特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

BBQ(前編)

2007-03-30 08:31:23 | Weblog
私は、人付き合いが苦手でネクラな印象を持たれているかもしれないけど、意外にアウトドアレジャーが好きなのである。
まぁ、「アウトドア」と言っても、海や山などのアクティブ・アドベンチャー系ではなく、暖かい季節限定・整備されたキャンプ場や公園のお子様系アウトドアだけど。

その逆に、街の雑踏はあまり好きではない(夜の居酒屋は例外)。
そこに居るだけで疲れる。

そんな私は、気持ちのどこかで人間を嫌っているのか、知らず知らずのうちに人が少なそうな所を選んで出掛ける傾向があるのかもしれない。
そしてまた、私が空を好む理由の一つにも、「人がいない」「視界に人が入らない」ことがあるのかもしれない。

学生の頃は、ボロ車に乏しいキャンプ道具を積んで、近場の山や河に出掛けたりもしていた。

学生時代から20代後半くらいまでは、キャンプにも頻繁に出掛けていた。
テントに寝ながら、何日かかけて北海道を半周したこともある。

しかし、残念ながら、ここ数年はキャンプに出掛ける気力と時間がなくなっている。
今は、せいぜい、夏場にバーベキューをやるくらい。
昼間は仕事で時間がないので夜にやるのだが、盛夏には週一くらいのペースでやる。

炭のコンロで焼く肉や野菜が特別に美味しいわけではないんだげど、ささやかな脱日常と静かな夜、そして、ゆっくり飲む酒が疲れた心身を癒してくれるのだ。

昔、キャンプ場から見上げた夜空はきれいだった。
無数の星を眺めながら、自分の将来を考えていたことを、今でもよく憶えている。
将来に対する夢も希望もなく、そうは言っても絶望もなく失望もせず、熱くもなく冷たくもない、空っぽの心を抱えていた。
「俺には、どんな未来が待っているんだろう」
「頑張って生きるしかないよな」
と、軽い溜め息をついていたもんだった。

学生時分は甘々だった私は(今は弱々)、
「このまま、ずっと学生でいたい」
と、甘えた考えを持っていた。
社会人になって、社会的な責任・世の中や他人に対しての責任を負いたくなかった。
適当に働いて、適当に遊んで、適当に生きていきたかった。

フリーター・ニート・引きこもりetc、そんな人が激増しているみたいだけど、私もその気持ちはよく分かる。
私の本性は、そういう人達と紙一重だから。

「臭いんです」
一本の電話が入った。
「臭い」と聞くと、すぐ人間の腐乱臭を想像する私。

残念ながら・・・もとい・・・幸い、臭いの原因は違っていた。
アパートでバーベキューをやったら、部屋中に異臭がついてしまい困っているとのことだった。

「なんだ、そんなことか・・・」
ちょっと拍子抜けした私だったが、特掃に限らず消臭業務も特殊かつ大事な仕事。
私は、気持ちを入れ換えて電話の向こうの男性の話を聞いた。

どうも、部屋には異臭がこもっているようだった。
それに、市販の消臭剤・芳香剤は全く役に立たない様子。

臭いの原因を探るべく、私は男性に質問を投げた。
そして、臭いの原因について、男性から大胆な答が返ってきた。
その答とは、「室内バーベキュー」。
男性は、部屋の中でバーベキューコンロを焚いたらしかった。

「やる前に、室内でバーベキューをやるリスクを考えてみましたか?」
ちょっとビックリした私は、思わず声のトーンを上げた。
「やっぱ、臭いがついちゃうかとは思ってましたけど・・・」
男性は、火事や一酸化炭素中毒の危険性など微塵も思い浮かばない様子で、笑いながらそう応えた。
私は、何も言う気がなくなり、呆れるしかなかった。

「とにかく、部屋を見せて下さい」
いつも通り、まずは現場に行ってみることにした。

現場で会った男性は、電話での印象通り若く、どうも学生らしかった。
そして、入った部屋は確かに異臭が・・・焦げ臭い煙の臭いが、濃く残留していた。
男性の言う通り、室内でやったバーベキューが原因であることは明らかだった。

「ん゛ー、思ってたより深刻ですねぇ」
煙の微粒子は、主に天井から壁上部に付着する。
私は、腕組みをしながら部屋の上部を見上げ、数ある脱臭法と数ある薬剤、それから、限りある男性の予算の組み合せを思案した。
中途半端な作業を何度も試行するより、本格的な方法で一発脱臭を目指した方が得策と考えて、それを男性に提案した。
長年苦労して?作り上げたノウハウなんで、細かい作業手法は省略するけど、なかなか専門的な作業なのだ。

人が死んだ現場でもないので、男性とは雑談交じりの友達感覚で打ち合わせを進めた。

そして、この部屋がこうなるに至った経緯を聞いて、
「その気持ち分かるよ・・・料金、負けとくから元気だせよ」
と言いたくなる私だった。

つづく





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鏡の中

2007-03-28 09:10:05 | Weblog
ひと月半前、ある男性と知り合った。
そして、その男性は、たまに本blogを読んでくれているらしかった。
それは、全くの偶然の出来事だった。

会話を進める中で私は、その男性が醸し出す追い詰められた失望感と、その奥に秘められた熱意に、何となく過去の自分を鏡で見ているような気持ちがした。

今までも、読者との出逢いは何度かあった。
しかし、そのほとんどは仕事の依頼者。
利害が関係してくるので、blogについての会話はほとんどしなかった(私の方から避けてきた)。

Web上の書き込みコメントで読んでくれている人の意見や感想に触れることはあっても、生の読者とblogについて直接話をする機会は稀。
そんな生の声を聞けることは滅多にないので、授業を受ける生徒のように彼のコメントに聞き入った。

彼のコメントを要約するとこうだ。
「筆者はプロライター」
「書かれている内容のほとんどはフィクション」
「女性が男を装って書いている」
等々。

いきなり反論したくなるような意見や耳が痛くなるようなコメントはなかったけど、自分なりの分析結果を真剣に話す彼と、的外れなコメント内容とのギャップが何ともおかしくて苦笑いが止まらなかった。

実際、書き手は私一人だけ。
今まで、一文字たりとも私以外の人間が書いたことはない。

始めの頃のわずかな期間はPCを使って書いていたこともあったけど、少ししてからケータイを使うようになった。
外仕事が多いデスワーカーには、PCよりケータイの方が便利。
そして今は、完全にケータイで書くようになっている。
ケータイで書いた(打った)ものを管理人のPCにメールし、それを管理人がWebサイトにアップするという流れで、本blogは立ち上がっている。

内容は、ノンフィクション。
個人(故人)や現場が特定できないようなアレンジやタイムラグ、私の個人的な主義主張・主観・価値観etcはたくさん織り交ぜているけど。

そして、言うまでもなく、私は女ではなく男。
性格は女々しいかもしれないけど。

男の私は、一日のうちで鏡を見るのはだいたい一回。
朝、出掛けるための身支度を整える時くらいだ。
毎日、何気なく見る鏡。
そこに映るのは自分の顔だ。
一つしかない自分の顔。

私は、たまに自分の顔をしみじみ眺めることがある。
男前かどうかは別として、いい顔をしている時と冴えない顔をしている時がある。
そこには、その時々の精神状態がモロに反映されている。
元気なときはハツラツとした顔だし、暗いときは力のない顔になっている。

ツヤのなくなった肌や小ジワを見ていると、月日の経過を覚えてやまない。
平均年齢まで生きられたとしても、もう半分生きたことになる年代の私。

「なかなかしんどかったけど、何とかここまで生きてきたんだなぁ・・・」
そんな感慨に浸りながら、剃り残した髭を探してアゴを撫でる。

この仕事においても顔の表情は大事。
特に、死体業はサービス業でありながらも笑顔を出しにくい仕事。
それでも、笑顔をだした方が気が利く場面もある。
だから難しい。

相手(遺族)によっては、顔の表情ひとつがクレームの対象になることもある。
「ニヤけているように見えた」
「場に合わない表情をしていた」
等と言われて。
そんなことが原因で、代金回収の際にシワ寄せがきたりするのだ。

幸い、私自身は今までそんなクレームをつけられたことはないけど、今後も気をつけなければならないことに変わりはない。

たとえ二枚目や美人ではなくてもいい、人は自分の面構えを大事にした方がいいと思う。
豊かな表情は、人間だけが持ち得る貴重なものだし、自分の人生に与える影響が大きいから。
もちろん、他人に与える自分の印象・回りの雰囲気に与える影響も小さくないだろう。
しかし、第一には、自分に与える影響が大きいと思う。

