特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

仮想人間

2019-05-20 07:51:44 | 孤独死
春は短し・・・
例年、五月も後半になると、初夏のような陽気に包まれる。
もちろん、今年も 日によっては、夏を感じさせるくらい暑くなるときもあるけど、気のせいか、比較的 過ごしやすい日が続いている。
しかし、そう喜んでばかりもいられない。
いよいよ、この季節・・・もうじき現場作業が過酷になる季節に突入するわけで、体力の衰えをヒシヒシと感じている五十路の私は、そろそろ その心構え(覚悟)を整えて、チャンと仕事ができるよう体力も備えていかなければならないのである。

「人生100年時代」というけれど、長生きには長生きなりの問題がある。
老いや病気をはじめとする身体の衰え、気力の低下、そして、経済的な問題。
無食で生きられるはずはなく、生きていくためには、当然、相応のお金が必要。
にも関わらず、医療保険・年金条件は厳しくなる一方で、私達の世代になると年金だけで通常の生活は維持できない。
となると、生きているかぎり働いて、収入を得ていく必要がある。
「老後」なんて言葉は既に死語で、私を含む大半の庶民は、無職では生きていけないわけ。
つまり、働き続けることができる“能力”を持ち続けていく必要があるのだ。

“能力”とは、キャリアや経験・技能や技術だけではない。
大切なのは心身の健康。
これがすべての基礎、一番大切。
これがないと何も始まらない。
若い頃は、目先の楽しみを追いながら勢いで生きていられたけど、この歳になるとそうはいかない。
目先の楽しさより先々の生活(金)の方が、ファッション美容より生活習慣病の方が気になる。
だから、自分なりに健康管理に努めている。

で、食生活も意識している。
脂質・糖質・塩分を適度に抑え、三食腹八分を心がけ、間食(甘味)はできるだけ我慢し、体重は毎晩計測。
一昨年の秋から玄米食(無農薬玄米)に変え、不足しがちなたんぱく質を補うため、今年に入ってからは一日二個の玉子を食べ 嫌いな牛乳(無脂肪乳)を我慢して600mlくらい飲むようにしている。
体力を衰えさせないため、この一年で体重も5~6kg増やした(増やし過ぎたので、只今、プチ減量中)。
何年か前までは毎晩、それも結構な量を飲んでいた酒も、ここ数年はキチンと禁酒日を設けているし、飲む量も以前に比べ抑えている。
あとは、各種サプリメント。
健康食品やサプリメント類には否定的な見解が多いのも知ってはいるけど、私にとっては精神安定剤みたいなものだから財布と相談しながら飲用している。

適度な運動も心がけている。
やり始めて、もう、五年近くなるだろうか、ウォーキングもずっと続けている。
歩かないのは、多忙で時間がとれないときと荒天のときくらい。
小雨くらいなら傘をさして歩く、極寒の冬も酷暑の夏も
一日の目安は60分6.0㎞。
以前はもっと歩いていたけど、それで左股関節を傷めてしまい、“歩かないのもよくないけど、歩き過ぎもよくない”ことを痛感。
で、今は、その時間・その距離にしている
60分6.0㎞を一発で歩くこともあるし、時間がないときは、朝30分3.0㎞・夕30分3.0㎞に分けたりしている。

だいたい決まった時間に決まったコースを歩いているわけだが、そうすると、決まった人達に出会う。
健康寿命への意識が高くなってくる世代だからだろう、行きかう人々は高齢者が多い。
人づき合いが苦手で人見知りの私は、だからこそ、すれ違う人・追い抜く人に積極的に挨拶するようにしている。
朝なら「おはようございます」、夕なら「こんにちは」と、微笑みながら。
だいたいの人は、同じように返してくれるが、中には、私の声が聞こえているはずなのに目も合わさず無視する人もいる。
ただ、たまたま私の声が聞こえなかったのかもしれないから、別の日に同じ人に会っても挨拶の声をかけてみる。
でも、そういう人は何度やってもダメ。
数回やって無視されると、以降、同じ人には声をかけない。
「無視=他人と関わりたくない ありがた迷惑」といった意思表示なのだろうから。
しかし、無視されるのは、気分のいいものではないから、今後も私は人に対してそんなマネするつもりはない。

でも、これから、そういった類の人が増えていくような気がする。
コミュニケーション下手な人達が、コミュニケーションをとりたがらない人達が、人と関わりたがらない人達が。
そして、あちこちで危惧されているように、それを助長しそうなのがインターネット。
それにより、近年、人間同士のコミュニケーションのかたちが急激に変化している。
目を見張るほどの利便性がある反面、目に見えない弊害が生まれているそう。
ネットが仲介する匿名の世界ではデカい態度をとったり暴言を吐いたりするクセに、実社会は何の主張もできず、人を恐れて小さくなっている、ある種の卑怯者も多いらしい。
また、この世界特有の嫌がらせや陰湿なイジメもあるそうだ。

幸か不幸か、私は、時代遅れのアナログ人間。
SNSの類は一切やらない。
頭の体操にもなるだろうし、違った世界が広がるかもしれないから、少しはやった方がいいとは思うけど・・・必要も感じないし興味もないから。
周囲が楽しそうにしていても、誰かに勧められても、時流に取り残されても、“やってみようと”いう気持ちが湧いてこない。
だから、結局、主なコミュニケーションツールは“会話”。
あとは、時々のメールがあれば事足り、それで不便を感じることや困ったことはない。

私と違って時代に遅れていない人は、人の顔よりスマホ・PCの画面を見ている時間の方が長いのではないか。
口から発する言葉より、指で打つ文字数の方が多いのではないか。
自覚のない中で重症化しているスマホ依存症・・・
もちろん、それが「悪い」と言い切れる材料はないけど、無表情に冷たいスマホ顔と裏腹に、心をザワつかせてイヤな時間を過ごしている人、または無味・無意味な時間を浪費している人は多いのではないだろうか。
私には、それが、せっかくの時間を無駄に捨てているような愚行に見えてしまう。

そうは言っても、スマホは、ただ誰かと通信するだけのものではなく、調べものができたり、買い物ができたり、手続きができたりと、ホント、便利。
他にも、音楽・映像・読書・ゲーム等が楽しめるし、更に、次々と新しい娯楽を提供してくれる(私は ほとんど活用できていないけど)。
煩わしい人間関係にストレスを抱えなくても済むし、金も手間もかかるレジャーに出かけなくても、手軽に、そこそこ楽しい時間を手に入れることができる。
家族や友達がいなくても、スマホ一台が充分にその代わりを果たしてくれると錯覚しそうになるくらい・・・むしろ、人よりスマホの方が大切に思えるくらいに。



訪れた現場は、1Rの賃貸マンション。
亡くなったのは部屋の住人、30代前半の若さ。
死後約4カ月が経過。
「死後4カ月」と聞くと 凄惨な現場を思い浮かべて憂鬱になるところだけど、実際はそれほどでもなく、拍子抜けの後 安堵。
亡くなったのは晩秋で、遺体が一人過ごした時季は、低温・乾燥の冬。
生前、痩せていたうえ、暖房もついていなかったのだろう、遺体は腐敗溶解することなく乾燥収縮・・・いわゆるミイラ状態での発見だった。

というわけで、遺体が残した汚染は軽度。
部屋の床に薄っすらとした人型の変色が残留。
頭部があったところに大量の毛髪が付着していたくらいで、あとはライト級よりも軽いストロー級。
異臭も、「腐乱死体臭」というより尿臭を主にしたもの。
ウジ・ハエの発生もなく、私的には、落ち着いた静寂に包まれた孤独死現場だった。

単身者用の賃貸マンションはどこも似たようなものだと思うけど、近隣住人とも付き合いはなし。
また、仕事はIT系のフリーランスで、現場マンションは自宅兼オフィス。
PCデスクに置かれた大型のモニターと大容量のサーバー、整えられた周辺機器がそれを暗示。
で、決まって出勤する会社もなければ、上司・部下・同僚といった間柄の人もおらず。
両親や兄弟も遠方で、家族と顔を会わせるのは実家に帰省したときくらい、年に一度あるかないか。
交友関係は不明だったが、仕事柄、ネット上の知人は少なからずいたはず。
しかし、4カ月も放置されたところから考えると、特に親しい友人はいなかったものと思われた。

ある程度の貯えがあったらしく、家賃や光熱費は、亡くなった後も故人の銀行口座からキチンと振り替え。
また、肉体は大人しく(当り前か)乾いていっただけで、通常(?)なら異変を知らせてくれるはずの異臭やハエも発生せず。
今どきの人が新聞をとるわけもなく、ポストにたまるのは時々のチラシくらい。
しかも、世の風潮は、他人と関わらないことを平和とする個人主義を尊重。
結果、誰にも気づかれないまま一冬を越したのだった。

体調の急変は、救急車を呼ぶためスマホを手にとることさえ阻んだのか・・・
それとも、そんな時間もなくアッという間に逝ってしまったのか・・・
どちらにしろ、若かった故人は、自分が部屋で急死するなんて、微塵にも考えていなかっただろう。
ましてや、そんな一大事に誰も気づいてくれないことも。
しかし、“死”が人の意を介さないのは日常茶飯事。
非情・無情であり、厳格・冷酷であり、絶対的なもの。
家族や友人の愛をもってしても、どうすることもできない。
しかし、それがあれば、愛ある意味を持たせることができる・・・
あたたかな幸せにも似た意味を持たせることができるのである。


人づき合いが苦手で、人見知りの私。
浅はかにも、「人間嫌い」を自称していた時期もある。
しかも、友人らしい友人がいない私に人のことをどうこう言う資格はないかもしれないけど、自分にとってスマホが“仮想人間”になっていないかどうか、また、家族や友人より大切なものになっていないか、今一度、省みた方がいいかもしれない。

スマホという“仮想人間”は、自己都合上は、よき家族、よき友かもしれない。
直の人間と付き合うより楽で楽しいかもしれない。
しかし、人生における 最良の友は他にいるはず、最良の家族は他にいるはず。

やがてくる死と それまでの寿命を意識して、心身の健康に留意することは大切。
しかし、それだけではなく、“社会的健康”・・・つまり、真の社会性を育てることに留意することも大切なこと。

人間は社会的動物。
人が大切にしなければならないのは、やはり人なんだと思う。
家族であり、友であり、命であり、人生であり・・・
すべての活動は そこから派生し、すべての目的は そこに集約されるのではないかと思う。

人の想いは行動によって人に伝わる。
うつむき加減でスマホの画面にばかり向けている自分の顔・・・たまには、その顔を上げて人に向けてみるといい。
そして、つくり笑顔でもいいから、微笑んでみるといい。

そこには、仮想人間が生みだす乾いた幸せの比ではない、人間らしいあたたかな幸せが生まれるのだから。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

図々しいヤツ

2019-05-06 08:53:32 | 遺品整理
今日で大型連休もおしまい。
十連休となると、ただの大型連休じゃなく“超大型連休”だ。
とはいえ、やはり私には関係なかった。
特に多忙だったわけではないけど、何だかんだと仕事があり休んでいるヒマはなかった。
結局、この十日間、一日も休みをとらないまま終わってしまった。
やるべき仕事があるのに休暇をとるなんて図々しいマネはできない小心者なのである。

でも、なかなか楽しい十日間だった。
世の中の のんびりした雰囲気は格別だった。
繁華街や行楽地付近では人々が休暇を楽しむ姿が多く見受けられ、心が和んだ。
また、郊外に行けば、車通りや人通りが少なく、慌ただしい日常にはない静けさがあって、これにも心が癒された。
連日、高速道路のレジャー渋滞もスゴいことになっていたけど、これもまた社会が平和であることの証でもあり、ほのぼのするものがあった。

ともあれ、やはり十連休は長い。
ひと月の三分の一なわけで、週休二日の場合、通常勤務日数の半分近い日数。
暑くなりはじめた気温も手伝って、休み明けで出勤する際の倦怠感はハンパなさそうだ。
気の合う者同士で笑顔の想い出がたくさんつくれた反面、楽しみにしていた休暇が終わった寂しさと、懐の寂しさが重なって、ちょっと元気をなくしている人も少なくないではないか。
想像すると、十連休できた人のことが羨ましくもあり、少し気の毒にも思える。


もう一つのニュースといえば、言わずと知れた“改元”。
4月30日に“平成”が終わり、5月1日に“令和”が始まった。
で、世の中は“令和フィーバー”。
ただ、もともと、私は、和暦より西暦を用いることが多い。
以前から、自分でつくる書類等はほとんど西暦をつかう。
「西暦主義」と言っても過言ではない。
そのせいか、改元に対する興味や高揚感も世間ほど高くない。
幸福感に飢えた民衆(?)が気の合う者同士でお祭り騒ぎしている映像が多々流れたが、
「そこまでテンションを上げることか?」
と冷ややかな目で見ていたくらい。
元号が変わることが そんなにめでたいことなのかどうか・・・私にはわからない。
まったく幸せな気分も湧いてこないし、楽しい気持ちにもなれない。
そのクセ、“昭和生まれの俺にとっては三つ目の元号・・・四つ目の元号まで生きていたいな・・・”なんて図々しい考えを持ったりして、お粗末な頭である。
ま、そういう輩は、大人しく日常生活を送っていればいいのだろう。


何はともあれ、超大型連休も改元フィーバーもじきに終わる。
いやがおうでも日常に戻らなければならない。
気の合う仲間や家族だけで過ごせた日々も終わり、会社や学校、そうでない人と関わらなければならない日々に戻らなければならない。
人間は十人十色、ウマが合う人もいれば合わない人もいる。
肌が合う人もいれば合わない人もいる。
世の中に趣味嗜好や価値観が異なる人がいるのは当然のこと。
で、合わない人と関わらなければ安全、付き合わなければ平和である。
しかし、残念なことに、現実にはそうもいかないことが多い。
関わりたくない人と関わらなければならず、付き合いたくない人とも付き合わなければならない。

私も、仕事上で色んなタイプの人と出会う。
大半の人は、良識をもった常識人なのだが、中には苦手なタイプの人もいる。
礼儀やマナーをわきまえない人はもちろん、物事に細かい人、神経質な人・・・そういったタイプの人が苦手である(“細かい”と“神経質”の部分は、自分のことを棚に上げるけど)。
あとは、図々しい人も苦手。
たまに、契約外のことを無料で求めてくる人に遭遇することがある。
で、相手は“お客”につき 波風立つのが嫌なため、少々のことなら泣き寝入る。
そして、仕事が終わった後で陰口を叩く。
「契約に含まれていませんから」と毅然と断れない代わりに、後で、悪口を言うわけ。
そうして、自分で自分の人格を下げているのである。



遺品処理の依頼が入った。
現場は公営団地の一室。
間取りは2DK。
一人で暮らすには充分なスペース。
亡くなったのは、そこで一人暮らしをしていた高齢の女性。
晩年は、施設と病院を往復するような生活だったらしく、家財生活用品の量もさほど多くはなかった。
依頼者は、隣接する街に暮らす故人の娘(以後「依頼者女性」)。
「娘」といっても初老。
数年前に大病を患って以降 体調が優れず、更に、晩年の故人の世話が結構な負担になっていたよう。
また、亡くなった後も他に死後処理を頼める身内はいないらしく、ヒドく疲れている様子だった。

依頼者女性から色々な話を聞きながら、室内の見分を進めていると、ほどなくして、初老の女性が四人(以後「近隣女性」)、部屋に入ってきた。
インターフォンも鳴らさず、ノックもせず、遠慮したような素振りもなく、挨拶らしい挨拶もせず、自分の家のような顔をして。
その物腰を見た私は、“依頼者女性の姉妹?従姉妹?”“それとも故人の妹達?”“近しい身内はいないって言ってたはずだけどな・・・”と、少し妙に思った。
すると、依頼者女性は、
「欲しいものがあったら、遠慮なく持って行って下さい」
「使えるモノを捨てるのはもったいないですし、母もそれを望むと思いますから」
と、近隣女性達に声をかけた。

四人の近隣女性は、同じ団地に暮らす住人。
残された家財のうち、欲しいモノがあれば近所の人達に進呈するために呼び寄せたよう。
確かに、処分する家財の量が減ればそれだけ料金も安く済むし、何より、再利用できるものを捨てるのはもったいない。
再利用できる家財の譲渡や持ち帰りは どこの現場でも よくあることなので、私は、特に不自然さを感じることなく、黙って自分の仕事を進めた。

しかし、近隣女性達の行動は、私や依頼者女性の想像を超えていた。
タンスの引き出しや押入れを次々に開け、中のモノを引っ張り出し、気に入ったモノや欲しいモノが目に入ると、「早い者勝ち」と言わんばかりに、それらを抜き取っていった。
少しは罪悪感を覚えたのか、四人は、言い訳をするように「生前の故人とは親しい間柄だった」としきりにアピール。
それでも、誰に遠慮することもなく、洋服・靴・アクセサリー・バッグ・生活消耗品・調理器具・食器・調度品etc・・・次から次へと部屋にあるありとあらゆるモノに手をつけていった。
挙句の果てに、バーゲンセールで商品を奪い合うかのごとく、一つの品をめぐって小競り合いを起こすような始末。
値段が高い品だからだろう、家具・家電に至っては ほとんどケンカ状態。
故人の死を悼む気持ちや、体調が悪い中 死後処理に奔走する依頼者女性をねぎらう気持ちは微塵もないようで・・・言葉は悪いが、まるで、四人の女泥棒が大暴れしているような光景だった。

その後の部屋がどんな状態になるかは、容易に想像できるだろう。
ガチャガチャのグチャグチャ・・・まるでゴミ部屋。
本物の泥棒だって、そんなには散らかさないはず。
草葉の陰から故人の怒号がきこえてきそうなくらいの状態になってしまっていた。

公営団地は、比較的 所得が低い人達が生活しているところであることは承知していたけど、餓鬼のごとく家財を漁る近隣女性達の姿は、唖然とするのを通り越して、こちらは恥ずかしくなるくらいの、また、背筋に寒気が走りそうになるくらいの浅ましい光景だった。
その感覚は、依頼者女性も同じこと。
始めは、疲れた表情にも穏やかさを滲ませ 黙ってみていた依頼者女性だったが、近隣女性達の振る舞いを見ているうちに、どんどんと表情を曇らせていった。
そして、そのうち その表情は怒りに満ちたものに変わっていった。

あまりにヒドい振る舞いを前に、私は、“こんなことされていいんですか?”との思いを込めて、依頼者女性の目をジッと見つめた。
すぐに、その意を汲んだ依頼者女性は、
「今だけのことですから・・・この人達とは、もう関わることはありませんから、好きにさせておきましょう」
「文句を言っても疲れるだけですから・・・」
と、怒りで爆発しそうな自分自身をなだめるように、私にそっと耳打ちしてきた。

近隣女性達のあまりの無礼さを不愉快に思いつつも、依頼者女性の意思を尊重するしかない私は、依頼者女性と台所の小さなテーブルを挟んで座り、遺品処理の見積書を作成。
依頼者女性の前に置き、作業内容と費用の内訳を説明した。
すると、一通りの遺品チェックが終わったのだろう、一人の近隣女性が我々のところに寄ってきて、依頼者女性の前に置かれた見積書を覗き込んできた。
そして、
「これ、高いんじゃない? 私の息子がゴミ処分の仕事をしているから、そこに頼んだ方がいいわよ!」
と、私と依頼者女性の話に割り込んできた。

遺品処理作業を誰に頼むのかは依頼者女性の自由だし、費用が安く済むに越したことはない依頼者女性にとって選択肢は多い方がいい。
しかし、それをするにも、適正な順序やマナーは必要。
それを無視して割り込んできた近隣女性に、私は、強い不快感を覚えた。

