2025年も半分過ぎて、時は真夏。
西日本で梅雨明けが宣言されたのは6月27日。
平年より三週間も早かったそう。
そして、私がいる東日本。
梅雨明け宣言がどうあれ、梅雨はなかったも同然。
そのせいもあってだろう、6月の平均気温は観測史上最高だったそう。
年を追って暑さが増しているように感じるのは、やはり気のせいではないようだ。
雨量については平年に近いところが多いらしいが、今後の水量に懸念もあるそう。
前回投稿の「稲穂」で今年の稲作について触れたが、「梅雨が短い」ということは水不足のリスクも上がるということか。
農作物全般そうだが、水田を要する稲作に水不足は致命傷になりかねない。
ゲリラ豪雨や線状降水帯は歓迎できないけど、大地がちょうどよく潤うくらい適度に降ってほしいものである。
とにもかくにも、特掃隊長にとっては、もっともヤバい季節に突入している。
察してもらえると思うから説明は省くけど、本当にヤバい!
何がどうヤバいのかわからない人は、過去Blogを参照されたし。
そうすれば、大方のことはわかってもらえるはず。
果たして、重年による衰えに加えて大病を患っているこの心身が持ち堪えるかどうか、我ながら見ものである。
「遺品整理をお願いしたい」
依頼者は女性で、声から推測される年齢は五十くらい。
亡くなったのは女性の妹で、部屋は賃貸のマンション。
部屋を見ないことには、費用や作業内容等、具体的な提案ができないので、私は、いつも通り現地調査を案内。
隣県から来る女性の都合を優先した日時を設定し、初回の電話はそれで終わった。
約束の日時。
訪れた現場は幹線道路沿いに建つマンション。
戸数の多くない小規模マンションだったが、1Fはオートロックで自由に出入りできず。
私は、しばし待機し、約束の時刻5分前になって女性に電話。
すると、女性は先に来ていて、既に在室。
私が、建物前に着いていることを伝えると、すぐにオートロックを開けてくれた。
あくまで見た目による推定だけど、玄関で出迎えてくれた女性は想像していた通り50才前後。
「その妹」ということは、当然、故人はそれよりも若年。
一般的に「若い」とされるのは10代や20代だけど、“寿命”として捉えると40代や50代でも充分に若い。
“死”は老若男女を問わず万民に平等。
その摂理がわかっていても、その若い死には特有の寂しさが感じられた。
招き入れられた部屋は一般的な1DK。
家財の量は多くなく、どちらかと言うと少な目。
整理整頓はキチンとできており、汚れがちな水廻もきれいな状態。
それは、故人が几帳面できれい好きな性格だったことを物語っていた。
と同時に、まだ誰かが居住中であるかのような生活感というか、人の生気のようなものも感じられて、それが、淋しさ滲む現場の雰囲気を柔らかいものにしていた。
頼まれた仕事は遺品整理。
貴重品を探したり、遺族が持ち帰りたいものを選別したり、故人の生涯を振り返りながら故人との想い出を整理したりする作業。
整理整頓が行き届いた部屋においては、そんなに難しいものではない。
しかし、女性は、「なかなか気持ちが向いていかないから手伝ってほしい」とのこと。
そんな中、女性がもっとも気にしていたのは、故人が大切にしていたネックレス。
決して高価な物ではないらしいが、その昔、故人が社会人になった折、両親が就職祝でプレゼントしたもの。
故人はそれを愛用。
いつも着けているわけではなかったけど、ちょっとオシャレをするときは必ず身に着けていた。
それを、老いた両親が、「形見にとっておきたい」との切望しているそうだった。
“親の形見”でも淋しいものがあるのに、“娘の形見”だなんて、両親の悲哀を想うと薄情者の心にもかなりの切なさが込み上げてきた。
そういう訳で、我々は、二人で丁寧に遺品をチェック。
そんな中、目的のネックレスはすぐに見つかった。
それは、鏡台の引き出しにあった。
見つからなかった原因は、単純な見落とし。
鏡台には、小さな引き出しが何段もあり、見落としたにもかかわらず見たつもりになっていたのだろう。
私がアッサリと見つけ出したことに女性は戸惑いながらも、「お手柄!」とばかりにすごく喜んでくれた。
喜んでもらえたのは嬉しかったけど、あまりに褒めてくるものだから照れくさいところもあった。
そしてまた、「ネックレスを両親に渡すことが、せめてもの親孝行・妹孝行のつもりなのかな・・・」という想いもして、一家に対して再び切ないものが込み上げてきた。
そんなやりとりを繰り返しているうちに、初対面の他人同士でも会話がしやすい雰囲気が醸成されていった。
と同時に、故人の推定年齢や部屋の雰囲気をはじめ、所々、わずかに見受けられる女性のぎこちなさに違和感も覚えていった。
