特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

命の選択

2006-08-23 08:19:21 | 遺体処置
今年の夏は短いように感じる。
長かった梅雨が明けてからも、グズついた天気が多かった。
日照不足のせいで野菜や果物も作柄がよくないらしく高値が続いている。
普段は食べたくない野菜でも、高値がつくと急に食べたくなる。不思議だ。
本当に食べたいのは野菜ではなくて、金銭価値なんだろう。

例によって、今年も全国各地で水の事故が多発している。
命の洗濯のつもりで出掛けたレジャーが一変するときだ。

ある中年男性が溺死した。
家族で海水浴に出掛けた先で。
検死から帰宅した遺体は全裸でビーチの砂にまみれていた。
遺体を前に妻子は呆然、泣くに泣けない様子だった。
ここでも、楽しいはずの夏休みが一変していた。
体格のいい故人は、泳ぎには自信があったのだろうか。
それとも、気をつけていたのに波に流されてしまったのだろうか。
ふざけて遊び過ぎたのかもしれない。
どちらにしろ、海に入ったことが命取りになってしまった。

まず、身体のあちこちに着いた砂を取り除かなければならなかった。
これは並の作業で済んだ。
しかし、髪の毛にビッシリ入り込んだ砂をとるのが大変だった。

始めは、クシで髪をとかしながら砂を掃い除けようとした。
すると、砂だけではなく髪の毛自体がバサバサと抜け落ちてきた。
頭皮がかなり弱っているらしかった。外見は何ともなかったのに。
そのままやり続けると砂は除けても髪もなくなる。
とりあえず、その方法は中止。

「どうしようかなぁ」と思案しながら、どうするかを妻に相談。
気が抜けたようになっている妻は言葉を発することができず、私の問い掛けに返事をするのが精一杯のようだった。
気持ちは分からないでもかったが、いくら話してもラチがあかず困った。
遺族の希望を汲みながら、私が主導してやるほかないと判断。
やはり、頭が砂だらけのままでは偲びない。
しかし、頭髪が抜けてしまってはどうしようもない。
手間はかかるけど、水で洗い流してみることにした。
作業的には大がかりになり結構な時間を要したが、水流(水圧)のみを使って砂を流し取る方法は抜群にうまくいった。
我ながら満足した。

きれいになった故人には、普段から家で着ていた楽な服を着せた。
何を着せるか家族がハッキリしないので、私なりに熟慮して決めさせてもらった。

生前のままに戻った故人を見て、色々な想いが一気に噴出してきたのだろう、今まで寡黙・無表情だった妻子はいきなり号泣し始めた。
その場にいて言葉がでなかった。
気の毒に思いながら、俯いているしかなかった私。

楽しいはずの海水浴で、大事な夫・父を亡くしてしまった家族。
一家の大黒柱をいきなり失った家族には、その後どんな人生が待っているのだろう。
少なくとも、残りの夏休みが楽しいものにならないことは容易に想像できた。

人の死には色々なケースがある。
事故死の場合、自らの選択が死に向かわせているように思えることが多い。
本人は、死なないことを信じて疑わないのに。

命の選択。
人生は選択の繰り返し、選択の積み重ね。
小さな選択がその後の人生を大きく変えることもある。
選択の先にあるものを、誰かが教えてくれると助かるんだけどね。

それにしても、私は、あの時なんで死体業を選択してしまったんだろう。
んー、分からん!
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ロンリーミッドナイト

2006-08-22 16:54:13 | 遺体処置
私の仕事は、365日24時間の電話受付と見積を行っている。
昼間ほどの数はないながらも夜間に電話が鳴ることもある。
そして、「今すぐ来て」という要望も。

夜中の出動は独特の辛さがある。
それは、暗闇の怖さではなく眠気の辛さ。
昼間の仕事と夜の出動が続くと本当にツライ!
そんな日が続くと、仕事があることに感謝するどころか「今夜はゆっくり寝ていたい(仕事が入るな!)」と願ってしまうこともある。

かなり前の話になるが、自殺遺体の処置業務で夜中に出向いたことがある。
遺体処置業務での夜中出動は珍しいことなので、「何か、特別な状況なのかな?」「なんでこんな夜中にやる必要があるんだろう」と少々不思議に思いながら緊張して現場に向かった。

現場に到着した私は、目当ての部屋を訪問。
現場はアパートの二階、首吊自殺だった。
警察の検死は終わっていて、遺体は首を吊った部屋に安置されていた。
警戒していたような特別な状況ではなかった。

その場にいた遺族は故人の両親の二人きり、他には誰もおらず二人は遺体を前にした神妙な面持ち。
私の到着を心待ちにしていたようで、私が参上すると安堵の表情を浮かべた。
と同時に「あとはヨロシク」と言わんばかりに、さっさと退室。
そして、車に乗ってどこかへ行ってしまった。

「えッ!?」
てっきり、作業中も遺族が立ち会ってくれるものとばかり思っていた私は意表を突かれた。
遺族とコミュニケーションをとる間もなかった。
遺体とともに夜中のアパートに取り残された私は、遺体の顔を見ながらしばし呆然。
いつも通りの仕事をやるしかなかったのに、なんだかやる気がでなかった。
「・・・取り残されちゃいましたねェ」、いつもの独り言。
両親に放られた遺体を少し不憫に思った。

そそくさと去って行った両親は、どうも世間体を気にしているようだった。
それも、かなり。
しかし、遺体処置は夜中にやる方が余計怪しいし、昼間だと気にならないくらいの物音でも夜中だとかなり響く。
世間体を気にするのなら、昼間にした方がマシというものだった。
まぁ、両親なりに考えて決めたことだろうから、それ以上は深く考えないようにした。

さて、何となく虚しい感じの作業になったが、とりあえずは無事に終えることができた。
しかし、肝心の両親が戻って来ない。いつまで待っても。
私は、遺体を放置して鍵もかけずに現場を離れる訳にもいかないので、仕方なくその場にいることにした。
最初は、遺体の前にきちんと正座をして待っていた。
そのうち、足が痛くなってきて、あぐらをかいた。
更に、疲れてきて、手を床(畳)について座った。
ついに、睡魔が襲ってきて、横になりたい衝動にかられ始めた。

「遺体の横に寝るか?」⇔「そりゃダメだ!」
「寝ちゃおうかな」⇔「そりゃマズイ!」
頭を何度もカクンカクンさせながら、睡魔と戦った。
睡魔って、本当に怖い。
遺体が気持ちよさそうに眠っているように見えてしまい、羨ましく思えてきた。

どうにかして睡魔を追い払わなければならない私は、鼻歌を歌ったり返事をしない故人に話し掛けたりしてその場をしのいだ。
近隣住民は、遺体のある部屋から鼻歌や一人の話し声が聞こえてくるので不気味で仕方なかったかもしれない。
世間体を気にして夜中作業にした両親の思惑はこれで台無しになったかも。

結局、両親は空が明るくなり始める頃に戻ってきた。
私は、ほとんどボケボケ状態になっていた。朝陽が夕陽に見えていた。
戻ってきた両親には、「連絡をくれればよかったのに」と呆れ顔で言われたが、私は内心で「連絡先も言わずに勝手に行ってしまったのはアンタ達の方だろ!」と憮然。
でも、言葉では「作業に時間がかかったので、たいした時間は待っていませんでしたから・・・」と微笑まじりの営業トーク。

何はともあれ、両親に現場を引き継いで、私はその場を離れた。
静かな夜をともに過ごした遺体に変な親近感を覚えていた私は、遺体に「バイバ~イ」。
「袖擦り合うも他生の縁」、生きてりゃ結構いい友達になれたかもしれない?
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冷たいヤツ

2006-08-19 08:34:30 | 遺体処置
人の身体は死んだ瞬間から腐敗を始める。
死後1~2時間程度でも既に腐敗臭がするようなケースも珍しくない。
その腐敗開始の早さは驚きものだ。

一般的に、遺体は腹(内蔵)から腐り始めると言われている。
私の実体験でもそれに違いはない。
一見、何ともなさそうな遺体でも、着衣を取ったら腹部か濃緑色に変色していることがよくある。
そして、それが次第に広がってくる。
もちろん、遺体が置かれる環境・施される処置によって腐敗スピードは異なるため、その腐敗速度を少しでも遅くさせるために手を尽くすことも、我々の仕事の大きな役目である。

