特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

山場 ~筑波山編~

2016-01-18 09:48:16 | Weblog
前ブログに書いたとおり、このところ精神状態がいまいち。
次々と襲ってくる虚無感や疲労感に翻弄されながら低空飛行を続けている。
それでもまだ“飛行”しているからマシ。
現実から逃げて着陸なんかしようものなら、二度と離陸できなくなるかもしれない。
再び飛び立つにしても、相当に難儀するはず。
力尽きての墜落なんか論外。
どうしたって避けなければならない。

私の人生が虚しいものなのではない。
私が人生を虚しく生きてしまっているだけ。
私は疲労を抱えているのではない。
私が疲労感を抱えてしまっているだけ。

つまり、問題なのは、この現実ではなく、この感性・感覚。
それは、気分にUp・Downがあることや、欝状態だけでなく躁状態もあることが証明している。
ただ、どんなに虚無感に襲われようが、どんなに疲労感を覚えようが、ジッとしているのはよくない。
気分転換なんて、そう簡単にできるものではないけど、何もせず悶々としていてもいいことはない。
何かすれば、少しは気が紛れるし、同じ憂鬱状態でも自分なりに策を講じている感が持てる。
だから、些細なことでもいいから、何かに努力し、何かに忍耐し、何かに挑戦したいと思っている。

以前は、「虚無感や疲労感を癒す方法は休息しかない」と思っていた。
身体の休息と精神の休息を完全に混同して。
だから、時間があれば身体を横にすることが多く、暇さえあればゴロゴロ。
不眠症で夜は熟睡できないものだから、たまの休みは、とにかく昼寝が重要課題。
何年も、それが最善の策だと思っていた。
しかし、そんな生活をしていても、疲労感は一向になくならず。
それでも、怠け者(私)の考えは頑なで、それが、私を更なる休息に走らせた。
休日に昼寝できないと倦怠感に襲われ、ヒマな時間は横になれないとイライラ。
そして、それが、更なる疲労感を呼び込んでいることに気づかないまま、悪循環に陥っていた。
そうして時が経ち・・・
長い試行錯誤と悪戦苦闘の末、私は、“疲労”は頭と身体を休めることによって癒えるけど、“疲労感”はそうではないことが何となくわかってきた。
一昨年の秋くらいから、やっとそこのところに気づき、その考え方を切り換えることに努めている。

そんな中、私は登山に出かけることに。
休日の前日にいきなり思い立った次第で、もともと、その日は午前中に予定があったのだが、それはキャンセル。
昨季からずっと「行ってみたい」と思っていた筑波山(茨城県つくば市)に行くことを計画。
前夜のうちに準備を済ませ、当日は、混雑を避けるため夜も明けきらない早朝に出発した。

麓に到着したのは、AM7:30頃。
空は快晴、気温は0℃。
まだ混雑はしていなかったけど、続々と登山客が集合しつつあった。
そこで、私は、まず軽く腹ごしらえ。
そして、持ち物に不備がないか確認し、トイレを済ませ、登山口へ進んだ。

まずは、男体山頂を目指して御幸ヶ原コースへ。
もちろん、ケーブルカーやロープウェイは使わず。
心臓は鼓動を大きくし、息もあがる中、ひたすら、急な山道を一歩一歩前進。
汗ダクになりながら、登っていった。

山頂手前の御幸ヶ原に到着すると、一気に景色はひらけた。
そこには、ケーブルカーの「山頂駅」があり、土産物屋や食堂もズラリと並び、多くの人で賑わっていた。
ただ、単独登山の私には談笑する相手もおらず、手持ち無沙汰。
しかも、寒風吹きさらしで、それが汗で濡れた下着にまで浸み込んできて、寒いこと!寒いこと!
あまりに寒くて、ゆっくり休憩どころではなく、義務であるかのようにそそくさと周囲の景色を眺め、足早に男体山頂へ向かった。

到着した男体山頂も、寒風がピューピュー 極寒!
それでも、空は広く晴れわたり、景色も広大!
霞む遠方には、ボンヤリとだけど富士山やスカイツリーまで見え、登ってきた甲斐は充分にあった。
せっかくだから、居合わせた登山客にスマホのシャッターを押してもらい、展望デッキでニッコリと記念撮影。
それから、数分、眼下の景色を楽しんでから、次は、女体山頂へ。
そこもまた絶景だったが、狭い岩場に人がごったがえしており、記念撮影は断念。
自分が入らない景色だけを撮って、下山の途についた。

