特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

腐条理

2014-03-02 12:23:41 | 生活保護
4月から消費税が上がる。
たった3%、されど3%。
塵も積もれば山。
これが庶民の家計を圧迫するのは、目に見えている。
収入は増えず支出だけが増えるのだから、とりあえず、節約しやすい食費や遊興費を抑えて収支を合わせるしかない。
(メタ坊とカン臓君にはいいことかも。)

消費税に限らず、見回してみると、身の回りは税金だらけ。
直接的に、間接的に、気づいているところで、気づいていないところで諸々課金されている。
ただ、国民は法律の定めるところにより納税の義務を負う(憲法30条)。
生活がきつかろうが、課されたものは納めなければならない。

もちろん、納めただけの恩恵に与れるのなら文句は言えない。
ただ、実際は、そうではない(らしい)。
少なからずの税金が無駄遣いされている(らしい)。
特に、利権を持つ一部の特権階級に金銭が流れているというニュースを聞くと不条理を感じる。
しかし、力なき一庶民には、手出しも口出しもできない。
ただただ、これ以上、税金が上がらないことと、無駄遣いが少なくなることを願うことしかできない。


以前、仕事で、とある役所の福祉課に行ったことがあった。
生活保護の受給者が孤独死した現場で、その部屋の始末を請け負った際の用向きで出向いたのだ。
そのカウンターには、役所の担当者と向かい合うかたちで何人かの相談者が座っていた。
その後ろには、相談待ちの人達が座る椅子があり、既に何人かの人が自分の番がくるのを待っていた。
生活保護の相談に来たわけではない私は、そこに混ざって座るのに抵抗があったため、更に後ろの方に立って担当者の手が空くのを待った。
しかし、担当者は相談業務で大忙し。
なかなか私の用に時間をとることができず。
立ったまま待つ私に「時間がかかりそうですから・・・」と、椅子に座るようすすめてくれた。
断るのも失礼かと思い、私は、仕方なく生活保護の相談に訪れた人達に混ざったのだった。

そこは、相談カウンターのすぐそば。
聞き耳を立てなくても、相談内容が聞こえてくる。
聞いては失礼と思いながらも、耳に入ってくるものを拒むことはできず。
野次馬に見られたくなかった私は、携帯電話をいじりながら下を向き、一方的に入ってくる話し声を耳に受け入れた。

相談の内容は、生活保護受給申請について。
それに対して役所の担当者は、生活保護制度の趣旨やルールを説明。
相談者がきちんと理解できるよう、わかりやすい言葉で丁寧に話した。
その内容は、いちいちごもっとも。
昨今は、役所の冷たい対応が不条理であるかのように報道されがちだけど、私はそう感じず。
「もっと厳しいこと言っていいんじゃないの?」
と思うくらい。
もちろん、この役所、この担当者がたまたまそうだっただけなのかもしれないけど、担当者からは違和感を覚えるような話はなく、相談者に対して冷たい態度をとっているようにもみえなかった。

生活保護受給者数は年々増加し、近年は、過去の最高値を更新し続けているらしい。
もちろん、それにかかる費用も同様。
ただでさえ逼迫している公の財政に更に負担をかけている。
直接の生活保護費はもちろん、生活保護制度を運用するための経費全般を入れると、莫大な額の税金が消えているのだろう。

私は、長くこの仕事をしているわけで、生活保護受給者の部屋を片付けたことが何度となくある。
そして、少なからずの現場で、違和感を覚える光景を目にしたことがある。
漫画・雑誌・DVD・ゲーム類だけでなく、ブランド品・酒・タバコetc・・・
「贅沢品」というには大袈裟だけど、生活保護費の使途としては、いささか不適切と思われるようなものがあるのだ。
あくまで個人的な憶測だけど、不正受給者はもちろん、不適切な浪費をしている人も少なくないのではないかと思う。
今の生活保護制度は、「保護を求める人」と「保護を必要とする人」が区別なく混同されて正しく運用されていないような気がして、なんともいえない不条理を感じる。

