特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

Hot dog ~最終編~

2014-11-13 16:41:22 | Weblog
とうとう、その日が来てしまった・・・
11月11日、大切な家族であるチビ犬が死んだのだ。
もう、だいぶ老いていたから、
「遠くない将来には・・・」
と頭の隅で覚悟はしていたものの、現実の悲哀は覚悟をはるかに超越。
それは今、強大なものとなって私の精神を打ちのめしている。

先日の9日(日)まではフツーに過ごしていた。
加齢からくる衰えは以前からあったものの、夕飯も一緒に食べた。
ドッグフードに飽きたようだったので、肴に用意した焼魚の身を分けてやったら、喜んで食べていた。
そして、夜はいつも通り一緒に寝た。

異変が発生したのは10日(月)、いきなりのこと。
ヒドい下痢と下血で、立ち上がることもままならず。
苦しそうに息をし、苦しそうに吠え、苦しそうに横たわり・・・
それでも、そばに付き添って頭をなでてやると、小さな尻尾をふってくれた。
普段は、身体を触られるのがあまり好きじゃなかったのに、そのときは珍しく尻尾をふってくれた。
私は、その様子に
「最期のお別れを言われてるみたいでイヤだな・・・」
と、不吉な予感に苛まれた。

11日(火)、病院へ。
「多臓器不全・・・いつ死んでもおかしくない状態・・・」
待っていたのは、衝撃の診断だった。
体温も血圧も低く、どんなに温めても体温は上がらず、どんなに点滴を打っても血圧は上がらず。
受け入れ難い現実であったが、与えられた時間が少ない中で死別の覚悟を決める必要がでてきた。
同時に、“入院しての延命処置”or“通院しての対処療法”の選択を迫られた。
私は、本人(本犬)がもっとも苦しくない方向を選択してやりたかった。
それで、悩んだ末、対処療法を受けることを決め、普段は家で過ごさせることに。
「よくなる可能性はある」
「まだしばらくは生きられるはず」
と、願望に近い根拠のない考えをもって闘病に向け心の準備をした。

ところが・・・ところが・・・
その日の夕方、チビ犬は一人(一匹)で逝ってしまった・・・
突然・・・
いきなり・・・
急に・・・
心の準備もできてないのに・・・
通院も、闘病も、看病も、介護も、世話も何もしないまま・・・何の手も焼かせてくれないまま死んでしまった・・・
・・・私は、動かなくなったチビ犬を抱いて、ただただ泣くしかなかった。


初めて会ったのは、ある年の冬。
仕事で出向いた自殺現場でのことだった。
詳細は、昨年2月28日、3月7日、3月12日のブログ「Hotdog三編」に記した通り。
なりゆきで家に連れ帰り、そのまま家族になった。

連れてきた当初は警戒心丸出し。
知らない人間に知らないところへいきなり連れてこられたのだから、当然と言えば当然か。
かなり汚れていたので、まず始めに風呂に入れ、それから水と食事を与えた。
しかし、最初はジッと立ったまま動かず。
尻尾をふることもなく、座ることも横になることもせず。
何かを観察するかのように、人の顔をジーッと見つめてばかりだった。
それでも、睡魔には勝てないようで、立ったままの状態でカクン・カクンと首を上下。
睡魔に負けては倒れ、倒れては起きを繰り返していた。
しかし、時は多くのことを解決してくれる。
時が経つにつれ慣れてきて、自然に和気藹々と生活できるようになった。

慣れてくると、一人(一匹)で留守番するのを嫌がるように。
出掛ける気配を感じると玄関に先回り。
落ち着きなく歩き回り、置いてきぼりにならないよう自分の存在を主張した。
それでも、連れ出してやれないことはあった・・・残念ながら、連れ出してやれないことのほうが多かった。
すると、今度は閉めた玄関ドアの向こうで吠え始める。
「留守番はイヤ!」「連れてって!」
と泣いていたのか・・・
そのなき声が切ないやら可愛いやら、毎回、複雑な心境で家を後にしていた。
逆に、帰宅すると大喜び。
身体を私にすりつけながら転げまわって喜ぶ姿は、とても嬉しくとても愛らしいものだった。

