特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

飼猫とサラリーマン

2024-08-09 08:24:56 | 孤独死 遺品整理
初老女性の孤独死。
検死結果は「死後二週間」とのこと。
部屋の中はにはいつもの悪習が充満、汚染された布団にはウジが這い回り、ハエが所狭しと飛び回っていた。
ま、これくらいは当たり前の状況。

言葉的におかしな表現になるが、この現場は「きれいな汚染」だった。
故人も、そう苦しまなかったであろうことが伺えた。
汚染は深かったものの、横への広がりが極めて少なく、汚染箇所の撤去はかなり楽にできた。

この要因は二つ考えられた。
一つは、就寝したまま横になった状態で息絶えたこと。
もう一つは、使っていた布団が厚手で吸湿性の高いもの(高級布団?)だったこと。

就寝中に死ぬ人は少なくない。
しかし、コト切れる間際は苦しいのだろうか、布団に納まってきれいに横 になっている状態は少ない。
布団から上半身だけでも這い出した状態だと、その後の腐敗汚染度がかなり変わってくる。
また、薄くて吸湿性の悪い布団だと、布団自体が腐敗液を滲みだしてしまう。

今回の現場は、布団一組・畳一枚・床板一部を撤去すれば汚染部はなくなった。
あとは、ウジ・ハエを始末するだけ(消臭は別課題)。

作業を終えて外に出ると、家の中のものとは微妙に違う異臭を感じた。
この現場では、屋外のことは私の範疇にしていなかったので、知らぬフリもできたが、その異臭がだたのゴミ等とは違っていたので気になった。

そこで、異臭の元を確認するため、異臭の濃い方進んだ。
異臭の元はすぐ発見できた。
家の裏、狭い物置スペースに猫の腐乱死体があった。

すぐ依頼者に連絡。
依頼者によると「故人は猫は飼っていなかったはず」とのこと。
「野良か?」と思いながら外を観察すると、餌用容器が置いてあった。
念のために、再び家の中に入って中を観察。
台所に買い置きのキャットフードがあった。

どうも、野良猫を飼っていたらしい。
私は依頼者に状況を伝え、一度現場を見に来てくれるよう頼んだ。
さすがに、猫の片付けは無料ではできない。
お金をもらうからには、時間を要しても依頼者にBefore現場を確認してもらう必要がある。
結局、猫の始末は後日施行することになった(詳細は先々のブログに載せるかも)。

このパターンの飼い方は、社会には受け入れられにくいが、本人達にとっては快適だろう。
お互いに束縛し合わず、お互いの責任もホドホドに、お互いに都合のいい時だけ関わり合っていればいいのだから。

「半野良なんだから、腹が減ったら余所に行けばよかったのに・・・」
「でも、人に飼われ続けていると、外で生きていく力はなくなるのかなぁ・・・」
私はそう思いながら、ふと我に返った。
「俺も飼われている身か・・・」

「自分は、外でもちゃんと生きていける」と思っているとしたら、そんなのはただの一人よがり、大錯覚、大錯誤。

ブラックカラーのサラリーマン、私はそう思う。



トラックバック 2006-08-21 08:54:57投稿分より


特殊清掃専門会社
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悪癖

2021-03-08 08:36:33 | 孤独死 遺品整理
「今年いっぱいはダメだろうな・・・」
首都圏の緊急事態宣言が再延長された中での個人的な感想。
事実、待望のワクチン接種が医療従事者からスタートしてはいるけど、「この社会が今年中に集団免疫を獲得するのは難しい」という見方が主流らしい。
私のような基礎疾患のない中年男に回ってくるのは、早くても夏~秋頃になるのだろうし、ほとんどの国民が摂取し終わるのはもっと先。
一人二回の摂取が必要となると、それはもう年内で済む話ではない。

