特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

風と共に

2022-09-15 08:17:49 | 孤独死
九月も第二週に突入。
夏から秋にかけては、「一雨ごとに涼しくなる」と言われるように、日中は暑くても、朝晩は涼しさが感じられるようになってきた。
ちょっと風があったりすると、本当に心地いい。
子供の頃は、夏が大好きだったのに、「年々衰えるばかりの中年男には、もう“夏”という季節はいらないかな・・・」と思ってしまうくらい。
ただ、同じ秋涼の風でも、喜べないものもある。
 
先日、沖縄地方を中心とした各所が、台風11号による暴風雨に見舞われてしまった。
離島の暮らしには、憧れてばかりもいられない厳しさがあることを、あらためて知る機会にもなった。
一方、身近なところでは、記録的な大風が吹いた2019年9月の台風15号が思い起こされる。
このときは、千葉を中心に大きな被害がでた。
房総の方は、更地になったままの土地や、いまだ、屋根が修理できていない家屋もあるらしい。
 
しかし、台風の季節は、まだ始まったばかり。
これから、いくつもの台風が発生し、列島を襲ってくるはず。
イザとなって慌てて用意するのではなく、我々は、常に「想定外の災害」を想定し、必要な備えをしておくべき。
懐中電灯、電池、カセットガス、水、保存食・・・
人によっては、念のため、酒も多めに置いておいた方がいいかもしれない。
「酒がある」というだけで、気持ちが落ち着くことがあるから。
ただ、停電・断水の中、ランタンの灯に照らされる乾きモノを肴に生ぬるいビールやハイボールを飲んだところで、美味しくはなさそうだけど。
 
しかし、そんなくだらない考えが浮かぶくらい、ここのところの私は、酒がやめられなくなっている。
酒量も高止まったまま。
毎晩、ビールやハイボールで1.5ℓ、時には2.0ℓいくこともある。
泥酔するわけではないが、これだけ飲むと、ちょっと頭がフラつくくらいにはなる。
若い頃は、これ以上を当たり前のように飲んでいたし、酒豪の人からすると「大した量ではない」と思われるかもしれないけど、酔った感覚を自己分析すると、自分にとっては、決して少なくない量だと思う。
 
肴を夕飯代わりに、たいして面白くもないTVを観ながらの一人酒。
本当は、以前のように、キチンと休肝日をもうけて節制したいのだけど、毎日の晩酌は「唯一」と言っていいくらいの楽しみで、まったく やめる気が起きない。
この“ダメンタル”は、完全にアルコール依存症になってしまっている。
 
酒もさることながら、マズイことは他にもある。
“締め”にインスタントラーメン・カップ焼きそば、時には、ピラフやカレー等、米飯を食べてしまうのだ。
かつて、私は、「アルコール+糖質=脂肪」という危険な方程式のもと、長い間、夜は糖質制限をしていた。
また、それ以前に、「身体に悪い」といったイメージが強いインスタント麺を食べることはほとんどなかった。
 
昨夜も、飲んだ後にカップ焼きそばを食べてしまった。
しかも、大盛のヤツで、塩分もカロリーも気にせず、こってりと中濃ソースを追加して。
食べているときは酔った状態だから、「うまい!うまい!」と能天気なのだが、それで熟睡できるわけはなく、毎度毎度、翌朝には、不快な倦怠感と中途半端な睡魔に襲われるハメになる。
 
思えば、これまで、この身体も色々あった。
原因は仕事のストレスだと思っているが、二十代半ばで喘息を罹患。
また、二十代後半、胃にポリープが見つかったり、三十代前半、肝硬変や肝癌が疑われるくらい肝臓を悪くしたりしたこともあった。
暴飲暴食で極度の肥満になったり、拒食症になってガリガリに痩せこけたりしたこともあった。
小さいところでは、目眩や蕁麻疹も。
三十の頃から現在に至るまで、原因不明の胸痛に襲われることもしばしば。
これまで、三度の骨折も経験。
数年前から、左の股関節の調子もよくない。
鼓膜を破った右耳は、常に耳鳴りがしていて、やや難聴気味。
老眼も進行、スマホの文字がよく見えない。
外見だって、愕然とするくらい老け衰えてきている。
 
おそらく、人間ドッグに入ったら、何らかの問題が露呈することになるだろう。
ま、半世紀以上も使ってきた身体だから、あちこちガタがきていても不自然ではないが。
ただ、「バカは風邪をひかない」と言われる通り、風邪をひくのは何年かに一度くらい。
また、ありがたいことに、入院の経験はない。
このことは、この先も、そうでありたい。
 
しかし、人生には皮肉なことが多く、健康的な生活を心掛けている人が病気で短命だったり、不健康な生活をしている人が元気で長命だったりすることって、当たり前のようにある。
事実、タバコなんか吸ったことがない母は肺癌になってしまったし、過食症でも肥満症でもなかったのに糖尿病になってしまったし。
大酒飲みだった父は、血糖値が高いくらいで、歳の割には元気にしている。
 
好きなことを我慢して寿命が延びることを期待するか。
それとも、寿命は気にせず、好きなように生きるか。
この類は、個人の価値観や人生観に任せていいことだろうけど、世間や人に迷惑はかけたくないもの。
となると、おのずと健康を志向せざるを得ないか。
 
とにもかくにも、こうして悩んでいるときも、考え込んでいるときも、“終わり”に向かって時間だけは過ぎているわけで、悩み過ぎず、考え過ぎずに生きていくことも大切なのではないかと思う。
 
 
 
訪れた現場は、老朽アパートの一室。
ただ、「アパート」と言っても、建物の外観は普通の一戸建と変わらず。
子供達が独立した後、「少しでも老後の足しになれば」と、大家夫妻が自宅一軒家の二階部分を賃貸用に改装したもの。
ただ、もともとは、普通の一戸建だったため、改装するにも限界があった。
もちろん、かけられる費用にも。
したがって、増設したのは、ちょっとした自炊ができるくらいの小さな流し台と、一階と分離した階段くらい。
トイレは共同で、少し遠いが徒歩圏内に銭湯があったため風呂はなし。
その分、相場に比べて、家賃は格安にした。
 
その甲斐あってか、二階の二部屋は、最初の募集ですぐに埋まった。
二人とも初老の単身男性。
一人は、数年、ここで暮らしていたが、身体を悪くしてどこかの施設に転居。
以降、この部屋に入居してくる人はおらず、もう長い間 空いたままとなっていた。
 
そして、もう一人が、今回の“主人公”。
この部屋に暮らし始めてしばらくの年月が経ち、初老だった男性は老齢に。
年齢のせいか持病のせいか、ある日、一人きりの部屋で死去。
暑い季節だったことも手伝って、遺体の腐敗は、それなりに進行してしまった。
 
