特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

雨風

2021-06-15 08:35:09 | 腐乱死体
水無月も半ばになり、真夏への助走が始まっている。
待ち望んでいたわけではないが、昨日、やっと関東の梅雨入りが発表された。
ま、梅雨に入っていようといまいと、もう充分にムシムシしているから関係はないが。
しかし、不快な時節も、移ろう季節の一幕だと思えば趣があるというもの。
幸いにも、この時季ならではの紫陽花が、去年と同じ場所にきれいに咲いている。
生まれたばかりの可愛いカタツムリも、踏んでしまわないよう気をつけないと。

ただ、そんな趣とは裏腹に、この心身は疲れ気味。
夏が大好きだった10代の頃は、とっくに幻。
これからやってくる酷暑を思うと、更に気分はゲンナリ。
生来の怠け心が、にわか仕立ての勤勉さを易々と押しのける。
とにかく、今年もまた、避暑地にでも行かないかぎり避けて通れない夏は、充分な休養とこまめな水分補給を心掛け、どうにかこうにか乗り切るしかない。

昨夏に続いて今夏もコロナウイルスがいる。
しかも、「変異種」といわれる強力な奴が。
緊急事態宣言も延長され、病床も経済もマズイ状況が続いているし、イギリス型とインド型が合体した?更に強いヤツも出現したらしいし、これから、もっとマズイことが起こるのではないかと気が気ではない。
ただ、ワクチン接種が身近なところに近づいてきている。
まだ現実味を感じるには程遠いけど、「今秋までに」という政府の目標をアテにして踏ん張りたい。

オリンピック開催予定まで、あと一ヶ月余。
この期に及んでも、開催の可否が決まっていない。
コロナのせいとはいえ、そんな優柔不断なことでいいのか。
私は、開催中止派だから、そっちの方へ考えが偏っているが、あえて言う。
「やめといた方がいいんじゃない?」「いい加減、諦めたら?」
試算によると、オリンピック中止より緊急事態宣言の方が経済損失は大きいらしい。
立場上「開催する!」としか言えない人も多いのだろうし、下々の者にはわからない大人の事情があるのだろうけど、開催に固執することは全体の利益に反する。
今だって、苦しんでいる人は多いのに、その上で、わざわざ災難を呼び込むようなマネはやめてほしい。

「中止になったら、ここまでがんばってきたアスリートが報われない」といった声もそう。
それはそうだろうけど、がんばっているのはアスリートだけではない。
国の名誉を背負っているわけではないし、世闇を照らす希望の光にもなれいかもしれないけど、名もなき多くの庶民も、自分のため、家族のため、必死に耐え、一生懸命がんばっているわけ。
オリンピックに出る人達の“汗と涙”だけに焦点をあわせた特別扱いには、疑問を抱かざるを得ない。
IОC・JОC・東京都・組織委員会等々、どこまでコロナ禍と世間の雨風に耐えられるのか、もはや、五輪の理念はどこへやら、金と利権に執着する醜態しか見えてこない。
と言いつつも、開催賛成派の人達にも言い分があるわけだから、その意見にも耳を傾けるくらいの客観性も大切だと感じている。
共に闘うべきコロナも、共に楽しむべきオリンピックも、今や、論争のネタにしかなっておらず、このままでは、日本の空は一向に晴れないから。



訪れた現場は、街中の商業地近くに建つマンション。
間取りは1K。
故人は、生活保護の受給者。
社会との関わりが薄い生活での孤独死は、当然、なかなか発見されない。
当人の意思を無視して、自ずと“腐敗コース”を進んでしまう。
で、息絶えた故人も、誰にも気づかれることなく、一人、モノ申さず しばらくの日々を過ごし、朽ちていったのだった。

私が出向いたとき、家財生活用品は既に片づけられていた。
ただ、部屋の中央の床には、故人が残した元人肉が残留。
“人型がクッキリ”なんて程のことはなかったものの、私には、故人が倒れていた姿勢が どことなくわかった。
併せて、特有の異臭が部屋に充満。
そんな現場は、一般の人からすれば「凄惨!」となったかもしれない。
ただ、慣れた私にとってはそんなことはなく、何とも寂しい雰囲気だけが、わずかに気になったくらいの程度だった。

