特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

泣き虫

2022-04-28 07:00:00 | 自刃自殺
四月も末になり、日によっては、暑いくらいの陽気に。
それにしても、「春暖」というものは、とても心地よい。
秋涼の十月ともども、一年のうちで四月は、心にも身体にも優しい時季である。
また、新年度で、新たな人生や生活をスタートさせた人が多い時期でもあり、私には関係ないこととは言え、それだけでも、少しは新鮮な気分が味わえる。
が、しかし、現場で作業する上では障害になることも少なくない。
やはり、気温が高いと体力を消耗しやすい。
また、孤独死現場などでは、汚染と異臭が深刻化しやすく、ということは、それだけ作業もハードになるわけで、体力消耗と併せると「三重苦」になってしまうのである。

とはいえ、春の陽気なんて、まだまだ序の口。
この後には、蒸し暑い梅雨がきて、猛暑の夏がやってくる。
今の時季でも、既に「ツラいなぁ・・」と感じることがあるのに、夏になったら、どんなヒドい目に遭うことになるのか・・・
もう、過酷な夏はイヤと言うほど経験しているけど、加齢にともなう衰えを携えての夏は、毎年、初めて。
衰えるばかりの中、今年も、それを受け入れるしかないわけだけど、本音を言うと、もうウンザリ・・・
身体が壊れるのが先か、精神が壊れるのが先か、どうしたって明るい気持ちにはなれない。

しかし、世の中は、明日から、嬉しい 楽しいGW。
一般的に、今年は4月29日~5月8日の十連休か。
コロナ禍も、「BA.2」とか「ⅩE」と言われる変異種も流行ってきていて微妙な感じだけど、重症化のリスクを鑑みると、人々は活発に動きそうな雰囲気。
政府や自治体による大きな規制もないし、一昨年・昨年に比べたら、多くの人が、帰省・旅行・飲食等を楽しむのだろう。
「十連休」なんて、まったく縁のない私には夢のような話。
それでも、人々が休暇を楽しんでいる姿を目にすると、ホッとするものがある。
休暇はなくても、そんな平和な社会に自分もいられるわけで、それはそれで、ありがたいことだと思っている。

それにしても、何日も遊び歩くには、相応の費用がかかるだろう。
時間があっても金がなくちゃね・・・
十日間、ずっと遊び通せるのは、そこそこ裕福な人か。
旅行で何泊もし、名湯に浸かり、アトラクションを楽しみ、おいしいものを食べ、欲しいものを買う・・・
それとも、金をかけずに時間を楽しむ術を知っている人か。
ドライブやツーリング、スポーツやアウトドアレジャー、読書や散歩等々・・・
他人の懐事情は私には関係ないことだけど、結局のところ、その両方とも持ち合わせていない私みたいな人間は、長期休暇なんかない方が幸せなのかも?
金も趣味も友達もないのに時間だけできたとしても、外に出ることさえ面倒臭くて、部屋に引きこもったまま昼間から酒を飲むか、眠くもないのに布団でゴロゴロするのが関の山。
そんなことしてたら、身体や精神を余計に壊してしまうだろうから、長期休暇やレジャーは、頭で妄想するだけに済ませた方がよさそうだ。



訪れた現場は、住宅地に建つフツーのアパート。
目的の部屋は一階の一室。
玄関前には、薄っすらとしたコゲ茶色の汚れが点々。
よく見ると、そのカタチは靴の跡。
一般の人だったら気にも留めない汚れだろうけど、私は、それをマジマジと注視。
それが、遺体を搬出する際に警察が残していった血の靴跡であることは、ほぼ間違いなかった。

現地調査を依頼していたのは、このアパートを管理する不動産会社。
私は、そこから「室内で事故があった」とだけしか聞いておらず。
一体、それがどのような事故なのか、室内のどこで起こったのか、それで住人がどうなったのか、まったく知らされておらず。
とにかく、部屋をみて、必要となる対策を提案するよう言われていただけ。
しかし、玄関前の足跡は、私の期待なんか無視して、室内が軽症であることを真っ向から否定。
汚染が、軽くてもミドル級以上であることは、ドアを開けずしても察することができた。

イヤな予感は的中。
玄関ドアを開けると、床は一面ワインレッド。
血で彩られた無数の足跡が重なり、肴のウロコのような紋様がビッシリ。
それだけでも充分に衝撃的な光景だったのだが、それは、まだ序章。
本当の現場は、その脇にあるユニットバスで、私は、扉を開ける前に浴室電灯のスイッチを入れた。

