特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

あったかぞく

2017-12-19 08:50:54 | ゴミ屋敷 ゴミ部屋 片づけ
夏の暑さが夢のよう・・・
師走に入り、冬らしい寒さが続いている。
「例年の比べて寒さは厳しい」とのことだけど、“冬ってこんなもの”だと思う。
異常気象に苛まれすぎて、気候に関して世の中が少々過敏になっているような気がしないでもない。

とにかく、冬は空気が澄んで景色もきれい。
上がりきらない陽に景色は眩しく輝き、夕焼けも一段と映え、星も夜空を満たす。
とりわけ、アクアラインから眺めは私のお気に入り。
頻繁に走るルートなのに、透明な日は360度の全景をいつもマジマジと見回してしまう。
千葉県・東京都・神奈川県の街々に幕張・都心・横浜のビル群、羽田空港を離着陸する飛行機に東京湾に浮かぶ船、街の向こうに見える山々、富士山はもちろん、またそのうち登りたいと思っている筑波山まで見える。

そんな日の夜は、あったかい風呂にゆっくり浸かって身体をほぐしたいところだけど、ケチな私は、水道光熱費を抑えるため、短いシャワーだけで済ませることが多い。
もちろん、湯を出しっぱなしになんかしない。
だから、頭や身体を洗っている間は、寒くて寒くて仕方がない!
鳥肌を立て、ガタガタと震えながら風呂に入っている。

ただ、侘びしいことばかりではない。
その分、就寝時の布団がありがたく思える。
昨年は掛布団をグレードアップして そのあたたかさに感激したのだが、今年は敷布団もグレードアップして その寝心地のよさは更に向上。
ツラい労働からも解放され、あとはゆっくり眠るだけ。
まるで、あたたかい風呂に浸かっているかのようにリラックスできるのである。


冬の足音が聞こえる晩秋の午後、私の携帯が知らない番号で鳴った。
知らない番号で携帯が鳴るのは日常茶飯事なので、私はいつも通りよそ行きの作り声で電話をとった。

「お久しぶりです!」
「仕事、まだやってます?」
相手は中年の男性。
どうも、私のことを知った上でかけてきたよう。
男性は自分の名を名乗ったが、名前だけでは相手のことを何も思い出せない。
なにせ、私は、現場+その他で、一年に150人~200人くらい(多分)の人と初対面&別離を繰り返すわけで・・・また、延数となると千単位になるわけで、一人一人を記憶しておくなんてできるはずはない。
ただ、男性は、内装工事会社に勤めており、“何年か前、何度か私に仕事を頼んだことがある”という。
私は、すぐに思い出せないことを詫びながら、男性の口からでる情報を頼りに、昔の記憶をたどった。

「あぁ~・・・思い出しました!思い出しました!」
「残念ながら、相変わらずやってます・・・」
一度きりの関わりだったら思い出せなかったと思うけど、男性とは三~四度仕事をした経緯があり、少しのヒントで記憶は回復。
業種は違えど お互い肉体労働者であり、更に、男性は私と年が同じ。
仲間意識みたいなものを持って気持ちよく仕事をさせてもらったことが思い出され、懐かしくてテンションを上げた。

男性の要件は、現地調査の依頼。
現場は、賃貸マンション一室で元ゴミ部屋。
“リフォームしたのにゴミ臭が残留している”とのこと。
本来ならリフォーム前にキチンと消臭消毒するべきところ、リフォーム業者は“床材や壁紙を貼りかえればニオイは消える”と、甘く考えたよう。
軽症ならそれで片付くこともあるけど、重症の場合、そんなに簡単に事は運ばない。
にも関わらず、通常のリフォーム工事を行ってしまったようだった。


調査の日。
空気は冷たがったが空は広く晴れ渡り、日向にいると暖かく感じられた。
現場のマンションは閑静な住宅地に建つ小規模マンション。
私は約束の時間より前に現場に行き、男性も約束に時間より前に現れた。

男性と顔を合わせるのは約五年半ぶり。
「歳を喰いましたね・・・お互いに・・・」
と、ニコニコと 互いの顔を眺めながら挨拶。
そして、とにかく、お互い 達者でやってることを喜び合った。

目的の部屋は、過述のとおりリフォーム済みで、見た目はきれいになっていた。
しかし、きれいになったのは見た目のみ。
レベルは低かったものの、悪臭はしっかり残留。
大家はリフォーム業者にクレームをつけたが、
「契約通りの仕事はした」
「あとの責任はない」
と、何の手も打たず引き揚げてしまった。
困った大家は、男性に
「このままだと賃貸にだせない」
「何とかしてほしい」
と相談を持ちかけた。
リフォームした業者は男性の元勤務先。
大家とは前職時代からの顔見知りで、大家はその縁で、男性に連絡を入れてきたのだった。

男性は、三年ほど前にその会社を退職。
理由は、社長に対する不満。
最後は“ケンカ別れ”みたいな辞め方に。
ただ、退職を決める前、男性は“勤続or退職”を真剣に悩んだ。
転職って、誰にとっても大きな問題。
とりわけ、養わなければならない家族がいる男性にとっては深刻な問題だった。

自分の年齢やその後の生活を考えると、転職はリスクが高い。
自分一人ならいざ知らず、男性には妻子もあれば住宅ローンもある。
更に、子供は、教育費が上がっていく年頃。
転職後は、収入が下がる恐れが極めて高かった。
しかし、それはあくまで金だけの話。
勤続年数が長くなり、ポジションが上がるにつれ、社長と関わることが増え、併せて、社長の欠点や短所がよく見えるようになってきた。
自分や他の従業員に対するパワハラや暴言も少なくなかった。
そんな中で、男性が抱えるストレスは、抱えきれないくらいに膨れ上がってきた。

何事のおいても忍耐すること・辛抱することは大切。
しかし、 “時は金なり”だけでなく、“時間=人生”でもある。
悶々としたまま 時間をつまらなく浪費することに疑問が湧いてきた。
結局、男性は誰に相談することもせず退職を決意。
妻に報告したのは、退職を決めた後。
妻が、怒り嘆くことを覚悟した上でのことだった。

しかし、妻の応対は予想外のものだった。
「あ、そう・・・よく考えて決めたんでしょ?」
「貴方の人生、貴方が思うように進めばいいんじゃない?」
「大丈夫!二人で力を合わせれば、子供のことも家のことも何とかなるよ!」
と、悲嘆するどころか、男性の考えに賛同し 励ましてくれた。

常日頃から、男性の女房殿は、男性が社長に大きなストレスを抱えていることを察していた。
そして、そんな苦境にあっても家族のために辛抱していたことも。
だから、男性の決意を快く受け入れたようだった。

退職後は同業他社に移ることも考えたが、その門は狭く条件も悪かった。
結局、男性は、前職と同じ業種で独立開業。
しかし、男性の動きを警戒した社長は、取引先や職人仲間にまで男性の悪評を触れ回り、男性の営業活動を妨害。
更に、大した準備もしていなかったため、仕事はなかなか入らず。
とりあえず、仲間の職人の手伝いをしながら何とか食いつないでいった。

当然のように、収入はガタ落ち。
家計は節約生活を余儀なくされた。
専業主婦だった妻も外に働きにでるように。
子供達にも転職の事情と家計の状況を説明し、学業に悪影響がでない範囲で協力を求めた。

