特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

人間のクズ

2024-09-20 05:06:10 | 特殊清掃
この季節、朝夕には鈴虫の声が聞かれるようになってきた。
昼間は、まだ蝉が威勢よく鳴いている。
蝉は数年間、陽のあたらない地下生活をした後、最後の一週間だけ明るい地上にでて最期の時を燃焼・満喫するらしい。

蝉の一生には自分と重なる部分がある。
今は陽のあたらない生き方をしている私だが、いつかは陽のあたる明るい日が来るもしれない?
でも、仮にそんな日が来ても「長続きはしない」と思った方がいいかもね。

特掃の依頼が入った。
現場は古い一戸建、埃をかぶった生活用品(ゴミ?)が山積み状態。
昼間なのに家の中は薄暗く湿っぽい感じで、どことなく不気味な雰囲気だった。
いつもの様に私は、誰にでもなく「失礼しま~す」と言いながら奥へ進んだ。

汚染場所は奥の和室だった。
汚腐団は、例の木屑のような茶色の粉(以降、腐敗屑と呼ぶ)に覆われ、所々に小さな山ができていた。
「死後2~3ヶ月経過」「遺体は白骨化」ということは聞いていたので、この状況は想定の範囲だった。

周辺にはウジの死骸が無数に散乱(ハエの死骸は少なかった)。
前にも書いたが、ウジの死骸はサクサクの菓子のよう。
具体的に説明すると、柿の種と米菓子をかけ合わせたみたいなもの(分かるかなぁ)。
それをサクサクと踏みながら、更に近づいてみた。

すると、腐敗屑の中に無数の何かがシャワシャワと動いている。
「ん!?」
更に近づいてみると、それは得体の知れない虫の大群だった。
世間では見たこともない虫、名前も分からないその虫は、腐敗痕の上を腐敗屑と混ざり合いながらワサワサと動いていた。

「何だろう、この虫は・・・」
「ウジ・ハエを前座に、真打登場か?」
私にとっては「気持ち悪い」というより「興味深い」光景だった。
子供がカブト虫でも眺めるみたいに、私は目を輝かせて?しばらくその虫を眺めていた。

しかし結局、それが何の虫で、何のために居て、何をしているのかは分からなかった。
ずっと眺めてばかりいても仕方がない。
私は見積作業を開始した。

特掃作業は翌日になった。
ウェットな現場が大半の特掃業務、乾いた汚染箇所を片付けるのは新鮮だった。
気のせいか、熟成された腐敗臭もやわらかく感じられた。
私は、得体の知れないその虫と腐敗屑とを一緒にすくってサラサラと汚物袋に入れた。
腐敗屑には頭髪が絡み合っており、この原形が人間だったことを思い起こさせた。

腐敗屑は、腐敗液や腐敗粘土とは違って簡単にすくい取ることができ、爽快感すら覚えたくらい。
生きていても死んでいても、湿っぽいよりカラッと乾いていた方がいい。

ここでは当然、畳や床板もバッチリ汚染され腐っていた。
でも、これらも乾いていたので作業はしやすかった。
それらも全て撤去し、作業は無事に終了。

私はこの仕事を通じて、「人間も、腐って虫に食われれば屑になるんだな」としみじみ思った。
そして、屑になった人体は風に吹かれて消えていく。

現在の埋葬法では無理な相談なのだろうが、自分が死体になった時も、焼かないで自然の腐敗にまかせてほしい。
虫にたかられたって、虫に食われたっていい。
孤独死+腐乱では困るけど。

死んだら、私も人間の屑になりたい・・・
え?死ぬ前にもうなってる?



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2006-09-05 16:25:26
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残り香(後編)

2024-09-14 15:04:35 | 特殊清掃
うちは死体業が本業なのだが、たまに死体に関係ない仕事も入ってくる。
ゴミの片付け、消臭・消毒、害虫駆除etc。

今回のハウスクリーニング業者が依頼してきたのは消臭。
消臭は成果が目に見えないので、簡単にはできない仕事である。
特掃とは違った難しさとプレッシャーがある。

現場は今風のアパート。築年数も浅く、見た目にもきれいな建物だった。
相談してきたハウスクリーニング業者とは、建物の前で待ち合わせて一緒に部屋に入った。
私とは違って、腐乱死体のことは夢にも考えていないようだった。

部屋の中も見た目にはきれいだったが、確かに異臭がした。
軽い異臭なのだが、その臭いを嗅いだ途端にピン!ときた。
予想していた通り、腐乱死体臭と酷似していたのだ。
そして、部屋の細部を観察すると、更にピン!ときた。
極めて目につきにくい所々に、妙な汚れ痕がある。
私は内心で腐乱死体現場であることを断定した。

しかし、私はすぐにはそれを伝えなかった。
自信がなかった訳ではなく、問題が大きくなるのを避けるために。

ハウスクリーニング業者は、ある程度の改装が済んだ後の仕上げクリーニングだけをやるためにこの部屋に呼ばれているので、腐乱現場の可能性があることは全く知らず、考えてもいない様子だった。
念入りに観察するフリをしながら「これからどうしよう・・・」と思案した。

私は一旦外に出て、この物件を管理している不動産会社に電話した。
そして、この部屋に何か特別な事情がないかをそれとなく確認した。
始めは、何も言いたくなさそうにとぼけていた不動産会社も、私が死体業者である素性を明かすうちに態度が変わってきた。
そして、「私は10年以上も死体の臭いを嗅ぎ続けているんで・・・」の一言に真実を話し始めた(私のような者の存在に驚いたんだと思う)。

やはり、この部屋は腐乱死体現場だった。
遺族が自力で清掃して、素人目には気づかないくらいまできれいにしたらしい。
近隣住民に知られることを最も警戒しながら。
確かに、素人だったら気づかないであろうレベルまできれいになっていた。
元々の汚染度も軽かったのだろうけど。

しかし、腐敗臭はそう簡単に片付くものではない。
不動産会社は腐乱現場であることを伏せたうえで、ハウスクリーニング業者に作業を外注したのだった。
そして、手に負えなくなったハウスクリーニング業者がうちに相談してきた訳。