「いい顔=笑顔」「いい顔=幸せそうな表情」
とは限らない。
苦悶の顔がいい顔のときもあるし、泣き顔がいい顔のときもある。
それは、人により時により異なるだろう。

私の場合、「いい顔」は心が熱を持っていなければでてこない。
心の熱は、幸福・快楽・喜悦の中だけに帯びるものではなく、苦痛・苦悩・苦悶の中にも帯びてくるもの。
それが、私の生きている証、いい顔の源。

歳のせいで肌のハリやツヤはなくなってきているし、小ジワや白髪も目立つようになっている。
ただ、その全てを素直に受け入れるしかない。

何はともあれ、
「残りの半生は、眉間のシワより目尻のシワを増やせるような生き方をしたいもんだな」
と、鏡の中の自分と相談する私である。






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尻の穴

2007-03-26 09:13:02 | Weblog
今回は、表題の示す通りのビミョーな内容。
読み方によっては下ネタになるかもしれないし、想像力を働かせると食欲が減退するかもしれない。
ま、いつものごとくその辺は気にせずに書き進める。

死体業の一つに「遺体処置業務」がある。
更に、遺体処置業務と言っても色々な作業がある。
基本的な遺体処置業務は、死後処置作業。
その基本となるのが、人体各穴への綿詰めだ。
耳・鼻孔・口、そして肛門に綿を詰める。

人体は、死んだ瞬間から腐り始める。
(生きているうちから腐っている人間もいるかもれないけど)
そんな人体(遺体)からは、体液や腐敗ガスが漏洩しやすくなる。
死後処置は、それを未然に防ぐために必要なものなのだ。

葬式には色んな人が来て、多くの人が故人の顔を見る。
故人の顔は不特定多数の人を前に曝されるのである。
そんな最後の顔がどうなっているかは、故人(本人)にとっても家族にとっても重要なことのはず。

口や鼻に大量の綿を詰め込む作業は、やっていても見ていても痛々しく感じるけど、故人の美観を保つために仕方がない。
遺体の鼻や口から臭い体液が流れでるのは、家族も故人(本人)も不本意だろうし。

病院で亡くなった場合、ある程度の死後処置は病院で施し済みであることがほとんど。

ちなみに、病院の死後処置は保険の効かない有料サービスでやられることが多いらしい。
本来、病院の目的は、病気やケガの治療・生きている人の健康を回復させること。
したがって、生きている人と死んだ人との間には、キッチリと線が引かれているとのこと。
まぁ、個々の医師・看護士・その他職員が、患者と死人の間にどんな線を引いているかは、私がどうこう言えるものではない。
死人に対する考えや自分の事情は、個々人で異なるだろうから。
私だって、遺体をモノと見なして、割り切って考えないと仕事にならないことが多いし。

ここ何年か少なくなってきたが、私がこの仕事を始めた頃は体液や汚物が漏れだしている遺体が多かったように思う。
病院の死後処置があまかったのか、安置されていた環境が悪かったのか、原因は特定できないけど。

その中でも往生するのが脱糞。
便が漏れだして故人の尻を汚しているケースだ。
自分の便でも「汚い・臭い」と思うのに・・・失礼ながら、他人のそれは尚更だ。
でも、放っておくわけにはいかない。
とにかく仕事と割り切って、オムツ(病院からでた遺体は、ほとんどオムツをつけられている)を外し、ひたすら便を拭き取る。

遺体は、自分で身体が動かせないのは当然で、それにも増して硬直しているものだから、尻をきれいにするだけのことでも簡単ではない。
遺体と自分の体位を、あちらこちらと変えながら作業する。

そして、せっかくきれいになった尻が再び汚れてはいけないから、肛門にあらためて綿を詰める。
耳・鼻・口はピンセットを使うのだが、肛門は自分の手指を道具として、手に持った綿を指を使って押し込めるのだ。
他人、しかも死んだ人のの肛門に指を入れる妙は、例えようもないくらいヘンテコな作業に思える。

特別な仕事や変わった趣味でも持たないかぎり、他人の尻の穴を見ることなんて滅多にないはず。
そして、見たくもないはず。
私だって、他人に尻の穴を見せるなんてまっぴらゴメンだ。
モノが言えない故人も同様だろう。
故人の尻の穴を見なければならない局面は、嫌悪感と羞恥心を故人と共有するような独特の寂しさを感じて、気持ちが寒くなってくる。

尻の穴って、自分の身体の一部でありながら目の届かないところにある。
身体の表面に位置しながらも直視することはできない。
だから、それを自分で知るには限界がある。
しかし、汚いモノを排出する大事な器官。

人間性もそう。
自分のものでありながら、その個性を自分で知ることは難しい。
そして、心にも汚いモノを排出する穴があったらいいと思う。
汚い考えや汚れた思い・汚い行いをきれいに排出できる穴が。

私は、汚ないモノをたくさん抱える者だけど、そんなものは溜め込まないでドンドン排出していける心の肛門が欲しい。

「ケツの穴が小さい男」
にならないように。





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バナナ

2007-03-24 18:57:25 | Weblog
現代社会、食料は豊かにあるのに、朝食を抜いた生活をしている人は多いのではないだろうか。
そう言う私も、そのクチ。
朝は食欲がないし、時間もない。
だから、意識して何かを食べないと、自然と朝食を摂らない生活になる。

「朝食を抜くのは身体によくない」
「でも、朝は食欲も時間もない」
そんな私が重宝しているのは、牛乳とバナナ。
私は、朝、このどちらかを口に入れるようにしている。

バナナって、極めて美味しいものでもないけど、甘みも食感も値段も優しい食べ物だ。
カロリーも高く栄養のバランスや消化吸収もいいらしいので、食欲と時間のない朝にピッタリ。


さすがに私の年代ではバナナは贅沢品ではなく、既に庶民的な果物になっていたので、子供の頃から親しみ深い果物だ。

小学生の頃、理科の実験でバナナの皮を使ったことがあった。
何の実験かというと、ショウジョウバエの生態観察。
やり方はいたって簡単、ガラスの容器にバナナの皮を放置するだけ。
そうすると、自然とショウジョウバエが湧いてきた。
思い出しても、一体何の勉強になったのか不明のままだ。

ハエと言えば・・・
本blogで、かつてはレギュラーメンバーだったウジ・ハエが、このところはほとんど登場していない。
何故なら、blogを書く私の頭に浮かんでこないから。

私は、日々の現場体験をリアルタイムに書くことはほとんどない。
したがって、記事の傾向に大きな季節感はないはず。
そして、寒い時季はウジ・ハエの発生も地味、派手に遭遇することも少ない。
だから、この時季は、blogを書く私の頭にもなかなか登場しないわけだ。
これも、このblogならではの季節感?

まぁ、これから暖かい季節になってくると、連中とはイヤ!と言うくらいの死闘を繰り広げることになる。
今は、「お互いに鋭気を養っている」と言ったところだろうか。

遺体処置や遺体搬送では、その業務に入る前に故人の年齢を知らされることがほとんど。
しかし、特掃の場合は違う。
依頼者や関係者に尋ねないかぎりは、故人の年齢を知ることは少ない。
そうは言っても、故人の年齢って何となく気になるもの。
だから、私は依頼者・関係者に故人の年齢を尋ねることが多い。
もちろん、依頼者の心情と場の雰囲気に配慮し、尋くタイミングに気をつけながら。

故人の年齢を知ったところで、特掃作業の実務に影響するわけではない。
ただ単に、私の精神面に若干の影響を及ぼすくらい。
長年やってても、やはり若年の死には重いものを感じる。
また、自殺の場合は年齢に関係なく独特の重みがある。

年齢問答で困るのが、女性に年齢当てを求められたとき。
会話の成り行きで、たまにそうなることがある。
そんな場面で一番マズイのは、実年齢より年増に答えてしまうパターン。
模範回答を意識し過ぎるためか女性心理に疎いためか、苦手な質問に対しては脳がフリーズしやすい私は、たまにこれをやってしまう。
自分だけじゃなく、相手の顔まで凍りつく。

模範回答は、実年齢より5歳くらい?若く言うこと。
あまりに若く答え過ぎる白々しいし、返事をするのに時間を要するのもおかしいし・・・

「私、いくつに見えますか?」
この問いに対して、瞬時に「実年齢-5歳」を弾き出すのは至難の業である。
そもそも、実年齢自体が、外見と声から推測せざるを得ない極めて曖昧なもの。
そんなアテにならないものに基づいて計算式を組み立てなければならないのだから、偉い数学者でも簡単には正解は答えられないだろう。
女性の望む年齢を答えてあげるのって、本当に難しい。

私は、年配の人と話をするのが好きである。
中学生の頃、近所にあった商店に80歳を過ぎたお婆さんがいた。
私は、そのお婆さんとの会話が面白くて、学校帰りによく立ち寄っていた。
一般の中学生にとって特段に面白い話が聞けたわけではないのだが、お婆さんが生きてきた中で経験したこと・遭遇した出来事・時代背景などを聞くことで、自分が人生を先取りできているような収穫感が得られたのだ。
そして、そんなお婆さんを見ていると、身体や脳力は衰えても、人間としての中身は円熟した味わいを増しているようにも思えたのだった。