同じコースの往復ではつまらないので、下りでは白雲橋コースを選択。
古傷がある私の右膝にとって、長い下り坂は難敵。
だから、登りより距離が長い分、少しは傾斜が緩いことも期待してそのコースを選んだ。
しかし、残念ながら、そのコースも結構な急勾配
結果、やはり右膝は問題を起こした。
痛みが出始めるとフツーに歩くことも困難になるため、意識してゆっくり進み、休憩もこまめにとったのに、下山終盤で痛みが出始めたのだ。
ま、それでも、それは麓に近いところだったので、残りの道程は超スローペースの横歩きでしのぐことができ、大事に至らずに済んだ。

筑波山は百名山の中でも最も標高が低いそうで、私のような初級者向きの山。
上級者はもちろん、中級者にとっても物足りない山らしいけど、それでも、平地のウォーキングとは訳が違う。
平地なら6~7kmでも難なく歩けるけど、山の場合は2~3kmでもキツい思いをする。
ま、それでも、筑波山の難度は、私にはちょうどいい。
休み休み歩いて4時間かかり、結構ハードな道程だったけど、ヘトヘトになるほどでもなく心地よさが残るから。
そして、「楽しい!」というものとは少し違うけど、得られる達成感と爽快感をともなう疲労感は、日常生活や仕事では味わえないもので、これが、今の私に効く薬なのだと思えるから。


今、人生の山場にさしかかっている人は多いだろう。
病気やケガ、事故や事件、就職や転職、入学や卒業、受験や進路、結婚や出産、離婚や死別etc・・・
人生には山場がたくさんある。
高い山もあれば低い山もある。
険しい山もあればなだらかな山もある。
乗り越えられる山もあれば乗り越えられない山もある。
頂上に達することさえできない山に遭遇することもある。
麓から見上げる頂上は、やたらと高く見える・・・
想像される道程の険しさは、前進を躊躇させる・・・
人生の山場には、ケーブルカーもロープウェイもない。
けれど、それに挑んでいくこともまた、人の大切な生き方。
「山は登るためにある」とまでは言えないけど、登らないと得られないもの、登ってこそ成せることがあるのだから。

振り返ってみて、私の人生にも大小様々な山場があった。
大きな山場だったのは、この仕事への就業前後。
もちろん、それ以前、それ以後にも紆余曲折はあったけど、これが人生の大きな転機になったのは事実。
良し悪しの判断は私ができることではないけど、これで、私の人生は大きく変わった。
「後悔はない」と言えばカッコいいけど、正直なところ、後悔はある・・・というか、正直言うと後悔ばかり。
学歴や能力を考えると、一流企業は無理だったろうけど、週休二日で、今より安定した労働条件・労働環境で、社会的にも陽があたる仕事に就けたかもしれない。
・・・考えても仕方がないこと、考えないほうがいいことだけど、そんなことを考えると、虚しく疲れる。

後悔という山をなかなか下りることができない。
過去という山をなかなか下りることができない。
希望という山になかなか登れない。
未来という山になかなか登れない。
それでも、時間は確実に過ぎている。
移ろう季節の中で、遠い未来だと思っていたことが、いつの間にか遠い過去になり、この歳になっている。
私は、後ろ向きの人生を卒業するには遅すぎるくらい、充分な歳を重ねた。
だからこそ、今、歯を食いしばっても山を登らなければならないような気がする。

これまで同様、これからも巡ってくるであろう人生の山場。
頂上にたどり着くことも大切だし、無地に乗り越えて下りることも大切。
しかし、もっと大切なのは、
麓に立つこと・・・
山を見上げること・・・
そして、勇気をだして一歩踏み出すこと・・・
・・・なのではないだろうか。


次は、近いうちに大山(神奈川県伊勢原市)へ行くつもり。
一昨年の秋以来、二度目。
季節も違うし、前回とは違った趣が感じられるだろう。
また、前回同様、キツい思いをするだろう。
これが、自己研鑽になるのか、精神修養になるのか、気分転換になるのかわからない。
でも、そうなることを期待して歩を進めることが大切だと思っている。
それが、後悔をもって過去に生きるのではなく、希望をもって未来に生きるための一助になるのだから。

がんばろ!