一口に「消臭」と言っても、「特掃+消臭」or「消臭のみ」では、はるかに「消臭のみ」の方がやりにくいし、やりたくない。意外?
清掃後だと、汚染箇所や汚染度、汚染物質が特定できないからだ。
今回のようなケースがまさにそう。

更に悪いことに、この部屋には中途半端な内装リフォームが入っており、余計にやっかいだった。

不動産会社は、近隣住民に事情が知れるのを避けたいようだった。
確かに、腐乱死体が原因でアパート一棟が丸ごと空部屋になってしまうことも有り得る。
仮にそうなっても、新しい入居者は獲得しにくいし。
それを考えると、不動産会社が受ける打撃と秘密したい気持ちは容易に察することができる。
しかし、商売を優先するあまり、他の住人に対して秘密にしたままで処理するのは不誠実だと思った。

ハウスクリーニング業者には適当なことを言って、その後の作業を引き継いだ。

翌日になって私が出した結論は、「内装全解体」「それができないなら、この仕事に責任は持てない」というものだった。
結果、見積も結構な金額になった。
不動産会社からの返答は、「検討してから連絡する」というものだった。

それからしばらくして、忘れた頃に連絡が入った。
「なかなか結論がまとまらないので、あの部屋はしばらく空部屋のままにしておく」とのことだった。
「まぁ、それもベターな選択かもしれないな」と、私は思った。
他の住人に知らせたかどうかは知らないが。

まったく、腐敗臭というヤツは人々を困らせる。
私の身体にも、腐敗臭の残り香があるだろうか。
たまには、女性の移り香でも残してみたいものだ(冗談)。

エロい話には無縁な私、グロい話ならたくさん持っている・・・腐るほどね。


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2006-09-04 08:48:27
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残り香(前編)

2024-09-13 07:40:57 | 特殊清掃
死体業をやるうえで臭覚は大事。
ある程度は臭いを嗅ぎ分けられないと仕事にならない。
基本的な部分は臭気測定機でもクリアできるが、やはり最終的には自分の臭覚が頼りになる。
また、臭覚には大きな個人差があることを理解しておくこともポイント。

ちなみに、私は自分の臭覚は標準レベルだと思っている。
あまり鋭い臭覚を持っているど、かえって仕事の障害になるかもしれない。
なにせ、いつも私が嗅いでいる腐敗臭はハンパじゃなく臭い!ので、鋭い臭覚を持っていたらそれだけでダウンしてしまうかもしれないから。

ホント、希望する読者がいたら一度は嗅がせてあげたいくらいだ。
惰性の(退屈な)生活には、抜群のカンフル剤になるかもよ!

私の仕事には、悪臭とウジは当然のつきものである。
いちいち言うまでもないことなので、最近は記述することを省略しているが、ほとんどの現場がそれらも含まれていることを承知して読んでもらえると幸い。

話を戻そう。
臭気測定機では臭いのレベルしか測ることができず、その内容まで追うことができない。
更には、メンタルな臭気はとうてい測ることはできない。

「メンタルな臭い」とは、臭気測定機は通常値を示し、更に私の臭覚でも問題のないレベルになった現場においても「まだ匂うような気がする」と言われるケースのこと。

このケースに当てはまりやすいのは近隣住民と賃貸物件の大家。
腐乱死体から受けた精神的なショックから抜け出せていない証拠でもある。
こういう人がいる場合は過剰なくらいの消臭作業を行い、同時に丁寧な説明が大事になる。
作業効率ばかりを優先してそれを怠ると、逆に作業効率を落とすことになりかねない。

片や、依頼者や遺族は少々の匂いくらいだったら「匂わない」とするケースが多い。
身内(関係者)が腐乱死体になったことを過去のものとしてさっさと葬り去りたいのだろう。

こういったケースでは、当然、私は客観的な感覚と第三者的な立場をキープしなければならない。
お金をくれるのが依頼者側であっても、できるだけ客観公正なスタンスで臨む。
それが、結果的に依頼者のためでもあるから。

ある時、ハウスクリーニングの専門業者から問い合わせが入った。
賃貸物件の引越後をクリーニングする会社だ。

「何の臭いだか分からない」
「どこから臭うのかも分からない」
「とにかく変な臭いがする」
「何とかならないか?」
と言う相談だった。

「出番かな?」
私は、イヤ~な予感を抱えながら現場に向かった。

つづく


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2006-09-03 08:38:04
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出会いと別れ

2024-09-12 07:29:17 | 特殊清掃
人生は色んな人との出会いと別れの繰り返しである。
私が書く「別れ」だからといって、なにも死別とは限らない。
別れの中の死別はごく一部。
学校・仕事・生活etcを通じて色んな人との出会いと別れがある。

考えてみると、私のような者でも、数えきれない人達との出会いと別れを経ている。
その中でも、一生を通じて付き合える人とはなかなか出会えないでいる。
「この人は一生の友だ!」「ずっと仲良くしていたい!」と、熱くなっていてもそれは一過性のもの。
一時期、どんなに仲良くしていても、学校・会社・住居などの所属コミュニティーを異にすると、またそれぞれに新しい出会いがあって、旧来の人間関係は次第に希薄になっていくパターンが多い。
特に、それ自体が淋しい訳ではないが、人との出会いに早々と別れ想像してしまう自分にどこか淋しさを覚える時がある。
こんな私と同じような経験を持つ人は、少なくないのではないだろうか。

私の場合は生きている人と同じくらい、いやそれ以上に?死んだ人との出会いが多い。
おかしな表現だか、出会う前に別れていると言った方が正確かもしれない、そんな出会いだ。

ある日の午後、特掃依頼の電話が入った。
故人の遠い親戚からだった。
他の仕事を抱えていた私が現場に着いたのは夜だった。
外はもう完全に暗くなっていた。

現場は狭い路地の奥、古い木造アパート。
玄関ドアの前に立っただけで、いつもの腐敗臭がプ~ン。
私は、教わった場所の隠しキーを使ってドアを開けた。
中はかなり暗くて、珍しく不気味さを覚えた。
例によって余計なことは考えないよう努めて私は中に入った。

