族と別れたのは30年ほど前。
「なんか悪いことでもしたんでしょぉ~」
と、男性の温度に合わせてジョークっぽく問いかけると
「コレだよ、コレ!」
と、口元に手を近づけ、杯を傾ける仕草をした。
そして、
「コレじゃないよ、コレじゃ!ガハハハハ・・・」
と、立てた小指を私のほうに突き出して笑った。

一緒に笑っていいものどうか迷うところだったが、一人で神妙な顔をするのも空気に合わない。
私は少し遠慮がちに笑みを浮かべ
「そうですか・・・ま、人生、色々ありますよね・・・」
と、声のトーンを落とし、慰めにもならないことを知りつつ、それっぽい言葉をかけた。

正月ということもあってか、写真の家族は皆キチンとした服装。
そして、皆、笑顔。
こちら側でシャッターを押していたであろう男性も、多分、正装で笑っていたと思われた。
たった一枚の写真から受けた印象だけど、男性は、普段から酒癖の悪い亭主・父親だったとは思えなかった。
なのに、酒が原因で別れることになったとすれば・・・
飲酒運転で事故を起こしたとか、酔って傷害事件を起こしたとか・・・
何か、取り返しのつかない大きな問題を起こしたのかもしれなかった。

酔うと気分が大きくなる。
理性や自制心が効かなくなり、剥き出しになった欲望が暴走する。
そして、それが、取り返しのつかない悲劇を生むことがある。
些細なこと、たった一回のことがきっかけで人生が狂ってしまうことがある。

そのことが想像された私の心持ちは急に神妙に。
同時に、野次馬の好奇心が頭をもたげてきた。
しかし、人の心に土足で上がり込むようなマネをしてはならない。
時に、相手の話を聞いてあげることが親切になることもあるけど、ここでは、その判断がつかなかった。
だから、具体的に何があったのかまでは訊かなかった。
結局、男性は、最後まで過去の出来事を口にしなかった。
もちろん、単に初対面の他人に話したくないだけかもしれなかったけど、それよりも、男性は、その出来事を具体的に思い出したくないのかもしれなかった。

ただ、部屋を見渡しても、酒の缶も瓶もなく、酒を飲んでいるような形跡はなかった。
「酒?飲んでない!飲んでない!」
「もともと飲めるほうじゃないし・・・さすがに、そこまでバカじゃないよ」
「でも、バカはバカだな・・・ガハハハハ・・・」
そう言って、男性は、また大声で笑った。

事情から察したところ、男性と元家族にとって、互いの連絡先や居所を知ることはそんなに困難なこととは思えなかった。
が、過去に余程の出来事があったのだろう、男性に連絡をよこす者はなく、もちろん、会いにくる者もいなかった。
また、男性のほうから接触を試みることもしなかった。

「もう、30年会ってないね・・・30年・・・30年・・・」
「俺も、もう長くないだろうし・・・もう、会うことはないね・・・」
男性は、30年余という月日を噛みしめるように、そして、“会いたい”という感情を押し殺すようにそう言った。

家族と別れて30年、男性は、どういう人生を歩いてきたのか・・・
過酷な仕事、定まらない住居、偏見に満ちた社会の目・・・苦難多き人生だったかもしれない・・・
それでも、男性は、笑って生きてきたのかもしれない・・・
心では泣きながらも、笑うことによって自分を保ってきたのかもしれない・・・
そして、そうしないと、生きてこれなかったのかもしれない・・・
・・・そう思うと、男性の笑い声が心の泣き声のようにも聞えて、ちょっと切ない思いがしたのだった。


嫌悪しても過去を消すことはできない。
悔やんでも過去をやり直すことはできない。
望んでも過去を取り戻すことはできない。
時間には、そういう冷酷さがある。

私にも、忘れたい過去、消したい過去はある。
そして、逃げだしたくなるような今と希望を持ちにくい未来がある。
悩みが多いせいか、考えすぎるせいか、気分が暗くなることが多い。
しかし、悔いてばかり、憂いてばかりでは何も変わらない。
微力(無力)な自分でも、できることがある。
それは笑うこと・・・とりあえず、笑ってみること。
気分が暗くなったとき、本心でなくても、作り笑顔でも、何でもいいから、ちょっと笑ってみるといいかもしれない。
ひょっとしたら、それが、暗い心にさしこむ陽になるかもしれないから。
そして、わずかでも、何かを好転させるきっかけになるかもしれないから。

身も凍えるような冬の寒い朝。
気温が同じでも、陽があるのとないのでは体感温度がまるで違う。
同じように、重荷を背負いながら生きる毎日、愉快に生きられない毎日でも、ちょっと笑ってみるだけで心感温度が変わってくるかもしれない。
そして、いつものつまらない毎日が、少し楽しくなるかもしれない。

そう思うと、現場仕事や雑用が待っているばかりで楽しい予定が何もない私の今日一日が、少し楽しいものになるような気がしてくるのである。


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