フツーに歩けた頃は、よく外を散歩した。
チビ犬も尻尾をふって喜び、テンポよく歩いた。
共に感じる色んな季節は、心地よいものだった。
車通りの多い道は危ないので抱いて歩いた。
この頃はまだ元気だったけど、
「いつか、これも想い出に変わるときがくるんだよな・・・」
と、死が日常の場所に長くいる私は、穏やかな時間の中に切ない思いも抱いていた。

もともと若い犬ではなく、当初から高齢を感じさせる兆候はあった。
若い犬と比べると身体の毛が薄かったり、白内障の症状があったりと。
最初に医者に診せたときも、
「心臓から雑音がきこえる」
「心臓が弱くなっている」
と言われた。
また、皮膚炎もあった。
重症化した時期もあり、その時は、食べ物に気をつけ、こまめに風呂に入れ、毛も短くカットするようにした。
ただ、爪きりは恐くてうまくできず。
チャレンジはしたことはあったけど、切るたびに痛そうに吠えるし、切る位置を見極められず血をだしてしまったこともあり、結局一度で懲りた。
だから、爪が伸びるといちいち美容院に連れていって切ってもらっていた。

伸びる体毛は、たまに美容院でカットしてもらった。
結構な費用がかかるものだから、ごくたまに。
普段は自宅カットでしのぎ、いよいよ不恰好になってきた頃に美容院へ。
やはり、プロに任せるとよその犬と見間違えるくらいにきれいになり、私を喜ばせてくれた。
美容院では、サービスでリボンをつけてくれたりして、これもまた可愛らしかった。

風呂は大嫌いだった。
嫌がることはしたくなかったけど、さすがに風呂に入れないわけにはいかない。
皮膚炎をもっていたから尚更。
暑い季節は週一、寒い季節は二~三週間に一度くらい。
水(湯)が恐かったのだろう、湯船に入れると脱出しようと必死でもがく。
それを大人しくさせようと、こっちも必死で抱きかかえる。
そんな格闘のせいで、私の身体には、よく何本ものミミズ腫ができた。

昨今は、一緒に寝るのが当り前に。
はじめのうちは別々に寝ていたのだけど、いつの頃からか一緒に寝るように。
相手は小さいものだから、蹴飛ばさないように、潰さないように、眠りながらも頭の隅は常に起こし注意していた。
元来の不眠症に更に輪をかけるような行為だけど、私はそれでもよかった。
「一緒にいられる時間は、そう長くはないだろう・・・」
「今は少し大変でも、後で想い出せば笑顔の想い出に変わるはず・・・」
との思いをもっていたから。

春夏秋冬、平凡ながらも、つつましい食事を分け合いながら、限りある時間を分け合いながら、ささやかな幸せを分け合いながらの生活は続いた。
しかし、時間には逆らえない。
ここ一年くらいは老化が顕著で、食も細くなり、身体も痩せ、走ることはもちろん長く歩くこともできなくなった。
今年の5月には、老齢の白内障で完全に失明。
私はチビ犬が可哀想で気落ちしたけど、それでも本人(本犬)は、鼻と耳を頼りに奮闘。
眼が見えているのかと思うくらいに、御飯のときは自分の皿のところに行き、トイレに行きたくなったらトイレのところに行き、留守番がイヤなときは玄関に行き、寝たいときは布団に行っていた。

足腰の弱まりは徐々に進み、そのうちトイレもうまくできなくなってきた。
少しくらいの失敗は特掃(?)で対処してきたが、次第にその回数も多くなってきた。
情けないことに、さすがの(?)特掃隊長でも持て余すように。
結果、夏頃からはたまにオムツをつけるようにした。
お陰で、掃除の手間は、これでかなり省くことができた。
ただ、安いオムツはいまいち格好が悪い。
少し値は張ったが、私は、身体にフィットするカラフルなオムツを買って使った。
そのオムツ姿は少々不憫にも思われたが、パンツを履いた子供みたいで見慣れると可愛らしくもあった。

