特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

貧しさと切なさと心細さと

2022-11-28 07:00:22 | ごみ処分
11月も下旬、師走が目前に迫っている今日この頃。
朝晩はもちろん、陽によっては日中も寒さが感じられるようになっているが、そんな季節の移ろいをよそに、春だろうが夏だろうが、懐はず~っと寒いまま。
足音聞こえる真冬に忖度しているわけでもないだろうに、温かくなりそうな兆しは一向にない。

少し前、TVの報道番組で観た切ない話。
そこでは、コロナ禍、円安、物価高により、経済的に困窮している人に焦点を当てたコーナーで、何人かの実例が取り上げられていた。
これを観ても明るい気分にならないことはわかりきっていた。
しかし、他人事として片付けられない不安感に駆られて、チャンネルを変えることなく視聴した。

派遣業の20代男性。
仕事がなく、取材時の所持金は百数十円。
働く気があっても 自分に回ってくる仕事はわずか。
少し前まではネットカフェで寝泊りできていたものの、金がなくなり路上生活に。
何度か役所に生活保護の相談に行ったが、「若いから」「住居がないから」と門前払いになっていた。

零細企業経営の50代男性。
コロナ禍で売上が激減。
それでも、「コロナが過ぎれば復活できる」と希望を持ち続け、事業を継続。
しかし、コロナは一向に収束せず、それに物価高と円安が追い討ちをかけ、経営は更に悪化。
ほとんどの社員を解雇しても赤字は解消せず。
貯えも底をつき、本業以外のアルバイトで何とか生活を維持していた。

ホームレスの50代男性。
支援団体のサポートにより、雑誌を路上販売しながら生活。
しかし、日々の収入の波が激しく、一日の収入は数百円から数千円。
路上生活から脱出するには程遠い金額で、食事がとれないこともしばしば。
おまけに、行政により住み慣れた公園からも追い出され、新しいネグラを探すしかない境遇だった。

この類の話を書いていると思い出すことがある。
それは、K県Y市N区K町。
もう、十年以上も前のことになるだろうか、そこで2~3度仕事をしたことがある。
職業紹介所を中心に、ドヤ(簡易宿泊所)、反社っぽい事務所、そして、朝から酒を飲める飲食店等々が密集。
失礼な言い方になるが、ボロい建物が多く、ただの偏見なのだが、悪臭を感じるような全体的に不衛生に思える雑然とした街。
今はわからないが、かつては「日雇労働者の街」と言われ、当時は、「治安が悪い」とされていた。

実際に行ってみると、目的もなさそうにフラフラと歩いている人、昼間から店先で酒を飲んでいる人、路上に屯してタバコをふかしている人、歩道に寝転がっている人があちらこちらに・・・
そこには、「いかにも」といった荒れた光景が広がり、一般市民が近寄り難い不穏な空気があった。
出向く際、街を知る人から、
「警察も取り締まりに来ないから路上駐車しても大丈夫」
「ただ、“当り屋”がいるから車の運転には気をつけろ」
と言われ、そのエリアでは、慎重に前後左右の安全確認を行いながら最徐行。
また、
「車の外から見えるところにバッグとか置くな」
「食べ物もガラスを割られて盗まれる」
と言われ、外から見える座席には何も置かず。
しかし、そのように気をつけていたにも関わらず、ほんのちょっと目を離した隙に、私は、車の陰に置いておいた工具箱を盗まれてしまい、自分の甘さを痛感させられた。

多くの庶民が貧しくなっている現実は、私が長々と書き連ねるまでもないこと。
この30年、日本人の賃金が上がっていないことは、誰もが知る通り。
反面、物価や社会保険料・税金が上がっているのだから、実質賃金は低下。
「一億総中流」と言われていた時代は過去の夢物語。
日本の貧困層は拡大するばかり。
かつての中間層は貧困層に転落し、一部の富裕層だけが豊かさを独占。
とはいえ、今では、その富裕層さえ、世界的にみると増加数は著しく少ないそう。

年のせいもあり、最近、年金について興味を持つようになってきたのだが、年金制度も然り。
保険料は上昇、支給額は減少、納付期間は延長、受給開始時期は平均寿命に近づく一方。
それでも、老後の生活を年金だけで維持できるのは一部の人。
多くの人は、年金だけではやっていけず、極端な節約生活をするか、働いて副収入を得るか、どちらかしないと生きていけない。
まさに「死ぬまで働け!」「働けないなら死ね!」と言われているのと同じこと。
なんと心細いことか・・・
私が、俗にいう「負け組」だからそう感じるのかもしれないけど、ここまでくると、夢も希望も持てず「あまり長生きしない方がいいのでは・・・」と思ってしまう。

国民一人一人の苦境もさることながら、日本の行く末にも暗雲が垂れ込めている。
「販売力」だけでなく「購買力」も含め、国際競争力は低下の一途をたどっているよう。
「先進国」と言われる我が国より新興国の方に勢いを感じるニュースも多々。
低所得とデフレと円安により、外国からみても日本は「安い国」になっているし、「小国」になりつつあるという。
ひと昔前、日本人が海外で爆買いしていた時代があったのに、今やそれが逆転。
観光や一般消費に外国人が金を使うのは大歓迎なのだが、不動産・企業・人材・利権など、あまり買われたくないものまで買い漁られている。
海外からの「出稼ぎ」も同様。
出稼ぎ先としての魅力は低下するばかりで、今や、日本人が海外に出稼ぎに行くような事態になっている。

ただ、表立ってニュースになるのは、ほんの一例、見えている問題は氷山の一角。
苦境に喘いでいる人は、陽の当たらないところにもっとたくさんいるはず。
資本主義・競争主義のわが国では、「自己責任」が大前提となるのだろうが、そこには、それだけでは片付けられない悲しみがある。
それは、皆、「仕事がほしい」「働きたい」と思っているからだ。
怠け者やズルい人間が貧乏をするのは、まぁ、仕方がないと思う。
しかし、そうでない人間が人並の暮らしができないなんて、どういうことなのだろうか。
働きたくないわけでも怠けたいわけでもないのに・・・ただ、「生まれてきた時代が悪かった」「生まれてきた国が悪かった」と思うしかないのだろうか。

そうは言っても、何もかも社会のせい、他人のせいにしていても仕方がない。
この時代をサバイバルしていくしかない。
となると、まずは、自分や家族を守ることが第一。
金にも心にも他人のことを思いやるような余裕はないため、どうしても、他人のことは二の次・三の次。
「自分さえよければそれでいい」とまでは言わないけど、この現実を前には、薄情にならなければ生き延びられなかったりもする。
人として心の貧しい状態に陥るわけだが、生き残るためにはやむを得ないのか。

経済的に豊かでなくなる分、心や生き方が豊かになればいいのだけど、人間は、長い歴史の中で、生き方や心の豊かさを物理的・経済的な豊かさに委ねるように。
残念ながら、経済的な貧困が心を貧しくさせる方程式は、ごく一部の人を除いて普遍の原理となっている。
そして、この感性や価値観を変えるのは至難の業。
この“豊かなような貧しさ”は、その時々でせめぎ合いながら、これからも我々を葛藤させるのだろう。



頼まれた仕事は、ゴミの片づけと清掃。
依頼者は、マンションの管理会社からその片づけを依頼された清掃業者。
管理会社の事業規模は大きく、何棟ものビルやマンションを管理。
多くの外注先や下請会社を抱えており、この清掃業者のその一社。
この清掃業者は、当管理会社とは古くから取引関係にあり、多くの物件で仕事を受注。
となると、立場的に、「できません」「やりたくありません」とは言えず。
そうは言っても、特殊清掃業者ではないため、あまりの汚さに自社でやること躊躇。
どこか、丸投げできる業者を探している中で、当社にたどり着いたようだった。

清掃会社がそういう社風なのか、担当者個人の性質なのか、この担当者は、感じのいい人物ではなかった。
取引実績もないのに客ヅラ。
物言いも上から目線で、会ったこともないのにタメ口。
こちらが仕事欲しさにヘコヘコするとでも思っているのか、とても、人に頼みごとをするような態度ではなく、私の中には嫌悪感が沸々。
しかし、あくまで一仕事上の一時的な関り。
いちいち引っ掛かっていては、世の中は渡っていけない。
とりあえず、現地調査の依頼はおとなしく引き受け、初回の電話を終えた。

訪れた現場は、マンション敷地内の一角。
外の道路とは大人の背丈より少し高いくらいの金網で隔てられており、普段は、人が立ち入らないような裏地。
そこに、大量のゴミが堆積。
おそらく、始めは、ゴミ出しルールを守らないマンションの住人が隠れて捨てたのだろう。
それから、少しずつゴミは増えていき・・・
そのうちに、ゴミがゴミを呼ぶかたちで、通行人も、道路から金網越しに投げ込みだし・・・
雨風にさらされたゴミは月日とともに腐食し・・・
腐敗した食品も見え隠れする中、害虫や異臭が発生し、ドブネズミの巣となり・・・
ゴミの内容を確認するため、私が少しのゴミを動かすと、「胴体だけでも20cmはあろうか」というくらい巨大なドブネズミが何匹も飛び出してきて、驚いた私は思わず「ウワッツ!」と声を上げ のけ反ってしまった。

現地調査を終えた私は、会社に戻って見積書を作成。
担当者にメールし、併せて、電話をかけ内容を説明。
私は、担当物に対する反抗心もあって、料金も免責事項も強気に設定。
「ご注文は、料金と作業内容に充分納得してからお願いします」
「後々、トラブルになっては困るので」
と、礼儀に反しないように気をつけながらも、あえて“お仕事くださいモード”の平身低頭な態度はとらなかった。

対する担当者は、
「この値段じゃ、よそにお願いするしかないかな・・・」
「値段によっては、今後も、引き続き、おたくに仕事を出せるんだけどね・・・」
と、思わせぶりなことを言って駆け引き。
しかし、担当者に業者を選ぶ権利があるのと同じで、こっちにも客を選ぶ権利はある。
“良縁”は大歓迎だけど“腐れ縁”はご免。
実際、こういった業者が“お得意様”になったためしはない。
私は、ある程度の値引きに応じる余力はあったものの、
「“足元を見やがって”って思われるかもしれませんけど、あの状態ですからね・・・」
「特別な技術が必要なわけじゃないので、やろうと思えばご自分達でもできるはずですよ」と、ちょっと意地悪な言い方で譲歩せず。
その後のことは成り行きに任せることにして、値引きには一切応じず電話を終えた。

その後、数日して担当者から再び連絡が入った。
「他に業者が見つからなかったから」とは言わなかったが、おそらく、他にやってくれる業者がみつからなかったのか、当社より料金が高かったかのどちらかだろう、“渋々”といった感じで、当該業務を当社へ発注。
一方、私は、表向きは快く受諾。
ただ、腹の中では警戒をゆるめず。
作業後に難癖をつけられないよう、念を押すように免責条項を説明。
具体的な作業計画は契約書を取り交わしてから立てることを了承してもらい、できるだけ早急に対応することを約束した。

作業の難易度は想定内。
掘り出されて膨らんだゴミ・ガラクタの量も、ほぼ想定内。
しかし、陶器・ガラスやスプレー缶、電球・電池や刃物など、危険物は想定以上。
また、その不衛生さも想定以上。
ゴミ山は全体的にドブネズミの巣と化しており、あらゆるものをかじり砕き、大量の糞が混在。
ネズミは食料を持ち込んでくるだろうし、死んでしまえば死骸となって腐る。
ともなって、異臭や害虫も発生。
これもウジの一種なのだろうか、いつもの現場で遭遇するウジに比べると大型のイモ虫も大量に発生。
とにもかくにも、どこから飛び出してくるかわからないネズミを警戒しながら、鋭利なものでケガをしないよう注意しながら、それらを少しずつ始末していった。

作業が終わる頃、担当者も現地へ。
作業前に比べるとはるかにきれいになったのだが、それでも、
「こんなもんか・・・」
「これが限界?」
と、鼻で笑うかのごとく不満げにコメント。
労苦した作業の達成感もあって、
“ここまでやれば充分だろう”
“満足してもらえるだろう”
と自画自賛していた私にとって、それは非常に腹立たしい反応。
そんな私の腹が読めたのか、担当者は、もっと何か言いたげにしたが、事前に、免責事項を念入りに設けていたおかげで、それ以上のことは言わず。
私は、口から出かかった反論を呑み込み、“コイツとは二度と仕事したくないわ!”と思いながら、
「作業は、これで完了とさせていただきます」
「近日中に請求書をお送りしますので、よろしくお願いします」
と、一方的に話を締め、後ろ足で砂を蹴るようにして現場を後にした。


私もその一人だが、社会には色々なタイプの人がいる。
“良し悪し”は別として、合う人 合わない人がいるのも自然なこと。
担当者に悪意はなく、会社や上司からそう命じられていたのかもしれない。
一仕事として、自分の職責をまっとうしようとしていただけのことかもしれない。
私だって、公私を分けて生活している。
担当者のことを一方的にどうこう言えないようなところもある。
そうは言っても、不快感や憤りとは別のところにある、人間としての妙な貧しさを覚えてしまった。

経済力を頼りに、得ること、獲ることによって生まれる豊かさはある。
しかし、ある意味、欲は無限。
満足しないことで生まれる貧しさに気づかず、ひたすら追い求めてしまう。
私のような人間の価値観や志向はこれ。
一方、分けること、与えることによって生まれる豊かさもある。
他人の生き方や豊かな表情をみると、何となく、それを感じることがある。
ただ、残念ながら、これは、私のような人間には適わない、夢のようなもの。

「どうしたら、豊かな心が持てるのだろうか・・・」
「どうしたら、豊かな人間になれるのだろうか・・・」
「どうしたら、豊かな人生を送れるのだろうか・・・」
暮らしぶりも、外見も、内面も、どこからどう見ても貧しい人間であることの自覚がある中で、真に豊かなものに価値が感じられず、真に豊かな方へ志が向かず、心を痩せ細らせているのである。

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終 ~淋しさと救い~

2022-11-15 07:00:52 | 腐乱死体 ごみ屋敷
11月11日は、1年365日のうちで、もっとも多くの「記念日」が登録されている日らしい。
たまたまだが、その日は、私にとってもある種の記念日。
それは、愛犬“チビ犬”が死んだ日。
先日の11月11日は、八回目の命日だった。

この犬は、その昔、仕事で出向いた自殺現場に取り残されていたのを引き取ったもの。
死んでしばらくの間は、事あるごとに目に涙が滲んでいたものだが、八年も経った今では、想い出して涙することもなくなったし、想い出すことも自体も少なくなった。
ただ、スマホの待受画面も、ず~っとチビ犬のまま。
これは、ある年の冬、海辺に出掛けたときに撮ったもの。
四角い画面にはおさまりきらないくらいに拡大した顔面ドアップの写真を待受画面にして、変わらぬ想いを大切にしている。

私は、もともと犬好きなので、散歩中の犬を街中で見かけたりすると、ついつい視線を向けてしまう。
とりわけ、チビ犬と同じ犬種を見かけたときは、視線は釘付け。
先日も、街で、飼主の女性と散歩している同じ種の犬を見かけた。
近寄って声をかけ、あわよくば触らせてもらいたいくらいだったけど、女性からすると、見ず知らずの中年男にいきなり声を掛けられては迷惑な(怖い)ことかもしれないので、それはやめておいた。
とりあえず、立ち止まって、可愛らしい犬をしばらく眺めながら、チビ犬との楽しい想い出に浸った。
そして、いつの間にか笑顔を失ってしまったこの顔に、ささやかな笑みを浮かべた。
ただ、遠ざかっていく犬の後ろ姿を見ていると、何とも言えない淋しさにも襲われてしまった。

ただ、どんなに淋しくてもチビ犬は戻ってこない。
どんなに懐かしくても、過ぎてしまった想い出の中には戻れない。
出逢いがあれば別れもある。
始まりがあれば終わりもある。
この大宇宙にさえ“始まり”はあったとされるのだから、塵芥のような小さな人間は尚更。
楽しいイベントにしても、労苦した一日にしても、“終わり”があるというのは淋しいもの。
人生も、また然り。
いつ、どこで、どういうかたちで訪れるのはわからないだけで、“死”という間違いのない終わりがある。



「住人が部屋で亡くなって、そのまま発見が遅れてしまって・・・」
「しかも、玄関から見ただけですけど、中はゴミだらけになってまして・・・」
「そんな所で申し訳ないんですけど、中に入って見てもらうことはできないでしょうか・・・」
と、とある不動産管理会社から現地調査の依頼が入った。

訪れた現場は、老朽アパートの一階の一室。
間取りは2DK。
暮らしていたのは老年の男性。
倒れていたのは玄関を上がってすぐのところ。
無職の年金生活者で発見は遅延。
第一発見者は、電話をしてきた管理会社の担当者。
キッカケは、しばらく聞こえなくなった生活音と日に日に濃くなる玄関前の異臭。
それを不審に思った隣室の住人が管理会社に連絡したのだった。

駆け付けた担当者は、鼻と突く異臭で異変を察知。
スペアキーで玄関を開けると、中はゴミの山。
そして、その視界には、ゴミに混ざるような格好で横たわる人間らしきものが・・・
眼を凝らして見ると、皮膚は黒く変色し、着衣も、汚れた機械オイルに浸したかのような不自然さがありながら、それは、やはり人間・・・
心臓が爆発して失神しそうなくらい気が動転する中、担当者は、すぐさま警察に通報したのだった。

もちろん、私が出向いたとき、既に遺体は搬出済み。
しかし、遺体が残した腐敗物は残留。
遺体があったと思われる部分は、茶黒色の粘液がゴミと混ざってドロドロの状態。
もちろん、強烈な悪臭も発生。
しかも、大量のゴミが堆積。
私は、部屋の全体像をつかむため、堆積するゴミに足を取られながらも、台所と二つの部屋をグルグルと巡回し、ゴミの内容と量を観察していった。