遺体は火葬まで冷蔵されるのが一般的。
霊安室の冷蔵庫で保管されることもあるが、それよりドライアイスを当てられて冷やされることの方が多い。

冬場だとドライアイスは10kgもあれば充分、しかし、今のような夏場は10kgでは足りず20kgや30kg使うこともざらにある。
それだけ、遺体に暖は禁物ということ。

しかし、あまり冷やし過ぎると、身体が小さく痩せている老人などは全身が凍結していることもある。
身体や気温に合わない量のドライアイスを当てるとそうなる。
全身カチンコチンになった遺体は、頭だけ持ち上げようとしても首は曲がらない。
身体ごと持ち上がってしまい、見るからに不自然。

でも、ここまでやれば腐敗スピードをかなり落とすことができる。
あとは遺族の心象にどう映るがが問題。
遺族は「死後硬直」だと勘違いしていることが多く、雰囲気によっては私もあえて説明しないことが多い。
少々腐ってもいいのか、それより少々冷やし過ぎの方がいいのか、判断が分かれるところだ。

しかし、こうも暑いと自分にドライアイスを当てたくなる。
若かりし頃の夏、あまりに暑かったのでドライアイス用の冷蔵庫に頭を突っ込んだことがある。
先輩から首根っこを掴まれて、「バカ野郎!死にたいのか!」と怒鳴られた。
ドライアイスは二酸化炭素の塊で、そんなことをしたら中毒(酸欠)死しかねないらしい。
危なかった・・・無知は恐い。

それにしても、人間が死んだら腹から腐り始める事実を、私は妙に納得している。
ひょっとしたら、人の「腹」は生きているうちから少しずつ腐っているのかもしれない?
そして、そんな人が「冷たいヤツ 」と呼ばれるのかもね。
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苦々しい

2006-08-03 09:28:24 | 遺体処置
ある若者が、あるマンションから飛び降り自殺をした。
高層階から3階天井のでっぱりに激突、その血しぶきと肉片は4階のベランダにまで飛び散っていた。
乾いた血痕と肉片は落とし難い。
しかも、汚染個所が高い壁だと作業もしづらい。
私は仕事だから仕方ないけど、何の関係もないのに、いきなり見ず知らずの人間の血肉で自宅が汚された方は、本当に気の毒だった。
こんな現場に遭遇すると、「汚すのはせめて自宅だけにして欲しいもんだな」と思ってしまう。死人を貶めるようなことを言ってしまうようだけど。

その遺体の損傷も激しかった。
例の納体袋に入っていたその遺体は、頭が割れ、脳がハミ出ていた。
ちょうど、焼けて膨らんで破れたパンのように。
髪は血のりでベッタリ、血生臭さがプ~ンと漂っていた。

私が自殺の理由を知るはずもない。
ただただ遺体を処置するのみ。
頭はどうすることもできず、脳ミソを頭にしまって包帯をきれいに巻くしかなかった。
飛び降り遺体の場合は、このパターンの処置法が多い。やむを得ない。

遺族は号泣。それは悔し泣きにも聞こえるものだった。
そんな中、遺族の男性がいきなり遺体を殴りつけた。
「バカタレが!こんなヤツはこうしてやればいいんだ!」と怒りの鉄拳を食らわせたのだ。
あまりにとっさのことで、間に入って止めることもできなかった。
二発目を繰り出そうとしたときはさすがに私も止めに入ったが、その怒り様は私も殴られるかと思ったほど。
しかし、遺族の誰も止めに入らない。
故人の自殺と損傷激しい身体にショックが大きかったのだろうか、それとも男性の殴りたい気持ちを理解していたのだろうか、私だけが男性を止めていた。
「俺の遺体に手をだすな!」じゃないけど、せっかく処置してきれいになったものが、再び出血などで汚れてしまってはもともこうもない。
またまた冷酷かもしれないけど、男性を止めた理由が故人の尊厳を守るためではなくて、自分の職務を守るためであったことが自分らしくて苦々しかった。

ある中年男性が亡くなった。
妻はやたらと明るく元気そうに見えた。
余程の強い精神力を持っているのか、または、故人に心配をかけたくない一心で、とにかく気丈に振舞っていたのか・・・真実は分からないけど、とにかく明るくてよく喋る女性(妻)に、意味もなく辛気臭くすることが嫌いな私ですら違和感を覚えた。

その女性は何年か前に息子を亡くしていた。
そして今回は夫を亡くして一人ぼっちになってしまった女性。
「何年か前に一人息子を亡くして、今回また夫に先立たれた訳か・・・さぞや寂しいだろうなぁ」と思う間もなく、女性の明るい声が耳に飛び込んでくる。
「人が死んだからと言っても、わざわざ暗くなることはない」と思いながらも、そのギャップが奇妙に思えた。

故人には一張羅のスーツを着せた。
そして、訊きもしないのに、女性は勝手に話しを続けていた。

故人を柩に納めたら、「忘れ物!」と女性が叫んだ。
どうも、柩に入れたい副葬品があるらしい。
「ちょっと待って下さい」と、それを探しに部屋から出て行き、しばらくの時間が経った
「大事な物なのだろうから、ゆっくり待っていてあげよう」と思い、しばらく畳の上に座っていた。
「大事な物だとしたら、何だろう」
退屈しのぎに勝手な想像を膨らませながら待っていた。
しかし、「ないなぁ、おかしいなぁ」という声ばかりが聞こえて、一向に女性が戻ってくる様子がない。
畳に正座していた私はだんだんと足が痺れてきて、我慢できなくなった。
痺れをとるために立ち上がったついでに、女性のいる部屋へ声を掛けてみた。
女性は、いくら探しても目当ての物が見つからない様子。
長時間かかったけど、結局、目当ての品は見つからなかった。

「ところで、その物は一体何なんですか?」と私。
「息子が死んだときに柩にスーツとワイシャツを入れてやったんですけど、肝心のネクタイとベルトを入れてやるのを忘れてしまいまして、せっかくだからお父さん(故人)に持って行ってもらおうと思いましてね」と女性。
夫の死を「せっかくの機会」と捉えるとは、なかなかタフな女性である。
「そのネクタイとベルトはどんなデザインなんですか?」
無駄な質問かとも思ったが、世間話として訊いてみた。
意外なことに、女性が応えたデザインに心当たりがあった。
少し前に故人の身につけたそれと同じだった。
「あのー、これじゃないですか?」と遠慮がちに故人の身体を指した。
「これ!これ!これ!お父さん、○○(亡き息子の名前)のを勝手に着けちゃダメじゃないのぉ!」と嬉しそうに故人にツッコミを入れる女性だった。
私は微笑ましく思うべきなのか、コケていいものなのか迷った。
とにかく、一緒に苦笑いするしかなかった。

今となっては、女性の明るさの訳は知る由もない。
「金は人を変える・・・元気の源が多額の生命保険金でなければいいな」と思ってしまう金銭至上主義的思考が自分らしくて苦々しかった。
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犬と柿と別れの宴

2006-07-25 12:32:16 | 遺体処置
日本人の平均寿命は男性が77.64歳、女性が84.62歳らしい。
世界的にも長寿国。
現実を見ても、80歳を越えても元気なお年寄りが多く、そんなに長寿というイメージはない。
90歳を越えると長寿という印象がでてきて、100歳を越えると「長生き!」になるのではないだろうか。
実際にも、100歳を超えた故人に合うことはあまり多くない。

葬式というものは普段は顔を合わさない遠い親戚や、疎遠になっていた友人・知人と再会する社交場としての役割もある。
そして、多くの人達が故人の死を忘れて久し振りに会う人との交流に没頭したりするのである。そんな光景は、故人にとっても不快なものでもないと思うし、私的には悪くないことだと思っている。
葬式だからと言って意識して辛気臭くしているよりも、自然体で人と関わり、時には笑顔を浮かべたり笑い声を上げたって一向に構わないと思う。

100歳を越えた老婆が死んだ。
その家に訪問したときは、大勢の人達が集まって酒盛りをしていた。
「100年以上の生涯をまっとうしたのだから立派なもの」「めでたい、めでたい」と。
老年の息子や娘達に中年の孫達、そして年頃の曾孫に幼年の玄孫までいて、それはそれはとても賑やかな宴だった。
一人の人間が死んだのに、そこには悲くて淋しい雰囲気はなかった。