節約生活にかけては、結構な自信がある私。
仮に“節約検定”とかあったら、上級者になれるだろう。
私は、まるで自慢話、または上の立場で講義でもするかのように、普段の節約ぶりを力説。
男性の節約工夫に負けじと、ちょっと恥ずかしいケチぶりも披露。
すると、男性は、呆れたように苦笑いしながら、私の話に頷いてくれた。

世の中には、“金の切れ目が縁の切れ目”になってしまう寂しい家族もいると思うけど、男性の家族は違った。
不満らしい不満も言わず、皆が助け合い、協力し合った。
それによって、経済力は下がったものの家族の団結力は増し、それまではハッキリ見えていなかった家族愛が具現化。
そして、更に、それによって多くの幸福感がもたらされた

そうして、男性は、一件一件の仕事と一人一人の人脈を大切にしながら、一年目を何とか乗り切った。
努力の甲斐あって、二年目になると、微増ながら売上は上昇。
更に、三年目に入ると、仲間に仕事を手伝ってもらわないと現場が回らないことも増えてきた。
ただ、それでも、収入は、前職のレベルにまでは達しなかった。

「“不満”というストレスが“不安”というストレスに変わっただけかもしれません・・・」
「収入が下がった分だけ損してますよね・・・」
男性は、笑いながらそう言った。
しかし、そこに後悔の暗さはなかった。
それどころか、
「でも、辞めるとき“二人で力を合わせれば何とかなるよ!”って言ってくれた女房には、今だに恩義を感じてますよ!」
と照れくさそうに言う男性の顔は、その時の空のように晴れ晴れとあたたかなものだった。

家族って、嬉しい ありがたい・・・
家族を大切にすることは自分を大切にすること・・・
家族がいるから頑張れる・・・
私には、男性のそれは、“金に代えることができない いいこと”に気づき、また、“金で買うことができない いいもの”を手に入れたからではないかと思えたのだった。




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マ田力気 ~後編~

2015-11-05 09:11:57 | ゴミ屋敷 ゴミ部屋 片づけ
私には、忘れたい過去でありながらも、忘れてはいけない過去がある・・・
その一つが、引きこもりの経験。
これまで何度か書いてきた通り、この仕事に就く直前、私は、実家に引きこもっていた。
それは、大学卒業後、23歳のとき。
衣食住、家事雑用から生活経費まで、すべて両親が負担。
生産性のあることは何もせず、人目を気にして外出もせず、実家の一室にいるだけ。
ただ飯を食べ、用を足し、寝るだけの毎日を過ごしていた。

PCや携帯はもちろん、自室にはTVもなかった。
(ちなみに、PCや携帯電話が一般に普及したのは、この数年後。)
読書は嫌いだった(今も嫌いだけど)から、本を読むこともなく。
部屋に閉じこもって一日をどう過ごしていたのか・・・細かくは思い出せない。
ただ、当り前の話だが、実家といえども居心地が悪かったことは憶えている。

もちろん、楽しいことなんて何もない。
夢も希望も何もない。
頭に浮かんでくるのはネガティブなことばかり。
危機感、絶望感、劣等感、敗北感、罪悪感、虚無感・・・
自意識過剰、履き違えた自尊心、精神不安定、そして極度の欝状態・・・
上向きなことを考えようとしても気力がともなわず、すぐに萎えてしまっていた。

悩みながら生きることの意味、苦しみながらも生きなければならない理由・・・
そんなことばかりが頭を過ぎる毎日。
そして、そういう状況では、当然、悲観的・否定的な考えばかりが頭に浮かんでくる。
「無理して生きる必要なんかない!」
「誰か俺のこと殺してくれ!」
そんな思いに苛まれて、心を掻きむしっていた。

それでも、私は親の庇護のもと甘い環境に置いてもらっていた。
何もしなくても、とりあえずは食べていけるのだから。
しかし、それは、他人からすると、理解に苦しむ堕落した生活。
そして、それは、とりあえず外に出て、好き嫌いを言わず働けば解決するはずの問題。
にも関わらず、気力が失われていく中で、いつまでも燻ぶっている。
誰がどう見ても、マトモな人間に見えるわけはなかった。

自分でもそれがわかっていた。
だから、余計に落ち込んだ。
それでも、社会に出る勇気が持てなかった。
それよりも、この現実から逃れない・・・生きることの虚無感のほうが圧倒的に強かった。
何故だろうか・・・
そこには、自分の行く手を阻む自分がいたから・・・自分の本心を潰す邪心があったから。

引きこもりって、経済的基盤がないとやれない。
どんなに節約に努めても、生活していくためには金がいる。
そんな私を支えてくれたのは両親。
ただ、実家は、ごく普通のサラリーマン家庭。
決して裕福な家ではなかった。
そこに一人前の御荷物がいるわけだから、親も大変。
経済的なことはもちろん、精神的にもかなりの負担だったはず。
それでも、親として放っておくことができず、先の見えない苦渋の日々に耐えてくれていた。

甘やかしてばかりでは本人のためにならない。
ときには厳しく接することも必要。
しかし、それが吉とでるとはかぎらず、凶とでる場合がある。
私は、明らかにフツーじゃなくなっており・・・厳しく接して社会復帰を果たせればいいけど、ひとつ間違えば生きることをやめる道・・・つまり死を選択する可能性もある。
両親は、それを怖れていた。

もちろん、何もしないでいても退屈な日々ばかりではない。
両親だって、ただの一人間。
忍耐力にも限界があり、堪忍袋の尾が切れることもあった。
当然、私と両親との間には色々なことがあった。
親に苦言を呈され、叱られ、励まされ、慰められ、ときに罵倒され、私の方は、屁理屈で反論し、言葉がなくなると逆ギレし、沈みこみ・・・修羅場は何度となくあった。
ここに書くことも躊躇われるくらい嫌悪する出来事だけど・・・自分だけでなく母親に刃物を向けたこともあった。

しかし、アノ時、一人暮らしで親から経済的援助を受けていたら・・・
誰の目もなく、誰も干渉もなく、毎月そこそこのお金が入っていたら、私もそこから脱出できなかったかもしれない。
そして、私も、故人と同じような道をたどった可能性は充分にある。
それを思うと、とても神妙な気持ちになる。


楽しく生きられない人生に意味はない?
愉快に生きられない人生に意味はない?
幸せに生きられない人生に意味はない?
・・・そんなことはない。
苦楽は表裏一体、泣笑も表裏一体、幸不幸も表裏一体。
時々や瞬間の一面だけをみて軽々しく判断してはならないと思う。

生きていることに素晴らしさを感じることいくつもある。
しかし、私には、他人に「生きていることは素晴らしい!」と言い切れる力はない。
ただ、「生きていることは不思議なこと」とは言える。
そして、「生きるということは面白いこと」とも。
楽しいことも苦しいことも、嬉しいことも悲しいことも、幸せなことも不幸せなことも、全部含めて、本当に、本当に色んなことがあるから。
とにかく、この「面白い」は幸せのベース。
そう感じられないことも多いけど、とにかく、人生は面白いのである。

その一方で、
「そもそも、“生きることの意味”なんて人が考えるべきことじゃないんじゃないか?」
なんて思うこともある。
答があり過ぎて、答がなさ過ぎて、いつまでたっても廻ってばかりだから。
しかし、多分、こうして、生きることの意味を考えながら生きることも、また生きることの大きな意味の一つなのだろうと思う。
だって、それによって、その心は、また一つ、生きてて面白いことを探そうとするのだから。
そして、その種を手にするのだから。

