特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

死に場所

2006-08-31 09:53:53 | Weblog
自分の死については、色々と興味がある。
その中で最も気になるは、やはりその時期。
今の私は、「元気で長生きしたい」と思っている。
過去には、そう思わなかったこともある。
勝手なものだ。

次に気になるのは、その場所。
可能性として高いのは、やはり病院。
健康を取り戻し、生命を永らえることが本来の目的(役割)である病院が、皮肉なことに、多くの人の死に場所となる。
死を前にすると、いかに人が無力であるかを物語っている。
まぁ、仕方のないことだろうが、病院を自分の死に場所とするのは、何となくさえない感じがする。

「だったら、どこがいいのか?」ときかれても答えに困るし、残念ながら答を用意しておいたところでそれは何の役にも立たないだろう。

特掃現場には、風呂・トイレ・寝室が多い。
その場所でコト切れる人が多ということ。

風呂で死ぬ場合、浴槽の中に入ったままの状態が多い。
更に、追焚き機能が動いたままで煮えていたであろうケースも少なくない。
入浴の際は、むやみに高温の湯に肩までドップリつかるのは避けたいところだ。
また、飲酒後の入浴も。
やはり、低めの湯温での半身浴がおすすめ。

トイレで死ぬ場合は、便器の汚染具合から想像して、用を足している最中が多いと思う。定かではないが。
ふんばる時、歯を食い縛ると血管が切れやすいらしい。
なかなか力を入れにくいかもしれないが、口を開けて用を足した方が安全だと聞いたことがある(ガセだったらゴメン)。
口を開けておくことによって、力み過ぎを防ぐことができるとのこと。

布団で死ぬ場合は、やはり寝ている時が多いと思う。
ん?
これって結構ベターな死に場所?
腐乱してしまうと色んな人に迷惑をかけてしまうけど、本人にとっては悪くないことかも。

人生の最後を自宅の布団で迎えるなんて、理想かもしれない。

死に場所は自分で選べない。
「俺はどこで死ぬことになるんだろうなぁ」
どこであろうと、穏やかな死を迎えたいものだ
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うにどん!

2006-08-29 09:05:07 | Weblog
「食欲増進の巻」

私が初めてウニを食べたのは大人になってからである。
「美味!」と聞いていたウニは、私にとっては生臭くて食感も悪く、とても美味とは言えなかった。
美味しく感じなかった一番は原因は、食べ慣れていなかったせいかもしれない。
でも、何度か食べているうちに少しづつ味が分かってきて、だんだん好きになってきた。
今は、「大好物」とまではいかないけど好物の一つになっている。

そんな私は長い間ウニ丼に憧れを持っていた。
それまで、私の口に入る ウニは回転寿司の軍艦巻程度。多分、安物。
「テレビのグルメ番組にでてくるようなウニ丼を一度は食べてみたいなぁ」と、ずっと思っていた。
東京でも数千円だせば食べられるのだろうが、馴染みの寿司屋なんかない私には、美味しいウニ丼がありそうな寿司屋に飛び込む度胸もなく、結局いつまで経っても食べられずじまいだった。

二年程前になるだろうか、そんな私にウニ丼が食べられるチャンスが巡ってきた。
親しくしている人に海の近くの寿司屋に連れて行ってもらった時だ。
酒が入っていたせいもあるのだろう、ウニ丼に対する想いを熱く語ってしまった私。
カウンター越にそれを聞いていた板前が、「ウニ丼、出しましょうか?」「うちのは自慢のウニですから」と言ってくれた。

板前は、店のメニューにはないウニ丼を、わざわざ私のために作ってくれたのだった。
目の前に出て来たウニ丼は、私が期待していた通り、鮮やかな黄色で一つ一つが大きくホッコリしている。
決して溶けだすようなことはなく、表面のツブツブ感もしっかりあった。
私がいつも食べているような軍艦巻ウニとは大違い。

それを見て、増々テンションを上げた私。
テレビのグルメリポーター張りのオーバーリアクションでウニ丼を一気に掻き込んだ。
その食感はシッカリとあり甘味もコクも格別、本当に美味かった!

積年の望みを果たした喜びとウニの甘味がプラスされて、何とも言えない幸せなひと時だった。

一度食べればもう満足。
今は、ウニ丼への熱い想いは落ち着いている。



「食欲減退の巻」
場所は、寿司屋ではなく風呂場。

浴室のいたるところに付着している焦茶色の腐敗液と、あちこちに貼り着いている皮が、警察の遺体回収が困難を極めたことを物語っていた。
特に、浴槽の側面に垂れたまま乾燥していた腐敗液は視覚的にグロテスクだった。

浴槽の中を覗いて見ると、底に何がが溜まっている。
皮とウジは分かるものの、あとは何なのか判別不能だった。
まぁ、人体の一部の末路なんだろうが。

幸いなことに排水口は詰まっていなかった。
風呂やトイレの場合、排水口が通っているか詰まっているかは私にとっては天地の差がある。
通っていると俄然やる気がでてくるし、詰まっていると意気消沈してしまう(意気地がない?)。
始めに固形物を除去。
皮・髪・ウジ、そして得体の知れないモノ。
皮と髪は浴槽に貼り着いており、削り落とした。
大量のウジは一匹一匹を相手にはしていられない、まとめて掬い取るしかなかった。
それらはまとめて汚物容器に。

そして、私は得体の知れないモノに手をだした。
表面は茶色、固いモノだと思って道具を当てたら中からドロッと黄色い半液体がでてきた。

「何だこりゃ?」
「なかなか珍しい色だなぁ」
と思いながらそれも容器に取った。
ウジ山はその汚物に隠れた。

固形物を取り除いたら、あとはひたすら戦場・・・いや洗浄。
排水口が通っているということは水が流せるということで、気持ちいいくらいにきれいできた。

さて、最後に廃棄物のチェック。
私が汚物容器に見たものは、そう・・・。


いつかまた、美味しいウニ丼を食べたい。
頑張って仕事しよう。
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世のため人のため?