公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わり者

2016-01-12 09:20:05 | ペット臭

私は、人から見て、変わり者のように思われることが少なくないだろう。
これは、仕事柄、仕方がないことと思っている。
だから、明らかに「バカにされている」と感じる場合を除いて、それを感じても不快感を覚えることはない。
ただ、就いている仕事が変わっていることと、弱虫過ぎるところを除けば、私はどこにでもいるようなオッサン。
同年代で大病を患う人も増えてきて、健康寿命が気になり始めている中年男である。

しかし、今年は、大晦日から一月三日まで、四日連続で酒を飲んだ。
休肝日を小刻みに設けることが習慣になっている私の場合、四日連続で飲むのは珍しい。
また、体重増が気にならなかったわけではなかったけど、「正月くらいいいか」と、結構、食べてしまった。
ダイエットしてから一年余経ち、普段は神経質なくらい体重を気にしているのに。
日課のウォーキングも大晦日・元旦・二日はやったけど、三日・四日は休んでしまった。
結構、粘って続けてきたのに、ちょっと残念。
それでも、週休肝二日制は崩していないし、体重も増えていないし、ウォーキングも再開できたのでヨシとしている。
何より、正月をそれだけ楽しく過ごせたのだから、それはそれで喜ばしいかぎりである。

しかし、喜んでばかりもいられないことが、その後に起こった。
正月の反動がきたのか、五日以降、精神の調子がヒドく悪くなってしまったのだ。
そう・・・例のヤツだ。
早朝(夜中)からヒドい欝状態に陥り、息も浅く布団から顔をだすのも困難に。
心は闇に覆われ、何もかもが虚しく思えて仕方がなかった。
そんな状態でも、仕事を休むわけにはいかない。
何とか、布団から這い出て、「ハァハァ」と荒く息をしながら身支度を整え仕事に出た。

日中も、ヒドい虚無感と倦怠感に襲われ、頭が重く身体に力が入らない感じ。
食欲も酒欲も減退する中、身体がもたないので無理矢理食べたけど、「美味い」といった感覚もなく、消化不良気味で腹に異物感を覚えるのみ。
ウォーキングをやっても爽快感はほとんどなく“焼け石に水”。
仕事中は少し気を張ることができ、人目には異常は感じられなかったと思うけど、非常によろしくない状態だった(悲しいかな、今も完全には回復していない)。

ちょうど二年前・・・私は2014年の1月もヒドい状態に陥っていた。
思い出すとゾッとするほど、あの時は、ツラくてたまらなかった。
実は、あまりに辛いものだから、そのときは何年かぶりに病院に行ってみた。
評判のいい病院だったのだが、私が変わり者なのか、ありきたりのカウンセリングから入る手法に馴染めず、また、医師との極端な温度差にも違和感を覚えた。
結果、「やっぱ、病院は合わないな・・・」と、途中で通院をやめたのだった。

幸い、今年は、そこまで深刻な状態にはなっていないけど、手を打たないともっと落ちていく可能性が高い。
厄介なコイツとは長年の付き合いだから、自分でそれがわかる。
まったく、いつもブログに気の入ったことを書いて人(自分)を励ましているのに、このザマ。
願望と現実がかけ離れ過ぎて滑稽なくらい・・・・・もしかしたら、結構な変わり者かもしれない。
しかし、「こんな自分だから、このブログが書ける」とも言えるわけで、悪いことばかりではないか・・・
そうは言っても、これ以上の重症化は何としても避けたい。
いっちょ、山登りにでも出掛けて、気分を変えたいところだ。



臭気調査の依頼が入った。
依頼者は中年の男性。
現場は自宅マンション。
問題視しているニオイはペット臭で、その消臭についての相談したいようだった。

肝心なのは、異臭の原因と程度。
それが判明しないと、判断のしようがない。
私がそこのところを訊ねると
「常日頃から部屋にニオイがつかないよう気をつけていた」
「自分達家族の鼻では特段の異臭は感じない」
とのこと。
それを聞いた私は、即座に「仕事にならない」と判断。
電話だけでこの件を終わらせるつもりで、男性の質問を軽く流していった。

