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特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ゆく年【トラックバック】

2025-03-16 06:57:52 | 特殊清掃
今日はとうとう大晦日。
2006年も今日でおしまいだ。
楽しいことより辛いことが多かったように思う今年だけど、過ぎてみると早いもんだ。
年齢も一つ重ねて、「オヤジ」「オジさん」と呼ばれるにはもう充分だ。


今日は、血の特掃と別現場の消臭消毒に行ってきた。
どちらの現場もリアルタイム過ぎるので、詳細を伝えるのは控えるが、私にとっては軽い現場だった。
特掃だけじゃなく消臭消毒も大事な仕事の一つ。
「消臭消毒」と一口に言っても、仕事としてはかなり難しい。
人間の腐乱臭は鼻に臭いだけじゃなく精神に悪いから。
それを片付けるには、錬磨したノウハウと根気が必要なのだ。


5月からだけど、ブログも結構書きまくった。
トータルで、180編くらいにはなるのだろうか。
「死」や「死体」だけをテーマに、よくもこんだけ好き勝手なことを書けるもんだと、我ながら呆れるやら苦笑するやら。


「人は、何故生まれてくるのか」
「人は、何故生きるのか」
「人は、何故生きなければならないのか」
「生きる意味って何なのか」
「自分とは?」
そんなことを考えながらの死体業生活である。
これらの問いには、人それぞれの答や解釈があるだろう。
そして、その真理を追い求めている人も少なくないだろう。


世の中や人生には、知らなくていい事・知らない方がいい事、考えなくていい事・考えない方がいい事があるように思う。
どうだろうか。


上記の問いにつき、時々そんな風に思うことがある。
「命とは?人生とは?自分とは?」
なんて考えたところで、私の場合はしんどい思いをするばかりだから。




本ブログの書き込みコメントに、「死ぬのはやめた」と書いてくれる人がいる。
そんな人達に対して「よかった・・・ありがとう」と安堵するのも事実だけど、私には「人助けをしている」「人を救っている」なんて思い上がった考えはない。
「人の役に立っている」なんて勘違いもない。


真実はその逆。
死にたい気持ちと戦いながら書かれたコメントに、私は生かされているのだ。
助けてもらっているのは私の方。
ブログを始めてから、もう何人もの人が生きる勇気を与えてくれた。


私は弱い人間だ。
日々、悩んだり落ち込んだりする。
他人からすると驚くような些細なことで、気分を沈ませることも多い。
そして、生きる価値・自分の存在価値を見出だせなくて苦しむ。
結果、心の闇に支配され、そこからなかなか這い出せなくなる。
この状況に陥ると、手に負えない。
生きていることそのものが、辛くて辛くてたまらない。


そんな私に向けて発信される生きるエネルギーに、私は支えられているのだ。
苦渋の中から搾り出される生きる決意が、私を闇から救ってくれる。
涙もろい私は、「ありがとう」と泣く。


人という文字は、人と人が支え合うかたちを表していると、よく言われる。
そんなこと、若い頃には気にもしなかったけど、この歳になって確かにそう思う。
少なくとも、この私は自分一人では自分を支えることはできないくらい無力だ。
このブログ(書き込み)により、随分と私は支えら救われているけど、結果的に誰かを支えていることもあるだろう。
この支え合いが、私達を人間にしてくれ、生かしてくれているのではないだろうか。


死を考える程ではなくても、人それぞれが色んな悩みや苦しみを抱えているはず。
自分一人で戦うのは辛いかもしれない。
でも、このブログを通じて人と人とが支え合い、生きるきっかけを共に享受できればいいと思う。


「今年も終わりか・・・」
仕事が終わって、着替えた特掃服をしみじみ眺めた。
特掃で浴びた故人の血が、ズボンに着いていた。
黒く乾いた血痕と自分の存在価値を重ねて思った。
「俺は・・・俺は生きるよ」


「特殊清掃 戦う男たち」を来年もヨロシク。
そして、2007年が私達にとって生きた年になることを祈る。



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2006-12-31 21:00:39
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暖【トラックバック】

2025-03-13 06:26:23 | その他
朝夕の通勤電車に乗ると思うことがある。
みんな、疲れているように見える。
ひょっとして、疲れを通り越して病んでいるのかも。
特に、休み明けの月曜日にはブルーになる人が多いのではないだろうか。
電車への飛び込みも、月曜が一番多いらしいし。
そう考えると、正月休暇の後の仕事も、かなりキツそうだね。
年末年始休暇がない私は、その点では救われてるかも。