第一発見者は、一階に暮らす大家の女性。
女性もまた老齢。
何年も前に夫は先立ち、一人暮らし。
身体に不具合を感じながらも、何とか生活を成り立たせていた。
 
女性と故人。
一階と二階、所帯は別々で、日常的に交流があったわけではなかったが、同じ屋根の下での二人暮らし。
そして、お互い、高齢者。
家賃の授受で、少なくとも月に一度は顔を合わせることがあり、ついでに近況報告等、世間話をしていた。
その際、冗談混じりに、持病や孤独死について話すこともあった。
そうして、日常生活においてお互いの安否を気にかけることは、暗黙の契約のようになっていた。
 
無事でいることの証は生活音。
足音をはじめ、ドアの開閉音、トイレを流す音、TVの音など。
ただ、一日~二日くらい音がしないくらいでは気に留めず。
しかし、それが三日ともなると話は変わる。
三日目になったところで、女性は、妙な胸騒ぎを覚えた。
男性が旅行等で外泊するなんてことは滅多になかったし、そういうときは、女性に一言伝えて出掛けるため、その可能性は考えられず。
結果、「何かあったのかも・・・」という考えに至り、男性の部屋に行ってみることにした。
 
二階に上がってドアをノックしても応答はなし。
「ひょっとしたら・・・」と緊張しながらスペアキーを使ってドアを開けてみると、部屋に敷かれた布団には、独特の異臭と共に黒っぽく変色して横たわる故人が。
声を掛けても反応しない故人に驚いた女性は、すぐさま119番通報。
同時に、近所の人にも助けを求めた。
ただ、そんな騒動の中にあっても、女性にとっては、ある意味 これは想定内の出来事でもあり、「とうとう、この日が来てしまったか・・・」と、冷静に受け止める自分もいた。
 
部屋の汚染・異臭は、ライト級に近いミドル級。
遺体痕は、布団と畳に残留。
小さなウジが見受けられたが少数で、ハエの発生はなし。
ニオイは高濃度ではあったものの、死後三日程度のことなので、私は「浅い」と判断。
汚れた布団と畳を始末すれば、容易に改善することが予想された。
 
先々、新しく入居者を募集する予定もなく、部屋は空室のままにしておくことに。
したがって、凝った消臭消毒もせず、畳の新調などの内装修繕もなし。
汚れた布団と畳をはじめ、質素で少な目の家財を処分した上で、軽めの消臭消毒を実施。
それでも、作業が終わると、異臭はきれいに消滅。
気になるのは、畳一枚が抜けたままになっている床くらい。
作業最後の日、請け負った仕事がキチンと完遂できたかどうか確認してもらうため、私は、女性に故人の部屋に入ってもらった。
 
女性は、畳が抜けたところに向かって手を合わせながら、
「〇〇さん(故人)、本当にいなくなっちゃったんですね・・・」
「ついこの間まで、普通にお喋りしてたのに・・・」
「みんな、いなくなっちゃうんだな・・・」
と、感慨深げにつぶやいた。
そして、また、部屋の柱や壁を愛おしそうに触りながら、
「私も、先が短いですから・・・」
「あと、どれくらいここに一人でいられるものか・・・」
「家族と長く暮らした家ですから、離れたくはないですけどね・・・」
と、達観と未練が混ざったような、寂しげな表情を浮かべた。
 
そうして、消えた命と余韻と、消えゆく命の灯を残し、その仕事は静かに終わったのだった。
 
 
その何年か後・・・
別の仕事で、その近辺に出向くことがあった。
「この辺りは・・・あのときやった現場の近くだな・・・」
私は、周囲の景色を手掛かりに、昔の記憶をたどった。
「確か・・・あの家が建っていたのはここだよな・・・」
ボヤけていた記憶はハッキリとし、同時に、当時の出来事もリアルに想起された。
「建て替えられたのか・・・」
そこにあった女性の家はなくなり、まったく別の建物になっていた。
「〇〇さん(大家女性)、どうしてるかな・・・」
その前を徐行して見ると、女性とは違う姓の表札が掲げられていた。
「すべては無常か・・・」
土地家屋は売却され、第三者の手に渡り、新しく家が建てられたようだった。
 
あの後、しばらく、女性は、一人きりになった家で、あのままの生活を続けたことだろう。
たくさんの想い出と共に、人生の限りを想いながら。
そうして、寄る年波に身を任せ・・・
どこかの施設に行くことになったか、病院に入ることになったか、それとも、息子・娘の家に引き取られたか・・・
過ぎ去った年月を数えると、「亡くなったかも・・・」と考えるのも不自然なことではなかった。
 
“時”は、誰に遠慮することもなく、誰に媚びることもなく、はるか昔から変わることなく、一定の速さで進んでいる。過ぎ去っている。
新しい家には、若い夫婦と幼い子供が、笑顔で暮らしていることが想像された。
しかし、時が経てば、家も古びて老朽家屋になる。
そして、そのうちに、住居としての使命を終える。
若い夫婦も中年になり、熟年になり、老年になる。
幼い子供も成年になり、中年になり、熟年になり、老年になる。
そうして、やがて、皆、命を終える。
 
 
人生の道程において・・・
過ぎ行くとき問題は大きい。
過ぎ去れば問題は小さくなる。
過ぎ行くとき苦悩の色は濃い。
過ぎ去れば苦悩の色は薄くなる。
過ぎ行くとき足どりは重い。
過ぎ去れば足どりは軽くなる。
ジタバタしようがしまいが、人生、儚いことに変わりはない。
 
この地球に、最後まで残るものは何だろう・・・
それが、人類でも、人類が造ったものでもないことは、科学者じゃない私でも読める。
最後の最後は、植物や昆虫をはじめ、ウイルス・バクテリアの類もいなくなるか。
海は干上がり、岩石も砕かれるだろう。
残るのは、乾いた砂・・・そして、酸素を失った風くらいか・・・
 
そう・・・
いずれ、みんな、消えていく・・・
だったら、悩み過ぎず、考え過ぎず、生きていこうか。
今日の風に吹かれながら、風と共に。





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尻拭い

2020-05-30 08:20:51 | 孤独死
ある日の朝、見知らぬ番号で私の携帯が鳴った。
「“とても良心的な方”ってきいたものですから・・・」
「実際にお仕事を頼むことになるかどうかわからないんですけど・・・」
「相談だけでも大丈夫ですか?」
声の主は、年配の女性。
以前から懇意にしてくれている人の紹介での、仕事の問い合わせだった。

人には人それぞれの生き様があり、人生には人それぞれのドラマがある。
そして、それをじっくり聴くのが嫌いじゃない私。
下衆な野次馬根性もあるけど、それだけじゃなく、自分にとって糧になることも多いから。
ただ、結果として、人の目には、それが“親身に話をきいてくれる”という風に映るのかもしれない。
私は、“良心的”という言葉に、小さな罪悪感と、中くらいの照れ臭さと、大きなプレッシャーを感じながら、それでも、単細胞らしく気を良くして、イソイソと現場に出かけて行った。

