特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

確執

2016-03-28 09:06:01 | 消臭 消毒
進学、就職、転職、転居・・・
この時期、人生の岐路にある人は多いと思う。
希望と期待、意地とプライドを持って新たな歩を踏み出す人もいれば、失意と不安の中、意地とプライドを捨てて歩きださざるを得ない人もいるだろう。
私は、意地もプライドもなく、絶望と不安の中、ヤケクソ気味で新たな道に進んだクチ。
もう、24年余も前のことになるけど、その経緯は、何度か書いてきた通り。
毎度のことながら、思い出してでてくるのは溜息と苦笑いくらい。
「自業自得」と、無理矢理、自分を納得させている。

とにもかくにも、新しい環境には、新しい人間関係がつきもの。
初めて会う上司・先輩・同僚、初めて会う先生・上級生・同級生etc・・・
そういった人達と仲良く、うまく付き合えれば、それに越したことはない。
ただ、人は、十人十色。千差万別。
中には、嫌いなタイプの人間、苦手なタイプの人間、ウマが合わない人間がいても不自然ではない。
もっと言うと、自分にストレスをかけてくる人間、腹の立つ人間は、「必ず」と言っていいほど、どこにでもいる。
結局のところ、自分の意に関係なく、嫌いな人間と関わらなければならない、ウマの合わない人間と付き合わなければならないこともでてくるのである。

ただ、人間関係をこじらせることは、自分にとってもマイナス。
それはそれで、違うストレスを生むから。
だから、人は、そうならないために、テキトーなところで、妥協し、我慢し、迎合し、忘却する。
時には、おもしろくもないことに愛想笑いを浮かべ、下げたくない頭を下げ、納得できないことにもうなずく。
自分を、学校で、会社で、この社会で成り立たせ、生かすために。


依頼された仕事は簡易清掃と消毒消臭。
一般家庭のトイレ漏水の後始末で、仕事としてはかなり小さいもの。
それでも、お金をいただく以上はシッカリやらなくてはいけない。
私は、事前に約束した日時に依頼者宅を訪れた。

現場は、キチンと区画整理された郊外にある一般的な住宅地。
造成分譲からまだそんなに時間がたっていないことがすぐにわかる、きれいな家並。
そして、そこに建つ家は、いわゆる“建売住宅”。
建物の形状と外壁の色が家ごとに若干違うくらいで、同じパターンの家がズラリと並んでいた。

整然と並ぶ番地を順に追っていくと、目的の依頼者宅はすぐに見つかった。
私は、その家の前に車を寄せて停車。
片側には、自家用車一台なら充分に通れる道幅が残っていたため、何も気にせず車を降りた。

すると、間髪入れず、向かいの家から一人の老年男性がでてきた。
そして、声高に、
「そこ、とめちゃダメ!」
と、一言。
戸惑った私が黙っていると、矢継ぎ早に、
「邪魔だから!すぐにどかして!」
と、更に声を大きくして言ってきた。

しかし、周囲を見渡しても、私の車は、誰の邪魔にも何の邪魔にもなっていない。
しいて言うなら、私の車があると、男性宅の車が少々出しにくいかと思われるくらい。
ただ、男性に、車を出す様子はない。
だから、私は、
「○○さん(依頼者)の御宅に来たんですけど、すぐ済む用事ですから・・・」
と、男性が了承してくれるものとばかり思って、そう応えた。

しかし、男性は、そんな言い分、意に介さず。
「そんなこと関係ない!ダメなものはダメ!」
と、一点張り。
私有地でも私道でもないのに妙に強気で、妥協する姿勢を一切みせなかった。

こんなの、“お互い様”の精神があれば何でもないこと。
しかし、まったく融通がきかず。
そんな男性に、かなりイラッときたのだが、こんなところで揉めは依頼者に迷惑がかかる。
私は、沸いてくるマグマを飲み込み、小さく舌打ちして再び車に乗り込み、少し離れた公園脇に移動してそこに車をとめ、歩いて依頼者宅に戻った。

そこは市街地でもなく、住民の通報でもないかぎり駐禁を切られることはないと思われたが、目の届かないところに車を置いておくのは、やはり不安。
そうは言っても、住宅地につき、コインパーキング等も皆無。
私は、車を公園脇に置いてきた事情を依頼者に話し、この家の近くに置けないものかどうか相談した。

すると、依頼者は、人差指で自分の頭をトントンやりながら、
「すいませんね、近所に変なのがいて・・・アノ人、ここがおかしいんで、相手にしなくていいですから」
と呆れ顔で言い、そして、
「構わないから、家の前に車をとめて下さい」
と言って、不敵な笑みを浮かべた。

またアノ男性に文句を言われるのはほぼ間違いなかったので、私はいまいち気が乗らなかったが、それでも公園脇に放置して駐禁を心配しているよりはマシ。
男性に何か言われたら、その責任を依頼者に転嫁するつもりで、再び、車を依頼者宅前に戻した。

やはり、向かいの男性はすぐにでてきた。
が、意外にも何も言わず・・・
スゴく言いたそうにしているものの、何かを飲み込むようにしながら、結局、何も言わず。
私が依頼者の指示で車をとめたことが察せられたのだろう、これ以上言うのは火傷のもとと判断したようだった。

それでも、作業中、依頼者宅に出入りする私を、男性は、いつまでも自宅の庭から塀越しにジッと睨みつけていた。
威圧してるつもりか、監視してるつもりか、まるでケンカを売られているようで、私は極めて不愉快な気分に。
普通なら、「何か用?」「失礼じゃないか?」とでも言うところだったが、この場限りの現場で揉め事を起こしても何の得もない。
結局、私は、その都度、睨み返すだけにし、口と身体は男性に向けなかった。


