特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ドロー

2014-12-31 12:34:25 | 特殊清掃 消臭消毒
「金は払わないからな!!」
電話の向こうの依頼者は、恫喝するかのように大きな声をあげた。
「フッ・・・」
返事をするのもバカバカしくなった私は、失笑して黙り込んだ。

ことの経緯はこう・・・
相手はアパートの大家。
所有するアパートの一室で住人が孤独死。
生活保護を受けていた故人は社会との関わりが少なく、遺体はかなりの腐乱状態で発見。
賃貸借契約には連帯保証人も立てておらず、結果として、部屋の復旧は大家が負うしかなかった。
しかし、大家はそれが承服できず。
「この部屋だけが廃墟になるのさえ諦めれば問題ない」
と、アパート住人からの苦情を無視。
異臭が出ようが、虫が出ようが、
「ニオイなんてそのうち消えるし、虫もそのうちいなくなる」
と、何日も放置。
しかし、それで問題が片付くわけはなく、事は深刻化するばかり。
いくら言っても腰を上げない大家に堪忍袋の尾を切らした住人達は、
「出て行く!」「引越費用を払え!」
と、大家に詰め寄った。
大家としては、住人に出て行かれては困る。
引越費用の負担なんて論外。
それで、結局、うちに電話を入れてきたのだった。

大家は、私に関係のない文句と愚痴を連発。
愚痴を聞くのも仕事のうちだから、黙って聞く姿勢をとりつつも、故人やアパート住人に対する悪口は度が過ぎており、かなり耳障りなものだった。
そして、その偉そうな態度とぶっきらぼうな喋り方に、私は、本能的に嫌悪感を覚えた。
ただし、そこは仕事。
「あまり関わりたくないタイプだな・・・」
と思いつつも、
「仕事!仕事!」
と自分を割り切らせて、言われるままに足を現場の方へ走らせた。

大家宅は、現場となったアパートの目と鼻の先。
私は、まず大家宅を訪問。
この地域の一般的な住宅に比べて、あきらかに敷地は広く、家も立派。
大家は、それなりの資産家であることが伺えた。
しかし、外は荒れ放題。
庭の雑草は生い茂り、軒先にはゴミの類が散乱。
私には、それが家主の人間性を表しているようにみえて、大家に対する悪印象に輪がかかった。

インターフォンを押すと、初老の男性が玄関からでてきた。
それは、大家本人。
私は、無言の手招きに従い門扉をくぐり玄関前へ。
大家は、私に家に入るよう促してきたが、敵の陣地に入るような抵抗感を覚えたため、
「作業服があまりきれいじゃないですから・・・」
と家へあがることを断り、そのまま玄関先での立ち話で済ませることにした。

大家は、電話越しに抱いた印象通りの人物。
横柄な態度と雑な言葉づかいは電話口と同じ。
更には、まだ陽も落ちていないのに、酒の臭いをプンプンさせ、赤ら顔に充血した眼を泳がせていた。
そして、今回の件を余ほど腹立たしく思っているのだろう、呂律(ろれつ)の回っていない口から、電話口で吐いたはずの悪口雑言を再び私に吐いた。

しかし、いくら大家の不満をきいても何も解決しない。
私は、まずは現場を見る必要があることを伝え、
「一緒に現場に行って下さい」
と大家に言った。
しかし、大家は、
「一度見たから、もう見ない」
「あんな気持ち悪いもの、二度とゴメン!」
とピシャリ。
もちろん、私は、一人で行くのが心細かったのではない。
後でトラブルになるのを避けるため、現場で打ち合わせをしたかっただけ。
しかし、趣旨を説明しても大家は面倒臭そうにして動こうとせず。
“理の通じない相手”と判断した私は折れて、結局、一人で現場を見てくることにした。

大家宅に車をとめ、私は歩いて現場アパートへ。
先入観も手伝ってか、アパートが近づくにしたがって、私の鼻は異臭を感知。
それに導かれるように、私の足は迷うことなく現場の部屋の前まで行ってとまった。
同時に、私の眼には、インパクトのある光景が飛び込んできた。
異臭が漏洩しているだけならまだしも、玄関ドアの下部から濃淡のある黒茶色の腐敗液が流れ出していたのだった。