とりあえず、電気ブレーカーを上げて明かりをつけた。
余談だが、このブレーガーがやたらと落ちやすくて困った。
いきなり落ちて部屋が真っ暗になる度に、心臓が止まりそうになった。
「故人の仕業か?」と、余計なことを考えてしまったものだから、そりゃもう大変だった。

さて、いつもの腐乱現場を想像していた私は驚いた。
床を埋め尽くす程のウジ・ハエの死骸はいいとして、汚腐団が木屑のような粉状のもので覆われていたのだ。

「ん?この状態は前にもどこかで見たことがあるぞ」
よく思い出してみると、死後経過日数がかなり経っていた現場だった。

私は依頼者に電話して、警察が推定した死後日数を尋ねてみた。
「約二ヶ月」
「白骨化していた」
依頼者の返答自体には驚かなかったが、「なんで、そこまで発見が遅れたんだ?」と、そっちの方に驚いた。
現場は住宅が犇めき合っているような所で、同じアパートにも住人はいるのに。
近隣には、随分前から悪臭が漂っていたはずなのに、誰も関わろうとしなかったのか・・・。

私も無用な人間関係を煩わしく感じる(敬遠する)タイプなので、近隣住民を「冷たい」と批判する気持ちは毛頭ない。
ただ、「腐乱臭によく我慢できたな」と、そっちの方に感心した。
他人と関わるより腐乱臭を我慢した方がマシだったのか・・・?

都市部を中心に「地域社会」というコミュニティーも崩れてきているのは事実だと思う。
私もそれに加担している一人。
これも、時代の流れか。
日本は人口が少なくなっていく傾向にあるようだし、人同士の関わり方も浅いものになっている。
その分、出会いと別れの機会もだんだんと少なくなっていくのだろうか。

時が経ってみると、「あの人と出会えてよかった」と思うことより「あの死体と出会えてよかった」と思うことの方が多い現在。
あくまで、「時が経ってみると・・・」だが。

残された人生にも、色々な人・死体との出会いと別れがあるだろう。
それが、いい出会い・いい別れであって欲しいと思う。

そして、死体との出会いがない人が可哀相でもあり羨ましくもある。


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2006-09-02 14:54:09投稿分より

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夏の終わりに

2024-09-09 07:33:36 | 特殊清掃
暦はもう秋、朝晩は涼しさを感じるようになってきた(気持ちいい)。
今日から9月である。

毎年のことだが、夏は特掃業務が更に過酷になる季節。
現場も凄惨を極める。
そんな現場で汗と脂にまみれて働く。
腐敗液に自分の汗が滴り落ちるのを見ながら、神妙なことを考えたり、自分を励ましたり、くだらない事を考えたりする。。
やけに哲学的になってみたり、センチになってみたり、バカになってみたり。

どうしようもない時は外に出て小休止。
荒くなった呼吸と心臓の鼓動、脳ミソを落ち着ける。

そんな夏も終わろうとしている。
今年の夏もいい?思い出がたくさんできたが、リアルタイム過ぎて紹介できないのが残念。

私は、今までに何体もの死体に会ってきた。
何件もの腐乱現場に遭遇してきた。
病死・事故死・自殺・自然死etc・・・。
死に方にも色々ある中で、そんな私が今まで一体しか扱ってない遺体がある。

「何?」と思われるだろう。
「他殺体」である。
私が20代の頃だから、もうだいぶ前の話になる。

当時は大きなニュースになったので、ここでも詳しい表記は控えるが、故人(被害者)は20代前半の学生だった。
楽しい夏休みの最中、惨劇が襲った。
犯人の末路を見ても、とても「一件落着」とは思えない事件だった。

遺体には大きな解剖痕があった。
遺族の要望で、生前に袖を通すことがなかったお気に入りの服を着せた。
作業中、遺族が立ち会っていなかったことで、若輩の私は余計なプレッシャーを受けずに落ち着いて仕事ができた。
遺族に何と声を掛けていいのかも分からなかったし。

子供や若者には、いい意味で無責任に生きられる特権が与えられている(代わりに責任を背負っている人がいるのだが)。
比較的、自由に生きられる特権だ。
人を悲しませない範囲であれば、その特権を自由に行使していいと、私は思う。
そこに若年の輝きが見えるから。

故人も、一人の若者として学生生活を謳歌していたことだろう。
楽しい夏休みを最期に、人生の幕を閉じることになることなんか知る由もなく。
そして、9月1日の新学期を迎えることなく突然逝ってしまった。

「人生って、いつ何が起きるかホントに分からないものだ」
と、あらためて痛感した時だった。
そして故人に、何故か犯人にも深い同情心が湧いてきたのを憶えている。

いつ何が起こるのか分からないのが人生だけど、いつ何が起こっても素直に受け入れることができる器量が欲しい(無理かな)。
苦しいこと・辛いこと・悲しいことは有限、気持ちいいこと・楽しいこと・嬉しいことは夢幻の人生なのだから。

夏の終わり、9月の曇空を見上げながら、先に逝った人達に想いを馳せる。


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2006-09-01 09:27:47投稿分より

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死に場所

2024-09-08 07:33:57 | その他
自分の死については、色々と興味がある。
その中で最も気になるは、やはりその時期。
今の私は、「元気で長生きしたい」と思っている。
過去には、そう思わなかったこともある。
勝手なものだ。

次に気になるのは、その場所。
可能性として高いのは、やはり病院。
健康を取り戻し、生命を永らえることが本来の目的(役割)である病院が、皮肉なことに、多くの人の死に場所となる。
死を前にすると、いかに人が無力であるかを物語っている。
まぁ、仕方のないことだろうが、病院を自分の死に場所とするのは、何となくさえない感じがする。