人の悪口って、言わずにいられないときがある。
また、それが、ストレス解消になることがある。
自分の口を汚し、同時に人の耳も汚してしまうものだけど、私にも、現在進行形で身に覚えがある。
作業が終わると、依頼者は、
「気分の悪い思いをさせて、すいませんでしたね・・・」
と、男性の件を私に詫びてくれ、ついでに、ことの経緯を話しはじめた。

ここは、数年前に分譲された新しい住宅地。
土地は広めながらも上物は量産の建売家屋で、若い世帯でも購入しやすい価格帯になっていた。
そして、依頼者家族をはじめ、マイホームを夢見る若い世帯が次々と購入していった。

少しでもいい家に住みたいから、身の丈に合わないローンを組んで失敗するような人もいるらしいけど、通常、人は、自分の経済力に見合った家を買う。
だから、こういった新興住宅地には、生活水準・生活文化・生活スタイルの似たような人達が集まりやすい。
ここもそうで、依頼者も同様、住民のほとんどは、幼稚園児や小学生・中学生の子供がいるような30代~40代の世帯。
一方、どういう事情で越してきたのはわからなかったが、向かいの男性宅は現役を退いた老後世帯。
子供もとっくに成人独立した、老夫婦二人きりの世帯だった

男性と近隣住民との間には、特に何があったわけでもなかった。
何かのトラブルはきっかけで確執が生まれたわけでもなく、引越し当初は、フツーの社交辞令関係だった。

そして、住み慣れてくると、近所同士、親しい人間関係ができてくるもの。
同年代で似たような家族構成の家族が集まっている住宅地なら尚更そうで、春には連れ立って花見に出かけたり、夏には誰かの家に集まってBBQや花火をやったり、秋には一緒にレジャーに出かけたり、冬にはクリスマス会・忘年会・新年会をやったり、たまの休日に酒宴を催したりと、気の合う家族が固まるように。
とりわけ、依頼者宅周辺の家々は、皆仲が良く、良好な関係をつくっていた。

しかし、その輪に向かいの男性夫妻は入っていなかった。
年齢も、家族構成も、生活スタイルも、嗜好も、生活上の課題も他世帯と大きく違うわけで、仕方がないことだった。
しかも、それは、住民達が意図的(悪意で)にそうしたわけではなく、自然とそうなったもの。
善悪で判断できることが原因で起こったことではなかった。

それでも、最初の頃は、気を使って男性夫妻を酒宴に誘ったりしたこともあった。
しかし、男性は、社交的な性格ではないうえ下戸で酒を好まず。
また、年上としてのプライドがあるのか、話しをする機会をつくっても、口から出るのは昔の自慢話や説教じみた御節介ネタが多く、聞いているほうも楽しい気分になれなかった。
結果、会話も自然となくなり、徐々に、距離が空いていった。

男性は、それで疎外感をもったのか・・・
それがおもしろくなかったのか・・・
次第に、周りの人に対してスネた態度をとるようになり、それが、被害妄想的にエスカレート。
近くの路上に車を停めると「邪魔だ」と文句を言うのはもちろん、
学校帰りの子供が表で遊んでいると「うるさい」と文句を言い、
子供が路面に蝋石で落書きをして遊んだ際は「景観を損ねる」と文句を言い、
時には、ゴミ収集日にゴミ袋を開けて分別をチェックしたりして、他家の粗探しをするようなこともあった。
結局、「お互い様」と融通し合うべきことも一切応じず、そういった振る舞いが、人に変人扱いされ、人から嫌われる原因になり、男性は、ますます孤立の度を深めていったのだった。


視界を狭めれば意地を張ることはできる。
広い視野を持てば、つまらない意地は捨てられる。
視線を上げなければプライドを保つことができる。
上へ視線を向ければ、つまらないプライドは捨てられる。
小さな怒りさえあれば、拳を振り上げることはできる。
だけど、振り上げた拳を下ろすには、大きな勇気が必要。

男性は、新しい暮しの中でつくっていく新しい人間関係に期待感を持っていたのだろう・・・
仲良く付き合える“ご近所”が欲しかったのだろう・・・
周りの人に、自分の存在を気に留めてほしかったのだろう・・・
しかし、現実は、確執だらけの“村八分”状態。
そして、対人関係にとどまっていたはずのその確執は“対自分”に・・・つまり、“自分の理性と良心”の間に、また、“理想の自分”との間にまで転移し、男性を蝕んでいったのか・・・

そこで目にした、「自業自得」で片付けてはいけない人間の愚弱は、持つべき意地が持てず・つまらない意地が捨てられず、また、持つべきプライドが持てず・つまらないプライドが捨てられない私の前に、大きな問を置いたのだった。



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椅子とりゲーム

2016-03-22 08:44:29 | 遺品整理
“椅子とりゲーム”
子供の頃、やったことがある人は多いと思う。
頭数より少ない椅子を並べ、その回りを音楽に合わせてグルグルまわり、合図とともに座るってヤツ。
競い争い、最後まで残るのが、このゲームの目的と娯楽性。

当然、ゲームの途中で、一人一人、脱落者が生まれる。
生き残るには、相手を押しのける必要がある。
時に強引に、時に乱暴に、そして、奪い取ることが必要なときもある。
そうして、最後まで座り続けることができた者が最終的な勝者となる。
私だけかもしれないけど、何故だか、この遊びは、負けたときに独特の寂しさを覚え、勝ったとしても独特の切なさを覚える。
結局のところ、独特の虚無感を覚えるため、私のとっては、あまり楽しい遊びではなかったように記憶している。

大人になって社会にでると、また別の“椅子とりゲーム”をやるハメになる。
そう・・・朝夕の満員電車だ。
多くの人が座りたいのに、限られた人しか座れない。
車内は、冷静を装った熱気と緊迫したムードに包まれる。