男性と私にはかなりの温度差があった。
ビジネスライクな私に反し、男性は「変わり者?」と思ってしまうくらい神経質になっており、現地調査を強く希望。
しかも、その時間は、男性が仕事から帰宅する夜。
仕事にならない可能性が高いうえに夜の時間を希望された私は「んー・・・」と消沈。
面倒臭くて仕方がなく、男性の要望には、二の足も三の足も踏まざるを得なかった。

男性は、他社にも問い合わせたらしかったが、現地調査依頼を承諾した会社はなし。
私と同じく、どこも「仕事にならない」と判断したのだろう。
しかし、そのことが私の心持ちに変化をもたらした。
「この程度のことを躊躇っていては、何の進歩もないな・・・・・いっちょ、行ってやるか!」
と考え直し、無駄足になることは覚悟のうえで、現地調査の日時を約した。


訪れた現場は、高層の高級マンション。
私は、約束の時間ピッタリに1Fエントランスに入り、インターフォンを押した。
すると、仕事から帰宅したばかりらしき男性が応答し、オートロックを開錠。
何につけても“高級”とは縁がない私は、滅多に味わえない雰囲気に気分を上げながらエレベーターで上階へ上がっていった。

男性宅は、眺望のよさそうな高層階。
私は、出迎えてくれた男性夫妻に、汚い身なり(着回した作業服姿)であることを詫び、靴下の裏が汚れていないか気にしながらすすめられたスリッパを履いた。
そして、促されるまま一番奥の方へ足を進め、開けられたドアをくぐり問題の部屋に足を踏み入れた。

このマンションは、男性の勤務先が用意した“社宅”。
ただ、「社宅」と呼ぶにはあまりに高級。
そういう世界とは無縁の私でも、男性の勤務先が結構な企業であることと、男性のポジションが結構なところにあることが容易に想像できた。
ただし、勤務先の社宅規程は厳格で、マンション自体は“ペット可”にも関わらず、この部屋は“ペット不可”とされていた。
また、男性の家族にはタバコを吸う人はいなかったけど、吸う場合の注意事項と、不始末を起こした場合の責任の取り方も厳重に定められていた。

部屋の隅には動物用のゲージがあった。
中にいたのは、可愛らしい一匹の小型犬。
吠えないよう躾けてあるのか、尻尾を振ることこそなかったものの、見ず知らずの私が現れても黙ったままおとなしくしていた。
この犬は、仔犬の頃、もらい手がない中で夫妻が引き取り、以来、十数年も一緒にいるよう。
つまり、このマンションに越してくるずっと前から一緒にいるわけで、家族も同然。
転勤を理由に手放すことなんて到底できるものではないことは、説明されなくても理解することができた。

幸い、マンション自体はペットの飼育が認められていたため、日常生活に問題はなかった。
散歩も外出も自由にでき、平穏に飼うことができた。
しかし、男性一家は、再び仕事の都合で越すことに。
それに伴って、ペット臭が残っては問題になってはいけない。
禁止されていたにも関わらず犬を飼っていたことが会社にバレてキャリアや肩書きにキズがつくことを怖れてかどうかはわからなかったけど、男性は、不安を覚えていた。
だから、その前に、専門業者=私のアドバイスをもらおうとしたのだった。

部屋には、市販の消臭剤はもちろん、家庭用の空気清浄機や消臭除菌機も用意されており、夫妻が、常日頃からニオイに対して慎重に対処しているのは事実のよう。
だから、実際に感じた異臭もかなり軽微。
犬は体臭の強い動物で、部屋にはまだそれがいたわけだから若干の動物臭こそ感じられたものの、引越しの後、何度か換気すれば片付くレベル。
だから、私は、正直に、業者に依頼してまでの消臭作業は必要ない旨を伝えた。


「無駄足になってしまって、申し訳ありません・・・」
「でも、助かりました・・・ありがとうございます」
と、申し訳なさそうに頭を下げる夫妻に、
「いえいえ、気になさらないで下さい・・・」
「それを納得したうえで来たわけですし、これも私の経験になりますから・・・」
と、私は、笑みを浮かべた。
空振ってもなお笑っている私が、夫妻の目には変わり者に映ったかもしれなかったけど、気分は悪くなかった。
それどころか、いつまでも夫妻が犬を大切にするであろうことが想像され、何だかそれが嬉しくて、あたたかな気持ちになった。
そして、結果的に、金銭的な利益は上がらなかったけど、与えられた温心が私の利益となったのだった。