2006-08-28 08:24:56 | ボランティア
「人の不幸につけ込んで金儲けをしているような気がする」
昔、後輩スタッフからこう相談されたことがある。
「警察だって、消防だって、医者だって、宗教家だってタダで働いている訳じゃない」
「何でも無償でやることが正しいことか?」
「死体業に先入観を持つのは世間に任せておけばいい」
と、私は彼の悩みを掃いのけた。

「この仕事って、値段があってないようなものでしょ」
ある依頼者から皮肉られたことがある。
「どんな商品やサービスの価格も、コスト+利益で構成されていることに変わりはないですよ」
「○○さん(依頼者の名前)の仕事は利益を取らないでやっているのですか?」
「申し訳ありませんが、ボランティアでやってる訳ではありませんので」
と、私は依頼者の皮肉を一蹴した。

私の仕事は人の死に直接関わるものなので、それを知った人からは良くも悪くも一目置かれる。
私は、死体に群がるハイエナ、いやハエ?・・・ウジかも?
世間からそう見られても仕方がない面があるし、自分の中にも葛藤がないわけじゃない。

仕事に疲れを覚えたりストレスを感じることは誰だってあると思う。
そして、あまりに疲れたりストレスを抱えたりすると、何のために仕事をしているのかが分からなくなることがある。
生きるために仕事をしているのではなく、仕事をするために生きているような日が続くと、気分も滅入ってくる。

そんな時は私も「何のために仕事をやっているのだろう」と思うことがある。
世のため人のため?
とんでもない!
そんな考えは微塵もない!
私は、金のため自分のために仕事をしている。
生きるために仕事をしている。
「仕事のやりがい」「仕事による自己研鑽」「仕事を通じての社会貢献」なんて二次的・三次的なオマケみたいなもの。
まずは、自分が生きるためだ。

「世のため人のため」なんて、たまには格好をつけてみたいけど、とてもそんな大ウソはつけない。
好意でやる+αの作業も所詮は仕事の範疇。
ビジネスとして成り立たなくなるまでは踏み込まない打算がある。
正直なところ、依頼者に満足してもらい、喜んでもらうことは一次的な目的ではない。
大きな成果・やり甲斐ではあるが結果でしかない。

無償・有償にこだわらず世のため人のために仕事ができる人、または、そういう心構えで仕事をしている人は立派だと思う。
そういうことが苦もなくできる人が羨ましい。
「そんな人間になれたらいいな」と思っても、結局は、自分が一番かわいいし自分が一番大事。
そして、楽をしたい。
私は、どうしても、元々の自分を捨てる(変える)ことができない。

自分のためだから耐えられる。
自分のためだから頑張れる。
好意の作業も善意の仕事も、回り回って結局は自分のためにやっていること。
決して、世のため人のためじゃない。
私は、そんなケチな男。

でも、生きているうちに一度くらいは人のために何かをしてみたい。
人のために何かができるような人間になってみたい。
偽善も打算もなく、純粋に。

せっかく人間に生まれて来たんだから。
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探し物(後編)

2006-08-27 12:04:46 | 腐乱死体
何日か後、依頼者の女性と現場で待ち合わせた。
女性が、現場となった故人(母親)の家を訪れるのは初めてとのこと。
女性には敷居が高過ぎて、今までずっと来ることができなかったらしい。
女性と故人は、それだけ疎遠な関係だった。

初めて顔を合わせた我々だったが、初対面のよそよそしさはなかった。
共に戦う同士みたいな感覚。

骨を見つけられなかったことをあらためて詫び、毛髪を取っておいたことを初めて知らせた。
私が好意でやったことでも、女性の気分を害してしまうことも有り得るので、慎重に話した。

幸いなことに、女性は喜んでくれた。
そして、また泣き始めた。
白い綿に包まれた毛髪を握り締めて、絞り出すような声で「お母さん、お母さん・・・」と。

女性には、それなりの過去があった。
親の言うことにも耳をかさず、若い頃には放蕩の限りを尽くしたらしい。
ここでは明かせないが、女性の身体的特徴もそれを物語っていた。
家族にも随分と迷惑をかけたであろうことは容易に想像できた。

そのせいで、親族からもやっかい者扱いされ、ずっと疎遠にされたまま。
身内の中で完全に孤立しており、葬式にも参列させてもらえなかったそう。

女性が本当に欲しかった物は、遺骨なんかじゃなく母親への謝罪と親孝行をするチャンスだったように思えた。
この半生、それを探し続けて生きてきたのに、ずっと見つけることができなかった。

私は、例によって勝手な自論を展開した。

「お母さんは○○さん(女性の名前)のことをとっくに赦してくれていると思いますよ」
「だから、腐乱してまでも○○さんが来るのを待っていてくれたんじゃないですか?」
「お母さんが腐ってくれたお陰で、他の親族に見つからずに来ることができた訳ですよね」
「きっとお母さんは、○○さんに重荷を降ろすチャンスをくれたんですよ」
「○○さんの将来を大事に想ってね」

失礼な暴言なのか、いいアドバイスなのか分からないようなコメントになったが、女性は泣きながら頷いて聞いていた。

「親孝行、したい時に親はなし」
「親の心、子知らず」

生前は大したことはできなくても、とりあえずは親より後に死ぬことが大事な親孝行だと思う。
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探し物(中編)