ドアの向こう側がどんなことになっているのか、想像するのは容易だった。
相当量の腐敗物が滞留しているのは明白で、私は、専用マスクとグローブをキッチリ装着してドアノブを引いた。
すると、案の定、室内には更にインパクトのある光景が広がっていた。
腐敗粘度は厚く堆積し、腐敗液は広範囲に拡散し、足元は元人体でドロドロ。
履物をはじめ、下に置いてあるものは何から何まで腐敗粘度に埋もれ、何から何まで腐敗液まみれ。
玄関の上り口はもちろん、狭い台所床も全滅。
更に、大量発生したウジによって、腐敗脂が天井にまで到達。
遺体が相当なレベルにまで溶解していたのは明白だった。

現地調査を終え、再び大家宅に戻った私は、作業内容・費用・想定される作業結果を伝えた。
しかし、大家は、私の説明をキチンと聞きもしないで、
「住人に出て行かれちまうから、とにかく早くやれ!」
という。
私は、その言い草に強い不快感を覚えながら、
「仕事!仕事!」
と自分に言いきかせて、車をアパート方へ移動した。
そして、衰えてきた身体と、培ってきた経験と、愛用の装具備品を駆使して、凄惨な現場に身を投じ、故人が残した厄介はものに挑んだ。
「こんなこと・・・俺もよくやるよな・・・」
と、自分を卑下しながら、自分を褒めながら。
心で少し泣きながら、心で少し苦笑いしながら。

作業を終えた私は再び大家宅へ。
そこで、大家に作業前と作業後の画像を見せ、事前に説明した通りの作業はキチンと行ったことを報告した。
すると、大家は、ウ○コ男と化した私に向かって、
「んん・・・随分くせぇなぁ・・・」
と前置きし、
「財布になかったんで、とりあえずこれだけな」
「残りは用意しとくから、近いうちにとりにきな」
と、代金の半額分の紙幣をふて腐れたような態度で差し出した。
一刻も早く大家との関わりを切りたかった私は、それを受け取り、礼も捨て、そそくさとその場を後にした。

その翌日、難仕事を終えた安堵感は、アッケなく消えた。
結局、住人の何人かがアパートを出て行くことになったのだ。
それにともない、
「(住人に)出て行かれたんじゃ、掃除した意味がないだろ!」
「これ以上、金は払わないからな!!」
と、大家は無茶苦茶なことを言いだした。
対して、理路整然と話がしたくても、大家は人格のせいか酒のせいか、会話そのものが成立せず。
口論に至る前に一方的に話は締められ、解決の糸口もつかめず。
第三者の協力を得ようと、不動産会社に相談しても、
「賃貸借契約を仲介しているだけで、管理業務まで受託しているわけじゃないから関知しない」
とのこと。
また、大家には他に家族がいたけど、
「(特掃を)頼んだのは自分じゃないから・・・」
と、誰も表に出でこず。
誰も彼もが、普段から、この大家のことを持て余し、距離をあけているようだった。

大家は、
「サイン(契約書)なんか関係ねぇ」
「裁判でも何でもやればいい」
「払わねぇものは払わねぇ!」
と一点張り。
「常識も社会通念も法も倫理も俺には通用しない!」
といった構えで、完全にイッちゃっていた。

私は、このタイプの人間と関わるのは、かなり嫌。
関われば関わるほどブルーな気分を味わうハメになるし、時間ももったいない。
わずかな残金の代償としては、割が合わない。
ドロドロの泥試合をしたくなかった私は、悔しかったけど仕方なく泣き寝入り。
結局、代金は半額を回収したのみで、この揉め事は自然消滅させた。
ただ、私は、あまりに悔しすぎて、これを“敗北”とは認めたくなかった。
しかし、どうみても“勝利”ではなかった。
「半金回収できたんだから、“引き分け”ってとこだな・・・」
ムシャクシャする気分をいつまでも引きずりたくなかった私は、そう自分に言いきかせながら、しばらくの時を過ごしたのだった。



2014年も今日でおしまい。
年内にもう一度は山に行きたかったのだけど、結局、雑用に追われて計画倒れに終わってしまった。
仕方がないので、山はまた来年に行くことにして、代わりに、隙間時間を使ってウォーキングに励んでいる。
ジッとしているほうが楽と言えば楽だけど、楽したがる自分に楽ばかりさせていては進歩がない。
少しくらいは弱い自分と対峙しないと、人生は面白くない。
だから、人生を重ねて、とにかく歩いている。

