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特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

夢の跡(後編)

2025-05-17 06:05:00 | 自殺腐乱死体
取り引きのある不動産会社から相談が入った。
その内容は、
「社有マンションで自殺が発生」
「発見が遅れたため、部屋は相当に汚れているはず」
「故人は大学生で、両親を交えて協議することになっている」
「事前に現地調査を済ませたうえで、その協議に加わってほしい」
といったもの。
自殺案件は話がスムーズにまとまらないことも少なくなく、依頼の内容は心情的にやや難儀なもの。
ただ、懇意にしている担当者からの頼みでもあり、無碍な対応はできない。
まずは依頼通りに動くことにし、“あとは、野となれ山となれ”と思考をチェンジ。
“野”でも“山”でも“ハイキング”の経験は豊富なので、「なんとかなる」と半分開き直って、「伺います」と返答した。


訪れた街は、「住みたい街ランキング」で常に上位にある東京の某市。
目的の現場は、人気駅の近くに建つ賃貸マンション。
かなりの好立地で、賃料が高額であることはヨソ者の私でも容易に察しがついた。
私は、1Fエントランスで待ち合わせた担当者から鍵を預かり、根回しの済んでいるマンション管理人に軽く挨拶をしてエレベーターへ。
目的の階につくと、周囲に人がいないことを確認しながら そそくさと現場の部屋へ向かい、自宅に戻って来た住人かのような淀みない動きで開錠。
素早く かつ最狭にドアを引き、スルリと身体を滑り込ませた。

ハエがうるさくしたりもせず、室内はシ~ンと静まり返っていた。
慣れきった私は不気味さこそ感じなかったものの、「自殺」という死因が、その静けさを一層際立たせているような気がした。
1LDKの奥へ歩みを進めると、部屋の床には不自然かつ見慣れた物体があった。
それは、腐乱した遺体が残していったもの、腐乱した遺体しか残していけないもの。
私にとってその汚染度はヘヴィー級に近いミドル級、異臭レベルも同じ。
容易く片付けられるものではないながら、大袈裟に溜め息をつくほどのものでもなかった。


両親の自宅は関西の某県で、今回の件を受けて上京。
指定された集合場所は、現場マンションから徒歩数分のところにある両親宿泊のホテルラウンジ。
ただ、そこは人目の多いスペースで、話す内容も内容だっただけに、「話し合いは別の場所に移動してから方がいいだろうな・・・」と思った。
しかし、マンションの管理人室は狭すぎるし、エントランスだと人(住人)の目を引きやすい。
外での立ち話で済ませられる事案でもなし。
よくよく考えれば、ラウンジを行き交う人達は、いちいち我々のことを気に留めたりはしないはず。
声を低くしたうえで、「自殺」とか「遺体」とか、非日常的なキーワードを使わないようにすれば問題ない。
結局、そのラウンジがそのまま協議の場となった。

両親・担当者・私の三者は、約束の時間を前に集合。
当然か、どの顔にも笑みはなし。
日常的によく用いられる社交辞令的な愛想笑いさえも。
そんな重苦しい空気の中、担当者の、
「何と申し上げていいかわかりませんが・・・この度は・・・どうも・・・」
という歯切れの悪い言葉から協議は始まった。
本来なら、「ご愁傷様です」というのがマナーなのかもしれないけど、今回のような事案において、管理会社は、いわば“被害者”。
担当者が口ごもってしまうのは仕方のないことだった。

賃貸借契約解除、原状回復、損害賠償等々、協議しなければならない課題はいくつもあった。
不動産会社の主張が正当とされることや、要求して当然と思われる事項もいくつかあった。
が、両親が、悲しみと戸惑いと不安のドン底にあるのは察するに余りあり、担当者は、何をどう話せばいいのか考えあぐねている様子。
また、それに対して、両親は理解を示すのか、はたまた情緒不安定に反論してくるのか読み切れず。
私は、主張の根拠や判断の基準になる法令・条例や国のガイドライン、裁判例などは、だいたい頭に入れている。
しかも、踏んできた場数は担当者よりはるかに多い。
更に、“屁理屈”や“減らず口”においても右に出る者はわずか。
イザとなったら、担当者に代わって、「不動産会社vs両親(故人)」それぞれの責任・義務・権利を説明し、協議を落着させる気構えを持っていた。

私の役目は、特殊清掃・遺品整理・消臭消毒・内装改修工事など、原状回復の物理面を説明すること。
できるだけ詳しく現状を説明し、かつ、それに対処する作業や工事も丁寧に説明する必要があった。
ただ、一般の人は、“掃除=原状回復”と考える人が多い。
あと、ニオイの問題はほとんど無理解。
回りくどい表現ではなかなか理解してもらえないのだが、実状をリアルに伝えようとすると凄惨さばかりが際立ってしまう。
場合によっては、両親を更に悲しませることになりかねない。
そこのところの言葉選びが悩ましいところだった。

遺族がどう思おうと どう感じようと事実は事実。
回りくどい表現や、耳障りのいいことばかり言っていては仕事にならない。
常識的な礼儀とマナーを守ったうえであれば事務的に流しても問題はない。
あと、真心の伴わない白々しい同情が、かえって遺族に不快感を与えることもある。
“余計な感情移入”と“深い心遣い”の区別もできない独善者にはなりたくなかった私は、言葉は丁寧に、口調はソフトに、内容はストレートに、それを心掛けて状況を説明。
片や両親は、「呆け顔」といったら語弊があるが、まるで知らない言語を聞いているかのような表情。
反応は薄く、私が発する言葉の端々に合わせて規則的に頷くのみ。
それは、私の言葉を嚙み砕いて消化するのではなく、丸呑みして消化不良を起こしているような状態にみえた。


故人は20代前半の男子大学生。
出身は、両親のいる関西の某県、出身高校も全国的に有名な難関進学校。
そして、通っていたのは誰もが見上げる一流大学の理系学部。
しかし、故人はその道に満足せず。
医師になる夢を追い、大学に在籍しながら医学部入試に挑戦することに。
ただ、故人が目指していたのは、「国内最難関」といわれる医学部。
ちょっとやそっとの努力や能力、人並みの脳力や経済力では手は出せないところ。
同じ医師になるにしても、もっと難易度の低い大学はいくらでもあったはず。
故人の能力を鑑みると、私大を含めたら“選び放題”だっただろうに、故人はその道には流れなかったようだった。

大学生と受験生、二足の草鞋を履いた生活を維持するには金も時間もいる。
しかも、目指すのは医学部。
更に、住居は、「学生の一人暮しには贅沢過ぎるんじゃない?」と思われるくらいの部屋。
平凡な額の金銭では済まされないはず。
ただ、両親は共に医師で医院を経営。
“超”がつくかどうはわからないながら富裕層に間違いなし。
多くの大学生が「奨学金」という名の借金を背負い、学業を圧してまでアルバイトに精を出さざるを得ない時代にあって、金の心配が要らず夢に向かって突っ走れる環境にあった故人は「恵まれている」としか言いようがなかった。

とは言え、故人にとっては大変なチャレンジだったはず。
同時に、充実した日々でもあっただろう。
そんな中、故人の中の何かが変わった・・・
故人の中で何かが起こった・・・
医師への道は、“親の夢”を“自分の夢”と錯覚して選んだものか・・・
一つだったはずの親子の夢が、ちょっとした行き違いをキッカケに乖離していったのか・・・
そして、結局、一流大学で医師を目指すことの意味を見失ったのか・・・
しかし、故人は、既に一流大学の学生。
医師になれなくても、明るい未来が見通せる境遇。
しかも、裕福な家庭で、言わば、「親ガチャに当たった勝ち組候補」。
そんな故人の自死について、俗人(私)の頭には「何故?」という疑念ばかりが巡った。