2006-08-26 08:53:24 | 腐乱死体
依頼者の女性は、母親の遺骨探索を私に頼んだことを他の親族には知られたくないようだった。

どんな事情があるのか分からなかったけど、他の親族の手前、何かと神経を使う仕事になった。

作業は、覚悟していた通り過酷なものとなった。
「ビーフシチュー」を彷彿とさせるレベル。
腐敗粘土をすくっては解して骨を探す。
ひたすらそれの繰り返し。
腐敗粘土は軟らかいモノから硬いモノまである。それらを一切合切すくっては中を探ったのである。

腐敗粘土をほぐすのは手作業。
小骨を探す細かい作業に道具は使えない。
自分の視覚と手の感覚だけが頼りだった。

もちろん、便器の中にも手を突っ込んだ。
「ウ○コor腐敗粘土、どっちがマシかなぁ」等とくだらないことを考えながら(過酷な現場には、くだらない思考が必要)。
そんな私の手(もちろん手袋装着)は汚物でヒドイことになっていた。
例によって食べ物に例えてしまうが、糠床を混ぜた後の手みたいに。

「俺って、よくこんなことができるよなぁ」
自分に呆れるような、自分が惨めなような、自分を褒めたいような、何とも言い難い気分だった。
私は、プレッシャーと疲れを感じていた。
特掃作業の結果として骨を見つけた経験はあるものの、始めから骨を探すことが目的の作業には独特の重圧を感じていた。
そして、私の念いとは裏腹に、いつまでやっても骨らしきモノは見つからない・・・残りの汚物はだんだん少なくなっていく・・・。
焦りからか、ウジが何度も骨に見えてしまい悔しい思いもした(ここでもウジにやられっぱなし)。

途中から、私は毛髪を取り避けた。
毛髪なら汚物の中にたくさんある。
「骨がでてこなかった場合の代替物にできるかも」と考えたのだった。

結局、残念ながら、最後まで骨がでてくることはなかった。
私が見逃した可能性も否定しきれないけど、「やれるだけのことはやった」と自分を納得させた。
私は集めた毛髪を洗剤で丁寧に洗った。
脂の悪臭がなかなか落ちなくて、何度も洗い直した。

私は女性に電話をして、先に骨が見つからなかったことを報告した。
そして、確認のため近いうちに現場を見に来てほしい旨も。
女性は、労いの言葉をかけてくれながらも、落胆していた。
私は申し訳ない気持ちになったが、「仕事の成果は約束していないから・・・」と、内心で言い訳をして自分をごまかした。

正直、この仕事はこれでおしまいにしたかった。
しかし、女性と話しているうちに「他に役に立てそうなことがあれば言って下さい」と話していた。
女性に泣かれると弱い・・・。

つづく
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探し物(前編)

2006-08-25 08:23:20 | 腐乱死体
特掃現場では、何らかの探し物を依頼されることが多い。
私は片付屋・始末屋であっても探し屋ではないのだが、依頼者は他に頼める人がいないから私に頼んでくる。

「自分で探せばいいのに」と思うのは腐乱死体現場を知らない第三者。
故人の身内とはいえ、一般の人には腐乱現場での探し物などとてもできない。
視覚と嗅覚が瞬時やられてしまい、ほとんどの人はわずかな時間でも現場に滞まることはできない。

依頼品で多いのは預金通帳・印鑑・権利書・株券・保険証券・年金手帳・貴金属、やはり金目のモノである。
残された人は故人の死を想ってばかりはいられない。
死後の後始末をきれいに済ませる、社会的責任がある。
特に、腐乱現場・自殺現場の始末には重い責任がのしかかってくる。
それには、まずはお金が必要ということ。

たまに、変わった探し物を頼まれることがある。
遺骨もその一つ。

「骨を探してほしい」
中年女性からそんな依頼が入った。
孤独死・腐乱、亡くなったのは女性の母親らしい。

警察が遺体を持って行った後も、現場に小骨が残っていることはたまにある。
しかし、まだ骨が残っている可能性があることを素人の女性が知っていることが不思議だった。

「現場には行けないので、勝手に入っていい」とのこと。
電話口で思案していても仕方がない。
とにかく現場へ向かった。

現場はトイレ、床一面に腐敗粘土と腐敗液が広がり、厚い層を作っていた。
例によって「こりゃヒドイなぁ」と呟いた私。
乾燥しかかった腐敗粘土は、便器の中までたまっており、死後かなりの日数が経っていることが読み取れた。

「これで骨が探せるかなぁ」
「ヤバイ作業になりそうだなぁ」
汚物の量にいきなり自信喪失、腰が引けてきた。

現場を確認してから女性に電話。
トラブルを避けるため、依頼作業の成果は約束できないことを先に伝えた。
あと、作業が過酷を極めるであろうことも。

骨が残っている可能性があることは警察から聞いたらしい。
現場を見た私は納得できた。
「あれじゃぁ骨を拾い残しても仕方ないな」
逆に、「よく遺体を回収して行ったな」と警察に感心したくらい。

正直、この仕事はやりたくなかった。
しかし、女性と話しているうちに引き受ける方向に気持ちが動いていった。
女性に泣かれると弱い・・・。

つづく
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ロールケーキorサンドイッチ

2006-08-24 19:27:34 | 特殊清掃
腐乱死体が布団を汚していることは多い。
言い換えると、布団に入ったまま亡くなる人が多いということ。
そんな場合は、ほとんどの依頼者が「布団だけでも先に持って行ってくれ!」と依頼してくる。
腐敗液をタップリ吸った布団は、見た目も臭いもとてもヒドイから。

できる限り依頼者の要望には応えるようにしているが、見積と作業は別物。
作業を小刻みに分けると、効率も悪くコストも上がる。
何よりも、汚物処理作業は一発で済ませたい。