例年通り、今年も色々あった・・・
もちろん、楽しかったこと、嬉しかったこと、面白かったことばかりではない。
ウンコ便器に手を突っ込んだこと・・・
ゴミ山に埋もれたこと・・・
ゴキブリ雨に降られたこと・・・
ハエ弾を浴びたこと・・・
ウジ地雷を踏んだこと・・・
ブラ下がる紐に悪寒が走ったこと・・・
血の海に立ちすくんだこと・・・
火災煤に真っ黒になったこと・・・
元人間に人を覚えたこと・・・
死人から何かを受け取ったこと・・・
凄惨な現場に鍛えられたこと・・・
雑言を浴びて悔しかったこと・・・
裏切られて腹が立ったこと・・・
自分のクサさに凹んだこと・・・
死に別れて悲しかったこと・・・
汗を流したこと、涙を流したこと・・・
目の前には、逃げ出したくなるような現実があった。
そして、逃げ出したくなるような現実は、常に私の回りを取り巻いている。

駄欲、怠け心、遊興、快楽、見栄、誘惑etc・・・
易々とそれらに負ける自分がいる。
弱い自分と戦えない自分、戦わない自分、戦おうとしない自分がいる。
ただ、自分の弱さとは戦えるような気がする。
そして、たまには自分の弱さに勝ってみたいと思う自分がいる。

私は、まだまだ頑張りが足りない・・・
・・・自分でそう思う。
だからと言って自分を卑下する必要もない。
そう思うということは、“まだ頑張れる余地がある”ということ・・・
そう思えるということは、“まだ頑張れる余力が残っている”ということ・・・
・・・“もっと頑張れる可能性がある”ということだから。

「弱い自分に負けっぱなしの人生だけど、来年こそは負けを混ませないようにしないとな」
「そして、人生の後半戦は、せめて引き分けにくらいに持ちこみたいもんだな」
そう思いながら見上げる大晦日の青空は、新しい年に向かって、この曇りがちな心を凛と照らしてくれているのである。



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あ・り・が・と・う

2014-12-17 16:06:09 | Weblog
今年も残すところ二週間。
師走も押し迫り、街も日に日に賑やかになってきた。
あちこちでクリスマスケーキや正月の御節料理をPRするチラシやポスターを見かける。
実際に買わなくても、実際に食べなくても、それらを目にするだけで平和と豊かさを感じる。
そして、今年もまた、その中にいられることに感謝している。
ただ、豊食は豊かさや平和を象徴するものの一つでありながらも、落とし穴がある。

30代前半の頃、激太りと激痩せを経験した私。
太っていた頃は、標準体重18kgオーバー。
好きなものを好きなだけ食べ、好きな酒を好きなだけ飲み・・・毎日のように暴飲暴食を繰り返した。
結果、肝臓を壊し(脂肪肝)で医師から厳重注意を受け、節制とダイエットに取り組んだ。
逆に、痩せていた頃は、標準体重8kgマイナス。
精神的に病んでしまい、食べることを拒絶。
頬がこけ、腹が凹んでいく自分に優越感を覚え、食べることを嫌い食べないことを心がける日々。
ストレスの矛先を自分に向け、ダメな自分を虐めることで何かが解決すると自分に勘違いさせて、自分を誤魔化していた。

ただ、ここ何年かは、体重に大きな変動はない。
標準体重より5~6kgオーバーした状態で、そこから増えもせず減りもせず。
「“痩せてる”とは言えないけど、“肥満”まではいってないよな」
と自負(?)し、自然体で飲食を続けていた。
しかし、体重と体型は異なる動きをする。
体重が増えたわけではないのに、腹回りのプヨプヨ感は増してきた。
また、加齢による体力の衰えのせいだろう、仕事をしていても自分の身体を重く感じることが多くなった。

そこで思いついた“プチダイエット”。
本格的なダイエットは心身に負担がかかるから、実行するのは、あくまでも“プチ”。
取り組んだのは、大盛・大食の制限。
そして、大好きな甘味の制限。
あまりストレスにならない方法で、減量を図ることにした。