この仕事、もちろんボランティアでやっているのではない。
また、ここ数年で同業者や類似業者が乱立し競争も激しくなっている。
だから、現地調査に出向いたからといって、すべての現場で請負契約が成立するわけではない。
仕事にならないケースもフツーにあり、金額や作業内容が合致しなかったり、要望通りの施工が難しかったりすると契約は不成立となる。
また、作業条件が合わなかったり、相手に不審な点があったりする場合、こちらから辞退することもある。
結果として、無駄足となることも多い。

でも、小さなことだけど、それも経験の一つ。
目先の利益に注力することも大切だけど、ためになる収穫はそればかりではない。
新しい現場を見ることができ、関わったことのない人と関わることができるわけだから、
これが、すぐに何かの役に立ったり、何かの収穫につながったりすることはないのだろうけど、「無駄」とは思わないようにしている。
どのみち、ジッとしてちゃ現状は何も変わらない。
だから、原則として、依頼があれば出向く。
仕事にならなそうな現場でも、面倒くさそうな相手でも、依頼があればできるかぎり出向くようにしている。


人は変わりにくい。
そんな弱さがあるから。
大きく変化はできない。
それだけの強さがないから。
だけど、人は変われる。
そんな希望を持つのだから。
小さな変化を積み重ねていくしかない。
それくらいの力は持てるのだから。

自分を変えるチャンスは毎日にある。
「毎日が大晦日」「毎日が元旦」
苦しければ苦しいほど、辛ければ辛いほど、そんな心構えで生きていける“変わり者”になりたいと思うのである。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Challenge

2016-01-04 09:37:00 | Challenge
2016謹賀新年。
東京は晴天に恵まれ、気持ちのいい正月を過ごすことができた。
私は、大晦日は猫死骸の処理をして年を締め、元旦は事務所の電話番で年を始めた。
年越しの夜は、珍しく暴飲暴食をしてしまい、元旦の朝はなかなか辛いものがあった。
ま、それでも、今年も平和な年越しに恵まれ、若干の欝気はあるけど気分は落ち着いている。

さて、今年一年、どんな年になるのだろうか。
例年同様、小さな期待と大きな不安でいっぱいなのだが、今のところ、考えられるのは、これまでと同じように、働いて、食べて、寝て、たまに遊んでの平凡な毎日。
そして、その繰り返し。
でも、それで充分。
平凡は平凡なりに、ささやかな幸せがある。
そして、小さな幸せは、自分の心次第で大きな幸せに膨らむものだから。

しかし、何時、何が起きてもおかしくないのが人生。
「一寸先は闇」とまでは言わないけど、人が持つ未来の及ぼせる力は微々たるもの。
先のことを予測しきることは到底できない。
更には、人生をうまく生きるには、知らなくていいこと・知らないほうがいいこともある。
とにかく、事件、事故、病気、ケガ、天災etc・・・そういったものには遭遇しないよう願いながら生きるほかない。

そうは言っても、難を逃れることばかりに注力して守りの姿勢を固持していても面白みはない。
ときには、攻めの姿勢も持たないとつまらない。
ただ、残念ながら、私は、ものすご~く保守的な性格で、何事においても“従来通り”が大好き。
チャレンジ精神というものを持ち合わせた経験があまりなく、なまじ居心地がいいものだから、できるかぎり自分を狭い殻に閉じ込めている

そんな私でも、近年、新たに挑戦したことがある。
とりあえず書いてみようと思うけど、ここから、ただの自慢話が始まる。
まぁ、それでも、自慢できることが少ない中年男のしがない自己顕示欲と割り切って甘受してもらえれば幸いである。


最初は、ちょっとしたことがきっかけだった。
ちょうど今頃の時季、2009年から2010年にかけての冬だったと思うけど、会社の同僚が「仕事の幅を広げるため」と、とある国家資格試験の勉強を始めた。
うちの会社ではあまりない珍事に、私は、始め、他人事としてそれを傍観していた。
ただ、そのうち、「向上心」という、自分には縁のないものが輝いて見え始め、次第に妙な劣等感を抱くようになってきた。
そして、しばらくすると、今度は、落ちこぼれていくような惨めさを覚えるように。
自分が抱くその感覚に嫌悪感を覚えた私は、自分も向上心を持ちたくなってきた。
それで、何を思ったか、彼と同じ資格取得を目指すことを決意したのだった。