そんな私は、“いくら雰囲気が和やかになったとしても、礼儀を忘れて軽口を叩いてはいけない”と自分を戒めつつ、
「必要のない質問かもしれないんですけど・・・」
と、前置きし、
「ここで亡くなられたんでしょうか・・・」
と訊いてみた。
すると、女性は、わずかに表情を硬め、しばし沈黙。
「やっぱり、ちゃんとお伝えしておかないといけませんよね・・・そうです・・・」
と、躊躇いがちに応えた。
そして、“いずれわかること”、または、“とうに見透かされている“とでも思ったのか、
「自分で・・・」
と、故人の死因が自死であったことを仄めかした。
汚染異臭がない現場の遺品整理において、亡くなった場所や死因がもたらす影響は少ない。
また、死因が自殺であっても、私は、それが気になるような人間でもない。
ただ、事実を知っておけば、遺族に相応の配慮ができるし、外部(大家・管理会社・近隣など)にも気の利いた対応がとれる。
しかし、遺族の傷心に土足で踏み込むようなことにもなりかねない。
「仕事に影響しないなら何故訊く?」「無神経じゃないか?」
と、私は、自分に問うた。
そして、訊いちゃいけないことを聞いてしまったような気がして、
「余計なことを訊いてスミマセン」
と詫びると、
「いいえ、大丈夫です・・・黙っている方がストレスでしたから・・・」
と、女性は、ちょっとホッとしたように、気マズくなった空気を流してくれた。
故人は、若い頃、職場の人間関係が原因で鬱病を発症。
その職場を離れてからも大して改善せず、長く心療内科に通院しながら服薬もしていた。
ただ、「死にたい」といった言葉を吐くまでのことはなかったし、そのような行動にでるようなこともなかった。
その代わり、「生きていたくない」といった類のことは頻繁に口にし、調子が悪いときは、別人のように強張った顔つきに変わることもあった。
そして、事は、そんな中で起きた。
発見のキッカケは無断欠勤。
それまで、故人は無断欠勤をしたことはなく、前日も何事もなく勤務し退社。
そして、一夜明けた当日、故人は姿を現さず。
勤務先も連絡を試みたが、電話は繋がらず。
そこで、身元保証人になっていた女性のもとへ連絡が入った。
女性は、故人の精神が脆弱なことを充分に把握しており、普段から注意して見ていた。
ただ、このところの故人は「薬を飲まなくても大丈夫になった」と明るく話しており、時々会ったときの表情も晴れやかで本当に調子が良さそうに見えた。
だから、女性も「病状は落ち着いている」「元気にやっている」と安心していた。
ところが・・・
不穏な胸騒ぎをともなって駆けつけてみると、もうその身体は冷たくなり始めていたのだった。
故人の居住期間は短く、しかも、とてもきれいに暮らしており、内装設備等、部屋に物理的な問題はなし。
サクッとクリーニングするだけで、すぐ次に貸せるくらい。
しかし、大家も管理会社も“事実”を把握。
仮に、知られていなくても隠しておくわけにはいかない。
通常の退去なら要さない内装改修や設備交換、その後の損害賠償・家賃補償の責務が生じることは容易に想像できる。
女性は、そんな連帯保証人としての責任だけではなく、家族としての道義的責任も強く感じていた。
「不動産屋さんからは、“後でキチンと話し合いましょう”と言われてまして・・・」
「何を言われるんでしょうか・・・色々言われるんでしょうね・・・」
と、待ち受ける茨の道、果ては修羅場が想像されてか、女性は、その表情を怯えたように歪め、何かに助けを求めるかのように天を仰いだ。
長年、鬱病を患い、「生きていたくない」と呟きながら生きていた故人は、一般の健常者に比べて生きる意欲が低く自死のリスクが高いことはわかっていたはず。
しかし、故人の頼みだったのか、成り行きでそうなったのか、賃貸借契約の連帯保証人は女性が担っていた。
女性にとってそれは、故人と同じ責任を負わされることを意味するもの。
相続を放棄しようが逃げ道はない。
家族としての道義的責任はさて置き、法的責任があるのとないのとでは話がまったく変わる。
大家や管理会社を無視して女性の立場だけに偏ってみると、そこは保証会社を使うべきところだった。
が、もう“後の祭り”、今更 考えても虚しいだけのことだった。
しかし、「法律」というものは、人を裁き 人を罰するためだけのものではなく、その前に、人を守り 人を助けるためのものである(誰かのセリフをパクってる?)。
私は、連帯保証人と相続人の立場や権利義務の違い、他の裁判例や国のガイドラインを説明。
それに、自慢できるくらい豊富な経験と、自慢はできないけど固く持っている自論を付け加え、普段はあまりヨシとしない感情移入もヨシとして、やや熱っぽく話した。