もともと人並以上に食べる私は、何かを食べるときは“大盛・大食い”が当り前。
世間の“一人前”は、私にとっては“半人前”。
プラス、甘いものが大好き。
しかも、仕事柄、食べる量と食事時間は極めて不規則。
少食が続くときは続き、大食が続くときは続く。
しかし、これがプチ肥満の原因と判断した私は、大盛・大食いはできるだけやめ、食べる量もできるだけ平準化することに。
また、食事時間も、できるだけ規則正しくすることを心がけた。

しかし、世の中には、それを邪魔する誘惑が多い・・・
仕事柄、休憩のタイミングは自己裁量に任されているわけで、財布がゆるすかぎり好きな時間に好きなものが食べられる。
しかも、街には、ありとあらゆる食べ物屋がある。
高級なレストランに入らなくても、美味しいものは食べられる。
また、わざわざケーキ屋に行かなくても、コンビニやスーパーにも美味しそうな甘味はズラリと揃っている。
街では、食べ物を得るためのハードルは極めて低い。
しかし、この誘惑だらけの実情が、ダイエットのハードルを上げている。

高尾山に出掛けたときも、団子やソフトクリーム等々、たくさんの甘味が私を誘惑した。
身体をハードに動かしている最中だから、特に欲しくなる。
それでも、私は耐えた。我慢した。
買いたかったけど、買わなかった。
しかし、大山に出掛けたとき、登山口の参道に並ぶ店にあった塩豆大福にはやられてしまった。
塩豆餅を餡にグルリと巻いた容姿は、他所では見たことがない。
白い餅肌の中からのぞく甘そうな餡・・・そのグラマーな姿に、私の視線は釘づけ。
その隣には、カロリーの低そうなワラビ餅が並び、私を誘惑してきたが、彼女(?)は柔肌のスレンダー美人。
「どっちにしようか・・・」
私は、しばし悩んだ。
ただ、立ち止まった時点で、肝心の“食べずに帰る”という選択肢は消えていた。
中年男が店の前に立って、いつまでも二種類の和菓子をガン見している姿は、妙だっただろう。
結局、肉食系男爺はグラマーな方を選び、“ロール大福(正式な商品名は不明)”を買った。悩んだわりに、たった一個。
そして、二口くらいでいける大きさの餅を、何口にも分けて味わったのだった(すんごく美味かった!)。

プチダイエットを始めたのは9月末頃。
たまに大食いをすることもあった。
我慢できずに甘味に手をだすこともあった。
減酒はできても禁酒はできていない。
それでも、10月・11月と策を講じて、結局、体重は5kgくらい減った。
体重を計るタイミングによって1~2kgの上下はあるけど、4~5kgは落とすことができた。
つい先日、スーパーで5kgの米を買ったことがあったが、それをリュックに背負って歩いたときは、
「これくらいの贅肉が降ろせたのか・・・」
と深い感慨を覚えたのだった。
しかし、標準体重まではもう一歩。
年末年始の飲食がネックだけど、まだしばらく、このプチダイエットを続行するつもりである。

そもそも、ダイエットができるなんて幸せなこと。
世界には、私のように食べられることが当り前の人と、そうでない人がいる。
太らないため、痩せるための努力が必要な人と、食べるためにいくら努力しても満足に食べられない人がいる。
そして、世界には、後者の数のほうが圧倒的に多いという。
人と比べて自分の幸運度・幸福度を測るのは大嫌いだけど、“食べることを我慢するツラさ”と“食べられないツラさ”を比べたら、後者のほうがはるかにツラいと思う。
しかし、飢餓も貧困も他人が代わることはできない。
ただ、無関心にならないこと、微力でも手を差しのべることはできる。
また、我々は、動物・植物といったものの“命”をいただいて生きているわけで・・・どんな食べ物でも、感謝の気持ちをもって大切に食べなければならないと思うのである。


先日の11日(木)は、チビ犬の月命日だった。
昨年3月から週休肝二日を続けている私だが、もともと、この日は“飲んでいい日”にしていた。
仕事帰りに肴を買い、風呂に入り、普段と変わらない晩酌をはじめた。
翌朝の不快感を抑えるため、いつもならホロ酔手前くらいでやめる私。
しかし、この日は、飲むスピードが衰えず。
想い出を肴にしたわけではなかったのだが、結構な深酒に。
そして、人恋しくなったのか(?)私は、ブログのコメント欄を検索。
死んだチビ犬について書き込まれたコメントを開けてみた。

