特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

年輪

2024-09-23 03:57:00 | エンゼルメイク
遺体処置業務で、ある家に訪問した。
一般的な先入観を持って行くと悲しみに包まれているはずの家だった。
しかし、その家は違った。

無邪気な子供達が、場もわきまえずに走り回ったりして大騒ぎ。
大人達は、久し振りに会った人達とのお喋りに夢中になり、誰も子供達を制止する人はいない。
葬式につきものの辛気臭い雰囲気はどこにもなかった。
ま、その方が仕事をしやすい。

故人は年配の男性。
どことなく笑っているような、安らかな死顔だった。
一人の孫と故人の奥さんが遺体の傍についていた。

小学校高学年くらいのその孫が奥さん(祖母)に色々と質問をしていた。
そのやりとりを、私は作業をしながら黙って聞いていた。

Q:「死ぬ時は苦しいの?」
A:「苦しくないよ」「お祖父ちゃんだって笑ってるでしょ」
Q:「死んだらどうなるの?」
A:「みんな好きな場所に行くんだよ」「天国に行く人が多いね」
Q:「淋しくないの?」
A:「天国にもたくさんの人がいるから淋しくないよ」
Q:「おばあちゃんは、死ぬのが恐くないの?」
A:「恐くないよ」「おじいちゃんが居てくれるからね」
Q:「人は何故死ぬの?」
A:「・・・」

女性は答に詰まったのか、わざと答えなかったのか分からなかったが、黙ったままだった。
気になった私は手を止めて女性の方を見た。
すると女性は、故人の手を握りながら「何故、人は死ななきゃならないのでしょうね」と、私に尋ねてきた。

いきなりの質問、しかも難しい質問を投げ掛けられて、私は少し焦った。
少し間を置き、「あくまで自論ですが・・・」と前置きしてから静かに答えた。
「まず、自分(人)の無力さを知るため」
「そして、命が価値あるもので在るため」
「・・・私は、そう思っています」

「・・・そうねぇ」と女性。
孫は不可解そうな顔をしていたが、女性は微笑みをながら聞いてくれた。

正解のない質問に素直な気持ちで応えだだけ、若輩者のだだの自論だった。
だけど、女性は異を唱えることなく聞いてくれていた。
歳を重ねているが故の余裕のような包容力を感じた。

「この歳になっても、この人(故人)と死に別れることなんか夢にも考えていなかった」
「この人は、死なないような気がしていた」
「二人で楽しい人生だった」
女性の胸の内を聞いて、黙って頷いた私。
人生の先輩からの重い言葉だった。

樹に年輪があるように、人にも年輪があるのだろう。
子供にも老人にも、それぞれに命の価値と生き様がある。

「老いを笑うな我が行く道、子供を叱るな我が来た道」
昔、誰かが私に教えてくれた言葉を思い出す。



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2006-09-06 09:15:17
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人間のクズ

2024-09-20 05:06:10 | 特殊清掃
この季節、朝夕には鈴虫の声が聞かれるようになってきた。
昼間は、まだ蝉が威勢よく鳴いている。
蝉は数年間、陽のあたらない地下生活をした後、最後の一週間だけ明るい地上にでて最期の時を燃焼・満喫するらしい。

蝉の一生には自分と重なる部分がある。
今は陽のあたらない生き方をしている私だが、いつかは陽のあたる明るい日が来るもしれない?
でも、仮にそんな日が来ても「長続きはしない」と思った方がいいかもね。

特掃の依頼が入った。
現場は古い一戸建、埃をかぶった生活用品(ゴミ?)が山積み状態。
昼間なのに家の中は薄暗く湿っぽい感じで、どことなく不気味な雰囲気だった。
いつもの様に私は、誰にでもなく「失礼しま~す」と言いながら奥へ進んだ。

汚染場所は奥の和室だった。
汚腐団は、例の木屑のような茶色の粉(以降、腐敗屑と呼ぶ)に覆われ、所々に小さな山ができていた。
「死後2~3ヶ月経過」「遺体は白骨化」ということは聞いていたので、この状況は想定の範囲だった。

周辺にはウジの死骸が無数に散乱(ハエの死骸は少なかった)。
前にも書いたが、ウジの死骸はサクサクの菓子のよう。
具体的に説明すると、柿の種と米菓子をかけ合わせたみたいなもの(分かるかなぁ)。
それをサクサクと踏みながら、更に近づいてみた。