外では、よそ者の私に対して犬が吠え続けていた。
生前の故人が可愛がっていたらしい飼い犬だ。
遺族の中の男性(故人の孫)が、外の犬に向かって「うるせー!このヤロー!黙ってろ!」と怒鳴りちらしながら私には「スイマセンね、バカ犬がうるさくて」と。
私にとっては吠える犬よりも怒鳴る男性の方がうるさかった(笑)

そんな中で、「こういう別れ方があってもいいんだよな」と微笑ましく思いながら私は遺体処置作業を進めた。
酒や食べ物を手に持ったままの人が、故人に近づいては一声掛けたり触ったりして、再び宴に戻っていく。
子々孫々、色んな人が故人に近づいては、そんな別れを繰り返していた。

そんな状況だから、「そのうち自分にも声がかかるだろう」と心の準備をしていたら、やはり「アンタも一杯やって下さいよ」と声が掛かった。
心を許してもらえたような気がして、ちょっと嬉しかった。
「仕事中ですから」なんて言って断るのは野暮ってもの。
死体業はただの仕事ありながらも遺族にとってビジネスとは感じにくい性質を持つ。
死体業は、故人や遺族の極めてプライベートな所まで入り込まないといい仕事ができないし、そこに入れてもらえる嬉しさみたいなものがある。
社会からは嫌悪されても、他人である依頼者に心を許してもらえるような、信頼してもらえるような、そんな嬉しさである。
この宴は故人との別れの宴。
その場の雰囲気を乱さないことを心掛けて宴に混ざった。

誰かが、「庭の柿を食べよう」と言い出した。
生前の故人も柿が好物で、庭に立つ柿の木は、故人に長男が産まれた時の記念樹らしかった。
何人かの男性が外へ出て、たくさんの柿を採ってきた。
もちろん、私も一緒に食べた。その甘さは格別だった。
「柩に入れてあげたらどうですか」と言ったら皆が同意、一人一個づつの柿を柩に納めた。
遺体の回りは小さな柿の実でいっぱいになった。
そこに集まった老若男女すべてが、みんな故人の血を受け継いだ人達だった。
そこに、故人が生きた証と力があった。

外では、相変わらず犬が吠えていた。
そして、ますます酔いが回ってきたアノ男性が「うるせー!」と怒鳴っていた(笑)。
聞けば、その犬は、男性の亡き父親と名前が同じとのこと。
その男性の父親ということは故人の息子(長男)になる訳で・・・産まれた時に柿の木を記念樹にしたときの子供・・・。 
先に逝った息子の名前を飼犬につけて可愛がっていた故人だったらしい。

私はもちろん酔いが回るほどは飲んでいなかったけど、賑やかに送ってもらっている故人の顔が笑っているように見えた。

長寿だろうが短命だろうが、誰にでも生きた証は残る。
犬が元気に吠える声、柿の甘さ、宴の活気から生きることのエネルギーを感じた。
「この故人は、かけがえのない多くの宝物を残したな」としみじみ思いながら、宴を静かに抜けた私であった。
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パートナー

2006-07-24 14:17:33 | 遺体処置
ある老年男性。
妻の葬儀のため一時退院してきた夫は、何も言われなくても病弱ということが明らかだった。
痩せ細った身体は、誰かの介助がないと部屋を移動することもままならない様子。
本来なら、一時退院できるような身体ではなかったのに、無理を言って一時帰宅したとのこと。
「長年連れ添った妻の葬儀」と言えば病院側も承諾せざるを得なかったのだろう。
夫は弱々しい中にも力のこもった言葉で、妻の亡骸に向かって何度も「ありがとう」「ありがとう」と声を掛けていた。そして、「もうじきそっちに行くから待っていてくれ」とも。
作為的な脚色だけど、その別れのひと時は、老夫婦が最期の輝きをみせた瞬間に見えて神妙な気分になった。
その一週間後、私は同じ家に行くことになった。
現場に到着するまで同じ家だとは気づかないでいた。
その家の玄関に到着して、「ん?先週来たばかりの家だ・・・間違いかな?」と間違いじゃないかどうかを会社に確認した。
間違いではなかったので「アノお爺さんが亡くなったのか・・・?」と思いながら玄関を開けた。
亡くなったのは、やはりアノお爺さんだった。
不謹慎かもしれないけど驚きはなかった。
遺族には何と声を掛けていいのか分からず、前回訪問時に比べて自然と言葉数も少なくなった。
対する遺族も私と何を話せばよいのか分からず、言葉が見つからない様子。
既に顔見知りの双方に余計な会話は必要なかった。
故人となったお爺さんは葬儀が終わってから直ちに再入院したものの、体調を一気に崩して妻の後を追うように亡くなったとのこと。
「すぐに自分も逝くから・・・」という言葉は現実のものとなった。
本人にとっては、死に対する心の準備と覚悟がきちんとできていた上での言葉だったのだろう。
帰り道、「お爺さんは、天国でお婆さんと再会できただろうか・・・」としみじみ考えたのを憶えている。

ある老年女性。
夫の亡骸に添い寝をしていた。
最初は家族も止めさせていたのだが、いくら止めても目を離した隙に添い寝をしてしまうらしく、家族もお婆さんの執拗さに根負けしてしまったらしい。
私も仕事がかなりやりにくかったけど、そのお婆さんの気持ちを思えば思うほど遺体から引き離すことはできなかった。
この老夫婦も長い長い年月を共に過ごしたのだろう。
子供達も立派に育て上げ、それぞれがいい歳になり、大きな孫もたくさんいた。
私自身も死体には抵抗感が少ないと自負?している人種だけど、さすがの?私も死体と一緒に同じ布団で寝るのは抵抗を覚える。
「お婆さんは、よっぽどお爺さんのことが好きだったんだろう」
そう思うと、微笑ましくもありながら死別の淋しさが一層気の毒に思えた。
夫を失った喪失感は他の何によっても埋めることはできないのだろう。
遺族からは「こんな調子じゃ、お婆さんも長くないかもな・・・」という溜息も聞こえてきた。
その後、そのお婆さんがどんな人生を過ごしたのかは知る由もない。

一般的には、一生のうちで最も長い間を共にするのは親子でもなく兄弟姉妹でもなく夫婦(配偶者)だろう。
お互い、長生きすればするほど共に過ごす時間も長くなる。
そして、共に過ごす時間が長くなるほど、単なる愛や情を越えた固い絆ができてくるのではないだろうか(想像)。
「生まれ変わっても同じ相手と結婚したい?」なんて愚問は熟年(熟練)夫婦にはナンセンスかも。
その応えは、現世での諸事情があるだろうから、「No!」と言う人もいるだろう。
それはそれで仕方がない。
双方「Yes!」が気持ちいいけど、双方「No!」でも悪くない(それも人生)。
でも、片方が「Yes!」で片方が「No!」だったら・・・なんか嫌だな(笑)。
来世での再婚は希望しないまでも、「亡くなった連れ合いには天国に行ってほしい」と願う人は多いのではないだろうか。そして、天国での再会を願う人も。


「生きているうちに、もっと相手のことを愛すべきだった」
私の経験では、パートナーに先立たれた人の中にはそんな後悔を抱えている人が多いように感じる。
日々の生活と、この社会に生き残るための戦いに追われてばかりの人生では、そんな心のゆとりすら持てない。
でも、ちょっと小休止して立ち止まってみよう。
そして、結婚当時を思い出し、自分を見つめ直してみよう。
自分にとって本当に大切なものを、もう一度探してみたらどうだろうか。
明日から・・・イヤ、今からでも心を入れ替えることはできる。
パートナーへの接し方を変わればお互いの人生も変わる。
そして、「生まれ変わっても一緒になりたい」と思えるようになる・・・といいね。
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2006-07-22 09:35:05 | 遺体処置
「悪夢にうなされるようなことはないのか?」という類の質問が読者から寄せられることがチラホラある。
そういう質問を受けてあらためて思い出してみると、私は仕事がらみの夢はあまり・・・と言うかほとんど見ていないことに気づいた。
ただ、そんな夢も皆無ではない。
かなり前にみた夢だが、覚醒してからもしばらく後味の悪い思いをした夢を紹介したいと思う。