浴室・トイレ・洗面所もゴミによって全滅
浴槽も便器はゴミの中に埋没し、洗面台はゴミだらけ。
部屋よりも高く積み上げられており、「ゴミの収納庫」のような状態。
トイレの扉は半開きのまま、内外に積まれたゴミの圧によって固定され、まったく動かず。
横向きで無理矢理に滑り込ませれば出入りできるくらいの隙間しか開いておらず。
また、浴室の扉は開いたまま、枠から外れて倒壊。
天井近くまでゴミが積まれて、足を踏み入れる余地は まるでなし。
洗面所も同様。
洗面台は部分的に姿を現していたものの、ゴミやカビにまみれて著しく汚染。
とにかく、とても使えるような状態ではなく、生活設備としての命はとっくに失っていた。

それまでにも、「ゴミ屋敷」「ゴミ部屋」と言われるような現場には数えきれないくらい遭遇しているけど、いつも、「これでどうやって生活していたのか・・・」と不思議に思う。
不衛生なうえ日常の生活に支障をきたすのはもちろん、害獣・害虫による病気や、漏電・電気ショートによる火災や、壁が壊れたり床が抜けたりすることによるケガ等、場合によったら危険だったりもするはず。
しかし、なんだかんだと、人は環境に適応するのか・・・
菌やウイルスにも耐性がつくし、不便さも、忍耐と工夫と慣れで乗り越えてしまうのだろう。

ゴミの上でも、平たくしてマットでも敷けば寝床になる。
風呂は、地域に銭湯があれば問題ないし、シャワー完備の職場であれば、そこを使えばいい。
別件での話だが、スポーツジムの会員なってそこのシャワールームを使っている人もいた。
台所が使えなくても、外食や買い食いをすれば飢えることはない。
洗濯はコインランドリーに行けばいい。
トイレは公園や駅などの公衆トイレを使えばいい。
ただ、故人は、トイレに関して大きな問題をこの部屋に置いて逝ってしまっていた。


山積するゴミの中には、かなりの数の瓶・缶・ペットボトル等があった。
まず、ウイスキー好きの私の目についたのは、中身の入ったウイスキーボトル。
普通に考えると、その中身はウイスキーのはず。
しかし、そこは重度のゴミ部屋。
しかも、同じ態様のボトルが何本も転がっている。
更に、よく見ると、ゴミに埋もれて一部だけ見えているものも無数。
そんなに買いだめるわけはないし、褐色ながら、中身の色もまちまち。
また、ウイスキーなら濁るはずはないのに、濁ったものまである。
似たようなモノに何度となく遭遇したことがある私は、はやい段階から“ピン”ときていた。
もはや、それがウイスキーでないことは明白。
そう・・・中身は尿。
トイレが使えない部屋で、故人は、ウイスキーボトルに用を足していたのだった。

尿が入れられていたのは、ウイスキーボトルだけではなかった。
炭酸水・お茶・ジュース等のペットボトルも多量。
もちろん、それらすべて尿がタップリ。
そのほとんどにはキャップがされ、漏れないように締められていたのが唯一の救い。
しかし、例外なく中身は腐敗醗酵しているようで、独特の変色や濁りが発生。
持ち上げてみると、沈殿していた固形物がモワモワと舞い上がり、相当 不衛生な状態に仕上がっていることは明らかだった。

日本酒の容器も多量
残念ながら、そのほとんどは瓶ではなく紙パック。
もちろん、それなりの耐水性はあるのだが、それも場合による。
ゴミの中で、圧されたり潰されたりして変形すれば強度は落ちる。
一部にでも容器にキズがついたりすると、それが起因して容器(紙)自体の強度や耐水力は激減。
本来は固いはずの紙パックは浸み出た尿でベチャベチャになり、そのうちにフニャフニャ・グズグズに腐食。
持った感覚は、水を入れたビニールみたいな状態に。
もちろん、手袋を着けているのだが、手は尿でベチョベチョになるわけで、なかなかの気持ち悪さがあった。

ビールやチューハイの缶も同様。
これも、部屋中にゴロゴロ。
しかし、缶には蓋はなく、一度開けたら閉じることができない。
当然、傾けたり横にしたりすれば中身がこぼれる。
当初、故人は、缶をできるかぎり直立させていたようだったが、ゴミ部屋の中では水平で安定したスペースは少ない。
となると、横に並べるのではなく縦に積み上げるしかない。
故人は、平面と見つけては缶を並べ、横に並べるのは無理になると縦に積み上げ、また、家具や壁に面したところでは斜めにしたまま積み上げ、まるで、芸術作品のように器用に組み上げられた部分もあった。
しかし、結局、それらは、ちょっとした拍子で倒壊・転倒するはず。
となると、中身は容赦なく流れ出るわけで、それは、火を見るより明らかなことだった。

また、急を要するときもあったのか、こともあろうにビニール袋やカップ麺の容器に入れられた尿もあった。
もちろん、それらに栓や蓋はないわけで、もはや、こぼさないでゴミの中から取り出すのは不可能。
既に、こぼれているものも少なくないはずで、となると、尿にまみれたゴミや床が悲惨な状態になっているわけで、それを想像する私の口からは愚痴と溜息しか出なかった。

ゴミ屋敷・ゴミ部屋において、尿を容器に溜めるのは、そんなに珍しいケースではない。
トイレが使えるうちはトイレで用を足すのだが、トイレがゴミで埋まったり、排管が詰まったりした場合、トイレはトイレとしての機能を失う。
一日一回くらいの糞便なら、その辺の公衆トイレや勤務先のトイレを使えるかもしれないが、一日数回の排尿はそういうわけにはいかない。
尿意をもよおす度に公園や駅のトイレに行くのは面倒臭い。
で、身近にある容器に溜めてしまう。
当然、尿は、そんなことおかまいなしに毎日出てくるわけで、部屋の尿容器は増えていく一方となり、あれよあれよという間に、自分では手に負えないくらいの膨大な量となるのである。


まずは、長く使われていなかったトイレを尿が流せる状態にするのが先決。
トイレの前に積まれたゴミを移動し、扉が空いたら、中のゴミを丸ごと除去。
すると、著しく汚損腐食した床と壁、そして、得体の知れない汚物でゴテゴテになった便器が露出。
しかし、それらは、手を入れたところで再使用できるものではなく、そのまま放置。
とりあえず、便器に水を流し、詰まっているかどうか確認。
残念ながら、トイレは詰まっており、あの手この手で詰まりを解消。
何とか、尿を流せるところまで復旧させた。

しかし、これは、小さな前哨戦。
メインイベントは、尿をトイレに流す作業。
当然、それ専用の道具や機械はない。
使えるのは自分の身体、一本一本、手作業でやるのみ。
ゴミの中から尿容器を数本拾い集め、それをトイレに運び、キャップを外し、中身を便器に流す・・・ひたすらそれの繰り返し。
ほとんどの尿は腐敗醗酵しており、多くは、甘酒や味噌汁のように汚濁。
また、理由はわからなかったが、中には、ヨーグルトのような固形物が沈殿しているものもあり、それは更に強烈な悪臭を放った。
そして、それが、容赦なく身体に飛び散ってきた。

肉体への負担も大。
ゴミの上は足場が悪く、その上、中腰姿勢も多く、地味ながら膝や腰に負担がかかった。
スムーズにキャップが外せない容器も多々。
キャップの開け閉めも、回数を重ねると手に負担がかかり、ビニール手袋を破損させるだけでなく、指を痛くさせ握力まで疲弊させた。

精神への負担も同様。
もともと、私は、コツコツ努力することが苦手で勤勉な人間ではない。
単純単調な作業を繰り返すことは、苦手中の苦手。
「だから、この珍業が務まっている」とも言える。
しかし、そんな性質を無視するかのように、ここで求められたのは単純単調な作業。
更に、追い討ちをかけるように、ゴミ山の中からは次から次へと尿容器が出現。
拾っても拾っても減った感を得られず、「自分との戦い」と気取る余裕もなし。
「頭だけでも楽しいことを考えよう・・・」と努めても焼け石に水。
折れそうになる心との戦い・・・というか、終わりの見えない作業に心が折れないわけはなく、尿の汚さと悪臭も加わり、早い段階で心はポキリと折れてしまっていた。

しかし、どんなに嘆いても、最後までやり遂げなければならないことに変わりはない。
ある程度は自分のペースでできるものの、工期も限られているわけで、甘えてモタモタやるわけにもいかない。
とにかく、気が向こうが向くまいが一定のスピートでやるしかない。
あと、仕事なのだから、故人に腹を立てるのはまったくの筋合い。
しかし、この事態を収拾しなければならない自分の立場を思うと、器の小さい男ならではの妙なイライラ感が沸々。
それに対するには、まるで何かの修行をさせられているような、「根性」とか「根気」などと言ったものとは異なる次元の「開き直り」みたいな感覚が必要。
「踏んだり蹴ったり」とまでは思わなかったけど、いつもの特殊清掃とは違う、なかなかツラい仕事となった。

尿容器は、見えているだけでも数えきれず、また、ゴミに埋まっているものまで含めると相当の数があるはずだった。
どれだけやれば終わるのかわからない・・・
いつまでやれば終わるのかわからない・・・
しかし、わかっていることもあった。
それは、「その数には限りがあり、無限に出てくるわけではない」ということ。
「やり続ければ最後の一本にたどり着くことができる」ということ
つまり、「終わりがある」ということ。
何度となくイラ立ち、何度となく嫌気がさしてくる作業の中、何気ないところで、これが心の癒しとなり支えとなった。


すべて、生きているうちだけのこと。
万事が無常であることは、虚しいことであり、“終”というものは、淋しいものである。
しかし、同時に、“救い”でもあると思う。
何故なら、生きることの苦しみも 悩みも 悲しみも 痛みも、“終”があることによって永遠ではなくなるのだから。
命や人生にも、“限り”があるからこその意味や価値があるはずだし。
私のように、苦悩に満ち ただ日々をやり過ごし、ただ生きているだけでも・・・

チビ犬の写真を見る私は、淋しさの中で微笑みながら、しみじみとそう想うのである。


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2022-11-10 16:33:16 | 生前整理
今日から11月。
秋も深まり、朝晩はだいぶ冷えるようになってきた。
日中も過ごしやすい日が続いてはいるけど、この秋は、やたらと暑い日があったり、やたらと寒い日があったりと、順序よく秋が深まっているような感じがしない。
世界に目を向けてみても、季節外れの暑さや寒さに襲われているところが多い。
また、これまで経験したことがないような大雨や干ばつに襲われているところも。
そして、それは、一口に「気候変動が原因」と片付けられている。
 
地球温暖化を防止する気運はあっても、現実的には、ただの合言葉のようになっている感が否めない。
「生きることに精一杯で、自分が死んだ後の地球のことまで考える余裕はない」
多くの人は、目の前の生活に追われ、自分や家族の生活を守るのが精一杯で、真剣に二酸化炭素のことを考える余裕なんかないのではないだろうか。
そして、
「何もやらないよりマシだけど焼け石に水」
「地球温暖化も気候変動も受け入れるしかない」
そんな風に諦めているのではないだろうか。
 
かくいう私もその一人。
マイバッグを持ち歩くのもレジ袋代を節約するため、省エネを心掛けるのも光熱費を抑えるため。
結果的に、二酸化炭素が少しでも抑えられれば、それはそれでいいのだけど、そのためではない。
「無責任」と言われればそれまでだが、難題に対峙しようとすると早々と疲れてしまう。
だから、“無”に・・・力んだ無我夢中にはない、穏やかな無心に憧れる。
その方が、生きていて楽なのではないかと思うから。
しかし、そんなことおかまいなしに、この人生には“現実”という名の難題が次から次へと容赦なく襲いかかってくる。
 
 
 
家財処分の調査依頼が入った。
約束の時間より早く着いた現場は、ちょっと田舎の住宅地に建つアパート。
周辺には、広い畑もあるような長閑なところ。
アパートの前面は広い駐車場。
普段は住人の車がとまっているのだろうが、平日ということもあって、ほとんど空いた状態。
もちろん、「空いているから」といって、誰かのスペースに勝手にとめるのはマナー違反。
その日、私は、他の用事もあったため、2tトラックに乗っていたのだが、駐車区画でない部分も広く、住人の車の出入りの邪魔にならないところに車を止めて待機した。
 
約束の時刻には、まだ十分に余裕がある中、しばらくすると、駐車場に一台のタクシーが入ってきた。
私は、「依頼者かな?」と思いながらタクシーを目で追った。
すると、止まってすぐ一人の男性がゆっくりと降りてきた。
その様子から、その男性が依頼者であることを察した私は、そそくさと車を降り、「〇〇さんですか?」と声を掛けながら男性の方へ歩み寄った。
 
男性は、かなり痩せていた。
歩みも遅く、顔色も悪く、表情にも精気がない。
そして、寒い時季でもないのに頭にはニット帽。
その佇まいから察せられたのは、男性が病人であるということ。
そして、直感的に頭に浮かんだ病気は「癌」。
それも、病状がかなり進んだ状態の。
安直な想像でしかなかったが、私は、弱々しい男性の風貌に、戸惑いを覚え、また、にわか仕立ての同情心を抱いた。
 
そんな男性は、私が乗ってきたトラックをジッと注視。
そして、何を思ったか、弱々しいながらも怒りのこもった声で、
「トラックで来るなんて失礼じゃないですか!?」
と、私を一喝。
あまりに突拍子もないことで、私は、何を言われたのかすぐに理解できず、
「???」
と、しばしキョトン。
返す言葉がすぐには出てこず、目を丸くするばかりだった。
 
確かに、「トラックで行く」とは伝えてなかったが、それがどうしたというのか。
デコトラのような派手な装飾もなく、暴走族のような爆音を立てるわけでもなく、どこにでもある、何の変哲もないトラック。
車体にあるのは会社名とロゴマークのみ。
サービス内容・事業内容はおろか、電話番号も記されてはいない。
ネットで検索でもしないかぎり得体は知れようがなく、誰かに迷惑をかけたり不快な思いをさせたりするような心当たりは一切なかった。
 
“タキシードを着て黒塗りのリムジンで来い!ってことか?”
私には、男性のクレームがまったく理解できず、まったく受け入れられず。
そうは言っても“客候補”なわけだから、
「他の現場からそのまま来たものですから・・・」
と、下げたくない頭を、とりあえず下げた。
しかし、男性の怒りはおさまらず。
「それにしたって、無神経過ぎませんか!?」
と、まくし立ててきた。
 
私は、小心者のクセに気は短い。
しばらくは我慢していたものの、そのうち、頭の中で何かが“プツッ”“プツッ”と切れはじめ、とうとう堪忍袋の緒が“ブチッ!”。
内から、“やってられるか!”“こんなヤツと関わるとロクなことにならない!”という思いが沸き上がり、
「トラックに乗ってきて何が悪いのか説明して下さい!」
「失礼だとも非常識だとも思ってませんので!」
と、やや声を荒げて反論。
更に、
「私を呼んだのは〇〇さんの方ですよね!?」
「人に時間と経費を使わせておいて、その言いぐさは何ですか!?」
と、連打。
そして、
「こちらにも仕事を選ぶ権利はあるので、この仕事は辞退します!」
「失礼します!」
と言い残し、クルリと向きを変え、ツカツカとトラックに引き返した。
 
場は、そのまま“もの別れ”になっても当然の雰囲気。
しかし、男性は、
「ちょっと待って下さい!」
と、プンプンのキナ臭さを携えた私を呼び止めた。
おそらく、体調が優れない中で、やっとこの機会をつくったのだろう。
そして、私とつながったのも、何かの縁。
険悪な雰囲気の中、怒りと気マズさを混ぜたような顔で、
「苦情は苦情として別に置いて、調査見積は調査見積としてやって下さい」
と、事務的に言葉を続けた。
私は、まったく乗り気ではなく、断ることもできたのだが、弱々しく佇む男性が不憫に思えなくもなく、請け負うつもりはないながらも、室内の調査だけはしていくことにした。
 
男性の部屋は二階。
男性は、手すりを掴みながら、息を切らせながら、階段を一歩一歩ゆっくり上へ。
部屋の前に立つと、ウェストポーチから鍵を取り出し開錠。
ゆっくりドアを引くと、中からは、湿気を帯びたカビ臭いようなニオイが漂ってきた。
 
間取りは1K。
「ゴミ部屋」という程ではなかったものの、結構な散らかりよう。
また、換気もされず長く放置されていたせいか、カビ臭いようなホコリっぽいような、ジメッとした不快臭も充満。
訊けば、ここ数年、男性は、入退院を繰り返す生活。
そして、いよいよ病が悪化してきたため、この部屋は退去することに。
「ここに戻って来られる見込みがなくなったものですから・・・」
「部屋にあるものは、全部、捨てて下さい」
とのこと。
その口から「死」という言葉は出なかったものの、男性が自身のそれを予感していることは、寂しげな口調と衰えた身体から滲み出ていた。
 
 
作業の日。
依頼者である男性は姿をみせず。
代わりに現れたのは、一人の女性。
女性が乗ってきた車は、某医療法人の業務車。
女性の着衣も、そこのユニフォーム。
そう、男性が入院している病院のスタッフ。
「〇〇さんは体調が優れないので、代わりに鍵を持ってきました」
「また来ますから、終わったら連絡して下さい」
そう言って、私に部屋の鍵を渡すと、女性は、忙しそうに帰っていった。
 
男性不在の中、作業は、完全に当社の段取りのまま、当社のペースで進行。
問題やトラブルは一切なく、順調に事は運んで完了。
作業終了の確認は、先ほどの女性に来てもらい、鍵もそのまま返却。
結局、男性とは一切関わることなく、その仕事は終わった。
 
そして、その後も、男性とは、顔を合わせることはもちろん、電話で話すこともなかった。
ただ、その後、元気に回復して社会復帰が叶ったとは到底思えず。
それより、“その命がどこまでもったか・・・”と考える方が自然な感じで、おそらく、そう長くは生きられなかっただろうと思われた。
 