通勤時間帯、始発駅でもないかぎり、乗ってすぐ座れることなんてない。
何駅が通過して、先客が降りて席が空かないと座れない。
そのためには、まず、座席の前に立つ必要がある。
ドア付近や通路に立っていては、立つ客と入れ替わって座ることなんてできないから。
更に、自分の真ん前の人が立たないかぎり座れない。
どれだけの可能性と確率があるのか、運に任せるほかない。
毎日のことだから、中には、特定の人の顔を憶え、その人が降りる駅を把握し、その人が座っている前に立つような達人もいるよう。
しかし、大方の人は、運と可能性に身を任せるしかないのである。

会社に行くと、今度は、本格的な“椅子とりゲーム”が始まる。
そう、出世競争。
電車とは違って、これは、かなりの長期戦。
新卒20代の頃は、一人前になるのが精一杯。
同年代も無役が多くて、役職はあまり気にならない。
しかし、30代に入ると役に就く者が現れ、ギアチェンジを余儀なくされる。
そうして、限られた椅子を巡っての戦いが始まる。
主任・係長・課長・部長・取締役・常務・専務・社長・会長・・・
上位にいくに従って椅子の数は減っていき、競争は激化。
篩(ふるい)は容赦なく揺れ動き、力のない者は落とされていく。
そして、勝ち残った者だけが上へ上へと登っていく。

こんな私にも大手企業に勤める知人が何人かいるけど、同期に先を越されると、かなりの敗北感や劣等感を覚えるらしい。
ましてや、後輩に追い抜かれるなんてことがあると、それが会社を辞める原因になることさえあるという。

会社や社会に競争原理は必要。
それは人に向上心をもたせ、努力や自己啓発をうながし、広くは、社会成長や経済発展につながる。
しかし、それが過度に働くと、多くの敗北感や大きな劣等感がうまれる。
そして、それらは、人の心と人生を暗い方へ追いやるようになる。
社会の競争原理と人の競争心は、適度なところで保たなければ、大きなマイナスを生むことがあるのである。

幸い?私の会社は超零細企業。
しかも、職種もかなりマイナー。
したがって、会社組織として競争原理が働くほどの体もなければ、そんな場面もない。
「特掃隊長」なんて椅子は、座りたくて座っているわけでもないし、そもそも誰も座りたがらないから競争は起こらない。
ある意味で平和である。

そのせいでもないだろうけど、私は、“椅子とりゲーム”が下手。
人を押しのけてまで座ることができない。
もちろん、座りたくなるような椅子そのものがないのだが、仮に、あったとしても大した椅子に座ることはできないだろう。
勝ち残るための能力もさることながら、競う勇気がないのである。


出向いた現場は、郊外に建つ古い一戸建。
高級住宅地に建っているわけでもないし、「豪邸」というほどでもなかったが、わりと大きくて立派な建物。
ただ、庭は荒れ、長く空き家になっているような、寂れた雰囲気。
約束の時間を待って、私はインターフォンをプッシュ。
すると、すぐに「お待ちしてました」と言う声が返ってきて、玄関から依頼者である中年の男性が出てきた。

「腐乱死体現場」と聞いてやって来たのだが、家の中に入って気になったのは、ジメっとしたカビ臭さくらいで、例の異臭は感じられなかった。
ただ、庭同様、少々荒れ気味。
全体的に薄汚れた感じで、いたるところホコリだらけ。
ゴミが散らかっているということはなく整然とはしていたけど、印象としては、モノクロの冷たい世界。
そんな荒んだ(すさんだ)雰囲気に、よんどころない事情があることを察した私だったが、その心情は男性にとって不愉快なものかもしれなかったため、平然を装い、あえて呑気な表情を浮かべた。

男性は、一階リビングにあるソファーに私を座らせると、
「何からお話すればいいんでしょうか・・・」
「恥ずかしい話なんですけど、亡くなった父と私達家族は、あまりうまくいってなくて・・・」
と、言いにくそうに事の経緯を話しはじめた。


亡くなったのは、男性の父親。
仕事はしばらく前に引退し、晩年は、慎ましい年金生活。
故人の妻、つまり男性の母は健在だったが、この家を出て男性(息子)家族と同居。
結果的に、故人は、この広い家で一人暮しとなっていた。

現場の家と男性宅は、そんなに離れていなかった。
歩いて行き来できるほど近くはなかったが、車で30分もかからない程度。
それでも、男性と故人は疎遠だったよう。
男性の母親(故人の妻)もまた同様で、特段の用事でもないかぎり連絡を取り合うこともなかった。
その結果、故人の死に気づくのも遅れてしまったようだった。

妻がいるのに一人暮らしなんて、一般的にみると不自然。
家族間に難しい問題があったことは容易に察することができた。
が、それは、私が詮索する必要のないこと。
ただ、男性は、プライベートな事情をどこまで話す必要があるのか線を引けないよう。
男性が、
「“体調が悪い”とか“病院にかかっている”等といったことは聞いてなかったんですけどね・・・」
と言ったところで、あえて私の方から話を切り、話題を実務的なことにスライドさせ、依頼の内容を尋ねた。

「父(故人)が使っていた椅子を始末と、書斎の消毒と消臭をお願いしたいんですけど・・・」
依頼を受けた私は、とりあえず、二階の書斎へ。
そこは、ドラマのセットかと思われるような本格的な書斎で、ホコリをかぶった机と、古ぼけて傷んだ椅子があった。
故人は、その椅子に座ったまま亡くなっていたよう。
ただ、不幸中の幸いで、寒い季節で暖房もついておらず、肉体の腐敗は軽度。
椅子に残った痕も、素人目にはわからないくらい薄いもの。
また、異臭レベルも低く、素人鼻には、少し強めの体臭くらいにしか感じられない程度だった。

他例では・・・
少ないけど、重汚染でも家族が自分達の手で掃除するケースはある。
「家族なんだから・・・」といった具合で。
今回の現場のような軽汚染なら尚更で、家族が始末するケースは珍しくない。
その場合、私の仕事(売上)は減ることになるのだけど、私は、そんな人達に好感を覚える。