見ず知らずの人にも、私と同じような経験をした人、似たような苦悩を抱える人がたくさんいる。
見ず知らずの人が、私なんかに優しい言葉・労いの言葉・励ましの言葉をかけてくれる。
更に、文字になって現れてこなくても、どこからか伝わってくる誰かの想いがある。
愛、情、優しさ、思いやり・・・人の温かさは身に沁みる。
心が冷えているときは、尚更、人の温かさが身に沁みる。
私は、チビ犬がいない寂しさと、人の優しさと、深酒の酔いが合わさり、気持ちが高ぶって一人で大泣きしてしまった。

「人と喜びを分かち合うと倍になる、悲しみを分かち合うと半分になる」
という言葉を聞いたことがある。
正直なところ、これまでは、あまりピンときていなかった。
けど、今回、少しわかったような気がする。
訳はわからないけど・・・
傷んだ気持ちが少し癒され、沈んだ気分が少し浮き、重い心が少し軽くなったから。

ながく私に棲む弱虫と泣虫は、一生駆除できないだろう。
でも、もう駆除する必要はない。
弱虫だから痛みがわかり、弱虫だから戦えるのだから。
泣虫だから後に笑え、泣虫だから笑顔に感謝できるのだから。

ブログ初期の頃、
「遺族が故人(遺体)との別れる際に、“ありがとう”“ごめんなさい”と声をかけることが多い」
「だったら、生きているうちから、その気持ちを伝えたほうがいい」
といった記事を載せたことがあった。
あれから何年も経つけど、その思いに変わりはない。
ただ、人間はシャイな生き物。
そして、“明日がある”と勝手に思ってしまう生き物。
だから、実行に移すのが、なかなか難しかったりする。

それでも、私は伝えなければならない・・・
戦う仲間へ・・・
「ありがとうございます」
「がんばります」
「これからも・・・」


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Hiking

2014-12-07 10:33:50 | Weblog
毎年のことながら、この季節は欝っぽくなる私。
秋頃から気分が落ち始めて、冬場は低空飛行。
朝、明け方にはうなされ、寒いのに脂汗をかく。
普段なら軽く乗り越えられるような小さな問題にもつまずいてしまう。
疲れるようなことはしていないのに、やたらと疲労感に襲われる。
何をするにも、何を考えるにも虚無感がともない、やる気がでない。
何事も悲観し、悪い予感ばかりに苛まれる。
気持ちにも身体にも力が入らない。
だから、時間がゆるすかぎり、自分に閉じこもって悶々としてしまう。
・・・そんな風に、昨年秋から本年冬もかなりツラい思いをした。

例によって、今年も秋に入り、徐々に気分は落ちてきていた。
「今年もまた、この季節がやってきたか・・・」
と、したくない覚悟を決めかけていた。
そんなところに遭遇したのがチビ犬の死。
これが慢性的な欝を直撃。
少々の悲しみなら欝を更に深刻化させたのだろうけど、今回の悲しみは、あまりに大きすぎて欝を深刻化させたのではなく、そのかたちを変えた。

「この傷心をどうにかしたい・・・」
「欝を軽くするための努力をしたい・・・」
欝に対しては、毎年、当り前のように泣き寝入ってきたネガティブ人間(私)に、こんな思いが芽生えてきた。
時に委ねることが必要であることを理解しつつも、死別の悲しさから脱け出すための努力と欝を軽くするための策を講じてみようという考えが浮かんできたのだ。

何年も前の話だけど、知り合いの医師に不眠症や欝について相談したところ、
「精神と肉体の疲労バランスが悪いことも影響していると思う」
と言われたことがあるのを思い出した。
夏場は、肉体は疲労するが、精神はそれほど疲労しない。
冬場は、肉体は疲労しにくいが、精神はすぐに疲労する。
長年のこの性分につき、催眠術にでもかからなければ精神疲労は解消しないと思う。
だったら、精神疲労に準じて、肉体も疲労させようと考えたのである。
(フツーなら思いつかない“妙案”だと自讃している。)