「だったら、どこがいいのか?」ときかれても答えに困るし、残念ながら答を用意しておいたところでそれは何の役にも立たないだろう。

特掃現場には、風呂・トイレ・寝室が多い。
その場所でコト切れる人が多ということ。

風呂で死ぬ場合、浴槽の中に入ったままの状態が多い。
更に、追焚き機能が動いたままで煮えていたであろうケースも少なくない。
入浴の際は、むやみに高温の湯に肩までドップリつかるのは避けたいところだ。
また、飲酒後の入浴も。
やはり、低めの湯温での半身浴がおすすめ。

トイレで死ぬ場合は、便器の汚染具合から想像して、用を足している最中が多いと思う。定かではないが。
ふんばる時、歯を食い縛ると血管が切れやすいらしい。
なかなか力を入れにくいかもしれないが、口を開けて用を足した方が安全だと聞いたことがある(ガセだったらゴメン)。
口を開けておくことによって、力み過ぎを防ぐことができるとのこと。

布団で死ぬ場合は、やはり寝ている時が多いと思う。
ん?
これって結構ベターな死に場所?
腐乱してしまうと色んな人に迷惑をかけてしまうけど、本人にとっては悪くないことかも。

人生の最後を自宅の布団で迎えるなんて、理想かもしれない。

死に場所は自分で選べない。
「俺はどこで死ぬことになるんだろうなぁ」
どこであろうと、穏やかな死を迎えたいものだ。


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2006-08-31 09:53:53投稿分より

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うにどん!

2024-09-06 05:59:08 | 特殊清掃
「食欲増進の巻」

私が初めてウニを食べたのは大人になってからである。
「美味!」と聞いていたウニは、私にとっては生臭くて食感も悪く、とても美味とは言えなかった。
美味しく感じなかった一番は原因は、食べ慣れていなかったせいかもしれない。
でも、何度か食べているうちに少しづつ味が分かってきて、だんだん好きになってきた。
今は、「大好物」とまではいかないけど好物の一つになっている。

そんな私は長い間ウニ丼に憧れを持っていた。
それまで、私の口に入る ウニは回転寿司の軍艦巻程度。多分、安物。
「テレビのグルメ番組にでてくるようなウニ丼を一度は食べてみたいなぁ」と、ずっと思っていた。
東京でも数千円だせば食べられるのだろうが、馴染みの寿司屋なんかない私には、美味しいウニ丼がありそうな寿司屋に飛び込む度胸もなく、結局いつまで経っても食べられずじまいだった。

二年程前になるだろうか、そんな私にウニ丼が食べられるチャンスが巡ってきた。
親しくしている人に海の近くの寿司屋に連れて行ってもらった時だ。
酒が入っていたせいもあるのだろう、ウニ丼に対する想いを熱く語ってしまった私。
カウンター越にそれを聞いていた板前が、「ウニ丼、出しましょうか?」「うちのは自慢のウニですから」と言ってくれた。

板前は、店のメニューにはないウニ丼を、わざわざ私のために作ってくれたのだった。
目の前に出て来たウニ丼は、私が期待していた通り、鮮やかな黄色で一つ一つが大きくホッコリしている。
決して溶けだすようなことはなく、表面のツブツブ感もしっかりあった。
私がいつも食べているような軍艦巻ウニとは大違い。

それを見て、増々テンションを上げた私。
テレビのグルメリポーター張りのオーバーリアクションでウニ丼を一気に掻き込んだ。
その食感はシッカリとあり甘味もコクも格別、本当に美味かった!

積年の望みを果たした喜びとウニの甘味がプラスされて、何とも言えない幸せなひと時だった。

一度食べればもう満足。
今は、ウニ丼への熱い想いは落ち着いている。



「食欲減退の巻」
場所は、寿司屋ではなく風呂場。

浴室のいたるところに付着している焦茶色の腐敗液と、あちこちに貼り着いている皮が、警察の遺体回収が困難を極めたことを物語っていた。
特に、浴槽の側面に垂れたまま乾燥していた腐敗液は視覚的にグロテスクだった。

浴槽の中を覗いて見ると、底に何がが溜まっている。
皮とウジは分かるものの、あとは何なのか判別不能だった。
まぁ、人体の一部の末路なんだろうが。

幸いなことに排水口は詰まっていなかった。
風呂やトイレの場合、排水口が通っているか詰まっているかは私にとっては天地の差がある。
通っていると俄然やる気がでてくるし、詰まっていると意気消沈してしまう(意気地がない?)。
始めに固形物を除去。
皮・髪・ウジ、そして得体の知れないモノ。
皮と髪は浴槽に貼り着いており、削り落とした。
大量のウジは一匹一匹を相手にはしていられない、まとめて掬い取るしかなかった。
それらはまとめて汚物容器に。

そして、私は得体の知れないモノに手をだした。
表面は茶色、固いモノだと思って道具を当てたら中からドロッと黄色い半液体がでてきた。

「何だこりゃ?」
「なかなか珍しい色だなぁ」
と思いながらそれも容器に取った。
ウジ山はその汚物に隠れた。

固形物を取り除いたら、あとはひたすら戦場・・・いや洗浄。
排水口が通っているということは水が流せるということで、気持ちいいくらいにきれいできた。

さて、最後に廃棄物のチェック。
私が汚物容器に見たものは、そう・・・。


いつかまた、美味しいウニ丼を食べたい。
頑張って仕事しよう。



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2006-08-29 09:05:07投稿分より

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世のため人のため?

