特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

思い 思われ

2017-04-24 12:13:25 | 自殺 腐乱
不動産会社から、とある相談が入った。
相談の内容は、特殊清掃と御祓いについて。
管理物件で自殺があり、その遺体はヒドく腐敗。
家財は保証会社(有償で賃貸借契約の連帯保証人を務める会社)が撤去したが、保証会社の仕事はそこまで。
特殊清掃はもちろん、消臭消毒もされず放置。
不動産会社には工事部門があったが、そこの作業員は気持ち悪がってやりたがらず。
そこで、相談の電話が入ったのだった。

「費用は、当社負担になるものですから、あまり料金が高いとお願いできないんですけど・・・」
「それでも、とりあえず、見にきてもらいたいんです・・・」
と、担当者は事情を説明してくれた。
私の仕事は、相手が法人・個人を問わず、
「とりあえず、見積だけだして!」
と、ぶっきらぼうに指示されることも少なくなく、また、現地調査に出向いて見積を提出しても、以降、何の連絡もよこさず無視されることも多い。
そんな中で、事情を正直に話してくれた不動産会社に、私は好印象を抱いた。

現地調査の日。
訪れたのは、住宅地に建つ低層の賃貸マンション。
現場には、電話で話した不動産会社の担当者、そして、工事部門の責任者と作業員が来た。
全員と初対面の私は、一人一人と名刺を交換し挨拶。
そして、
「平気ですか?」
「“全然平気”ってことはないですけど、ほぼ平気です」
「そうなんですかぁ・・・」
「そんなこと気にしてたら仕事になりませんし、自分が苦労するだけですから・・・」
と、慣れた質問にいつも通り応え、場の雰囲気をやわらかくした。

我々四人は階段を使って現場の部屋へ。
玄関ドアの前に立つと、担当者が鞄から鍵を取り出し、それを鍵穴に挿入。
そこで担当者は動きを止め、そして、三人は顔を見合わせた。
「どうする?」
「誰が入る?」
「自分は入りたくない」
三人の表情から、そんな意思が読み取れた私は、
「大丈夫ですよ・・・私一人で見てきますから」
と声をかけた。
すると、三人はそれぞれ申し訳なさそうな表情で頭を下げ、私に進路を譲った。

ドアを引くと異臭が噴出。
ただ、「異臭」と言っても、私にとってはライト級。
しかも、あらかじめ心積もりはしていたので、動揺はまったくなし。
私は、顔を顰めて後ずさりする三人を背に、室内に素早く身体を滑り込ませた。
そして、いち早く汚染痕を見つけると、それに近寄って現況の検分を始めた。

間取りは1R。
40代の男性が単身で居住。
しかし、一ヵ月ほど前に、そこで自殺。
無職で人づき合いもなかったらしく、発見は遅れて それなりに腐敗。
家財はすべて片付いていたが、部屋には、遺体の汚染痕とウジ殻とハエ死骸が残っていた。
ただ、汚染痕も薄く、害虫も少数。
清掃作業は簡単に済むレベルだった。

作業員にとっては、ハードも問題だったが、それよりもメンタルの問題の方が大きかった。
工事部門の作業員は、それまでにも何度か、孤独死現場の工事を施工したことがあった。
中には、汚い現場やクサい現場もあった。
その処理作業に従事するのは気が進まなかったが、上司の指示もあったし仕事の責任感もあった。
だから、ギリギリのところで頑張ってきた。
しかし、今回は、勝手が違った。
それまでの現場は、すべて、老衰死や病死などの自然死。
しかし、今回は自殺。
そこのところに気持ちが引っかかり、恐怖感にも似た不安感が沸いてきたのだった。


実際、私の会社のサービスには、“遺品の供養処分(想い出供養)”や“御祓い(供養式)”といったアイテムがある。
“御祓い”は、寺院の僧侶が現場に出向いて読経・焼香するもの。
(※本来、「御祓い」は神道行為だが、ここでは意を汲みやすくするため、仏式の場合も「御祓い」という言葉を使用する。)
もちろん、御布施・運転手代・車代等、一定の料金はかかる。
しかも、問題は、目に見えないところにあり、非常にデリケート。
当然、“成果”の保証はできない。
“御祓い”をした後も不安感や恐怖感が抜けなかったり、また、よからぬことが起こって“御祓い”のせいにされたりしても困る。
だから、自分から勧める(売り込む)ようなことはしない。
「やったほうがいい?」「やる必要ない?」
といった質問を受けても、責任が取れることではないので、あえて どちらとも応えない。

ただ、私個人は、そういった類の信心を持たないから、個人的には、“御祓い”は重視しない。
霊や魂の存在を信じないわけではないけど、“故人の霊が何かよからぬことを引き起こす”なんて気はしないから。
そうは言っても、気になる人は気になるし、気にする人は気にする。
大切なのは、そんな人の気持がどこまで和むか、心の平安がどこまで得られるかということ。
これは、私の浅知恵や精神論ではどうこうできるものではないし、人の心に深入りした後の責任も持てない。
だから、私は、“御祓いをやるorやらない”は、依頼者自身の考えと責任において決めてもらうよう促すのである。