彼は通信講座を利用していたが、私はその方法を選ばず。
理由は、宣伝文句は大袈裟なのに中身は独学に毛がはえた程度のもののように見え、費用の割には付加価値が低いと思ったから。
そして、生活上の時間配分がかなり不規則な私には、通信講座のペースは合わないと考えたから。
結果、完全独学でやることにして、本屋でテキストと問題集を購入。
そこから、自分流のやり方を模索することにした。

しかし、この我流独学法を確立するのが、思っていたよりかなり大変なことだった。
なにせ、勉強らしい勉強をするのは約二十年ぶり。
勉強法の確立以前に勉強の感覚自体に強い違和感と拒否反応が発生。
また、仕事柄、休日も労働時間も極めて不規則で、時間が言うことをきかない。
しかも、難易度ランクは「普通」とされる資格ながら、テキストはチンプンカンプンで問題も難解。
「リズム」というか「コツ」というか、そういうものがなかなか掴めず、また、努力ができない性格と忍耐力のなさも災いし、試行錯誤と七転八倒がしばらく続いた。
と同時に、その道の素養があるわけでもない私が楽に学べるものではないことは至極当然なことなのに、何を勘違いしていたのか、それを受け入れることができず結構なストレスを抱えることになってしまった。

始めることは簡単。
難しいのは続けること・・・・・続けることが難しい。
実際、勉強のきっかけをくれた同僚は試験を受ける前に挫折したし、私も仕事に追われて勉強できない日が多々発生した。
また、時間は確保できても疲労や睡魔に負けて勉強しない日も多々あった。

誰かに勧められたわけでもなく、誰かに強制されているわけでもなく、途中でやめたって、誰にも迷惑はかからない。
また、褒めてくれる人がいるわけでもなければ、実入りが増えるわけでもない。
しかし、それは自らの決意で始めたこと。自分と約束したこと。
自分を裏切り続けてきた人生、イヤなことから逃げ続けてきた人生を振り返り、そして、“イヤなことから逃げてもいいことはない”ということを証明せざるを得なかった人生を振り返ると、中途半端なところで挫折するわけにはいかなかった。

その試験は2010年秋に行われた。
もう、5年余も前のことだけど、試験開始時、緊張しすぎて手が震えたのを憶えている。
その夜、心臓をバクバクさせながら自己採点したことを憶えている。
そして、合格基準点を充分に上回っていることが確認できると、
「こんな俺でも、やればできるんだ・・・」
と、それまで味わったことがない種類の達成感と満足感が涌いてきて、滅多に晴れることがない私の心が晴れやかになったことを憶えている。

合否発表を待たずして合格を確信した私は、興奮冷めやらぬ翌日から別の資格勉強を開始。
せっかく身についた勉強習慣と軟らかくなった頭を失うのはもったいなかったし、もっと大きな満足感が欲しくなったから。
あと、職業が与える印象から「怪しい人間」と思われるのは仕方がないけど、「“頭が悪い”とは思われたくない」という思い・・・
仕事上、見下されることが多い者として、「世間一般を見返してやりたい」という幼稚な動機もあった。

目指したその資格のランクは「普通」の上の「難関」。
「独学では無理」と言われることが多いものだったが、育まれたチャレンジ精神に迷いはなかった。
学校に通う時間も金もないし、「通信でやれるレベルなら独学でもやれる」という考えが固まっていたし、また、前の勉強で苦戦も苦労も経験済みで予想と覚悟はできていたし、基本的なリズムやコツも習得済みで、それを応用すればいいだけだったから、我流独学のスタイルは崩さず。
とにかく、諦めず、続ける・・・・・それだけだった。

その後も、私は、自分が興味の持てる分野で、かつ、少しは仕事の役に立ちそうな資格を志した。
すべて、我流独学で。
ただ、怠け心は消えることなく常に現れ、そいつとの戦いは楽ではなかった。
だから、辛さや苦しさを味わうことも多かった。
キツいときは、
「“受かるか落ちるか”じゃない “受かるか諦めるか”だ」
と、どこかで聞き覚えた誰かの言葉を心の中で何度も呟いた。
そして、そうした日々を積み重ねていく中で、自分でも気づかないうちに、習得した知識や資格よりも価値があるもの・・・・・つまり、それまでの私が持ち合わせていなかった努力できる心・忍耐できる力・挑戦できる意欲が養われていったような気がする。