世の女性達は、「アンチエイジング」と名のつくものに、ハエのように(失礼!)群がる習性があるようだ。
何かにつけて年が若いことにこそ価値があり、若い人をモテ囃す世の中の風潮にも問題があるのかもしれないが、多くの女性はどうしてこうも若く見られたがるのだろう。
人間をはじめとする生き物はもちろん、万物、時間に逆らうことはできないのに。

年を重ねるごとに老いていき、身体が衰えていくことは避けられない。
しかし、その中身は人が向かうべき方向にシッカリと近づいている人がいる。
この世の中には、肌の艶がなくなっても、シミやシワが増えても、誰もチヤホヤしてくれなくなっても、人としての輝きを増しながら歳を重ねている人がいる。
人間(自分)の真価がどこにあるか、それを見極められると一味違った生き方ができるかもしれない。

バナナだってそう。
見た目はきれいだけど、皮がきれいな黄色のうちはまだ早い。
皮にハリがなくなって、シミ・ソバカスができる頃が食べ頃。
バナナの真価を味わうには、この食べ頃を見極めなくてはならない。

どこをどう見ても、若くはない私。
しかし、味わい深い人間に熟するには、もうしばらくの年月が要りそうだ。

熟れたバナナを食べるたびに、そう思う。






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痛(胸編)

2007-03-22 08:55:48 | Weblog
30才を過ぎた頃からか、年に数回、私は原因不明の胸痛に襲われるようになっている。

その発作が初めて来たのは、朝の電車に乗ったときだった。
小走りで乗り込んだ電車の吊革につかまっていると、急に、胸部に鉛の棒を飲み込んだような重い痛みが襲ってきたのだった。

「何だ?この痛みは」
原因が何なのか、何の痛みなのか自分でも分からないまま、脂汗をかきながらひたすら我慢するしかなった。
そうしていること約30分、痛みは自然と治まった。
痛みがなくなれば、そんな事が起こったこと自体を忘れてしまう。
まさに、
「喉元すぎれば熱さ忘れる」
というヤツだ。
また、普段の生活に埋没する私だった。

それからしばらくの月日が流れたある日、私は再び同様の胸痛に襲われた。
「狭心症?肋間神経痛?」
二度目となると、さすがに病気が心配になってきたが、これまたしばらく我慢していると痛みは治まってしまう。
そしてまた、おのずと忘れてしまうのだった。

それから、そんな事を何度も繰り返していたのだが、その痛みはヒドク、座っているのもツラいくらい。
「このまま死んじゃうかもな」

本気で心配になってきた私は、病院で診てもらうことにした。
診療科目が分からなかったので、とりあえず大きな総合病院に行ってみた私。

そこでは、とりあえず検査。
病院嫌いの小心者は、検査を受ける前からドキドキ・オドオド。
注射器だって、まともに見ていられないくらい。
最初は、普通の健康診断でやるような検査。
それから、レントゲンで肺を検査、24H心電計測で心臓検査、内視鏡で食道検査までやった。
しかし、痛みの原因はおろか病気さえも見つからない。
病気がないのを喜んでいいのか、原因が分からないことをガッカリすべきなのか、複雑な心境だった。

結局、私は今現在も、いつ襲ってくるか分からない発作と付き合っている。
「疲労?ストレス?」
本当の原因と治療法を、誰か教えてくれないかなぁ。

胸が痛くなることは他にもある。
人の死に遭遇することだ。
そして、それを痛むことは、この仕事に関わっている以上は避けて通れないことだ。
若者、特に子供の死は胸が痛む。

子供用の柩は小さい。
普通の柩は二人以上で持たないと運べないのだが、子供用の柩は一人でも簡単に持ち上げられる。
そして、子供の身体は小さい。
大人の身体だと二~三人の手を要するのだが、子供の身体は一人でもたやすく抱えられる。

「こんなに小さいのに、なんで死んじゃうんだよ!」
柩も身体も小さくて軽い子供。
だけど、その死は重くて仕方がない。
めまいを覚えるくらいの理不尽さに、気持ちが揺れる。

薄暗い霊安室に男の子の遺体があった。
一人ポツンと置かれた状態とドライアイスで冷やされた身体が、何とも言えない寂しさを醸し出していた。
私の仕事は、この子に死後処置を施し、着衣を整え、柩に納めること。
仕事の責任と遺体への想いを交錯させながら、作業を進めた。

何か特別なことがないかぎり、納棺式には遺族が立ち会うことがほとんど。
なのに、この男児の家族は誰も来なかった。
それでも私は、
「冷たい家族だ」
なんて思わなかった。
亡くなった子供に対して愛情がないから来ないのではないことを、痛いほど感じたからだ。
遺体の傍に置かれた山ほどのオモチャやお菓子が、両親の想いを代弁しているようでもあった。

具体的な事情を知る由もない私は、黙々と仕事をするしかなかった。
両親がこの場に来ることができない理由を考えると切なかった。

両親は、我が子の死が受け入れ難く、とても遺体を見ることができなかったのだろうか。
温かみをもって動いていた息子が、死を境に冷たく硬直していったことが、どうしても理解できなかったのだろうか。
我が子を手厚く葬ってやりたい気持ちと、その死を認めざるを得ない恐怖とを戦わせていたのかもしれない。
他人の私には、胸を引き裂かれたに値する両親の喪失感を計り知ることはできなかったが、単なる同情を越えた胸の痛みを覚えた。

「他人の不幸を蜜の味とし他人の幸せを妬ましく思う」
私という汚物は、そんな心の影を持っている。
「他人の不幸を真に気の毒に思わず、他人の幸せを真に喜ばず」
それが、私の本性なのだ。

しかし、他人の喜びを自分の喜びとし、他人の悲しみを自分の悲しみとするような人間に憧れもある。
ほんの少しでいい、死ぬまでにはそんな人間になってみたいと思う。

他人の痛みを自分の胸の痛みとする。

それが、人がきれいに生きるためのコツのように思う。





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痛(耳編)

2007-03-20 08:37:36 | Weblog
私には、思い出すだけでもゾゾーッとする耳の痛い思い出がある。
10年ほど前になるだろうか、右耳の鼓膜を破ってしまった時のことだ。

その後遺症で、今でも右耳はわずかに難聴である。
故に、自然と、電話は左耳で受ける癖がついている。

鼓膜を破った原因?
「スポーツ・格闘技」と言ったら少しは格好がつきそうだ。
「喧嘩」と言ったら少しは男らしいかもしれない。
「仕事」と言ったら少しは真面目に思われるだろうか。

しかし、実際の原因は「耳掃除」。
ひょんなことから、耳かき棒を深く突き刺してしまったのだ。
全く、マヌケと言うか、恥ずかしいと言うか・・・自分のバカさに自分で腹が立って仕方がなかった。

しかし、やってしまったその時の動揺はハンパじゃなかった。
グサッ!
と刺さった瞬間、頭に激痛と電気が走り、右耳が全く聴こえなくなったのだ。
私は、急いで棒を引き抜き、パンパンと耳を叩いた。
しかし、もう手遅れ、何も感じなくなっていた。

鼓膜は再生するものだと知らなかった私は、
「これで、もう一生ステレオ音声が聴けないんだな・・・」
と深く落ち込んだ。

しかし、病院で鼓膜が再生することを知って安堵。
しばらくの時を要したものの、幸い鼓膜は再生して、右耳も何とか聴覚を取り戻した。

そんな今は、聞きたいことも聞きたくないことも容赦なく耳に入ってくる。
耳触りのいいことだけ聞こえてくれば、楽なんだけどね。

若い男性から電話が入った。
自宅アパートにゴミを溜めてしまい、それが大家に見つかってしまって騒動になっているとのこと。
とにかく、
「急いで片付けなければならない!」
「何とかして欲しい!」
との要望だった。

ゴミ処分現場は、腐乱死体現場に比べると緊急性が低いことがほとんど。
私は焦ることなく、できるかぎり早く行けるよう、スケジュールを詰めた。

青空の広がる晴天の日、私は現場に出向いた。
依頼者の男性とは、現場アパートの前で待ち合わせ。
現場は二階、まだ築年数の浅い外観のきれいなアパート。
現れた男性は、これと言った特徴のないフツーの若者。
「まずは、部屋を見てからにしましょう」
私達は、現場の部屋に向かった。

気マズそうに玄関を開ける男性を尻目に、私は平然としていた。
それも、私なりの男性に対する心づかい。

「あー、こんな感じですかぁ」
目の前の光景は、ゴミ屋敷になる初期の段階だった。
どうも、男性はこのアパートに越してきた当初から、ゴミを溜め始めたらしかった。
その期間、約一年。
それを不審に思った隣の住人が大家に連絡。
男性の留守を見計らって、大家は部屋に入ったらしい。

