特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ある依存症

2010-10-25 17:13:05 | Weblog
日常生活に、携帯電話は欠かせない存在になっている。
ケータイがなくても普通に過ごせていた、若かりし日々がウソのよう。
今や、車や服と同様、生活必需品になっている。
ただ、なにもこれは、私に限ったことではあるまい。
今の世の中、多くの人が同じではないだろうか。

そんな携帯電話だが、その機能はスゴイことになっている。
“電話”の域をとっくに超えている。
しかし、そんな機能に縁のない“デジタル弱者”の私は、電話とメールが主な用途。
あと使うのは、時計・カレンダー・電卓、たまに写真を撮るくらい。
インターネットは、渋滞情報と天気予報をみる程度。
まったくもって使いこなせていない。

先日、そんな携帯電話を会社に忘れて現場にでたことがあった。
ケータイを持っていないことに気づいたのは、出発後しばらくたってからの移動中。
あって当り前のモノ・身体の一部みたいになっているモノが、なくなってしまうと焦るもの。
「どこかに落とした?」と不安が過ぎり、心臓が急にバクバクしてきた。
しかし、動揺してばかりもいられない。
その在処を突き止める必要に迫られた私は、出社時から事務所を出るまでの動きを脳裏に追った。

しばらく考えたところ、私の頭には、ケータイを事務所に置き忘れた様が浮上。
「どこかに落としでもしてたら大変!!」と、焦りに焦っていただけに、それを思い出して大きな安堵感に包まれた。
次に、思考は、“この事態をどう収拾するか”に移行。
私は、取りに帰ろうかどうしようか迷った。
Uターンすると、依頼者との約束に間違いなく遅刻してしまう。
しかし、ケータイがないと、何かと不便。
私は、その日に予定していたことを順に並べて、それがケータイがなくてもしのげるものか、それとも、ケータイがないとダメなものか比較考量した。

「ま、今日一日くらいは大丈夫かな・・・」
現場に遅刻していくことの気マズさや、取りに帰ることの面倒くささも手伝って、私はそこに着地。
結局、その日は、ケータイなしで過ごすことを覚悟。
大きな不安と小さなチャレンジ精神、ほんのちょっとの遊び心で、一日を乗り切ってみることにした。

幸いなことに、その日は、大きな問題は発生せず。
ただ、その不便さを痛感した。
更に、滑稽な振る舞いを連発。
「今日はケータイを持ってないことを皆に知らせとかなきゃ!」
と、ケータイを持っていないことを忘れて電話をかけようとしたり、時刻を見ようとしたり、渋滞情報を見ようとしたり・・・幾度となくケータイを手で探った。
そして、その度に、ケータイがないことに気づくような始末で、自分の頭の悪さに苦笑いした。
とにもかくにも、アナログ人間を自認している私でも、自分が思っている以上にケータイに対する依存度が高いことを思い知らされたのだった。


亡くなったのは、50代の男性。
病気による、急死だった。
依頼者は、その兄。
突然の出来事に、遠方から駆けつけていた。

現場は、片田舎に建つ一般的なアパート。
同じ敷地内には、同じ造りのアパートが何棟か建ち、大家宅も隣接したところにあった。
部屋は、一般的な2DK。
その雰囲気は、“中年男性の独り暮らし”そのもの。
室内は結構な散らかりようで、台所の隅には、酒の空瓶や空缶が山と積まれていた。

汚染は、ベッドの上に残留。
発見が早かったとみえて、死痕は人型を形成せず。
そのほとんどは、「腐敗液」と言うよりも大量の血液だった。
私は、念のため、血液がベッドを貫通していないかどうかを観察。
遺体液の床への付着の有無は、その後の復旧に大きく影響することなので、それを事前に確認しておくためだった。

遺体液汚染は、ベッドだけではなかった。
ベッドから台所にかけての床には、血痕が点々・・・
そして、それはトイレにつながっていた。
扉を開けた先の便器と床は、濃淡のあるワインレッド染まり・・・
気分を悪くした故人は、トイレに駆け込み吐血・・・
それから、ベッドに倒れ込み、大量の血を吐きながらそのまま亡くなったものと思われた。


室内の見分を終えた私は、外で待つ依頼者のもとへ。
すると、その傍らには、依頼者と親しげに話す男性が一人。
それは、アパートの大家だった。
私と依頼者の話は、部屋の原状回復にも関係することなので、依頼者が呼んだようだった。

故人は、無類の酒好きだった。
それは、依頼者も大家も認識。
ただ、故人は飲んだくれてばかりいたわけではなかったよう。
一つの会社にながく勤め、仕事も真面目にしていた。
また、家賃の滞納や近隣住民とのトラブルもなかった。

そして、故人は、大酒飲みではあったが、酒癖は悪くはなかったよう。
どちらかというと、酒癖はいい方。
酔うと陽気になり、上機嫌に。
「宵越しの銭は持たない!」とばかりに、店に居合わせた見ず知らずの人にも気前よくおごっていた。
実際、故人は大家を誘い出し、地元の居酒屋で御馳走したことが何度もあった。