そんな状況にあっても、流れるニュース映像からは、顕著に人出が抑えられているような光景は見受けられない。
インタビューを受ける市民も「思ってたより人が多い」「人手は減っていない」等と、批判めいたコメントをしているけど、そういう自分だって不要不急で街に繰り出している一人なわけで、まさに本末転倒。
結局のところ、他人事か・・・
「自分一人くらいならいいだろう」「自分一人が自粛したところで何も変わらない」という甘えた考えが、コロナで窒息しかけている人々の首を更に絞めているのではないかと思う。

信念なく迷走してばかりの政府、国民目線をうたった猿芝居に没頭する与党、重箱の隅をつつくような批判しかできない野党、そして、他人事のような振る舞いをやめない一部の市民・・・
今夏には第四波も予想されているし、こんなんじゃダメなんだろうけど・・・
・・・「下々の者は、黙って税金だけ納めてろ!」ってことか。
何はともあれ、対策は確実に進めていかなければならない。
例えそのスピードが遅くても、国は確保できるだけのワクチンを買い、配れるだけ配り、打てるだけ打っていくしかない。
そして、我々は、それにできるだけ協力していくしかない。

当初、私は、今回のワクチンについては、突貫製造感が否めず、いささか懐疑的で、
「俺の番が回ってきても、やめておこうかな・・・」
と思っていた。
しかし、ワクチンにもいろいろなタイプがあり、今現在 摂取されているF社のものは安全性が高いこと等、色々な情報が重なっていくうちに、摂取を受ける方向に考えが変わってきた。
正直なところ、中国製やロシア製は受けたくないけど、それらは日本で認可される見込みはないそうだから、それらが勝手に注入される恐れはないし、今のところ、自分の番がきたら受けようと思っている。
それが、自分のため、周囲のため、社会のためになりそうだから。

しかし、ワクチンを打つと、一気に気が緩みそう。
私の場合、特に、何を我慢してきたということはないのだけど、世間の雰囲気に押されて不要不急の外出をしたくなるかもしれない。
多くの人も同様。
それまで、自粛自制で色んなことを抑えてきたし、多くのことが抑え込まれてきたわけで、その反動を考えると諸手を挙げて喜ぶわけにもいかない。
これで「Go to」でも再開されようものなら、たまった鬱憤が大爆発するかも。
一人のときは小さくなっていても、徒党を組んだ途端に気分が大きくなる。
人間が塊になると個人の理性は呑みこまれ、集団心理によって過激な行動に走る。
これが人間の悪い癖。
それで経済が活性化するのは大いに結構なことだけど、人々がはじけ過ぎて、変な事件や事故が起こらないともかぎらない。
高い道徳心をもって社会秩序を守りつつ、コロナ明けの生活を楽しみたいものである。



出向いた現場は公営団地。
古い団地で、建物の老朽化も顕著。
自治会がキチンと機能していないのか、住人のモラルが低いのか、周囲にはゴミやガラクタが散乱。
人の気配も少なく、実際はそんなことないはずなのに、どことなく治安の悪そうな雰囲気。
「ここは日本か?」と思わせるような、まるで発展途上国のダウンタウンを思わせるようなエリアだった。

訪れたのはその一室。
出迎えてくれたのは、私より年上に見える中年の男性。
ボサボサの白髪頭に無精ヒゲ。
身なりは、毛玉が目立つボテボテのスウェット姿。
失礼ながら、かなり冴えない風貌。
中へあがると、室内には独特の生活異臭。
それにも増して気になったのは、男性が放つ酒臭。
二日酔なのかどうか、昼前だというのに酒のニオイがプンプンしていた。

男性は、外見だけで判断すると、いい印象を持てない人物。
もっと言うと、不気味で、やや恐い感じ。
しかし、実際は、それに反して人柄は社交的で愛想も悪くない。
馴れ馴れしい口のきき方が気に障らなくもなかったけど、極端に横柄でもなく、まぁ許容できるレベル。
そんな男性は、訊きもしないうちから、一緒に暮らしていた母親が急に倒れたこと、救急車が到着したときは心肺が停止していたこと、運ばれた病院で死亡が確認されたこと等を事細かく説明。
そして、その後、警察の取り調べを受けたことに至っては、自慢話でもするかのように多弁に語ってきた。