しかし、この時季、仕事だけでは、肉体はそんなに疲労しない。
また、労苦で疲労させるのは、あまりいい方法とは思えず。
そうなると、仕事以外で積極的に身体を動かす必要がでてくる。
身体を動かすには、スポーツが一番。
ただ、スポーツには縁も興味もないし、スポーツクラブも興味がないうえお金がかかる。
そこで浮上したのはハイキング。
アウトドアレジャーが好きで、若い頃はキャンプやBBQ等をよくやっていた私。
自然の中に身を置くのは好きなほう。
また、ハイキングなら低予算でやれる。
思案の結果、素人でも歩ける渓谷や、素人でも登れる山に行ってみることにした。

夏場は、なかなか休みがとりにくいけど、冬場だと週1日くらいはとれる。
せっかくの休日、精神疲労に負けてジッとするのはもったいない。
だから、チビ犬はいなくなってから毎週のように出かけた。
出かけた先は、高尾山(東京都八王子市)、鋸山(千葉県富津市)、大山(神奈川県伊勢原市)。
どこも初めての場所。
鋸山はそうでもなかったが、紅葉の季節で、高尾山と大山は大勢の登山客や観光客で賑わっていた。

紅葉の山々は絶景だった。
そして、どこの山にも複数のハイキングコースがあった。
普段なら、最も楽なコースを選ぶはずの私。
しかし、せっかく出掛けたのだから、それはやめた。
シンプルなルートは避け、距離のながいコースをあえて選んだ。
もちろん、ケーブルカーやリフトの類は使わず。
待ち時間と運賃の無駄だし、歩くために出かけたのだから。

目的地(頂上)まで楽な道はほとんどない。
急坂や階段、岩場や悪路は当り前。
おまけに、長年かけて作業向に改造された中年の身体は、山登りに順応できない。
だから、足腰は、歩き始めてすぐにだるくなった。
しかし、それに耐えて進まないと意味がない。
私は、景色を見ながら、チビ犬を思い出しながら、努力と忍耐の足りなかった人生を振り返りながら、重い足を一歩一歩進めた。

私は、右膝に古傷をもつ。
若い頃の長距離ランニングで傷めたのだ。
上り坂より下り坂のほうが膝には負担がかかるもの。
日常生活では痛みはないのだが、山の下り坂でそれを発症。
はじめからその不安はあったので、下り坂は膝に負担をかけないようゆっくり慎重に歩いたのだけど、長い距離に右膝は悲鳴をあげた。
痛みがでるとフツーには歩けない。
右足を引きずるようなかたちで歩かざるをえなくなって、とても歩きにくい。
ただ、不幸中の幸いで、痛みがではじめたのは下に近い位置まで戻っていたため、そんなに大変なことにはならなかった。
(今後、何らかの対策が必要だと思っている。)

早朝から出かけて行って、家に帰ってくるのは夜遅く。
望み通り(?)肉体はクタクタになる。
だけど、山には山の美味があった。
労苦の美味とは違う味わいがあった。

普段、怪しい光景ばかりを見ている私の目は、紅葉の絶景を喜んだ。
普段、臭い空気ばかりを吸っている私の鼻は、森の空気を喜んだ。
普段、街の雑音ばかりを聞いている私の耳は、山の静寂を喜んだ。
普段、冷たい風ばかりを受けている私の肌は、自然の風を喜んだ。

頂上まで上る道は楽ではなかった。
ただ、その分の達成感はあった。
また、麓まで下る道も楽ではなかった。
ただ、その分の満足感はあった。

人生道にも上り坂はある。
苦労してこそ得られる幸せがある。
悩んでこそ得られる心地よさがある。
悲しんでこそ得られる晴れやかさがある。
病んでこそ得られる健やかさがある。
尽くしてこそ得られる温かさがある。

「生きるために働くのであって、働くために生きているわけではない」
頭ではわかっていても、実際はその逆で、仕事に支配された生活をしてしまう。
時間配分においては、もう何年もプライベートより仕事優先の生活をしている。
ひょっとしたら、時間的にだけではなく、精神的にも肉体的にもそうかも
しれない。
“偽の仕事人間”と“真の仕事人間”の分別もかわらないまま、ここまできている感じ。
もちろん、“遊んでばかり”より“働いてばかり”のほうがマシだとは思うけど。
ただ、真の仕事人間は、仕事とプライベートをバランスよく両立させて、それぞれに相乗効果を発揮させている人だと思う。
私も、少しでもそうありたいと思う。
もちろん、今回の“我流荒療法”が功を奏するかどうか自分でもわからない。
だけど、頭で悩んでばかりではなく実際に行動を起こしているだけでも、頭デッカチ・口だけ人間の私には大きな進歩だと思っている。


