特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

RISK ~後編~

2010-06-28 16:52:54 | Weblog
“人の不幸で飯を食う・・・”
私の仕事には、 “人の足元を見る”と揶揄されても仕方がない一面がある。
“困りごとをケアする”と言えば聞こえはいいけど、それと上は表裏一体。
偽善者ぶりを晒すようだが、ハイエナやウジ虫と自分が重なり、気持ちが“グレー”になるときもある。
(こういうときは、“グレー”ではなく“ブルー”と言うのかもしれないけど、自分的には“ブルー”じゃなく“グレー”といった感じなのだ。)

しかし、あくまで、自分のため・金のためにやっている仕事。
世のため・人のためのボランティアではない。
また、仕事として、ある程度のクオリティーを継続・維持する必要もある。
だから、少しでも高い売上・収益を得るべく努力する。

依頼者から「高い!」と言われてしまうこともあれば、「安い!」と言ってもらえることもある。
ただ、“高いor安い”は、依頼者側が決めること。
当方は、仕事の価値や必要性が、代価に見合うように・・・いや、代価を上回るように努めるのみ。
売掛金や経費などの経済的リスク、人の心象や世間の風評などの精神的リスク、実務作業や加齢などの肉体的リスクを背負いながらも、請け負った仕事において、依頼者の期待値を超える成果をだすことに尽力するのみなのである。



「“すべて大家の要求”と伝えて構わないから・・・」と、大家女性は遺族との交渉を私に一任。
保証人(遺族)の住所と連絡先を私に伝えてきた。
私は、その依頼が、単なる嫌悪感や無責任な性格からくるものではないことを理解。
結果、“快く”とまではいかないまでも、特段の難色も示さず女性の依頼を承諾した。

見積をつくる過程で、私の頭には、色んな想いが交錯。
大家女性が抱えている苦悩、遺族が抱えているであろう苦悩、故人が抱えていたであろう苦悩、そして、自分が抱え始めた苦悩・・・
それらに想いを廻らせると、自分が担った役割が順当なもののように思えて、モヤモヤしていた気持ちに一区切りつけることができた。

そして、出来上がった見積は、大家女性の要望を反映して高額なものに。
“大家をうまく言いくるめて、余計な工事を押し売る悪いヤツ”
“素人が理解しにくい理屈をこねて、高額費用を請求する悪徳業者”
そんな風に思われても仕方がないことを覚悟した。

余計なことを考えると、次の行動が躊躇われるばかり。
私は、見積金額を映し出すPCを閉じることなく電話を取り、遺族宅の電話番号を押した。
すると、第一声を考える間もなく、女性が電話にでた。
元気のない声から、それが故人の母親であることが、尋ねなくてもわかった。

私は、故人の死を悼むような言葉は一切発せず。
それが、社交辞令にも満たない冷たい温度しか蓄えられないとわかっているから。
“その程度の言葉で、人は癒せない”“不快な思いをさせてしまうこともある”と思っているから。
だから、余計な言葉は省略し、短い挨拶のみにとどめて名を名乗り、用件を端的に伝えた。

母親は、“そんなことを言うなんて、娘や家族に失礼じゃない!?”と言わんばかりの不快感を露に・・・
“娘(故人)が不憫”といった様子で、
「そのマンションには、住んで一年も経ってないんですよ!」
「内装を変える必要があるとは思えないんですけど!」
「本当に、そこまでのことが必要なんですか!?」
と、湧き上る感情を、電話越しに訴えてきた。

大家女性から要望された当初の私も、母親と同じように思ったわけで・・・
母親の心情は、充分に理解できた。
だから、まずは母親の不満を聞くことに徹し・・・
そして、母親の言葉が収まってきた頃を見計らって、ソフトな言葉を選びながら大家女性が抱える苦悩を伝えた。

母親は、私の説明によって、工事の必要性は納得できないものの、大家女性の心情は理解してくれたよう。
上がっていたテンションは自然に下がり、元の元気ない声に戻り・・・
結局、「夫(故人の父親)と相談して、あらためて連絡する」との言葉を締めとして、電話は終わった。

父親からの電話は、その日の夜に入った。
私は、父親が母親よりも更に強い不満や不快感を露に口撃してくることを覚悟した。
しかし、実際の父親はいたって冷静。
紳士的な物腰で言葉遣いも丁寧。
はじめに、私の説明をきちんと聞く用意があることを、伝えてくれた。
そして、質疑応答を繰り返す中で、ことの経緯を明かしてくれた。