その意を察してかどうか、依頼者女性は、
「いえ、その必要なないです・・・こちらにお願いしますから・・・」
と、近隣女性の提案を断った。
しかし、近隣女性の図々しさは、そんなヤワなものじゃない。
「息子だったら、もっと安くやってあげられると思うよ!」
と、引き下がらない。
それが、あまりにしつこいものだから、とうとう依頼者女性はキレた。
怒り心頭の恐ろしい形相で、
「貴女には関係ないでしょ!! 必要ないったら必要ないのよ!!」
と一喝。
そして、一度切れた堪忍袋の尾が再び結ばれることはなく、堰を切ったように
「“欲しいモノがあったら差し上げます”って、こっちは好意で言ったのに、人の家のズカズカ上がり込んで、まさか、こんな泥棒みたいなマネされるとは思ってなかったわよ!」
「貴女達にあげるくらいなら捨てたほうがマシ!あげるモノは何もないから、今 手に持ってるもの置いて、さっさと出てってちょうだい!!」
「早く!早く!!出てって!!!」
と、まくし立てた。

もともと、近隣女性達は相当な図々しさを持っているわけで、普段なら言い返してきただろう。
しかし、依頼者女性の怒りと威勢は、それを凌駕しており、近隣女性達は顔を引きつらせ、無言で立ち尽くすのみ。
突然の出来事を受け止めきれなかったのだろう、四人は慰め合うようにキョロキョロとお互いに引きつった顔を見合わせながら、スゴスゴと玄関へ引き下がり、これまた何の挨拶もなく消えていった。


作業の日。
依頼者女性は現地に呼ばず、鍵だけ預かって作業に臨んだ。
“嫌がらせをされるかも”といった警戒感をもって。
ただ、こちら側には、後ろめたいことや落ち度はない。
何かされたら堂々と対抗する意思をもって、粛々と作業を進めた。
が、結局、何も起こらず 作業はスムーズに終わった。
さすがに、そこまでの図々しさは持ち合わせていなかったよう。
近隣女性達は物陰からこちらを伺っていたのかもしれなかったけど、良心の呵責というものを少しは味わったのか、誰一人出てくることはなかった。

ただ、近隣女性達は、依頼者女性の悪口に花を咲かせたに違いない。
「親しい間柄」と言っていた故人のことまで悪く言ったかもしれない。
自分で自分の人格を下げていることにも気づかずに。
ただ、それは、もはや 依頼者女性にも故人にも関係のないこと。
取るに足らない「勝手に言わせとけ!」の類の話だ。

しかし、近隣女性達に嫌悪感を抱くだけに終始してしまっては、私も同類。
彼女達を反面教師にして学ぶべきことはあると思う。
本音と建前を駆使し、上手に人と接しているつもりの私でも、自分の気づかないところで悪評をかい、意外な人に嫌われているかもしれないのだから。


好感をもたれる人間になるためには、自分に自信を持たなければならない。
しかし、過信してはならない。
良好な人間関係をつくるには、自分なりの正義を持たなければならない。
しかし、それを過信してはならない。
“自分が正しいとはかぎらない”という謙虚さと“自分は正しい”という図々しさ、その両方を組み立てて自分に厳しく人に優しい自分をつくり上げることが大切。

幸せになることに図々しくあろう。
しかし、自分だけの幸せのために図々しくあってはいけない。
生きることに図々しくあろう。
しかし、自分だけが生きることに図々しくあってはいけない。
「自分さえよければいい」という価値観に、人と人との間に生まれるはずの愛・情・絆は生まれない。
そして、それらがなければ、生まれてきたことの目的、生きることの意味、死んでいくことの理由・・・・・つまり、人がつかめるはずの栄光が現れてこないのだから。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

桜と亀

2019-04-08 06:59:51 | 遺品整理
寒い冬が終わり、暖かな春がやってきた。
卒業・入学・転勤・就職等々、何かが終わり、何かが始まる・・・春は色んなことが新たになる。
そしてまた、今年も、桜が咲き、また、散ろうとしている。
晴れ晴れとした気持ちであれば何よりだけど、後悔と不安を胸に、曇り気味の気分で桜を見上げている人も少なくないのではないだろうか。
私の場合、永年、新年も新年度も関係ない仕事をしているので、その辺のところはかなりのっぺりしていて、フレッシュな気分も湧いてこない。
ただただ、極寒の冬を越えた安堵感と暖かな春に迎えられた安心感に、小さな幸せを覚えている。

人の気分を落とす大きな要因は「過去に対する後悔」と「未来に対する不安」だという。
かくいう私自身、充分に思い当たる。
後悔と不安は、想えば想うほど気分を落としていく。
「考えても仕方がない」とわかっていても、壁に突き当たったとき 何かにつまずいたとき 思い通りにならないとき等、その想いは、自分の弱さにつけこんで頭をもたげてくる。

ただ、幸いなことに、例年 見舞われる冬鬱は軽症で済んだ。
相変わらず、休暇らしい休暇はとれていないけど、何だかんだとやるべき仕事があり、知らず知らずのうちに気が紛れていたのかもしれない。
もちろん、そんな生活は疲れるけど、鬱々とふさぎ込んでいるよりはよっぽどマシ。
身体は楽じゃないけど、その方が精神は楽。
そうは言っても、歳のせいだろう、時間がなくなってきたこともあり、“モタモタしているヒマはない”と焦って空回りしてしまうことも少なくない。

どちらにしろ、過去は変えられない。
で、後悔も消せない。
しかし、未来は変えられる。
不安を小さくすることはできる。
簡単なことにではないけど、少なくとも変えようと努力し、挑戦することはできる。
未来に期待や希望を持ちにくい現実があったとしても、自分には、努力する自由、挑戦する自由、自己決定の自由がある。
それは、与えられた(限られた)時間を大切に使う術でもあるだろうし、それによって、後悔や不安による気落ちを抑えることができるとも思う。

目の前には、自分の期待や希望を砕く厳しい現実がある。
しかし、何もかも“現実”のせいにしてばかりいても仕方がない。
ある意味、この現実をつくっているのも自分なのだから。
不遇を嘆くよりも、不遇から脱出する努力をすべきだろう。
不遇を変える挑戦をすべきだろう。
嘆くほどの努力をした者、嘆くほどの挑戦をした者・・・それができる者にこそ、現実を嘆く資格があるような気がする。
・・・なんて、力んだところで、実際は、たいした努力も挑戦もできないでいる私だけどね。

それでも、日々、少しでも楽しく過ごすことを意識はしている。
「クサるな! スネるな! イジけるな!」と、呪文のように唱えながら。
「楽しく過ごす≠遊ぶこと」だけど、たまには、非日常を楽しむことも大切。
で、先日、仕事の後、花見に出かけた。
桜祭をやっている某所へ夜桜を見に。
平日で、かつ気温も低く、思っていたよりは混雑しておらず。
それでも、樹々の下には大きなブルーシートが何枚も敷かれて、多くのグループが陣を敷いていた。
ただ、幸い、そこでは、TVニュースで観るような、大酒飲んでのドンチャン騒ぎもなく、泥酔酩酊で醜態をさらしている人も見受けられず、ゴミが放置されているようなこともなかった。

集団のほとんどは、会社員とみられる人達。
会社主催なのか社員有志の集まりなのかわからないけど、醸し出されている雰囲気は、明らかに社交辞令的な集まり。
大半の人が「会社の花見も仕事のうち=社員の義務」として参加しているのだろう、それぞれ笑顔は浮かべてはいるものの、そのどれもが「つくり笑顔」「愛想笑い」のようで、本心で楽しんでいる人はいないように見えた。
私には、顔を引きつらせながらも笑顔を絶やさないようにしている面々が、ある種の人間苦に苛まれているようにも見え、気の毒にさえ思えた。

一方の私は、完全にプライベート。
誰に気兼ねする必要もなく、大きなグループの間に小さなシートを敷き、とりあえず陣取り。
それから、軒を連ねる露店の前をブラブラ。
最近は、露店の種類も増え、美味しそうな食べ物もたくさんあり、買わずとも 見て回るだけでウキウキとした童心が甦ってきた。
ただ、心は子供に戻っても、やはり身体はオッサン。
酒を飲もうかどうか考えた。
しかし、寒いし、周囲にも酔って盛り上がっている人もいなかったし、値段も高いし、結局、飲むのはやめにした。
それでも、そこにいて桜祭の空気に包まれているだけで、充分に楽しい気分を味わうことができた。

ささやかなことでも、こういった非日常の出来事は、気分を浮かせてくれる。
と同時に、日常あっての非日常、非日常をくれる日常を もっと大切にするべきことに気づかされる。
で、平凡で、飽き飽きするような、ありきたりの日常が愛おしく思え 感謝の念を抱くのである。



出向いた現場は、都心に建つ古いマンション。
亡くなったのは80代の男性。
現場マンションのオーナーで、その一室に暮らしていた。
依頼者は50代の男性。
故人の息子で、男性もまた、現場マンション別階に居を構えていた。
頼まれた仕事は、故人の部屋の家財生活用品処分、いわゆる遺品処理。
長年に渡る生活で、部屋には、かなりの量の家財が詰め込まれていた。

建具や内装は経年による劣化が激しく、家電以外、部屋にあるモノの大半は、過ぎた年月の長さと時代を感じさせる古いものばかり。
ただ、そこは、都内でも利便性の高い人気エリア。
建物は古くても賃貸にだせば人は入る。
男性は、部屋が片付いたら きれいにリフォームして、賃貸にだす算段をしていた。

このマンションは、故人が生涯をかけてつくり上げた財産。
何もないところから信用を積み、大借金をして建てたもの。
並みの住宅ローンとは桁が違うため、大きなリスクとプレッシャーがあった。
しかし、その借金もコツコツと労苦を重ねながら返済。
一室には、所帯をもった息子(男性)を住まわせてやることもできた。
誰に自慢するわけでもなかったが、故人は、このマンションを所有していることを誇りに思っていたようだった。

処分する家財の種類や量によって作業内容と費用が変わってくる。
私は、男性の説明を受けながら部屋を移動し、引出しや押入れを開けながら家財の確認を進めた。
そんな中で、ベランダも確認。
広いベランダには、物干竿や収納庫、バケツや鉢植え等、色々なもの置いてあった。
更には、一匹の亀。
日光浴でもしているのか、亀は、陽のあたる場所にジッとしていた。
そして、よく見ると、隅には、浅い池と日陰がつくってあり、亀の家のようなものもあった。
どうも、ベランダを住処に飼われているようだった。

「あれは・・・亀ですか?・・・ジッとしてますけど、生きてるんですよね?」
「えぇ・・・生きてますよ・・・親父(故人)が飼ってたんです・・・」
「そうなんですかぁ・・・あ!でも、生き物は引き取れませんので・・・」
「大丈夫!大丈夫! あれも“家族”ですから、うちで引き取ります!」
亀の行く末に一抹の不安が過った私は、男性の言葉に安堵した。

「うちへ来て、もう五十年近くになるんですよ」
「えッ!?五十年!?そんなに!?」
「そうなんですよぉ・・・私が子供の頃に、親父が縁日で買ってくれたものなんです」
「へぇ~!そうなんですかぁ・・・それからずっと一緒にいるわけですかぁ・・・」
私は、亀の長寿に驚きつつ、延々と続いている時間に 家族愛のような 何ともいえない温かさを感じた。

「昔は、露店で、亀とかヒヨコとか売ってたでしょ?」
「ええ・・・私も、昔、カラーひよこ買ったことがあります・・・親は いい顔しませんでしたけどね」
「親父も反対したんですけど、“絶対面倒みるから!”って言い張って、拝み倒して買ってもらったんです」
「子供に ありがちな口上ですよね・・・」
当時の親子の様子を思い浮かべると、私自身の想い出とも重なって、何とも微笑ましく思えた。

「そういうわけで、最初は私が飼ってたんですけど、まさかこんなに長生きするとは思ってなくて・・・結局、御袋が死んだ後、一人暮らしになった親父が面倒みることになりましてね」
「そうことですかぁ・・・なんか、感慨深いものがありますねぇ・・・」
「えぇ・・・しかも、親父の方が先に逝くなんてね・・・」
「・・・・・」
男性の心には、亀の長生きの喜びと 父親の死の悲しみが混在しているようで、複雑な表情を浮かべた。

「もちろん、コイツは死ぬまで面倒みるつもりですけど、私も もういい歳ですから、どっちが先に逝くかわかりませんよね・・・」
「まぁ・・・そうですよね・・・先のことは誰にもわかりませんから・・・」
「ずっと昔の・・・あのときの縁日にでてた小さな亀がね・・・今ここにいるコイツとはね・・・」
「・・・・・」
懐かしい日々が想い起されたのだろう、男性は、何かを愛おしむように笑った。


一度きりの人生、終わりに向かって生きているのは私だけではない。
歳の順ではないが、人生は順々に終わっていく。
寂しくもあり、切なくもありながらも終わっていく。
その中に、たくさんの幸せがあり、楽しさがあり、喜びがある。
そして、多くの苦しみがあり、痛みがあり、悲しみがある。
善行もあり悪行もあり、賢考もあり愚考もあり、強さもあり弱さもある。
“今”が想い出に変えられていることにも気づかず、時間の川を流されている。
無意識のうちに、慌ただしく。

そんな人間達を見下ろして桜は何を想っているだろう・・・
「もっと きれいに生きられるはずだよ」とでも言いたいかもしれない。
そんな人間達を見上げて亀は何を想っているだろう・・・
「もっと のんびり生きられるはずだよ」とでも言いたいかもしれない。

・・・詩人気どりでそんなことを空想しながら、桜吹雪に歩を進める私である。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

面倒

2019-01-07 08:42:22 | 腐乱死体
年が明けて一週間が経ち、軽くなった財布と重くなった身体を携えて面倒な日常に戻った人も多いだろう。
その面倒さに、鬱っぽくなっていないだろうか。
一方、年末年始に働いたサービス業等の人達は、これから長期休暇に入るのだろうか。
行くところに行けば、まだまだ正月ムードは残っているだろうから、初詣、飲食、旅行etc・・・楽しめることはたくさんありそうだ。
子供がいる人は学校の冬休みに合わせられないというデメリットはあるけど、混雑は終わっているし、シーズンで高騰した宿泊費等も廉価に戻っているし、そのメリットは大きい。
皆が遊んでいるときに働いた御褒美だ。

一応、私の仕事もサービス業(イメージがそんな感じじゃないけど)なんだけど、今のところ、今月も休暇をとる予定はない。
親戚の結婚披露宴に招待されているので、その日くらい。
多額の御祝儀や会場で会う人々との関わりを考えると面倒臭くもあるけど、普段、喪色ばかりに染まっているので、たまには紅色に触れてみるのも悪くないだろう(不気味な紅色にはしょっちゅう触れているけど)。
それ以外、休暇らしい休暇は、暖かくなる頃にとろうかと思っている。
ちょっとしたレジャーや旅行を考えており、そのため、寝床の枕元に隠した空缶に、時々、500円玉を呑み込ませている。

その枕元で毎朝繰り広げられているのは起床との戦い。
寒いし暗いし、だいたいの朝は鬱っぽくなってるし、布団から出るのはなかなか面倒。
しかも、後に待っているのは、面倒な仕事。
重くなった気と身を持て余しながら、止まるわけない時間が止まる願望をもって時計に何度も目をやる。
しかし、時は無情。
始業から逆算した起床時刻はすぐにやってきて、鬱々と重い身を起こすのである。

私の場合、鬱っぽい気分で覚醒する朝は多い。
朝鬱夕躁・・・例年、冬場はそれが重症化。
ただ、幸いなことに、その持病(冬鬱?)も近年は楽になってきている。
完治はしていないし、そこそこのレベルで慢性化しているけど、以前よりはマシ。
以前は、心が闇に覆われて、虚無感・脱力感・疲労感、そして絶望感に苛まれて、生きるのが面倒臭くなるくらい しんどい思いをしていた。

あまりの重症が脳裏に焼きついて、忘れられない冬もある。
それは、五年前の話。
2013年の秋から精神は低空飛行を始め、若干のUp Downを繰り返しながら徐々に下降。
そして、翌2014年1月は墜落寸前の状態に。
あまりのことで日付まで憶えている・・・
1月13日、出かけた先には真っ青に晴れ渡る空と、真っ青に広がる海があった。
空も海も、眩しいくらいに光り輝いていた。
が、私の精神は、暗い雲に覆われ、ドシャ降りの冷たい雨。
それでも、「大丈夫!何とかなる!」と心の中で何度もつぶやきながら、必死で自分を鼓舞し続けた。
しかし、それも虚しく、翌14日 15日 16日、三日間の朝は地獄のような苦しみが襲ってきた。
寒いはずなのに汗ダク、全力で走った後のように呼吸は浅く小刻み、発狂したいような衝動にかられ、布団に座った状態で頭を抱え、倒れ込んでは起き・倒れ込んでは起き、それを繰り返し、自分の身体を脱ぎ捨ててどこかに逃げ出してしまいたいような気分にのたうち回った。

それでも、仕事には休まずでた。
“休めなかった”のか“休まなかった”のか、それは憶えていないけど、結果的に仕事にでて正解だった。
頭を仕事に向け 作業で身体を動かせば、少しは気持ちを中和できるし、一時的にでも誤魔化すこともできる。
家にこもっていてはロクなことにならなかったはず。
ただ、その時の私の顔は、内面の異変を如実に表していたと思う。
暗い表情であったことは間違いないけど、それを通り越し、怯えるような顔をしていたのではないかと思う。

そんな状態を脱するため、ある術を、重度の鬱病から復活した人から教えてもらった。
それは、「気持ちが暗くなり始めたら、そのことは考えるのをやめる」ということ。
これは、その場をしのぐための一つのテクニック。
根本的な解決にはならず、無責任な現実逃避かもしれない。
しかし、それでもいい・・・“弱虫のテクニック”でもいい、“卑怯な手”でもいい、まずは自分を救い出さなければならない。
とにかく、目の前の壁を乗り越えなければ次に進めない。
こういう性分の私にとって簡単な方法ではなかったけど、気分がマズくなってきたときはそれを心がけた。

残念ながら、それは劇的な解決策にはならなかった。
それで、気持ちが軽くなることはなかった。
ただ、それ以上に気分が落ち込んでいくことを止めるくらいの効果はあったように思う。
応急処置としては、一定の効果があったように思う。

結局のところ、私が味わわされているこの“苦”は、“身から出た錆”・・・“自業自得”のように思っている。
自分の弱さとか 愚かさとか ズルさとか、そういったものが病原のような気がするから。
ということは、もっと強く 賢く 誠実な人間に成長できれば、苦も軽くなるはず。
人が人である以上、私が私である以上、苦が無になることはないけど、自分のためを考えるなら、少しでも軽くすることを志向するべきだろうと思っている。



前回ブログ「大失敗」の現場。
あまりの惨状で部屋にいることができなくなった遺族二人(故人の両親)と共に、私も一旦 玄関の外へ。
エレベーターを使おうとした二人を制止し、階段で降りるよう促した。
エレベーターに悪臭をこもらせると面倒なことになるからだ。

我々は、最初に話をした建物脇の物陰に行き、以降のことを協議。
二人は青ざめた顔で、貴重品や個人情報が入っていそうな書類等の探索選別を私に依頼。
そういう流れになることを想定していた私は、承諾とともに、
「面倒臭がってるように聞こえたら申し訳ないですけど、いちいち丁寧にやっていたら時間がかかるだけですから、泥棒が入ったかのようにひっくり返しますよ」
と許可をもらって、一人 汚部屋に戻った。

汚染痕はベッドに残留。
ベッドマットはワインレッドやピンクに生々しく染色。
ただ、部屋の気密性が高いせいか、いてもおかしくないウジはおらず、ハエも一匹も飛んでおらず。
仮に、彼らがいたとしても大した敵にはならない。
が、玄関から外へ逃走しないよう極小の彼らを見張るのは かなり面倒。
そんなことに気を取られていたら仕事にならない。
私は、彼らが生まれてこなかったことを自分の幸運として仕事のやる気を高めた。


