特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

真偽の痛み(事後編)

2008-01-29 08:10:35 | Weblog
「原因不明の異臭がするんですけど・・・」
不動産管理会社から、消臭消毒の依頼が入った。
消臭の場合、電話での質疑応答だけで事が足りることが少なくないので、私はそれを前提に話を聞いた。

「部屋のどこか、汚れ等ありますか?」
「いえ、しばらく前から空室で、ルームクリーニングも終わってますからきれいです」
「そうですかぁ・・・」
「時間が経てば消えるかと思って、しばらく様子をみてるんですが、なかなか消えなくて」
「ん゛ー・・・排水口か、配管か・・・」
「そういった類のニオイじゃないんです」
「ペットを飼ってたとか、ゴミを溜めてたとかは?」
「隠れてペットを飼ってたかどうかまでは把握してませんけど、内装は傷んでいませんでしたからきれい暮らしていたと思います」
「では、外から異臭が入ってることは?」
「いや~、考えにくいですね~」
「あとは・・・天井裏・壁裏・床下が不衛生な状態になってるとか・・・」
「そこまでは、わかりません」
「害虫・害獣の類かもしれませんね」
「・・・」
「ネズミの死骸が悪臭を放っているようなこともありますから」
「そうなんですかぁ!」
「とりあえず現場に伺ってみないと何とも言えない感じですね」
「はい・・・」

異臭の原因が不明であることはよくあること。
そして、そのニオイを言葉で表現するのは至難。
結局、この現場も電話だけではラチがあかず、私は、そのニオイを嗅ぐために担当者と日時を合わせて現場に出向くことになった。


「お忙しいところ、御足労をおかけして申し訳ありません」
「いえいえ、これも仕事のうちですから」
担当者は、マンションの入口で私の到着を待っており、私達はありきたりの挨拶を交わした。

現場は街中の1Rマンション。
私達は連れだってエレベーターに乗り込んだ。

玄関を開けると、中は広めの1R。
一通りのルームクリーニングは済んでおり、見た目には何の問題も見受けられなかった。
ただ、市販の芳香剤が部屋中に置いてあり、その人工的な甘い香りがプンプンと充満していた。

「これは?」
「最初から置いてあったものもありますけど、後で私が置いたものもいくつかあります」
「芳香剤のニオイが強すぎて、うまく観察できませんね」
「そういえば、そうですね・・・」
「一旦、芳香剤を全部撤去して、換気しましょう」
「はい、わかりました」

私は、部屋のニオイをリセットするため、至るところに置いてあった芳香剤をまとめて部屋の外に運び出し、窓と玄関を全開にした。
そして、しばらく後、今度は部屋を密閉。
それから、ニオイの観察を開始。
しかし、芳香剤の残り香が強くて、なかなか異臭が蘇ってこず、それをなかなか確認することができなかった。

「ん゛ー、ニオイがよくわかりませんねぇ」
「確かに・・・当初の異臭がわからなくなってます」
「これだと、異臭の確認は厳しいです」
「・・・」
「数日放置して、また出直してきていいですか?」
「いいんですか?二度手間になりますよ?」
「構いませんよ・・・どちらにしろ、このままじゃ仕事になりませんから」
「すいません・・・」

担当者は、私が現場に二度も足を運ぶことになったことを申し訳なく思ってくれたようだった。
私の方も、仕事になるかならないかわからない現場への再訪問は面倒ではあったが、妙な胸騒ぎと疼く特掃魂によってそれが苦にならなかった。


数日後、私達は再び現場に待ち合わせた。
そして、挨拶もそこそこに部屋を訪問。
すると、目算通り芳香剤のニオイは飛び、部屋には元の異臭が蘇っていた。

「ん゛!このニオイ!このニオイです!」
「クンク・・・ン゛!?」
「わかりますか?」
「このニオイは・・・」
「何のニオイかわかります?」
「え?・・・」
「何とも言えないニオイでしょ?」
「えぇ・・・」
「これが何のニオイで、どこから臭ってくるのか、検討もつかないんです」

私には、ニオイの正体がすぐに判明。
それは、よりによって例のニオイ。
しかし、それは、私の経験と臭覚にもとづいた主観的なもので、客観的な証拠を示せるものではなかく、しかも、モノがモノだけに、それを安易に話すことは躊躇われた。

「このニオイなんですけどね・・・」
「ええ・・・」
「あくまで、私の経験上の感覚でお話しますが・・・」
「はい・・・」
「この部屋で人が亡くなってませんかね?」
「へ?人?」
「ええ・・・人が亡くなってしばらく放置されてたときのニオイにそっくりなんです」
「???」
「腐乱死体のニオイなんです」
「え゛ーっ!!!」
「〝まさか〟と思われるでしょうけど・・・間違いないですね」
「そ、そんなバカな!」
「残念ながら・・・」
「ちょ、ちょっと部屋から出ましょう!」

私の話を聞いていた担当者は、次第に息を荒くして顔を強張らせていった。
そして、それまでは普通に床につけていた足をつま先立てて、慌てて室外に跳び出して行った。

「ホ、ホントですか!?」
「ここで証明することはできませんけど」
「そんな・・・」
「ここに住んでた方は?」
「若い女性です」
「解約のとき、本人と接触されましたか?」
「いえ・・・」
「普通は本人がやりますよね?」
「そう言えば・・・解約手続きの一切は親がやっていきました」
「で、本人は?」
「確か・・・〝体調を崩して入院した〟とかなんとか言ってたように思います」
「〝入院〟ねぇ・・・」
「・・・」
「プライベートなことに踏み込んで詮索するのもどうかと思いますけど、まずは本人の所在を確認されてみてはいかがですか?」
「そ、そうしてみます」


それから、何日か後。
担当者から連絡が入った。

やはり、その部屋に住んでいた女性はコノ世の人ではなくなっていた。
そして、予想の通り部屋で亡くなっており、死後しばらく放置されていた。
また、死体検案書までは確認できなかったものの、死因は自殺の可能性が高いとのことだった。

事の重大さを負いきれなかった遺族は、秘密裏に事後処理を行い、隠蔽を図ったのだろう。
その工作と成果は、プロの私でも充分に評価できるレベルだった。
しかし、ニオイを消し去ることができなかったことが原因で、事が明るみになったのだった。

若い娘を不自然なかたちで失った両親の驚きと悲しみと、嘆きと動揺はいかばかりだっただろうか・・・
言い尽くせないくらいの、激しい痛みをともなったはず・・・
両親が受けた心の傷を察すると、息が苦しくなるような重圧を覚えた。
そしてまた、その傷に塩を擦り込むようなマネをしたかもしれない私は、得も知れぬ罪悪感と鈍い心痛を感じたのだった。


その後、この部屋は内装のフルリフォームをもって、とりあえずの落着を迎えた。
しかし、遺族(両親)の心のリフォームは今だに済んでいないかもしれない。





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二十年の壁・二十年の穴(後編)