亡くなったのは、女性の娘。
やはり、部屋に造りつけられたクローゼットに自分を掛けた自殺だった。
遺族は、その両親。
現場マンションと同県異市に在住。
父親は、当該マンション賃貸借契約の保証人になっていた。

故人は、精神安定剤と睡眠導入剤を「サプリメントの代わり」と常用。
家族も、そのことを把握。
ただ、一つの会社で仕事も続けており、社会生活も一人前にこなしていたため、家族は故人が精神を酷く患っているとは認識せず。
仕事を辞めてしまうことを心配することはあっても、自殺する可能性を心配することはなく・・・
しかし、家族の思慮を超えて、故人は自死を決行したのだった。

「不可抗力で起こったことではなく、娘(故人)が意図して起こしたことですから・・・」
父親は、“娘が起こしたことを考えると、とても大家に楯突くことなどできない”と考えている様子。
「大家さんの言う通りにしていただいて構いません」
要望らしい要望もなく、父親は、大家女性の要求をそのまま受け入れる構え。
「本人がいない以上、親が責任をとるしかありませんから・・・」
父親は、毅然とした気丈さをみせた。
その心情に、重荷を背負う覚悟を見た私は、その一端を担うことへの意思を固めた。

私は、この“商談”が無事に成立してホッ。
胃が痛くなるような緊張感から開放されて安堵した。
しかし、それは一時的なもので、心の底に何とも言えないグレーな気持ちが残留していることを自覚。
それは、単に、“遺族や大家女性や故人が気の毒”といった安売りされた同情心からくるものではなく、“生きることにはリスクがつきまとっている”ということが露になったせいかも・・・
人間には、リスクなしでは生きていけないという重い性が背負わされていることに、気づかされたせいかもしれなかった。



最近、思う・・・
楽に生きることを指向すればするほど、楽に生きようともがけばもがくほど、苦悩や疲労感は増していくのではないか・・・
そもそも、リスクなく生きようとすること自体が無理なことではないか・・・
生きていること自体がハイリターンなわけだから、それにハイリスクが伴うのは当然のことではないか・・・
そんな風に理解ができないから、鬱々とした重い足取りで愚者愚者にぬかるんだ道を歩くハメになっているのではないか・・・
・・・“達観”や“悟り”といった高ぶった感覚でもなく、“楽観”や“開き直り”といった強者の感覚でもなく、何となくそう思うようになっている。
そして、そう思うことによって、少し勇気がでてきているような感じがする。

私のように賢くない人間は、リスクを避けるための知恵を働かせることより、リスクを受け入れるための勇気を持つことが必要。
その中で、リスクを背負う力を育むことが大切なのだと思う。

そして、人生において、そんな大切なもの一つ一つを見つけるために、得るために、知らしめるために、人には“死”が用意されているのだと思う。





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RISK ~前編~

2010-06-19 18:40:14 | Weblog
関東は、もう梅雨に入ったのだろうか。
やけに蒸し暑い。
日(陽)によっては、ちょっと動いただけで・・・いや、動かなくても汗が流れてくる。
それでも、この気温はまだ序の口か。
今はまだ、朝晩に涼しさがあるけど、近いうちに、朝だろうが夜だろうが汗をかかないでは済まされない真夏がくる。

私は、汗水たらさなくても生活できる境遇にある人を羨ましく思うことが多い。
資産(不動産)の運用益で生活が成り立つような人は、その最たるもの。
資産を形成するにあたって費やした金銭や時間・努力などを棚に上げ、表面上のことだけで判断し、楽な生活をしているように見てしまうのだ。

しかし、実際は、楽に暮らしているように見える人でも、人それぞれに見合った労苦や苦悩があるだろうと思う。
身体に汗をかかなくて生活できているように思われる人でも、心には相応の汗をかいて奮闘しているはず・・・
ただ単に、私とは、抱える労苦と苦悩の種類が違うだけで・・・

誰かに憧れて目標とするならまだしも、他人を羨んでも自分が成長するわけではない。
それがわかっていても、羨んでしまう。
そんな思考が頭を占めるのは、多分、私が努力や忍耐ができないタイプの人間だから。
また、社会人としての能力と人格的なレベルが低い人間だからだろう。
人間として、まだまだ汗をかく必要がありそうだ。



「マンションのオーナー」と名乗る女性から、現地調査の依頼が入った。
もともとの性格からか、抱える事情からか、女性は元気なく暗い声。
そして、何からどう説明したらいいのかわからないようで、困惑気味。
それを察した私は、私からの質問に答えてもらうかたちで会話をスタート。
私のせいで女性の気が沈んでしまわないよう、努めて明るく応答しながら、話を掘り下げていった。

