特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ダメ人間参上!

2015-10-22 08:55:09 | 特殊清掃 消臭消毒
秋も深まる中、このところは気持ちのいい晴天が続いている。
四季折々の景色はどれも美しいが、秋の景色もまた格別。
清んだ青空に自由な雲、紅黄に染まる街路樹、店頭に並ぶ秋の味覚、暖色に変わりつつある街の色・・・
何より、肌寒いくらい凛とした涼気が心地いい。

しかし、この秋を迎える前の天気はちょっと異様で、8月半ばから9月半までの約一ヵ月間、雨天曇天が続いた。
まるで梅雨のような気候で・・・いや、梅雨より梅雨っぽかった。
各地で大きな災害も起こり、何人かの人が亡くなり、多くの人が家や土地を失った。
ニュースにもならなくなったけど、今でも避難生活を余儀なくされている人は多くいるのだろう。
将来に希望を持てないでいる人も多くいるのだろう。

それがわかっているのに・・・
私は、仕事を放りだしてまで救援のボランティアに参加しようとは思わない・・・
酒肴を削ってまで金を差し出そうとは思わない・・・
自分さえよければそれでいい?
そういう風に、人の災難を他人事として遠目に見ているダメな自分がいる。
ただ、言い訳にも聞こえるかもしれないけど、社会における自分のポジションを維持することも間違いではないと思っている。
いつも通り働くことも、キチンと納税することもまた社会貢献。
社会福祉政策も人や税金で動かされているわけだから、間接的にでも、災害復興の一端の端の端の端・・・くらいは担えているように思う。

天災と同列に並べることはできないけど、そんな私にも小さな災難はあった。
今年に入って、二度、交通違反で警官に止められたのだ。
理由は、右折禁止のところを右折したため。二度とも。
一度目は4月、大通りの交差点。
ちゃんと右折レーンがあり、私は、そこに進入。
標識にまったく気づかす右に曲がったのが運の尽き。
その先には警官が待っており、あっさり御用。
その交差点には右折禁止時間帯があって、それは、まさにその時のことだった。
二度目は7月、現地調査のため現場近くに駐車場を探していたときのこと。
小さな路地から通りへ出るには左折のみ可だったに、標識を見落としてしまい、右に出てしまった。
ここでも違反者が多いのか、行く手にはちゃんとパトカーが待機しており、これまた御用となってしまった。
短い間に二度も同じミスを犯すなんて・・・私は、学習能力のない自分にやり場のない苛立ちを覚えたのだった。

私にとって、車の運転は、仕事の中でも大きなウェイトを占める。
運転距離は一年で50,000kmくらい。
運送業でもないのにこの距離はなかなかのものだと思う。
これまでも、上記のような小さな違反を繰り返してきており、大学のときに運転免許を取得して以降、免許証の色は一度も青から上にあがったことがない。
それでも、人身事故を起こしたことがないのは幸い。
上記の違反も、罰金・減点は痛かったけど、人身事故や物損事故に比べれば全然マシ。
ただ、次に何かやったら免停か講習になるので、今は、一層、気をつけて運転している。

今は、当然のように安全運転を心がけることができている私だけど、若い頃には、飲酒運転をやったことがあった。
こともあろうに泥酔状態で、思い出すと、今でも、その恐怖感と嫌悪感に虫唾が走る。
当時は、飲酒運転に対する取り締まりも今より甘い時勢で、飲酒運転に対する罪悪感も薄かった。
もちろん、時勢のせいにするのはまったくの愚考だけど、回りの人間にも飲んで車を運転する者が少なくなかった。
幸い、そのときは、事故を起こすこともなく、警察に捕まることもなかったけど、深夜の道を結構なスピードで走ったことを憶えている。
“若い”ということは素晴らしいことだけど、このように、“若さゆえの愚行”ってものもある。

私がこの仕事に就いたのは、大学を卒業して数ヶ月後のこと。
その経緯は2006年6月23日、2008年12月4日の「死体と向き合う」二編(←懐かしい!)に記したとおりだが、当時の私も若かった。
一年くらいのうちに、ほとんど皆辞めていなくなってしまったけど、当時の先輩は皆40代。
「先輩」といっても、ほとんどの人がキャリア数ヶ月程度。
職を転々としているような人ばかりで、素性の怪しい人、借金取りから逃げているような人、アル中?、チンピラ風の人もいた。
そんな具合だから、人の入れ替わりも激しく、一年続けば一人前、二年もやればベテラン。
大卒なんて誰もおらず、
「大学でてまでやる仕事じゃない」「すぐに辞めたほうがいい」
と、私のことを小バカにしながら親切なこと?を言ってくれる人もいた。