出向いた現場は、古い鉄筋構造の建物。
「マンション」と呼ぶには老朽低層すぎる、そうは言っても、重量鉄骨構造は「アパート」と呼ぶには相応しくない。
メンテナンスも行き届いておらず、朽ち果てるのを待っているだけのような建物。
間取りは2DK。
充分に床は露出していたけど、掃除なんか何年もしていない様子。
散らかり放題、汚れ放題、たくさんのゴミが溜まり、至るところが真っ黒・真っ茶色、ホコリだらけカビだらけ。
タバコ臭・油臭・ゴミ臭などの生活異臭も充満。
それは、そのまま故人の人格や生き様を表しているようでもあり、「男性の一人暮らしなんて、だいたいこんなもんですよ」といったセリフもお世辞に聞こえるくらい、ヒドい有り様だった。

そこで暮らしていたのは、70代後半の男性。
無職・無年金、生活保護を受けての一人暮らし。
フツーだったら、部屋の汚さに目を奪われるばかりで、そんなことは気にも留めないのだろうけど、フツーじゃない私には“ピン”とくるものがあった。
それは、そこが孤独死現場であるということ。
もともと、「孤独死現場」とは聞いていなっかたが、DKの床に敷かれた新しい新聞紙と それに滲むシミが、私にそのことを教えてくれた。

相談者は、「一応、血のつながった妹」と名乗る高齢の女性。
相談の内容は、この一室の後始末について。
故人の死を悼んでいる様子はなく、滲み出ているのは困惑の想い。
困惑の表情、怒りの表情、狼狽の表情、嘆きの表情、苦虫を噛み潰したような表情・・・色んな表情を織り交ぜながら、また、複雑な心情を滲ませながら、ことの経緯を話してくれた。


故人は女性の実兄で、若い頃からの放蕩者。
高校の頃からグレはじめ、以降、ずっと家族に迷惑をかけ通し。
自ら高校を中退して社会に飛び出たものの、コツコツ働くことができず。
どんな仕事に就いても長続きせず、トラブルを起こしてクビになることも多々。
色んな理由をつけては転職を繰り返した。
一方、飲む・打つ・買うの三拍子は勢揃い。
おまけに、ケンカや借金も日常茶飯。
収入はないくせに金遣いは荒く、両親が、借金の肩代わりをしたもの一度や二度のことではなく、親のスネは細る一方。
悪い連中と悪さをしては警察の厄介になるようなことも繰り返し、二十代も後半になると、そっちの世界にズルズルとハマっていった。

素行の悪さは近所でも有名。
で、人間という生き物も、他人のスキャンダルを好む。
故人の悪行は、近隣奥様方の井戸端会議のかっこうのネタにされ、犯罪者をみるような好奇の目は、本人を飛び越え家族にまで向けられるようになった。
特に近所に迷惑をかけていたわけでもないのだけど、そのうちに、好奇の目は白い目に変わっていき、そこでの暮らしは“針の筵”のようになっていった。
しかし、だからといって家を越すことはできず、ただただ、それに耐えるほかなかった。

家族が故人と“絶縁”したキッカケは二つ。
一つ目は、借金のかたに家を失いかけたこと。
両親が保証人になっていたわけでもないが、借金の取り立ては両親のもとへ容赦なくきた。
犯罪ギリギリの嫌がらせを受けたこともしばしば。
借金取りは近所の目もはばからずやって来ては、脅しにもとれる派手な雑言を吐いて、女性家族を追い詰めた。
「子の不始末は親の責任」と、それまでも故人がつくった借金を肩代わりしてきた両親だったが、借金のペースは返済のペースを上回り、とうとう、家を売らないと弁済できないところまできてしまった。
しかし、家を失ったら生活が立ち行かない。
切羽詰まった両親は、「これを最後にしよう!」と、親戚縁者を頼って何とか金を工面。
ささやかなプライドと生活の余裕を失うこととを引き換えに、ギリギリのところで家を失うことは免れた。

二つ目・・・それは、女性が当時 交際していた相手の両親に結婚を反対され、破談になったこと。
「実兄にそんな人間がいたら、いつ どんな災いが降りかかってくるかわからない」と。
事実、“災い”は、何度も降りかかってきていたわけで、女性は相手方にまったく反論することができず、泣く泣く身を引いた。
この出来事は、本当に悲しくて悔しくて、自殺すら考えたという。
その後、別の人と縁を持つことができたけど、その時もやはり兄の存在が邪魔をした。
相手側の両親には露骨にイヤな顔をされ、事実上、兄と絶縁することが結婚の条件みたいになった。

事を起こす度、「心を入れ替えてやり直す!」と詫びた故人だったが、すぐに堕落。
血のつながった親兄妹といっても、それぞれが一人の人間であり、それぞれに人生がある。
繰り返し、何度も故人に裏切られた家族は、故人を信じることを諦めた。
そして、自分達の人生が台なしになる前に故人との絶縁を決意。
固い意思をもって、「親でもなければ子でもない」「兄でもなければ妹でもない」「死のうが生きようが、まったく関知しない」と絶縁を宣した。
それに逆ギレした故人は、それまで散々迷惑をかけてきたことを棚にあげ「そんな冷たい人間とは、こっちから縁を切ってやる!」と捨て台詞を吐いて、姿を消した。
そして、それ以降、音沙汰はなくなり、結局、それが、故人との最期の別れとなった。

生前の両親も、それ以降、二度と故人と顔を会わせることはなかった。
故人のせいで大きな借金を負った両親は、平穏な老後を奪われ、身体が動くかぎり働き続けた。
その上、世間の好奇の目にさらされ、下げなくてもいい頭を下げ、親類縁者の中で肩身の狭い思いをしなくてはならなかった。
楽しい余生を故人が奪ったかたちとなり、二人とも、疲れ果てたように逝ってしまった。
女性は、故人にその死を知らせようとも思わず、故人もその葬式に来ることはなかった。

「絶縁!」と言ったって、それは社会的・心情的なもので、血縁をはじめ、戸籍上の縁を切ることはできない。
したがって、故人が何かやらかせば、警察から何かしらの連絡が入ってくるはず。
また、いつ難題が降りかかってくるかわからないわけで、別離後の数年は落ち着かない日々が続いた。
それでも、時間は多くのことを解決してくれる。
年月が経過するとともに故人のことは記憶から遠のいていき、そのうちに頭から消えていった。
何年かに一度、ふとしたときに、
「どこかで生きてるんだろう・・・」
「どうせ、ロクな暮らしはしていないだろう・・・」
と、思い出すようなことはあったけど、そこには楽しい想い出も懐かしさもなく、再会を望む気持ちも湧いてこず。
「このままアカの他人として忘れたい」
という気持ちが変わることはなかった。
そうしているうちに、女性の歳を重ね、子供達は独立し、夫は亡くなり、一人きりの老後ではあったけど平穏に暮らしていた。
そんな静かな日々に、突如、何十年も前に別れたきりの兄の訃報が舞い込んできて、再び、女性の心に苦悩の種を撒いたのだった。