しかし、そんな故人も歳には勝てず。
肝臓を悪くし、通院療養を余儀なくされた。
しかし、それでも、酒をやめず
結果、重症の肝硬変で、人生を終えたのだった。

「○○さん(故人)は、酒が好きだったからねぇ・・・」
「給料日には、よく誘ってくれましたよ・・・」
と、大家は、懐かしげに溜息をついた。
「好きな酒を好きなだけ飲んで、本人は本望かもしれませんけど・・・」
「後の迷惑も考えてほしかったですよ・・・」
と、依頼者は、寂しげな溜息をついた。
「苦しかったんじゃないだろうか・・・」
「遠のく意識の中で、何を思っただろうか・・・」
と、私は、黙って小さな溜息をついた。
そこには、死に対する悲しみの雰囲気も、“大家VS遺族”の険悪な雰囲気もなかった。
ただ、一人の人間がいなくなった事実を示す神妙な空気・・・そこには、決して冷たいわけではない、温かみのある淡々とした空気が流れていた。


誰の言葉か知らないけど、よく「人は、一人では生きていけない」と言われる。
なるほど、そう思う。
人は、常に、誰かに・何かに依存しながら生きているものだと思う。
私も、人やお金、その他諸々に依存して生きている。
そしてまた、“死”にだって依存している。
私は、死に依存することによって、苦悩を薄めたり、幸福感を濃くしたりするのである。
しかし・・・はたして、これは正しい観念だろうか・・・

常々、私は“死”を意識して生きることの大切さを訴えている。
しかし、それは、プラスに作用するとは限らない。
短絡的な思考を助長したり、空虚感を大きくしたりすることがある。
また、目を逸らしてはいけないものから目を逸らすことを正当化したり、誤魔化してはいけないものを誤魔化すことを促したりする。
時々、思う・・・
結局のところ、「死を意識する」なんて上段構えをみせていても、単に、真実から目を背け、自分を誤魔化しているに過ぎないのではないかと・・・
単に、自分は、“死依存症”に罹っているだけなのかもしれないと・・・
・・・そうだとしたら、自分がもの凄く恐くなる。

苦悩からの救済と幸福への到達は、そんな“依存”からは導き出されないような気がする。
“依存”ではなく、“対峙”すること・・・死に依存するのではなく、死に対することから、導かれるのではないかと思う。
従うべき死に対するとき、人生は輝くのではないか・・・心の闇は消え失せるのではないか・・・
そしてまた、死に対して生きることの大切さを知るために、直向きに生きなければならないとあらためて思うのである。



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天居

2010-10-15 16:50:00 | Weblog
呼ばれて出向いたのは、狭い路地が交錯するエリア。
界隈の道路は、普通乗用車一台がやっと通れるほどの狭いものだった。
現場は、その中に埋もれるように建つ古い一軒家。
向かいの建物との距離も短く、両隣と同一の建物かと間違うくらいに隙間なく建てられていた。

パッと見は普通の一戸建。
「アパート」と聞いてやって来た私は、住所を間違えたものと錯覚した。
しかし、よく見ると、その建物には二階に向けて外階段が設置。
二階の一室を貸し部屋としているようだった。

故人の部屋は、その二階の一室。
階段を上がるまでもなく、私の鼻には嗅ぎなれた異臭が入ってきた。
一階が大家の住居。
私は、先にそちらを訪問した。

一階玄関も、かなり古い造り。
インターフォンはもちろん、呼鈴もなかった。
私は、とりあえず、戸をノック。
しかし、中から反応なかった。

私は、玄関前から大家宅に電話。
携帯から聞こえる発信音と屋内から聞こえる電話の受信音を重ねて聞きながら、誰かが電話にでるのを待った。
そして、待つこと数十秒。
少しすると、高齢を感じさせる女性が、電話にでた。

私が用件を伝えると、女性は、玄関の戸を開けるよう指示。
そして、そこから中に入るよう私を促した。
当初、玄関口で話しをするつもりだった私。
しかし、女性は足が悪いようで、結局、そのまま女性宅に上がり込むことになった。

二階からの異臭が下に降りているとみえて、濃度は高くないながらも、それは女性宅にも滞留。
しかし、大家女性は、そんなこと意に介していない様子。
「ずいぶんニオイますねぇ・・・」と同情したつもりの私を、「腐らない人間なんていやしませんよ」と一蹴。
お株を奪われたかたちとなった私は、気マズさをともないながら、促されるまま黙って居間の椅子に腰掛けた。


第一発見者は、引越し作業を請け負った、引越業者。
異臭は、その数日前から漏洩していたのだが、大家女性も近所の人も原因を察知できず。
怪訝な思いを抱きながら、数日をやり過ごしてしまった。
そして、皮肉にも、引越し予定日の前日、連絡がとれないことを不審に思ってやってきた引越業者に発見されたのだった。

故人は、初老の男性。
このアパートには、二十数年暮らしていた。
その年月に、女性は深い想いがありげ。
その年月は、二人の間柄を、ただの家主と賃借人ではなく、知人と家族の間みたいなものにしていたようだった。