自殺・引きこもり・過労死etc
この社会には心を病んでいる人が多そうだ。
そう言う私も、その中の一人であることを自覚している。
自殺や引きこもりが当たり前になっている社会に寒々しさを感じるているのは私だけではないだろう。


時折、過労死のネタがニュースに取り上げられる。
労災認定がおりたとか、裁判で勝ったとか。
労災が適用されようが裁判で勝とうが、本人が死んでしまっていては後の祭だ。
社会的な意義が残るのかもかもしれないけど。


「人生って一回きりなんだなぁ」としみじみ思うことがある。
二度ない人生なら悔いのないように生きていきたい。
しかし、現実には悔いだらけ。
悔いのない人生を私は既に諦めているけど、それでもわずかな抵抗を持っている。


今現在、私の両親は健在。
ただ、私とはかなり疎遠。
以前は、2~3年も音信不通だったことが何度かある。
かつては、「もう、生きているうちに会うことがなくてもいいや」とさえ思っていた。
今でも、年に一度、顔を合わせるか合わせないかの付き合いでしかない。
そんな冷え切った関係だ。


これは、つい何年か前の自分の誕生日のこと。
仕事を通じて独自の死生感が養われている私は、あることに気づいた。
「過去に何があったとしても、どんな関係だろうと、どんな感情を持っていようと、親が産んで育ててくれたから、今の自分が生きていられるんだよな」
自分が歳を重ねるにあたってそう思った私は、自分の誕生日に親に電話をかけた。
そして、一方的に話した。


「産んでくれてありがとう」
「育ててくれてありがとう」
「お互い生きているうちに、これだけは言っておきたくて・・・」
私は、そう言って短い電話を切った。
考えようによってはくさいセリフなのに、不思議と照れ臭さはなく、真剣に伝えることができた。


ただの自己満足に過ぎないかもしれないけど、心の荷が軽くなったような気がした。
そして、気持ちが暖かくなった。
ズルズル引きずっていたたくさんの悔いのうちの、重い一つが消えた瞬間だった。


今でも親密な親子関係とは言えないけど、「あの時、生の感謝を伝えられてよかった」と、ずっと思っている。
特掃魂を育んでいくと、金には恵まれなくてもそんな恩恵に与れることがあるんだよね。


話はガラリと変わる。
私は、腐乱死体現場の清掃片付けを「特殊清掃」と称している。
それを略して「特掃」と言っている次第。
全くのオリジナル造語だ。
造語は他にもある。
「腐敗液」「腐敗脂」「腐敗粘度」「汚宝」「デスワーク」「未確認歩行物体」etc
その最たるものは、やはり「汚腐団」「汚妖服」「汚腐呂」だろうか。
それらを造語と知らないで、辞書で調べた人も何人かいたらしい。
それでも意味が判明せず、過去ブログに遡る。
失礼ながら、その様はちょっとオカシイ。


ブログの色合いも暗い。
さすがに腐乱臭まではしないまでも、陰気臭さは否めない。
寒々しくもある。
黒地に青文字だからねぇ。
これは、管理人が選定したものだけど、特掃に妙にマッチしていると思っている。
ただ、こんな画面でこんなネタばかり読んでちゃ、ますます気分はブルーになる?


また、私のブログは恐ろしく地味。野暮野暮。
画面上に動くモノはおろか絵文字もない。
その逆に、誤字脱字はある。
デジタルなのに、すごくアナログっぽい。
これも趣があっていい?


二重人格?一人二役?と勘違いされやすいみたいなので、あらためて案内しておく。
私と管理人は全くの別人であり、全くの分業で本ブログを運営している。
管理人とは、私が死体業を初めて一年後くらいから一緒に仕事をしているので、もう十何年の付き合いになる。
これも一種の腐れ縁だろうか。


そんな本ブログも初めての年越しを迎える。
過ぎる年の終わりも、新しい年の始まりも、ブルーなスタンスを変えようがない。
だだ、それを通じて人の暖を分けてもらいたいと思っている。
そして、いつかは人に暖を分け与えられるくらいの人間になりたいとも思っている。

今年は暖冬と言われているけど、みんなもっと心に暖をとった方がいいね。


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2006-12-28 14:48:16
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憂鬱【トラックバック】