ただ、あの時、どうして、あそこまで怒ったのか、トラックの何が、男性の癇に障ったのか、私は、私なりに、ない頭を使って想いを巡らせた。
思いもよらないトラックの出現は、空になった部屋を想像させ、自分の死を連想してしまったのか・・・
それとも、運命を受け入れようとする気持ちに、いらぬ追い討ちをかけられたように感じたのか・・・
はたまた、この世から放されまいと必死にしがみついている自分をこの世から引き離そうとしているように思ったのか・・・
もちろん、その真意は、男性にしかわからない・・・
ひょっとしたら、男性自身にもわからないことだったかもしれないけど、そこには、アパートに戻れる希望を捨てきれず、死を待つ覚悟を決めきれない中で大きく揺れ動く、自分では如何ともしがたい感情があったに違いなく・・・
そのことを想うと、好きになれなかった男性に自分の弱さが重なってくるのだった。
 
 
多くの人は健康長寿を願う。
そして、食事や運動などに気を使いながら健康管理に努める。
とりわけ、健康診断で難点が出やすくなる中高年はそう。
健康が気になりはじめる年頃で、遅ればせながら、血圧や血糖値、出っぱった腹を気にしはじめる。
世の中に出回る多くのサプリメントや健康器具の宣伝文句が、更に、その不安感を刺激する。
成人病をはじめ、癌予防や癌検診を啓発・促進する風潮も昔からある。
 
それでも、現代は、「二人に一人が癌にかかる時代」と言われている。
私の周りにも癌を患った人は少なくない。
それで亡くなった人も。
ただ、「二人に一人」という程 多くはない。
実のところ、「二人に一人」というのは、「生涯のうちで癌にかかる人の数」だそう。
つまり、子供から老人まで、また、その中には治癒する人もいれば、死因が癌でない人も含まれているわけ。
また、晩年に癌がみつかっても「一人」としてカウントされるわけ。
だから、実感している数より、はるかに多いような気がするのだろう。
 
そうは言っても、癌を患う人は、少ないわけではない。
また、医療の進歩で治癒する確率が上がってきているとはいえ、相変わらず、「不治の病」「死の病」といったイメージは強い。
有名人が癌になると、すぐにニュースになり、癌の種類をはじめ、「ステージ〇」と進行具合が具体的に報道されるのも、そういう深刻さからきているのだろう。
また、抗癌剤を使うと、身体は瘦せ細り、髪は抜け、皮膚や歯はボロボロになり、極度の吐気・高熱・倦怠感に襲われるといったイメージが強い。
そんな、偏った闘病の一面が、恐怖心を強くさせているのだろう。
 
先日のブログにも書いたけど、私も、二十代後半の頃 胃にポリープが見つかったことがあり、そのときは癌も疑われた。
俗に「若者は癌の進行がはやい」と言われる中、精密検査の結果がでるまでの二~三週間は、“癌≒死”という恐怖感が頭から離れず、気分を沈ませる日々が続いた。
幸い、結果は「良性」で、ポリープは、しばらく後の検査で自然消滅していることがわかった。
また、三十代前半の頃 肝硬変や肝癌が疑われるくらい肝臓の数値が悪化したことがあった。
そのときもまた、“癌≒死”という不安感が頭から消えなかった。
再検査の結果は、「脂肪肝」。
重度だったため、これはこれで問題だったのだが、まずは、肝硬変や癌でなかったことに胸をなでおろした。
ただ、肝を冷やしまくったのは事実で、これが、いい薬となって、その後、食事の改善とダイエットに励むこととなった。
 
 
“死=無”なのか、私にはわからない。
同じく癌で亡くなった“K子さん”は、死を恐れている風ではなかった。
むしろ、“解放”され、“自由”を手に入れることを楽しみにしているようにも見えた。
また、「“死=無”ではないと思う」とも言っていた。
私も、その願いはあるし、世の中の心霊現象を解釈するには、「“死=無”ではない」と考えた方が合理的に思われる。
しかし、その真実は、私にはわからない。
わかる日が来るのかどうかもわからない。
 
ただ・・・ただ、無心で生きたい・・・今はそんな気分なのである。

 



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ウジウジ

2022-11-01 09:11:07 | その他
陽が暮れるのが日に日にはやくなっている。
セミにとって代わった鈴虫の音色が耳に優しく響く。
本格的な秋は、もう目の前。
コロナ七波も落ち着いてきた感があり、秋を満喫する環境は整いつつある。
TVの情報番組でも、あちこちの行楽地や、数多くの秋の味覚が紹介され始めており、“にわか”ではあるけど、私も秋に迎えてもらっているような気分を味わっている。
 
「食欲の秋」「行楽の秋」「趣味の秋」、人それぞれ色んな秋がある。
私にとってこの秋は、どんな秋になるだろう。
酒は飲み続けているけど、大して食欲はないし、行楽の予定もなければ趣味もない。
そうは言っても、この鬱々とした日常に嫌気がさしている。
だから、とにかく、この現実から離れたい。
すぐに死なないとすれば、何もかも手放して生き直したいような気分である。
 
私は、自分が書くブログの根底に、「生きろ!」というメッセージを流しているつもりだけど、時々、その熱量が失せることがある。
死にたいわけじゃないけど、生きているのがイヤになるときがある。
自分なりにがんばって、ここまで生きてきたにも関わらず、いまだに
「なんで、人は、こうまでして生きなきゃならないんだろうな・・・」
といった考えに苛まれることがある。
私も、ただの人間、どちらかというと軟弱な人間だから、気分が沈むこともあれば、鬱々とした状態から抜け出せなくなることもあるわけで、そういうときは、生きるための意欲が減退するのである。
 
食欲がなくても、行楽の予定がなくても、酒に対する欲だけはある。
前にも書いたが、どうしても酒がやめられない。
そうなると、肴もいる。
せっかくの秋なのだから、時季の味覚を味わってみたいとは思うけど、何分、懐が乏しいゆえ、私の口には季節感のないものばかりが入っている。
自分なりに工夫して、舌と腹が少しでも満足できるようなものを繕っているだが。
ただ、どんなに質素な食事でも、毎日三食 当り前に食べられていることは、深く感謝しなければならないことでもある。
 
秋の味覚といえば、秋刀魚も代表格の一つ。
そして、今年もその季節がやってきた。
しかし、近年は不漁続き、しかも、サイズは小型。
当然、値段は高く、先日、馴染みのスーパーで見たら、なんと一尾250円!
しかも、小型の冷凍もの。
もう一軒のスーパーでは、店頭に置かれてもいなかった。
高級魚の仲間入りをするのも時間の問題か。
何年か前までは、スーパー等では、一尾100円くらいで売られていたように記憶しているけど、それに比べると信じられない値段。
ただでさえ、物価高騰の時世、この値段・この品では、とても「買おう」という気持ちにはなれない。
 
とにもかくにも、秋刀魚は、塩焼きにしても刺身にしても、おいしいもの。
塩焼きは、身は食べ尽くす。
脳天からエラの際、尻尾の付根まで、きれいに食べる。
苦い内臓も、背ビレも、胸ビレも、腹の小骨も。
残すのは、頭と背骨と尻尾のみ。
ちなみに、私が子供の頃には、秋刀魚を刺身で食べる習慣はなかった。
刺身で食べられるようになったのは、物流が発達したおかげらしい。
しかし、庶民の味方だったはずの秋刀魚が気軽に食べられなくなるなんて・・・
事実、私は、秋刀魚を、もう何年も食べてない。
最後に食べたのがいつだったかも憶えていない。
 
もう十年以上も前のことになるが、仕事で仙台に出張した日の夜、「一杯やろう!」と、仲間と国分町(市内の繁華街)に出掛けたことがあった。
入ったのは、店構えのいい大衆居酒屋。
そこで食べた秋刀魚の塩焼きが、今でも記憶に強く残っている。
 
家庭用に売られているものに比べると型は大きく、丸々と太り、脂ものって身はやわらか。
飲食業のプロが出すわけだから、焼き具合も塩加減も上々。
飯のおかずではなく、酒の肴で注文したわけだが、とにかく美味。
あれは、本当にいい秋刀魚だった。
 
昨今の秋刀魚は、そこまでのクオリティーはなく、そもそも、数が少なすぎて選びようがない。
気候変動、世界情勢、物価高・・・秋刀魚にかぎらず、食べ物の選択肢がどんどん少なくなっている。
現在でも、所得が低い人ほどジャンクフードを主食にする傾向が強いらしいが、それがもっと深刻化するおそれがある。
 
「食料危機」が現実味を帯びはじめている近年では、昆虫食や人工肉の研究もすすめられているよう。
TV番組で、“生態系を破壊する厄介者”とされる外来生物等を駆除して食す企画を何度か観たことがあるが、ああいうのもいいのではないかと思う。
ちなみに、マムシの干物やイナゴの佃煮なら私も食べたことがある。
正直なところ、「美味い」とは思わなかったけど。
 
私にとって馴染み深い“彼ら”も、一応、昆虫の類か。
ウジ・ハエ・ゴキブリが食用にできれば、こんなに頼もしいことはないかも(?)。
なにせ、彼らはタフ!
繁殖力・増殖力・生命力・生存力、どれをとってもピカ一!
腐りモノから勝手に涌いてきて、またたく間に成長するのだから、その養殖は、省力・低コストでできそう。
 
そうは言っても、米一粒一粒が、ウジ一匹一匹だと想像すると・・・
ハエのサラダとか、ゴキブリの酒蒸しとか・・・かなりヤバい!
仮に、「安全」「美味」「栄養豊富」だとしても・・・
それを口に入れるのも、噛み潰すのも、簡単じゃなさそう・・・
しかし、何事も慣れてしまえば、当たり前になるもので・・・
そのうち、鮮度抜群!“踊り食い”を売りにするような料理屋が現れたりして・・・
 
ウジというものは、寛容な目でみると、小さくて丸みがあって、モタモタとして可愛いらしく見えるかもしれない。
しかし・・・やはり、気持ちのいい生き物ではない。
カブトムシや蝶の幼虫とさして変わりはないのだけど、汚物や腐ったモノに涌くから嫌われるのだろうか。
その昔、トイレが水洗式ではなく、いわゆる「ボットン便所」だった頃は、どこの家庭の肥溜にもいたはずなのだが、今の時代、ウジを知っている人はほとんどいないか。
どんな生態なのか、どんな姿をしているのか、生きる上で不要な無駄な知識として検索してみるといいかもしれない。
 
以前、ブログに書いた覚えがあるけど、
目を閉じた遺体の目蓋がモゾモゾと動いているので、その目蓋を開けてみたら、“ゴマ団子”のごとく眼球をビッシリ覆いつくしていたり、
腐敗した猫の死骸をひっくり返してみたら、その腹部には、どんぶり一杯ほどのウジが“稲荷寿司”のごとくパンパンに詰まっていたり、
何日も放置された怪しい鍋の蓋をとってみたら、ウジが“雑炊”のごとくフツフツと涌いていたり、
そんなこともあった。
 
ウジは、私にとって、当たり前の存在。
一方、彼らにとって私は、ある種の天敵。
その姿は、“進撃の巨人”。
互いに、非常に厄介な存在で、激戦になることも少なくない。
とにかく、殺虫剤が効かない。
「ウジ殺し」と銘打つ薬剤でもダメ。
駆除法は、熱死させるか、焼死させるか、凍死させるか、物理的に排除するか。
手間とコストと気持ち悪さを考えると、物理的に除去するのが最も得策。
掃除機で吸い取ってゴミにしてしまうのである。
(“巨人”は喰って吐くようだが、もちろん、私は喰ったりはしない。仮に喰ったとしたら吐くに決まっているが。)
 
そんな仕事、楽しいわけはない。
心身が疲れていると尚更。
「キツい」「汚い」「危険」、いわゆる3K。
プラス、「クサい」「恐い」「気味悪い」「嫌われる」で7K。
そして、私の場合、「気落ちする」「苦悩する」「心病む」で10K。
話題沸騰中、メジャーリーグS・О投手の三振ショーのように、考えれば、もっと出てきそう。
なんとか、“パーフェクトゲーム”で完敗しないようにだけは気をつけたい。
 
世の中に、楽しく仕事をしている人が多いのか少ないのか、私はわからない。
生活や家族のため、自分に強いている人が多いか。
ただ、それなりのやり甲斐や喜びや目的を持ってやっている人も少なくないように思う。
そうは言っても、誰もが知るとおり、人生は、楽しいことばかりではない。
人の感覚として、楽しいことはアッという間に通り過ぎ、人の性質として、楽しくないことは心に刻まれやすい。
また、人生は、思い通りになることばかりではない。
ただ、人は、思い通りにならなかったことはいつまでも覚えているくせに、思い通りになったことはすぐに忘れてしまう性質を持つ。
だから、“人生は思い通りにならないもの”と感じ、自分の鬱憤を紛らわすために、“そういうものだ”と思い込ませてしまう。
“思い”というものは、本当は、もっと自由なもののはずなんだけど。
 
笑顔が失われた日常において、少しでも気持ちが上向くよう、ネットで元気が出そうな「名言」を検索することがある。
「心に刺さる!」というほどではないけど、「いい言葉だな」と思えるものも少なくない。
それでも、その効能は一時的なもの。
おそらく、それらは、自分が勇気をもって周りの現実を動かしてみることで実感でき、また、説得力をもって、その真価を人に伝えることができるのだろう。
 
何億匹、何兆匹、おそらくもっと・・・これまで、私は、数えきれないウジを始末してきた。
毒を吐くわけでも襲ってきたわけでもないのに、ただ「邪魔」というだけで。
その因果応報であるはずないけど、この性格は、いつまでもウジウジしたまま。
「余計なことを考えるな!」「それ以上 考えるな!」
自分に言い聞かせてはみるものの、自分が言うことをきかない。
自分の性格や価値観なんて、そんなに簡単に変えられるものではないことはわかっている。
いや・・・根本的には、変えることはできないものかもしれない。
だからと言って、このまま人生を棒に振るのはイヤ。
自分の内に自分を変える力がないのなら、自分の外に自分を変えるチャンスを探すしかない。
 
ウジだって、いつまでもウジのままではない。
たくましく生き、確実に成長し、脚を得て歩き、羽を得て宙を飛ぶ。
殺虫剤にやられる者、ハエ取り紙に捕まる者、餓死する者、鳥に喰われる者、色々いるだろうが、生きるために冒険の空へ飛び出していく。
その生きることに対する純粋さ、実直さ、必死さは人間に勝るとも劣らない。
ひょっとしたら、動植物や昆虫の生きようとする性質の純粋さ・実直さ・懸命さは、人間のそれをはるかに凌ぐものかもしれない。
 
今、必死に生きているだろうか、
毎日、一生懸命に生きている実感があるだろうか、
病気・ケガ・事故・事件・災害など、何か特別なことがないかぎり死なないことが当り前のようになっている日常に生きている者と、いつ死んでもおかしくない危機を身近に感じさせられる日常を生きている者との生に対する熱意は天地ほどの差があるように思う。
 
ただ、“死を意識しながら生きる”とか“生きる意味を問いながら生きる”とか、そういうことばかりが必死に生きることではないと思う。
そういう意識をもって生きるのは、とても大切なことではあるけど。
 
キーワードは「大切にする」ということ。
肝心なのは、「大切に生きる」ということ。
世界、社会、家族、友達、仕事、食事、趣味、時間・・・
「当たり前」と勘違いしている現実を大切に思い、人や物、色々な出来事に感謝する心を育むこと。
同時に、自分を大切にし、ときには自分に感謝することを意識すること。
 
「自分のために生きる」「生きることは自分のため」
生存本能があるせいか、何となく そんな価値観や思想をもって生きている。
そして、何かにつけ、「結局は自分のため」「結果的に自分のためになる」「間接的には自分のためにもなる」といったところに“強制着陸”しようとする。
もちろん、それに一理はある。
ただ、それで、不本意な自分の生き方を誤魔化そうとする自分がいるのも事実。
 
人の生き方に「正解」はない。
また、「正解」と思われる道は一つではない。
一つの判断基準は、「それで自分が幸せかどうか」「楽しめているかどうか」。
家族の笑顔を守るため労苦することは幸せなこと。
誰かの正義を守るため戦うことは幸せなこと。
目標に向かって鍛錬することは楽しいこと。
夢に向かってチャレンジするのは楽しいこと。
遊興快楽を手にして生きるばかりが“正解”ではない。
 
満たされない日々・・・
「人生なんて そんなもんだ・・・」と、自分に言い聞かせながらも、せっかくの人生を無駄にしているような気がしてならない。
それは何故か。
一つは、感謝の心が足りないから。
感謝しなければならないことがたくさんあるのはわかっているのだが、気持ちはどうしてもマイナスの方に向いてしまう。
もう一つは、生き甲斐を感じられることがないから。
銭金・商売・打算を抜きにして、誰かの役に立てている実感がない。
 
このまま下っていくだけの人生なんて、まっぴらご免!
残り少ない人生を、燃え尽きた灰のように諦めるのはイヤ!
ならば、変える必要がある。変わる必要がある。
「もう一花咲かせよう!」なんて大層な欲を持っているわけではないが、この陰鬱とした日々から脱出したい。
 
ウジをネタにこれだけ語れるのは、私にも、まだ余力がある証拠か。
だとすると、「大空」とまではいかなくても、どこか違う世界に飛び立てるかも。
ウジウジするのは程々に、心の燃えカスに再び火をつけて。
ウジから生まれ変わるハエのように。




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置き去り

2022-09-22 08:31:58 | 夜逃げ
その日 その陽によっては、昼間でも涼しさが感じられるようになり、しばらくサボっていたウォーキングも再開。
そのウォーキングコースには、毎年、時季になると、紫陽花が咲くエリアがある。
人家の庭から派生して広がったようで、それは、一般の歩道に面して群生。
ブルー系の色が多いのだけど、それも、濃淡 色とりどりで、毎年、この目を楽しませてくれる。
ただ、その紫陽花も、この時季になると、多くが枯れて色彩を喪失。
が、それでもまだ、三輪が咲いたまま残っている。
それも、枯れかけたものではなく、ほぼ“現役”のまま色を残して。
 