当初、そんな先輩達は私のことをマトモに相手にしなかった。
親切に仕事を教えてくれる人もいたが、大半の人は私を蚊帳の外に置いた。
そして、「いい雑用係が入った」とばかり、雑用ばかりやらされる日々が続いた。
そんな日々の中、あるとき、ある先輩に「態度が悪い」「生意気」と注意を受けた。
生意気な態度をとっているつもりはなかったのに。
しいて言えば、周囲の人間を無視していた感じ(←ま、こういうのを“生意気”と言うんだけど)。
仕事上、必要なこと以外に口はきかず。
話しかけられて応えることはあっても、必要最低限の短い返事ばかり。
先輩達の口から出る話題がとてもくだらなく思えたし、年齢もかなり離れて話も合わなかったから。
てな具合で、事務所内での世間話や雑談に加わることはほとんどなかった。
一人でいることを好み、仕事が終わっても職場の誰かと飲みに行くことも滅多になかった。
もちろん、敵をつくるつもりは毛頭なかった。
ただ、“協調性を発揮する”“とか”場の空気を読む“ということを眼中に置いておらず、どうも、そんな態度や行動が、生意気に映ったようだった。

私は、心の中で、先輩達のことをバカにしていた。
「いい歳して、こんな仕事にしか就けないなんて・・・」
と、自分も同じ穴の狢(むじな)であることを棚に上げて。
「俺は、この人達とは違う」
と、自分だって逃げるようにやってきたのに、根拠もなく高ぶっていた。
それが、言葉に出さずとも態度に表れていたのだろう。

私は、職場で孤立することを恐れてはいなかった。
孤立しようが嫌われようが、どうせ人手が足りなければ私も戦力として必要になる。
また、職務をまっとうしていれば、表立って文句を言われる筋合いはない。
ただ一点、上役(ヤクザ風)に嫌われないようにすることだけは意識した。
先輩(同僚)にどう思われようが構いはしないが、さすがに、上役に嫌われていいことはない。
世の中の誰も知らないような仕事をしている会社、しかも、吹けば飛ぶような超零細企業に労働法規なんか関係なく、上役の一存であっさりクビにされることがある(実際に多々あった)。
だから、そこのところだけは気をつけた。
ただ、当時、詰めていた現場事務所に上役は常駐しておらず、顔を合わせるのは一ヵ月に一~二度程度。
幸いなことに、粗い先輩達の陰で大人しくしていた私は、上役に目をつけられることはなかった。

そんな具合で、職場の人間関係はよくなかった・・・正確にいうと、人間関係に入っていなかった。
また、労働環境も労働条件も決してよくなかった。
それでも、他の人と同じように「辞めてしまおう」とは思わなかった。
楽な仕事ではなかったけど、仕事に就く前の苦悩を思い出すと耐えることができた。
そう・・・それは、悩みぬいて、失意の先にやっとたどり着いた仕事。
やりたい仕事ではなかったけど、悪意に満ちた動機だったけど興味を持った仕事。
そして、生きるためにやらなければならなかった仕事。
辞めても後はない、逃げても他に逃げ場はない・・・私にとっては、そんな仕事だった。

当時の私は、他人を見下すことで、ダメな自分が目につかないようにしていた気がする。
他人のダメさで自分のダメさをごまかしていたような気がする。
「皆そうだ」と、ダメな自分と戦わないことを正当化し、自分の殻を固くしていたような気がする。
「自分のダメさから目を背ければ平安でいられる」と思い込もうとしていたような気がする。

今の私は、当時の先輩達より年上になっている。
そして、当時の先輩達と大して変わらない日々を送っている。
だから、当時の自分が今の自分をみたら、心の中できっとバカにするだろう。
それでもいい・・・バカにされたって仕方がない。
バカにする方もバカなのだから。
マズイのは、過去の自分が今の自分をバカにすることでもなく、今の自分が過去の自分をバカにすることでもない。
今の自分が今の自分をバカにすること、今の自分が将来の自分をバカにすることがマズいのである。

自意識過剰の被害妄想かもしれないけど、事実、外の人からバカにされていると感じることはよくある。
ただ、誰かにバカにされるよりも、まず先に、自分がこの仕事をバカにしている。
それがよくないこととわかっていても、これがなかなか抜けていかない。
それでも、私は、この仕事に生活を守ってもらっている。
この仕事に教わり、鍛えられ、人間を生かしてもらっている。

他人に対してばかりではなく、自分に対しても礼節は必要。
蔑むことと顧みることとは違う、
卑下すること謙虚であることとは違う、
甘いことと優しいこととは違う、
冷たいことと厳しいこととは違う、
争うことと競うことは違う、
高慢と賢いこととは違う、
自分に接する際には、その辺のところをキチンと弁えることが必要。
そうすることによって、ダメじゃない自分の成長が期待できるのだから。