2025-03-10 06:19:13 | その他
あー、憂鬱だ。
私にとって、年末年始は一年を通じて最も憂鬱な時期かもしれない。
クリスマス・正月、この時期の世間は華やかなお祭ムードが続く。
何がめでたいのかハッキリ分からないまま、お祝いムードが続く。


都内をよく走る私は、お洒落にライトアップされたホテルや町並みを毎日のように目にしているのだが、それがやたらと眩しく見える。
こっちは、汚れて臭い身体で汚れて臭い荷物と一緒にドライブしているわけで・・・「俺には縁のない世界だな」と、何とも言えない溜息ばかりをついている。
今更、寂しいわけでもないし、惨めなわけでもない。
でも、何となく気分はブルー。


今はこんなでも、子供の頃は冬休みが大好きだった。
自分にとって、特に何があるわけでもないのに、世の中がHappy一色の雰囲気になるのが好きだった。


では、いつ頃から年末年始を憂鬱に思うようになったのだろうか。
多分、それは死体業を始めてからだ。
年柄年中、人の不幸に関わっているこの仕事には、お祝いムードは合わない。
年柄年中、「御愁傷様です」と頭を下げ、辛気臭い面持ちで仕事をこなす私は、お祭りムードを持ちようがない。


仕事とプライベートをクッキリと区別すればいいのかもしれないけど、現実は、なかなかそうもいかない。
プライベートが仕事に侵されたり、またその逆だったりと。
まぁ、私の場合はプライベートが仕事に侵されていることがほとんどだ。


その典型が休日数にある。
一般企業だと、年間休日数は110日~120日くらいだろうか。違う?
私の場合は、それを大きく下回る。


これは、20代後半の頃の話だけど、一年間の休日が28日だった年もある。
ある年の暮れ、「今年はよく働いたなぁ」と思いながら、スケジュール帳を遡ってみたことがあった。
すると、当年に取った休暇数が28日だったのである。
「たった28日?ひと月に2日余か・・・」
その数を知って、我ながら驚いたものだった。
若くて心身が軽かったからできたのだろう。


しかし、今年も、春ぐらいからそれに近いペースで仕事をしている。
さすがに、この歳になると結構疲れる。


夏の盛りに、現場アパートの階段の昇降を繰り返したときは、水をかぶったような汗がでてブッ倒れそうになった。
階段下の日蔭にうずくまった私は、地面に落ちる汗に色々なことを思ったものだった。
「これも俺の宿命だ!修業!修業!」
そう言う今も、バカの一つ覚えのように「疲れた」「疲れがとれない」と愚痴ってばかりの日々だ。


そんな死体業には、年末年始も休みはない。
人が死ぬのに、クリスマスや正月は関係ない・・・はずたからね。


余談だが・・・
「病院の延命措置と世間の大型連休は相関している」といったブラックな噂はよく聞く。
「病院職員が休暇を取るために、患者の死期が作為的に操作されている」というものだ。
ただ、噂は噂でしかなく、その実態は定かではないが。


私も死体業のはしくれ。
死人相手の仕事をやってて、年間計画が立てられるわけはない。
計画が立てられないところに、死体業の面白さがあるとも言えるかも。
何はともあれ、年末年始に長期休暇を取るなんて、夢のまた夢だ。


この点では、各種サービス業や交通機関などで働く人達も同じような境遇だろう。
ただ、私は代休もとれないうえに、やってる仕事がコレだから、なかなか明るい気持ちになれない。
片や、年末年始の世間は自分の心情とは真逆をいっている。
そのギャップが大き過ぎて、自分ではその溝を埋めることができないから憂鬱になるのだ。


そんな年の瀬。
ほとんどの人がHappyに過ごしていることだろう。
そんな中でも、私のブログだけは相変わらずドヨヨ~ンとしている。
新しい年に希望を持って、たまには楽しいネタを書いてみたいもんだ。



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2006-12-26 22:29:57
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まさか(後編)【トラックバック】

2025-03-05 06:21:24 | 特殊清掃
毎日、新しい朝を迎えられることが当たり前になっている私。
ただ、その日の仕事や天気・眠気などによって起床することが辛く思える日がほとんど。
気分が低滞していると「夜が明けなければいいのに・・・」とさえ思ってしまう。


しかし、世の中には朝を迎えたくてもそれが許されない人達がいる。
予期せずして朝が与えられない人達がいる。
また、いずれこの私もそういう日が来る。
死は必然だ。
「まさか」のことじゃない。


