特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ケチな男

2015-12-16 07:55:11 | Weblog
楽しいクリスマスやめでたい正月を前にして、年末は何かと物入りである。
祝賀ムードが財布の紐が緩めてしまうのだろうか、「年末くらいは、ちょっと贅沢させてもらお」と、金を使ってしまう。
しかし、私はケチ。
いい言い方をすれば倹約家。
質素倹約が肌に合っており、とにかく、必要以上にモノや金を浪費するのが大嫌い。
例え、それが他人のモノであっても。
自分のモノだけに執着するならまだしも、自分のものでないモノでもそうで、筋金入りのケチである。

金銭欲はやたらと強いくせに、物欲は弱い。
金に余裕があれば考えも変わるのかもしれないけど、特に、欲しいモノはない。
正確に言うと、欲しいモノはあるのだけど、そのほとんどは、お金を払ってまで手に入れたいとは思わないモノなのだ。
だから、生活必需品を除き、普段、私は余計なモノはほとんど買わない。
花なんかはもちろん、菓子やデザート類を買うのも稀(眺めるのは好き)。
果物なんて、たまにバナナを買うくらい。
新聞もとってないし、本や雑誌を買うこともない。
服や靴も、ほとんど買わない。
髪も¥1000カット。
オシャレじゃないのは自分でもわかったうえで納得している。
電気や水道も同様。
真冬でも手はお湯で洗わない(さすがに、風呂は湯で入るけど)。
手を洗うだけのことでお湯を使うなんて、もったいないような気がするのだ。

日常生活上でも業務上でも、「再使用」「再利用」「使い回し」が大得意。
フツーの人ならとっくに捨ててしまうようなモノでも、平気で使う。
実例を挙げるとキリがないし、幻滅されるのもイヤだから明らかにしないけど、
「そこまで使う?」「そんなモノまで使う?」
と、驚く人(呆れる人)も多いと思う。

金をまったく使わない日も普通にある。
一般的には、昼時になると職場仲間と連れ立ってどこかの店に食べに行ったり、弁当を買ったりする人は多いと思う。
そして、そこで、数百円~千円くらいは使ってしまうのだろうと思う。
けど、私には、それがない。
決まった時間に昼休憩がとれる仕事でもないし、現場に向かって先陣をきる役割の私は単独行動も多く、誰かとランチする状況に置かれることはほとんどない。
したがって、いつ、どこで、何を食べようが自由。
人には見られたくないような粗食を車中でひっそり食べるのが常となっている。
何とも暗~い感じの話だが、結局、これで時間とお金とカロリーの無駄を抑えることができるので、私にとっては一石三鳥なのである。

夕飯においても外食は少ない。
外食したとしても、安いモノを選んで食べる。
また、酒も家飲みばかり。
30前後の頃は、毎週のように外で飲んでいたものが、今は年に3~4回程度。
しかも、そのほとんどが仕事がらみで義務的なもの。
今月も二度ほど忘年会があったが、仕事上の付き合いだから会社の経費でやらせてもらえたので助かった(前回ブログであれほど偉そうなことを書いておきながら、二回とも飲み過ぎてしまった)。
結局、今年、プライベートで外飲みしたのは一回きり。
しかも、友人が住む地域の夏祭りの露天で買ったビールを飲んだわけで、たいした金額にはならなかった。

そんな私だけど、「安ければそれでいい」という考えは持っていない。
価格と品質は比例するのが資本主義の世界。
もちろん、価格以上に高品質の物もあれば、その逆もある。
それでも、基本的に、価格と品質は比例する。
価格優先か、品質優先か、自分が最も満足できるのはどういうバランスかを自覚することが必要だと思っている。
だから、私は、生活必需品でも品質や好みを優先し、それから値段と相談する。
例えばビール(生活必需品じゃないけど)。
私は、発泡酒や第三のビールは買わない。
プレミアムビールには手が出ないけど、普通のビールを買っている。
発泡酒や第三のビールは、その味が口に合わない・・・つまり、私にとって味の悪さが価格メリットを超えているのだ。

そして、そんな私でも、無駄遣いじみたことをしないわけではない。
代表格は、酒肴と何種かのサプリメント(ちなみに、タバコは吸わない)。
これは生活需品ではないのに買っている。
酒なんて飲まなくても生きていけるし、飲まないほうが生きていけるかもしれないし・・・
サプリメントも、本当に身体にいいのかどうか定かではないし・・・
それがわかっていても、そられに金を使っている。
ま、これらは、私にとって精神安定剤みたいなものだから、別の意味での生活必需品だと思っている。

あと、日常にささやかな贅沢もある。
肴にちょっといいものを食べることと。
あと、ごくたまにだけど、スーパー銭湯に行くこと。
一回約¥700、特殊浴場(行ったことがあるかどうかはさておき)と違って営業時間内であれば時間制限はない。
混んでいなければ、ゆっくりのんびり入ることができ、どこかの温泉地にでも出かけたような気分を味わうことができる。