すでに体調が優れなかったのだろうか、ここ1~2ヵ月は、夜中でも咽が渇くと吠えた。
だから、その度に水を飲ませてやった。
また、トイレに行きたくなったときにも吠えた。
オムツをしているのだからそのままやっちゃってもよかったのに、そんなこと本人(本犬)は知る由もない。
それまでも、あちこちでトイレの失敗をしていたものの、不思議と布団の上ではまったくしなかった。
自分なりに
「布団の上では絶対ダメ!」
と思って、それだけは固く守っていたのだろうか。
だから、オムツをした状態でもトイレに連れていってやっていた。
(この場合、オムツをしたままトイレで用を足させ、その後でオムツを交換していた。)
これは、ほとんど毎晩のこと。
でも、私にはまったく苦にならなかった。


私は、チビ犬が可愛くて仕方がなかった。
チビ犬のことが大好きだった。
チビ犬は、この仏頂面にたくさんの笑顔をくれた。
言葉を交わすことはできなかったけど、間違いなく家族として存在していた。
そして、チビ犬の方も、私を家族だと思ってくれていたと信じている。

もう、アノなき声もきけない・・・
もう、アノ足音もきこえない・・・
もう、アノ姿を見ることもできない・・・
もう、アノ体を抱くこともできない・・・
一緒に御飯を食べることも、一緒に出かけることも、一緒に寝ることもできない・・・

死んだのは、つい一昨日のこと。
家のあちこちにはまだ、チビ犬が生きた跡と残像がある。
今、どこに行っても、何を見ても、何をしても、チビ犬のことばかりが頭に浮かんでくる。
すごく可愛かった。すごく楽しかった。
いなくなってすごく悲しい。すごく寂しい。
前の飼主に比べると質素な生活だったかもしれないけど、すごく幸せだった。
可愛かった想い出、楽しかった想い出、嬉しかった想い出、幸せだった想い出・・・
たくさんの、たくさんの想い出が涙とともに溢れてくる。

今、涙がとまらない。
「飼犬が死んだくらいで?」
「情けない」
「みっともない」
と、いい歳したオッサンのこんな姿は滑稽に映るかもしれないけど、事実は事実。
私にとってチビ犬は子供のような存在だった。
それがいなくなってしまい、心が痛くて痛くて仕方がない。
こんな重い喪失感には今まで襲われたことがない。
長く死業に従事し、自分なりに奮闘を重ねてきたつもりなのに、この始末・・・
ただ、これも、紛れもない私・・・私である。


いつかその日はくる・・・
別れの日は、必ずくる・・・
大切な者が死ぬときが・・・
そして、自分が死ぬときが・・・
しかし、それが、人に命を量りなおし、生き方を見つめなおすチャンスをくれる。
チビ犬が残してくれたそのチャンスと笑顔の想い出を心に刻み、私は、逆らえない時間の中で、時がこの傷心を癒してくれるのを待っているのである。


公開コメント版
特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自悶自闘

2014-11-01 15:02:29 | 特殊清掃 消臭消毒
今年の夏も暑かった!過酷だった!すごく疲れた!
好きじゃない栄養ドリンクを飲んで踏ん張ったり、嫌いなコーヒーを飲んで眠気をごまかしたりして、何とかしのいだ。
しかし、もう11月。
気がつけば秋涼の風に、ジャンパーを羽織る季節になっている。

