特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

バカ丸だし

2012-05-23 08:43:07 | Weblog
暖かな春は短かった。
5月も下旬になり、季節は一気に夏めいてきた。
作業服が塩をふく恐怖の季節は否応なく近づいている。

長い人で九連休だった、今年のゴールデンウィーク。
そうでない人でも三連休+四連休か。
多くの休暇をつかって、多くの人が笑顔の思い出をつくったことだろう。

生きるために働くわけで、働くために生きるわけじゃない・・・私も珍しく二連休をとった。
週休二日制が世の中に定着して久しいが、私が連休をとるのは極めて稀。
たったの二連休でも貴重に感じられ、随分と楽しい時を過ごすことができた。

しかし、その後に問題あり。
元来、働くことが嫌いな私。
休み明けの朝、もの凄い疲労感と虚無感に襲われて辛い思いをした。

幸か不幸か、休み慣れしてないせいで、こんなかたちでツケが回ってくる。
たった二日の休暇でこのザマだから、9連休なんかしたら病気になって寝込んでしまうかもしれない。
一体、何のための休暇なんだか・・・ホント、悲しい性(サガ)を背負っている。

しかし、少なからずの人が似たような苦しみを味わったのではないだろうか。
「五月病」なんて言葉があるのもそれが故。
この時期は、季節の変わり目でもあり、心身ともに不具合を起こしやすいのだろう。

幸い、私は、五月病には縁がない。
3月~4月に新年度らしい節目もないし、GWらしい休暇もないから。
あとは、“万年五月病患者”だからかも。

例年苦しんでいる冬欝も、今季は極めて軽かった。
昨年秋頃から覚悟は決めていたのだが、いい意味で拍子抜けしたような次第。
お陰で?酒の量も食欲も減らず、精神が健康な分、肉体が不健康になっているように思える。

嫌でも好きでも、大人は働くこと、子供は勉学に励むこと、これが責務。
サボったツケ・楽したツケは自分に回ってくる。
ジタバタしないで、外の温度にあわせて内の温度を上げていくしかない。


懸案の“携帯電話買い替え問題”。
迷った挙句、結局、スマホを購入。
冷静に考えてみたら、見栄っ張りの私が従来型を買うわけもなかった。

ちなみに、従来型は「フィーチャーフォン」というらしい。
ケータイショップの店員がそう教えてくれた。
お別れするときになってやっとその名を知るなんて、まったく“おバカ”である。

慣れないせいで、今はまだ使い勝手が悪い。
しかし、字を読むことが大嫌いな私は、取扱説明書は開きもせず。
使っていくうちに慣れていくつもりでいる。

今までのものに比べると、操作手順がかなり増えた。
電話をかけるだけ、メールを開くだけなのに、何度も画面を操作する必要がある。
それに増してタッチする部分を間違えたりするものだから手間がかかって仕方がない。

手の指と精神の神経は決して太くないつもり。
なのに、タッチしたつもりの部分じゃないところが反応することが多い。
これはかなりイラつく!

おまけに、両手が拘束される。
今までは、本体を開くとき以外、ほとんど片手で済んだのにスマホの場合そうはいかない。
片手だと、画面を開くことさえできない。

更には、手袋を着けている手(指)にはディスプレイが反応しない。
私の場合、現場においてラテックスグローブ(薄手のゴム手袋のようなもの)を着けていることが多いわけで、しかも、これは複数回使用できる想定ではない。
電話やメールがくる度にいちいちはずすわけにもいかず、結果、急いでいる場合は、無様にも肘でタッチしているような始末である。

また、携帯電話のくせに携帯しにくい。
従来型にくらべてサイズが大きく、ズボンのポケットに入れておきづらい。
しかも、どうしても過保護にしてしまい、ちょっとした重荷になっている。

落下など、外部からの衝撃にはあまり強くないらしい。
片面全面がディスプレイになっているせいだろう。
ポケットに入れるのが習慣なら、保護カバーを着けることを勧められた。

ちなみに、防水性能はかなり高いみたい。
店員いわく、「お風呂に落としたくらいでは平気です」とのこと。
対して、「汚腐呂でも平気なのかなぁ・・・」なんて“おバカ”ことを考えた私だった。


電話とメールだけしか使わないなら、なにもスマホにする必要はない。
スマホの真髄は、インターネット関連の機能のはず。
だから、インターネットを活用しなければスマホを買った意味がなくなる。