すると、扉の半透明アクリル板の向こうには、「赤」が映し出された。
普通の浴室なら、「白っぽい黄色」もしくは「黄色っぽい白」のはず。
しかし、ここは、「くすんだ赤」。
こうなると、浴室で何が起こったのか、浴室がどういうことになっているのか、だいたいの想像はつく。
もう、ミドル級どころか、おそらく、ヘビー級。
私は、大きく溜息をついて呼吸を落ち着かせ、浴室から視線を避けながら扉を開けた。

すると、目の前には衝撃の光景が・・・
浴槽にたまった水は真っ赤、洗い場の床も壁の下部も真っ赤・・・
それに加えて、あちらこちらに手足の跡による濃淡や紋様が・・・
所々には血塊が黒く光っており、故人に悪い言い方になるけど、まるで地獄絵図・・・
何かよくないものに囲まれたような錯覚を覚え、こういうところには慣れているはずの私の背筋にも強烈な悪寒が走り、また、何かの感情が揺さぶられたのだろう、その目には滲むものがあった。

不動産会社が伝えてきたように、「事故」と言えば事故なのかもしれない・・・
しかし、正確に言うと、「自傷行為」。
当人が亡くなったかどうかは断定できないけど、残された血は大量で、残された血痕は重症で、出血がかなりの量だったことを裏付けており、医学的知識がない私でも「これじゃ、とても生きちゃいられないだろう・・・」と思うほかなく・・・そうなると、私の思考は、不本意でも、「自殺」というところに着地するしかなかった。

部屋に残されたものから、故人の氏名・年齢が判明。
私より少し若い男性だったが、ほぼ同年代。
どんな経緯があったのだろうか・・・
重い苦悩を抱えていたのだろうか・・・
無邪気に人生を楽しめていた頃もあっただろうに・・・
精力的に生きていた頃もあっただろうに・・・
故人の生い立ちは知る由もなかったが、同年代男性の衝撃死は、私の胸に深い溜息と重苦しい鉛を投げ込んできたのだった。

現場がどんなに凄惨であろうと、作業がどんなに過酷であろうと、私は、一人でできる作業は一人でやる主義。
当然、この現場もそう。
「これをやらなきゃならないのか・・・」
「我ながら、よくやるよな・・・」
嫌悪感と恐怖感と同情心が、ゴチャゴチャに混ざり合った“トホホ・・・”な感情を抱きながら、私は、汚染具合を充分に確認して後、ひとまず現場を後にした。

それから数日後のある夜。
私は、いつものように一人で晩酌。
そんな中、何を考えていたわけでもなかったのに、ふと、この現場のことが頭に浮かんできた。
あの、凄惨な、真っ赤な光景が・・・
すると、徐々に、気持ちがグラグラと動揺。
そして、少しすると、目に涙が滲み出てきた。
酒に酔っていたせいもあるのだが、意味不明なことに、滲み出た涙は、こぼれ落ちるくらいに。
いつもの濃いハイボールを飲みすすめながら、血に染まった現場を思い出し、背中を丸めて黙々と掃除する自分の姿を想い浮かべると、泣けてきて・・・泣けて泣けて仕方がなかった。
「やりたくない」というか、「惨め」というか、何かが悲し過ぎて・・・
おそらく、故人への同情と哀れみと、自分への同情と哀れみが、酔った頭の中でグチャグチャに混ざり合って、消化できない想いが涙となって流れ出たのだろうと思う。

作業の日。
特に腹をくくってきたわけでもなく、自分を奮い立たせてきたわけでもないのに、同情心こそ残っていたものの、覚悟していた嫌悪感や恐怖心はまったく湧いてこず。
それどころか、気持ちは至って冷静。
動揺も狼狽もなく、あったのは、同士的感覚で、故人に話しかけるように、「大丈夫!すぐにきれいになる!」と、独り言を繰り返しながら黙々と作業。
“ノリ”としては、まるでライト級の現場でも片づけるかのよう。
その揺るがない感覚は、自分でも不思議なものだった。

ただ、作業自体は決して楽には進まず、なかなか難儀なものに。
汚染度は深刻かつ広範囲で、赤に囲まれた雰囲気もなかなかの圧力。
また、血塊となった部分は石のように固く、なかなか除去できず。
自分の作業によってきれいにできたところが、別の作業で汚れてしまうような始末。
自分で自分の手際の良さを褒めながら、また、自分で自分の段取りの悪さを責めながらの作業となった。