でも、困りきった様子で依頼してくる依頼者も無視できない。
昔は、そんな現場は仕方なく作業をしていた。
依頼者には悪いが、嫌々やっていた。

普通の布団をたたむのは誰でもわけないことだが、汚腐団(お布団)はそういう訳にはいかない。
できるけ小さくたたんで専用袋に入れるだけ作業なのに、ちょっと油断すると腐敗液が身体に着いてしまう。

以前は、腐敗液が身体に着かないように作業手順をよーく練ったうえで、慎重に慎重を重ねてやっていた。
まさに、汚いモノにでも触るかのように。
それでも、なかなかうまくいかず、身体を汚してしまったことが何度もある。
その逃げ腰・及び腰の姿勢が逆効果であることに気づくのは、しばらく先になった。

何度もやっているうちに、一つの失敗が一つのノウハウになることを覚えた私は、「どうせ汚れるんだったら失敗例を蓄積しよう」と考え方を変えた。
皮肉なことに、汚いモノが着かないように気をつけていた頃に比べると、汚いモノを気にしなくなってからの方が圧倒的に汚れなくなった。

腐敗液をタップリ吸った布団は重い!もちろん臭くもある。
持つとズシリとくる。
実際の重さに増して精神的な重さがある。
私より腕力のある人でも、そう簡単には持てないかも。

昔は、梱包した布団でさえ汚く思えて、身体につかないように持っていた。

今は、抱えるどころか背負うことにも抵抗感はない。
それを背負うと、遺体そのものを背負っているような錯覚に陥る。
そんな布団に対する私の感覚は、汚物と人間の間を行ったり来たりする。大袈裟に言うと、汚物に親近感みたいなものを覚えることもある。
ただ歳をとっているだけじゃなく、人間として成長しているのかも?

仕事も人生も、楽をしようとして近道を行くと、かえって遠回りになってしまうことがある。
身の丈を考えず階段を飛び越えようとすると、踏み外して転げ落ちることがある。
何事も、小さな積み重ねが大事。
続けることが大事。
知恵を持つことが大事。
こんな仕事にも独自のノウハウがある。
それを得るためには経験・継続・蓄積が必要。
私には、誰にも真似できない(したくない?)それがある。
死体業をコツコツやってきたことが、ホコリのような私の誇り・・・かな?

今回は、とりとめもない文章になってしまった。夏バテ気味か・・・。

表題の「ロールケーキorサンドイッチ」は、汚腐団のたたみ方のコツ。
中に入る具は色々あるが、読者の想像にお任せする。
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命の選択

2006-08-23 08:19:21 | 遺体処置
今年の夏は短いように感じる。
長かった梅雨が明けてからも、グズついた天気が多かった。
日照不足のせいで野菜や果物も作柄がよくないらしく高値が続いている。
普段は食べたくない野菜でも、高値がつくと急に食べたくなる。不思議だ。
本当に食べたいのは野菜ではなくて、金銭価値なんだろう。

例によって、今年も全国各地で水の事故が多発している。
命の洗濯のつもりで出掛けたレジャーが一変するときだ。

ある中年男性が溺死した。
家族で海水浴に出掛けた先で。
検死から帰宅した遺体は全裸でビーチの砂にまみれていた。
遺体を前に妻子は呆然、泣くに泣けない様子だった。
ここでも、楽しいはずの夏休みが一変していた。
体格のいい故人は、泳ぎには自信があったのだろうか。
それとも、気をつけていたのに波に流されてしまったのだろうか。
ふざけて遊び過ぎたのかもしれない。
どちらにしろ、海に入ったことが命取りになってしまった。

まず、身体のあちこちに着いた砂を取り除かなければならなかった。
これは並の作業で済んだ。
しかし、髪の毛にビッシリ入り込んだ砂をとるのが大変だった。

始めは、クシで髪をとかしながら砂を掃い除けようとした。
すると、砂だけではなく髪の毛自体がバサバサと抜け落ちてきた。
頭皮がかなり弱っているらしかった。外見は何ともなかったのに。
そのままやり続けると砂は除けても髪もなくなる。
とりあえず、その方法は中止。

「どうしようかなぁ」と思案しながら、どうするかを妻に相談。
気が抜けたようになっている妻は言葉を発することができず、私の問い掛けに返事をするのが精一杯のようだった。
気持ちは分からないでもかったが、いくら話してもラチがあかず困った。
遺族の希望を汲みながら、私が主導してやるほかないと判断。
やはり、頭が砂だらけのままでは偲びない。
しかし、頭髪が抜けてしまってはどうしようもない。
手間はかかるけど、水で洗い流してみることにした。
作業的には大がかりになり結構な時間を要したが、水流(水圧)のみを使って砂を流し取る方法は抜群にうまくいった。
我ながら満足した。

きれいになった故人には、普段から家で着ていた楽な服を着せた。
何を着せるか家族がハッキリしないので、私なりに熟慮して決めさせてもらった。

生前のままに戻った故人を見て、色々な想いが一気に噴出してきたのだろう、今まで寡黙・無表情だった妻子はいきなり号泣し始めた。
その場にいて言葉がでなかった。
気の毒に思いながら、俯いているしかなかった私。

楽しいはずの海水浴で、大事な夫・父を亡くしてしまった家族。
一家の大黒柱をいきなり失った家族には、その後どんな人生が待っているのだろう。
少なくとも、残りの夏休みが楽しいものにならないことは容易に想像できた。

人の死には色々なケースがある。
事故死の場合、自らの選択が死に向かわせているように思えることが多い。
本人は、死なないことを信じて疑わないのに。

命の選択。
人生は選択の繰り返し、選択の積み重ね。
小さな選択がその後の人生を大きく変えることもある。
選択の先にあるものを、誰かが教えてくれると助かるんだけどね。

それにしても、私は、あの時なんで死体業を選択してしまったんだろう。
んー、分からん!
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ロンリーミッドナイト