「貴方はダメ人間なんかじゃない」と言ってもらいたくてダメ人間を自称している節もあるけど、それでも、私は自分をダメ人間だと思っている。
そして、私は、ダメ人間で仕方ないと思っている。
それは、“達観”はもちろん、“弱音”とか“諦め”とか“開き直り”といった感覚からではなく、愚かで無力な一人間の明日への希望として。

そう・・・ダメ人間として半世紀近くも生きている私は、それでも、そのダメさと向き合える人間に、そのダメさに立ち向かえる人間に、そして、そのダメさに負けない人間になりたいという希望を捨てていないのである。


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素のまま

2015-10-14 08:22:36 | ゴミ屋敷 ゴミ部屋 片づけ
不特定多数の人と関わるのが私の仕事。
そして、一仕事が終われば、その関係は解消される。
不動産業者や建築業者等の担当者の中には、仕事柄、複数回に渡って関わりを持つこともあるけど、原則として一期一会。
大方の場合、
「二度とお目にかかるようなことはないと思いますし、お目にかかるようなことはないほうがいいですから・・・」
と、ちょっと切ない挨拶をもって関係は終了する。

現場によって、関わる期間はまちまち。
一回(一日)限りで終わることもあれば、数日から数週間、長いときは数ヶ月に及ぶこともある。
過去には、特殊清掃・消臭消毒・家財撤去・内装改修工事をやった現場で、関係が一年くらい続いた依頼者もいた。
そうなってくると、その関係は、「客と業者」というより親しい友人みたいなことになり、故人との思い出、人生観、悩み事等々、仕事には直接関係のない話も多くなる。
そして、仕事が終わると、「もう二度と会うことはないだろう」とわかったうえで、お互いに「ありがとうございました」と労いあって別れる。
そうして、少し寂しいような、少しあたたかいような余韻だけを残し、またアカの他人に戻るのである。

そんな仕事においては、残念ながら、苦手な(嫌いな)タイプの人とも遭遇する。
いくつかはブログにも登場させたが・・・
代金を踏み倒す人、
契約を交わした後で追加作業をサービスでやらせる人、
契約通りの作業をしたにも関わらず、終わった後で値引きを要求する人、
仕事を依頼するつもりもないのに、現地調査をさせてアドバイスだけ求める人、
現地調査に呼んでおいて約束の日時に現れずスルーする人等々・・・
思い出すと頭にくるけど、こういう類の人が少なからずいるのだ。
そうは言っても、素のままの自分を曝け出して怒り散らすわけにもいかず、忍耐をもって穏便に事を治めるのである(ほとんど泣き寝入り)。

その根底に共通するのは高慢・横柄な人格。
私はこれが嫌いである(好きな人はいないか・・・)。
私にだってその要素は充分にあるだろうから、他人事のように非難してはいけないけど、私は、人のそれに人一倍嫌悪感を覚える分、常日頃から人に対して偉そうな言動・態度をとらないように努めている(つもり)。
(もともと、人に偉そうにできる材料も持ち合わせていないけど。)


この現場の依頼者にも、はじめ、私は良い印象を持たなかった・・・

訪れた現場は、街中に建つマンションの一室。
一般的な1Rマンションだったが、立地を考えると家賃は高そうな感じ。
私を出迎えたのは若い女性。
時は昼過ぎ、約束の時間に私が来るとわかっていたはずなのにパジャマ姿で寝起き顔。
明るく染めた髪はボサボサで、それを派手なネイルでかき上げながら、照れ臭そうに笑いながら頭を下げた。
私は、想定していなかったキャラに戸惑い、余計な神経を使わされることを覚悟しながら、促されるまま部屋に入った。

室内は、ゴミ部屋。
床は見えておらず、隅の方は高めに堆積。
そのほとんどは飲食ゴミで、それを主として衣類や生活用品が混在。
ゴミと化粧品の混合異臭が漂い小蝿が飛び交う中、ベッドだけが孤島のように浮いていた。

依頼の内容は、ゴミの片付けと部屋のクリーニング。
私は、だらしなく散らかった部屋と、ひどく汚れた水廻りを観察。
そして、必要な作業と、それにかかる費用を提示した。
女性は、ある程度の費用がかかることは覚悟していたようだが、私が提示した金額はそれを少しオーバー。
一定の金額を示し、そこまで値引くよう要望してきた。
しかし、私も、かかるコストを慎重に計算してだした金額。
女性の言うまま、アッサリ値引いては逆に信用を失う。
私は、その金額になる理由を丁寧に説明し、その上で、値引きするための条件を探った。
とにもかくにも、契約前の値引き交渉はあって然るべきもの。
費用を安く抑えたいというのは自然な心理で、それは、私を不快にさせるものではなかった。