人間の感情なんて、結構いい加減なもの。
ちょっといいことがあると人生バラ色になり、ちょっと悪いことがあると人生真っ暗になる。
しかし、実際は、自分が喜んでいるほど良いことでもなく、自分が嘆いているほど悪いことでもないことが多いのではないだろうか。
そして、そんなことに振り回されながら、泣き笑う・・・それもまた人生の面白みかもしれない。


前編の続きに戻ろう・・・

引き出しの中にあったのは何十通もの手紙。
封筒裏の差出人欄には故人の母親らしき人の名。
顔を合わせたがらない息子(故人)、話をしたがらない息子のことを案じて母親が書いたものだろう・・・
他の郵便物は、部屋中に放り投げてあったのに、この手紙だけは一つの引き出しにきれいに収められていた。

故人は、母親の気持ちがわかっていたはず。
それが重いものであることも。
しかし、どうあがいても、弱い自分を、嫌悪する自分を脱ぎ捨てることができない。
そして、そいつらが社会復帰するために必要な勇気を削ぐ。
その格闘で乾いた心が、また、故人を酒に走らせたのかもしれなかった。

両親は、「本人のためにならない」とわかっていても、故人を突き放す勇気を持てなかったのか・・・
戸惑い、苦悩しながらも、結末が吉ではなく凶とでることを怖れて。
結果、不本意なかたちの生活が終わるより先に、故人の人生が終わってしまった・・・
私は、最初の電話の態度から、男性(父親)が、正体不明の怒りに身を震わせていたことを想像し、自分の過去と重なる他人の人生を憂いた。


私の引きこもり生活は、死体業に就くことによって終わりを迎えた。
そして、それを機に、私は実家を出ることに。
家を離れる日・・・
壊れてバラバラになった生きる勇気をハリボテのように組み立てての再出発・・・
ほとんど投げやり、やけっぱち・・・夢も希望を持てないまま・・・
散々世話になり、散々心配と迷惑をかけたのに、私は礼の一つも言わず、愛想笑いの一つも浮かべず、フテ腐れた態度。
それでも、母は、振り向きもしない私の背中をポンポンと叩き、泣きそうな声を絞りだして「がんばるんだよ・・・」と言ってくれた・・・

あの時、母の言葉は、私の心には響いていなかった。
自分のことばかり考えて、社交辞令的に聞き流していた。
その心は冷たく乾き、人間らしい温かみを失っていた。

あれから23年・・・
少しは人の道がわかってきた。
それでも、私の生きる勇気には傷跡が残っている。
補修はできているが、無傷なものに比べたら壊れやすい。

しかし、あの時の母の言葉は、その後の人生において、何かにつけ壊れそうになる生きる勇気を組み立てなおしてくれているのである。


公開コメント版

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マ田力気 ~前編~

2015-11-03 09:37:22 | ゴミ屋敷 ゴミ部屋 片づけ
ある日の午後、私は、街中に建つマンションに呼ばれた。
その上階にある一室で、住人が腐乱死体となって発見されたのだ。
依頼者は、マンションの管理会社で、私はそこの担当者と待ち合わせ。
私より少し遅れて現れた担当者はハイテンション。
近隣から苦情がでているわけではなかったが、苦手な何かにプレッシャーをかけられているようにピリピリしていた。

このエリアは一等地。
間取りは1Rや1LDKばかりで、独身者用の造り。
高級マンションではなかったが、築年数は浅く家賃は高め。
経済的に余裕のある学生や独身のビジネスマン等が多く居住。
部屋ごとにオーナーがおり、それぞれが賃貸で運用するタイプ・・・いわゆる投資型マンション。
そして、問題の部屋のオーナーは故人の父親だった。

1Fエントランスで担当者から鍵を預かった私は、専用マスクを脇に隠すように持ち、エレベーターで上階へ。
現場の部屋の玄関前に立ち、とりあえず深呼吸。
そして、周囲に人影がないのを確認して開錠。
マスクもつけないままドアを開け、素早く身体を室内に滑り込ませた。

ドアの奥には薄暗い部屋が。
それも、どこかに何が隠れていてもおかしくないようなゴミ部屋。
そんな光景に、慣れた私でも少なからずの不気味さを覚えた。
また、室内の悪臭は脳が判断する間も与えず、鼻から胃を直撃。
悪臭を肺に入れたくなかった私は、そそくさと専用マスクを装着した。

遺体痕は探すまでもなかった。
玄関を入ってすぐのところが台所で、そのシンクの前の床にあった。
結構な時間が経っていたようで、色はドス黒く変色。
見慣れたものであっても、その異様さは、どことなく気分を下げるものだった。

更にインパクトがあったのは酒。
故人は、相当の量を飲んでいたとみえ、部屋には焼酎の大型ボトルが数え切れないくらい放り投げられ、隅のほうには高く積み上げられていた。
死因は病死らしかったが、それは自殺をも思わせる光景。
何が自分とダブるというわけでもなかったが、私は、他人事とは思えない雰囲気に呑まれ、落ちていた気分を更に深く落とした。

調査を終えた私は、身体が臭くなっていたため、エレベーターを使わず、長い階段を使って1Fへ。
そして、そこで待っていた担当者に部屋の状況を伝えた。
が、担当者は、この件には深く関わりたくないようで、
「あとのことは遺族と直接やりとりして下さい」
と、丸投げ。
そして、
「くれぐれも、近隣住人から苦情がこないように注意して下さい!」
と釘を刺したうえで、私に遺族の名前と連絡先を書いたメモを渡し、そそくさと立ち去っていった。


私は、正直、遺族に電話をかけることに気が進まなかった。
言葉だけで状況を理解してもらう難しさと、自分が怪しい人間ではないこと(実は怪しい人間なのかもしれないけど)をわかってもらう難しさを知っていたから。
場合によっては、八つ当たりにも似た悪口雑言を浴びることもあるから。
しかし、遺族に連絡をとらないと事が先に進まない。
私は、一旦、車に戻り、何かを覚悟しながらメモに書いてある番号に電話をかけた。

故人の母親だろう、数コール鳴った後、老齢の声の女性が電話にでた。
管理会社の名を出して用件を話すと、女性は慌てた様子。
私の話を途中で止めると、電話の向こうで誰かを呼んだ。
そして、電話の相手は男性に代わった。
その声と口調も明らかに老齢で、名乗られなくても、男性が女性の夫、つまり故人の父親であることがわかった。

管理会社の担当者同様、男性も、この件には関わりたくなさそう。
しかし、親子である以上、また、部屋の所有者である以上、それは通用しない。
この現実に憤りを感じているのか、自責の念の表れか、悲しみのせいか、私が何か失礼なことを言ったわけでもないのに、私に対しても無愛想・・・というか、どことなく喧嘩腰。
私は、男性の態度を不快に思う反面、その心情もわからないではなく、例のごとく、仕事と割り切って事務的に捌くことにした。

男性は、私と会話すること自体 嫌悪感を覚えるみたいで、余計なことは語らず。
社交辞令的な言葉の潤滑剤も一切なし。
必要最低限の質問を私に投げかけ、それに対し私も簡潔に応え、必要な作業内容と費用を説明。
すると、「説明は理解できないけど頼むしかないだろ!」と言わんばかりに憮然と承諾。
“死体に群がるハイエナ”のように思われたのか・・・とにかく、男性にいい印象を持たれていないことがハッキリ伝わってきて、私は気分を一層悪くした。
同時に、現場に来れば一発で理解できることを言葉だけで伝えなければならないジレンマと、理解できないにも関わらず現場に来ようとしない男性に苛立ちを覚えた。