人間社会において、共同連帯・相互扶助の精神はとても大切。
国の制度を活用することが悪いわけではないし、保護が必要な人を助けることに異論があるわけではない。
全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(憲法25条)わけで、生活保護受給者にも、幸せに暮らす権利はあり、楽しみを味わう権利もある。
たまには、酒を飲み、タバコを吸い、レジャーを楽しむことがあってもいいだろう。
ただ、その裏には、飲みたい酒を我慢し、吸いたいタバコを我慢し、レジャーを我慢しながら暮している多くの納税者がいることを忘れてはいけないと思う。
原資は、その税金なのだから、使途には一定の良心とモラルが必要だと思う。


出向いた現場は、郊外に建つマンション。
駅から徒歩圏内にあり、近くに商店も多く、生活の便は悪くない立地。
間取りは1R。
決して広くはないながらも、きれいな部屋で、生活に必要な設備はすべて完備。
一人で暮らすには遜色のない物件だった。

生活保護受給者は、風呂もないような老朽アパートやボロ家屋で暮しているようなイメージがあるかもしれないけど、今は、決してそんなことはない。
自己所有の家に暮らす人はほとんどいないと思うけど、普通のマンションやアパートに暮している人が多いと思う。
ワーキングプア状態の納税者よりも、いい家に住んでいる人も少なくないと思う。
まさに、この部屋もそうだった。

故人は、50代の男性。
生活保護受給者。
どういう経緯でそうなったのか知る由もなかったが、仕事には就いていなかったよう。
部屋にある家財生活用品は、多からず少なからず。
贅沢な家具・家電は目につかなかったが、そこには、私に違和感を覚えさせる酒の空瓶やタバコの吸殻が残されていた。
そして、更に私の違和感を増幅させるものがあった。
それは、ギャンブルの購入券。
部屋には、大量の券が残されていた。

一体、どれくらいの金額をギャンブルに費やしていたのかわからないけど、その数からみて、故人は、少なからずの金銭を費やしていたと思われた。
「金さえあれば・・・」
と、故人は、一攫千金を、一発逆転を夢みたのだろう。
私もお金が大好きなので、その気持ちはわかる。
しかし、故人の収入源は生活保護費。
そんなことに費やしていいものとは、とても思えなかった。

私は、そこに、何とも言えないストレスを感じた。
働く者が働かない者を支えることに不条理を感じた。
(故人は、“働かない者”ではなく“働けない者”だったのかもしれないけど。)
そして、故人を非難する気持ちが沸いてきた。
そこには、故人の死を悼む気持ちも、その人生を顧みようとする気持ちもなかった。
私は、そんな自分を「正しい」と思っていた。

私は、人間的・人格的には半人前かもしれないけど、社会的・経済的にはとりあえず一人前(のつもり)。
世間や他人に余計な迷惑や負担をかけていないと自負している。
しかし、結局のところ、私は、社会や誰かに世話されて生きている。
社会や誰かに守られながら生きている。
それがないと生きていけない。
そんな私が、困窮者や社会的弱者の立場や事情を真に理解しないまま、表面上のことだけをとらえて安易に裁断していいものか・・・

「生活保護を受けず餓死・・・」
たまに、そんなニュースを耳にする。
また、生活保護の申請をすることなく自殺した人々を目にしてきた。
そして、そんな人達のことを、「立派」「潔い」みたいな感覚で受け止めてしまっている自分がいる。
常々、生きることの大切さを訴えておきながら・・・
苦しくても頑張って生きなければならないと言っておきながら・・・

残念ながら、私の条理はどこかで腐っているのかもしれない・・・
ならば、腐った部分を取り除くため、卑屈にならず過信せず、卑下せず高ぶらず、自分の立ち位置を確かなところへ移さなければならない。
そして、自分が抱える腐条理を、条理をもって片付けるよう努めなければならない。
この狭い人生を広く生きるため、この猥雑な人生を清々しく生きるために。


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