特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

汗の輝き

2009-07-16 16:46:35 | Weblog
関東の梅雨は明けた。
青い空に白い雲、ギラギラと照りつける太陽・・・
酷暑に身が焼かれ、猛暑に精神が蒸される、本格的な夏だ。

「寒さは、着込めばしのげる」
「でも、暑さに対して、裸以上に脱ぐことはできない」
「だから、夏より冬の方がいい」
数年前まではそう言って、夏より冬を好んでいた私。
しかし、精神的なこと(冬鬱)が影響して、ここ数年は、冬より夏の方が好きになっている。

そうは言っても、夏は暑くて・・・暑過ぎて大変。
せめて、30℃くらいまでで勘弁してくれればいいのに、日や所によっては体温を上回る。
しかし、地上に生きている限り炎天から逃げる術はなく、自然に対して無力な人間の知恵を駆使して、ひたすら耐えるしかない。

そんな夏は、汗の季節でもある。
暑さに対して、身体は汗をかく。
身体を動かさなくても、炎天下に身を置くだけで、汗が滲み出る。
これは、体温を下げるために出るのだろうが、目的はそれだけではなく、身体の老廃物を排出する役割もある。
だから、汗をかくことは、不快なことであっても、身体にいいことでもある。

ただ、この頃は、暑くても汗をかけない人が増えているよう。
子供の頃から、空調の整った環境で過ごしているせいで、身体の体温調節機能が発達しないことが原因らしい。
身体を大切にすることはいいことだけど、あまり過保護にすると、結局、身体に悪いことになってしまうから注意しないといけない。


〝発汗〟の代表格は、やはり、サウナか。
私の回りにも〝サウナ好き〟が結構いる。
苦悶の表情で時間を計り、ギリギリまで我慢・・・
それから、冷水に浸かって急冷却・・・
まるで何かの修行のように、それを何度も繰り返す。
しかし、そんな荒行をして、身体は大丈夫なのだろうか・・・
それとも、健康気分が味わえればそれでよく、実際の健康なんてどうでもいいのだろうか・・・
私には、よく理解できない。

そんな私も、今まで、サウナに2~3回入ったことがある。
サウナにも種類が色々あるそうで、私が入ったのはどの類だったのかわからないけど、あの熱さには1分と耐えられなかった。

100℃近くを指している温度計を見ただけで、ゾゾーッと悪寒。
「機械が壊れて、温度が際限なく上昇することはないのだろうか・・・」
「何かの間違いで、扉が開かなくなるようなことなないのだろうか・・・」
等と、心配事は尽きず・・・
独特の恐怖感を覚えて、汗をかく前に鳥肌が立ってしまうような始末だった。
ま、どちらにしろ、〝心臓の弱い人は入らないで下さい〟と注意書があるように、〝心臓〟の弱い私には向かない代物である。


暑ければ暑いほど、現場作業は過酷。
本物のサウナに比べたら温度は低いけど、夏の特掃現場もある種のサウナ状態。
更に、暑さは、遺体の腐敗損傷を深刻化させ、現場の衛生環境を極めて劣悪なものにしてしまう。
だから、暑ければ暑いほど、特掃魂は震える。
〝武者震い〟と時もたまにあるけど、大方は〝臆病者震い〟。
身体は熱いのに、気持ちは寒々と震える。

また、ほとんどの腐乱死体発生現場は、ハンパではない悪臭を放っている。
それは、近所に迷惑をかけるので、安易に窓やドアを開けられない。
だから、必然的に、密室での作業になる。
それが、どれだけ暑くて、どれだけ不衛生かは、想像に難くないと思うが、とにかく過酷な環境なのである。


「立派なマンションだなぁ・・・」
現場は、高級マンションの一室。
故人は、そこの浴室で亡くなっていたとのことだった。

「暑いだろうな・・・」
外は、うだるような暑さ。
そこにきて、部屋は何日も密閉。
室内温度は上昇しているはずて、暑くて仕方がないのに寒気がするような、変な感覚に囚われながら玄関の前に立った。