部屋を片付けていると、知ろうとしなくても故人の個人情報は知れてくる。
私は、荷造・梱包をする過程で色んなモノが現れ、色んなモノが目についた。
そして、それらは自然と私の頭で組み上がり、一人の人間の晩年の生き様ができあがっていった。

故人は、私より年上ではあったが、大きく括ると同年代。
数年前まで大手企業に勤務。
しかし、自己都合で退職したのか解雇されたのかまではわからなかったが、晩年は・・・いや、最期の数年は無職。
履歴書は何枚もあり、求職活動をしていた形跡はあったけが、安定した仕事に就いていた形跡はなし。
それでもこのマンションに暮せたのは、オーナーが男性(父親)だからで、築年数からみると故人(息子)に住まわせるために購入した可能性も大きかった。

ただ、そこは一等地に建つ投資物件。
一般庶民が気安く買えるような物件ではない。
それなりの経済力はないと、まず手は出ない。
なのに、男性はこの部屋を手に入れたわけで・・・ということは、男性は、それなりの経済力を持っているということになる。
となると、無職の故人が生活するうえで、住居以外にも親から援助を受けていたことも容易に想像できた。
でないと、酒を飲むことはおろか、食べるにも事欠いてしまうわけで、そうだとしたら、これだけの膨大な飲食ゴミが溜まるはずもないから。


そう・・・故人は、親の庇護のもと、働くことなく生活していた。
しかし、それは決して楽なものではなく、いくつもの紆余曲折を経ての不本意な結果。
本当なら、きっと、社会で一人前に生きたかったはず。
たけど、何かが邪魔をして、それが叶わなかった。
年齢?学歴?経歴?労働条件?・・・いや、プライド・世間体・怠け心・・・そう、邪魔をしたのはもう一人の自分かもしれず・・・
それに勘付くと、自分の弱さが露になり、自分を攻撃してくる。
すると、その弱さが恐くなる。
そして、それに耐えきれず、それを紛らわすために酒を飲む。

また、働き盛りの成人男性にとって、失業は社会的な死を意味する。
仕事に就けない理由は人それぞれだけど、働きたいのに働けないのはまさに地獄。
一流企業の勤務歴をもっている人には尚更かもしれない。
敗北感と劣等感と罪悪感に苛まれ、そのうちに精神がやられてしまう。
結果、少しでもそれを中和させようと酒に走る。
そして、それを繰り返すことによって、精神と肉体は闇に蝕まれていく。

故人が、日々、かなりの酒を飲んでいたことは、空容器が証明。
多分、外出もほとんどせず、人と関わることも避けていただろう。
食料を買いに出る以外は、ほとんど部屋に引き篭もりっぱなしの生活だったのではないだろうか。
そんな中で、とうとう身体は限界を迎え、一人倒れてしまった・・・


晩年、故人は、何を考えて生きていたのか・・・
最期、故人は何を思ったのか・・・
辛いこともたくさんあっただろう・・・
悲しいこともたくさんあっただろう・・・
悩みもたくさんあっただろう・・・
生きることに疲れ、生きることがイヤになり、生きることの意味、生きなければならない理由を考えたことがあったかもしれない。

勝手な想像は程々にしておかなければならないが、人生の局面に立たされたとき、特に苦境に置かれたとき、人は誰しも似たようなことを考えるのではないだろうか。
誰にも相談できず、誰に相談しても役に立ちそうな答が望めず、自分一人の胸の内で質疑応答を繰り返すことってないだろうか。
そうして、導けないとわかっている答を探し続ける・・・
それで、這い上がれればいいのだが、虚しく落ちていくこともある・・・

私は、自らが踏んできたそれらの考えを頭に巡らせながら、黙々と作業を進めた。
そして、タンスの引き出しにしまってあったある物を見て涌いてきた身につまされるような思いに息を呑んだのだった。

つづく
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素のまま

2015-10-14 08:22:36 | ゴミ屋敷 ゴミ部屋 片づけ
不特定多数の人と関わるのが私の仕事。
そして、一仕事が終われば、その関係は解消される。
不動産業者や建築業者等の担当者の中には、仕事柄、複数回に渡って関わりを持つこともあるけど、原則として一期一会。
大方の場合、
「二度とお目にかかるようなことはないと思いますし、お目にかかるようなことはないほうがいいですから・・・」
と、ちょっと切ない挨拶をもって関係は終了する。

現場によって、関わる期間はまちまち。
一回(一日)限りで終わることもあれば、数日から数週間、長いときは数ヶ月に及ぶこともある。
過去には、特殊清掃・消臭消毒・家財撤去・内装改修工事をやった現場で、関係が一年くらい続いた依頼者もいた。
そうなってくると、その関係は、「客と業者」というより親しい友人みたいなことになり、故人との思い出、人生観、悩み事等々、仕事には直接関係のない話も多くなる。
そして、仕事が終わると、「もう二度と会うことはないだろう」とわかったうえで、お互いに「ありがとうございました」と労いあって別れる。
そうして、少し寂しいような、少しあたたかいような余韻だけを残し、またアカの他人に戻るのである。

そんな仕事においては、残念ながら、苦手な(嫌いな)タイプの人とも遭遇する。
いくつかはブログにも登場させたが・・・
代金を踏み倒す人、
契約を交わした後で追加作業をサービスでやらせる人、
契約通りの作業をしたにも関わらず、終わった後で値引きを要求する人、
仕事を依頼するつもりもないのに、現地調査をさせてアドバイスだけ求める人、
現地調査に呼んでおいて約束の日時に現れずスルーする人等々・・・
思い出すと頭にくるけど、こういう類の人が少なからずいるのだ。
そうは言っても、素のままの自分を曝け出して怒り散らすわけにもいかず、忍耐をもって穏便に事を治めるのである(ほとんど泣き寝入り)。

その根底に共通するのは高慢・横柄な人格。
私はこれが嫌いである(好きな人はいないか・・・)。
私にだってその要素は充分にあるだろうから、他人事のように非難してはいけないけど、私は、人のそれに人一倍嫌悪感を覚える分、常日頃から人に対して偉そうな言動・態度をとらないように努めている(つもり)。
(もともと、人に偉そうにできる材料も持ち合わせていないけど。)


この現場の依頼者にも、はじめ、私は良い印象を持たなかった・・・

訪れた現場は、街中に建つマンションの一室。
一般的な1Rマンションだったが、立地を考えると家賃は高そうな感じ。
私を出迎えたのは若い女性。
時は昼過ぎ、約束の時間に私が来るとわかっていたはずなのにパジャマ姿で寝起き顔。
明るく染めた髪はボサボサで、それを派手なネイルでかき上げながら、照れ臭そうに笑いながら頭を下げた。
私は、想定していなかったキャラに戸惑い、余計な神経を使わされることを覚悟しながら、促されるまま部屋に入った。

室内は、ゴミ部屋。
床は見えておらず、隅の方は高めに堆積。
そのほとんどは飲食ゴミで、それを主として衣類や生活用品が混在。
ゴミと化粧品の混合異臭が漂い小蝿が飛び交う中、ベッドだけが孤島のように浮いていた。