すると、腐敗屑の中に無数の何かがシャワシャワと動いている。
「ん!?」
更に近づいてみると、それは得体の知れない虫の大群だった。
世間では見たこともない虫、名前も分からないその虫は、腐敗痕の上を腐敗屑と混ざり合いながらワサワサと動いていた。

「何だろう、この虫は・・・」
「ウジ・ハエを前座に、真打登場か?」
私にとっては「気持ち悪い」というより「興味深い」光景だった。
子供がカブト虫でも眺めるみたいに、私は目を輝かせて?しばらくその虫を眺めていた。

しかし結局、それが何の虫で、何のために居て、何をしているのかは分からなかった。
ずっと眺めてばかりいても仕方がない。
私は見積作業を開始した。

特掃作業は翌日になった。
ウェットな現場が大半の特掃業務、乾いた汚染箇所を片付けるのは新鮮だった。
気のせいか、熟成された腐敗臭もやわらかく感じられた。
私は、得体の知れないその虫と腐敗屑とを一緒にすくってサラサラと汚物袋に入れた。
腐敗屑には頭髪が絡み合っており、この原形が人間だったことを思い起こさせた。

腐敗屑は、腐敗液や腐敗粘土とは違って簡単にすくい取ることができ、爽快感すら覚えたくらい。
生きていても死んでいても、湿っぽいよりカラッと乾いていた方がいい。

ここでは当然、畳や床板もバッチリ汚染され腐っていた。
でも、これらも乾いていたので作業はしやすかった。
それらも全て撤去し、作業は無事に終了。

私はこの仕事を通じて、「人間も、腐って虫に食われれば屑になるんだな」としみじみ思った。
そして、屑になった人体は風に吹かれて消えていく。

現在の埋葬法では無理な相談なのだろうが、自分が死体になった時も、焼かないで自然の腐敗にまかせてほしい。
虫にたかられたって、虫に食われたっていい。
孤独死+腐乱では困るけど。

死んだら、私も人間の屑になりたい・・・
え?死ぬ前にもうなってる?



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2006-09-05 16:25:26
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残り香(後編)

2024-09-14 15:04:35 | 特殊清掃
うちは死体業が本業なのだが、たまに死体に関係ない仕事も入ってくる。
ゴミの片付け、消臭・消毒、害虫駆除etc。

今回のハウスクリーニング業者が依頼してきたのは消臭。
消臭は成果が目に見えないので、簡単にはできない仕事である。
特掃とは違った難しさとプレッシャーがある。

現場は今風のアパート。築年数も浅く、見た目にもきれいな建物だった。
相談してきたハウスクリーニング業者とは、建物の前で待ち合わせて一緒に部屋に入った。
私とは違って、腐乱死体のことは夢にも考えていないようだった。

部屋の中も見た目にはきれいだったが、確かに異臭がした。
軽い異臭なのだが、その臭いを嗅いだ途端にピン!ときた。
予想していた通り、腐乱死体臭と酷似していたのだ。
そして、部屋の細部を観察すると、更にピン!ときた。
極めて目につきにくい所々に、妙な汚れ痕がある。
私は内心で腐乱死体現場であることを断定した。

しかし、私はすぐにはそれを伝えなかった。
自信がなかった訳ではなく、問題が大きくなるのを避けるために。

ハウスクリーニング業者は、ある程度の改装が済んだ後の仕上げクリーニングだけをやるためにこの部屋に呼ばれているので、腐乱現場の可能性があることは全く知らず、考えてもいない様子だった。
念入りに観察するフリをしながら「これからどうしよう・・・」と思案した。

私は一旦外に出て、この物件を管理している不動産会社に電話した。
そして、この部屋に何か特別な事情がないかをそれとなく確認した。
始めは、何も言いたくなさそうにとぼけていた不動産会社も、私が死体業者である素性を明かすうちに態度が変わってきた。
そして、「私は10年以上も死体の臭いを嗅ぎ続けているんで・・・」の一言に真実を話し始めた(私のような者の存在に驚いたんだと思う)。

やはり、この部屋は腐乱死体現場だった。
遺族が自力で清掃して、素人目には気づかないくらいまできれいにしたらしい。
近隣住民に知られることを最も警戒しながら。
確かに、素人だったら気づかないであろうレベルまできれいになっていた。
元々の汚染度も軽かったのだろうけど。