私に霊感はない(多分)。
だから、俗に言う“幽霊”といった類のものと遭遇したこともなければ、霊的な体験をしたこともない。
しかし、私の周囲には、そんな体験を持つ人が少なくない。
昔の同僚女性に、幽霊がよく見える人がいた。
一緒に現場に行くと、
「故人が、遺族の中に混ざってこっちを見ていた」
等とよく言っていた。
また、一緒に車に乗っていると、
「今、歩道橋から人が首を吊った!」
と、急に悲鳴をあげたりもした。
私の両親は、真夜中、台所のガラス戸に映る青白い炎(人玉?)を見たことがあった。
二人で同時に見たわけだから、ウソではないと思う。
取引先の男性は、妻と就寝中、寝室に近づく足音で目が覚めた。
誰かが部屋に入ってきたことを感じて、恐る恐る目を開けると、そこには女が立っていた。
これも、二人で同時に見たわけだから、ウソではないと思う。
知り合いの医師は、宿直で仮眠中、誰かが馬乗りになってきて首を絞められたことがあった。
そして、似たような目に何度もあった。
その他、誰も乗っていないはずの霊柩車から人が降りてくるのを見た人もいれば、よく金縛りにあう人もいる。
また、我々の仕事では、職務上、現場の作業前写真と作業後写真を撮ることが多いのだけど、同僚が自殺腐乱現場で撮った写真に、故人の最期の姿が煙のように写っていたこともあった。

しかしながら、私自身、そういう経験はない。
ただ、その存在は信じている・・・というか、どことなく感じている。
が、“それらが自分を祟る”とか、“それらによって悪いことが引き起こされる”とは考えていない。
仮に、不運が続いたとしても、原因は他にあると考える。
普段はとことんネガティブな人間なのに、こういうところだけは悲観的にならない。
それは、私が、固有の信心を持っているが故だろう。
ただ、そういう信心は、私が優しい善人だから持てているわけではない。
故人や遺族・関係者に対して罪悪がないから持てているわけではない。
もちろん、「故人が感謝してくれている」なんて思い上がった考えを持っているからでもない。

「亡くなった人に対して誠意を尽くしているから、後ろめたいことなんか何もない」
「仕事には誠心誠意あたっているから、故人に顰蹙(ひんしゅく)をかうわけない」
そう言えればいいのだけど、残念ながら、そんなことは言えない。
私は、この仕事は“ビジネス”としてやっている。
このケチぶりが物語っているように、実際 大して儲かりはしないけど、その目的は金儲け。
正直なところ、依頼者の足元を見てしまうこともある。
そうでなくても、打算の上で作業内容と料金を提案し、契約を成立させるべく交渉する
怠心や邪心もある。
余計な手間をかけず、作業を効率的・合理的に進めるよう努める。
もちろん、約束した仕事は手を抜かずやる。
礼儀やマナーは重んじるし、時には、相手の立場になってものを考えたり、同情心や親切心が働いたりすることもある。
ただ、結構、事務的で冷淡だったりする。

しかし、ビジネスでやっている以上、それも悪いことではないと思っている。
ただ、人としての私には悪所=短所・欠点・弱点がたくさんあり、そのために、多くの苦悩や労苦を抱え、重い気病を患っている。
そして、それらが、情けないくらい、恥ずかしいくらい、悲しいくらいに曝け出る。
それが仕事中の現場でも、曝け出てしまう。

これまで生きてきて、泣いた、悩んだ、苦しんだ、逃げた・・・でも、がんばったこともあった。
肉体の有無が違うだけで、亡くなった人も 同じように“人”。
私と似たようなところが少なからずあったと思う。
そんな故人に、私は、同情してもらっている、わかってもらっている、思いやってもらっている・・・
“自分本位”“独り善がり”は承知のうえでも、私は そんな気がするから、故人の霊・魂の類をネガティブに捉えずに済んでいるのではないかと思う。

故人を思いやることがある私。
私を思いやってくれているかもしれない故人。
この共感が、この共生が、私を前方へ誘ってくれ、また、私の前進を後押ししてくれているのかもしれない・・・
だからこそ、私は、懲りもせず、光に導かれるかのように現場に走るのかもしれない・・・
そして、それもまた、自分に一つの意義(幸せ)をもたらすものなのかもしれないと思うのである。


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ぼっち

2017-04-17 08:43:37 | 腐乱死体
客観的にみると、私は、結構“寂しいヤツ”である。
なにせ、今、「友達」と呼べる人が一人もいない。
三十代前半の頃は、学生時代と友達と付き合いがあっだけど、それも自然になくなった。
共通の趣味があるわけでも、家が近所にあるわけでもなく、仕事とか自分の生活で手一杯で関係は自然消滅した。
もちろん、職場には仲間がおり、プライベートには共に飲食を共にできる知人はいる。
だけど、誰もが“友達”という感じではない。
ま、もともと、私は、内向的で暗い性格だし、人づきあいも苦手。
多くの友達を持ってワイワイ楽しくやるタイプではない。
だから、“寂しい”とは思わない。
ただ、欲を言えば、「仕掛人・藤枝梅安」に出てくる“彦さん(彦次郎)”みたいな友達なら欲しいと思うけど、ま、これは まったく現実的ではない。