2008-01-25 15:20:14 | Weblog
二十年という月日は、短くもあり長くもある。
それは、蘇る想い出によって変わってくる。
何はともあれ、子供を大人にし、若者を中年にし、中年を老人にするには充分の時間で、決して軽く流せることのできない時間であることに違いはない。

二十年前・・・私はまだ大学生だった。
社会的な責任も薄く、食べていくことのプレッシャーもなく、アルバイトに精をだし、勉学はそっちのけで楽しく過ごすことばかりに囚われて生きていたのを思い出す。

遡ると、後悔しきり。
「あの時、友達みたいに普通の企業に就職してたら、こんな苦しみを味わわなくて済んだかもなぁ」
なんて、どうしようもないことを考える。
もちろん、諦めきった空想なのだか、疲れて気分が落ちているときにはやりきれない思いに苛まれることもある。

普通の会社に就職していたら、土日祝祭日に休みがとれて盆暮・GWには長期休暇もある。
仕事の予定が立てられるから、人との約束も可能。
人に仕事の話をしたって、怖がられたり不気味がられたり、変人扱いされたり嫌悪されたりすることもないだろう。

しかし、今の現実(私)がこうなっているのは誰のせいでもない。
能力も精神力もない自分のせい。
色んな壁を避け、色んな穴に落ちてきた結果なのだ。

しかし、私は、この人生でしか得られないものが見えてきたような収穫感もある。
〝命〟とは何か、〝生きる〟とは何か、〝自分〟とは何か。
一見、考えても仕方がないことのように思えるかもしれないけど、得てみるとこの収穫は意外とデカいことを実感している。


愚痴話はこれくらいにして、現場の話を続けよう。

「実は、ここに住んでたのは私の息子なんです」
「え゛!?息子さん!?」
「恥ずかしながら・・・そうなんです」
「そうなんですかぁ」
「それが、こんなことをになってしまって・・・」
「・・・」
「息子もいい歳ですし、いつまでもこのままと言うわけにはいかないので、片付けることを私が強く勧めたんです」
「そうでしたか・・・」
大家の女性は、何かを諦めたような、力のない笑みを浮かべて、話を続けた。

「最初は会社の近くのアパートにいたんです」
「・・・」
「でも、最初の一年で部屋を床が見えなくなるくらいのゴミ溜にしてしまいまして・・・」
「・・・」
「大学もちゃんと出しましたし、名の知れた会社にも就職させて、ちゃんと育てたつもりだったんですけどね・・・」
「・・・」
「そんなことがあって、うちのアパートに入居させたわけなんです」
「なるほど・・・」
私は、話を聞いているうちに、この親子に難しい盲点があることを感じてきた。

「早く自立させた方がいいと思ってやったことなのに、結局、こんなことになってしまって・・・」
「それから、何年くらい経ちますか?
「もう、二十年になりますかね」
「に゛、二十年!?」
「ええ・・・」
「じゃぁ、部屋のゴミは二十年かけて溜められたということですか?」
「まぁ、それに近いです・・・息子は、私が干渉することを嫌いましてね・・・」
「・・・」
私は、何故か二十年前から今日にかけての自分の生き様を思い出し、得体の知れない何かに圧倒された。

本来は、現場調査(費用・作業内容)の報告は依頼者に対して行うものなのだが、本件の実の依頼者は女性のようだったので、私は女性に対してそれを行った。
すると、女性は即断で仕事を依頼してきた。

「床や壁をはじめ、内装はボロボロになっていると思いますよ」
「???」
「ゴミ屋敷の片付けは何度もやってきましたから、だいだいの想像はつくんです」
「そういうものですか・・・」
「とても、掃除でどうこうできるレベルではないはずです」
「・・・」
「原状回復には、内装工事が必要になると思いますよ」
「・・・」
「とにかく、まずはゴミを片付けないとどうにもなりませんよ」
「そうですね・・・大変でしょうけど、よろしくお願いします」
「承知しました」
仕事を引き受けたものの、ゴミの量を思い出した私は、やる前から疲労。
特掃魂の火は、燃え上がるどころかプスプスと燻った。

作業には3日の時間を要した。
運んでも運んでも減らないゴミに、何度も気持ちがくじけそうになったことは言うまでもない。
なにせ、溜まっているゴミは二十年物。
上の方のゴミはまだ手で拾えたのだが、下の方にいくと妙な湿気とともに腐敗が進んでおり、土木作業なみの道具と労力が必要になった。

「これが二階だったら、更にヤバイことになってたな」
DKは水回りが集中しており、ゴミの最下層は紙も衣類も汚泥状態。
床板も悪臭を放ちながら朽ち果て、濡れた紙のようにベロベロ。
梁の上を歩くように気をつけたのに、何度も落っこちた。

「畳が畳めるなんて、洒落にもなんないな」

奥の居室は和室で、DKに比べればマシだったものの畳もグニョグニョに腐敗。
持ち上げるとクルクルと畳めてしまうような状態だった。

「こりゃ、ひでーや」
壁も所々が腐り落ち、触った端からボロボロと崩壊。
一体、どこまで壊れていくものやら、全く読めない状態だった。

やっとのことで部屋を空っぽにできたとき、達成感よりも安堵感の方が強かった。
普段の感覚にはない荷が、私の肩から降りたのを感じた。
しかし、部屋の内装は当初の予想をはるかに越えて損傷。
他に住人のいない集合住宅でなければ、建て直した方がいいくらいに思えた。

「一応、請け負った作業は完了したので、部屋を確認して下さい」
「わかりました」
「ただ、危ないので玄関から覗いていただくしかできませんが」
「危ない?」
「ま、とりあえず行きましょう」
「はい・・・」
私は、女性を案内して玄関ドアを開けた。
同時に、女性は目をまるくして絶句。
ボロボロに腐った部屋は立ち入れる余地もなく、何をどうコメントしていいのかわからないみたいだった。

「とにかく、片付いて助かりました・・・ありがとうございます」
「どういたしまして」
「代金はすぐにお支払いしますから」
「大家さんが?」
「ええ」
「息子さんは?」
「無理無理、息子の給料は月々の生活費にも足りてませんから」
「そうですか・・・」
私は、この親子関係にちょっとした違和感を覚えたが、態度にはださないように気をつけた。

「〝子離れできない親〟〝親離れできない子〟か・・・」
「息子の自立を支援しているつもりが、実はその足を引っ張っている・・・」
「今更、それに気づいても手遅れかな・・・」
そんなことを考えつつ、私は現場を離れたのだった。


人に対する愛情や親切心、善意や善行は人のためばかりではない。
〝人のため〟と思っていても、自覚のないところで、自己満足度を高めさせるものでもある。
そして、それが、人生の壁をつくり落し穴を掘ることになることがある。

生きていくうえでは、どんな壁にぶち当たるかわからない。
どんな落とし穴が待ち受けているかわからない。
だからこそ、壁を乗り越える力と落とし穴を見つける眼力が大切になってくる。