女性は、弁護士に相談して相続放棄の手続きをすすめていた。
そして、永年の絶縁関係なのだから、当然、部屋の賃貸借契約の保証人にもなっておらず。
弁護士からも、「家財処分等、一切やる必要はない」と言われていた。
つまり、死後の始末において、“女性には法的責任はない”ということ。
ましてや、負の遺産の始末なんて、好き好んでやる人はあまりいない。
女性は、そのことを充分に理解していた。
しかし、一方で、大家からは「家財は身内が片づけるべきでは?」とプレッシャーをかけられていた。
そして、“血縁者の道義的責任”ってヤツが、女性の心に引っかかっていた。

女性は、年金生活。
決して裕福な生活ではなく、普段は爪の先に火を灯すような生活をしていることは容易に想像できた。
しかも、既に、故人を葬るため、結構な費用を負担。
それを知ったうえで私が算出した見積は“○十万円”と決して安くはなく、「どこが良心的!?」と憤られても仕方がない金額に。
「“儲けが入ってない”と言ったらウソになりますけど、経費もそれなりにかかるものですから・・・」
それを聞いた女性は、ヒドく表情を曇らせて、
「やっぱり、それくらいかかるんですね・・・」
と、諦めたように溜息をついた。

単に金銭だけの問題ではなく、迷いの種は他にもあり、女性は悩んでいた。
仮に放棄しても、大家に顰蹙をかうくらい。
借金はあったかもしれないけど、広く社会に迷惑をかけるわけではなく、女性が負うべき責任は見当たらず。
それでも、女性は、放棄することが正解だとは思えないみたいで、少しでも正解に近い答を求めるように、
「どうしたらいいと思いますか?」
と訊いてきた。

「血縁者として道義的な責任は負うべき」と言えば、商売根性丸出し、足元をみての押し売りみたいになる。
「法的責任はないのだから放ってもいいのでは?」と言えば、自らの手で大事な一仕事を捨てることになる。
だから、
「私は、お金を払っていただく側の業者ですから、“こうした方がいい”って言える立場じゃないんですよね・・・」
と、結論を導き出すことを躊躇。
結局、“良心的な人間”らしい気の利いた一言が捻り出せず、あとは沈黙でフェードアウトするしかなかった。

女性と故人のような疎遠な関係ではなく、懇意にしていた親族でも、死を境に“知らぬ 存ぜぬ”を通す人もいる。
ヒドい人になると、金目のモノだけコッソリ持ち出して知らんぷりする者もいる。
そんな悍ましい光景を目の当たりにすると、薄情な私でさえ「薄情だな・・・」と軽蔑してしまう。
逆に、どんなに疎遠な関係でも、法的責任はなくても、血縁者としての道義的責任を感じて、身銭をきって故人の後始末をする人もいる。
薄情な私は、「俺だったら放っておくけど・・・奇特な人だな」と、感心することもある。
私は、自分ごときが意見できるものではないことを承知のうえで、それまでに携わってきた多くの現場を思い出しながら、色々なケースがあり、色々な人がいることを話した。
そして、ことは善悪で判断できるものではなく、その人その人の価値観や考え方によって異なること、また、それが、その後の人生に“吉”とでるか“凶”とでるかはわからないけど、何かしらの“節目”というか・・・“分岐点”になるのではないかということを話した。
そして、
「決して小さい金額ではありませんし、相続放棄に抵触することがあったらいけないので、お子さん達と弁護士とよく相談して決めて下さい」
「返答に期限はありませんし、お断りいただいても構いませんから」
と、最低限、“良心的な人間”らしいところをみせて、その場を締めた。

“時間をかけると迷いが生じるばかり”と考えたのだろうか、女性からの電話は翌朝に入った。
“数日先か・・・もしくは、もう連絡がくることはないかもな・・・”と思っていたので、早々の連絡は意外だった。
「子供達は反対したんですけど、お願いすることにしました!」
「何かの因果でしょう・・・こんな人の妹に生まれてきたのは・・・」
「私だってこの歳で先は短いですから・・・この先、心に引っかかるものを残したまま生きていくのは気がすすみませんしね!」
女性は、自分に言い聞かせるようにそう言った。


世の中にとっては ありえない現場でも、私にとっては ありがちな現場。
慣れた仕事でもあり、作業は難なく進行し終了。
最後、完了の日、私は再び女性と待ち合わせ。
私は、薄汚れたまま空っぽになった部屋で、実施した作業の概要を女性に説明。
女性は、作業工程一つ一つに会釈するように頷きながら、黙って私の話に耳を傾けた。
そして、一通りの説明を終えた私が預かっていた鍵を差し出すと、
「ありがとうございました! 本当にお世話になりました!」
と言って、恐縮するくらい深々と頭を下げてくれた。

「さようなら・・・」
現場を去るとき、玄関にカギをかけながら、女性はそうつぶやいた。
その表情は、長年負っていた重荷が肩からおりたのだから、清々しい笑顔であってもよさそうなものだったけど、その横顔はどことなく寂しげな感じ。
こんな性格の私の目は それを見逃さず、また、このクセのある感性は自ずと動いていった。

故人の犠牲になって多くを失った青春時代・・・
故人と別れて平和に過ごした数十年・・・
そして再び、老い先短い自分に降りかかった故人の尻拭い・・・
そうした自分の人生を振り返ると一抹の寂しさが過り、それが顔に表れたのかもしれなかった。
そして、それを振り切るため、残り少ない人生を楽しく生きるため、上を向いて堂々と生きるために、“涙の想い出”にサヨナラしようとしたのかもしれなかった。


そんな風に想うと・・・
私にとっては ただの汚仕事が、私の人生にとっては ただならぬ大仕事になる。
そして、サヨナラしたい過去をたくさん抱えながらも、“特掃隊長ってのも悪くないか”と、この人生を笑って受け入れられるのである。




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仮想人間

2019-05-20 07:51:44 | 孤独死
春は短し・・・
例年、五月も後半になると、初夏のような陽気に包まれる。
もちろん、今年も 日によっては、夏を感じさせるくらい暑くなるときもあるけど、気のせいか、比較的 過ごしやすい日が続いている。
しかし、そう喜んでばかりもいられない。
いよいよ、この季節・・・もうじき現場作業が過酷になる季節に突入するわけで、体力の衰えをヒシヒシと感じている五十路の私は、そろそろ その心構え(覚悟)を整えて、チャンと仕事ができるよう体力も備えていかなければならないのである。

「人生100年時代」というけれど、長生きには長生きなりの問題がある。
老いや病気をはじめとする身体の衰え、気力の低下、そして、経済的な問題。
無食で生きられるはずはなく、生きていくためには、当然、相応のお金が必要。
にも関わらず、医療保険・年金条件は厳しくなる一方で、私達の世代になると年金だけで通常の生活は維持できない。
となると、生きているかぎり働いて、収入を得ていく必要がある。
「老後」なんて言葉は既に死語で、私を含む大半の庶民は、無職では生きていけないわけ。
つまり、働き続けることができる“能力”を持ち続けていく必要があるのだ。