遺体処置業務のこと。
古めの一戸建、私は死んだ老婆に死後処置を施していた。
遺族も一緒に立ち会い、ほとんどの遺族に共通して見られるように、その雰囲気と振舞いは悲しみに包まれていた。
昨日のブログ記事にも通じる部分がある、何となく身体の温かさが残っている、まだ生死の間にいるのではないかと思えるような遺体だった。
作業を進めているうちに、何となく遺体が動いたように感じた。
「気のせいか?」と思いながら更に作業を進めていると、今度はかすかに息をしているように感じた。
さすがに変に思った私は遺体の口元に耳を近づけた。
かすかながら、しかし明らかに呼吸をしていた!
そして、かすかに身体も動き体温も取り戻してきていた!
そう、老婆は生き返ったのである。

驚いた私は、一気に興奮状態。
急いで口や鼻に詰めた綿を取り出し、老婆の蘇生を手助けしようと躍起になった。
一緒にいた遺族にも「おばあさん、生き返りましたよ!」と喜びの声を掛けた。
と同時に「急いで、救急車を呼んで下さい!」と頼んだ。
私は「死者の蘇生」という初めての経験と、老婆が生き返った喜びにかなり興奮していた。

しかし!遺族は一向に救急車を呼ぶような素振りは見せず、何やら身内同士でヒソヒソ話を始めた。
「急いで!早く!」と促す私と、それを無視して静観する遺族。
そして、よく見ると老婆の蘇生を喜んでいる遺族は一人もおらず、それどころかみんな困ったような不快な表情を浮かべていた。
遺族との間にかなりの温度差があることに気づいた私は、独りで勝手にテンションを上げてしまった気恥ずかしさと、蘇生した老婆をどうすればいいのか分からなくなった困惑とで気分がブルーになってしまった。
「なんて冷酷な遺族なんだ!」「さっきまで、老婆の死を悲しんでいたばかりじゃないか!」と。
そんな状況の中で目が醒めた。

この夢を見た当時は、この遺族に人間の本性を見てしまったような気がして後味の悪さに閉口したものだった。
しかし、今、あらためて思い出してみると当時とは違った考えが湧いてくる。
「老婆の蘇生を素直に喜べない、他人には分からない事情があったのかも」と。
介護や看病などの手間、人間関係の問題、経済的な理由など・・・。
夢の中の出来事とはいえ、老婆の蘇生に歓喜した私の喜びは、所詮、人の生存本能からくる無責任な喜びでしかなかった。
対して遺族には責任がある。
「老婆に対しての責任がつきまとう遺族には、素直に喜べない事情があったのかもしれない」
今は、そう思うのである。
そして、私が、遺族や遺体に無用な感情移入をしないようにしている理由は、この辺りにもあるのだろう。

「他人の不幸は蜜の味」という言葉がある。
イヤな言葉だけど、人間の本性を突いた言葉でもあると思う。
私自身にも思い当たる節がたくさんある。
自分以外の人間と喜びや悲しみを真に共有することって、かなり難しいと思う。
ましてや、赤の他人と死の悲しみを共有することなんかできやしない。
少なくとも、この私には。
だから、遺族に対して無責任かつ野次馬根性的な感情移入はできない。
そして、自分のことを、「他人と喜びも悲しみも共有できる善人」と勘違いしないように気をつけている。恥ずかしながら、実態はその逆だから。

そんな私の態度は時には冷淡に、時にはビジネスライクに、そして時にはプロっぽく映るかもしれない。
賛否あると思うが、それが私なりに義であり礼である。

梅雨のせいで脳ミソにカビが生えたのか、仕事疲れのせいで脳ミソの回転速度が落ちたのか、最近はサッパリとくだらないジョークを思いつかなくなった。くだらないオチもね。
そんなの必要ないかもしれないけど、そんなささやかな笑いを提供できる粋な(自己満足)自分が好きだったりするものだから、最近の自分を自分で観察すると「イケていなぁ」とぼやきたくなる。
くだらない事でも笑えるくだらない男だから。
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ちょっとドキッ!

2006-07-21 09:21:17 | 遺体処置
遺体の眼がパッチリ開いていたとき。
薄目を開けている遺体は珍しくはないし、完全に目蓋を開けている遺体も少なくない。
その多くは、筋肉の緊張がなくなったり、腐敗が進行することが原因で眼球が下がることによって起こる現象。
この状態の目蓋を閉じるにはちょっとした技術が必要。
薄目ならともかく、パッチリと眼が開いた状態はさすがの遺族も気味悪がる人が多い。
そう言う私も面布(遺体の顔に掛ける白い布)を取った瞬間、ちょっとドキッ!とする。
そして、私の経験では100%の遺族が「閉じてくれ」と依頼してくる。
やはり、「遺体は眼を閉じているべき」という先入観があるのかな?

ロープがぶら下がっていたとき。
遺族もなかなか言い出せないのだろう、自殺現場だと知らされずに現場に出向くことがある。
床などの汚染部分に目を奪われていて、突然、ぶら下がったままの首吊ロープを見つけたら、ちょっと引く。
無神経な私は思わず「自殺ですか?」とストレートに訊いてしまう。
訊いた後で「もっと気を使った言い方をすればよかった」と思うことが多い。

遺体を落としてしまったとき。
親しい知人の母親が亡くなったとき、遺体を病院から自宅に運んだ。
車から遺体を降ろすとき、ストレッチャーの脚がうまく伸びずに担架ごと地面に遺体を落としてしまった。
遺族からは「キャーッ!」と悲鳴が上がったと同時に私も声にならない悲鳴をあげた。
遺族の一人が親しい友人だったことが不幸中の幸いで、謝って済ませてくれた。
これが、謝るだけじゃ済まない相手だったら・・・と思ったら今でもちょっと冷汗もの。
(7月8日掲載「そこのけ、そこのけ、死体が通る」参照)

遺体が声をだしたとき。
遺体の口腔内にはガスや空気がたまる。
遺体を動かすときにそのエアが口から漏れることによって、声を出したように聞こえるときがある。
そんな遺体には「生き返るかもしれない・・・」という妄想が頭を過り、しばらく作業を止めてしまう。
もちろん、私の経験には遺体が生き返ったという事例はないが。
やはり、声が聞こえるとちょっと手を止めてしまう。

遺体が温かいとき。
普通の人は温かくて柔らかいのが人間だと思っている。
私にとっては冷たくて硬いのも人間。
しかし、遺体は冷たくて硬いものばかりではないときがある。
亡くなってから間もない人や保温性の高い状態で安置された人などは、体温が温存されていることが多い。特に、外気に触れにくい背中は。
普通の人は冷たくて硬い人を触るのには抵抗があると思うが、私は温かくて柔らかい人にちょっと抵抗感を覚える。だって、その人は死んでる訳だから。

車にウジがいたとき。
作業を終えて後片付けを済ませて帰途につく車に乗ったら何故か座席にウジが這っている。
「なんでこんな所にウジがいるんだ?」「俺が連れてきたのか?」と思ったら、急に気持ち悪くなる。
見える範囲で自分の身体を見回す。
ウジって、居るべき所に居る分には何ともないけど、居そうもない所にいきなり発見するとちょっと気持ち悪い。

街から腐敗臭がしたとき。
悪臭には色々なものがある。各種のゴミや排気はもちろん、挙げていけばきりがない。
腐乱死体臭はその最たるものかもしれない。
そして、その臭いを嗅ぎ分けられるのは限られた人間。
たまに、何気なく歩いている街からその臭いを感じることがある。
そのほとんどは気のせいにできる程度なのだけれど、確信を持てるレベルの濃い臭いを感じることがある。
深入りしないのは冷酷・無責任なのかもしれないけど、迷わず不介入。
でも、心臓の鼓動はちょっと高くなる。
(7月11日掲載「液体人間」参照)

トイレが真っ黒だったとき。
長~く掃除しないでいるとトイレというものは真っ黒になる。
便器はもちろん、床・壁・天井に至るまで真っ黒の黒!!
その黒さは色を塗ったのかと見紛うくらい。
その正体はカビ!恐るべし!