母親の死因は、老衰による心臓発作。
しかし、密室で人が死んだわけで、他殺の可能性をつぶしておくことも警察の仕事。
で、一緒に暮らしていた男性は警察の取り調べを受けたよう。
「“念のため”って言われたんだけど、まったくヒドいよなぁ・・・俺を疑うなんてなぉ・・・」
目の前にいる男性が、舞台役者級のよくできた“殺人犯”に見える風貌なものだから、私は、内心で笑いながら、男性の話に耳を傾けた。

そんな男性について気になることは他にもあった。
それは、酒とタバコ。
業者とはいえ、外から客(私)が来ているというのに、タバコを吸い始めたかと思うと、次は冷蔵庫から安い缶チューハイを出してきて飲み始めた。
今の時勢、人前でタバコを吹かすだけでもマナー違反なのに、酒まで飲むなんて、一般的な良識をもった人なら、そんなことはしない・・・できないはず。
しかし、癖なのか中毒なのか、男性は、私に断りを入れるわけでもなく、お茶を出すわけでもなく、一人でスパスパ・グビグビ。
タバコ嫌いの私は、好き放題にやる男性に呆れるとともに、あからさまに顔をしかめた。

男性は、常識のない人間、礼儀をわきまえない人間。
露骨な私のシカメっ面もどこ吹く風で、神経の図太さは人並以上。
一方、私も、子供ではない。
それまでにも、たくさん“イヤな奴”に遭ってきた。
それに比べれば、男性の無礼悪態は可愛いモノ。
また、一応“お客さん候補”でもあるし、私は、男性の粗暴は気にせず、“なかなかお目にかかれない珍キャラに会えた”と思って割り切ることにした。

そんな男性が依頼してきた内容は特殊清掃の見積書作成。
しかし、故人(母親)は、倒れた直後に搬送されているため、汚れも異臭もなし。
誰がどう見ても、特掃の必要はなく、私の出る幕はない状況。
「特に汚れもニオイもありませんね・・・」
「やろうと思えば自分でもできると思うんですけど・・・」
と、私が、商売抜きの善意でそのことを伝えても、
「どういう菌が残ってるかわかんないからねぇ・・・」
「専門の人にちゃんと掃除してもらわないと気持ち悪いんだよね」
と、男性は執拗に食い下がった。

しかし、現場は、それ以前の問題。
建物自体が古いせいもあって、内装・建具もボロボロ、全体的に薄汚れている。
また、普段からの掃除もキチンとできておらず、生活汚損は顕著。
生活臭もキツく、部屋の空気さえ汚れているように感じるくらい。
家財生活用品も所狭しと雑然放置されており、故人(母親)が倒れていた場所はおろか、それに関係なく、あちこちが不衛生な状態。
そんな部屋に暮らす男性が潔癖症でないことは一目瞭然で、特掃を強く要求する目的が読めなかった。

また、住まいや格好で人を判断するのは軽率かもしれないけど、男性が裕福でないのは明らか。
仕事は、個人事業で何かをやっているらしかったが、事実上は、日雇生活と無職生活を繰り返しながらの暮らしのよう。
つまり、生活を支えていたのは、“母親のスネ”だったわけで、そうなると、見積金額は少しでも安い方がいいはず。
しかし、
「フツーの掃除じゃないから料金が高くなるのは仕方がないよ」
と、これまた妙なことを言う。
商売だから、業者が売り込むのは当然としても、客側が無駄金を遣おうとするなんて、その意味が解せなかった私は、妙な気持ち悪さを覚えた。

当初は怪訝に思った私だったが、話を進めていくうち、直感的に、あることに気づいた。
そもそも、男性は、私に作業を依頼するつもりはない。
目的は、私に見積書を提出させることだけ。
どうも、家屋保険なのか親族からの弔慰金なのか、何なのかわからないけど、それで、いくらかの金をせしめようとしているよう。
話の中で見え隠れしていた男性の魂胆が、話が進むにしたがってハッキリと見えてきた。