慣れたせいか、麻痺しているのか、私は、こういう現場に一人でいても恐怖心は湧かない。
仕事の義務感(いい言い方をすると“使命感”“責任感”)が嫌悪感も薄くしてくれる。
ある意味で、故人は仕事の依頼人のようなもの。
また、パートナーのようなもの。
だから、恐怖心や嫌悪感などは最初のうちだけで消えていく。
で、思考は故人の生き様と その最期に傾いていく。
私は頼まれた仕事を黙々とこなしながら、氏名や年齢をはじめ、徐々に知れてくる故人の経歴や普段の生活ぶりに神妙な思いを深めていった。

優秀な高校・大学を経るにあたっては、もともとの能力もさることながら、その上で人並以上の努力をしただろう。
そしてまた、相応の努力をもって一流企業に就職し、以降も、会社や社会で活躍することに夢を抱いていただろう。
そんな若者の目に、“死”は影も形も映るはずはなく・・・
自分の人生が20代のある日で突然終わってしまうなんて、微塵も思っていなかったに違いない。

万民に、“時間”は不平等でも“死”は平等。
無情なのは“死”ではなく“時間”の方かもしれない
その中でどう生きるか・・・“努力する”って楽じゃないけど楽しくもある。
学歴や肩書だけを称賛するつもりもないし、そういったことと人格が一致するとは限らないけど、面倒臭がり屋の人間にはマネできない 相応の努力が積まれてきたことは間違いないことだと思う。
短い人生でも、悔いが残っても、それでも、故人は故人の人生を有意義に生き切ったものと私には思えた。


貴重品らしい貴重品は、銀行通帳と印鑑くらい。
財布は警察管理で、既に遺族の手に渡っていた。
しかし、書類等は結構な量があった。
公共料金の明細書や仕事関係の名刺や書類、学校の卒業証書や昔書いたと思われる履歴書、想い出の写真やアルバムも少なくなかった。
結果、持ち出す荷物は、段ボール箱三つ分にもなった。

「面倒臭いことになっちゃったなぁ・・・」
結構な量になったため、それを持ち出すにあたっては算段が必要になった。
荷物からもウ○コ男からもニオイが出てしまうから。
玄関前の共用廊下は塞がった空間で、空気が外気と入れ替わりにくい構造。
階段も内階段で、外気との換気が困難。
エレベーターを使うなんて論外。
方法は一つ、廊下と階段を素早く走り過ぎるしかなかった。

二階や三階ならまだいい。
現場はもっと上の上・・・見晴しのいい上階。
クサ~イおっさんが、必死の形相で駆ける姿は、“みっともない”“滑稽”を通り越して“不可解”“不気味”。
その怪しい動きは、警察に通報されてもおかしくないものだと思う。
私は、それを三往復やらなければならなかった。
汗は吹きだし、息は切れ、心臓は鼓動し・・・若くない身体にはキツい作業。
しかし、そんなことより、異臭が漏洩してしまうことの不安感と、誰かと遭遇してしまうことの緊張感の方が勝っており、それが身体のキツさを忘れさせてくれた。

約束の仕事を果たした私に、遺族の二人は礼を言ってくれた。
ただ、それは、あくまで社交辞令的なもので、あたたか味は感じられず。
あたたか味を加えるほどの余裕は、二人にはないようだった。
それも仕方がない・・・息子の死と凄惨な部屋に遭遇し、プライド(世間体)といった面倒臭い事情を抱え・・・心を暗くさせる要因はいくらでもあったのだから。
二人に覆いかぶさっている困難は、二人の味気ない態度にも、私に不満は抱せることはなかった。


故人(息子)の人生は早々と終わってしまったけど、遺族二人(両親)の人生には まだ残りがある。
心が癒えるまで、何日か、何ヶ月か、何年か、重苦しい時間を強いられることだろう。
また、いずれは、世間から好奇の視線を向けられ、いらぬ同情を押し付けられる日がくるだろう。
何もかもか面倒臭く思えるような虚しい日々が続くかもしれない。

人は、時として、生きることに面倒臭さを覚えてしまうことがある。
本意でも本意でなくても、そういった思いが頭を過ることは人生で何度となくある。
疲れたとき、悲しいとき、悩んでいるとき、ツラいとき、苦しいとき・・・“元気に生きたい”という本能がベースにありながらも、魔がさすように、そういう思いが頭を過ることがある。
そして、それが心の隙間に入り込んで、居座ってしまうことがある。

そんなときは、その場をしのぐための一つのテクニックとして、まず、そのことを考えるのをやめてみる。
一時しのぎ、無責任な現実逃避かもしれないけどやってみる。
とりあえず、それで気分の降下を止める。
次に、自分の人生が、いつか・・・そう遠くないうちに終わることを思い出す。
そして、具体的に、自分が死の床についたときのことを想像する。
それで、面倒なことばかりだった人生、面倒臭く思えた人生を回想する。
死を目前にすると、面倒な煩わしさは消え、それらは懐かしく想い出されるのではないだろうか・・・
また、そんな人生でも、愛おしく、名残惜しく想うのではだろうか・・・
そして、
「面倒臭い人生だったけど、もう少し生きていたかったなぁ・・・」
と想うのではないだろうか。

人生は短い。
アッという間。
自分が思っているほど長くはない。
面倒臭がっているうちに終わってしまう。

その希少さを、儚さを、貴重さを、大切さを・・・
まるで愛情深い親のように、“死”は繰り返し教えてくれるのである。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

大失敗

2019-01-04 08:43:06 | 腐乱死体
2019謹賀新年。
例年通り、私は、大晦日が仕事納めで、元旦が仕事始め。
大晦日の夜は 紅白を観ながら(なかなか楽しかった)いつもよりたくさん飲み、カップ蕎麦を食べ、零時過ぎまで夜更かし。
で、元旦の朝は、軽く二日酔気味。
ただ、気持ちのいい快晴で、「今年もがんばろ!」といつも通り出勤した

この年末年始、九連休という人も多いらしい。
ということは、三ヶ日が過ぎた今日が仕事始めではなく7日が仕事始めという人も多いということか。
羨ましいのはもちろんだが、同時にその過ごし方が気になる。
家にこもってゴロゴロしてばかりじゃ時間がもったいないし、そうは言っても遊びに出かけてばかりじゃ金がもたないだろう。
結局のところ、私みたいに仕事をしてるのが一番無難だったりして・・・
何はともあれ、私は自らの意志(絶望と穢れた動機)でこの仕事を選んだわけで、ゆっくり休めないこの現状は諦めるしかない。
あとは、この現実の中で喜びを見つけるしかない。

ただ、喜んでいられない失敗もある。
それは、休肝日を設けそこなっていること。
ビールもウイスキーも日本酒も潤沢にあり(すべて頂きモノ)、「せっかくの正月なんだから」と自分に言い訳もでき・・・で、暮れの30日からダラダラと飲み続けてしまっている。
あと、スーパー銭湯に行きすぎて、小遣いが赤字になっていること。
冬の寒さと ヒドい肩コリ(特に左肩が重症)と 家で極寒シャワーに耐えている反動で、「がんばってる自分への御褒美」と、事ある毎に銭湯に足を運んでしまっている。

・・・自分を律するのって本当に難しい・・・それを 今更ながらに痛感している。



腐乱死体現場が発生。
「また厄介なことをお願いすることになってしまって・・・」
依頼してきたのは、それまでに何度か仕事をしたことがある不動産管理会社。
「ほんの少ししか見てないんですけど、部屋の状況はですねぇ・・・」
顔見知りの担当者も要領を得ており、私が欲しがりそうな情報を端的に伝えてきた。

現場は都心の一等地に建つ賃貸マンション。
間取りは1Kで独居用。
住人の多くは、都心勤務の若いビジネスマンや経済力のある学生。
亡くなったのは部屋の住人で若い男性。
特段の持病もなかったらしく、自殺でもなく、死因は、いわゆる“突然死”。
不幸は重なり、それは休暇中の出来事。
通常の休暇なら、「無断欠勤」「連絡不通」で早めの発見された可能性が高い。
しかし、よりによって、それは長期休暇中に起こってしまい、勤務先が故人の死を知ったのは遺体の溶解がかなり進んだ段階だった。

死後約一週間、時季の暑さも重なって遺体は深刻に腐敗。
ともなって、部屋には重度の汚染と異臭が発生。
しかし、部屋の気密性は高く、外部への異臭漏洩はなし。
また、警察が来て騒ぎになったはずなのに、平日昼間の出来事で近隣にはバレていないとのこと。
風評被害を恐れる管理会社は、「近隣に知られないよう秘密裡に処理してほしい!」と強く要望してきた。

どんなに汚れていようがクサくなっていようが、法律上、部屋の家財は相続人の所有物。
相続人(遺族)の許可なく勝手に入室し、家財に触れるわけにはいかない。
緊急事態とはいえ、勝手なことをして後々トラブルになっては困る。
私は、管理会社の要望のもと、遺族と電話で打ち合わせ。
遠方の街から来る遺族の都合に合わせて現地調査の日時を決め、その日は一緒に部屋に入ることにした。


約束の日時、現場に現れたのは中年の男女二人、故人の両親。
1Fエントランスでの立ち話は他住人の目にもつくし、会話の内容を誰かに聞かれるのもマズかったので、我々は、挨拶もそこそこに建物脇に移動。
物陰に隠れるようにしながら、私は、経験による想像にもとづいて、小声で室内の汚染・異臭の状況を説明。
一方、管理会社から言われるまでもなく、二人も事を秘密裡に収めたいみたいで、言葉数も少なく、真剣な面持ちで私の話に聞き入った。

どんなに素早く出入りしても、異臭が空気である以上、玄関ドアを開けた時点である程度は外に漏れる。
ただ、開ける幅を極力狭くし、開ける時間を極力短くすれば、その量を抑えることはできる。
それでも、若干の異臭は漏れるし、周辺に人影がないことを確認して入るつもりではあっても、そこに人が近づかない保証はない。
そこで異臭を感知され、管理会社にでも通報されたらおしまい。
私は、室内はかなりの異臭が充満しているはずであること、近隣に気づかれないよう厳重に注意しなければならないこと、躊躇なく素早く入ってもらう必要があること等を二人に念入りに説明。
そんな私の話を二人は真剣な表情のまま聞いていたが、話が進むにつれ、その表情には恐怖心のような固さが上書きされていった。

私は、話の最後に、心遣いのつもりで、先に自分一人で室内を確認してくることも可能であることも伝えた。
しかし、何らかの強い思いがあったのか、それでも、二人は入室を辞退せず。
結果、我々三人はエレベーターで見晴しのいい上階の部屋へ。
同階周囲に人の気配がないことを確認しながら部屋の前まで進んだ。
そして、男性に開錠してもらい、私がドアを引いた。
それから間髪入れず二人を押し込むように入室させ、私も素早く身をすべり込ませた。

悪臭のレベルは二人の想像をはるかに超えていたよう。
しかも、高温でムシムシとしたサウナ状態。
見えない壁に阻まれた二人は狭い玄関で立ち止まってしまい、三人で“おしくらまんじゅう”状態に。
私は、二人を奥へ進むよう促し、急いでドアを閉めた。
が、二人は地蔵のように固まり、歩を進めず。
それどころか、早々と具合が悪くなったよう。
嘔吐を我慢するかのように、前かがみになって紙マスクの上から口を押えた。

腐乱死体のニオイって、他の何にも例えようがない独特かつ強烈なもの。
鼻を直撃するのはもちろん、腹や心臓、精神にもくる。
嗅覚が担当するべきニオイが、視覚を担当している目に滲みてくるような深刻なケースもある。
特掃をやり始めた当初、専用マスクを持ってなかった私もよく“オエッ!”とやっていた。
結局、二人とも ものの2~3分でギブアップ。
人目を盗みながら、泥棒のように外へ逃げ出して行った。

二人が入室したかったのは、故人の死後処理をスムーズに行うために必要な貴重品や書類等を選別して持ち出したかったから。
何かに不備があって役所とかで手続きが滞ると、その間に事が公になるかもしれない。
すると、息子の若い死を知った地元周辺から好奇の目を向けられたり 野次馬的な同情をかったりすることになる。
どうも、そういったことが我慢ならないよう。
だから、死んだ息子のことを誰にも知られたくないようだった。
しかし、この汚部屋には手も足も出ず、その作業を私に任せざるを得ず。
つまり、私にも、個人情報が知れることになるわけ。
で、二人は、故人一家の地元には縁もゆかりもない私にさえ、知り得た個人情報は絶対に口外しないよう念を押してきた。

故人は一流大学を卒業し、外資系の一流企業に勤務。
高校も地元の偏差値上位校で、誰もが羨むような経歴。
両親の期待通り、いや、それ以上の人生を歩んできた・・・
就職してからもバリバリと仕事をし、今後の出世や活躍も大いに期待されていた・・・
きっと、自慢の息子だったに違いない。
しかし、期待通りの寿命は与えられず、突然の死によって、そのすべては無残に絶たれてしまった。

二人が、それを強く秘匿したがった心境の根源はどこにあるのか。
俗世間的な成功を手にし、それを大きな名誉とし、無意識のうちに世間に対して優越感や勝利感を抱いていたのかもしれない。
そういう心情が、息子の死を、世間体を前に、“敗北”とか“失敗”のように捉えさせたのかもしれず、羞恥心をくすぐったのかもしれなかった。


本来、“死”というものは、人間主体で「受け入れる」とか「受け入れない」等といえるものではない。
人間の力ではいかんともし難い、人間の主体性を無視した事象で、人間の主体性を超越した領域にあるもの。
にも関わらず、人間は、一方的に、 “死”というものを、“敗北”“逃避”“失敗”といった人間主体の概念に引きずり込んでしまう。
確かに、人が“死”に向かうプロセスには、老化・病気・事故など、ネガティブに感じさせやすい経緯・事情・状況は多い。
それらに、“死”に対する未知(無知)からくる人間の恐怖心や嫌悪感がプラスされるから、余計にそうなるのだろう。

宗教の多くは、“死”に期待や希望を持たせようと、昇華を試みる。
そして、“死”を意識する人々も、それを信じたい気持ちを抱いて集まる。
しかし、現実的には、やはり喜んで受け入れられるものではない。
希望を持てるものでもなければ、明るい気分になれるものでもない。
“死”に勝てない人間は、ある種の諦念をもって捉えるしかない。
私は、“死”を“失敗”として捉えてしまうことに悲しい違和感を覚えつつも、本性の部分で理解できるところもあり、雑然とした心境を放置するしかなかった。


二十数年前、私が就職したのは遺体処置業(湯灌)の会社。
歳の離れた(クセのある)先輩達もいて、業務の色々を教えてもらうことができた。
しかし、特殊清掃業は、その後に新規でやり始めたもの。
当時、世の中に、専業としてそういった業種や会社があったわけではなく、自らがパイオニア的存在。
当然、教えてくれる人は誰もおらず、試行錯誤・七転八起の連続。
腐敗液の掃除の仕方、ニオイの取り方、遺品の片付け方・・・何もかも未知の領域、チャレンジの日々。
機材も道具も素人仕立て、最初はネクタイ姿に革靴を履いて作業にあたっていた。
そんな具合に、当初は、技術も道具も持たないズブの素人が忍耐力と根性だけでやっていたような始末で・・・今、思い返すと笑ってしまうくらい。

当然、多くの失敗もしてきた。
依頼者の期待に沿えなかったことや関係者に迷惑を掛けてしまったこと、肝を冷やしたことも少なくない。
それでも、一つの失敗を一つの教訓とノウハウにしながら経験を積み重ね、何とかお金をもらえる仕事にまで成長させてきた。

しかし、残念なことに、仕事と人生はちょっと違う。
過ぎた時間を巻き戻すことはできない。
過去の事実を消すこともできない。
仕事より人生のほうがシビア。
人生においては、失敗の巻き返しを図ることはなかなか難しい。

半世紀生きてきて、半世紀生かされてきて、「失敗したな・・・」と思うことは多々ある。
「もっと勉強しておけばよかった・・・」
「もっと先を見る目を養っておけばよかった・・・」
等と、若気の至りを後悔することもよくある。
大人になってからも、金の失敗、酒の失敗、女の失敗等々・・・色々と失敗してきた。
で、“最大の失敗”だと思っているのは、やはり“就職”。
この四半世紀余を振り返ってみると、真っ先に自分の悲惨さが目に浮かぶ。
「俺って、なんて愚かなんだ・・・」
「なんて頭が悪いんだ・・・」
といった想いが沸々とわいてくる。
「もう諦めるしかない」
「現状で頑張るしかない」
と覚悟しているつもりでも、その想い(後悔)は消えない。
もちろん、日々における細かなHappy Luckyはある。
生活や人生の糧にもなっているし、幸せや楽しさや笑いもあるし、感謝の念も強く持っている。
ただ、「人生」という大局的な器に入れ、「一生」という長期的な道に乗せてみると、やはり、失敗感は否めない。
どんなに理屈をこねても、カッコつけても、やはり、「この仕事に就いてよかった!」とは思えない。
大なり小なり、この後悔の念は一生消えないのだろうと諦めている。

しかし、考えようによっては、別の見方もできる。
精神が荒みまくっていた就職時の状況を考えると、「自分がこの仕事を選んだ」というより、「天職として、この仕事が私を選んでくれた?」といった方がシックリくるかもしれない。
とすれば、それは、喜ばしいこととなる・・・選ばれたわけだから。
自分を主体にすれば失敗でも、自分以外を主体にすればそうじゃなくなる。

つまり・・・
「失敗は失敗だと思うから失敗なのである」
そして・・・
「自分の人生を失敗だと思うことが人生最大の失敗である」
・・・ということになる。

こんなの、人から見れば 取るに足らない浅慮かもしれない。
また、この通りに自分を律することができないかもしれない。
しかし、この気づきは、この先、私の人生にとって喜ばしい出来事になるのだろうと思うのである。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

空元気

2018-12-31 14:18:19 | 孤独死
2018年12月31日(月)、今年も今日でおしまい。
晴天の大晦日、昨日までの寒風もやみ、日向に出ると やわらかい暖かさも感じられる。
空を見上げて心を静めてみれば、一年の出来事の色々が思い起こされる。

この天気とは真逆で、厳寒の暗闇を手探りで歩いているような自分の人生。
決して、人に羨ましがられるような人生でもなければ、人に自慢できるような人生でもないけど、この一年、楽しいこともあったし、幸せもたくさんあった。
楽しさは望むこと、幸せは気づくこと・・・それで味わえる。
もちろん、いいことばかりではなかった。
身体を故障したり、嫌な人と関わったり、仕事が辛かったり、お金がなかったり・・・
所詮は小さいことだけど、悩んだこと、苦しんだこと、悲しかったこと、辛かったこと、痛かったこと、頭にきたこと・・・キリがないくらいあった。
しかし、それもまた人生の薬味であり妙味・・・旨味の前味だったりする。

私にとって、ブログを書くことも、自身に対する戒めや反省や励ましになったりするわけで、薬味・妙味になるものである。
しかし、今年、ブログの更新頻度は、もはや「ブログ」とは呼べないくらいのレベルに低下。
怠慢もあるけど、懸命に生きることをモットーに労働に勤しんでこその“特掃隊長”だから、ブログ更新の少なさは、本業をちゃんとやっていた証であり、ある意味、元気にやっている証ともいえる。

そういえば、最後に休みをとったのは、いつだったか・・・
10月だったか? 9月だったか?・・・よく憶えていない。
カレンダーを遡ってみると、なんと!休暇らしい休暇をとったのは7月29日が最後だったみたい。
正直、そんなに前のことだとは思っていなかった。
夢中で仕事ができるほど勤勉な男でないけど、誰かに頼りにされると気分がいいものだから、ついつい仕事を優先。
また、趣味らしい趣味があるわけでもなく、飲酒と銭湯と睡眠とS○X以外 特にやりたいこともなく、ただただダラダラして しがない一日を浪費するのはもったいないから、結局 作業の予定を入れてしまい、今日に至っている。