2024-08-30 07:42:23 | ボランティア
「人の不幸につけ込んで金儲けをしているような気がする」
昔、後輩スタッフからこう相談されたことがある。
「警察だって、消防だって、医者だって、宗教家だってタダで働いている訳じゃない」
「何でも無償でやることが正しいことか?」
「死体業に先入観を持つのは世間に任せておけばいい」
と、私は彼の悩みを掃いのけた。

「この仕事って、値段があってないようなものでしょ」
ある依頼者から皮肉られたことがある。
「どんな商品やサービスの価格も、コスト+利益で構成されていることに変わりはないですよ」
「○○さん(依頼者の名前)の仕事は利益を取らないでやっているのですか?」
「申し訳ありませんが、ボランティアでやってる訳ではありませんので」
と、私は依頼者の皮肉を一蹴した。

私の仕事は人の死に直接関わるものなので、それを知った人からは良くも悪くも一目置かれる。
私は、死体に群がるハイエナ、いやハエ?・・・ウジかも?
世間からそう見られても仕方がない面があるし、自分の中にも葛藤がないわけじゃない。

仕事に疲れを覚えたりストレスを感じることは誰だってあると思う。
そして、あまりに疲れたりストレスを抱えたりすると、何のために仕事をしているのかが分からなくなることがある。
生きるために仕事をしているのではなく、仕事をするために生きているような日が続くと、気分も滅入ってくる。

そんな時は私も「何のために仕事をやっているのだろう」と思うことがある。
世のため人のため?
とんでもない!
そんな考えは微塵もない!
私は、金のため自分のために仕事をしている。
生きるために仕事をしている。
「仕事のやりがい」「仕事による自己研鑽」「仕事を通じての社会貢献」なんて二次的・三次的なオマケみたいなもの。
まずは、自分が生きるためだ。

「世のため人のため」なんて、たまには格好をつけてみたいけど、とてもそんな大ウソはつけない。
好意でやる+αの作業も所詮は仕事の範疇。
ビジネスとして成り立たなくなるまでは踏み込まない打算がある。
正直なところ、依頼者に満足してもらい、喜んでもらうことは一次的な目的ではない。
大きな成果・やり甲斐ではあるが結果でしかない。

無償・有償にこだわらず世のため人のために仕事ができる人、または、そういう心構えで仕事をしている人は立派だと思う。
そういうことが苦もなくできる人が羨ましい。
「そんな人間になれたらいいな」と思っても、結局は、自分が一番かわいいし自分が一番大事。
そして、楽をしたい。
私は、どうしても、元々の自分を捨てる(変える)ことができない。

自分のためだから耐えられる。
自分のためだから頑張れる。
好意の作業も善意の仕事も、回り回って結局は自分のためにやっていること。
決して、世のため人のためじゃない。
私は、そんなケチな男。

でも、生きているうちに一度くらいは人のために何かをしてみたい。
人のために何かができるような人間になってみたい。
偽善も打算もなく、純粋に。

せっかく人間に生まれて来たんだから。



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探し物(後編)

2024-08-28 11:23:30 | 腐乱死体
何日か後、依頼者の女性と現場で待ち合わせた。
女性が、現場となった故人(母親)の家を訪れるのは初めてとのこと。
女性には敷居が高過ぎて、今までずっと来ることができなかったらしい。
女性と故人は、それだけ疎遠な関係だった。

初めて顔を合わせた我々だったが、初対面のよそよそしさはなかった。
共に戦う同士みたいな感覚。

骨を見つけられなかったことをあらためて詫び、毛髪を取っておいたことを初めて知らせた。
私が好意でやったことでも、女性の気分を害してしまうことも有り得るので、慎重に話した。

幸いなことに、女性は喜んでくれた。
そして、また泣き始めた。
白い綿に包まれた毛髪を握り締めて、絞り出すような声で「お母さん、お母さん・・・」と。

女性には、それなりの過去があった。
親の言うことにも耳をかさず、若い頃には放蕩の限りを尽くしたらしい。
ここでは明かせないが、女性の身体的特徴もそれを物語っていた。
家族にも随分と迷惑をかけたであろうことは容易に想像できた。

そのせいで、親族からもやっかい者扱いされ、ずっと疎遠にされたまま。
身内の中で完全に孤立しており、葬式にも参列させてもらえなかったそう。

女性が本当に欲しかった物は、遺骨なんかじゃなく母親への謝罪と親孝行をするチャンスだったように思えた。
この半生、それを探し続けて生きてきたのに、ずっと見つけることができなかった。

私は、例によって勝手な自論を展開した。

「お母さんは○○さん(女性の名前)のことをとっくに赦してくれていると思いますよ」
「だから、腐乱してまでも○○さんが来るのを待っていてくれたんじゃないですか?」
「お母さんが腐ってくれたお陰で、他の親族に見つからずに来ることができた訳ですよね」
「きっとお母さんは、○○さんに重荷を降ろすチャンスをくれたんですよ」
「○○さんの将来を大事に想ってね」

失礼な暴言なのか、いいアドバイスなのか分からないようなコメントになったが、女性は泣きながら頷いて聞いていた。

「親孝行、したい時に親はなし」
「親の心、子知らず」

生前は大したことはできなくても、とりあえずは親より後に死ぬことが大事な親孝行だと思う。


トラックバック 2006-08-27 12:04:46投稿分より

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探し物(中編)

2024-08-27 15:00:03 | 腐乱死体
依頼者の女性は、母親の遺骨探索を私に頼んだことを他の親族には知られたくないようだった。

どんな事情があるのか分からなかったけど、他の親族の手前、何かと神経を使う仕事になった。

作業は、覚悟していた通り過酷なものとなった。
「ビーフシチュー」を彷彿とさせるレベル。
腐敗粘土をすくっては解して骨を探す。
ひたすらそれの繰り返し。
腐敗粘土は軟らかいモノから硬いモノまである。それらを一切合切すくっては中を探ったのである。

腐敗粘土をほぐすのは手作業。
小骨を探す細かい作業に道具は使えない。
自分の視覚と手の感覚だけが頼りだった。

もちろん、便器の中にも手を突っ込んだ。
「ウ○コor腐敗粘土、どっちがマシかなぁ」等とくだらないことを考えながら(過酷な現場には、くだらない思考が必要)。
そんな私の手(もちろん手袋装着)は汚物でヒドイことになっていた。
例によって食べ物に例えてしまうが、糠床を混ぜた後の手みたいに。