レジャーも皆無ではない。
これといった趣味を持たない私だけど、少ない休みを利用して遠出をすることもある。
昨季は何度か山登りに出かけた。
大した費用はかからないうえ、日常にはない景色を眺めることもできる。
それなりにハードに身体を動かすこともでき、いい気分転換になる。
ただ、今年も行きたいと思っているのに、なかなか機会に恵まれず、この秋冬はまだ一度も行っていない。
しかも、まだ計画すらなく、時間ばかりが過ぎている。
行けるときに行っておかないともったいないのに、悩ましいかぎりである。

あと、ケチな私でも、人にモノをもらったりおごってもらうのは嫌い。
もちろん、社交上の目的・意味があるものや礼儀として差し出されるものはありがたくいただく。
抵抗があるのは、筋合いも意味もない場合。
後のお返しを考えるのも面倒だし、何より、借りをつくるようで抵抗があるのだ。
返さなくていいものだとしても、借りは借り。
普のケチなら「得した!」とばかり、それに甘えるのだろうけど、私は真のケチ(←自慢してるわけじゃない)だから、自分の意向に関係なく借りを背負わされることがイヤなのである。


話は変わるけど・・・
この性質にこの職業が乗っかっているのだから、当然の現象(?)かもしれないけど、私は、「毎日、必ず」と言っていいほど、“死”を考える。
そして、他人の死は数え切れないほどみてきているのに、いつか自分も死んでしまうことが現実のことのように思えなくて不思議な感覚に囚われる。
「俺もいつか死ぬんだよなぁ・・・」
なんて、実感なく、まるで他人事のように思うのだ。

そう・・・私は死ぬのだ。
今日か、明日か、一週間後か、一ヵ月後か、一年後か、十年後か、時期はわからないけど死ぬことはわかっている。
突発的なことがなくても、余命は、あと20~30年のものだろう。
そう考えると、残された時間は長くない。
そして、減っていくばかり。
どんなに知恵を絞ったって、減っていくスピードを落とすことはできない。
また、大金を積んだって増やすことはできない。
誰も、定められた自分の寿命を延ばすことはできないのである。

そんな宿命にあって、時間が過ぎ去るのを、ただ傍観していていいのだろうか・・・
いや・・・有効に、大切に使っていきたい・・・そう思う。
しかし、時を金のごとく意識して使っているだろうか・・・
時間を無駄に浪費していないか?
時間を愚かな行いに使っていないか?
残念ながら、私は、時間を有意義に賢く使うことができていない。
気が進まないことは後回しにして、ルーズにダラダタと時間だけをやり過ごしてしまうことが多い。
怠けることと休むことを区別せず、効率的に生活することと楽して生活することを混同し、
大した努力も、忍耐も、挑戦もせず、自分の性が企てる悪事に与(くみ)することが多い。

しかし、生きているかぎり、リセットはいつでもできる。
後悔のない人生は歩めないにしても、後悔の少ない人生を歩みたい。
そのために、今、できることがある。
それは、一日一日に“ベストを尽くすことを意識すること”。
仕事でも学業でも遊びでも休息でも何でもいい、理性良心に従ってベターな選択を心がけ、目の前のことを、怠けることなく、焦ることなく、気負うことなく懸命にやろうとすること。

本来なら、上文の“ベストを尽くすことを意識すること”という部分は、「ベストを尽くすこと」と言い切りたいところだけど、そうは言えない。
何事に対しても、釈迦力になって我武者羅に頑張ることはできないし、そのことだけに多くの時間を割くこともできないわけで・・・
言葉(文章)でいうのは簡単だけど、実行するのは極めて難しいことだから。
そして、私は、それを貫徹できるほど強い人間ではないことを知っているから。
つまり、「ベストを尽くせ!」と自分や誰かを励ましたところで、それは、机上の空論となり、このケチな男のケチな話にはケチがついてしまうわけ。
だからこそ、私は、その手前にある“意識”を持つことをすすめるのである。

ベストを尽くせない自分を責める必要もなければ、弱い自分を嘆く必要もない。
「今日、自分はベストを尽くそうとしているか?」
「今、自分はベストを尽くしているか?」
そう自分に問うだけでいい。
そして、ベストを尽くすことを頭の隅に置いている自分を喜び、少しでも頑張ろうとする自分を褒めればいい。
自分の人生が大切なら、それだけでも時間は有意義なものに変わる。


私はケチな男。
ただ、これ以上、ケチな男になりたくない。
しかし、時間にケチな男にはなりたい。
限りある時間を賢く使い、残り少ない時間を懸命に使い、感謝と喜びで満ちた人生を歩みたい。
そうして、いつか来る、いずれ来る、最期の時を穏やかに迎えたいと思っているのである。


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