しかし、労苦の甲斐あって、あれだけ赤かった浴室は、もとのベージュ色に回復。
血生臭かったニオイも消えた。
言われなければ、ここで何が起こり、どれだけ汚れていたのかも、知れることはないくらいに。
また、頭の中で、特殊清掃のBefore・Afterを比べると、自分でやったことにも関わらず、まるで夢でも見ていたかのように思えるくらい浴室はきれいに。
その様子を見て、私は安堵。
ちょっとした達成感もあった。
ただ、その中には、故人と自分に対する妙な虚しさや悲しさもあり、再び、私の目は潤んだのだった。


平均的に考えると、私の人生は三分の二が過ぎた。
残されているのは、あと三分の一。
それも、頭も身体も衰えていくばかりの“下り坂”。
そこに、どういった夢や希望が抱けるというのか・・・
どういった夢や希望を抱くべきなのか・・・

この故人も、苦悩を抱えていたのだろう・・・
「人生に苦悩はつきもの」と頭でわかってはいても、心がそれを受け入れない。
「悩んでいるうちに人生は終わる」と頭でわかってはいても、その時間に耐えられない。
心で泣き、顔で泣き、苦悶の涙を流したこともあっただろう・・・
「死にたくはないけど、生きているのもイヤ」といった苦境に陥ったことも何度となくあったかもしれない。

人生は、思い通りにならないもの。
だから、耐え忍ぶことが必要。
そして、耐え忍ぶことは尊い。
しかし、それに潰されてしまいそうになることもある。
ただ、人には、我慢しなくていいことがある、我慢しない方がいいことがある。
また、人生には、我慢しなくていいときがある、我慢しない方がいいときがある。


人は、涙を流すことで癒されたり元気がでたりすることがあるのだそう。
ストレス多き現代社会には、「涙活」という言葉もあるくらい。
諸説・異論もあるだろうが、能動的に涙を流すことでストレスが発散できるらしい。
ただ、口に唾液があるように、鼻に鼻水があるように、目に涙があるのにも意味があるはず。
ということは、「泣く」ということは、まんざら悪いことだけではなさそうだ。

泣きたいことがたくさんある私は、現実にも、泣いてしまうが多い。
ほとんどは一人きりのときだけど、人前で声を詰まらせたり、目を潤ませたりすることも少なくない。
この歳になって、まったく、恥ずかしいかぎりなのだが、しかし、それで恥をかくのは自分だけ。
他の誰かを辱しめるわけではない。
だったら、いいじゃないか。泣いたって。だよね!?

何かが悲しくて、何かが辛くて・・・
そしてまた、何かが嬉しくて、何かがありがたくて・・・
威張れることでもなければ、自慢できることでもないけど、この泣き虫オヤジは、「人生はアッという間」「あと、もう少し」と、今日も心で泣きながら、たまに顔でも泣きながら、自分なりに必死に生きているのである。



-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社
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だらしな

2022-04-18 07:00:00 | ゴミ部屋 ゴミ屋敷
春本番を迎え、桜の樹はとっくに葉桜になっている今日この頃。
夏のように暑い日があったかと思ったら、冬のように寒い日があったりして、身体が困惑気味。
ただ、そんなことを他所に、自然の草木は次のステップへ。
鮮やかな新緑が、下を向きがちな視線を上に向けてくれている。
桜花にかぎらず、新葉の黄緑色も、生命力が漲っている感じがして、淀んだ空気を洗ってくれるような新風が心の中にスーッと入ってくるような気がする。
そして、瞬間的にでも、暗い心に光が差し込み、ちょっとだけ明るくなれるような気がする。

コロナは、落ち着いているのかいないのか、よくわからない状況だけど、昨年に比べ、今年は、花見に出かけた人も多いだろう。
私は、花見はしなかったけど、ウォーキングコースにある桜や、現場の街々で見かけた桜を愛でては、「元気だしたいな・・・」と思ったりした。
そして、桜の下にレジャーシートを敷いて楽しんでいる人達を見かけて、幸せな気分をおすそ分けしてもらったりもした。

私は、花見酒こそ飲まなかったものの、精神不安も相まって、今は、毎晩、だらしなく酒を飲み続けている。
意志を貫き、頑なに休肝日を設けていた自分が信じられないくらいに。
「このまま生きていて、何かいいことあるだろうか・・・」
「この先、何か楽しいことあるだろうか・・・」
等と、ネガティブな思考に苛まれてばかり、何の楽しみもない日々で、晩酌は、心がわずかでも軽くなるひととき。
アルコールで、一次的に憂鬱をごまかしているだけであることは、自分でもわかっているのだけど、それでもいいから、私は、少しでも、暗い気分がまぎれる時間がほしいのだ。