女性が所有するマンションの一室で、その部屋の住人が死亡。
遺体は、少し離れた街に住む家族によって、比較的、早期に発見。
その遺族の話によると、部屋に特段の汚損はないとのこと。
「家財生活用品は、近日中に遺族が片付けるから、その後のことを決めるために部屋の状態を調査してほしい」との依頼だった。

出向いた現場は、閑静な住宅街にある小規模マンション。
築年数は10年くらいだろうか、なかなか凝ったデザイン。
その家賃は、地域相場に比べて高そうな、風格のある建物だった。

玄関前に立った私は、死後の発見が早かったことを思い、緩めてはいけない気を緩めてしまった。
しかし、油断と慢心は大敵。
それで何度も痛い思いをしている私は、心の中で、“イカン!イカン!”と呟きながら、ドアノブに手をかけた。

ドアの向こうは、一般的は1Rスペース。
一歩前進・一時停止して臭気を確認したが、特段の異臭は感じず。
また、室内はどうみても土足が許されるようには思えず、私は、靴を脱ぎ、小さな声で「失礼しま~す」と何かを感じる空間に挨拶をして、中に上がりこんだ。

小さな部屋に、一般的な家具・家電・生活用品が一式。
遺族が荷造りをしたのだろう、多くのものは梱包・分別され、きれいに整理整頓。
私は、そこにあるカーテンの色と化粧台から、故人の性別を判断。
同時に、PC・AV機器類と某キャラクターの大きなぬいぐるみから、故人の年代を想像。
そして、不自然な壊れ方をしたクローゼットの扉から、故人の死因を察知した。

私は、クローゼット側の壁面や床を注意して観察。
そしてまた、鼻を近づけて臭気を観察した。
しかし、周辺に汚染らしい汚染はなく、部屋に異臭らしい異臭もなく・・・
起こったことは普通じゃなくても、部屋自体はごく普通の状態だった。

一通りの見分を終えた私は、部屋の中から大家女性に電話。
電話にでた女性は、相変わらず暗い声。
私は、“不幸中の吉報”のつもりで、まず先に、部屋には特別な汚損も異臭もないことを伝えた。
そして、簡易消毒とルームクリーニングで、原状が回復できる旨を説明した。


「家財の処分が済んだら、簡易消毒をして全体をクリーニングすれば大丈夫ですね」
「・・・」
「特に、消臭作業は、いらないと思います」
「そうですか・・・」
「あとは・・・クローゼットの扉を修繕しないといけませんね」
「それは、まぁ・・・」
「やる必要があることは、それくらいでしょうか・・・」
「いや・・・」
「他に何かありますか?」
「ありますけど・・・」
部屋が大事になっていないことに女性は安堵してくれるものとばかり思っていた私。
だから、私は、その部分を強調し、念入りに説明。
しかし、実際は、女性に安堵の様子はなく・・・
どちらかと言うと、私の説明(提案)に不満があるみたいに、女性の声のトーンは下がっていった。

「内装工事もやっていただけるんですか?」
「え? まぁ・・・頼まれればやりますけど・・・」
「どこまでできます?」
「一通りのことは・・・」
「じゃぁ、全部、見積もって下さい」
「全部って?」
「部屋中、全部です!・・・あと、玄関ドアの交換も!」
「え!?」
「費用は、家族に払ってもらいますので」
「・・・」
女性は、部屋の大規模改修を希望。
私は、女性が、事に便乗して、部屋を新築に造り変えようとしていることを疑った。
そして、そんな女性に、不快感を覚えた。

「しかし、部屋は充分にきれいですよ?」
「・・・」
「そこまでやる必要ありますか?」
「・・・」
「あえて必要だとすれば、せいぜい天井と壁のクロス張替えくらいじゃないでしょうか・・・」
「でも・・・」
「一度、見に来られた方がいいと思いますけど・・・」
「・・・」
私の中で、何かの堰が切れた。
常日頃、人の不幸に便乗して仕事をしている立場もわきまえず、私は女性に反論。
そして、女性がそこまでの改修工事を求める理由を尋ねた。


女性は、“裕福な資産家”というわけではなく、現場マンションは、“老後の糧に”と、女性夫妻が身を粉にした結晶。
しかし、その夫は、老後を迎えることなく他界。
女性は、マンションを夫の代わりみたいに思って大切にした。
定期清掃も業者に任せず自ら作業し、部屋が空けば、室内の換気・清掃も自分で行っていた。