もともと、インターネットに対するニーズが低い私。
しかし、せっかく手に入れたスマホ。
とりあえず、ネットを開いてみることにした。

とは言っても、見たいサイトを思いつかない。
とりあえず、道路情報、天気予報、時事ニュースなどを開いてみた。
そこでは機械の機能や性能の高さは味わえたのだが、サイトの中味はどれも面白くはなかった。

そこで、思いついたのが「特殊清掃 戦う男たち」。 
自分のブログがどんな感じで映し出されるのか見てみることに。
早速、私はキーワードを打ち込んで検索をかけた。

目当てのサイトはすぐにでてきた。
そりゃそうだ、ブログタイトルをそのまま打ち込んだのだから。
それから、画面をルーレットのようにテキトーに転がして、ある年・ある日の記事を不作為に取り出してみた。

過去にあげた自分のブログを読むなんてことは滅多にない私。
もともと字を読むのが嫌いなうえに、自分が書いたものを読んでも仕方がないから。
“書き捨て”を常としているブログである。

ほとんど読み返すことがないうえ、500編近くたまった記事の一つ一つを頭の鈍い私が憶えているわけはない。
それでも、読んでみると甦ってくるものが多々あった。
そして、まるで他人が書いたものを読んでいるかのような不思議な感覚と新鮮さを覚えた。


このブログをはじめたのは6年前・・・ちょうど5月。
すでに年齢は若くなかったけど、それでも、今と比べれば若かった。
たった数年間のことなのに、当時の筆圧を思い出すと懐かしい。

時の経過によって心身や志向が変化するのは不自然なことではない。
とはいえ、以前に比べて今の自分は、重く、活きが悪く、低いところに偏り、浅いところに落ち着いているような気がする。
これを「進化」といえばいいのか、それとも「退化」というべきか、判断が難しい。

何はともあれ、過去の自分に感化されたのは事実。
自己満足、自己陶酔、自己憐憫、自己矛盾etc、それらを整理できないまま自分のブログに感情を動かされてしまった。
過去の自分を反面教師にするのではなく教師にするなんて、ホント“おバカ”である。


私は、人からバカにされることを嫌い、人にバカにみられることを怖れる。
だから、見栄をはり、虚勢をはり、面子をはる。
そんなこと気にしないでいられたら楽なのに。

私は、ある意味で幸せな人間だが、ある意味で不幸な人間。
必要な知恵がなく不必要な欲があり、必要な志向がなく不必要な思考があるから。
身体は確実に歳をとっているのに、中身は成長していないから。

多くの場合、大人は子供に比べて賢く、そして力がある。
しかし、多くの意味で、子供は大人に比べて幸せである。
社会に対する剣や鎧を持たない分、軽く生きることができるから。

自分が賢くみられようがバカにみられようが、周囲に大差はない。
悪くあってはならないが、愚かであってはならないが、そうでなければ、そんなこと気にするだけ不幸。
私は、自分の浅慮をよく嘆くけど、ホントに嘆くべきは余計な見栄や体裁を捨てられないことだと思う。

頭は単細胞のくせに思考は単純にいかない私。
理屈をこねくり回してシカメッ面をする私より、素直に泣き笑う子供の方がよっぽど人生を楽しんでいるのではないだろうか・・・
生き方を簡単にすること、単純に生きること、それが今の私に必要なこと、今の私が求めていることかもしれない。

「幸せとは?」
「ひょっとしたら、そんなこと考えないで生きることかも・・・」
先のGW、子供のような笑顔を浮かべる大人達をみて、そんな風に思ったバカになれないバカ(私)である。




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迷 ~後編~

2012-05-06 08:33:17 | ゴミ部屋 ゴミ屋敷
翌日の朝・・・
私は、アパートの近くの大家宅を訪問。
作業開始の挨拶と、大家の指示・要望を聞くためだった。
大家や管理会社の意向によっては、作業内容を大きく変えざるを得なくなるケースもある。
やはり、あまり神経質になられると、仕事はやりにくい。
したがって、インターフォンを押す私は、ちょっと緊張していた。

玄関に現れたのは年配の男性。
大家は、私が何者かすぐにわかったようで、開口一番「ご苦労様」。
現れた強面に、一瞬、緊張度が増した私だったが、その一言で緊張は和らいだ。
私は、「これから作業をはじめますので、ヨロシクお願いします」とペコリ。
それから、作業を実施するにあたっての注意点や要望を訊ねた。