私が引っかかったのは、女性の言動と態度。
どこからどう見たって、私のほうが年上。
その上、家族でも友人でもなくアカの他人で、しかも初対面。
にも関わらず、言葉遣いはメチャクチャ。
敬語とタメ口をゴチャ混ぜにして、まるで同年代の友達と話しているかのようなノリ。
「こんな小娘にタメ口をきかれる筋合いはないんだけどなぁ・・・」
私は、そんな風に心の中でボヤきながら、それでも
「“客と業者”だから仕方がないか・・・我慢!我慢!」
と自分を説き伏せ、大人を装って仕事の話を続けた。

結局、料金は私が折れた。
若い女性に鼻の下を伸ばしたわけではなく、「前に相談した他社の担当者よりも私の方が信用できそう」と言ってくれたから。
ま、これは女性の常套(じょうとう)作戦のようにも思われなくもなかったが、悪い気がしなかった私は女性の言葉を素直に受け止め、値引きに応じた。
そして、その代わり、作業の日時はこちらの都合を優先してもらうことにして契約を交わした。

どうみても、女性はフツーのOLには見えず。
また、作業可能時間を確認すると、おのずと夜の仕事をしていることが判明。
夜の仕事といって思いつくのは水商売。
が、女性がどんな仕事に就いているかなんて私には関係のないこと。
代金をキチンと払ってもらえればそれでいいこと。
だから、私は、女性の職業については想像するだけにとどめておいた。
ただ、水商売で生計を立てているであろうことに、いい印象を持てなかった。
「何故?」って訊かれても返答に困るのだが、「職業に貴賎はある」と言える出来事をイヤというほど経験している私は、軽率な先入観とポリシーのない固定観念にもとづいてそう思った。

女性は、キャバ嬢だった。
ゴミの中に混ざった名刺の束でそれがわかった。
ただ、名刺の名前は契約書に書いてもらったサインと同名。
「契約書に源氏名を書いたのか?」
と、不快に思ったが、ゴミに混ざった公共料金の書類等もすべてその名前。
契約書の名前も名刺の名前も、どうも本名のよう。
「源氏名が悪い」なんてこれっぽっちも思っていないけど、本名で店にでていることに何となく好感をもった私は、女性のタメ口も気にならなくなった。
それは、横柄な人格からくるものではなく、仕事柄、身に染みついた“習性”からくるものと理解したから。

女性の仕事では、短時間のうちに客(男)と親しくなる必要がある。
愛嬌をふりまいて、好感をもってもらう必要がある。
女性は、限られた時間で相手に親しみをもってもらうためのテクニックとしてタメ口を多用しているのだと判断した。
しかし、客でもない私に対しては、その必要は何もない。
私と親しくなったって、女性には何のメリットもない。
なのに、仕事上で身についた習性として、無意識のうちにタメ口をきいてしまうようで、古くからの友人のような馴れ馴れしい話し方は終始変わることはなかった。
一方の私は、無愛想にされるよりよっぽど気は楽だったけど、それはそれとして自分のポジションをキッチリ理解して敬語を崩さなかった。

ゴミは大量にあった。
目立ったのは食べ物ゴミだったけど、その他、日常生活で発生するありとあらゆるゴミが混在。
更には、下着や生理用品ならまだしも、○イ○や○ー○ー(ヒント→電動)まで放ってあり、少し困惑。
そんなモノ見たことはあっても使ったことはない未熟者にとっては、手に取るのも躊躇われるような代物で、
「いくらなんでも、あけっぴろげ過ぎるだろ・・・これくらい隠しといてくれよ・・・」
と呆れかえった。
と同時に、素のままを曝け出せる女性のタフな羞恥心に、憧れにも似た劣等感のようなものを覚えた。

学歴も高くなさそうで、外見も派手気味。
豊かな教養も感じられず、言葉遣いも幼稚。
仕事は夜の水商売。
部屋の惨状が表したとおり、私生活もルーズで、とても褒められたものではなかった。

しかし、人の長所や短所は見つけられるものではあっても、数えられるものでも大小を比べられるものでもない。
女性には女性のなりに良いところがあるだろうし、もちろん悪いところもあるはず。
人って、決まった定規では計れない。
それなのに、人は人を年齢、性別、外見、学歴、職業、経歴などで計ってしまう。
もちろん、それで計れることもたくさんあるし、それで計っていいこともあると思う。
ただ、すべてそれで計ってはいけないし、計れると思ってもいけない。
一点の長所だけみて良い人間と判断することもできなければ、一点の悪いところだけみて悪い人間と決めつけることもできないのである。