若いうちにその力を育んでおけば、この親子もこうはならなかったかもしれない。
社会ピラミッドの最下段から、そんなことを考える私である。






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二十年の壁・二十年の穴(前編)

2008-01-21 08:54:55 | Weblog
一週間前の月曜日は成人の日だった。
その日、私は寒風が吹く中、都内某所で肉体労働に勤しんでいたのだが、通り過ぎる街々で羽織袴姿の青年や振袖姿の娘さん達をちらほらと見かけた。
そして、彼等・彼女等の輝く笑顔には、何とも微笑ましいものを感じた。
また、将来への夢や希望に満ち満ちて楽しそうにしている姿は、羨ましくも思えた。

その日は例年通り、各地で成人式や祝イベントが行われたようだ。
ハメを外して人に迷惑をかけたり警察の世話になったりする輩もいたようだが、他人にケツを拭いてもらってるうちはまだまだ子供だ。
二十歳にもなるのなら、そろそろそれに気づいてほしい・・・いや、気づくべきだ。

そんな新成人にも、これから色々な人生が待っている。
本意でも不本意でも、誰もが社会ピラミッドを形成するブロックの一つになるのだ。
〝自分流〟を誇示したところで、社会を構成する一員であることには違いない。
階層の固定化・下層社会が肥大化する中で、将来、少数の勝ち組に登るか、大多数の負け組に落ちるか・・・若いときの過ごし方が大きく左右する。
国のせい・景気のせい・学校のせい・親のせい・・・厳しい現実を・不安な未来を他人のせいにしてごまかしても、結局は全て自己責任。
豊作だろうが凶作だろうが、自分が蒔いた種は自分が刈り取ることになる。
這い上がれない自分を責めたって全てはあとの祭。
目の前にそびえ立つ壁を見上げて、疲れた溜息をつくしかないのである。

若い日々を楽しむことは大切だけど、目先の遊興に埋没してばかりでは未来は開けない。
自分の将来をきちんと見据えながら、今を楽しむ知恵が必要なのだ。
しかし、それに気づいている若者は、一体、どれだけいるだろうか。

ちなみに、私が二十歳の頃にそんな考えは持っていなかった。
出ていく社会を牢獄にするのも楽園にするのも、自分次第だということがわかっていなかった。

大人になる節目も何のその。
煙草はもともと吸うつもりがなかったから吸わなかったが、酒は十代から飲んでいた。
政治なんてまるで興味がなく、与えられた選挙権も行使せず。
〝学生でも二十歳を過ぎたら国民年金に加入しなければならない〟というルールができて、これはちょっと気になったけど、結局それも無視。
成人式も興味がなくて行かなかったし、記念写真も撮らなかった。
その日のことは何の記憶にも残ってないので、多分、バイトかなにかをして普段通りに過ごしたのだろうと思う。

当時の私は、漠然と社会ピラミッドを感じていたものの、自分もそのブロックの一つであることの自覚を持っていなかった。
更には、その段差が何を意味するかなんて、考えてもみなかった。
そんな具合いに大人になってしまった私は、そのままズルズルと足元の落とし穴に落ちていったのである。


ある中年の男性が、部屋の片付けを依頼してきた。
言葉数の少ない男性から得られた情報は少なく、それは現場の状況を具体的にイメージできるものではなかった。

「鍵は開いているので勝手に入っていい」
男性はそう言って電話を切った。

「百聞は一見にしかず」
私は、時間を見繕って現場に向かった。

教わった住所に建っていたのは、古い鉄筋アパート。
目的の部屋はその一階にあったが標札はなく、念のために呼鈴を鳴らしてみた。
しかし、それが中で鳴ってる様子がなかったため、私は玄関ドアをノックしてしばらく待った。
そして、中からの応答がないことを確認してからドアノブに手をかけた。

「は?何だこりゃ」
玄関ドアを開けるとそこは壁。
そして、その壁をよく見ると、驚くべきことにそれは全部ゴミだった。

「たはーっ!こ、これはスゴイな・・・」
新聞・雑誌・衣類・食物ゴミetc・・・
それらが圧縮され幾重もの層になり、壁のように玄関を塞いでいたのだった。

「どうやって中に入ればいいんだ?」
私は、入口を探してウロウロ・キョロキョロ。
窓側に回っても、中への出入口らしきものは見つからなかった。

「ひょっとしてここか?」
ゴミ壁の上部には、ちょうど、人が一人くぐれそうな大きさの穴が空いていた。
そして、その奥は真っ暗で何も見えず、ちょっとしたスリルを感じた。

「とりあえず、入ってみるか」
私は、懐中電灯を片手に壁をよじ登った。
それから、頭を穴に突っ込み、手足を使ってそのまま身体を中に入れた。

「うお゛ー!」
中に入った私は仰天!
ゴミは天井近くまでびっしり詰まり、まともに身動きもとれない状態だった。

しかし、まだそこはDK。
その奥に肝心の居室があった。
私は、ゴミと天井の間を這って移動するしかなく、その様は、秘境の洞穴を探検している冒険家のようだった。

「なんか、笑えるな」
目の前の光景があまりに非日常的であることと、そこを這い回る自分が滑稽で、私は一人で苦笑した。

「う゛ぁー!こっちの部屋もスゴイことになってる!」
奥の居室はDKの更に上をいっており、所々に凹みがあるものの天井とゴミの隙間がほとんどない状態。

「これでどうやって生活してたんだろう」
依頼者は既に他所へ転居していたが、そこでの暮らしぶりは、私には想像できなかった。

一通りの探検を終え、私は外に帰還。
服についた汚れを掃いながら、やる前から気が滅入りそうな作業の段取りを頭で練った。
すると、私の姿を見つけてか、隣の家から年配の女性がでてきて私に近づいてきた。

「ご苦労様です」
「どうも・・・」
「片付けの方ですか?」
「ええ・・・今日は見に来ただけですけど」
「中はひどいでしょ?」
「ええ、まぁ・・・」

いくらゴミ屋敷をつくったからと言っても、依頼者の男性のプライバシーも守られるべきもの。
見ず知らずの第三者に対して、私は口を重くした。
女性は、それを察したらしく、尋いてもいないのに自分の身分を明かした。
それから、この部屋がゴミ屋敷になっていった経緯を話し始めた。

「私、ここの大家なんです」
「え?大家さんですか?」
「ええ、この隣が自宅です」
「この部屋の事情を、ご存知ですか?」
「ゴミが溜まってるんでしょ?」
「ええ・・・ご存知でしたか・・・」
「ええ・・・ただ、ずっと見て見ぬふりをしてきたんです・・・」
「え?〝見て見ぬふり〟ですか?」
「ええ・・・」
「???・・・」
「実は・・・」

つづく





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虫の居所

2008-01-17 08:46:29 | Weblog
その昔、私が小学生だった頃、年一回くらい検便とギョウチュウ検査が実施されていた。
(今でもやってる?)
便秘気味だった私は、当日の朝に新鮮なウ○コを用意するのには苦痛をともなった。
トイレに新聞紙を敷いて、腸が飛び出さんばかりにふんばった記憶がある。