しかし、腐敗臭はそう簡単に片付くものではない。
不動産会社は腐乱現場であることを伏せたうえで、ハウスクリーニング業者に作業を外注したのだった。
そして、手に負えなくなったハウスクリーニング業者がうちに相談してきた訳。

一口に「消臭」と言っても、「特掃+消臭」or「消臭のみ」では、はるかに「消臭のみ」の方がやりにくいし、やりたくない。意外?
清掃後だと、汚染箇所や汚染度、汚染物質が特定できないからだ。
今回のようなケースがまさにそう。

更に悪いことに、この部屋には中途半端な内装リフォームが入っており、余計にやっかいだった。

不動産会社は、近隣住民に事情が知れるのを避けたいようだった。
確かに、腐乱死体が原因でアパート一棟が丸ごと空部屋になってしまうことも有り得る。
仮にそうなっても、新しい入居者は獲得しにくいし。
それを考えると、不動産会社が受ける打撃と秘密したい気持ちは容易に察することができる。
しかし、商売を優先するあまり、他の住人に対して秘密にしたままで処理するのは不誠実だと思った。

ハウスクリーニング業者には適当なことを言って、その後の作業を引き継いだ。

翌日になって私が出した結論は、「内装全解体」「それができないなら、この仕事に責任は持てない」というものだった。
結果、見積も結構な金額になった。
不動産会社からの返答は、「検討してから連絡する」というものだった。

それからしばらくして、忘れた頃に連絡が入った。
「なかなか結論がまとまらないので、あの部屋はしばらく空部屋のままにしておく」とのことだった。
「まぁ、それもベターな選択かもしれないな」と、私は思った。
他の住人に知らせたかどうかは知らないが。

まったく、腐敗臭というヤツは人々を困らせる。
私の身体にも、腐敗臭の残り香があるだろうか。
たまには、女性の移り香でも残してみたいものだ(冗談)。

エロい話には無縁な私、グロい話ならたくさん持っている・・・腐るほどね。


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2006-09-04 08:48:27
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残り香(前編)

2024-09-13 07:40:57 | 特殊清掃
死体業をやるうえで臭覚は大事。
ある程度は臭いを嗅ぎ分けられないと仕事にならない。
基本的な部分は臭気測定機でもクリアできるが、やはり最終的には自分の臭覚が頼りになる。
また、臭覚には大きな個人差があることを理解しておくこともポイント。

ちなみに、私は自分の臭覚は標準レベルだと思っている。
あまり鋭い臭覚を持っているど、かえって仕事の障害になるかもしれない。
なにせ、いつも私が嗅いでいる腐敗臭はハンパじゃなく臭い!ので、鋭い臭覚を持っていたらそれだけでダウンしてしまうかもしれないから。

ホント、希望する読者がいたら一度は嗅がせてあげたいくらいだ。
惰性の(退屈な)生活には、抜群のカンフル剤になるかもよ!

私の仕事には、悪臭とウジは当然のつきものである。
いちいち言うまでもないことなので、最近は記述することを省略しているが、ほとんどの現場がそれらも含まれていることを承知して読んでもらえると幸い。

話を戻そう。
臭気測定機では臭いのレベルしか測ることができず、その内容まで追うことができない。
更には、メンタルな臭気はとうてい測ることはできない。

「メンタルな臭い」とは、臭気測定機は通常値を示し、更に私の臭覚でも問題のないレベルになった現場においても「まだ匂うような気がする」と言われるケースのこと。

このケースに当てはまりやすいのは近隣住民と賃貸物件の大家。
腐乱死体から受けた精神的なショックから抜け出せていない証拠でもある。
こういう人がいる場合は過剰なくらいの消臭作業を行い、同時に丁寧な説明が大事になる。
作業効率ばかりを優先してそれを怠ると、逆に作業効率を落とすことになりかねない。

片や、依頼者や遺族は少々の匂いくらいだったら「匂わない」とするケースが多い。
身内(関係者)が腐乱死体になったことを過去のものとしてさっさと葬り去りたいのだろう。

こういったケースでは、当然、私は客観的な感覚と第三者的な立場をキープしなければならない。
お金をくれるのが依頼者側であっても、できるだけ客観公正なスタンスで臨む。
それが、結果的に依頼者のためでもあるから。