依頼された仕事は、遺体痕の清掃と部屋全体の消臭消毒。
遺体から漏れ出た腐敗体液は乾いた状態で、赤茶色で薄っすらと付着。
頭髪が貼りついているようなこともなく、ウジ・ハエの発生もなし。
削り取るまでもなく、洗剤でふやかせば拭き取れる程度のもの。
汚物との格闘では百戦錬磨(?)の私にとっては、難なくこなせる作業。
誰かに急かされているわけでもなく、チームでの作業でもなく、自分のペースでやればいい。
フツーの人なら呑気な気分にはなれるはずのない部屋で、私は、呑気に作業に取り掛かった。

そこは、一人きりの腐乱死体現場。
世間から隔離されたような静寂に包まれていた。
自らが発する作業音以外は、時折、外の雑踏音が耳に入ってくるくらい。
しかし、そんな中で、不意に「ガチャッ!」と、玄関のドアが開く音がした。
一人で呑気に・・・もっと言うと、“一人でのんびり”やっていたところ、誰も来るはずのないところに いきなりの侵入者。
私は、ビクッ!と心臓が止まりそうになるくらい驚き、思わず身構えた。

そして、オドオドと右往左往。
人が死んだ跡だというのに、何の緊張感も哀悼の気持ちもなく、呑気な気分で、のんびりと仕事をしていたことに後ろめたさがあったのか、私は、まるで、コソコソと悪いことをしていたかのように、落ち着きを失った。
とは言え、私は、不法侵入者ではない。
正規の契約で、正規の仕事をするために、正規の許可を得てこの部屋に入っているわけ。
だから、逃げ隠れする必要はどこにもなかった。

そんな状況で、目の前に人影が現れた。
入ってきたのは、二人の女性。
一人は高齢、一人は中年。
二人も、玄関の鍵が開いていることを不審に思いながら入ってきたよう。
そして、中に人(私)がいるとは思っていなかったよう。
「こ、こんにちは・・・」
と、お互い、驚きと戸惑いの表情を浮かべながら、たどたどしく挨拶を交わした。

訊いたところ、二人は母娘のよう。
母親は、結構な雨に打たれ 風に吹かれ生きてきたのだろう。
野次馬には関係のないことだから事情や経緯は聞かなかったけど、母親は、生活保護を受給することになったよう。
で、優良物件として、役所からこの部屋を斡旋されたのだろう、母親が暮らすための部屋を探すことになり、この部屋を下見に来たのだった。

しかし、まだ、前住人の腐乱死体痕も異臭もバッチリ残っている。
“なにも、このタイミングで見に来なくてもいいのに・・・”
私は、そう思いながらも、
“利便性の高い街中の好立地だから、モタモタしてると他の誰かにとられるかも と心配したのかな・・・”
とも思った。
どちらにしろ、こんな部屋に、躊躇うことなく入ってくるなんて、なかなかの神経の持ち主か、またが、それだけ生活が逼迫しているか、どちらかだと思われた。

二人の会話を聞いていると、そのどちらも当てはまった。
娘は図太い神経の持ち主で、母親の生活は逼迫していた。
ただ、母親は、そんな厳しい現実を理解しつつも、それを受け入れたくなさそうな困惑の表情を浮かべ、どことなく消沈している様子。
そんな母親に娘は、
「いい所じゃない!近くにスーパーも病院もあるし生活しやすいよ!」
「ここにしなよ!ここに決めちゃおうよ!」
としきりにこの部屋を勧めた。

確かに、建物は重量鉄骨構造で築年もそう古くはなく、なかなかきれいで立地もいい。
決して広くはないけど、一人で暮らすには、それほどの不便はない。
難点はただ一つ、孤独死・腐乱死体現場の跡ということだけ。
ただ、そういうことを気にしない人であれば、割安の家賃に惹かれ、喜んで入居するはず。
事実、割安で暮らせる事故物件を好んで選ぶような人もいるらしいから、そういう人にとっては「優良物件」といえる部屋だった。

私は、会話に混ざる立場ではないけど、同じ部屋にいたら、どうしても耳に入ってくる。
また、狭い空間に他人がいては、部屋をジックリ見にくいだろうし、話もしづらいはず。
二人を無視して作業を続けることはできたけど、それも、あまりに生々しい光景なので、私は、
「私は、ちょっと外に出てますね」
と二人に気を配った。
すると、
「いえ、ここにいていただいて大丈夫です」
「伺いたいこともありますし」
と娘が私を呼び止めた。