それでも、ヤツはなかなか顔をださない。
出したくないときに出たがるくせに、出さなきゃいけないときに出たがらない、まさにウ○コ野郎。
少年期の私は、そいつにどれだけ苦しめられただろうか。
その反動か?祟りか?、不本意ながら今では立派な?ウ○コ男に成長している。

そんな不幸に見舞われながらも、幸いなことに、私の腹からギョウチュウが見つかったことは一度もなかった。
ちなみに、〝ギョウチュウ検査で陽性がでた者は、容赦のないイジメに遭う〟という風説を聞いていたが、私の回りには虫を宿した者はおらず、そんな殺伐な雰囲気は一度も味わわなくて済んだ。

しかし、大人になった今、私は違う虫を抱えるようになってしまった。

〝弱虫〟〝泣き虫〟癇の虫〟〝腹の虫〟etc・・・
私の中には、結構な種類の虫が巣くっている。

「弱虫」
私は、本当に気の弱い男だ。
それは、幼少期から一向に変わらない。
強いモノになびき、弱いモノに安心する。
何かに幼果敢に挑戦することはほとんどない。
何事にも消極的で、人の陰に隠れている方が楽。
強そうに見えるとしたら、それは錯覚。
追い詰められた状態で逃げられなくなっているだけ。
いわゆる〝火事場の馬鹿力〟を発揮している状態。

「泣き虫」
年齢を増すごとに頭角を現しているのがコイツ。
辛さや苦悩で泣くこともあるけど、助けてもらったり優しくしてもらったりしたときに泣くことが多くなってきた。
価値のない自分に価値を感じたときに涙がでるのだ。
ここ2~3年は、人前でも抑えがきかなくなってきた。
まったく、恥も外聞もない。

「癇の虫」
気が弱いくせに、気が短かくもある。
私は結構な癇癪持ちなのだ。
些細なことでイラつき、キレてしまう。
勘忍袋の尾が腐っているのだろうか。
あまりの器の小ささに、自分で自分がイヤになる。
もっと寛容で忍耐強い人間になりたいのに、残念だ。

「腹の虫」
私は、自分でも〝大食い〟だと思う。
最盛期は、一度の食事に三合の飯を食べていた時期もある。
さすがに、今はそこまでは食べられないけど、一般的な食べ物屋の〝大盛〟では満腹にはならない。
食べることと寝ることぐらいしか楽しみのない私にとって、食べることは幸せそのもの。
ただ、メタ坊を満腹させる必要はどこにもないから悩ましい。


虫は、外にもたくさんいる。
私にとって身近な虫は、やはりウジとハエ。
その存在は、空気・水みたいなもの。
彼等がいてくれるお陰で飯が食えているのかもしれないから。

ところで、一般の人でも、ハエくらいは見たことがあるだろう。
腐乱死体現場にいるヤツは黒光りしたでっかいヤツだから別格かもしれないけど、小蝿くらいならどこにでもいるからね。
歓迎はできないまでも、身の回りに結構いるものである。
しかし、ウジは違う。
普通に暮らしていたら、そうそうお目にかかるものではない。
ましてや、腐乱死体から発生したウジなんて尚更だ。

ある腐乱死体現場。
現場は、古いアパートの二階。
玄関に近づいただけで、例の異臭を感じた。

故人は、高齢の男性。
布団で休んでいるときに、そのまま逝ってしまったらしかった。

依頼者は、故人の息子。
特に悲嘆にくれている様子もなく、極めて冷静で淡々としていた。

男性は極めて冷静で気丈そうな人物であったが、それでも部屋の中を見ることはできないとのこと。
窓にたかるハエと玄関から漏れ出す異臭から、中が凄惨なことになっていることが容易に想像できたかららしかった。

私は、男性を玄関前に残し、マスクと手袋を装着し靴を履いたまま単独突入。
狭いDKの奥に六畳があり、そこが問題の現場だった。
部屋の中央に敷かれた敷布団には、クッキリと人型がでていた。
暑い季節だったため、その汚腐団はタップリの腐敗液を吸って不気味な色に染まっていた。

「こりゃ、畳までイッてるな」
私は、布団全体をくまなく観察。
そして、汚れていない部分を見つけて持ち上げてみた。

「う゛ぁ~!いるいる!」
布団の下を覗くと、腐敗液で真っ黒になった畳にウジがウヨウヨ。
徘徊する数は計り知れず、遠目に見ると大量の米粒が散乱しているようにも映った。

悪臭を携えて戻ってきた私に、男性は驚いた様子をみせた。
「だいぶ酷いんでしょ?」
「ええ・・・畳はもちろん、床板もダメだと思います」
「この時季だから尚更ですよね」
「おっしゃる通りです」
「大変なことをお願いしてすみません」
「大丈夫ですけど・・・虫がだいぶ湧いてますね」
「虫?ハエですか?」
「ハエもいますけど、ウジの数も相当です」
「ウジ?」
「ええ、ハエの子供です」
「ハエの子供!?」
「ええ・・・」
「ハエに子供なんかいるんですか!?」
「は?」
「ハエって、卵から生まれるんじゃないんですか!?」
ハエの前身を知った男性の驚きようはハンパではなく、そのハイテンションぶりには私も驚かされた。

「ウジからサナギになって、それからハエになるんです」
「え゛ーっ!!」
「世界には違う種類もいるらしいですけど、少なくともここにいるのはそうです」
「マ、マジですか!?そんなの全然知らなかった」
その昔、油揚げの元が豆腐であることや、きな粉の元が大豆であることを知ったときの心地よいショックを思いだし、私は思わず笑みをこぼした。同時に、子供のように目を輝かせる男性が面白くて、そこが腐乱死体現場であることを忘れてしまった。

「ウジって、どんなのですか?」
「見たことありませんか?」
「ないない!」
「遠目に見ると米粒みたいで、短いイモ虫みたいな感じです」
「ほぉ~」
「見たいですか?」
「見たいと言えば見たいけど、見たくないと言えば見たくないような・・・」
「中に入ればいますし、何匹が連れてくることもできますが・・・」
「ん゛ー・・・」
私達は、子供がカブト虫の幼虫を捕まえに行く話でもしているかのような妙なノリになっていた。
しかし、そこは人が死んで腐った現場。
しかも、故人は男性の父親で目的の虫はウジ。
男性の屈託のない好奇心には好感が持てたけど、遊び心もほどほどにするべきと気づいた私は、実際にウジを連れてくることはやめた。

それでも、私達はウジ談義を通じて親しみを持つことができ、以降の仕事がやりやすくなったのであった。


人の身体が腐る性質をもつからには、虫が湧くのは仕方がない。
人の心が腐る性質をもつからには、虫がいても仕方がない。
しかし、せめて片付けやすい所にいてほしいものだ。