そんなこんなで、今年も、クリスマスパーティーはなかった。
もちろん、ケーキもテケン(旧称チキン)も食べていない。
24日の夜は好物の盛そばを食べ、25日の夜は行きつけのスーパー銭湯に行った。
それでも、クリスマスの祝祭ムードはそれなりに味わえた。
街の装飾や賑わいが目に入ったり、流れる讃美歌やクリスマス曲が耳に入ったりするだけでも、結構なクリスマス気分が味わえて楽しめた。
また、今年は、作業に追われて時間がつくれず、会社の忘年会もなかった。
もともと、この類の宴会は不得意(面倒臭い=ハッキリ言うと嫌い)なので、私にとってはラッキーだった。

ありがたい生活の中でも、ありがたくないことはある。
それは、加齢と それにともなう衰弱。
若いのは気ばかりで、身体の外観と能力は、確実に衰えてきている。
つまずく、ぶつける、落っことす・・・
しかし、嘆いてばかりいても仕方がない。
健康を維持するべく、食生活と運動を中心に、できるかぎりの摂生と努力はしている。
休肝日数は変わらないが、一晩の酒は減量。
また、体力をつけるため、体重は あえて3~4kg増量。
体力づくりのつもりで、現場でも積極的に身体を動かすようにしている。

ま、とにもかくにも、こうして元気で年を越せることに感謝!感謝!である。



依頼を受けて出向いたのは郊外のアパート。
電話の感じからすると、依頼者は中高年とおぼしき男性。
現地調査については、こちらの都合は無視して、一方的に日時を指定。
会ったこともないのに敵意すら感じるくらいの尖った口調で、悪印象を抱かざるをえず。
また、「不機嫌」というか「無愛想」というか「横柄」というか、その態度も不快なものだった。

指定された日。
緊張を余儀なくされるような相手でもあり、もともと時間にシビアな私は、遅刻しないよう早めに現地に行き、約束の時刻になるまで路上で待機。
そして、指定された時刻前に部屋に行き、指定された時刻ピッタリに部屋のインターフォンを押した。

一度押しても応答はなし。
少し間を置いて再度押しても無反応。
室内に人がいる気配もなし。
「まだ来てないのか?」
「自分の方から日時を指定しておいて・・・まさか遅刻?」
もともと時間にルーズな人間が苦手な私は、ちょっと“イラッ!”ときた。
しかし、不可抗力な事情は時として誰にでも起こるもの。
「とりあえず、電話してみるか・・・」
と、男性の携帯に電話をかけた。
しかし、スマホから聞こえてきたのは“只今、電話にでることができません”のアナウンス。
「オイオイ!まったく!どういうことだよ!」
気の短い私は、この不条理に“イライラッ!”ときた。

「せっかく来たんだ・・とりあえず、30分だけ待ってみよう・・・」
私は、30分の間に何も音沙汰なかったら、名刺をポストに入れて退散するつもりで、そのまま待つことにした。
すると、数分の後、ヒマつぶしにいじっていたスマホに着信入った。
相手の番号は男性のもので、すぐに電話をとった。
「すみません・・・渋滞にハマってしまって・・・」
男性は、約束の時間に充分間に合うよう家を出たのだが、想定外の事故渋滞にハマってしまったそう。
「30分くらい遅れそうです・・・申し訳ありません・・・ごめんなさい・・・」
と、最初の電話とは別人のように低姿勢、電話の向こうで頭を下げている様が思い浮かぶくらいに謝罪の言葉を並べてきた。

“時間”ってどれだけ貴重なものか・・・死ぬ間際にならないとわからないなんて至極残念。
私は、人に時間を無駄にさせられるのも 人の時間を無駄にするのも大嫌い!
自らの理由で待つのは苦にならないが、自らに理由がない中で待たされるのは大嫌い!
んなわけで、時間にルーズな人間も大嫌い!
また、それを黙認できるほどの度量もない。
「30分ですかぁ・・・ずっと玄関の前に立っていると怪しいので、アパート前に車をとめて待機しておりますので、到着されたら声をお掛け下さい」
と、私は、自分が約束通りの時間に現場に来ていることを強調し、それが嫌味っぽく聞こえてもいいと開き直って言った。

約束の時刻から30分余が経ち、待ちくたびれてきた頃、
「お待たせして申し訳ありません・・・」
と中年の男性が、同年代の女性を連れて現場に現れた。
見たところ、二人は夫婦のよう。
自分から日時を指定しておきながら遅れてきたことが気マズかったのだろう、二人は表情を引きつらせつつ 揃って私に頭を下げた。
一方、私もただの内弁慶。
気の弱さは誰にも負けない自信がある。
横柄な態度をとれるのは一人の時だけ、大口を叩けるもの一人の時だけ(=独り言)。
私の曲がっていたヘソをまっすぐに戻し、
「いえいえ・・・大丈夫です・・・この後は予定もありませんから」
と 世渡りをする中でおぼえた愛想笑いを浮かべ、ペコペコと名刺を差し出した。

遅れてきたせいかどうか、男性はソワソワと落ち着かない様子。
動揺しているような、慌てているような、何かに急かされているような、話す声も震えているような、そんな感じ。
悪意は感じなかったけど、私の名刺も握りつぶすようにしてポケットにねじ込み、玄関もガチャガチャと荒っぽく開錠。
部屋に入る際も、右往左往するような不自然さがあった。

現場は極フツーの部屋。
玄関の履物、掛けてある服、置いてあるモノ等々・・・雰囲気は若い人の部屋。
散らかってもおらず、生活感もそのまま。
私につきものの“異変”も感じず。
ただ、そこには、人の温度を感じない、冷え冷えとした寂しい空気があった。

「ここは・・・どなたの部屋だったんですか?」
事情を一切聞いていなかった私は、男性に質問。
「事情は、先日 お話ししましたよね?」
男性は、やや不満気な表情を浮かべた。
「いえ・・・何も伺っていませんけど・・・」
何も知らない私は、そう応えるしかなかった。
「あれ? そうでしたっけ?」
私を誰と混同しているのか、男性の頭の中では何かが錯綜しているよう。
とにかく、ひどく落ち着かない様子だった。

「息子の部屋です・・・」
男性は、重そうに口を開いた。
「息子さん!?・・・お亡くなりになったんですか!?」
部屋の模様から察しはついていたものの、“若い死”に対して無意識のうちに抵抗感を覚えたようで、私は少しテンションを上げてしまった。
「えぇ・・・昨日、葬式が終わったばかりで・・・」
男性の表情には、困惑と狼狽の心情が如実に現れていた。
「ここで亡くなってたんですか?」
この質問が本当に必要かどうか判断する前に、私の中の野次馬は この言葉を私に吐かせた。
「・・・そうです・・・そのベッドの上で・・・」
男性は、言いたくなさそうにそういうと、視線と溜息を部屋の端のベッドに落とした。
「そうでしたか・・・」
ベッドには汚染痕もなければ部屋に腐敗臭もなく、言われなければ気づかないレベルで、“余計なことを訊いてしまったか・・・”と、私は、“ご愁傷様です”等といった言葉を発したくらいでは誤魔化しきれない罪悪感を覚えた。

亡くなったのは男性夫妻の20代の息子。
私は自殺を疑ってしまったが、死因は病死・・・いわゆる“突然死”というやつだった。
勤務先を無断欠勤し連絡もとれなくなったことで会社が動き、不幸中の幸いで、死後一日で発見。
男性夫妻(両親)の心には大きなキズを残してしまったが、部屋は無傷で済んでいた。

ただでさえ“死”は忌み嫌われる。
更に、「若者が部屋で死亡」と聞くと、世間は、スキャンダラスな想像をしてしまう。
また、腐敗汚損がなくても、それを想像してしまう。
他のアパート住人や近隣の風評にも波風がたつ。
好奇の目を引き、恐怖され、嫌悪されるのは、ある程度仕方がない。
で、男性は、アパートの管理会社から、できるだけ早く退去するようプレッシャーをかけられていた。

息子の急死だけでも大きなショックを受けたのに、葬儀をだしたり、死後の手続きをしたり、部屋の退去も迫られて・・・息子の死を受け止める余裕もなく、冷静になる時間も与えてもらえず、男性は、パニックに陥っただろう。
私は、“子の死”というものに遭遇したことがないから、それがどれほどの苦痛悲哀であるかわからない。
ただ、チビ犬(愛犬)と死別したときの悲しみから類推すると、相当のものであることは察することができる。
そんな状況で、私と関わることになったわけで、当初の男性が、あまり感じのいい態度でなかったことも頷けた。

こういった局面では、男より女の方が強いのだろうか・・・
女性(妻)の方は、落ち着かない感じの男性とは逆に、冷静さを保っているように見えた。
言動や立ち居振る舞いもサバサバとし、現実に抗わず、覚悟を決めて腰を据えている感じ。
“クヨクヨしたって仕方がない”と自分に言い聞かせているような雰囲気で 時折 薄笑を浮かべながら、
「元気だしましょ・・・」
と、何度となく そっと男性に声をかけていた。

苦しむ夫のために、死んだ息子のために、これからを生きる自分のために、必死に涙をこらえ 必死に笑顔をつくる姿・・・
横目に見えた笑顔の涙目に、人の悲しみと苦しみが見えた。
同時に、その空元気に、人の強さと優しさを感じた。


このブログには、“自分を元気づけたい、誰かを元気づけたい”という想いがあり、私の仕事にはその材料がある。
だから、元来、悲観的でネガティブ思考・マイナス思考の傾向が強い私でも、楽観的でポジティブ思考・プラス思考に転じることができるわけ。
正直なところ、数ある記事の中には、カッコつけた空元気も少なくない。
ただ、それでもいいと思っている。
人も羨むような溌剌とした元気より 涙をこらえた空元気の方が、人の心に響き、人の真心に伝わり、人の心底に届くことってあると思うから。

私は、これからも、一生懸命(幸せに楽しく)生きたいし、働きたい。
だから、ブログの更新は少ないかもしれない。
しかし、更新のない私の無言ブログが、2019年も何かを響かせ、何かを伝え、何かを届け、誰かを元気づけていくことを願っている。

「“特掃隊長”ってヤツ、今日もどこかでカッコ悪く生きてんだろうな(笑)」と。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

損得感情

2018-10-30 08:50:53 | 腐乱死体
深まりつつある秋、快適な十月も もう終わる。
ついこの前まで、酷暑と闘っていたのに・・・秋は短い。
寒冷な朝の空気と葉の落ちた樹々には、冬の気配すら感じる。
この涼しさは、心身には優しいのだが、「またこの季節が来たのかぁ・・・」と溜息をついてしまうことがある。
持病?の冬鬱もそうなのだが、それは毎晩の入浴。
以前書いたことがあるけど、ケチな私は寒い冬でも湯に浸かることが少ない。
湯を大量に使い捨てることが損なことのように思えてしまうのだ。
だから、シャワーで済ませることがほとんど。
で、寒い日はこれがなかなかキツい。
当然、浴室暖房なんかないし、シャワー(湯)を出しっぱなしにもしない。
だからといって、仕事柄、風呂に入らないわけにもいかず、身体と懐の寒さに身を震わせているのである。

酒にしたってそう。
私は完全な“家飲み主義者”。
“たまには外で飲みたいな”と思うこともあるけど、行き帰りが面倒臭いし、相手もいない。
何より、かかる費用が違う。
同じ銘柄の酒を飲んでも、家と外では三倍くらい違うのではないかと思う。
肴まで入れると、それじゃ済まないのはハッキリしている。
似たような酒肴に数倍の金を払うことが損なことのように思えてしまうのだ。
そう考えると、当然、外で飲む気は失せる。
また、そんなこと心配しながら飲む酒は美味くないだろうし、宴も楽しくないだろう

「守銭奴」「拝金主義者」「ケチで強欲」
それを自認している私は、上記のように、事あるごとに、また何かにつけ、金銭的な損得勘定でモノを判断するクセがある。
しかし、実のところは、そういった性質で金銭的にはわずかばかり得をしているのかもしれないけど、“人も幸せ”という面では大きく損をしているような気がしてならない。
上手に損得勘定しながら世を渡っているつもりが、その損得勘定そのものが自分の幸せを削っているのかもしれない。
一度きりの人生、二度とない人生、こんなもったいない話はない・・・こんな損な話はない。
そう思うと、この損得感情も危機として、放っておくわけにはいかないのである。


ちょっと、ここから現場の話に移ろう。

取り扱う仕事には、保険がからむ案件も珍しくない。
故人が加入していた生命保険だけではなく建物に関係する保険も。
建物に関する保険は、火災保険や家財保険、地震保険だけではなく、昨今は、孤独死が発生した場合に備える保険もある。
もちろん、加入条件や現場状況によって保険の適用内容は異なるけど、当該建物が事前にその類の保険に加入していれば、その原状回復(復旧)にあたって保険が適用される場合があるわけだ。
ただ、この場合も、保険機能を適正に運用するため、専門家(鑑定会社の鑑定人)が現地を調査し保険適用の有無や要否を査定する。
つまり、専門の鑑定人による現地調査を行わなければならないのである。
私は、求められて この作業に立ち会うことが少なくない。
場数だけは誰よりも踏んでいるので、こんなダメ人間のポンコツ親父でも 何かと役に立つことがあるのだ。

この現場も然り。
合流したのは、遺族でもなく 管理会社の担当者でもなく 大家でもなく 鑑定会社の担当者。
保険適用に関する調査・査定をする鑑定人、30代後半くらいの男性。
鑑定人としては、ベテランの域に入りつつある雰囲気。
ただ、この現場は気が進まないのか、ちょっと腰が引けたような感じで、
「よろしくお願いします・・・」
と、頼るような目を私に向けて名刺を差し出した。

男性は、これまでにも孤独死の現場を鑑定したことは何度かあったが、詳しく訊いたところ、どこも“ライト級”だったよう。
しかし、今回は「かなりヒドい」ということで、会社から手袋・マスクをはじめ、長靴やレインコートも持参。
会社の命により、安心の?重装備を用意していた。
ただ、男性は、孤独死現場の凄惨さにレベル感は持っておらず、猛暑の中、会社に大荷物を持たされたことに“そこまでしなくても・・・”と、不満を覚えているようだった。

一方の私は、特段の装備はなし。
暑いから防護服も着ないし、息苦しいから専用マスクもなし。
装備といえば、紙マスク・ラテックスグローブ(使い捨て手袋)・シューズカバーくらい。
一式は常に車載してはいるものの、防護服を着ないのはかなり前からで、最近の私は、余程のことがないかぎり、専用マスクも使わなくなっている。
衛生面を考えれば好ましくないけど、息苦しいし 顔に痕が残るし・・・
この歳になると皮膚の弾力もなくなり、顔(頬)についたマスクの痕がなかなかとれないわけ(たいしたツラじゃないから 気にする必要はないんだろうけど)。
“ウ○コ男”になるのも日常茶飯事だし、だいたいの悪臭は我慢できるから(嘔吐く新鮮さ?も失っている)、結局、軽装で済むのである。

玄人だと思っていた私が素人っぽい恰好をしているのを妙に思ったのだろう、男性は、
「そのままですか!?」
少し驚き気味に訊いてきた。
「えぇ・・・もう慣れてますから・・・暑苦しくて、ニオイより暑さにやられてしまいますよ」
と、私は、当たり前のことのように返答。
すると、男性は、
「私も、このままで大丈夫ですかね?」
と期待感を滲ませながら訊いてきた。
猛暑の中、できることなら男性も軽装のままで事を済ませたいよう。
しかし、私は、
「ニオイがついて モノ凄くクサくなりますよ・・・服とか髪とかに・・・電車も乗りにくいし、店とかにも寄れないですよ・・・」
と、忠告。
その後にも別の現場に行く予定があった男性は、結局、防護備品を身に着けることに。
大汗をカキカキ、用意してきた装備品を身にまとった。


現場は、小さなアパートの一室。
亡くなったのは部屋の主で、老年の男性。
季節は真夏で、死後1~2週間。
周辺には異臭が漏洩し、窓には無数の蠅が集っていた。
部屋を見るまでもなく・・・故人の肉体は、ほとんど液状化していることが容易に想像された。

異臭は外にまで漏洩。
それは、同じアパートの他室だけではなく、風向きによっては周辺の建物内部にまで到達してしまうくらいのレベル。
「これが、そのニオイですか?」
部屋への歩を進める中で そのニオイを感知した男性は、眉をひそめた。
「そうです・・・中は もっとスゴいですよ・・・」
脅すつもりはなかったが、事実であるが故、そう応えざるを得なかった。
「そ・・・そうなんですか・・・」
男性は、固くした表情を更に強張らせた。
「近隣に迷惑がかかるし、苦情がくると困るので、ドアを開けたらすぐに入って下さいね」
プレッシャーをかけるつもりはなかったが、事実であるが故、そう言わざるを得なかった。

開錠入室の責任者は男性。
私は二番手に回り、ノブを握る男性の背後に控えた。
男性は、少々の間をとって後、ドアをゆっくり引いた。
すると、
「うわッ!!」
といった男性の驚嘆とともに、間髪入れず 室内から何匹ものハエと強烈な異臭が噴出。
それに驚いた男性は、私の進言も忘れ、そのまま 素早く中に入るどころか、後ろにいる私にぶつかることも気にせず後退して玄関を閉めてしまった。

「何ですか!?今のは!?」
「ハエです・・・」
「・・・・・」
「中には凄まじい数がいると思いますよ・・・」
「・・・・・」
「大丈夫ですか?」
「・・・やっぱ・・・無理・・・無理です・・・」
男性は、首を横に振りながら 更に後退。
しかし、部屋に入って、中の汚損状況を観察・査定するのは男性の役目。
中に入らないと仕事にならない。
ただ、凄惨過ぎる室内に男性は完全にビビって 入る気力を喪失したようだった。

男性は、思案の末、自分の会社に電話。
相手は職場の上司だろう、室内調査の役目を免れるため、汗が涙に変わりそうなくらいのハイテンションで現場の状況を報告。
レインコートはサウナスーツと化し、その内側が汗で濡れてきているのは外からもわかり、それに冷汗や心涙が加わったような状態。
でも、そんなこと意に介さず 必死に自分の苦境を訴える男性。
私の目には、こういう現場と分かったうえで損な役回りを背負わされたサラリーマンの悲哀が映り、同時に、その姿には同情心が湧いてきた。

腐乱死体現場の惨状を言葉で伝え、相手に理解させるのは至難の業。
素人・一般人なら尚更で、わかってもらえなくて困ることは私でも多々ある。
男性は、なかなかわかってくれない上司に 電話では意味をなさない身振り手振りを交えて熱弁。
そして、しばしのやりとりの後、男性の要望は何とか通った。
男性は、上司に嬉しそうに何度も礼を言い、ホッとしたような笑顔で電話を終えた。

そうなると、不本意ながら、私の出番がやってくる。
よくあるパターンだが、電話の会話を傍らで聞いていた私は、すぐにピンときた。
男性は、バッグから取り出した小さなデジカメを恭(うやうや)しく両手で持ち、姿勢を屈めて、
「大変申し訳ないのですが・・・中の様子を撮ってきてもらうことはできないでしょうか・・・」
と言って、再び頼るような視線を私に向けた。

私も自分の仕事として現地調査をする必要がある。
つまり、私には“室内に入らない”という選択肢はない。
どうせなら、一人で入る方が気楽でいいくらい。
だから、断る理由はない。
しかも、男性は、真顔で低姿勢。
立場を利用したり同情心を煽ったりして 嫌な雑用を他人に押し付ける輩に何度も遭遇してきたことがある私は、男性がそういう類の人間ではないことがわかったので、
「立ち入りに関する責任をそちらで持っていただければ、かまいませんよ」
と、二つ返事で引き受けた。