依頼の内容は、ゴミの片付けと部屋のクリーニング。
私は、だらしなく散らかった部屋と、ひどく汚れた水廻りを観察。
そして、必要な作業と、それにかかる費用を提示した。
女性は、ある程度の費用がかかることは覚悟していたようだが、私が提示した金額はそれを少しオーバー。
一定の金額を示し、そこまで値引くよう要望してきた。
しかし、私も、かかるコストを慎重に計算してだした金額。
女性の言うまま、アッサリ値引いては逆に信用を失う。
私は、その金額になる理由を丁寧に説明し、その上で、値引きするための条件を探った。
とにもかくにも、契約前の値引き交渉はあって然るべきもの。
費用を安く抑えたいというのは自然な心理で、それは、私を不快にさせるものではなかった。

私が引っかかったのは、女性の言動と態度。
どこからどう見たって、私のほうが年上。
その上、家族でも友人でもなくアカの他人で、しかも初対面。
にも関わらず、言葉遣いはメチャクチャ。
敬語とタメ口をゴチャ混ぜにして、まるで同年代の友達と話しているかのようなノリ。
「こんな小娘にタメ口をきかれる筋合いはないんだけどなぁ・・・」
私は、そんな風に心の中でボヤきながら、それでも
「“客と業者”だから仕方がないか・・・我慢!我慢!」
と自分を説き伏せ、大人を装って仕事の話を続けた。

結局、料金は私が折れた。
若い女性に鼻の下を伸ばしたわけではなく、「前に相談した他社の担当者よりも私の方が信用できそう」と言ってくれたから。
ま、これは女性の常套(じょうとう)作戦のようにも思われなくもなかったが、悪い気がしなかった私は女性の言葉を素直に受け止め、値引きに応じた。
そして、その代わり、作業の日時はこちらの都合を優先してもらうことにして契約を交わした。

どうみても、女性はフツーのOLには見えず。
また、作業可能時間を確認すると、おのずと夜の仕事をしていることが判明。
夜の仕事といって思いつくのは水商売。
が、女性がどんな仕事に就いているかなんて私には関係のないこと。
代金をキチンと払ってもらえればそれでいいこと。
だから、私は、女性の職業については想像するだけにとどめておいた。
ただ、水商売で生計を立てているであろうことに、いい印象を持てなかった。
「何故?」って訊かれても返答に困るのだが、「職業に貴賎はある」と言える出来事をイヤというほど経験している私は、軽率な先入観とポリシーのない固定観念にもとづいてそう思った。

女性は、キャバ嬢だった。
ゴミの中に混ざった名刺の束でそれがわかった。
ただ、名刺の名前は契約書に書いてもらったサインと同名。
「契約書に源氏名を書いたのか?」
と、不快に思ったが、ゴミに混ざった公共料金の書類等もすべてその名前。
契約書の名前も名刺の名前も、どうも本名のよう。
「源氏名が悪い」なんてこれっぽっちも思っていないけど、本名で店にでていることに何となく好感をもった私は、女性のタメ口も気にならなくなった。
それは、横柄な人格からくるものではなく、仕事柄、身に染みついた“習性”からくるものと理解したから。

女性の仕事では、短時間のうちに客(男)と親しくなる必要がある。
愛嬌をふりまいて、好感をもってもらう必要がある。
女性は、限られた時間で相手に親しみをもってもらうためのテクニックとしてタメ口を多用しているのだと判断した。
しかし、客でもない私に対しては、その必要は何もない。
私と親しくなったって、女性には何のメリットもない。
なのに、仕事上で身についた習性として、無意識のうちにタメ口をきいてしまうようで、古くからの友人のような馴れ馴れしい話し方は終始変わることはなかった。
一方の私は、無愛想にされるよりよっぽど気は楽だったけど、それはそれとして自分のポジションをキッチリ理解して敬語を崩さなかった。

ゴミは大量にあった。
目立ったのは食べ物ゴミだったけど、その他、日常生活で発生するありとあらゆるゴミが混在。
更には、下着や生理用品ならまだしも、○イ○や○ー○ー(ヒント→電動)まで放ってあり、少し困惑。
そんなモノ見たことはあっても使ったことはない未熟者にとっては、手に取るのも躊躇われるような代物で、
「いくらなんでも、あけっぴろげ過ぎるだろ・・・これくらい隠しといてくれよ・・・」
と呆れかえった。
と同時に、素のままを曝け出せる女性のタフな羞恥心に、憧れにも似た劣等感のようなものを覚えた。

学歴も高くなさそうで、外見も派手気味。
豊かな教養も感じられず、言葉遣いも幼稚。
仕事は夜の水商売。
部屋の惨状が表したとおり、私生活もルーズで、とても褒められたものではなかった。

しかし、人の長所や短所は見つけられるものではあっても、数えられるものでも大小を比べられるものでもない。
女性には女性のなりに良いところがあるだろうし、もちろん悪いところもあるはず。
人って、決まった定規では計れない。
それなのに、人は人を年齢、性別、外見、学歴、職業、経歴などで計ってしまう。
もちろん、それで計れることもたくさんあるし、それで計っていいこともあると思う。
ただ、すべてそれで計ってはいけないし、計れると思ってもいけない。
一点の長所だけみて良い人間と判断することもできなければ、一点の悪いところだけみて悪い人間と決めつけることもできないのである。

人の評価がどうあれ、女性も一人間として、一度きり一パターンしか味わえない人生を生きていた。
経歴や職業がどうあれ、ちゃんと社会にでて、ちゃんと働いて、自分の食い扶持は自分で稼いでいた。
女性は女性なりに、自分ができるかぎりのことをやりながら自分の人生を素直に生きているように見えた。
代金についても「後払いでいい」という私に、「心配でしょ?」と、私の本心を見抜いたかのように笑って前払いしてくれた。
私には、その姿が、自分にないもの 自分に必要なものを見せてくれているように思えて、作業の手にも力が入るのだった。


人目をはばからないと人はわがままになる。
人目をはばからないと人を不快にさせる。
人目をはばかりすぎると自分を失う。
人目をはばかりすぎると人生が窮屈になる。
その辺のバランスをとるのが難しいところだけど、自意識過剰で打たれ弱い私は、世間体や人目をやたらと気にする性質。
だから、己を省みると「人目をはばかりすぎ?」と思ってしまうことが多々ある。

嫌われることを怖れ、皮だけの笑顔をつくる。
バカにされることを怖れ、つまらない見栄を張る。
劣ることを怖れ、見習うべき人を遠ざける。
負けることを怖れ、競うことを避ける。
結局、それが人生の道幅を狭めてしまい、爽快に走ることはおろか、一歩一歩を力強く踏み出すこともできなくなる。

社会は多くの人で構成され、それでこそ成り立っている。
協調性の陰で妥協し、人間関係力学の下で迎合し、組織規範の中で諦め、自分を殺すことでうまく回っているところもたくさんある。
共同社会・共生社会において、不本意でも、そうした社会性を発揮することは必要。
でも、たまには、素のままの自分を曝け出すときがあってもいいと思う。
その開放感が、くたびれた自分を再生させる一助になり、新しい自分が生まれるための気づきを与えてくれるかもしれないから。

だから、私は、恥かしげもなく、今日もこうして心の文字を紡いでいるのである。



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残された時間

2014-03-13 06:51:45 | ゴミ屋敷 ゴミ部屋 片づけ
「ゴミの片付けと清掃をお願いしたい」
と、ある女性から相談が舞い込んだ。
現場は、女性の自宅。
それなりの経験がある私は、女性がくれる情報を組み立てて、頭の中で女性宅を映像化。
そして、それを分析し、その片付け・清掃に要する作業内容と費用を伝えた。