虫の居所が悪いと、せっかくの人生がつまらなくなるからね。





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三角関係(後編)

2008-01-13 08:16:26 | Weblog
人間って、単純な動きをするわりには、そう単純な生き物ではない。
人と人とが信頼関係を構築するには、相当の時間と実績を要する。
しかし、それが壊れるのは一瞬。
そして、一度壊れた人間関係を修復させるのは、極めて困難。
表向きは修復できたように思えても、ほとんどの場合で何らかのシコリやキズ痕が残るもの。


泣く女性に比べたら、怒る女性の方がまだ扱いやすい。
しかし、この女性の怒りようは、私の身をたじろがせるものがあった。

電話をしてきた女性は、あのマンションの賃貸借契約を仲介した依頼者の友人。
それが、私が依頼者に話した現場状況に疑義を覚えて電話してきたのだった。

「無責任に大袈裟なこと言わないで下さい」
「はぁ・・・大袈裟なことを言ったつもりはありませんけど・・・」
「〝リフォーム工事が必要〟っておっしゃったんですって?」
「ええ・・・ただ、その理由もお話しましたけど」
「普通に生活したって、部屋が汚れることぐらいあるでしょ!?」
「そりゃまぁ・・・」
「血を吐いたくらいでリフォームが必要だなんて、私には納得がいきませんよ!」

女性は、吐血量の多さを理解していなかった。
しかも、肝心なのは血痕どうこうよりも、そこで人が死んでいたということなのに、そのことには気づかないで不満を爆発させていた。

揉め事が嫌いな私は、しばらくの間、聞き役に徹した。
しかし、女性があまりに勝手な憶測でものを言い続けたので、私の口もムズムズしてきた。
そして、だんだんと我慢がきかなくなり反論に転じた。

「でも、現場を見られたわけじゃないんですよね?」
「それはそうですけど・・・」
「私の言ってることが不適切かどうかは、現場を見てから判断していただけますか?」
「まぁ・・・」
「一度、見てきていただいて、お気づきの点はその上でおっしゃって下さい」
「・・・」
「いつ行かれます?」
「・・・」
「必要でしたら、私も同行しましょうか?」
「・・・」
「その方が話がはやいと思いますので」
「お・・・お願いします」

私の反撃に女性はあえなく撃沈。
弱々しく現場への同行に同意。
私は、再び現場を訪れることになった。

その翌日の夕方、私は仲介者の女性と現場マンションのエントランスで待ち合わせた。
約束の時間通りに現れた女性はかっちりしたスーツ姿で、男性に依存せずバリバリと仕事をこなしているような熱を放っていた。
その醸し出す雰囲気は依頼者と酷似しており、二人が、類が呼んだ親しい友人であったことが伺えた。

ただ、そんな女性も表情だけは暗く憔悴。
知人の不慮の死を悼んでか、依頼者との友情が壊れたせいか、はたまた現場に入ることに気が病むせいか・・・苦悩を抱えていることと気分が消沈していることは明らか。
最初に電話をしてきたときの勢いはなく、借りてきた猫のようにおとなしくなっていた。

一方の私も、過日の件を根に持ち続けるのも男らしくないので、何事もなかったかのように接することにした。

「では、行きましょうか」
「ええ・・・」
「・・・」
「気が進みませんか?」
「・・・申し訳ありません」
「いえいえ、普通はそうです」
「・・・ごめんなさい」
こんなこともあろうかと、私は用意していたデジカメを取り出して起動。
そして、液晶画面に過日に撮っておいた現場写真を写して女性の前に差し出した。

「例の洗面所と浴室の写真なんですけど、見ます?」
女性は、黙って頷いて視線をカメラに向けた。

「黒くみえる部分が血痕です」
私が汚染の状況を説明すると、女性は目を潤ませながら表情を強張らせた。

「写真だとこんなもんですが、実際の光景はこの何倍も凄惨ですよ」
女性は、この写真から現場を想像したようで、泣きそうな表情になった。

「こんな状態でも、見た目にきれいにすることはできます」
「そうですか・・・」
「ただ、○○さん(依頼者)の心情は、そう簡単にはクリアにならないと思いますよ」
「・・・」
「ここが御自分の所有マンションだったら、もしくは、これから住む予定の部屋だったらどうでしょう・・・〝全く気にならない〟ということはないですよね」
「はい・・・」
私は、女性を責めるつもりはなかったのに、ついついそんな口調になってしまった。

「これから、どうすればいいんでしょう・・・」
「まずは、汚染箇所の清掃と消臭消毒をすることが先決ですね」
「そうですね・・・」
「それからのことについては、○○さん(依頼者)とよく話し合われることをおすすめします」
「・・・」
「○○さん(依頼者)にも貸した責任があるとはいえ、受けたダメージと事後処理のプレッシャーはそれ以上だと思うんですよ」
「そうか・・・」
「○○さん(依頼者)は、逃げたくても逃げられない立場ですからね」
「そうですよね・・・」
「まぁ、こうなると皆さんが被害者なんでしょうけどね」
「・・・」

〝貸主(依頼者)⇔仲介者(女性)〟との友人関係は完全に崩壊し、既に円滑なコミュニケーションが図れなくなっていた。
そんな中で、仕事上の必要性から、私は二人の橋渡しをしながら話を進めていくしかなかった。

私は、ボランティアで特掃業務を請け負っているわけではないので、責任権者が明確にならないうちは現場のことは放っておいてもよかった。
代金を回収する見込みが立てられないと、仕事としては危険だからだ。
しかし、汚染を放置すればするほど状況は深刻化していく一方なのは明白なこと。
血痕はますます固定化し異臭は部屋全体に浸透していくばかりで、時間を経過させればさせるほど、原状回復への道程が遠くなる。
そんな訳で、私は特掃だけでも早急にやるべく両者の間を調整した。
しかし、そんな私の尽力をよそに、責任の所在はいつまで経っても定まらず、仕事でやっていることのようには思えなくなってきた。

二人は、それなりの経済力を持っており、特掃の代金が払えないわけではなかった。
問題は、金額ではなく責任の所在。
始めに特掃代金を負担してしまって、そのなりゆきで全部の責任を負うハメになりはしないかと警戒しているようだった。

それでも、現場は放置しておけず。
最終的には、〝費用は誰かが必ず払う〟というかなり曖昧な口約束だけで特掃を行うことになった。
私も、リスクを背負ったのである。

特掃作業は、特段の障害もなく難なく完遂。
ニオイを片付けるのに若干の手間がかかったものの、見た目には何もなかったかのような状態に戻すことができた。

野次馬根性丸出しで余計なおせっかいを焼いても、到底、私が責任を負えるものではないので、以降のことには消極的な姿勢を貫き、私はこの三角関係から自然消滅することを図った。
そうして、この三角関係は粋な小話一つ残すことなく終焉を迎えた。
「女二人を相手にした三角関係なんて、懲り懲りだな・・・」
一仕事を終え、私はそんな贅沢を吐いた。