自死の衝撃・・・
息子を失った悲しみ・・・
どう責任をとるべきか、それは負いきれるものなのか・・・
不安・怒り・悲哀・苦悩・後悔・葛藤・絶望・・・それらが制御不能で殴り合っている・・・
そんな心模様が、両親の顔に色濃く表れていた。
一方の不動産会社の主張や要求は、私の解釈としても「正当」と見なせるもの。
両親は、それに対して抗弁する術を持たず。
そもそも、そんな気力もなさそう。
故人の後始末が両親にとって辛い道程になることは明らかだったが、平和的に進めることができそうな予感がして、少しだけホッとした。

「協議」といっても、実のところは、不動産会社と私が“言う側”、両親は“聞く側”という構図。
見解が対立したり、どちらかが言葉に窮したりする場面はなく、時間は静かに経過。
協議が終わって場がお開きになる際には、
「あとのことはお任せします・・・」
「よろしくお願いします・・・」
と、両親は、泣きそうな顔で担当者と私に深々と頭を下げた。
両親に、そこまでの罪悪感を抱かせ卑屈にさせた故人の死・・・
「故人は、両親のそんな姿をみたらどう思うだろう・・・」
考えても仕方のないこと・・・“考えてはいけないこと”と知りつつ、私の心にはそんな凡俗な不満が過った。


「自殺は蛮行」と、世間は簡単に否定する。
同意できる部分はありながらも、私は少し違う感覚を持っている。
この人生において何度か自殺願望や希死念慮に囚われたことがある身の私は、これまで、自殺者について「同志的な感情を覚える」「一方的に非難できない」といった旨の考えを示してきた。
更に今は、「戦線離脱」「敵前逃亡」のように受け止められがちな自死を、過激を承知で言わせてもらうならば「“戦死”としても不自然はない」と思っている(戦争や暴力を美化する意図はない)。
どんな憶病者でも、どんなに弱虫でも、何かに苦悩するということは、何かと戦っているということでもあるのだから。

目標・目的を持ち、夢を追う。
心を燃やし、時間や金を費やし、頭や身体を駆使する。
素晴らしい生き方だと思う。
ただ、人間は“考える葦”。
偉大な思考力を持つものでありながらも、“葦”のように弱いものでもある。
虚無感という曲者は、疑念や不安、絶望感など、ネガティブな感情を次々と造り出しては、弱みにつけ込むかのように煽り立ててくる。
そして、それに立ち向かおうとすればするほど返り討ちに遭うリスクが高まる。
懸命に生きようとすればするほど、死へ向かう反動が大きくなる。

世(人)の中には「考えても仕方がないこと」や「考えない方がいいこと」がある。
答が出ないことや正解が一つでないことなんてザラにある。
“生きる意味”なんて、その最たるもの。
「やっと見つけた!」と思った“正解”は、いとも簡単に姿を変え、自分を裏切る。
“生涯の道標”と過信したら、とんだしっぺ返しを食らう。

結局のところ、“答”はない。
逆に、あるとしたら無数にある。
“無答”にうろたえるか、“無数”にたじろぐか、どちらも似たり寄ったり。
だとしたら、その都度、自分の頭に馴染む答、自分の心にシックリくる答を“正解”にして都合よく生きればいいと思う。


半世紀近くが過ぎ・・・
野球選手になることを夢見ていた無邪気な少年は とっても有邪気な中年に。
その手には、バットではなくスクレーパーを持ち、ボールではなくブラシを握り、皮革グローブではなくラテックスグローブをはめている。
目の前に広がるのは、活気溢れるグラウンドではなく 精気失うグロウンド・・・
香ってくるのは、芳しい芝の匂いではなく 悍ましい死場の臭い・・・
聴こえてくるのは、観客の声援ではなく 心の悲鳴・・・
笑えるようで笑えないような、笑えないようで笑えるような、まったく、人生っておかしなもの。

「俺って、一体、何やってんだろうなぁ・・・」
汚物と格闘している中で、ふと そう憂うことがある。

ただ・・・ただ、まだ、こうして生きている。
意味のある人生を無意味に生きている。
無意味な人生に意味をもらって生きている。
振り返れば、夢の跡が遠くに見える。
そして、かすかに輝きも見える。

震えるほどの虚しさがやってきたときは、滑稽な我が道を“フッ”と鼻で笑って自分を慰めるのである。


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夢の跡(前編)

2025-05-12 06:38:12 | 自殺腐乱死体
渋滞を案じた無休GWが終わり、肌に夏の前味が感じられるようになってきた今日この頃。
雨のない土日祝日には、会社近く、江戸川の河川敷グラウンドでは少年野球や草野球の練習や試合が行われている。
で、私は、現場に行き来する車の窓から しばしば その光景を見かける。
そして、
「趣味がある(できる)っていいなぁ・・・」
「スポーツで汗をかくって気持ちよさそうだなぁ・・・」
と、少し羨ましく思う。

元来、私はスポーツへの興味は薄く、縁もない。
かろうじて、中二・中三のときに陸上部に所属していたものの、もちろん、好きでやっていたわけではなく、学校の方針で“帰宅部”は認められなかったため、仕方なくやっていただけ。
他のメンバーも似たようなもので、教師を含めて真剣にやっている者はおらず、個々人も学校も地域で最弱レベルだった。
(ちなみに、中一のときは美術部だったが、中二になるタイミングで廃部になってしまった。)
高校は“帰宅部”、大学はサークルには入らずアルバイト&遊興三昧。
その嗜好は今でも変わらず、オリンピックやワールドカップ等、ビッグイベントもほとんど興味がない。

しいて言えば、プロ野球には興味がある。
生まれて初めて抱いた将来の夢も「プロ野球選手」。
後にも先にも、職業に夢らしい夢を持ったのはその一度だけ。
ま、それも10歳に満たない頃のこと。
現実の冷淡さも知らない男児で、今思えば無邪気な戯言。
小学校の高学年になる頃には、自然と消えていた。
ただ、ウキウキするようなワクワクするような、いい気分だったのは間違いない。
ささやかながら、あの時の自分は輝いていた。

熱狂的なファンではないけど、好きなのは広島カープ。
2016年~2018年、リーグ三連覇したときは気分がかなり揚がり、反面、昨夏の大失速には気分が一気に沈んだ。
応援したくなる要素は色々ある。
設立の経緯、市民球団という組織体、
かつては、「セリーグのお荷物」と言われていた程の弱小球団、
樽で募金を集めて球団を維持した歴史もある貧乏球団、
今でも金満ではなく、何億も稼ぐようなスター選手は雇えず、
活躍する選手はFAで軒並み他球団にさらわれ、逆にFAでやって来る選手はおらず、
また、本拠地は地方の田舎街、他球団ほどの隆盛感はない。
オンボロだった「広島市民球場」(1957年~2008年)もいい味を出していた。
今の球場建設にあたってもドームにはせず(できず?)、市民からも募金が集められたそう。
そんなチームでも、他球団と互角に戦っているわけで、そんなところに親近感というか愛着というか、共感・好感が持てるのである。

これまで、東京ドーム・横浜スタジアム・QVCマリンフィールド(現・ZOZOマリンスタジアム)に行ったことはある(所沢と神宮には行ったことがない)。
あぁ~・・・でも、いつか、マツダスタジアムに行ってカープの試合を観てみたい。
のんびりと、美味いモノを食べたり、ビール飲んだりしながらね。
海外の秘境に行くわけでなし、他人から見れば容易に叶いそうな夢かもしれないけど、私を取り巻く現実を考えると実現性は極めて低い。
悲しいかな、儚く遠い夢である。