私が提示した概算費用は、女性が想像していた金額とはかなり乖離。
「てっきり、○万円くらいで済むと思ってたんですけど・・・」
と、具体的な金額を明かしてきた。
しかし、それは、予想されるこの仕事にはまったく合わない金額。
私は、不親切な人間と思われることを承知で
「多分、その費用ではやれないと思います」
と難色を示した。

あたたかい人間でありたいとは思うけど、私は、結構、冷たい人間。
この仕事だって、基本的には“ビジネス”と割り切っている。
しばらく前の「痩心」に書いた通り。
だから、こちらが見積もる料金と依頼者が心積もる料金が、まったくかけ離れた金額だと、現地調査を断ることもある。
現地調査に行くだけでも、それなりの移動交通費・駐車場・人件費等がかかるわけで、仕事にならないとわかってしまっては現場に行きようがない。
私自身も気が進まないし、会社もそれを許可しない。
本件も、まったくのそれで、私は「行くだけ無駄だな」と思い、遠まわしに現地調査は不可能であることを伝えた。

そんな冷たい私に対しても、女性は電話を切ろうとせず。
「色々と要望がありまして、場合によっては予算を増やすこともできますけど・・・」
と、意味深なことを言ってきた。
そうなると話は変わる。
金になる可能性もでてくるわけで・・・
「現場を見せていただかないと何も始まりませんから・・・」
と、私は、手の平を返したように調子のいいことを言って、女性の希望する日時を訊いた。
そして、
「できるだけ早く来て下さい!」
という女性の要望を聞いて、その日の午後、予定を変更して女性宅を訪問した。

訪れた家は、静かな住宅街に建つ一般的な一戸建。
インターフォンを押すと、女性はすぐに玄関を開けてくれた。
早速に招き入れられた室内は、ほぼ想像通り。
床が見えていないほどではなかったが、玄関からゴミが散乱。
靴を脱いで上がると、どこを踏んでも足の裏に異物感を感じるような状態。
また、階段の隅々には、毛髪とホコリが大きな塊を掬っていた。
特に酷かったのは、レンジ回り、換気扇、キッチンシンク。そして、浴室・トイレ。
いわゆる“水廻り”といわれる箇所で、どこもかしこも重汚染が付着し、日常で使用していることが信じられないくらいの状態になっていた。

女性は、夫と子供二人の四人家族。
掃除や整理整頓は家族の誰もが苦手。
そもそも、子供はその躾を受けていない。
掃除や片付けをするのは、気が向いたときぐらい。
ただ、女性は専業主婦。
「家事は女がやるもの」なんて古い考えは持っていないつもりだけど、生活上の役割を考えると、4人の中で女性の責任は最も重いように思えた。

掃除が必要になったキッカケは、遠くに住む義父母の来宅予定。
それまでにも何度か義父母が遊びに来る話はあったが、その時々でテキトーな理由をつけではのらりくらりとかわしてきた。
しかし、業を煮やした義父母には、もう、その手は通用せず。
義父母は、半ば強引に息子宅の訪問を決めたのだった。

やはり、女性の予算では、仕事を請け負うことは不可能。
私は“足元はみてない”ことを強調したうえで、必要な作業内容とコストを説明。
そして、見積った金額の根拠を示した。
すると、女性は私の説明を理解したよう。
意外なほどアッサリと、私が提示する金額を承諾。
その代わり、作業時間について条件を付けてきた。
それは、依頼した作業を翌日中に完了させるというもの。
費用を増額してもらったとはいえ、私にとっては、なかなか厳しい条件だった。

そこからの作業が、結構な緊張感をともなうドタバタ仕事になったことは言うまでもない。
とにかく、時間がない。
与えられた時間内に家中をきれいにするのは無理。
とりあえず、義父母対策ができればいいわけだから、片付ける対象に優先順位をつけることに。
義父母が立ち入らないはずの子供部屋と夫婦の寝室がある二階部分は後回し。
逆に、義父母が使う一階部分や水廻りを優先。
とりあえず、二階の子供部屋を物置代わりにすることにし、必要な物や捨てたくない物は、一時的にそこにまとめて収納。
そして、残るであろう大半のゴミや不要物は、翌日、梱包して搬出することにした。

一番の課題は水廻りの清掃。
風呂、洗面台、トイレ、そしてキッチンシンク
どこもかしこもヒドく汚れ、一朝一夕にはどうにもならない
しかし、先にそこをやっつけておかないと、落ち着かない。
私は、水廻りの掃除がある程度終わるまで帰らないことを女性に伝え、その作業に着手した。

幸いにも(不幸にも?)、私は特清隊長。
もっと酷いところを掃除した経験をいくつも持つ。
そのためだろう、実際やってみると、この家の掃除なんて、そう難しいものではなかった。
だから、一般の人がやるよりもはるかに早いスピードで掃除は進行。
結局、抱えていたプレッシャーがウソのように、その掃除はスムーズに完了し、私は胸をなでおろした。
そして、翌日の作業を頭でシミュレーションしつつ、また、残された時間の少なさに緊張しつつ、その日は帰途に着いた。

何事も協力しあってやることは大事。
仲間(同僚)にもここの作業を優先してもらい、翌日は、朝早くから作業開始。
梱包したゴミは家から搬出し、家の前にとめたトラックに積載。
必要な物、捨てたくない物は、袋に詰めて二階の子供部屋へ。
ひたすら、それを繰り返した。

結果、二階の子供部屋は、ほとんど物置状態に。
しかし、一階は余計な物がなくなりスッキリ。
水廻りも結構ピカピカ。
夕方までかかることも覚悟していたが、作業は、午後の明るいうちに終了。
女性は、嫁としての面目を潰さずに済んだことに安堵したよう。
「さすがですね」
と、笑顔で我々の作業を褒めてくれた。
そうして、限られた時間の中で作業手順や作業対象に優先順位をつけたことが功を奏し、ドタバタの作業は期日内になんとか終了したのだった。


誰もが、期限付きの人生を生きている。
誰しも、残された時間は限られている。
10年生きるとしたら、あと3,700日程度
20年生きるとしたら、あと約7,300日程度
30年生きるとしたら、あと10,000日余
日数に換算すると「たったそれだけか・・・」と思う。
そんな中で、一日一日は確実に過ぎている。
泣いても笑っても、喜んでも悲しんでも、一日ずつ死期は近づいている。

この残された時間をどう使うか・・・
使い方は複数、だけど身体は一つ。
これまでやってきた物事の優先順位を見直すだけで、時間の密度が高まるかもしれない。
しかし、この人生、やりたいことだけやって生きていくことはできない。
やりたくないことでも、やらなければならないことがたくさんある。
時間の使い方において、自分の希望通りの優先順位なんてなかなかつけられないのも現実。

しかし、考えることはできる。
そして、ささやかながら実行に移せることもある。
日々の生活において大切にしているもの・大切にしていることが、人生にとって・人として大切なものとは限らない。
だから、この再考は大きな意味を持つ。


あの大震災から三年・・・
アノ時、少しは変わったかもしれなかった自分の価値観・・・
しかし、結局、元に戻ってしまった自分の価値観・・・
今、それを思い返しながら、大切にすべきものの順位を探っている私である。


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初志甘徹

2014-03-08 08:48:35 | ゴミ屋敷 ゴミ部屋 片づけ
一月が行き、二月が逃げ、もう三月。
あれから、一年が経った・・・
そう、私が週休肝二日を始めてから。
昨年の三月からはじめて、何とか一年を通すことができた。

