特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

電話談義(前編)

2007-07-31 07:30:14 | Weblog
日本では、二人に一人の割合で携帯電話を持ってるらしい。
しばらく前の情報なので、今はそれ以上かもしれないが。

それにしても、携帯電話の進化と普及のスピードは目を見張るスゴさがある。
短命に終わったポケベル時代が懐かしい。

私が死体業に入った当時、携帯電話なんて誰も持ってなく見る影もなかった。
外での通信手段は、もっぱら〝ポケベル+公衆電話〟。
だから、ポケベルとテレフォンカードは手放せなかった。

ポケベルが鳴る度に公衆電話を探して電話をかける・・・
当時はそれが当り前だったので何とも思っていなかったけど、今思い出すと、不便極まりなかった。

私が携帯電話を持ったのは、比較的早い時期だっで、まだ回りの誰も持っていなかったので、結構珍しがられていた。
贅沢でもなく見栄を張るためでもなく、ただただ仕事に必要で手に入れたものだった。
当時は、携帯電話を持つことにステイタス性があった時代なので、無意識のうちに得意になっていた私。
しかし、残念ながら、かかってくるのは可愛らしい声の甘い話ではなく、味気ない声の御愁傷様な話ばかり。
携帯電話を持っていることを自慢する割には、かかってきた電話は人には聞かれないようにヒソヒソ。
携帯電話は自慢するくせに、肝心の仕事が自慢できない悲しいヤツだった。

当時の携帯電話は、某通信会社のリース品。
電話番号も030から始まり、今より一桁少ない全十桁。
それから010になり、しばらく後に一桁増えて090に。
そのまま現在に至っている。

また、今の機種に比べたら驚くほど低性能。
アナログ通信で音質や電波状態も悪く、かけてもつながりにくく、話してても途中でブツブツ切れた。
更には、電池も短命。
空になるまで使いきらないとどんどんダメになっていくお粗末ぶり。
バッテリー切れも日常茶飯事で、予備の電池パックは必需品だった。

「こりゃ便利!」
と痛感したのはメール機能が登場したとき。
急用でないときや、直接話すほどのことでもないときに重宝。
相手の時間を邪魔しないし、通信料も割安。
このblogだってケータイで打ってるわけで、ホントに役に立ってくれている。

次に驚いたのは、ナンバーディスプレイ機能。
今じゃ当り前のこの機能を初めて見たときは驚いた。
機種変更やサービス申込をしたわけでもなく、ある日突然に相手先の番号が画面に表示されるようになったのだ。

「誰がかけてきたのか分かるー!」
その時かけてきた相手に、ハイテンションで応答したのを今でも憶えている。

私は、だいたい二年毎に携帯電話を変えている。
今使っているものも二年になるので、そろそろ買い替え時かもしれない。
勝手に電源が落ちたり、バイブが動かなかったりと、ぼちぼち不具合もではじめたし。
ただ、新しい機種になると、慣れるまでに時間がかかるので、blog制作に支障がでそうだ。
(ケータイが壊れたら、blogも臨時休刊になるかも。)

買い替えるにしても、私は最新機種は買わない。
いつも、お買い得の旧機種にしている。
値段が高いし、どうせ高性能も使いこなせないから。
〝機種にこだわっていること〟と言えば、030の初代からずーっと某メーカー製で通していることくらい。
メーカーが異なると操作感覚も全く違うらしいので、ずっと一社で通しているのだ。

新機種がでる度に買い替える人もいるけど、使い方を覚えるのが大変じゃないのだろうか。

どんどん便利になっていく携帯電話。
その反面、その便利さが裏目にでるときもある。
いつでも・どこでも話せるから、いつ・どこにいても電話を受けることが可能。
だから、24時間の電話対応が可能になる・・・対応が求められる。

イラッ!とくるのは、夜間にかかってくる社員スタッフの応募電話。

私が若い頃に植えられた常識やマナーは、今は枯れているのだろうか・・・。
仕事の応募や問い合わせは昼間の営業時間帯、一般的には9:00~17:00にかけるのが常識だと思う。
その中でも、朝夕の忙しい時間帯や昼休憩タイムも避けることも。
それを知ってか知らずか、時間帯に関係なくかけてくる人がいる。

しかも、そんな人に
限って口のきき方を知らない。
〝働かせてもらいたい〟なんて謙虚さや誠実さをアピールするような言葉もなく、一方的なスタンス。
相手への配慮や与える印象などは眼中にない様子。
〝24時間年中無休の死体業〟だから、〝人事も24時間年中無休〟だと勘違いしているのか、〝求人数に対して応募者は少ない〟と軽く見られているのか、〝失礼〟という認識がなさそうな態度に私は苛立ちを覚えてしまう。
人事の決済権がなくたって、そんな人は〝No thank you!〟だ。


ある日の夜、クタクタに疲れた一日を振返りながら夕飯を食べている最中、電話が鳴った。

「お!仕事かな?」
私は、口の中のミンチを素早く飲み込み、電話をとった。

「た、助けてぇー!」
悲鳴にも似た第一声に、私は思わず電話を耳から離し、意味もなくディスプレイを見つめた。

つづく





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人の模様

2007-07-28 08:13:01 | Weblog
私が言うまでもなく、人にはそれぞれの人生がある。
そして、それぞれの死期と死に方がある。

死期・死に方で圧倒的に多いのは、平均寿命前後(老人)の病死。
しかし、その陰には、事故死・若年者の病死、そして自殺がある。

続くときは立て続けに発生する人の自殺。
個人的な感覚かもしれないが、自殺って、奇妙な〝自殺多発期間〟のようなものがあるように私は感じている。
それは、〝大きな闇の力が働いている?〟と疑いたくなるほど強烈なもの。
そういう期間に入り込むと、〝仕事〟と割り切っていてもなかなかしんどいものがある。

それは、片付け作業に従事する私に限ったことではなく、故人の身内や現場に関わりのある人達にとっても同じこと。
ただでさえ忌み嫌われる損傷腐乱死体だけど、それが自然死ではなく自殺である場合の嫌われようは並大抵ではない。
その死は、周囲の人の心に重くのしかかる。


ある老朽アパート。
玄関の前に立つといつものニオイ。
私は、そのニオイを確認してからマスクを装着した。

事前に依頼者の了承を得ていたので、私は依頼者(遺族)が来るのを待たずに鍵のかかっていない玄関を開けた。
そして、土足のままズカズカとあがり込み、無数のハエか乱舞する薄暗い部屋へ突入。

「これかぁ・・・」
真っ先に目についたのは、やはり腐乱痕。
それは、台所から部屋に入ったすぐ脇にあった。
そして、そこにつながる壁には縦長の液痕。
更に、壁の汚染をたどって視線を上げると、押入の出っ張りにいくつものフックが取り付けられていた。

「チッ」
私は、不快感と嫌悪感の間にある虚無感に舌打ちした。

「またか・・・」
そして、落胆と諦めの間にある脱力感に溜め息をこぼした。

「首吊りか・・・」
不自然なところに取り付けられたフック、そこから下に伸びる縦長の汚染、その真下には腐敗液。
「自殺・・・」
フィクションなのかノンフィクションなのか麻痺する感覚の中、頭の中に哲学的な思いがグルグル巡る。
目の前に広がる世界が、まるで異次元での出来事のように、私の脳に揺さ振りをかけてきた。

故人の死因は聞かされてなかった私であったが、そのハードな現場は、首吊自殺を否定できる状況にはなかった。

マスクから鼓膜に響く呼吸のリズムを整えて、私は、汚染具合いを念入りに観察した。
床と壁をよく見ると、腐敗液は人の形を如実に表していた。
人が胡座をかいて座っていたような痕がクッキリ残り、壁の所々にはまとまった量の毛髪が付着。
息絶えた後しばらくぶら下がっていた遺体は、時間の経過とともに腐敗。
そのうちにやわらかく腐ってきて落下。
それが壁にもたれかかるような姿勢で座り込んだと思われた。