出向いた現場は、1Rの賃貸マンション。
そこで不慮の死が発生。
亡くなったのは部屋の居住者、30代前半の男性。
死因は自殺。
暑い季節だったこともあるうえ発見にも時間がかかり、遺体は相応に腐敗。
床を深刻に汚しながら、高濃度の悪臭とウジ・ハエが量産されていた。

依頼者は、マンションの管理会社。
賃貸借契約の連帯保証人は故人の父親。
ただ、特殊清掃や遺品整理を進めるにあたっては、故人や家族のプライベートな部分について、他人(業者)に見られたくないものを見られ、知られなくないことを知られることになる。
また、深い事情を業者に話さなければ事がうまく運ばない局面に遭遇することもある。
そうなると、プライド・世間体・羞恥心・・・そんなものがキズついたり、刺激されたりすることになる。
既に負いきれないほどの悲哀に襲われているのに、更に、心の傷口に自分で塩を塗るようなことにもなりかねない。
であれば、現場とは一定の距離を空けておくのが無難。
そんな事情があってか、父親は、得体の知れない特掃屋である私とは直接的には関わらず。
見積書や契約書のやりとりや、報告・連絡・相談も、すべて管理会社を介して行われた。

汚染も異臭も重症。
しかも、真夏の猛暑で部屋はサウナ状態。
そんな特殊清掃は、慣れたものであってもキツイものはキツイ!
効率よく合理的にやれる自信はあるけど、ツライものはツライ!
ただ、私には、「故人と二人になる」という特異な秘策がある。
同情や悲哀をよそにして、まだ生きているかのような感覚で故人の人生を想うと、無駄な力が抜けて、逆に必要なところに力が入る。
そうしてメンタルが支えられることによって、どんなに悲惨で凄惨な現場であっても過酷さは随分と和らぐのである。


アルバイト応募のために何枚も用意したのだろうか、書き損じたまま放られていた履歴書には、これまで歩いてきた故人の道程があった。
故人は、北陸某県の出身。
高校を卒業し地元の芸術系専門学校を経て上京。
志望動機の欄には、「将来は音楽関係の仕事に就きたいので、そのために一生懸命働きたい」といったことが書かれていた。
それを裏付けるかのように、部屋には、楽器や音楽系の機材、楽譜やCD等、熱心に音楽活動をしていたことを伺わせる物品がたくさんあった。
とはいえ、やはり、それで食べていけていたような形跡はなし。
主な収入源は飲食店でのアルバイトで、乱暴に破られた給与明細書の金額からは、故人が親のスネをかじり続けていたことが伺えた。

部屋には、地元の求人情報、就職ガイドのパンフレット、就職支援のリーフレット等々、就職に関するものもたくさんあった。
ただ、それらは、本人が収集したものではなく、大半は両親が送ってきたもののよう。
一連の情報は紙で集めるよりネットで探した方が合理的なはずだったが、故人は、自らの意志でそれをすることはなかったのだろう。
書類の間に挟まれたメモ、端々に貼られた付箋・・・両親のメッセージからそれがわかった。

言葉を変えながらも、書いてある内容は ほぼ一辺倒。
「音楽の道は諦めて、正規の仕事に就きなさい」
「親の方が先に逝くわけだから、いつまでも面倒みてやることはできない」
「支援に尽力するから、故郷に戻って一からやり直したらどうか」
なだめたりすかしたり、諭したり叱ったり、父親と母親が、それぞれに、それぞれの言葉(文字)で そういった旨のことを綴っていた。
そして、故人が逝っても尚、そこからは、不安、焦り、ジレンマ・・・悩める親心が、涙のように滲み出ていた。

人生は思い通りになることより思い通りにならないことの方が多い。
自分自身でさえ思い通りに生きることができない、ましてや、別の人間(息子)を思い通りに生きさせることなんてできるわけがない。
理屈では、それがわかっていても、欲望ともとれる感情がそれを許さない・・・
両親の中にも大きな葛藤があっただろう・・・
ひょっとしたら、故人が決行してしまった最悪のシナリオも、生前から頭に浮かんでは消え、消えては浮かんでいたかもしれず・・・
そして、「そんなことあってたまるか!」「そんなこと絶対にさせない!」と、必死に、懸命に息子の生きる道を整えてやろうとしていたのかもしれなかった。


故人が上京したのは、おそらく二十歳頃。
行年は30代前半なので、音楽活動をしながらのアルバイト生活は十年余か。
故人は、夢を叶えたかっただろう。
両親は、不本意ではありながらも息子の夢は応援したのだろう。
しかし、「現実」という名の強敵は、誰の人生にもいる。
吉とでるか凶とでるか、やってみないとわからない。
挑戦しなければ成功も失敗もない。
二つを天秤にかけ、心の重心がどちらにかかるか、自分で量るしかない。

ただ、時間は、ときに優しく ときに厳しく、ときに温かく ときに冷たく、人の都合を無視して流れていく。
「〇才までやってダメなら諦める」
“夢の終着点”を自分で定め、また、親子で約束していたのかも。
両親もそれを条件に、息子(故人)の意志を尊重し、できるかぎりのサポートをしていたのかもしれなかった
しかし、“夢追人”が夢を諦めることは容易いことではない。
その時がきても諦めきれず、「もう少し・・・」「もうちょっとだけ・・・」と、ズルズル先延ばしにしてきたのかもしれなかった。
そうして故人は歳を重ね、唯一の味方だった“若さ”も いつの間にかなくなり、もう“若気の至り”では済まされない年齢になっていた。


世間からみたら故人はただのフリーター。
夢を追っていることは、表向きは評価されても本音のところでは評価されにくい。
「半人前」「無謀者」と、世間は冷ややかに傍観する。
そして、「いい歳をしても親の仕送りがないと生活できないダメ人間」と、自分が自分を見下すようになる。
故人は、そんな現状に限界を感じる中で、「生き方を変えよう」ともがき始めていたのかも。
しかし、音楽の道を諦めることができても、次の目的を持つのは簡単なことではない。
音楽以外にやりたい仕事、興味のある仕事があったかどうかは定かではないけど、往々にして、「やりたいこと」と「できること」は異なるもの。
どこかで、妥協や迎合、場合によっては慣れない忍耐を強いられることになる。
それを受け入れることができるかどうか、割り切れるかどうか、開き直れるかどうか・・・
新たな活路を見出せるかどうかはそこにかかっている。

生きるために不本意な仕事をしている人間は世界中にごまんといる(私も代表格の一人?)。
教育された感性や価値観のせいなのか、集団心理の一種なのか、本質的に、それが万民にとって正しい生き方なのかどうかはわからない中で、その様に生きる人間があまりに多すぎるため ほとんどの人は疑問に思うことも違和感を覚えることもない。
しかし、中には、「正常」とされるそんな生き方に疑問を抱き違和感を覚える人・・・勇気と希望を持って、挑戦的に人生を冒険できる人もいる。

故人は、冷たい現実に耐え得る熱量を持つことができなかったのか・・・
返ってくるのは“お祈りメール”ばかりで心が折れてしまったのか・・・
どんな生き方が正常で どんな生き方が異常なのか、どんな生き様が自然で どんな生き様が不自然なのか・・・
ホトホト疲れ、何もかもに嫌気がさすようになり、そんな日々が故人を深い闇に沈めていき、最終的に、「絶望」という名の刺客がトドメを刺したのかもしれなかった。