2006-08-22 16:54:13 | 遺体処置
私の仕事は、365日24時間の電話受付と見積を行っている。
昼間ほどの数はないながらも夜間に電話が鳴ることもある。
そして、「今すぐ来て」という要望も。

夜中の出動は独特の辛さがある。
それは、暗闇の怖さではなく眠気の辛さ。
昼間の仕事と夜の出動が続くと本当にツライ!
そんな日が続くと、仕事があることに感謝するどころか「今夜はゆっくり寝ていたい(仕事が入るな!)」と願ってしまうこともある。

かなり前の話になるが、自殺遺体の処置業務で夜中に出向いたことがある。
遺体処置業務での夜中出動は珍しいことなので、「何か、特別な状況なのかな?」「なんでこんな夜中にやる必要があるんだろう」と少々不思議に思いながら緊張して現場に向かった。

現場に到着した私は、目当ての部屋を訪問。
現場はアパートの二階、首吊自殺だった。
警察の検死は終わっていて、遺体は首を吊った部屋に安置されていた。
警戒していたような特別な状況ではなかった。

その場にいた遺族は故人の両親の二人きり、他には誰もおらず二人は遺体を前にした神妙な面持ち。
私の到着を心待ちにしていたようで、私が参上すると安堵の表情を浮かべた。
と同時に「あとはヨロシク」と言わんばかりに、さっさと退室。
そして、車に乗ってどこかへ行ってしまった。

「えッ!?」
てっきり、作業中も遺族が立ち会ってくれるものとばかり思っていた私は意表を突かれた。
遺族とコミュニケーションをとる間もなかった。
遺体とともに夜中のアパートに取り残された私は、遺体の顔を見ながらしばし呆然。
いつも通りの仕事をやるしかなかったのに、なんだかやる気がでなかった。
「・・・取り残されちゃいましたねェ」、いつもの独り言。
両親に放られた遺体を少し不憫に思った。

そそくさと去って行った両親は、どうも世間体を気にしているようだった。
それも、かなり。
しかし、遺体処置は夜中にやる方が余計怪しいし、昼間だと気にならないくらいの物音でも夜中だとかなり響く。
世間体を気にするのなら、昼間にした方がマシというものだった。
まぁ、両親なりに考えて決めたことだろうから、それ以上は深く考えないようにした。

さて、何となく虚しい感じの作業になったが、とりあえずは無事に終えることができた。
しかし、肝心の両親が戻って来ない。いつまで待っても。
私は、遺体を放置して鍵もかけずに現場を離れる訳にもいかないので、仕方なくその場にいることにした。
最初は、遺体の前にきちんと正座をして待っていた。
そのうち、足が痛くなってきて、あぐらをかいた。
更に、疲れてきて、手を床(畳)について座った。
ついに、睡魔が襲ってきて、横になりたい衝動にかられ始めた。

「遺体の横に寝るか?」⇔「そりゃダメだ!」
「寝ちゃおうかな」⇔「そりゃマズイ!」
頭を何度もカクンカクンさせながら、睡魔と戦った。
睡魔って、本当に怖い。
遺体が気持ちよさそうに眠っているように見えてしまい、羨ましく思えてきた。

どうにかして睡魔を追い払わなければならない私は、鼻歌を歌ったり返事をしない故人に話し掛けたりしてその場をしのいだ。
近隣住民は、遺体のある部屋から鼻歌や一人の話し声が聞こえてくるので不気味で仕方なかったかもしれない。
世間体を気にして夜中作業にした両親の思惑はこれで台無しになったかも。

結局、両親は空が明るくなり始める頃に戻ってきた。
私は、ほとんどボケボケ状態になっていた。朝陽が夕陽に見えていた。
戻ってきた両親には、「連絡をくれればよかったのに」と呆れ顔で言われたが、私は内心で「連絡先も言わずに勝手に行ってしまったのはアンタ達の方だろ!」と憮然。
でも、言葉では「作業に時間がかかったので、たいした時間は待っていませんでしたから・・・」と微笑まじりの営業トーク。

何はともあれ、両親に現場を引き継いで、私はその場を離れた。
静かな夜をともに過ごした遺体に変な親近感を覚えていた私は、遺体に「バイバ~イ」。
「袖擦り合うも他生の縁」、生きてりゃ結構いい友達になれたかもしれない?
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飼猫とサラリーマン

2006-08-21 08:54:57 | 孤独死 遺品整理
初老女性の孤独死。
検死結果は「死後二週間」とのこと。
部屋の中はにはいつもの悪習が充満、汚染された布団にはウジが這い回り、ハエが所狭しと飛び回っていた。
ま、これくらいは当たり前の状況。

言葉的におかしな表現になるが、この現場は「きれいな汚染」だった。
故人も、そう苦しまなかったであろうことが伺えた。
汚染は深かったものの、横への広がりが極めて少なく、汚染箇所の撤去はかなり楽にできた。

この要因は二つ考えられた。
一つは、就寝したまま横になった状態で息絶えたこと。
もう一つは、使っていた布団が厚手で吸湿性の高いもの(高級布団?)だったこと。

就寝中に死ぬ人は少なくない。
しかし、コト切れる間際は苦しいのだろうか、布団に納まってきれいに横 になっている状態は少ない。
布団から上半身だけでも這い出した状態だと、その後の腐敗汚染度がかなり変わってくる。
また、薄くて吸湿性の悪い布団だと、布団自体が腐敗液を滲みだしてしまう。

今回の現場は、布団一組・畳一枚・床板一部を撤去すれば汚染部はなくなった。
あとは、ウジ・ハエを始末するだけ(消臭は別課題)。

作業を終えて外に出ると、家の中のものとは微妙に違う異臭を感じた。
この現場では、屋外のことは私の範疇にしていなかったので、知らぬフリもできたが、その異臭がだたのゴミ等とは違っていたので気になった。