自分のアパートをあんな状態にされて心中穏やかではなかっただろうに、大家からは特に細かい指示はなし。
前日のうちに母親から連絡を受けていたこともあり、二つ返事で作業実施を承諾。
とにかく、悩みの種だった部屋がやっと片付くことになってホッとした様子。
「お手数おかけします」「ヨロシクお願いします」と頭を下げてくれ、軟らかくなっていた緊張感を更にほぐしてくれた。

それから、私は現場アパートを訪問。
算段は、午前中は室内で荷造梱包をし、午後から荷造梱包をしながら搬出するというもの。
意図してかどうかわからなかったが、この日もまた女性は不在。
母親によると、「捨ててほしくないものを伝えて外出した」とのこと。
そして、母親も、意見もせずそれを許したよう。
私は、「酷なようだけど、自分のしでかしたことの尻拭いを母親がしている姿を女性に少しでもみせた方がいいのではないだろうか・・・」と内心で不満に思った。
反面、これまでの経緯から女性と顔を合わせるのは気マズイため、ホッとしたのも事実だった。

室内の様子は前日と少し変わっていた。
前日はゴミ野が広がっているだけだったのだが、部屋の奥にはビニール袋の山ができていた。
そして、よく見ると、トイレが片付いていた。
前のトイレには、雑誌・衣類・トイレットペーパーの芯etc・・・
そして、使用済みの生理用品も山積みされていたはず・・・
しかし、それがなくなっていた。
娘の恥を隠そうとする親心がそうさせたのか、私に気をつかってくれたのか、母親が自分で片付けたよう。
“母親が女性(娘)にやらせた”とは到底思えず、ここでもまた、内心に不満めいた感情が湧いてきた。
ただ、経緯がどうあれ、それをやらずに済んで私が助かったのも事実。
女性や母親に不満を抱くのはお門違いであることを自分に言いきかせ、作業に集中するよう努めた。

「必要なものと不要なものを指示しておいていただければ、あとはこちらでやりますから」
「終わったら電話しますので、貴重品だけ持って喫茶店かどこかで時間をつぶしていてください」
私はそう言って母親にも外出を促した。
汗と脂と汚れにまみれて大変そうに作業をする姿をみせたくなかったし、娘が原因のそんな作業を見たところで気持ちが浮くはずもなかったから。
たが、母親は動こうとせず。
何とも気持ちが落ち着かないようで、まだ部屋にいるほうが気分的には楽みたいだった。

危険に晒されたり作業の邪魔になったりしなければ、どこにいようが母親の自由。
また、依頼した仕事がキチンと遂行されるかどうか検分する権利もある。
無理矢理追い出すわけにもいかず、結局、私は、母親の前で荷造作業を開始。
慣れた作業につき、テンポよくゴミの袋をつくっていった。
すると、母親は、市販のマスクとゴム手袋を着けて、私と同じようにゴミをビニール袋に詰めはじめた。
それに気づいた私は、「私がやりますから・・・」と言葉で制止・・・
が、私の言うことを聞くつもりがあれば、はじめからそんなことをするわけもなく・・・
結局、そんな母親を横目に気にしながら、作業を進めるほかなかった。

ゴミの中には、女性が追いかけていた夢の欠片がいくつもあった。
若者は、往々にして、華やかな(華やかそうに見える)世界に憧れるもの。
華やかさには縁がない私でも、その気持ちはわからなくはない。
“チャレンジしないで後悔するより、チャレンジして後悔したほうがいい”という考え方も理解できる。
ただ、ゴミと化した夢の欠片は、何かを警告しているかのようで、そこには妙な虚しさがあった。

「育て方を間違っちゃったかなぁ・・・」
「ちゃんと育てたつもりなんだけどなぁ・・・」
母親は、髪を振り乱し、汗を流し、ホコリにまみれ、ハァハァと息を荒くしながらひたすらゴミを袋に梱包。
そして、時折、手を休めては、自分にいい訳をするように愚痴をこぼし、大きな溜息をついた。
すると、私の脳裏には、
「俺が、親の期待に反して汚仕事に就いていることに、お袋も同じような愚痴をこぼしてるかもなぁ・・・」
といった思いが過ぎり、苦笑いとともに小さな溜息がもれた。

「今の仕事はアルバイトだし、本人がやりたがっていた仕事でもないので・・・」
「仕事をやめさせて、近いうちに実家に戻そうと思います・・・」
「娘にとって、その方がいいのかどうか迷うところですけど・・・」
母親は、元気なくそう言った。
その内面では、ゴミが片付いた安堵感を娘の将来に対する不安感が押しのけているようだった。
返すべき言葉を用意できなかった私は、泣きそうになる母親を前に、「YES」とも「NO」ともつかない深刻な表情を浮かべてそれを返事のかわりにした。