「うへ・・・」
玄関を開けると、熱くて臭い空気が噴出。
その熱と悪臭には、腹筋をヘタらせるくらいの力があった。

「ヤバ・・・」
長く玄関を開けていると、近所迷惑になってしまう。
マンション等の集合住宅なら尚更。
私は、狼狽える間も持たず、玄関ドアをくぐった。

「どこ?」
室内は、高級マンションらしく、広々。
内装も、重厚な雰囲気。
許可を得て立ち入ったにも関わらず、そこには、何とも言えない居心地の悪さがあり・・・
私は、急く気持ちを抱えながら、故人が最期にいた浴室を探して廊下を進んだ。

「ここか・・・」
広い洗面所の奥に、浴室を発見。
私は、その扉の前に立ち、一時停止。
不快な緊張感を、次に進む勢いに無理矢理変えた。

「ウハッ!・・・」
意を決して浴室の扉を開けると、中からは熱い空気が噴出。
私は、その熱に面食らって、思わず後退りした。

「結構、きてるな・・・」
浴室内は高温で、しかも、高濃度の悪臭が充満。
ニオイって、目に見えるものではないのに、私には、空気が黄土色に濁っているように感じられた。

「豪華なのはいいけど・・・」
広い浴室に、大きなバスタブ。
壁面の一部は、ガラス。
そこから、日光が差し込み、浴室内の温度を上昇させていた。

「アチ・・・」
そこは、まさにサウナ状態。
おまけに、元人間が同室・・・
何も作業していないうちから、不快な脂汗と冷汗が全身をジットリ湿らせた。

「これか・・・」
浴槽をのぞき込むと、故人の元身体は、底の方に滞留。
粘土状のそれはウジの餌と化し、ムズムズと不気味に蠢いていた。

「マシな方か・・・」
故人は、浴槽に入っていたらしかったが、湯(水)は溜まっておらず。
あちこちに腐敗液・毛髪・皮膚が付着していたが、とにかく、浴槽に水が溜まっていなかっただけでも、私にとっては幸いなことだった。

「警察も、大変だよな・・・」
浴槽から扉に向かって、幾本もの腐敗液の筋。
警察が、浴槽から遺体を引きずり出した痕が、グロテスクな模様をつくっていた。


亡くなったのは、初老の女性。
夫や子はおらず、近い身内は、妹と甥。
その二人が、特掃の依頼者だった。

故人は、今で言うキャリアウーマン。
かつては、小さな会社を経営。
その仕事ぶりは熱心で、夜となく昼となく、休みもロクに取らず働き続けた。

勤勉の甲斐あって、収入は高水準。
ただ、その暮らしぶりはいたって質素。
高慢になることも、贅沢や遊興に大金を遣うこともなく、コツコツと貯蓄に励んだ。

そんな生活を何十年も続け、社業引退と同時にマンションを購入。
住宅ローンは組まず、すべて自己資金で。
そして、それを機に、故人は遺言書を用意。
子がないゆえ、残された親族が困らないようにするためだった。

晩年の暮らしは、建物に似合わず慎ましく質素。
それでも、その表情は、喜びに満ち、何かにつけ、人生や命に対する喜びと感謝の気持ちを口にした。
そして、数年の時を経て、一人静かな最期を迎えたのだった。

故人は、汗の結晶として、目に見える大きな財産を手に入れた。
しかし、その生き様と晩年の人柄からは、故人がそれよりももっと大切で大きなものを手に入れていたことが想像できた。
そして、それによって、私の弱い心が励まされたような気がした。


汗をかくのって、しんどいことが多い。
だから、〝どうやったら汗をかかないで生きていけるのか・・・〟なんて、そんなことばかり考え、少しでも汗をかかなくて済みそうな道を選ぼうとする。
しかし、その志向を強めれば強めるほど、余計に汗をかくことになる。
面白いことに、人生とは、そんなもの。

汗、それ自体はきれいなものじゃないかもしれないけど、その実は美しいものである。
汗をかくこと、その様はきれいなものじゃないかもしれないけど、その実は美しいものである。
生きている証、生きようとしている証だから。