「人間の模様だな・・・」
床と壁の汚染模様は、故人の身体を立体的に浮かび上がらせ、そして、それは単なるグロテスクさを超えて、私が人間を汚物として捉らえることを許してくれなかった。

現場の見分が終わる頃、誰かが玄関ドアをノック。
玄関ドアを開けると、ハンカチで鼻と口を押さえた年配の男女が立っていた。
二人は遺族、故人の兄と妹だった。
二人とも部屋を見ておらず、そしてまた、見たくもなさそうだった。
警察から、〝部屋には入らない方がいい〟と言われたことと、腐乱死体への恐怖感と嫌悪感が二人の足を強く止めていた。

作業前の状態を確認しておいてもらうのが理想ではあるが、モノがモノだけに無理強いもできず、私は、グロテスクな表現を避けながら現場の状況を伝えた。
グロテスクな状況を、グロテスクな表現を用いないで相手に理解させることはなかなか難しいもの。
私は、言葉の代わりに自分の各種装備を見せて現場の凄惨さを伝えた。
私の言いたいことは伝わったらしく、二人の表情はみるみる強張っていった。

自殺した故人は年配の男性。
若い頃から病気がちで、本人の意欲に反して安定した仕事に就くことはできなかった。
そのせいか、回りの勧める縁談も拒絶、ずっと独身でいた。
歳を重ねてくると、体調は徐々に悪化。
それにともなって仕事や収入が更に不安定に。
生活保護を受ける話もあったけど、〝人に迷惑はかけたくない〟と断り、身内からの支援も辞退。
生活は決して楽ではなく、たいした贅沢もできなかったけど、何とか頑張って生きていた。
そんな故人も歳には勝てず、いよいよ働けない身体に。
自分の身体や経済的なことを考えて悲観的になったのだろうか、それとも最期まで自己責任を貫きたかったのか、故人は自らの手で人生に終止符を打ったのだった。

「〝バカ〟がつくほど正直な男でね・・・」
と男性(兄)が言うと
「それに、気も優しかったよね・・・」
と女性(妹)も言葉を続けた。

身内(遺族)であっても、自殺者に対しては嫌悪や批難・憤りを覚える人が多い中、この二人はそんな感情より故人に対する労いや哀悼の念の方が強そうだった。
そんな二人に、妙な安心感・心の平安を覚える私だった。

「結局、幸せにはなれなかったな・・・」
男性は悲しそうな表情でそう呟いた。

「これ以上、私達に迷惑をかけたくなかったのかも・・・」
女性も寂しそうに言った。

自殺なんて、残された人には到底受け入れられるものではないだろう。
残された人の苦境を見ていると、自分の命は自分だけのものではないことを思い知らされ、故人のエゴと無責任さが浮き彫りになる。
しかし、そんな最期だったからと言っても、その人の人生そのものを否定できるものではないと思う。

人生の幸福は、誰が決めるものなのだろうか。
生きる価値は、誰が決めるものなのだろうか。
自分で決めるのもなかなか難しいけど、少なくとも他人が決めることではないと思う。

腐敗液を片付けていくと、次第に人間の模様が消えていった。
そして、当初、私が自殺した故人へ抱いた違和感も消えていった。

腐乱痕が完全に消えてしまうと、あとは、故人が自分なりの人生を精一杯生きていた事実だけが心に残った。
世に残る私は、そんな人生模様に想いを馳せ、それを自分自身に移し替えるのだった。







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野良猫

2007-07-25 08:06:22 | Weblog
私は、自分で、〝世渡り上手〟とまではいかなくても、〝世渡り下手〟だとも思っていない。
ま、どちらにしろ、人との付き合いが下手クソなのは事実。

仕事関係なら、それなりの必要事項を喋っていれば済むけど、そうでない相手とは何を話せばいいのか分からなくて困る。
私は、機転のきいた社交辞令的なネタを、まず思いつかない!
だから、初対面の人や関わりの薄い人と時間を消化しなければならない場面はツラくて仕方がない。

人間関係って楽しいこともあるけど、疲れることも多い。
本音と建前の使い分けなんて考えてしまうと、すぐさま人間不信に陥る。

普段は一人でいる方が楽なのに、何かあると一人では心細い。
孤独を愛する淋しがりやの私は、犬のように人になつくとこもできず、猫のようにマイペースにもなりきれないのである。

猫って、街のどこにでもいる。
都内でも郊外でも、どこででも見かける。
街の表裏をうろつく野良猫は、私には世渡りが上手い動物に映る。


現場は小さな一戸建、故人は老年の女性。
玄関を開けるとすぐに不快な猫臭を鼻に感じた。
と同時に、部屋の中に何匹もの猫がいるのが見えた。

「猫・・・屋敷?」
失礼ながら、玄関から垣間見える家の中はかなり不衛生な状態で、あちこちに猫の毛とトイレ用の砂が飛散・散乱。
更には、猫特有の異臭が充満。

しかし、〝慣れ〟というものは恐いもので、遺族の中年女性はそんなことも全く意に介してない様子で、
「遠慮なくどうぞ」
と、私を中に招き入れた。
また、そのエプロン姿とあっけらかんとした物腰は、遺体が安置されている家の人であることを感じさせない雰囲気も醸し出していた。

「失礼しま~す」
私は、あまりの汚さに躊躇いながらも靴を脱ぎ、足元にまとわりついてくる猫を避けながら玄関を奥へと進んだ。

家の中を見渡すと、壁には何枚もの猫の写真やポスターが貼ってあり、猫の写真が入った写真立ても並んでいた。
故人が一緒に写ったものも多く、そこからは故人が根っからの猫好きであったことが伝わってきた。

「随分と猫がお好きだったんですね」
「ええ・・・でも、父が亡くなって独りになってからなんですよ」
「へぇ~、そーなんですかぁ」
「それまでは、動物なんて飼ったこともなくてね」

その女性は、故人の娘だった。
そして、故人が猫好きになった経緯を懐かしげに話してくれた。

この猫達は、もともとはこの家の回りに住み着いていた野良猫らしかった。
夫を亡くして独り暮らしになった故人は、それを野良飼い。
余計な束縛も干渉もなく、都合のいいときだけの付き合いで済むので、お互いにとって心地よい関係だっただろう。
しかし、そんな中途半端な飼い方を近所の住人達は問題視。
多くなってきた近隣からの苦情をかわすため、故人は猫達を家の中に入れペットにしたのであった。
独りでは埋められない心の穴を、猫との関わりで埋めていたのだろうか。

故人が安置されている部屋に入ると、私は、いつものように遺体の傍らに正座し、顔の面布をとった。
そこには、安らかな表情の老年女性がいた。

この故人に限ったことではないが、老年の遺体の顔に刻まれるシワと安らかな寝顔には、こっちもホッとするような何かがある。
生老病死の摂理に逆らわず人生を終えていくことに、何とも言えない安心感?みたいなものを覚えるのだ。

いつもなら、死体業者の目をもってマジマジと顔を見るのだが、このときは何匹もの猫が歩き回っていて落ち着いて見ることができなかった。
猫は、故人の回りを歩き回ったり故人の布団に乗って寝転がったりするだけに留まらず、私にまでちょっかいをだしてきた。
私の身体に頭を擦りつけたり、膝に乗ってきたりと。

女性は、その都度、猫を捕まえてくれるのだが、どこかに閉じ込めるわけでもないので、すぐに戻ってくる。
それを気にしてても仕事にならないので、私は猫を無視して作業を進めることにした。

しばし後、故人を柩に納める支度ができた頃、女性が私に声を掛けてきた。
「こんなとこ写真に撮る人います?
「写真ですか?」
「ええ・・・」
「多くはありませんけど、写真を撮られる方はいらっしゃいますよ」
「撮っても問題ないですよね?」
「ご自由になさっていいと思いますよ」
「じゃ、せっかくだから撮っちゃお」