しかし、男性と家族は、自分達の手でその椅子を片付けるのはイヤなよう。
それが、死を怖れてのことなのか、孤独死を悼んでのことなのか、はたまた、単に気持ち悪いだけのことだったのか・・・
それとも、その椅子が、故人と家族を隔てる象徴のように思えて、抵抗があったのか・・・
どちらにしろ、そこに、あたたかな家族愛は感じられなかった。

デスクマットには、何枚もの名刺が並んでいた。
そこに記されていたのは、某企業の名
そして、氏名はすべて同じ、故人の名。
ただ、所在地・部署・役職はそれぞれ異なっていた。
どうも、それは時系列に並べてあるらしく、順を追って見ていくと、故人が出世街道を歩いていく様が浮かび上がってきた。

最後は重役の肩書き。
そう・・・故人は、重役にまで登りつめたよう。
ただ、その“椅子とりゲーム”を勝ち抜くために故人がなした努力・忍耐・戦いも相当なものだったはず。
家族より仕事を優先せざるを得なかったことも多かっただろう。
家でストレスを吐き出すことも少なくなかっただろう。
知らず知らずのうちに、結構な“ワンマン親父”になっていたかもしれない。
ただ、そんな故人が獲得した経済力によって、家族の生活が守られていたのも事実のはず。
その利害が生み出す矛盾と葛藤が、徐々に故人と家族との距離をあけていったのかもしれなかった。


生前、故人は、時折この椅子に座っては、一人で過去の名刺を眺めたことだろう。
華々しい戦歴が刻まれた名刺に何が見えたか・・・
そして、どんな思いが湧いてきたか・・・
達成感を抱いたか、満足感を得たか、誇らしく思ったか・・・
疲労感を覚えたか、虚しさに苛まれたか、寂しさに襲われたか・・・
根底に流れる懐かしさは、あたたかいものだったか、それとも、冷たいものだったか・・・

冷たくくたびれた故人の椅子は、“椅子とりゲーム”の勝者が味わう人生の機微を語っているように見え、私に妙な切なさを抱かせたのだった。


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噴火

2016-03-15 09:01:15 | 特殊清掃 消臭消毒
依頼された現場は、孤独死が発生した賃貸マンション。
集まったのは、遺族・管理会社の責任者(以後「責任者」)・マンション管理人(以後「管理人」)、そして私。

遺族は、故人の遠い親戚。
悲しみのせいか、事の始末にかかる費用を心配してか、少し不機嫌な様子。
「ヨロシクお願いします・・・」
と、困惑の表情を露に私に頭を下げた。

責任者は、管理会社の管理職。
紳士的な人物で、物腰も穏やか。
「こういう経験は初めてなものですから、色々教えて下さい」
と、師に向かうかのように私に頭を下げた。

管理人は、その管理会社に有期契約で雇われた現地スタッフ。
組織上は、責任者の部下にあたり、マンション1Fに住み込み勤務。
自分の仕事場で孤独死が発生したことに戸惑っているのか、はたまた、上司が同席しているせいか緊張の面持ち。
とにかく落ち着かない様子で、意味もなくペコペコ。
「どうも・・・」
と、少しオドオドした感じで私に頭を下げた。

部屋には重汚染と重異臭があり、原状回復には大規模な内装改修工事が必要な状況。
打ち合わせの結果、費用は遺族が負担、実務は管理会社が主導するかたちで作業を進めることに。
そして、部屋も、特殊清掃から内装改修工事まで、一貫した流れで原状回復させることになった。


翌日の朝。
特掃をやるために現場を訪れた私は、まず管理人室へ。
前日に挨拶を交わした管理人はそこにいたのだが、どことなく雰囲気が違う。
前日は無口で身体を小さくしていたのに、まるで別人のように口は滑らかで椅子にふんぞり返っている。
そして、私とは親しい間柄でもなければ、縦関係もないのに、口から出るのは命令口調が混ざったタメ口。
前日の様子から、管理人のことを“謙虚で大人しい人物”と判断していた私は、気持ちの悪い違和感を覚えた。

「作業の日時を事前に連絡し許可をとること」
「土日祝祭日と夜間には作業を行わないこと」
「エレベーターは使わないこと」
「出入りを他の住人に見られないようにすること」
等々、管理人は、作業をする上での注意点を私に伝えた。
まぁ、その辺のところは理解できることだったので、私は、二つ返事で承諾した。
しかし、納得いかなかったのは、その口調・言葉遣い、物腰・態度。
「何様のつもりだ!?」
と思ってしまうくらい高慢横柄で、私は、不満や不快感というより戸惑いと嫌な予感を感じた。

そして、困ったことに、その嫌な予感は的中した・・・

「異臭がする」
「他の住民から苦情がきてるから、至急、対処しろ」
と、その翌日、管理人は電話を入れてきた。
が、私だって素人ではない。
特掃はもちろん、必要な一次作業はしっかりやったわけで、異臭の漏洩が想像できず。
が、万が一ということもある。
私は、その日のスケジュールを調整し、焦って現場に駆けつけた。

到着した現場は特に何も起こっていない。
特掃した部屋の前も、その周辺も異臭は感じられず。
そもそも、他の住民には極秘でやっているわけで、苦情がでているなんてことは考えにくい状況だった。
それでも、管理人は、
「今は平気だけど、朝はクサかった」
と、胡散クサい言い訳をしてきた。
その上、目張りなんか必要な状況ではないにも関わらず、
「ドアを外側から目張りすると目立つから、内側から目張りしろ」
なんて、無茶なことを言ってきた。
しかし、そこで楯突いて嫌われるのは得策ではない。
結局、泣き寝入るかたちで消臭剤を撒き、苦心して目張りのテープを貼り、その場を収めたのだった。