季節が変わっても、私は、相変わらず。
変わりばえのない毎日を過ごしている。
良いことと言えば、臭休肝二日が途切れることなく堅持できていること。
月単位で平均すると、週休肝三日くらいにはなっている。
一度に飲む量が減らせていないのが難点だが、我ながら上出来だと思っている。
悪いことと言えば、体重が重いこと。
ここ何年も体重は気にしていなかったのだが、9月のとある現場で荷物を抱えて階段を何度も昇降する作業に従事したときバテてしまったことがあった。
作業終盤になると、やたらと身体が重く感じ、かなりしんどい思いをしたのだ。
家に帰ってから量ってみると、体重は、身長に対する標準体重より5kg余オーバー。
もともと痩型だとは思っていなかったけど、5kg余も超過していたとは・・・さすがに無視できなくなった。
結果、ひと月くらい前から、食事量に気をつけるようにしている。
「ダイエット」というほどではないけど、これまで当り前のようにしてきた大盛・ドカ喰いはできるだけしないように心がけている。
週休肝二日と同じように、何とか“大盛・ドガ喰い禁止”も習慣化したいものである。

何はともあれ、この季節は、同じ仕事をしていても、身体は随分と楽。
労苦に中にあっても、身体を動かすのが心地よかったりする。
それでも、歳をとった分だけ体力は衰えている。
たまに弱い自分に勝てることはあっても、過ぎる時間にはどうやっても勝てない。
季節の移ろいは喜べても、歳の重なりはなかなか喜べない。
せめて、よい歳のとり方をして、歳相応の人格・素養を身につけたいものである。



それは夏の暑い日のことだった・・・
呼ばれて訪れたのは、郊外の街に建つマンション。
週末の街には、のんびりとして空気が流れていた。
ただ、依頼者の男性はそれどころではない雰囲気。
落ち着かない様子で私を建物の陰に誘い、亡くなったのは自分の兄で、発見がかなり遅れたことを私に告げた。

「孤独死」とだけ聞いてきた私だったが、発見が遅れたことを知ったくらいで驚くわけはない。
社会における自分のポジションを考えると、並の汚損で私が呼ばれるわけはない。
むしろ、現場に特別な汚損が生じていることを、“自然のこと”と私は受け取った。
とにもかくにも、“百聞は一見にしかず”。
私は、無神経な質問を避けるため、とりあえず、何も訊かないまま部屋を見てくることに。
男性から鍵を預かり、愛用のマスクを隠し持ち、一人、現場の部屋に向かった。

玄関ドアの前に立った私は、周囲に人影がないことを確認。
そして、ドアの隙間に鼻を近づけ、臭気を確認。
すると、とがらせた鼻はかすかな異臭を感知。
それから、小脇に挟んでいたマスクを首にブラ下げ、鍵を鍵穴に挿入。
錠が解けたことが手に伝わると、そのままノブを引き、ドアの隙間に身体を滑り込ませた。

室内には、腹をえぐるような異臭が充満。
私は、すぐさまマスクを装着し土足のまま前進。
すると、そこには、想定外の光景が・・・
「!?・・・血・・・自傷・・・自殺・・・」
吐下血病死の可能性も否定できなかったが、血の様相から、私はそう断定。
そして、足を止め、マスクの中で深い溜息をついた。

故人は、傷ついた身体で部屋中を歩き回ったよう。
血液汚染は居室だけにとどまらず、浴室・トイレにわたり、床面は血まみれ。
そして、壁面をもおびただしく汚染。
更に、微小ではあったが、血は天上にまで飛散。
しかも、発見はかなり遅れ、遺体はヒドク腐敗。
狭い1DKの建材も、そこにある家財生活用品も全滅の状態だった。


部屋のこの光景は、依頼者の男性(故人の弟)も目にしていた。
ただ、玄関ドアを開けて見ただけ。
遺品のチェックをするために室内に入ろうと試みたのだったが、凄惨な光景と凄まじい悪臭が無言の圧力となって男性の進路を遮った。
「警察の方から状況を聞いたので、だいたいのことは想像してきたつもりなんですけど・・・」
「現実はそれをはるかに越えてまして・・・」
と、意気地のない自分を恥じるように苦悶の表情を浮かべた。
次に、
「一人でやるんですか!?」
と、作業を頼んだ私が一人で準備にとりかかる姿をみて驚きの表情をみせた。