その日の朝も、気分が浮かない目覚めだった。
睡眠不足のはずなのに、やたらと早く目が覚めてしまった。
就寝中、唸されたような記憶と季節外れの寝汗が、この日に起こる出来事を予感させた。


「ひょっとして、昨夜の電話は悪い夢だった?」
一瞬、気持ちが緩んだ私だったが、残された自筆のメモが一気に気持ちを引き締めてくれた。
書かれた内容が結構グロかったため、思わず溜息がこぼれた。


「やっぱ、現実か」
「気合を入れて行ってくるか!」
私は、自分に喝を入れた。


現場は、公営の団地だった。
私は、かなり緊張していた。
汚腐呂掃除の経験は随分と積んできてはいるものの、「死後二ヶ月」というのは記憶になかったからだ。


ドキドキする心臓を落ち着かせて、玄関前で深呼吸。
それから、隠してあった鍵を使って開錠。
誰もいるはずもない部屋に、例によって「失礼しま~す」と言いながら上がりこんだ。
その動きはロボットみたいにぎこちなく、腐乱臭も気にならないくらいにワナワナしていた。


浴室の場所はすぐに分かった。
アレコレと考え始めると、ドアを開けるのに躊躇するばかりなので、何も考えないようにして一気に入口の扉を開けた。


「うぉっ!これか!」
浴室内には独特の腐乱臭が充満しており、浴槽には真っ黒な汚水が溜まっていた。
そして、表面には黄色い厚みを持ったおびただしい数の脂玉が浮遊。
私がこれまでに何度も遭遇してきた汚腐呂のそれより明らかに色が濃く、透明度はほとんどゼロ。
「これが二ヶ月モノか・・・」


浴槽の縁や浴室の床のあちこちには、焦げ茶色の干からびた皮膚とが腐敗液が付着。
浴槽内部以外の汚れは、遺体(遺骨?)搬出の際にできた汚れのようだった。
ちなみに、同じ腐乱でも、臭汚腐呂の臭いと汚腐団などの陸地の臭いは似て非なるものなのである。
当然、両方ともかなりイッてる臭いなので、「こっちがマシ」とか言えるレベルではない。


私は、器具を使ってゆっくり汚水を掻き回してみた。
明らかに、元固形物(人間)だったであろうドロッとした黄土色の沈殿物が底の方から舞い上がってきた。
何と言ったら分かるだろうか・・・ま、分かり易く説明する必要はないか。


「これは何?ここはどこ?俺は誰?」
私の中で、嫌悪感と特掃魂が戦っていた。


「大丈夫?」(俺)
「あんまり大丈夫じゃない」(隊長)
「やれそう?」(俺)
「分かんない」(隊長)
「二ヶ月経つとこうなるのか・・・」(俺)
「・・・だな」(隊長)
「断る?」(俺)
「それをやっちゃ男が廃るだろ」(隊長)
「じゃ、どうすんだよ」(俺)
「考えるしかない・・・あとは根性」(隊長)
「でたー!困ったときの根性頼み」(俺)
「やっぱ、最後はそれしかないだろ」(隊長)


私は、依頼者に電話した。
依頼者は弱々しかった。
身内をこういう亡くし方しただけでもショックだろうに、急かされる事後処理に心身ともに疲れていると思われた。
私に対してもすごく申し訳なさそうに話す依頼者に、私は特掃魂に火をつけざるを得なかった。
人の役に立ってお金までもらえるんだから、特掃冥利に尽きるってもんだ。


「二ヶ月と聞いて驚きましたけど、たいしたことなかったですよ」
「似たような現場を何件もこなしていますので大丈夫です」
「安心して待っていて下さい」


依頼者の心的重荷を軽くするのも大事な仕事。
↑こう言うと少しはカッコいいけど、実は、そうすることによって私は自分を追い込んでいくのだ。
そうして自分の逃げ道を塞ぎながら、特掃の切り札である最後の根性を引き出すのである。


その後の作業は複数日に渡って行った。
過酷・凄惨を極めたことは言うまでもない。
その詳細を記すのは、しばらく後にしよう。
クリスマスイブには似合わな過ぎるネタなんでね。


そう、今日はクリスマスイブ。
街は、きらびやかに飾り立てられている。
それにしても、キリスト教徒でもないのに、世間(皆)が「メリークリスマス!」ってお祭り騒ぎしているのが、私には少々滑稽に映る。
浮かれ気分も悪くないけど、こんな日くらいは、イエス・キリストを覚えてみてもいいかもね。


私は、今夜はマーボー豆腐でも食べながら安焼酎でも飲むかな。
MerryChristmas!