寂しさを覚えるのは、花びらがほとんど散ってしまった後の桜を見るとき。
開花から満開になるまで時間がかかり、更に、その後も低温の日が多くて花が保たれ、例年に比べてだいぶ長く楽しむことができたけど、今日この頃は、ほとんど散ってしまっている。
「もう散っちゃったか・・・」
「儚いなぁ・・・」
葉桜を見るたびにそう思う。
桜って、人々に愛でられるのは花が咲いている二週間程度の間だけ。
一年のうちで、たったの二週間・・・ホント短い。
あれだけ褒め愛でるのに、散ってしまった後は見向きもせず放ったらかし。
何とも気の毒なような、寂しい感じがする。

ま、その儚さが桜花の“価値”なのだろう。
そして、その儚さが桜花の“美”なのだろう
咲きっぱなしでは、人々に ここまで愛されはしないだろう。
儚いからこそ美しさが増し、儚いからこそ一層愛でられるのだと思う。
更に、寒くて暗い冬は永遠ではないことを教えてくれているようでもあって、心があたためられるのだろうと思う。


まだ肌寒さが残る浅春の昼下がり、私の携帯が鳴った。
画面に映ったのは、知らない番号。
ただ、仕事柄、知らない番号で携帯が鳴るのは珍しくない。
ほとんどは過去に仕事で関わったことがある人で、
この仕事は、依頼者を中心に色々な人と関わるわけで、携帯番号もフツーに交換する。
ただ、その場合でも、その番号はメモで残すのみで、氏名とともに登録したりはしない。
そして、仕事が終われば必要なくなるので、メモも削除する。
しかし、相手の方は、イザというときのためか、私の番号を残しておいてくれる場合がある。

ただ、不特定多数の依頼者や関係者と、しかも長年に渡って関わってきている私。
記憶に残っているのは印象に残っている人や、複数回の仕事をした不動産会社くらい。
ほとんどの人は、私の記憶から消えている。
だから、相手は私のことを憶えていても、私が相手のことを忘れていることってよくある。
「以前にお世話になった○○と申しますけど、憶えておられますか?」
とでも言ってくれれば、
「申し訳ありません・・・色々な方と関わる仕事なものですから・・・」
と、憶えていないことを正直に言いやすい。
しかし、
「もしもし、○○ですけど、この前はありがとうございました」
等と、その第一声がフレンドリーで“当然、憶えてるでしょ?”みたいなニュアンスだと、
「憶えてないんですけど、どちら様でしたっけ?」
なんて応答はしにくい。
相手は、残念なような寂しいような、不快な思いをするはずだから。
なので、
「どうも、どうも、御無沙汰しております・・・」
等とテキトーなことを言って、さも憶えていたかのように応対する。
そして、前回 作業した時期と現場の概要を聞けば ほとんど思い出すことができるので、会話の中でそれを探っていき、記憶を手繰り寄せるのである。

幸いなことに、この時の電話は、以前に一度 仕事をしたことがある不動産会社の担当者からのもの。
最後に関わったのは もう何年も前のことだったけど、インパクトのある現場だったので、会社名と名前を聞いただけですぐに思い出すことができた。

「いきなり携帯にかけてスイマセン・・・」
「どうも・・・御無沙汰しております」
「ひょっとしたら、もう辞められてるかとも思ったんですけど・・・」
「いえいえ・・・幸か不幸か、ずっと続けてます」
「がんばってますね・・・私も見習わないとな」
「転職できるほどの能力がないだけですよ・・・」
「そんなことないでしょうけど・・・」
旧知の友に再会したときのように、私達の話は、くだけた会話から始まった。

「ところで、私のこと憶えておられます?」
「えぇ、よく憶えてますよ! 凄まじい現場でしたからね!」
「ホント!大変だったでしょ!?」
「そりゃもう!」
「今回は、あれほどじゃないと思うんですけど・・・」
「ま、“あれほど”でもやりますけどね」
笑えるような用件ではないのに、私達は、お互いの労をねぎらうように笑った。

もともとの人柄だろう。
彼は、“気さく”というか“フレンドリー”というか、私にはない明るさと社交性を持っていた。
そして、たった過去一度きりのことでも、腐乱死体現場処理を共にあたったことで私を戦友のように思ってくれたのか、私に随分と親しみをもってくれているよう。
一時的な出会いでも、私は、そんな彼に対して友達みたいな感覚をおぼえ、そのことを嬉しくも思った。

用件は、前回同様、腐乱死体現場の処理。
鍵は、現地のKeybox(暗証番号で開く鍵の保管ケース)に保管。
「近隣から苦情がでると困るから、できるだけ早く」という要望はあったものの、「現地調査の日時は任せる」とのこと。
しかし、想像された現場は、後回しにはできない状況。
私は、その日の夕方に行くことを約束して電話を終えた。

現場は、込み入った住宅地に建つ少し古めのアパート。
その一階の一室。
私は、PS(Pipe space=ガスメーターや水道バルブ等の設置庫)に設置されたKeyboxを教えられた番号で開け、鍵を取り出した。
そして、そのまま玄関を開錠。
異臭の漏洩もなければ窓にハエの影もなく、また、気温も高くなく、私は、たいして緊張もせずドアを開けた。

室内は洋室一間の1K。
水廻りは汚く、プチごみ部屋。
遺体痕は、部屋の隅に敷かれた布団に残留。
そこには、クッキリと人の形。
ただ、気温の低い時季に亡くなっており、汚染も異臭もそれほどの重症ではなかった。