室内の調査・撮影を終え外に出た私は、“超”をつけてもいいくらいの“ウ○コ男”と化していた。
男性は、もう用がないのだから、少しでも涼しい恰好で身軽に待っていればいいものを、猛暑の中、着用した装備はそのままに、玄関の脇に直立していた。
並の人間なら、さっさと装備を解いて、どこか涼しい日陰で座り込んでいたりするもの。
しかし、男性はそうしなかった。
多分、損な役回りを肩代わりさせた私への礼儀のつもりだったのだろう。
私は、こういった些細な気遣いができたり、礼儀が守れたりする人間には大きな好感を持つ。
また、室内の撮影なんて、自分の仕事のついでにやった簡単なもので、私にとっては“お安い御用”。
“損な役回り”なんてフテ腐れるわけはなく、それどころか、男性の律義さと 私を頼りにしてくれたことが嬉しくて 得したような気分を味わったくらいだった。

男性は、私が放つ悪臭に戸惑いの表情を浮かべながら、時限爆弾でも触るかのようにそっと私からカメラを受け取り、時限装置を解除するかのようにボタンを操作し恐る恐るその画像を開けた。
一枚目を見た男性は目を大きく見開いた。
あまりのグロテスクさに驚いたよう。
そして、画像をめくるにしたがって、その表情を曇らせていき
「こういう状態になるんですか・・・」
「ものスゴいことになってますね・・・」
「申し訳なかったですけど・・・やはり、入らなくてよかったです・・・」
と、驚嘆を超えた溜息のような息を何度も吐きながら心情を吐露した。

同時に、男性は、
「それにしても、大変なお仕事ですね・・・」
と、どこでも誰からもよく言われる ありきたりの言葉を口にした。
「まぁ・・・よく言われます・・・」
そういった言葉に、蔑視されているような悪意を感じてしまう私・・・善意を感じられなくなっている私は、不用意に表情を曇らせ 無愛想な返事をしてしまった。
そんな私の心情が伝わったのか、男性は何か訊きたそうな顔をしたものの 何も言わず口ごもった。
多分、私に対して、感心するような、呆れるような、憐れむような・・・何か理解しがたい違和感・異質感が湧いてきた・・・何とも言えない不思議な感情を抱いたのだろう。


現地調査を終え、男性と別れた帰り道、私は、男性が口にしなかった言葉を自分に問いかけてみた。
「俺は、何のためにこんな仕事をやっているのか?」
「どうして続けているのか?」
「何か得なことがあるのか?」

ただの成り行き・・・金のため・・・生活のため・・・
信念はない・・・使命感もない・・・“依頼者のため”なんて想いもない・・・
休みは少ない・・・不規則、不安定・・・楽な暮らしができるほど稼げない・・・
仕事はキツい・・・ときに精神を患い・・・肉体は疲弊する・・・
カッコ悪い・・・世間から蔑視・嫌悪される・・・人にバカにされることもある・・・
努力できないから仕方がない・・・忍耐できないから仕方がない・・・自分が能無しだから仕方がない・・・
どこからどう見ても得な仕事ではない・・・

でも、損な仕事でもない・・・“損な仕事”とは思いたくない。
“損”だと思ってしまうこと・・・そのことによって、自分の人生は損をする、自分は人生を損させる・・・自分の幸せが削られてしまう。
一度きりの人生、二度とない人生、こんなもったいない話はない・・・こんな損な話はない。
そう思うと、この損得感情も危機として、放っておくわけにはいかない。

賤職だろうが、汚仕事だろうが、ダメ人間のポンコツ親父だろうが、「懸命に働く」ということの“美”は確かにある。
私は、自分を騙してでも、懸命に働いて 懸命に生きて、“幸せなウ○コ男になりたい”と思っている。
それが、私の一生において 得な生き方のはずだから。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

楽しも

2018-09-21 08:08:42 | 腐乱死体
初秋の涼風に、酷暑を乗り越えた安堵と 楽に動けることの心地よさを感じている今日この頃。
「仕事 辞めた?」
「病気?」
「とうとう死んだ?」
長ぁ~くブログを更新していなかったので、そんな風に思われていたかもしれない。
でも、大丈夫。
幸い(残念?)なことに、私は、相も変わらない毎日を送っている。
ある意味で「平穏な毎日」とも言えるが、凝りもせず、身体を汚しながら、社会の地ベタを 汗かきベソかき這いずり回っている。

それにしても、今夏の暑さはキツかった!
夏が暑いのは仕方ないけど、今年は梅雨らしい時季がほとんどなく、早 六月下旬から危険な酷暑がスタート。
当然、その分、作業もハードに。
滝のように流れる汗、熱気に乱れる呼吸、飛び出しそうにバクつく心臓・・・作業中、心が折れそうになったことは何度もあった。
あまりのキツさに、座り込んでしまったこともしばしば。
また、睡魔にも似た倦怠感に襲われて、悪臭が充満する部屋のソファーに横にならせてもらったこともあった。
しかし、個人的な軟弱さを理由に仕事を途中で放り投げることはゆるされない。
こまめな水分補給と休憩を心がけ、“ヒーヒー”“ハァハァ”弱音と溜息が混ざった短息を吐きながら、その時その時を何とか踏ん張った。
・・・というわけで、ブログを書くどころではなかった次第。

そんな夏、今年も色々な出来事があった。
不幸な災難も少なくなかった。
水の事故で亡くなった人も大勢いた。
豪雨災害や地震も然り。
老いや病気の関わらないところで、非日常のちょっとした出来事によって、多くの命が、突如、失われた。
決して他人事ではない事象に不安を感じながら、命に対する人の脆弱性を あらためて思い知らされることとなった。

春夏秋冬、季節が巡ると同時に歳は重ねられ、私は、もうじき五十。
“おじさん”から“おじいさん”へ成長?衰退?するビミョーなお年頃で、四十を迎えたときよりも、その心持ちはやや深刻。
人生の半分以上 こんなことやってるわけで、呆れるやら 悔やむやら、落ち込むやら・・・ま、最後は笑うしかないのだが・・・“やらかしちゃった感”が否めない。
また、不慮の出来事を別にしても、“人生の終わり=死”というものが、急速にリアル化している。
で、心境も少しずつ変化している。
その一つが、
「生きるために働くのであって、働くために生きているのではない」
といった価値観の変化。

これまで、私は、とにかく仕事優先で生きてきた。
しかし、ここにきて、残り少なくなってきた時間に緊張感を走らせることが多くなり、ともなって、これまでより具体的に“人生を楽しむ”ということを大切にしたいと思うようになってきた。
もちろん、“遊興にふけること=人生を楽しむこと”ではない。
キツい思いをしながらも努力したり、ツラい思いをしながらも頑張ったりすることにも楽しさはある。
しかし、思い返してみると、私の場合、勤勉な仕事人間であることを“美”としてきた節があり、その分、遊興が少なすぎたような気がする。
もちろん、働くことを嫌う怠惰な生き方より 労働に勤しむ方がマシではあるけど、それだけだとせっかくの人生がもったいないような気がしているのである。
そんなわけで、これからは、少しずつでも、自分の人生に“遊興”を取り入れたいと思うのである。

しかし、「遊びを楽しむ」ということは意外と難しい。
金と時間がゆるしてくれても、そのネタがなかなか見つからない。
もともと趣味らしい趣味を持たず、「日常の楽しみ」といえば 週に何度かの晩酌と 月に何度かのスーパー銭湯くらいの私。
長くそんな生活を続けてきた私に“やりたい遊び”なんて、すぐに見つかるわけはない。
仕事以外に熱中できるものを持っている人が羨ましくもあるけど、かと言って、誰かの真似をしても仕方がない。
ま、でも、自分が“本当に楽しい”と思えることを探そうとすることそのものが、楽しいことだったりするのかもしれない。
とにもかくにも、人生を楽しめないことを“貧乏ヒマなし”のせいにしないで、色んなことを考えてみたいと思う。



訪れた現場は、閑静な住宅地にある古い一軒家。
依頼者は中年の女性。
現地で待ち合わせた女性は、緊張の面持ちで挨拶。
私の名刺をうやうやしく受け取ると、父親がこの家で孤独死し、かなり時間が経って腐敗し、本人も室内も凄惨な状態になってしまったことを まるで悪事でも告白するかのように とても言いにくそうに私に説明。
そして、最後に、自分は中に入れない・・・入りたくないことを付け加えて頭を下げた。

上記のとおり、亡くなったのは、この家に一人で暮らしていた女性の父親。
死後経過時間は、約二週間。
暑い季節でもあり、遺体はかなり変容。
外見だけでは、どこの誰だか判別不能の状態。
身元は歯型によって確認。
「生前の面影はまるでない」「見ないほうがいい」ということで、警察の霊安室でも、女性達親族は 遺体を見ることはしなかった。

遺体がそんな状態で、部屋が無事であるはずはない。
故人が倒れていたのは台所らしかったが、その異臭は全室に拡散。
もちろん、玄関フロアにも充満しており、常人の行く手を阻んでいた。
しかし、そんな場所へ先陣をきって入るのが非(悲)常人=私の仕事。
私は、後ずさりする女性を背に、玄関ドアを引いて 半老体を滑り込ませた。

予想通り、故人が倒れていた台所の床は、凄惨な腐敗汚物に覆われていた。
しかも、それは、厚く堆積し、また、広く流出。
そして、時代に遅れた家屋の老朽感と古びた家具家電の疲労感が、その雰囲気を更に暗くしていた。
ただ、一通りの特掃をやれば、見た目はある程度回復させることができる。
しかし、悪臭ばかりは そう簡単に片付かず、手間も時間も相応にかかる。
重症であればあるほど手間数も増え、期間も長くなるため、この現場も結構な日数を要した。

作業の最終日。
手間暇かけた甲斐あって、家の中の異臭は、ほとんど感じなくなるまで消すことができた。
そして、当初は家の中に入りたがらなかった女性も及び腰ながら中に入ってくれた。
我々は、台所の隣のリビングに入り、私は、実施した作業の内容と成果を女性に説明。
それから、問題の台所を確認するよう促した。
代金をいただく以上、契約した通りの掃除がキチンとできているかどうかチェックしてもらいたかったわけ。
しかし、女性はそれを辞退。
女性は、まったく見たくないようで、
「見なくても大丈夫です・・・きれいにしていただけたことはわかってますから・・・後で文句を言ったりもしませんから・・・」
と、頑なに拒んだ。
“汚染痕が消えても、嫌悪感や恐怖感は消えていない”ということだろう。
そんな状態で無理強いできるはずもなく、私は そのまま引き下がった。

「では、これで失礼します」
この仕事を無事に締めることができた私は、現場を立ち去ろうとした。
すると、女性は、
「もうしばらくいてもらっていいですか?・・・少しくらいなら追加の料金がかかってもかまいませんから・・・」
と、“?”と思うような言葉を口にした。
その強張った表情には、女性の心情が如実に表れており、私はすぐにそれを察した。
恐怖感なのか嫌悪感なのか・・・どうも、女性は、この家で一人きりになるのが嫌なよう。
私には、整理消化できない死に対する恐怖感と、腐乱死体に対する嫌悪感と、亡父に対する悲哀が、女性を怯えさせているように思えた。
そして、そんな女性だけではなく故人のこともちょっと気の毒に思った。

次の現場はなく あとは会社に戻るだけだった私は、同情心も手伝って
「時間はありますから、追加料金はいりません」
と、女性の依頼を快諾。
各種手続きに必要な書類や貴重品類を探す女性に付き従って、家の中を移動した。
ただ、その間、シ~ンと無言のままでは雰囲気が煮詰まる。
私は、女性とテキトーに雑談をしながら場の空気をつないだ。

故人は70代前半。
早くに妻(女性の母親)を亡くしたせいもあって、健康寿命を強く意識。
元気で長生きするつもりで 好きだった酒もタバコもやめ、食生活や運動にも気を配っていた。
また、長く生きれば それだけお金はかかる。
老後を楽しく過ごそうと思えば尚更。
そのため、故人は質素倹約に努めていた。
「本人は、元気で長生きするつもりだったんですよ・・・」
「“生きていくにはお金がかかる”“子供達に迷惑はかけたくない”と、ホント、爪の先に火をともすような生活をしていたんですよ・・・」
「食べたいものも食べず、行きたいところにも行かず、欲しいものも買わず・・・家も こんなボロのままでね・・・」
女性は、溜息まじりに そうこぼした。
それでも、私が、
「そういう暮らしも、意外と楽しかったんじゃないですか?・・・私も かなりケチなほうですから、何となくわかるような気がするんですよ・・・」
というと、女性は固かった表情を少し和らげ、
「・・・ならいいんですけどねぇ・・・」
と言い、言葉が終わると微笑みを浮かべた。



計れる金と計れない時間・・・
限りある金銭と読めない余命のバランスをとるのは難しい。
その中で、どれだけ人生を楽しむことができるか・・・
もちろん、お金を必要としない楽しさはたくさんある。
しかし、お金のかかる楽しみも、それはそれでいいもの。

自分が楽しめそうなことって何だろう・・・
強欲・ケチ・守銭奴の悲しき習性か・・・軽登山、BBQ、ソロキャンプ・・・あまりお金のかかりそうもないことばかり思いつく。
女遊びは、逆に金がかかり過ぎるし・・・(金の問題じゃないか・・・)
たまには、仕事を忘れて、のんびり 温泉旅行とかいいかもな・・・ゆっくり湯に浸かって、美味い酒肴に舌鼓を打って・・・思い浮かべるだけで結構楽しい。
そのためには・・・まずは汚仕事 がんばらないと!

誰がどう見ても楽しくなさそうな人生を送っている私だけど・・・
初秋の涼風に吹かれ、夏の終わりの寂しさに一生の短さと命の儚さを重ねながらも 人生の黄昏を楽しもうとしているのである。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

勉学の行方

2018-05-15 07:29:12 | 腐乱死体
「しっかり勉強しろ!」
「でないと、大人になって苦労することになるぞ!」
子供の頃、親や教師によく言われた。

小学校のときはトップクラスだった私の成績。
私立中学に入ると“中の上”から“中の下”をウロウロするように。
高額な学費を捻出するための共働きがストレスになっていたのか、両親は、上位にいないことに激怒した。

学期が終わって順位が発表される度に、ひどく叱られた。
そして、自分の努力不足・能力不足が原因とはいえ、その都度 悲しい思いをした。
が、高校に入ると一変。

「高校なんて いつ辞めてもいい」と開き直った。
愚かなことに、虚勢やハッタリではなく、本気でそう思っていた。
で、中退を恐れた親は、成績が悪くても怒ることはなくなった。

そこそこ高いレベルの進学校だったけど、私の成績は下の方。
それでも、実態のともなわない能書きと屁みたいな理屈だけは一人前。
俗にいう「不良」とはタイプの違う“不良”で、教師も その取り扱いに苦慮していた。

それ以降は、これまで何度か書いてきた通り。
三流私大に入り、そこを卒業し、早二十数年、この始末。
無駄な後悔と自業自得の不安に もがき苦しんでいる。



季節は初夏、日中には気温が30℃を超える季節。
とある賃貸マンションで異臭騒ぎが発生。
間もなく、元となった一室で腐乱した遺体が発見された。

応急処置で管理会社が貼ったのだろう、玄関ドアには目張り。
それでも、玄関前には、鼻(腹)を突く異臭が漏洩。
ベランダ側の窓には無数の蠅(今風にいうと“インスタ蠅”)が“黒いカーテン”のごとく集っていた。

私は、預かってきた鍵を鍵穴に差し込み ゆっくり開錠。
周囲に人がいないことを確認して、静かにドアを引いた。
そして、異臭の噴出とハエの脱走を最小限にするため、私は、影のように素早く身体を室内に滑り込ませた。

汚染痕は、重異臭を発生させながら寝室のベッドに残留。
腐敗した肉体は、各種暖色系の色彩を重なり合わせながら人の型を形成。
枕は丸く凹んだままで、まるで そこから生えているかのように頭髪が黒々と残されていた。

ベッドの隅に放られた毛布や枕の下にはウジがビッシリ。
私という天敵に動揺した彼らは、手足のない身体を器用に動かしながら右往左往。
あまりの数の多さに捕獲駆除は諦めざるを得ず、一旦は その逃走を見逃した。

床や窓辺にはハエの死骸がゴロゴロ、蛹(さなぎ)の殻もゴロゴロ。
食糧不足が祟ってだろう、生きているハエも非力。
飛び回る力もないようで、壁や窓にへばり付いているのがやっとのようだった。

羽化していない蛹カプセルの中はクリーム状で、誤って踏んでしまうと床を汚してしまう。
しかし、相手は極小で無数、いちいち避けて歩いていては仕事にならない。
結局、後で掃除するということで、彼らの存在は無視して(ときには踏み潰して)歩を進めた。

部屋は、半ゴミ部屋。
整理整頓も掃除もできておらず、特に、水廻りの汚れは顕著。
亡くなった住人に対して批判的な感情を抱かせるには充分な汚損具合だった。

亡くなったのは40代後半の男性。
私より一つ若く働き盛りの年代。
ただ、私と違うのは一流私大卒であり、かつては一流企業に勤めていたということ。

男性に妻子があったのかは不明。
ただ、最後の数年は一人暮らしで日雇派遣の仕事をしていたよう。
部屋にあった書きかけの履歴書とくたびれた作業着がそれを物語っていた。

男性は、新卒で入った一流企業に二十年近く勤務した後に退職。
出世競争に敗れたのか、職場で不倫でもしたのか、上司に恵まれず窓際に追いやられたのか・・・
以降、職を転々とし、最後は日雇派遣の仕事に就いた。

他県の実家には高齢の両親が健在。
ただ、賃貸借契約の保証人にもなっておらず、相続も放棄するとのこと。
親子関係は、あまり良好ではなかったようだった。

部屋には、故人の学位記(卒業証書)と学位授与式(卒業式)の写真があった。
大学の正門前だろう、写真の中央には、「平成○年○月○○日 ○○大学 学位授与式」と書かれた大きな看板。
そして、その傍らには、若かりし日の故人と その両親らしき男女、正装の三人が笑顔で写っていた。

「皆、嬉しそうな笑顔だな・・・」
「希望に満ち溢れてるって感じだな・・・」
「でも、今となっては ただのゴミが・・・」

最期の一場面だけをみて その人の人生を決めつけてはいけない。
にしても、“他人の不幸は蜜の味”。
私は、深い感慨・・・というか、後味の悪そうな美味を覚えた。

努力して一流大学に入ったことも、頑張って一流企業に勤めたことも、それはそれで素晴らしいこと。
無駄なことは何もなく、晩年の生活ぶりや最期の死に様が否定できるものでもない。
“人生の幸or不幸”は、他人が勝手に想う(判断する)ことはできても、決めることはできない。

にも関わらず、人(私)は、過去と現在を+-で相殺してしまう。
しかも、最期の方が強印象になるため、結果として、“終わり良ければ すべて良し”の逆で“終わり悪ければ すべて悪し”という具合になってしまう。
そして、「不幸な人生、不遇の人生だったんだろう・・・」という風に考えてしまう。

私は、故人の人生と対比して、後悔だらけの自分の人生を肯定し、自分を慰めた。
故人に対して抱いた優越感を美味として味わった。
故人に対して、あたたかく礼儀正しい感情は抱かなかった。

結局のところ、これが“人間”というものなのかもしれないけど、“あるべき姿の人間”でないことくらいはわかった。
けど、“想い”というものは、自分ではどうにもならない・・・感情はある程度コントロールできても、自然と湧いてくる想いはコントロールできない。
他人の不幸と自分の幸せをリンクさせてしまう“人間悪”には、どうにもできないものがある。


私は、努力らしい努力をしてこなかった。
行動がともなわない能書きを垂れ、言い訳にもならない屁理屈をこね、その場その場を誤魔化しながら逃げ回ってきた。
また、能力や根性がないことを棚に上げ、自分の不遇を他人のせい・世の中のせいばかりにしてきた。

勉学の大切さを、努力することの大切さを、もっと若いうちに、学生のうちに気づいていればよかった。
だけど、我々に与えられるのは、過去でも未来でもなく“今”。
後悔は教訓にするしかない。

「自画自賛」と笑われ、「自慢話」と嫌われるのを承知のうえで書く。
中年になり 手遅れの感も否めなかったけど、私は、四十になって一念発起。
仕事の役に立ちそうな、遺族や関係者の役に立つことができそうな資格を取得するための試験勉強を始めた。

仕事をしながらの独学は、意志の強さや自制心、自己管理能力を試されるものだった。
過酷な夏場等、心身ともクタクタに疲れて思うようにできない時もあった。
しかし、苦しみながらも、自分に課した学習ノルマをこなしたときは清々しくもあった。

ありがたいことに、数年がかりで、目指した資格はすべて手に入れた。
二つ目に挑んだ試験の合格通知を受けたときは感謝感激して涙が滲んだ。
ただ、今になると、資格自体にも価値はあるけど、努力したことにはもっと大きな価値があり、努力した時間には更に大きな価値があるように思う。

努力とは、時間や楽しみを犠牲にすることではない。
“今”を充実させること、“今”を精一杯生きること。
そして、引き換えにするものより はるかに価値のあるものを掴むこと。

人生、何かを成し遂げることも大切、何かを残そうとすることも大切。
だけど、その時 その時、“今”をいかに生きるかは、もっと大切。
“人間悪”を寄せつけないくらい まっすぐな情熱をもって自分と向き合い 活きることに努めることは、人生を謳歌する上でとても大切なことのように思う。

卒業写真の親子三人の笑顔を否定できるものは何もない。
今を懸命に生きれば過去は輝き、未来が照らされる。
そして、その人生の輝きはいつまでも失われない。

終わりが近づきつつある私の人生。
半世紀近く使ってきた身体は4S(白髪・シミ・シワ・脂肪)に覆われ、半世紀近く痛めてきた精神は4M(無気力・無思慮・無関心・無感想)に狙われ、輝くには程遠い状態。
それでも、自分次第で、いつでも その内に輝きを放つことはできる。

「努力・忍耐・挑戦 vs 怠惰・逃避・保身」「勝利・強・賢 vs 敗北・弱・愚」、そして、「善 vs 悪」「生 vs 死」。
この歳になっても、まだまだ色んなことを学ばされている私。
“でも、こういう学びが 人生を彩る薬味として、自分を味のある人間にしてくれるのかもしれないよな・・・”と、清々しい気持ちで受け入れているのである。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

他人事?