“能力”とは、キャリアや経験・技能や技術だけではない。
大切なのは心身の健康。
これがすべての基礎、一番大切。
これがないと何も始まらない。
若い頃は、目先の楽しみを追いながら勢いで生きていられたけど、この歳になるとそうはいかない。
目先の楽しさより先々の生活(金)の方が、ファッション美容より生活習慣病の方が気になる。
だから、自分なりに健康管理に努めている。

で、食生活も意識している。
脂質・糖質・塩分を適度に抑え、三食腹八分を心がけ、間食(甘味)はできるだけ我慢し、体重は毎晩計測。
一昨年の秋から玄米食(無農薬玄米)に変え、不足しがちなたんぱく質を補うため、今年に入ってからは一日二個の玉子を食べ 嫌いな牛乳(無脂肪乳)を我慢して600mlくらい飲むようにしている。
体力を衰えさせないため、この一年で体重も5~6kg増やした(増やし過ぎたので、只今、プチ減量中)。
何年か前までは毎晩、それも結構な量を飲んでいた酒も、ここ数年はキチンと禁酒日を設けているし、飲む量も以前に比べ抑えている。
あとは、各種サプリメント。
健康食品やサプリメント類には否定的な見解が多いのも知ってはいるけど、私にとっては精神安定剤みたいなものだから財布と相談しながら飲用している。

適度な運動も心がけている。
やり始めて、もう、五年近くなるだろうか、ウォーキングもずっと続けている。
歩かないのは、多忙で時間がとれないときと荒天のときくらい。
小雨くらいなら傘をさして歩く、極寒の冬も酷暑の夏も
一日の目安は60分6.0㎞。
以前はもっと歩いていたけど、それで左股関節を傷めてしまい、“歩かないのもよくないけど、歩き過ぎもよくない”ことを痛感。
で、今は、その時間・その距離にしている
60分6.0㎞を一発で歩くこともあるし、時間がないときは、朝30分3.0㎞・夕30分3.0㎞に分けたりしている。

だいたい決まった時間に決まったコースを歩いているわけだが、そうすると、決まった人達に出会う。
健康寿命への意識が高くなってくる世代だからだろう、行きかう人々は高齢者が多い。
人づき合いが苦手で人見知りの私は、だからこそ、すれ違う人・追い抜く人に積極的に挨拶するようにしている。
朝なら「おはようございます」、夕なら「こんにちは」と、微笑みながら。
だいたいの人は、同じように返してくれるが、中には、私の声が聞こえているはずなのに目も合わさず無視する人もいる。
ただ、たまたま私の声が聞こえなかったのかもしれないから、別の日に同じ人に会っても挨拶の声をかけてみる。
でも、そういう人は何度やってもダメ。
数回やって無視されると、以降、同じ人には声をかけない。
「無視=他人と関わりたくない ありがた迷惑」といった意思表示なのだろうから。
しかし、無視されるのは、気分のいいものではないから、今後も私は人に対してそんなマネするつもりはない。

でも、これから、そういった類の人が増えていくような気がする。
コミュニケーション下手な人達が、コミュニケーションをとりたがらない人達が、人と関わりたがらない人達が。
そして、あちこちで危惧されているように、それを助長しそうなのがインターネット。
それにより、近年、人間同士のコミュニケーションのかたちが急激に変化している。
目を見張るほどの利便性がある反面、目に見えない弊害が生まれているそう。
ネットが仲介する匿名の世界ではデカい態度をとったり暴言を吐いたりするクセに、実社会は何の主張もできず、人を恐れて小さくなっている、ある種の卑怯者も多いらしい。
また、この世界特有の嫌がらせや陰湿なイジメもあるそうだ。

幸か不幸か、私は、時代遅れのアナログ人間。
SNSの類は一切やらない。
頭の体操にもなるだろうし、違った世界が広がるかもしれないから、少しはやった方がいいとは思うけど・・・必要も感じないし興味もないから。
周囲が楽しそうにしていても、誰かに勧められても、時流に取り残されても、“やってみようと”いう気持ちが湧いてこない。
だから、結局、主なコミュニケーションツールは“会話”。
あとは、時々のメールがあれば事足り、それで不便を感じることや困ったことはない。

私と違って時代に遅れていない人は、人の顔よりスマホ・PCの画面を見ている時間の方が長いのではないか。
口から発する言葉より、指で打つ文字数の方が多いのではないか。
自覚のない中で重症化しているスマホ依存症・・・
もちろん、それが「悪い」と言い切れる材料はないけど、無表情に冷たいスマホ顔と裏腹に、心をザワつかせてイヤな時間を過ごしている人、または無味・無意味な時間を浪費している人は多いのではないだろうか。
私には、それが、せっかくの時間を無駄に捨てているような愚行に見えてしまう。

そうは言っても、スマホは、ただ誰かと通信するだけのものではなく、調べものができたり、買い物ができたり、手続きができたりと、ホント、便利。
他にも、音楽・映像・読書・ゲーム等が楽しめるし、更に、次々と新しい娯楽を提供してくれる(私は ほとんど活用できていないけど)。
煩わしい人間関係にストレスを抱えなくても済むし、金も手間もかかるレジャーに出かけなくても、手軽に、そこそこ楽しい時間を手に入れることができる。
家族や友達がいなくても、スマホ一台が充分にその代わりを果たしてくれると錯覚しそうになるくらい・・・むしろ、人よりスマホの方が大切に思えるくらいに。



訪れた現場は、1Rの賃貸マンション。
亡くなったのは部屋の住人、30代前半の若さ。
死後約4カ月が経過。
「死後4カ月」と聞くと 凄惨な現場を思い浮かべて憂鬱になるところだけど、実際はそれほどでもなく、拍子抜けの後 安堵。
亡くなったのは晩秋で、遺体が一人過ごした時季は、低温・乾燥の冬。
生前、痩せていたうえ、暖房もついていなかったのだろう、遺体は腐敗溶解することなく乾燥収縮・・・いわゆるミイラ状態での発見だった。

というわけで、遺体が残した汚染は軽度。
部屋の床に薄っすらとした人型の変色が残留。
頭部があったところに大量の毛髪が付着していたくらいで、あとはライト級よりも軽いストロー級。
異臭も、「腐乱死体臭」というより尿臭を主にしたもの。
ウジ・ハエの発生もなく、私的には、落ち着いた静寂に包まれた孤独死現場だった。

単身者用の賃貸マンションはどこも似たようなものだと思うけど、近隣住人とも付き合いはなし。
また、仕事はIT系のフリーランスで、現場マンションは自宅兼オフィス。
PCデスクに置かれた大型のモニターと大容量のサーバー、整えられた周辺機器がそれを暗示。
で、決まって出勤する会社もなければ、上司・部下・同僚といった間柄の人もおらず。
両親や兄弟も遠方で、家族と顔を会わせるのは実家に帰省したときくらい、年に一度あるかないか。
交友関係は不明だったが、仕事柄、ネット上の知人は少なからずいたはず。
しかし、4カ月も放置されたところから考えると、特に親しい友人はいなかったものと思われた。