腐乱現場のドアを開けるとき。
腐乱現場のドアを開けるときちょっとドキドキする。
中がどんな状況になっているか分からないから。

分からないからドキドキする。
分からないからワクワクする。
長く生きたって80年そこそこ、終わってみれば短いはず。
人生は、先のことが分からないから面白い。

さて、次のドアの向こうには、どんな未来が待っているのだろう。
ドアの隙間から流れ出ている腐敗液が、私を一層ドキドキさせてくれる。
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ある日突然

2006-07-19 09:41:59 | 遺体処置
自殺者数に比べれば少ないものの、交通事故で死ぬ人も決して少なくはない。
私の知り合いでも、過去に交通事故死した人が何人かいる。
交通事故死にも色々なドラマがある。

私が初めて遭遇した交通事故死は20歳前の女性だった。
まだ、死体業を始めて間もない頃で、見習として先輩スタッフに着いて回っていた頃だ。
何もかもが初めてのこと、雰囲気的に自分の居場所さえ自分で確保できないような有り様だったので細かいことはよく覚えていないが、遺族が号泣していたことと、成人式に着る予定だったという振袖の着物を着せていたことを憶えている。
そして、何故か、その女性の姓名も今も憶えてしまっている(別に憶えておきたくないのに、忘れることができない)。
そして、この仕事をしばらく続けていると、若くして事故死する人にはある共通点があることを偶然に発見してしまった。
ただし、それは自分が遭遇した事故遺体に100%当てはまっているものでもないし、自分で強い確信を持っている訳でもないので、あえてここでは取り上げないことにする。
もちろん、科学的根拠もないし、説明を求められても納得のいく回答もできないし。
多分、たまたまの偶然が重なっただけだろう(気になる?)。

若い男性が交通事故で死んだ。
シートベルトをしていなかったのだろう、頭からフロントガラスを突き破ったらしい。
私がその遺体を見たときは、頭が割れ、顔面はワインレッドに光っていた。
「ワインレッド」というのは無数の細かいキズと血。
「光っていた」というのは、ガラスの粉が顔全体に付着していたせいで顔全体がキラキラ光っていた状態ということ。
粉末のなったガラスは拭き取れるようなものではなく、皮膚もザラザラにキズついていた。そんな具合で、首から上はどうにも手がつけられなかった。

男性は相当のスピードのまま突っ込んだようで、ほぼ即死状態。
本人は、そう苦しまずに逝けたかもしれないが、残された家族は本人の何倍もの精神的な痛みに襲われたはず。
相手のいない自爆事故だったと言うことだけが、不幸中の幸いと言えようか。
顔の損傷が酷く、結局、7月13日掲載「女心」の故人と同様に柩に入れてからも顔が見えないように隠すしかなかった。

年配の女性が交通事故で死んだ。
道路を歩いているところを車に跳ねられたらしい。
歩道スペースがある道の曲がり角、スピードをだした車はコーナーを曲がるときに大きく外側に寄ってしまい、たまたま歩いていた女性を跳ね飛ばしたとのこと。
加害者は無傷、被害者(年配女性)は意識不明のまま数日後に亡くなった。

目立った外傷は後頭部のみ。
交通事故と聞かなければそれとは分からないくらいの遺体だった。
遺族は突然の悲しみに呆然としながらも、加害者への憤りを隠しきれないでいた。
尋ねもしない事故の話を、一方的に話すことによって少しでもウサを晴らそうとしているようにも見えた。
私は、作業をしながらそれを黙って聞いているしかなかった。
同時に、一瞬の事故が何人もの人生を狂わせてしまう恐怖を覚えた。
後頭部の傷跡とは裏腹に、顔は眠っているような安らかな表情を浮かべていた。

確かに、スピードをだして走るのは爽快だ。
社会的には追い越されっぱなしの自分が、道路でだけは他人を追い越すことができる。
自分の命と引き換えに、そんなささやかな優越感を楽しんで逝った人もいると思う。

交通事故の悲惨さを人並み以上に知っている私は、車に乗ってもむやみにスピードはださない(だせない)。
後ろから煽られてムッとなるときもあるけど、基本的には追い越されても割り込まれても気にしないことにしている。
ただ、残念なことに、いくら自分が気をつけていても相手にやられる可能性はなくならない。
車と車の間を蛇行運転で走り抜けていくバイク、猛スピードで追い越していく大型トラック、車間距離を詰めて前の車を煽っている車・・・「事故んなよぉ」と思うばかり。

交通事故は加害者になっても被害者になっても大損。
ケガをしてもケガをさせられても大損。
ましてや、他人の命を奪ったり自分が命を落としてしまったら取り返しがつかない。
一瞬のことで一生が狂ってしまうのが交通事故の怖さ。

まるで警察の回し者みたいなことを言うようだが、とにかくスピードの出し過ぎが事故のもと。少しでも心当たりのある方はくれぐれも注意されたし。

ちょっと余談。
「警察」で思い出したが、仕事中に車を運転していて警察に止められたことが今までに何度かある。
高速道路出口の一時停止無視、右折禁止交差点での右折、踏切での一時停止無視、携帯電話での通話など。
「人が死んだ!急いで行かなければならない!」と慌てながら言うと、警察官も驚いて「今回は特別に」と言って見逃してくれることが多い。
警察官でも人の子。「人が死んだ」と聞けば普段は動かない情も動くのだろう。
上記の四件は全て、それで見逃してもらった。
嘘によって逃れるのはよくないと思うけど、私は決して嘘はついていない。でしょ?


ある日突然、小学生の男児が交通事故に遭った。
横断歩道を渡る途中、脇見運転・信号無視の車に跳ねられた。
横断歩道から20~30mのところに生々しい血痕が残っていた。
数日間の昏睡状態の後、やっと意識が回復、家族と言葉を交わして間もなく息を引き取った。
身体は小柄ながらも足が速く、野球が上手な子だった。
絵を描くのも上手く、学校の勉強もよくできた子だった。
幼稚園のときからの幼馴染だった。
彼が逝ったのは20数年前のちょうど今頃、楽しい夏休みを前にした梅雨の季節だった。
「もし、彼が事故に遭わなければ・・・」
時々、幼くして逝った彼のことを想い出し、無邪気な笑顔で脳裏に戻ってくる面影を偲んでいる。


-1989年設立―
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女心

2006-07-13 07:44:39 | 遺体処置
女性は、「常にきれいでありたい」と思う生き物だろうと思う(男の偏見?)。

私は、遺体がどんなに年少でも高齢でも、原則として、女性遺体の服を着せ替えたりはしない。
私にとっては、ただの「死体」でも、遺族にとっては、それは愛する母・姉妹・娘だったりするのだ。
死体とはいえ、どこの馬の骨とも知れない男が女性の服を着せ替えることは、遺族にとってもあまり心地いいこととは思えないからである。
しかし、遺族も私もそんなことを言っていられない切迫した現場もある。

「敗血症」という病気がある。
調べたものを簡単に転記すると「連鎖球菌などの病原菌が体内の病巣から絶えず血中に送り出され全身的な感染を起した状態の重症感染症」とある。
私は医者でも科学者でもないので敗血症について直接的な理屈は吐けないのだが、専門家から学んだりして少しは知識も備えている(安全に仕事をするために必要)。

ある20代の女性が病死した。
私が現場に出向いたのは亡くなった翌日。
遺体はバンバンに膨れ上がり、体表には無数の水疱。
元の身体の2倍どころではなく3~4倍くらいに膨れ上がり、それぞれの水疱には黄色や橙色の体液が溜まり、皮が破れて体液が布団の外にまで染み出していた。
そして、その体液が悪臭を放っていた。

遺体の傍には母親一人が付き添っていた。
遺体の変容ぶりに母親は明らかに戸惑い困惑していた。
「昨日の夜は生きていたときと同じ姿で、まるで眠っているようだったのに・・・」と、やり場のない悲しみと憤りを誰にぶつけていいのか分からないまま何度も繰り返していた。
その気持ちはよく分かった。
普通だと数日かかるような変容(腐敗)がたった一夜で起こった訳だから、母親の気が動転しているのもうなずけた。