始めからそのつもりだったのだろう、女性はエプロンのポケットからデジカメを取り出した。
そして、レンズを故人の方へ向けた。
その視界には、猫も入っていた。
おまけに私も。

「私は入れないで(撮らないで)下さい!」
と、正直言いたいところだったが、女性の想いに水を差すことが目に見えていたので、渋々諦めて我慢。
まるで何かの記念撮影でもするかのように、女性は、立ち位置を変えながら次々とシャッターを押していった。

そんな女性も、故人を柩に納めるときはさすがに消沈。
悲しそうに涙を流した。
エプロンで何度も涙を拭う姿が悲哀を誘った。

そんな中、
「ちょっと待ってて下さい・・・お棺に入れたいものがあるんで」
と、おもむろに言い残して、女性は部屋を出て行った。

部屋には、柩と猫と私だけがポツンと残された。
そこは、誰も何も喋らない静かな空間。
人がいないと妙に落ち着く私は、柩の中に眠る故人と傍にたたずむ猫達を眺めながら、色んな思いを巡らせた。

「また一人、この世を去った・・・どんな人生だったんだろうな」
「これから、この猫達はどうやって生きていくんだろう・・・また、野良に逆戻りかな」

しばらくすると女性が戻ってきた。
撮りたての画像をプリントアウトしてきたらしく、手に何枚もの写真を持って。

「お母さん、猫ちゃん達の写真を入れとくからね」
そう言いながら、女性は故人の顔や手の回りにできたての写真を置いていった。

「やっぱり・・・俺も写っちゃってるじゃん・・・」
案の定、その中の何枚かの写真には、バッチリと私の姿があった。

「なんか、気持ちよくないなぁ」
〝魂が抜ける〟とか〝故人に連れて行かれる〟なんて迷信は信じてはいないけど、自分が写った写真を故人の柩に入れられることに、本能的な?抵抗感を覚える私だった。
(この醜態は、到底、もったいつけるレベルにはないんだけどね。)

「さようなら、お母さん・・・元気にやっていくから心配しないでね」
柩の蓋を閉じるときは、何かを抑えるように、女性は普段着の笑顔を取り戻していた。
ただ、濡れてシワくちゃになったエプロンだけが、女性の人柄と心情を映し出していた。


それから後、飼い主を失った猫達がどうなったのかは知らない。
きっとまた、女性も猫達も元気に自分達の世界をうまく渡っているのだろう。


これを書いている特掃野郎は、風体は野良猫・実態は飼い猫。
目に見えないものを信じながら、苦しみ多き人生を奮闘中。
そして、少しでもうまく世の中を渡れるよう頑張っているのである。






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野良犬

2007-07-22 08:26:17 | Weblog
この社会では、多くの人がペットを飼っているみたい。
多いのは、やはり犬と猫だろうか。
最近では、ペットフード・ペット用品やペット向サービスもかなり充実していて、これを書いている人間様よりもいい暮らしをしているペットもいそうな感じだ。
しかし、どんなに手をかけたって、ペットの幸・不幸と飼い主の幸・不幸は別物。
どうも、その辺は混同しない方がよさそうだ。
お互いのために。


ある雨の日の夕刻、東京の郊外を車で走っていたときのこと。
渋滞する車の列に向かって、道路脇から犬が飛び出してきた。
驚いた私は、急ブレーキを踏んだ。
犬は、私の前の車に接触。
幸い、車は低速だったこともあり、犬は〝キャイン!〟と叫んだだけでどこかへ走り去っていった。

「あー、ビックリしたぁ!」
私の心臓はしばらくの間ドキドキしたままだった。

東京の郊外に行くと、野良犬を見かけることが少なくない。
郊外に野良犬が多いのは、東京に住む人達が〝戻って来れないように〟と、郊外まで遠出して飼い犬を捨てるかららしい。
そして、そんな犬達は人間に疎まれ虐められた挙げ句、保健所に捕まって始末される。
もしくは、轢死体となってアスファルトに貼り着ことになるか、どちらかだ。

痩せて汚れた犬が、行く宛もなくさまよっている姿は、痛々しいかぎり。
特に、雨の日にビショビショになっている姿は悲しさを倍増させる。

飼犬を捨てるなんて、並の神経じゃできなそうだ。
そうは言いながらも、私には野良犬を拾ってやるような優しさはない。
ただ、薄っぺらい同情心を抱いて通り過ぎるだけ。

ペットショップでは新しい命が次々と生み出され、金に換えられ、遊ばれ、捨てられ、殺される。

「たまには焼肉でも食べながら、冷えたビールをグビグビッ!とやりたいな」
なんて考えている私に、動物愛護精神を説く資格はないかもしれないけど、何とも胸ヤケがしそうな話だ。


遺体処置業務で、ある家に出向いた。
出迎えてくれたのは中年の女性。
更に、家の中には何人かの遺族が集まっていた。
どこの現場でも、まず始めは故人が安置されている部屋に案内されることが常なので、私もそのつもりで家の中を進んだ。

通されたのは奥の和室。
故人は布団に寝かされ、顔には白い面布がかけられていた。
私は、いつもの様に故人の傍に正座し顔の面布をとり、そして、死体業者の目をもって遺体の顔をマジマジと眺めた。

「死んでること以外、特に異常はなさそうだな」そこには、今にも息をしそうなくらいに血色のいい老女性がいた。

「随分と安らかな表情だな」
その顔には、老年の人にしかだせない終焉の趣が滲み出ていた。

「こっちも見てもらえませんか?」
遺族の女性が、故人の脇に置いてあった段ボール箱を指した。
箱を開けると、中にはタオルに包まれた何かが入っていた。

「何ですか?これは」
「犬なんです・・・おばあちゃんが可愛がってた」
「え?犬?ですか?」
「ええ・・・おばあちゃんの後を追うように死んじゃって・・・」

箱の中のタオルをめくると、中型の犬が身体を丸めるようなかたちで納められていた。

この犬は、故人の夫が亡くなり、故人が独り暮らしをするようになってから飼われ始めたらしかった。
当時、近所をうろついていた野良犬を故人が引き取ったものだった。

飼い始めた頃は既に成犬。
しかし、小犬のときから故人と一緒だったのではないかと思われるくらいに故人になついていた。
そして、故人も犬を可愛がった。

年月が経ち、故人も歳を重ね、犬も老犬に。
晩年は、老人と老犬がトボトボと散歩している姿が近所でよく見かけられた。
そして、とうとう故人と犬それぞれに寿命がきたのだった。

命の終わりが近い一人と一匹が、ゆっくりと歩を進める姿を思い浮かべて、無常の微笑ましさを感じる私だった。

「まさか、一緒に死んじゃうなんてね・・・」
遺族も、故人と犬の不思議な因縁を、重く感じているみたいだった。

「この犬を、おばあちゃんと一緒にしてやるわけにはいきませんかね?」
「ん?〝一緒に〟と言われますと?」
「だから・・・あの・・・段ボール箱じゃなく・・・」
「え?柩に一緒に?」
「ええ・・・」
「物理的には可能かもしれませんが、他の人の心情的にどうでしょうか・・・火葬場のキマリもあるでしょうし・・・」
「火葬場ね・・・」
「ちょっと厳しいと思いますよ」
「やはり、ダメですかねぇ・・・」
「遺骨を骨壺に一緒に入れるのなら大丈夫そうですけどね」
「そっかぁ・・・そーですよねぇ」

人の死は、回りの人間の固定観念や価値観を破壊するエネルギーをもつ。
この時の遺族も、〝非常識?〟と思われるようなことを真面目に考えていたのだった。

しかし、結局(当然?)、犬と故人を同じ柩に入れるのは断念。
その代わりに、犬を白いバスタオルに包み直し、新しい段ボール箱に〝納棺〟。
そして、故人の柩と並べて安置した。