ある程度の貯えがあったらしく、家賃や光熱費は、亡くなった後も故人の銀行口座からキチンと振り替え。
また、肉体は大人しく(当り前か)乾いていっただけで、通常(?)なら異変を知らせてくれるはずの異臭やハエも発生せず。
今どきの人が新聞をとるわけもなく、ポストにたまるのは時々のチラシくらい。
しかも、世の風潮は、他人と関わらないことを平和とする個人主義を尊重。
結果、誰にも気づかれないまま一冬を越したのだった。

体調の急変は、救急車を呼ぶためスマホを手にとることさえ阻んだのか・・・
それとも、そんな時間もなくアッという間に逝ってしまったのか・・・
どちらにしろ、若かった故人は、自分が部屋で急死するなんて、微塵にも考えていなかっただろう。
ましてや、そんな一大事に誰も気づいてくれないことも。
しかし、“死”が人の意を介さないのは日常茶飯事。
非情・無情であり、厳格・冷酷であり、絶対的なもの。
家族や友人の愛をもってしても、どうすることもできない。
しかし、それがあれば、愛ある意味を持たせることができる・・・
あたたかな幸せにも似た意味を持たせることができるのである。


人づき合いが苦手で、人見知りの私。
浅はかにも、「人間嫌い」を自称していた時期もある。
しかも、友人らしい友人がいない私に人のことをどうこう言う資格はないかもしれないけど、自分にとってスマホが“仮想人間”になっていないかどうか、また、家族や友人より大切なものになっていないか、今一度、省みた方がいいかもしれない。

スマホという“仮想人間”は、自己都合上は、よき家族、よき友かもしれない。
直の人間と付き合うより楽で楽しいかもしれない。
しかし、人生における 最良の友は他にいるはず、最良の家族は他にいるはず。

やがてくる死と それまでの寿命を意識して、心身の健康に留意することは大切。
しかし、それだけではなく、“社会的健康”・・・つまり、真の社会性を育てることに留意することも大切なこと。

人間は社会的動物。
人が大切にしなければならないのは、やはり人なんだと思う。
家族であり、友であり、命であり、人生であり・・・
すべての活動は そこから派生し、すべての目的は そこに集約されるのではないかと思う。

人の想いは行動によって人に伝わる。
うつむき加減でスマホの画面にばかり向けている自分の顔・・・たまには、その顔を上げて人に向けてみるといい。
そして、つくり笑顔でもいいから、微笑んでみるといい。

そこには、仮想人間が生みだす乾いた幸せの比ではない、人間らしいあたたかな幸せが生まれるのだから。



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空元気

2018-12-31 14:18:19 | 孤独死
2018年12月31日(月)、今年も今日でおしまい。
晴天の大晦日、昨日までの寒風もやみ、日向に出ると やわらかい暖かさも感じられる。
空を見上げて心を静めてみれば、一年の出来事の色々が思い起こされる。

この天気とは真逆で、厳寒の暗闇を手探りで歩いているような自分の人生。
決して、人に羨ましがられるような人生でもなければ、人に自慢できるような人生でもないけど、この一年、楽しいこともあったし、幸せもたくさんあった。
楽しさは望むこと、幸せは気づくこと・・・それで味わえる。
もちろん、いいことばかりではなかった。
身体を故障したり、嫌な人と関わったり、仕事が辛かったり、お金がなかったり・・・
所詮は小さいことだけど、悩んだこと、苦しんだこと、悲しかったこと、辛かったこと、痛かったこと、頭にきたこと・・・キリがないくらいあった。
しかし、それもまた人生の薬味であり妙味・・・旨味の前味だったりする。

私にとって、ブログを書くことも、自身に対する戒めや反省や励ましになったりするわけで、薬味・妙味になるものである。
しかし、今年、ブログの更新頻度は、もはや「ブログ」とは呼べないくらいのレベルに低下。
怠慢もあるけど、懸命に生きることをモットーに労働に勤しんでこその“特掃隊長”だから、ブログ更新の少なさは、本業をちゃんとやっていた証であり、ある意味、元気にやっている証ともいえる。

そういえば、最後に休みをとったのは、いつだったか・・・
10月だったか? 9月だったか?・・・よく憶えていない。
カレンダーを遡ってみると、なんと!休暇らしい休暇をとったのは7月29日が最後だったみたい。
正直、そんなに前のことだとは思っていなかった。
夢中で仕事ができるほど勤勉な男でないけど、誰かに頼りにされると気分がいいものだから、ついつい仕事を優先。
また、趣味らしい趣味があるわけでもなく、飲酒と銭湯と睡眠とS○X以外 特にやりたいこともなく、ただただダラダラして しがない一日を浪費するのはもったいないから、結局 作業の予定を入れてしまい、今日に至っている。

そんなこんなで、今年も、クリスマスパーティーはなかった。
もちろん、ケーキもテケン(旧称チキン)も食べていない。
24日の夜は好物の盛そばを食べ、25日の夜は行きつけのスーパー銭湯に行った。
それでも、クリスマスの祝祭ムードはそれなりに味わえた。
街の装飾や賑わいが目に入ったり、流れる讃美歌やクリスマス曲が耳に入ったりするだけでも、結構なクリスマス気分が味わえて楽しめた。
また、今年は、作業に追われて時間がつくれず、会社の忘年会もなかった。
もともと、この類の宴会は不得意(面倒臭い=ハッキリ言うと嫌い)なので、私にとってはラッキーだった。

ありがたい生活の中でも、ありがたくないことはある。
それは、加齢と それにともなう衰弱。
若いのは気ばかりで、身体の外観と能力は、確実に衰えてきている。
つまずく、ぶつける、落っことす・・・
しかし、嘆いてばかりいても仕方がない。
健康を維持するべく、食生活と運動を中心に、できるかぎりの摂生と努力はしている。
休肝日数は変わらないが、一晩の酒は減量。
また、体力をつけるため、体重は あえて3~4kg増量。
体力づくりのつもりで、現場でも積極的に身体を動かすようにしている。

ま、とにもかくにも、こうして元気で年を越せることに感謝!感謝!である。



依頼を受けて出向いたのは郊外のアパート。
電話の感じからすると、依頼者は中高年とおぼしき男性。
現地調査については、こちらの都合は無視して、一方的に日時を指定。
会ったこともないのに敵意すら感じるくらいの尖った口調で、悪印象を抱かざるをえず。
また、「不機嫌」というか「無愛想」というか「横柄」というか、その態度も不快なものだった。

指定された日。
緊張を余儀なくされるような相手でもあり、もともと時間にシビアな私は、遅刻しないよう早めに現地に行き、約束の時刻になるまで路上で待機。
そして、指定された時刻前に部屋に行き、指定された時刻ピッタリに部屋のインターフォンを押した。