とにかく、その場は遺体処置を優先せざるを得ず、遺体を女性として尊重する余裕はなくなった。
もちろん、浴衣を脱がせる事などは母親にも了承してもらった上で作業。
このような遺体の数は少ないながらも、極めて珍しいと言う程でもないので、作業自体は大変ながらも経験域内の段取りで済んだ。
作業中も、母親は誰に話し掛ける訳でもなく、独り言のように同じセリフを繰り返していた。
そして、「見て下さい。こんなに可愛いらしい娘だったんですよ。」と故人が生前に元気だった頃の写真を持ってきて私に見せた。
確かに、母親の言う通り、そこには美人というか可愛らしい娘さんが写っていた。
しかし、現実に私達の目の前にある遺体は生前の面影も全くなくなり、見るに耐えない姿に変わってしまっていた。それも、たった一晩で。

母親には余命が分かっていた上での看病生活だったらしい。
したがって、娘の死を受け入れる準備は少しずつ整えていた。
看病しながらも、断腸の思いで娘の死を受け入れるだけの心構えはつくってきた。
だから、娘が逝ってからも比較的冷静にいることができた。
そして、想像していたのは娘の安らかな死顔と悲しくも平安な別れ。

母親にとって遺体の変容は全く予期していなかった現実。
そんな現実に対抗できるほどの心構えは微塵にもつくっていなかった。
遺体の変容は、母親に大きなショックを与えていた。
心構えが皆無だった分、そのショックは死よりも大きいものだったかもしれない。
娘との別れに二重に遭遇した感じで。

うまく表現できないけど、娘の死は母親に悲しみと同時に安らぎも与えたように思った。
しかし、その安らぎもつかの間、追い討ちをかけるように遺体が変容し、最期の最期まで母親を苦しめ悲しませる・・・。
残念ながら、誰にも遺体の姿を元通りにすることはできないのも現実。

普通は、遺体は柩に納まっても顔だけは見えるようにする。
しかし、この現場では顔も何も見えないように柩に納めた。
故人の気持ちを察するに、「醜くなった姿(故人や遺族には失礼な表現だが)を人前に曝されたくはないのではないか・・・」と考え、その提案に母親も同意した次第。
「女心」というものはそう言うものではないかと勝手に思った男(私)であった。


そして、何の助けにもならなかったかもしれないけど、私なりに思ったことを最後に母親に伝えて現場を引き揚げた。
「身体はあのようになっても、娘さんの魂は生前と同じように綺麗なままだと思いますよ」と。


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ビジネスマンと主婦

2006-07-07 09:23:09 | 遺体処置
中年ビジネスマンが急死した。
勤務先の会社で突然倒れ、救急車で運ばれたものの、そのまま逝ってしまった。
私が出向いたときは、故人は既に自宅の一室の布団に横たわっていた。
検死をしたせいだろう、身体にはサイズの合わない浴衣が適当に着せられていた。
妻はあまりに突然のことで、6月27日掲載「明日があるさ」で書いた母親に似たような状態だった。
余程の猛烈ビジネスマンだったのか、故人にビジネススーツを着せてやってほしいと頼まれた。

捻くれた見方をすると、一人のビジネスマンは、会社を支える歯車の一つ、単なる機械の部品・消耗品と言えるかもしれない。
それでも、その中で一人一人のビジネスマンがそれぞれの夢と目標を持ち、仕事にやりがいを見出している。家族を守り家族の笑顔を支えに頑張っている人も少なくないのではないだろうか。
肌の合わない上司や同僚を前に自分を押し殺し、使えない部下の機嫌をとり、嫌な取引先にもペコペコと頭を下げる。
朝夕の満員電車も、少ない小遣いも黙って我慢。
金曜の夜に安酒をあおれば、ついつい愚痴っぽいことばかりが口をついて出てくる。
それでも、自分のため、家族のために働き続ける。

遺体にスーツを着せるのは容易ではない。死後硬直や浮腫みが作業の障害になる。
それでも何とかスーツを着せ、ネクタイをビシッと締めた。

「お父さんらしくなった・・・」

と妻は少し嬉しそうだった。
ヒゲが気になったので、故人が生前愛用していた電気剃刀でヒゲを剃った。

「昨日の朝は、いつも通り自分でヒゲを剃って、いつも通り会社に行ったんですよ」

と言う妻の言葉が印象的だった。
何の変わりばえもない日常、いつも通りに会社に行った夫が遺体となって帰宅したわけで・・・数日後には、妻に大きな喪失感が襲ったことだろう。
(参考までに・・・法医学によると、人が死ねばヒゲも伸びなくなるとのこと。死後も伸びたようみ見えるのは、肌が乾燥収縮するのに対してヒゲだけが残るだけだかららしい。)


中年主婦がトイレで急死した。
夫を会社に、子供達を学校に送り出した後、トイレで倒れて人知れず息を引き取ったらしい。
夕刻に帰宅した家族が発見したときは、既に手遅れ。
トイレ掃除でもしようとしていたのかどうかは分からないが、便器を抱き抱えるような格好で亡くなり、そのまま冷たく硬直していた。
夫から、

「身体を横に伸ばして休ませてやりたい」

と頼まれた。


私の勝手な想像だが・・・
この主婦も、変わらない日常を過ごしていたものと思う。
夫が外で働く間、家事や育児を懸命にこなしていたことだろう。
専業主婦にも外で働くビジネスマンと同等の大変さがある。

近所付き合いや子供のPTAの人間関係に神経を使い、時には家事労働に疲れを覚えながらも、外で働く夫を陰で支え、夫の健康と子供の健やかな成長を自分の幸せと重ねて生きてきた。
家族愛、家族の笑顔を何よりも大切にしてきたかもしれない。


故人の身体は、時間をかけて少しづつ硬直を解きながら伸ばした。そして、布団へ安置。

「布団に寝かせてやれてよかった・・・」

と夫は少し安堵したようだった。

「昨日の朝は、いつもと変わらず玄関で見送ってくれたのに、それが最期の姿だったのか・・・」

と言う夫の言葉が印象的だった。
夫も、明らかに妻の死を受け入れられていないように見えた。
いつも通り会社から帰宅したら、妻は亡くなっていた訳で・・・やはり、この夫にも、数日後には大きな喪失感が襲ったに違いない。


哲学者パスカルの有名な言葉に「メメントモリ(死を思え)(死を忘れるな)」という言葉がある。
私も、自分の死を考えることは有意義なことだと思う。
誰にも一度くらいは考えてみて欲しいと思う。

しかし、時間(人生)の有限性を理解し意識して生きることは、多くの人にはプラスに働いたとしても、それが全ての人に当てはまるとは限らない。
ある人によっては虚無感が増したり、またある人によっては短絡的思考を増長させる等、マイナスに働いてしまう側面もある。


それは、私自身にも言えること。
常に死を意識せざるを得ない仕事をしていると、毎日のように自分の死を考える。
その上で、「今を大切に生きる」ことがプレッシャーになることが多い。
知らない方がいいことを知ってしまい、考えない方がいいことを考えてしまう。
難しいことを考えていくと脱出不能の迷路にハマってしまうので、ある時点で余計な事を考えるのをやめることも「今を大切に生きる」ことに必要な大切なテクニックかもしれない。


ビジネスマンと主婦。
上記は、もちろん一組の夫婦の話ではないが、ごくごくありふれた組み合わせだと思う。そして、今回の記事が、夫をお持ちの方、妻をお持ちの方それぞれにプラスに働くと幸いである。


今日は、七夕かぁ。
短冊に願いことを書くとしたら、何と書こう・・・商売繁盛を願うとバチが当たりそうだしなぁ・・・。
例年通り東京の夜は曇雨みたいだから、今夜は三途の川は見えないんだろうな。

・・・もとい、「三途の川」じゃなくて「天の川」だった(わざとらしいオチで申し訳ない)。


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敵は強者

2006-07-06 09:32:11 | 遺体処置
特殊清掃の仕事を遂行する上で立ちはだかる壁としての代表格は、悪臭・腐敗液、そしてウジ・ハエ。常連の読者に今更言うまでもないことだろう。
悪臭は忍耐力と薬剤を駆使して、なんとか押さえ込む。
腐敗液は、脳の思考を停止させて、なんとかきれいにする。
生きたハエは外へ追い出し、死んだハエは塵として処分する(死んだウジも同様)。