何日か後、結局、代金は遺族が払ってきた。
そして、その後は、〝依頼者・仲介者・遺族〟という新たな三角関係によって事後処理がなされていくのだった。






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三角関係(前編)

2008-01-09 07:59:42 | Weblog
〝人は、三人集まると人間関係が発生する〟と言われる。
しかし、人が苦手な私の場合、人間関係を発生させるのに三人も必要ない。
二人で充分・・・イヤ、自分一人でも持て余す。
〝人は一人では生きていけない〟とわかってはいても、人間関係のしがらみに疲労する。
取り扱いがこんなに難しいなんて、人間って、単なる動物のようであっても、ただの動物ではないのだろう。

今回は、〝三角関係〟の話を書こうと思う。

「三角関係」と聞くと、どんなことが頭に浮かぶだろうか。
私の場合、まずは男女の愛憎関係が頭に浮かんでくる。
二股をかけたりかけられたり・・・嘘と詭弁で塗り固められた淫らな関係・・・。
ま、奥手で実直?な私には縁のない話だが。


現場は、見るからに高級そうなマンション。
建っている場所も一等地で、住環境としてのステイタス性は充分。
高級ホテル並のエントランスが無言の威厳を放っていた。

依頼者は現場となった部屋の持ち主で、約束の時間ピッタリに姿を現した。
その落ち着いた外見と物腰は、女性が私と同年代であることを示唆し、更にキャリアウーマン風の利発さも兼ね備えていることも伺えた。
私達は簡単に挨拶を交わし、行き交う住人達の目を避けるようエントランスの隅に場所を移した。

「何をどうすればいいのか、さっぱりわからなくて・・・」
依頼者は、困惑を極めた様子で現場の状況を話し始めた。

「住んでた方が中で亡くなってしまって・・・」
「そうですか・・・」
「浴室や洗面台が血だらけになってるらしいんです」
「〝血だらけ〟ですか?」
「ええ・・・」
「ストレートにお尋ねしますけど、自殺ですか?」
「いえ、違うみたいです」
「死因は聞かれてます?」
「ええ・・・○○と聞いてますけど・・・」
「なるほど・・・血は吐血によるものなんですね」
「らしいですね・・・」
「突っ込んだ質問をして申し訳ありません」
「いえ・・・」
「仕事柄、感染症には常に注意しとかなければならないものですから」

私は、故人の死因に始まり、現場を取り巻く色々な状況を尋ねた。
通常の賃貸借契約の場合は、貸主と借主の間を不動産管理会社が仲介するのだが、この案件は違っていた。
依頼者(貸主)と故人(借主)は共通の知人を介しての賃貸借契約、つまりプライベートな信頼関係にもとづいての賃貸借契約を結んでいた。
それで、部屋で死人がでただけでも大事なのに、不動産管理会社を仲介にした正規の賃貸借契約ではなかったことが、問題を更に大きくしているようだった。

亡くなったのは、依頼者と同年代の女性。
依頼者は、賃借人が部屋で亡くなることなんて夢にも想像していなく、仲介した友人と故人を信用して気楽な気持ちで貸していたようだった。
もちろん、故人も人様に迷惑をかけるつもりで亡くなったわけではないはずで、その辺の行き違いに人生の妙を感じさせるものがあった。

一通りの話を聞いた私は、とりあえず部屋を見てくることにした。
依頼者は、一緒に部屋に入ることはもちろん、現場の階まで上がることにも気がすすまないようだったので、依頼者をエントランスに置いて一人で現場に向かった。
いつもなら、首に専用マスクをブラ下げて手袋をはめながら移動するところなのだが、このマンションにその姿はあまりにもミスマッチなので、道具を身の陰に隠しながら現場へと移動した。

「さてと・・・いっちょ、見てくるか!」
玄関前でマスクと手袋を装着し、自分に気合をいれて開錠。
そして、ドアをゆっくり引いた。

玄関から見える室内は、見た目にはきれいだった。
土足であがるには気が引けたので、私は勝手にスリッパを拝借して浴室を目指した。

「お゛っ!」
ゆっくり廊下を曲がった私の目に、いきなり脱衣場の洗面台が飛び込んできた。
白いシンクは深紅に染まり、グロテスクな模様を描きだしていた。
また、その周辺には小豆色のシミが飛び散っていた。
そこは、故人が大量の血を吐く凄惨な光景を思い起こさせた。

「この分じゃ、風呂場も大変なことになってそうだな」
すぐそばの浴室扉を開けると、浴室の床は真紅に染まり、人型の痕が残されていた。
浴室にたどり着いた故人は、ここでも大量に吐血し、そのまま還らぬ人となったようだった。

一通りの現場確認を終えた私は、依頼者の待つエントランスに戻った。
私を待つ間、依頼者は例の友人に電話をかけていたらしかったが、何度かけてもつながらなくてイラついていた。

「本当は、他人に貸すのは気が進まなかったんですよ」
「・・・」
「このマンションは近いうちに売却するつもりだったのに、友人から強く希望されて、仕方なく貸したんです」
「・・・」
「あの時、毅然と断って、そのまま売っとけばよかった・・・」
「・・・」
「こんなことになっちゃって、お先真っ暗ですよぉ・・・」
「・・・」
依頼者は、故人にマンションを貸したことを悔やんでも悔やみきれないようだった。
そして、私も、依頼者の不運にかける言葉もなかった。

「ところで、部屋はどうでしたか?」
「掃除や整理整頓が行き届いていて、全体的にはきれいです」
「はぁ・・・」
「ただ、洗面所と浴室が血の海で・・・」
「・・・血の海・・・ですか・・・」
「ええ・・・」
「何とかなりますか?」
「まぁ・・・見た目には・・・」
「掃除すれば大丈夫ですよね?」
「・・・まぁ・・・あとは〝気持ち〟の問題ですね・・・」

浴室・洗面所を血の海にしただけでも資産価値(売値)を下げるはず。
しかも、〝そこで人が死んだ〟となったらどこまでのマイナス要因になるか想像もできない。
それは、掃除してどうこうできるものではない。

「こんなマンションに買い手はつきますかね?」
「私の経験で言うと、かなり厳しいです」
「はぁ・・・そうですか・・・黙って売っちゃダメですかね」
「私が関知できるものではありませんけど、賛成はできませんね」
「そうですか・・・」
「浴室と洗面所をフルリフォームすれば、だいぶ違うと思いますよ」
「リフォーム?」」
「ええ、水回りのリフォームは高くつきますけど、買い手の心象はだいぶよくなるんじゃないでしょうか」
「そうかもしれませんね」

依頼者は、落胆の色を濃くした。
そして、仲介した友人と故人に対し、また判断を過った自分への怒りを押し殺しているようにも見えた。

「仲介に入った御友人は、何らかの保証をしてくれないんですか?」
「それが・・・始めは〝責任をとる〟と言っていたのに、事の重大さが露呈していくにつれて逃げ腰になってきていて・・・」
「ありがちなパターンですね」
「今じゃ、電話にもロクにでなくなりました」
「・・・」
「親しく付き合ってきたつもりでしたけど、そんな人だとは思ってもみませんでした」
「これまた、ありがちなパターンですね」