ルールは、一年前のブログに書いた通り。
日曜~土曜の間、任意で二日以上、酒を飲まない日をもうけるというもの。
簡単なルールだけど、これをやり通すのは、なかなか簡単ではなかった。

たった週二日、されど週二日。
現場がキツくて咽が渇きやすい春・夏は苦戦。
相当意識したため、何とか二日は死守することができた。
逆に、秋・冬は楽勝。
精神の低迷のため、飲みたい気持ちも高まらず、自然と飲まない日が多くなった。

飲まなかった日は、カレンダーに赤○印。
週の前半に赤丸を一つでもつけておかなければ、後半にプレッシャーがかかってくる。
何事もプレッシャーを嫌う私は、とにかく、週末になる前に週休肝二日を達成するよう努めた。
そして、赤丸が多くなるほど、達成感も増していった。

害といえば我慢のストレスくらいで、身体(健康)のことを考えると利のほうが大きい。
ただ、ストレスを侮ってはいけない。
これはこれで不健康の原因になる。
だから、ノンアルコールビールや炭酸水等の力を借りながら、少しでもストレスを抱えないで済むよう工夫しながら、これからも続けていくつもり。

そもそも、何かをやり通すことが苦手な私。
思い返してみると、三日坊主で放り出したこと、ちょっとした困難で挫折したこと、怠け心に負けて逃げたこと・・・キリがないくらい挙がる。
もっと、自分に厳しく、努力と忍耐ができる人間だったらよかったのに・・・
これまで、何度、自分で自分を恨めしく思ったことか。
だからこそ、誰に威張れることじゃないけど、週休肝二日をやり通せたことに満足している。


依頼者は、30代の男性。
依頼の内容は、部屋に溜めたゴミの片付けと清掃。
現場は、1Rのマンション。
男性の自宅だった。

約束の日時、男性は自宅で私の到着を待っていた。
部屋からでてきた男性は、何かの不安を抱えてか、羞恥心が膨らんでか、少し緊張オドオド気味。
それでも、私を部屋に入れなければ何も始まらないわけで、男性は、
「靴のままで構いませんから」
と、申し訳なさそうに私に通路を空けた。
しかし、部屋の状態は、私の予想よりも軽症。
床はゴミに覆われ一部たりとも見えていなかったが、ゴミにたいした厚みはなく、また異臭も軽度。
土足のまま上がるほどの惨状ではなかったため、私は靴を脱ぎ「失礼します」と一般の御宅と同じに上がり込んだ。

ゴミ部屋を片付けようと思い立つにあたっては、色んな動機(きっかけ)がある。
事例として多いのは、
家族・大家・不動産会社等の第三者に見つかってしまった
設備の点検等で第三者が部屋に入る事情が発生した
転勤・転職等で引っ越すことになった
というもの。
そんな中で、男性には急務の事情はなかった。
転職や転居の予定はなく、誰かが部屋に入る予定もなければ誰かに見つかったわけでもなかった。
ただ、
「このままだマズいことになると思いまして・・・」
とのこと。
やったことは賢明ではなかったが、その考えは賢明だった。

これまでのブログで何度となく書いてきた通り、ゴミ部屋は、放置すればするほど、長期化すればするほど状況は悪化し、その後始末が大変なことになる。
場合によっては、内装建材に深刻な汚損をもたらし、大きな工事が必要になることもある。
しかし、ある程度のところで行動を起こせば、後始末も軽易にすみ、内装建材も清掃で復旧できる。

幸い、男性の部屋は後者。
ゴミの中に食べ残しの食品や飲料はなく、作業は、比較的、軽易に済んだ。
また、内装の汚損も軽症。
建材に損傷はなく、簡単な拭掃除できれいになった。
キッチンシンク・風呂・トイレ等の水廻りは、結構な汚さだったが、何とかこれも清掃で復旧。
大事になることなく原状を回復させることができた。

「きれいにしてもらって助かりました」
「これからは、キチンとやります!」
と、男性は、明るい表情で私に代金を差し出した。
そして、深々と頭を下げた。

「そうですね・・・」
「二度とお目にかかるようなことがない方がいいですけど、またお役に立てそうなことがあったら呼んで下さい」
と、私は、代金を受け取りながら冗談を飛ばした。
そして、どこの現場にもある一期一会の余韻に浸りながら、現場を後にした。


それから、しばらくの月日が経ち・・・
ある日、憶えのない番号を映しながら私の携帯電話が鳴った。
「一年ほど前に部屋を片付けてもらった者ですけど、おぼえておられますか?」
電話の向こうは男性の声。
場所を告げられた私は、すぐに記憶を回復。
男性のことも部屋のことも、まるで昨日のことのようにリアルに思い出すことができた。

「またやっちゃいまして・・・」
男性は、せっかくきれいになった部屋に、またゴミを溜めてしまったよう。
一度目の作業で懲りたはず・・・
生活習慣をあらためることを決意したはず・・・
にも関わらず、再び、自宅をゴミ部屋にしてしまったようだった。

男性は、私の携帯番号を登録しておいたよう。
二度と関わるつもりがなければ、わざわざ登録はしないはず。
なのに、私の携帯番号をとっておいたわけで・・・
そこところに、私は、自分と類を同じくする人間味を感じ、そして、何ともいえない親しみを覚えた。

再び訪れた男性の部屋。
一年前と同じ部屋。当然、男性も同一人物。
ただ、前回とは違い、作業についてのこと細かい説明は省略。
男性も、質問らしい質問はほとんどせず、
「あとはヨロシクお願いします」
「終わったら電話ください」
と、旧知の友に頼み事をするかのように、アッサリと私に部屋を解放し、どこかへ出掛けて行った。

前回も重症ではなかったが、今回は、更に軽症。
ゴミの種類も前回同様で、特別な汚物はなし。
水廻りの汚染も、前回ほどではなかった。
ともない、作業は比較的短時間のうちに原状を回復させることができた。

「ありがとうございます・・・」
「今度こそ、キチンとやるつもりです・・・」
と、男性は、自身なさそうに私に代金を差し出した。
そして、深々と頭を下げた。

「そうですね・・・」
「もうお目にかかるようなことがなければいいですけど、また必要があったら呼んで下さい」
と、私は、代金を受け取りながら半分本気の冗談を飛ばした。
そして、この現場にしかない、人との関わりに心をあたためながら、現場を後にした。


二回目の作業から、もう一年半が経つ。
あのとき、
「また一年後に来ることになるのかな・・・」
と思う私だったが、今のところ、男性から連絡はない。

二度の片付けで懲りた男性は、気持ちを入れ直して生活をあらためたのかもしれない。
面倒臭がらず日々のゴミを分別して、キチンと出すようになったのかもしれない。
男性にとって、それは幸いなこと。
そのことを思うと嬉しくもあり、また、正直なところ、少し寂しいような気もしている。
が、まぁ、それでいいのだと微笑んでいる。


決意を貫けば、多くの甘味がもたらされる。
成功、成果、達成感、満足感、優越感、精神力etc・・・
しかし、人間というものは弱いもの。
そして、人生には、試行錯誤、紆余曲折、挫折頓挫、一進一退がつきもの。
理性に従うことが難しいときがある。

決意を貫けないのも人間。自分に甘くなるのも人間。
そして、決意を貫けないことにも味わいがある・・・甘味にはない妙味がある。
失敗、反省、後悔、不満、劣等感etc・・・そして、その後の向上心と自己革新。
そう・・・人生には、初志貫徹できたときの甘味と、初志貫徹できなかったときの妙味がある。