思い出すと、確か、昨年も、最後の一輪は十月まで粘り強く咲いていた。
そして、それから、ちょっとした勇気や元気をもらったもの。
ただ、このところの気候変動に、植物も振り回されているのか。
それは、活き生きできる季節に置き去りにされたようにも見え、応援したい気持ちがある反面、“無理矢理 生かされている感”もあり、やや可哀想にも思える。
 
「置き去り」と言えば、幼い子供が犠牲になる痛ましい事件が続けざまに起こった。
幼児を家に、赤ん坊を公園に、園児を送迎バスに・・・
子供達が襲われた恐怖感・苦痛・淋しさ・悲しさはいかばかりか・・・
悪意はもちろん、過失であっても、当人にとってやむを得ない事情があったとしても惨い話。
とりわけ、悪意の加害者には、大きな憤りを感じる。
性格冷淡な私のこと、数日もすれば過去の出来事として記憶から消えていくのだろうけど、今はまだ、いたたまれない気持ちが残っている。
 
とは言え、私はもちろん、この世には、100%善良な人間はいない。
今、流行りの(?)、カルト宗教みたいなことは言いたくないけど、多かれ少なかれ、人間は“悪”を内包する。
いつでも湧きあがれるよう、虎視眈々と心の隙を狙っている。
主義を主張することも議論を戦わせることも悪いことだとは思わない。
ただ、人の悪を過剰に突いたところで、自分が悪性が消えるわけでも、自分が善人になれるわけでもない。
だから、人を非難するのはほどほどに。
その分、謙虚に己を顧みた方がいいのではないかと思う。
 
 
 
訪れた現場は、街から離れた地域にある やや古めのアパート。
間取りは3DK。
敷地内には、各室用の駐車場も完備。
若い夫婦二人とか、大きい子供でなければ、四人家族でも生活できそうな広めの間取り。
ただ、立地的に利便性がいいわけではなく、家賃は、比較的 安めのようだった。
 
調査を依頼してきたのは、それまで何度か仕事をしたことがある不動産管理会社。
依頼の内容は、室内に残置された家財生活用品の処分。
ただ、その事情は特有。
そこに暮らしていた老齢女性が、急にいなくなったかと思うと、そのまま行方知れずに。
大家も管理会社も一通りの探索を行ったものの、女性は一向に見つからず。
家賃も滞納となり、事態は進展することなく月日が経過。
大家としても管理会社としても、そのまま放置しておくわけにはいかず、正規の手続きをもって家財処分の権利を得て、部屋を空けることにした。
 
多くはないが、これまでも、所有者不在の現場で仕事をしたことは何度かある。
例えば、夜逃げ現場。
パターンとして多いのは、“ゴミ部屋”。
“ネコ部屋跡”というのもあった。
部屋に大量のゴミを溜めてしまい、内装・設備を著しく汚損してしまい、自分ではどうすることもできなくなり、業者に頼む金もなくて、大家(管理会社)に告白する勇気もなく。八方がふさがり、結局、逃げてしまう。
しかし、大家や管理会社だって、手を尽くして当人を探すわけで、結局のところ、見つかって“The End”。
当人は何らかのカタチで責任を取らされることになるのだが、しかし、本件においては、そうはならなかった。
 
玄関を入った真正面の壁、女性が戻ってきたら間違いなく視界に入る位置に、左右二枚の紙が並べて貼ってあった。
それは、裁判所が出した強制執行通知書。
法によって認められた権利によって家財を処分する旨と、その期日が記されてあった。
ただ、左側の紙に記された期日は、私の訪問日より前。
そして、右側に記された期日は、私の訪問日より後。
当初の執行期日は何らかの事情があって延長されたようだったが、野次馬経験が豊富な私でも、その事情までは読めなかった。
 
私は、誰もいないことがわかっていながらも、一応の礼儀として、
「失礼しま~す・・・」
と、小声で挨拶をしながら、玄関を上へ。
室内は、外気に比べて、どことなくヒンヤリしており、電気も停止中で薄暗いまま。
そんな中を静かに歩きながら、一部屋ずつ見分して回った。
 
部屋は、散らかっているようなことはなく、全体的に整然とした雰囲気。
炊事・掃除・洗濯などの家事もキチンとなされていたよう。
全体的に小ぎれいにされており、不衛生さは感じず。
置かれている家財生活用品は、ごく一般的なモノが一式。
「人のぬくもり」とでも言うか、リアルな生活感は消えていたものの、帰ってきさえすれば、すぐに、それまでの日常生活が取り戻せそうなくらい、日用のモノがそのまま残されていた。
ただ、家具や家電は使い古されたものばかりで、趣のある調度品や雑貨類もなし。
暮らしていたのは、それなりにキチンとした人物であることと共に、至って慎ましい生活をしていたことが想像された。
 
そんな中で目を引いたのは、小さな仏壇の前に置かれた遺骨。
仏壇も仏具も年季が入ったものなのに、それを覆う骨壺カバーは やけに新しく、妙な違和感が。
「誰の骨だろう・・・」
そう思いながら、
「さすがに、これは回収できないから、誰のものでも関係ないな・・・」
と、カバーを外すこともしなかった。
 
私は、「遺骨」というものには、人格や命はもちろんのこと、霊や魂など、擬人化できる何かが宿っているとは思っていない。
もちろん、仏壇・仏像・位牌・墓石・神棚・御守・御札をはじめ、写真や人形にも。
結局は、ただの石や灰と同じ類のもの。
だからといって、そういった類のモノを大切に想う人の気持ちを踏みにじるかのごとく、乱雑に扱ったり、粗末にしたりしていいとも思わないけど。
だから、触らず放っておくことが、もっとも当たり障りのないことだった。
 
 
それまで、長い間、静まり返ったままだった玄関を出入りする音が気になったのか、私が部屋から出たタイミングで、隣の部屋からも住人が出てきた。
隣人は初老の男性。
どうも、この部屋の事情を知っているよう。
何も知らない人間に、自分が知っていることを教えたがるのは人間の習性なのか、それとも、ただヒマを持て余していただけなのか、私がとぼけた顔をしていると(もともとそんな顔か?)、男性は、訊きもしない私に向かって口を開いた。
 
話の中身はこう・・・
当室に暮らしていたのは、老年の女性と中年の男性。
二人は母親(以後「女性」)と息子。
息子は、年齢的には働き盛りだったが、重い鬱病を罹患。
到底、外で働くことなんてできない状態。
で、もう、何年も無職で、ほとんど部屋にとじこもったままの生活。
女性も無職。
加齢にともなう衰えはあったものの、身体に大きな病気はなし。
収入は、年金と生活保護費で、二人は、お互いに助け合いながら、慎ましい生活を送っていた。
 
息子は、もの静かで控えめな人物。
鬱病は重症らしかったが、感情を高ぶらせて大声を上げたり、何かにイラ立って乱暴な振る舞いをしたりするようなことはなかった。
顔を合わせることは滅多になかったが、たまたま会ったときに挨拶をすると、黙って頭を下げるだけではなく、キチンと言葉を返してきた。
だから、その人柄に悪い印象は抱かず。
ただ、いつも、その表情は暗く、浮かべる笑顔も引きつり気味で、具合が悪いことは他人の目にも明らかだった。
 
そんな暮らしの中で、衝撃の事件が。
ある夜、とうとう、息子が浴室で自傷行為に。
それは、女性が就寝した後、深夜の出来事で、すぐに気づくことができず。
翌朝、女性が発見したときは、既に冷たく硬直。
遺体で運び出された息子が部屋に戻ってきたときは、小さな遺骨になっていた。
 
世の中には、多くの困難に見舞われたり、大きな障害を抱えたりしながらもがんばっている人がたくさんいる。
ハンデをものともせず、明るく前向きに生きている人がいる。
しかし、自分は、身体に問題があるわけでもないのに働かない。
か細い老母のスネをかじりながら生きている。
世間の目が気になり、他人と比べてしまう。
そんな中で、劣等感や敗北感、虚無感や無力感、罪悪感や絶望感が容赦なく襲いかかってくる。
しかし、息子だって、戦っていなかったわけではない。
充分に戦っていたはず。
自分が「弱虫」「ダメ人間」のレッテルを貼ろうとも、世間から「甘ったれ」「怠け者」のレッテルを貼られようとも、「生きた」ということが その証。
私は、三十年前の自分自身を重ねてそう思う。
 
女性の姿が見えなくなったのは、息子の死から一か月もしないうち。
ある日、突然、いつもの生活音がしなくなり、人の気配も消えた。
男性は、不審に思わなくもなかったが、女性とは、日常的な付き合いをしていたわけではなし。
ただ、息子が急に亡くなってしまったこともあるし、女性自身、高齢でもあるし、部屋で亡くなっていることも想像の内にあった。
で、その旨を管理会社に連絡。
悪い想像が脳裏を過ったのは同じだったようで、管理会社も、すぐに対応。
スペアキーを使って母親の部屋を開錠し、室内を確認。
そして、まずは、女性が部屋で亡くなっていたわけではなかったことに安堵。
しかし、その後も、女性とは連絡がとれず、行方も知れず。
そうして、そのまま数か月が経過し、結局、法に則って後始末が行われることになったのだった。
 
 
女性は、一体、どこへ行ってしまったのか、
女性の年齢から考えると、その両親は、とっくに亡くなっているだろうし、
生活保護を受けていたことを鑑みると、兄弟姉妹がいたとしても、女性を扶養する意思も力もないだろうし、
寝食を共にしてくれる友がいた可能性がゼロではないにしても、現実的には、なかなか考えにくいし、
ただ、息子がいなくなったとしても、このアパートを追い出されるわけでも、年金や生活保護費がもらえなくなるわけでもない。
精神的なダメージはさて置き、表面上の生活は、以前と変わりなく営めるはず。
どこかに引っ越すにしても、正規の手続きを踏めばいいだけのこと。
なのに、女性は、黙って姿を消してしまった。
 
衣食住が整っていたとしても、人は、生きる目的、生き甲斐、生きる希望、生きる意味を失ってしまっては生きていけない。
逆に、衣食住が整っていなくても、人は、生きる目的、生き甲斐、生きる希望、生きる意味を失わなければ生きていける。
どんなに息子の病状が深刻でも、女性は、回復の希望を捨てていなかったのではないか・・・
だから、どんなに苦しくても、どんなに辛くても、生きていてほしかったのではないか・・・悲し過ぎて、淋し過ぎて、身の置きどころも心の置きどころも失ってしまったのだろうか・・・
 
何もかも手放して、何もかも放り出して、どこかに逃げたくなる気持ちはわかる。
生きるにしても、死ぬにしても、今、この現実から離れたくなる気持ちはわかる。
「逃げたらダメ!」というのが、世間の常套文句だけど、私は、そうは思わない。
もちろん、忍耐することも大切。生きるうえで忍耐は必要。
だけど、他人が導き出した「正論」に従わなくていいときもある。
生きるつもりがあるなら、逃げていいときもあると思う。
大家や管理会社に迷惑をかけたことに間違いはなかったが、私の心には、自分勝手に姿を消した女性を悪く思う気持ちは湧いてこなかった。
 
 
最後、部屋には、遺骨だけがポツン。
部屋にこだましているかもしれない無言の言葉を聞き取ろうとしても、私ごときに聞こえるわけはない。
感じられるのは、ただ、遺骨に寄り添う女性の想いのみ。
「どこでどうしてるんだろうな・・・」
「骨のカケラくらいは持って行ったかな・・・」
「想い出は大切にしてるかな・・・」
もう、どこかで、ひっそりと亡くなっていることも想像されたが、私は、あえてそういう向きの思考を停止。
ただ、もともと情に厚い人間でもないし、まったくの他人事なわけで、そこには、「悲しさ」とか「淋しさ」とか「同情」とか、そういった優しい心情があったわけではなかった。
 
あったのは、
「置き去りにした人生を、微笑みながら振り返ることができるまでは生きていてほしいもんだな・・・」
といった単純な願いと、
「でないと、後味悪いもんな・・・」
といった冷淡な思い。
 
そうして、私は、置き去りにする遺骨に「じゃぁね・・・」と別れを告げ、一仕事と二人生が過ぎた部屋をあとにしたのだった。

 



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風と共に

2022-09-15 08:17:49 | 孤独死
九月も第二週に突入。
夏から秋にかけては、「一雨ごとに涼しくなる」と言われるように、日中は暑くても、朝晩は涼しさが感じられるようになってきた。
ちょっと風があったりすると、本当に心地いい。
子供の頃は、夏が大好きだったのに、「年々衰えるばかりの中年男には、もう“夏”という季節はいらないかな・・・」と思ってしまうくらい。
ただ、同じ秋涼の風でも、喜べないものもある。
 
先日、沖縄地方を中心とした各所が、台風11号による暴風雨に見舞われてしまった。
離島の暮らしには、憧れてばかりもいられない厳しさがあることを、あらためて知る機会にもなった。
一方、身近なところでは、記録的な大風が吹いた2019年9月の台風15号が思い起こされる。
このときは、千葉を中心に大きな被害がでた。
房総の方は、更地になったままの土地や、いまだ、屋根が修理できていない家屋もあるらしい。
 
しかし、台風の季節は、まだ始まったばかり。
これから、いくつもの台風が発生し、列島を襲ってくるはず。
イザとなって慌てて用意するのではなく、我々は、常に「想定外の災害」を想定し、必要な備えをしておくべき。
懐中電灯、電池、カセットガス、水、保存食・・・
人によっては、念のため、酒も多めに置いておいた方がいいかもしれない。
「酒がある」というだけで、気持ちが落ち着くことがあるから。
ただ、停電・断水の中、ランタンの灯に照らされる乾きモノを肴に生ぬるいビールやハイボールを飲んだところで、美味しくはなさそうだけど。
 
しかし、そんなくだらない考えが浮かぶくらい、ここのところの私は、酒がやめられなくなっている。
酒量も高止まったまま。
毎晩、ビールやハイボールで1.5ℓ、時には2.0ℓいくこともある。
泥酔するわけではないが、これだけ飲むと、ちょっと頭がフラつくくらいにはなる。
若い頃は、これ以上を当たり前のように飲んでいたし、酒豪の人からすると「大した量ではない」と思われるかもしれないけど、酔った感覚を自己分析すると、自分にとっては、決して少なくない量だと思う。
 
肴を夕飯代わりに、たいして面白くもないTVを観ながらの一人酒。
本当は、以前のように、キチンと休肝日をもうけて節制したいのだけど、毎日の晩酌は「唯一」と言っていいくらいの楽しみで、まったく やめる気が起きない。
この“ダメンタル”は、完全にアルコール依存症になってしまっている。
 
酒もさることながら、マズイことは他にもある。
“締め”にインスタントラーメン・カップ焼きそば、時には、ピラフやカレー等、米飯を食べてしまうのだ。
かつて、私は、「アルコール+糖質=脂肪」という危険な方程式のもと、長い間、夜は糖質制限をしていた。
また、それ以前に、「身体に悪い」といったイメージが強いインスタント麺を食べることはほとんどなかった。
 
昨夜も、飲んだ後にカップ焼きそばを食べてしまった。
しかも、大盛のヤツで、塩分もカロリーも気にせず、こってりと中濃ソースを追加して。
食べているときは酔った状態だから、「うまい!うまい!」と能天気なのだが、それで熟睡できるわけはなく、毎度毎度、翌朝には、不快な倦怠感と中途半端な睡魔に襲われるハメになる。
 
思えば、これまで、この身体も色々あった。
原因は仕事のストレスだと思っているが、二十代半ばで喘息を罹患。
また、二十代後半、胃にポリープが見つかったり、三十代前半、肝硬変や肝癌が疑われるくらい肝臓を悪くしたりしたこともあった。
暴飲暴食で極度の肥満になったり、拒食症になってガリガリに痩せこけたりしたこともあった。
小さいところでは、目眩や蕁麻疹も。
三十の頃から現在に至るまで、原因不明の胸痛に襲われることもしばしば。
これまで、三度の骨折も経験。
数年前から、左の股関節の調子もよくない。
鼓膜を破った右耳は、常に耳鳴りがしていて、やや難聴気味。
老眼も進行、スマホの文字がよく見えない。
外見だって、愕然とするくらい老け衰えてきている。
 
おそらく、人間ドッグに入ったら、何らかの問題が露呈することになるだろう。
ま、半世紀以上も使ってきた身体だから、あちこちガタがきていても不自然ではないが。
ただ、「バカは風邪をひかない」と言われる通り、風邪をひくのは何年かに一度くらい。
また、ありがたいことに、入院の経験はない。
このことは、この先も、そうでありたい。
 
しかし、人生には皮肉なことが多く、健康的な生活を心掛けている人が病気で短命だったり、不健康な生活をしている人が元気で長命だったりすることって、当たり前のようにある。
事実、タバコなんか吸ったことがない母は肺癌になってしまったし、過食症でも肥満症でもなかったのに糖尿病になってしまったし。
大酒飲みだった父は、血糖値が高いくらいで、歳の割には元気にしている。
 
好きなことを我慢して寿命が延びることを期待するか。
それとも、寿命は気にせず、好きなように生きるか。
この類は、個人の価値観や人生観に任せていいことだろうけど、世間や人に迷惑はかけたくないもの。
となると、おのずと健康を志向せざるを得ないか。
 
とにもかくにも、こうして悩んでいるときも、考え込んでいるときも、“終わり”に向かって時間だけは過ぎているわけで、悩み過ぎず、考え過ぎずに生きていくことも大切なのではないかと思う。
 
 
 