勝手な想像だけど・・・
この犬は、故人に拾われて幸せだっただろう。
故人も、この犬と一緒で幸せだったはず。
人と人との利害関係とは次元の違う〝ホッ〟とするような信頼関係が、心の空虚を埋め合っていたのだと思う。


これを書いている特掃野郎は、風体は野良犬・実態は飼い犬。
目に見えないものを追いながら、悩み多き人生と格闘中。
そして、少しでも素直に尻尾が振れるよう頑張っているのである。






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赤と黒

2007-07-19 07:25:35 | Weblog
〝ギリギリ〟〝キツキツ〝カツカツ〟
え?何の音かって?
私の財布の中から聞こえてくる悲鳴。

お金って、入ってくるのは月一なんだけど、出ていくのは毎日。
あれよあれよという間に無くなっていく。
未練タラタラ、
「出て行かないでぇー!」
と叫んだところで、冷たく出て行かれてしまう毎日だ。

「世の中、金で解決できることがたくさんあるよなぁ」
「逆に、金で解決できないことはどれくらいあるだろうか・・・金で解決できることと比べたら、どっちが多いだろうか」
本来は計れないものをあえて計ろうとする、頭の悪い私である。


以前にも何度か触れたけど、特殊清掃撤去業務は原則として前金制で施工している。
ずっと前は、完全後払制でやっていたのだが、残念なことに(頭にくることに)、代金を払わずにバックレる人が何人か発生したため前金制に切り替えたのだ。
買ったモノのお金を払わない、借りたお金を返さないなんで、私には信じ難い行為なのだが、実際はそんな人が少なくない世の中なのである。

では、金を貸す人間と借りる人間は、どちらが強いのだろうか。
一見、貸す人間の方が強くて借りる人間の方が弱い感じがする。
表向きの経済力で計ると、確かにそうだ。
しかし、金銭貸借関係のにおいて、最終的に強いのは借りた側の人間。
「ない袖は振れない」
と開き直られたら、それでおしまいだからである。
「とれるもんならとってみろ」
と開き直る相手から実際にお金を引き出すのは至難の業なのだ。

実際に売掛金を踏み倒されてみると、しみじみ〝最後は借りた人間の方が強い〟ことを思い知らされる。
まったく、理不尽な話だ。

代金を払わない人は、大まかに2タイプに分かれる。
最初から払うつもりがない詐欺師タイプと、払うお金がない困窮タイプ。
私の経験では前者は少なく、圧倒的に多いのは後者。
その立場も気の毒ではある。

ある日突然に身内の孤独死・自殺・腐乱が、降って湧いたように発生するなんて、依頼者にとっても災難としか言いようがない。
心的・社会的にも大きなダメージを受けるのに、更に、経済的にも負担を強いられるわけで。
中には、〝相続放棄〟という荒業を使う人もいるけど、結局は誰かが事の収拾にあたり、誰かが尻拭いをしなければならないことを考えると、法的には認められても心情的にはなかなか受け入れ難いものがある。

「買ったら払う、借りたら返す」
この当り前の感覚が、経済社会の基礎・基盤。
この人間社会は、そんな暗黙の信頼関係があって成り立っていると思う。
人のことがまったく信用できないとしたら、何もできなくなるもんね。

だから、前金制を前面にだしながらも、実際にそれを実施する相手(依頼者)は少ない。
私もそれなりに経験を積み、それなりに相手(人)をみれるようになってきて、〝危なそうな人〟を見分けられるようになってきた結果だ。
依頼者の発する一語一句、物腰や顔つきを観れば掛け売りしていい相手かどうか分かる。
そして、幸いなことに、現実には掛け売りしても大丈夫な人・信頼関係が築ける人が大半なのである。


呼ばれて出向いた現場は、賃貸マンションの一室。
依頼者は年配の女性、故人の姉だった。
結構な高齢で、心身ともに弱っているようにみえた。
それでも物腰は礼儀正しく毅然とし、誠実な人柄を感じさせるもねだった。

女性は、弟が孤独死したことよりも、この事態をどう収めたらいいのか分からずに困惑していた。
マンション賃貸契約の保証人にもなっており、どうにも逃げられない状況。
しかし、一体全体、何をどうすればいいのかサッパリ分からない。
そんな中に、私は呼ばれたのだった。

軽い異臭が漂う部屋は、家財・生活用品は少なく、シンプルな様相。
ゴミが散らかっているわけでもなく、台所の床にある血液汚染以外は普通の部屋だった。

「ここを片付けてもらうとしたら、いくらくらいかかりますか?」
「恥ずかしい話なんですけど、年金暮らしであまりお金がないんです」
「今、払えるのは○○円くらいしかなくて・・・」
女性は、恥ずかしいと言うより本当に困った様子でそう言った。

私が見積金額を提示する前に支払可能金額を打ち明けてきたことで、女性の事情が嘘でもなく、値引の駆け引きでもないことがすぐに分かった。

それから女性は、
「できるところまで自分でやろうと思いまして・・・」
と言いながら、持って来た紙袋から何やら取り出し始めた。
中に入っていたのは、ゴミ袋・雑巾・洗剤etc

「〝自分でやる〟っつったってなぁ・・・素人、しかも老年の女性に特掃はキツいよなぁ・・・」
慣れた自分がやっても楽じゃない特掃を、老いた女性が苦労しながらやっている姿を想像したら、私は切なくて仕方がなくなった。
そして、いくら薄情な私でも女性の健気さに情を持たない訳にはいかなかくなってきた。

汚染レベルはライト級。
見積ついでにやってしまえば、時間的コストもかかりにくい。
また、女性が用意してきた清掃用品を最大限使えば、消耗品コストも抑えられる
あとは、自分の道具と労力を出血大サービスすればいいだけのこと。

「ことのついでだから掃除くらいしていくかな・・・さてと、さっさと片付けてしまおう」
本来の自分にはない奉仕精神が芽をだした私は、サバサバした気分で道具を整えた。
そして、女性に気持ちに負担を与えないよう、淡々と作業に取り掛かった。

黙々と動かす手元は赤と黒に染まり、それは人が死んだことを忘れさせるくらいにどこまでも赤く、そしてどこまでも黒く私の精神に響いた。
そして、そんな凄惨な光景が広がっているにも関わらず、作業を少しでも手伝おうとして私の傍から離れない女性の気遣いと心労が、私の作業を心の面で支えてくれた。

「ありがとうございます・・・」
きれいになった台所を見て、女性は泣きながら喜んでくれた。
お金がかからなかったことよりも特掃野郎の心意気を喜んでくれたようで、通じ合う気持ちに私もお金に換えられないモノをもらった。

家財・生活用品の撤去処分は後日の施工となった。
これは、さすがに無料とはいかなかったけど、作業日時等を調整して、できるかぎり女性の予算に合わせられるよう努力。
消毒剤や消臭剤も、普段の余りモノをかき集めて。
それもこれも、女性の苦境と誠実さと健気さが伝わってきたからこそできたことだった。

結局、実質的にみると、この現場は赤字仕事になってしまった。
しかし、
「金は赤字でも心は黒字」
と考えると損した気分にはならない私だった。

財布が赤字でも心が黒字ならいい。
財布が黒字でも心が赤字なのは御免だ。
正直言うと、やっぱ、財布も心も両方が黒字だったらいいな。

いつかくる人生の総決算。
それが黒字になるか赤字になるかは、今の生き方にかかっているのである。






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心の奥

2007-07-16 08:52:22 | Weblog
こうして生きていて、自分で自分が分からなくなるときはないだろうか。
自分が何をしているのか、自分は何を望んでいるのか、自分に大切なものは何なのか分からなくなるときが。

いちいちそんなことを考えるのは余計なことかもしれない。
日常の生活には必要のないことかもしれない。
そんな余計なことは考えずに、一日一日を楽しく生きることに集中すればいいのかもしれない。
でも、考えてしまう。
何とも言えない満たされない感覚が、常に私に付き纏ってくるから。