亡くなったのは、この部屋に住む高齢の男性。
生活保護受給者で、賃貸借契約の保証人はおろか、身寄りらしい身寄りもおらず。
晩年は仕事も退き、近所付き合いもせず、孤独にひっそりと暮らしていたよう。
そんな故人が、どういう経緯でここに住みついたのか、どういう経緯で生活保護受給者になったのか知れるはずもなかった。
ただ、あまり明るい想像はできず。
人生の後半は、失業・病気・家族離散・貧困などに苛まれた人生であったことが想像された。

元妻や子息の所在はわかっていた。
が、皆、「知らぬ、存ぜぬ」と冷たい対応。
それなりの遺産があれば対応も変わったのかもしれなかったけど、故人は財産らしい財産を持たず。
遺産の有無によって遺族の反応が変わることを考えると道義的に引っかかるものはあった。
ただ、生前の故人に重大な落度があったのかもしれないし、よい別れ方をしたのではなかったのかもしれないし、どちらにしろ、長い間、関係は断絶していだだろう。
だから、“金の切れ目が縁の切れ目”であっても仕方がないことだと思った。

しかし、後始末を負う人がいないのは大家や管理会社にとって災難なこと。
そうは言っても、もともと、そのリスクは想定できたはず。
故人は、連帯保証人もつけられないような高齢の生活保護受給者だったわけだから。
となると、その災難は甘受するしかなかった。


「アパート経営」「不動産運用」というと聞えはいい。
しかし、それで左団扇を扇げるのは一部の資産家のみ。
一般庶民が借金をしてアパート経営等の不動産運用をするケースをよく見かけるけど、冒険嫌いな私の目には、かなりリスキーなことのように見える。
家賃収入のほとんどは、返済と建物の維持管理費用と税金に消えてしまう。
投資した分を回収するには何年かかることか・・・その一生では賄えないかもしれない。
だから、空室をださないようにし、一定の家賃収入を確保し続けないといけない。
しかし、少子高齢化、労働人口減少の時代にあって、並みの物件では、入居者を確保するのは難しくなっている。
にも関わらず、資金力のある企業やオーナーによって、新しいアパートや綺麗なマンションはどんどん建てられている。
当然、入居者は、立地の良い物件や、築浅の物件に集まる。
同時に、立地が悪かったり古かったりする建物は敬遠されるようになる。
ちょっとしたリフォームくらいでは付加価値は増さず、当然のように家賃を下げることになる。
それでもダメな場合は、生活保護受給者等の低所得者とか、連帯保証人をつけられない独居老人とか、言葉は悪いけど“訳あり”の人を入居させる。
実際、独居の高齢者や生活保護受給者ばかりが集まっているアパートも珍しくない。
少しでも家賃収入を確保するため“空けておくよりマシ”と、多少のリスクがあることを承知でそういった孤独な人を入居させるのである。


「無縁社会」「孤立社会」
世の中でそういった言葉が囁かれるようになって久しい。
故人も、晩年は、社会との縁を結ばず、人との縁を切り、その一生を終えた。
多分、意図的にそうしたわけではなく、その時その時の選択によって、結果的にそうなったのだろうと思う。
もちろん、それが悪いわけではない。
ただ、どうしても、暗く寂しい想像が頭に浮かんだ。
同時に、私は、意図して“本人は、笑顔の想い出を胸に逝ったのかもしれない・・・”と、明るく温かな想像も巡らせた。
それが、故人に対して必要な“礼儀”“誠意” ・・・この仕事ならではの“一期一会”みたいに思えたから。

私も“友達”はいない。
人づき合いが あまり得意ではないから、これが自然の姿。
また、人と人との絆が薄らぎ、個人個人が絆を求めなくなっている時代のニーズでもあるのかもしれない。
だけど、社会に参画する一員として、一人では生きていけない人間として人との縁はある。
目に見えるところに人がおり、目に見えないところにも人がいる。
過去の想い出に人がおり、未来の想像に人がいる。
心の中には、私が必要とする人、私を必要としてくれる人、たくさんの人がいる。
仕事でもそう。
短い出会いがある。
ブログでもそう。
小さな出会いがある。
「一期一会」なんて大仰なことは言えないけど、私は、この出会いを大切に刻みたいと思っている。

最期は皆“ぼっち”・・・・・だけど“ぼっち”ではない。
人を愛しながら、人から愛されながら、人と共に生きた笑顔の想い出は、人を孤独な最期に追いやったりはしないだろうと思うのである。


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生き疲れ

2017-04-11 08:54:41 | その他
陽春の候、一年半近くかかった工事も終わり、 桜花より先に“ガードマンF氏”の姿はなくなった。
(※昨年12月7日「万歳!」 本年3月3日「努め人」参照)

私にとってF氏は、まったくのアカの他人。
日課のウォーキング中、ほんの数分の立ち話をするだけの関係。
だけど、雑談を重ねるうちに、何かが情を厚くしていった。
F氏が親と同年代だからか・・・
自分と同じく、ハードな肉体労働者だからか・・・
自分と同じく、社会の底辺に生きているからか・・・
後悔多そうな過去が自分と重なったからか・・・
生きることに苦しむ姿が自分と重なったからか・・・
・・・どことなく自分を見ているようで、自分の将来を見ているようで、とにかく、アカの他人のようには思えなくなっていた。