「俺って、よくこんなことができるよなぁ」
自分に呆れるような、自分が惨めなような、自分を褒めたいような、何とも言い難い気分だった。
私は、プレッシャーと疲れを感じていた。
特掃作業の結果として骨を見つけた経験はあるものの、始めから骨を探すことが目的の作業には独特の重圧を感じていた。
そして、私の念いとは裏腹に、いつまでやっても骨らしきモノは見つからない・・・残りの汚物はだんだん少なくなっていく・・・。
焦りからか、ウジが何度も骨に見えてしまい悔しい思いもした(ここでもウジにやられっぱなし)。

途中から、私は毛髪を取り避けた。
毛髪なら汚物の中にたくさんある。
「骨がでてこなかった場合の代替物にできるかも」と考えたのだった。

結局、残念ながら、最後まで骨がでてくることはなかった。
私が見逃した可能性も否定しきれないけど、「やれるだけのことはやった」と自分を納得させた。
私は集めた毛髪を洗剤で丁寧に洗った。
脂の悪臭がなかなか落ちなくて、何度も洗い直した。

私は女性に電話をして、先に骨が見つからなかったことを報告した。
そして、確認のため近いうちに現場を見に来てほしい旨も。
女性は、労いの言葉をかけてくれながらも、落胆していた。
私は申し訳ない気持ちになったが、「仕事の成果は約束していないから・・・」と、内心で言い訳をして自分をごまかした。

正直、この仕事はこれでおしまいにしたかった。
しかし、女性と話しているうちに「他に役に立てそうなことがあれば言って下さい」と話していた。
女性に泣かれると弱い・・・。

つづく


トラックバック 2006-08-26 08:53:24投稿分より


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探し物(前編)

2024-08-24 06:49:58 | 腐乱死体
特掃現場では、何らかの探し物を依頼されることが多い。
私は片付屋・始末屋であっても探し屋ではないのだが、依頼者は他に頼める人がいないから私に頼んでくる。

「自分で探せばいいのに」と思うのは腐乱死体現場を知らない第三者。
故人の身内とはいえ、一般の人には腐乱現場での探し物などとてもできない。
視覚と嗅覚が瞬時やられてしまい、ほとんどの人はわずかな時間でも現場に滞まることはできない。

依頼品で多いのは預金通帳・印鑑・権利書・株券・保険証券・年金手帳・貴金属、やはり金目のモノである。
残された人は故人の死を想ってばかりはいられない。
死後の後始末をきれいに済ませる、社会的責任がある。
特に、腐乱現場・自殺現場の始末には重い責任がのしかかってくる。
それには、まずはお金が必要ということ。

たまに、変わった探し物を頼まれることがある。
遺骨もその一つ。

「骨を探してほしい」
中年女性からそんな依頼が入った。
孤独死・腐乱、亡くなったのは女性の母親らしい。

警察が遺体を持って行った後も、現場に小骨が残っていることはたまにある。
しかし、まだ骨が残っている可能性があることを素人の女性が知っていることが不思議だった。

「現場には行けないので、勝手に入っていい」とのこと。
電話口で思案していても仕方がない。
とにかく現場へ向かった。

現場はトイレ、床一面に腐敗粘土と腐敗液が広がり、厚い層を作っていた。
例によって「こりゃヒドイなぁ」と呟いた私。
乾燥しかかった腐敗粘土は、便器の中までたまっており、死後かなりの日数が経っていることが読み取れた。

「これで骨が探せるかなぁ」
「ヤバイ作業になりそうだなぁ」
汚物の量にいきなり自信喪失、腰が引けてきた。

現場を確認してから女性に電話。
トラブルを避けるため、依頼作業の成果は約束できないことを先に伝えた。
あと、作業が過酷を極めるであろうことも。

骨が残っている可能性があることは警察から聞いたらしい。
現場を見た私は納得できた。
「あれじゃぁ骨を拾い残しても仕方ないな」
逆に、「よく遺体を回収して行ったな」と警察に感心したくらい。

正直、この仕事はやりたくなかった。
しかし、女性と話しているうちに引き受ける方向に気持ちが動いていった。
女性に泣かれると弱い・・・。

つづく



トラックバック 2006-08-25 08:23:20投稿分より



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ロールケーキorサンドイッチ

2024-08-15 06:31:30 | 特殊清掃
腐乱死体が布団を汚していることは多い。
言い換えると、布団に入ったまま亡くなる人が多いということ。
そんな場合は、ほとんどの依頼者が「布団だけでも先に持って行ってくれ!」と依頼してくる。
腐敗液をタップリ吸った布団は、見た目も臭いもとてもヒドイから。

できる限り依頼者の要望には応えるようにしているが、見積と作業は別物。
作業を小刻みに分けると、効率も悪くコストも上がる。
何よりも、汚物処理作業は一発で済ませたい。

でも、困りきった様子で依頼してくる依頼者も無視できない。
昔は、そんな現場は仕方なく作業をしていた。
依頼者には悪いが、嫌々やっていた。

普通の布団をたたむのは誰でもわけないことだが、汚腐団(お布団)はそういう訳にはいかない。
できるけ小さくたたんで専用袋に入れるだけ作業なのに、ちょっと油断すると腐敗液が身体に着いてしまう。

以前は、腐敗液が身体に着かないように作業手順をよーく練ったうえで、慎重に慎重を重ねてやっていた。
まさに、汚いモノにでも触るかのように。
それでも、なかなかうまくいかず、身体を汚してしまったことが何度もある。
その逃げ腰・及び腰の姿勢が逆効果であることに気づくのは、しばらく先になった。

何度もやっているうちに、一つの失敗が一つのノウハウになることを覚えた私は、「どうせ汚れるんだったら失敗例を蓄積しよう」と考え方を変えた。
皮肉なことに、汚いモノが着かないように気をつけていた頃に比べると、汚いモノを気にしなくなってからの方が圧倒的に汚れなくなった。

腐敗液をタップリ吸った布団は重い!もちろん臭くもある。
持つとズシリとくる。
実際の重さに増して精神的な重さがある。
私より腕力のある人でも、そう簡単には持てないかも。

昔は、梱包した布団でさえ汚く思えて、身体につかないように持っていた。

今は、抱えるどころか背負うことにも抵抗感はない。
それを背負うと、遺体そのものを背負っているような錯覚に陥る。
そんな布団に対する私の感覚は、汚物と人間の間を行ったり来たりする。大袈裟に言うと、汚物に親近感みたいなものを覚えることもある。
ただ歳をとっているだけじゃなく、人間として成長しているのかも?