仕事の依頼が入った。
現場は、古くて小さな公営団地。
依頼者の男性とは、現場で待ち合わせた。

故人は初老の女性で、例によっての孤独死。
依頼者の男性は、故人の息子だった。

男性と故人は、普段はほとんど交流がなかったよう。
親子関係にトラブルを抱えていたわけでもなさそうだし、仲が悪かったわけでもないみたいだった。
ただ、自分の家庭を持った男性は、その生活を守ることが手一杯で、母親のことをかえりみる余裕がなかったのかもしれない。

そんな想像を巡らせながら、私は、男性について部屋に入った。

死後何日か経っていたにもかかわらず汚染も異臭もほとんどなく、そんなノーマルな状態に、
「これは、〝特掃〟と言うより〝不用品撤去〟だな」
と、私は気持ちを緩めた。

〝不用品撤去〟と言っても、部屋にある全てのモノを一括して処分することは少ない。
多かれ少なかれ、捨てないモノがでてくるのだ。
実用品から貴重品、思い出の品etc。

しかし、撤去作業中にいちいち必要品と不用品の分別をやっていては仕事にならない。
だから、依頼者には、必要なモノは予め選別しておくことをお願いするようにしている。
もちろん、依頼者が入れないくらいに凄惨な部屋のときは、暗黙の信頼関係で私が代行するのだが。

このときの現場は、撤去作業は、依頼者(遺族)が貴重品や必要なものをキチンと選り分けた後に行うことになった。


作業の日。
「いるモノは全部持ち帰ったので、あとは全部処分して下さい」
「終わりそうな頃に連絡をもらえれば、戻って来ます」
依頼者の男性は、そう言ってどこかへ出掛けていった。
まぁ、現場にいたところでホコリを被るだけなので、私としてもその方がよかった。

男性の言う通り、部屋に残されていたものは、どれも捨ててよさそうなものばかり。
廃棄物の場合、梱包も運び出しもそんなに丁寧にはやらない。
だから、作業は大胆に進めた。

部屋がある程度片付くと、次は収納スペースに着手。
押入にも荷物がギッシリと詰まっていた。
ただ、そのほとんどは、収納ボックスや衣裳ケース。
そして、それぞれの箱には中に入れられているモノを示すラベルが貼ってあった。

「こんなにキチンと整理してるなんて、随分と几帳面な人だったんだなぁ」
私は、故人の几帳面さに感心しながら、それらを搬出。

押入が終わると、次はその上の天袋。
押入同様、そこの荷物も箱を使って整理されており、私は、一つ一つのラベルを確認しながら箱を運び出していった。

そのうち、最も手の届きにくい一番奥から一つの段ボール箱がでてきた。
その古ボケた感じから、〝当然捨てるモノ〟と判断した私は、そのまま運び出そうと何気なくラベルを見た。
すると、そこには人の名前らしき文字が。

「この名前は確か・・・」
そこに書かれていたのは、故人の息子である依頼者男性の名前だった。

「何が入ってるんだろう」
段ボール箱を揺らしてみたけど、そんなことで中身が分かる訳もなかった。

その中身が何となく気になった私は、その箱を部屋に残し次の作業をすすめた。
念のため、後で依頼者の男性に確認してもらおうと思ったのだ。

作業も終盤になり、現場を確認してもらうために依頼者の男性を呼び戻した。

「さすが、作業が早いですね」
男性は、短時間で部屋が空っぽになったことに驚きながら、仕事の成果に満足してくれた。

「あと・・・これなんですけど、一応確認してもらった方がいいかと思いまして」
私は、あの箱を男性に差し出した。

「何だろう・・・ま、いらないモノのはずです」
男性は、そう言いながら箱のガムテープを雑に破った。

「ん?何だ?・・・これは・・・」
中からは、幼い子供が描いたと思われる絵や、大きな字で書かれた手紙がでてきた。

「・・・懐かしい・・・って言うか、ほとんど憶えてないなぁ・・・」
男性がかなり小さい頃のモノなのだろう、ほとんど記憶にないらしかった。

「私が子供の頃につくったものみたいですね・・・」
男性は、感慨深げに一つ一つを眺めた。

「まったく、こんなゴミとっといたって仕方ないのに」
照れ臭そうに笑う男性だった。

箱の中身は、幼い頃の男性が故人に贈ったもの。
誕生日や母の日などの記念日に贈ったものもあれば、何もない日常に贈ったものもありそうだった。
それらは故人にとって宝物だったのだろう、一つ一つを大切にとっておき、押入の奥にしまっておいたのだった。

「部屋が空になってみると、〝お袋はホントに死んじゃったんだなぁ〟ってしみじみ思いますね」
「あ~ぁ、生きてるうちに、お袋ともっとたくさん話しておけばよかったのかもなぁ・・・」
寂しそうに呟く男性は、それでも何だか嬉しそうに箱の中を見つめていた。

その後、箱の中身がどうなったかは知らない。
ただ、男性の心にポッカリ空いた穴は、段ボール箱に詰められた故人の想いで埋めることができたのではないかと私は思った。
更に、息子を想う母の愛情が蘇った現場でのひとときが、私に何かの満たしを与えてくれたのであった。


心の奥。
誰に明かす必要もなく、たまには、自分のそれを覗いてみてはどうだろう。
一人静かに心の奥を探ってみると、普段の自分では思いもつかない大切な何かがみつかるかもしれない。






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未知の道

2007-07-13 09:21:00 | Weblog
「なかなかいい商売を見つけたもんだな」
自宅に招いた私に、依頼者の男性は唐突な言葉を浴びせた。

「〝商売〟と言われれば〝商売〟かもしれませんけど、〝いい商売〟かどうかは分かりません」
私は、男性にそう切り返した。

「そうは言ったって、いい金もらってんだろ?」
男性は、私の心象などお構いなしで言葉を続けた。

「同年代の平均所得は下回ってますよ」
私は、ホントのことを言った。

「またまた~、そんなことないだろ?」
男性は、〝トボけんなよ〟と言いたげで納得してない様子。

「ホントですよ・・・嘘をついたって仕方がないですから」
私は、苦笑いで話題が変わるのを待つしかなかった。

訪問した依頼者宅は、結構な豪邸。
庭には高級外車もあった。
通された応接間は、いい言い方をするとゴージャス、悪い言い方をするとケバケバ。
依頼者の男性も、買うと高そうだけど〝上品〟とは言えない服装。
その経済力が、人間としての自信に直結していることはすぐに分かった。

なにも、この仕事に限ったことではないけど、世の中には色んな人がいる。
中には、
「苦手なタイプだな」
「変わった人だな」
と思うような人も。
そう言う私も、〝変人〟の一人として数えられているかもしれないけどね。

そんな人(依頼者)の中には、対応に手を焼く人がいる。
この時の男性もそうだった。
私より年上とはいえ、初対面からタメ口+乱暴なモノ言い。
その上、耳触りのよくないネタもお構いなしで。

blogの隊長は、私の一部・人格の一面の現れでしかない。
現実の私は、とても人様から称賛されるべき人間ではなく・・・ただの凡人・愚人・罪人なのだ。
だから、現実には、人から変人扱いされたり奇異に思われたり、時には見下されることも少なくない。
そして、そんなことにはもう慣れてしまっている私は、このときも気分を害することはなかったのだが、男性に対する策を定めるのに苦慮した。

「とりあえず、現場に行きましょうか」
いつまでも終わらない雑談に嫌気がさしてきた私は、半ば強引に話を切った。

男性は自分の高級車では現場に行きたくなかったようで、私の車に同乗。
移動の車中でも、男性はストレートなキャラクターでグイグイ押してきた。

男性は、親の代から続くとある会社の社長。
事業もそこそこ成長し、結構羽振りのいい生活をしているらしかった。
特に、事業を成功させたことと、女性にモテることへの自負心が強く、その自慢話が炸裂。

「商売も女も、やってみなけりゃホントのところは分からねぇ・・・未知への期待感がたまんねぇんだよな」
そんな男性に対して、自分の耳のキャパシティーが心配になる私だった。