“こりゃ、仕事にならんな・・・”
そう判断した私は、男性を“お客さん候補”から“迷惑な輩”に格下げ。
スパスパ・グビグビとやりながら途切れなく続く男性の話をテキトーに聞き流した。
そして、早々に切り上げるべく、話が切れるタイミングを待った。
が、飲み続ける酒に酔いが回ってきた男性は、ますます饒舌に。
“愛想よく話を聴くのも仕事のうち”と、肯定的に相槌をうつ私に気を良くしたのだろう、なかなか話をやめようとしない。
「会社を経営していた」「高級外車に乗っていた」等と、次から次へと大口を叩いた。
しかし、どれもこれもウソかホントかわからない、仮に事実であっても今に至っては寂しいだけの どうでもいい話。
そんなくだらない自慢話は、“耳障り”を越えて気の毒に思えるくらいだった。

“まったく時間の無駄だな・・・”
しばらくは我慢していたものの、虚しい話に耐えられなくなった私。
「次がありますから、これで失礼します!」
と、男性の話を一方的に断ち切って腰を上げ、足早に玄関に向かった。
そして、変なところで責任が回ってきても厄介なので、
「必要のないものに見積はつくれませんので・・・スイマセン」
と言い、身に積もったホコリを振り払うように、そそくさと現場を後にした。


無駄な時間を浪費させられた私は、不愉快ついでに男性の行く末を想像した。
安定した収入もなく、定職に就ける見込みもなさそう。
おまけに、所かまわずタバコを吸う癖、時をわきまえず酒を飲む癖、そして、楽して金を稼ごうとする癖がある。
身体を壊すことになるのか、犯罪をおかすことになるのか、生活保護を申請することになるのか・・・
どう考えても、男性の人生に明るい展望はひらけなかった。
そして、それが、自業自得だとも思った。

ただ、男性だって、本当は怠けたいわけじゃないのかもしれない。
安定した職に就いてマトモに働きたいのかもしれない。
労苦があっても、そうやって清々しく生きていきたいのかもしれない。
しかし、世間は、その暮らしぶりだけをみて、「怠け者」のレッテルを貼る。
風貌だけをみて「放蕩者」のレッテルを貼る。
粗暴な振る舞いだけをみて「野蛮人」のレッテルを貼る。
それが意図せずして、光の届かない社会の隅へ追いやる。
そういう私も、想像の中で、男性の人生を暗い方向へ追いやった。
そして、得もいわれぬ優越感のようなもの・・・社会という表舞台では味わうことができない勝ち組のような気分を貪ったのだった。


自分の弱さを他人の失敗で紛らわそうとする・・・
自分の愚かさを他人の愚行で隠そうとする・・・
自分の悪性を他人の悪事でごまかそうとする・・・
そして、自分の心のあり方の誤りを他人の不幸で消し去ろうとする。
そういう心のしくじりが、自分の人生に暗い影を落としていることにも気づかす、いつまでもそうやって生きている。

「そんな人間は、俺だけじゃないさ・・・」
今も尚、私は、そういう悪い癖を直せないでいるのである。


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終宴

2013-03-28 13:54:25 | 孤独死 遺品整理
楽しいことばかりじゃない、嬉しいことばかりじゃない、ありがたいことばかりじゃない毎日。
ひどく苦しむこともあれば、ひどく悩むこともある。
もちろん、たいした苦悩もなく平穏な日もある。
そんな日々の楽しみは、やはり晩酌。
質素な肴と安酒ながら、結構、楽しいものである。

ただ、問題もある。
それは量。
百薬の長といわれる酒も、飲みすぎれば毒になる。
それがわかっていてもやめられない。

毎晩、泥酔するほど飲んでいるわけではない。
そんなことしてたら、それこそ身体と金がもたない。
だけど、翌朝の不快感・倦怠感と腹の具合を考えると、やはり、飲みすぎの感は否めない。
更には、身体だけではなく、精神にも悪影響を及ぼしているような気もする。