また別の案件。
付き合いのある不動産会社から、
「自社物件で自殺が発生」
「遺族と協議するので、そこに参画してもらえないか」
といった旨の相談が入った。

悲しみの種類、責任の度合、世間の目・・・自死というのは、多くの意味で“特別”な亡くなり方。
現場の処理は慣れたものながら、遺族との交渉・協議は、単なる孤独死とは一線を画すもの。
画一的な“慣れ”は通用しない。
心情はもちろん、協議に波風が立つことが多く、私は、ちょっと憂鬱な気分に。
ただ、悩ましい案件に挑むときは、開き直ることも必要。
私は、余計なことを考えるのは後回しにして、担当者に「Yes」と返答。

その後、故人の死に表面的な疑問を持ってしまう自分と、“生きる意味”というものをあらためて自問する自分が現れることを、この時の私は知る由もなかった。
つづく


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善と悪の間で

2024-07-19 05:35:20 | 自殺腐乱死体
自殺した女性が腐乱死体で発見された。
もちろん、私には自殺の動機は不明。
独り暮しだった故人の自宅は賃貸マンション、その玄関で首を吊ったらしい。
身寄りはないらしく、賃貸契約の保証人も有料の保証会社が請け負っていた。
依頼者である大家は、保証会社の対応に不満を漏らしていた。
このままだと、大家と保証会社の間でトラブルが発生するのは明白だった。

汚染は玄関と外の共有部分のみ。
ウジ・ハエも玄関フロアのみ。
女性らしい雰囲気の部屋はきれいに片付いており、独身女性の部屋に免疫のない私は勝手に入ることに気が引けるくらいだった。
しかし、片付けるうちに故人が私と同年であること分かって、急に気持ち悪くなってきた。
我ながら勝手なものだ。
女性には失礼な偏見になるかもしれないけど、男性の自殺より女性の自殺の方が何だか気持ち悪い。
私が遭遇してきた自殺体・自殺現場は圧倒的に女性の方が少ないから免疫がないのだろうか。
それとも、世俗に伝わる怪談の影響だろうか、その理由は自分でもハッキリしない。
とにかく、女性の方、申し訳ない。
ちなみに、動物の場合は犬よりも猫の方が気持ち悪い。

玄関で首を吊るケースにはたまに遭遇する。
「なんで玄関で?」
故人が死に場所を玄関にした理由を考えた。
例によって全くの主観的想像だけど、三つの理由を思いついた。
一つ目は、できるだけ早く発見してもらうため。
二つ目は、部屋を汚さないため。
三つ目は、ドア上の金具が紐を吊るのに適していたため。
これが当たっていたとしたら、ちょっとせつない。
死んでからも醜態を晒したくない・・・腐乱死体にはなりたくなかったのか、それとも部屋を汚して大家に迷惑を掛けたくなかったのか。
もちろん、その真意を知ることはできなかったが、現場の様相から故人の何らかの考え(配慮)を感じた。
しかし、残念なことに故人は腐乱し一通り周囲を汚していた。

自分と年齢が同じであること、身寄りがいない孤独な身の上であること、きれいに片付いた部屋に人柄を感じたこと・・・それが私の気持ちを微妙に動かした。
明らかに、故人への同情心が働いたのが自分でも分かった。

故人も家主も保証会社も、事が大きくなるのは避けたいはず。
そして、現場がきれいなら無闇に事が大きくなるのを防ぐことができるはず。
と言うことは、事の大小は私の清掃作業の仕上がりにかかっていると言うこと。

私は偽善だろうが何だろうが、とにかく黙々と玄関を掃除した。
玄関ドアから流れ出た腐敗液も擦り洗った。
目に見えにくい人の脂と腐敗臭はそう簡単に除去できるものではない。
いつもだったら、時間の経過に任せるところを、この現場では人為的に行った。
通常だと一日仕事の作業を、二日がかりで念入りにやった。

我ながら、その仕上がりは満足のいくものだった。
現場確認に気がすすまなそうな大家を呼んで来て、半強制的に現場を見せた。
気味が悪過ぎて汚染現場を見ていない大家は、汚染の痕が見えない現場に少し驚いていた。

私は、家主から現場のBefore.Afterを写真に撮っておくように依頼されていた。
約束なので一応は撮影しておいたが、きれいになった現場を見た大家にはて写真の必要性がなくなってきていた。
私も「妙なものが写っていたらマズイですからねぇ」と意味深なことを言って、大家の判断を確定させた。

「ここの汚染は軽いものだった」「あとは通常の空室リフォームとハウスクリーニングで充分」
そう伝えた私は、要らなくなったカメラを捨てた。

私は常に偽善と悪を併せ持っている。
表立って他人から非難されることがない代わりに、自分が偽善者であることは自分が一番よく知っている。
仮に偽善者と罵られても、腹も立たないだろう。
自分にも充分その自覚があるから。
では、善悪の判断基準はどこにあるのだろうか。偽善と真善はどこで区切られるのだろうか。
善悪の知恵はどこから来ているのだろうか。
そんなことを昔から考えている。でも、今だに答はない。

私は、この故人に対して偽善的であったか。
私の行動はただの自己満足か。
それがジャッジできるのはアノ世の故人だけかもしれない。

足りない頭で難しいことを考えるのも限界がある。
人生とは、ひたすら善と悪の間で格闘しなきゃいけないものかもしれないね。
疲れたら、居酒屋にでも行って気分転換をしよう。
やっぱ、身体の外側には消毒用エタノール、内側には飲用アルコールが欠かせないね。


トラックバック 2006/08/12 09:32:09投稿分より
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身を焦がして

2024-06-26 05:20:15 | 自殺腐乱死体
夏の風物詩のひとつに土用の丑の日がある。
その日に鰻を食べる風習は、全国的なものだと思う。
先日も、スーパーの屋外で鰻を焼く煙が香ばしく、食欲をそそられた。
焼肉屋や焼鳥屋の前を通りかかっても、同じように香ばしいニオイがして、空腹時にはたまらなくいいニオイに感じるものである。
肉を焼くニオイって、どうしてこうも食欲をそそるのだろうか、不思議である。
野菜を焼いたって、こうまでは魅了されないのに。


焼身自殺で人が死んだ。
自殺体は珍しくない中でも、焼身自殺体は少ない。
「何とかなるものなら何とかしてほしい」と依頼され、とりあえず現場へ。
警察の検死が終わって、遺体は納体袋に入れられていた。
この納体袋というヤツは通常の遺体が納められることはほとんどなく、変死体専用の寝袋と言ってもいいほどの不気味な代物である。
したがって、何の説明を受けなくても、納体袋に入っているだけで中の遺体は損傷や腐敗が激しいことがすぐ分かる。
という訳で、納体袋を開けるときはいつも緊張する。

今回は焼身自殺。
「何とかしてほしい」と言うからには「何とかなる」程度のものと推測して、心の準備を整えていた。
しかし、納体袋を開けてビックリ!
損傷が激しく、とても何とかできるような状態ではなかった。
特に、顔・頭部の損傷(燃焼)が酷く、ほとんど部位が炭になって焼失していた。
目蓋・鼻・唇・耳など、燃えやすい部分は燃えてなくなり、大きな眼球と歯は剥き出し状態。
瞬時に、腐敗臭と焦げ臭いニオイが辺りに立ち込めた。
人間の身体も所詮はただの肉。
その焦げたニオイは、普段の街に漂う肉を焼くニオイに酷似していた。

※間違っても「食欲が湧いた」なんてことはないので、誤解のないように(笑)。

「こりゃヒドイなぁ」と思いながら、「依頼者(遺族)の真の要望はどこにあるのだろうか」と考えた。
その損傷の酷さに、遺族の誰も遺体を見ることができなかったよう。
少しでも遺族とコミュニケーションが図れればヒントが掴めるものが、この現場では遺族は立ち会わなかったために思慮を重ねるしかなかった。
しかし、いくら考えを巡らせたところで、遺体の損傷が軽くなる訳でもない。
結局、遺体にはほとんど手を着けることができないまま、隠すように柩に納めた。
遺族の真の要望を計り知れないまま。

