「一月は行く」「二月は逃げる」「三月は去る」とも言われるが、モタモタしている間にもう二月。
とはいえ、春はまだ遠く、寒い日が続いている。
とりわけ、この冬は、厳しい寒波が日本列島を襲っている。
太平洋側の一部を除き、各地、幾度となく大雪に見舞われ、車の立ち往生や家屋の倒壊など、トラブルが頻発。
スリップ事故、屋根の除雪作業、雪に埋もれた車中、バックカントリースキー中の雪崩・・・不慮の死を迎える人も。
TVを観ても、コロナのことより寒波を伝えるニュースの方が多いような気がする。
ただ、世界に目を向ければ、寒々しいのは季節ばかりではない。
世界各地で戦乱が後を絶たず、圧政が堂々と行われている国も少なくない。
“ペン”で解決できないから“銃”を出す。
現実には、話し合いで片付かないことがたくさんあり、結局、人間は暴力に走る。
これは国家レベルだけのことではなく、個人レベルでも同様。
“口”で解決できないから“手”を出す。
我々の社会の中でも暴力は日常的に横行しており、それで亡くなる人もいる。
この世の中には、少しでも気持ちを通じ合わせることができれば避けられる問題、解決できるはずの問題が何と多いことか。
これは、人間の愚かさ、人間の限界が生み出す、逃れることができない“負の定め”なのだろうか。
訪れた現場は、賃貸マンションの一室。
そこで暮らしていた高齢の住人が孤独死。
そして、そのまま数日が経過。
故人は、部屋に敷かれた布団の上で亡くなっていたようだったが、しかし、それによる汚染は見受けられず、また、異臭もほとんどなく、老人特有の生活臭が漂っているくらい。
ヘヴィー級だと、遺体痕がクッキリと布団に浮き出ているようなことがあるが、ここではそんなことはなく、シーツは薄汚れていたものの、それは、ただ洗濯されていないせい。
説明されなければ、そこで人が亡くなっていたことはわからないくらい平穏な状態だった。
ただ、この現場には、大きな問題があった。
それは、隣の住人とのトラブル。
遺体発見時、警察が来たわけで、ちょっとした騒動になったよう。
当然、その事実は、他の住人にも知れ渡ることに。
“死人”が発生したとなると、落ち着いていられないのが世の常 人の常。
それが、自分に近いところで発生したとなると尚更。
異臭や害虫が発生していなくても、嫌悪感や恐怖感を抱くのは、人として、それほど不自然なことではなかった。
それは、本件のマンション管理会社の担当者も同様。
よくよく聞くと、
「マンションには行ったのですが、部屋には入っていなくて・・・」
とのこと。
孤独死現場はかなり苦手なようで、“できることなら関わりたくない”“仕事だから仕方なく関わっている”といった感じ。
私は、そんな担当者から、
「隣室の人に部屋の状況と今後の作業計画を説明して下さい」
と頼まれていた。
更に、
「隣は若い夫婦が住んでいて、二人ともクレーマーだから気をつけて下さい」
とも言われていた。
何だか、イヤな仕事を押し付けられたようで気分はよくなかったが、“これも下請会社の宿命、下請会社の任務の一つ”と飲み込んで現場に出向いていた。
私は、この仕事を長くやってきているけど、万人と平和にやってきたわけではない。
数は少ないながら、依頼者、遺族、不動産会社、マンション管理人、近隣住民等と揉めてしまったことがある。
不可抗力の事由もあれば、相手の理不尽な振る舞いが我慢できなかったこと等、理由は様々。
小心者かつ臆病者の私からケンカを吹っ掛けるようなマネをしたことはないものの、堪忍袋の緒を切ってしまったことが何度かあった。
しかし、何事も平和に解決するに越したことはない。
争うような事態は避けたかった私は、隣室を訪れる前に外で何度か深呼吸をして
「我慢!我慢!、聞き流せ!聞き流せ!」と自分に言い聞かせた。
他に頼める者がいるわけでもないし、気が進まないことを後回しにしても仕方がない。
しかし、男性がどのような人物なのか、不安もある。
故人の部屋の見分を終えた私は、気持ちを整えるため しばしの時を経て隣室の玄関前へ。