最後の日の三週間余前のこと、
「ここの仕事もそろそろ終わりだね・・・」
照れ臭そうに私に伝えたF氏。
「そうですよね・・・さびしくなるなぁ・・・」
その日が近いことはわかっていたものの、あらためて言われて、ややしんみりした私。
「おかげで楽しく仕事ができたよ」
F氏はそう言って笑った。
「こちらこそ!」
私も、そう言って笑顔を返した。

最初に声をかけてきたのはF氏のほうだった。
人見知りで会話を盛り上げるのが苦手な私は、他人と関わることが得意ではない。
だけど、自覚のないところに“人を恋しがる自分”がいるのか、人から声を掛けられると、結構 愛想よく応えるのが常。
仕事以外でも、知らない人と言葉を交わすことが少なくない。
このときも、立ち止まって二・三の言葉を交わした。

F氏の主な担当業務は、工事用車両が出入りする際の誘導と歩行者の警護。
ただ、車両は頻繁に出入りするわけではなければ、歩行者も多いわけではない。
八時半の朝礼の後、九時~五時の勤務時間の中では、ただ立って歩行者を見守ったり、付近を見回ったりする時間のほうが圧倒的に長かった。
だから、呑気に立ち話をしていても、F氏の仕事に支障をきたすことはなかった。

「暖かい」「暑い」「涼しい」「寒い」
「晴れそう」「曇りそう」「降りそう」
等と、始めのうちは、ほとんど季節や空模様の話ばかり。
興味はあったけど、そう親しいわけでもないから、プライベートなことを訊くのははばかられた。
しかし、顔なじみを相手にいつまでも季節や天気の話ばかりしているのは何とも不自然。
嫌がられる心配はあったけど、とりあえず歳を訊いてみた。
すると、F氏は、気分を害した様子もなく、年齢を即答。
また、それだけではなく、その他のプライベートな話もし始めた。
そして、以降、我々の話題は多岐に渡っていった。

前にも書いたとおり、歳は七十六。
身体は小さく、もっと若く見えた。
西日本の とある街の出身。
東京にでてきて商売をしたけど、うまくいかず。
それで東京の商売をたたみ、地元に近い街で再チャレンジ。
しかし、悲運なことに、これも失敗。
妻とは離婚となり、二人の息子とも離ればなれになってしまった。
そして、再び、単身で上京。
以来、孤独な生活を続けていた。
唯一の家族は犬。
離れた息子二人の名前の頭文字をとり命名した愛犬(トイプードル)と二人(一人と一匹)で生活していた。
犬は八歳で、可愛い盛り。
かなり可愛がっているようで、犬の話になると満面の笑みを浮かべた。
身体は健康そうに見えたが、大腸癌の疑いがあるそうで、精密検査を予定していた。
しかし、酒も飲みタバコも吸う。
人生の先は見えているため、控えるつもりは毛頭ないよう。
年金だけで悠々自適な暮らしが成り立てばいいのだけど、それが叶わないため警備の仕事に従事。
夏は酷暑に、冬は厳寒にさらされる仕事で、老いた身体にはかなり堪えるようだった。

「いつ死んだっていいんだ・・・」
「早く死にたいよ・・・」
口癖のように、そう言っていた。
口では冗談っぽく言いながらも、目はその本心を表しており、F氏が生きることに疲れているのは確かなようだった。
ただ、そう言われても、気の効いた言葉が思いつかない私。
その都度、切ない寂しさを覚えたけど、思いつく言葉は決まっており、
「そんなこと言ったって、まだワンちゃんがいるじゃないですか・・・」
「八歳だから、まだ平均寿命の半分くらいでしょ?」
と返し、あとは苦笑いするばかりだった。

苦労や苦悩の多い生活なのだろう。
過去に後悔もあり、先々に不安もあるのだろう。
仕事が楽じゃないのもわかる。
年金だけじゃ満足のいく暮らしができないのも知っている。
明るい人柄で自殺を図りそうな暗さはなかったけど、気にかかるものはあった。

最初は、工事現場のガードマンとただの通行人。
一時的とはいえ、それが、ちょっとした友達みたいになった。
そして、時間と共に別れのときもやってきた。
嬉しいような寂しいような・・・人の縁、出会いと別れなんてそんなものかもしれない。
だからこそ、大切にしなければならないのかもしれない。

F氏がいなくなるのを前に、私は、F氏が愛飲している芋焼酎を一升と、同じ銘柄で一つ上のランクのものを一升買った。
あと、小型犬用のドッグフードも。
そして、最後の日に会えるとはかぎらないので、その何日か前、いつもは何も持たない手にそれを持ち、私はいつものコースに歩きにでた。

F氏はいつもと同じ場所に立っていた。
そして、いつも通り、私の姿を見つけると、いつもと変わらないWelcome modeの敬礼で迎えてくれた。
そして、いつもと違う雰囲気を感じたのか、
「どうかしたの?」
と、声を掛けてきた。
「これ・・・焼酎・・・あと、ワンちゃんのおやつ・・・餞別です・・・どうぞ・・・」
私は、そう言って、それを入れた紙袋を渡した。
「え!?・・・こんなことしてもらって・・・ホント、悪いねえ・・・ありがとうございます!」
F氏は、驚きとともに恐縮しきり。
普段、私に対して敬語なんか使わないのに“ありがとうございます”なんてよそよそしい言葉を使って礼を言ってくれた。