確かに、私が見ても男性は〝モテないタイプの男〟ではなかった。
〝遊び人〟というか〝遊び上手〟といった感じで。
ただ、
「世の女性達は、男性が好きなんじゃなくて、男性が持ってるお金が好きなんじゃないの?」
とも思った。
もちろん、そんなことは口にしてないけど。

「自慢話に付き合うのも仕事のうち」
そう考えた私は、劇団員バリのオーバーリアクションで、聞き上手を演じた。

亡くなったのは、男性の叔父。
昔は、男性と一緒に会社をやっていたのだが、先代(男性の父親)が亡くなったことを機に、人間関係(組織)のバランスが崩壊。
そんな状況下、故人は会社を出て同業種での独立開業。
しかし、そこから男性と故人の関係は一気に悪化。
商売敵となった双方は競争と潰し合いを激化させ、結果、故人の会社は事業が軌道に乗る前にあえなく倒産。
それからというもの、故人は酒におぼれ妻子とも別れて、転落の一途を辿ったのであった。
そして・・・最期はわびしい借家で孤独死。

「まさか、こんなことになるなんてなぁ・・・」
威勢のよかった男性も、故人の晩年と寂しい死を語るときだけは声を沈ませた。
助手席に乗る男性の横顔は、男性が故人の末路に自責の念を抱いていることを伺わせた。

「先のことは誰にも分からないことですよ」
「人生は、自分の力ではどうにもならないことだらけですけど、自分の道は全て自分の責任で歩くもの・・・誰のせいでもないですよ」
と、私は無言の質問に応えた。

「そう・・・だよな・・・」
男性は、何かを諦めたように微笑んだ。

そんな話をしながら車を走らせることしばし。
私にとって、男性のキャラは憎めないものへと変化していた。

「この家なんだよ」
男性に道案内されて到着した家は、古くて小さな一軒家だった。

「中は不衛生なはずなんで、私一人で見てきますよ」
男性の気持ちを察して、私は自分一人で入ることを提案。
マスクと手袋を装着しながら、深呼吸をした。

「アンタ、なかなかいい男だな・・・女にモテんだろ」
「あとは、ヨロシク頼むな」
男性は、前のキャラクターを取り戻し、汚部屋に行く私を見送ってくれた。

人に褒められて悪い気はしない。
人に頼られて引くわけにはいかない。
男性のお世辞に乗せられた私は、張り切って未知への玄関を開けるのだった。




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シアワセ

2007-07-10 07:27:09 | Weblog
苦しいこと・悲しいこと・辛いこと・悩むこと・・・
自分の人生は、そんなことだらけじゃないかと暗い錯誤を覚えることがある。

日常のささやかな楽しみや幸福感は、目には見えず肌で感じるだけの風みたいなもので、あまり実質感がない。
そんな感覚で生きていると、シアワセってなかなか手に入らないような気がする。
しかしながら、実は、簡単に手が届くようなところあるような気もする。


現場は、古い分譲マンション。
最初に電話をしてきた依頼者は、故人の息子・中年男性。
しかし、現地調査(見積)のときに現場に来たのは依頼者の妻、つまり故人の嫁だった。

「だいぶヒドイと思いますよ!」
女性は、〝中に入るなんてとんでもない!〟といったしかめっ面で、私に鍵を渡した。

「いっちょ、行ってくるか!」
気が進まない人と一緒に行くより、一人で行く方が気を使わなくていい。
私は足取りに勢いをつけて、現場の部屋に向かった。

「想定の範囲内だな」
玄関を開けるといつもの腐乱異臭、何匹かのハエが私の身体とニアミスしながら背後に飛び去っていった(何匹かは身体に衝突)。

目当ての汚染痕は洗面所にあった。
狭い洗面所の床は、例の各種腐敗汚物に占領され、私が入る隙間を与えてくれなかった。
故人は鏡の前に立って何かをしていたのだろうか、汚染は床だけでなく洗面台にまで拡散。
シンクの排水口に向かって延びる何本もの深紅が、私の目に鮮烈に飛び込んできた。
そして、その元人間がシンクの底に溜まるように固まっていた。
当然、無数のウジも・・・。

「ヘビー?・・・イヤ、ミドル級・・・だな」

中の観察を終えて、私は一階の外で待つ女性のところに戻った。

「こんな死に方するなんて・・・」
女性は、〝まったく!やっかいな死に方しやがって!〟とでも言いたげな冷たい口調でそう言った。
「義母は、義父が亡くなってからは独り暮しで、悠悠自適にやってたんですよ」
どうも、〝故人は、妻としても冷たい女だった〟と言いたげだった。
「口癖のように〝私は幸せ者だ〟なんて、よく言ってましたけど、ダンナの遺産を好きなように使えれば幸せに決まってますよね」
遺産の分け前が自分に回って来なかったのを不満に思っているようだった。

「長年、育児と家事に追われ、夫に従順を尽くし、未亡人になってやっと人生の羽根を伸ばしたパターンかな?」
「ま、そんな余生もありだよな」
そんな風に思いながら、黙って女性の話を聞いた。

故人は、夫を亡くしてからは、趣味や娯楽、旅行などに時間と金を浪費。
夫が残した財産も臆せず使い未亡人生活を謳歌・満喫。
そのシアワセぶりが、女性に違和感(嫉妬?)を与えたみたいだった。


作業の日。
今度は依頼者である男性が現場に来た。

「まさか、母親がこんな死に方をするとは・・・」
男性は、故人は元気に生活しているとばかり思っていたみたいで、孤独死なんて思いもよらなかった様子。
「自宅でポックリ死ぬのは本人も望んでたことなんですけど・・・気づくのが遅すぎましたね」
母親の身体を腐乱させたことに、悔やみきれないようだった。
「母親は、〝私は幸せ者だ〟が口癖でしてね・・・」
男性は故人のその口癖が好きだったのだろう、幸せそうな表情を浮かべた。

ミドル級の現場では、時間さえもらえればシュミレーション通りの作業ができる。
男性との話に一段落つけて、ヌルヌルの腐敗沼に足を踏み入れる私だった。

作業が終わり、私は、特掃の自信の成果?を確認してもらうために、男性とともに洗面所に入った。

「ニオイはまだ少し残ってますけど、やれるだけのことはやりましたんで」
「あぁ!きれいになってる!何もなかったみたいだ!ありがとうございます!」
男性は、特掃の成果に驚きながらとても喜んでくれた。
そして、その笑顔に疲れが癒える私だった。

「これで、やっと親父も墓に入れますよ」
「ん?親父?」
「そう、親父は何年も前に亡くなったんですけど、遺骨はまだこの家に置きっぱなしなんですよ」
「そーなんですかぁ」
「〝一人だとお父さんが寂しがるから〟って、母は父の遺骨を墓に入れず、ずっと自分の傍に置いておいたんですよ」
「へぇ~」
「でも、ホントに寂しかったのは母の方だったのかもしれませんがね」
「・・・かもしれませんね」
「母想いの父、父想いの母でしたから」
「・・・」

男性の話を聞いて、故人が言っていたシアワセの真髄が、深い夫婦関係にあったことを感じて気持ちが和んだ。


きれいになった洗面台の鏡中からは、〝一人の男〟がこっちを見ていた・・・そう、そこに映っていたのは、一仕事を無事にやり終えた私。
そのくたびれた顔には、小ジワが刻まれ汗が流れていた。

「このツラも、随分と老朽化してきたもんだなぁ・・・この男も、いつかは死体か・・・俺にとってのシアワセって何だろうな・・・」
自分の世界に入ってホッと笑ってみると、男の顔のシワにアセが流れた。

そこには、ツラい労苦の中にも爽やかなシアワセを感じる私がいた。






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生きてたら

2007-07-07 07:53:56 | Weblog
死体業に入って15年。
数え切れない何人もの死と遭遇し、色んなかたちの死を見てきた。
色んな人(故人)達が、私の人生を通り過ぎていった。
その中には、私より歳の若い人もたくさんいた。