依頼者が仲介者の友人と揉めていることは明白で、キナ臭さがプンプンしていた。
結局、〝現段階では費用を負担する人がハッキリしない〟と言う理由から、その日の作業は現地調査のみで終わった。


その翌日、ある女性から電話が入った。
電話にでた私に対して女性はぶっきらぼうな物言いで、
「無責任に大袈裟なこと言わないで下さい!」
と、まるで受話器が噛み付いてくるんじゃないかと思われるような勢いで、吠えかかってきた。

「誰だ?この女性は」
その後、私はとんだ三角関係に飲み込まれていくのだった。

つづく







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厄介者

2008-01-05 08:07:37 | Weblog
年が明けて5日目ともなると年賀ムードもだいぶ薄まり、私にとって最も?厄介な時節が過ぎ去ろうとしている。
そこには、祭のあとに似た寂しさと、日常を取り戻せる安堵感がある。

毎年のことながら、私は新年早々から、厄介な電話ばかり受けている。
それは、死人系をはじめ、ゴミ系・動物系・遺品処理系と多種多様。
人の不幸を笑ってはいけないけど、仕事とは言え、正月祝賀の中でそんな会話ばかりしている自分が滑稽に思える。

一般的には、昨日が仕事始めだった人が多いのだろう。
また、今日は土曜なので、昨日を有給休暇にして連休を延ばしている人も少なくないかもね。
どちらにしろ、私には縁のない羨ましい世界のことだ。
しかし、連休明けの朝欝くらいは、私も共有できるかもしれない。
楽しかった休暇のあとの仕事は、誰にとってもツラいものだろうからね。
ま、その辺の厄介なことは一人一人が自分を乗り越えてクリアしていくしかない。

ゆっくり休暇がとれなかった人は、これから一息つくのだろう。
しかし、年末年始でも働いてくれている人がいるからこそ、正月も楽しく過ごせるというもの。
何事においても、人には感謝すべきだ。

この正月、親戚や友達と久し振りに会った人もいるだろう。
一年ぶりくらいならまだしも、何年かぶりの再会となると、お互いの変容ぶりが目につくもの。
どんなにお洒落(若作り)しても加工(化粧)しても、時の経過(加齢)には逆らえない。
〝逆らえてる〟と思っているのは自分だけ。
その悪あがきが、加齢を加速させているにも関わらず、
「昔と全然変わらない」
「若く見える」
等と注目してやらないと機嫌を損ねてしまうような厄介者はどこにでもいそう。
そんな身体も、いずれは冷たく硬直の後に灰と化すのにね。


死亡者数は、一年のうちでも冬場が最も多い。
そしてまた、火葬場も正月休業をとるため、病院・葬儀場・火葬場などの霊安室には茶毘待ちの遺体がたまってくる。
言葉は悪いけど、活況を呈する魚市場状態。
そんな中で、行く宛を失った遺体は自宅に戻される。

「一晩くらいは自宅で休ませてやりたい」
と思う遺族は多い。
しかし、それはあくまで死んだ人。
始めは歓迎していた遺族も、日数が経過していくにつれ物理的・精神的に持て余してくる。
悲しいかな、安置されている遺体が厄介者のように思われてしまうのだ。
しかし、遺体をどこにやることもできず、邪険にすることもできない。
遺族は、それがいなくなるまで辛抱するしかないのである。


冬でも、遺体にはドライアイスがあてられる。
長期安置の場合は尚更だ。
そして、部屋の暖房はOFF。
それができない間取りであっても、部屋の温度上昇はできるだ抑えるよう努めてもらう。

暖房による弊害は主に二つ。
そう、一つ目は遺体の腐敗。
腹部(内蔵)を起点に徐々に進む身体の腐敗だ。
二つ目は乾燥。
ただでさえ冬の空気は乾いている。
それに暖房を加えると、空気は一層乾燥する。
そんな空気に晒された遺体も自然と乾燥していく。
身体はドライアイスと布団に隠されているけど、ほとんどの場合、顔はむき出しの状態。
それが乾燥してくると土色に痩せてくる。
だから、火葬まで時間を要する場合は、当初から顔の乾燥を防ぐ処置を施しておくことが大切になってくる。
一旦乾燥させてしまうと元には戻せないから、単に冷やして寝かせておけばいいってもんじゃないのだ。


「敗血症」という重症の感染症がある。
以前にも書いたことがあるけど、この遺体を長期安置するのは、かなり厄介。
生前の身体に細菌が入り込んで全体に悪影響を及ぼしたうえ、死後の遺体に驚くべき変化をもたらすことがあるからだ。

敗血症による遺体の腐敗は、全く侮れない。
ほんの数時間の間に、まるで別人のように変貌するからだ。
身体は、スポンジ+風船のように何倍にも膨れ上がり巨大化。
皮膚は軟弱化し、ちょっと触れただけでズルッと剥けるく。
少しすると、火傷の水脹れに似た水房が発生し、それが次々に破れて黄色い腐敗体液が着衣や布団を濡らしていく・・・

その様は凄まじく、遺族は右往左往。
生前の面影がなくなるどころか、それ以上におぞましい姿となった遺体は人に恐怖感すら与えてくる。
だから、敗血症の遺体を長期安置する場合は、遺族への事前説明とできるかぎりの処置及び経過観察が重要になってくるのだ。

「敗血症で長期安置か・・・厄介な仕事になりそうだな」
ある年の暮れに亡くなったその故人も、敗血症を患っていた。
しかも、年末年始の諸事情から、火葬の予定まではかなりの時間があいていた。
敗血症の遺体に何度も痛い目に遇ってきた私は、敗血症の遺体の恐さをよく理解していた。
そうは言っても、敗血症の遺体だからといって危惧するような変貌を遂げるとは限らない。
現実には、特段の変容もなく茶毘にふされる遺体もある。
あくまで、〝その可能性がある〟〝その可能性が高い〟というだけのこと。
だから、それを遺族に伝えて不安感を与えることには戸惑いが生じるのだ。

生前のままに安らかに眠る故人を前にそんなことを言うと、
「妙なことを言うな!」
と、顰蹙をかうかもしれない。
その上、結果的に遺体が変容しなければ、故人と遺族の平安な別れに水を注すことにもなりかねない。
そうなると、もともこうもない。

できることなら早々に柩に納めて、大量のドライアイスで凍らせておくのが無難。
または、少々の損傷をともなっても全身に防腐処置を施しておくことも一つ。
しかし、遺族がそんなことを望むわけはなく、結局はギリギリの冷却とこまめな経過観察でしのぐことになる。