酒で身体を壊して仕事ができなくなったら大変。
私にとっては労災みたいなものだけど、実際に労災が適用されるわけはない。
どちらにしろ、自分が苦しむことになるし、まわりにも多大な迷惑をかける。
そうなる前になんとかしなければ・・・そう思いながらこの歳になっている。

そこで、決めた。
週二日の休肝日をもうけることを。
禁酒は土台無理な話だし、日々の減酒も基準が曖昧でなし崩しになりやすい。
週休肝二日は基準もルールも明確で、逃げ道がないので意志の弱い私に向いている。

第一の目的は、健康管理。
それなりに傷んでいるであろう肝臓をはじめとする各器官。
それらを労わるため。
二次効は酒代の節約。
週に二日飲まない日をつくれば、単純計算でも酒代を三割近く減らすことができる。
浮いた酒代を他にまわせば、一石二・三鳥である。

ルールは単純。
日曜~土曜の7日間のうちで、任意で二日だけ飲まない日をつくること。
とりあえず、今月に入ってからの四週間は何とかクリアした。
しかし、本番はこれから。
夏に向かって、冷えたビールを我慢するのはかなりツラいはず。
まわりから「長続きしない」という声が聞こえなくもないが、とりあえず、やれるだけやってみようと思っている。



遺品処理の依頼が入った。
依頼者は、マンションの大家。
「借主の女性が亡くなったので、部屋に残っている家財を処分してほしい」とのこと。
例によって、私は現地調査に出向く日時を約して電話を終えた。

訪れた現場は、街中の商業住宅地。
目当ての建物は、「マンション」と呼ぶほどの新しさと重量感はなし。
そうは言っても、「アパート」と呼ぶほど低層でも軽量でもない鉄筋コンクリートの建物。
築年数はかなり経過しており、それなりの年代物であることは外観からハッキリ読み取れた。

大家女性の自宅はそのビルの二階で、私は、まず大家宅へ。
インターフォンを押すと、中から年配の女性がドアを開けてくれた。
女性は、私に玄関を上がるよう招いてくれた。
が、大家宅に上がり込むとながくなりそうな予感がしたため、私はそれを丁重に断った。

大家女性は、「一人で見に行ってもらえます?」と申し訳なさそうにしながら、故人の部屋の鍵を私に差し出した。
どうも、加齢のせいで足腰を弱めている様子。
腐乱死体現場でも自殺現場でもゴミ部屋でも一人で行くのが常の私。
ノーマルな部屋に一人で行けない理由はなく、私は二つ返事で鍵を受け取り、狭い階段を上がっていった。

故人宅は4階、間取りは一般的な1DK。
残された遺品は、ごくごく一般的な家具家電・家財生活用品一式。
狭い階段を上がった4階ということもあり、大型の家具家電はなし。
置いてあるものは古びたものが多かったが、室内の整理整頓・清掃はゆきとどいており、きれいな状態だった。

故人宅の見分が終わると、私は再び二階の大家宅へ。
大家女性は、再び私を部屋へ促した。
仕事に関係ない話がながくなりそうな予感はしたけど、当日、次の予定はなかった私。
“商談”の必要もあるし、私は、促されるまま大家宅に上がりこみ台所の椅子に腰を掛けた。

大家女性は、お茶とお茶菓子を用意し、私の斜め向かいに着席。
「まさか、亡くなるなんて・・・」と軽い溜息をついてから話を始めた。
仕事の話をしたかった私だったが、女性の話を少しも聞かずに遮るのは無礼なこと。
あと、人生の先輩の話は自分のタメになることが多く、私は、とりあえず女性の話を聞いてみることにした。


故人は70代、生涯独身。
ここへ越してきて以来、ずっと一人暮らし。
大家もまた70代。
夫は何年も前に他界し、また、子供達も何年も前に独立。
それからは、ずっと一人暮らしだった。