私は、覚醒剤や危険ドラッグの類には縁がないし、縁を持とうとも思わないが、仮に、その味を覚えてしまったら、無限の深みにハマっていく可能性が高い。
そういう薬物を使っている人を擁護するつもりはないし、精神救済を求めて使用する人がどれくらいいるのかわからないけど、手を出してしまうその気持ちがわかるような気がする。



不動産管理会社から現地調査の依頼が入った。
現場は、利便性のいい街中に建つ賃貸マンション。
状況は、いわゆる「ゴミ部屋」。

実のところ、この案件は、この数週間前に調査依頼が入って日時設定をした後にキャンセルを喰っていた。
住人の都合で、それも、二度も。
だから、今回、調査依頼が入ったとき、少々不愉快に思った。
言葉に出さずとも、その想いは伝わったようで、管理会社の担当者は、
「今度は、留守の場合でもスペアキーを使って入室することを了承してもらっていますから・・・」
と、気マズそうに私に説明。
ただ、三度目の正直、そういうことなら話は変わってくる。
私と担当者は、お互いの都合を合わせて、調査日時を設定した。

調査の日は平日の昼間。
待ち合わせた担当者は、
「度々キャンセルになってすいませんでした・・・キチンと約束を守らない、だらしない人でして・・・」
と、恐縮した面持ちで私にペコリ。
一方の私は、
「どんでもないです・・・○○さん(担当者)のせいじゃありませんから・・・」
と、その時は、かなり気を悪くしたクセに、社交辞令の笑顔をつくって水に流した。

住人は仕事に出ており留守で、玄関は、担当者が持参したスペアキーで開錠。
ドアを開けると、ゴミ部屋特有の異臭がプ~ン。
中を覗くと、その先は、完全なゴミ部屋。
床はゴミで埋め尽くされ、足の踏み場はなし。
我々は、誰もいないはずの部屋に「失礼しま~す」と声を掛け、薄暗い中を、ゴミを踏みながら入室。
玄関の入り口から廊下にかけては、比較、は薄い堆積だったものの、奥に進むにしながって急勾配に。
担当者は、平坦なところでストップ。
“山登り”は私の役目で、そこから先は、私一人で前進した。

私は、ポイント・ポイントのゴミを引っくり返して、ゴミの内容を確認。
食品系ゴミを中心に、日常生活で発生する色々なモノが混合。
下の方は、かなり圧縮された状態で、固く堆積。
結局のところ、部屋の方は山積み状態で、多少の高低凹凸はあったものの、壁の半分くらいの高さまで埋め尽くされていた。

管理会社は、当室がゴミ部屋になっていることを、もう何か月も前から把握。
住人に対し、賃貸借契約で決められた条項、「善良な管理者としての義務」に著しく違反しているため、すみやかに片付けるよう通告。
それを受けた女性から反論はなく、承知した旨の返答。
しかし、それは口だけ。
再三の催促にも返事をするだけで、いつまでも、実際に行動を起こさず。
そんなイタチごっこが続いて堪忍袋の尾を切らした管理会社は、とうとう強制退去を前提として警告。
ここまできて、さすがに慌てたのだろう、女性は降参。
部屋のゴミ撤去は、管理会社主導で算段される手はずとなり、当方が参上することになったのだった。

女性が自発的に動かなかったせいだろうか、一連の契約手続きは、すべて、管理会社が女性を代理するかたちで行われた。
ただ、作業日だけは、女性の休暇日に設定。
ゴミ部屋とはいえ、中には、引っ越し先に持っていくものや大切なものもあるはずで、取捨錯誤を防ぐため、女性の立ち合いが必要だったから。
あらかじめ「捨てない物リスト」を作ってもらいこともできたけど、それでも、こういう部屋では間違いが起こりやすい。
例えば、「きれいな服は捨てない」という要望があったとして、その「きれいor汚い」の判断に困るわけ。
当然、作業上の免責事項として「貴重品・必要品等の取捨錯誤・滅失損傷は免責」と、契約書面に記載はするけど、想定されるトラブルは未然に防ぐに越したことはない。
とにかく、本人がいてくれさえすれば、その辺の問題は起きないのである。