そんな中で起こった今回の出来事。
女性は、“悲しみ”“怒り”“嫌悪”“恐怖”なんて簡単な言葉では表現できないような闇に落とされた。
同時に、故人が使っていたものはもちろん、故人が一度でも触ったものすべてに対して抑えようのない嫌悪感が湧いてきた。
そして、マンションに愛着を持ち続けたい気持ちと嫌悪してしまう気持ちが交錯し、更に、その上に夫への想いがのしかかって、自分を苦しめているのだった。


「大家さんの事情はわかりました・・・“使える・使えない”とか“きれい・汚い”は、全く関係ないわけですね・・・」
「はぃ・・・」
「しかし、御遺族が納得しますかね・・・」
「それは・・・」
「御遺族も何度か部屋に来ているみたいですし、部屋がきれいであることは知ってますでしょ?」
「えぇ・・・」
「だったら、尚更、難しいような気がしますけど・・・」
「・・・」
私は、女性の涙声に、事の深刻さと、一時的にでも女性を蔑視した自分の浅はかさを痛感。
女性が抱える苦悩と心情を理解した。
しかし、それを遺族がすんなり受け入れるとは思えず・・・
“大家vs遺族”で揉める構図を描いてしまう自分に無責任さと冷たさを感じながらも、少しでも事が前進しそうな意見を考えた。

「御遺族とお話しされました?」
「いえ・・・まだ・・・管理会社を通じてのやりとりで・・・」
「一度、大家さんのお気持ちを直接お伝えになったらいかがですか?」
「でも・・・」
「話しにくいとは思いますけど・・・」
「・・・」
「はやり、話しにくいですかね・・・」
「はぃ・・・」
「・・・」
「こういうことには、慣れてらっしゃるわけでしょ?」
「???」
「あとのことを、お任せするわけにはいきませんか?」
「???」
見積書もつくっていないような段階で、女性は、私に何を任せると言うのか・・・
私は、自分が置かれた立場と、ともなう義務と責任が整理できず、その後の任に見当がつかず・・・
返事に困って言葉を詰まらせた。

つづく





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小さな親切、大きな・・・

2010-06-06 07:57:58 | Weblog
先日、ちょっと嬉しいことがあった。
それは、現地調査のため、とある街に出向いたときのこと。
コインパーキングでの出来事だった。

目的の現場は、駅前の商店街エリア。
決して広くない道に、通る車や歩く人は多数。
路上に車をとめるなんてことはもちろん、一時停止することさえ難しい場所だった。

私は、路上駐車を諦め、周辺にコインパーキングを探すことに。
右左折を繰り返しながら、二台分のみの小さな駐車場を見つけた。
そして、そのひとつに車をねじ込んだ。

現地調査を終えた、私は、再び車のもとへ。
とめたときには空いていた隣のスペースには、どこかの会社の社用車らしき車が駐車。
そして、その運転席には、スーツ姿の男性が座り、携帯電話を操作していた。

私の車の駐車位置は、№1。
しかし、普段“№1”というものに縁がないせいか、清算機に対して、私は迷うことなく№2のボタンをPush。
そして、表示された金額を投入した。

しかし、車止プレートが下がったのは、私の方ではなく隣の方。
“???”と、一瞬、何が起こったのかわからなかった私。
そう・・・私は、清算場所を間違えて、隣の駐車料金を精算してしまったのだった。

そんなミスに、私は“トホホ・・・”な気分。
お金の問題だけではなく、そんなミスをしてしまう自分のダメさにガックリ。
やり場のない悲しみを抱え、再び、清算機に向かった。

そうこうしていると、隣の車のドアが開いた。
と同時に、中の男性が降りてきた。
そして、“文句でも言うつもりか?”と身構える私の方に近寄ってきた。

「間違えました?」
「えぇ・・・スイマセン・・・」
「こっちのプレートが上がる音がしたもんですから、びっくりしましたよ」
「申し訳ないです・・・」
「領収証あります?」
「ありますけど・・・」
「お金、払いますよ」
「え!?」
「それは、私の方の料金ですから・・・」
「でも、勝手に清算しちゃったわけですから・・・」
「いやいや・・・」
「まだしばらくここにおられる予定じゃなかったんですか?」
「いいえ・・・ここでの用事は済みましたから」
「いいんですか?」
「大丈夫ですよ」
「そうですか・・・助かります・・・ホント、失礼しました」