「もしかのときには、犬は僕が預りますから・・・」
「縁起でもないこと言って申し訳ないですけど・・・例えば、入院とか・・・もちろん、そんなことにならない方がいいですけど・・・」
私は、スマホに納まる亡チビ犬の写真をF氏にみせ、そして、その想い出を話しながら連絡先のメモを渡した。
するとF氏は笑顔を浮かべ、
「そうか・・・じゃ、その時は遠慮なく連絡させてもらうよ・・・」
と、大事そうに そのメモを懐にしまった。
そして、
「これからも身体を大切に・・・どうぞお元気で・・・」
と、何とも言えない寂しさを引きずりながら その場を立ち去さろうとする私を、
「まだ何日か残ってるし、先々、追加工事もあるみたいだから、またここに来ることがあるかもよ・・・またね・・・」
と、F氏は、寂しさと照れ臭さを紛らわすように明るく手を振って見送ってくれた。

せっかく生まれてきたのに、“早く死にたい・・・”は寂しい。
せっかく生かされているのに“早く死にたい・・・”は悲しい。
私にも覚えがあるけど、自分のことを気にかけてくれる人がいたり、自分を必要としてくれる人がいたりすることは、気持ちに張りがでて嬉しいもの。
私は、F氏に、
「生きててよかった!」
「生きてりゃいいことある!」
とまではいかないにしても、
「ありがたいな・・・」
「嬉しいな・・・」
と、ささやかでも生きていることの喜びを味わってほしかった。
そして、これは、F氏だけのことではなく、私自身にも言えることだけど、“早く死にたい・・・”と思いながら生きるのではなく、生かされていることを喜びながら生きていってほしいと思った。


ブログにしつこいくらい書いてきているように、私だって、生きていることに疲れること、これから生きなけらばならないことに疲れることがよくある。
朝っぱらからクタクタだったりすることもしばしば。
それでも、とにかく身体は起こす。
以前の私は、この精神疲労と肉体疲労を混同して、とにかくグータラしていた。
昼間の眠気にもよく襲われていたため、“少しでも長く布団に入っていよう”と、仕事以外では病人のような生活を送っていた。

しかし、いくら身体を休めても心の疲れはとれない。
それどころか、倦怠感が増長される一方、鬱憤がたまる一方。
それに気づいた私は、精神疲労と肉体疲労をできるかぎり区別することに。
「疲れたら休む」から「疲れをとるために動く」という発想に切り替え、なくならない疲労感は無視して、仕事でもプライベートでも、とにかく身体を動かすことを心掛けている。
また、昼間の睡魔は改善していないけど、それでも寝坊はしない。
必要がなくても朝は早く起き、必要がなくても早く出社する。
現場にも率先して走り、率先して汗をかく。
時間があればウォーキングに出かけ、家でも立ったままTVを観ることもある。
明らかな肉体疲労なら休んだほうがいいけど、そうでないなら動いた方がいい。
仕事でも趣味でも遊びでも、自分を疲れさせる場所とは違う場所で身体を動かした方がいいと思う。
そして、いつの間にか、それについて心も動いてくるようになり、その凝りがほぐれてくるようになるのではないかと思う。
もちろん、それですべてが解決するとは思っていないし、解決しているわけでもない。
だけど、欝々とした気分でジッとしているより随分マシだと思うし、その実感もある。

F氏だってそうかもしれない。
七十代も後半になれば楽隠居もしたいだろうけど、働いて稼ぐことで車も持てるし、タバコも吸えるし、酒肴を楽しむことや可愛い犬を飼うこともできるわけで、ギリギリに切り詰めた年金生活より、多少の労苦がともなっても、経済的に余裕のある生活をしたほうが楽しいと思う。
あと、仕事というものは金銭以外にも恩恵を与えてくれるもので、仕事で身体を使うことで守られる健康があるかもしれない。
また、社会参加することで老いが跳ね返され、自分らしい自分が維持できるのかもしれない。
労働というものは、単に“キツい!!”“ツラい!”というだけのものでなく、体力や精神力の維持増進に大いに役立つものだと思う。

もちろん、F氏が、そういうことを考えていたかどうかわからない。
ただ、外見は、老いた身体に くたびれた作業着姿だったけど、その内からは、苦悩に向かう“人間の美”が滲み出ており、それが、私の日々の疲れを癒してくれていたのかもしれず、また、そのため、私は、誘われるようにF氏のもとへ歩いて行っていたのかもしれなかった。


余命にかぎりがあるのは、高齢のF氏ばかりではない。
私もそう、誰だってそう。
だから、この先、F氏と再び顔を会わせることがあるかどうかわからない。
ただ、これからしばらくの間は、ウォーキングに出る度にF氏のことを思い出すだろう。
そして、
「元気でいるかな・・・元気にやっててほしいな・・・」
と、いつもの空を見上げては、そう願うのだろうと思うのである。


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大海知らず

2017-04-06 13:30:18 | その他
桜花爛漫の候。
進学、卒業、就職、転職等々、環境や気分も新たに新生活をスタートさせた人も多いだろう。
新生活のスタートにあたっては、旧知の人との別れもあれば、新たな人との出会いもあっただろう。
いい出会いがあれば結構なことだけど、この人間社会では、そうでないことも少なくない。そこが悩ましいところ。