訪れた現場は、老朽アパートの一室。
ただ、「アパート」と言っても、建物の外観は普通の一戸建と変わらず。
子供達が独立した後、「少しでも老後の足しになれば」と、大家夫妻が自宅一軒家の二階部分を賃貸用に改装したもの。
ただ、もともとは、普通の一戸建だったため、改装するにも限界があった。
もちろん、かけられる費用にも。
したがって、増設したのは、ちょっとした自炊ができるくらいの小さな流し台と、一階と分離した階段くらい。
トイレは共同で、少し遠いが徒歩圏内に銭湯があったため風呂はなし。
その分、相場に比べて、家賃は格安にした。
 
その甲斐あってか、二階の二部屋は、最初の募集ですぐに埋まった。
二人とも初老の単身男性。
一人は、数年、ここで暮らしていたが、身体を悪くしてどこかの施設に転居。
以降、この部屋に入居してくる人はおらず、もう長い間 空いたままとなっていた。
 
そして、もう一人が、今回の“主人公”。
この部屋に暮らし始めてしばらくの年月が経ち、初老だった男性は老齢に。
年齢のせいか持病のせいか、ある日、一人きりの部屋で死去。
暑い季節だったことも手伝って、遺体の腐敗は、それなりに進行してしまった。
 
第一発見者は、一階に暮らす大家の女性。
女性もまた老齢。
何年も前に夫は先立ち、一人暮らし。
身体に不具合を感じながらも、何とか生活を成り立たせていた。
 
女性と故人。
一階と二階、所帯は別々で、日常的に交流があったわけではなかったが、同じ屋根の下での二人暮らし。
そして、お互い、高齢者。
家賃の授受で、少なくとも月に一度は顔を合わせることがあり、ついでに近況報告等、世間話をしていた。
その際、冗談混じりに、持病や孤独死について話すこともあった。
そうして、日常生活においてお互いの安否を気にかけることは、暗黙の契約のようになっていた。
 
無事でいることの証は生活音。
足音をはじめ、ドアの開閉音、トイレを流す音、TVの音など。
ただ、一日~二日くらい音がしないくらいでは気に留めず。
しかし、それが三日ともなると話は変わる。
三日目になったところで、女性は、妙な胸騒ぎを覚えた。
男性が旅行等で外泊するなんてことは滅多になかったし、そういうときは、女性に一言伝えて出掛けるため、その可能性は考えられず。
結果、「何かあったのかも・・・」という考えに至り、男性の部屋に行ってみることにした。
 
二階に上がってドアをノックしても応答はなし。
「ひょっとしたら・・・」と緊張しながらスペアキーを使ってドアを開けてみると、部屋に敷かれた布団には、独特の異臭と共に黒っぽく変色して横たわる故人が。
声を掛けても反応しない故人に驚いた女性は、すぐさま119番通報。
同時に、近所の人にも助けを求めた。
ただ、そんな騒動の中にあっても、女性にとっては、ある意味 これは想定内の出来事でもあり、「とうとう、この日が来てしまったか・・・」と、冷静に受け止める自分もいた。
 
部屋の汚染・異臭は、ライト級に近いミドル級。
遺体痕は、布団と畳に残留。
小さなウジが見受けられたが少数で、ハエの発生はなし。
ニオイは高濃度ではあったものの、死後三日程度のことなので、私は「浅い」と判断。
汚れた布団と畳を始末すれば、容易に改善することが予想された。
 
先々、新しく入居者を募集する予定もなく、部屋は空室のままにしておくことに。
したがって、凝った消臭消毒もせず、畳の新調などの内装修繕もなし。
汚れた布団と畳をはじめ、質素で少な目の家財を処分した上で、軽めの消臭消毒を実施。
それでも、作業が終わると、異臭はきれいに消滅。
気になるのは、畳一枚が抜けたままになっている床くらい。
作業最後の日、請け負った仕事がキチンと完遂できたかどうか確認してもらうため、私は、女性に故人の部屋に入ってもらった。
 
女性は、畳が抜けたところに向かって手を合わせながら、
「〇〇さん(故人)、本当にいなくなっちゃったんですね・・・」
「ついこの間まで、普通にお喋りしてたのに・・・」
「みんな、いなくなっちゃうんだな・・・」
と、感慨深げにつぶやいた。
そして、また、部屋の柱や壁を愛おしそうに触りながら、
「私も、先が短いですから・・・」
「あと、どれくらいここに一人でいられるものか・・・」
「家族と長く暮らした家ですから、離れたくはないですけどね・・・」
と、達観と未練が混ざったような、寂しげな表情を浮かべた。
 
そうして、消えた命と余韻と、消えゆく命の灯を残し、その仕事は静かに終わったのだった。
 
 
その何年か後・・・
別の仕事で、その近辺に出向くことがあった。
「この辺りは・・・あのときやった現場の近くだな・・・」
私は、周囲の景色を手掛かりに、昔の記憶をたどった。
「確か・・・あの家が建っていたのはここだよな・・・」
ボヤけていた記憶はハッキリとし、同時に、当時の出来事もリアルに想起された。
「建て替えられたのか・・・」
そこにあった女性の家はなくなり、まったく別の建物になっていた。
「〇〇さん(大家女性)、どうしてるかな・・・」
その前を徐行して見ると、女性とは違う姓の表札が掲げられていた。
「すべては無常か・・・」
土地家屋は売却され、第三者の手に渡り、新しく家が建てられたようだった。
 
あの後、しばらく、女性は、一人きりになった家で、あのままの生活を続けたことだろう。
たくさんの想い出と共に、人生の限りを想いながら。
そうして、寄る年波に身を任せ・・・
どこかの施設に行くことになったか、病院に入ることになったか、それとも、息子・娘の家に引き取られたか・・・
過ぎ去った年月を数えると、「亡くなったかも・・・」と考えるのも不自然なことではなかった。
 
“時”は、誰に遠慮することもなく、誰に媚びることもなく、はるか昔から変わることなく、一定の速さで進んでいる。過ぎ去っている。
新しい家には、若い夫婦と幼い子供が、笑顔で暮らしていることが想像された。
しかし、時が経てば、家も古びて老朽家屋になる。
そして、そのうちに、住居としての使命を終える。
若い夫婦も中年になり、熟年になり、老年になる。
幼い子供も成年になり、中年になり、熟年になり、老年になる。
そうして、やがて、皆、命を終える。
 
 
人生の道程において・・・
過ぎ行くとき問題は大きい。
過ぎ去れば問題は小さくなる。
過ぎ行くとき苦悩の色は濃い。
過ぎ去れば苦悩の色は薄くなる。
過ぎ行くとき足どりは重い。
過ぎ去れば足どりは軽くなる。
ジタバタしようがしまいが、人生、儚いことに変わりはない。
 
この地球に、最後まで残るものは何だろう・・・
それが、人類でも、人類が造ったものでもないことは、科学者じゃない私でも読める。
最後の最後は、植物や昆虫をはじめ、ウイルス・バクテリアの類もいなくなるか。
海は干上がり、岩石も砕かれるだろう。
残るのは、乾いた砂・・・そして、酸素を失った風くらいか・・・
 
そう・・・
いずれ、みんな、消えていく・・・
だったら、悩み過ぎず、考え過ぎず、生きていこうか。
今日の風に吹かれながら、風と共に。





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肉親の情

2022-09-01 08:45:44 | 腐乱死体
まだまだ残暑が厳しい中、二~三日前、秋が来たことを勘違いさせるような涼しい日が二日続いた。
もちろん、身体を動かせば汗はかくものの、随分と楽だった。
しかし、昨日から、再び真夏日に。
おとなしくしていたセミも復活。
これまで、何十回も夏を過ごしているが、これほどセミの鳴き声が苦痛だった夏はない。
それだけ、メンタルが弱っているのだろう。
 
それでも、今日から九月。
八月三十一日と九月一日では、たった一日しか違わないし、気温・湿度も大差はないのだが、気分的には大きな違いがある。
「夏が終わり秋になった」といった感が強く、「これからは涼しくなる一方」だと思えて、ホッとするものがあるのだ。
 
ただ、コロナ七波を見ると、そう呑気なことも言っていられない。
六波までは身近なところに感染者はでなかったのだが、とうとう、七波になって感染者がでてしまった。
世の中を見渡しても、減少傾向にあるとはいえ、感染者数は高止まり。
とりわけ、死者数は「一日200人台~300人台」と、かなり多い。
何日か前には、過去最悪を更新。
わずか三日~四日の間で1000もの人が亡くなっているわけで、恐ろしさを通り越して、悪い夢でもみているような気分である。
 
最近も、基礎疾患のない10代の死亡事例が発生したりもして、「若いから」といって油断はならない。
ただ、やはり、死亡者の多くは高齢者。
そうなってくると、高齢の両親が心配。
とりわけ、母は、この夏でだいぶ弱ってしまった。
食欲が落ち、かなり痩せてしまい、体力も落ちたよう。
コロナに感染したらどうなるかわかっているらしく、感染対策にも、かなり神経を使っているよう。
「会いに来てくれたら嬉しいけど・・・来てほしいような、ほしくないような・・・」
そんなことを言っている。
私の方も、会いに行きたいけど、万が一にでもコロナを持って行ってしまったら、元も子もない。
「先が短いのだから、会えるうちに会っておかないと」といった気持ちが強い中で、躊躇いがある。
 
幼少期からこの歳になるまで、母とは、決して「良好!」と言える関係ではなかった。
子供の頃は、暴言を吐かれることも日常茶飯事で、暴力をふるわれたことも幾度となくある。
大人になってからも、何かにつけ大喧嘩を繰り返す始末。
「もう、一生、会わなくてもかまわない!」と絶交したことも何度もあった。
が、母だって、ただの人間。
短所や弱点をはじめ、悪性や愚性もある。
もちろん、私だって同じ。
母ばかりを責められたものではない。
ただ、もう、何もかも過ぎた話。
いよいよ、死別が近いことが感じられてくると、「あとは、仲良く平和な関係でいたい」「少しでも親孝行したい」といった気持ちが強くなっている。
とにかく、最期くらいは、“マトモな息子”でいたいのである。
 
 
 
「管理しているマンションで孤独死が発生」
「死後、半年以上が経過」
「とりあえず、中を見てほしい」
と、とある不動産管理会社から連絡が入った。
「遺族も来る」
とのことで、私・担当者・遺族、三者の都合を調整。
数日後に現地調査の日時を設定した。
 
約束の時間より早く到着した私は、マンションのエントランス前へ。
すると、そこには、手荷物を持った初老の男性がポツンと一人。
落ち着かない様子で周囲をキョロキョロ見回している様子から、それが遺族であることを直感した私は、
「〇〇さん(遺族名)ですか?」
と声を掛けてみた。
そして、
「そうです・・・」
と、戸惑いがちに応える男性に
「片付けの調査に来た業者です」
と、名刺を差し出した。
そして、黙ったままいるのも気マズイので、適当に雑談。
男性も、誰かと喋っていた方が落ち着くのか、ソワソワの種を吐き出すかのように多弁に。
訊いたわけでもないのだが、事の経緯と、身内の事情を話し始めた。
 
男性は、故人の弟。
今回の件で、はるばる遠い地方から上京。
故人と最後に会ったのは三十年も前のことで、まったく疎遠な関係。
電話はおろか、年賀状のやりとりもせず、音信不通のまま。
血を分けた兄弟ながらも、どこでどのように暮らしているかも知らなかった。
 
そんなところで、突然、警察から訃報が舞い込んできた。
しかも、孤独死で、長い間そのまま放置。
それだけでも、充分に嫌悪される理由になるのだが、それだけではなく故人は疎まれた。
男性には妻子があり、老齢の姉や妹もいたが、皆、口を揃えて、
「“身内”といっても事実上はアカの他人!」「関わらない方がいい!」
と言うばかりで、腰を上げようとする者はおらず。
事実、親族一同、マンション契約の保証人になっている者や身元引受人になっている者はおらず、また、故人と付き合いのあった者もおらず。
しかし、男性は、兄弟としての情が捨てきれず、「何かできることがあれば」と、とりあえず やってきたのだった。
 
現場にやってきた経緯について一通りの事情を聞き終わった頃、管理会社の担当者は、約束の時間を少し遅れて現れた。
そして、早急に、特殊清掃・消臭消毒の見積を作って男性(遺族)と交渉するよう私に要請し、男性にもそれに応じるよう要請。
そもそも、担当者自身、部屋に入りたくない上、法的責任のない男性との交渉が難航することも予想され、“とりあえずは、業者(私)と遺族(男性)を直接やりとりさせた方がスムーズに事が運ぶかも”と考えてのことのようだった。
 
しかし、現実に起こっている事は、そんなにすんなり片付けられるほど甘いものではなかった。
部屋の汚損は重症。
ウジもハエもとっくにいなくなり、床一面には、“おがくず”のようになった遺体カスが広がり、遺体は、ほぼ白骨化していたことがハッキリとうかがえた。
もちろん、高濃度の悪臭が充満し、置いてある家財はもちろん、内装建材・設備も全滅。
そうなると、特殊清掃・家財処分・消臭消毒だけでも相応の費用がかかる。
しかも、それだけで、部屋は人が暮らせる状態に戻るわけはなく、別に大がかりな改修工事が必要。
残念なことに、当室に残せる内装設備はほとんどなく、床・壁・天井・建具・収納・水周設備等々、丸ごと造り換えないと復旧できない状態。
そんな原状回復工事には、何百万円もの費用がかかることが想定された。
 
概算ながら、そのことを伝えると、男性は
「私も姉も妹も、皆、年金生活ですし・・・」
「そんな金額、とても払うことはできません・・・」
「もともと、身内は皆“相続放棄する”と言ってますし・・・」
と、申し訳なさそうにうな垂れた。
 
「相続放棄」という言葉を聞いた担当者は不愉快そうな顔に。
こういった事案では、大家側に立って仕事をするのが管理会社の役目だから仕方がない。
そうは言っても、男性に後始末を負うべき義務はなく、男性に後始末を負わせる権利もない。
ただただ、「大家さんのことも考えていただけないですか?」と、情に訴えるしかなく、それが通じなければ諦めるしかない。
商売上のことを考えると、私が管理会社を敵に回すことは得策ではなく、つまりは、忖度によって担当者(大家)側に立った物言いをすることが求められ、なかなか難しい立ち位置に立たされるのだが、男性が訊いてくることに対してウソをついても仕方がない。
あと、故人が、部屋の補償ができるくらいの財産を持っていればよかったのだが、遺産らしい遺産もなし。
結局、話の展開は、男性が尻込みするような結果になり、男性の、
「もう一度、皆で話し合って結論を出します」
という言葉をもって、その場はお開きとなった。
 
無論、大家は、孤独・自殺をはじめ、ゴミ部屋・ペット部屋等にリスクがあることは承知した上で不動産経営をしているはず。
そうは言っても、どことなく「他人事」「自分には起こらないこと」といった甘い考えを持っている大家も少なくないはず。
しかし、実際に事が起こった場合、借主側が負担しないとなると、大家が負担するしかない。
大金をかけて改修工事をするか、最低限の処理だけして空室のまま放っておくか、見込まれる家賃収入と復旧費用を天秤にかけて思案。
しかも、内装設備を新品にしても、この部屋が瑕疵物件であることに変わりはなく、家賃も相場より下げなければならず収益性は下がるわけで、気の毒ではあるが、大家としても難しい選択を迫られるのである。
 
 
現場で別れて数日後、男性から電話が入った。
「部屋の片づけくらいは、こっちの負担でやろうと思ってたんですけど、その後のことまでは、ちょっとね・・・」
結局、男性は、自分の妻・息子・娘をはじめ、姉・妹・甥・姪たちからの強い反対にあい、故人の始末の一切から手を引くことにしたそう。
私が、これまで経験した案件の中には、「ゴミになるばかりの家財を処分することは故人の財産に手をつけたことにならないから相続放棄に抵触しない」といったケースもあったが、その判断は、事案の中身や弁護士等の見解により微妙なところで分かれる。
当然、遺族側にリスクがないわけではなく、つまりは、「故人(部屋)の後始末をする」ということが、遺産の相続放棄に抵触する可能性が否定しきれず、「良かれ」と思ってやったことが災いの種にもなりかねない。
それを考えると、「一切から手を引く」という結論は、至って合理的なものだった。
 
「嫌味を言われましたけどね・・・」
やはり、管理会社には、かなり気分を悪くされたそう。
「やはり、そうですか・・・」
恨みはないながら、苦虫を嚙み潰したような担当者の顔が思い浮かぶようだった。
「色々と動いていただいたのに、申し訳ありません・・・」
と、男性は私に謝罪。
「いえいえ、現地調査に行っただけのことですから、謝っていただくほどのことじゃありませんよ」
と、私は恐縮。
「しかし、あんな部屋に入って、色々調べてもらって・・・」
男性は、クサ~い!ウ〇コ男に変身して部屋から出てきた、あの日の私を思い出してくれているようだった。
「そう言っていただけるとありがたいです」
私は、気遣ってもらえただけで嬉しかった。
 
男性は男二人・女二人の兄弟姉妹で、子供の頃、男性と故人は仲が良かった。
歳も近く、兄弟ながらも親友のようでもあった。
そんな幼少期のことが、今でも、いい想い出になっているそう。
また、そんな男性には、とりわけ、心に刻まれている出来事があった。
 
幼い頃、ちょっとしたイタズラをして親に叱られたことがあり、罰として、その月の小遣いをもらえなくなったことがあった。
たった一か月分の小遣いとはいえ、男性にとっては大切なお金で、かなり落ち込んだ。
そんなとき、故人(兄)が「元気だせ!」と、自分の小遣いを半分くれた。
一度きりのことで、子供の小遣いだから金額も多くはなかったのだが、とにかく、その優しさとあたたかさが心に沁み、子供ながらに涙が出るような想いだった。
もう、随分と昔のことで、ほとんど忘れていた想い出なのに、兄の死を知ってから、自分でも不思議に思うくらい、そのことばかりが繰り返し脳裏に甦ってくるのだという。
男性にとって今回の動きは、その恩返しのつもりでもなかったのだろうけど、無意識のうちにその想い出が働いていたのかもしれなかった。
 