人には、それぞれ与えられた道がある。
そして、それぞれに与えられた「寿命」という長短がある。
ただ、長かろうと短かろうと、“生き抜いた!”という達成感を味わいたいもの。
そのためには、歩みはとめられない、とにかく進むしかない。
「人生」という名のハイキングコースは、人に幸せを与えながら人を励まし、人に試練を与えながら人を鍛錬し、その前進を望み、助け、そして歓迎してくれるもの。

楽するためには、上り坂は選ばないほうがいい。
しかし、幸せになるためには、上り坂を選んだほうがいいときがある。
「年内にもう一回くらいは山に出かけたいなぁ・・・」
と考えている私の心は、苦難の道中にあっても、小さな命がくれた幸せに微笑んでいるような気がしているのである。




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生きる側

2014-12-02 14:47:04 | 遺品整理
暦は、もう師走。
今年も残すところ一ヵ月。
「過ぎてみるとはやいな・・・」
いつもそう思う。

チビ犬がいなくなって、ちょうど三週間。
「寿命だった・・・」「天寿をまっとうした・・・」
と自分に言いきかせている。
ただ・・・やはり寂しい・・・
夢でもいいから、幽霊でもいいから、目の前に現れてほしいと思ってしまう。

毎日、チビ犬のことを思い出す。
まだ、思い出さない日はない。
でも、号泣することはなくなった。
(当日とその後の三日間は、恥ずかしいくらい大泣してしまった・・・)
傷心は少しずつ癒えているのか、それとも、時間によってそのかたちを変えているのか、自分でもわからないけど、
「このままだとツラ過ぎる・・・マズイ・・・」
と、自分で自分を心配していたから、落ち着きを取り戻しつつある状況に安堵している。

今現在、人間の家族は健在で死別者はなし。
また、これまで、祖父母・叔父叔母・友人・知人が亡くなったことはあったが、これほどの喪失感や悲しみはなかった。
薄情なようだけど、涙がでたのは、何年か前に母方の祖母が亡くなったときくらい。
それでも、その悲しみは、今回に比べたら桁違いに軽かった。

私は、死業に携わって23年目になる。
これまで、数え切れない遺体や遺族・関係者と関わってきた。
その場かぎりの薄っぺらいものながら、故人や遺族に同情心を抱いたことも数多い。
自己中心的な感傷と区別しにくいものながら、他人の死に悲しみを抱いたことも何度もある。

それでも、
「自分は、故人や遺族の気持ちを理解できている」
なんて、勘違いはしてこなかったつもり。
悲哀の中にあっても、心のどこかで
「他人の気持ちを100%理解できるわけはない」
と、独り善がりが大好きな自分に警告を発していた。
それでも、とにかく、死業に携わる者として、生きる側に立つ者として、金銭以外の糧を得たいと思ってきた。

私は、チビ犬との死別によって、大きな喪失感と悲しみに襲われている。
「犬と人間を一緒にするな!」
と叱られてしまうかもしれないが、これは、ある意味でいい経験(勉強)になっている。
仕事を通して出会う人達が味わっている、死別の苦しみと悲しみが、これまでとは違う次元で受けとめられるような気がするから。
そして、これが人間(自分)を少しでも大きくしてくれるような気がするから。



「遺品の処分をしてほしい」
そんな依頼が入った。
依頼者は中年の男性。
現場は、街中に建つ古い賃貸マンション。
私が到着したときは、男性は既に部屋にいた。
そして、玄関をくぐった私にスリッパをだしてくれた。

部屋は、一般的な1R。
決して広くはない部屋には、家財生活用品が一式。
ただ、その整理はかなり進んでおり、家具家電や大きな荷物を除き、他のものはほとんどダンボール箱やゴミ袋に梱包されていた。
それでも、家財全部を見落としなく確認する必要があった私は、室内はもちろん、キッチン棚やクローゼットの中、ベランダに物がないか見分。
そして、ユニットバスの扉も開けた。

「ん?」
浴室には、かすかな硫黄臭。
「硫化水素?・・・」
それまでの経験から、それである可能性が極めて高いことを察知。
「自殺・・・」
私の脳裏には、それがすぐに過ぎった。