2010年秋「普通」合格
2011年秋「難関」合格
2013年夏「難関」不合格
2014年夏「難関」(再挑戦)合格
2015年春「やや易」合格
結局、私は、5年余かけて4種の国家資格を取得した。

そして、昨年の春、一つ一つをやり遂げて気をよくした私は、「難関」の上にある「超難関」の資格にも興味を持った。
それで、興味のある資格のテキストを書店で立ち読みしてみた。
が、さすがに「超難関」と言われるだけのことはある。
それまで私が取ってきたものと比べると、レベルもボリュームも桁違いに高く、仕事との両立は不可能。
また、我流独学なんて論外。
どこからどうみても学校に通って勉強しないと無理そうで、仕事を辞めるわけにはいかない私は挑戦せずして諦めるしかなかった。
もし、仮に、仕事をやめても生活が成り立ち、学校に通える環境に置かれるなら挑戦してみたい・・・
が、まぁ、これは夢の話・・・
ただ、そう思える自分が育っただけでもありがたいことだと思っている。


今現在、資格勉強はやっていない。
興味が持てて能力に合いそうな資格がないからだ。
ただ、何も挑戦しないで楽している自分がだらしなく思えて、ちょっとイラついている。
だから、資格勉強になるのか趣味みたいなものになるのかまったくわからないけど、興味が持てる分野で自分の能力が通用しそうなことを模索中である。

そんな中で、新たな試みとしてやっているのはウォーキング。
本来なら、山登りに出かけたいのだけど、なかなかその機会に恵まれないから、その代わりとして、昨年秋から、時間があるときはできるだけ歩くようにしているのだ。
ただ、ウォーキングなら昨季もやっていた。
が、それは気が向いたときだけ、たまのこと。
今季は、それを日課にしている。
距離の目安は一日6~7km、所要時間は早歩きで1時間15分程度。
仕事の前、仕事の合間、仕事の後、時間がとれるときに歩く。
大雨のときはやめるけど、小雨くらいなら笠をさしてでも歩く。
外は寒いしそれなりの体力を使うからかなり面倒臭いけど、とにかく歩いている。

その目的は、運動不足解消・体重維持・気分転換など色々ある。
一番の目的は、肉体疲労。
わざと肉体を疲労させるなんて愚行かもしれないけど、精神衛生を維持する上で必要なこと。
これは私ならではの特異な方法で、肉体を疲労させることによって、何かと疲弊しやすい精神とのバランスを保ち、精神の安定を図ろうとしているのだ。
あとは、精神修養の目的もある。
楽したがる自分は何時でもどこでも自分の中にいるもので、一日一回くらいはそいつと対峙する機会をもうけないと、自分が締まらない。
これ以上、だらしない人間にならないための一工夫でもあるのである。

私は、外も中もだらしない中年男。
どうしたって外見は磨けない。
ただ、いくつになっても中身を磨くことはできる。
何を使ってどう磨いていくかは人それぞれだけど、研磨法の代表格に“挑戦”がある。
この“挑戦”というヤツは、とても親切で便利。
「必ず」と言っていいほど努力と忍耐がついてくる。
つまり、一通りで同時にこの三点が自分を鍛えてくれるわけ。
こんな美味しい話は、他にないのではないだろうか。


始まったばかりの新しい年。
心を新たにしたくても、できあがった生活の中で、できる挑戦は限られているかもしれない。
社会の歯車としてうまく回ることだけで精一杯で、新たなことをやる余力はないように思えるかもしれない。
だけど、探せば、やれることはきっとある。
人間は不完全な生き物だから、ときには自分を疑うことも必要。
だけど、それ以上に、自分を信じることが大切。
些細なことでもいいから、「自分はできる」と信じてみるといい。
他の誰でもなく、自分自身のために。
苦難多き人生において、弱い自分に強く生きる力を授けるために。

私は、そうして、この人生に晴れの日を増やしていきたいと思っているのである。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする