特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

やる? やらされる? ~受動編~

2010-04-28 07:06:14 | Weblog
「死後一ヵ月」
「ニオイがヒドイ!」
「とても中に入れない」

ある暑い季節、粗め口調の男性から、そんな電話が入った。
私は、その口から発せられる一つ一つの言葉にもとづいて、頭の中で現場の状況を映像化。男性の説明を幾重にも重ねながら、その画を鮮明にしていった。

現場は、車通りに面して建つ一般的なアパート。
その二階の一室だった。
現れたのは、30前後かと思われる男女。
口を使った挨拶はなく、浅い会釈が一度きり。
その第一印象は、あまりいいものではなかった。

二人とも愛想はなく、何となく不機嫌そう。
ソワソワと落ち着きがなく、視線も浮遊。
私は、「状況が状況だから、無理もないか・・・」と、二人の物腰に不満を抱こうとする自分をなだめた。

男性は、緊張した面持ちで、手をポケットに。
そして、一言、「お願いします」とだけ言い、私に部屋の鍵を差し出した。
その態度は、“さっさと部屋を見てこい!”“仕事なんだから当然だろ?”と言っているようにも見え、私はちょっとした違和感を覚えた。

大家か不動産会社やったものだろう、玄関ドアの隙間には四角く目張り。
しかし、せっかくの目張りも虚しく、玄関前には濃い異臭がプンプンと漏洩。
私は、ドアや枠に糊を残さないよう、その目張りを慎重に剥がし、鍵穴に鍵を刺し込んだ。

小さくドアを開けた私は、その隙間に鼻を近づけた。
そして、室内の空気を吸引。
そこから繰り出されてくる悪臭パンチに、鼻を曲げられながら、また、呼吸を止められそうになりながら、その臭気を観察した。

その悪臭は、高気温も相まって極めて高濃度。
私は、“逃げない”と決意し、また、“逃げられない”と諦めて、首にかけていた専用マスクを装着。
2~3回ほど試呼吸して後、素早く室内に身を滑り込ませた。

ドアを開ける前から、土足で上がり込むつもりだった私。
念のため、上がり口で一時停止して床を観察したが、予想通り、室内に土禁の雰囲気はなし。
迷うことなく、靴のまま室内に踏み込んだ。

狭いキッチン廊下の向こうが、一部屋のみの居室。
玄関からそこまでは、ほんの数歩、ほんの2~3秒。
その居室に入るや否や、日常の生活にはない色が目に飛び込んできた。

部屋は1K。
窓には無数のハエが集り、その下には死骸の黒山。
部屋の中央に汚腐団があり、半身は布団に、残りの半身は床に溶け出し・・・
その液体が人の形を成し、故人の影となって残っていた。

部屋の中には、外気よりも一段と高い熱気と腐乱臭が充満。
私は、汗腺と臭覚への刺激に嫌悪感を覚えて、一箇所に停止。
目に入る光景を意識して脳裏に焼き付けながら、そこから、上下左右と部屋を見回した。

狭い部屋の見分に、大した時間はかからず。
また、大した時間をかけたくもなかった。
入室から数分後に部屋を出た私は、外気の涼しさと悪臭から開放されたことに爽快感を覚えながら、いつもの癖で青い空を仰いだ。

わずかな小休止の後、私は、自分に着いたニオイを後ろにやりながら階下へ。
そして、自分が見てきた状況を二人に説明をするため、私を待つ二人に近づいた。
すると・・・

「ノートパソコンがあるはずなんで、持ってきてもらえません?」
男性は、そう一言。
いきなりの雑用指示に面食らった私だったが、“ま、それくらいのことならいいか・・・”と、とりあえず承諾。
再び、腐乱サウナと化した部屋に向かった。

部屋に入ると、テーブルの上に目当てのパソコンはあった。
私は、配線を外し、それを抱えて外へ。
そして、憮然と男性に手渡した。

男性は、渡されたパソコンに鼻を近づけて仰天!
顔を顰めながら、何やら女性と相談。
結局、持って帰ることにしたらしく、用意してきた大きなバッグにそれを収めた。

「液晶テレビがあったでしょ?それ持ってきてもらえます?」
何を言い出すかと思ったら、男性は、“次はTVを持ってこい”と言う。
私は、強い抵抗感を覚えたが、“ついでだから!ついでだから!”と自分に言い聞かせて嫌がる足を再び部屋に向かわせた。

それから、男性は、金目のモノを持ち出すことを次々と私に指示。
そして、持ち出されたモノの臭いをいちいち嗅ぎながら、いそいそとバックに収めていった。
一方の私は、断るタイミングを完全に失い、部屋と外を数回往復。
腹に抱いた不満を膨張させながら、また、臭い汗をかきながら、男性が命じる雑用をこなしていった。

金目のモノとおぼしき品々を一通り持ち出した後、私は、肝心の特殊清掃撤去の見積書を製作。
売上利益を損なわないよう、かつ、できるだけ明瞭に作成。
その上で、必要な作業内容と、それにともなう経費を丁寧に説明した。

しかし、二人は反応薄・・・
部屋を片付けることなんかに興味はなさそうに、生返事ばかり・・・
私と目を合わせようともせず、携帯電話を開いたり閉じたり・・・
私の話が終わったかと思ったら、何の質問もせず、大きなバッグを両肩に抱えて、そそくさと立ち去って行った。

そんな二人の後姿に、私は、“うまく使われた”ことを察知。
追いかけて行って文句の一つも言ってやりたいような衝動に駆られたが、そんなことができるはずもなく・・・
膨らむ一方の不満を持って行くところもないまま、現場を後にしたのだった。


私の仕事のうち、特殊清掃・遺品処理・不用品処分・消臭消毒の類は、事前の現地調査が不可欠。
それは、金銭のやりとりが発生しない業務。
原則として、無償で実施するものなのだ。

「無償」と言っても、それは、あくまで依頼者側の話。
人件費や交通費・駐車場代など、当社にとっては相応の経費がかかる。
必要経費として納得はしているものの、負担がないわけではないのである。

したがって、現地調査で行うのは、原則として現場を見ることのみ。
作業らしい作業は行わない。
しかし、現場の雰囲気や依頼者の事情によっては、そういかないことがある。
“乗りかかった舟”ということで、ある程度の作業を無償でやることがあるのだ。

ただ、お金をいただかないからといって、100%のボランティア精神をもって行うわけではない。
「依頼者の心象をよくするための事前サービスとして行う」と言った方が正しいと思う。
仕事でやる以上、売上利益を視野に入れた下心、売上利益を上げることを目的にした打算があるのだ。

上記のエピソードでも、当初、私の中にそんな打算があった。
二人に悪意があったかどうかに関係なく、私には、その指示を阻む自由もあったわけで・・・
冷静に考えてみると、私は、この二人を一方的に非難できる者ではないことがわかってくる。

しかし、残念だけど、今でも、このことを思い出すと頭に血が上ってくる。
“そんな度量じゃダメ”とわかっていても・・・
こんな私は、この先、「人の役に立てたんだから、それでいいじゃん!」と考えられる人間になれるのか、なれぬのか・・・
確証のない半生を前に、微妙な岐路に立っている。


岐路は、毎日にある。
能動的にやって爽快感を得るか、受動的にやらされてストレスを抱えるか・・・
“やる”のか“やらされる”のか・・・
その選択が、自分に明るい人生を切り開かせるか、また、自分を暗い人生に引きこもらせるかを決めるのだと思う。

変わりばえのしない仕事や用事が、毎日毎日、自分に圧し掛かかってくる。
そして、そのほとんどを、仕方なくこなす。否応なくやらされる。
しかし、刻一刻と過ぎる人生の中で、いつまでもそんなところ(マインド)に自分を置いておきたくはない。
だったら、多用のうちの一つでもいいから、小さなことでもいいから、仕方なくやっていることを能動的にやってみてはどうだろう。
それだけで、自分の心は喜ぶと思うから。今日が変わると思うから。

今日が変われば、明日が変わる。
明日が変われば、明後日が変わる。
一日一日が変われば、人生が変わる。

まずは、今日一日。
今日一日を、がんばろ。ね。








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ウ○コ男Ⅱ

2010-04-18 11:57:54 | Weblog
今もあると思うけど、私が小中学校の時分、“身体検査”なるものがあった。
身長・体重をはじめ、視力・色覚・聴力などを測るのだ。
私は、子供の頃から視覚も聴覚も良好。
視力は、加齢にともなって衰えてはいるものの、今でも両眼1.0(調子のいいときは1.5くらい)は維持している。
人として、見なくてはならないものがいまいち見えない難点はあるけど、その健康が守られていることに感謝している。
聴覚も、右耳に若干の難聴を抱えているものの、日常生活や仕事に支障がないレベル。
人として、聞かなくてはならないことがいまいち聞こえない難点はあるけど、その健康が守られていることに感謝している。

視覚・聴覚とくれば、触覚・味覚・嗅覚と続くが、後者は身体検査になかった。
それらからも、隠れた病気や健康状態が把握できると思われるのに、その術は用意されていなかった。
感覚のレベルを数値化しにくいからだろう。
それだけ、“ニオイ”ってやつは、デリケートかつ複雑。
“いい匂い”と“悪い臭い”は表裏一体・紙一重。
香水の匂いだって濃すぎれば悪臭になるし、食べ物の匂いも、その濃度によっては不快臭となる。

特殊清掃は、臭気(悪臭)を相手にしなければならない仕事でもある。
場合によっては、“腐乱死体のニオイがする人間”なんてことにもなる。
しかし、そんな環境に長年いても、肉体に“染み付く”ということはない。
よく、“悪臭は長年のうちに身体に染み付いて、風呂に入っても落ちない”・・・“悪臭が、その人固有の体臭になる”みたいに思われがちだけど、そんなことはない。
洗えば落ちる。簡単に。
逆に言うと、洗わないと落ちない。
だから、風呂に入るまでの間は、店に寄ったり誰かと会ったりできないわけ。

作業服のニオイは、着替えれば片付く。
手や顔も、洗うか拭けばほぼOK。
厄介なのは、頭髪。
頭髪は、出先で洗えないし、拭ききれるものではないから。
結果、頭上からプンプンと悪臭を放つ、“ウ○コ男”になってしまうのである。

あくまで自己判断だが、私の場合、その嗅覚は平均的なレベルだと思う。
ズバ抜けて敏感でもないし、人並みに及ばないくらい鈍感でもないと思っている。
しかし、そんな嗅覚が鈍化するときがある。
一つは、“慣れ”。
同じような経験を持つ人は多いと思うけど、同じニオイを嗅ぎ続けていると、そのニオイがわからなくなってくるのだ。いい匂いでも、悪い臭いでも。
もう一つは、自分の体臭。
一時的に付着した腐乱臭はわかるけど、いわゆる、“加齢臭”というヤツは、自分でわかりづらい。
どこからどう見ても“お兄さん”・・・じゃなく“おじさん”の私は、加齢臭があって当然なのだろうが、自分では、それを感じないのだ。
臭気相手の仕事をしているのに、何とも御粗末な有様である。


“自分のことなのに、自分ではよくわからないこと”って体臭ばかりではない。
自分の長所もそうではないだろうか。
自分の短所は、嫌気がさすほどわかるのに、長所にいたってはなんとなく程度にしか認識できない・・・
自分のダメなところばかりに気がいき、結果、自分に“ダメ人間”の烙印を押す・・・
自分を含め、そんな底なし沼にハマッてる人が多いような気がする。

ちなみに、私の短所(ほんの一部)を列挙してみると・・・
(※無駄な行数が増え、かつ自分が惨めになるため、身体的な短所は除外)
猜疑心が強く、何事も斜めから見るクセがある。
口から出る言葉は、愚痴や弱音や人の悪口が大半。
気が短く、苛立ちやすい。
神経質な性格で、細かいところまで気になる。
何事も悲観的に捉え、発想の起点はいつもマイナス。
努力が嫌いで、自分の不遇を他人のせいにしがち。
忍耐力がなく、楽な道ばかりを探している。
愚痴っぽく、弱音ばかり吐いている。
根性がなく、何事に対しても弱腰。
理性を欲望が支配している。
臆病で、チャレンジ精神に欠ける。
内向的で暗い。
人に厳しく自分に優しい。
利己主義、自己中心、ワガママetc・・・
人に対して、良心どころか悪い思いばかりを抱き、親切にするどころか親切にされないことに不満ばかりを抱き、同情心は薄っぺらく、慈愛の精神よりも自愛の精神の方が旺盛。
・・・と、短所は尽きない。
ブログでは偉そうな理想論を展開しているけど、実態はその程度なのである。

では、長所はどうだろうか・・・
仕事はちゃんとやっている。
社会的な義務は果たしている。
人に迷惑をかけないように心がけている。
それなりの責任感と使命感は持っている。
・・・って、いくつかは挙がるけど、これって“長所”と言えるものだろうか・・・どうも“長所”という感じがしない。
“長所”って、もっと性格や性質に近いところにあるものを指すのではないかと思う。

そんなことを考えているうちに、あることに気がついた。
自分の長所がわからない私の長所とは、“自分の短所がわかること”なのではないかと・・・
つまり、“自分の短所を短所として理解していることが、自分の長所”ということ。
更に、考えを進めていくと、“自分には、自分が知る短所の分だけ、自分が知らない長所がある”というところに至った。
結果、“こんな私にも、結構な長所がある”という結論が導き出された。
算数や数学では習わない方程式だけど、そう考えると、沈む一方の気分が浮きはじめ、良い意味での開き直りにも似た気持ちの軽さを覚えるのである。


世の中、鼻につくことは多い。鼻につく人間も多い。
自分の短所が鼻につくこともある。
しかし、そこで気分を沈めてばかりいては能がない。
ここに大切なことがある。
“鼻につく”のは、臭覚が機能している証拠。
それは、悪臭を遠ざけ、芳香に向かうチャンスを与えてくれる。
更には、自分が、自分に対して・人に対して・社会に対して芳しい香りを放つ存在になれるかもしれない。
そして、それは、その人の大きな長所となり、人生に収穫をもたらす種になるのではないかと思う。
自分に誇れる種に・・・

ブログに好感を持ってくれる人がいるからといって、 “自分は、人や社会に良い匂いを放つことができている”と驕ってはいけない。
ブログに肯定的なコメントをもらうからといって“自分は、人や社会に芳しい香りを放つことができている”と高ぶってはいけない。
ブログに理想論が書けるのも、私に短所が多いから・・・
理想と現実、理想と実態のギャップが大きいから・・・
私は、よくも悪くも“ウ○コ男”・・・真の芳香は醸せない者なのである。
ただ、この仕事が私の宿命なら、いつかは、“たまには良い匂いのするウ○コ男”くらいにはなってみたい・・・
・・・それを志す生き方も悪くないと思っている。

そして、今、こうして不快臭(理想論・偽善性)を放ちながらも、もう一人の自分と読み手の誰かが、その中にあるかもしれない芳香を嗅ぎ分けてくれれば幸いだと思っている。








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やめられない とまらない

2010-04-08 16:35:35 | Weblog
酒だね。
これが、やめられない・とまらない。
飲まずにいられるのは体調や心調が悪いときくらいのもので、休肝日なんて、それこそ新聞の休刊日くらいの日数しかないかもしれない。
特に、激しい労働をした日は“自分への御褒美”で、酒量が増してしまう。

前にも書いたが、最近のマイブームはウイスキー。
相手は、安モノばかりをだけど、それでも美味い酒はいくつもある。
費用対効果(値段と味のバランス)がいいのは、ディスカウント酒屋で買う12年モノの輸入スコッチ。
これを、酒屋の主人のアドバイスを元に、品定めをするのだ。

ただ、そんなウイスキーにも難点はある。
脳が強くやられるのだ。
他に酒だと、酔ってもそこそこの思考を働かせることができるのに、何故か、ウイスキーは脳が思うように働かない感じがする。
ただの飲み過ぎ? 酔っぱらいの気のせい? 科学的根拠はない?・・・でも、そんな気がしてならない。
そんな具合だから、ウイスキーは一人飲みのときに限る。
誰かと飲んでてハメが外れてしまったら、自分が困ることになるので。

やめられない・とまらないものの一つには、仕事もある。
仕事は、やめたくてもやめられない。とめたくてもとめられない。
嫌でも好きでも、生きてくために仕事は必要だから。
しかし、それがわかっていても「やめられるものならやめたい」という雑念が消えない。
大きな感謝と小さなプライドを持ちながらも、そんな思いが頻繁に頭を過ぎる。
・・・感謝と葛藤が交錯する毎日である。

そんな私でも、与えられた使命と責任は軽んじていないつもり。
そんなスタンスが見て取れるのか、たまに、人から、「その仕事は、貴方に向いている」と、褒められているのかそうでないのかよくわからないコメントをもらうことがある。
そう言われて、嬉しいような悲しいような、複雑な思いがする私だが、確かに、後先や回りのことを考えず作業に熱を入れてしてしまうことがある。
「依頼者の期待に応えるため」と言えば聞こえがいいが、それさえも眼中に入れず、ひたすら自己満足を求めて作業することがあるのだ。


「また、でちゃってさぁ・・・」
特掃の依頼が入った。
電話をしてきたのは、建築会社の担当者。
それまでに何度が共に仕事をしたことがあり、また、同い年ということもあって、フランクに話せる相手だった。

「とりあえず、見ないとダメでしょ?」
仕事を始めるうえで、現地調査は欠かせない。
その要領を心得ている彼は、私が現地調査を打診するまでもなくそれを理解していた。

「鍵は開けてあるから、都合のいいときに見てきてよ」
日時を指定されず、しかも、鍵まで用意されている現場はとても動きやすい。
私の動き方を知っている彼は、気を利かせてくれていた。

「どうせ内装はリフォームするから、うちの職人が入れるくらいまで掃除してくれればいいからさ」
最終的には、彼の会社の内装工事をもって原状を回復させるとのこと。
特掃をもって原状回復させなくてよいことに、重くなりかけた私のプレッシャーは軽くなっていった。

「凄いことになってるから、気をつけてね」
彼が言う“凄い”の意味を計りかねたが、百戦錬磨(?)の私は、たいして気にならず。
“故人が倒れていた場所はトイレ”“死後一ヶ月”ということだけを確認して、その他の状況は訊かず電話を済ませた。


出向いた現場は、一般的なアパート。
指定された部屋は、二階の一室。
外から見える窓を見上げると、そこには無数の動く黒点。
百戦錬磨(?)の私は、動く黒点にも心を動じさせることなく、脇の階段を駆け上った。

玄関前に立った私は、片方の手に手袋を装着。
そして、ドアノブを回してみた。
すると、打ち合わせ通り、ドアに開錠されている様子。
私は、片手のマスクを口鼻に強く当て、ノブを掴んだ方の手でドアを引いた。

「失礼しま~す」
出迎えてくれたのは、空を乱舞する無数のハエ。
しかし、そのハエらは私を歓迎していない様子。
そんなハエらに挨拶しても仕方ないのだが、私は、いつものクセで一声かけ、中に上がり込んだ。

「トイレは・・・どこかな・・・」
私は、頭上を飛び交うハエを掃いながら、故人がいたトイレを目指して、一歩・二歩と前進。
トイレの扉を見つけた私は、心の準備を整える間もなく、ハエに追い立てられるようにその扉を開けた。

「オイオイ・・・」
白いはずの便器は、まるで、ソースやチョコレートを塗りたくったような様相に。
更に、壁面の四隅には、ウジが登ったことによって付着した腐敗脂が二等辺三角形に残留。
また、下を見ると、汚泥のような液体が床を覆い尽くし、その中を無数のウジが蠢くことによって脂に光が映り、それが不気味な光沢となって視覚に入り込んできた。

「これじゃ、職人は入れないわな・・・」
そこに一般の大工職人が入れないことは、一目瞭然。
仮に、入れても、ドロドロ・ベタベタのまま大工仕事ができる訳はなく・・・
“職人が入れるくらいの掃除でOK”“凄いことになってる”という彼(依頼者)の言葉が甦り、その言葉に納得した私だった。

「やりますよ!やりますよ!やればいいんでしょ!やれば!」
私は、誰に愚痴るわけでもなく、冗談めかして自分と会話。
因果な仕事をしている自分と、それを客観視する自分とを対比させて、一人苦笑い。
不謹慎かもしれないけど、気持ちが折れないようにするため、そんなノリを自分に持たせた。


これは、今まで何度となく書いてきていることだが、特掃作業においては、着手時からその後にかけて自分の心情に変化があるのが常。
着手時の相手は“汚物”なのだが、作業進行とともに、その相手は、人(故人)に変わってくる。
更に、特掃魂がヒートアップすると、その相手は自分に変わってくる。
そして、自分がやれるところ・自分が納得できるところに到達するまで・・・つまり、自分を満足させられるまで、作業の手がとめられなくなることがあるのだ。

本件のトイレ掃除もそう。
初めのうちは、汚物で手が汚れることにも強い抵抗感があった。
しかし、液体人間でドロドロになったスリッパやタバコ、眼鏡を拾い上げていくうちに、汚物が人(故人)に変化。
同時に、特掃魂に熱がこもり始め、そのうち、便器の中に手を突っ込んで腐敗粘土を掻き出すことも、顔に飛び散る腐敗液を肩で拭うことも、作業服を汚しながら這うことにも抵抗感がなくなっていった。

もちろん、生前の故人を想像したところで、その生活ぶりや顔・姿まで知ることはできない。
しかし、汚物となったものが間違いなく生きた人間であったことと、故人がそうなりたくてなった訳ではないことは容易に察することができた。
そして、そんなことを考えると、必然的に作業の手は止まらなくなり・・・
結果、便器が元の白色を取り戻すまで、何度も何度も磨き上げたのであった。


生きること・・・
これもまた、やめられない・とまらないものの一つである。
しかし、それが、“やめたいもの”“とめたいもの”になってしまうことが少なくない。

人生は、やめたくなくても、いつか、やめることになる。
自分の力を超えた自然の摂理によって、いずれ、やめさせられる。
生きる営みは、とめたくなくても、いつか、とまることになる。
自分の領域を越えた自然の摂理によって、いずれ、とめられる。

その時を「黙って待て!」とは言わない。
泣きながら、愚痴りながら、不満をたれながらでもいい。
とにかく、待てばいいのだ。心配せず。
待つことによって、少しずつ自分が生きている意味がつかめてくるから。
そして、人生の終わりは、自分が思っているほど遠いところにあるわけではないから。










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