「大家さんとは言え、他人に貸した家に勝手に入るなんてルール違反ですよねぇ」
(先にルール違反したのはアナタの方だけどね)
私は、口で男性をフォローしつつ、腹で批難した。

そんな中、誰かが階段を上がる足音が聞こえてきた。
男性が顔をこわばらせて送った視線の先には、怒り肩でズンズンと近寄ってくる中年女性・・・男性が恐れる大家やってきたのだった。
大家が、はなから戦闘モードであることは、部外者の私にも分かった。
私は飛び火を避けるために、男性から離れたところに退いた。

ガミガミ!ガミガミ!
男性は、耳が壊れそうなくらいの攻(口)撃を一方的に浴びせられていた。
大家はゴミの山を見て、更にエキサイト!
「こんな人(男性)放っといて、早く片付けちゃって下さい!」
と、離れた私に吠えた。

作業の日。
部屋が片付くことが決まって安心したのだろう、男性は前よりも明るかった。
必要なモノを捨ててしまってはいけないし、作業自体は素人でもできるようなことなので、男性も作業に加わった。
食べ物ゴミ・瓶・缶・雑誌・衣類etc、色んなモノが散乱。
その中には、たくさんのエロ本・AVも混ざっていた。
かなり凝った趣向のモノもあり、必要なモノなのか捨てるものなのかをいちいち尋くのも野暮なので、気を効かせて?捨てないでとっておいた。

そんな中、誰かが玄関が開ける音が聞こえてきた。
男性が顔をこわばらせて送った視線の先には、沈んだ肩でシトシトと入ってくる中年女性・・・男性が恐れる母親がやってきたのだった。
母親が、はなから半泣きモードであることは、部外者の私にも分かった。
私は、とばっちりを避けるため男性から離れたところに退いた。

ガミガミ!ガミガミ!
男性は耳が腫れそうなくらいの攻(口)撃を、避ける術なく浴びせられていた。
母親はエログッズの山を見て、更に意気消沈。
「こんな人(息子)放っといて、早く片付けちゃって下さい・・・」
と、離れた私に嘆いた。

わさわざ人に言われなくても、自分で分かっていることってある。
それをあえて人に言われると耳が痛い。
自己矛盾の渦にハマって、耳をふさぎたくなる。腹も立つ。

昔、口が一つ・耳が二つある理由を教えられたことがある。
「人は、自分が話すことの倍の量、人の話を聞かなければならない」
からだそうだ。
しかし、無口な私でも人の話を真摯に聞くことは簡単ではない。

人は、ついつい自己主張を先行させてしまいがちだけど、人の話をよく聞くことで自分が成長させられることってたくさんある。
だから、人の話は謙虚に聞いた方がいい。

それが、人生を豊かに実らせるコツのように思う。







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痛(頭編)

2007-03-18 09:11:41 | Weblog
私は、頭痛持ちではないが、色んな意味で頭が痛くなることが多い。
仕事の悩み、人間関係のストレス、お金の問題etc。
よく言うと繊細、わるく言うと軟弱な私だから。

頭痛の種って、頼みもしないのにいつの間にか撒かれているもの。
それが芽を出して、そのうち悪い実をつける。
早めに片付けないと、悪い実が新たな頭痛の種を落とす・・・その連鎖を繰り返していき、次第に追い詰められていく。
何事もイヤなことは後回しにしがちだけど、やはり頭痛の種は早めに片付けるように心掛けた方がよさそうだ。

ずっと以前にも書いた通り、私には霊感はない(はず)。
そしてまた、以前にも書いた通り、私は小心の臆病者である。

そんな私は、まだ会ったこともない(はず)のに幽霊・お化けの類は大の苦手。
心霊写真はもちろん、怪談やホラー映画ももってのほか。

それにしても、それらをそこまで苦手とする理由を自分でも分析できていない。
この状態を知る人は、
「そんな調子で、よくその仕事ができるな」
と、不思議に思うらしい。
その類を怖がるということは、その類の存在を信じているということになるのだろうか・・・???

そんな私でも、死体業を霊的に恐れることはほとんどない。
これもまた不思議なことだ。
特掃だってそう。
物理的な恐怖を覚えることは日常茶飯事ながらも、霊的な恐怖を覚えることはほとんどない。
その逆に、故人が残していった痕(身体の一部)に対する嫌悪感の奥に、親しみや情のような感情が湧いてくることの方が多かったりする(変?)。
「死にたくて死んだ人はいても、腐りたくて腐った人はいないだろう」
なんて思いながら。

死人がでたそんな現場を、やはり、一般の人は忌み嫌う。
自分でも何を恐れているのかハッキリと分からないまま、ほとんどの人が何かを恐れ嫌っているように見える。

そんな人達の中、親切な?依頼者(中高年の女性が多い)になると、清めの塩を持って来てくれる人がいる。
そして、その塩を除霊の意味で私にたっぷりフリ掛けてくれるのだ。
「悪霊退散!」と言わんばかりの気合を入れて。

「私は、霊とかは気にしませんから」
と丁重に断っても
「ダメダメ!ちゃんと清めとかなきゃ!アナタ、まだ若いんだから」
等と言って、容赦なく塩をフリ掛けてくる。
でも、こんな人の親切心は素直に嬉しい。
泥んこになった子供が母親に風呂に入れられるような気分・・・笑えるくらいに気持ちが和む。

霊能者という人がいるのなら、私はどのように映るだろう。
双肩には、シャレにならないくらいの多くの霊が乗っかってたりしてね。
とにもかくにも、私が祟られる必要がある人間なら、とっくにやられていてもおかしくはない。
しかしながら、加齢にともなう衰えはあるものの、お蔭様で今でもこうしてピンピンしている。
逆に、関わった死人の数が増えれば増えるほど、特掃魂に磨きがかかってパワーアップしてるような気さえする。

「全くない」と言えばウソになるけど、私は霊的なものを悪い意味では気にしないようにしている。
そんなこと気にしていたら仕事にならないから。
だから、自らが率先して清め塩や除霊・お祓いの類を用いたこともない。
清め酒はしょっちゅうやってるけどね。

そんな私でも、たまに妙な頭痛に襲われる現場がある。
決まって、右目奥の方が痛んでくるのだ。
この現象はもう何年も前からで、特掃より遺体処置業務に多い。
その頭痛は、何日にも渡って続くのではなくその日だけで治まるのだが、今までのケースを思い起こしてみても、原因について一定の傾向を見出だすことはできない。

私が、慈善事業やボランティアでこの仕事をやっている訳ではないことは承知の通り。
したがって、デリケートさが必要な作業もビジネスとして冷たく割り切っることも少なくない。
したがって、故人の意に沿わないこと、故人から顰蹙をかってしまいそうなこと等をやっている可能性も充分にある。
「酷い」「臭い」「汚い」「気持ち悪い」
等と言った失礼な発言や思いもあるし。
ただ、そういうことの反応として、頭痛が起こっているとは考えていない。

そんな頭痛を何度も経験している今では、
「霊的な何かがあるのかな?」
と思わないでもないが、結局のところその真の意味は分からない。
まぁ、知らないままでいい。

頭痛のない人生はない。
頭痛はあって当たり前。
「あ゛ー、頭が痛い」
ま、上手く付き合っていくしかなさそうだ。

それが、人生を少しでも楽しく過ごすコツのように思う。






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秘宝(後編)

2007-03-16 08:30:29 | Weblog
誰しも、人に言えないような秘密を一つや二つは持っているだろう。
恥ずかしい事、罪な事、嘘をついた事etc、そして自分だけの宝物。秘宝を。

秘事って、人に話した方が楽になる事とそうでない事がある。
罪なことは、誰かに話してしまった方が楽になれることが多いように思う。
でも、これがなかなか吐けないんだよね。
また、いい事もなかなか話しにくいことがある。
人の嫉妬が恐くて。

自分の身の回りを見渡してみて、何でも話せる人はどれだけいるだろうか。
せいぜい一人か二人、イヤ、「一人もいない」という人も多いのではないだろうか。
かく言う私もその一人。
「淋しい人間」
と思われても仕方がない。
実際にそんな人間だし、私はずっとそうやって生きてきた。

昔、学校には、
「何でも私に相談しなさい」
と言うタイプの教師が多かった。
その熱意と志は買えるけど、残念ながら実際に何でも相談できる教師に出会ったことがない。
その原因の多くは私にあったからだろうが、所詮は教師も人間だから仕方がない。