そう開き直らないと、私のような暗い人間には陽が差さない・・・
そう考えないと、私のような弱い人間は強くなれない・・・
そう信じないと、私のような甘い人間は辛い人生を生きていけないのである。



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壁彩

2014-02-05 08:59:33 | ゴミ屋敷 ゴミ部屋 片づけ
「鍵は開けておくから、勝手に入って下さい」
依頼者の男性は、電話でそう言った。
依頼の内容はゴミの片付け。
男性は、ゴミ部屋の主だった。

百聞は一見にしかず。
原則として、作業には、事前の現地調査が必要。
口頭での説明や写真からは、十分な情報が得られないからだ。
私は、本件でも、現地調査の必要性を説明。
そして、他人の部屋に勝手に上がりこむことも躊躇われるので、男性にも、立ち会ってくれるよう依頼した。
しかし、男性は、仕事が忙しくてそれが無理の様子。
平日は帰宅が遅く、土日も予定が入っているとのこと。
私は、家財の毀損や貴重品の滅失等のクレームは受け付けないことを了承してもらい、単独で現地調査を行うことにした

訪れた現場は、古い小規模マンション。
男性の部屋は一階の一室。
私は、部屋番号に間違いがないかを慎重に確認し、ドアノブをゆっくり握った。
そして、ゆっくりドアを引き、片足を一歩前に出しかけた。

それまで、幾多のゴミ部屋を見てきた私。
少々のことでは驚かない。
しかし、ここは少し事情が違った。
玄関ドアを開けると、すぐに壁。
ゴミがきれいに積み上げられ、それが垂直の壁を形成。
それは、まるで、古来の地層のようにみえ、「美しい」といえば語弊があるけど、感心してしまうくらいの光景だった。

「感心してる場合じゃないか・・・」
見物することが仕事ではない。
部屋に入らなければならない私だったが、その行く手はゴミ壁が遮断。
私は、前に出しかけた片足を元の位置に戻し、新たな一歩をどこに出せばいいのかわからず途方に暮れた。

「他に出入口があるのか?」
そこに活路を見出すことを諦めた私は、玄関を閉め、ベランダ側に回った。
しかし、雨戸が閉められ、そこにも人が出入しているような形跡はなし。
それが解せず、私は、頭を傾げながら、しばらく建物(部屋)の回りをウロウロと歩き回った。

「やっぱ玄関か・・・」
考えられる出入口は、やはり玄関。
そこにしか答を見出せなかった私は、玄関に戻った。
そして、再び、ゴミ壁と対峙し、視線を上下左右にゆっくり動かした。

「ひょっとして、この穴?」
私は、壁の上部に半楕円形の隙間を発見。
それは、通ろうと思えば身体を通せるくらいの大きさの穴。
それが部屋へ通じる唯一の道であるものと思われた。

「どうやって入るんだろぉ・・・」
しかし、その穴は壁の上部に位置。
どうやったらそこに身体を突っ込めるのか、すぐには答が見つからず。
私は、穴の向こうに見える暗闇に不安を覚えながら思案した。

「入り方を教わっとくんだった・・・」
私は、愚痴りながら考えた。
結果、脚立を使うことに。
車から脚立を持ってきて壁の前に立て、それに登って、壁上部の隙間に上半身を潜り込ませた。

薄暗い室内には、インパクトのある光景が広がっていた。
もはや、家財の毀損や貴重品の滅失が気になるようなレベルではなく、まるで秘境の洞窟。
天井とゴミの間は1m程度。
場所によっては1.5mくらい空いているところもあれば、部屋の隅のほうは天井までゴミが到達。
立ち上がることは不可能。
もちろん、二足で歩くことも。
室内を移動するには四足で這うしかなく、私は、イグアナのような動きで部屋を見分した。

作業自体は単純作業。
ゴミを袋に詰め、部屋から出し、トラックに積む。
ひたすらこれの繰り返し。
頭脳を使うところはほとんどなく、必要なのは、体力と精神力のみ。
ゴミに埋もれ、ゴミにまみれながらの単調な作業。
人力でコツコツとやるしかない作業において、目に見えるようなスピードでゴミが減っていくわけではない。
しかも、天井との空間に限りがあるため、作業の序盤は無理な姿勢を強いられる。
早々に手や腰は痛くなり、気持ちも萎えてきた。
それが、気持ちの上で大きな壁となった。

だからと言って、請け負った仕事を、途中で放り投げることはできない。
イヤだろうが、辛かろうが、最後までやり遂げなければならない。
一箇所で黙々としていると、気持ちにすぐ壁ができてしまうので、私は、時折、場所をかえて気持ちの壁が高くなるのを避けた。
また、下のほうからでてくる古い雑誌を眺めては、昔を懐かしみ、時々は自分がゴミ部屋で労苦に服していることを忘れるよう努めて気持ちを紛らわしたのだった。

ゴミの撤去が終わって現れたのは、見るも無残な内装建材。
皮肉なことに、ゴミがなくなったせいで、部屋はもう寝泊りできない状態に。
重篤な汚損に重篤な悪臭が加わり、もはや住居としての面影はなくなっていた。
キチンシンクはゴミの重みで破壊され、床は腐り落ち、和室の畳も黒く変色し不自然な凹凸が発生。
壁の大半はカビに覆われ、所々には穴も開いていた。
風呂やトイレは全滅。
便器や浴槽、かたちだけは原形をとどめていたが、色は原色をとどめず。
掃除するだけ無駄で、取り壊して造り直す以外に手がないことは明白だった。

男性も、ある程度のことは覚悟していた。
しかし、現実は、その覚悟をはるかに超えていた。
部屋を原状回復させるには、内装・設備を解体して新しく造り直すしかない。
しかし、そこまでの大規模改修には相応の費用がかかると同時に、大家の了承を得なければならない。
つまり、それは、男性が矢面に立たなければならないということ。
ゴミ片付けという壁を乗り越えたものの、また、新たな壁に直面し、男性はうろたえたのだった。


人間、生きていれば色んな壁にブチ当る。
高い壁、低い壁、薄い壁、厚い壁・・・
乗り越えられる壁もあれば、乗り越えられない壁もある。
避けられる壁もあれば、避けられない壁もある。
一つ乗り越えれば、また次ぎの壁が現れる。
次から次へと、目の前に立ちはだかってくる。

今日は、これから便所掃除に行く。
まだ現場を見ていないけど、かなりヒドいみたい。
糞尿汚泥が便器から溢れだし、床一面を覆っているとのこと。
話を聞くと、作業の過酷さが容易に想像できる。
惨め感に襲われて消沈する自分の姿が容易に想像できる。
正直なところ、行きたくない。やりたくない。すごく気が重い。
そんな気持ちの壁が、私の前に立ちはだかっている。
どれでも、「自分のため、生活のため」と、自分を言いきかせ、必死に壁をよじ登る。

私は、壁のない人生を経験したことがない。
だから、どんなに楽なものか知らない。
どんなに退屈なものか知らない。
私は、壁のある人生を経験中である。
だから、どんなに大変なものか知っている。
どんなに人生に色彩を帯びさせるものか知っている。

どんな人にも、どんな日常にも、どんな人生にも壁はある。
そして、人は、それを越えるため、ときに汗を流し、ときに涙を流し、ときに心血を流す。
そして、それによって、今日という人生の一ページを鮮やかに彩るのである。



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