2018-05-07 07:52:35 | その他
楽しかったGWも終わり、今日から仕事再開の人も多いだろう。
笑顔の想い出と引き換えに、多くのお金と体力を失った人も。
長い連休に縁のない私には他人事だけど、憂鬱な週明けに気分を落ち込ませている人も少なくないかも。
また、残念なことに、事故やトラブルに巻き込まれた人もいただろう。
実際、高速道路を走っていて、追突事故の現場に遭遇したことが何度かあった。
ちょっとした不注意で せっかくのレジャーが台なしになるわけで、悔やんでも悔やみきれない。
しかも、ついてないのは当事者だけじゃなく、事故渋滞に巻き込まれて迷惑を被る人も無数にいるわけで、その辺一帯 大災難に見舞われてしまうのである。
かくいう私も、GW中の先日、車を運転中、事故を起こしてしまった。
しかも、それは、よりによって人身事故だった。

何体もの事故遺体から事故の恐ろしさ教えられてきた私は、日頃から、慎重な運転を心がけている。
車の運転歴は30年近くあり、また、年間の運転距離も50,000~60,000kmと決して少なくない私だけど、人身事故を起こしたのは まったく初めて。
運転中の携帯電話、駐車違反、標識の見落としによる違反など細かな違反はたくさんあるし、電柱に触れたり塀に擦ったり等の小さな物損はいくらかあるけど、それでも、これまで人を相手に事故を起こしたことはなかった。
が、今回、とうとう人とぶつかってしまったのである。

その日、現地調査のため朝一で現場に向かっていた私。
場所は、細い道や路地が幾重にも交錯する混み入った住宅密集地。
目的のアパートが近くなり、私は一方通行の細い道を制限速度を守って徐行していた。
そこへ、左の路地から女性の乗った自転車が急に飛び出してきた。
その角には建物があり、互いに死角にいた。
私は、すぐさまブレーキを踏んだが間に合わず・・・また、女性の自転車も止まれず。
結果、私の車の左前角と女性の自転車が衝突。
異常な衝突音と「キャーッ!」という女性の悲鳴の後、一瞬のうちにフロントガラスの視界から女性と自転車は消えた。

「やっちゃった!!」
一瞬、心臓が凍ったような感覚。
しかし、こんなときこそ慌てるのは禁物。
「慌てるな! 落ち着け!」
私は、まず 自分にそう言い聞かせた。
そして、ただちにエンジンを止め 急いで車を降りた。

自転車は車の左前に倒れ、カゴの荷物も飛び出ていた。
そして、女性はアスファルトの路面に尻餅をついていた。
「大丈夫ですか?」
私は、すぐさま女性に近づき、起き上がろうとする女性に手を貸した。
そして、ケガがないどうか女性の身体を伺い、壊れていないかどうか自転車を見回した。
幸い、女性にケガらしいケガはなさそう。
自転車も通常の形状を保っていた。
119番が急務のように思えなかったため、私は、
「すぐに警察に連絡しますから!」
と、ポケットからスマホを取り出した。

すると、女性は、
「いいです!いいです!」
と言いながら、膝の尻の砂汚れをパンパンとはらった。
それから、
「大丈夫ですから!大丈夫ですから!」
と言いながら倒れた自転車を起こし、飛び出した荷物をテキパキとカゴに集めた。
そして、何事もなかったかのように、そのまま立ち去ろうとした。

女性の無傷な振る舞いに安堵しながらも、私は、ひき逃げしたみたいになるのも、後々になってトラブルが起こることも避けたかった。
だから、立ち去ろうとする女性を制止し、
「そういうわけにはいきませんから・・・警察を呼びましょう!」
と訴えた。
それでも女性は
「急いでますから!ケガもありませんし!大丈夫です!」
と頑なに拒否。
「でも・・・」
と困惑する私を尻目に、そそくさと自転車にまたがった。

不可抗力的な事情があっても、車対人だと、車の方に重い過失責任が負わされるのが常。
警察沙汰になって困るのは、女性ではなく どちらかというと私の方。
で、“Risk & Merit”逆転の理屈を無理強いすることが躊躇われた私は、
「本当に大丈夫ですか!?」
と念を押し、
「せめて連絡先だけでも・・・」
と、互いの氏名と連絡先を交換することを促した。
が、女性はそれも拒否。
「本当に大丈夫ですから!」
と一方的に言ったかと思うと、逃げるように走り去っていった。

一人取り残された私は、やや唖然。
私は、法定速度以下で徐行していたわけで・・・
女性は死角から急に飛び出してきたわけで・・・
いわば、不可抗力・・・
しかも、「警察を呼ばなくていい」と言ったのは女性の方で・・・
何か、警察を呼ばれて困るような事情があったのか?・・・
盗難自転車? 飲酒運転? 薬物使用? 指名手配犯?
釈然としない思いが沸々とわいてはきたけど、とりあえず、双方ケガなく、車も自転車も壊れなかったことで“ヨシ”とすることに。
そして、それから、“Lucky or Unlucky”よくわからない出来事を引きずりながら、目的の現場に向かったのだった(その直後、モヤモヤした気持ちは 衝撃のトイレがスッ飛ばしてくれた)。

常日頃から安全運転を心がけている私。
“過信はない”と思いつつも、人身事故を どこか他人事のように思っていた。
もちろん、「事故に遭ってよかった」とまでは思わないけど、でも、今回の事故は、私にとって貴重な体験となった。
それは リアルな教訓となって、これからの安全運転を支えてくれるのだろうと思う。



前々回のブログに書いた「末期癌の身内」。
医師の見立て通り、病状は あれから悪化の一途をたどり、結局、四月の初旬に死去。
満開の桜が散り始めた頃のことだった。
幸い、今年の桜は例年に比べてはやかった。
だから、車椅子を押されて、病院に敷地に咲いた桜を見ることができた。
癌が進行しつつあった昨年は、桜を見て、
「今年も何とか桜が見れたな・・・」
と喜んでいた。
ただ、今年は、身体がよほど辛かったのだろう、桜をバックに撮った写真に笑顔はなかった。

最期の三週間はホスピスに入院。
痛みが激しいときはモルヒネを使った。
また、苦しさが増したときは、
「もういい・・・もういい・・・(もう死んでもいい)」
と、弱音を吐いた。
もともと明るくポジティブな性格だったからこそ、その分、家族にとって その苦しみ様は辛く悲しいものだった。

私が見舞ったのは、亡くなる前日と前々日。
前々日、ガッシリだった体格もガリガリに痩せ、瞼を開けているのも辛そう。
ただ横になって、息をするだけのことがやっと といった感じだったが、何とか意識はあった。
ベッドサイドで声をかけると、がんばって眼を開け反応。
言葉を発することはできなかったけど、がんばって応答してくれようとしていることが伝わってきた。
亡くなる前日には もう意識はなくなり、穏やかに眠ったような状態で、いつ止まってもおかしくないような間隔の長い息をしていた。
そして、その翌日の早朝、息を引き取った。
仕事を休めなかった私は、結局、最期を看取ることはできなかった。

通夜には行くことができた。
しかし、以前から約束していた仕事があり、葬儀には行けなかった。
死を悲しみ悼む気持ちは、喪服を着なくても、葬儀に参列しなくても抱くことはできる。
依頼者に事情を話せば作業予定の変更を了承してくれたはずだけど、私は そうしなかった。
他の親族に「不義理なヤツ」と思われても、依頼者に対して不義理なことをしたくなかった。
また、生きることに前向きでありたいという私なりの信義が、死者の弔いを優先させることを後向きなことのように思わせたせいもあった。

私は、仕事を通じて、多くの人の死を知っている。
多くの死のかたちを見ている。
多くの死から日常にはないものを感じている。
そして、随分と昔から、私は、いつか自分も死ぬときがきて、この世からいなくなることを知っている。
しかし、夢のような、遠いことのような、ついつい他人事のような感覚で捉えてしまう。

常日頃から死を想っている私。
悟ったつもりはないながらも、死というものを どこか他人事のように思ってしまう。
だからこそ、身近な人の死は、私にとって貴重な体験となり、リアルな教訓を与えてくれている。
そして、“儚い人生、幸せに・楽しく・快適に生きていきたい”という想いを強くさせている。

でも、そうはいかない現実が多々ある。
自分の力ではどうにもできない社会があり、環境がある。
しかし、自分一人の力でできることもある。
満たされない現実や駄欲が尽きない現実に対して、自分ができることもある。
それは、目を向ける方向を変えること。
心を傾ける方向を変えること。
満たされないのは、“何かが足りない”からだけではない。
過去、自分がどれだけ恵まれてきたか、どれだけ与えられてきたか、どれだけ守られてきたか。
そして、今、自分がどれだけ恵まれているか、どれだけ与えられているか、どれだけ守られているか、そっちの方へ目を向けてみる。
すると、自ずと心は感謝と喜びの方へ傾き、満たされていく。

「今に満足するため 向上心を捨てろ」「諦めろ」「我慢しろ」「妥協しろ」等と言っているのではない。
また、自己洗脳や自己満足を自分に強要することを勧めているのでもない。
それとこれとは別のこと。
人生には、いいこともあるし悪いこともある。
ただ、そのどちらに目を向けるかによって、その幸福度や楽しさは大きく変わってくる。
そのことを言いたいだけ。

以上、今回も、自分の事は棚に上げて 他人事みたいな“きれいごと”を吐いてみたけど、読んだ以上は他人事にしないで、愛すべき自分の人生に適用してもらえたら幸いである。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

情けは人の為ならず

2018-04-30 08:21:42 | その他
相変わらず仕事に追われる日々を送っていたため、久しぶりのブログ更新。
かなりの期間が空いてしまった前回更新よりマシながら、それでも およそ一か月半ぶり。
ただ、ブログの更新がないのは元気に働いている証拠。
読んでくれる人が離れていくのは寂しいけど、“元気に働ける”って、私には、とても幸せなことなのである。

はやいもので、そうこうしている間に、今日で四月も終わり。
そして、世の中はGWの真っ只中。
長い人では九連休の人もいるらしい。
ま、私にはまったく縁のない話・・・・・どころか、私はここ一カ月休みをとっていない。
三月下旬、どうしても外せない私用があって、一日だけ休みをとった。
二カ月と二十一日ぶりの休暇だった。
更にそれから、無休で一カ月余が経過している。

私は、神経質であるがゆえに健康管理にはそれなりに気を遣っているけど、それでも、明らかに身体は疲労を溜めこんでいる。
ポンコツ親父の肉体はギシギシと凝り固まって、就寝時、寝返りをうつ度にうめき声をあげてしまうような始末。
がんばることは大切だけど、時には、自分を労わることも大切。
ただ、自分が堕落しやすい人間だということをよく知っている私は、
「俺は、楽しようとしているんじゃないか・・・」
「俺は、怠けようとしているんじゃないか・・・」
と常に危機感をもっている。
だから、なかなか“純粋に休む”ということができない。
で、その代わりの気休め、また、私のために休まず働いてくれている身体に対する せめてもの償いで、眼肩腰に効くと宣伝されている「ア○ナ○ンEXプラス」を朝食後に、肉体疲労を和らげると宣伝されている「養○酒」を就寝前に毎日飲んでいる。
ただ、しばらく飲み続けているのに、効果を自覚するまでには至っていない。
多分、特効薬は、何か別次元のところにあるのだろう。

それでも、精神は比較的元気。
「人生は短い」「腐ってるヒマはない」「スネてる場合じゃない」「クヨクヨしてる時じゃない」等と、ことあるごとに自分鼓舞激励するようにしている。
不平・不満・不安etc・・・私の心(頭)にはそんなことばかりが湧いてくるけど、そんなものに占められている間は幸せでもないし楽しくもない。
自分で自分を不幸にすることは人生に対する愚行で、モノ凄くもったいないことをしているということを、何かにつけて腐ってしまう自分に分からせようとしているのである。

あと、それほど深刻な不調に陥らないでいられるのは、季節的な要因もあると思う。
今は、優しい春だから、希望の春だから。
暑からず 寒からず、過ごしていて楽。
花や新緑も美しいし、命の新生も感じられる。
これから暑くなっていくことを思うと、ゲンナリする気持ちがないではないが、短くなってきた余生に“やる気”のような上向きの気持ちが湧いてきて、自然と元気がでてくるのである。



相談を受けた男性は60代後半。
賃貸マンションに独り暮らし。
両親はとっくに亡くなり、兄弟姉妹もなし。
叔父や叔母もいたが、長く付き合いをしていなかったうえ、皆、既に他界。
生存する血縁者としては何人かの従兄弟がいたものの、叔父叔母よりも更に付き合いはなく、近所の他人より もっと他人状態。
事実上、身寄りなしの孤独な身の上だった。

マンションの賃貸借契約更新時期になって、大家は「契約は更新しない」と通告。
表向きの理由は、「近い将来、アパートの建て替えを予定しているから」というものだったが、男性は すぐにピンときた。
真の理由は「身寄りのない独居老人を入居させておくのはリスクが高い」と考えての“追い出し”のよう。
大家や他の住人に迷惑をかけたこともなく、家賃を滞納したこともなく、その恐れもないのに追い出されるわけで、男性は、そのことをヒドく気に病んでいた。
しかし、表向きの理由を突き付けられては抵抗できない。
男性は、泣く泣く承諾し、転居先を探し始めた。

男性は、無職で年金生活。
ただ、経済的な余裕はあった。
親からの遺産が多くあり、年金に足して 少しずつそれを切り崩して生活しているのだった。
しかし、その経済力も世間は評価してくれず。
身寄りのない単身老人と契約してくれる物件は簡単には見つからず。
シニア向けの賃貸住宅はいくつもあったけど、その多くは、不便なところ建つ老朽物件等、一般に人気のない物件。
「住みたい」と思えるような物件ではなく、惨めな思いをしそうな物件ばかりだった。

「自分は社会のお荷物?社会の邪魔者?」
「自分は世の中に必要ない人間なのか?」
「まっとうに生きてきたつもりなのに、老い先短くなってこんな仕打ちを受けるなんて・・・」
理不尽な世の中や人の冷たさが悲しく、男性はヒドく失望。
そして、
「もう、この世にいないほうがいいんじゃないだろうか・・・」
と生きていくことが憂鬱になってきた。

今の時勢、住む家を失う高齢者が増えていると聞く。
貸主(大家)からすると、孤独死のリスクや死後処理の手間や費用を考えると、高齢者は厄介な客。
確かに、可能性で考えると、高齢者はハイリスク。
“死”は老若男女に平等とはいえ、確率統計で考えると、若者に比べて部屋で孤独死する可能性は高いと判断される。
そして、誰にも気づかれず、しばらく放置される可能性も。
酷い場合、被害はその部屋だけにとどまらず 他住人も出て行ってしまい、アパートが全滅することだってある。
したがって、そういったリスクの高い入居者は、何だかんだと理由をつけて賃貸借契約を更新しなかったり、何かと口実をつけて追い出しにかかったりするのである。

頼れる人がいない男性は、転居先を探すとともに“緊急連絡先”及び“身元保証人”になってくれる人を探していた。
新しい住まいを契約するためにも、それが必要だった。
また、死後の財産や家財の処理も大きな課題だった。
そんな中で、遺品整理をやっている会社に片っ端から調べて電話。
生前契約ができるかどうか、その場合、確実な契約履行をどうやって担保・保証するのか等、色々と問い合わせた。
しかし、まともに取り合ってくれるところは極少数。
ほとんどが、どうにも信用できなそうな会社や、金の話ばかりしてくる怪しげな会社ばかりだった。

そんな中で、たどり着いた当社。
「“良心的な会社”と聞いたもので・・・」
誰からどう聞いたのかわからなかったが、“良心的”と言われて悪い気はしない。
それが男性の作戦だったら脱帽だが、その言葉は私の耳に何とも心地よく、本当に良心的かどうか怪しいものながら、軽率にも気分は上々に。
売上利益的には仕事にならなそうな案件とわかりつつも、一応は相談に乗ってみる方向に気持ちは傾いていった。

男性から悩みの一通りを聞いた私は、後見制度を利用することを勧めた。
後見制度には、意思能力や判断能力が充分でない人のための法定後見制度だけではなく、脳力が衰える将来に備える任意後見制度がある。
男性は、後見制度についての認識は持っていたが、把握していたのは法定後見制度のみ。
だから、“健康な自分は利用できない”と諦めていた。
しかし、男性のような境遇の人のための任意後見制度がある。
過去に資格試験の勉強でかじったことがある私は、そういう制度があることを男性に伝えた。
そして、日をあらため、男性の住所を管轄する任意後見制度が利用できる法律家の団体を調べ、そこから色々教わったうえで、必要な手続き等の詳細を男性に伝えた。

併せて、住居は、建物に多少の難があっても、県営とか市営などの公営住宅を申し込むことを進言。
メリットは、家賃が安いことと、民間のアパートやマンションに比べて退室後(死後)の原状回復責任の基準が甘いこと。
デメリットは、老朽建物が多いことと、自治会の活動が多く他住民との関わり(人間関係)が煩わしいこと。
男性の高い資力が引っかかる心配はあったものの、男性の境遇と将来の不安を総合的に考慮すると、男性には公営住宅が適していると判断。
そこで、私は、同県や近隣市の公営住宅の申し込みについてネットで調べ、詳細については男性自身が積極的に動くよう促し、ひとまず、その一件は終わった。

それから何ヶ月か後、この一件が頭から消えた頃、久しぶりに男性から電話が入った。
S県C市に暮らしていた男性は、そこから少しばかり東京に寄った同県T市の公営住宅に移ることが決まった。
また、先が見通せるようになって気持ちが落ち着いたのだろう、任意後見についても余裕をもって進めていた。
男性は、肩の荷が降りた分、以前に比べて声も明るく口調も軽やかで、私も嬉しくなった。