そこで、異臭の元を確認するため、異臭の濃い方進んだ。
異臭の元はすぐ発見できた。
家の裏、狭い物置スペースに猫の腐乱死体があった。

すぐ依頼者に連絡。
依頼者によると「故人は猫は飼っていなかったはず」とのこと。
「野良か?」と思いながら外を観察すると、餌用容器が置いてあった。
念のために、再び家の中に入って中を観察。
台所に買い置きのキャットフードがあった。

どうも、野良猫を飼っていたらしい。
私は依頼者に状況を伝え、一度現場を見に来てくれるよう頼んだ。
さすがに、猫の片付けは無料ではできない。
お金をもらうからには、時間を要しても依頼者にBefore現場を確認してもらう必要がある。
結局、猫の始末は後日施行することになった(詳細は先々のブログに載せるかも)。

このパターンの飼い方は、社会には受け入れられにくいが、本人達にとっては快適だろう。
お互いに束縛し合わず、お互いの責任もホドホドに、お互いに都合のいい時だけ関わり合っていればいいのだから。

「半野良なんだから、腹が減ったら余所に行けばよかったのに・・・」
「でも、人に飼われ続けていると、外で生きていく力はなくなるのかなぁ・・・」
私はそう思いながら、ふと我に返った。
「俺も飼われている身か・・・」

「自分は、外でもちゃんと生きていける」と思っているとしたら、そんなのはただの一人よがり、大錯覚、大錯誤。

ブラックカラーのサラリーマン、私はそう思う。
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ルービックキューブ

2006-08-20 09:05:42 | その他
今の若い人達は知らないだろうか、ルービックキューブを。
流行ったのはいつ頃だったか・・・ハッキリは憶えてないけど、私と同世代、またはそれ以上の年代の人には知っている人が多いと思う。

私の友達には、短時間で6面を合わせる頭脳派もいれば、時間はかかるが諦めないでやる努力家もいた。
ちなみ、私は頭脳派でもなければ努力家でもないので、恥をかくだけの無用なチャレンジはしなかった(こういうとこがダメなんだよね)。

故人は初老の男性。
脳神経系の病気を長く患っていたらしい。
故人は、病気の進行具合を自分で把握するために、ルービックキューブを解くことを日課にしていた。
家族や看護師に適当にシャッフルしてもらい、6面合わせられるまでの時間を毎日測っていた。
次第に時間はかかるようになってきたものの意識はハッキリしており、最期の方は「解けない」と言うより(体力的に?)「続けられない」と言った感じだったらしい。

ひとつの家族でも、故人に対する個々の想いは同じ色とは限らない。
「優しい夫だった」「厳しい父だった」「誠実な兄弟だった」
もちろん、どれも一人の故人。
一人の故人が色々な顔・面・色を見せていた訳で。

生まれてきた時は一つの顔しかなったものが、歳を重ねるごとに持つ顔が増えていく。
息子、兄弟、夫、父、部下、上司、知人、友人など。
全て一つの顔で通すのが理想かもしれないが、なかなかそうはいかないのが現実。

「本当の自分はどれ?」
一体、本当の自分の顔はどれなのだろう。
全て?一部?一つ?

いつの間にかシャッフルされたまま放置している心のルービックキューブ。
解き戻せたとしても6面6色。一面一色ではない。
何だか、人の心のよう。
「二枚舌」「二重人格」なんて可愛いものだ。

たくさんの顔・面・色を持ち過ぎた私は、今では元の状態さえも忘れてしまっている。
元に戻せる賢明さがほしい。
子供のようになるしかないかも。

故人愛用のルービックキューブを柩に納めながら、そんなことを考えた。
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冷たいヤツ

2006-08-19 08:34:30 | 遺体処置
人の身体は死んだ瞬間から腐敗を始める。
死後1~2時間程度でも既に腐敗臭がするようなケースも珍しくない。
その腐敗開始の早さは驚きものだ。

一般的に、遺体は腹(内蔵)から腐り始めると言われている。
私の実体験でもそれに違いはない。
一見、何ともなさそうな遺体でも、着衣を取ったら腹部か濃緑色に変色していることがよくある。
そして、それが次第に広がってくる。
もちろん、遺体が置かれる環境・施される処置によって腐敗スピードは異なるため、その腐敗速度を少しでも遅くさせるために手を尽くすことも、我々の仕事の大きな役目である。

遺体は火葬まで冷蔵されるのが一般的。
霊安室の冷蔵庫で保管されることもあるが、それよりドライアイスを当てられて冷やされることの方が多い。

冬場だとドライアイスは10kgもあれば充分、しかし、今のような夏場は10kgでは足りず20kgや30kg使うこともざらにある。
それだけ、遺体に暖は禁物ということ。

しかし、あまり冷やし過ぎると、身体が小さく痩せている老人などは全身が凍結していることもある。
身体や気温に合わない量のドライアイスを当てるとそうなる。
全身カチンコチンになった遺体は、頭だけ持ち上げようとしても首は曲がらない。
身体ごと持ち上がってしまい、見るからに不自然。

でも、ここまでやれば腐敗スピードをかなり落とすことができる。
あとは遺族の心象にどう映るがが問題。
遺族は「死後硬直」だと勘違いしていることが多く、雰囲気によっては私もあえて説明しないことが多い。
少々腐ってもいいのか、それより少々冷やし過ぎの方がいいのか、判断が分かれるところだ。

しかし、こうも暑いと自分にドライアイスを当てたくなる。
若かりし頃の夏、あまりに暑かったのでドライアイス用の冷蔵庫に頭を突っ込んだことがある。
先輩から首根っこを掴まれて、「バカ野郎!死にたいのか!」と怒鳴られた。
ドライアイスは二酸化炭素の塊で、そんなことをしたら中毒(酸欠)死しかねないらしい。
危なかった・・・無知は恐い。