焼身自殺はなかなか大胆な手法だと思う。
こと切れるまでの時間、かなり苦しいだろう。
そして、ひとつ間違えて火事にでもなったら、他人を巻き込んでしまう可能性も高い。
もし、そんな事にでもなってしまったら、本人の人生や命そのものを否定されるような結果を招いてしまうだろう。
そして、そんな自分勝手な行為は決して許されることはないと思う。
ただ、残念なことに本人にとっては、「そんなの知ったこっちゃない」のだろうけど。
ほとんどの人が、自分の身の回りも未来も見えなくなるから自殺する訳で、「自分勝手」なんて批判は虚しいばかりか。

ハードな仕事にはスタミナが必要、特に暑い夏は肉料理が恋しくなる。
焼肉・焼鳥、そして鰻の蒲焼etc。
高い人格を持った謙遜な人は言う。
「この世にマズイ食べ物なんかない」と。
私のような愚人は品性もなく、ひたすら舌に美味いものばかりを追い求め、感謝の気持ちなんて少しも持たずに「美味い」「マズイ」と批評しながら命を存えている。

人間に食われるために生まれてくる命がある。
人間に食われるために失われる命がある。
「舌に美味しいものには身体に害があるものが多いのは、何かの摂理が働いているのだろうか」と思うことがある。
人間は、他の命を著しく犠牲にしないと生きていけない動物である。
何を食べるかが問題ではなく、どう食べるかが問題。

平凡な毎日でも、粗食しか口に入れられなくても、当り前のようにモノが食べられる幸せを噛み締めて、「たまには心に美味しいものも食べないとな」と思いながら、街角の香ばしい煙の誘惑との戦いに身を焦がす今日この頃である。


トラックバック 2006/07/26 08:37:56投稿分より
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愕然!

2024-06-17 06:41:26 | 自殺腐乱死体
ある不動産管理会社から自殺腐乱現場の見積依頼がきた。
場所は、一般には高級住宅街と言われる地域。
中年男性の首吊り自殺だった。自殺の理由は借金苦。
管理会社の担当者に聞くまでもなく、部屋に散乱していたクレジット会社や消費者金融からの請求書で、それは容易に察することができた。
マンションの築年数はそれなりに経過しているものの、その立地もよく高級感のあるたたずまいで、いかにも「買うと高そうだな」と思われるような建物だった。

管理会社立ち会いのもと、いつもの調子で現場の部屋へ。
管理会社の担当者は玄関の外で待っていた。
腐乱痕と腐敗臭以外は、特に変わった雰囲気もなく、多少散らかっている程度の部屋だった。もちろん、毎度のウジ・ハエもたくさんいた(彼等の存在は当り前過ぎて、いちいち書くのも面倒になってきた)。

見積作業では、色々な角度からその部屋を観察しなければならない。
見積り一つ間違うと、赤字仕事になってしまうからである。
私の会社は、一発見積りで金額を確定し、作業中や作業後になってグズグズ言って追加料金をせびるようなことは一切しない。
現場業務はもちろん、金銭的にもクリーン第一!(宣伝)。

その際、何気なく見た本棚に、「ん?」と思うような固有名詞の入った書類が目に留まった。
「これは・・・」、そこには、ごくごく一部の、ごくごく特定の人間にしか分からないような資料があったのである。
そして、その「一部・特定の人間」に私も含まれていた
「なんで、○○の資料がここにあるんだ?」と少し驚いた。
嫌な予感がして、「まさか・・・!」と思いながら、更に目を凝らして部屋を見渡した。
写真タテに飾られた写真もいくつかあり、写真に写った人物を見て愕然とした!
「これは○○さんじゃないか!?」と。
何枚かあった写真を一枚一枚顔に近づけて、何度も何度も見直した。
なんと、写真に写っていた人物は私が見知った人だったのである!
いきなり、心臓がバクバクし始めて、「まさか!人違いだろ!?」「人違いであってくれ!」と思いながら夢中で名前を確認できるものを探した。
氏名はすぐに判明し、力が抜けた。残念ながら、やはり故人はその人だった。
心臓の鼓動は不規則になり、呼吸するのも苦しく感じるくらいに気が動転した!

故人とは、二人で遊ぶ程の親しい間柄ではなかったが、あることを通じて知り合い、複数の人を交えて何度か飲食したり話しをする機会があった。
見積時は、縁が切れてから既に何年も経っていたが、関わりがあった当時のことが昨日のことにように甦ってきた。

彼は当時、かなり羽振りがよさそうにしていて、高級外車に乗っていた。
高級住宅街に住んでいることも自慢していた。
自慢話が多い人で、自分の能力にも生き様にも自信満々。
かなりの年齢差があったので軽く扱われるのは仕方がなかったけど、正直いうとあまり好きなタイプの人物ではなかった。
しかし、「(経済的・社会的に)自分もいつかはこういう風になりたいもんだなぁ」と羨ましくも思っていた。

その人が、首を吊って自殺した。
そして、目の前にはその人の腐乱痕が広がり、ウジは這い回りハエは飛び交っている。
自分が今まで持っていた価値観の一つが崩れた瞬間でもあった。
しかも、よりによってその後始末に自分が来ているなんて・・・気分的にはとっとと逃げ出して、この現実を忘れたかった。
身体に力が入らないまま、とりあえず見積作業を済ませて、そそくさと現場を離れた。
その時の私は、「この仕事は、やりたくない・・」と思っていた。

もちろん、管理会社には、故人が自分と知り合いだったことは言わなかった。言えもしなかった。管理会社だけではなく、その時は誰にも話したくなかった。
でも、否応なく注ぎ込まれる嫌悪感が自分の心のキャパシティーをはるかに越えていた。
誰かに話さないと自分がおかしくなりそう・・・だけど、誰にも話せない・・・。

同情心でもない、悲壮感でもない、喪失感でもない、なんとも言えない重いものが圧し掛かってきて、しばらく気分が沈んだ日々を過ごした。
その人が持つ経済力や社会的地位だけとは言え、羨望視していた人が金銭苦で自殺した・・・その厳しい現実をどう受け止めて消化してよいものやら・・・私の心は完全に消化不良を起していた。
そして、それを消化するのにかなりの時間を要したのである。

作業的なことでは経験を積みながら随分と鍛えたれ、神経もズ太くなって打たれ強くなっていた私だが、知人の死についてはかなり打たれ弱いことが自分自身の中で露呈した。
(もちろん、今は立ち直っているからブログに書いている訳だが)

結局、不本意ながらもその現場の特掃依頼は入り、作業を実施することになった。
本当は行きたくなかった。
でも、仕事は仕事、依頼者に対しても責任があるし、お金をもらう以上はプロとしての仕事をやってみせるのがスジ。
更には、自分自身に「こういう現実から目を逸らして逃げてはいけない」という自戒の念が働いた。
仕事を通じて依頼者をサポートするのが私の責任なのに、当の私が逃げていたのでは話にならない。
依頼者である遺族や関係者は、逃げたくても逃げられないのだから。

現場では、とにかく無心で作業した。
いつもより、無意識に急いでやったように思う。
写真はもちろん、名前がでているようなモノもあえて見ないようにして作業を進めた。
普段は、無神経に見えるくらいの態度と雰囲気で仕事を進めるのだが、「故人が知人となると、ここまで気が重くなるものか・・」と重い気分と新鮮な感覚が交錯した。
故人には申し訳ないけど、少しは遺族側の気持ちを体感することができて、私にとってはいい薬になったかもしれない。
そして、自分の弱い部分が自覚できたことも収穫と言えば収穫。