この遺体の場合も、数日に渡って警戒・観察を続けた。
そして、幸いなことに特段の変容は表れず、私の心配をよそに何事もなく灰になった。


私の場合、仕事を厄介に思ってしまうことは日常茶飯事。
職務上、物理的に中途半端な仕事は許されないけど、精神的にハンパな状態に陥るのは常。
真の厄介者は自分の内側に潜んでいるのに、それをついつい外側に探してしまい、バランスを崩すのだ。

生きていくうえで本当に厄介なのは、自分の心に潜む厄介者・・・弱さ・愚かさ・邪悪さ・虚しさetc
善戦・苦戦を繰り返しながらも、勝利・敗北を考える余裕がなくても、本意でも不本意でも、生きているかぎりはひたすら戦い続けなければならないのだ。
〝生きる〟ということの一つはそういうこと。

その決着がつくのは人生の幕を閉じる間際になるのかもしれないけど、自分の中の厄介者とは人生をかけて戦いたいものだ。
それは、生きている者にしか与えられない特権なのだから。






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2008-01-01 08:40:38 | Weblog
嬉しいとき・楽しいとき・悲しいとき・苦しいとき・・・見上げる空は、いつも私の味方。
どんなときも決して裏切らない。
今までに、何度も励まされ、癒され、支えられてきた。

冬の空は澄んでいる。
晴れた昼は遠くの景色まで見渡せる。
夜は無数の星が輝き、白い月が闇を照らす。

そんな星空は、自分が宇宙の塵に過ぎないことを教えてくれる。
月明かりは、自分の小ささを照らし出してくれる。


月が変わり、今日から2008年がスタートした。
世間はのんびりした祝賀ムードに包まれている。
普段の社会は殺伐とした空気に包まれているので、一年のうちでも正月の穏やかな雰囲気は貴重だ。
昨日に引き続いて、元旦の今日も現場仕事はなさそうで、私は完全に気を緩ませている。
いつ鳴るかわからない携帯電話は片時も手放せないけど、今日くらいはこのまま休みたいものだ。

今年もまた、私は、年賀状を一枚も書いてない。
正月飾も出していないし初詣に行くつもりもない。
多分、風邪なのだろうが、年末から体調も優れないため、せっかくの酒もすすまない・・・結構、寂しい?正月を迎えている。

休日の一日はアッという間に過ぎていく。
心身の疲労が蓄積しているため、身体が溶けるくらい寝ていたいと思うけど、なかなかそうもいかない。
しかし、本当に溶けてしまった人達のことを思い出すと、そんな怠け心は間違ったものであることに気づかされる。

そんな私の仕事納めは12月31日、仕事始めは1月2日。
そう、私の年末年始休暇は本日の一日のみ。
それも、終日ではないし、いつ呼び出しがかかるかわからない。。
そんな状況では出掛ける予定なんて立てられるはずもなく、仮に予定が立てられたとしても時間がなさ過ぎて大したことはできない。
慣れた生活であっても、かかるストレスはかかる。
明日からはまた仕事、好きでも嫌いでも仕事。
生きていくためには、わがままは言えない。


「また新しい一年が始まるのか・・・」
毎年のことながら、新年早々に疲労感・不安感を覚えている。
本来なら、新しい年に対しての夢や希望・期待を覚えるのが理想なのだが、現実はその逆。
気絶してしまいたいくらいの暗闇に怖じ惑う。

今年は、私にとってどんな年になるのだろう。
一年間、無事に過ごせるだろうか。
食べていけるだけの仕事はあるだろうか。
老いていく身体は、過酷な現場に耐えられるだろうか。
弱い精神は、独自のスタンスを維持できるだろうか。
そしてまた、この命とこの身体を保っていられるだろうか。

ポジティブな思考よりネガティブなイメージが優先する。
しかし、先のことを思い悩んだところで、どうすることもできない。
来たる未来を素直に受け入れるしかないのだ。

どちらにしろ、今年もあまり変わり映えのしない年になりそうだ。
特段の変化がないことについつい不満感や退屈感を持ってしまうけど、変わり映えのない毎日がどれほど貴重なものであるかを謙虚に受け止めておくことも大切だと思う。


新春早々、縁起でもないネタをぶつけて恐縮だが・・・今年もまた、たくさんの人が死ぬのだろうと思う。
命あるものの宿命は誰も逆らえない。
依頼があれば、心身が許すかぎりいくらでも片付けてみせるけど、せめて自殺くらいは減ってほしいものだ。

どんな仕事でも、気持ちと身体が共通してYESならマシなのだが、気持ちか身体どちらかがNOのときはツラいものがある。
特に、自殺現場ではそのバランスが崩れやすく、その分、パワーを要する。
恐いわけでも不気味なわけでもなく、霊や祟りが気になるわけでもない。
何とも言えない悲哀と同情・虚無と感慨が重くのしかかってくるのだ。

私が現れるところはHappyな雰囲気はない。
身を置くのは、暗く湿った社会の裏側ばかりだ。
その姿はまるで、社会の裏路地を歩く疫病神のよう?

そんな私の仕事には笑顔は似合わない。
依頼者が笑顔で登場することもなく、私も笑顔をふりまく必要もない。
そんな、笑顔が少ない世界に生きている私。
十何年もこの世界にいる私は、自分の顔からも笑顔を失っている。

基本的に、普段の私は無表情かシカメッ面。
私的には普通にしているつもりでも、不機嫌・怒っているように見えるらしい。
それが私の天性なの、それとも職業病なのか・・・私の顔には笑顔が少ないことは自覚している。

「私などとは二度と関わり合いにならないように・・・」
依頼者との別れの挨拶で、よく言うセリフ。
自分で吐いておきながら、切ないものがある。
しかし、そこには小さな笑顔が生まれることが多い。
過酷な境遇、怒涛の運命、凄惨な現場から微かに零れる笑顔だ。
そして、その笑顔には独特の輝きがある。

それを天空に例えると、晴天に光る太陽ではなく、夜空に輝く月。
弱くて小さくても、月には月にしか放てない光がある。
それは、熱すぎることのない優しい光、暗闇にしか輝かない光。

今年一年をコノ世で生き通せるのかどうかは、私にはわからない。
一体、どれだけの時間が残されているのか、どんな出来事が待ち受けているのか・・・先のことは誰にもわからない。
それは、神のみぞ知ること。
しかし、だからこそ、光を放って生きたい・光を放って活きたい・光を放って逝きたい。

私の仕事は、陽があたる仕事ではない。
ましてや、社会を照らす太陽になれるような仕事ではない。
しかし、私にだって月光くらいはあたる。
そして、この私が人の闇を照らす月にはなれるかもしれない・・・

昼間の月は誰も気づかないけど、夜(暗闇)の月は誰の目にも一目瞭然。
私は、顔に浮かべる笑顔は少なくても、人の心(闇)を照らす月になれるような生き方(仕事)をしたいと思う。


元旦の空を見上げ・・・2008謹賀新年。
私に、みんなに、ツキが回る年になるよう祈念する。







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