この夏も、何十リットル・・イヤ、何百リットルもの汗をかくことになるだろう・・・
ヘバることも、メゲることもあるだろう・・・
正直なところ、あまり汗をかきたくない気持ちはあるけど、どうせ変えられない道ならば、開き直って大汗をかいてやろうと思う。
そこで汚れた老廃物をタップリ出せば、少しは人間をきれいにできるかもしれないから。





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死体慕い

2009-07-09 19:02:22 | Weblog
一年で、4~5万キロは走るだろうか・・・
仕事柄、年柄年中、車を運転している私。
〝ペンだこ〟なんか何年も前に消えてしまったが、代わりに中指・薬指の節には、〝ハンドルだこ〟ができている。
それでも、私は、車の運転が苦にならないから幸いだ。

そして、この仕事は、いつどこに呼ばれるかわからない。
たまには、日を連ねて同じ現場に入ることはあるけど、基本的に、行く先に計画性はなく、日によってバラバラ。
毎日のように違った街・色んな景色との出逢いがある。
だから、考え方を一つ変えるだけで仕事に窮々としている気分を、気楽なドライブ気分に変えることができる。

しかし、同じ車の運転でも、気楽にできない仕事もある。
遺体搬送業務だ。
これは、〝お客様〟を乗せて走る訳で、〝ドライブ気分〟っていうわけにはいかない。
やはり、色んなところに色んな神経を使う。

同乗するお客は、二種類。
死んだ人と生きている人・・・そう、遺体と遺族。
遺体だけ乗せて、遺族は乗らないケースも多い。
〝見ず知らずの遺体と二人きり〟なんて、不気味に思われるかもしれないが、遺族が同乗する場合よりはるかに気は楽。
遺体は、対人関係を苦手とする私には、もってこいの相手(?)。
文句一つ言わないし、黙ってても雰囲気が煮詰まることもないから。

今は、遺体搬送車には、1BOXタイプの車が使われることが多い。
遺体一人と遺族二人が乗れるよう、後席部分が改造されている。
アシスタントがいない場合は助手席も空くけど、遺族には、後席を優先して乗ってもらう。
後席は、遺体の傍でもあるし、助手席に比べれば事故負傷のリスクも低いし・・・
あと、これは私だけかもしれないけど、遺族に横(助手席)に座られては、落ち着かなくて気詰まりするから。

同乗する遺族のタイプも様々。
一番多いのは、ただ静かに黙っている人。
この雰囲気は、楽と言えば楽。
私も、安全運転に徹して静かに黙っていればいいだけから。

中には、シクシクと泣き続ける人もいる。
死別の悲哀度は人それぞれで、他人にはいかんともし難い。
そんな遺族に対して私ができることは、ひたすら自分の気配を殺すこと。
ただ、それだけ。
こちらも、悲しいくらいに役に立たないのである。

あとは、遺族同士で会話を弾ませる人もいる。
故人の思い出話に花を咲かせる人、雑談にふける人、色々・・・
どこの家にもありがちな話など、大きく頷ける話題もあれば、人間臭い話など、親しみを感じる話題もある。
中でも多いのは、葬儀についての話。
普通、誰もが、葬式の段取りをつけるのは不慣れ。
だから、一朝一夕にはいかない。
しかし、無理にでも一朝一夕に片づけなければならないわけで・・・
遺体の移送中であろうが何であろうが、話せる時に話しとかないと時間がないのである。

また、やたらと私に話し掛けてくる遺族もいる。
悲しみを紛らわしたいのか、空気を煮詰まらせないようにするためか、はたまた、私に気を遣っているのか・・・
気候や時事ネタなど、社交辞令的な話題が多いけど、中には、不快感を刺激するような際どい質問をしてくる人もいる。
それでも、相手はお客。
歯ぎしりを愛想笑で覆い隠して、やり過ごすしかないのである。

ま、相手がどんな人であれ、業務上の必要事項でないかぎり、私の方から口を開くことはない。
空気が煮詰まろうがどうしようが、寡黙一筋。
〝雄弁は銀、沈黙は金〟〝口は災いのもと〟と言われるように、黙っているのが一番無難なのである。