何をネタに文句を言われるかわからないので、加齢臭や肉体の劣化は別として、自分に異臭や汚れがついていないことを念入りに確認した上で、いつにない緊張感を抱えながらインターフォンを押した。
室内からは、すぐに応答があった。
そして、インターフォン越しに用件を話すと、すぐに玄関が開いた。
と同時に、中から一人の男性が出てきた。
年の頃は、三十前後か、強面の人物を想像していたのだが、予想に反して表情は穏やか。
物腰も柔らかく
「ご苦労様です」
と、礼儀正しく頭を下げてくれた。
「クレーマー」とのことで、キツいキャラクターの人物を想像していた私。
結構なことを言われる覚悟はあった。
しかし、男性にそのような威圧感はなし。
それどころか、冷静に私の話を聞くつもりがあるような物腰。
いい意味で、意表を突かれた。
が、第一印象だけで油断して、後でヒドい目に遭ってはいけないので、私は警戒の糸を緩めることはしなかった。
手を出されることを心配していたわけではなかったが、私は、玄関前に出てきた男性と少し距離をあけ、ゆっくりとした口調を心掛けながら話をスタート。
まずは、「自分が長い間この仕事をしている」ということ、つまり、「こういった現場を扱う上で素人ではない」と、まったく自慢できない経歴を“バカの自慢”と思われないよう やや消沈気味に自己紹介。
それから、
「グロテスクな話をしても大丈夫ですか?」
と前置きし、了承してもらった上で、至極凄惨な現場の事例をいくつか列挙。
それらと比較して、
「起こった出来事は残念ではありますけど、〇〇さん(故人)の部屋は、言われなければわからないくらいフツーの状態です」
と報告。
その上で、部屋の状況と作業プランを丁寧に説明していった。
私の話にどれだけの説得力があったか不明ながら、男性は、状況を理解。
そして、
「部屋で亡くなっていたのは仕方がないことです」
「気づかれずに時間が経ってしまったのも仕方がないことだと思います」
「〇〇さん(故人)が、わざとやったことじゃないんですから・・・」
と、意外なほど大らかに対応。
“クレーマー”どころか、むしろ、その死生観は寛大なくらいで、男性は、故人が孤独死したことや、しばらく放置されてしまったことをとやかく言うようなことはなかった。
では、苦情の原因は何だったのか。
何が不満で、何に憤ったのか。
それは、管理会社の対応と衛生的な問題。
どうも、遺体が搬出されて後も、管理会社から何の説明もなかったよう。
気になった男性が問い合わせても、部屋の状態について具体的な説明はなし。
また、その間、部屋には遺族が何度も出入り。
その際、遺族は、周りに気遣うこともなく玄関も窓も全開に。
更に、分別や日時等のルールも守らず、自分勝手にゴミ置場にゴミを放置。
それを注意するよう担当者に伝えたが、遺族が言うことをきかなかったのか、そもそも、担当者が遺族に伝えなかったのか、その後も、遺族は無神経な振る舞いを続けたそう。
男性は、そのことを極めて不快に感じ、憤りに近い感情を抱いていたのだった。
私は、男性の気持ちが理解できないわけではなかった。
が、正直なところ、「それにしても、ちょっと神経質過ぎないか?」「特段の悪臭もなく害虫も発生していないのだから、窓くらい開けてもいいだろう」とも思った。
しかし、話を聞き進めると男性には事情があった。
それは、男性夫妻に、生まれて間もない赤ん坊がいること。
故人宅から悪臭が漂ってきたり、ハエが入り込んできたりしたわけではなかったが、部屋の状態がわからない以上、孤独死現場に関する知識・情報はネットから拾わざるを得ない。
そして、ネットでヒットするのは、だいたいがヘヴィー級の腐乱死体現場。
で、人々の気を引くために、大袈裟な表現がされていることも少なくない(このブログはそうなっていないことを信じたいが)。
となると、衛生的なことが気になるのは当然と言えば当然。
無垢の赤子がいるとなると、尚更うなずける。
男性は、どんな菌やウイルスを持っているかわからない空気が無造作に放出されることで「子供に害が及ぶのではないか」と心配になったよう。