そして、
「相談に乗るくらいのことしかできませんけど、他に不安なこととかあったら遠慮なく連絡ください」
「夜中は寝てますけど、それ以外、朝夕でも土日でも関係なくいつでも大丈夫ですから」
と、女性が私の自論を“浅慮”と足蹴にせず真剣に聞いてくれたことをいいことに、善人を気取った。
すると、何がどうしたのか、女性は急に目に涙を浮かべた。
何かが、女性の心の琴線に触れたよう。
察するに・・・
妹の死への哀れみ、
自死させてしまったことの悔み、
老親の心労を察した悲しみ、
他に頼れる人がいない心細さ、
損害賠償の重圧、
亡妹をはじめ、自分や両親に向けられる世間の白い目、
それでも生きなければならない自分の人生、
孤独な戦い、激しいプレッシャー、際限のない不安、そんなものに一気に襲われた女性は精神的にかなり追い詰められていたのだろう。
そんな弱りきった心に私の偽親切心が刺さったのか、薄っぺらい同情心が沁みたのか、はたまた、少なからずの不安が解消して張りつめていた糸が切れたのか・・・
「すいません・・・すいません・・・」
と、必死でとめようとしても涙はとまらず。
それは、私ごとき凡人が容易く堰き止められるようなものはなかった。
私には他人を救う力はない。
流れる涙を止める力もない。
あるのは、わずかな理解力。
「“理解”が人の助けになるのか?」
それは、わからない。
でも、雨をしのぐ傘にはなれなくても、急場をしのぐゴミ袋くらいにはなれそう気がする。
涙を流すことによって、少しでも女性の気持ちが楽になる、心が軽くなるのなら、それでヨシ。
余計な応援や慰めは無用。
私は、ただ空気のようになって、とめどなく流れる女性の涙が自然にやむのを待つばかりだった。
この仕事に就く前の若い頃のことだが、私は、自傷行為に及んだことがある。
「このまま死ねたら楽かな・・・」と、生きることに嫌気がさしていた。
以降、これまで何度かメンタルクリニックや心療内科に通った。
受けた診断名は、「鬱病」「不安神経症」「不眠症」など色々。
変わったところでは、「偏頭痛」という病名がついたこともあった。
効き目を感じることは少なかったが、服用したことのある薬の種類も量も少なくはない。
“裏”で出回っているような強いヤツを飲んでいた時期もある(気分高揚の自覚はあった)。
今は通院も服薬もしていないが、つい数か月前までは薬を飲んでいた。
今後、服用を再開する可能性も低くはない。
「精神を病む」ということがどういうことなのかわかっていない私に精神疾患があるのかないのかハッキリしないところはあるけど、少なくとも、精神脆弱で 心のどこかに由々しき問題を抱えていることに間違いはないと思っている。
そして、そんな私がいる世の中には「魔が差す」という言葉がある。
我が身にも、心当たりがありまくる。
飛行機がエアポケットに落ちるように、“ストン!”と、何の前触れもなく瞬間的に気分が落ち込むことがあるのだ。
表向き元気そうであっても、その“侮れない瞬間”は常に隠れ潜み、虎視眈々と心が闇に落ちるのを狙っている。
「直前までフツーに過ごしていた人がいきなり自死する」といったケースが少なくないのは、この辺の事象が絡んでいるのではないかと考えている。
自己分析できるほどの客観性も失っていたから、私自身、ストレートに「死にたい」と思ったことがあるかどうかの記憶は定かではない。
しかし、「生きていたくない」と思ったことは数えきれないほどある。
実のところ、直近でそう思ったのも、そんなに昔のことではない。
「死にたい」と「生きていたくない」、“健常者”は、「言葉が違うだけで意味は同じ」と思うかもしれないけど、この二つはイコールではない。
私自身の経験を含む主観的な判断だけど、
「生きていたくない」は、生きる願望をわずかでも自分に持っている状態。
「死にたい」は、絶望に近い状態。
言うまでもなく、危険度は後者の方が高い。
その言葉を、どう受け止め、どう理解するか、そして、どう翻意させるか。
それは、薬ではなく人にかかっている。
人生、晴れたり曇ったり、雨も降れば雪も降る。
いつまでたっても悩みや不安が尽きないことを考えると、おおかた曇空。
人生は、明けない黄梅空の下をトボトボと歩いているようなもの。
その道程の中で、時々晴れて(笑って)、時々雨が降る(泣く)。
涙が流れるのは真剣に生きているから。
流れる涙は懸命に生きている証。
人の目にはみすぼらしくても、時の目には美しい。
乾いた大地に果は芽吹かず、乾いた心に誠は芽吹かず。
冷たい雨が大地を潤すように、苦しみの涙が心を潤すこともある。
そして、涙が明けたあと、その心には“人”が実るのである。