更に、「あれだけ自分の人生に自信を持ち自分の生き様を自慢していた人が、最期をこういうかたちで迎えることになるなんて・・・」「先々のことは本当に分からないな・・・」とあらためて痛感した。

自殺志願者の気持ちは少し理解できる。
無責任なことを言うようだけど、とりあえず空気を吸い、何かを食べ、雨時々曇りの人生でも、惰性でもいいから、もう少し辛抱してこの世に存在してみたら、意外なところから陽が照ってくるかもしれない。
本当は、いくつかの道がまだ残っているのに、余計なプライドとか世間体とか怠け心(甘え)等が、自分の歩みを邪魔しているってこともあると思う。
死にたくなったらいつでも死ねる。
でも、いくら生きていたくても寿命ばかりは自分で決めることはできない。

誰の人生も、のんびり晴れた日ばかりじゃないと思う。雨も降れば風も吹く。時には暴風雨が襲ってくるかもしれない。
風雨に曝されるのに耐えられなかったら、雨風が凌げるところへ避難すればいい。
「根性なし」「弱虫」「負け犬」などと罵られても、逃げればいい。
格好悪くてもいいから、逃げればいい。
無理に気張ってビショ濡れになっても、結局、風邪をひくのは他人ではなく自分。


そんなことを考えながら、日々、目まぐるしく変わっていく心の天気に逆らわずに生きられるよう自分を励ましているのである。


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愛人

2024-04-21 15:39:52 | 自殺腐乱死体
神奈川県、賃貸マンション4階。20代女性が玄関ドアの内側にロープをかけ首吊り自殺。

腐乱が進み、悪臭と腐敗液が外に漏れ出して発見。
現場に参上したときは遺体はなく、汚染個所も比較的狭く玄関とその周辺だけ。
部屋は、若い女性らしくインテリアや装飾も可愛らしい雰囲気だった。
ただ、玄関だけは別世界。餌(遺体)を無くしたウジ・ハエの死骸と、故人の腐敗液を掃除。見た目にはきれいな部屋にも悪臭は充満。そこは除菌・消臭作業。
故人には身寄りがなく、不動産賃貸契約には知人の中年男性が保証人になっていた。
どうも故人は保証人男性の愛人らしい。
それなりの事情があってのことだろうが、身寄りのない20代女性の自殺には、せつなさを感じざるをえなかったが、最後にオチがついていた。

特殊清掃作業代を払うはずの保証人がトンズラしたのだ。まさにタダ働き。
事情はどうあれ、これじゃ、死んだ愛人も浮かばれまい。

トラックバック 2006/05/21より


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重圧

2021-01-03 16:36:05 | 自殺腐乱死体
2021謹賀新年。
日本海側は大雪で難儀しているようだけど、この三が日、こちらは気持ちのいい快晴に恵まれた。
一見は穏やかな正月、元旦は、早朝から日課のウォーキングに出かけ、明るくなれない心に初陽の光を当てながら黙々と歩いた。
自分の心に纏わりつく暗い過去を振り払うように、自分の心が欲しがっている明るい未来を探すように。

特に忙しかったわけでもないが、例年通り、大晦日が仕事納めで、元旦が仕事始め。
また、これも、ほとんど毎年のことだけど、
「また、一年、労苦に汗し、苦悩を携えて生きていかなければならないのか・・・」
と、動悸にも似た浅い溜息が、幾重にも口を突いてでてきた。
とはいえ、大晦日と元旦の夜は、TVを相手に、いつにない御馳走に舌鼓を打った。
気分は浮かないながらも、「せっかくの正月だから」と、酒も、いつもより多めに飲み、それなりに穏やかに、それなりに平和に年を越すことができた(0:00になる前に寝てしまったけど)。

しかし、今年の正月は、「おめでとう」とばかりは言っていられない。
承知の通り、コロナ第三波が猛威をふるっているからだ。
その禍は、春の緊急事態宣言時をはるかに超越していて、もはや制御不能の状態。
しかも、そのピークは、まだ見えていない。
緊急事態宣言が再び発出されるのは、時間の問題かもしれない。

この冬が、今回のコロナ禍において、最大・最悪の山場になるであろうことは、かねてから予想されていたことだろうけど、我々がコロナに慣れてしまっていること、我慢・自制に疲れてしまっていること、政府の対策が後手後手になっていること等々、一波・二波にはなかった要因が、感染に拍車をかけているように思う。
併せて、「経済を回すため」「自分は重症化しない」等とのたまわり、医療従事者の苦境も他人事にして自制しない人達のことが目につき、どうしても気に障ってしまっている。
飲食店や観光業を支援する術は、他にもたくさんあるはずなのに。

ただ、身体が不要不急の外出をしていないだけで、自分だって、中身は似たようなもの。
「人々の気が緩んでいる」と言われている中、私にも心当たりがある。
忘年会中止や、新年会不要不急の外出を自粛しているのはもちろん、スーパーマーケット以外、人が多いところに出向くこともしていないけど、第一波のときに比べると緊張感は薄い。
あの頃は、人の少ない屋外をウォーキングするだけでもピリピリしていたけど、今は、そこまでではない。
で、この期に及んでも、「たまには、スーパー銭湯くらいには行きたいな」なんて、呑気なことを考えてしまう。
そんな自分を顧みて、“他人を批難することは簡単、自分を改めることは難しい”と、つくづく思う。
とにかく、国や自治体が行う感染対策の足を引っ張らないようにだけは気をつけたい。

やはり、心配なのは医療体制。
このままだと、医療体制が崩壊するうえ、医療従事者といわれる人達が病んでしまう(既に病んでしまっている人も多いらしい)。
「感染したって重症化しなければいい」と、自分だけのことを考えるのはよした方がいい。
感染者を罪人扱いするつもりもないし、罪人扱いしてならないけど、無責任な行動によって多くの人を感染のリスクに晒し、多くの人の手を煩わせることになることを肝に銘じよう。
自分だって、コロナに限らず、いつ、どんな傷病で病院のお世話になることになるかわからないのだから。

それでも、残念ながら、これから、感染者数・死者数は激増していくはず。
私の場合、感染者数や死者数だけでなく、同年代男性の、倒産、破産、失業、路上生活に転落・・・なんていうニュースがやたらと目につき、とても他人事として流すことができず、気分を落ち込ませている。
この寒空の下、外で夜を明かさなければならないなんて・・・
どんなに寒いだろうか・・・
どんなに惨めだろうか・・・
どんなに淋しいだろうか・・・
「生きているのがイヤになる」って、よくわかる・・・切ない。

それも一因としてあるのだろう、昨年から気分が優れない。
例年の“冬鬱”か。
虚無感・疲労感、そして、得も知れぬ孤独感・・・
今回はここ数年になかったくらい重症で、なかなかツラいものがある。
夕方から夜にかけては、比較的 楽になるのだが、夜明け前の早朝がもっとも苦しい。
不眠症は長年の持病なので仕方がないとしても、寒いはずなのに身体が熱くなって、ベットリと汗をかく。
息は浅く、小刻みになり、時にはうなされる。
一体、自分はどうなっているのだろう・・・原因は何なのだろう・・・
自分よりはるかに苦しい境遇にあっても、果敢に生きようとしている人達もたくさんいるというのに、得体の知れない重圧が、私の精神を押さえつけてくるのである。