「でも、この件の放ったからといっても、お兄さんは何とも思ってないと思いますよ・・・」
私は、何の根拠もない、何の説得力もない、ありきたりのセリフしか吐けなかった。
「そうですかね・・・」
顔こそ見えなかったが、男性は、寂しげな表情を浮かべているに違いなかった。
「それどころか、ここまで心を配ってもらえて、嬉しく思ってるんじゃないですか?」
男性を慰めるつもりもなく、私は、何となくそう思った。
「だといいんですけどね・・・」
男性の表情が、少しだけ和んだように感じられた。
そして、その昔、情で繋がっていた兄弟と、時空を超えて再び情で繋がった兄弟に、自分のことのような嬉しさを覚えたのだった。
 
 
 
“歳の順”が好ましいのかもしれないけど、人は、歳の順に亡くなるとはかぎらない。
父より母の方が五歳若いのだが、身体の具合を考えると、父より母の方が先に逝きそうな予感がしている。
しかも、そう、遠くない将来に。
厳しかった母、大嫌いだった母・・・
優しかった母、大好きだった母・・・
その時は、心にポッカリと大きな穴が空くだろう。
涙もでないくらいの淋しさと、震えるくらいの心細さに襲われるだろう。
そうなったときの精神状態を想像すると恐ろしい。
 
苦い思い出も忘れたい思い出もたくさんあるけど、笑顔の想い出もたくさんある。
母がいなくなって後、元気を取り戻すまで時間はかかるだろうけど、それらを糧に、最後の力を振り絞ってがんばりたい。
私もそうありたいし、母もそれを望むはずだから。
 
“人生のラストスパート”
もう、間近なところに、その時期が迫ってきているのかもしれない。




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紙一重

2022-08-25 09:02:24 | 腐乱死体
まだ秋の足音は聞こえてこないけど、そろそろ、夏の終わりが見えてきそうな今日この頃。
久しぶりにコロナ制限がない夏で、多くの人が、この夏休みを楽しんだことだろう。
夏休みや盆休みには縁がない私でも、TVニュースで、人々が帰省・旅行やレジャーを楽しんでいる姿を観たりすると、“楽しさ”のお裾分けをもらえたりもした。
しかし、残念ながら、今年もまた、水の事故で命が失われたニュースも多かった。
そして、その原因のほとんどが、ちょっとした油断と不運なタイミング。
ただただ、楽しく遊んでいただけなのに、紙一重のところで命を落とす・・・
子供が亡くなったケースも多く、悔やんでも悔やみきれない家族の心情を察すると、かけるべき言葉がみつからない。
 
それでも、季節は、時に人に優しく、時に人に厳しく、これまでと何も変わることなく移ろう。
これから暦は晩夏から初秋に向かうところだが、まだ、しばらくは暑い日が続くだろう。
ただ、ここ数日は、わずかに過ごしやすくなったような気がしている。
暑いことは暑いけど、朝晩が、やや楽になった感じ。
瞬間的にでも秋の気配が感じられることがあり、なんとなくホッとできるときがある。
 
しかし、油断は禁物。
通常の台風にとどまらず、まだまだ「猛暑」「豪雨」「竜巻」等には注意が必要。
近年では、「線状降水帯」「大雨特別警報」等、私が子供の頃にはなかった“新語”が頻出し、これまでの歴史で災害に見舞われなかった地域が、当たり前のように被災している。
各地で引き起こされている、河川の氾濫、土砂災害、そんな映像をみると、子供の頃に取り巻いていた気象環境と違うのは明らかで、地球の気候が大きく変動していることをヒシヒシと感じている。
 
振り返ってみると、六月末から季節外れの猛暑が続いた。
あれから、七月を経て八月も下旬になり、猛暑日は過去最多を記録。
35℃を超えると「猛暑日」と言われるらしいが、気温35℃の体感はほぼ40℃。
車載の温度計が「37℃」「38℃」「39℃」を示すこともざらにあった。
埼玉に行くと、「40℃」とか「41℃」になったことも何度かある。
 
やはり、首都圏一都三県の中でも、暑さにおいて埼玉は別格。
東京・神奈川・千葉に比べて温度計は2~3℃高い数値を示す。
こうなると、本当に危険。
今に比べるとまだまだ元気だったのだろうけど、何年か前までは、車ではエアコンを使わないことを貫いていた私だが、もう、そんなことはやっていられない。
忍耐もほどほどにしないと、熱中症になってダウンするのがオチ。
下手したら命を落としてしまいかねない。
 
もともと、私はエアコンをあまり使わない方。
節電節約の目的もあるけど、あまり身体を甘やかし過ぎると、逆に身体によくないような気がするから。
だから、夜も、窓を開けて扇風機の風を浴びながら、汗ダクでハイボールを飲むようなこともザラにある。
ただ、就寝時に室温が30℃を下回っていないときは、エアコンをつける。
26~27℃設定の3時間タイマーで。
そうして、夜中に目が醒めたときに、窓を開け扇風機を回す。
それで、朝まで寝るのだ。
しかし、早朝5時頃からセミが鳴きはじめ(天候気温にもよるけど)、これが、かなり暑苦しい。
仕事に行きたくない気持ちが掻き立てられ、鬱状態に陥る。
 
 
 
出向いた現場は、街中の住宅密集地に建つ木造三階の一戸建。
そこで、住人の女性が孤独死。
依頼者は、故人の夫(以降「男性」)であり、遺体の第一発見者。
故人の死は、男性が長期の海外出張に出掛けている最中の出来事。
故人は専業主婦で、外に働きにでているわけでもなく、近所付き合いも社交辞令に毛が生えた程度。
誰にも気づかれることなく、猛暑の中で、そのまま時が経過。
結果、高濃度の異臭をはじめ、無数のウジ・ハエを発生させながら変容。
数日後には、原型をとどめないくらい、変わり果てた姿になってしまった。
 
男性は、何日か前に帰国予定を、前日に帰宅予定を妻にメール。
しかし、妻から返信はなし。
ただ、熟年夫婦ともなると、その生活は、言葉ではなく阿吽の呼吸で営まれるわけで、妻が返信をスルーすることも日常のこと。
で、男性は、妻からの連絡がないことを気にも留めず。
一仕事終えた安堵感と、久しぶりに我が家に戻れる安心感を携えて、とても平和な心持ちで、予定通り家路についた。
その後に待ち受ける現実を、微塵も予感することなく。
 
帰宅した男性は、何ともいえない静けさが漂う家に「???」。
駐車場に車はあるのに、家の中に妻がいるような気配がない。
インターフォンを鳴らしても応答はなし。
「ただいま~!」と、あえて騒々しく玄関を開けたものの、それでも、家の中はシ~ンと静まり返ったまま。
しかし、それを怪訝に思う間もなく、異様な異臭が男性の鼻に入り込んできた。
 
それは、今までに経験したことがない異臭、これまでの人生で覚えがない異臭。
驚きとともに、頭の中には「???」ばかりが増えていった。
ただ、その時点では、異臭の正体は不明。
もちろん、それが腐乱死体のニオイであるなんてわかるはずもなく、男性は、とりあえず、家の中へ。
怪しい雰囲気と異臭が漂う中、見た目には異変が感じられない我が家を奥へと進んだ。
 
おそらく、「ただいま!」「いるの?」等と声を掛けながら、一歩一歩 慎重に入っていったのだろう。
それでも、いるはずの妻からの返事はなく、更に、いる気配もない。
一階の部屋から順に見て回り、次は二階へ。
二階に上がると、異臭は一段と濃厚に。
たどっていくと、異臭が出ているのは寝室。
もはや、部屋の中で、何かよからぬ事が起こっていることは明白・・・
何が起こっているのか具体的に想像することは難しかったが、その時点で、頭にはイヤな予感が過り、背中には季節外れの悪寒が走った。
 
男性は、意を決して寝室の扉を開けた・・・
すると、その向こうには、凄まじい悪臭が充満し、無数のハエが・・・
そして、ベッドの脇の床には、人間に見えないくらい変容した人間らしきものが・・・
「この悪臭は何!?」
「横たわっている物体は何!?」
「なぜ、こんなにハエがいる!?」
あまりにショッキングな光景に、男性は失神寸前に。
自分を失いそうになったところ、何とか持ち直して、目の前の状況を必死に飲み込んだ。
その結果、「目の前に横たわっているモノは妻」という結論が導き出され、同時に「もう生きていない」ということも確信でき、近寄って確認(介抱)することもせず。
頭がグルグルと混乱する中で、必死に自分を落ち着かせ、消防と警察に通報。
そして、周囲が騒然とする中、妻の遺体は警察によって運び出されたのだった。
 
 
このブログをよく読んでくれている人にとっては、言わずと知れたことか・・・
高温高湿の夏場は、現場が凄惨なことになりやすい。
とにかく、肉体が腐り溶けるスピードがはやい!
猛暑の中で一週間も放置されると、とんでもないことになってしまう。
当然、その分、現場作業も過酷さを増す。
「暑い」のと「寒い」のでは、かかる負担がまったく違う。
多くの肉体労働がそうであるように、やはり、暑いとキツい!
特に、年々衰えているこの身体には相当に堪え、死体業歴三十年で、もう限界が近いことを悟らされる。
 
故人が残した腐敗液・腐敗脂・腐敗粘土・・・それらは、床を広く汚染。
故人に失礼な言い方かもしれないけど、そのクサいこと、汚いこと、しつこいことと言ったら超ド級。
そして、それらが付着したフローリングは重度に腐食。
もう、通常の作業靴ではなく、ゴム長靴を履かないと立ち入れないくらいのレベル。
更に、部屋は高温多湿のサウナ状態。
一つ間違うと、間違いが起こってもおかしくない状況で、とても「安全」とは言えない環境。
 
凄惨な光景を前にすると、
「どうして、こんなことになっちゃったかな・・・」
と、ボヤいても仕方がないことなのに、ついつい、そんな言葉が心に湧いてくる。
そして、
「そうは言っても、死んだ後は、自分じゃどうすることもできないしな・・・」
と、故人を責めたみたいになったのが気マズくて、勝手に故人をフォローする。
そしてまた、
「毎度のことながら、俺も、よくやるよな・・・」
諦念と劣等感と自分に呆れる気持ちを、溜め息とともに吐き出す。
それを繰り返しながら、やるべき作業を進める。
 
冷汗と脂汗が混ざったクサい汗が、全身から噴き出してくる。
頭に巻いたタオルが重くなってくる。
上下の作業着が重くなってくる。
全身がビショ濡れ状態になる。
腐乱死体痕を処理する代わりに、こっちが腐乱死体みたいになるような始末。
それでも、やるべきことをやり遂げるまで手は止められない。
心が折れようが、気持ちが挫けようが、手は止められない。
無理をしないように無理をし、無理をしながら無理をしないようにする。
故人に対する使命感でもなく、依頼者に対する責任感でもなく、ただ、自分が生きるために。
 
 
「若くはありませんでしたけど、“高齢”と言われるほどの年齢でもなかったし・・・」
「持病があったわけでもないし・・・」
「出掛けるときも、いつも通り見送ってくれたのに・・・」
「何が起こるかわからないものですね・・・」
男性は、発見したときに受けたショックが消えないのだろう、妻と死別した悲哀より、凄惨な部屋に対する嫌悪感や腐乱した遺体に対する恐怖感の方が大きいよう。
「出張に行かなければ、こんなことにならなかったかもしれませんよね・・・」
と、疲れた顔に後悔の念を滲ませながら、しみじみとそうつぶやいた。
 
しかし、私は、こう思う。
男性が出張に出ても出なくても、摂理によって故人は倒れていただろう。
ただ、男性がすぐに気づいて、救命処置を受けることができたら、命を取り留めていたかもしれない。
仮に、男性が仕事に出ている時に亡くなっていたとしても、帰宅した男性によって通常の遺体のまま発見され、腐乱死体によって苛まれる強烈な嫌悪感や恐怖感を他所に、男性の心は“悲しみ”“淋しさ”のみが包んだだろう。
そして、想い出として、先々に渡って静かに留まったことだろう。
 
 
本件とはまったく別の事案で、十数年前、ブログ初期の頃に書いた覚えがあるが・・・
 
故人は中年の女性、依頼者はその夫。
「朝の出勤時はいつも通りに見送ってくれた妻が、夜、帰宅したらトイレで亡くなっていた」という事案があった。
もちろん、その事案では、発見が早かったため、遺体は腐敗していなかったが、故人は便器を抱えるような姿勢で亡くなっており、前傾で背中を丸めたまま死後硬直していた。
 
故人は若年の男性、依頼者はその母親。
「風邪薬を飲んで就寝した息子が、朝になっても起きてこないので見に行ったら、息をしていなかった」という事案もあった。
この事案も、すみやかに発見されたため、遺体は安らかなものだったが、母親は、起こったことを受け止めきれず、深い悲しみの底で、ただただ呆然としていた。
 
 
まさに、生と死は表裏一体。
人生、何が起こるかわからない。
だから、おそろしい。
だから、おもしろい。
だから、生きていられるのかもしれない。
 
何が、人を死に追いやるのか、
何が、人の命を奪うのか、
それが、寿命や大病とはかぎらないところに摂理がある。
私の“死”も、貴方の“死”も、誰の“死”も、すぐそばにいる。すぐそばにある。
 
とにもかくにも、人は、“死”に対して紙一重のところで生かされていることを、よくよく知っておくべきではないか。
そして、その上で、この奇跡的な時間を大切に、元気に生きていきたいもの。
 
先が短くなってきた「特掃隊長」という名のポンコツ親父は、そう想うのである。



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無駄な抵抗

2022-06-29 07:56:02 | 腐乱死体
梅雨入りは遅く、梅雨明けは早く、まだ六月だというのに、連日の猛暑日。
慌てているのは人間ばかりではなく、蝉も土の中で慌てているのではないだろうか。
こう暑いと、当然、現場作業は、キツい!
仕事ばかりではなく、日常生活においても、水不足、電力不足、物価高、念のためのコロナ対策等々、なかなか楽には生きさせてもらえない。
それでも、まだ、ここは平和。
悲しいことに、平和とは程遠い状況にある地域は世界にたくさんある。
 
身近なところではウクライナ。
遠く離れた我が国でも、ニュースにならない日はない。
当初は、ロシアの圧倒的な戦力を前に、数日で終結すると思われていたよう。
しかし、現実は承知の通り。
無駄な抵抗と思われていたウクライナ軍の戦いは、四カ月が経っても続いている。
 
浅はかな考えかもしれないけど、私は、ウクライナの勝利を望んでいる。
クリミア半島を含めて、ウクライナの領土は回復・保全されるべきだと思っている。
しかし、仮に、ウクライナが勝利したとしても、その人的・物的損害は、あまりにも甚大。
ロシア側においても同様だが、取り返しのつかないことだらけ。
ロシア指導者の首くらいでは、何の贖いにもならない。
とにもかくにも、一刻も早く戦争が終わり、復興に向かってほしいもの。
 
とは言え、世界中で起こっている悲惨な出来事のうち、私の目や耳に入っているのは、ほんの一部。
ウクライナことを小事だとはまったく思わないけど、これは、人間がやらかす無数の惨事のうちの たった一つ。
目を覆いたくなるような、耳を疑いたくなるような悲しい出来事は、日本にも世界にも無数にあるはず。
「まったく、人間ってヤツは・・・」
そんなことを考えると憂鬱にならざるを得ず、「“時”を戻せないものか・・・」と思ってしまう。
 
そう・・・人間に“時”を戻す力はない。
しかし、人は、“時の流れ”に抵抗しながら生きているようにも見える。
わかりやすくいうと、「“老い衰え”に対する抵抗」。
三十路を過ぎた頃くらいから、人は、“若づくり”が大好きになってしまう。
男の偏見かもしれないけど、とりわけ、女性はそう。
歳を訊くのは失礼にあたり、当人も、年齢を言いたがらなくなる。
で、トレーニング、美容器具、整形、化粧品、健康食品、医薬品等々、色々なものを駆使。
根底には、「元気で長生きしたい」という願望もあるのだろうけど、まずは、“アンチエイジング”。
「歳には勝てない」とよく言うが、どうあがいても老い衰えには勝てないのに、直向きに抵抗し続ける。
そして、実年齢より若く見られたら、子供のように大喜び。
そのほとんどは、お世辞か社交辞令のはずなのに、それでも加齢に抵抗し続ける姿には、「お疲れ様です」と苦笑いしてしまう。
 
しかし、気持ちが沈んでいるとき、精神が疲れ切っているとき、先に希望が持てないとき、今の努力や忍耐が、すべて無駄なことのように思えてしまうことがある。
「無駄」と思うとやる気はでない。
「無駄」と思った瞬間に諦念にとらわれ心が折れる。
果ては、「“生きる”って、死に対する無駄な抵抗なのではないだろうか・・・」といった考えが頭を過るようになり、「どうせ死ぬんだから生きていても意味がないのでは?」といったところに行きついてしまう。
そうなると、その思考は、短絡的な方向ばかりに傾いてしまい、何もかもが虚しくなってしまう。
 
「生きる意味」って、生きていることそのものでありながら、同時に、人生のプロセス、生涯で起こる出来事に宿っている。
言い換えると、「“死”という結果、つまり、“死には降参せざるを得ない”ということだけに生きる意味が完結するわけではなく、“死に抵抗する”というプロセスにも充分な意味がある」ということ。
“生きる”ということは、“死”に対する無駄な抵抗ではない。
ただ、「楽して生きたい」という欲望のもと、楽に生きようとすることは無駄な抵抗なのかもしれない。
何故なら、人生なんて、もともと、楽に生きられるようなものではないから。
少なくとも、この私にとっては。
 
 
 
とあるマンションで腐乱死体が発生。
調査要請を受けた私は、管理会社の担当者と日時を調整。
当初、遺族は、「行きたくないから任せる」との意向だったが、気になることがあったのか、結局、「同行する」とのこと。
三者で調査日時を調整し、当日を待つこととなった。
 