故人がここに入居したのは、40代の頃。
家族との間で何かあったらしく、故郷を捨てるようにして上京。
いくつかの職を転々としながら生活し、近年は、マンション管理の仕事に従事。
家賃や公共料金を滞納するようなこともなく、また、借金をするようなこともなく、一人の生活をキチンと成り立たせていた。

そんな二人の距離が縮まったのは、大家女性の夫が亡くなって後。
二人は、同年代の同姓で独り身。
お互い、身近に話し相手がほしい境遇だった。
そんな二人が親しくなるのに時間はかからず、ほとんど毎週末、大家宅の台所で、とりとめのない話に花を咲かせるようになった。

一役かったのはビール。
大家女性は、もともと酒を飲む人ではなかったが、亡夫の晩酌につきあってビールを少し飲むようになり、以降、それが習慣みたいになっていた。
故人もまた酒を飲む人ではなかったが、大家女性がお茶代わりに勧めたのがきっかけで飲むように。
大家宅でのおしゃべりの際はきまって飲むようになっていた。

二人は、少量のビールでもホロ酔いになれたよう。
酔いは感情を解放してくれるし、時には、固くなった腹を割ってくれることもある。
そうすると、話は盛り上がる。
話が盛り上がればその場は楽しい。
二人にとって、それが心地よかったのだろう。

そんな生活の中、故人は急に体調を崩して近くの病院に入院。
当初は軽く考えていた体調不良だったが、判明した病気は芳しいものではなかった。
大家女性が見舞いに行っても口からでてくる言葉は気弱なものばかり。
「部屋にあるものでほしいものがあったら遠慮なく持っていっていい」などと、元気になることを諦めたかのような話ばかりをしてくるのだった。
数日の療養で帰ってくるものとばかり思っていたのに、入院は長引き、結局、ここに帰ってくることはなかった。

「本当に楽しい時間だった・・・」
「こんなに早く亡くなるなんて思ってなかった・・・」
大家女性は、話の途中で何度も何度もそうつぶやいた。
そして、その都度、目に涙をうかべた。

「捨てるのももったいないですから、よかったら、持って帰って下さい」
帰り際、大家女性は、箱に入った缶ビールをテーブルにのせた。
共に飲む相手がいなくなり、買い置いていたビールは不用となったよう。
私にはそれを断る理由はなく、遠慮なく受け取ることに。
適当なところで話を締め、寂しさを滲ませる大家女性に見送られて現場を後にしたのだった。


人には、一人一人に一人分の命と人生がある。
亡くなってしまう命と、終わってしまう人生がある。
人生は、祭のようなものか。
それなりに賑やかで、それなりに沸き立ち、それなりに厳粛で、それなりに美しい。
それなりに楽しく、それなりに笑えて、それなりに大変で、それなりに泣ける。
そして、終わりが近いことを知ると、満足感や余韻とともに切なさや寂しさが湧いてくる。

誰の人生もいつかは終わる。
この人生もやがては終わる。
なんとなく自分には関係ないような、なんとなく遠い先のことのように思える死。
しかし、それはあくまで“なんとなく”。
そこには、人知を超えた摂理はあっても人知に納まる根拠はない。

だからこそ・・・
楽しいことばかりじゃないけど、楽しみたい。
嬉しいことばかりじゃないけど、喜びたい。
ありがたいことばかりじゃないけど、感謝したい。
早く終わってほしいような憂鬱な気分に苛まれることも少なくないけど、精一杯生きたい。
・・・そう思う。


こうして生きている毎日は、酣(たけなわ)の宴。
私は、過ぎていく日々の想い出を肴に、週飲五日で好きなビールを飲んでいる。
そのホロ苦さは、人生の旨味をあらわしているようでもあり、なかなかやめられないものである。



