特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

密室(前編)

2007-11-29 07:11:13 | Weblog
ここのところ、朝晩だけではなく日中もめっきりと冷え込むようになってきた。
「秋が深まってきた」と言うより、もう冬だ。

この季節は朝も起きるのが辛い。
「あと5分だけ・・・」を何度か繰り返して、ウジのように布団から這い出る毎朝。

特掃は一種の職人仕事みたいなものなので、基本的に朝は早い。
だいたい、7:00台には現場に向かって走ることがほとんど。
だから、それに間に合わせる起床時間もおのずと早いものとなり、当然、冬場は暗い中の起床となる。

朝の支度はいつも決まったパターン。
肝臓の弱い私は、前夜に飲み過ぎたりするとトイレに思わぬ時間を要したりするけど、ほぼ決まった時間で準備は整う。

そんな朝の日課の一つに〝ゴミ出し〟がある。
今のような季節ならまだしも、夏場はちょっと放っておいただけで、ゴミは臭ってくる。
例の激悪臭に比べれば家のゴミ臭なんて優しいものなのだか、やはり不快なものであることには違いない。
どんなモノでも腐ると悪臭を放つからね。

こんな仕事をしていても、意外に?きれい好きでわりと几帳面な?性格の私は、暗くて寒い朝でもゴミ出しは欠かさない。
いつも、決められた方法できちんと分別し決められた日にきちんと出している。


不動産管理会社から、消臭・害虫駆除の問い合わせがあった。
いつもの癖で、私の頭は、誰かが亡くなったことを思い起こしたが、電話口の担当者はその類のことは微塵も疑ってないようだった。

現場は公営団地の一室。
年配の女性が独居。
そして、その部屋から異臭が発生。
ただ、誰も中に入ってないたも、具体的な中の状況は掴めていないようだった。
とにかく、近隣から悪臭・害虫のクレームが多発してきたため、管理会社も腰を上げざるを得なくなったのだった。

「異臭の原因はその家に間違いなさそうなのですが、何のニオイかがはっきりしなくて・・・」
「悪臭にも色んな種類がありますからね」
「とにかく、急いで消臭と害虫駆除をお願いしたいのですが・・・」
「そのためにも、まずは何のニオイかを特定することと、部屋の状況を確認する必要がありますね」
「はい・・・」
「しかし、今もそこにお住まいになってるんですよね?」
「ええ・・・」
「人が住んでいる以上は、勝手にやる訳にはいかないんじゃないですか?」
「そうですよね・・・」
「住んでいる方の了承はとれているんですか?」
「いや、それが・・・」
「強引にやって何か問題が起こっても、うちでは責任を負えませんよ」
「でも、このままでは、近所の人達が黙ってないはずで・・・」
「難しいお立場ですね」
「そうなんです・・・何かいい方法はないですかねぇ・・・」

管理会社は、この問題に打つ手がなくて困っていた。
現場を訪問しても、女性はインターフォン越に応答してくるだけで、決して玄関を開けることはないらしかった。
強制的に玄関を開けさせる権限はないのに、快適な住環境を維持する義務は負う管理会社の苦境は気の毒なものであったが、私が無責任に介入できるものでもなかった。

「あのー・・・現地に来ていただいて、ニオイを確認していただく訳にはいきませんか?」
「は?私がですか?」
「ええ、専門の方に確認してもらった方がいいと思いまして」
「ま、確かに、皆さんがわからないニオイが私にはわかるケースはありますけどね」
「ダメですか?」
「ニオイの原因が特定できなくても責任は問わないということでしたら、伺いますよ」
「もちろん!〝ダメもと〟で構いません!よろしくお願いします」

私は頭には、腐乱死体に対する疑念が膨らんでいた。
「異臭⇔腐乱死体」という思考パターンが脳内に固定されている私には、それが自然な考え方だった。
しかし、確証がないのに人の死を口にするのは軽率に思えたので、担当者に余計なことは言わないでおいた。

「腐乱死体のニオイだったら、即、警察に通報だな」
通常の現地調査業務とは趣を異にした仕事に、ちょっとした緊張感を覚えながら電話を終えた。


現場訪問の日。
私は、小さな不安と大きな野次馬根性を抱えて現場に出向いた。
担当者も約束通りに現れ、お互いに挨拶を交わした。

「お忙しいところスイマセン」
「いえいえ、これも仕事ですから」
「部屋の中は見れないと思いますけど、よろしくお願いします」
「とりあえず調べてみますけど、あまり期待しないで下さいね」

私達は、早速、建物の中に入った。
比較的新しい建物で、公営とはいえ民間のマンションに近い造りだった。
集合ポストの前にさしかかると、いくつものポストの中にある一つの不自然なポストに目が向いた。
中には郵便物がギュウギュウに詰まり、入りきらない物が口からハミ出していた。
そして、その下には段ボール箱が置いてあり、そこにも大量の郵便物がたまっていた。

「これ、○号室(現場)のポストですか?」
「そうです、スゴイでしょ?」
「この様子だと、部屋の中も荒れている可能性が大きいですね」
「ですかね・・・」
「残念ながら・・・」

表情を曇らせる担当者と私は、ポストを横に流しエレベーターに乗り込んだ。
そして、目的の階に降り立ち、共用廊下を現地に向かって進んだ。

「ここです」
ある部屋の前で担当者は立ち止まった。
長い間、ほとんど掃除がなされていなかったであろう玄関回りは明らかに他の部屋とはちがっており、あまり生活感も感じられなかった。
そして、確かに不快な異臭が辺りに漂っていた。

「このニオイですかぁ・・・」
腐乱死体がある可能性を勝手に考えていた私は、心臓をドキドキさせながらニオイを吟味した。

「う゛ーん、嗅いだことのあるニオイだけど、もっと濃く嗅がないとハッキリしないなぁ・・・」
頼りにされて来たからには適当に流すわけにもいかなかったので、私は、浅い憶測でニオイの元を判断するのは控えて慎重にいくことにした。

「もっと正確にニオイが嗅げないものかな・・・」
鼻をクンクンさせながら辺りを見回すと、絶好の収臭ポイントが目についた。
それは、玄関のドアポスト。
横長の差し入れ口を押し開ければ空気は部屋と直結。
私は、そこに鼻を近づけて中の空気を嗅いでみることを思いついたのだった。