「この汚れもニオイもなくなるんですよね?」
「これから、きれいになるんですよね?」
娘は、矢継早にそう訊いてきた。
「ニオイは消えますし、床も壁紙も貼り替えられるはずですよ」
「ルームクリーニングも入るはずですし、きれいになりますよ」
私は、娘の援護射撃をするつもりはなかったが、故人や物件の名誉もあるので そう応えた。

すると、娘は、
「気にしなきゃいいだけだから!」
「雨風しのげるだけでありがたいと思わなきゃ!」
と、母親に強調。
その言葉は、故人の名誉を考えて出たものではないことは明白で、身内とはいえ、ちょっと無神経。
一方の母親は、浮かない表情で沈黙。
言葉にできない複雑な心境が、如実に顔に表れていた。

どうも、母娘は実の親子ではなく、嫁姑のよう。
そのせいか、娘の態度は、あまりに事務的で冷淡。
「テキトーな所へ さっさと突っ込んでしまえ」といった悪意を感じるくらい。
娘だって守らなければならない自分の生活があり、義母の面倒をみる余裕はないのだろうけど、それでも、母親が置かれた立場が何とも気の毒に思えて、自分も一人前の親不孝者であることを棚に上げて、私は 心の矛先を娘に向けた。


いずれ、自分が死んでしまうことは、誰しもわかっている。
孤独死することだって、不自然なことではない。
そして、時間がたてば肉体も朽ちる。
周辺を汚し、異臭を放ち、場合よってはウジ・ハエを生み出すこともある。
しかし、これもまた自然なこと。
母親も高齢につき、自分の“死”を身近に感じていたと思う。
ただ、この部屋で起こったことと、目の当たりにしている現実を自分の将来に重ねると、あまりにリアルに感じられるものだから、故人への嫌悪感や死への恐怖感とは離れたところにある一抹の寂しさが顔に表れていたのではないかと思った。

本件の母親が、再び、生活保護生活から脱する可能性は低い。
取り巻く現実は厳しく、誰がどうみても、明るい将来を描けない状況。
冷たい言い方をすれば「夢も希望もない」。
おそらく、質素な暮らしのまま、最期を迎えることだろう。
それまで、寿命が尽きるのを待つように、淡々と生きていくしかないだろう。

しかし、これは、この母親の人生だけのことではなく、私の人生も似たようなもの。
若い頃には知り得なかったことが歳を重ねることで知り得たり、若い頃には気づかなかったことに歳を重ねることで気づけたりすることもあるのだけど、その分、それが裏目にでることも少なくない。
老いと衰えを自覚させられると、将来に夢や希望を持ちにくくなり、薄暗い未来しか想像できなくなったりする。
大なり小なりの「虚無感」「空虚感」というヤツにつきまとわれ、「ただ、生きてるだけ」といった貧しい状態に陥り、諦念・失望・疲労、そういったものに苛まれて力が抜けていく。
そうなったら世と時に身を任せて、流されるまま寿命が尽きるのを待てばいいのだけど、この世に存在する価値を失ったようなツラさが襲ってくる。

とにもかくにも、人生ってやつは苦悩の連続。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」じゃないけど、生きていれば、雨にも打たれ、風にも吹かれる。
その雨風にどう耐え、その雨風をどうしのぎ、その雨風の中をどう進んでいくか。
自分に言い訳をしながら、気休めの言葉をつぶやきながら、ひたすら、雨風が過ぎ去るのを待つしかないのか。


これからの季節、現場は凄惨になり、作業は過酷になる。
そんな今に、何か“楽しみ”を見いだせるか・・・
そんな日々に、何か“生きがい”を感じられるか・・・
そんな人生に、何か“意味”を持たせられるか・・・
雨風を耐える覚悟もないまま、ひたすら雨に打たれ、風に吹かれながら、私は、相も変わらず、自問自答(自悶自闘)の日々を過ごしている。

「やっぱ、俺は、特殊清掃やるしかないんだろうな・・・」
結局のところ、今の自分が心を燃やし、渾身の力を発揮できるのは、それしかなさそう。
趣味らしい趣味もなく、楽しみらしい楽しみもない中で、そんな汚仕事でこそ元気が出るなんて、何と滑稽なことか。
腐乱死体となってしまった人にも、「仕方のないヤツだな・・・」と苦笑されそうで、そんなとき、私は、気持ちの中でペコリと頭を下げる。
そして、繰り返し、繰り返し、次の雨風に耐えうるだけの力をもらい受けるのである。


-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社

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