男性は、「何かお礼がしたい」と言ってくれたが、やったことと言えば、男性やその他との電話が十数回とインターネット検索等の情報収集が数回だけ。
男性のもとへ出向いたわけでもなく、男性の用で実作業をしたこともなかった。
それに費やした時間や費用はわずかなもの。
結局ところ、金銭をもらうほどの仕事はしていなかった。
また、“先々、遺品処理業務等を請け負う可能性もゼロではない”という打算もなくはなかった。
だから、謝礼については辞退した。


“タダ働き”なんか、まっぴら御免!
これまで何度となく書いてきた通り、私は、この仕事を、お金のため・生きるための糧を得るためやっている。
故人や遺族のためでは決してなく、あくまで自分のため。
しかし、私も 体力・精神力に限界がある ただの人間だから、それだけで精力を持続させるのは困難。
金銭以外のやり甲斐が必要になってくる。
それは、「人に必要とされる」「人に頼りにされる」というところ。

不平・不満・不安等、自分の悪性や弱性により精神を腐らせることが多い私は、自分の存在価値や生きる価値を見失うことも多い。
そして、それが、生きることに疲れを覚えさせる。
しかし、人に必要とされる・人に頼りにされると、「生きていていいんだ」「生きるべきなんだ」と、自分の存在価値を感じることができる。
そして、それが生きがいになったりする。
例によって“きれいごと”を吐かせてもらうけど、人に必要とされ、人に頼りにされ、人の役に立てるって、何だか気持ちがいい。
何か善いことができるような、善いことをしたような気分が味わえて、心が晴れ晴れとする。
結果、体力や精神力がパワーアップし、過酷な作業も元気に頑張れるのである。

“人に優しく、自分に厳しく”は、カッコはいいけど、そればかりじゃ能がない。
時には“人に優しく、自分にも優しく”ありたいもの。
その優しさは巡り巡って己の為になり、やがてくる酷な夏を、難しい秋を、厳しい冬を乗り越える元気と、その時々に生きる幸せをもたらしてくれるのだから


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

毎日元旦

2018-03-11 13:31:34 | その他
季節錯誤も甚だしくて恐縮だが、「2018謹賀新年」。
早春、三月も中旬になろうかというのに、昨年大晦日以来、今年初のブログ更新。
作業が より過酷になる夏場にブログが止まるのは珍しくないけど、この時季に止まるのは珍しいかも。
正直、こんなに長く書かないつもりはなかった。
その理由は単純、単に仕事が忙しかっただけのこと。
体調を崩したわけでもないし、精神状態が悪かったわけでもない(恒常的な不具合はあるけど)。

話を正月まで遡らせる。
私は、大晦日も元旦も仕事だったのだが、体調はすこぶる優れなかった。
12月30日の午後から頭痛がしはじめ、腹には不快感も発症。
翌31日になると寒気がきて鼻が詰まってきた。
どこからもらってきたのか、どうも風邪を引いたらしい。
それでも、せっかくの年越しなので、おとなしく寝る気にはなれず。
一通りの肴を食べ、一通り酒を飲み、カップ蕎麦を年越蕎麦とし、0:00をまたいで新鮮な気分を味わった。
しかし、翌日の元旦、体調は更に悪化。
発熱と倦怠感に襲われ、食欲もでず。
夕方までの仕事を何とかこなし、寄り道もせず帰宅。
当然、その日の夜は酒も飲まず。
「よりによって、元旦早々 風邪にやられるなんて・・・」
と、一年を始まりに不吉さを覚えつつ、
「始まりが悪い分、今年はいいことがある!」
と、無理矢理、自分にそう言い聞かせながら、おとなしく布団に入った。

幸い、それ以来、風邪も引かず、大きく体調を崩してもいない。
周辺で大流行しているインフルエンザにもかかっていない。
難といえば、慢性的な腰痛と左股関節の不具合くらい。
身体を壊すと自分が苦しいし、周りにも迷惑をかけるから、一応、健康管理には留意している。
好物の酒や甘味は控えめにし、適度な運動を心がけ、毎晩 体重計に乗っている。
もちろん、それで、すべての病気が防げるわけではない。
病気やケガは、自分ではどうにもできない領域が広い。
ましてや、モノが経年劣化するのと同様 身体も歳を負う毎に衰え弱るわけで、そのリスクは高まるばかり。
だけど、ある程度の摂生(≒ケチ生活)は、精神衛生上もいいような気がするし、身体を楽にしてくれるような気がする。
だから、少々の我慢や忍耐が伴おうが、心身の健康のために摂生をやめるつもりはない。

摂生だけではなく、仕事を頑張ることも健康の一要因。
ある高齢労働者が言っていた。
「元気だから働くのではなく、働くから元気なのである」
“働かずに生きていけたら どんなにいいだろう・・・”なんて邪念がつきまとっている私だからこそ、この言葉は心に刻まれ、時には励まされている。

カレンダーを遡ってみると、私が最後に休みをとったのは1月8日。
つまり、それ以来、今日に至るまで二か月余り休みをとっていないことになる。
仕事に追われていたのか、それとも夢中で仕事をしていたのか、そんなに長い間 休みをとっていなかったなんて、まったく自覚していなかった。
ま、確実に言えるのは、「それだけ働けた」「それだけ頑張った」ということ。
決して悪いことではない。

ただ、これだけみると、うちの会社は、今 流行りの(?)“ブラック企業”みたいに思われるだろう。
しかし、実のところ、“受動的に働かされている”が故に、白いものが黒く見えることってあると思う。
逆に、“能動的に働いている”が故に、黒いものが白く見えることもあると思う。
隣の芝生が青く見えるのは世の常・人の常、不平不満が消えないも世の常・人の常。
楽しんで幸せは手に入るけど、楽して幸せは手に入らない。
結局のところ自分次第。
実際にブラックかどうかはさておき、勤労者として幸せなのは 先の前者or後者 どちらかは言うまでもない。
自分で言うのもおこがましいが、私は、能動的に働いているつもり。
同僚を差し置いて、好きで現場に走っているわけで、そのせいで休みがとれないわけだから、少なくとも、私にとって うちの会社はブラック企業ではない。

私は、ヒマで楽するより、忙しくて疲れるくらいの方がいい。
心身が壊れるほどの疲労困憊はご免だけど、結局のところ、人間 ヒマだとロクなことがない。
ロクなことを考えないし、ロクなことをしない。
頭は余計なことを思い煩うばかりだし、身体は怠けてダラけてしまうし、伴って心は萎えてしまう。
そして、金より大事な時間を無駄に垂れ流してしまう。
私みたいなネガティブ人間は、少々忙しいくらいの方が、生きてて丁度いいような気がしている。

とにもかくにも、“働ける”ってありがたい!
不本意なブラック作業だけど、それでも、ありがたい!
ホント、素直にそう思う。



今、身内の一人に末期癌の患者がいる。
タバコも吸わず、飲酒も少量、スポーツジムに通って筋骨隆々、病気とは無縁の元気な人だった。
それが、数年前に食道癌を罹患。
そして、食道を切除。
以降は、継続して抗癌剤治療。
進行性の癌だったため、薬は強いものが使われた。
その副作用は重く食欲は減退し、ガッシリした体格も細くなり、濃かった頭髪も薄くなった。
あまりにツラいものだから、本人は、癌への効きは弱くなってもいいから、薬の強度を下げることも希望。
医師も、本人の意思を尊重した。

病状は、徐々に悪化。
身体が弱ってきているのは、たまにしか会わない私の目にも明らかだった。
結局、癌は各所に転移し、もう手の施しようがなくなってきた。
そして、昨年の晩秋、医師から家族に「年を越せないかも・・・」と告げられた。
ただ、闘病の意志と生きる希望が削がれてはいけないので、本人には、そのことは伏せられた。
ホスピスに入れることを薦める親族もいたが、表向きには余命を宣告されていないため、その話は立ち消えになった。

私が直近で会ったのは、昨年12月の下旬。
本人の自宅を訪問した際。
悟られないように気をつけながらも、“最期のお別れ”のつもりも少しはあった。
元気な頃に比べて身体は痩せ、髪も薄くなってしまっていたが、顔色はいいし言葉も弱々しくなく、比較的元気そう。
家に引きこもっていると身体が鈍るので、買い物や散歩等、できるだけ外に出るようにしているとのこと。
日常生活はフツーにできているようで、医師の「年を越せないかも・・・」といった言葉が信じられないほどだった。

その時は、一緒に昼食を食べ、お茶を飲みながら しばらく雑談。
抗癌剤を打っている間とその後しばらくは食欲が減退するらしかったが、そうでない時 食欲はあった。
しかし、モノを食べる際は注意が必要。
食道部分がとても細くなっているため、食べ物は少量ずつ口に入れて、更によく噛んでゆっくり飲み込む必要があった。
ちょっと油断して 手術前みたいな食べ方をすると、すぐに嘔吐してしまうのだ。
“食べたいのに食べられない”、頭が欲する食事と身体が受け入れられる量に大きなギャップがあるため、それがストレスになっているようで、飲食大好きの私は とても気の毒に思った。

「朝 目が覚めたら、“あぁ・・・今日も生きてるな・・・”って思うんだ・・・」
「一日 一日だよ・・・一日 一日を生きてるんだよ・・・」
「私にとっては、毎日が正月の元旦みたいなもんだね・・・」
しんみりと、そうつぶやいた。
でも、私とは逆で、もともと明るくポジティブな性格。
「でもね、はやくよくなって蕎麦を思いっきりすすりたいんだよね!」
心のどこかで 先が長くないことを覚悟しつつも、それでも、病気と闘いながら明るく生きることは諦めていないようで、元気だった頃と変わらない笑顔をみせた。

しかし、生老病死は万民の定め。
先週から、ほとんど食事ができなくなり、横になっていることが多くなったよう。
それでも、本人は明るく過ごしているという。
その状況は、桜を待たずに逝ってしまうことを示唆しているような気がして、私は、独特の怖さとの寂しさと切なさを覚えている。
とにかく、近いうちに休みをとって見舞に行きたい。
仕事柄、危篤の知らせで受けてもすぐに駆けつけられない可能性が高いし、ちゃんと話ができるうちの方がいいから。
ただ、それこそ、“最期のお別れ”になりそう。
「学べ!学べ!」「感じろ!感じろ!」「受け取れ!受け取れ!」
今、私は、身近にあるその生と死を想いながら、また、自分の最期を重ねながら、強く自分に訴えている。


死は、戦いの相手であり、恐怖の怪物であり、嫌悪の対象であり、諦めの原因であり、悟りの機会であり、ときには憧れの行先になるもの。
死は、生きるための戦いを強い、未知の恐怖を与え、恐怖がゆえに嫌悪し、生きることを諦めさせ、人生を悟らせ、生きる苦しみから逃れる先となるわけ。
ただ、こちら側(生きている側)がどんな捉え方をしようが、どんな哲学・思想・宗教を振りかざそうが、到底 太刀打ちできるものではなく、勝てる相手ではない。
老い・病・ケガ・事件・事故・自死、人の死を伝える世のニュースや、身近な人の死を見ればわかるように、死は、多くの人が考えているほど遠いものではなく身近なものであり、絶対的な存在で常に私達の背後につきまとっている。
ただ、そんな“死”があるから生があるわけで、死があるから人生が生きるのではないかと思う。

“死”は、人生を生かすために必要な礎。
「どうせ いつか死ぬんだから・・・」といった空虚感・虚無感が、生きる意味を見失わせることが少なくないけど、実は、“死”は、人を活かし、人生を充実させ、人に生きる意味と生きなければならない理由を示してくれているのではないかと思う。
今の私にとって“死”は、怖く・寂しく・切ないものだけど、実は、それだけのものではなく、優しく・あたたかく・明るいものかもしれない。

そんな死を前に、新鮮な心持ちで、明るい気持ちで毎日を生きることができたら何より。
だけど、色んな事情や悩みがあって、暗い気持ちを引きずったまま朝を迎えることもあるだろう。
「いつか きっといいことある!」
なんて、無責任なことは言えないけど、心の持ち様(大局的・長期的な感性)で、悪いことの中に いいことが見いだせることもある。


あの大震災から今日で7年。
大きなものを失い、多くのものが失われた。
しかし、それで得たものもまた大きく、それで気づかされたこともまた多い。

毎日、元旦のような新鮮な心持ちで、感謝の時を生きていきたいものである。

公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

負けるな

2017-12-31 09:07:13 | Weblog
薄日差す曇空の大晦日。
2017年も今日でおしまい。
例によって、私は、大晦日の今日が仕事納めで、元旦の明日が仕事始め。
正月三が日ぐらいはゆっくり休んでみたいところだけど、珍業の零細企業に そのゆとりはない。
「だから・・・」というわけではないけど、私は、神社仏閣への初詣とかは、毎年、当然のように行かない。
単に時間がないからではなく、そっち系の信心もなければ興味もないから。
大袈裟な言い方だけど、それを越えて、逆に、心害があるくらいに思っている。

それでも、年末年始の祝ムードは好き。
人生において何十回か目の正月を迎えられることを祝いたい。
だから、今夜は、そんな気分を肴に、美味い酒を飲もうと思う。
ま、そうは言っても、明日も朝から仕事だから深酒はできないし、「美味い酒」といっても、飲むのはいつものウイスキー。
正月だからと言って、特別な酒を用意しているわけではない。
ただ、このウイスキー、頂きモノなのだけど、12年物のスコッチで、なかなかの美味。
また、なかなかの値段。
特別なことでもないかぎり、自腹では手が出ない。
それが、私の飲ペースで2~3か月分くらいもあり、私の気分を上げてくれている。

ありがたいことに、そんな具合で、私の場合、飲んでいる量に比べると かかる酒代は少なく済んでいる。
つい先日も ある人がテネシーウイスキーを送ってくれた。
もともと私はスコッチ派なので、こういう機会でもないかぎりバーボン系を口にすることはない。
ただ、今は、前記の12年物スコッチ以外にも結構な在庫があるので この蓋を開けるのは少し先のことになると思う。
次の春か夏か秋か、それとも順番を無視して先に開けることになるか、予定は未定。
何はともあれ、開けた時に感じるであろう風味の違い(新鮮さ)が楽しみだ。

そう言いながらも、毎晩、飲んだくれているわけではない。
これまで何度も書いたように、私は、毎晩のようには晩酌しない。
財布と身体に配慮して、数年前から、日曜から土曜の暦週の中で週休肝二日制を敷いている(それはルール上のことで、近年は、事実上、週休肝三日制にレベルアップさせている)。
これは、自分と交わした約束。
自分に対する義務であり責任。
しかし!今年の正月は、よりによって大晦日の今日が日曜日で暦週の初日。
そして、明日から正月三が日が始まる。
つまり、週休肝三日を死守するのが極めて困難な週構造となっているわけ。

ただ、「正月くらいいいか・・・」と欲に負けてしまうと、後悔必至。
自分の弱さに自己嫌悪感と苛立ちを覚えながら反省することになるはず。
もう何年も、ノンアルコールビールや炭酸水の力を借りたり、余計なことを考えず夕飯を掻きこんだりしながら、我慢に我慢を重ね、辛抱に辛抱を重ねて死守してきた休肝日。
それを、たった数日の正月祝ごときで台なしにするわけにはいかない。
とは言え、気の弱さと意志の弱さは一流の私。
日常において、自分に負けてしまうこともしばしば。
といった始末だから、
「一体、今週は いつを休肝日にするべきなのか・・・」
と、他人から見ればどうでもいいようなことを真剣に悩んでいる。


とにもかくにも、例年のこどく今年も色んなことがあったけど、一年、何とか生き通せた。
細かな悩みや苦しみ、トラブル等は数えきれないくらいあったけど、仕事ができなくなるほどの病気やケガに見舞われてもいないし、日常の生活が壊れるほどの災難にも遭わずに済んだ。
これは、ホント、ありがたいこと。
しかし、ブログは数えられる程度しか更新できなかった。
それだけ、時間と頭に余裕がなかったということ・・・・・生きるうえでの“戦い”が多かったということか。
ただ、それは、私にとって、悪いことではない。
それは、幸せな、楽しい、快適な人生を求める戦いだから。
そして、何かのために、誰かのために、自分のために戦ったのだから。

そんな中で、今年も多くの人との出会いと別れがあった。
一人一人を思い出すことはできないけど、大方の人がいい人達だった。
丁寧に礼を言ってくれた人、泣きながら喜んでくれた人、家族のように励ましてくれた人、私を必要としてくれた人・・・
そんな人達との縁に支えられ、ツラい仕事も頑張ることができ、暗い仕事も明るくやれた。

しかし、残念ながら、少数ながらも そうでない人達もいた。
口のきき方を知らない人、立場を利用して横柄・高圧的な態度にでる人、そして、何の利害関係もないのに偉そうにしてくる人。
特に気になる(気に障る)のは、その類の高齢者。
私くらいの年齢になると、「最近の若い者は・・・」と、つい若者を批難してしまいがちだけど、礼儀をわきまえず、素行がよろしくないのは若者に限ったことではない。
あくまで、私の個人的な出来事に限定したことだけど、「最近の年寄りは・・・」と愚痴りたくなるような人物に遭遇することが多かったし、気にせいか、そういった老人が増えてきているような気がする。

例えば、口のきき方。
内心で“礼儀知らず”と思ってしまうけど、相手が仕事上の関係者(客)なら、初対面でタメ口をきかれても我慢はできる。
しかし、何の関係もない人物にいきなりタメ口をきかれるのは気分が悪い。
いくら年上だからといっても、初対面の他人に敬語を使わないのはいかがなものか。
また、最近流行り(?)の“キレる老人”というヤツだろうか、私とは何の因果関係もないことで、いきなり怒鳴ってくる輩もいる。
多いのは、マンション・アパート・団地等の集合住宅の一室が現場であるケースで、現場の部屋の影響は皆無である離れた部屋(棟)からやってきて文句を言うパターン。
キレるにはキレるなりの理由や目的があるのだろうけど、それでは社会的に生き残れない。やはり、そんな人は、他の住人からも嫌われて、厄介者として敬遠されていることが多い。

ある現場(マンションのゴミ部屋)で作業中、離れた階の離れた部屋に住む老人に
「ホコリが飛んで迷惑しているから、すぐに作業をやめろ!」
と言いがかりをつけられたことがあった。
私は、慎重に作業を進めている旨と、事前に管理会社と管理組合の許可をとっている旨を低姿勢で説明。
しかし、老人は、
「そんなの関係ない!掃除屋の分際で生意気な!」
と私を恫喝。
心ない言葉に私の血は頭に急上昇。
怒り心頭の強面で老人を睨みつけ、応戦の構えをみせた。
が、感情にまかせた不用意な暴言が自分に不利になることは多々ある。
私は、口から出かかった言弾をグッと飲み込み、理事長と管理人に相談するため、一旦、現場を離れた。
結果、この老人は、“厄介者”“嫌われ者”として、マンション住民から村八分に遭っていることが判明。
私は、自分で自分の首を絞めることをやめることができない老人の弱さを不憫に思いつつ、理事長と管理人からの「相手にする必要ない」「無視していい」という指示のもと、作業を再開したのだった。

これは極端な事例だけど、「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがある通り、大局的には他人事で済まさないほうがいい。
私も、一年を振り返って、反省すべきことがたくさんある。
気分にまかせて、不快な態度をとってしまったこと、
感情にまかせて、不適切な言葉を発してしまったこと、
怠心にまかせて、楽な道を選んでしまったこと、
欲にまかせて、害を取り込んでしまったこと、
我にまかせて、人を批難してしまったこと、
屁理屈にまかせて、自分に負けてしまったこと、
思い返すと、キリがないくらいのことがある。

言うまでもなく、私は偉人でもなければ聖人でもない・・・
欠点・短所・弱点がたくさんある、ただの人間・・・
限りある善性と限りない悪性をもつ、ただの人間・・・
これは紛れもない事実ではあるけど、それはそれとして、私には、そんな事を言い、自分を卑下しながらも自分の殊勝さや謙遜さに酔うクセがある。
ただ、そうして自分を卑下しても、それは、ただの自己弁護・自己憐憫。
自分を誤魔化すことにしかすぎず、何の実ももたらさない。
一方、反省は、自分を強くし、賢くし・・・自分を成長させてくれる。
卑下はマイナス、反省はプラス。
「卑下と反省は違う」ということを、自分にわからせると後悔が少し明るくなる。