「もっといい仕事はなかったのだろうか」
そう過去の自分を振り返ってみることもあるけど、その全ては誰のせいにできるものではない。

自分に与えられた道、自分で選んだ道、何もかも、生きているから味わえる醍醐味。


ある不動産会社から、特掃の依頼が入った。
出向いた現場は、1Rマンションの一室。
オートロックの入口には監視カメラもついており、家賃の高そうな建物だった。

例によって早めに現場に到着した私は、約束の時間がくるまで外で小休止。
しばらく待っていると、電話をしてきた不動産会社のスタッフがやって来た。
現れたのはスーツ姿の三人の男性。

「大の男が三人も・・・それだけヘビーな現場だということか?」
「それとも、一人じゃ心細いのかな?」
「ひょっとして、特掃野郎が珍しくて見物に来たのかな?」
孤高?の私は、そんな風に思った。

「ご苦労様です」
「どうも」
「今日中に処理できますか?」
「現場を見てみないと分かりませんね・・・あと、費用の問題もありますし」
「そうですか・・・ま、とりあえず中を・・・」

私達は、オートロックをくぐり抜け、エレベーターを目的の階に進めた。

現場のある階に到着し、エレベーターの扉が開いた。
そして、私は、すぐさま鼻でその辺の空気を浅く吸った。

特掃現場の場合、マンションなアパートの共用廊下に例のニオイが漂っていることも少なくない。
しかし、幸いなことに、この現場にはそれはなかった。

「あそこなんです」
と不動産会社の男性が指差す先、廊下を少し進んだところの玄関前に汚染があった。

「これですかぁ」
私は、汚染箇所に近づき、床にしゃがみ込んだ。

「これは血ですね」
床を汚していたのは、腐敗液というより血液だった。
それが、玄関ドアの下から流れだし、ワインレッドの乾いた帯をつくっていた。

「自殺ですか?」
相手が遺族だったら、そこまでストレートには尋けないのだが、他人(不動産会社)なので率直に尋いてみた。

不動産会社は自殺を否定。
しかし、それは警察の見解であって、不動産会社自身も故人の自殺を疑っているようでもあった。

「とりあえず、中も見てみます」
玄関ドアを開けた私は、身体はそのままに首だけ中に入れて上下左右をグルグル見回して観察した。
自殺を匂わせる痕跡がないか、探したのだ。

「首を吊ったような跡もないし・・・手首を切ったような血シブキもなし・・・やっぱ、警察の言う通りだろうな」
私は、抑えられない野次馬根性に支配されていた。

しばらくすると、遺族がやって来た。
故人の父親と兄の二人。
遠方の実家から駆けつけて来たようだった。

父親は、気が動転していることは誰の目にも明らかで、私が話すことに対しても
「は、はい・・・」
としか言わず。
また、兄の方は困惑を隠せない表情で終始無言。
目を泳がせるばかりだった。
二人とも、故人の死を悲しむよりも、故人が亡くなってしまった現実と向き合えないでいるようにみえた。

亡くなったのは、20代前半の女性。
田舎から都会にでてきて、普通に独り暮しをしていたようだった。
特に、体調を崩していた様子もなく、仕事も元気にやっていたらしい。
発見の日は、玄関から血が流れだしているのを同じマンションの住人が発見して110番通報。

〝不幸中の幸い〟と言っていいものか迷うところだが・・・倒れた場所が玄関で出血が多かったことが幸いし、早期発見につながったものと思われた。
〝腐乱死体で発見!〟となったら、問題は何倍にも膨れ上がり、収拾がつかなくなっていたところだ。

死因については、自殺ではないことは断定したものの、本当のところはハッキリしていないようだった。
貧血か何かで気絶し、倒れたときの打ち所が悪かったのだろうか。
はたまた、〝急性心不全〟〝心筋梗塞〟とかが死因で、外傷は直接の死因ではなかったのかもしれない。

結局、特掃作業はその場でやることになった。
必要な道具を揃えて、私は作業に取り掛かった。

血は、乾いているときには特段のニオイがなくても、作業で水気を与えるて生臭いニオイが蘇ってくる。
真っ赤に染まる手元から立ち上ってくる血のニオイを嗅ぎながら、若い故人の突然の死を受け止める私だった。


一般の人に比べると〝命・生・死etc〟を見つめる機会の多い私。
そんな私でも、日常は、死を他人事のように錯覚して生活している。

死は老人・弱者だけのものではない。
人間が死ぬことは、権利?義務?、やはり宿命?
いつでも、どこでも、どんなかたちでも、必ずやってくる。

「あの時の故人、生きてたら○才になっているんだなぁ・・・」
今までに関わってきた若い故人達を想いながら、人生と生死の妙を噛み締める私である。






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スープの好み

2007-07-04 17:42:43 | Weblog
決して〝通〟なわけではないけど、私は結構なラーメン好きである。

昼時になると、だいたいいつも
「うまいラーメンが食べたいなぁ」
と、無意識のうちに考えている。
汗をかく夏は体内の塩分が不足がちになるので、そのせいもあるのかもしれない。

どうだろう・・・一週間のうち2~3度はラーメンを食べているかもしれない。
ウ○コ男になっているときは、店や他の客に悪いんで遠慮しとくけどね。

仕事柄、私の外出先は毎日違う。
したがって、私が入るラーメン屋も色んな所の色んな店。
特定の店の常連になっているようなことはない。
車で走ってて、たまたま通りかかった美味そうな店に入るのだ。

一番多く食べるのは、とんこつ系。
味も好きなんだけど、とんこつ系の味は店の数が圧倒的に多いから、食べる数も自然と多くなる。
しかし、好きな味でも、度を越した脂ギトギト系は苦手。

しばらく前から、スープにたっぷりの脂を浮かせる店が多くなったような気がするけど、ラーメン界の流行?客の好み?
どちらにしろ、私の好みではない。

とんこつ系に反して、味噌や塩を食べることは少ない。
味が嫌いなわけではないのだけど、上に同じく、その味を専門とする店が少ないから。
味づくりが難しくて、商売として成り立たせにくいのだろうか。

東京界隈でも、〝ラーメン激戦区〟と言われるエリアがいくつかある。
どの店も、高いレベルで競っているようだが、有名店でも無名店でもどんな種類のラーメンでも、本当に美味しいラーメンは誰が食べても美味しいはず。
麺や具、店構えや雰囲気・演出も重要なポイントなのだろうけど、何よりもスープ!スープが要だと私は思う。

ある日の夜中。
枕元の携帯電話が鳴った。
もともと眠りが浅い私は、電話が鳴る前から覚醒していたかのように電話にでた。

「あのー、身内が死んだんですけど・・・」
「そうですか・・・死後どのくらい経ってましたか?」

仰々しい挨拶は省略して、私は、いきなり本題をきりだした。
依頼者の方も、社交辞令的な挨拶を望んではいないだろうし、お互いにとって夜中の電話に回りくどい挨拶は必要ない。

「〝10日くらい〟って
、警察から言われました」
「10日ですか・・・ニオイや汚れはヒドイですか?」
「ええ、ヒドイです・・・風呂場で亡くなってまして・・・」

過去に何度も書いている通り、風呂やトイレの特掃は格別。
この時も、汚腐呂の衝撃映像が脳を殴ってきた。

「ちなみに、亡くなってたのは浴槽の中ですか?それとも、洗い場ですか?」
「浴槽の中です・・・お湯に浸かったままで・・・」
「あ゛ー、そうですか・・・」

イケないパターンだった。

「ちなみに、溜まっている水はどんな状態ですか?」
「濁っていて・・・ラーメンのスープ状態です」「ラーメンの・・・スープ・・・ですか」
「ええ、まさに・・・」

「食べ物に例えるとは、なかなかの感性だな」
そう思いながら、口調を控えめにして尋いてみた。

「ラーメンのスープにも色々あると思いますが・・・」
「え~と、近いのは〝トンコツ醤油〟かなぁ」
「え゛!?と、とんこつ?」

通常の汚腐呂(汚腐呂に〝通常〟もへったくれもないか)は、醤油系が多い。
コーヒー色、コーラ色だ。
それが、〝とんこつ〟ときたもんだから、ちょっと動悸がした。

それが、〝脂ギトギト系〟なのか〝サッパリ系〟なのかも気にはなったけど、無神経すぎて、さすがにそこまでは尋けなかった。
仮に、尋いたところで、依頼者も応えようがなかっただろうし。