仕事も人生も、楽をしようとして近道を行くと、かえって遠回りになってしまうことがある。
身の丈を考えず階段を飛び越えようとすると、踏み外して転げ落ちることがある。
何事も、小さな積み重ねが大事。
続けることが大事。
知恵を持つことが大事。
こんな仕事にも独自のノウハウがある。
それを得るためには経験・継続・蓄積が必要。
私には、誰にも真似できない(したくない?)それがある。
死体業をコツコツやってきたことが、ホコリのような私の誇り・・・かな?

今回は、とりとめもない文章になってしまった。夏バテ気味か・・・。

表題の「ロールケーキorサンドイッチ」は、汚腐団のたたみ方のコツ。
中に入る具は色々あるが、読者の想像にお任せする。

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2006/08/24 19:27:34
投稿分より
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命の選択

2024-08-14 05:42:00 | 遺体処置
今年の夏は短いように感じる。
長かった梅雨が明けてからも、グズついた天気が多かった。
日照不足のせいで野菜や果物も作柄がよくないらしく高値が続いている。
普段は食べたくない野菜でも、高値がつくと急に食べたくなる。不思議だ。
本当に食べたいのは野菜ではなくて、金銭価値なんだろう。

例によって、今年も全国各地で水の事故が多発している。
命の洗濯のつもりで出掛けたレジャーが一変するときだ。

ある中年男性が溺死した。
家族で海水浴に出掛けた先で。
検死から帰宅した遺体は全裸でビーチの砂にまみれていた。
遺体を前に妻子は呆然、泣くに泣けない様子だった。
ここでも、楽しいはずの夏休みが一変していた。
体格のいい故人は、泳ぎには自信があったのだろうか。
それとも、気をつけていたのに波に流されてしまったのだろうか。
ふざけて遊び過ぎたのかもしれない。
どちらにしろ、海に入ったことが命取りになってしまった。

まず、身体のあちこちに着いた砂を取り除かなければならなかった。
これは並の作業で済んだ。
しかし、髪の毛にビッシリ入り込んだ砂をとるのが大変だった。

始めは、クシで髪をとかしながら砂を掃い除けようとした。
すると、砂だけではなく髪の毛自体がバサバサと抜け落ちてきた。
頭皮がかなり弱っているらしかった。外見は何ともなかったのに。
そのままやり続けると砂は除けても髪もなくなる。
とりあえず、その方法は中止。

「どうしようかなぁ」と思案しながら、どうするかを妻に相談。
気が抜けたようになっている妻は言葉を発することができず、私の問い掛けに返事をするのが精一杯のようだった。
気持ちは分からないでもかったが、いくら話してもラチがあかず困った。
遺族の希望を汲みながら、私が主導してやるほかないと判断。
やはり、頭が砂だらけのままでは偲びない。
しかし、頭髪が抜けてしまってはどうしようもない。
手間はかかるけど、水で洗い流してみることにした。
作業的には大がかりになり結構な時間を要したが、水流(水圧)のみを使って砂を流し取る方法は抜群にうまくいった。
我ながら満足した。

きれいになった故人には、普段から家で着ていた楽な服を着せた。
何を着せるか家族がハッキリしないので、私なりに熟慮して決めさせてもらった。

生前のままに戻った故人を見て、色々な想いが一気に噴出してきたのだろう、今まで寡黙・無表情だった妻子はいきなり号泣し始めた。
その場にいて言葉がでなかった。
気の毒に思いながら、俯いているしかなかった私。

楽しいはずの海水浴で、大事な夫・父を亡くしてしまった家族。
一家の大黒柱をいきなり失った家族には、その後どんな人生が待っているのだろう。
少なくとも、残りの夏休みが楽しいものにならないことは容易に想像できた。

人の死には色々なケースがある。
事故死の場合、自らの選択が死に向かわせているように思えることが多い。
本人は、死なないことを信じて疑わないのに。

命の選択。
人生は選択の繰り返し、選択の積み重ね。
小さな選択がその後の人生を大きく変えることもある。
選択の先にあるものを、誰かが教えてくれると助かるんだけどね。

それにしても、私は、あの時なんで死体業を選択してしまったんだろう。
んー、分からん!



トラックバック 2006-08-23 08:19:21投稿分より

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ロンリーミッドナイト

2024-08-11 13:15:42 | 遺体処置
私の仕事は、365日24時間の電話受付と見積を行っている。
昼間ほどの数はないながらも夜間に電話が鳴ることもある。
そして、「今すぐ来て」という要望も。

夜中の出動は独特の辛さがある。
それは、暗闇の怖さではなく眠気の辛さ。
昼間の仕事と夜の出動が続くと本当にツライ!
そんな日が続くと、仕事があることに感謝するどころか「今夜はゆっくり寝ていたい(仕事が入るな!)」と願ってしまうこともある。

かなり前の話になるが、自殺遺体の処置業務で夜中に出向いたことがある。
遺体処置業務での夜中出動は珍しいことなので、「何か、特別な状況なのかな?」「なんでこんな夜中にやる必要があるんだろう」と少々不思議に思いながら緊張して現場に向かった。

現場に到着した私は、目当ての部屋を訪問。
現場はアパートの二階、首吊自殺だった。
警察の検死は終わっていて、遺体は首を吊った部屋に安置されていた。
警戒していたような特別な状況ではなかった。

その場にいた遺族は故人の両親の二人きり、他には誰もおらず二人は遺体を前にした神妙な面持ち。
私の到着を心待ちにしていたようで、私が参上すると安堵の表情を浮かべた。
と同時に「あとはヨロシク」と言わんばかりに、さっさと退室。
そして、車に乗ってどこかへ行ってしまった。