ある時、ハウスクリーニングの専門業者から問い合わせが入った。
賃貸物件の引越後をクリーニングする会社だ。

「何の臭いだか分からない」
「どこから臭うのかも分からない」
「とにかく変な臭いがする」
「何とかならないか?」
と言う相談だった。

「出番かな?」
私は、イヤ~な予感を抱えながら現場に向かった。

つづく


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2006-09-03 08:38:04
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出会いと別れ

2024-09-12 07:29:17 | 特殊清掃
人生は色んな人との出会いと別れの繰り返しである。
私が書く「別れ」だからといって、なにも死別とは限らない。
別れの中の死別はごく一部。
学校・仕事・生活etcを通じて色んな人との出会いと別れがある。

考えてみると、私のような者でも、数えきれない人達との出会いと別れを経ている。
その中でも、一生を通じて付き合える人とはなかなか出会えないでいる。
「この人は一生の友だ!」「ずっと仲良くしていたい!」と、熱くなっていてもそれは一過性のもの。
一時期、どんなに仲良くしていても、学校・会社・住居などの所属コミュニティーを異にすると、またそれぞれに新しい出会いがあって、旧来の人間関係は次第に希薄になっていくパターンが多い。
特に、それ自体が淋しい訳ではないが、人との出会いに早々と別れ想像してしまう自分にどこか淋しさを覚える時がある。
こんな私と同じような経験を持つ人は、少なくないのではないだろうか。

私の場合は生きている人と同じくらい、いやそれ以上に?死んだ人との出会いが多い。
おかしな表現だか、出会う前に別れていると言った方が正確かもしれない、そんな出会いだ。

ある日の午後、特掃依頼の電話が入った。
故人の遠い親戚からだった。
他の仕事を抱えていた私が現場に着いたのは夜だった。
外はもう完全に暗くなっていた。

現場は狭い路地の奥、古い木造アパート。
玄関ドアの前に立っただけで、いつもの腐敗臭がプ~ン。
私は、教わった場所の隠しキーを使ってドアを開けた。
中はかなり暗くて、珍しく不気味さを覚えた。
例によって余計なことは考えないよう努めて私は中に入った。

とりあえず、電気ブレーカーを上げて明かりをつけた。
余談だが、このブレーガーがやたらと落ちやすくて困った。
いきなり落ちて部屋が真っ暗になる度に、心臓が止まりそうになった。
「故人の仕業か?」と、余計なことを考えてしまったものだから、そりゃもう大変だった。

さて、いつもの腐乱現場を想像していた私は驚いた。
床を埋め尽くす程のウジ・ハエの死骸はいいとして、汚腐団が木屑のような粉状のもので覆われていたのだ。

「ん?この状態は前にもどこかで見たことがあるぞ」
よく思い出してみると、死後経過日数がかなり経っていた現場だった。

私は依頼者に電話して、警察が推定した死後日数を尋ねてみた。
「約二ヶ月」
「白骨化していた」
依頼者の返答自体には驚かなかったが、「なんで、そこまで発見が遅れたんだ?」と、そっちの方に驚いた。
現場は住宅が犇めき合っているような所で、同じアパートにも住人はいるのに。
近隣には、随分前から悪臭が漂っていたはずなのに、誰も関わろうとしなかったのか・・・。

私も無用な人間関係を煩わしく感じる(敬遠する)タイプなので、近隣住民を「冷たい」と批判する気持ちは毛頭ない。
ただ、「腐乱臭によく我慢できたな」と、そっちの方に感心した。
他人と関わるより腐乱臭を我慢した方がマシだったのか・・・?

都市部を中心に「地域社会」というコミュニティーも崩れてきているのは事実だと思う。
私もそれに加担している一人。
これも、時代の流れか。
日本は人口が少なくなっていく傾向にあるようだし、人同士の関わり方も浅いものになっている。
その分、出会いと別れの機会もだんだんと少なくなっていくのだろうか。

時が経ってみると、「あの人と出会えてよかった」と思うことより「あの死体と出会えてよかった」と思うことの方が多い現在。
あくまで、「時が経ってみると・・・」だが。

残された人生にも、色々な人・死体との出会いと別れがあるだろう。
それが、いい出会い・いい別れであって欲しいと思う。

そして、死体との出会いがない人が可哀相でもあり羨ましくもある。


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2006-09-02 14:54:09投稿分より

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夏の終わりに

2024-09-09 07:33:36 | 特殊清掃
暦はもう秋、朝晩は涼しさを感じるようになってきた(気持ちいい)。
今日から9月である。

毎年のことだが、夏は特掃業務が更に過酷になる季節。
現場も凄惨を極める。
そんな現場で汗と脂にまみれて働く。
腐敗液に自分の汗が滴り落ちるのを見ながら、神妙なことを考えたり、自分を励ましたり、くだらない事を考えたりする。。
やけに哲学的になってみたり、センチになってみたり、バカになってみたり。