亡くなったのは、年配の女性。
身体に特段の異変もなく、ごく普通のおばあさん。
その故人を、自宅から葬儀式場に運ぶのが、私の仕事だった。

家で私を待っていたのは、中年の女性。
〝故人の一人娘〟とのこと。
他に遺族の姿はなく、故人と二人で、私の〝お迎え〟を待っていた。

女性は、〝冴えない〟というか〝浮かない〟というか、暗い表情。
無愛想とは違う、反応のなさ。
死別の悲中にある女性には当然の表情だったのだが、気持ちに引っかかる何かがあった。


「どうぞ、こちらにお乗り下さい」
故人を先に乗せた私は、次に、横のスライドドアを開けて女性を誘導。
故人の顔に近い席に座るよう、促した。

「前の席じゃダメですか?」
前記の通り、同乗する遺族が1~2名のときは、助手席は空けて後席に乗ってもらうのが普通。
女性は、後席乗車に気が進まないのか、前席に乗ることを希望してきた。

「構いませんけど・・・」
意外な要望に、ちょっと戸惑った私。
が、断る理由はない。
結果、女性の希望を尊重するしかなく、助手席のドアを開けた。

「わがまま言って、すみません・・・」
女性は、私に頭を下げてから前席に乗車。
後ろの故人に振り返ることもなく、シートベルトに手を伸ばした。

前席・後席に分乗して、しかも間仕切カーテンをしめてしまえば、狭い車中にも個別の空間ができる。
そうすると、余計な気も遣わないで済むし、会話がなくてもそう不自然ではない。
しかし、私達は、狭い車内に隣り合わせで座ったわけで・・・
黙っていると雰囲気は煮詰まるし、そうは言っても気の利いた話題も思いつかず・・・
対人関係を苦手とする性格がモロにでてしまい、ハンドルを握る手が汗ばむばかりだった。

そんな雰囲気を気マズく感じないのか、女性は、ひたすら沈黙。
私には、女性が何を考えているのかまではわからなかったけど、何かを深刻に考えていることだけは感じられた。


「自分の母親なのに、(遺体が)怖いんです・・・」
「顔を見ていると目を開けそうで、傍にいると手がつかみかかってきそうで・・・」
「おかしいでしょうか・・・」
煮詰まった雰囲気にも慣れてきた頃、女性は、急に口を開いた。
長い沈黙を破っての唐突な話に、私はちょっと面食らったが、そのまま聞き入った。

故人(母)は、できる限りの愛を注いで女性(娘)を育てた。
躾をするため厳しい一面を覗かせることもあったし、女性が成長する中で、ぶつかり合うこともあった。
それでも、女性は故人の愛を疑うことはなく、また母として愛し、一人の女性として尊敬しながら大人になった

いつか来るとわかっていた死別・・・
しかし、それが現実のものになると、覚悟していた悲しみや寂しさとは別の感情が女性を襲った・・・
生前は愛してやまない母親だったのに、それが血の気を失い、冷たく・固くなった途端に、恐ろしく思えてきた・・・
女性は、そんな心情が、子として・人として間違っていることのように思えて苦悩しているようだった。


大方の人は、死を恐れ、忌み嫌う。
また、〝死〟そのものだけではなく、死に関わることや死をイメージさせるものも敬遠される。
その理由は色々あるだろう。
しかし、具体的な理由がなくても、人は、もともと〝死にたくない〟という本性を備えている。
これが、いわゆる〝生存本能〟というものかもしれない。

しかし、死を忌み嫌うことは、悪いことなのだろうか。
私は、そうは思わない。
人が、死を忌み嫌うことは、そのまま生につながるから。
生きることに執着心を起こさせ、生きる執念を生み出すから。
〝死にたくないから生きる〟・・・
死を忌み嫌うことと生きることは、一対になって響き合っているものなのだと思う。


私ごときに心情を打ち明けたところで、何かが解決するはずもなく・・・
車を降る時の女性は、乗車する時と変わりなく、暗い表情。
そこには、死の悲哀と生の切なさがあった。
しかし、時が経てば、女性の、死体に対する嫌悪感は母を慕う気持ちに戻っていき、それがまた、死を正面で受け止めさせ、前向きに生きる力を宿らせるのだろうと思う私であった。