男性は、スーツで身を固めた青年。
営業職か、話し言葉も丁寧で、好印象。
短い会話の後、かかった金額を私に手渡し、走り去っていった。

もちろん、男性の素性など知る由もない私。
しかし、どこかで会ったことがあるような親近感を覚えた。
そして、その小さな親切がとても嬉しくて、その日は、身も心も軽やかに仕事に取り組むことができたのだった。



依頼された現場は、古くて小さなマンション。
“現場に行く前に鍵を取りに来てほしい”との依頼で、私は、まずは、現場近くの大家宅を訪問。
詳しい事情を知らなかったため、フリーサイズの(事務的な)スタンスでインターフォンを押した。

大家宅から出てきたのは、老年の男性。
特に尋ねたわけでもなかったが、男性は、遺体発見にまつわる出来事を私に説明し始めた。
話が長くなるような予感がした私は、「とりあえず、現場を見てきてから・・・」と、男性の話を途中で止めて、鍵を預かった。

現場のマンションは、大家宅から歩いていける距離。
故人の部屋は、上の階。
私は、成長しない自分を鍛えるようなつもりで、エレベーターのない階段を一歩一歩登った。

1Rの狭い部屋には、大量の家財生活用品。
それらが、床を隠すほどに散乱。
私には、それが、故人の荒れていた内面を代弁しているように感じられた。

目立って視界に入ってきたのは、数箇所・数個に及ぶ練炭の灰。
そして、公共料金を催促する書類と、それらを止める旨が記された書類。
更には、ベッドマットにはクッキリと浮かび上がる人のかたちがあった。

現場見分を終えた私は、玄関の鍵を掛け、再び大家宅へ。
再び男性が出迎えてくれ、私を玄関に招き入れてくれた。
そして、一時停止していた話の続きを始めた。


「もう亡くなっちゃったけど、もともと、本人(故人)の親が私の友達だったんですよ」
「私の息子と本人も幼なじみでね・・・」
男性は、故人のことを子供の頃から知っていた。
だから、赤の他人のようには思えないようだった。

「亡くなった(故人の)親にも、“息子のことを頼む”と言われてね・・・」
「まぁ、腐れ縁でしょうね・・・」
男性は、肩の荷が降りたのか・・・
安堵したかのようにも感じられる疲労感を漂わせながら、そう言った。

「家賃も、二年分滞納してましてね・・・」
「電気やガスもしょっちゅう止められて・・・」
家賃を滞納されても、強くは催促できず。
金銭的マイナスを、義理と人情で埋めていたようだった。

「どこか具合でも悪かったんでしょうかね・・・」
「まだ若いのに、可哀想・・・」
男性は、故人の死因を、身体的病を原因とする“病死”とみている様子。
よもや、死因が自殺であるとは微塵にも思っていないようだった。

「色々と迷惑をかけられて困ってましたけど、私達より先に逝くなんて・・・」
「悲しいというより、残念ですよ・・・本当に・・・」
男性は、本当に悲しみより残念な気持ちの方が強そう。
そして、その言葉には、何かに対する憤りが込められているように感じられた。

「でも、家賃を強引に取り立てなくてよかった・・・」
「部屋から追い出したりしなくてよかったと思いますよ」
男性は、過去の自分を説き伏せるかのように、そう言った。
そして、自分の言葉に何度もうなずいた。

男性の話をしみじみと聞いた私。
部屋に自殺所見があることを、伝えることができなかった。
“確証がない”“責任がとれない”“余計な問題を引き起こしたくない”などといった考えが働いたから・・・
それでも、“男性に余計な気苦労を背負わせては気の毒”といった親切心が、少しは働いたことを自分で信じたいと思っている。
それが、本当に親切なことだったのか、未だにわからないけど・・・


「人には親切にしましょう」と教わって育ったはずなのに、人に親切にされることをうっとおしく感じたり、人に親切にすることが面倒臭かったりする。
もっと重症化していくと、親切にしてくれる人を妬みの対象にしたり、人に親切にすることが損なことのように思えたりする。

コインパーキングで会った男性がくれた親切は、直接的に私に喜びを与えてくれた。
大家の男性が故人に与えた親切は、間接的に私に喜びを与えてくれた。
世に中には、“小さな親切、大きなお世話”なんて言葉があるけど、実のところ、小さかろうか大きかろうが、親切は大きな喜びだと思う。

更には、親切にされたときの喜びも大きいけど、親切にしたときの喜びの方がもっと大きいことを、関わる一人一人の生き様と死に様が、私に教えてくれるのである。




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