人の評価がどうあれ、女性も一人間として、一度きり一パターンしか味わえない人生を生きていた。
経歴や職業がどうあれ、ちゃんと社会にでて、ちゃんと働いて、自分の食い扶持は自分で稼いでいた。
女性は女性なりに、自分ができるかぎりのことをやりながら自分の人生を素直に生きているように見えた。
代金についても「後払いでいい」という私に、「心配でしょ?」と、私の本心を見抜いたかのように笑って前払いしてくれた。
私には、その姿が、自分にないもの 自分に必要なものを見せてくれているように思えて、作業の手にも力が入るのだった。


人目をはばからないと人はわがままになる。
人目をはばからないと人を不快にさせる。
人目をはばかりすぎると自分を失う。
人目をはばかりすぎると人生が窮屈になる。
その辺のバランスをとるのが難しいところだけど、自意識過剰で打たれ弱い私は、世間体や人目をやたらと気にする性質。
だから、己を省みると「人目をはばかりすぎ?」と思ってしまうことが多々ある。

嫌われることを怖れ、皮だけの笑顔をつくる。
バカにされることを怖れ、つまらない見栄を張る。
劣ることを怖れ、見習うべき人を遠ざける。
負けることを怖れ、競うことを避ける。
結局、それが人生の道幅を狭めてしまい、爽快に走ることはおろか、一歩一歩を力強く踏み出すこともできなくなる。

社会は多くの人で構成され、それでこそ成り立っている。
協調性の陰で妥協し、人間関係力学の下で迎合し、組織規範の中で諦め、自分を殺すことでうまく回っているところもたくさんある。
共同社会・共生社会において、不本意でも、そうした社会性を発揮することは必要。
でも、たまには、素のままの自分を曝け出すときがあってもいいと思う。
その開放感が、くたびれた自分を再生させる一助になり、新しい自分が生まれるための気づきを与えてくれるかもしれないから。

だから、私は、恥かしげもなく、今日もこうして心の文字を紡いでいるのである。



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ゼイゼイ

2015-10-09 16:09:59 | 社会保障
近年、症状がでることは稀だが、私は喘息もち。
発症したのは20代の半ば。
この仕事を始めて一年にもならない、ちょうど今頃の時季(秋)だった。

ある日の夜、何の前ぶれもなく、急に咳がではじめた。
それは次第にひどくなり、同時に、呼吸が困難に。
徐々に気管が細くなり、肺に力を入れて意識的に呼吸しないと、満足に息ができないくらいになった。

それからというもの、私は、毎日のように夜になると咳と呼吸困難を発症。
そんな夜が何日か続き、苦しさは日に日に増し、さすがの“病院嫌い”も降参。
当時は(今も?)、休みなんてほとんどとれない状況で、仕事の合間をみて会社近くの病院に行ったのだった。

そこでだされた診断は「喘息」。
ただ、一口に「喘息」といっても原因は色々あるらしく、とりあえずアレルギー検査。
しかし、極端に反応するアレルギー物質は発見できず、原因をつきとめることはできなかった。

しかし、素人判断だけど、何となく自分では原因がわかっていた。
それは、精神的ストレス。
当時の私は、仕事のプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。

私は、この仕事を始めて間もない駆け出しで、まだ、素人に毛がはえた程度の知識と技術しか持ち合わせていなかった。
しかも、社会経験も人生経験も浅い若造。
そんな私に任された(押し付けられた?)のは、本来ならベテランでないと担えないような役割と仕事だった。

そんな仕事環境にあって、私は、なかなか上から期待されているような成果をだすことができず。
更には、周囲の“大人達”は私に冷ややか。
そんな日が続き、次第に精神はまいっていった。

そうして、私は、会社都合の理不尽な辛酸を舐めていた。
それでも、「辞めてしまおう」とは思わなかった。
動機は不純ながら、紆余曲折を経て、やっとありついた仕事だったから。

処方された気管拡張剤(小さなガス缶)は抜群に効き、私を呼吸困難の恐怖から開放してくれた。
それを吸えば、収縮した気管が一気に広がり、瞬時に呼吸が楽になった。
それからというもの、私は、御守のように常にこれを携行し、ことあるごとにそれを使った。

そんな体調でも仕事は休めず、夜だけだった発作は、そのうち昼間にもでるように。
現場作業中に苦しくなり、使用したことも何度もあった。
ただ、そんな状況では効きが悪く、ゼイゼイしながら作業することもしばしばあった。

喘息という病気は、決してあなどれない。
重症化すると死に至ることもある。
つい先日も、別事業部の同僚が処置した遺体に、喘息で亡くなった30代の女性がいた。

発症から20年以上が経ち、今は完治したかと思うくらい発作はなくなった。
しかし、忘れた頃に発作は起きてしまう。
特に、秋~冬は発作が起こる確率が高く、要注意である。