大家や近隣の協力、そして母親の手伝いもあり、夕方を待たず、すべてのゴミは部屋からなくなった。
大型家電など必要最低限のものだけ残し、あとは思い切って捨てられた。
ただ、その後には、相応の汚損が残留。
浴室、キッチンシンク、トイレ等の水回りを中心に、かなりの汚れが付着残留していることが露になり、それがまた母親を落胆させた。

幸い、ほとんどの部分はクリーニングできれいにできるレベル。
しかし、残念ながら、床は例外。
フローリングの一部には、湿気とカビにやられた腐食痕が結構な大きさで発生していた。
私は、原状に戻すにはクリーニングではなく床材の張替えが必要であることを伝えた。
母親は、更に落胆。
“焼け石に水”とわかっていながらも、そこを雑巾で拭いた・・・
夫に相談するかどうかの迷いを拭い消そうとするかのように・・・

請け負った作業が終わり、私と母親は、代金の支払いについて契約書類を交換。
ただ、これらは便宜上の紙キレ。
費用と手間を考えると、裁判沙汰なんて非現実的。
結局のところ、“信用”に頼るしかなく、イザとなったら泣き寝入るしかない。
私は、母親の親心を回想し、「代金はキチンと払ってくれるだろうな」と楽観した。
そしてまた、「代金が回収できなかったとしても、請け負ったことを後悔するのはよそう」と、自分にカッコつけながら現場を後にしたのだった。



憲法22条「職業選択の自由」は、単なる制度的保障。
当然、就業の自由を保障するものでも、職業の選択肢を用意してくれるものでもない。
自己責任の上で、自分で考え、自分で迷い、自分で選ぶしかない。
職業は一生を左右するため、夢と現実のバランスを保ちながら賢く選ぶべき。
ただ、この時勢は、派遣労働者・非常勤労働者が増え、失業者やニートも減らず、学生や若者でさえも就職難に陥っている。
個人に仕事を選ぶ余裕はなく、社会もそんな余裕をゆるさなくなっている。

「迷わず進め!」
夢を追う人に意見するには迷いがある。
夢をつかめるのは、ハイレベルのセンスと能力と持ったごく一部の人。
凡人の場合、夢をつかむケースより夢をつかめないケースの方が圧倒的に多いような気がするから。
しかし、夢は追わないとつかめない。
チャレンジ精神は、生みだすものであって殺すものではない。
だから迷う。
夢を指向するには、自分の能力と忍耐力を冷静に見極め、実現度を測る必要があると思う。
浅慮の次に待っているのは後悔だと思うから。

「迷うくらいなら辞めるな!」
転職を考えている人には迷わずそう言う。
それでステップアップできるのは、ハイレベルのキャリアと能力を持ったごく一部の人。
凡人の場合、ステップアップするケースよりステップダウンするケースの方が圧倒的に多いような気がするから。
しかし、人生の変化には仕事が大きく作用するもの事実。
転職によって人生を好転させる人が少なからずいることも事実。
だから迷う。
とにかく、転職指向のベースとなっているものが“現実からの逃避願望”なのか、それとも“向上心をもったチャレンジ”なのか、それを冷静に見極める必要があると思う。
逃避の次に待っているは後悔だと思うから。


「この仕事に迷いはない」
そう言えばカッコいい。
が、「仕事に迷えない」というのが私の現実。
私は、迷いたくても迷えない現実に包囲されている。
クドいくらいに言っているけど、私は、この仕事を本意でやっているのではない。
金のため、生活のため、責任を果たすため仕方なくやっているわけ。
そこに選択の余地はない。
この歳・この能力・この経歴では、同等の賃金を稼げる仕事は他に見つかりっこないはず。
また、この感性が活かせ、この無能力さが通用し、この経歴が役に立つ仕事は他にないはず。
だから、迷えない。迷っている場合ではない。

それでも・・・それでも、迷ってしまう・・・
やはり、この仕事に覚悟を決めるのは一生かかっても無理か・・・
こうして名言ぶった迷言が湧いてくるのもそのためか・・・
私は、迷いなく生きたがる自分と迷わずに生きられない自分との狭間で、新たな迷いに遭遇しながら、また、新たな答に迷いながら、それを文字にしているのである。
迷える人生の苦悩を分かち合うために、迷える人生の面白さを分け合うために。



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