それにしても、人間が死んだら腹から腐り始める事実を、私は妙に納得している。
ひょっとしたら、人の「腹」は生きているうちから少しずつ腐っているのかもしれない?
そして、そんな人が「冷たいヤツ 」と呼ばれるのかもね。
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夢のあと

2006-08-17 08:47:39 | エンゼルメイク
自分が死んだら、柩の中に何を入れて欲しいだろうか。
若い頃は、結構真剣に考えて耳かき棒と酒をリクエストしていたが、今はどうでもよくなっている。
浮世の金品も、アノ世には関わりのない物と思うから。

どんなに高価な物でも、灰になってしまえば同じこと。
どんなに偉い人でも灰になってしまえば同じこと。

人は何も持たずに生まれてくる。
そして、何も持てないまま死んでいく。
現金も、株券も、豪邸も、高級車も、ブランド品も(私の場合はコノ世でも持ってない物ばかりだけど)。

私を含めて、どうして人はこうまで物を欲しがるのだろうか。
生活がある程度便利で快適であれば、それでいいような気もするのに。
命は有限なのに欲は無限と言うことか・・・何となくバランスが悪いような気がする。

では、目に見えないものはどうなのだろうか。
例えば、愛・名誉・徳・善行など。
全ては有限?中には無限のものもある?永遠ってある?
ま、その類の話は、どっかの宗教にでも任せとけばいいか。

遺族が柩の中に入れる物で多いのは、まずは衣類。
お金や写真、手紙も多い方。
それぞれの品に、それぞれの人の、それぞれの想いがある。
それは、「故人の為」と言うより「遺族本人の為」と言った方が適切だと思う。
柩に物を入れることで、わずかでも癒されるなら故人にとっても「ありがた迷惑」にはならないだろうし。

最近は火葬場の都合で副葬品が制限されることが少なくない。
環境問題なのか火葬炉の問題なのか、または火夫の都合なのかは分からないけど。

火葬炉では強力バーナーで一気に焼かれるらしい。
燃焼より冷却の方に長い時間を要することも聞いたことがある。

どちらにしろ、人間の身体も物と同じであっけなく灰になる。
残された人の心に留まれるのも、せいぜい孫の代くらいまでか。

時が経てば、全てが夢のあと。
嬉しいことも、悲しいことも、楽しいことも、苦しいことも、笑ったことも、泣いたことも・・・だったら、無理矢理にでも笑ってみるか!
ハハハ・・・やっぱ心が伴ってないとダメだね。
じゃ、どうやったら心から笑える?

実は、笑うことも泣くことも自分の支配下にないことに気づかされる。
現実に笑うのも泣くのも自分なのに。

やはり、生き・生かされていることって、かなり不思議なことだと思う。
まるで、夢のようだ。
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タイムリミット

2006-08-16 15:38:34 | その他
日本人の死亡原因の一位は悪性新生物(癌)。
癌を煩ったことがある人、煩っている人、そして癌で亡くなった人を知人に持つ人はかなり多いと思う。
「自分自身がそう」という人もいるだろう。
数えてみると、私の身の回りにも、そんな人がたくさんいる。

世の中は今、空気も水も食べ物も、発癌性物質を避けては生活できないような残念な状況にある。

癌は人類の自業自得か?それとも宿命か?
人の力では癌細胞の発生を防ぐことはできないのだろうか。

私が扱ってきた遺体にも癌で死んだ人がかなりの人数いる。
科学的なデータとは異なるかもしれないが、それらの遺体は痩せ細っている上、腐敗速度が速いように思える。

余命宣告を受けた上での闘病生活は、どんなものなのだろうか。
一件一件の遺族と一人一人の遺体からは、それぞれの闘病生活が垣間見える。

故人は30代前半の男性。
痩せ細ったり髪か薄くなったりはしていなかった。
外見だけでは健康そうに見える故人で、遺族も泣いている人はいなかった。
遺族の話から読み取るに、本人と家族は色々な葛藤はありながらも余命宣告を受け入れ、病気と闘うのではなく協調する道を選んだらしい。
家族もかなり辛かったよう。
故人の死には涙することがなくても、辛かった余生(闘病生活)を振り返ると、おのずと涙がでてしまうようだった。
それだけで、その苦しかった日々とその心情が想像できた。

遺族の口からは、ただただ、病気の苦しみと死の恐怖と闘った故人を褒め労う言葉ばかりがでていた。

望まずして、死は本人と家族に平安をもたらす側面もある。
遺族は、心なしか、肩の重荷を降ろしたような穏やかな面持ちだった。

私は、何度か余命宣告を受ける悪夢にうなされたことがある。
死への恐怖から、突然跳び起きることがある。
そんな時は、決まってイヤな寝汗をかいている。
覚醒して夢だと分かり「助かった~」と喜びの感情が湧き上がってくる。

誰にとっても、余命宣告を受けるということはかなりの重圧がかかることだろう。
私の悪夢とは違い、今日もその現実と向かい合い、今日もその重荷を背負って生きている人が幾人もいる。

将来、私が癌になる可能性も低くはない。
そして、余命が測れるほどの末期症状に陥る可能性も充分ある。
私は、告知をしてほしいタイプの人間。
そうなったら多分、うろたえ、嘆き、泣き、極度の欝状態に陥るだろう。
それでも知らせてほしい。
この世を去るための後片付けをシッカリやりたいから。
苦楽を共にしたこの身体を労り、この感覚を充分に味わいたいから。

普段は「もっと背が欲しい」「もっと痩せたい」「男前の顔がよかった」等と自分の身体に不平不満・文句ばかりつけているけど、いざこの身体と別れなければならないとなると、とてつもなく愛おしい思いと懐かしい思いが湧き上がってきそうである。