ある日の朝、とある役所から電話が入った。
生活保護の受給者がマンションの一室で孤独死したとのこと。
それで、部屋の始末をつけるための見積がほしいとのことだった。

現場は、街中に建つマンション。
築年数は比較的浅く、なかなかオシャレな造り。
また、そこは駅やコンビニ・スーパーも近く、生活の便がよさそうなエリアだった。

生活保護受給者はボロアパートに暮しているといったイメージが強いかもしれないが、実情は違う。
ボロアパートに暮している人もいるけど、きれいなマンションやアパートに暮している人も珍しくない。
羨ましく思えるくらいの立地と部屋に住んでいるケースも普通にあるのだ。

故人宅の間取りは広めの1K。
一人で暮らすには充分の広さで、ベランダからの明りも景色も充分。
ただ、せっかくのいい部屋も、整理清掃ができておらず、無残なゴミ部屋と化していた。

部屋には、生活ゴミが散乱。
「山積み」というほどではなかったが、結構ヒドイ有様。
中には、大量の雑誌、酒の空缶、タバコの吸殻、記入前のギャンブル券もあった。

故人は、生前、酒を飲み、タバコを吸い、ギャンブルを楽しんでいたよう。
しかし、故人は生活保護の受給者。
私の内には、不満にも似た疑問が沸々と沸いてきた。

言わずと知れたこと、生活保護費の原資は税金。
「ワーキングプア」という言葉があるように、正直に働いたって、ギャンブルはもちろん、酒やタバコをやれない人はたくさんいる。
そんな人達を含めた多くの庶民がゼイゼイしながら働き、倹約生活をしてひねり出した税金で賄われている。

もちろん、一方的な想像でしかない。
また、故人が、どういう経緯で生活保護を受給するようになったのか知る由もない。
それでも、私のモヤモヤは、故人を非難する気持ちに変わっていった。

我が国は、先進的な社会福祉国家とされている。
そして、法律上、「健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある」とされている。
事実、そんな国家にあって、多くの人がそれ以上の生活を送ることができている。

では、倫理上はどうか。
生活保護費は、制度の本旨として、使途を問わず支給されているのではないはず。
血税は、最低限度の生活を保護するために納められているもののはず。

しかし、現実には、そう思えないようなケースが見受けられる。
人権やプライバシー保護を重視する時代にあって、その細かい使途について行政がいちいちチェックできないのもわかる。
が、倹約生活を余儀なくされている一納税者としては、この事態を大らかに受け入れることはできない。

生活保護費の不正受給数は「ほんのわずか」とのこと。
それが実数なのかどうかは計りようがないけど、そもそも「少数ならOK」と流せる類のことではない。
また、不正受給かどうかの判断基準自体もかなりいい加減なもののように思えて疑問が残る。

反面、世間体や自尊心が引っかかって申請できないでいる人もいるだろう。
また、良心の呵責と罪悪感で申請できないでいる人もいるだろう。
しかし、実は、そういう類の人にこそ、真の意味で保護されるべき人が多くいるような気がする。

法(税法・年金保険法等)を守らない者が法(生活保護法)に守られる矛盾。
教育の義務・労働の義務・納税の義務等々、国民の義務を履行しない者が権利を主張する矛盾。
国民年金より生活保護費のほうが多い矛盾。

「コツコツと掛けてきた国民年金より生活保護費のほうが多いなんておかしい!」
「コツコツと汗してきた者よりデタラメをやってきた者のほうが手厚い保護を受けるなんておかしい!」
そんな声がでてくるのもうなずける。

弱者救済に異論と唱えるつもりはない。
共生社会において弱者を救済する制度は必要。
しかし、本当に保護が必要な人が保護されず、保護が必要ない者が保護されるというおかしなことが横行しているような気がしてならない。

弱者の皮を被った怠者を救済する必要はないと思う。
働けない理由をかき集めて働きたくない怠け心を覆い隠している者を行政は見極める必要があると思う。
制度を悪用している者を社会は見逃してはならないと思う。

こんなこと声高に言うと非難の的にされるかもしれないけど、そう思う。
人を悪く言うことは自分を下げるだけかもしれないけど、そう思う。
たまたま、自分が社会的弱者に陥っていないから言えることかもしれないけど、そう思う。


2017年4月から、消費税が10%に上がるらしい。
負担する側からするとキツいものだが、私は、「増税反対」というより、「税金は、大切に、有効に使ってほしい」「無駄遣いしないでほしい」という気持ちのほうが強い。
それが、国のため、社会ため、そして自分達のためだと思うから。

もちろん、皆が、増税分、収入が増えるわけではない。
ということは、その分の出費を削らなければ従来どおりの家計は成り立たない。
生活は更に質素倹約を求められ、家計には不景気風が吹きはじめるだろうけど、それが社会にまで吹いてほしくないと願うばかり。

納税の義務を果たすのは、一国民として当然のことだけど、決して楽なことではない。
ただ、働けることは幸せなことである。
そして、納税を通じて国や社会の役に立てていることもまた幸せなことである。

働けない人のことはもちろん、働かない者のことを羨ましく思うことはない。
ただ、社会にも、誰にも迷惑や負担をかけないのなら、働かなくていい生活をしてみたい。
社会的弱者ではないながら人間的弱者である私は、生活も人間性も堕落させる可能性が大きいけど。

ま、これは夢のまた夢。
働かなくて生活していくことなんて不可能。
で、労働は、何の取り柄もない私が生きていくうえでの最大の武器。

だったら、ゼイゼイしながらでも、いつまでも働き続けたい。
そして、そこで得た報酬で、質素ながらも正々堂々と生きていきたい。
陽があたらず曇りがちな自分の人生を、懸命に生きることでうまれる輝きで照らすために。


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思秋期

2015-10-05 09:04:35 | 遺言書 遺書
いつの間にか、もう10月。
長く思えた猛暑の夏はとっくに過ぎ去り、季節は既に秋。
空は高く澄み、樹々は落葉・紅葉がすすみ、風は涼しさを増している。

春秋は、本当に身体に優しい季節。
春暖 秋涼・・・それを感じられるだけででも気持ちが和む。
特に、4月・10月は、“暑からず 寒からず”で一年の中でもっとも過ごし易い時期ではないだろうか。
今は、その10月。
この短い秋涼を心身に沁み込ませて、新たな鋭気を養いたいところである。

とはいえ、恒例の?冬欝の季節はもうすぐそこ。
昨季はチビ犬の死がそれを吹き飛ばしたが、一昨季の秋~冬はかなり苦しい思いをした。
そんなのは懲り懲りなのだが、残念なことに、今現在、嫌な予兆がある。
何となく、心身が重くなってきている。
そして、思考がマイナスへの偏りをみせてきているのだ。

この時季、肉体的に現場作業が楽になる分、重度の肉体疲労は起こりにくい。
しかし、時間に余裕ができるせいか、余計な思い煩いが頭を占めてくる。
かつて、「心の闇」と称していたものだが、これが厄介。
死人や死体現場に遭遇してイキイキ(?)するのも大問題だけど、私にとってはこっちのほうも大問題。
せっかく、自分を労うことができる季節がやってきたというのに、精神がダウンしてしまうなんて、まったく皮肉なものだ。

悪化してくると食欲も落ち、好きな酒も飲みたくなくなる。
大したことはやっていないのに、倦怠感に襲われ身体が重くなる。
何も起こっていないのに、虚無感に襲われ精神が重くなる。
ここ一年近く標準体重の維持に努め、一日でも多くの休肝日を確保することに努めている私にとって食欲・酒欲の減退は、肉体にはいいことのように思えるけど、健康にいいわけはない。

ただ、私の場合は、客観的にこうしてブログに書けているわけで、何とか“一般的な人(仕事以外)”を維持することができている。
ということは、まだ軽症のはず。
重症になると、言動や行動がおかしくなり(既におかしい?)社会に適合できなくなるだろうし、深刻な場合、生きることから逃避しようとするだろうから。
とにもかくにも、若い頃に苦い経験を持つ私は、そうなる前に打てる策は打つつもり。

昨年考えついた対策が、精神疲労と肉体疲労のバランスをとること。
螺旋階段を下ってしまう頭は放っておいて、身体には螺旋階段を上らせる方法。
・・・難しく言っているけど、平たく言えば「身体を動かす」ということ。
仕事はもちろん、それ以外でも、とにかく身体を動かすことに努めたい。
昨季は、山登りやウォーキングで随分とリフレッシュできたから、今季もそれをやりたい。
ウォーキングなんてその辺を歩くわけだからお金もかからないし、山登りも並の旅行や娯楽施設に行くことに比べれば格段に安くすむ。
懐にも優しいので、倹約好き(“ケチ”とも言う)の私にはうってつけ。
夏場に比べれば休みもとりやすいので、ここは積極的に汗を流しに出かけたいところだ。


そんな秋には、違う視点もある。
寿命を80年とし、20年区切りで四季を重ねてみると、40代の私の季節は“秋”。
ちょうど、今と重なる。
どことなく寂しいような気もするが、何とも癒されるような時季でもある。
とかく、世では、若い“春”“夏”ばかりがもて囃(はや)されがちだけど、そうではない。
四季に上下はなく、その価値に差はない。
折々に、その季節にしかない味わい・情緒がある。
私の場合、学ぶべき“春”は遊んでばかり、成すべき“夏”は考えてばかりだったような気がして後悔しきりだけど、それでも、こうして“秋”を迎えることができている。

ただ、“人生の四季”はすべての人に与えられているわけではない。
“春”で亡くなる人もいる。
“夏”で亡くなる人もいる。
“秋”まで生きる人がいる。
“冬”まで生きられる人がいる。
・・・そう、皆が“冬”まで生きられるわけではない。

これまで、私の身近なところにも、色々な“季節”の終わりがあった。
10代で事故死した小学校の同級生。
20代で事故死した中学校の先輩。
30代で病死した友人。
40代で事故死した従兄弟。
50代で急死した元同僚。
承知のとおり、人生の終焉は老若男女・賢者愚者を問わず訪れるのだ。

“30代で病死した友人”ついては、2011年4月1日「一粒の麦」に記したとおり。
彼の勤務先があったビルは、私がよく使う高速道路脇の高層ビル群にある。
高層であると同時に高速道路のすぐ脇に建っているため、イヤでも(“イヤ”ということはないが)視界に入ってくる。
すると、私の視線は、おのずとそのビルに向く。
そして、晩年の出来事を昨日のことのように甦らせる。

病気が発覚してから、たった半年で逝ってしまった彼。
一時は復調したかのように見えたが、それは一時的なもの。
一流企業に勤務し、妻と幼い三人の子供がいて、まさに「これから」というときで、“秋”に夢も持っていた。
しかし、その願いはかなわず・・・
亡くなったのも晩夏なら、年齢も“晩夏”だった。

彼が亡くなってから7年余。
「もうそんなに時間が経ったのか・・・」
と、しみじみ思う。
そして、生きたくて、生きたくて仕方がなかった彼を思い出す。
死にたくなくて、死にたくなくて仕方がなかった彼を思い出す。
それでも、死から逃れることができなかった彼を思い出す。
“秋”を迎えることができなかった彼の苦悩を思い出す。

彼を思い出すのは、彼のためでも彼の家族のためでもない。
結局、自分のため。だから、思い出す。
自分本位の感傷であることはわかっている。
それでも、思い出す。自分のため。
そして、彼の死が私にもたらした実を反芻する。


欝々と始まる月曜の朝。
それでも、多くの人は、行きたくない学校へ行き やりたくない勉強をし、行きたくない会社へ行き やりたくない仕事をする。
際限なく涌いてくる憂鬱と戦いながら、目の前の役割をこなしていく。
私は曜日の関係ない仕事をしているけど、過酷な労働が予定されている日の朝は、億劫になることもしばしば。
とりわけ、これからの時季は、些細なことでも憂鬱に陥りやすい。
それでも・・・それでも、限りある人生にとって今日はかけがえのない一日。
生きていることだけで輝く一日。

「二度とない人生、時間をつまらなく浪費するのはもったいない」
「限りある人生、明るく楽しく過ごさなきゃいともったいない」
下手にそういう理屈を身につけてしまっている私は、それが実行できないがために、ただ悩むだけではなく、悩んでいることにも悩んで沈んでしまう。
ネガティブ思考が自分のためにはならないことは、理屈としてはわかっていても、どうしても、自分のためにならないことを考え、仕方がないことを思い煩ってしまう。

「心」というものは面白いもので、自分の思い通りには動かない。
落ち込みたくなくても落ち込み、沈みたくなくても沈んでしまう。
「頭」もまた然り。思い通りには働かない。
考えたくないことを考え、望まない答を返してくる。
心も頭も自分のモノであるはずなのに、なかなか自分の言うことをきいてくれない。

ならば、一歩譲るしかない。
苦楽、悲喜、泣笑は表裏一体。
悩んだって、苦しんだって、悲しんだって、泣いたって仕方がない。
良薬が口に苦いように、それらは人生に必要なものなのだろうから。
「今日一日、生きられているだけでラッキー!」
と、バカになって悩めばいい、苦しめばいい、悲しめばいい、泣けばいい。
悩んでいることに悩まないで、苦しんでいることに苦しまないで、悲しんでいることに悲しまないで、泣いていることに泣かないで。


私の“秋”はどこまで深まるのか、私に“冬”はくるのか・・・私は、自分の寿命を知らない。
漠然と、“限り”があることを知っているだけ。
そして、それは自分が思っているほど先のことではないだろうということを想像しているだけ。
自分の死期を知りたいと思うことはあるけど、どうしたって知ることはできない。
ただ、せっかくの“秋”。
この“秋”に、私は何をすべきなのか、何ができるのか・・・
ただ働き、ただ生活し、ただ老いていくだけなのか・・・

収穫の秋、行楽の秋。
燃える紅葉が現れるように、私も自分の“秋”を燃えるように生きてみたい。
・・・そう願いながら、秋と残された時間に思いを馳せてい



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