それ以降も管理人は、
「廊下が汚れている」
「ゴミが落ちている」
「エントランスのガラス扉に指紋がついている」
「共用廊下の窓が開けっ放しになっている」
「壁にキズがついている」
等と、当方に責任がないことでも、勝手に決めつけて文句を言ってきた。
また、同じ質問を何度も繰り返し、似たような書類を何度も提出させ、同じ小言を何度も言ってきた。
そして、ことある毎に、私を現場に呼びつけた。

この管理人は、まさに、人を虐めることで自分を満たすタイプ、人に八つ当たりすることでストレスを解消するタイプ、そして、自分より立場が上の人間には弱腰なくせに、自分より立場が低い人間には、とにかく偉そうにしたいタイプの人間。
何を命じても業者がペコペコと従う様が愉快だったのか、どうみても悪意をもって意地悪をしているようにしか思えなかった。

私の腹には、そんな管理人に対する鬱憤が蓄積されていった。
何度か責任者に相談しようかと思ったことはあったけど、それも幼稚なことのように思えたし、それが原因で管理人の嫌がらせがエスカレートしたら余計に困る。
とにかく、管理人を敵に回したら仕事がやりにくくなるだけ。
また、自分だけではなく、仲間にも迷惑をかけてしまう。
だから、私は、少しでも管理人に気に入ってもらえるよう、自分を押し殺し、我慢に我慢を重ね、細かなことでも「ハイ!ハイ!」と、管理人が言うがまま丁稚のように動いた。

そうして数週間、何とかたどり着いた部屋の完成。
あとは、責任者の確認と了承をもらって部屋を引き渡すだけとなった。
ところが、この期に及んでも、管理人は、
「クローゼットの扉の色が前のモノと違うから交換しろ」
と、自分の仕事の範疇ではないことを言ってきた。
ただ、建材・建具の材質・色調が原状と異なることについては、見積書をつくった段階で責任者の了解をとっているし、契約書にも記してある。
当方の落ち度ではないことは明白。
だから、その旨を冷静に説明すれば済む話だった。

ところが、私は、いとも簡単にキレてしまった・・・というより、まるで、キレるタイミングを待っていたかのように、躊躇うことなくキレた。
仕事完了の安堵感と、こちらの正当性が証せる書面を持っている強みが、溜まりに溜まった鬱憤のマグマを押し上げ、とうとう私は大噴火。
「いい加減にしろ!なんでも言うこときくと思ったら大間違いだぞ!コラ!」
と、私は管理人を一喝。
そして、
「これはアンタの指図を受けるようなことじゃねぇよ!」
「責任者の了承をとってるんだから!」
「文句があんなら責任者に言えよ!」
と、“この際、言いたいことを言ってやれ!”とばかりに、我慢せず、次から次へ頭に浮かんでくる言葉を言い放った。

管理人は、いつも通り私が「ハイ!ハイ!」と言うことをきくと思っていたのだろう。
しかし、予想に反してキレた私に驚いた様子。
「こ、ここの責任者は俺だ!会社は関係ない!」
と、しどろもどろで、訳のわからないことを言い出し、争う姿勢をみせた。
しかし、子供の頃から口答え(だけ?)は得意な私。
口でも理屈でも管理人に負ける要素はなく、私は自信満々で応戦。
口論の中、次第に口数が少なくなる管理人に、私は容赦なく口撃を続けた。
そうして、防戦一方で負け戦になることがみえてきた管理人は、
「もう、お前は、うちのマンションに出入禁止だ!」
と、幼稚なことを言って一方的に電話を切り、逃げ去ったのだった。


部屋を引き渡す日。
責任者と日時を約束していた私は、
「出入を禁止した俺が現れて、管理人はどんな顔をするだろう」
と、意地悪な気持ちをもって現地を訪れた。
そして、
「また妙な言いがかりつけてきたら、我慢せず言い返してやろう」
と、頭のギアをいつでも戦闘モードにシフトできるようニュートラルに入れてマンションに入った。

事情を知ってか知らずか、責任者は変わらず紳士的で、労いの言葉を織り交ぜながら、私に丁寧に挨拶をしてくれた。
が、管理人の方は気マズいとみえて、私と視線を合わさず。
また、前回の電話で「出入禁止!」と怒鳴ったくせに、そこでは何も言ってこず。
一言も言葉を発さず、最初に会った時と同じように、無言のまま身体を小さくしているばかりだった。

私から管理人に用はない。
したがって、話しかける必要性もない。
こんな人物(管理人)でも、世話になったことも少なからずあったはずだけど、不快感や不満の方が大きすぎて、それがただの社交辞令だとしても、到底、礼を言う気持ちにはなれず。
私は、自分の中で小さくイキがりながら、終始、管理人を「無視」というか、そこにいないものとしてスルーした。

結局、私と管理人は、一度たりとも目を合わさず、一言たりとも言葉を交わさず。
もちろん、管理人の方から挨拶してきた場合、無視するのはあまりに無礼だから、その場合に応える用意はあった。
しかし、管理人も黙って下を向いたまま。
最後くらいはキチンと挨拶して別れるべきだったのかもしれなかったけど、意地悪な私は、そこまで大人になれず、ちょっと苦い後味を残して、そのまま、その仕事を終えたのだった。


私は、もともと気が短い。
歳を重ねて少しは気長になってきた感もあるけど、ちょっとしたことで、すぐにカッとなる。
自分一人でカッとなるだけならいいけど、それを誰かに向けてしまった後は悔いることも多い。
また、原因が小さければ小さいほど、残念な自分を知ることになる。

人の理性と良心は、そんな自分を反省させ、あらためるための努力を促す。
それでも、深い部分を変えることは容易ではなく、ふとした時に、またカッとなる。
それを繰り返すことで人は成長するのだろうけど、自覚の部分では成長が見えないことがほとんどで、それが苛立ちの原因になったりする。
だけど、それが、間違いのない自分、どうにも変わらない自分のだから、それで自分を押さえつけすぎないことが大切かもしれない。