後日、私は現場に出向いた。
現場は、古い公営団地。
依頼者の男性とは建物前で待ち合わせた。

「ヤバイですよぉ」
男性には、身内の死を悲しむ素振りはなく、とにかく〝人間スープ〟の行く末に好奇心が駆り立てられているようだった。

男性から部屋の鍵を預かった私は、一人で現場へ。
玄関を開けると、早速に汚腐呂特有の生臭い腐乱臭が鼻に入ってきた。

「とんこつ醤油・・・とんこつ醤油・・・」
まるで呪文でも唱えるように、頭の中に〝とんこつ醤油〟の画が浮かんできた。

「ここだな」
目当ての浴室はすぐに分かった。
そして、自分に余計なことを考えさせないよう間髪入れずに扉を開けた。
「!と・ん・こ・つ・し・ょ・う・ゆ」

浴槽の中は、まさに〝とんこつ醤油〟状態。
しかも!私が苦手とする、脂ギトギト系。
その脂ときたら、まるでバターのようで・・・

ラーメンのイメージを下げかねないんで、これ以上を書くのはやめておこう。

私の場合、ラーメンのスープは全部飲み干さないで残す。
塩分と脂分が気になるんで。
しかし、人間スープは残してはいけない。
特掃の責任として。

さ~て、次は、どこでどんなスープと遭遇することになるのかな。







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重荷

2007-07-01 07:59:23 | Weblog
毎度毎度、歳のせいばかりにもしていられないけど、私は常に身体のどこかが不調である。
ちなみに、この頃は背中と腰。
このところ、そこの調子が悪くて仕方がない。
背中は痛く、腰には鈍いだるさがあるのだ。
昔だったら、少し労ってやればすぐに治ったものだが、最近はそうもいかなくなってきた。

仕事柄、重いものを持ち運ぶことは日常茶飯事。
それが原因であることは間違いなさそうだけど、生きていくためにはそんなことでいちいち仕事は休めない。
ガタつく身体に鞭を打ちながら、労働に勤しむ私である。


遺体搬送の仕事が入った。
故人を、病院から自宅に運ぶ仕事だ。

病院によっては霊安室がない所もあり、病室に直接迎えに行くこともある。
この時もそうで、私は、他の患者や家族に神経を使いながら、故人と遺族の待つ病室へストレッチャーを進めた。

遺体を運び出すためには、まず、ベッドからストレッチャーに移動させなければならない。
故人が、小柄な人や痩せた人なら一人でできるのだか、そうでない人の場合は、二人以上の手が必要になってくる。
その場合、遺族が手伝うことは少なく、だいたいの場合は看護士が手伝ってくれる。

ただ、看護士によっては、
「一人で来たの?ダメじゃないの!二人で来なきゃ!」
と、露骨にイヤな顔をする冷たい人もいる。
個人的な経験だと、このタイプの人は少なくない・・・ハッキリ言ってしまえば、多い!
ベッドから、横のストレッチャーに遺体を移すだけの作業でも、〝これは私の仕事ではない!〟〝なんで私が手伝わなきゃいけないの?〟といった調子だ。

もちろん、個人差はあるだろうけど、看護士も遺体を触るのはイヤなのだろう。
または、日常の正規業務に疲れて、職務以外では人に親切にする余裕もないのか。
そんな具合いで、横柄な態度をとる看護士も少なくない。
社会の表裏を垣間見れる場面でもある。

故人は女性。
かなりの高齢で、天寿をまっとうしたみたいだった。
痩せて小さくなった身体は、非力の私でも充分に抱えることができた。

いつもの通り遺体を車に積み込んだ私は、病院職員に見送られて厳かに出発。
目的地は故人の自宅。
遺族は同乗せず、私は故人と二人きり、しばしのドライブとなった。

遺体は、運転席の真後ろに寝ているので、運転中は顔を合わせることはない(シーツにすっぽり包まれてるしね)。
ハンドルを握る私は、後ろに眠る一人の死を考えながら、生死の不可思議さを感じた。

「これで、この人の人生は終わったんだな」
「長い人生、色んなことがあっただろうな」
「生きてることって不思議なことだよな」

故人の家は、入り組んだ狭い路地の奥にあった。
とても、家の前まで車をつけることはできず、できるだけ近いところに車を停車。
そこから家まではストレッチャーを引きずっていくしかなく、私は凸凹の路地をゆっくり進んだ。

地面があまりに凸凹過ぎて、遺体がガクンガクンと揺れた。
道路事情が悪いのは私のせいではないにしろ、故人の安眠を妨げているようで、何とも申し訳ないような気分になった。

到着した家は、だいぶ老朽化した小さな一軒屋。
玄関の扉もガタピシ状態。
その家には、血縁者・遺族がたくさん集まっていた。

玄関から先も狭く、ストレッチャーのままでは入れそうになかった。
しかも、安置場所は二階。

「抱えて行くしかなさそうだな」
私は、狭く曲がった急階段を、故人を抱えて登るしかなかった。

「抵抗がない」
と言ったらウソになるけど、一般の人に比べると遺体を抱えることに抵抗が少ない私。
故人を〝お姫様抱っこ〟して階段を上がる私を、遺族は〝スゲー!〟といった表情で見つめていた。
そんな反応に、ちょっと得意になってしまう私もいた。

二階の部屋には布団が用意されており、私は、その布団に故人を静かにおろした。

「おばあちゃん、男の人に抱えられてよかったわねぇ」
一人の中年女性が、そう言った。
その一言は、場の雰囲気を和ませるためでもあったし、私への心遣いでもあった。
その気遣いと優しさが素直に嬉しかった。

安置状況に問題がないか確認するために部屋を見渡すと、三人の遺影が目についた。
どの写真も老人男性の顔。
私が、それを眺めていると、さっきの女性が話し掛けてきた。

「一人は、おばあちゃんのダンナ、あとの二人はおばあちゃんの息子です」
「そおなんですか・・・」
「私は孫なんですけど、亡くなった息子の一人が私の父です」
「・・・」
「二人の息子の方が先に逝っちゃってね・・・」「子供に先に死なれて、ツラかったでしょうね」
「ええ、本人も〝早くお迎えがきてほしい〟と口癖のように言っていましたから」
「・・・」
「いくつになっても、〝親は親、子は子〟ということですね」

私は、子供に先立たれた人の気持ちは分からないけど、それなりの重荷になることは想像できる。
故人は、その重荷を背負って生き通したのだろう、集まった人達からは悲哀ではなく感謝と労いの声が多く聞かれた。

遺体搬送。
重い人もいれば、軽い人もいる。
通常遺体もあれば損傷遺体もある。
ただ、総じてその死は重い。

仕事でやっている他人の私がその死をいちいち背負えるはずもないけど、一人の人間がコノ世から忽然といなくなることは、故人の縁者にとっては重いことだろう。

私も、私なりの重荷を背負って生きている。
その荷は、降ろしたくても降ろせないものから、降ろしても降ろしても新たにのしかかってくるものまで色々ある。
まぁ、生きているかぎり、その荷を背負い続けるしかないのだろう。
そうして生き通して生涯を終えるときに、やっと重荷を降ろせるのかもしれない。

痛む背筋を伸ばしながら梅雨空を見上げ、そんな風に思う私である。






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