PS:「マーボー豆腐?」ってピンときた貴方は特掃通!



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2006-12-24 10:04:01
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まさか(中編)【トラックバック】

2025-03-04 08:31:22 | 特殊清掃 消臭消毒
真夜中、一本の電話が入った。
就寝中だった私は、寝ボケたまま電話を取った。


夜遅い電話の場合は、「夜分にスイマセン」と言ってくれる人が多い。
その一言があるのとないのでは、目覚めの気分が全然違う。
しかし、この電話の主からは、その一言はなかった。
ただ、声のトーンや口調から、社交辞令が言えるほどの余裕もないことが伺えた。


「風呂場で身内が死にまして・・・」
「浴槽の中でですか?」
「ええ・・・」
「水は溜まったままですか?」
「ええ・・・多分・・・」
「水は抜かないで、そのままにしておいて下さい」
「はい・・・」


私は、浴室腐乱につきものの細かい注意点をアドバイスした。
「特掃」と一口に言っても、現場の状況や依頼者の事情等によって柔軟に対応できる臨機応変さが大切。
それができるのとできないのでは、仕事の中身や成果が大きく違ってくる。
しかし、この類は単なるマニュアルや机上論ではカバーしきれないもの。
やはり、経験と平素の姿勢がモノを言う。
そこに特掃隊長の価値がある(自画自賛)。


「死後、どれくらい経ってましたか?」
「ニカゲツ・・・警察からはそう言われました・・・」
「え?何日って?」
「二ヶ月・・・」
「ニ?ニ・カ・ゲ・ツ?・・・まさか・・・二週間の間違いじゃないですか?」
「いえ、二ヶ月で間違いありません」
「え゛!」


私は、絶句した。
浴槽に浸かって二週間程度経過した現場はそう珍しくない。
とは言え、それでも充分過ぎるほどベリーハード!
それが、この時は「二ヶ月」ときた。
浴室特掃と死後二ヶ月現場の経験・記憶を総動員して、この現場を想像してみた。
モヤモヤモヤモヤ・・・
私の頭には、モノ凄くヤバい状況が浮かんできた。
「イカン!これは、ヤバ過ぎる・・・」
プルプルプル
私は、想像してしまったモノを保存せず、さっさとゴミ箱に入れた。


「なんでそんなになるまで発見できなかったんですか!?」
興奮した私は逆ギレしそうになり、思わずそんな無神経な言葉を吐きそうになった。
かろうじて、その言葉を呑み込んだ私は悩んだ。


「二週間だってよぉ、どうするよ」(俺)
「かなりヤバそうだよな」(隊長)
「正直、気が進まないよ」(俺)
「でも、とりあえず行ってみるしかないだろ!」(隊長)
「え?行くの?」(俺)
「他に頼める人がいないらしいんだから、俺が行くしかないだろ!」(隊長)
「無理無理無理無理、無理だよぉ」(俺)
「じゃ、どうすんだよ」(隊長)
「適当なこと言って断っちゃえよ」(俺)
「せっかく頼りにされてんのに、そんなことできる訳ないだろ」(隊長)
「じゃ、やりたいの?この現場」(俺)
「やりたかないけど、それが俺の仕事だろ?もともと、腐乱現場の片付けが大好きでやってると思ってんのか?」(隊長)
「違うの?」(俺)
「そんな訳ないだろ!」(隊長)
「冗談、冗談」(俺)
「とにかく、やるしかない」(隊長)
「恐いなぁ・・・」(俺)
「やれるかやれないかは、とりあえず行ってみてから決めても遅くないさ」(隊長)
「そうだな」(私)
「こんな俺でも人様が頼りにしてくれる価値があるんだから、逆に感謝しないとな」(隊長)
「強引な解釈・・・お前、ホントはそんなポジティブキャラじゃないはずだろ?」(私)
「ウルセー!バカにならなきゃやれないだろ?お前こそ、脳を止めとけよ」(隊長)
「そりゃそうだ」(私)
「よっしゃ!とりあえず、行くだけは行ってみよう!」(私・隊長)