一度押しても応答はなし。
少し間を置いて再度押しても無反応。
室内に人がいる気配もなし。
「まだ来てないのか?」
「自分の方から日時を指定しておいて・・・まさか遅刻?」
もともと時間にルーズな人間が苦手な私は、ちょっと“イラッ!”ときた。
しかし、不可抗力な事情は時として誰にでも起こるもの。
「とりあえず、電話してみるか・・・」
と、男性の携帯に電話をかけた。
しかし、スマホから聞こえてきたのは“只今、電話にでることができません”のアナウンス。
「オイオイ!まったく!どういうことだよ!」
気の短い私は、この不条理に“イライラッ!”ときた。

「せっかく来たんだ・・とりあえず、30分だけ待ってみよう・・・」
私は、30分の間に何も音沙汰なかったら、名刺をポストに入れて退散するつもりで、そのまま待つことにした。
すると、数分の後、ヒマつぶしにいじっていたスマホに着信入った。
相手の番号は男性のもので、すぐに電話をとった。
「すみません・・・渋滞にハマってしまって・・・」
男性は、約束の時間に充分間に合うよう家を出たのだが、想定外の事故渋滞にハマってしまったそう。
「30分くらい遅れそうです・・・申し訳ありません・・・ごめんなさい・・・」
と、最初の電話とは別人のように低姿勢、電話の向こうで頭を下げている様が思い浮かぶくらいに謝罪の言葉を並べてきた。

“時間”ってどれだけ貴重なものか・・・死ぬ間際にならないとわからないなんて至極残念。
私は、人に時間を無駄にさせられるのも 人の時間を無駄にするのも大嫌い!
自らの理由で待つのは苦にならないが、自らに理由がない中で待たされるのは大嫌い!
んなわけで、時間にルーズな人間も大嫌い!
また、それを黙認できるほどの度量もない。
「30分ですかぁ・・・ずっと玄関の前に立っていると怪しいので、アパート前に車をとめて待機しておりますので、到着されたら声をお掛け下さい」
と、私は、自分が約束通りの時間に現場に来ていることを強調し、それが嫌味っぽく聞こえてもいいと開き直って言った。

約束の時刻から30分余が経ち、待ちくたびれてきた頃、
「お待たせして申し訳ありません・・・」
と中年の男性が、同年代の女性を連れて現場に現れた。
見たところ、二人は夫婦のよう。
自分から日時を指定しておきながら遅れてきたことが気マズかったのだろう、二人は表情を引きつらせつつ 揃って私に頭を下げた。
一方、私もただの内弁慶。
気の弱さは誰にも負けない自信がある。
横柄な態度をとれるのは一人の時だけ、大口を叩けるもの一人の時だけ(=独り言)。
私の曲がっていたヘソをまっすぐに戻し、
「いえいえ・・・大丈夫です・・・この後は予定もありませんから」
と 世渡りをする中でおぼえた愛想笑いを浮かべ、ペコペコと名刺を差し出した。

遅れてきたせいかどうか、男性はソワソワと落ち着かない様子。
動揺しているような、慌てているような、何かに急かされているような、話す声も震えているような、そんな感じ。
悪意は感じなかったけど、私の名刺も握りつぶすようにしてポケットにねじ込み、玄関もガチャガチャと荒っぽく開錠。
部屋に入る際も、右往左往するような不自然さがあった。

現場は極フツーの部屋。
玄関の履物、掛けてある服、置いてあるモノ等々・・・雰囲気は若い人の部屋。
散らかってもおらず、生活感もそのまま。
私につきものの“異変”も感じず。
ただ、そこには、人の温度を感じない、冷え冷えとした寂しい空気があった。

「ここは・・・どなたの部屋だったんですか?」
事情を一切聞いていなかった私は、男性に質問。
「事情は、先日 お話ししましたよね?」
男性は、やや不満気な表情を浮かべた。
「いえ・・・何も伺っていませんけど・・・」
何も知らない私は、そう応えるしかなかった。
「あれ? そうでしたっけ?」
私を誰と混同しているのか、男性の頭の中では何かが錯綜しているよう。
とにかく、ひどく落ち着かない様子だった。

「息子の部屋です・・・」
男性は、重そうに口を開いた。
「息子さん!?・・・お亡くなりになったんですか!?」
部屋の模様から察しはついていたものの、“若い死”に対して無意識のうちに抵抗感を覚えたようで、私は少しテンションを上げてしまった。
「えぇ・・・昨日、葬式が終わったばかりで・・・」
男性の表情には、困惑と狼狽の心情が如実に現れていた。
「ここで亡くなってたんですか?」
この質問が本当に必要かどうか判断する前に、私の中の野次馬は この言葉を私に吐かせた。
「・・・そうです・・・そのベッドの上で・・・」
男性は、言いたくなさそうにそういうと、視線と溜息を部屋の端のベッドに落とした。
「そうでしたか・・・」
ベッドには汚染痕もなければ部屋に腐敗臭もなく、言われなければ気づかないレベルで、“余計なことを訊いてしまったか・・・”と、私は、“ご愁傷様です”等といった言葉を発したくらいでは誤魔化しきれない罪悪感を覚えた。

亡くなったのは男性夫妻の20代の息子。
私は自殺を疑ってしまったが、死因は病死・・・いわゆる“突然死”というやつだった。
勤務先を無断欠勤し連絡もとれなくなったことで会社が動き、不幸中の幸いで、死後一日で発見。
男性夫妻(両親)の心には大きなキズを残してしまったが、部屋は無傷で済んでいた。

ただでさえ“死”は忌み嫌われる。
更に、「若者が部屋で死亡」と聞くと、世間は、スキャンダラスな想像をしてしまう。
また、腐敗汚損がなくても、それを想像してしまう。
他のアパート住人や近隣の風評にも波風がたつ。
好奇の目を引き、恐怖され、嫌悪されるのは、ある程度仕方がない。
で、男性は、アパートの管理会社から、できるだけ早く退去するようプレッシャーをかけられていた。

息子の急死だけでも大きなショックを受けたのに、葬儀をだしたり、死後の手続きをしたり、部屋の退去も迫られて・・・息子の死を受け止める余裕もなく、冷静になる時間も与えてもらえず、男性は、パニックに陥っただろう。
私は、“子の死”というものに遭遇したことがないから、それがどれほどの苦痛悲哀であるかわからない。
ただ、チビ犬(愛犬)と死別したときの悲しみから類推すると、相当のものであることは察することができる。
そんな状況で、私と関わることになったわけで、当初の男性が、あまり感じのいい態度でなかったことも頷けた。

こういった局面では、男より女の方が強いのだろうか・・・
女性(妻)の方は、落ち着かない感じの男性とは逆に、冷静さを保っているように見えた。
言動や立ち居振る舞いもサバサバとし、現実に抗わず、覚悟を決めて腰を据えている感じ。
“クヨクヨしたって仕方がない”と自分に言い聞かせているような雰囲気で 時折 薄笑を浮かべながら、
「元気だしましょ・・・」
と、何度となく そっと男性に声をかけていた。

苦しむ夫のために、死んだ息子のために、これからを生きる自分のために、必死に涙をこらえ 必死に笑顔をつくる姿・・・
横目に見えた笑顔の涙目に、人の悲しみと苦しみが見えた。
同時に、その空元気に、人の強さと優しさを感じた。