前にも書いた通り、歳のせいだろう、このところ、“人生の終わり”をヒシヒシと感じるようになってきている。
寂しいような、切ないような、怖いような、緊張するような、そんな気分。
だから、一層、「似たような過ち繰り返すことはしたくない」という気持ちが強くなっている。
併せて、今まで以上に時間の使い方や日常の生き方を意識するようになっている。
幸せに生きるため、楽しく生きるため、快適に生きるため、
目の前に現れる岐路を賢く選択し、目の前に現れる仕事に精一杯取り組み、
飽き飽きするほどの日常を宝とし、退屈するほどの平凡さを喜び、
自分の愚かさを省み、自分の弱さと戦い、
唯一無二の時間を噛みしめながら、その美味を味わいながら、
地味でもいいから、充実した時を生きていきたいと思っている。

そのせいなのかどうなのか、「来年は飛躍の年にしたい」とか「変革の年にしたい」とか、そんな考えは湧いてきていない。
とにかく、平和と平穏と、対自分戦の健闘を願っている。
エキサイティングな日々も面白そうだけど、私のような臆病者には向いてないような気がする(違う意味で、エキサイティング過ぎる日々を送っているけど)。
私が残り少ない人生を充実させるには、激しい荒波より静かな凪が向いているような気がする。

しかし、そんな虫のいい話ばかりではないのが人生。
大小の不安が、常に私につきまとっている。
特に、来年は、不本意な大波がきそうな予感がしないでもない。
それがないにしても、どちらにしても、過去に倣って苦労が多い年になるはず、楽に生きさせてはもらえないはず。
そして、それが吉とでるのか凶とでるのか知る由もないけど、これまで同様、否が応でも、それらに立ち向かっていかなければならない。


「負けるなよ・・・」
私は、薄日差す大晦日の曇空に、諦めにも希望にも似た悟りの心情を重ね、心の中で小さな火を燃やしながら、自分にそう囁いているのである。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

あったかぞく

2017-12-19 08:50:54 | Weblog
夏の暑さが夢のよう・・・
師走に入り、冬らしい寒さが続いている。
「例年の比べて寒さは厳しい」とのことだけど、“冬ってこんなもの”だと思う。
異常気象に苛まれすぎて、気候に関して世の中が少々過敏になっているような気がしないでもない。

とにかく、冬は空気が澄んで景色もきれい。
上がりきらない陽に景色は眩しく輝き、夕焼けも一段と映え、星も夜空を満たす。
とりわけ、アクアラインから眺めは私のお気に入り。
頻繁に走るルートなのに、透明な日は360度の全景をいつもマジマジと見回してしまう。
千葉県・東京都・神奈川県の街々に幕張・都心・横浜のビル群、羽田空港を離着陸する飛行機に東京湾に浮かぶ船、街の向こうに見える山々、富士山はもちろん、またそのうち登りたいと思っている筑波山まで見える。

そんな日の夜は、あったかい風呂にゆっくり浸かって身体をほぐしたいところだけど、ケチな私は、水道光熱費を抑えるため、短いシャワーだけで済ませることが多い。
もちろん、湯を出しっぱなしになんかしない。
だから、頭や身体を洗っている間は、寒くて寒くて仕方がない!
鳥肌を立て、ガタガタと震えながら風呂に入っている。

ただ、侘びしいことばかりではない。
その分、就寝時の布団がありがたく思える。
昨年は掛布団をグレードアップして そのあたたかさに感激したのだが、今年は敷布団もグレードアップして その寝心地のよさは更に向上。
ツラい労働からも解放され、あとはゆっくり眠るだけ。
まるで、あたたかい風呂に浸かっているかのようにリラックスできるのである。


冬の足音が聞こえる晩秋の午後、私の携帯が知らない番号で鳴った。
知らない番号で携帯が鳴るのは日常茶飯事なので、私はいつも通りよそ行きの作り声で電話をとった。

「お久しぶりです!」
「仕事、まだやってます?」
相手は中年の男性。
どうも、私のことを知った上でかけてきたよう。
男性は自分の名を名乗ったが、名前だけでは相手のことを何も思い出せない。
なにせ、私は、現場+その他で、一年に150人~200人くらい(多分)の人と初対面&別離を繰り返すわけで・・・また、延数となると千単位になるわけで、一人一人を記憶しておくなんてできるはずはない。
ただ、男性は、内装工事会社に勤めており、“何年か前、何度か私に仕事を頼んだことがある”という。
私は、すぐに思い出せないことを詫びながら、男性の口からでる情報を頼りに、昔の記憶をたどった。

「あぁ~・・・思い出しました!思い出しました!」
「残念ながら、相変わらずやってます・・・」
一度きりの関わりだったら思い出せなかったと思うけど、男性とは三~四度仕事をした経緯があり、少しのヒントで記憶は回復。
業種は違えど お互い肉体労働者であり、更に、男性は私と年が同じ。
仲間意識みたいなものを持って気持ちよく仕事をさせてもらったことが思い出され、懐かしくてテンションを上げた。

男性の要件は、現地調査の依頼。
現場は、賃貸マンション一室で元ゴミ部屋。
“リフォームしたのにゴミ臭が残留している”とのこと。
本来ならリフォーム前にキチンと消臭消毒するべきところ、リフォーム業者は“床材や壁紙を貼りかえればニオイは消える”と、甘く考えたよう。
軽症ならそれで片付くこともあるけど、重症の場合、そんなに簡単に事は運ばない。
にも関わらず、通常のリフォーム工事を行ってしまったようだった。


調査の日。
空気は冷たがったが空は広く晴れ渡り、日向にいると暖かく感じられた。
現場のマンションは閑静な住宅地に建つ小規模マンション。
私は約束の時間より前に現場に行き、男性も約束に時間より前に現れた。

男性と顔を合わせるのは約五年半ぶり。
「歳を喰いましたね・・・お互いに・・・」
と、ニコニコと 互いの顔を眺めながら挨拶。
そして、とにかく、お互い 達者でやってることを喜び合った。

目的の部屋は、過述のとおりリフォーム済みで、見た目はきれいになっていた。
しかし、きれいになったのは見た目のみ。
レベルは低かったものの、悪臭はしっかり残留。
大家はリフォーム業者にクレームをつけたが、
「契約通りの仕事はした」
「あとの責任はない」
と、何の手も打たず引き揚げてしまった。
困った大家は、男性に
「このままだと賃貸にだせない」
「何とかしてほしい」
と相談を持ちかけた。
リフォームした業者は男性の元勤務先。
大家とは前職時代からの顔見知りで、大家はその縁で、男性に連絡を入れてきたのだった。

男性は、三年ほど前にその会社を退職。
理由は、社長に対する不満。
最後は“ケンカ別れ”みたいな辞め方に。
ただ、退職を決める前、男性は“勤続or退職”を真剣に悩んだ。
転職って、誰にとっても大きな問題。
とりわけ、養わなければならない家族がいる男性にとっては深刻な問題だった。

自分の年齢やその後の生活を考えると、転職はリスクが高い。
自分一人ならいざ知らず、男性には妻子もあれば住宅ローンもある。
更に、子供は、教育費が上がっていく年頃。
転職後は、収入が下がる恐れが極めて高かった。
しかし、それはあくまで金だけの話。
勤続年数が長くなり、ポジションが上がるにつれ、社長と関わることが増え、併せて、社長の欠点や短所がよく見えるようになってきた。
自分や他の従業員に対するパワハラや暴言も少なくなかった。
そんな中で、男性が抱えるストレスは、抱えきれないくらいに膨れ上がってきた。

何事のおいても忍耐すること・辛抱することは大切。
しかし、 “時は金なり”だけでなく、“時間=人生”でもある。
悶々としたまま 時間をつまらなく浪費することに疑問が湧いてきた。
結局、男性は誰に相談することもせず退職を決意。
妻に報告したのは、退職を決めた後。
妻が、怒り嘆くことを覚悟した上でのことだった。

しかし、妻の応対は予想外のものだった。
「あ、そう・・・よく考えて決めたんでしょ?」
「貴方の人生、貴方が思うように進めばいいんじゃない?」
「大丈夫!二人で力を合わせれば、子供のことも家のことも何とかなるよ!」
と、悲嘆するどころか、男性の考えに賛同し 励ましてくれた。

常日頃から、男性の女房殿は、男性が社長に大きなストレスを抱えていることを察していた。
そして、そんな苦境にあっても家族のために辛抱していたことも。
だから、男性の決意を快く受け入れたようだった。

退職後は同業他社に移ることも考えたが、その門は狭く条件も悪かった。
結局、男性は、前職と同じ業種で独立開業。
しかし、男性の動きを警戒した社長は、取引先や職人仲間にまで男性の悪評を触れ回り、男性の営業活動を妨害。
更に、大した準備もしていなかったため、仕事はなかなか入らず。
とりあえず、仲間の職人の手伝いをしながら何とか食いつないでいった。

当然のように、収入はガタ落ち。
家計は節約生活を余儀なくされた。
専業主婦だった妻も外に働きにでるように。
子供達にも転職の事情と家計の状況を説明し、学業に悪影響がでない範囲で協力を求めた。

節約生活にかけては、結構な自信がある私。
仮に“節約検定”とかあったら、上級者になれるだろう。
私は、まるで自慢話、または上の立場で講義でもするかのように、普段の節約ぶりを力説。
男性の節約工夫に負けじと、ちょっと恥ずかしいケチぶりも披露。
すると、男性は、呆れたように苦笑いしながら、私の話に頷いてくれた。

世の中には、“金の切れ目が縁の切れ目”になってしまう寂しい家族もいると思うけど、男性の家族は違った。
不満らしい不満も言わず、皆が助け合い、協力し合った。
それによって、経済力は下がったものの家族の団結力は増し、それまではハッキリ見えていなかった家族愛が具現化。
そして、更に、それによって多くの幸福感がもたらされた

そうして、男性は、一件一件の仕事と一人一人の人脈を大切にしながら、一年目を何とか乗り切った。
努力の甲斐あって、二年目になると、微増ながら売上は上昇。
更に、三年目に入ると、仲間に仕事を手伝ってもらわないと現場が回らないことも増えてきた。
ただ、それでも、収入は、前職のレベルにまでは達しなかった。

「“不満”というストレスが“不安”というストレスに変わっただけかもしれません・・・」
「収入が下がった分だけ損してますよね・・・」
男性は、笑いながらそう言った。
しかし、そこに後悔の暗さはなかった。
それどころか、
「でも、辞めるとき“二人で力を合わせれば何とかなるよ!”って言ってくれた女房には、今だに恩義を感じてますよ!」
と照れくさそうに言う男性の顔は、その時の空のように晴れ晴れとあたたかなものだった。

家族って、嬉しい ありがたい・・・
家族を大切にすることは自分を大切にすること・・・
家族がいるから頑張れる・・・
私には、男性のそれは、“金に代えることができない いいこと”に気づき、また、“金で買うことができない いいもの”を手に入れたからではないかと思えたのだった。



公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント

人生上々

2017-11-30 08:58:39 | 遺品整理
出向いた現場は、郊外の住宅地に建つ有料老人ホーム。
特別養護老人ホーム等とは違い、そこに入所するにも そこで暮らすにも ある程度のお金がかかる。
高級ではなくても、軽費型であっても、相応の費用がかかる。
つまり、ある程度の経済力がないと、入所することはできない。
満額の年金+αが必要。
となると、それが叶わない人もいるわけで・・・
立派な造りの建物を見ながら、私の脳裏には、自分の将来に対して一抹の不安が過った。

まだ少し先のことだけど、私も、“五十”という節目の歳が近くなっている。
「俺が五十!?・・・五十って・・・若くないどころか、もうじき爺さんじゃん・・・」
頭では年齢を受け入れていても、心のどこかでそれを拒否している私。
まだ充分に若いつもりでいる自分がどこかにいるからだろう、四十代を迎えたときよりも、大きなショックと重い悲壮感を抱えている。
同時に、常々、“死”を意識して生きてきた私だけど、そのリアルさが増し、より身近に感じるようになってきている。
「俺の人生、もうじき終わるんだなぁ・・・」
「俺、もうじき死ぬんだなぁ・・・」
特に悲観的になっているわけではないけど、つくづくそう想っている。
そして、時折、緊張している。

でも、余生が短くなることがリアルになるのは、悪いことばかりをもたらすのではない。
減酒、素食、運動、体重維持等々、健康を意識して、そのためにできることをやるようになったから。
おかげで、病院のお世話になるようなこともなく、現場でもキビキビ動けている。
また、以前は、軽はずみに
「もう死んでしまいたい・・・」
「このまま死んじゃってもいいかな・・・」
なんて投げやりになって心を疲れさせることが多かった私だけど、このところ、そんな思いが湧いてくることは少なくなってきた。
その逆に、この頃は、
「辛かろうが苦しかろうが、死にたかろうが死にたくなかろうが、どちらにしろ、人生の終わりは近い」
「だったら、それまでは精一杯生きてみよう!」
と、上を向くことが増えてきた。
これは、なかなかラッキーなことである。


頼まれた仕事は、その施設の一室の遺品処理。
依頼者は初老の女性。
亡くなったのは、この施設に入所していた女性の高齢の母親。
部屋には、故人が使っていた家財や生活用品が残されていた。
そうは言っても、そこは老人ホームの一室。
大型の家具もないし、一般の住宅に比べたらその量は少なめ。
いちいち部屋を歩き回らなくても、荷物の量を把握することができた。

クローゼットの上の段には、何着かの洋服がかかっていた。
それらは外出用の服で、晩年の故人はほとんど袖を通すことはなかった。
そして、下の段にはアルバムが整然と並べられていた。
背表紙には「○年度○年○組」の文字。
一冊一冊、大きくしっかりしたモノで、三十~四十冊はあった。
結構な数に 私が目を留めていると、
「それは、母が大切にしていたアルバムです」
「永年、小学校の教師をしていて、そのときもモノなんです」
「ここに入るときも、“持っていく!”ってきかなかったんですよね・・・」
「重いし 場所もとるので反対したんですけど・・・」
「一人暮らしが無理になって・・・そうは言っても同居もできなくて・・・」
「母をここに入れてしまうことに罪悪感みたいなものもあったので、認めたんです・・・」
と、女性は、その事情と苦悩を打ち明けてくれた。

当初、故人は老人ホームには入りたくなかった。
想い出がタップリ詰まった我が家、愛着のある我が家で余生を過ごしたかった。
しかし、身体の衰えがそれを許さず。
単に“不便”だけのことだった故人の一人暮らしは、“危険”な領域に入ることも増えてきて、いよいよ決断のときが迫ってきた。
そして、苦慮の末、“女性(娘)達家族に迷惑をかけたくない”との思いで余生に対する望みを捨てた。
ただ、せめてもの慰め、心の支えとして想い出のアルバムだけは持って出たのだった。


故人は、教師一筋の社会人生活を送った。
新米教師からスタートし、いくつものクラスを受け持ち、長い時間を幾人もの子供と共に過ごしてきた。
その道程は平たんではなく、悩んだこともあれば、苦しんだこともあった。
大病を患って休職したときは退職も考えた。
また、失敗したり、戸惑ったりしたこともあった。
父兄との確執で担任を外されそうになったときも退職を考えた。
それでも、故人は、教師という仕事に強い愛着を持っており、諦めずに続けた。

アルバムの中の子供達は、何百人・・・いや、千人を超えていたかも・・・
その中には、たくさんの笑顔があった・・・
今を楽しんでいる笑顔が、
希望に満ち溢れる笑顔が、
見えない明日を恐れない無邪気な笑顔が、
・・・人として大切にしたい笑顔があった。

故人は、教え子達の同窓会にも積極的に参加。
それは、現役のときだけにとどまらず、退職後も招かれるまま出かけていた。
そして、家に帰ってきて、その時の模様を嬉しそうに女性達家族に話してきかせるのが常だった。
ただ、そんな同窓会も、回を重ねるとともに参加者・不参加者は固定化。
来る人はいつも来るけど、来ない人はまったく来ない。
もちろん、不参加でも、「遠方に居住している」とか「時間の都合がつかない」とか、理由がわかっていれば心配はない。
しかし、不参加者の中には、その理由はもちろん、住所も連絡先も不明になってしまった人もいた。
「人生がうまくいってないんじゃないかな・・・」
と、故人は、そういった教え子達のことを案じていた。


そう言えば、私も、小中高通して同窓会といった類に一度も参加したことがない。
ハッキリは憶えていないけど、始めのうちは案内が届いていたようにも思うけど、多分、無視していたと思う。
したがって、現在に至るまで、小中高時代の友人との関わりは一切ない。
スマホの電話帳にも一人も入っていないし、SNSの類もまったく興味がないし、連絡がくることもなければ、私から連絡を入れることもない。
ただ、当然のようにそうして生きてきたため、寂しさはない。
しかし、それは、故人の言うとおり、“人生がうまくいっていない”せいかもしれない・・・
・・・イヤ・・・ちょっと違う・・・
うまくいっていないのは“人生”ではなく“自分”。
“面倒臭い”という理由がありつつも、結局は、自分のカッコ悪さを恥じて、敗北感や劣等感を覚えるのが嫌で、学友を遠ざけたように思う。


人生、うまくいく時もあれば うまくいかない時もある。
ただ、人生がうまくいっているかどうかは、見方と感じ方が変える。
正の見方・感じ方をすれば“うまくいっている”と思えるし、負の見方・感じ方をすれば“うまくいっていない”と思えてしまう。
つまり、「心の持ち様による」ということ。
しかし、それは、出来事や事象に大きく左右されやすい。
不運を歓迎できるはずもなければ、災難を喜べるはずもない。
平穏を好み波乱を嫌うのは当然のこと。
現実には、心の持ち様だけではどうにもならないこともある。
だけど、そういう心を持つための努力と挑戦は続けるべきだと思う。
それが、人生がうまくいくための秘訣のように思えるから。

・・・なんて偉そうなこと言ってるけど、大方の見方・多くの感じ方によれば、私は“負け組の負け犬”。
とても、人生がうまくいっているようには見えないはず。
まぁ・・・確かに・・・そう見えてしまう要素は、自分でも笑ってしまうくらいたくさんある。
だけど、それでも、私の人生は結構うまくいっている。

贅沢な暮らしには程遠いけど、三食に困ったこともなければ、飲みたい酒が欠けたこともない。
カッコ悪い仕事だけど、頭と身体もちゃんと働くし、ささやかながら やり甲斐もある。
小さなことかもしれないけど、日々に幸せがあり、日々に楽しみがある。
もちろん、苦労もあれば苦悩もある・・・数えればキリがない。
だから、そんなもの数えない。
ただただ、幸せと楽しさだけ数えることを心がけ、苦労と苦悩を薬味にしながら、それなりに楽しくやっている。

後悔しようがしまいが、過ぎた時間を取り戻すことはできない・・・
不満を抱えようが抱えまいが、今は終わっていく・・・
憂おうが憂うまいが、未来は消えていく・・・
そう・・・この人生は すぐに終わる。
クヨクヨしてるヒマはない!
腐ってる場合じゃない!


持ち帰ったアルバムはゴミとして処分。
その様は、故人の人生が終わってしまったこと、その教え子達の人生が終わりゆくこと・・・・・人の人生には終わりがあることを象徴しているように見えて、何とも言えない切なさを感じた。
と同時に、故人が、アルバムを開き、一つ一つの想い出をめくりながら色んなことを懐かしみつつ、自分や教え子の人生に愛おしさを感じていた様が思い起こされ、それは、「残りの人生、少しでもうまくいくよう頑張りたいな」といった上々の想いを私に与えてくれたのだった。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
コメント