電話の主に現場を直接見たかどうかを尋ねてみたら、警察から「見ない方がいい」と言わたので見ていないとのことだった。
「それだけ凄まじいってことか・・・」
現場(浴槽の中)の様子を少しでも知りたかったのだが、それも叶わずに不安ばかりが募ってきた。
しかし、依頼者も困りきった様子で、話しているうちに気の毒に思えてきたのも事実。
私は腹をくくり、翌日、現場に行く約束をして電話を終えた。


布団に戻った私は、汚腐呂のことで悶々としてなかなか眠ることができなかった。
「人間スープが腐ったのが、腐った人間がスープになったのか・・・二ヶ月とは・・・まさかなぁ・・・」



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2006-12-22 15:13:40
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まさか(前編)【トラックバック】

2025-03-02 19:33:50 | 特殊清掃
特掃現場になる家のほとんどは、故人が独居していたところである。
近年増えてきていると言われる孤独死だ。
ただ、まれにそうでない所もある。
それは自殺現場に多いのだが、自然死して腐乱死体がでた家でも他に同居者がいることがある。


家庭内別居の状態とはいえ、まさか同じ家で暮らしている人間が腐乱するまで死んだことに気づかないとは・・・。
通常だと、物音や気配がなくなれば変に思うだろうし、そうでなくても家の中に異臭が漂い始めれば異変を感じて当然のはず。
なのに、腐乱死体になるまで誰にも気づかれずに放っておかれるのだ。
作為的な何かがあるのだろうか、不思議でならない。
まぁ、私が考えるまでもなく、警察がシッカリ調べているのだろうから、私が余計なことを詮索しても仕方がない。


また、特掃現場では、故人が死んでからの時間がストップしたようになっていることが多い。
ベランダに洗濯物が干したままになっていたり、電子レンジに食べ物が入ったままになっていたりと様々。
何気ない日常生活が、いきなりの状態で止まったままになっている。


これは中高齢者宅に多いのだが、「元気に生きるための○ヶ条」「幸せに暮らすコツ」「病院のかかり方」「薬の飲み方」の類が大きな字で壁に貼ってある家もある。
そういうものからは、故人が自分の人生を大切にしながらも回りに(家族・子供)に迷惑を掛けないように、普段から心身の健康に留意していたことが伺える。
そんな生前の心掛けと現実の腐乱痕を対比すると、ちょっとせつなくなって汚物に情が傾いていく。


ガスコンロに何かが入った鍋が置いたままになっていることもある。
そのほとんどはドロドロに腐りきっていて、元が何の料理だったのか判別不能なのだが。
まさか、それを食べる前に逝くことになろうとはね。
腐乱は腐乱でも、腐った食べ物もタチが悪い。
独特の悪臭を放つし、液状のものは処理にも手間がかかる。
同じ現場でも、人の腐敗は耐えられるのに、食べ物の腐敗に「オエッ!」とくることさえある。


ある家では、カップラーメンが蓋が開いた状態で、テーブルの上に置いてあった。
そして、その脇には腐乱痕。
興味本位で容器の中を覗いてみると、お湯を注いだような跡があった。
カップラーメンを食べるつもりで仕度をしたものの、ラーメンができ上がるまで命がもたなかった訳だ。
これもまた「まさか」の出来事、せつない運命だ。


死体業をやっていると、生死は常に表裏一体のものであることを毎日のように思い知らされる。
生と死は、まさに隣り合わせ。
一瞬先のことさえ、誰にも分からないものだ。
必然的に死ぬ前に偶然的に生きている中で「明日は我が身?」と緊張する。


トイレ・浴室での突然死も多い。
本ブログにも頻出している通りである。
用を足しにトイレに入った本人は、まさか生きて出られなくなるとは思ってなかっただろう。
気持ちよく風呂に入った本人は、まさか生きて浴槽から出られなくなるとは思ってなかっただろう。


ホントに「まさか!」である。
しかし、この「まさか」が自分や自分の身の回りで起こらない保証はない。


夜中に電話が鳴った。
就寝中だった私の脳は、無防備のまま。
必死に平静を装おうとするのだが、叩き起こされた脳が瞬時に平常稼働するわけもない。
半分寝ボケたまま電話にでた。


電話は、浴室特掃の問い合わせでだった。
現場の状況を聞き進めるうちに、次第に脳が動き始めた。
そして、「まさか」と、目がパッチリ覚めた私だった。


つづく




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2006-12-20 15:27:35
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