“人間関係”は、人の幸福感に大きな影響を及ぼし、人生を左右することもある。
人によって よい方向に導かれることもあれば、よくない方向に流されることもある。
人を好きになることもあれば、嫌いになることもある。
友人、知人、夫婦、親子、親族、上司、同僚、部下、取引先、近所・・・
パワハラ、セクハラ、いじめ、陰口、争い事・・・
歪んだ人間関係が、せっかく入った学校を去らせ、せっかく就いた仕事を辞めさせ、せっかく着いた住居を移させる事態に追い込むこともある。
逆に、良好な人間関係は、生活を楽しくさせ 人を幸せにする。
だから、人は、良好な人間関係を築くことに努め、良好な人間関係を保つことに努める。

しかし、正悪は別にして、世の中には自分とウマが合わない人・反りが合わない人がいる。
そして、イヤでもそんな人と関わらざるを得ないことがある。
プライベートだと距離を空けやすいけど、仕事の場合、そんなワガママは許されない。
関わる人を選ぶことはできず、気の合う相手とだけ付き合うなんて不可能。
不自然な作り笑いと、本音を隠した建前と、心にもない社交辞令を駆使して、ときにストレスでアップアップしながらも荒れる人波を泳いでいかなければならない。
それが、なかなか楽じゃないことなのである。



呼ばれて出向いたのは、都心の一等地、高層ビルの建設現場。
そこで労災事故が発生し、周辺を血液が汚染。
説明を聞くと、特掃をやるのは容易ではない状況のよう。
ただ、私は、その業界の人間ではないので、事前の電話だけは具体的な画を思い浮かべることができず。
電話口の人物の印象もよくないし、仕事になるのかならないのかよくわからない中で、私は少し躊躇したが、
「とりあえず、一度、見に来てよ!」
と強く求められ、それに圧されるように現地を訪問したのだった。

現場は、大手ゼネコンがJVで施工している高層オフィスビルの建築現場。
結構なセキュリティーが敷かれており、私は、事前に指示された手続きを経て、依頼者が待つ管理室へ。
そこには、電話で話した依頼者=担当責任者とその部下らしいスタッフがおり、私を迎えてくれた。
ただ、その態度に、私は、戸惑いを覚えた。
依頼を受けて、しかも無料で来たわけだから、それなりの礼をもって迎えられると思っていたのだが、それは大間違い。
ビジネスマナーに則って、私は、名乗りながら両手で名刺を差し出したのだが、責任者は面倒臭そうにポケットから名刺を出し、名も名乗らず片手で突き出してきた。
更に、足労を労う言葉も礼の言葉もなく、初対面にも関わらず、電話で話したとき以上のタメ口で一方的に事の経緯を説明。
そして、一通り話し終えると、
「じゃ、現地に行こうか! おたく、ヘルメットは!?」
と、突拍子もないことを言ってきた。

「え!?ヘルメット?」
「そう、ヘルメット・・・持ってきてないの!?」
「はぃ・・・」
「ダメじゃん!持ってこなきゃ!」
「・・・・・」
「当り前だろ!」
「・・・・・」
「しょうがねぇなぁ・・・」

法令で定められているのだろうか、こういった建築現場に入る際は、工事用のヘルメットを着用するのが当り前らしい。
そして、それは自前で用意するのがフツーらしい。
しかし、業界の人間ではない私は、そんなの知ったこっちゃない!
事前の案内があったならまだしも、それも聞いてない。
(聞いてたとしても、わざわざ用意なんてしないけど。)

責任者は、
“ヘルメットも持ってこないなんて常識のないヤツだな!”
と言わんばかりのムッとした表情で、“来客用”と書かれた自社のヘルメットを、ぶっきらぼうに私に投げよこした。
一方の私は、強い不快感を覚えつつ
“なんだ・・・来客用があるんじゃないかよ!”
と心中で文句を言い、そのヘルメットを受け取って黙って着用。
そして、
“たまにいるんだよな・・・こういう 井の中のアホ蛙 が”
と、これまた心中でボヤきながら、先を歩く責任者の後姿を鼻で笑った。

目的の現場は、ビルの何十階も上。
工事用エレベーターは使用が止められており、そこまで階段・徒歩で上がる必要があった。
外壁の代わりに足場が組み立てられ、その周囲はネットで覆われていたが、風もビュービュー吹いているし、上下左右 視界もスカスカ。
私は、責任者と部下の後をついて、手すりもない階段を一歩一歩上がった。

もともと、私は、“超”がつくほどの高所恐怖症。
螺旋状に上がる階段と外を隔てるのは一枚のネットだけ。
空も下界も丸見えの状態。
完全にビビッてしまい、足腰は、まる宙を浮いているかのように力が入らず。
私は、外の景色が視界に入らないよう視線を足元に向け、階段の最も内側を“はやく着かないかなぁ・・・”と弱音を吐きながら、ぎこちなく歩を進めた。

やっとのことで昇りきった先には、“立入禁止”のロープに囲まれた物体。
それは、仮設の工事用エレベーター。
操作を間違えたのか、乗り方が悪かったのか、はたまた機械が誤作動を起こしてしまったのか、作業員の一人が籠と枠の間に挟まれて負傷。
幸い、近くにいた別の作業員が素早くエレベーターを緊急停止させたおかげで、重傷を負ったものの命には別状なし。
そのままエレベーターが動いていたら、命を落としていたかもしれなかった。