私にとって何でも話せる相手は空。
(また、とんだことを言っちゃってる?)
もちろん、空に相談したところで具体的な返事はない。
私を裏切ることもない。
だから、何でも話せるのかもしれない。
でも、時が経って振り返ってみると、自然と応え(答)を受け取っているように思えるのが不思議だ。

学生時代の友人も、仲はいいけど何でも言える程の間柄ではない。
たまに、そんな友人と一緒に酒を飲むことがある。
一軒目は居酒屋。
そして、二軒目は決まってパブ・クラブ系。
このハシゴは、一般ビジネスマンの方程式らしい。
そんなハシゴ酒を、私は苦手にしている。
なのに、友人は半ば強引に私を連れて行く。
私を楽しませてくれようとする心遣いを感じるものの、それは的外れの空回り。

その業界の人達に失礼ながら、パブ・クラブ系の店に行くのは私にとっては時間と金を捨てるも同然。
店の女性に気をつかいながら、好みに合わない酒を飲む。
しかも、金まで払わされて(実際は、友人が払ってくれることがほとんどだけど)。
一向に楽しくなく、ある種の苦痛に近いものがある。

人間関係をつくるのが苦手な私は、おのずと話下手。
見ず知らずの女性を相手に、気の利いたネタもなく、楽しく会話するなんて至難の業。

女性の笑顔を金で買うのが、そんなに楽しいものなのだろうか。
モテ男を金の力で擬似体験したところで、虚しいばかりじゃないのだろうか。

そんな店で、特にストレスがかかるのが仕事ネタ。
しかし、店の女性は「必ず」と言っていい程、私の職業を尋いてくる。
そんな質問を、私はノラリクラリとはぐらかす。
正直に話したら、場の雰囲気をブチ壊すに決まっているし、それが聞く側の人間のためでもあるから。

しかし、冗談のキツい友人は、
「コイツの仕事は凄いぞ!」
ふざけ半分で話を煽ってくる。
すると、店の女性は興味をそそられて、ますますしつこく尋いてくる。
そうなった時は、もう言うしかない。

「シタイ仕事をしてるんだよ」
「シタイ仕事ができるなんて、羨ましいでしょ?」

現場の話に行こう。
一通りの遺品整理が済むと、結局ほとんどの家財・生活用品は不用品となった。
女性が持ち帰るものはわずか、紙袋一つ分だけ。
やはり、財産らしい財産、貴重品らしい貴重品はなかったのだ。

「持ち帰るモノはそれだけでいいですか?」
「財産や貴重品はありませんでしたけど、充分です」
「よかったら、あとの処分もやりますので・・・後日、別料金になりますけど」
「お願いします」
「結局、ほとんど廃棄処分ですね」
「でも、それ以上に思わぬ宝物が見つかったのでよかったです」
泣き顔の女性は、古びたパスケースを大事そうに手に持っていた。

作業を終えて私が現場を立ち去る頃、女性は「雨上がりの快晴」といった表情を浮かべていた。
その笑顔は、パスケースの中の女の子とピッタリ重なっていた。

顔は知らないけど、娘のことを大事に想いながら好きな酒を飲んでいたであろう父親の姿と、波乱の中にあっても笑顔を取り戻した女性の姿が、目に見えない宝物を私に与えてくれた。
遺品整理を無償で手伝った褒美だろうか。
金に代えられないモノをもらった私は、ホクホクと帰途についた。

人間、誰にでも自分だけの宝物ってあると思う。
自分にしか分からない価値がある秘宝がね。
そして、そんな秘宝を身近に探してみたらたくさんでてきそうだ。

このシタイ仕事、決して楽じゃないけど、私にとってはちょっとした秘宝かもしれない。







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秘宝(中編)

2007-03-14 09:07:18 | Weblog
私は、女性が落ち着くのを静かに待った。
それから、作業内容と料金を再確認して、早速、作業にとりかかった。

作業と言っても、やるのは布団の梱包・ウジ&ハエの始末・簡単な消臭消毒のみ。
床に転がるウジ・ハエも少なく、悪臭もほとんどない状態は、私にとって朝飯前の軽作業。
テキパキと働いて、さっさと済ませた。

作業が終わってしばらくの間は、部屋に入れない。
薬剤の効かせるためと、薬剤の匂いを緩和させるために、しばらくの時間を置く必要があるのだ。

その時間を、私は女性と世間話をしながらつぶした。
「もう大丈夫です」(バッチリ!)
「ありがとうございます」
「少ししたら、部屋に入れますよ」(あとは待つだけ)
「よかったぁ・・・ホッとしました」
「私もです」(無事に済んでホッ)
「父は質素な暮らしをしてたようですから、金目のものはないと思いますけど・・・」
「まぁ、後でゆっくり見てみましょう」(たいした物はなさそうだけど)
「それにしても、大変なお仕事ですね」
「・・・よく言われます」(ホントによく言われる)
「長くやってるんですか?」
「ええ、○年目になります」(もうそんなになるんだな)
「ヘェ~!スゴイですね!」
「インパクトだけは、他の仕事に負けませんよ!アハハ」(インパクトあり過ぎ)

そんな話をしていると段々と女性の表情もほぐれてきて、長く下降気味だったであろう女性の気分が上向きに転じてきたように思えた。

しばらくして、部屋に入れる時刻になってきた。
念のため、女性を部屋に入れる前に私が一人で入って問題がないかどうかを確認。
「OK!」
故人が寝ていた布団と床のウジ・ハエがなくなった以外は、私が来る前とほぼ変化なし。
見た目の問題はなく、薬剤の臭いが残っているだけだった。

部屋に入ろうとする女性は緊張しているようで、お化け屋敷にでも入るかのようにオドオドしていた。
そして、部屋のあちこちを眺めては、感慨深そうに表情を曇らせた。

女性の心情に配慮して、遺品の確認と整理は、ゆっくり始めた。
もともと、この作業は仕事(見積)に含めてなかった私。
ただ、本作業も軽かったし時間もあったので手伝った次第。
とりあえず、ゴミの片付けは後回しで、とにかく遺品を確認しながら必要品を取り除けていった。

台所の隅には、大量の焼酎の空ボトルが積まれていた。

「随分とお酒を飲まれてたようですね」(分かるなぁ、飲みたい気持ち)
「アル中状態で・・・死因もそれみたいで・・・」
「アル中?」(え!?自殺じゃないの?!)
「ええ、ほとんどアルコール漬けの状態だったようです」

私はドキッ!とした。
どうも故人は重度のアル中で、死因もその関連らしかった。
「アル中だったら、人に言えなくないと思うけどなぁ・・・ある種、俺だってそうかもしれないし」
特掃魂を間違った方向へ先走らせていた私は、詫びる相手が見つからなくて、内心でかなり気マズイ思いをした。
そして、女性との会話を一つ一つ思い出しながら、それまでに失礼な発言がなかったかどうか自己チェックした。

「危なかった!もうちょっとで言葉の事故を起こすところだった」
何はともあれ、私が考えていたことが女性に気づかれないで済んだことに安堵した。

女性と手分けして遺品の確認をする私は、壁にかかったジャケットを手に取った。
そして、念のため一つ一つのポケットに手を入れてみた。
すると、内ポケットに何かが入っていた。
「財布かな?」
取り出してみると、古ぼけたパスケースだった。
使い込まれた様子から、故人の愛用品であったことは明らかだった。
「免許証でも入ってるかな?」
そう思って、何気なく中を開けてみた。
中には古い写真が入っており、どこかで見たことがあるような笑顔の女の子が写っていた。

「パスケースがありましたよ・・・中に写真が入った」
「あ!懐かしい・・・随分前に私がプレゼントしたものです・・・お父さん、ずっと使っててくれたんだ・・・」

私は、嬉しそうに手を出す女性にそれを渡した。
そして、次の作業を進めようと身体の向きを変えた途端、女性の泣き声が耳に飛び込んできた。
号泣にちかい泣き方に、私は声を掛けようかどうしようか迷った。

「それにしても、よく泣く人だなぁ・・・俺も他人のことは言えないけど」
横目でチラッと見ると、私が渡したパスケースを握りしめて泣いているようだった。

どの現場でもそうだが、私は、泣いている人の顔は見ないようにしている。
そして、そんな時は空気のような存在になるように心掛けている。

私なりの心遣いのつもりで。

結局、ここでも、強引に女性の泣きに気づかないフリをして作業を続けた。
女性は、しばらく泣き続けていた。

私は、掛けるべき言葉を見つけられないまま、黙々と作業を進めるしかなかった。
既に見つかったいた秘宝を知る由もなく。

つづく







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秘宝(前編)

2007-03-12 09:21:34 | Weblog
「身内が、人に言えない死に方をしまして・・・」
ある女性から、そんな電話が入った。
トーンの低い声と喋りにくそうな口調から、女性の精神状態が低迷していることが伝わってきた。