それで、管理会社に疑問や苦情を発し続け、時には、煮え切らない対応に声を荒らげてしまったこともあったよう。
そうして、管理会社から“クレーマー”に仕立て上げられてしまったようだった。
ちなみに・・・
本件に限らず、こういった現場では、菌やウイルスを気にする人は少なくない。
他人はもちろん、血のつながる身内の中にも心配する人はいる。
しかし、種類や程度は異なれど、菌やウイルスはどこにでも存在するもの。
無菌状態で日常生活を送っている人はまずいない。
だから、余程 不衛生な状態でないかぎり、気にしても仕方がないところはある。
ただ、潔癖症の人もいれば、その逆の人もいるわけで、衛生観念は個人の性質によるところが大きいため、ちょっと間違うとトラブルになってしまう。
したがって、当社における、消毒事業においても、「消毒の成果を証明することはできない」「無菌化の実現を保証するものではない」ということは、あらかじめ説明し契約条項に記載。
その合意がないと契約・施工はしないのである。
男性が「クレーマー」と揶揄されたしまったところにあった真意は、子を案じる親の気持ち。
コロナ禍でイヤと言うほど思い知らされているが、事実、この世界には、多様な感染症があり、空気感染するウイルスも多い。
それで重い病にかかったり亡くなったりする人も少なくはない。
加えて、ただでさえ、“死”というものは恐怖・嫌悪されるわけで、孤独死・長期放置となると、そのマイナス感情は膨らんでしまう。
異臭や害虫など、ハッキリした害がなくても、気になる人には気になるし、気になるときは気になるもの。
話を聞けば聞く程、私は、男性の想いを察することができた。
と同時に、悪意はないのは百も承知だったが、落度があるのは担当者のような気がしてきた。
当初から、他住人に部屋の状況をキチンと説明し、遺族に対しても近隣への配慮を促すことが必要だった。
それが、実際は、逃げ腰・及び腰で、積極的に事の収拾を図ろうとしなかったわけで、そこのところが男性の不信感を買ってしまったものと思われた。
男性の想いが充分に理解できた私は、男性の要望よりハイレベルの消毒作業を思案。
“超ライト級”の現場なのだが、“ヘヴィー級”に近い対応をすることに。
そして、その内容を男性に説明。
男性は、こういう現場の処理については素人なのだから、理解できなくても納得できなくても私の提案を受け入れるしかなかったのだが、その表情は朗らかで、そこからは「信用してお任せします」といった心情を読み取ることができ、私はホッと胸をなでおろした。
私は、管理会社の担当者に男性の事情を伝えた。
そして、やや担当者を非難するような言い回しになってしまったが、男性と話し合うことを進言。
担当者は、男性が“クレーマー”ではないことを理解してくれたようだったが、トラウマになっているのか、それでも、男性と関わるのは気が進まないよう。
結局、男性と和解する話は、担当者の生返事で終わってしまった。
が、とにもかくにも、男性との約束もあるし、現場を放っておくわけにはいかない。
早急に作業に着手し、充分な期間を設けて粛々と進行。
「気になることがあったら遠慮なく連絡ください」
と、念のため 男性に携帯電話番号を伝えていたのだが、一度もかかってくることはなく、一連の作業は無事に終えることができたのだった。
私にも、痛いほど心当たりがある。
表面的に合わせることは何とかできても、真に誰かと想いを共有するって難しいもの。
「話せばわかる」と言うほど簡単なことではない。
言葉が足りないせいか、行動が足りないせいか、そして、想いが足りないせいか、どこかで、我慢・妥協・迎合を要する。
その我慢を「自制」に、妥協を「寛容」に 迎合を「尊重」に変えることができればいいのだけど、それに先んじて不満や怒りが湧き上がってしまう。
で、理解することも理解されることも、受け入れることも受け入れられることもなくなる。
淋しく諦めるか、無理に開き直るか、それとも、省みて自分をやり直す勇気を持つか。
大切な一人一人に、残された一日一日に、そして、過去と今と未来の自分にキチンと向き合うべきなのだろうと想う寒冷下の私である。