女性について把握していたのは氏名のみ。
顔も歳も知らぬまま、作業の日を迎えた。
その日、約束の時刻に1Fエントランスのインターフォンを押すと、約束通り女性は在宅。
私は、その時に、はじめて女性の声を聞いたのだが、礼儀正しく言葉遣いも丁寧で、抱いた印象は、「聡明な人」。
私は、開けてもらったオートロックをくぐり、女性の部屋へ。
玄関から出てきた女性は、私が想像していたより若く、外見も清楚。
わかりやすく言うと、「とても、ゴミ部屋をつくるような人には見えない」といった雰囲気。
また、「とても、ゴミ部屋に住んでいるようには見えない」清潔感のある服装で、少し驚いてしまった。

ゴミの荷造・梱包作業を担う要員として、二人の女性スタッフを入れたのだが、それだけでは手が足りず、私も室内作業へ。
しかし、女性の心情を察すると、ただでさえゴミ部屋は恥ずかしいだろうに、下着や使用済みの生理用品等、羞恥心を更に刺激するもの混ざっており、気遣いの足りなさを申し訳なく思ったりもした。
だからこそ、好奇心や野次馬根性を言葉や態度にだすのは禁物で、そこは、あえて事務的な物腰で、淡々と作業することを心掛けた。

年齢・学歴・勤務先・・・探るつもりは毛頭なかったのだが、ゴミの中には、女性の素性がわかるものがたくさんあった。
見た目通りで「中年」というには早い年齢、東京の難関私立大学を卒業、そして、TVのCMでも見かけるような某大手企業に勤務。
比べる必要は何もないのだけど、その社会的ポジションは羨ましいかぎり。
私なんか、逆立ちしても入れない世界で生きていた。

一方、生活する部屋はゴミだらけ。
親しい友人や彼氏がいたとしても、とても中に入れることはできない。
となると、そこまで親しく付き合える人はいなかったのか・・・
とにもかくにも、周囲の人間は、女性がゴミ部屋で暮らしているなんて、微塵も想像していなかっただろうと思う。

作業を注文した側・金を払う側とはいえ、自分が溜めたゴミを他人に片付けさせることに後ろめたさがあったのか、はじめ、女性は我々に対して遠慮がち。
したがって、当初の会話は、作業上で必要な最低限のことのみ。
しかし、女性が開き直ってくれたのか、我々と打ち解けることができたのか、作業をすすめるうちに世間話や雑談めいた会話が増えてきた。
こちらから、いちいち質問するより、女性の方から細かな要望を伝えてもらった方が作業は楽で、女性も、遠慮せず要望を言ってくれるように。
それにより、ゴミが掘り返されていく部屋の光景とは真逆に、雰囲気は和やかになり、随分と作業もしやすくなった。

作業を進める上で困難なこともあった。
ゴミ下層は、それほど固くは圧縮されていないと判断していたものが、想像以上に固い層となっていた。
また、ゴミを撤去した後に現れた床の一部、台所床の一部と浴室前の廊下の一部は著しく汚損。
床に固く貼りついたゴミを剥がし掃除するのには、結構な手間を要した。
ただ、内装汚損について、全体的には予想よりはるかに軽症。
居室の方は、ほぼ無キズで、簡単な拭き掃除できれいに。
また、キッチンシンク・トイレ・浴室は、ほどほどに汚れたいたけど、ここもクリーニングで復旧。
「経年劣化」「通常損耗」と言っても充分に通用するくらいきれいになった。

作業が完了して後、私と女性は二人で部屋を確認。
長く悩み続けていたゴミ部屋が片付いたことと、内装が心配していたほど傷んでいなかったことによる安堵感がそうさせたのだろう、女性は、きれいになった部屋を見て安堵の笑顔をみせてくれた。
そして、
「ここまできれいになるなんて思っていませんでした・・・ありがとうございました!」と、嬉しそうに礼を言ってくれた。
私の方も仕事の礼を言いながら、
「余計なお世話かもしれませんけど・・・部屋にゴミを溜めたことがある人は、同じことを繰り返す傾向が強いようですから、引っ越し先では気をつけてくださいね」
と、柔らかく進言。
すると、女性は笑顔を曇らせたかと思うと、急に泣き出してしまった。

「ただ、どうしても片付けられない人っていますから、危ない感じがしてきたら、少量のうちに連絡ください」
「そうすれば、今回のような大事にはなりませんから」
そう言うと、女性は泣き笑いの表情でうなずくように、ペコリペコリと私に頭を下げてくれた。
その嬉しそうな笑顔と理由のある涙は、女性の役に立てた名誉なことにも感じられ、私も嬉しく思った。