どんな死に方か直ぐに察しがついた私は、死因を尋ねるような野暮なマネはしなかった。
そして、こういうときは、動揺をみせずに淡々と受け応えした方が依頼者も気が楽なのではないかと考えているので、あえて明るい声で事務的に応対した。

現場の状況はこうだった。
部屋は古い公営団地の一室、故人は布団に横たわって最期を迎えた。
女性は、警察から現場の状況を聞かされただけで、それ以上の詳しいことは分からない。
自分で確認したい気持ちがありながらも、恐くて現場に行くことができない。

どちらにしろ、私は現場に行かなければ仕事にならない。
女性の都合と私の都合を調整して、見積見分の日時を約束した。

約束の時間を守ることも大事な礼儀。
私は、いつものように約束の時間より早く現場に到着した。
そして、それに少し遅れて女性が現れた。

その姿だけでは、依頼者の女性かどうか分からない。
いきなり声を掛けるのも変なので、車の中からしばらく様子を見ていた。

女性は、出入口にある集合ポストに近づいてポストに手を伸ばした。
そして、現場となった部屋のポストから郵便物を回収し始めた。
それから、落ち着かない様子で辺りをキョロキョロ。
その動きを見て「依頼者の女性だ」と確信した私は、車を降り静かに声を掛けた。

「○○さんですか?」
「ハイ・・・」
声を掛けた女性は、やはり依頼者だった。
電話の声から想像していたより、若い感じの女性だった。

「この度は・・・どうも」
と簡単に挨拶。
本当は、「御愁傷様です」と言おうとしたのだが、女性の気持ちを余計に暗くしてしまいそうだったので、その決まり文句は喉元でUターンさせた。

「本当に来て下さったんですね・・・来てもらえないんじゃないかと心配してたんです」
そう言って、女性は目を潤ませながら私に一礼した。

女性は故人の娘、つまり故人は女性の父親だった。
特段に親子仲が悪いわけでもなかったが、親しい付き合いもなかったとのこと。
「親密な疎遠関係」「疎遠な親密関係」、今の社会にありがちな親子関係だ。

女性は、部屋に入って、貴重品や形見・とっておきたいものを選びたい。
しかし、遺体(父親)が発見されてから手つかずのままになっている部屋に入るのは、どうしても抵抗があるとのことだった。

「とりあえず見て来て、状況をお伝えしますよ」
私は部屋の鍵を預かり、とりあえず一人で部屋に向かった。

まず、玄関ドアの前でクンクン。
「ここまでは臭ってきてないな」
次に、ドアの隙間をマジマジ。
「ここまではウジも来てないな」
そして、鍵穴にキーを差込み回した。
鉄製の扉は、軽くはない。
特に、こんな現場では余計に重く感じるもの。

ゆっくり扉を開けて中に入った私の目にはウジ・ハエが、鼻には強烈な悪臭が飛び込んで・・・くることを覚悟していたのに、実際の部屋にはウジ・ハエの姿も少なく、臭いらしい臭いもなかった。
いい意味で拍子抜けした私だった。

「あれ~?調子が狂うなぁ」
ゴミが散らかる部屋の窓際に、故人がいたと思われる布団はあった。
その布団は、多少の汚れがあったものの汚腐団にはなってなく、普通の布団に見えた。
「表が普通ということは、中がイッちゃってるのかな?」
私は、掛布団の端をつまんでゆっくり持ち上げた。

「ん゛ー」
布団の中には得体の知れない汚れがあり、微妙な臭いがあった。
「腐敗はたいして進んでなかったな・・・どうやって自殺したんだろう」
少々怪訝に思いながらも、作業を想定する私は汚染の軽いこの状況を歓迎した。

一通りの観察を終えた私は、外で待つ女性のもとに戻った。
そして、現場の状況・必要な作業内容と費用を伝えた。
女性は、怯えたような表情で私の話を真剣に聞いていた。

「今日中に部屋に入れるようにできますよ」
そう伝えると、女性は急に泣きだした。
予想してなかったその反応に、私はすぐに次の言葉がでてこなかった。

聞くところによると、父親が死んで発見されただけでもショックだったのに、残された部屋をどうすればよいのか、片付けを頼むあてもなく、不安で不安で眠れない日々を過ごしてきたらしい。
そして、当日も、私がバックレて来ないんじゃないか、仮に来たとしても現場を見たら断ってくるんじゃないかと心配が尽きなかったらしい。

「心配御無用、私に片付けられない現場はありませんよ」
自分の頭と心はいつまでも片付けられないくせに、涙の女性に頼られるのが嬉しくて強気な発言をする私だった。

つづく






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Going my way

2007-03-10 09:01:49 | Weblog
特掃をやる度に思う。
「こんなんやりたがる人間は、誰もいないだろうなぁ」

「一回くらいはやってみたい」
「一度ぐらいは経験してみたい」
と言う人はいるかもしれないけど、まぁ、それも知らないから言えること。
実際には、「やる」ところまでいかず「見てるだけ」で精一杯だろう。
最後まで見ていられたら、それでも大健闘だ。

「特掃って、誰もができるってもんじゃないぞ!」
と、自慢したいわけじゃないし、
「俺は、それだけスゴイんだぞ!」
と、威張りたいわけでもない。
特掃ごとき、高い位置から言えることじゃないことは、とっくに承知している。

ただ単に、
「特掃ってそういうもんなんだよ」
と言いたいだけ。
実際、そんな仕事なんだよね。

私は、好きなことをやって生きている人を羨まく思う。

この社会には、不安定な生活(リスク)をものともせず、自分のやりたいことに果敢に挑戦していく人がいる。
もともとは好きなことを始めたのに、それが生活の糧を得る手段(仕事)になった途端に、労苦になる。
それでも、当初のマインドを捨てないで走り続ける人がいる。

その現場の故人を私は疑った。
「自然死と聞いてるけど、自殺じゃないか?」
と。
部屋にはたくさんの絵画の道具が置いてあった。
キャンバス・絵の具・筆・画集etc、床も壁もそれらで埋め尽くされていた。
芸術的センスがない私には、何もかもが意味不明。

「故人は、画家として食べていこうと思ってたのか?・・・」
私は、そんな志を持っている人間が嫌いではない。
畳に広がる腐乱痕はおぞましい限りだったが、部屋の様子からは、生活自体は質素で慎ましかったであろうことが伺えた。

「画家として成功しなくても、ハイリスクだと分かっていても、本人はこの道を進みたかったんだろうな」
私は、臭い粘土と化した故人の一部を削っているうちに妙な敬意を覚えてきて、絵の道具をゴミとして処分してしまうことが忍びなくなった。
そして、軽々しく自殺を疑ったことを申し訳なく思った。

志半ばでの死は気の毒かもしれないけど、好きなことをやって生きたことは本望だっただろう。
そんな人生、なかなか手に入れられるものではないから。

自分が食べていくため、家族を食べさせるため、嫌いな仕事でも我慢してやっている人は多いと思う。
そして、忍耐に疲れて、死人のようになっている人も少なくないように思う。
それでも、殺伐とした世の中を渡っていくには、自分を殺すことが求められる。

戦いに挑むより、戦いを避ける私。
やり甲斐より金銭をとる私。
自分の信念より他人の目を気にする私。
ネガティブなことばかり考えて、何事も悲観し、口を突いてでるのは愚痴ばかり。
そして、ささやかな空想を肴に酒を煽る

私が子供の頃、生まれて始めて「大人になってなりたい」と思ったのはプロ野球の選手。
将来の夢は、後にも先にもコレだけ。
その後は、いらぬ社会性と経済観念を身につけてしまい、純粋にやりたいことを見失ってしまった。
そんなことだから、ちょっとしたことがきっかけで虚無感を覚えたり、心の闇に支配されたりするのだ(原因はそれだけじゃないけど)。

短絡的な興味を持って飛び込んだ死体業界。
始めのうちは刺激的な世界であったけど、そのうちに死生観が麻痺。
こんな仕事をやり続けていると、悪い意味で人の死に慣れてくる。






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カウントダウン

2007-03-08 09:09:54 | Weblog
特掃作業は、どんな現場でも終了予定時間を決めて、残りの時間をそれに向かってカウントダウンさせながら作業を進めていく。

作業内容は、汚染箇所だけの処理から家財・生活用品の撤去、果ては内装工事までと様々である。
数は少ないけど、家屋の解体にまで至ることもある。

家電製品を撤去処分することも日常茶飯事。
最近は、家電リサイクル法や環境問題とかがあって、なかなか手間がかかるようになっている。

また、直接、腐敗液が着いていなくても、部屋の内側や中にあるもの全てに悪臭が付着していることがほとんど。
家電や家具など、あまり臭いを吸収しなさそうな物にも、腐敗臭はバッチリついているものなのだ。

それでも、まだ新しい家電などは捨ててしまうのがもったいないので、遺族にできる限り持って帰るように勧める。
比較的、人気が高いのはAV関係・・・TV・DVD、オーディオ機器類。

その中でも、液晶薄型テレビとDVDレコードプレーヤーは人気が高い。
イケナイ状態でない限り、ほとんどの遺族が持ち帰る。

余談だが・・・
男性独居の場合、かなりの高い確率で、もうひとつのAVがある。
「独居男の悲哀」だ。
悲しくも共感できる男の性(さが)だが、家族(遺族)に発見されるのは恥ずかしいだろうと思うので、できるだけ目立たないように始末する。
ところで、そのAV(アダルトビデオ)だけど、最近はほとんどDVDだよね。
アダルトDVDは略して何て言うの?
AD?ADV?