ロープのくぐった先には多くの血痕。
しかも、横面だけに広がっているだけでなく、縦長にも拡散。
横面は普段の特殊清掃とそう変わりなく、“施工可能”と判断。
しかし、縦方向は、かなり高所での作業となり、しかも、鉄骨が幾重にも組まれた複雑な構造に血痕は飛散・付着。
特掃が困難を極めることは明らか。
私は、あちこちを見て回り、施工方法をあれこれと考えた。
が、いい案は頭に とんと浮かんでこず。
安全が確保できない作業を無理に引き受けて二次災害でも発生させたら元も子もない。
しかも、責任者の性質からみると、作業後にどんな難癖をつけられるかわからない。
結局、私は、“作業の安全を確保するのが困難”“すべての血痕をきれいに消す約束はできない”との結論を得て、“施工不能”と判断した。

私は、あえて苦悩の表情を浮かべながら、
「費用の問題ではない」
「作業の安全が確保できない」
「清掃の成果が保証できない」
「したがって、この作業は辞退させていただく」
旨を責任者に説明した。

しかし、責任者は、それをすんなりとは承諾せず。
「こっちは急いでんだよ!」
「血を拭くだけだよ!?」
「そんなに難しいことじゃないでしょ!?」
「安全帯をつければ平気だよ!」
等と強引なことを言ってきた。


すべてではないのだろうけど、私の経験したところだけで言うと、建設業界の現場って、元請会社があって下請会社があって孫請会社があって、更に、多くの“一人親方(個人事業の職人)”が集まって体を成している。
つまり、“仕事を出す側”と“仕事をもらう側”の人間がおり、“客と業者”が上位から下位に向かって相互につながったような組織となっているわけ。
したがって、縦関係は自ずとできあがる。
そのせいか、年上だろうが初対面だろうが、上位者が下位者にタメ口をきくのは当り前のよう。
私のような部外者でさえ下っぱ扱いされ、やたらと横柄な態度で接してくる。
それが、建設業界の慣習・文化なのかもしれないけど、部外者にとっては、不快以外の何物でもない。

そして、これは、あくまで想像だけど・・・
責任者に対しては、部下はもちろん、下請会社・孫請会社の作業員や職人達は、普段、ペコペコと頭を下げるのだろう。
歯向かうこともせず、逆らうこともせず、「ハイ!」以外の返事はせず、ほとんど言いなりに動くのだろう。
人に頭を下げられることに慣れ、自分に人が従うことが当り前で、謙虚さや人に諭されることの必要性を失った責任者は、相手の立場に立つ思いやりや、礼儀の感覚が麻痺してしまったのではないかと思った。


工期に悪影響がでることを怖れ、焦っていたのだろうけど、それにしても、責任者の態度はよくなかった。
顔を怒らせ、ぶっきらぼうな言い方で、
「ったく、呼んだ意味ないじゃないか!」
と、私に悪態をついた。
それでも、普段、取引のある下位業者なら辛抱せざるを得ないのだろう。
しかし、請負業者でない私は、この責任者に嫌われても痛くも痒くもない。
キレて言い返したってよかったはず。
ただ、感情のまま言い争っても何の徳もない。
後に苦味と恥を残すだけ。
そして、元来 気が弱く、争い事が嫌いな私。
“勝手なこといいやがって!”
“だったら、自分でやりゃいいだろ!”
そんな風に思いはしたけど、その言葉を飲み込み、
「ひょっとして、ケンカ売ってます!?」
と、口元だけに笑みを浮かべながら目を怒らせて、責任者の目をジーッと凝視。
そして、気マズそうに視線を泳がせはじめた責任者に借りていたヘルメットを返し その中にもらった名刺を放り込んで、憮然とその場を立ち去ったのだった。



私は、吹けば飛ぶような小さな業界で仕事をしている。
そして、極めて狭い世界で生活している。
付き合いのある人の数も少ない。
仕事の仲間や知人は何人かいるけど、“友達付き合い”している人はいない。
だから、才覚がないのは置いておいたとしても、人に偉そうにできる機会も相手もいない。
また、高い所には慣れていないから、頭も、自然と あまり高くならないようになっている。
そんな私でも、たまには人に褒められたり、煽(おだ)てられたりすることもあり、ちょっと高ぶってしまうことがある。

相手の多くは、ブログを通じて仕事を依頼してくる人。
ブログでそのように装っていることも否めないけど、“善人”“それなりの人格者”みたいに扱ってくれる。
すると、嬉しいような、気恥ずかしいような、照れ臭いような・・・そんな心持ちになる。
それだけならまだいいのだけど、調子に乗って高飛車にでてしまうことがある。
もちろん、横柄な態度にでたり偉そうにしたりするわけではないけど、くだらないことを自慢したり、目上の人に知った風なことを言ってしまったりするのだ。
聞いてる人に不快な思いをさせることを気にもせず。
結果、自分で自分の格を下げてしまい、後で自己嫌悪に陥るのである。

私は、大海を知らない井の中の蛙。
今更、大海に出られるわけもない。
仮に出られたとしても、今の泳力では溺れ沈むのがオチ。
だから、生きる世界は狭くてもいい。
多くの人と付き合えなくてもいい。
ただ、広い世界にいる多くの人を大切にすることはできなくても、この狭い世界にいる身近な人くらいは大切にしなければならないと思う。

その人の幸せのために・・・・・私自身の幸せのために。



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