重鬱になると、今や未来、周りの環境や周り人達に気持ちが向かなくなる。
仕事や家族のことさえ、心の視界から消える。
周りの迷惑を考えないわけでもなく、誰かが悲しむのがわからないのでもなく、「周りがどうなってもいい」と思うのでもなく、自分のツラさだけで手いっぱいになり、周りのことに想いが行かなくなるのである。
そして、人によっては、それが自死に向かわせる・・・それが恐い。
死生観的な“健常者”が、そこのところを理解すれば、少しは自死を減らすことができるような気がする。



出向いた現場は、市街地に建つ賃貸マンション。
駅近で生活の利便性は高い地域。
築年数は浅く、間取りは1K。
部屋の状態は、一言でいうと、「腐乱死体ゴミ部屋」。
ドロドロの遺体汚物、無数のウジ・ハエ、凄まじい悪臭はもちろんのこと、目を引いたのは、ウイスキーの空瓶と氷の空袋。
かなりの量を飲んでいたのだろう、それが、部屋中に散乱・山積みされていた。
その荒れ様は、そのまま、故人の最期の生き様が映し出されているようで、凄惨さの中にも何ともいえない切なさがあった。

発見のキッカケは異臭と害虫。
当該現場から妙な異臭がしはじめ、そのうち小さなハエまででるように。
それが日に日に悪化してきたものだから、隣室の住人は、管理会社に通報。
玄関ドアの隙間から漏れ出る異臭は、それまでに嗅いだことがない種類の悪臭。
部屋の中でとんでもないことが起こっていることはドアを開けずとも察することができ、管理会社は、そのまま警察に通報。
そして、部屋の床、ゴミに埋もれるように、人間のかたちをした物体が、人間とは思えないくらい変わり果てた姿で横たわっているのを発見。
凄まじい悪臭と、無数のウジ・ハエが放たれる中、その後、警察の手によって、その物体は、人間扱いしたくてもできないくらいの状態で、引きずられるように搬出されたのだった。

亡くなったのは、50代後半の男性。
死因は、一応、自然死(病死)。
晩年は無職。
ただ、一流企業でもなく、エリートでもなかったけど、それ以前は一所の会社に長く勤務。
出世も望まず、当たり障りなく、誰かと競うこともなく、無難なサラリーマン生活だった。
一方、社宅暮らしの独身で、上司に従順だった故人は、会社にとっても動かしやすく、使い勝手のいい社員だった。

そんな中で転機となったのは異動。
肩書きは“昇進”だったが、社内の誰の目にも、それは“左遷”。
ただでさえ、歴代、そのポジションに就いて長くもった人はおらず、いわば“窓際”。
五十も半ばにして「NО!」と言えない立場であることは、会社にも見透かされていた。
会社都合の転勤や異動に黙って従い、実直に勤めてきた見返りがこれ・・・
余計なプライドや自分を幸せにしない意地は持たないようにして、従順サラリーマンを渡世として無難に過ごしてきた故人だったが、事実上の「クビ」を言い渡され、自分の中で、張りつめていた何かが“プツン”と切れた。

結局、定年を待たず退職。
同時に、住み慣れた社宅を出て、新しい住処(現場)へ転居。
「何とかなる!」「まだやれる!」と信じて。
が、自分が思っていたよりはるかに現実は厳しく、なかなか新しい仕事にありつけず。
それでも、非正規のアルバイトや派遣の仕事で食いつなぎながら、粘り強く就職活動を続けた。
しかし、経験や能力をよそに、自分の年齢が、それを邪魔した。
年齢だけ訊かれてはねられたことは数知れず。
悲しく、悔しい思いをしたことも数知れず。
“現実”に打ちのめされ、“現実”をイヤと言うほど思い知らされた。

この状況では、「心を折らず がんばれ!」と言う方に無理がある。
労働意欲は次第に削がれていき、そのうち、就活も頓挫。
現実を忘れたくて・・・
昼間から酒を飲むクセがつき・・・
貯えは減っていく一方で・・・
先には暗闇しか見えず・・・
自らを破滅に追いやることはわかっていたけど・・・
そこから抜けだす術がわからず・・・
理性は麻痺し、そのまま酒に溺れる日々は続いていった。

病死、老衰、事故死、戦死、餓死etc・・・そして自死・・・死因は後の人が決める。
また、“自殺という名の病死”があれば“病死という名の自殺”もある。
故人は、「このまま死んだってかまわない」と思いながら飲んでいたように思え・・・
私には、故人が、生きること・生きなければばらないことの重圧に押しつぶされた、いわば“圧死”のように思えた。
そして、それは、私にとって決して他人事ではなく・・・
その圧が重すぎるのか、こちらか弱すぎるのか・・・その答を導くヒントさえ見つけることができず、私は、ただただ重苦しい溜息を吐くしかなかった。



死業二十九年目の冬・・・
私も、随分と歳をとった・・・
そして、何だかスゴく疲れた・・・
鏡の中に衰えた自分を見ると、その顔からは、「後悔」なんて簡単な言葉では片づけられないくらい重苦しいものが滲み出ている。

あと、どれくらい、こうやって生きていかなければならないのだろうか・・・
この重い虚無感・疲労感・孤独感が癒される日はくるのだろうか・・・
自分に待っているのは明るい未来ではなく、暗い日々ばかりのように思えることもしばしば。

それでも、生かされているうえは生きなければならない。
死ぬまでは生きなければならない。
それが、摂理だから。

私は、「生かされている」ことの感謝・喜びと、「生きなければならない」ことの苦悩・重圧の狭間で、もがいている。
決意もなければ、覚悟もできていない中で・・・
しかし、生きていくかぎりは、これからも もがき続けるしかない。

「がんばれ・・・」
心の奥底にこだまする、幸せに生きたがる自分のそんな声に、かすかな希望を抱きながら。


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個人戦

2017-11-07 08:43:54 | 自殺腐乱死体
相変わらず 現場仕事に勤しむ毎日。
久しぶりのブログ更新となったが、気づけば、晩夏も初秋も通り過ぎ11月になっている。
ありがたいことに、私は、代わり映えのない日々を送っている。
愉快爽快に暮らせているわけではないけど、大きな災難にも見舞われていない。
(「仕事自体が災難」「性格自体が災難」と言ってしまえば そうかもしれないけど。)
ただ、日常の平穏が保たれていながらも、ブログの更新は二の次・三の次。
これで、会社から手当(報酬)が支給されているわけでもないし、その割に結構な時間を取られてしまうわけで、限りある時間(残り少ない人生)の中でリスキーな一面もある。
だから、読んでくれる人には申し訳ないことなのだが、時間の使い方を気にしながら、気が向いたときにだけ書いている。

そんな秋、例によって、私の精神も低空飛行をはじめている。
重症だった四年前の秋冬に比べたらマシだけど、怠けて立ち止まると、ツラいものに襲われる。
しかし、それを言い訳に、だらしなく時間を過ごすようなことはしたくない。
楽することが大好きな私は、それに負けじと、仕事でもプライベートでも積極的に身体を動かすことを心掛けている。
併せて、ささやかなものかもしれないけど、日常にある幸せを数えるようにしている。
やがてくる冬と人生の終わりに備えて、温かな笑顔の想い出を溜め込んでいるのである。


「一人で行かれるんですか?」
所は、不動産会社の事務所。
担当者の男性は、現場の部屋の鍵を私に差し出しながらそう言った。
「はい・・・・・とりあえず、見るだけのことですから・・・」
私は、あちこちで受け慣れた質問に応えながら、鍵を受け取った。
「大丈夫ですか!?」
担当者は、驚きの表情を浮かべた。
「大丈夫です・・・・・慣れてますから・・・・・」
私は、“No problem”の笑みを浮かべた。
そして、現場の状況について、二~三の質問を投げかけた。