軽率かもしれないけど、たまにはそんな境遇を空想してみて、自分の身体に感謝して、自分の身体を労ってみるといいかもしれない。

我々は皆、ある種の余命宣告を受けている身だ。
最期の時を具体的に知らされていないだけで。

最期の時は自分でも決められないもの。

自分の余命を意識して、残された時間をいかに燃焼させるか。
忘れてはならないのは、自分と愛する者のタイムリミット。
分かっちゃいるけど、ここが難しい。
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ラブレター

2006-08-14 09:13:38 | エンゼルメイク
別れの柩に手紙を入れる人は多い。
故人に宛てたものがほとんどだろうが、アノ世に先立った人へ言葉を託けたものもあるかもしれない。
生前は照れ臭かったり、日々の生活で見過ごされたりしてきた当人(故人)への想いが、純粋なかたちでてくる場面でもある。
「できることなら、生きているうちにそういう想いを伝えられればよかったのに・・・」
そう感じることが多い。
共に生きていられる時間は限られている。
照れている場合じゃないと思う。
日本人にとっては「臭い」と思われるセリフを平気で吐けるアメリカ人が羨ましい。

私は、葬式にはイヤというほど関わっているが、結婚式には縁がない。
何年かに一度、誰かの結婚式に招かれることがあるくらい。
葬式ばかり経験していると、結婚式がとても新鮮だ。
他人の幸せを嫉みがちな私でも、結婚式の幸せに満ち溢れた雰囲気は好きだ。
結婚式の場面でも、普段なら照れ臭くて言えないようなセリフがよくでてくる。
新郎新婦が親に宛てた手紙を読んで感極まって涙を流したり、またその逆があったり。
それはそれでいいことだと思う。
でも、その数日後にはいつものノリに戻って、相変わらず親子喧嘩や夫婦喧嘩をする。
一体、結婚式の時のスタンスとテンションはどこに行ってしまうのだろうか。
心当たりある人、結構いるでしょ?

たまには照れを捨てて、大事な人に大事な想いを伝えてみたらいいと思う。
口で言うのに抵抗があれば、手紙を使えばいい(最近はE-mailか)。
そんな些細なことで、自分も相手もHappyになれればいいよね。

ある老婆が亡くなった。
子供は長女と長男の二人(姉弟)、二人とも中年になっていた。
二人とそれぞれの家族が遺族として集まっていた。
遺族は柩の中に色々なものを入れていた。
その中に、一枚の古ぼけた葉書があった。
長男はそれを柩に納めるかどうかを迷っており、長女としきりに相談していた。
長女もなかなか決断できないようで、いつまでも迷っていた。

それは、60余年前、亡き夫が故人宛にしたためたものらしかった。
今でいうと国際郵便になるのだろうか、戦地からの手紙だった。
その手紙を出して間もなく、夫は戦死したらしい。
二人の子供達はまだ幼少で、父親の顔はハッキリ憶えてないらしかった。

野次馬根性からか、私はその手紙を読んでみたくなった。
「読ませてほしい」なんてずうずうし過ぎることは分かっていたが、抑えられない好奇心もあった。
でも、やはり自分から声を掛けるのは筋違いなので、黙って作業の手だけ動かした。
私の興味深そうな視線に気づいたのか、柩に入れるかどうかのアドバイスが欲しかったのか分からないが、長女が「見て下さい」とその葉書を渡してくれた。
受け取った小さな紙片には、命と時間の重みがあった。
残念ながら文字もかすれ、紙が黄ばみ、文章として読み取ることはできなかったが、若き日の夫が書いた筆跡だけは感じることができた。
内容を聞くと、遺書めいたニュアンスで妻子のことを案じ、励ますようなものだったらしい。

今の時代に生まれ育った私には、戦地から家族に手紙を書く極限状態を想像することもできない。
常日頃は「人間はいつ死ぬか分からない」「自分の死を考えよう」等と何かを達観したようなことばかり吐いている私だが、結局のところは死との間に適当な距離感を持てている甘ったれかも。
戦場で命を張る兵士とは、とても比較にならない。
(※戦争を美化し、兵士の仕事を賞賛しているのではない。)

この夫はどんな気持ちでこの手紙を書いたのだろうか。
当時の戦況から、日本に生きて帰れないことを覚悟していたことは容易に想像できる。
そして妻(故人)は、そんな気持ちでこの手紙を受け取ったのだろうか。
夫の生還を祈りながらも、生きて再会できない覚悟もしていたかもしれない。
想像すると言葉に詰まる。

私は「故人が60余年も大事にしていた手紙だから、柩に入れてあげた方がいいのでは?」と自分なりの考えを伝えた。
しかし、故人の安らかな顔を見ていたらその考えがシックリこなくなった。
そして、すぐにその言葉を撤回した。
「天国で再会している二人にはもうこの手紙は必要ないのでは?」
「この手紙がコノ世に残った人の糧になるなら、大事の持っておかれた方がいいと思う」という旨のことを伝えた。

その後の通夜や告別式で、二人の子息がその手紙を柩に納めたかどうかは分からない。

夫が戦地から送ったこの手紙は、それまでは大事な妻のために生きていた。
父が戦地から送ったこの手紙は、これからは大事な子供達のために生きる。
それを受ける人が残るかぎり、書き手の魂(愛)は消えることはないのかもしれない。

それにしても、最近は読めるけど書けない漢字が増えてきた。
「手紙を書く」というよりも「手紙を打つ」といった表現が正しくなってきた感じ。
そのうち、絵文字や顔文字が辞書に載るようになったりして。
遺言ばかり書いていると辛気臭くなるから、私もたまには誰かに手紙を書いてみようかな。


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