愚かだろうが弱かろうが、葛藤の中に生まれるその人間味が自分を熱くし、人生を面白くしてくれるかもしれないのだから。


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自己不満足

2016-03-10 09:06:09 | ボランティア
“死”のニュースは、毎日、世界中を駆け巡っている。
遠い世界だけのことではなく、それは、身近なところでも起こっている。
それを見れば、“死”というものは、いつ訪れてもおかしくないことがわかる。
人を死に至らしめるのは老いや病気が多いのは間違いないけど、それだけではない。
“生”というものは常に“死”と隣り合わせであり、人は、いつ死んでもおかしくない状況で生かされているのである。

あまりにインパクトが強すぎて、地が大きく揺れた恐ろしさが、まるで昨日のことのように思い出されるが、あれから明日で五年。
2011年3月11日の朝、その日で自分の人生が終わることを知って仕事や学校に出かけた人はどれだけいただろうか・・・
多分、一人もいなかったはず。
それでも、多くの人の人生が終わりを迎えた。
そして、それぞれの意思に関係なく、残された多くの人の人生が予期せぬ方向へ流されていった。

それでも、五年という時間は変わりなく過ぎた。
そして、過ぎた時間の分だけ、非被災地にとっての震災は遠くにぼやけていった。
それが、時間が持つ優しさでもあり冷たさでもある。
だからか、この時期以外、普段は、あまりニュースにもならなくなった。
どうでもいいように思える有名人のスキャンダルは飽き飽きするほど繰り返し報道されるのに、震災のニュースは、まるで“旬”でもあるかのように一時的なものになっている。
しかし、今でも、困っている人はたくさんいる。
長い苦しみに耐えている人はたくさんいる。
そして、ボランティアで、それを支えている人もたくさんいるのだろう。

当時、知人の中には、積極的に物資や義援金を募り、現地に送った人がいた。
そして、実際に、奉仕に参加する人もいた。
私も、衣類・タオル類・毛布・布団・水・食料、そして少々の金銭・・・
自分の手元に余っているモノを、支援物資として提供した。

しかし、身体は動かさなかった。
“動かせなかった”のではなく“動かさなかった”。
もちろん、給料を失う覚悟で長期休暇をとれば(もしくは退職すれば)行けなくはなかった。
しかし、そこまでの熱意もなければ覚悟も持てなかった。
そもそも、ボランティア活動に従事する人の多くは、長期休暇がとりやすい公務員や大企業の社員とのこと。
零細企業で不安定な仕事に従事する私のような者は、他人様を助けに出る余裕がない。

ただ、私の場合、“余裕がない”という以前に、その精神がない。
“人にために何かをやる”なんて思考回路を持ち合わせていない。
ついでに言うと、三食や酒を減らしてまで義援金を出そうとも思わない。
つまり、“自己犠牲をともなう支援はしたくない“ということ。

更に、それに対して、大した罪悪感はない。
もちろん、“俺が悪いんじゃない”とか“俺の責任じゃない”等と、開き直っているわけでもないけど、そんなに罪なことだとは思っていない。
これを「悪」と呼ぶかどうかはさておき、どちらにしろ、あまり好ましい人間ではないだろう。
それは、わかっている。
が、小さな罪悪感や後ろめたさを、小さな罪悪感や後ろめたさを抱くことでごまかしている。
結局のところ、自分が一番かわいいから。

「人間なんてそんなもの」
「皆、似たようなもの」
そんな考えに逃げ道をもらうこともあるけど、悲しいかな、それは自分がそんな人間でいい理由にはならない。
これは、自分個人、一人の人間の問題。
物事の良し悪しは、多数決で決まるものではない。
「多くの人がそうなのだから、自分もそれでいい」
なんて理屈はまったく成り立たない。

私は、自分を“心のあたたかい人間”だとは思っていない。
このブログにおいて、“心のあたたかい人間”であるような風体を醸し出してはいるけど、わりと冷たい人間。
だから、何事も、自分本位。
自分にとって自分は世界の中心。
標準であり、基準であり、常識。
何をやるにも、まずは自分のため。
他人のためのように見えることも、まずは自分のため。
自分さえよければ、それでいい。
すべての動機は、“自分のため”からきている。

何年も前になるけど、自殺現場に残されていたチビ犬を引き取ったときもそう。
“犬のためを思って引き取った”みたいな雰囲気でブログを書いたけど、実は自分のため。
犬を見殺しにすることによる罪悪感や後ろめたさを抱えるのがイヤだったから。
犬を引き取ることによって善人気分を味わいたかったから。
そして、それを回りに言うことによって、賞賛を浴びたかったから。
所詮、動機はそんなところである。
もちろん、それでチビ犬が救われたこともたくさんあると思うし、一緒に暮すようになってたくさんの幸せが生まれたことは事実だけど、ただ、それは二次効・三次効。
まずは、自分のためだった。

仕事もそう。
目的の本質は“自己満足”。
“世のため、人のため”でもなければ、“会社のため”でもない。
金銭獲得のため、人格形成のため、自己研鑽のため、あくまで自分のため。
人や社会への貢献があるとするなら、それは、二次効・三次効。
結果の実であり、私が第一に求めているものではない。

頑張っている自分を褒めながら、頑張っている自分を慰めながら、
頑張れない自分を嘆きながら、頑張れない自分を憂いながら、
得は増やさず、歳ばかり増やして、
「自分のため」「自分のため」と、私は、生きている。

それが悪いとは思わない。
ただ、そんな自分の窮屈さと満たされない現実に、時にフテ腐れ、時に苛立っている。
そんな自分に満足しているわけでもない。
しかし、自分では、どうしようもないのである。