現場は、そこから歩いて数分のところにあるマンション。
その一室にある浴室で、住人が孤独死。
死後 どのくらいの日数が経過していたのか、湯(浴槽)に浸かった状態だったのかどうか、浴槽に湯(汚水)が溜まったままになっているかどうか、私は、その辺のところを担当者に訊いた。
しかし、担当者の口からは、ハッキリした返答がでてこず。
「現場を見てないものですから・・・」
と、気マズそうに口を濁すばかり。
“問答を繰り返すのは時間の無駄”“見に行ったほうがはやい”と判断した私は、
「とりあえず、見てきます」
と話を打ち切り、その足を現場マンションに向けた。

現地に到着すると、まずは1Fエントランスの管理人室へ。
管理人に挨拶し、用向きを説明。
部屋は見ていないものの、出来事は管理人も把握。
「事情は・・・・・御存知・・・・・ですよね?」
と、少し言いにくそうにそう言った。
そして、
「お一人ですか? 大丈夫ですか!?」
と、不動産屋と同じことを言ってきた。
私は、そんな管理人に“No problem”の頷きをみせてから、その足を現場の部屋に向けた。

幸い、玄関の外に異臭の漏洩はなし。
窓にハエの影が映っているようなことも。
私は、借りてきた鍵で玄関を開錠し、“失礼しま~す”と心の声で挨拶をしながら、玄関を奥へと進んでいった。

問題の浴室は、玄関から近い場所にあった。
室内には、それなりの異臭が充満していたが、浴室の近づくとその濃度は徐々に上昇。
更に、浴室の扉を開けると一気に上昇。
私は、脇に挟んでいた専用マスクを装着しながら、蛍光灯のスイッチをON。
すると、衝撃の光景が目に飛び込んできた。

浴室は、至極凄惨な状況。
汚染具合を観察すると、故人は、浴槽内にいたことが伺えた。
亡くなった当初から湯は張られていなかった模様。
浴槽の底には、黒・茶・赤・黄、不気味な紋様の腐敗粘土と腐敗液が堆積。
更に、その遺体を搬出した際の“引きずり痕”が浴槽の淵・外面・洗い場・出入口にベッタリ。
「ホラー映画のセットか?」と思われるくらい悍(おぞ)ましい色彩で汚染。
また、警察が指紋を採ったため、浴室の壁を中心に、そこら中 黒カビのような汚れが付着。
これが、見た目の印象を更に衝撃的にしていた。

浴室の手前は洗面所。
そこには、洗面台や洗濯機等があり、洗面用具や洗剤・タオル等、日常の生活用品が整然と置かれていた。
が、その傍らには、日常の生活用品とは思えないモノが。
それは、黒マジックで“浴室内”と書かれた半透明の薄いビニール袋に入れられて、床の隅に置かれていた。
ある種の証拠品として警察が現場に一時保管したものと思われた。
よく見ると、それは七論。
そして、その中には、練炭の灰も残されていた。
結果、私の頭には、そこで起きたことが自ずと浮かんできた。

「自殺か・・・・・」
「不動産屋も管理人も そんなこと言ってなかったなぁ・・・・・」
「知らないのかな・・・・・いや、知らないはずはないな・・・・・」
「知ってて黙ってるんだろうな・・・俺は、そんなこと気にしないのにな・・・」
私は、そんなことを考えながら、不気味な色に染まった浴室をくまなく観察した。
同時に、それを掃除することになるかもしれない自分に湧いてきた不安と対峙できる勇気を自分の中に探した。


特殊清掃の日・・・
「作業も一人でやるんですか!?」
「大丈夫なんですか!?」
何が大丈夫じゃないのかよくわからなかったけど、不動産会社の担当者とマンションの管理人は それぞれに驚いた様子で、一人で現れた私にそう訊いてきた。
先入観も働いて、二人の顔は自殺の事実も知っているように見えた。
それでも、私は、故人への気遣いのつもりで、まったく気づかぬフリをして、
「二人がかりでやるような作業じゃありませんから・・・・・」
「そもそも、浴室の作業スペースは一人分ですしね・・・・・」
と、“Low problem”の笑みを浮かべて そう応えた。

腐乱死体現場に一人で入るなんて、尋常なことではないのだろう・・・
自殺現場を一人で片づけるなんて、驚くようなことなのだろう・・・
“一人で充分に用が足りる仕事なのだから一人でやるのは当り前”“一人のほうが気楽でいい”等と思っている私は、神経がおかしいのだろうか。
ただ、慣れているとはいえ、いざ作業となると、現場が凄惨であればあるほど気分は重くなる。
自分の中の勇気を できるかぎり掻き集めてはみたものの、
「ハァ・・・・・アレを掃除しなきゃならないのか・・・・・」
と、ここでも、前日の夜から気分は重くなっていった。

しかし、それをやるのが自分の仕事。
会社員としての責任であり、請負者としての義務であり、生きるための権利でもある。
そう・・・私は、誰のためでもなく自分のために、生きる責任を負い、義務を履行し、権利を行使しているのだ。
“誰かのため”は結果の実であり、私は、誰かのために頑張るような殊勝な人間ではない。
もっと言えば、“誰かのため”も結局は自分のため。
自分のためだから頑張れる・・・一人きりの戦いである。

浴室とは裏腹に、部屋の方は整理整頓・清掃が行き届いてきれいだった。
リアルな生活感の中、死に支度を整えていたような形跡はなく、故人は、死の間際まで日常の生活を営んでいたよう。
つまり、そこからは、故人が “まだまだ生きるつもりだった” “ギリギリまで生きようとしていた”ということが伺えた。
故人は 生きることの苦しさ・辛さと戦っていた・・・
七輪・練炭を手元に用意したのは、ずっと以前のことなのか、近日中のことだったのか知る由もなかったけど、どこか“心の保険”“心の武器”のようなつもりで用意していたのかもしれない・・・
そんなことを頭で想像すると、その胸の内には 生きることと格闘した故人を労うような同志的な想いが湧いてきた。
そして、それは“俺は この仕事で生きてるんだ”“俺なら この風呂をきれいにできるはずだ”という想いに変化し、くたびれた中年男一人の身体に故人の力が加わるような感覚を覚えたのだった。


自死は敗北ではない・・・
もちろん勝利でもない・・・
いうなれば戦線離脱・・・
戦闘責任・戦闘義務・戦闘権の放棄・・・
私は、そういう風に思っている。
そして、肯定できるものではないけど、一部かもしれないけど、その気持ちはわかる。

人生、一日一日が戦い。
人は一人で生きていけないものではあるけど、一人で生きていかなければならないものでもある。
誰かに悩みを打ち明けたり、誰かと悲しみを分かち合ったりすることで、癒されたり・励まされたり・救われたりすることはある。
しかし、究極的には孤独なもの。
過去の後悔・現在の不満・未来の不安、自分の不運・弱さ・愚かさ、自分を押しつぶそうとするモノと一人で戦いながら生きていかなければならない。

そんな人生では、生きていることがツラくなるときがある。
生きることが面倒臭いことのように思えてしまうことがある。
でも、死にたいわけではない。
私は生きたい・・・・・精一杯生きたい・・・・・間違いなくそう思っている。
だから、悩みながら、苦しみながらも、涙と汗で飯を得て、それを喰う。

私は、一つ一つの現場で一人一人の死痕を消しながらも、その生痕に残る生きる力を与えてもらっているのかもしれない。
そして、それが、人生の個人戦を戦い抜くための力になっているのかもしれない。

約四半世紀、これに携わって生きてきた私は、先逝人が見せてくれた戦いの痕跡、そして、これから見ることになるであろう戦いの痕跡を一助に これからも この小さな人生を精一杯生きていこうと思うのである。



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