担当者がインターフォンを押している間に、私はドアポストの口を押し開けて鼻を近づけた。
そして、不用意に息を吸い込んだ。

「スー・・・ゴホッ!ゴホッ!こ、このニオイは・・・」

つづく







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大黒柱

2007-11-25 09:28:28 | Weblog
〝大黒柱〟とは、日本民家の中央に立てられている太い柱のことだが、今では、家族を支える中心人物を表す言葉として用いられることの方が多いと思う。
〝一家の大黒柱〟と言うと一家の経済的な支柱、つまり、一般的にはその家の世帯主・夫・父親を指すのだろう。
ただ、現実には、女性が一家の大黒柱になっているケースや、一本の大黒柱ではなく何本かの柱で支えられている家も少なくないだろうが。

人は、老若男女を問わず、この世での限界を迎えることが定められている。
それは、一家の大黒柱でも同じこと。
家族のうちの誰が亡くなっても一家は揺らぐけど、中でも、大黒柱が急に亡くなってしまったら一家の人生・生活は急激な変化を強いられることになる。
そして、そんな現実がたくさんあり、そんな家族を目の当たりにすると、人生の無常と人の命のはかなさを痛切に感じるのである。


故人は50代の男性。
訪問した家は、郊外の閑静な住宅街に建っていた。
立派な一戸建で、見た目もきれいだった。
築年も浅そうで、家の中は新鮮な建材のニオイに包まれていた。
しかし、それに合わない線香の煙が、家の雰囲気を一気に暗くしていた。

故人は、バリバリのビジネスマンで、仕事と家庭を両立して充実した日々を送っていた。
普通に家族をもち普通の家で普通に暮らしていた。
家庭にも仕事にも大きな問題はなく、平凡ながら幸せに暮らしていたようだった。

ある日の夜。
故人は、いつものように家族揃って夕飯を食べた。
その後、子供達は自室に、妻は用事があって二階に上がった。
一人で一階リビングに残った故人は、テレビを観ながらビールを飲んでいた。
妻が二階に上がっていた時間は、ほんの20~30分。
その後、用事を済ませた妻が一階リビングに降りてみると、本人はソファーで横になっていた。
妻は、夫が疲れて寝てしまったものと思い、そのままにしておいた。

夜も更け、寝ている夫を起こして寝室に行かせようとしたところで、妻は異変を感じた。
夫の身体は力を失い、妻が揺らす手に一切抵抗しなかった。
そして、掛ける声にも全く反応せず。
妻は、夫が息をしていないことに気づいたのだった。


故人は40代の男性。
郊外に広大な農園をもつ専業農家。
家は、広い敷地の一角に建てられた大きな純和風建築で、高い屋根に立派な瓦、広い玄関からは長い縁側が続いていた。
広々とした庭はきれいに造園されていた。

この家は代々の農家。
広大な耕作地を所有して、地道に仕事を続けていたらしかった。
自営農業は、サラリーマンに比べて悠悠自適に暮らせるように思われがちだが実際は違う。
ビジネスマンとは質の違うリスクとストレスがある。

近代農業では、かなりの領域に人間の力を及ぼすことができるようになっているとは言え、それでもまだまだ天候や自然の影響は大きい。
自分の努力だけではどうにもできないことも多いく、結局のとけろ、豊作も凶作も陽と水に任せるしかない。
それでも、朝早くから夜遅くまで、季節によっては休む間もないくらいに作業に追われる。
朝早くから夜遅くまで満員電車に揺られるビジネスマンと共通したものがあるかもしれない。

そんな故人は、休みの日に妻子を連れて街に出掛けた。
仕事柄、家族で出掛けることは滅多になかったので、子供達も楽しみにしていたレジャーだった。

向かったのはサッカースタジアム。
サッカーが好きな子供達とスポーツ観戦に出掛けたのだった。

試合は盛り上がり、子供達が喜ぶ姿に故人も高揚。
そんな最中、突然、故人は泡を吹いて卒倒。
救急車で運ばれたものの、そのまま逝ってしまった。


ある日突然に大黒柱を失った家族の将来は、普通にはなかなか楽観視できない。
そしてまた、これはどこの家族にも起こる可能性があること。

命は金に代えられないけど、備えがあれば憂いも少なくできる。
現実には、お金が大黒柱のピンチヒッターを務めてくれる。

大きな問題は住居。
幸いなことに、上記の二家族には家は残ったが、一般的には家計経費に対する家賃は大きいため、残された妻子にとって住居の確保は大きな負担となる。
場合によっては、家族は路頭に迷うことになるかもしれない。

だから、家族があるなら住宅は賃貸より自己所有の方がいい。
昨今の住宅ローンは、ローン契約者が死亡したら残りのローンが免除される保険への加入が義務づけられているらしいので、何かのときには安心。
だから、保険付きの住宅ローンで住居を自己所有していれば、大黒柱が亡くなっても家は何とかキープできるという訳だ。

あとの問題は、日々の生活費。
一家の大黒柱となると、ほとんどの人が生命保険に入っていると思う。
支払金額は多ければ多いほどいいに決まっているのだが、その支払い方には工夫が必要だと思う。

金は人を変える。
一度に大金を手にさせると、その人の人生を狂わせる可能性が大きい。

回りの人間の態度も変わり、金目当てに妙な入れ知恵をしてくる者がでてくるかもしれない。
家族のことを想って入っていた生命保険が、結果的に家族のためにならないということだって有り得る。

そんな実例もいくつか見てきた。
だったら、どうすればいいのだろうか。

どちらにしろ、生命保険に加入しておく必要はあるのだが、更に、保険金の支払方法を工夫しておけば家族の人生を狂わすリスクを低減できる。
私的には、死亡保険金が一度に支払われるものではなく、何年にも渡って月々支払われる生活支援型の保険がいいと思う。
これなら、生活費の一部として堅実に消費できるし、家計の支えにもなる。
また、巨額のお金が残された人を惑わせることもなく、比較的、安全に家族を守ることができる。

保険加入の必要性は、独身者にも共通して言えること。
誰かに財産を残す必要はなくとも、自分が死んだ後の始末にかかる費用くらいは残しておきたいもの。
他人であろうが身内であろうが、残された誰かに自分の後始末をやってもらわなければならないのは間違いのないことだから。


ま、どちらにしろ、住宅を手に入れるにも保険に加入するにも、ある程度の元手と信用が要る。
それらを得るには、堅実に働くしかない。

生きているうちに愉快に楽しくやるのもいいかもしれないけど、後のことを考えておくとも大事。
「今が楽しけりゃ、それでいい!」
「自分が満足できれば、他人はどうでもいい!」
「自分が死んだ後のことなんか知ったこっちゃない!」
これも尊重すべき価値観なのかもしれないけど、この考え方は、死ぬまでは保たないのではないだろうか。
いずれ、それでは済まないときがくる・・・思考とは真逆の現実が襲ってくる。

今を生きていくことが精一杯で、死んだ後のことを考える余裕なんか持てない世の中だけど、その辺に人生を充実させるためのヒントがあるような気がする。

誰もが、今の今、突然に逝ってしまう可能性を秘めて生きているのだから。








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日々の糧

2007-11-21 06:58:22 | Weblog
私は、小学生の頃、〝小池さん〟のラーメンに憧れていた。
アノ人がいつも食べていた、あのラーメンにだ。

小池さんが私の前に現れるのは、いつも夕刻。
それは、夕食前でちょうどお腹が空いている時間帯だった。
そして、そんな私の目の前で、小池さんは笑顔でラーメンをすすっていた。
その姿に、幼い私は羨望の眼差しを注いでいたものだった。

彼のラーメンはインスタント。
カップラーメンではなく袋麺。
それをオーソドックスなデザインの丼に入れ、ヤカンのお湯を注いで蓋をし待つことしばし。
すると、いつも美味しそうなラーメンができあがった。

「あのラーメンの正体は何なんだろう・・・」
私は、小さな脳ミソをフル回転させて考えた。
それに該当するのは某社の某ラーメンしか思いつかなかった私は、そのラーメンを手に入れてつくってみた。
小池さんの作り方を思い出しながら慎重に。
そして、小さな胸をワクワクと膨らませながら、定められた時間を待った。

「ん?・・・」
一口食べた私は、予想外の違和感を覚えた。
残念なことに、その食感も味も私の期待を大きく下回っていたのだった。

「いや!こんなはずはない!」
私は、何かが納得できず、それからも諦めずに何度もそのラーメンをつくった。
コンソメや胡椒を入れたり具を加えたりと、小池さんの定石を外れた作り方も試みた。
しかし、どうつくっても、私の舌を満足させるものはできなかった。
そして、いつの間にかその挑戦をやめたのだった。


今、スーパーのインスタント食品コーナーに行くと、膨大な数のインスタントラーメンが並べられている。
色んなパッケージに色んな味、それぞれに個性があり、どれも人の食欲をそそるように工夫されている。
そこには、各メーカーの戦略と商魂、本物を越えようとする情熱がある。

その成果だろう、最近の商品はスゴそうなのが多い。
下手をすると、その辺のラーメン店に勝るインスタントもあるかもしれない。
そうは言っても、小池さんのラーメンに匹敵するものは・・・多分ないだろうね。

私は、店のラーメンは好んでよく食べるのだが、インスタントラーメンはほとんど食べない。
小学生~高校生くらいの頃は頻繁に食べていたのだか、大人になるにしたがって食べる量も回数も減ってきた。
そして、30歳を越してからはほとんど口にしなくなっている。
思い出すと、確か・・・最後に食べたのは6~7年前になると思う。

別に、インスタントラーメンが嫌いなわけではない。
どちらかと言うと、好きな食べ物だ。
お湯を注ぐだけで一杯のラーメンができあがる・・・しかも、美味しく。
これを作り出した人達の情熱を思うと舌だけでなく心にも感動を覚える。

ただ、歳を重ねていくにしたがって、私の頭には〝インスタントラーメンは身体(健康)に悪い〟という観念が占めるようになってきたのだ。
いつ・どこでそういう知識(先入観?)を持ったのか憶えていないけど、それが原因でインスタントラーメンと疎遠になり、今に至っている。

どちらにしろ、私は、普段から身体に悪いモノをたくさん摂取しているはず。
インスタントラーメンばかりを気にして食べないのは愚行かも。
汚れた空気・農薬・化学肥料・化学飼糧・食品添加物・・・今は、身体に害のないものしか食べないようとすると飢え死にしてしまうかもしれない。

何はともあれ、毎日の食事を当り前にとることができていることには感謝感激。
糧を得る仕事があること、食べ物があること、食べられる健康があること、どれをとってもありがたいことだ。

幸いなことに、私の場合、今まで生きてきて「何を食べようかな」と悩むことはあっても、「何か食べられるかな」と不安を抱えたことはない。
下流社会を構成する一人であっても、毎日の食事にはありつけている。
毎日三食、食べていけていることに毎日感謝しなければいけないと思う。

その一方、日本社会には食べ物が捨てるほどにあるのに、その陰で餓死する人がいるのも現実。
ごく少数とは言え、餓死は発展途上国や貧しい国だけのことではなく、現代の日本にも起こっていることなのだ。

特掃でもそんな現場に遭遇することがある。
私もコノ仕事は長いので、死因にいちいち驚くことはなくなっているけど、「餓死」と聞くとちょっとした衝撃を受ける。
そんな現場には、言葉では表せない寒々しさと寂しい雰囲気があり、故人の慎ましい生活を思い起こさせる。


その現場は、古い1Kアパート。
亡くなったのは中年男性。
死因は、とりあえずの心不全。
倒れていたのは台所。
発見が早かったことと気温の低い季節だったことが不幸中の幸いで、特段の汚染痕もなく異臭もかすかに感じる程度にとどまっていた。

部屋にある家財・生活用品は必要最低限のものしかなく、それも古びたものばかり。
ハンガーにかかる何社もの作業着が、故人の苦戦を物語っていた。

関係者の話を聞くと、故人はお金に困っていたらしかった。
仕事も収入もずっと不安定、家賃や水道光熱費を滞納することもしばしば。
人柄は悪くなかったものの、その暮らしぶりはいつも切迫状態。
まともに食べていけていたのかどうか、回りの人も疑問に思っていたようだった。

「故人はここに倒れていたのか・・・床は冷たかったろうな・・・世間はもっと冷たかったのかもな」
台所にしゃがみこみ、何もない床をマジマジと眺めながら感慨にふけった。

次に、辺りを見回すと、台所の隅に何段も重ねられた段ボール箱を発見。
中身はインスタントラーメン。
激安価格の値札が貼られていた。
ついでに、ゴミ袋を見てみると、ほとんどがラーメンのゴミ。
そこからは、故人が、インスタントラーメンを主食にしていたことが伺えた。
もっと言うと、「好きで食べていた」というより「仕方なく食べていた」可能性が濃厚だった。

〝栄養失調による餓死〟なんて短絡的に考えてはいけないけど、私の頭にはどうしてもそれが過ぎった。


食べていくにはお金が要る。
お金を手に入れるためには仕事が要る。
こんな仕事でも、それがあるお陰で、私は生活の糧を得ることができ、生きていくことができている。

しかし、本来は、特掃なんか必要のない社会であればいいはず。
非現実的だけど、やはり、孤独死も自殺も事故も腐乱もない社会が望ましいだろう。

「仮にそうだったら、俺の人生も随分と違ったものになっていただろうな」
私は、そんな空想を馳せ、「フッ」と苦い笑みをこぼした。
そしてまた、日々の糧に感謝する気持ちを新たにするのだった。








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人殺し

2007-11-17 16:30:31 | Weblog
それは、ある日の夜のことだった。
「大至急!」
とのことで、私はその前に抱えていた現場を急いで終わらせて、その現場に急行した。

現場は閑静な住宅街に建つ賃貸マンション。
私を呼んだのは不動産管理会社の担当者。
先に電話で話していたこともあって、私達は挨拶もそこそこに本題に移った。

「まいりましたよ!こんなことされちゃって!」担当者は、怒りのぶつける相手を見つけたかのように私に向かってそう吠えた。

「よりによってコレですよ!コレ!」
担当者は、手の平を喉元に当てて顔を顰めた。

そのジェスチャーに愛想笑いの一つでも浮かべて頷けばよかったのかもしれないけど、予め自殺現場と分かっていた私は、黙ったまま返事をしなかった。
ただ、そんな私の心境にはお構いなしで、担当者は次々と質問を投げ掛けてきた。
どうも、こんな仕事を専業にしている私に興味を覚えたようだった。

「誰かがやってくれなきゃ困るとは言え、大変なお仕事ですね」
「まぁ・・・よく言われます」
「身体に着いたニオイはとれるものなんですか?」
「ユニフォームは普通に洗濯すれば大丈夫ですし、身体は風呂に入ればOKですよ」
「へぇ~、それはそうとしても、精神的にダメージを受けることはないですか?」
「精神的ダメージ?」
「ええ、私もこの現場でかなり気が重くなってますからね・・・貴方の場合は一件や二件じゃないじゃないですか」
「はぁ・・・なくはないですけど・・・その中身を説明するのは難しいですね・・・複雑すぎて」
「やっぱ、自殺だと違いますか?」
「ん゛ー、〝自殺だからどうこう〟というものじゃないんですよねぇ・・・」
「ふぅ~ん、そんなもんですかぁ」
「まぁ、生きてくことが決して楽なことじゃないことは、どの現場でも共通して感じますね」


〝仕事を通じて受ける精神的ダメージ〟・・・
やはり、それはあると思う。
自覚できるだけじゃなく、自覚できていないものも含めて。
そして、それは私の中に長期間に渡って複雑に入り込んでいるため、一種の麻痺状態を生み出しているのかも・・・だから、この仕事を長くやれているのかもしれない。

基本的に、特掃現場はどこも重い。
肉体的な作業は軽くても、人が死んだことには変わりないから。
しかし、そのことを後々まで重く引きずるようなことはない。

「あんな現場もあったな」「こんな故人もいたな」等と、ただの思い出として記憶に残っていることはあるけど、それが私の人生の足を引っ張ったり何かのトラウマになっているようなことはない。
そもそも、そんなタイプの人間だったら、この仕事はやってないしできないだろう。

だからと言って、
「俺は強い男・タフな人間」
と言っているわけではない。
むしろ、その逆。
弱い人間だから〝精神ダメージ〟をうまく消化できるのだ。

強い人間だったら真正面から対峙しようとする。
そして疲労する。時には負ける。
しかし、私のような弱い人間は、よく噛まないまま丸呑みしてしまう。
さすがに避けることはできないから、自分に正直に自然体で受ける。
そうして、自分なりに消化する。
単なる冷酷さやビジネスライクなスタンスを越えた温乾なポジションがあるのだ。


「死にたいヤツは死ねばいい」
若かったかつての私は、そんな風に考えていた。
自分の命・自分の人生は自分が決めていいものと思っていた。
しかし、現場経験を重ねてくるうちに、その考えは少しずつ変わっていった。

「人に迷惑をかけなければ、自殺は本人の自由」
残された人々を見ているうちに、私はそんな風に思うようになっていった。
本blogにも何度となく書いているけど、自殺・腐乱の後に残された人は悲惨。
事は事後処理だけにとどまらず、その人の人生そのものを破壊することもあるから。

では、今現在はどうか。
「自殺は、自分を殺すこと」
「自殺は人を殺すこと」
「自殺は残された人の人生も破壊する」
「つまり、自殺はある種の人殺し」
そう考えるようになっている。
〝人殺し〟と聞けば誰でもすぐさま嫌悪感を覚えるだろう。

では、何故、人は人を殺してはいけないのだろうか。
法律で決められているから?
しかし、死刑や戦争は合法。
命は一つしかないから?
単なる希少価値か。代わりの人間はいくらでもいる。
人の嫌がることはしてはいけないから?
人が嫌がることをすることなんて、日常的に横行している。

また、人の頭の中で起こることも興味深い。

「アイツさえいなければなぁ」
「アノ人がいなくなってくれたら清々するのにな」
「あんなヤツは死んでしまえばいいんだ」
なんて事を考えた経験を持つ人は多いと思う。
それは、頭の中で行われる一種の殺人。

誰にもウマの合う人と合わない人がいるのは自然なこと。
肌の合わない相手とはあまり関わりたくないもの。
しかし、社会を構成する一員としては、嫌いな人とでも苦手な人とでも付き合っていかなければならない。
すると、そのストレスを中和するために、人は頭の中で殺人を犯すようになる。
それは、実行を伴わないから罪悪感もなく、至極自然な思考として人の中に潜在する。

そんなことをずっと考えていると、人が人を殺してはいけない真の理由がわからなくなってくる。
「人を殺してはいけない」という価値観・思考は先天的に存在する本能なのか、後天的に植え付けられた教育なのか。
ただ、その明確な理由がわからずに私は迷想するばかりだった。

そんな変態的?な私は、この歳まで来てやっとその答に巡り会った。
何故、人殺しがいけないことなのか・・・
その答はシンプルながら、私にとっては絶対的なものだった。
(それについては、ここでは省略しておこう。)
私は、その答を得てから、自殺に対する考え方が変わった。

極論かもしれないけど、自殺は人殺しと同じこと。
そして、やってはいけないことなのだ。
今の私はそういう結論に達している。


私も、深い虚無感に襲われたり重い疲労感を背負ったりしながら生きている。
生きていることそのものを空しく面倒臭く思ってしまうことも頻繁にある。
夜中、浅い眠りから何度も覚醒して、
「このまま朝が来なくてもいいな」
「ずーっと眠ったままでいたいな」
なんてことを思うのはほとんど毎日。
しかし、生きることは権利ではなく義務。
死ぬこともまたしかり。生死に自分の自由と権利があると思ったら大間違い。

言葉が変だけど、「人は、生きているかぎりは生きなければならない」のだ。
いつか来る終わりの日まで。


大丈夫!
いつかきっと死ねるから。









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立って半畳・寝て六畳(後編)

2007-11-13 17:47:05 | Weblog
顔の表情からその中の感情を推察するのは難しい。
この現場に現れた大家の男性は、怒ったような表情をしていたが、実際はどうだかわからなかった。
とにかく、固い表情のまま私達に話し始めた。

このアパートは昭和30年代に建てられたもの。
当初の入居者は若い人ばかり、夢を持った学生や若い独身者で活気に溢れていた。
しかし、築年数が古くなるに従って、入居してくる年齢層も上昇。
近年は老人ホームにでもなったかのように、どの部屋も独居老人ばかりになった。
初老だった故人もそんな時期に入居してきた一人。
近隣ともうまく付き合い家賃もきちんと払っていた故人は、大家の心象もよかった。
それからしばらくの時が流れ、アパートは次第に空室が目立つようになってきた。
しかし、大家は、新たに入居者を募集することもなく、アパートを取り壊す算段を始めた。
そんな中で、故人は最後の住人になった。
そして、アパートは、故人が退去し次第に取り壊されることに決まった。

「今回は、こんなことになって・・・いい人だったのにねぇ・・・」
「・・・」
「このアパートは近いうちに取り壊すつもりなんで、念入りな掃除は必要ないですよ」
「はい・・・」
「中の家財を出してくれるだけでいいですから」「・・・」
「○○さん(故人)は几帳面そうな人だったから、部屋もそんなに散らかってはいないでしょ?」
大家の男性は、最後の一人(故人)がこういうかたちで退去することになるなんて夢にも思ってなかったらしく、寂しそうでもあり感慨深げでもあった。

通常なら、大言・小言を伴いながら原状回復まで求められても仕方のないところなのに、男性からはその類の要求は一切く、その厚意に女性は恐縮しきりの様子。
私の方は、親切心が滲みでている男性の言葉に耳を和ませていた。

男性は、中がゴミだらけになっていることはもちろん、人間が腐乱するとどうなるかも全くわかっていない様子だった。
それらを知ったら、どんなに大らかな人でも、そんな悠長なことは言ってられないだろう。
そんな男性に対し、私は、本当の事を言おうか言うまいか迷った。
嘘の報告をするのはよくないし・・・かと言って女性の立場も配慮しなければならないし・・・
私は、頭で迷いながら沈黙するしかなかった。

「私にも部屋を見せてもらっていいですか?」
私達が黙っていると、男性は急にそう言いだした。
これには私も動揺。
同じく、女性の顔は強張った。
美しき誤解をしている男性が汚部屋を見たらマズイことが起こりそうな予感がしたのだ。
悪臭パンチにTKOされるか汚部屋にKOされるか・・・どちらにしろ、男性が普通の状態で戻って来れないであろうことは目に見えていた。

「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい・・・」
「は?」
「ね、念のための消毒剤を撒いてきたばかりなんで、こ、このマスクがないと入れないです」
私は、首にブラ下げた専用マスクを大袈裟に見せて、男性の説得を試みた。

「はぁ・・・そうですか・・・」
「部屋を見るのは片付けが終わってからにしたらどうですか?」
「そうですね・・・ま、あまり費用がかからないように良心的にやってあげて下さいね」
「はい、大丈夫です」
「では、あとはよろしく」
男性は、部屋を見ることをすんなり諦めて、現場を離れていった。
女性は男性の後ろ姿にお辞儀をしたた後、私にも頭を下げてくれた。

「大家さんもああ言ってくれてますし、大事に至らずに済みそうでよかったですね」
「はい・・・でも、何だか申し訳ない気もします」
「掃除をきっちりやれば大丈夫だと思いますよ」
「そうですかね・・・」
私は、自分の経験をもとに、現役のアパートで同様のことが起こったらかなり恐ろしいことになることを熱く語った。
この状況を〝幸い〟と考えていいものかどうか・・・女性は複雑な心境を表情にだしながら私の話を聞いていた。


女性と打ち合わせた結果、部屋は一日も早く片付けることになった。
「大家さんに申し訳ない」と言う、女性の要望だった。

私は、それを受けて作業に着手。
まず最初は、一番危険な汚染物を梱包。
故人が倒れていたところには、ゴミに隠れるように汚腐団が敷かれていた。

「うあ゛ッ!お゛も゛ーっ(重い)!」
腐敗液をタップリ吸った汚腐団は、敷布団一枚とってみても優に30kgは超えていた。
それを持ち上げて畳む作業は、なかなかのコツが要る。
特に、身体につかないようにうまく梱包するには絶妙のバランス感覚が必要なのだ。

汚腐団の始末を終えると、次は、床に山積するゴミの梱包をスタート。
部屋中央の汚染箇所から円を描くように外側に向かってゴミを片付けていった。
しばらく進めていくと、待望の床が見えてきた。

今風に言うと床はフローリング、実のところはベニヤ合板の洋間だった。
汚染箇所に近いところのゴミには、当然のように故人の腐敗液が浸透。
その全てがチョコレート色にベタベタで、キャラメル色にテカテカ。

「こりゃ、思ったより酷そうだぞ!」
部屋のどの部分のゴミを上げても、床に近い下層部分は腐敗液に侵されていた。

「死後相当の時間が経ってたはずだな」
ほとんどのゴミを引き上げてみて唖然!
結局、腐敗液は六畳の床面のほとんどに広がり、集めたゴミのほとんどがそれに汚染されていたのだった。

人体が腐ると液化することは百も承知。
床がフローリングの場合は、それが横に広がることもわかっていた。
しかし、部屋の全面にまで達しているなんて、かなり深刻な状態だった。
人間が溶けて部屋中に広がる・・・
普通に生きてたら、そんなこと知ることはない。
一般の人は知る必要もないし、知りたくもないはず。
想像すらできないだろう。
しかし、現実に起こり得るもの。
生きているうちは広い家に憧れるけど、最期は一畳ぐらいで充分だとつくづく思う。


部屋を完全に片付けるには、何日かの時間を要した。
原状回復には程遠いものの、女性が立ち入れるレベル・大家の男性に見せられるレベルまで戻せたことが幸いだった。

「このアパートには、たくさんの思い出がありますよ・・・多くの人が暮らしていきましたからね」
「○○さん(故人)は私と同い年だったんですよ・・・最後の住人もいなくなったし、私の夢もそろそろ終わりでしょうかね」
「私も棺桶に片足を入れる歳になりました・・・最期は畳の上で逝きたいものですな」
ニオイの残る部屋で呟く男性の言葉は、私の心にジンワリと滲み込んできて、仕事と生きる疲れを癒してくれるのだった。







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立って半畳・寝て六畳(前編)

2007-11-09 16:35:10 | Weblog
「亡くなってから、そんなに時間は経ってなかったみたいですけど・・・」
依頼者の中年女性は、奥歯にモノが挟まったように話した。
そして、誰かに言い訳でもするかのように、プライベートな事情を話し始めた。
私は、何を尋ねる訳でもなく、受話器に向かって返事を繰り返すだけだった。

亡くなったのは、女性の父親。
故人は、長年に渡って独り暮しをしていた。
男の一人所帯で、しかも高齢の故人が不便な暮らしを強いられていたであろうことは容易に想像できた。
そしてまた、女性は、そんな父親をいつまでも放っておいたことに、後ろめたさを感じているようだった。

親が年老いたとはいえ、子が同居としなければならないものではないと思う。
現に、高齢者の独り暮しは珍しいことではない。
また、親子の間柄であっても、特段の用がないかぎりは連絡をとり合わないことも普通だろう。
そんな生活を続けていたって、〝子として薄情〟ということにはならないと思う。
そして、一般的な意識は、生活や身体のことばかりに向かって、孤独死の危険性・可能性にまでは及ばない。
だから、独居者の孤独死は誰のせいでもなく、天変地異に似た不可抗力的なものかもしれず、残された者が責められるべきことではないような気がする。


現場は賃貸アパート。
車通りから細い路地を入った先が、依頼者から教わった番地エリアだった。
私は元来、聞いた番地から現場の家屋を探し当てるのは得意なのだが、そのエリアは同じ地番の建物が何棟もあって、なかなか見つけることができなかった。

「ひょっとして、この奥かなぁ」
私は、迷路のような路地に足を踏み入れた。

「これじゃ、救急車や消防車は入って来れないな」
そこは、車はもちろん、バイクや自転車さえも通れないような狭さだった。

「これか?」
先に老朽アパートを発見。
建てられてから相当の年数が経っているらしく、外観はボロボロ。
建物には番地プレートも表札もなく、人が暮らしているような気配も皆無。
その寂れぶりは薄気味悪さを通り越して不気味なくらいだった。

「現場の部屋は二階だよな」
今にも崩れ落ちそうな錆びた階段を上がると、鼻が例のニオイを感じた。

「こりゃ、かなりイッてそうだな」
玄関に近づくにつれそのニオイは濃厚になっていき、鼻から脳に回った腐乱臭は、頭の中に凄惨な光景を想像させた。

「とりあえず、依頼者を待つとするか」
依頼者の女性と待ち合わせるべく、私は、表通りにUターン。
そこで、約束の時間になるのを待った。


流れていく車や人をボーッと眺めていると、自分だけが別世界に分離されているような錯覚にとらわれた。

〝死〟なんてどこ吹く風。
「この人達は、すぐそば人が死んで腐乱していたことなんて知らないだろうな・・・」
「〝自分の死・人の死〟になんか、興味もないんだろうな・・・」
「この群衆にあって、俺だけは半分死の世界にいるのかもな」
そんなことを考えると、自分が死人の世界に片足を突っ込んだ人間のように思えたのだった。


依頼者の女性は、約束の時間を大幅に遅れて現れた。
父親を孤独死・腐乱させたことに対する自責の念か、世間体を気にしてかわからなかったが、醸し出す雰囲気はやたらと暗かった。
そんな女性の気持ちを察した私は、挨拶もそこそこに目的の部屋に向かった。

「ちょっと待って下さい」
二階に上がったところで、後ろをついて来ていた女性の足が止まった。
漂っている腐乱臭にやられたらしく、「もう一歩も進めない」と言いたげな苦悶の表情を浮かべていた。

「無理しない方がいいですよ・・・離れたところで待ってて下さい」
私は、女性から部屋の鍵を預かり、一人で部屋に向かった。
それから、玄関の前で足を止めると、両手に手袋を着け、首にブラ下げたマスクを顔にあてた。

「あ゛~ぁ」
ドアを開けると目には広大なゴミ野が飛び込んできた。
床はほとんど見えていない状態で、空中には無数の小蝿が舞い飛んでいた。
目に入りそうなくらいの至近距離で飛び回る彼等を手で掃いながら、私は、薄暗い部屋を進んだ。

「こりゃまたヒドイなぁ」
故人は部屋の中央で亡くなっていたのだが、その汚染よりも回りのゴミの方がインパクトあった。
そして、自分がそれを片付ける様を想像すると、ちょっとした緊張感が走った。

中の見分を一通り終え元のところに戻ると、女性は落ち着かない様子で待っていた。

「言葉が悪くて申し訳ないんですけど、中はかなり酷い状態です」
「そうですか・・・」
「亡くなられてた痕だけじゃなく、部屋一面がゴミだらけで、かなり不衛生な状態で・・・」
「・・・」
「私が大袈裟なことを言ってると思われても困るので、少しだけでも中をご覧になりますか?」
「いえ・・・」
「道路付も悪いですし、これを片付けるのはちょっと大変だと思います」
「でも、このままというわけには・・・」
「それはそうですね」
「はい・・・」

女性とそんな話をしていたところ、私達の方へ歩いてくる年配の男性がいた。
その姿を見た女性は、顔を引きつらせながら男性に向かって頭を下げた。

現れたのはアパートの大家。
今回の件に憤っているのか、男性は眉間にシワをよせて表情を固くしていた。

「雲行きが怪しくなってきたか?・・・話がこじれなきゃいいけどなぁ」
こういうケースでは、〝遺族vs大家〟はなかなか円満にはいかない。
他の現場で、その間に挟まれて苦労したことが何度となくある。
ここでもプライバシーに関することや込み入った話もありそうだったし、余計なとばっちりを受けるのもイヤだったので、私は、男性と女性との会話から距離をあけるために後退りした。
しかし、男性はそんな私を放っておいてくれなかった。

「貴方にも言っておきたいことがある」
男性は、逃げ腰の私に向かって会話に加わるよう促してきたのだった。

つづく









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秋の夜長に

2007-11-05 06:56:04 | Weblog
11月に入り、秋もめっきりと深まってきた。
気づけば、身の回りの樹々も色づき、道端には赤黄の落葉が舞っている。
その風情は、寂しくもあり心を癒してくれるものでもある。
特に、夕暮れ時には、その趣を一段と濃くする。
秋の夕暮れに、ホッとするものを感じるのは私だけではないだろう。

「この季節がずっと続けばいいのに・・・」
なんて、ついつい思ってしまうけど、春夏秋冬が巡るからこそ一つ一つの季節に味わいが生まれるというもの。
それを覚えると、夏の暑さも冬の寒さも少しは楽しめる。

また、季節の移り変わりは、時の経過をハッキリと感じさせてくれる。
そして、そのはかなさも。
春:桜、夏:花火、秋:紅葉、冬:雪・・・どれもはかない・・・しかし、どれも美しい。
そのはかなさが美しさを増す。
人の命もまたそうなのだろうと思う。

この世にいる時間って、ホントに短い。
自分が生まれる前の時間、死んだ後の時間を考えると、それはよく分かる。
(〝時間〟の概念・定義はさておき)
人生は、過ぎる前は長く、過ぎてしまえば短いものなのだ。

季節が変わる度に、自分がまた一つ歳をとったことを覚え、
「俺は、あと何回この季節を迎えるんだろうな」
と、しみじみ考える。
そして、一年後にもまた同じ季節を迎えられる保証なんてどこにもないのに、次の季節を思い描く。

有限の人生を知りつつも、今を大切に生きることは難しい。
目の前の現実に、命は忘却される。
このところの私もいまいち調子が上がらない。
夏の激務からは解放されたものの、ガタついた心と身体のメンテナンスができないでいるのだ。
精神面は、暗い方向へダウンしていく一方。
身体面では、両手の指と腰・背中の痛みを引きずったまま。
春を迎える頃には、何とか改善されているだろうか・・・。

仕事柄か自分の性質か、ON.OFFをうまく使い分けられない私。
そんな生活に追われていると身体の疲れは蓄積され心は飢え渇く。
そして、その解決をアルコールに求める。

この頃は、気温が低下するに従って、飲む主役がビール・チューハイから例のにごり酒にバトンタッチされてきている。
酒では、自分を一時的にごまかすことぐらいしかできないことは分かっているのに・・・
結局のところ、それで得られるのは資源ゴミと翌朝の不快感くらい。
心の渇きは癒えるどころか、外気の湿度に合わせるかのように乾いていくばかり。
私は、そんなことを繰り返しながら、満たされない今をもがいている。


そんな秋は、人生の終わりを映し出しているようでもあり、それを考えるに相応しい季節かもしれない。

「人は、死んだらどうなるんだろう」
「幽霊っているんだろうか」
酔いが回ってくると、そんなことを考える。
そんな難題を私のような凡人が考えたところで、答を導きだせるわけもないが。

霊感がない私は、当然のごとく、霊を見たり感じたりすることはない。
臨死体験や幽体離脱体験もない。金縛りも。
あることと言えば、寝ていて脚がつったことがあるくらい(これがまた痛いんだよね!)。

「人は、何のために生まれてくるのだろうか」
「人は、何のために生きているのだろうか」
「人は、どうして死ななければならないのだろうか」
その答は、色んな宗教・哲学が導きだし、今も誰かが模索し続けているだろう。

しかし、
「人生は、楽しんでなんぼのもん!」
「そんな余計なことを考える必要はない!」
「現実逃避!そういうことは弱い人間の考えること!」
そう考える人も多いかもしれない。

それはそうとして、私は〝死=無〟だとは思いたくないクチ。
ただ、死んだ経験がないので、死後のことについて説得力をもって具体的に説明することはできない。


死体業を始めてしばらくした頃、「霊感がある」と自称する二人の女性と知り合いになった。
一人は、〝霊が見える〟人。
一人は、〝見えないけど感じる〟人。
共に、私より20近く年上で、若い私に色々な話を聞かせてくれた。
特に、〝見える方〟の女性の話はなかなか面白く、私も興味本位でをその話に聞き入っていた。

女性は、どこにいても頻繁に霊の姿が目に入ってくるらしく、それに慣れるまで大変だったとのこと。
私が一緒にいるときでも、時々小さな悲鳴をあげていた。

「キャッ!」
「え!?何かありました?」
「今ね、そこの歩道橋から人が首を吊った姿が見えたの・・・」

「ワッ!」
「また何か見えたんですか?」
「そこのガードレールに老人の姿が見えたの・・・」

終始、そんな具合。
極めつけは、私自身のこと。

「霊がついてるわよ」
と、ある時その女性に言われたことがあった。

「なんのこっちゃ?」
心の中で冷笑しながらも、彼女が気分を悪くしないように表情は真剣さをキープしたまま話を聞いた。

「で、どんな霊がついてるんです?」
「んーっとね・・・年配の男性みたいね」
「年配の男?・・・心当たりがあり過ぎて、見当もつきませんよ」
「お父さんじゃない?」
「親父はまだ生きてますけど・・・」
「あ、そぉ・・・」
「顔が似てるんで、お父さんかと思ったけど・・・」
「ちなみに、僕は母親似なんですよね」
「そぉ・・・」
「霊の正体は誰だかわからないんですか?」
「ん゛ー・・・わからない・・・ごめんね」
「イヤ、別にいいんですけど・・・気にしませんから」

女性は嘘をついている様子はなく、真剣そのもの。
虚言・悪意や悪戯心は微塵も感じず、やはり、女性には霊とやらが実際に見えているとしか思えなかった。

老若男女・有名無名、そのレベルを問わず、「霊感がある」「霊が見える」と言う人は少なくない。
中には眉唾者も混ざっていると思うけど、その大半の人には本当に見えて(感じて)いるのだろうと思う。

しかし、ここに注意が必要。
見えているモノの正体を見極めることが必要だと思う。
霊だって所詮は元人間なわけで、物理的な身体を失ったからといって、その本質が変わるとは思えない。
本音と建前があるかもしれないし、二枚舌を使うかもしれない。
善意もあれば悪意もあるかも。
また、生きた人間を左右する力があるとは限らない。
したがって、霊をやたらと高く崇める(過剰に恐れる)ことには違和感を覚える。

焦点を当てるべきは、死んだ人の霊ではなく生きた人間の本性ではないだろうか。
霊を見るのも人間、霊を語るのも人間、そして霊を媒介するのも人間。
そして、人間は、善も悪も兼ね潜ませる嬉しくも悲しい生き物だから。

とにもかくにも、私は霊感を持ち合わせていなくてよかった。
そんなものがあったら仕事がやりにくくなるだろうし、私は、生きている人間相手でいっぱいいっぱいだから。
あと、一人で静かに過ごしたい時に、招かざるお客が来ても困るしね。


静かな秋の夜長。
どこからか、たまに聞こえてくる物音にビクッとしつつ、晩酌をチビチビと楽しんでいる私である。








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一線(後編)

2007-11-01 10:16:10 | Weblog
腐乱死体現場の片付けをするのに、何か特別な資格や技能が要るわけではない。
国や自治体の許可がいるわけでもなく、遺族が自らの手でやっても何ら問題はない。

他人の手を借りれば借りるほどお金はかかる。
逆に、できるかぎりのことは自分達でやれば、その分費用は安くなるわけだから、この女性も、単にそうすればいいだけのことだったのかもしれない。
しかし、女性の苦悩を聞いた私は、そう簡単には突き放せなくなっていた。
そしてまた、父親宅の汚腐呂を泣きながら掃除する女性の姿を想像してしまい、いたたまれない気持ちになった。


「特掃って、やらされてできるような仕事じゃないな」
人間汚物と格闘していると、頻繁にそんな思いが頭を過ぎる。

私の場合は、人の指示では頭と体が素直に動かないし動こうとしない。
その目的が何であれ、どこかしらに自らの固い意志がないと勤まらない。
カッコいい言い方をすると、使命感・責任感・・・厳密に言うと切迫感かもしれないけど、まぁ、そんな類のものが必要。
決して好きでやってる仕事ではないけれど、自分が自分に率先していかないとやれない仕事なのである。

これは、なにも仕事に限った事ではないと思う。何事に対しても、自分の意志・自分の責任によって動かないと、気持ちが自分に甘える。
人の指示・人の責任でやると、気持ちが折れやすい。
しかし、甘えても折れても、結局は自分がその責任を負うことになる。
どんなにごまかそうとしたって、生きる責任・人生の責任は自分にしか負えないものだからね。


自然死による腐乱現場は、誰の責任でもない。
誰が悪いわけでもない。
本人だって、死にたくて死んだ訳でもなく、腐りたくて腐った訳でもない。
もちろん、「誰かに迷惑をかけてやろう」なんて悪意もないはず。
しかし、悪意がなければ全てが許されるわけではなく、突き詰めれば「健康管理をキチンとしていなかった故人が悪い」と言えなくもない。
しかし、死んだ本人は責任のとりようがない。
すると、必然的に、本来は責任のないはずの残された人が、その後始末をしなければならなくなる。

逃げ道を失った依頼者の中には、
「死にたいのはこっちだ」
と、途方に暮れる人も少なくない。
この時の女性もそうで、先の見えない会話を続けるうちに女性の心細い心中が伝わってきて、私の同情心はグラグラと揺らいでいた。

「お風呂を掃除して、中の荷物を出せば大丈夫でしょうか」
「いや・・・見た目にはきれいにできるはずですけど、ニオイが残ります」
「ニオイですか・・・」「シミが残る場合もあります」
「シミ・・・」
「あとは、気持ちの問題も大きいですよね」
「はぁ・・・」
「大家さんは、内装リフォーム・・・少なくとも、浴室一式の入れ替えは求めてくると思いますよ」
「ええ!?そこまで!?」
「言葉が悪くて申し訳ありませんけど、普通の人は気持ち悪がりますからね」
「・・・」
「そのままでは次の借り手はつかないと思いますよ」
「そうか・・・」

部屋を原状回復するには内装工事まで必要になる可能性が高いこと、それに伴って相当の費用がかかることを伝えると、次第に女性は言葉数を少なくしていった。

そうこうしているうちに一時間余が経過・・・

〝ピーポ・ピーポ・ピーポ・・・〟
突然、携帯電話から何かの警告音が聞こえてきた。
液晶を見ると〝バッテリー容量不足〟の表示。

「す・すいません・・・バッテリーがなくなりそうで、もうすぐ切れると思います」
「あ!長電話して申し訳ありませんでした」
「少し冷静に考えて、また何かお役に立てそうなことがあったらご連絡下さい」
「わかりました」
「変なところからはお金を借りないで下さいね・・・値引でも分割払いでも、協力できるところは協力しますので」
「ありがとうございます」

話の途中で電池切れしては後味が悪いので、私は急いで話を閉じて電話を切った。
私には、重圧からの解放感と中途半端な残悔感があった。

「できるかぎり応えたからいいだろう」
「何かあればまた電話があるはずだし」
私は、暗くなった気分を振り切るように携帯電話を充電コードにつないだ。


過去に何度か記しているように、私は自分と金のために仕事をしている。
ボランティア精神の欠片くらいはあるのかもしれないけど、基本的に利己主義者。
誰かの役に立ったり誰かに喜んでもらったりできているのは、ただの結果。
残念ながら、私の志が起因していることではない。

しかし、そんな私でも妙な使命感が働いて、料金を考えずに+αの仕事をすることはよくある。
現場に行くと、お金にならないことを承知で何かをすることもある。
しかし、最初からタダ仕事をするつもりで現場に出向くことはない。
相手が気の毒な状況にあっても、私には〝無料奉仕〟の概念はないのだ。


「結局、どうしたんだろうな・・・」
翌日も、そのまた翌日も女性から電話がかかってくることはなかった。

その後数日、女性のことが気になりつつも、私には、自分から電話するほどの親切心はなかった。
気の毒ではあったが、助け船を出す優しさはなかった。
女性は、藁をも掴むような気持ちで相談を持ち掛けてきたのかもしれないのに、結局、私は動かなかった。


これは仕事。
生きるための仕事。
だから、金にならないことはやらない。
困った人を助けることは大事だと思うけど・・・。

人の死を取り扱う仕事だからか、その辺に一線を引くことには中の葛藤と外の批判が伴う。
生きていくためとは言え、人の死を金儲けの手段にしていることの難題を抱え、その都度ブルーな気分を引きづりながらこれからも仕事をしていくのだろう。


それは誰も指示しないこと。
やるもやらないも自らの意志。
・・・私は、〝無料奉仕〟という一線を未だに越えられない冷たい男なのである。






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