その人間関係は良好ながらも、故人は、このアパートからの転居を準備。
引越業者の手配も済み、引越予定日も決まっていた。
それは、故人から言い出したことではなく、大家女性の提案。
先々のことを考えてのことだった。

年齢を重ねて女性の身は衰えるばかり、家屋も老朽化する一方。
その中で、女性は、自分が死んだ後のことを考えるようになった。
自分が死んだ後、土地家屋を相続する子や、そこに暮す借主に迷惑をかけないようにするためには、どうすればいいか・・・
結果、自分が生きているうちに大家業は廃業すべきと判断したのだった。

女性は、そのことを故人に提案。
自分が逝ってしまう前に、次の住処を考えるよう促した。
女性の意向を理解した故人は、身の振り方を一考。
単に住む家のことばかりではなく、先の生き方についても女性に相談しながら転居計画を練っていった。

故人に妻子はなく、ずっと独り身。
気楽な賃貸アパート生活が気に入っているようだった。
しかし、自分が死んだときのことを真剣に考えると、自分の気楽さばかりを優先してもいられず。
大家女性の、ものの考え方や生き方に感化されてか、故人は、賃貸生活をやめて不動産を買うことを選んだ。

故人が買ったのは、中古のマンション。
場所は、アパートの目と鼻の先。
ながく暮らしたこの地域に愛着があったとみえて、当初から、転居先は近くにするつもりだったよう。
そして、自分の身の丈にあったマンションを見つけて買い受けたのだった。


現場となった二階の部屋は、四畳半に毛が生えた程度の狭い部屋。
風呂はなく、トイレは室外。
小さな流し台があるのみで、ガスコンロも満足に置けないくらい。
今の人は見向きもしないであろう、一時代も二時代も前のレトロな造りだった。

部屋には、強烈な悪臭と蒸された空気が充満。
そして、目の前には凄惨な光景。
更に、お約束のウジ・ハエが大量発生。
故人にとって“住めば都”だったはずの部屋から、その面影は失われていた。

汚染痕は、人型となって、部屋の一部を占有。
それは平面的ではなく、立体的に浮き上がり、腐敗進度の深刻さがイヤでも伝わってきた。
頭部痕には、大量の毛髪が残留。
白髪混じりの短髪が、私の脳裏に故人の年齢と風貌を浮かび上がらせた。

目につく家財生活用品は少なめ。
また、大型の家具や家電はなし。
部屋の四方には、数多くの荷造りされたダンボール箱。
大家女性が言っていた通り、引越の準備が進められていたようだった。


部屋を確認した私は、再び一階の大家宅へ。
グロテスクな表現を控えながら、物理的な状況を伝えた。
それを聞く女性は、いたって冷静沈着。
私の説明に興味なげに、一方的なうなずきを小刻みに繰り返した。

“腐乱死体発生”となると、身も心も騒がしくする人が多い。
大家女性のように、迷惑を被っている側の人は尚更。
しかし、この大家女性は、それを感じさせず。
それどころか、何かよいことがあった風にもとれる不可解な雰囲気を醸しだしていた。

せっかく買ったマンションに越す直前に亡くなった故人・・・
私は、人生における切なさと先の不透明さを痛感し、そこに起こる皮肉な出来事を憂いて表情を固くした。
しかし、それとは逆に、大家女性は、いたって穏やかな表情。
「○○(故人)さんはね、いいところに越していったんですよ・・・」
「真剣に生きてきたから、神様がね、“もういいよ”って天国に入れてくれたんだと思いますよ・・・」
と、穏やかにつぶやいた。
そして、返事ができないでいる私を、
「歳を重ねていけば、そのうちわかりますよ・・・」
「ただね・・・人生は、過ぎてみると短いものですから、よ~く考えて生きないとダメですよ」
と諭し、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

死後の世界観は、人それぞれにあるだろう。
知人の中には、“死=無”と捉えている人が少なくない。
そういった人達からすると、大家女性の死後観は違和感があるかもしれない。
しかし、その時の私は、違和感を覚えなかった。
それは、“死≠無”とする観念を元来持っているからではなく、ただただ、大家女性が人生で得た何かの確信がそう理解させたように思えた。


やがてくるこの世からの転居日。
それが、いつ、どのようなかたちでくるものか、知る由もない。
その日を楽しみに待つことはできないかもしれない・・・
覚悟して悟ることもできないかもしれない・・・
しかし、その日が来ることを覚えながら生きることはできる。

そうすると、日々、新たな気づきが与えられる。
自分の精神をどこに住まわせるべきか・・・
今の今の今、大切にしなければならないことは何か・・・
本当は、身近にいるその人を、大切にしなければならないのではないか・・・
そのために、何をどう考え、どう動くべきか・・・
それを考えながら、真剣に生きる・・・死に向かって全力疾走する・・・

地獄のように感じられることが多いこの現世だけど、大家女性の言っていた天国への道は、そんな生き方からつくられてくるのかもしれないと思った。


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