人間、誰しも、事情も心情も、本人にしかわからないことはある。
他人には小さなことに見えても、自分にとっては大きな悩みであることも・・・
他人には簡単なことでも、自分にとっては難しく感じられてしまうことも・・・
女性にゴミを溜めさせたのは何か・・・
何が女性にゴミを溜めさせてしまったか・・
女性が抱えている重荷が何であるかわからなかったけど、私は、そこに、他人には決してわかりえない、また、自分でもわからないかもしれない“自分の理由”があることを感じ、ある種の同士的な想いと同情心、そして、応援したい気持ちを抱いたのだった。


種類や強弱は異なるけど、だいたいの人間は、だらしない一面を持っていそう。
「酒にだらしない」「金にだらしない」「異性にだらしない」「時間にだらしない」「身体がだらしない」等々、自らを省みてみると「自分は○○がだらしない」と思い当たることが、一つや二つはあるのではないだろうか。

振り返って見ると、随分と、私もだらしない生き方をしてきた。
自分でも、悲しくなるやら、呆れるやら・・・
自分をぬるま湯に浸けておくことが大好きで、自分に厳しくすることが大嫌い。
「特掃隊長って、自分に厳しくがんばってるんじゃない?」
と思ってくれる人がいるかもしれないけど、実のところ、生きるために仕方なくがんばっているだけ。
能ナシの私は、他に、がんばりようがないだけのこと。
決して、褒められたものではない。

しかし、ある程度のだらしなさは人間味の一つ。
社会や人の迷惑をかけてはいけないけど、いい意味で、皆お互い様、人間の面白さ、社会の潤滑油だったりする。
五十路をとっくに越え、残された月日が少ない私にとっては、今抱えている このだらしなさは、もう、一生の携行品になるだろう。
捨てたくても捨てられないし、今更、捨てなくていいものかも?
誰かに迷惑をかけないよう努めれば、このまま生きていってもいいのかも?
それくらいに開き直れる図太さがあれば、こんなに苦悩しないで済むのかもしれない。

そんなことを考えながら、私は、今夜も酒をあおり、懸命に眠るのである。
明日も、“自分の理由”に抗うために、“自分の理由”に負けないために。



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不正直者

2022-04-07 07:00:54 | 腐乱死体
舞い散る桜の下、コロナ禍は、第六波が収束しきることなく、第七波を予感させるような事態になっている。
どうも、従来のオミクロン株に比べ、「BA2」は、更に感染力が高いらしい。
困ったことに、重症化リスクも。
しかし、まだ、私のところには、三回目ワクチンの接種券が届いていない。
精神脆弱な今の私にとっては、こんなことも悩みの種のなるわけで・・・早いところ、済ませたいものだ。

そんな中、日本では新年度が始まり、希望に満ちて新しい生活をスタートさせた人も多いことだろう。
しかし、同じ地球の向こう側、東欧のウクライナは、それどころではない状況に陥っている。
つい一か月半前までは、賑わっていた街が廃墟となり、平和な日常を暮らしていた人々が殺され、また、家族を奪われ、家を追われ・・・
ウクライナの人々は、悪夢でもみているかのような心持ちか・・・
いや・・・そんな生ぬるいものではないだろう。

一方のロシアでは、不正直な指導者による子供だましの詭弁がまかり通っている。
惨殺・虐殺・拷問・拉致・略奪・・・人身売買まで噂されている。
歴史的背景や国益がからんでいるとはいえ、よくも、あんなヒドいマネができたものだ・・・
男も女も、子供も老人も、軍人も市民も、一人一人が“命”なのに。
ロシア兵だって一人の命。
いつだって、泣きをみるのは下々の者。
とりわけ、赤ん坊や子供が亡くなったニュースに触れると涙が流れる。
そんなに戦争がしたければ、それを指導する者が最前線に立てばいい。

殺人を命令する指導者達も人間。
人として生まれ、人として育ち、人として生きている。
死ななくてよかった人が、その人間の手によって殺されている。
生きようとしている命が、その人間に手によって消されている。
その人間の行いによって、あったはずの平和な暮らしや、希望の未来が奪われている。
これも、摂理なのか・・・
元来、人間が持ち合わせているはずの、「理性」とか「良心」とか「道徳心」はどこへいってしまったのか・・・
自分自身を含めて、人間一人一人が、省みる機会とするべきではないだろうか。