調査の日。
一足はやく現地に着いた私は、とりあえず、人目につかない建物脇で待機。
ただ、時間もあったので、「先に部屋の位置を確認しとくか」と、目的の部屋の玄関へ。
すると、まだ玄関に着いてもいないうちから、にわかに例の異臭を感知。
風向きによっては、ハッキリと感じられ、
「結構、臭うな・・・」
「これで、よく苦情がこないもんだな・・・」
「これが何のニオイかわからないから何も言ってこないのか・・・」
等と、室内が凄惨なことになっていることを想像しながら、正体不明の悪臭を嗅がされている他住人のことを気の毒に思った。
 
建物前の道路は、住宅地の生活道路なので、車の通りも少なく、人や自転車もまばら。
それでも、時々は、道行く人があり、私は、ぼんやりと、そんな日常を眺めながら、これから入る“非日常”に向かって心を準備。
しかし、良くも悪くも、「慣れ」というものは神経を麻痺させる。
これから、重症が予想される腐乱死体現場に入らなければならないというのに、緊張感や不安感は一切なし。
どちらかというと、道を行き交う人達の日常をみて、平和を感じたくらい。
更に、「早く家に帰って一杯やりたいなぁ・・・」とか「肴は何にしようかなぁ・・・」等と、仕事に関係ないことを考えるような始末。
仕事を舐めているわけではないし、当人の死や遺族の悼みを軽んじているわけではないけど、凄惨な現場に拘束される身体から頭だけでも解放して遊ばせてやると、意外と、それが心を整えてくれることがあるのだ。
 
遺族である老年の男女二人と担当者は、約束の時間ピッタリに現れた。
聞くと、遺族二人は故人の両親。
勝手な固定観念で、故人は老齢、遺族は、その子息または兄弟姉妹だと思っていたので、私は、かけるべき言葉に窮した。
子に先立たれた親の悲しみは、はかり知れないものがあるはずだから。
一方、二人は、とにかく、気持ちが落ち着かない様子。
悪気がないのは重々わかっていたから不快ではなかったが、ぶっきらぼうな態度。
それだけ緊張し、それだけ動揺していることが、痛いほど伝わってきた。
 
急な知らせを受けた両親は、さぞや驚き、嘆き悲しんだことだろう
しかも、発見されたときは、かなり腐敗が進んだ状態で、遺体を厳粛に取り扱うこともできず。
警察署の霊安室で遺体を確認したのは父親だけ。
それも、顔の一部だけ。
警察から、「遺体を見るのは一部だけにした方がいい」と言われたそうで、「部屋も見ない方がいい」とも言われたよう。
その死を悼む余裕もなく、故人の身体は、慌ただしく荼毘に付されたのだった。
 
玄関前に立つと、漏洩した異臭が鼻を突いてきた。
部屋の鍵は、担当者の手にあった。
出しゃばったわけじゃないけど、開錠されたドアを引く役目は私。
そして、志願したわけじゃないけど、先に入るのも私の役目。
私は、ドアを開けて、「失礼しま~す」と、はるかに濃度を上げた異臭の中へ。
薄暗い室内へと歩を進めた。
 
間取りは1LDK。
故人が倒れていたのはリビング。
蛍光灯の白光に照らし出されたその床には赤黒い腐敗体液がベッタリ。
その面積は広く、また、赤と黒のコントラストと脂の光沢が鮮やかで、白っぽいフローリングが、それを更に強調。
眼にも精神にも、インパクトのある光景をつくり出していた。
 
担当者と両親は、玄関前で待機。
私は、目に焼き付いた光景を携えて、再び、三人の待つ玄関前へ。
そして、
「リビングの床が、かなり汚れてます・・・」
「ニオイも強くて、すぐに服や髪についてしまいます・・・」
と、私の身体が連れてきたニオイに目を丸くしながら、怯えるように聞く三人に、中の状態を説明。
その上で、
「中に入るかどうかは、ご自分で決めて下さい・・・」
「ただ、部屋に入ったら、汚染部分を踏まないよう気をつけて下さい」
と注意を促した。
 
担当者は、「写真だけ撮ってきて下さい」と、私にカメラを渡し、入室を辞退。
母親は、「お前は見ない方がいい」という夫(父親)の言うことをきいて辞退。
父親だけは、「どんな状態だろうと、息子の部屋ですから・・・」と入室を決意。
異臭対策のつもりだろう、不織布マスクを二枚重ねて装着。
不織布マスクを一枚つけただけで、平気な顔で入室した私を見て、「二枚重ねれば大丈夫だろう」と判断したのかも。
しかし、そんなの無駄な抵抗。
単に、私が慣れているだけのこと。
あと、重厚な専用マスクを着けるのが面倒だっただけのこと。
実際、著しい悪臭を前に、不織布マスクなんて何の役に立つはずもなかった。
 
使い捨てのグローブとシューズカバーは私が提供。
父親がそれらを着け終わるのを待って、私は、再び室内へ。
その後ろに着いて、父親も入室。
玄関前に比べて、一段も二段も濃度を上げた異臭に父親は怯み気味。
そして、リビングに入り、それを生み出した光景を目の当たりにすると、
「こんなことになってしまうのか・・・」
と、驚きの声を上げ硬直。
表情のほとんどはマスクで隠されていたが、父親が強いショックを受けたことは明らかだった。
 
遺体が腐敗すると、どのように変容していくのか、
また、その痕は、どのように汚れるのか、
遺体が搬出された後には、どのようなものが残るのか、
そんなこと、一般の人が知る由もないことだし、リアルに想像できないのは当然のこと。
以後の生活において、この光景や異臭がトラウマにもなりかねないから、事前に、相応のアドバイスをするのが親切だったのかも。
余計なお世話なようでも、「見ない方がいい」と言った警察のように。
父親は、自らに意思で部屋に入ったわけだから、私には何の責任もないのだが、それでも、私は、父親に悪いことをしてしまったかのような、罪悪感みたいなものを覚えた。
 
「あれを一人で掃除するわけですか・・・」
呆れたのか、感心してくれたのか、はたまた、気の毒に思われてしまったのか、父親は、複雑な面持ちでそう言った。
「いつものことですから・・・」
いつものことながら、頼れる誰かがいるわけでもないし、誰かを頼る気にもならない。
いつも、一人でやるのが当り前。
ひょっとしたら、投げやりな、ちょっとフテ腐れたような感じに受け取られたかもしれなかったが、私は、父親の問いに対して、とっさにそう答えた。
すると、何か思うところがあったのか、父親は、
「仕事とはいえ・・・本当にありがとうございます」
と、まだ何もやっていないのに、真摯な物腰で礼を言ってくれた。
 
 
現場で作業するにあたって「気持ち悪い」「クサい」「汚い」といった感覚は抱く。
しかし、「恐い」「心細い」といった感情は、まず湧いてこない。
故人に対して情を持つわけではなく、感情を移入するわけでもなく、もちろん、使命感が強いわけでもなく、強がっているわけでもない。
単純にそう。
凄まじいニオイも凄惨な光景も、とっくに慣れてしまっている。
自分がクサくなることも汚れることも、承知のうえ。
時々、「きれいになりますからね」と故人に話しかけて折れかかる自分を鼓舞したり、「どんな人生でしたか?」と故人に問いかけて凄惨さを中和したりすることはあるけど、返事があるわけでもないし、霊的な何かを感じているわけでもないから、ほとんどアブナイ奴の独り言。
他に生きていく術がないのだから、こんな仕事でも、丸腰で受け入れるしかない。
好き嫌い関係なく、これに抵抗はできない。
 
それでも、「楽して生きたい」という欲望と、「楽に生きたい」という願望は、いつまでも尽きない。
それどころか、日に日に生きにくくなっているせいか、次第に強くなっているような気がする。
私は、この“無駄な抵抗”を、いつまで続けるのか・・・
ひょっとして、一生続いてしまうのか・・・
どこかで、キッパリ絶つことができればいいのだが、私が私である以上、どうしようもない。
“私”という人間に 元来 備わっている、持って生まれた性質なのだから、どうにもできない。
 
それはそうだとしても、この“無駄な抵抗”に対して、新たな抵抗はできるかも。
楽に生きようとする自分に抵抗してみる・・・
ツラいだけで、何の得もないように思えるかもしれないけど・・・
ただ、それは、無駄な抵抗にはならないだろう。
生きているうちに決着がつかなくても、それは、きっと、生きるプロセスや生涯の出来事に自分なりの意味を持たせ、自分に示してくれるのだろうから。



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修羅場

2022-06-16 10:50:22 | ゴミ部屋 ゴミ屋敷
ゴミの撤去処分について、電話で相談が入った。
声と語気で判断するに、相手は、老年の女性。
また、丁寧な言葉遣いと上品な語り口から、“お金持ちの家の奥様”を連想。
女性は、色々と相談したいことがあるみたいだったが、「まずは、事情をお話ししたい」という。
私は、「必要であれば伺うこともできますから、それもご検討ください」と前置きして、女性の話に耳を傾けた。
 
女性は、自己所有の一軒家で生活。
夫は数年前に死去し、この時は、40代になる娘(以後「当人」)と二人暮らし。
相談の内容は、当人が部屋に溜めたゴミの片付けについて。
しかし、話を聞くにつれ、問題の中核は“ゴミ”ではなく“当人”であることが明るみになってきた。
 
当人は、女性の一人娘。
裕福な家庭だったのだろう、小中、そして、高校も大学も、それなりのところへ進学。
「人並」という言葉は思慮なく使うべきではないのかもしれないけど、人並に成長。
そして、大学を卒業し、とある企業に就職。
父親のコネもあったようで、希望の職種で、しかも名のある企業。
夢と希望に満ち溢れ、その前途は揚々としていた。
 
しかし、ほどなくして、職場の人間関係に揉まれることに。
会社の方針は、「成果主義」の皮をかぶった競争主義で、同僚は「仲間」ではなくライバル。
そして、上司は、「指導管理者」ではなく、手柄は自分に、責任は部下に押しつける上官。
当時は、世の中に、「パワハラ」なんて言葉も問題意識もなく、黙って耐えるのが当り前の時世。
それに耐えられない者は、敗者として辞めていくか、出世コースから外れるしかなく、当人の精神は疲弊していった。
 
精神科にかかっても、薬を飲んでも、根本的な問題が解決しない以上、快方に向かうわけはない。
結局、入社後、一年を待たずして退職。
その後は、働くでもなく、学ぶでもなく、ただ、自宅で寝食を繰り返すばかりの日々。
当人の将来を考えると心配ではあったが、両親は、娘が元気を取り戻すことを一番に望んで、当人の休養生活を容認。
まだ歳も若く、「継続勤務していたとしても、いずれは“寿退社”したはず」と考え、また、「このまま再就職しなくても、いい縁談を探して結婚すればいい」と、楽観的に考えてもいた。
 
両親が、そんな“余裕”を持っていたせいもあったのだろうか、時間が経てば経つほど、当人と社会との距離は空く一方で、次第に、当人は家に引きこもるように。
そして、それは、日に日に深刻化。
当初は、ちょっとしたレジャーや散歩、買い物くらいなら一緒に外出していたのだが、それも減少。
そして、女性の夫(当人の父親)が亡くなったのを機に状況は一変。
女性の願いとは裏腹に、悪い方へ、悪い方へと転がっていった。
 
外に出ることも滅多になくなり、家の中でも、ほとんど自室にこもるように。
当人の部屋は二階の一室だけだったのだが、次第に専有面積を拡大。
いつの間にか、二階はすべて当人の占有スペースに。
そんなことより女性を戸惑わせたのは、当人の、人柄・人格が変わっていったこと。
それまで見たこともないような悪態をつくようになり、耳にしたこともないような粗暴な言葉を使うように。
意見でもしようものなら「クソばばあ!」と、平気で女性を罵った。
機嫌のいいときは一緒に食事をすることもあったが、逆に、ちょっとでも気に入らないことがあると、恐怖を感じるくらいに高圧的な態度をとり、ときには発狂したりもした。
そのうち、二階に上がることも拒み始め、女性は、階段の途中までしか上がれなくなってしまった。
 
食品や食材は、女性が、適当なモノを適当な量、買い揃えておく生活。
三食分だけでなく、菓子や飲料も。
冷蔵庫や棚に買い置いておくと、気ままに下に降りてきては、自分で勝手に調理して二階に持って上がるそう。
ティッシュやトイレットペーパー等の生活消耗品も同様。
たまには、当人が「〇〇が食べたい」「〇〇が必要」とリクエストしてくるようなこともあり、その場合は、それを買ってきていた。
洗濯物は、洗濯カゴに入れられているものを女性が洗濯し、乾いたものを当人が二階に持って上がるといったルーティーン。
ただ、外出着はないわけで、家着・寝間着・下着・靴下・タオルくらいのもの。
労力としては大したことはなかったが、女性にとっては、酷く虚しい作業だろうと思われた。
 
当人は、無職で無収入のため、生活費は、女性が全額負担。
「生活費」と言っても、土地・家屋は自己所有だから家賃がかかっているわけではなく、食費と水道光熱費がメイン。
あとは、医療費・保険料くらい。
外に出ないわけだから現金の必要性はなく、小遣いは渡しておらず。
ただ、ネットで購入されるマンガ書籍・DVD・ゲームソフト等の代金は、女性が払っていた。
また、家賃はかからずとも、土地家屋には税金や修繕費などの維持費はかかる。
女性には、いくからの年金収入があっただろうが、それだけでまかない切れるものではなく、貯えを切り崩しながらの生活であることが察せられた。
 
トイレは二階にあるものの、風呂・洗面所・台所は一階のため、当人は、その用のときだけは一階へ。
以前は、女性に連れられて精神科のカウンセリングに出掛けることもあったが、それも途絶えた状態。
つまり、当人が部屋を出るのは、食事とトイレと風呂のときくらい。
家から出るということはなし。
言い換えれば、「当人の留守を狙って二階を見ることはできない」「強引に二階に上がるしかない」ということだった。
 
当人の部屋をはじめ、二階には、たくさんのゴミが溜まっているそう。
うず高く積み上げられているようなことはないながらも、床は、大半覆われ、所々が見えているくらい。
たまに、当人の部屋を盗み見た女性の話と、当人の生活スタイルを勘案して、私は、部屋の模様を想像。
自分で外に出て何か買ってくることがないわけだから、部屋に溜まっているのは、女性が用意したモノに限られているはず。
つまり、ほとんどが、食品容器・菓子箱・菓子袋・ペットボトル・缶食等の食品系ゴミと思われた。
あとは、衣類や鍋・食器類くらいか。
ゴミの量は定かではなかったが、私が見たところで驚くほどのことではなく、“ありがちなゴミ部屋”になっているものと思われた。
 
一通りの話を聞いた私は、作業が可能かどうか判断しかねた。
また、費用がいくらかかるかも読めない。
具体的に話を進めるには、現地調査が必要であることを女性に説明。
そうは言っても、訪問したところで二階に上がれなければ意味がない。
当人とトラブルになることも避けたい。
考えれば考えるほど心配事がでてきて、それを吐露する様は、どっちが相談者なのかわからなくなるくらいだった。
 
女性によると、「言葉の暴力に耐えられれば大丈夫!」とのこと。
発狂したり暴言を吐いたりするのは日常茶飯事だけど、身体的な暴力に打って出ることはないそう。
何かしらの理性が働くのか、当人は、その一線は越えないらしい。
言葉の暴力にどこまで耐えられるか自信はなく、「殴られなければいい」ということも まったくなかったが、何らかのアクションを起こさなければ次に進めない。
他人に話しにくい家族の問題を打ち明けてくれた女性の期待に応えたい気持ちもあり、現地調査の日時を約束して、とりあえず最初の電話相談は終わった。
 
 
約束した日時に、私は女性宅を訪問。
そこは、「大豪邸」というほどでもないながら、広い土地に建つ大きな家。
寂れた感が強く、庭の手入れや、建物・外構のメンテナンスが疎かになっているのが気になったものの、想像していたより立派な建物。
門のインターフォンを押すと、「お待ちしてました・・・どうぞ・・・」との声。
自分の手で門扉を開け、庭を通って玄関へ。
内側から開いたドアの向こうには女性がにこやかに立っており、私を出迎えてくれた。
 
一階の広いリビングに通された私は、促されるまま、座り心地のよさそうな大きなソファーに腰を降ろした。
女性は、お茶の用意をしてから、ドアを閉め、私の向かい側に。
二階に声が届かないようにだろう、何やら悪い相談でもするかのような小声で
「お電話でお話しした通りのことですけど・・・」
と前置きして、話を始めた。
 
「一人娘」ということもあってか、女性夫妻は当人を溺愛。
「甘やかしすぎでは?」と自認するようなことも多々あった。
「本人のためにならない」と自重したこともあったが、可愛さ余って厳しくしきれず。
「甘やかし過ぎたんでしょうか・・・」
「ワガママな娘に育てたつもりはないんですけどね・・・」
と、女性は、悲しげな顔で、溜め息をつき、
そして、
「小さい頃は、おやつを渡しても“ママと半分ずつね”と言うような優しい子だったんですよ・・・」
「可愛らしかったあの頃のことが忘れられないんです・・・」
と、自嘲気味に微笑んだ。
そこには、この期に及んでも、当人を見放すことも、見捨てることもできない、深い親心があった。
 
親類縁者など、他に頼れる人はいないよう。
行政に相談しても、「プライベートの問題だから・・・」と聞く耳を持ってもらえず。
心ある人の中には、当人の説得を試みてくれた者もいたが、とんだ藪蛇に。
正論や理屈が通用するわけはなく、当人は激怒し、手が付けられなくなるくらい逆上。
誰彼かまわず怒鳴り散らすばかりで、何一つ聞こうとせず。
「警察呼ぶぞ!」と、実際に110番通報し、警察が駆け付けたこともあった。
 
 
女性は、悲壮感が漂うくらいの強い覚悟を持っていた。
「手を出したりはしてきませんから、本人のこと無視して下さい!」
と私に告げると、
「〇〇ちゃん(当人名)、これからそっちに行くよ!」
「もう、〇〇ちゃんの言いなりにはならないからね!」
と大きな声で宣戦布告し、二階への階段を登り始めた。
 