「えッ!?」
てっきり、作業中も遺族が立ち会ってくれるものとばかり思っていた私は意表を突かれた。
遺族とコミュニケーションをとる間もなかった。
遺体とともに夜中のアパートに取り残された私は、遺体の顔を見ながらしばし呆然。
いつも通りの仕事をやるしかなかったのに、なんだかやる気がでなかった。
「・・・取り残されちゃいましたねェ」、いつもの独り言。
両親に放られた遺体を少し不憫に思った。

そそくさと去って行った両親は、どうも世間体を気にしているようだった。
それも、かなり。
しかし、遺体処置は夜中にやる方が余計怪しいし、昼間だと気にならないくらいの物音でも夜中だとかなり響く。
世間体を気にするのなら、昼間にした方がマシというものだった。
まぁ、両親なりに考えて決めたことだろうから、それ以上は深く考えないようにした。

さて、何となく虚しい感じの作業になったが、とりあえずは無事に終えることができた。
しかし、肝心の両親が戻って来ない。いつまで待っても。
私は、遺体を放置して鍵もかけずに現場を離れる訳にもいかないので、仕方なくその場にいることにした。
最初は、遺体の前にきちんと正座をして待っていた。
そのうち、足が痛くなってきて、あぐらをかいた。
更に、疲れてきて、手を床(畳)について座った。
ついに、睡魔が襲ってきて、横になりたい衝動にかられ始めた。

「遺体の横に寝るか?」⇔「そりゃダメだ!」
「寝ちゃおうかな」⇔「そりゃマズイ!」
頭を何度もカクンカクンさせながら、睡魔と戦った。
睡魔って、本当に怖い。
遺体が気持ちよさそうに眠っているように見えてしまい、羨ましく思えてきた。

どうにかして睡魔を追い払わなければならない私は、鼻歌を歌ったり返事をしない故人に話し掛けたりしてその場をしのいだ。
近隣住民は、遺体のある部屋から鼻歌や一人の話し声が聞こえてくるので不気味で仕方なかったかもしれない。
世間体を気にして夜中作業にした両親の思惑はこれで台無しになったかも。

結局、両親は空が明るくなり始める頃に戻ってきた。
私は、ほとんどボケボケ状態になっていた。朝陽が夕陽に見えていた。
戻ってきた両親には、「連絡をくれればよかったのに」と呆れ顔で言われたが、私は内心で「連絡先も言わずに勝手に行ってしまったのはアンタ達の方だろ!」と憮然。
でも、言葉では「作業に時間がかかったので、たいした時間は待っていませんでしたから・・・」と微笑まじりの営業トーク。

何はともあれ、両親に現場を引き継いで、私はその場を離れた。
静かな夜をともに過ごした遺体に変な親近感を覚えていた私は、遺体に「バイバ~イ」。
「袖擦り合うも他生の縁」、生きてりゃ結構いい友達になれたかもしれない?


トラックバック 2006-08-22 16:54:13投稿分より
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飼猫とサラリーマン

2024-08-09 08:24:56 | 孤独死 遺品整理
初老女性の孤独死。
検死結果は「死後二週間」とのこと。
部屋の中はにはいつもの悪習が充満、汚染された布団にはウジが這い回り、ハエが所狭しと飛び回っていた。
ま、これくらいは当たり前の状況。

言葉的におかしな表現になるが、この現場は「きれいな汚染」だった。
故人も、そう苦しまなかったであろうことが伺えた。
汚染は深かったものの、横への広がりが極めて少なく、汚染箇所の撤去はかなり楽にできた。

この要因は二つ考えられた。
一つは、就寝したまま横になった状態で息絶えたこと。
もう一つは、使っていた布団が厚手で吸湿性の高いもの(高級布団?)だったこと。

就寝中に死ぬ人は少なくない。
しかし、コト切れる間際は苦しいのだろうか、布団に納まってきれいに横 になっている状態は少ない。
布団から上半身だけでも這い出した状態だと、その後の腐敗汚染度がかなり変わってくる。
また、薄くて吸湿性の悪い布団だと、布団自体が腐敗液を滲みだしてしまう。

今回の現場は、布団一組・畳一枚・床板一部を撤去すれば汚染部はなくなった。
あとは、ウジ・ハエを始末するだけ(消臭は別課題)。

作業を終えて外に出ると、家の中のものとは微妙に違う異臭を感じた。
この現場では、屋外のことは私の範疇にしていなかったので、知らぬフリもできたが、その異臭がだたのゴミ等とは違っていたので気になった。

そこで、異臭の元を確認するため、異臭の濃い方進んだ。
異臭の元はすぐ発見できた。
家の裏、狭い物置スペースに猫の腐乱死体があった。

すぐ依頼者に連絡。
依頼者によると「故人は猫は飼っていなかったはず」とのこと。
「野良か?」と思いながら外を観察すると、餌用容器が置いてあった。
念のために、再び家の中に入って中を観察。
台所に買い置きのキャットフードがあった。

どうも、野良猫を飼っていたらしい。
私は依頼者に状況を伝え、一度現場を見に来てくれるよう頼んだ。
さすがに、猫の片付けは無料ではできない。
お金をもらうからには、時間を要しても依頼者にBefore現場を確認してもらう必要がある。
結局、猫の始末は後日施行することになった(詳細は先々のブログに載せるかも)。

このパターンの飼い方は、社会には受け入れられにくいが、本人達にとっては快適だろう。
お互いに束縛し合わず、お互いの責任もホドホドに、お互いに都合のいい時だけ関わり合っていればいいのだから。

「半野良なんだから、腹が減ったら余所に行けばよかったのに・・・」
「でも、人に飼われ続けていると、外で生きていく力はなくなるのかなぁ・・・」
私はそう思いながら、ふと我に返った。
「俺も飼われている身か・・・」

「自分は、外でもちゃんと生きていける」と思っているとしたら、そんなのはただの一人よがり、大錯覚、大錯誤。

ブラックカラーのサラリーマン、私はそう思う。



トラックバック 2006-08-21 08:54:57投稿分より


特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社
0120-74-4949

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