やっかいなのはエアコン。
だだ、ブッ壊して外せばいいってものではなく、ガスを漏らさずきちんと抜き取らなければならない。
しかも、作業がしやすい所に設置されているとは限らない。
特に、室外機がポイント。
ベランダの宙吊タイプや高層階の外壁に設置されているようなタイプは、かなりやっかい。
高い所が苦手な私には、ツラい作業になる。
しかも、エアコンの室外機って、結構重いものなんだよね。

緊張するのは炊飯器。
中に何も入ってなければ問題ないけど、御飯が入ってると「朝飯前」とはいかない。
不思議なのが、御飯の腐り方がワンパターンではないこと。
オレンジ色に溶けているパターン、ガビガビに乾燥しているパターン、深緑のカビに覆われているパターンetc、色々ある。
人間の腐り方はワンパターンなのにね。

恐いのは冷蔵庫。
当然、中には食品が納まっている。
空の冷蔵庫なんて、滅多にない。
どんな冷蔵庫であっても、撤去処分するからには中を確認しなければならない。
扉を開けるときは、独特の緊張がある。

ほとんどの場合、中の食品は腐っている。それも、ヒドク。
最悪なのが、電気を止められた家の冷蔵庫。
それは想像を絶する状態。
ホワホワのカビ毛をまとった連中がいるかと思えば、墨で塗ったかのように庫内が真っ黒になっていることもある。
また、その臭いときたら、たまんない。
ボディにくる!ボディに。
呼吸の順番を誤ると、胃の中身が飛び出ようとする。

切なくなるのは時計。
どんな凄惨な現場でも、私がどんな状態でも、何事もないように単調に動いている。

現場で家財道具・生活用品を片付ける際にも、時計は最後の方までとっておくことが多い。
作業中、私自身が時間を見るためなのだが、人の生き死にに関わりなく次の秒を刻み続ける時計を目にするとき、時間の流れは誰にもどうすることもできないことを感じる。

「時間」と言う概念は、一体どこから来たのだろうか。
昨日→今日→明日、過去から未来へと寸分の狂いもなく過ぎていく法則は、何に基づいているのだろうか。
私は、そんな「頭がおかしくなったかな?」と思われても仕方がないような事を考えることがある。
(今までのblogからも、その片鱗はうかがえるでしょ?)

ちょっと空想の世界に飛んでみるけど、実は、誰も気づかないところに一人一人の人生時計があったりしてね。
未来に向かって単調に時を刻むのではなく、余命をカウントダウンしていく時計が。
そんな時計があったら、欲しいような欲しくないような。

平均寿命は、アテにならない淡い目安。
残された時間を意識するとき、死を意識するときに過ぎて行く時間のはかなさが分かってくる。

そして、いつも誰かのカウントダウンが数えられていることを覚える。






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とりあえず

2007-03-06 08:33:01 | Weblog
歳を重ねたこの頃は、外で飲む回数もめっきり減ってきた。
自慢にもならないけど、若い頃は週に二回くらいは外で飲んで帰っていたものだ。

まぁ、「外で飲む」ったって、行きつけの立飲屋ばかりで、かなり安くあげていたんだけど。
余計な後先なんて考えず、決まって一杯目は、
「とりあえずビール!」
たしか、国産の中生ジョッキが350円だった。
ツマミもレンジでチン物がほとんどで、一品150円~350円。
どれも相応にうまかった。
顔は知ってても名前は知らない飲み仲間が何人かいたが、仕事の話はしないのが暗黙のルールで、気楽に酔えたものだった。

その昔、
「このまま飲み続けていたら、寿命を縮めることになるぞ!」
と、医者に脅されたことがある。
一時的にはダウンしたものの、それからも一向に酒がやめられない。
ヒドイ二日酔の朝は、
「しばらく飲まないぞ!」
と誓うのだが、夜になるとやはり飲みたくなる。
なんでだろう。
多分、軽度(重度?)のアル中なんだろうな。

年寄りみたいなことを言うけど、「若い頃はよかった」。
今は筋力が弱まったせいか、やたらと身体が重い。
ミドル級の特掃でもヘロヘロになることがある。
しかし、若い頃は体力もあって身体が軽かった。
今は精神力が弱まったせいか、やたらと気が重い。
ライト級の特掃でもヘナヘナになることがある。
しかし、若い頃は余計な死生観を抱えずに心が軽かった。
そんな昔が懐かしい。

「生前に墓を造っておくと長生きする」
という話を聞いたことがある。
その根拠は不明だけど、なかなか楽しい迷信だと思う。
私は墓は持っていないし、今のところ買う予定もない。
その前に、買う金がないや。

どちらにしろ、私は自分の墓が欲しいとは思わない。
できることなら、火葬だって遠慮したい。
以前にも書いたけど、私の屍はどっかの山にでも捨ててほしい(許される訳ないだろうけど)。
土の上で、虫に食われながら草花と一緒に腐り溶けていきたい。

そもそも、「腐乱死体!臭い!汚い!」などと騒いでるけど(騒いでんのは私だけ?)、土の上だったらそんなに大騒ぎしなくて済むはず。
時間をかけて、土に還っていくだけだから。
そっと放っておけばいい。
叶わぬ望みでも、私はそんな葬られ方を望んでいる。

私は、柩の中に入ったことがある。
それも何度も。
また、白い死装束を着たこともある。
こちらも何度も。
変な趣味がある訳ではなく、業務上の技術を磨くうえで必要なのである。

「生前に柩に入っておくと長生きできる」
そんな迷信、聞いたことない?
仮にそんな話があったら、私はかなり長生きできそうだ。

言うまでもなく、柩の中は狭い。
近年は、大きくなる傾向の体格に合わせて、大型の柩もある。
それでも、中は狭い。
そして、蓋を閉められると真っ暗闇。
寝返りをうつ余裕もなく(遺体は寝返りをうたないからいいんだけど)窮屈。
暗くて狭い柩に閉じ込められると、何とも言えない不安感を覚え、寂しい気分になる。
遺体本人は冷たく固まっている訳だからブルーな気分になりようがないけど、故人を想う遺族にとって火葬場での別れは断腸の思いなのだろう。

その辺のところに、死体業の一線がある。
その線をどこに引くか、これは死体業の精神疲労度にも影響してくるラインだ。

ま、生前に柩に納まることなんて、なかなかできない体験であることには間違いない。
これも役得?

死体業(特に特掃)をやっていて思うことがある。
「特掃って、やるたびに寿命が縮まっていくような気がする」
その肉体疲労もさることながら、精神疲労がハンパじゃないから。
ただの仕事として、お金の損益だけを基準に割り切ってしまえばこんなに疲れないのかもしれないけど、私には余計なことを考えてしまう悪い癖があるから精神もイッてしまうのだ。
まぁ、この癖は死ぬまで抜けなそうだ。

どう望んだって、どうあがいたって自分の寿命は自分の力でどうこうできるものではない。
だったら、若い頃のように余計なことを考えずに気楽に生きてみたい。

「とりあえず、ビール!」
と同じようなノリでね。





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冬の花(後編)

2007-03-04 10:21:25 | Weblog
最大の敵・真の敵は、人間の腐敗脂。
目の前の基礎コンクリート床には、2㎡ くらいの腐敗脂痕がクッキリ浮き出ていた。
本当に大変なのは、実はコレ!なのだ。

極端に腐乱現場を忌み嫌う依頼者は、絶対に現場を見に来るはずがない。
しかし、床の状態を見てもらう必要はある。
私は、依頼者に見せるためにその模様をデジカメに撮り、それから依頼者のオフィスに向かった。
過日と同じようなミスをしないよう、自分が「ウ○コ男」であることを意識して。

「外の空気が吸いたいから」
と言う理由で、今度は私の方から依頼者を外へ誘った。
依頼者は、どことなく安心した表情でイソイソと出て来た。
もちろん、今回も私が風下に立ったのは言うまでもない。

私は、デジカメの画像を見せながら、状況を詳しく説明。
依頼者は、私が渡したデジカメを遠くに持って目をしかめた。
画面的には、普通のコンクリートの一部が単に濡れたように見えるだけ。
なのに、その正体が人間の脂だと知らされているものだから、気持ち悪くて仕方ないのだろう。
一般の人にとっては当然と言えば当然の感覚かもね。