問題は生きたウジ!
彼等は一体どこからどうやって発生してくるのか不思議で仕方がない。
一見、密室に見えるような部屋でも、遺体にはウジが湧く。特に、腐乱死体にはほぼ100%の確立でウジがついている。
彼等はどこからやって来て、どうやって死体に湧いてくるのか・・・。
そして、その生命力と繁殖力には凄まじいものがある。

「敵ながら、アッパレ!」だ。


ウジに関する思い出は尽きないくらいあるが、その中でも強烈だった一事例を紹介する。
まだ、「腐乱」とまではいかず、腐敗が始まった程度の遺体。
腹部は黒緑色に変色してきており、明らかに腐敗の進行が見てとれた。
もちろん、異臭もあり。

死後処置では、口・鼻・耳などに綿を詰めて体液漏れを防ぐ処置を施すのだが、口の中に大量のウジを発見。腐敗初期の遺体なので、ウジの大きさもかなり小さい。
口の中に無数のウジが這い回っているだけでも、結構な気持ち悪さがある。
「口の中に大量のウジがいる」ということは、「鼻にもいる」ということ。
鼻の穴を覗いてみると、案の定、彼等はいた!しかも、無数。
念の為、耳も見てみると、残念ながらそこにも居た。
ここまではよくあるケース。

更によく見ると、目蓋の隙間にも小さなウジが見え隠れしている。
「ひょっとして、眼球にも?」と驚きながら、目蓋を開けてみた。
そこには、眼球を覆い尽くす程のウジが集っており、さすがに背筋の悪寒が走った。
さすがに、「ギョエ~ッ!!」って感じ。
遺体の目の次は、こっちの視覚もやられてしまった!
可能な方は想像してみてほしい。目の玉がウジで覆われている状況を(寒)。
それらを一匹づつピンセットで摘みだしていく作業は手が震えるくらいに精度の高いテクニックが必要。なにせ、遺体腐敗がその段階のウジはとにかく一匹一匹が小さいもので、摘みにくい上に気が遠くなるほどの数がいる。
しかも、遺体の眼球を傷つける訳にはいかないし。
しかし、あまりモタモタやっていると、身の危険を察知したウジ達は肉を通して眼球の裏側へ逃げて行く。
全く、恐るべし!


そんな嫌われ者のウジだって、世の中にとって何かしらの存在意義があるのだろうと思う。
私と同じように(苦笑)。
かつては、

「世の中にウジが居なくなったら、どうなるのだろう」

と真剣に考えたこともあった。ホント、どうなるんだろう。
社会的評価は低いけど、彼等は彼等なりに社会貢献している部分もあるはず。これも私と同じように(苦笑)

普段は敵対関係にありながらも、似たような境遇にあるウジと私。
しかも、頻繁にお目にかかるので、敵ながらも妙な親近感が湧いてくる。
喧嘩友達とでも言えるだろうか。
新たな現場に行って、

「アレ?ここはあまりいないなぁ」

と肩透かしを食らいながら、汚染された床のカーペットを捲り上げると、期待通りに?ウジ達がビッシリ所狭しとウヨウヨしている。
それを見た私は「よ~し、いるいる!」(興奮)ってな感じで、

「今日も正々堂々と闘ってやるぞ!」

と一気に戦闘モードへシフトチェンジ!・・・やっぱ、感覚がおかしくなってんな、私は(笑)。


以前にも書いたが、市販の殺虫剤(ウジ殺し)はあまり効かない。
腐敗液に汚染された床を覆い這いまわるウジに大量のウジ殺しをかけても、彼等は気持ちよさそうに?その中を泳ぐ(実際は苦しくてもがいているのかもしれないけど)。

その様はまさに・・・
まず、フライパンに炊いたご飯を入れ、そこにご飯がヒタヒタになるくらいの牛乳を入れる。隠し味に醤油を適量加えて、想像力を膨らませながら見ると・・・恒例の?食べ物シリーズ第二弾で、美味しいドリアのレシピを教示しようと思ったけど、記事の流れから私が何を考えているか先読みされたと思うので、この先はやめておこう。


私も男だ。抵抗できないことをいいことに生きたウジを踏み殺すような卑怯な手は使わない(実際は、気持ち悪くて踏めないだけ?)。
直接触って片付けるのが正攻法。気合を入れて摘んで集めて、ポイッと始末。


対ウジ戦は苦戦することもあれば、楽勝の時もある。
今のところは連戦連勝。
しかし、残念ながら最終的にこの戦いを制するのはウジの方と決まっている。
何故なら、この私にもいつかはハエが集りウジが湧く日が必ずやってくるからである。
当然、読んでる貴方も他人事では済まされないよ。


誰にも、いつかは必ずウジが湧く日が来るのだから。


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別れの時

2006-07-01 09:50:39 | 遺体処置
私は、もともと

「熱しにくく冷めやすい」

性格の持ち主だった。



乾いたクールさを格好いいと思っていた(勘違いしていた?)年頃でもあったのだろうか。
それが歳を重ねるごとに変化している。
妙に、

「情に脆くなった」

というか、

「涙もろくなってきた」

というか・・・。


そんな私であったから、若い頃は極めてクールにこの仕事をこなしてきた。割り切る所は割り切って(仕事でやっている以上は、今でもそういう時はあるが)。
そういう具合だから、20代の頃は、現場で涙を流すようなこともほとんどなかった。
しかし、そんな私でも、感極まった覚えが何度かある。



そのうちの一件。それは遺体処置の仕事だった。
亡くなったのは、当時の私と同年代の男性。業務上の事故死だった。

「事故死」

と言っても、特に目立った外傷はなく、まるで眠っているかのように健康的に見える故人だった。


彼は、まだ新婚ホヤホヤだった。
つい、何日か前に結婚式を挙げたばかりだったとのこと。
幸せな人生の節目を迎えたばかりの二人に、突然、悲しい別れが襲ったのである。



結婚式を挙げた数日後に葬式を出す事になった両家。
新妻はもちろん、それぞれの両親が集い、親達は遺体を取り囲んで号泣している。

「号泣」

とは、まさにこういう状態のことを指すのだろう。
ただ一人、新妻だけが放心状態、涙も枯れてしまったという感じで呆然としていた。


そんな過酷な雰囲気の中にいても、私は何とか職責をまっとうすべく冷静さを保っていた。
もちろん

「気の毒だなぁ」

とは思っていたけど、余計な感情移入や同情心は、逆に故人や遺族に失礼だという考えを持っていたのである(それは今でも変わらない)。



ちょっと脱線。
遺族に合わせて、わざとらしいくらいの悲しそうな表情をつくる偽善的演技には大きな抵抗がある。私は、どんな遺族に対しても柔和な自然体が一番いいと思っている。

もちろん、礼儀は重々わきまえなければならないし、誠実な気持ちで臨まなければならない仕事であることは充分に承知済み!

しかしながら、冷酷に思われるかもしれないが、仕事で接する遺体は、所詮、私にとっては赤の他人。気の毒に思ったり、一人一人の死を厳粛に受け止めたりすることはあっても、悲しさを覚えることはほとんどないのが正直なところ。

分かり易く例えると、知らないオジさんが死ぬとの、自分の父親が死ぬのとでは、感情・気持ちがまったく違うのと同じ。
それと同じ様なことが、死体業にも当てはまるのである。



話を戻す。
泣き叫び続ける遺族の動きに注意し、タイミングを見計らって死後処置を施した。
そして、柩に納棺。遺族がそんな状態だったものだから、いつもより余計に時間がかかり、神経も使った。
最後に柩の蓋を閉めようとした時、新妻が申し訳なさそうに私を静止した。
そして、

「結婚式場に着て行ったスーツだよ。天国に着て行ってね。」

と小さな声で呟きながら、遺体にスーツをかけ、その頬に最期の口づけをしたのである。

その時、私の目から涙がこぼれた。クールさを保っていたはずなのに・・・理由は自分でも分からない。とにかく、スーッと涙が流れ出てしまったのである。

・・・一体、何故、この新妻がこんなめに遭わなくてはならないのか。何故、この男性は死ななくてはならなかったのか・・・。
人生とは、皮肉な一面も持っている。そんな時は、善悪の感覚さえも麻痺してくる。
同情を超えた悲壮感と、憤り近い矛盾への不満感が私の中に湧き上がってきたのである。