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イテテ

2009-07-02 19:01:33 | Weblog
痛いことが好きな人は、あまりいないだろう。
整体やマッサージ等、快感と紙一重の痛みもあるけど、やはり、痛いのってイヤなもの。
病気でもケガでも、痛みが伴うものは、できるだけ避けて生きたいものだ。

顕著な例は、歯科医院。
他院との競争が激しい歯科業界では、患者を集めるにために必要な第一条件は、〝痛くない治療〟らしい。
歯医者の何が怖いかと言えば、やはり、アノ何とも言えない痛み。
これが怖いが故に、なかなか歯科にかかれないわけだから。

私なんかはモロにそうで、歯痛をもってしないと治療痛に耐えられないタイプ。
避けようと思えば避けられるのに、ダブルで痛みを食らってしまうのだ。
・・・まったくの愚考・愚行。
でも、そんな人、多くない?

そんな嫌われ者の〝痛み〟でも、自分の身を守るためには必要なのだという。
確かに、痛みを感じなければ、自分の身体に迫る危機に気づかない。
結果、何の対策もせずに、病気を悪化させたり、大ケガを負ったりするハメになる。
更には、それで命を落としてしまうことがあるかもしれない。
それを考えると、痛みの感覚は大切なものだということが分かってくる。

ただ、生きている人はそうでも、死んだ人は違う・・・〝多分〟。
「死人に口なし」と言われるように、殴られても蹴られても、遺体は、「痛い」も「痒い」も言わない。
(もちろん、遺体を殴ったり蹴ったりすることはないけど。)
〝多分〟、亡くなった人の身体・・・つまり、遺体は、痛みを感じないのだろう・・・
ここで、〝多分〟と言わざるを得ないのは、やはり、自分が死体になったことがないから。
〝99.999・・・%、遺体に痛み感覚はない〟と思っていても、100%の断言はできない。
そこのところを考えると、以下のエピソードに複雑な思いがする。


私が死体業を始めて間もない頃のことだから、もう、十数年も前のこと・・・

故人は、年配の男性。
死後処置・死化粧・死装束も整えられ、あとは柩に納められるのを待つばかり。
長寿をまっとうしたせいか、死を喜んで受け入れたような安らかな表情で横になっていた。

そんな中、遺族の一人が、
「爪が、随分、のびちゃってるね・・・」
と一言。
見ると、確かに、故人の爪はちょっと伸び気味。
遺族の一言が、〝できることなら、きれいに切ってほしい〟との意味に聞こえた私は、おもむろに爪切りを開始した。

人の爪を切るのって、なかなか難しい。
自分の爪を切るのとは要領が違って、力加減がわからない。
私は、緊張していた訳ではないし、逆に気が緩んでいた訳でもないのだが、気づいたら一本の指を深爪に・・・
指先に切り傷をつくってしまい、出血させてしまった。

私が焦りまくったのは、言うまでもない。
頭が真っ白になり、慌てふためいて平謝り。
人をキズつけた場合、キズつけた相手に謝るのが常道だが、当の本人は亡くなっていてウンともスンとも言わず。
だから、代わりに遺族に向かって平身低頭、謝罪した。

悲しみの面前でそんな粗相を見せられては、遺族もたまったものではない。
しかし、傷が小さかったせいか、出血量が少なかったせいか、それとも失態に縮みあがる私が不憫に思えたのか、遺族は文句の一つも言わずに赦してくれた。

遺体に治療は無用。
腐ることはあっても、治ることはないから。
そうは言っても、故人の指をそのままにしておく訳にはいかず。
私は、治るはずもない指にバンドエイドを貼って場をしのいだのだった。


故人は、年配の女性。
もともとの小柄に痩身が加わって、子供のように小さな身体。
最期は穏やかに迎えたのか、いい夢でもみているかのように、その表情は安らかなものだった。