どうしようもない時は外に出て小休止。
荒くなった呼吸と心臓の鼓動、脳ミソを落ち着ける。

そんな夏も終わろうとしている。
今年の夏もいい?思い出がたくさんできたが、リアルタイム過ぎて紹介できないのが残念。

私は、今までに何体もの死体に会ってきた。
何件もの腐乱現場に遭遇してきた。
病死・事故死・自殺・自然死etc・・・。
死に方にも色々ある中で、そんな私が今まで一体しか扱ってない遺体がある。

「何?」と思われるだろう。
「他殺体」である。
私が20代の頃だから、もうだいぶ前の話になる。

当時は大きなニュースになったので、ここでも詳しい表記は控えるが、故人(被害者)は20代前半の学生だった。
楽しい夏休みの最中、惨劇が襲った。
犯人の末路を見ても、とても「一件落着」とは思えない事件だった。

遺体には大きな解剖痕があった。
遺族の要望で、生前に袖を通すことがなかったお気に入りの服を着せた。
作業中、遺族が立ち会っていなかったことで、若輩の私は余計なプレッシャーを受けずに落ち着いて仕事ができた。
遺族に何と声を掛けていいのかも分からなかったし。

子供や若者には、いい意味で無責任に生きられる特権が与えられている(代わりに責任を背負っている人がいるのだが)。
比較的、自由に生きられる特権だ。
人を悲しませない範囲であれば、その特権を自由に行使していいと、私は思う。
そこに若年の輝きが見えるから。

故人も、一人の若者として学生生活を謳歌していたことだろう。
楽しい夏休みを最期に、人生の幕を閉じることになることなんか知る由もなく。
そして、9月1日の新学期を迎えることなく突然逝ってしまった。

「人生って、いつ何が起きるかホントに分からないものだ」
と、あらためて痛感した時だった。
そして故人に、何故か犯人にも深い同情心が湧いてきたのを憶えている。

いつ何が起こるのか分からないのが人生だけど、いつ何が起こっても素直に受け入れることができる器量が欲しい(無理かな)。
苦しいこと・辛いこと・悲しいことは有限、気持ちいいこと・楽しいこと・嬉しいことは夢幻の人生なのだから。

夏の終わり、9月の曇空を見上げながら、先に逝った人達に想いを馳せる。


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2006-09-01 09:27:47投稿分より

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死に場所

2024-09-08 07:33:57 | その他
自分の死については、色々と興味がある。
その中で最も気になるは、やはりその時期。
今の私は、「元気で長生きしたい」と思っている。
過去には、そう思わなかったこともある。
勝手なものだ。

次に気になるのは、その場所。
可能性として高いのは、やはり病院。
健康を取り戻し、生命を永らえることが本来の目的(役割)である病院が、皮肉なことに、多くの人の死に場所となる。
死を前にすると、いかに人が無力であるかを物語っている。
まぁ、仕方のないことだろうが、病院を自分の死に場所とするのは、何となくさえない感じがする。

「だったら、どこがいいのか?」ときかれても答えに困るし、残念ながら答を用意しておいたところでそれは何の役にも立たないだろう。

特掃現場には、風呂・トイレ・寝室が多い。
その場所でコト切れる人が多ということ。

風呂で死ぬ場合、浴槽の中に入ったままの状態が多い。
更に、追焚き機能が動いたままで煮えていたであろうケースも少なくない。
入浴の際は、むやみに高温の湯に肩までドップリつかるのは避けたいところだ。
また、飲酒後の入浴も。
やはり、低めの湯温での半身浴がおすすめ。

トイレで死ぬ場合は、便器の汚染具合から想像して、用を足している最中が多いと思う。定かではないが。
ふんばる時、歯を食い縛ると血管が切れやすいらしい。
なかなか力を入れにくいかもしれないが、口を開けて用を足した方が安全だと聞いたことがある(ガセだったらゴメン)。
口を開けておくことによって、力み過ぎを防ぐことができるとのこと。

布団で死ぬ場合は、やはり寝ている時が多いと思う。
ん?
これって結構ベターな死に場所?
腐乱してしまうと色んな人に迷惑をかけてしまうけど、本人にとっては悪くないことかも。

人生の最後を自宅の布団で迎えるなんて、理想かもしれない。

死に場所は自分で選べない。
「俺はどこで死ぬことになるんだろうなぁ」
どこであろうと、穏やかな死を迎えたいものだ。


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2006-08-31 09:53:53投稿分より

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うにどん!