私は泣いたのではない。とにかく、勝手に?涙が流れたのである。
今でも、ハッキリとしたその理由は分からない。その時涙が流れた本当の理由を知りたければ、まだまだ鍛錬を積むしかないのかも。


あと、これは私がやった仕事ではなく、ずっと以前に同僚(女性)がやった仕事なのだが、これも究極的な話なので追記しておく。
ある妊婦が、出産を終えて直ぐに亡くなった。生まれたばかりの赤ちゃんも一緒に。

母親は赤ちゃんを胸に抱き、赤ちゃんは母親の腕に抱かれるようにした状態で二人を柩に納めたとのこと。
二人の死の原因は、知ることはできなかった(知る必要もない)が、その話を聞いて気分が暗闇に落ちた。

「なんで?なんでだ?なんでなんだ?・・・」

と、前記の新婚カップルの時と同じような気分になった。
夫の気持ちを考えると・・・言葉に詰まる。
ただ唯一、二人を別々ではなく一つの柩に納めることができたことが、わずかな救いだった。



今回は、悲しくも現実である二つの別れを紹介した。
これを読んで、思う事や感じる事、受け取り方は人それぞれ異なると思う。それでいい。
だた、私は、それぞれ残された妻と夫が、先に逝った愛すべき人を想いながら、今は元気に立ち直って明るく生きていることを願うばかりである。



そして、私は、今日も誰かの別れの時に携わるのである。

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知らぬが仏

2006-06-24 08:38:38 | 遺体処置
特殊清掃と遺体処置のダブル依頼で現場へ。故人は中高年女性。

何人かいた遺族にお悔やみを述べ、

「よろしくお願いします」

と言われて家の中に入った。泣いている人も何人かいたが、一人だけ態度に落ち着きがなく、私にピッタリくっついて離れない人(中年女性)が居る。故人と同居していた長女らしい。


「妙な人だなぁ」

と思いながら、とりあえず遺体の安置されてある部屋へ。遺体には不自然なくらい(顔が隠れるくらい)に布団が深く掛けてある。それを見て更に妙に思った。
長女は、私に何かを言いたそうにしているのだが、他に人がいるから言えないといった様子で、歯がゆそうに私の動きを逐一監視していた。

その様子を感じ取った私は、

「遺体処置作業の都合」

ということで長女だけ残して他の遺族には席を外してもらった。葬儀では長女が喪主を務めるということだったから、ちょうどいい口実だった。
長女は、二人きりになってもしばらく黙っており、何となく気まずい雰囲気。
突然、

「事情がお分かりですか?」

と尋ねてきた。

「ん?事情?」

と、私は少々けげんな顔をしてしまったと思う。

でも、遺体を見てすぐ分かった。

掛布団めくってみると、首には季節はずれのマフラー?スカーフ?みたいなものが当ててあった。内心

「首吊りかぁ・・・」

と思いながら、その布をとってみた。やはり、首にはクッキリと紐の痕がついていた。

「事情って、このことか」

と思いながら、長年の経験がある私は首吊自殺くらいでは驚きはしないから、長女には

「慣れてるから平気」

であることを伝えた。


しかし、長女が気にしていたのは全く違うことだった。

「故人が自殺死であるということは、家族・親族内では自分以外誰も知らないし、これからも隠し通したい。」

と言うことだったのである。


これには、ちょっと驚いた。早朝、首を吊った母親を発見し、自分一人で降ろして、布団に寝かせ、家族には突然死(自然死)に見せかけたというのだ。救急隊員や警察にも、他の者には知られないようにお願いしたとのこと。

そんな話を部屋から声が漏れぬようヒソヒソ話。そして、私への要望は、

「遺体を誰が見ても首吊自殺だと分からないようにして欲しい」

というものだった。

その要望自体は大して困難な作業ではないので、快く引き受けて無事完了(細かい作業内容は内緒)。その仕上りに、長女も私も満足。
作業が終わってから部屋を開放し、遺族の皆さんに集まってもらった。
皆が皆、自然急死だと思っているので、故人の子供や孫達をはじめ、かなりの人が

「お母さん(お婆ちゃん)、可哀想に・・」

等と言いながら泣いていた。


長女は、肩の荷が軽くなったようで、表情も穏やかになった。仕事を終えた私は、遺族で混み合った家の中で長女と目で会釈を交わしから現場を後にした。


故人の死去を聞いて駆けつけてきた親類に対しては時間稼ぎもできるし、何とか隠すことができても、同居している夫や子供達にまで隠し通していたのは見事であり、表現がおかしいかもしれないが感心した。

長女には長女なりの情があった故のことだろうし、その家族・親族にも他人には分かり得ない事情があったのだろう。


何がともあれ、これが、長女が母親にしてあげられる最期の親孝行だったのかもしれない。


-1989年設立―
遺体処置専門会社
ヒューマンケア株式会社
0120-74-4949


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遺体痛い?

2006-06-20 09:30:52 | 遺体処置
世間には、色々な事情から解剖を受けざるを得ない遺体がある。それなりの必要性があってのこととは言え、解剖遺体には痛々しさを感じる。解剖を担当する医師も、生きている人の手術とは違うので、作業の丁寧度はあきらかに違うのだろう。


少しでも見識を深めるため、私は、以前、某所で検死解剖を見学したことがある。川で水死した老人の遺体だった。
事故か自殺か、はたまた他殺かを調べるために解剖へ回されてきたのだろう、警察の寝台車輌に乗せられてきた。

私は、解剖作業をガラス越に見学するのだが、その作業は、とても見るに耐えなかった。遺体に対する尊厳の「そ」の字も、思いやりの「お」の字も一切感じなかったのである。

その医師はまるで魚をさばくかのように、はたまた大工仕事をするかのように、遺体の解剖作業を乱雑!に進めていったのである(「魚屋さんや大工さんが乱雑な仕事をする」と言っているのではなく比喩論として)。

更に、その医師は、私が羨望の眼差しで見ていると勘違いしたのだろうか、手際と度胸がいいところを見せてやろうと思ったのか、私の視線を意識して余計に調子に乗って悪さをしているように見えた。
乱暴極まりない動きで、色んな臓器を乱暴に取り出しては、助手が重さを測って写真撮影。

頭を開けるときも頭を解剖台にガンガン打ち付けながらメリメリと無理やり頭皮を剥がしたかと思うと、おもむろに電気ノコギリで頭蓋骨を切開。脳も乱暴に取り出して助手が同様の作業。

最期は取り出した脳も臓器類をメスで細かく切り刻んで腹部へ収納(細かく切り刻まないと、きれいに収まりきらないので)。そして、荒く縫合して解剖は終了(ちなみに、その老人は入水自殺ということになった)。
最後に、助手がまるで車でも洗うかのように、ホースから遺体へ水をバシャバシャかけて血を洗い流して終了。


もともと、解剖遺体の縫い目はかなり粗い!頭皮・頭髪・皮膚もザックリと大きく縫い込んである。医師と言えども解剖は仕事であり、労働者であることに違いはない。死んだモノにいちいち丁寧な作業はやってられないのだろう。

ある解剖遺体などは、荒い縫い目から新聞紙がハミ出ていたこともある。内臓を取り出したら腹が凹み過ぎたため、代わりに新聞紙を入れたのだろう。ちなみに、取り出した内臓類はビニール袋に入れて遺体の脇に置かれていた。

万が一にも、身内の誰かが解剖されているところをマジックミラーか何かを通して家族が見ることができたら、その場で気を失うか、激怒するケースが少なくないのではないかと思う。


その後、その医師と面談する機会があったのだが、特殊清掃現場とは違う意味で吐き気がした。彼は経済力・社会的地位は私とは比べ物にならないくらい高いけど、人格は最低だと思った。

俗に、

「先生と呼ばれる職業に就く人間にろくなヤツはいない」

という話を聞くが、こんな医師は一部であって、医師免許を持つほとんどの人間が相応の人格と誠実さを兼ね備えた人間であることを信じたいものである。


どちらにしろ、腐乱死体で発見されるのもイヤだけど、死んでも解剖はされたくないと、つくづく思った日であった。


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