孤独死現場が発生。
依頼者は、故人の息子(以後、「男性」)。
「早急に対応してほしい!」という要望に、私は、ヘヴィー級、少なくともミドル級の現場を想像。
当日の予定を変更し、現場へ向かうことに。
約束の時刻を「到着次第」として、電話を終えた。

到着した現場は、住宅地に建つ一軒家。
「豪邸」というほどではなかったが、近隣とくらべると土地も広く家屋も立派。
インターフォンを押すと、男性が玄関を開けてくれた。
そして、私は、案内されるまま二階へ。
「ここなんです・・・」と男性が指さす和室にゆっくり入った。

結構、深刻な状況を想像していた私は、ちょっと拍子抜け。
故人は、布団に横になったまま亡くなったよう。
その布団は、既にたたまれた状態。
少しめくってみると、一部は赤茶色に変色。
結構な量の遺体液を吸っているようだった。
その下にあった畳二枚には水をこぼしたような遺体シミが。
ただ、窓が開けられていたせいもあって、異臭はほとんど感じず。
ウジ・ハエの発生もなかった。

男性によると、「死後一日で発見」とのこと。
しかし、私の見立ては違っていた。
寒冷の季節で、暖房も動いてなかったよう。
その割には、布団に滲みた遺体液の量が多すぎる。
敷布団を越えて畳にまで到達するくらいだから、少なくとも2~3日、おそらく4~5日は放置されていたと考えるのが合理的だった。

疑義に思うことは他にもあった。
それは、故人は、独居ではなかったということ。
故人には、同居する妻(男性の母親)がいた。
同居家族がいる一軒家で腐乱死体が発生したわけで・・・
一般的な感覚からすると、極めて不自然な状況・・・
その疑念を態度に出したつもりはなかったが、
「うちの両親は、ちょっと色々ありまして・・・」
と男性は、気マズそうな表情を浮かべながら、何かを弁解たそうに口を濁した。

故人夫妻は、縁あって出逢い、好き合って結婚したのだろうから、もともと仲の良い夫婦だったのだろうに・・・
子育てに夢中になっていた若い時分には、ともに笑い、ともに泣くこともあっただろうに・・・
しかし、いつのまにか、夫婦仲は良好ではなくなってしまった・・・

昨今、離婚なんて、まったく珍しいことではない。
熟年離婚だってそう。
恋人同士でいた頃は、特に何をするわけでもなく、ただ一緒にいるだけで楽しいもの。
しかし、いつのまにか、特に何があるわけでもないのに、一緒にいるだけで苦痛を感じるようになる。
人って、変えてはいけないところは変わり、変えた方がいいことが変わらないもので、何かが変わってしまうのだろう。
とりわけ、「子供」という鎹(かすがい)が居なくなってからは、それに拍車がかかったのではないかと思われた。

故人夫妻は、老い先短い人生において、正式に離婚するつもりもなかったのだろう。
離婚となると、現実的な問題として、経済的問題と社会的問題がでてくる。
財産を分割するのも、住居を別々にするのも、極めて面倒。
いい歳をしてからの離婚はスキャンダラスで世間体も悪い。
子供達(男性達)にもバツの悪い思いをさせ迷惑をかける。
また、嫌いな相手でも、“生活必需品”としての価値がないわけでもない。
で、結局、「仮面夫婦」という関係になり、「家庭内別居」という状況に至ったのだろう。

幸い、広い家屋のため、それぞれの部屋も確保でき、寝食を別々にすることも、そんなに難しくなかったのだろう。
お互いの生活パターンやリズムを把握し、水周りなどの共用部は阿吽の呼吸で使用し、顔を合わさずとも生活が成り立っていたのかもしれない。
ただ、仮に顔を合わさずとも、同じ家に暮らしているわけだから、お互いの生活音や気配は感じられていたはず。
ある日、突然、それが消えてしまったわけだから、不審に思いはしなかったのだろうか・・・
結果的に、腐敗が進行するまで放置されていたわけで、そこまで、夫妻の確執は深刻で、頑なにお互いを拒絶していたものと思うほかはなかった。

とにもかくにも、死後経過日数が何日だろうが、故人夫妻の関係がどうだろうが、私に、そんなことを問いただす権限はない。
男性の話が嘘でも本当でも、私には関係のないこと。
私は、余計なことは口にせず、黙って仕事をするべき立場。
頭の中を走り回る下衆の野次馬は放っておいて、私は、作業の方に頭を向けた。