公開コメント版

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食わず嫌い

2012-02-07 09:09:44 | 孤独死 遺品整理
疑問に思う・・・
「孤独死ってよくないことだろうか・・・」と。

昨今は、「無縁社会」といった言葉が流行り、大きな社会問題として取り上げられることが多くなってきた。
そして、その延長線上には孤独死が置かれている。
無縁社会に対する問題提起は、そのまま孤独死を問題視することにつながっている。

大方の人達は、通常の孤独死を否定的に捉える。
しかし、故人の歴史や事情を知らない他人が、その死に方の是非を判断していいものかどうか、疑問を持つ。
住み慣れた自分の家で、一人で死んでいくことは、そんなに悪いことだろうか・・・
そこが病院じゃなく、看取る人がいないだけで、そんなに問題だろうか・・・
もともと、人は一人で死んでいくものじゃないのだろうか・・・
個人の問題・家族の問題を社会の問題として社会がフォローしケアするのはいいことだと思うけど、“悪”として決め付けるのはどんなものだろうか・・・
「孤独死=社会問題」「孤独死=社会悪」とするのは、あまりに浅はかではないだろうか・・・
死に様の否定は、本人の生き様まで否定することのようにも感じられて、何とも言えない違和感を覚えてしまう。

そもそも、残された人の手を煩わせない死・・・人に迷惑をかけない死なんてない。
自殺はもちろんとして、通常の死でも、少なからず誰かの手を煩わせるもの。
先人の始末は、後人の務め。
それを継承しながら、人は代々生きている。
死もまた、自然の営みのひとつ。
身体は孤独でも、死に際の精神まで孤独とは限らない。
この社会は、一人きりの死を闇雲に嫌悪するのではなく、あたたかく受け止めることをおぼえてもいいのではないかと思う。



「管理しているマンションで孤独死が発生した」
「大至急、来て欲しい!」
不動産会社の担当者からそんな電話が入った。
ただ、話をよく聞くと、その時点では警察の立入許可がおりておらず。
私は、無許可では入れないことを説明し、警察の許可が下り次第、連絡をくれるよう返答した。

再び電話が入ったのは、それから数時間後。
私が予想していたより早かった。
「今日はないだろうな」と完全に油断していた私は、慌てて身支度を整えると、気持ちだけ猛スピード、実際は安全運転で現地に向かった。

私は、はじめに不動産会社の事務所に立ち寄った。
「鍵を渡すから、先に事務所に来てほしい」との要望があったためだ。
その指示には、「現場に行きたくない」という担当者の憂いも垣間見えた。
事務所はよくあるタイプの店舗になっており、店には一般の来客もあった。
私は、我々の会話が第三者に聞かれることを避けるため「外で話しましょうか・・・」と、接客カウンターに座るお客に目をやりながら、担当者を外へ連れ出した。


この会社が管理している賃貸マンションの一室で住人が孤独死。
不審のきっかけは家賃の滞納と音信不通。
マンションの管理人が、会社の指示で故人宅の玄関を開錠。
そこで、部屋で倒れている故人を発見。
驚きと困惑の中、警察と消防に通報。
それから、一通りの騒ぎが発生したのだった。

騒々しく出入りする警察や消防に他の住人が気づかないわけはない。
とりわけ、隣室の住人は敏感に反応。
ヒドく凄惨な状況を想像している様子で、「ニオイがでる!虫がでる!早く片付けろ!」と、不動産会社に向けて怒りを爆発。
それはあまりに激しく、「一刻の猶予もゆるさない!」といった勢い。
それに対処するため、担当者は慌てて当社に連絡してきたのだった。


通常、遺体が腐乱パターンは“膨張のあと溶解”。
周囲をヒドく汚損し、凄まじい悪臭を放つ。
更に、無数のウジやハエが湧き、それが汚染を拡大させる。
部屋は、隣人が想像したであろう状況の通りに一変する。

しかし、マレにそうならないケースがある。
遺体の皮膚は乾燥して黒ずみ、肉は収縮し痩せ細る・・・
わかりやすくいうと、「フリーズドライ状態」・・・ミイラのようになるということ。
この場合、周囲への汚染は極めて少なく、異臭や害虫の発生も少ない。
場合によっては、汚染も異臭も皆無で、とても異変が起こったとは思えないような部屋もある。