インフルエンザにかかって以降、なんだか調子が悪い。
食欲は戻っているし、ウォーキングも、たまの晩酌も再開できているので、身体は、ほとんど回復したと思う。
そして、思考がおかしいのも、精神の調子が悪いのも、今に始まったことではない。
何と言うか・・・その類じゃなく、気分がイライラするというか、クサクサすることが多いのだ。
それが、よくない状態であることが自分でわかっていながら、どうすることもできない。
自分で自分の心は変えられない。
反面、自分の意を無視したところで、簡単に変わる。
その軽率さに翻弄されて、キレそうになることもある。

これだけ、めいっぱい利己的に生きている私なのに、何故、満たされないのだろうか。
利己的すぎるからか・・・
欲が大きすぎるからか・・・
「自分のため」と思ってやっていることが、本当は、自分のためになっていないからか・・・
心を満たしてくれるモノを見当違いしているのか・・・
心の持ち方が間違っているのか・・・

私は、自分の欲求を満たすモノで心を満たそうとしているから、いつまでたっても、満たされないのかもしれない。
本当に心を満たしてくれるのは、自分の欲求しているモノではないのかもしれない。
例えば、チビ犬と暮すことによって与えられた幸福感とか、人から感謝されることによって気づかせてもらう自分の存在価値とか、一生懸命働くことによって得られる平和な生活とか、そういったもの。
自分の欲が追う目先の一次効ではなく、その向こうにある二次効・三次効こそが、真に自分の心を満たしてくれるものなのかもしれない。

満足感を高めるには、心の持ち方を変えることが必要。
利己的な思考に支配されないよう気をつけ、
無駄な欲を持たないよう心がけ、
得ることよりも、まずは、与えてみることを志向し、
どこかに、人の幸せで満足できる自分がいないか探し、
そして、自分の心と冷静に向き合い、自分の心を賢明に整える。
そんな人間になれれば、自分の満足度を上げることができるかもしれない。

ただ、私が、そういう人間になるには、まだ、しばらくの時間と修練が必要。
いや・・・一生かかっても、そうなれない可能性も充分にある。
だけど、この隙間だらけの心を持つ者は、それを埋める何かを探すくらいのことはできるかもしれない。

とにもかくにも、気分が優れないときは汗をかくにかぎる。
我武者羅に、無心で、ひたむきに、目の前の事象にあたるにかぎる。
重作業に従事すれば身体は重くなるけど、その分、心の荷は軽くなるような気がする。
汚仕事に従事すれば身体は汚れるけど、その分、心の垢はとれるような気がする。

クサクサした気分を持て余している私は、この重苦しい生業が生みだす“きれいごと”という名の真実を心にかき集めて、その隙間を埋めようとしているのである。


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孤軍糞闘

2016-03-04 09:40:27 | 特殊清掃 消臭消毒
しばらく更新していないうちに、暦はもう3月。
外は、日に日に春めいてきている。
寒くて暗い冬は何かとツラいことが多いので、春は大歓迎・・・
なんだけど、このところの私は、心身ともに不調が続いている。

滅多に風邪なんてひかない私なのに、先月中旬、風邪をひいてしまった。
異変に気づいたのは、2月16日(火)の夜。
腹は減っているはずなのに、思うほどモノが食べられず、妙に思った。
そして、翌日。
倦怠感・食欲不振・発熱・喉痛・間接痛・頭痛・咳・鼻水etc・・・一通りの症状がではじめた。
ただ、その時点ではまだ軽症。
「一晩、二晩、辛抱すれば治るだろう・・・」
と、高を括って、特段の策を打たず放置してしまった。

病原は、B型インフルエンザ。
どうも、同僚からもらったようで、私の他にも同僚二名がダウン。
結構な重症で、二人は長期休暇を余儀なくされた。
しかし、悪化の一途をたどる症状の中にあっても、私は、仕事を休むことができず。
自慢すべきことなのか、悲しむべきことなのか、代役を立てられない仕事を何件か抱えていたためだった。

そのうちの一件は、終活イベントでの講演。
わずか45分の話だったのだが、それなりに前準備も必要で、急に代役を立てるわけにはいかなかった。
もう一件は、指名付きの現地調査。
わざわざ私を指名してくれるなんて、とてもありがたいことなので、病を押して出張っていった。

そして、代役を立てられなかった仕事の最たるもの・・・“メインイベント”は、便所特掃。
しかも、特掃屋に頼んでくるわけだから、フツーの便所ではない。
便器には、糞便がテンコ盛り。
例えるなら、大盛カキ氷のような状態でエベレスト級。
最後のほうは、一体、どういう姿勢で用を足していたのか、不思議に思えるくらい。
そして、便器に乗り切らなくなった糞便は床に堆積。
便器の手前の床には富士山級の糞山が形成され、二つの糞山の麓には糞野が広がっていた。
更には、配管が詰まっている可能性が高く、また漏水する危険もあったため、水は使えず。
体調が悪くないときでも、この便所掃除には、相当の覚悟と気合を要するのに、よりによって、そのときはインフルエンザの真っ只中。
車に乗っているだけでもツラい状態だったのに、その上、特掃をやらなければいけないなんて・・・
腹が立つやら悲しいやら、身体だけでなく精神のほうも相当なダメージを喰らってしまった。
そして、あまりの惨状を前に、弱音を吐く自分に言い訳する気持ちさえ萎えていった。
しかし、こんな現場を処理できるのは、うちの会社でも特掃隊長くらい。
しかも、事前の現地調査から契約まで、一貫して私が担当していたわけで、本番だけ逃げるわけにはいかなかった。