コンクリートに浸みついた脂を除去するのは至難の技。
素人はもちろん、清掃のプロでも誰もができることではない。
でも、私にはできるのだ(ちょっと自慢)。
その具体的なやり方を披露したところで話が面白くなる訳でもないので、ここでは省略しておこう(実は、マル秘だったりしてね)。

我々は、今後の作業についての打ち合わせを進めたながら世間話。
「ところで、もともとの片付け・清掃は誰がやったんですか?」
「亡くなった本人の友達です」
「え!?友達ですか?」
「ええ、古い友達らしいです・・・若い人達が何人か来てました」
「へぇ~!」
私は、素直に感心した。

他の現場でも、色々な事情から自分達で何とかする人達はいる。
でも、そのほとんどは家族・親戚。
今回のように、友達が片付け・清掃を行うのは珍しいケースだった。

私は仕事だから(金がもらえるから)やってるけど、身内でも何でもない友達が腐乱現場の片付けを奉仕でやるなんて、
「人間も、まだ捨てたもんじゃないかもな」
と、ちょっと嬉しかった。

腐敗脂と 戦う日。
私は、万全の装備を引っ下げて挑んだ。
「時間の余裕はある」
「落ち着いてジックリやろう」
私は、手の届く範囲に薬剤・器材を揃えて、腐敗脂の除去作業を始めた。

床に広がる腐敗脂は、既に私にとって故人ではなくなっていた。
だから、私の精神はいたって冷静、ただひたすら作業に集中するだけだった。

コンコン!
しばらくすると、玄関ドアをノックする音がした。
気のせいかと思っていたら、再度ノック音。
その部屋に訪問してくる人はいるはずがなかったので、私は怪訝に思いながら玄関を開けた。
すると、ドアの前には、花束を持った若い女性が立っていた。

女性は、私に深々と頭を下げてから尋いてきた。
「中を見たいんですけど、いいですか?」

中途半端なところで作業を中断させられたら困るので、
「作業が終わるまで待っていただけませんか?」
と、私は冷たく断わ・・・れなかった。
別に、女性に弱いわけではないし優しいわけでもない。
ただ、気が弱いだけ。

「失礼します」
女性は意味もなく足音を忍ばせながら、ゆっくりと部屋に入って来た。
そして、コンクリ床のシミを見て、
「これは?」
と尋いてきた。

私は、説明に困った。
正確に説明すると、
「人間が腐り解ける過程で溶け出した脂です」
となる。
でも、そのままじゃグロ過ぎて素人の女性は聞くに耐えないはず。
何とかソフトな表現ができないものかと思案したが、私が持つ限られた語彙からは、なかなかいい言葉が見つけられなかった。

私が返答に困って黙っていると、先に何かを察知した女性が一言。
「まさか、○○の?・・・」(意味:故人の身体の一部?)
私が黙って頷くと、女性はうずくまって泣き始めた。

「弱ったなぁ・・・こういう時は、一人にしてあげた方がいいのかな・・・」

私は、懲りない想像を始めた。
「一体、この女性は誰だろう」
「部屋の掃除をした友達の一人っぽいな」
「故人の恋人?・・・だったら腐乱する前に気づいてもいいよな」
「だったら元恋人?・・・イヤ、遠距離恋愛?片思い?」

一人でシクシク泣く女性を前に、私は、自分が部屋にいる必要性がないことに気がついて、ソッと部屋を出た。
そして、ビルの谷間の四角い空を見上げて深呼吸した。

少しすると、泣き顔の女性がでてきた。
「スイマセンでした」
「いえ・・・」
「どうか、(脂を)きれいにしてあげて下さい」
「できるかぎり、頑張ります」
「よろしくお願いします」
女性は、私に深々と頭を下げて去って行った。

私は、女性の想いを受け取って再び部屋の中に入った。
女性が置いて行ったのだろう、脂シミの上には花束があった。

作業は長期戦になったが、薬剤の空瓶に活けた花は、私を支えてくれるかのようにずっと咲いていた。

きれいに咲く花とその下の元人間が描き出す生死のコントラストに、私は冬の花を見るような気がした。





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冬の花(中編)

2007-03-02 08:49:38 | Weblog
死者に花を手向ける習慣は、いつ頃から始まったのだろう。
葬儀・墓・仏壇etc
交通事故死が少なくない今は、道端に花が供えられている光景を見るのも珍しいことではない。
自然と定着したのか、時の権力者が定めたのか、まるで決められたルールでもあるかのように、いつも花。

別に花が嫌いなわけじゃないけど、なんでいつも花なのか、意味もなく不思議に思う。
花には、死者を弔うための力があるのだろうか。
それとも、人の一生は花のそれと重なる何かがあるのだろうか。
だとすれば、自分の人生における花は何なのか知りたいところだ。

「マズイ状態じゃなきゃいいけど・・・」
私は、床下の状態を想像しながら作業内容と手順は素早く組み立てた。
そして、下階の依頼者のオフィスへ戻った。

オフィスの入口で出迎えてくれた依頼者は、一瞬、表情を変えた。
ただ、私はその意味に気づくのが遅れた。

当然のごとく中へ入ろうとした私は、
「ちょっと待って下さい」
と声を掛けられた。
そして、
「・・・て、天気もいいし、外で話しましょうか」
と、外へ連れ出された。

「?、来たときと同じように中で話せばいいのになぁ・・・」
鈍感な私は、依頼者の行動がチンプンカンプン、その意味がなかなか分からなかった。
が、少しして、目を泳がせながら幾度となく自分の鼻を触る依頼者にピン!と感じるものがあった。
そう、私の身体が放つ腐乱臭が問題だったのだ。
腐乱芳香剤と化した私が入ったら、オフィスがどんなことになるかなんて誰だって想像できる。
私が気が利かないために依頼者に気マズイ思いをさせてしまって、ちょっと申し訳なく思った。

風通しのいい外で、私は現状を説明し、今後の作業について打ち合わせた。
私が風下に立ったのは、言うまでもない。

とりあえず、天井・壁クロスと床板の張り替えは必須。
その前後と間合に脱臭作業を細かく組み入れる必要があった。
床下については、深刻な状態になっている可能性が大きいことを伝えると、依頼者は表情を曇らせた。
今までの豊富?な経験からこの現場の対処法を導き出し、どんな悪い状態でも何とかなることを伝えて安心してもらうしかなかった。

作業の日。
基本的な消臭消毒をやって下準備。
そして、フローリング床を剥がすことから着手。
腐乱臭というヤツは、まったくあなどれない。
一つの作業手順を誤っただけでなかなか消せなくなることがあるのだ。

「(腐敗液が床板で)止まっててくれればいいけど・・・」
祈るような気持ちで、床板にバールを差した。

どこの現場でもそうだけど、古くもなく汚くもないモノを壊すときは、若干の抵抗感がある。
大袈裟な言い方をすると、環境を破壊するような罪悪感だ。

メリメリ!メリメリ!
痛そうな音を立てながら、フローリンク板は剥がれていった。
この現場の床は「直貼」、つまり床の基礎コンクリートに薄いクッション剤を挟んで板を貼るタイプの床だった。
このタイプの床板を剥がすのは、結構大変。
根気強く剥がしていくしかない。
バールを握る手にはマメができそうになるし、だんだん握力もバカになってくる。
単調作業が苦手の私にはひと苦労。
汗カキカキ、気持ちイライラ。
そのうちに、剥がれていく床板は汚染痕に近づいてきた。

グシュッ!
差したバールの先が湿っぽいイヤな音を立てた。
「残念!やっぱ、イッてそうだな・・・」
そのまま、一気にバールを上げた。
と同時に、濃い!腐乱臭が暴発。
「うへぇ~っ!」
それまで嗅いでいたレベルをはるかに越えた悪臭は、容赦なく鼻を突いてきた。

私が危惧していた通り、腐敗液は床下にまで及んでいた。
「あちゃー、ここまでイッてるかぁ!」
クッション剤は腐敗脂でグショグショ。
使っていたバールは脂まみれになり、ツルツル滑って握りにくくなった。

しかしまた、このクッション剤こそ簡単には剥がれない代物。
専用工具を使ってコツコツと削りとるしかない。
筋トレでもしているかのような、ハードな肉体作業が続いたのだった。

ここまでくると、手足は腐敗液・腐敗脂まみれ。
このまま依頼者のオフィスにでも行ったら、警察に通報されるかもしれない。

とりあえず、一通りの床上げ作業を終えて基礎コンクリートが全容を現した。

「でたなぁ~」
私の目の前には、この現場における最大の敵・真の敵がその姿を現していたのである。

つづく






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