2024-09-06 05:59:08 | 特殊清掃
「食欲増進の巻」

私が初めてウニを食べたのは大人になってからである。
「美味!」と聞いていたウニは、私にとっては生臭くて食感も悪く、とても美味とは言えなかった。
美味しく感じなかった一番は原因は、食べ慣れていなかったせいかもしれない。
でも、何度か食べているうちに少しづつ味が分かってきて、だんだん好きになってきた。
今は、「大好物」とまではいかないけど好物の一つになっている。

そんな私は長い間ウニ丼に憧れを持っていた。
それまで、私の口に入る ウニは回転寿司の軍艦巻程度。多分、安物。
「テレビのグルメ番組にでてくるようなウニ丼を一度は食べてみたいなぁ」と、ずっと思っていた。
東京でも数千円だせば食べられるのだろうが、馴染みの寿司屋なんかない私には、美味しいウニ丼がありそうな寿司屋に飛び込む度胸もなく、結局いつまで経っても食べられずじまいだった。

二年程前になるだろうか、そんな私にウニ丼が食べられるチャンスが巡ってきた。
親しくしている人に海の近くの寿司屋に連れて行ってもらった時だ。
酒が入っていたせいもあるのだろう、ウニ丼に対する想いを熱く語ってしまった私。
カウンター越にそれを聞いていた板前が、「ウニ丼、出しましょうか?」「うちのは自慢のウニですから」と言ってくれた。

板前は、店のメニューにはないウニ丼を、わざわざ私のために作ってくれたのだった。
目の前に出て来たウニ丼は、私が期待していた通り、鮮やかな黄色で一つ一つが大きくホッコリしている。
決して溶けだすようなことはなく、表面のツブツブ感もしっかりあった。
私がいつも食べているような軍艦巻ウニとは大違い。

それを見て、増々テンションを上げた私。
テレビのグルメリポーター張りのオーバーリアクションでウニ丼を一気に掻き込んだ。
その食感はシッカリとあり甘味もコクも格別、本当に美味かった!

積年の望みを果たした喜びとウニの甘味がプラスされて、何とも言えない幸せなひと時だった。

一度食べればもう満足。
今は、ウニ丼への熱い想いは落ち着いている。



「食欲減退の巻」
場所は、寿司屋ではなく風呂場。

浴室のいたるところに付着している焦茶色の腐敗液と、あちこちに貼り着いている皮が、警察の遺体回収が困難を極めたことを物語っていた。
特に、浴槽の側面に垂れたまま乾燥していた腐敗液は視覚的にグロテスクだった。

浴槽の中を覗いて見ると、底に何がが溜まっている。
皮とウジは分かるものの、あとは何なのか判別不能だった。
まぁ、人体の一部の末路なんだろうが。

幸いなことに排水口は詰まっていなかった。
風呂やトイレの場合、排水口が通っているか詰まっているかは私にとっては天地の差がある。
通っていると俄然やる気がでてくるし、詰まっていると意気消沈してしまう(意気地がない?)。
始めに固形物を除去。
皮・髪・ウジ、そして得体の知れないモノ。
皮と髪は浴槽に貼り着いており、削り落とした。
大量のウジは一匹一匹を相手にはしていられない、まとめて掬い取るしかなかった。
それらはまとめて汚物容器に。

そして、私は得体の知れないモノに手をだした。
表面は茶色、固いモノだと思って道具を当てたら中からドロッと黄色い半液体がでてきた。

「何だこりゃ?」
「なかなか珍しい色だなぁ」
と思いながらそれも容器に取った。
ウジ山はその汚物に隠れた。

固形物を取り除いたら、あとはひたすら戦場・・・いや洗浄。
排水口が通っているということは水が流せるということで、気持ちいいくらいにきれいできた。

さて、最後に廃棄物のチェック。
私が汚物容器に見たものは、そう・・・。


いつかまた、美味しいウニ丼を食べたい。
頑張って仕事しよう。



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2006-08-29 09:05:07投稿分より

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