このブログには、“自分を元気づけたい、誰かを元気づけたい”という想いがあり、私の仕事にはその材料がある。
だから、元来、悲観的でネガティブ思考・マイナス思考の傾向が強い私でも、楽観的でポジティブ思考・プラス思考に転じることができるわけ。
正直なところ、数ある記事の中には、カッコつけた空元気も少なくない。
ただ、それでもいいと思っている。
人も羨むような溌剌とした元気より 涙をこらえた空元気の方が、人の心に響き、人の真心に伝わり、人の心底に届くことってあると思うから。

私は、これからも、一生懸命(幸せに楽しく)生きたいし、働きたい。
だから、ブログの更新は少ないかもしれない。
しかし、更新のない私の無言ブログが、2019年も何かを響かせ、何かを伝え、何かを届け、誰かを元気づけていくことを願っている。

「“特掃隊長”ってヤツ、今日もどこかでカッコ悪く生きてんだろうな(笑)」と。



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2017-07-17 08:14:33 | 孤独死
梅雨入りが宣言されてしばらくたつけど、その梅雨はどこへ行ったのか。
東京近郊に限っていうと、梅雨らしい日はほとんどない。
猛暑!酷暑!強い陽射しが照りつける毎日、強い熱波に曝される毎日。
気の毒なことに、雨が降らなさ過ぎて、紫陽花の花ビラも干からびている。
このままいくと水不足になるのは必至。
飲水が欠くような事態は想像しにくいけど、異常気象? 恐怖感すら覚えるような空梅雨である。

そんな季節の現場作業は、ホントにツラい!
あまりのしんどさや、はかどらなさに、イラついてくることもままある。
全身から汗が吹き出し、いくら飲んでも喉の渇きが癒えることはない。
心臓のバクバク感もハンパじゃない。
日陰で休んでも、少々のことでは治まらない。
若くない身体には、相当に堪える。

だけど、猛暑の中でキツい労苦を強いられているのは私だけではない。
外で働く多くの肉体労働者も同じこと
冷房のない所で汗をかいている人は巨万といる。
建築現場、工事現場、運配送etc・・・そんな異業の人達のがんばる姿に、私も励まされている。

気をつけなければならないのは熱中症。
特に、私の場合、一人作業が少なくないので、慎重に自己管理しなければならない。
しかし、まだ若いつもりでいる私。
どこからどう見ても若くないアラフィフのくせに、作業に没頭してしまい、ついつい休憩を後回しにしてしまう。
で、知らず知らずのうちに身体の水分が抜け、体温が上がっていく危険を放置してしまうのである。

孤独死現場で孤独死するのは私らしい死に方かもしれないけど、当然、そんなの本望ではない。
「死んでしまいたい」と思ってしまうような虚無感・疲労感・倦怠感に襲われることはしばしばあるけど、その根底には「健康で長生きしたい」という本性がある。
そして、“死”は、毎日 想うことだし、覚悟がいることはわかっているけど、やはり、恐怖感・切なさ・寂しさ・嫌悪感等を覚える
だから、もう少し悟れるくらいまでは生きていたい・・・今、壊れるわけにはいかない。

幸い、この猛暑にあっても、身体の調子を崩さず仕事ができている(相変わらず、精神のほうは不調が多いけど)。
しいて言えば、時折、軽い目眩と蕁麻疹がでるくらい。
病院にかかるほどのことにはなっていない。
とにもかくにも、生活がキツかろうが 仕事がツラかろうが、とりあえず、変わらぬ日常を過ごすことができていることに感謝!している。


先日、何度か取引したことのある不動産会社から、
「住人が孤独死した部屋があるので見てほしい」
との依頼が入った。
“この時季だから、結構なことになってるだろうな・・・”
“百聞は見にしかず、いちいち細かなことを訊くより現場に行ったほうがはやい”
と思った私は、ややテンションを上げながら、早速、その翌日に現地調査の予定を入れた。

訪れたのは、古いアパートの一室。
先入観が働いて、その部屋からは“いかにも”といった雰囲気が漂っているように見えた。
私は、現場に設置されたkeyboxの鍵を使って開錠。
やや緊張しながら、手袋をつけた右手でゆっくりとドアを引いた。

凄まじい悪臭が噴出してくることを予想し、専用マスクを首にブラ下げて構えていた私。
しかし、中から漂ってきたのは、熱せられた空気とホコリっぽい臭いだけ。
私のテンションと部屋の実情は、明らかにミスマッチ。
私は、“安堵”というより“怪訝”な気持ちを抱きながら、部屋に足を踏み入れた。

間取りは1DK。
狭い部屋で、一目で部屋全体を見渡すことができた。
が、明確な汚染痕はどこにも見当たらず。
また、ウジも這っておらず、ハエも飛んでおらず。
部屋の中央に敷かれた薄汚れた布団が、故人の最期の姿を想像させるくらいだった。

部屋の状態は、それと言われなければわからないくらいのライト級。
もちろん、それは、故人、遺族、大家、不動産会社、他住民、そして私、誰にとっても幸いなこと。
本来なら安堵すべきことなのに、私は、拍子抜けした感じの妙な感覚を覚えた。
私は、へビー級を覚悟して現場に出向いたわけで、せっかく火をつけた特掃魂が無駄になったことに対するもったいなさ・寂しさみたいなものを感じたのだ。

もちろん、作業は楽なほうがいい。
キツい作業なんてまっぴらゴメン。
だけど、皮肉なもので、やり終えたときの清々しさ(満足感?達成感?)は、仕事がハードであればあるほど高い。
晩酌の味も同じ。
がんばった分だけ、味が上がる。
そんな日は、「今日もよく働いた!」「美味しく飲めてありがたい!」と、ビールやハイボールをリットル単位で飲んでいく。
最近は、生涯を通じて縁遠かったブランデーやワインを飲むこともある。
そうして、次のエネルギーをチャージして後、疲れた身体を汗臭い布団に横たえるのである。

その旨味を覚えたせいでもないだろうけど、現場の状況が酷ければ酷いほど熱を帯びる私。
「いよいよ変態になってきたか?」
と、自分でもそう思う。
だけど、私は、要領よく楽する自分より、真正面でがんばる自分の方が好き。
労苦に喘いでも、辛酸を舐めても、がんばったことは無駄にならないから。
不本意な結果しか得られなくても、希望が失われても、その欠片は残るから。
そして、がんばった経験と希望の欠片は、次の自分と新たな未来をつくってくれるから。


例によって、ブログの更新がとまっている。
重症化しやすい現場と この暑さで、肉体的にも精神的にも時間的にも、ブログを書く余裕がなくなっているから。
多分、次回の更新も、しばらく先になることだろう。
だけど、「がんばりたい!」という情熱は持っている。
そして、生きているかぎり、この想いは持ち続けていたいと思っている。

略儀ながら、がんばって生きている・・・がんばって生きようとしていることの報告まで。

2017年 盛夏 特掃隊長
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