私にとって、作業自体は軽易なものだった。
遺体液を吸い込んだ布団一組と数点の衣類を袋に梱包。
そして、水をこぼしたようなシミがついた畳を二枚、ビニールでグルグル巻きに。
それらを部屋から出してから、消臭剤・消毒剤を周囲に噴霧。
幸い、床板にまでは汚染は浸透しておらず、薬剤を撒いたのみ。
ものの30分程度で作業は終わった。

故人の部屋の畳は、新規に入れ替えれば、それで済む。
その後、一人で暮らすことになる男性の母親(故人の妻)に不便はない。
しかし、その心持ちはどうか・・・
良好な関係ではなかったとはいえ、長年、連れ添った夫が急にいなくなったわけで・・・
かつては、共に楽しく幸せな日々を過ごしていた時期もあったはずで・・・
「生きているうちに和解しておけばよかった」と悔やんだか・・・
「死んでくれてせいせいした」と喜んだか・・・
それとも、まったく無関心で、心が動くことはなかったか・・・
とにもかくにも、人生は一度きり、パートナーは一人きり・・・そこからは、何とも言えない寂しさが感じられた。

もちろん、夫婦関係が良好であっても、この孤独死が防げていたかどうかはわからない。
「寿命」という摂理は、人がどうこうできるものではないから。
だから、故人が部屋で静かに亡くなったことは不可抗力。
それに、すぐ気づけなかったことも不可抗力。
ただ、並の夫婦関係なら、遺体の腐敗までは防げたはず。
とはいえ、それは、後になってみれば何とでも言える「仮」の話。
「家族」といえども、一人一人、個々の人間。
価値観・感性・嗜好・志向も、違っていて当たり前。
その家族にはその家族なり家族関係があり、その家族にはその家族なりの事情がある。
家族にはそれぞれの“かたち”があり、良好な関係の家族もあれば、そうでない家族もある。
理想像はあっても、「こうあるべき」という姿はない。

豪邸とまでは言えなくても、周辺の家と比べると土地も広く、家も大きかった。
経済的には困ってはいなかっただろう。
しかし、例え家が小さくても、御馳走が食べられなくても、ブランド品が持てなくても、とにかく、家族は、仲良くして楽しく暮らす方がいいに決まっている。
そうしないと、人生がもったいないような気がする。

しかし、しかしだ、そこが人間の愚かさ。
小さなことに気持ちを引っ掛ける
小さなことが見過ごせない
小さなことが許せない
小さなことが我慢できない
そして、人間関係をこじらせ、殺し合いにまで発展させてしまう。

世の中で起こる殺人事件は、家族間・血縁者間で起こるものが最も多いらしい。
他人が他人を殺す件数よりも、身内同士の方が多いわけだ。
歴史をみてもそう。
親子・兄弟間の殺し合いなんてザラにあった。
何とも殺伐とした現実だが、これもまた、いかんともしがたい人間の性質。
一体、これは、何を表しているのだろうか。
固い絆で結び付きやすい反面、裏を返せば、危うい関係でもあるということだろうか。

「人間」というヤツは、どうしてこうも愚かなのだろうか。
つまらない意地や面子に固執し、過去の小事をいつまでも根にもち、それが、自分の首を絞めていることにも気づかず、いつまでも拘り続ける。
それでいて、世間・他人に対しては、寛容・謙虚な仮面をかぶって善人を装う。
本当は、素直な自分のまま、自然体で、清々しく生きていきたいのに。

「素直な自分=自分の悪性に従順」ということになりがちだが、本来は、「=自分の良性に正直」ということなのだろうと思う。
しかし、現実には、そうでない自分がいる。
世間体・欲・意地・面子・怠心・虚栄心・対抗心・・・そんなものが“素直な心”を覆い隠す・・・
そして、そのまま、理想に反した自分、不正直な自分だけが成長してしまい、後戻りできるチャンスも自らの手で放してしまう・・・
それが、幸せな人生を失わせることに薄々気づいていながら・・・
・・・素直さが欠けるが故に苦労している、この私が言うのだから間違いない。


本件において、私は、情もないアカの他人。
故人が孤独死したことに大した悼みは覚えず、肉体が腐敗してしまったことも事務的に捉えたのみ。
ただ、故人夫妻の晩年の葛藤や苦悩を察すると、他人事のようには思えず。
素直な心が持てない自分、正直な生き方ができない自分に、憤りや悔しさにも似た寂しさと虚しさを覚え、同時に、悔やまれてならない昨日を振り返り、また、見えない明日を探しきれず、私は、ただただ、溜め息をつくしかなかったのだった。



-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社
コメント
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