ほとんどの遺体は、亡くなってから両手を組まれる。
心情的には〝合掌の代わり〟ということらしいが、実務的にもその方が都合がいい。
ブラブラと両腕が遊んだ状態では、何かと作業の邪魔になるから。
だから、近年では、太った故人や硬直の甘い故人・・・つまり、手を組ませづらい遺体専用の固定バンドなんて便利なものもある。
ちなみに、病院によっては、包帯や浴衣の帯紐を、痛々しいほどグルグル巻きにしているところもあるが・・・

しかし、着衣を着せ替える際には、組み合わされた手は解かなければならない。
そうでないと、服の袖に腕を通せないからだ。
この、手を解く作業や腕(肘間接)の硬直をとる作業は、そんなに難しくないのだが、たまに至難の場合がある。
重度の硬直がある場合や、ドライアイスで凍っている場合だ。
この場合は、一手間も二手間もかかり、往生することも間々ある。

この時の故人が、まさにその状態。
組まれた両手は、死後硬直を通り越し、ドライアイスで凍結。
結果、私は、冷たくて固い手と格闘することになった。

私は、少しずつ凍結を溶かしながら、少しずつ指を動かしながら、黙々と作業。
しばらくの時間を要することがわかっていたため、遺族は拘束せず。
故人を一人にするのに気が咎めたのか、それとも、私の作業に興味があったのか、それでも、2~3人の遺族が私と故人の傍に残って、私の作業を眺めていた。

そんな最中・・・
あと少しで、両手が分離しそうになった時、結果を急いた私は、思わず力んでしまい・・・
すると・・・〝ポキッ!〟と冷たい音・・・
そう、それは、故人の指の骨が折れた音だった。

私が焦りまくったのは、言うまでもない。
頭が真っ白になり、慌てふためいて平謝り。
人をキズつけた場合、キズつけた相手に謝るのが常道だが、当の本人は亡くなっていてウンともスンとも言わず。
だから、代わりに遺族に向かって平身低頭、謝罪した。

凍り付いていたのがわかっていたためか、老人の骨が弱いことの認識があったためか、それとも失態に縮みあがる私が不憫に思えたのか、遺族は文句の一つも言わずに赦してくれた。

遺体に治療は無用。
腐ることはあっても、治ることはないから。
そうは言っても、故人の指をそのままにしておく訳にはいかず。
私は、治るはずもない指に包帯を巻いて場をしのいだのだった。


この二件は、遺族に怒られても・クレームをつけられても仕方がない失態。
しかし、遺族は、何も言わずに見逃してくれた訳で・・・
その心痛を思い起こすと、申し訳なく思う気持ちが甦ってくる。
ただ、今の私が私でいられるのも、痛みを治療してきたから。
人に痛い思いをさせながら、自分も痛い目に遭いながら、何かを変えてきたから。
思い返すと、無駄な痛みは一つもなかった。


痛みは、身体だけのものではない。
身体に感じる痛みとはまったく異なるけど、心にも痛みを感じることがある。
不安・心配事・寂しさ・悲しみ・罪悪感・同情etc・・・
色んなことに起因する痛みがある。

では、人は何故、心に痛みを覚えるのだろうか。
心の痛みを抱えるのだろうか。
心の痛みなんか、ない方がよくないだろうか。
しかし、痛みはなくならない・・・

悲しいかな、人間は、生きているうちに、汚れ・傷み・悪くなる性質を持つ。
そんな心は、いわば、病気にかかった・ケガを負ったような不健康な状態・・・
そんな不健康な人生に問題があるとわかっていても、それでも、そこから抜け出せない。
健康的に生きることに人生の価値があるとわかっていても、それがなかなかできない。

身体の痛みがその身を正すのと同じように、心の痛みもその心を正すのかも・・・
心の痛みは、心を正しい状態に置くために必要なものなのかも・・・
ツラいことではあっても、心に痛みを感じることは、人間にとって必要なことであり、大切なことなのかもしれない。


「イテテ・・・」
そんな時でも、暗くなることはない。落ち込むことはない。
心に・身体に痛みを覚えたら、それはきっと、心のどこか・身体のどこかが良くなっていくためのチャンスが与えられたのだろうから。






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