部屋の住人は入院中で、帰宅予定は立っておらず。
この仕事の依頼者は、住人の親族で、鍵も私に預けてくれていたし、特段の期日も設けられておらず、作業スケジュールは、私の裁量で決めることができた。
だから、作業を延期することが、自然と頭を過ぎった。
しかし、どちらにしろ、この作業は、自分がやらなければならない。
そして、多くの場合、目の前の現実から逃げても何も好転しないことも知っていた。
何もしないで退散することに抵抗を覚えた私は、無理のないペースで仕事を進めることに。
頭に描いた作業手順に則って装備を固めながら、
「最後までやれなくてもいいから、できるところまで頑張ろう・・・」
と、弱った心身に余計な負荷がかからないよう、あらかじめ目標までのハードルを下げた。
それから、意を決し、作業の安全を祈願する地鎮祭でも行うかのように持ってきた小型のシャベルを糞便山に差し込み、作業をスタートさせた。

“便所特掃”は、大きく三つのカテゴリーに分けることができる。
一つ目は“腐乱死体系”、二つ目は、“ゴミ部屋系”、そして三つ目は今回の現場のような“糞尿系”。
私が踏んできた現場では、三つそれぞれに“伝説”が生まれているが、今回の便所は“糞尿系”の第二位にランクインするレベル。
いきなり“二位”に躍り出るくらいのレベルだから、相当のモノであることがわかるだろう(わからないか・・・)。

ちなみに、これで“二位”ってことは、“一位”はどれだけのモノか、興味を覚える?
ただ、それを文字で表すのは難しい。
あえて言うなら、今回の便所は「糞便山野」、一位の便所は「糞尿山沼」。
あとは想像に任せるしかないけど(想像できるわけないか・・・)、そんなのを掃除するわけだから、ちょっとイカれてないとできないかもしれない。

やはり、身体は、かなりしんどかった。
だから、作業中、頻繁に休憩をとらざるを得なかった。
時折、陽の当る奥の部屋で横にならせてもらったりもした。
ただ、そんな状況でも、作業は確実に進めた。
足元はウ○コまみれ、身体はウン粉まみれ・・・もう、ヒドい有様になりながら。
そうして、いつもの何倍もの時間をかけて作業を完了させた。
しかし、達成感なんかなく、あったのは、少しの安堵感と大きな疲労感と倦怠感のみ。
私は、作業終了の余韻に浸る余裕もなく、重い身体を引きずるようにして部屋から車へ移動し、座席に身体を放り投げて、しばし呆然としたのだった。


結局、不調は二週間くらい続いた。
その間、日課のウォーキングも中断。
立っていることもままならないのに、歩けるわけがない。
また、食欲がでず、食事をまともに摂ることもできず。
もちろん、酒も飲めず。
少しも「飲みたい」なんて思わなかった。
しかし、何か食べないと身体がもたない。
結局、バナナ・リンゴ、プリン・ゼリー、そして、栄養ドリンクetc・・・そんなモノを口に入れながら、日々をしのいだ。

風邪は治ったはずなのだが、今もまだ、咳が残る。
食欲は、ほぼ元に戻っている。
ただ、体力は落ちてしまった。
体重もだいぶ減ってしまった。
また、倦怠感が抜けない。
精神が萎えたままで、明るい気分になれないでいる。
できるだけ食べるようにし、ウォーキングも再開したから、徐々に復調してくるだろうけど、ゆっくり養生できなかったことが、そのまま将来を暗示しているみたいに思えて、私の心に暗い影を落としている。


とにもかくにも、「健康」は宝物。
そして、健康はすべての源。
金や時間がどんなにあっても、健康がなければ、それらを活かすことはできない。
そうは言っても、病気やケガは、自分に力で防ぎきれるものではない。
どんなに用心していたって、ケガをすることもあれば病気にかかることもある。
残念ながら、その大半は、自分の力ではコントロールできないもの。

しかし、健康は、水や空気と同じように、あることが当り前のように錯覚し、普段は気にも留めない。
この世の中には、人の目を惹くものが他にたくさんあるから、意識がそっちにもっていかれる。
目に見えるモノは感謝の対象になりやすいが、目に見えないモノは感謝の対象になりにくい。
だから、日常では、なかなか健康の“宝性”に気づくことができない。
しかし、いざ、病にかかったりケガを負ったりすると、それを痛感する。

普段は、不平・不満・不安だらけの生活を送っている私。
欲しいモノがたくさんあり、不足に思うことも多々ある。
何もかも面倒臭く感じるときも多ければ、何もかもが煩わしく思えることも多い。
そして、大したことはやっていないのに、すぐに疲労感と虚無感に苛まれる。
けど、事実、「健康」というかけがえのない宝物が与えられている。
そう考えると、私のような知恵のない者には、たまの小病や小ケガは必要かもしれない。

もちろん、大病や大ケガは困る。
また、大病や大ケガ等で難儀している人と自分を比べて、「何かを感じる」「何かを思う」「何かを受け止める」という類の思考は賢くないような気がする。
私は、あくまで、自分個人として、何を感じるか、何を思うか、何を受け止めるか、そこのところに焦点を当てて、“健康の宝性”を肝に銘じたいと思う。


傍から見れば、便所特掃なんて極めてヘンテコな仕事だろう。
蔑むことはあっても、憧れることなんてないだろう。
唖然とすることはあっても、感心することなんてないだろう。
使命感もないし、誇りなんて、とても持てやしない。
あくまで生活のため。
それでも、それでも、私は、「仕事ができる」「そのための健康が与えられている」という喜びと感謝の気持ちは持つべきだろうと思う。

人生なんて、孤独な戦いの連続。
正直なところ、このカッコ悪い仕事と格闘しながら一生を終えていくことを想うと、全然 元気がでないけど、このまま終わってしまうことを考えると震えがくる。
刻一刻と残り少なくなっている人生を、不完全燃焼してくすぶっているのはイヤ。
本当は、私は、もっと頑張りたい。
もっと頑張れる人間になりたい。

私は、病み上がりの自分が教えてくれているこの感覚を心に刻みながら、頑張って生きる上で必要な知恵と力を得るため、孤軍奮闘していきたいと思っているのである。



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