まさに、本件の部屋がそれ。
季節は寒い冬。
空気は乾燥。
暖房はOFF。
故人は年配女性(多分、小柄)。
・・・腐乱溶解してなくてもうなずける条件はことごとく揃っていた。

故人の部屋は1R。
玄関ドアを開けてもハエ一匹飛んで来ず。
覚悟していた異臭もなし。
警戒レベルを下げた私は、専用マスクを首にブラ下げたまま部屋の奥へ足を踏み入れた。

限られた年金で慎ましい生活を心掛けていたのか、家財は少量。
整理整頓や清掃はキチンとやっていたとみえ、警察の捜査跡の他は整然としていた。
また、特段の汚染や異臭もなし。
聞かなければ、故人がどこに倒れていたのかもわからないくらい。
実際はベッドに横なって亡くなっていたのだが、いつもの汚腐団は影も形もなし。
そんな部屋だから、特殊清掃作業は不要。
凝った消臭消毒作業もいらず。
原状回復には時間も手間もたいしてかからないと、私は判断したのだった。

しかし、事は簡単ではなかった。
部屋の始末が終わってもなお、隣人の苦情はやまず。
「本当にきれいになったのか?」「変なニオイがする」等々・・・
挙句の果てには「通路にゴミが落ちている」「ゴキブリがでた」等と、どう考えても無関係な事柄もあった。
そんな隣人が手に負えなくなった担当者は、「部屋の状況と作業の内容を隣人に説明してほしい」と私に依頼。
そこで私は、隣人に電話をかけ、自分が素人ではないこと、故人が部屋で亡くなったことによる汚染や異臭は当初からなかったこと、行った作業の内容とそれが適切なものだったと考えていること、今は新築同然にきれいになっていることを説明。
その上で、納得できないようなら故人の部屋を直に確認してもらっても構わない旨を伝えた。

隣人の心情には、大方の察しがついた。
死体に対する嫌悪感・・・
死霊に対する恐怖感・・・
理性で説得することができない死を忌み嫌う本性・・・
そのスパイラルから逃れられない苛立ち・・・
この状態が、どうにも我慢できないのだろうと思われた。
隣人が故人の部屋を相当に嫌悪していることは明らか。
そして、そんな人が故人の部屋に入るわけはなく、結局、時間に頼り、苦情が自然にやむのを待つほかに策はなかったのだった。



私は、“死体”“死体痕”といったものを、一通り把握している。
同時に、それらに関する都市伝説にデマが多いことも知っている。
“霊”というものがどういうものか、曖昧ながら自分なりの定義を持っている。
“死”については未経験であり未知だけど、一般の人に比べるとその意識は高いと思う。
そんな自分を基準にしてはならないけど、それにしても、この社会は、死人や霊を“食わず嫌い”していると思う。
好きになる必要はないにしても、無闇に嫌う必要もないと思う。
死人だって、自分と同じ人間なのだから。
そもそも、人間は霊的な生き物なのだから。
そして、いずれ自分も死ぬのだから。

先入観で物事を判断する・・・
頭が理解できない本能が自分を動かす・・・
理性が欲望に負ける・・・
小さな刺激に感情的になる・・・
こんなことはよくある。
何となく嫌いな人・・・
何となく苦手なこと・・・
何となくつまらなく思えてしまうこと・・・
何となく躊躇ってしまうこと・・・
これもたくさんある。
自分が気づいていないだけで、“食わず嫌い”していることってたくさんあると思う。
せっかくの美味を味わうことなく逃してることってあると思う。

人生は一度きり、苦労のない人生なんてない。
後悔することも多いけど、そこに、わずかな好奇心、わずかな冒険心、わずかなチャレンジ精神、わずかな勇気を持ってみるのも面白いのではないか・・・
案外、その核心に美味いものが隠れているかもしれないのだから。




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特殊清掃プロセンター
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