「えぇ・・・大の男が二人でやるような作業ではありませんから・・・」
「こんなこというのは失礼かもしれませんけど・・・“気持ち悪い”とか“恐い”とかないんですか? 身内でも抵抗あるのに・・・」
「まぁ・・・全くないということはありませんけど、さすがに慣れましたね・・・」
「それにしても・・・」
「それに・・・食べていくための仕事ですから・・・」
「・・・」
「あと、一人だと作業もマイペースでできますし、移動のときも気楽ですから・・・」
「・・・」
「“変態”みたいに思われるかもしれませんけどね」
「そんなことはないですけど・・・」
呆れたのか感心したのか、納得したのか私に同情したのか、男性は、それ以上は何も訊かず、神妙な面持ちで、
「よろしくお願いします」
とだけ言い、部屋に向かおうとする私に頭を下げた。


死因は、やはり自傷自殺。
故人は、何年も前から精神を患っていた。
家族も色々と手は尽くした。
病院にかかるのはもちろん、宗教に入れたり、専門のカウンセリングを受けさせたりと。
再生を期待する故人も、それらと積極的に関わった。
しかし、本人・家族の奮闘も虚しく、故人は自らの手で自らの人生の幕を引いたのだった。

自傷自殺の場合、汚染規模が広いことが多い。
私の経験だけで言うと、自傷者は、血を流しながら部屋中を歩きまわる傾向が強い。
倒れる寸前まで歩き回る・・・
何を考え、何を感じ、何を思いながら歩き回るのだろう・・・
未来への虚無感か・・・
生きることをやめる悲哀か・・・
生きる使命を解かれる解放感か・・・
生きなければならない責任から逃れられる安堵感か・・・
過去のツラかった出来事か・・・
昔の楽しかった想い出か・・・
とても察することはできないけど、そこには、悪臭だけでなく重苦しい空気も充満しており、慣れた私でも浮かない気分に苛まれた。
と同時に、それまでにもあちこちの現場で覚えてきた同志的な感情を抱いた。

これまでにも、何度となく書いてきたように、こんな現場の清掃は時間も手間もかなりかかる。
この仕事も、かなりの時間がかかることが明白だった。
しかも作業は単調。粘り強さと根気がいる。
忍耐・努力とは無縁の人生を歩いてきた私には、これがなかなかキツい。
一箇所に集中できる時間は短く限られている。すぐに飽きてくるのだ。
そうは言っても、もちろん、仕事を途中で投げ出して部屋を出ていくなんてできるわけはない。
だから、転々と景色(場所)を変える。
部屋が少し終わったらトイレに行き、トイレは少し終わったら浴室に行き、浴室は少し終わったら台所に行き、台所が少し終わったら部屋に戻り・・・という具合に。

そこにあったのは、まぎれもなく死の痕だったが、
故人の手の痕、足の痕、身体の痕は生の痕のようだった・・・
血の痕は苦悩の痕のようだった・・・
赤黒い色は、戦いの痕のようだった・・・
生きることとの戦いを終えた故人を前に、自分との戦いに敗れそうになった私は、目の前の汚れが人の血で、そこが死の現場である現実をできるだけ頭の隅へ追いやり、また、薄っぺらい同情心と自己中心的な感傷をできるだけ心の隅へ追いやり、「終わるまで帰らない!終わるまで帰らない!終わるまで帰らない!」と、弱い自分に何度も釘を刺しながら、“労苦”という名の生きる術に必死にしがみついたのだった。


一仕事を終えると、相応の安堵感とそれなりの達成感はある。
誰に評価されるわけでも、誰に褒められるわけでもないけど、場も業も忘れて明るい気分になれる。
それでも、苦悩が消えることはない。
「生とは?」「命とは?」「死とは?」「幸とは?」「愛とは?」「人間とは?」「自分とは?」 
変わりばえしない毎日の幸運と変わりばえしない毎日の不運の間で、
天と地の間で、
理想と現実の間で、
昨日と明日の間で、
朝と夜の間で、
私と特掃隊長の間で、
生と死の間で、
自問自答に自悶自闘しながら、2014秋も私はここに生きている。



公開コメント版
特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする