特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

善と悪の間で

2024-07-19 05:35:20 | 自殺腐乱死体
自殺した女性が腐乱死体で発見された。
もちろん、私には自殺の動機は不明。
独り暮しだった故人の自宅は賃貸マンション、その玄関で首を吊ったらしい。
身寄りはないらしく、賃貸契約の保証人も有料の保証会社が請け負っていた。
依頼者である大家は、保証会社の対応に不満を漏らしていた。
このままだと、大家と保証会社の間でトラブルが発生するのは明白だった。

汚染は玄関と外の共有部分のみ。
ウジ・ハエも玄関フロアのみ。
女性らしい雰囲気の部屋はきれいに片付いており、独身女性の部屋に免疫のない私は勝手に入ることに気が引けるくらいだった。
しかし、片付けるうちに故人が私と同年であること分かって、急に気持ち悪くなってきた。
我ながら勝手なものだ。
女性には失礼な偏見になるかもしれないけど、男性の自殺より女性の自殺の方が何だか気持ち悪い。
私が遭遇してきた自殺体・自殺現場は圧倒的に女性の方が少ないから免疫がないのだろうか。
それとも、世俗に伝わる怪談の影響だろうか、その理由は自分でもハッキリしない。
とにかく、女性の方、申し訳ない。
ちなみに、動物の場合は犬よりも猫の方が気持ち悪い。

玄関で首を吊るケースにはたまに遭遇する。
「なんで玄関で?」
故人が死に場所を玄関にした理由を考えた。
例によって全くの主観的想像だけど、三つの理由を思いついた。
一つ目は、できるだけ早く発見してもらうため。
二つ目は、部屋を汚さないため。
三つ目は、ドア上の金具が紐を吊るのに適していたため。
これが当たっていたとしたら、ちょっとせつない。
死んでからも醜態を晒したくない・・・腐乱死体にはなりたくなかったのか、それとも部屋を汚して大家に迷惑を掛けたくなかったのか。
もちろん、その真意を知ることはできなかったが、現場の様相から故人の何らかの考え(配慮)を感じた。
しかし、残念なことに故人は腐乱し一通り周囲を汚していた。

自分と年齢が同じであること、身寄りがいない孤独な身の上であること、きれいに片付いた部屋に人柄を感じたこと・・・それが私の気持ちを微妙に動かした。
明らかに、故人への同情心が働いたのが自分でも分かった。

故人も家主も保証会社も、事が大きくなるのは避けたいはず。
そして、現場がきれいなら無闇に事が大きくなるのを防ぐことができるはず。
と言うことは、事の大小は私の清掃作業の仕上がりにかかっていると言うこと。

私は偽善だろうが何だろうが、とにかく黙々と玄関を掃除した。
玄関ドアから流れ出た腐敗液も擦り洗った。
目に見えにくい人の脂と腐敗臭はそう簡単に除去できるものではない。
いつもだったら、時間の経過に任せるところを、この現場では人為的に行った。
通常だと一日仕事の作業を、二日がかりで念入りにやった。

我ながら、その仕上がりは満足のいくものだった。
現場確認に気がすすまなそうな大家を呼んで来て、半強制的に現場を見せた。
気味が悪過ぎて汚染現場を見ていない大家は、汚染の痕が見えない現場に少し驚いていた。

私は、家主から現場のBefore.Afterを写真に撮っておくように依頼されていた。
約束なので一応は撮影しておいたが、きれいになった現場を見た大家にはて写真の必要性がなくなってきていた。
私も「妙なものが写っていたらマズイですからねぇ」と意味深なことを言って、大家の判断を確定させた。

「ここの汚染は軽いものだった」「あとは通常の空室リフォームとハウスクリーニングで充分」
そう伝えた私は、要らなくなったカメラを捨てた。

私は常に偽善と悪を併せ持っている。
表立って他人から非難されることがない代わりに、自分が偽善者であることは自分が一番よく知っている。
仮に偽善者と罵られても、腹も立たないだろう。
自分にも充分その自覚があるから。
では、善悪の判断基準はどこにあるのだろうか。偽善と真善はどこで区切られるのだろうか。
善悪の知恵はどこから来ているのだろうか。
そんなことを昔から考えている。でも、今だに答はない。

私は、この故人に対して偽善的であったか。
私の行動はただの自己満足か。
それがジャッジできるのはアノ世の故人だけかもしれない。

足りない頭で難しいことを考えるのも限界がある。
人生とは、ひたすら善と悪の間で格闘しなきゃいけないものかもしれないね。
疲れたら、居酒屋にでも行って気分転換をしよう。
やっぱ、身体の外側には消毒用エタノール、内側には飲用アルコールが欠かせないね。


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忠犬

2024-07-18 08:09:05 | 動物死骸特殊清掃
「なんだか臭い」「でも、何の匂いだか分からない」「見に来てほしい」
そんな電話が入った。
依頼者は中年女性。
その口調から、死体がらみの案件ではないことがすぐ分かった。
話を聞くと、ただの消臭依頼だった。
特掃部には、たまにこんな依頼や相談も入ってくる。
どんな問い合わせにもキチンと応対するが、電話だけで片付くケースも当たり前のようにある。
できるだけ詳細な状況を聞き、できるだけ適切なアドバイスをするように心掛けている。
お金にはならないけど、これも大事な仕事だ。
それでもラチがあかない場合は出動となる。

この案件も電話アドバイスだけでは片付かなかったので、現場まで出向いた。
豪邸とまではいかなかったけど、そこそこ大きな家で築年数も浅かった。
依頼者一家は、主の仕事の都合で二年間海外に行っていたらしい。
社会的地位が高いことを自負しているようだった。
依頼者は世間話をしたくてウズウズしており、消臭作業に関係ない自慢話を延々と聞かされそうになった。
他人の自慢話を聞くのが苦手な私は、依頼者が脱線させる話を元に戻すということを繰り返しながら、状況を把握した。

聞くところによると、二年の海外暮らしから久し振りに帰った我が家の中は既に悪臭が充満していたとのこと。
家を空けている間、管理業者に庭の手入れと窓開け・空気の入れ替えを依頼していたらしかった。
しかし、その業者が契約を誠実に履行していたかどうかは怪しいものだった。

窓を開けて風を通したり、市販の消臭剤を多用したりすると一時的に悪臭は緩和されるが、またしばらくすると匂ってくるらしかった。
この状態はよくあるパターン。

私はまず、悪臭の根源を特定する必要があった。
肝心の臭いは、程度は軽いものの人間の腐乱臭に似ていた。
仮にも人間の腐敗臭だったら問題が大きいので、確信(責任)が持てるまでは具体的なコメントは控えておいた。

そして、匂いの元を犬のように鼻を動かしながら探した。
部屋の中にはそれらしきモノは見当たらない。外も同様。
どうも床下が怪しかった。
「床下に白骨死体でもあったら・・・」
そう思ったら急に動悸がしはじめた。

床下を見たかったが、どうやって見ればいいのか分からなかった。
外に出て床下に入れそうな所を探した。
通気口が何箇所があったが、とても私が通れる大きさではなかった。
ただ、その通気口から漂う悪臭は部屋の中より濃いもので、匂いの根源が床下にあることはほぼ特定できた。

さて、次はどうやって床下に潜るか。
幸いなことに、家人が長期不在だったために和室の畳は上げられたままになっており、依頼者の承諾をとって床板の一部を剥がした。
そして、首だけ床下に入れて懐中電灯で周辺を照らしてみた。
可能性は低いながらも「死体があるかも・・・」と思ったら、おのずと緊張してきた。
しかし、そこからは悪臭源らしきモノは何も見えなかった。
それどころか、コンクリートでできた床下基礎部分は間取りに合わせて仕切られており、一箇所から全体を見渡すことは不可能だった。
「やっぱ、潜んないとダメか」
全く気が進まなかったけど、暗くて狭くて臭い床下に潜るハメになってしまった私。

※作業手順の説明が続いて話がつまらなくなってきたのでこの辺でショートカットする。

私はリビングの床下に動物の死骸を発見した。
その大きさと骨格から、犬らしいことが分かった。
とりあえず人間じゃなくて、ちょっと緊張が緩んだ。
ただ、外で見ると大したことなさそうな死骸でも暗くて狭い床下で見るとかなり不気味だった。とっくに腐乱してウジもたかっていたし。

どこかの犬が床下で死んでいることを知った依頼者はとても迷惑そうな顔になり、すぐに清掃を依頼してきた。

骨を拾い、コンクリートに広がった毛と肉を削り・・・何とか清掃作業を完了させた私は「何かの手掛かりになれば」と、ビニール袋に入れた汚れた首輪を依頼者に見せた。
気味悪そうに眺める依頼者。
少しして、その表情が変わった。
依頼者は、何度もその首輪を確認し驚嘆した。
それは、海外赴任の前に飼っていた犬の首輪らしかった。

買うと高いブランド犬だったらしく、夫の海外赴任が決まってからペットショップに引き取ってもらったらしい。
しかし、そのペットショップがこの犬の面倒をキチンとみたかどうか、こうなってみたら怪しいものだった。

元飼犬が何故、自宅の床下で死んでいるのか全く見当もつかない様子の依頼者。
ペットショップに引き渡して以降のことも関知していないらしかった。
これはこれで、「結構冷たいなぁ」と思った私。
新しい飼主に捨てられたのか脱走したのか分からないけど、どちらにしろ、その犬がこの家に戻って死んだことには変わりはなかった。

犬は何を思ってこの家に戻って来たのだろうか(ただの帰省本能って野暮なことは言いっこなし)。
そして、何故死ぬまでここに居続けたのだろうか。
そんな事を考えると、私は手に持った汚物袋を撫でてやりたくなった。
依頼者も何か思うところがあったのか急に物静かになり、最後も丁重に私を見送ってくれた。

人間は誰(何)かを裏切れる生き物。
犬は裏切ることを知らない生き物。
「三日の恩は三年忘れない」と聞いたことがある。
一体、どっちがまっとうな生き物か。

安っぽいノーブランド人間だけど、少しは私もまっとうに生きてみたいものである。

街を徘徊する野良犬、道端に転がる轢死体が、今日も何かを訴え掛けている。


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同じ空の下で

2024-07-17 06:48:40 | その他
昨日までグズついていた東京の空は、今日は快晴!
また夏の猛暑が戻ってきた。
夏は特掃業務にとっては過酷な季節だが、青い空を見上げると気持ちに涼風が通る。

読者からの書き込みを非公開にしてから一ヶ月余りが経った。
それ以前に比べれば書き込み件数が明らかに減っているが、私の気分に余計な波風が立つこともなくなり、ブログも落ち着いて書けるようになっている。
そして、書き込んでくれる人自体も変わってきているように思う。
今でも色んな意見や感想があるものの、冷静に読むことができている。

あの当時は、「スルーすればいい」という類のアドバイスをたくさんもらったが、私の性格ではアレが限界だった。
我ながら、器量不足も感じているが、どうにもならない。
私はこの性格で三十数年生きてきたので、今更、大きなモデルチェンジもできないのだろう。「人間ってそんなもんだ」と開き直っている。
そして、何事もスルーできるような性格だったら、もともとこんな人生を歩いてないかもしれない。

書き込みの非公開については色々な意見がある。
「非公開の方が書き込みやすい」等、現在の書き込みには非公開に賛成する意見が多い。
ただ、公開を望む声もある。
そんな読者には申し訳ない気持ちがある。
また、公開を好む人は書き込むこと自体をやめている可能性が高いので、一概に非公開が歓迎されているとも思っていない。

しかし、今はまだ書き込みを公開する予定はない。
公開しても、いずれまた荒れてくるだろうから。
やたらと気の短い金色の蝿がでてこなくなったのは少し寂しい気もするけど、現場業務が過激な分、それ以外の時は平穏にいきたい今日この頃である。

「ブログのアップくらいは自分でやれ」「たまには休んだら?」という類の書き込みも少なくない。確かにそうかもしれない。
ただ、私の本職はデスクワークではなくデスワーク。
机に向かってカチャカチャやるのはかなり苦手、しかも決まった時間に机に向かえる仕事ではない。
そんな私は、ブログを携帯電話を使って小刻みに打つことも多い。
誤字が多いときは、携帯電話で打ったと思って間違いない。
あと、管理人との二人三脚はブログ運営に限ったことではなく、その相乗効果は多岐に渡っているので、今後もこの体制を変えるつもりはない。
私も意固地になって毎日更新している訳でもないので、これからは適当に休むかもしれない。

「怖くない?」「ストレスは?」という類の書き込みがある。
死体に「怖い」という感情を持ったことはほとんどない。
「気持ち悪い」はたくさんあるけど。
人は、死体を何故そんなに怖がるのだろうか。

死体は、私を裏切ったり傷つけたりしない。
死体は、私を困らせたり悲しませたりしない。
死体は、私に生きることを考えさせてくれる。
死体は、私に死ぬことを考えさせてくれる。
そして、死体は私に生きるヒントを与えてくれる。

こんなにいい死体を、何でみんな嫌うのだろう。
みんなも、いつかは死体になるのに。

死体を怖がる理由をよくよく考えてみると、ハッキリした理由を挙げられない人が多いような気がする。
考えてみると面白いかも。

ストレスはある。人並みにあると思う。
日々のストレスから人生のストレスまで。
物欲では決して満たされない何かがある。
詳細を書くとただの愚痴になるので省略するけど、こんな仕事をやっているからって人並み以上に精神力が強いとか神経がズ太い等といったことはない。全然。

私は、ネガティブシンキングが大得意!マイナス面に神経質!
障害に果敢に挑んだり、物事を楽観的に考えたりすることが不得意!
不平不満や愚痴を吐くことも日常茶飯事!
できるだけ、腹に溜め込まないようにしている・・イヤ、溜め込む器量がない!
そんな私は、これといったストレス解消法は持っていない。
辛くて苦しいときは「永遠にこの苦しみが続くことはない」と考えて自分を鼓舞する。
それでも、片付かないものは片付かないし、処理できないものもある。
でも、それでいいと思っている。
それが生きている証、生きることの宿命、そして「生きる」ということかもしれないから。

今日もみんな同じ空の下で生かされている。
このブログを通じて、色々な読者との触れ合いがある。
何の因果か、この世に生かされているうちは、共に泣いて笑って過ごしていこう。
ね、皆さん。


トラックバック 2006/08/10 11:38:51投稿分より


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思いやり

2024-07-15 08:03:43 | 自殺 事故 片づけ
特掃業務の自殺現場には、事前に自殺と知らされる現場と知らされない現場とがある。

どんな現場に対しても一定のスタンスで臨む私だが、自殺と自然死とでは若干その気持ちが違うかもしれない。
しかし、どんな現場でも気持ちがほぼ一定に保てる自分が頼もしくも思え、かつ冷酷にも思えてしまい複雑な心境がする。
また、私は現場の第一印象を率直にコメントすることが多い。
失礼な発言に聞こえるかもしれないけど、特掃現場ではだいだい「これはヒドイですねぇ」が第一声となる。
だって、本当にそうだから。
何年やっても何件やっても、「ヒドイなぁ」と腐乱現場に抱く感情は変わらない。

自殺と知らされないで出向いた現場。
新聞紙で覆われた汚染箇所がやけに狭いうえ、それに面した壁が縦長に汚れていた。
「妙な汚れ方だなぁ・・首吊りか?」と思いながら汚染箇所の真上を見上げた。
ロープを掛けたであろうフックや釘を探したがその類は見当たらなかった。
しかし、よく見ると柱に真新しい穴が何箇所かあった。
警察がそこまでやる訳ないから、遺族の誰かがこっそり釘を抜いたのだろう。
「首吊りはほぼ間違いないな」と内心で断定したものの、「それを遺族に問い正して何の意味があろうか」と自問自答。
遺族には隠しておきたい事情があるのだろうから、私も知らぬフリで仕事をするのみだった。

遺族は自殺がバレることを恐れているようにも見えた。
気持ちは分からないでもない。
ただでさえ世間から嫌悪される腐乱死体。
それでも、自殺と自然死では世間の冷ややかさが違う。

賃貸家屋の場合は家主・近隣住民に対する責任も変わってくる。
つまり、社会からの視線と社会への責任が変わってくると言うこと。
当然、バツの悪い自殺より自然死の方がまだマシと言うことになる。
「この柱の穴を大家は黙って見過ごすかなぁ」
作業を終えてからロープを吊っていたであろう釘の痕を見上げ、今後のことに思いを巡らせていたら、遺族が私に声を掛けてきた。
自殺を打ち明けるかどうするか迷っているみたいだった。
私の行動を見て、明らかに気付かれていることが分かったのだろう。
でも、話したくなければ話す必要はない。
私にそれを探る権利はないし、聞く器量もない。
「お気づきだと思いますが・・・」と言いにくそうに話しはじめた遺族の言葉を私は遮った。
「内装リフォームもできますから、よかったら見積らせて下さい」と。
こんな時はビジネスライクなくらいが調度いい。
それが私流の、ささやかな思いやり。
「バッチリきれいにする自信はありますから、大家さんとだけはキチンと打ち合わせして下さいね」
暗に「大家は敵に回さない方がいい」と言いたかった私。
気持ちが通じたのか?遺族はかすかに微笑んだように見えた。
その後の内装リフォームが、きれいに仕上がったことは言うまでもない。


自殺だと知らされて出向いた現場。
部屋全体に汚染が広がり、それは凄惨な現場だった。
始めに手首を切ったが死にきれず、とどめに首を切ったらしい。
多分、首からは大量の血しぶきが吹き出したのだろう、床一面には腐敗液と腐敗脂が広がり、壁には血痕が飛び散っていた。
「随分と思い切った手段にでたもんだな」と思いながら汚染箇所の多さと広さに閉口、その汚染度は深刻なものだった。

遺族は、現場の凄惨さと精神的ダメージでダウン寸前、とても中には入れない様子。
双方が同時に現場確認をすることは、私が施工契約・施工責任を果たすうえで非常に重要なことなのだが、凄惨な腐乱現場を前にそれが叶わない遺族も少なくない。
この遺族もそうだった。
無理矢理にでも中を確認させでもしたら、失神していたかもしれない。
また、大家や近隣住民に対してもどう対処すればいいのか分からず、心も身体も衰弱しきっていた。

そして、深刻な面持ちで作業手順を考える私に、遺族が申し訳なさそうに謝った。
深刻な現場で深刻そうな顔をするのは好ましくはないのに、現場の酷さについつい本心を顔にだしてしまった私。
うかつだった。

遺族は、見積に合った金額を支払うとはいえ、身内のやったことの始末を、しかも見るもおぞましい現場の片付けを他人の私にやらせることに何かしらの後ろめたさを感じるのだろう。
他の現場でも同様の遺族が多い。
こんな遺族と接する私は、恐縮する前にとても気の毒に思う。
こんな時は少々笑って話すくらいが調度いい。
それが私流の、ささやかな思いやり。
「自殺でも自然死でも、腐乱していても私には関係ないですよ!私は死体屋ですから」
暗に「ドンマイ!ドンマイ!」と言いたかった私。
気持ちが通じたのか?遺族は、かすかに安堵の表情を浮かべたように見えた。

それ以降、内装リフォームを完成させるまでのしばらくの間、この遺族と関わりを持ち続けることになった。
抱えた問題を一つ一つ片付けていく度に、一日一日と時間が過ぎていく度に元気を取り戻していく遺族に、私も少しは役に立てたような気がして明るい気持ちになった。

「自殺した故人は、わずかでも残される人に思いやりを持ってほしかった」
「逆に、故人に対しての思いやりが足りていれば自殺なんかしなかったのかも」
凄惨な現場と悲壮な遺族を見る度に思うことである。


トラックバック 2006/08/09 10:47:33投稿分より
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ホスピタル

2024-07-14 07:47:38 | 遺体搬送
この仕事は、夜中に電話が鳴ることもある。
寝ていても、まるでずっと起きていたかのように電話に出ることができる特技が身についた。
一年を通じても夜中の出動は少ないのだが、何故だか続くときは続いてしまう。
昼間は昼間で仕事があり寝ていられる訳じゃないので、あまり続くとキツイ!
そんな日々が続く中で夜中に電話が鳴ると「冗談?」と思ってしまう。
正直なところ、ありがた迷惑に思ってしまう時もある。

遺体搬送業務の服装は、特掃業務とは違ってスーツ姿(喪服ではない)。
したがって、身だしなみを整えるのに少々の時間を要する。
しかし、病院へのお迎えは一分一秒を争うことが多いので、モタモタしてはいられない。
「だったら、スーツを着たまま寝てりゃいいだろ」と思わないでもらいたい。
それじゃ眠れないから。
電話を切ったらテキパキと身支度を整えて出発する。

同じ建物なのに、夜中の病院は昼間の様相とは異なる。
抽象的な表現になるけど、昼間は生を感じさせ夜は死を感じさせる。
もちろん、病院から死人が出るのは夜に限ったことではないが。
シーンと静まり返る夜中の病院には、人の死を感じさせる独特の雰囲気がある。

大きな病院だと夜勤の医師・看護士、警備員の姿があり、適当に明かりもあるので緊張することも少ないが、小さな病院だと人の気配もなく、非常灯が緑色に光っているだけなので妙な緊張感がある。
インターフォンを押しても誰も出て来ないところは、人を探して回らなければならない。
そんな時は、入院患者に迷惑を掛けないよう、できるだけ物音を立てないように歩く。
もちろん、「こんばんはー!」等と大きな声もだせない。
自分の靴の音ばかりが響く中で、とにかく人を探す。

そんな小さな病院には、キチンとした霊安室がないことがある。
または、亡くなって間もないので、わざわざ霊安室に移動しないで病室から直接搬出することがある。
個室ならまだしも、相部屋だと何となく気まずい思いをする。悪いことをしに行って訳でもないのに。
死人がいないところには出てこない私、死人がいるところにだけ出てくる私は、これから病気を治して元気になろうという人(他の患者)にとっては死神みたいなものかもしれない。もしくは、縁起でもない奴?招かざる客?
したがって、作業はできるだけ短時間にシンプルに済ませるように心掛ける。遺族の心情に配慮することとのバランスを図りながら。

遺体は、ある中年男性。
体格のいい身体には濃い黄疸がでていた。
医学に素人の私は、「黄疸=肝臓病etc」→「肝臓病=肝癌・肝硬変・肝炎etc」→「肝炎=ウィルス性肝炎etc」と判断することにしている。
玄人から見ると非科学的かもしれないけど、私の場合、遺体衛生は悪い方に考えて備えるようにしている。その方が自分のリスクは低減できるから。
したがって、この黄疸男性を触るときも手袋を着用した。
外見や死因、感染の危険度に関わらず、私はどんな遺体でも最初に素手で触ることはない。
つまり、最初に触るときは、どの遺体でも手袋を着用するということ。

やりにくいのは、看護士も遺族も手袋を着用していない時。
遺体のことは看護士や遺族がよく知っているだろうから、私だけ手袋を着ける必要もないのだろうが、そこは一線引いているドライな私。
ただ、遺族の心象を害さないために、使う手袋と態度にもそれなりの工夫をしている。

この黄疸遺体の場合は、看護士も遺族も素手だった。
ただ、看護士は遺体に指一本触れることはなかった。
どこの病院にも共通して、私は遺体に対する看護士の態度や行動にはかなり注意している。
やはり、遺族や看護士が近寄らない遺体は不気味。

ちょっと注釈。
おおむね40代以上の人達はC型肝炎ウィルスに感染していてもおかしくないらしく、関係機関では検査を奨励しているそう。
40代以上というのは、学校の各種予防接種で注射針を使いまわしていた世代である。
雑学教養レベルであっても、死体業にはある程度の医学的知識が必要という訳。
精神性と根性だけじゃ務まらない。

夜中に死体とドライブしていても、特に恐怖心はない。
時には、死体を積んでいることを忘れて、コンビニに寄りそうになることもある。
そんな私でも、ひとつ注意していることがある。
ルームミラーは見えないようにしているのである。
死体がある後部荷台に妙なモノが映ったら、ちょっとヤバイかもしれないので。


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お化け屋敷(後編)

2024-07-13 06:25:10 | 特殊清掃
休暇をとった管理人は、身内の法事に行ってきたらしい。
その割には赤く日焼けした顔が、どことなく気まずそうにも見える。
人手が足りない時は特掃隊に編入しなければならない哀れな?身の上だから、まぁ、黙認した方が親切というものか。
管理人を労う書き込みも多かったし。

前編から話を続ける。
そして、その顔が私に近づいて来るような気配を感じた私は、声にならない悲鳴をあげて家から飛び出した!
全身に悪寒が走り、息を吸うことができなくなった私。
霊感がないのが少ない取り柄のひとつだったのに・・・とうとう見てしまったのか!?
そして、私が見てしまったモノの正体は!?
さすがに気持ち悪くなった私は、再び家の中に入ることはできなくなった。
本当は二階の状況も確認しなければらなかったのだか、結局、二階は想像見積。
間取りと遺族の話と一階の状況を考え合わせて推測した。

幸い?肝心の腐敗痕は一階だったからよかった。さすがに汚染箇所は、想像で見積できるような代物ではないから。

頭部が当たっていたと思われる段ボール箱は丸く凹んでいて、腐敗液にくっついた頭皮と頭髪が残っていた。そして、大量のウジも。
一般の人にとっては、腐乱死体痕の方がよっぽど恐いのだろうけど、私にとってはそんなものはどうってことない。

それよりも、二階に見たモノの正体ばかりが気になっていた。

さて、施工の日。
明るい昼間でも、何だかイヤ~な気分だった。
いつもの流れで、まず一階の汚染箇所から着手。
一階をほぼ片付け終えたところで問題の二階へ。
階段を見上げる決心は、なかなかつかなかった。
ウジじゃあるまいし、いつまでもウジウジしてたって仕方がない。
勇気をだして恐る恐る階段上を見てみた。
すると、どうだろう。
壁にモノクロの写真が掛けてあった。
多分、御先祖の遺影だろう。
「な~んだー、そういうことかぁ」
過日の夜は、それが外からの淡い月明かりにボンヤリ照らし出されて、顔が宙に浮いているように見えたらしい。
「ちょっと顔が違うような、もっと近くに見えたよう気がしたけど・・・」と少々怪訝に思ったが、深く考えないことにした。
とりあえず正体が写真と分かって(決めて)安堵した。

遺族からは「家の中の物は全部ゴミ、全て捨てていい物」と言われていたが、この遺影は捨てる気にならず遺族に渡すことにした。
二階で写真を梱包していると、誰かが私の背中をポンポンと軽く叩いた。
「ん!?」と思ったが、私はあえて振り返らなかった。
そこには、私の他に誰もいるはずがなかったから。


トラックバック 2006/08/07 10:34:16投稿分より
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お化け屋敷(前編)

2024-07-11 09:23:02 | 特殊清掃
人それぞれに怖いもの(苦手なもの)を持っていると思う。
私の場合は、高所・蛇・歯医者・お金・心霊写真・暗闇etc。

当然、この中に死体は入らない。
気持ち悪いことはあるけど、恐くはない。
どちらかと言うと、道端に転がっている動物の轢死体の方が苦手。いつも目を背けて通り過ぎてしまう。

逆に、一般の人にとって人間の死体は上位にランキングされるものらしい。
その理由の中核を探ってみると面白いことが発見できるかもしれない。
やはり人は、死をイメージさせたり感じさせたりするものを根本的に嫌うのである。
葬儀習慣に限らず一般世間の習俗や慣習にも、それを感じさせるものが多い。
その延長線上には死からの逃避願望があり、やはり死ぬことは恐くて考えたくないものなのだろう。

ある日の夕方、特掃の依頼が入った。
「できるかぎり早く現場を見てほしい」とのこと。
何の仕事が入るか分からないので、昼間の予定はできるだけ業務用に空けておきたい私は、その日の夜に行くことにした。
「鍵は開いているので、勝手に入っていい」とのことだったし。

現場に着いた頃は、外はもう真っ暗。
目的の家は老朽狭小の一戸建。
電気は止まっており中も真っ暗、懐中電灯を照らすしかなかった。
庭には、手入れをしてない木々がうっそうと茂り、外灯の明かりもなく、淡い月明かりが不気味さを照らし出していた。

玄関の前に立っただけで、いつもの腐乱臭を感じた。
自分で自分を脅しても仕方がないので、余計なことを考えないようにして玄関ドアを開けた。
それから、誰もいるはずのない家に、いつもの様に「ごめんくださ~い」と言いながら入った。

狭い屋内は、ゴミなのか生活用品なのか分からないような物が散らかっており足の踏み場もないくらいだった。
腐敗箇所をいち早く見つけて汚染具合を確認。
まぁ、腐乱死体現場としたら並のレベル。
ウジはいたけど馴染みのハエは二軍落ちし、その代わりに蜘蛛の巣と蚊がまとわりついて弱った。

廃棄するゴミの量もキチンと把握しなければらないので、建て付けの悪い押入も開けてみた。
そこで思わず「あ゛ッ!」
暗闇の中に人の首・・・押入の中には頭部だけのマネキンが並べられていた。
「なんでこんなもん持ってをだよ!ドリフのコントじゃないんだから、こんなもんで脅かさないでくれよぉ」
心臓の鼓動か静まらない私は、勢いよく戸を閉めた。

そのうち、どこからか「キィーキィー」と泣き声のような音が聞こえてきた。
「ドキッ!」、心臓は再び高鳴り始めた。
気のせいにして無視しようとしたけど、確かに聞こえてくる。
放っておく訳にもいかないので、嫌々その音(声)がする方を探した。
それは流し台の収納スペースから聞こえていた。
思い切ってその戸を開けてみた。
そこで思わず「あ゛〓ッ!」
いくつものネズミ獲り(粘着シート)に無数のネズミがかかってもがいていたのである。
中にはもう死んで腐ってるのもいて、それはそれは悲惨な状態。
「見なかったことにしよう」
全身鳥肌の私は、機械的に戸を閉めた。

一階を見分し終えて、次は二階。
脅され過ぎか気の張り過ぎか、心身ともに疲れてきて、身体にも力が入らなくなっていた。
「もう少しの辛抱」と、暗くて狭い急階段の上を見上げた。
そこて思わず「あ゛〓〓ッ!」
あまりのことで悲鳴は声にならなかった。
なんと!宙に浮いた人の顔が、ジーッと私の方を見ていたのである。
そして、その顔が私に・・・

つづく


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線香花火

2024-07-10 09:28:24 | その他
私は夏の夜の花火が好きだ。
夜空に舞う打ち上げ花火は特に。
時間が合わなくて、ここ何年も花火大会には行っていないけど、綺麗な花火を思い浮かべるだけでワクワクする。
ドン!と上がったかと思ったら、パッと開き、サラッと消えていく。
音に迫力、火花に華、去り際に潔さ、その華麗さに魅了される。
同じ一つの花火なのに、光速と音速の差から視覚と聴覚に時を異にして届いてくるのも絶妙。

そんな花火には、人の生き死にが重なって見える。
日本文化においては、日本男児的な「男らしさ」に通じる部分もあるのかもしれない。
玉の大小、上がる高さに違いはあれど、誰の人生にも華があると思う。
そういう私は、いつ頃が華だったのだろうか。
それとも、華はこれから来るのだろうか。
生きていること自体が華だったりして・・・ね。

壮年の男性が死んだ。
死因は糖尿病。
どんな病気でも、闘病は辛く苦しい。少なくとも、快く楽しいものではないと思う。
糖尿病の食事制限や運動強制も相当のストレスを抱えるらしい。
故人は医師の忠告を軽く見たのか、節制ができなかったのか分からないが、病気を回復に向かわせるはずの自己管理を自らが怠ったらしい。
遺族の話を組み立ててみると、故人は、まさか死に至る程の深刻な状況になるとは思ってなかったらしい。
家族も本人も、いくら後悔したところで後の祭だ。
それでも、遺族は何かをごまかすために?故人の死を受け入れるために?やたらと「男らしかった」と褒めて場の混沌を払拭しようとしていた。

意志の弱い私などにとっては、何事についても自己管理というものは難しい。
自分で自分を律する力が問われる問題。
自分で自分を管理することよりも、他人に自分を管理してもらう方がよっぽど楽なことだと思う。

ひと昔前、アメリカで出世できない人物像というものを聞いたことがある。
それには、たった二つの要因しか挙げられていなかった。
「太った人間」と「タバコを吸う人間」。
要は、「肥満・喫煙」→「自己管理能力が低い」→「社会に通用しない」→「出世できない」という式図らしい。
肥満と喫煙については一概には言えないかもされないけど、自己管理能力の重要性については同感したものだった。

では、人生においては
何をどう自己管理すればよいのだろうか。
「人生」という道を歩む時、どこに重きを置いて進めばよいのか。
我々は、常に明日の不安ばかりに心を奪われ、今日を見失ってはいないだろうか。
昨日のことばかり悔やんで、今日を暗い一日にしてはいないだろうか。
はたまた、「今が良ければそれでいい」と短絡的な歩を進めてはいないだろうか。

昨日を悔やまず、明日を思い煩わず、今日を楽しむ。
昨日を反省し、明日に備え、今日を実らせる。
昨日の思い出に笑い、明日の夢に期待し、今日の糧に感謝する。
なかなかできないけど、それが私の理想。

自分の命は自己管理できるものではない。
人生だって、一体どれだけ自分の力が通用するものなのか。

私は、派手な花火に憧れる線香花火。
世の中の表舞台に立つことはない地味な存在。
若年の頃は、やたらと派手な花火を打ち上げてやろうと燃えたこともあった。
それが、いつの間にか花火をあげるかわりに線香をあげている。

それでも、火玉の途中で落ちてしまう線香花火に思う。
「俺は最期まで燃えて尽きたい」と。

トラックバック 2006/08/04 09:53:32投稿分より
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苦々しい

2024-07-08 05:25:28 | 遺体処置
ある若者が、あるマンションから飛び降り自殺をした。
高層階から3階天井のでっぱりに激突、その血しぶきと肉片は4階のベランダにまで飛び散っていた。
乾いた血痕と肉片は落とし難い。
しかも、汚染個所が高い壁だと作業もしづらい。
私は仕事だから仕方ないけど、何の関係もないのに、いきなり見ず知らずの人間の血肉で自宅が汚された方は、本当に気の毒だった。
こんな現場に遭遇すると、「汚すのはせめて自宅だけにして欲しいもんだな」と思ってしまう。死人を貶めるようなことを言ってしまうようだけど。

その遺体の損傷も激しかった。
例の納体袋に入っていたその遺体は、頭が割れ、脳がハミ出ていた。
ちょうど、焼けて膨らんで破れたパンのように。
髪は血のりでベッタリ、血生臭さがプ~ンと漂っていた。

私が自殺の理由を知るはずもない。
ただただ遺体を処置するのみ。
頭はどうすることもできず、脳ミソを頭にしまって包帯をきれいに巻くしかなかった。
飛び降り遺体の場合は、このパターンの処置法が多い。やむを得ない。

遺族は号泣。それは悔し泣きにも聞こえるものだった。
そんな中、遺族の男性がいきなり遺体を殴りつけた。
「バカタレが!こんなヤツはこうしてやればいいんだ!」と怒りの鉄拳を食らわせたのだ。
あまりにとっさのことで、間に入って止めることもできなかった。
二発目を繰り出そうとしたときはさすがに私も止めに入ったが、その怒り様は私も殴られるかと思ったほど。
しかし、遺族の誰も止めに入らない。
故人の自殺と損傷激しい身体にショックが大きかったのだろうか、それとも男性の殴りたい気持ちを理解していたのだろうか、私だけが男性を止めていた。
「俺の遺体に手をだすな!」じゃないけど、せっかく処置してきれいになったものが、再び出血などで汚れてしまってはもともこうもない。
またまた冷酷かもしれないけど、男性を止めた理由が故人の尊厳を守るためではなくて、自分の職務を守るためであったことが自分らしくて苦々しかった。

ある中年男性が亡くなった。
妻はやたらと明るく元気そうに見えた。
余程の強い精神力を持っているのか、または、故人に心配をかけたくない一心で、とにかく気丈に振舞っていたのか・・・真実は分からないけど、とにかく明るくてよく喋る女性(妻)に、意味もなく辛気臭くすることが嫌いな私ですら違和感を覚えた。

その女性は何年か前に息子を亡くしていた。
そして今回は夫を亡くして一人ぼっちになってしまった女性。
「何年か前に一人息子を亡くして、今回また夫に先立たれた訳か・・・さぞや寂しいだろうなぁ」と思う間もなく、女性の明るい声が耳に飛び込んでくる。
「人が死んだからと言っても、わざわざ暗くなることはない」と思いながらも、そのギャップが奇妙に思えた。

故人には一張羅のスーツを着せた。
そして、訊きもしないのに、女性は勝手に話しを続けていた。

故人を柩に納めたら、「忘れ物!」と女性が叫んだ。
どうも、柩に入れたい副葬品があるらしい。
「ちょっと待って下さい」と、それを探しに部屋から出て行き、しばらくの時間が経った
「大事な物なのだろうから、ゆっくり待っていてあげよう」と思い、しばらく畳の上に座っていた。
「大事な物だとしたら、何だろう」
退屈しのぎに勝手な想像を膨らませながら待っていた。
しかし、「ないなぁ、おかしいなぁ」という声ばかりが聞こえて、一向に女性が戻ってくる様子がない。
畳に正座していた私はだんだんと足が痺れてきて、我慢できなくなった。
痺れをとるために立ち上がったついでに、女性のいる部屋へ声を掛けてみた。
女性は、いくら探しても目当ての物が見つからない様子。
長時間かかったけど、結局、目当ての品は見つからなかった。

「ところで、その物は一体何なんですか?」と私。
「息子が死んだときに柩にスーツとワイシャツを入れてやったんですけど、肝心のネクタイとベルトを入れてやるのを忘れてしまいまして、せっかくだからお父さん(故人)に持って行ってもらおうと思いましてね」と女性。
夫の死を「せっかくの機会」と捉えるとは、なかなかタフな女性である。
「そのネクタイとベルトはどんなデザインなんですか?」
無駄な質問かとも思ったが、世間話として訊いてみた。
意外なことに、女性が応えたデザインに心当たりがあった。
少し前に故人の身につけたそれと同じだった。
「あのー、これじゃないですか?」と遠慮がちに故人の身体を指した。
「これ!これ!これ!お父さん、○○(亡き息子の名前)のを勝手に着けちゃダメじゃないのぉ!」と嬉しそうに故人にツッコミを入れる女性だった。
私は微笑ましく思うべきなのか、コケていいものなのか迷った。
とにかく、一緒に苦笑いするしかなかった。

今となっては、女性の明るさの訳は知る由もない。
「金は人を変える・・・元気の源が多額の生命保険金でなければいいな」と思ってしまう金銭至上主義的思考が自分らしくて苦々しかった。


トラックバック 2006/08/03 09:28:24投稿分より
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ブラックホール

2024-07-06 10:58:52 | 腐乱死体
便所の話。
そこは「お手洗い」とか「トイレ」という呼称は似合わない、いかにも「便所!」という感じの現場だった。
発見が早かったためか、汚染は軽いもの済んでいた。
悪臭も腐乱臭なのか便所臭なのか分からないくらい。
それよりも、私はその便所の形態に驚いた!
水洗式ではなく、いわゆるボットン便所。
しかも、私が知るボットン便所よりはるかにハイグレードで古風なモノだった。


ほとんどの人が「ん?どんな便所だろう?」と、その便所の形態を理解できないと思うので、詳しく説明しておこう。
地面に深さ1.5~2.0m、直径1.5~2.0mくらいの穴を掘る。
その上に床板を敷き、屋根と囲いをつける。
床板に直径20~30cmの穴を開ける。
床板に和式便器をくっつけて完成。
あまりにシンプル過ぎて、これ以上詳しく説明できない。

大きな口を開けた和式便器を覗き込んでみると、下は真っ暗のブラックホール状態。
深くて大きな穴が開いているらしかったけど、真っ暗で何も見えない。
それは、悪臭を忘れるくらいの不気味さがあった。
そして、小心者の私には、薄くて古ぼけた床板に乗る勇気はなかった。
床板には悪いけど、その風貌からは強度を信用する訳にはいかなかった。
信用性が乏しいこの床に乗るということは、一種のロシアンルーレットみたいなもの。
万が一にも「バキッ!」といってしまったら、アウトーッ!
「故人はいつもこの床板に乗って用を足していたのか・・・勇気あるなぁ」と感心してしまった。

しかし、シンプル便所と故人の勇気に感心してばかりもいられない。
これを何とかしなきゃならないのが私の仕事。
トイレや風呂で死ぬ人も少なくないので水回りの始末も慣れてはいたが、ここまでシンプルな便所は見たことがなかった私。
「汚い」というより「怖い」という気持ちの方が大きかった。
掃除するより解体した方が早いと判断して、依頼者に相談。

汚染されているのは床板の一部と便器が少し。
もう誰も使わない便所なので解体することで話はまとまり、すぐさま作業にとりかかった。
どうしてもブラックホールへの恐怖心が抜けない私は、恐る恐る床板の隙間にバールを差し込んだ。
驚いたことに、床板の一枚一枚は固定されている訳ではなく、細い梁にポンとのせられているだけだった。
「えッ?こんな簡単なもんだったの?」
おかげで、便器も床板も簡単に取り外せて作業的には楽だった。

そして、床板を外すと底の穴が露になった。
「これが肥溜というヤツか!」
ずっと以前から言葉では知っていた肥溜、その本物を生まれて初めて見た瞬間だった。
その光景にはちょっとした衝撃を受けた。
そして、妙に感心したというか感銘を受けたというか・・・人が生きることの凄さのようなものを感じた。
肥溜に、生きるエネルギーみたいなものを感じる私は変?・・・やっぱ変だろうな(苦笑)。
そしてその中ではウジが気持ちよさそうに泳ぎ、ハエが気持ちよさそうに飛んでいた。
彼らは、いつも私の行く先々に先回りする賢い連中だ(笑)。

そして、肥溜の臭いは鼻にツンとくる刺激臭で、「アンモニアの影響か?糞尿が熟成されるとこんな臭いになるのか!」と、またまた感心してしまった。

ちょっと余談。
下水道が完備されていな地域では、行政による糞尿回収サービスが行われている。
たまに、その車を見かけることがあり、車輌後部に表記してある積載物欄に「糞尿」と書いてあるのが印象的。当然、それに従事する人もいる。
子供の頃の風説に、その仕事に従事する人のことを言ったものがあった。
「身体にウ○コの臭いが染みついていて、風呂に入ったくらいでは臭いは落ちない」というもの。
実際にその仕事に従事する人と接したことがないのでハッキリしたことは分からないけど、
多分それはガセ。
濃い!腐乱臭が着いた私でも、ユニフォームを着替えて風呂に入れば完全に臭いは落ちるから。
変な偏見は持たないで、そんなことを言っている子供達がいたらキチンと否定しておいてね(笑)。

私を含めて、現代の男どもは軟弱になっているような気がする。
歳のせいもあるのかもしれないけど、最近の若者は、外見からは性の違いが分かりにくくなってきているような気もする。
最近の家庭は、ほとんどが水洗・洋式。そして、小でも便座に座る男が増えているらしい。
筋肉に負担が大きい和式便所にまたがって、心もとない床板に勇気を持って身体をあずけていた故人は、この有り様を憂いているかもしれない(完全な想像)。
男として、もっと強くなりたいものだ。

しっかし、便所ネタでここまで語れる私ってウ○コ臭い・・・もとい、ウサン臭いヤツかもね。


トラックバック 2006/08/02 11:10:47投稿分より
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毎度ありー!

2024-07-05 05:25:50 | その他
「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」「またヨロシクお願いします」etc、何気ないこのセリフは、色々な店や仕事で当り前に使われている言葉。
しかし、私の仕事にこのセリフはない。
「ご愁傷様です」に始まり「お疲れ様でした」で終わる。

何かを得ようと、何年か前、知人に頼んで飲食店で働かせてもらったことがある。
夜の時間だけ、無償で。
誰にも遠慮しないで済む笑顔と、「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」「またヨロシクお願いします!」と堂々と言える仕事が新鮮だった。新しい自分を発見できて爽快感みたいなものを覚えた。
かったるそうに働いているバイト学生に反して、私は楽しさすら覚えた。
そのバイト学生に私の本職を話したら、「ウェーッ!その手で食い物を触って大丈夫ですか?」とストレートに嫌悪された。
私とは随分と年下の若者だったが、あまりにインパクトのある仕事に礼儀も忘れて本音がでてしまったのだろう。


「これから世の中をうまく渡っていくためには、力のある者の言いなりになること、とにかく頭を下げること、本音とたて前をうまく使い分けること・・・そして社交辞令を覚えることが必要だぞ!」と思いながら、「遠慮のないヤツだなぁ」と苦笑いするしかなかった。そして、悲観するでもなく卑屈になる訳でもなく、「やっぱ、これが現実なんだよな」とあらためて思ったものだ。
人間が「死」を忌み嫌う本質を持っていること、人間が生存本能を持っていることを考えると彼(社会)の表す態度は極めて当然かつ自然なことで、仕方のないことだと思っている。

それが耐えられないなら、死体業なんかやらなきゃいいだけ。
それに耐えられる人だけがやる仕事。
それに耐えなきゃ生きていけない人がやる仕事。

「他人からみると悲惨に見えることが、当人にとってはそれ程でもない」と言う類のことは、私だけのことではなく世間一般によくあることだと思う。
自分では難なくやっているこの仕事。
でも、正直言うと、親類縁者・友人知人にはやらせたくない。

「職業に上下はない」と言うのはきれい事、職業に上下はある!
明らかに社会的地位の低い死体業、その中でも特掃業務は更に下を行く最低の仕事だ。
しかし、その中にもわずかな「最高」がある。
例えて言うと、ウジ・ハエがたかるウ○コの中に、砂粒ほどのダイヤモンドが一粒入っているようなもの。
そんな小さなダイヤなんかには、誰も価値や魅力を感じない。
しかも、それがウ○コの中にあるとなれば、価値がないどころか皆が嫌悪感を覚える。
でも、どんなに小さくても、どんなに汚くてもダイヤはダイヤ。
その輝きに偽りはない。
誰も知る事ができないその価値を、自分だけが気づいていると思うとちょっと鼻が高い(低次元の自己満足?)。

私は声を小にして言いたい。
「死体業は最低の仕事だ!しかし最高の仕事でもある!」

依頼された仕事を完了させ遺族に挨拶するときは、だいたい「今後、再びお目にかかることがないように・・・」という言葉を掛ける。
自分で言っててちょっと寂しいけど、そんな言葉を掛けられた遺族も返す言葉に詰まる。
遺族も、私の仕事の苛酷さを気遣ってくれようとするのだが、適切な言葉が瞬時には見つからない様子。
私は、いつもの社交辞令が使えないやっかいな相手、変な気を使わせてしまう相手なのだろう。
また、自分の子供とダブらせて私のことを不憫に思うのか、初老の女性には泣かれることが多い。
それが一時的な同情心であっても、赤の他人である私のことを思って泣いてくれる人がいるだけで感謝なことだ。

あまりいないけど、「どのくらいこの仕事をやっているのか?」「何故、この仕事をやっているのか?」を訊いてくる人もいる。
そんな人は、「この男には余程の事情があるのだろう」という表情をしながら、その疑問に対する好奇心が抑えられなくて訊いてくるみたい。
現場にはお喋りに行く訳ではないので詳しい話はしないけど、要点を絞って正直に話している。
あと、雰囲気が神妙になると困るので、我慢して凝った自論は避ける。
「余程の事情」は、皆それぞれが持って生きているもの。
「余程の事情」があるから人生はドラマになる。

居酒屋でビールジョッキを傾けながら聞こえる店員の威勢のいい声が心地いい。
私もたまには、「毎度ありー!」と元気に言える仕事をしてみたいものだ。
洗い物は得意だしね(笑)


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カレンダー

2024-07-02 04:55:27 | その他
今日で7月も終わり、今年の夏も後半に入る。
今年の梅雨は、前半が空梅雨で後半は長雨。
東京では、昨日やっと梅雨明けしたらしい。
毎月末には過ぎたカレンダーを破り捨てるのが私の習慣。

このひと月を思い返してみると、特掃業務に追われる毎日だった。
しかも、インパクトのある内容のものが多かった(だいたい、いつもインパクトはあるけど)。
早速にでもブログに書きたい案件もあったが、現場が特定されないような配慮が必要なため、ネタとしてはしばらく寝かせておかざるを得ない。
と言う訳で、私の書く現場ネタは、しばらく寝かせておいたものがほとんど。
鮮度は落ちているかもしれないけど、腐敗ネタには鮮度も何も関係ないか(笑)。

きっちりと自分の中で線を引いている訳ではないけど、死人は人間の形をとどめているモノとそうでないモノでは気持ちが全く違う。
分かり易く説明すると、人間の形をしている死人に対しては極めて人間的に接し、そうでない死人に対してはただの物体として接するのである。
みんな同じ人間なのに、「腐っているのと腐っていないのとでは、こんなに気持ちが異なるものか」と我ながら不思議に思う。
それが正しいことなのか、正しくないことなのかは分からないけど、死体業をやっているうちに自然とそういうスタンスになってしまった。
私は、そういう冷酷?不躾?な一面も持っているのである。
ただ、この世で負った責任を果たすのみ。それだけで精一杯。

「遺体の尊厳」について展開される議論を見聞きしたことがある。
「グリーフケア」に興味を覚えた時期もある。
しかし、現実に起こっていることは机上論とは遠くかけ離れたもの。
きれい事では済まされない。
人が持つ卑しい部分が分かり易いかたちで曝け出されることもある。
まさに「地獄の沙汰も金次第」と思えるようなこともある。
腐敗現場は議論によって片付くものでもなく、遺族も理屈によって癒されるものでもない。
ましてや、死んだ人間が机上論でうかばれることも考え難い。
所詮は、コノ世の人間がどんなきれい事を吐いても、アノ世の人間のことをどうすることもできないということ。

腐乱現場に行くと、遺族に対しても「これは、ヒドイですね」「自殺ですか?」等といった、無神経にも聞こえる言葉がでてくる。
気持ち悪いときは驚嘆の声を上げるし、作業はキツイときは苦渋の言葉を吐く。
腐敗液などは私にとってはただの汚物、人ではない。
亡くなった人と目の前の汚物は物理的には同一でも、私の心情的には全くの別物。
そうは言いながらも、「汚物=故人」という概念も時々は顔を覗かせる。
腐敗液を拭きながら「もうちょっと早く見つけて欲しかったね」とか、腐敗粘土をすくいながら「今、俺がきれいにしてやるからね」とか、自殺痕を始末しながら「何で自殺なんかしちゃったの?」とか思ってしまう。霊感もないのに。
んー・・・この心情を文字にするのは難しい。

私に夏休みなんかない。
社会人になってから、夏休みなど言うものも取ったことがない。
仕事がない時が休み。
過ぎ去る7月のカレンダーを眺めながら、「明日から8月か・・・海にでも行きたいなぁ」と呑気なことを考えている。自分にも刻一刻と死に近づいていることを忘れて。


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苦悶

2024-07-01 07:21:14 | エンゼルメイク
死ぬ瞬間って、どういう感覚を憶えるものなのだろうか。
「脳内アドレナリンが大量に発生して、快感の絶頂に到る」と説いた本を読んだことがあるが、誰もその実態を知ることはできない。
私は、三十数年間の人生で一度だけ人が死ぬ瞬間を目の当たりにしたことがある。
時は幼少の頃、祖父が死んだときのことだ。
内臓疾患で闘病生活を送っていた祖父は、しばらくの闘病生活の後、意識不明の危篤に陥った。

急いで病院に駆けつけたときは、意識不明で荒い息をしていた。
皆が見守る中、最期の息をゆっくり吐いたかと思うと、もう次の息を吸うことはなくそのまま臨終した。
何分にも幼かったため、人が死ぬということがよく理解できなかったけど、祖父の最期の様子は今でも鮮明に記憶している。
黄疸で黄色く変色した身体、腕には無数の内出血の痕、柩に入った祖父の身体の冷たさと固さには、幼い私も異様な感覚を覚えたものだった。
その子が、それから十数年後には見ず知らずの屍をたくさん処置することになるなんて・・・「人生~ってぇぇぇ~不思議な、もので~すね~♪」

死ぬ瞬間って苦しくないのだろうか。
苦悶の表情を浮かべている遺体を見かけるのは、単なる偶然か。
それとも、私の先入観か。

口を開けたままの遺体、目を開けたままの遺体、そして眉間にシワを寄せて苦悶の表情を浮かべている遺体。
遺族は、安らかな死に顔を求めて「何とかならないか」「何とかしてくれ」と要望してくる。
個人的な主観では、故人のためを思って処置を求めるケースは少ないように思う。
遺体は苦悶の表情を浮かべていては、遺族も気持ち悪いのだろうか。
それとも、人目を気にしているのだろうか。
その理由を訊くことはできない。

誰が貼るのか知らないけど、TVタレントのモノマネ顔負けのセロテープ加工してある遺体も少なくない。
失礼ながら、テープのおかげで可笑しな表情を作られている遺体もある。
極端なケースだと顔にガムテープを貼って、しかもご丁寧に「はがすな!」と注意書きが付いた遺体と遭遇したこともある。
「はがすな!」と言ったって、はがさないと仕事にならない。
はがすガムテープに皮膚もくっついてくる。
本人は死んでるから文句も言わないけど、やっていて痛々しい。
しかし、テープを貼ったくらいで表情が変えられるほど人間の表情は単純なものではない。
無駄な抵抗だ。

専門の技術を使えば、開いたままの目や口を閉じることはそんなに難しいことではない。
更に特殊な技を使えば眉間のシワだって消すことができる。
ただし、目や口を閉じるだけならともかく、私の場合は安易に眉間のシワを消すことはしない。
故人の人格を否定してしまうような気がするから。
しかし、遺族の要望も簡単に無視することはできない。
したがって、私が取る策は、遺体の眉間に素手をしばらく当て続けること。
イメージとしては、シワにある布にアイロンを当てて伸ばすような感じで。
もちろん、私に念力などない。
ただただ、自分の体温を遺体に伝えるという非科学的・原始的な手法。
こんなことで完全にシワが取れることはないながらも、少しはシワが目立たないようになる遺体もある。
自分勝手に、「それくらいが調度いい」と考えている。

苦悶の表情には訳がある。
それは最期の瞬間を表しているのかもしれないし、人生そのものを表しているのかもしれない。
残され人にとって気持ちのいい表情ではないけど、それもまた故人である。
遺体の表情を変えることより、自分の心を変えることを考えた方がいいのかも。
他人(遺体)の喜びを自分の喜びとし、他人(遺体)の苦しみを自分の苦しみとできるように。


遺体というものは、生きている者に無言のメッセージを伝えてくれる。
それが苦悶の表情でも安らかな死に顔でも。
メッセージの受け取り方は人それぞれ。
どちらにしろ、やはり遺体は人間の形をしていた方がいい。

「眉間のシワより笑いジワ」と思いながらも、この猛暑についついシカメッ面をしてしまう夏である。


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怪談

2024-06-29 10:33:36 | その他
夏は怪談話のシーズン
あちらこちらで恐ろしいとされる話が湧いてくる。
でも、所詮はフィクションがほとんど。
本当に怖いのはこの世の現実かもしれない。

世間にとって腐乱死体は、突然現れるやっかい者。
本人はしばらく前から時間をかけて腐っているのに、発見されるのが急なものだから、世間的には降って湧いたような印象を受けるのだろう。

キチンとしたデータをとっている訳ではないが、腐乱死体がでる住宅は、自己所有より賃貸の方が多いように思う。そして、経済力も低レベル。
そんな腐乱死体は、残された人々に多大な迷惑を掛けることになる。
その中でも絶大な損害を被るのは、家族(保証人)、大家、近隣住民。

家族、特に賃貸契約の保証人になっている人は、社会的にはもちろん法的にも責任が発生する。
部屋の清掃費用からリフォーム費用、ヒドイ現場になると上下階や隣の住人が引っ越してしまうこともあり、その転居費用からリフォーム費用まで負担するとなると総額は莫大な金額になる。
しかも、「腐乱死体がでた物件」「腐乱死体がでた部屋」ともなれば入居者の獲得も難しくなる。
空室や値下家賃分まで保証せざるを得なくなると、とても一般の人では負担しきれるものではなく、人生を大きく狂わせてしまうことにもなりかねない。
賃貸契約の保証人になっているのなら諦めるしかないけど、血のつながりだけを根拠に責任を背負わされるのも悲劇である。
まったく、気の毒としか言いようがない。

一方、大家のリスクも大きい。
自分の所有物件から腐乱死体をだしてしまった場合、他人事では済まされない。
保証人や家族がキチンとした対応をとれる、責任・誠意を持った人ならまだしも、必ずしもそういう人とは限らない。
無責任な保証人や家族の場合は、「ない袖は振れない」と開き直って責任逃れをする。
しかし、大家は立場的に汚染物件を放置しておくことはできない。
開き直った家族を前に、結局、大家は泣き寝入りするしかなく莫大な損害を肩代わりせざるを得なくなるのである。
裁判沙汰になったケースも複数あるけど、開き直った相手に裁判を起すのは無駄なこと。
裁判所の通達が効くような相手だったら、始めから責任・誠意ある対応をとっていたはず。
無責任で社会的なプライドを持たない人を相手に裁判を起したって、裁判費用をドブに捨てるようなもの。
残念ながら、最後は悪意を持った人間の方が勝ってしまうのである。
腐乱死体がでたお陰でアパート一軒がまるごと空いてしまい、家賃収入が無くなってローンの返済が滞り、手も足もでなくなった大家もいる。
まったく、気の毒としか言いようがない。

次に近隣住民。
同じアパートやマンションに住む人も被害なしという訳にはいかない。
臭いの被害だけならまだ可愛いもの。
ウジ・ハエが上下階や隣室に侵入したり、腐敗液自体が染みるケースもある。
自宅に腐敗液が染みてきたのでは、とても住めたものではない。
この私でも、さすがに引っ越す。
いきなり生活基盤を変えることを余儀なくされ、急な出費が補填される保証もない。
子供がいる世帯では、学校を転校させざるを得なくなることもある。
まったく、気の毒としか言いようがない。

私は過去に友人・知人の賃貸保証人になったことが何度かある。
どんなに親しい相手でも金銭貸借の保証人にはならないと決めていたけど、「住宅の賃貸保証くらいなら平気だろう」と思い違いをしていたのだ。
今考えると恐ろしい。
特掃業務を通じて、住宅賃貸契約の保証人になることは極めてハイリスクな行為であることを知り、それからは誰の保証人にもならないことにしている。

心当たりのある方、心当たりのある人に至急連絡を。
自分に関係する人達から腐乱死体をださない工夫と対策が必要だ。
腐乱死体に責任を負うということは、並の怪談話より怖いこと・・・最悪の場合、自分も生きていられなくなる可能性があるからね。


トラックバック 2006/07/29 09:54:14投稿分より

事故物件売却でお困りの方はこちら
0120-74-4949
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ビーフシチュー(後編)

2024-06-28 06:31:35 | 浴室腐乱
書いているうちに気持ち悪くなってきたので、前編と後編に分けさせてもらった。
今回はその後編。
しかし、現場の悲惨さを読者に伝えきれないのが非常に残念!
でも、臨場感があり過ぎると誰も読んでくれなくなるかもね(笑)。

さて、本題のつづき。
思わず悲鳴を上げた私。
なんと、腐敗した肉塊の中に体調10cm・直径3cmくらいの巨ウジがいたのである!
私は悲鳴を上げながら浴室を飛び出した!
全身に鳥肌が立ちまくり、しばらくの間、全身が痒くなるような悪寒が続いた。
「ウジってあんなに大きくなるものか?」「その前にハエになるはずじゃないのか?」「仮にウジじゃないとしたら何?」
もう、頭はパニック状態、仕事なんか放り投げてとっとと帰りたくなった。

しばらくブツブツと独り言をいいながら、「これからどうしようか・・・」と考えた。
引き受けた仕事は途中で投げ出す訳にはいかないのは当然、だけど浴室に戻る勇気がなかなか出てこない。
「適当な言い訳をして逃げようか・・・」⇔「ダメダメ、責任を果たさなきゃ!」
しばらくの間、独り問答を繰り返しながら自分と戦った。

気分を落ち着かせるのと、勇気を振り絞るのに少々の時間を要した私。
「俺は泣く子も目をしかめる特掃隊長、ヨッシャ!」と気合を入れ直して再び浴室へ。
放り投げたままのスコップと肉塊を再び手にした。
自分を勇気づけるために、何かの鼻歌を歌ったように記憶している。
そして、勢いをつけてさっきの巨ウジを直視してみた。
すると、どうも様子がおかしい。
おそるおそる腐敗粘土を削ぎ落として見たら、巨ウジと思ったモノはただの浴室の石鹸だった。
「キーッ!石鹸ごときに脅されて悲鳴をあげてしまうとは!」
ただの石鹸にここまで驚く人間って、そうはいないだろう。
まったく、不覚をとってしまった。
釈明するとしたら、石鹸にここまで怯えられるくらいに凄惨を極めた現場であったとも言えるだろうか。

元気を取り戻した私は、腐敗粘土に包まれて柔らかくなっていたその石鹸をグニュッと踏み潰し、作業を再開した。
相変わらず、腐敗肉塊がかもし出す気持ち悪さも絶好調。
とにかく、違うことを考えるようにしながら、手と体だけを単調に動かした。
食道にこみ上げて来るモノを強引に押し戻しながら。
そうこうしていると、急に腹が痛くなってきた。
そのうち、その痛みと圧迫感は下腹部に降りて行った。
「ゲロだかウ○コだか知らないが、上がダメなら下に行こうって寸法か?」
しばらくして、自分が下痢の腹痛に襲われていることを察知。
「よりによってこんな時に!」
誰に腹を立てていいのか分からないけど、とにかくイラついた。
そのイラつきも、次第に焦りに変わり始めた。
お約束の通り、下腹部の圧迫感が増してきたのである。

我慢できないことは自分がよく分かっていた(諦)。
モノを出すしかないけど、出すところがない(焦)。
作業用の装備と汚れて臭いユニフォームが邪魔をして、外のトイレを借りに出ることもできない(悲)。
苦慮していると、グッドアイデアをひらめいた(喜)。
「灯台元暗し!俺がいる所はトイレじゃないか!」
渡りに船、幸いな事に私はトイレにいたのである(快)。
しかし、こんなトイレに喜ぶ自分って一体・・・(苦笑)。

肝心の便器は腐敗液まみれ。とてもそのままでは用を足せる訳もなく・・・。
皮肉なことに、用を足したければ自分できれいにするしかない状況だった。
私の下腹部の圧迫感は、ひと山越えるごとに強くなってきていた(似たような経験がある人、いるでしょ?)。
そのうち、腸がゴボゴボと妙な音を出し始めた。
限界点へ到達するのは時間の問題だった。
(これ以上、詳細な描写をすると下ネタ注意報が発令されてしまうので、書きたいけどやめておく。)

ウ○コ男が本当にウ○コを漏らしてしまったんでは、汚れた人生に更に汚点が残る。
それからの私は、まるで人が代わったように迅速に動いた。
石鹸ごときに驚嘆した自分がウソのように、腐敗肉塊の気持ち悪さもそっちのけで。
ウ○コを漏らすのが先か、トイレをきれいにするのが先か、背に腹は代えられない時間との戦いであった。
もはや、依頼者のためというより自分のためにトイレを掃除していた。
仕事に対する心構えがなっちゃいないから、自業自得だったのかもしれない。

私は、人生に汚点を残すことになったのか、はたまた無事にクリアできたのか。
その後のことは想像にお任せする。
気が向いたら、今後のブログに載せるかも(ま、誰も興味ないね)。


滅多に食べないビーフシチューを、次に食べるまでは忘れることにする。


  • トラックバック 2006/07/28 14:17:50投稿分より
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