私は、自分の想像を確かめるため、イヤな臭いのする浴室に足を踏み入れ、細かな部分に目をやった。
扉とその枠には、扉を強引にコジ開けたような傷・・・
そして、天井の点検口、排水口、扉枠の内側には、所々、粘着テープの糊が付着・・・
現場の状況は、私の想像を覆すどころか、固めていくばかりだった。

私は、死因を尋ねようかどうしようか迷った。
ただ、故人の死因は、家財の片付けに影響するものではない。
ということは、私が知る必要のないこと。
知ろうとしたところで、ただの野次馬に成り下がるだけ。
知ったところで、ただ野次馬が満足するだけ。
思案の結果、私は、何も気づかないフリをすることにして、事務的に室内の観察を進めた。

想像の域は越えないが・・・
部屋にある品々から推察すると、故人は男性で歳はまだ若い・・・
亡くなったのは、男性の息子。
浴室は、わずかな硫黄臭とテープ糊が残留・・・
死因は、硫化水素を使っての自殺。
バス用品も全て片付けられており、軽く掃除した形跡があり・・・
消防が中和した後、男性が、掃除したものと思われた。

見分をすすめる中で、色々な想像が頭を廻り、私の気分はわずかに落ちていった。
が、一方の男性はいたって平静。
それどころか、サバサバと明るい雰囲気。
しかし、それはあまりに不自然で、男性が意識してそうしていることがハッキリと読み取れた。

部屋には、一人では持ち上げられない家具家電がいくつかあったため、スタッフ二人でやるくらいの作業量はあった。
ただ、男性は、運び出す作業を手伝ってくれるという。
作業員が少なく済めば、それだけ費用を抑えることができるだが、男性の動機はそこにはない様子。
費用はともかく、とにかく、作業を一緒にやりたいよう。
なんとなく男性の気持ちが察せられた私は、
「この階段、楽じゃないですよ」
と前置きし、一人分の作業費を値引きして商談を成立させた。


作業の日、私より先に男性は部屋に来ていた。
マンションにエレベーターはなし。
四階から階段をつかって荷物を下ろす作業はなかなか楽なものではなかったが、労働で汗をかくのはなかなか気持ちがいいこと。
男性は、一人で持ち運べないモノだけ手伝ってくれる約束だったのに、細かなものの搬出まで一緒にやってくれた。
何かのとりつかれたように、荷物を抱え、汗ダクになりながら黙々と階段を昇降する男性の姿は、死別の悲しみを振り払おうとしているように、また、涙を汗にかえて流そうとしているように見え、私に勇気のようなものを与えてくれた。

しばらくすると部屋は空になったが、やはり、浴室には硫黄臭が残留。
私は、作業の仕上げに、浴室に消臭消毒剤を噴霧した。
「それは?」
それを見ていた男性は、私に訊いた。
「消臭消毒剤です」
私は、そのままのことを返答。
すると、男性は、
「そうですか・・・」
とだけ言い、少し気マズそうにしながら、その顔を曇らせた。

作業前も作業中も作業後も、私は、男性に故人について何も訊かなかった。
また、男性も何も話さなかった。
ただ、明るかった。明るく努めていた。
その様からは、「故人(息子?)の名誉を守りたい」「死を受け入れたくない」「自殺を認めたくない」という親心と、寂しさ・悲しさ・喪失感と戦って生きていかざるを得ない男性の宿命・・・生きる側に立つ者の苦悩がみえ、私は、他人事とは思えない緊張感を覚えた。


それまで、当り前のように存在していた大切な人が突然いなくなる・・・
仕方がないと諦められる人
悔やんでも悔やみきれない人
悲しみの中にも安堵感みたいなものを感じる人
いつまでも悲しみから脱け出せない人
残された人は、色々な心情を抱くのだろう。

悲哀の感情に襲われることは、生きる側に立つ者の宿命。
しかし、失うことばかりではない。
そこから得られるものはある。
「苦しんだ分だけ幸せはくる」
なんて安易なことは言えないけど、苦しみや悲しみは時間とともにその姿を変え、それが生きるための指針なることはある。

私は、チビ犬を失った。
肉体はなくなったけど、その魂は、私の心に入った。
そして、それは、これから心の羅針盤となって、生きる側に立つ私の道を指し示してくれるのだろうと思っている。



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