物音から、一階に来客があるのは当人も察知していたはず。
しかし、二階にまで上がってくるとは思っていなかったはず。
いきなりのことで慌てたのだろう、「親に対してそこまで言うか!?」と、憤りを覚えてしまうくらいの悪口雑言を女性に浴びせた。
話には聞いていたし、その覚悟もできていたつもりだったけど、その現実を目の当たりにした私は、不覚にも怯んでしまった。
しかし、そんなの慣れたことなのだろう、女性は一向に怯まず。
ドシドシと威圧するような足音を立てながら階段を登り続け、私も、ややビビりながら、その後に続いた。
 
二階に上がると、すぐに当人が視界に入った。
我々の行く手を阻むように仁王立ちする当人は、「いかにも」といった風貌。
久しぶりに目にする女性以外の人間(私)に、明らかに動揺している様子はあったが、目つきも顔つきも、体形も髪型も、服装も着こなしも、総じて、病的、危険な感じ。
そんな当人と、そんな修羅場に遭遇して導かれた答はただ一つ。
それは、「断念」。
女性の要望が強いことはわかっていたけど、当人を越えて前に進むことはできず。
調査は断念せざるを得ず、自ずと、それは、作業が不可能であることも示唆。
暴言だけでは済まされず、場合によっては、暴力事件、悪ければ刃傷沙汰も起こりかねず、そんなことになったら本末転倒。
女性の期待を裏切るようで申し訳なかったが、無理矢理介入して問題を引き起こすわけにはいかなかった。
 
女性は非常に残念がったが、私の立場も充分に理解してくれた。
で、結局、何の役にも立てないまま引き揚げることに。
帰り際、先々のことについて、役に立つようなアドバイスもできず。
また、気分が変わるような気の利いた言葉を残すこともできず。
私は、自分に対しての後味の悪さだけを残し、惜しまれつつ女性宅を後にしたのだった。
 
 
その後、女性親子がどうなったか、知る由もない。
ただ、悲観的に考えるのは私の悪い癖だけど、女性親子の生活が好転することは想像し難く、また、親子関係が好転することも想像し難く、
それでも、女性は、「娘を守りたい」という母心は持ち続けていくはずで、
しかし、そんな女性だって、確実に年老いていくわけで、そのうち、自分の力だけでは、自分の身も生活も維持できないようになってしまうのは明白で、
そうなると、当人は、どうなってしまうのか、
女性が亡くなって、相続した不動産を金に換えれば、最期まで食べていけるだけの糧は得られるかもしれないけど、社会性も生活力も失くしてしまった当人が、そういった術を使うことができるのか、
病気になったり介護の手が必要になったりしたときはどうするのか、
このまま、朽ちていく家屋の中で、ゴミに埋もれて野垂れ死んでしまうのではないか、
自分が死んだ後、そんな風になることを想像すると、死ぬに死ねない、
老い衰えていくばかりの身体、朽ちていくばかりの家屋、減っていくばかりの貯え、好転の希望が持てない当人の人生・・・女性の苦悩は、察するに余りあるものがあった。
 
 
種類は違えど、精神を病んでいる者としては、私も同類。
そして、引きこもり経験のある私は、一方的に当人を非難できる立場にはなかったし、そんな気も起らなかった。
自分にぶつけきれない鬱憤を女性(母親)にぶつけていい理由にはならないけど、「社会の落伍者」として生きていなければならないことの苦しみは私も理解できる。
非難されても仕方がないことは当人もわかっているはずで、それだけ当人も苦しいはず。
ただ、下り坂で転がりはじめた石を止めるのは簡単なことではない。
いつかは、その気持ちが癒やされる日が来るのか、また、最期までこないのか、誰も知ることができない中で、ただ、一日一日、絶え間なく続く修羅場を、未来志向を捨てて生きるしかなく、まるで、死の際を歩かされるような人生を、死人のようにやり過ごしていくしかない。
 
 
六月中旬、梅雨の候、どんよりした天気が続いている。
梅雨寒の日でも、ちょっと身体を動かしただけで、途端に汗が流れる。
毎年のことながら、この蒸し暑さには閉口する。
とりわけ、一段と体力が衰え、今年は精神も傷んでいるので、一層、堪える。
舞い込む現場も、徐々に修羅場と化してきている。
更に、深刻化する猛暑の夏を想うと、辟易するばかりで、愚痴をこぼす元気さえなくなる。
何もかも放り出して逃げだしたくなる。
 
とにもかくにも、この先も、いくつもの修羅場が私を待っているはず。
まるで、誰かが意図して用意したかのように。
私を打ちのめすためのものか、それとも、一つ一つを乗り越える力をつけさせるためのものかわからないけど、生きているかぎりは、それを受け入れるしかない。
 
ただ、私は、「乗り越えればいいことがある」なんて、安直に受け入れられるような性質ではない。
それでも、「乗り越えればいいことが待っている」という望みは持っていたい。
それが嘘だとはかぎらないから。
本当に、そうなのかもしれないから。
 


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吐気

2022-06-07 07:10:12 | 嘔吐物
「水無月」とも言うのに、六月に入った途端、急な雷雨・豪雨、そして、雹に見舞われるようになった。
今年の梅雨入りは例年より遅くなるようだが、私の精神状態と同様、これから、しばらく、天気・気温ともに不安定かつ不快な日が続く。
私は、もともと、時季に関係なく精神不安定で、年柄年中、虚無感を抱えている人間だけど、このところは、特に気分のUp・Downが激しい・・・
あ、でも、「Downが激しい」と言った方が正確かも。
残念ながら、気分がUpすることは「まったく」と言っていいほどないわけだから。
不眠症も更に重症化し、ここ一か月くらいは、毎晩、変な夢をいくつもみるような始末。
神経質で疑り深い性格が災いしてか、薬の効きもよくない。
時々、朝御飯を食べるときに吐き気をもよおすこともあり、こんな毎日に、嫌気がさしているような始末。
こうして生きていて、楽しいことが何もない、面白いことが何もない。
“こんな日々がいつまで続くのか・・・”と思うと、お先真っ暗、本当にイヤになってくる。
 
雨風しのげる家があり、三食の糧になる仕事があり、衰えてきたとはいえ動く五体があり、退屈に思えるくらいの平和がある。
理屈では、「贅沢な願い」「高すぎる望み」「つまらない欲」だということはわかっている。
「目を向けるべきところが違う」「心の在り方が間違っている」ということもわかっている。
ただ、それが“心”というものの不可思議なところ、“鬱”というヤツの厄介なところ。
どんなに立派な理屈を組み立てて「しっかりしろ!」と揺さぶっても、微動だにしない。
 
吐くまで飲むようなことはないけど、酒量も増えたまま。
「休肝日を復活させたい」と思っていても、酒を前にして、その理性はまったく歯が立たない。
「身体によくない」とわかっていても、「翌朝には鬱状態が待っている」とわかっていても、飲まずにはいられない。
「今夜は飲まないでおこう」と、朝、心に決めても、昼くらいになると その心は完全に折れている。
で、自分に対する言い訳を考え始める。
結局、「今日一日飲んだくらいで病気になるわけじゃない」「今日一日我慢したくらいで元気になるわけじゃない」と、冷蔵庫のウイスキーに手を伸ばすのである。
 
それでも、近年は、割って飲むようにしているから、少しは、身体への負担が減っている・・・と思う。
かつての私は、ウイスキーをロックで飲むことを日常としていた。
咳き込むくらいに濃いヤツを口に含み、舌で転がしながら特有の香りと甘みを楽しんでいた。
そして、それを喉から食道を通して胃に流し込み、五臓六腑に沁みわたらせていた。
その酔いは心地よく、毎晩の楽しみに。
しかし、度数の高い酒は、間接的に肝臓に負担をかける。
そして、胃や食道に直接的に負担をかける。
ほどほどにしておかないとダメなのはわかっていたけど、どうしてもやめられなかった。
 
何がキッカケだったのかは憶えていないけど、あるとき、「このままだと身体を壊すな・・・」
と悟った私は、ハイボールにチェンジすることに。
はじめは薄すぎて口に合わなかったけど、飲んでいるうちに慣れ、今では、美味しく飲んでいる(杯が進むにつれ濃くなっていくのが難だけど)。
とりわけ、たるみやすい胴を持つ中年男にとっては、ビールを飲むより、そっちの方がいいはずだし。
 
先日、「スパークリング日本酒」なるものを、生まれて初めて飲んだ。
“日本酒離れ”を少しでも食い止めようと、酒造元が試行錯誤して商品化したものなのだろう。
私が飲んだのは、とある大手メーカーの一商品。
だから、一概なことは言えないかもしれないけど、まぁ、私の口には合わず!
アルコール度数は5度で、とにかく甘い!甘すぎる!
おそらく、口当たりをよくするために人工的に甘くしているのだろうけど、思わず吐き出しそうに。
しかし、食べ物や飲み物を粗末にするのは大嫌いな私。
とにかく、飲み干そうとがんばった。
が、どうしても口に合わず、二口・三口飲んだところでギブアップ。
結局、そのままで飲み進めることはできず、炭酸水で割ってレモン果汁を足して、ハイボールみたいにして 無理矢理 喉に流し込んだ。
あくまで、個人的な感覚だけど、これがメジャーな酒になるのは難しいと思っている。
 
酔うと、この現実が少し遠ざかるような気がする
イヤなことが頭に浮かびにくくなる
一時でも、気分が軽くなり、鬱気が紛れる。
それが、酒の良さであり、恐さでもある。
しかし、酒が抜けると、ヒドい状態に逆戻り・・・
こんな生活習慣が、自分にとってプラスにならないことはわかっている。
ただの“ごまかし”であることもわかっている。
ただ、心が浮くようなことが他に何もない今の私には、これ以外に策がないのである。
 
 
 
ある日の真夜中、静かに眠っていた電話が 突然 鳴った。
受話器から聞こえてきたのは若い女性の声で、
「ホームページを見たんですけど・・・」
「酒に酔った同居人が吐いてしまいまして・・・」
「“24時間対応”って書いてあるんですが、今からお願いすることはできますか?」
と、かなり慌てた様子だった。
 
女性は、夢中でインターネットを検索して、手当り次第、対応してくれそうな業者に問い合わせたよう。
しかし、色よい返事をしてくれた業者は皆無。
その理由は想像に難くなく・・・
ハッキリ言ってしまえば、嘔吐物の清掃なんて、特殊清掃の中でも雑用中の雑用で、やり甲斐も使命感も見いだせない仕事。
しかも、大したお金をもらえるわけでもなく、更には、真夜中の出動なんて面倒臭くて仕方がない。
業者としては、「やってられるか!」といったところ。
それは、私も同じことで、正直なところ、「面倒臭ぇなぁ・・・」と思いながら、また、うまく断る理由を探しながら女性の話に耳を傾けた。
 
現場は、都内のマンション。
そこの共用通路。
周囲に飛び散った部分があるものの、汚染範囲はそんなに広くなさそう。
ただ、嘔吐物とは言え、侮るのは禁物。
何らかのウイルスが混入している可能性がゼロではないから。
特に、ノロウイルスには注意が必要。
感染力が強く、ちょっとしたことで感染してしまう。
ノロの疑いがある場合は即座に断るつもりだったが、そうでない場合は断る理由もないため、私は、嘔吐の原因があくまで酒であることを、念を押すように女性に確認した。
 
当初は、
「自分でできませんか?」
「そうすれば、余計なお金を使わなくて済みますよ」
と、良心的な装いで親切なアドバイスをしつつ、実際は及び腰だった私。
しかし、
「苦情がきたときのために、“専門業者にキチンと処理してもらった”という事実が必要なんです」
とのこと。
女性は、本当に困っているよう。
また、焦ってもいるよう。
結局のところ、“他に頼れる人がいない”というところに特掃魂が刺激されてしまい、出動することに。
「今が〇時〇分ですから、〇時頃には到着できると思います」
と伝え、閉じたい眼を開け、重い腰を上げた。
 
着いたのは、小規模の賃貸マンション。
出迎えてくれたのは、電話の女性。
やはり、落ち着かない様子。
シ~ンと静まり返った真夜中で、我々は、小声で短い挨拶を交わし、早速、汚染場所へ。
見ると、嘔吐物は、ドア側ではなく柵側ではあったものの、よりによって、隣の部屋の玄関前にベッチョリ。
しかし、マンションの出入口と自宅の位置関係をみると、出入口に近いのは当人宅(女性宅)の方。
つまり、吐き気をもよおした当人は、わざわざ自宅の前を通り過ぎ、隣の部屋の前に着いたところで吐いたということ。
あと、もう少し・・・自宅に入るまで耐えられなかったのか・・・
どうして、他人の部屋の前で吐いてしまったのか・・・
せめて、自室の前で吐けなかったものか・・・
怯えるように汚染個所を見つめる女性が気の毒に思えたことも相まって、まったくの他人事ながらも、私は、悔しいような気持ちでいっぱいになってしまった。
 
女性は、
「隣の人はもちろん、他の住人にも気づかれないよう急いでやって下さい!」
と強く要望。
やけに、他住人から苦情がくることや管理会社から叱られることを恐れていた。
ただ、起こったことはそれなりの事だけと、責任をもって掃除する意思もあり、掃除する手はずも整えたわけで、そこまで心配するようなことには思えず。
それで、私は、
「きれいに掃除すれば大丈夫だと思いますよ」
「念のため、消毒剤と消臭剤も使っていきますし」
と、“おっちゃんに任せとけば大丈夫!”とばかり、カッコつけ気味にフォロー。
すると、女性は、
「他にも、今まで、色々ありまして・・・」
と、気マズそうに口を濁した。
どうも、これまでも、当人は、マンション内で、何らかのトラブルを起こしたことがあるよう。
いわゆる“問題児”“トラブルメーカー”なのか、それも、一度や二度じゃなく、もっと。
しかし、それ以上の話は仕事に必要ない。
女性も話したくはなかっただろうし、私も、愛馬の“野次馬”を馬小屋に入れ、頭を作業の方へ向けなおした。
 
どちらかと言うと、フツーの人が吐き気をもよおすのは、糞便や嘔吐物ではなく腐乱死体のニオイのはず。
しかし、私は、ほぼ平気。
近年では、どんなにヒドい現場でも、重厚な専用マスクを着けることも稀。
その昔、特殊清掃を始めた頃、吐きそうになったことは何度となくあったのに・・・
一方、そんな私でも、人の糞便や嘔吐物のニオイは苦手(苦手じゃない人は少ないと思うけど)。
作業に取り掛かると、嘔吐物特有の酸系の異臭が上がってきて、実際には、吐きそうにはならなかったものの、“オエッ!”となるような不快感に襲われた。
それでも、嘔吐物の清掃なんて、さして難しい作業ではない。
で、ものの30分程度で完了。
痕もニオイも残らず、何事もなかったかのようにきれいになった。
 
作業が終わっての帰り際、玄関先でサヨナラとなって当然の場面だったが、女性は、わざわざ、車までついて来てくれた。
そして、「こんな時間に、本当に助かりました!」「ありがとうございました!」「お気をつけて!」と、私を見送ってくれた。
小さなことだけど、そんな心遣いが自然にできる女性が、私の眼には、一人の“女性”としても 一人の“人間”としても魅力的に映った。
一方の当人は、部屋でダウンしたままだったようで、終始、姿を現さず。
玄関には、男物の靴とサンダルがあったのだが、女性は、「夫」「主人」とか「ダンナ」とは言わず「同居人」と言っていたから、正式な婚姻関係ではなく「同棲相手」ということだろう。
そんな当人に、「酔って吐いた」ということだけで“ダメ人間”の烙印を押すのは、あまりに軽率だし、そもそも、この私も、当人を非難できるような人間ではない。
 
駅のホーム、友人宅の和室、タクシーの窓外・・・若かりし頃のこととはいえ、私も、飲み過ぎて吐いたことが何度かある。
本来なら自分で掃除すべきところ、どこもすべて、誰かが掃除してくれたわけで・・・
私は、一筋の汗も流さず、一円も金も出さず、一言も謝罪せず・・・
「若気の至り」なんて、何の言い訳にもならないことは明白で・・・
本当に、ダメな人間だったし、ダメな人間のまま歳をとってしまった。
私は、そんな複雑な心境を抱えつつ、好印象の女性と、勝手に悪い印象を抱いた当人を天秤にかけ、「若くてチャンスがあるうちに男を選びなおした方がいいかもよ」と、バックミラーに映る女性につぶやきながら現場を後にしたのだった。
 
 
私は、元来、内気でネクラな性格。
それに輪をかけるように患ってしまっている鬱病。
そんな人間と一緒にいて楽しいわけはなく、愚痴をこぼし、弱音を吐く相手もおらず、それを親身に聴いてくれる者もいない。
今は、読んでくれる人の精気まで吸い取ってしまいそうな陰気なブログになってしまっているけど、私にとって、ここは心情を吐露できる場でもある。
また、自分を客観視し、わずかでも冷静さを取り戻すためのツールにもなっている。
こんな みっともない姿を晒しても、「人に読まれて恥ずかしい」という気持ちはない。
そんな虚栄心を持てるほどの元気もない。
 
この先、どこまで持ちこたえられるかわからない。
どこかで潮目が変わるのかどうかも、立ち直れるのかどうかもわからない。
ただ、私が吐く弱音も、こぼす愚痴も、それはそれとして、何かの種に、何かの肥しに、何かの糧にしてもらえれば、私も、少しは、ここに存在している価値があるというもの。
 
今は、それにすがって生きていくしかないのだろう。
私には、まだ、人が生涯をかけて見るべきものが見えていないような、聴くべきものが聴こえていないような、感じるべきことが感じられていないような気がするから。
そして、生きている意味、存在している価値を完全に否定するには、まだ早すぎるような気がするから。


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さみしがり

2022-05-30 07:30:14 | 不用品
まだ五月だというのに、ここ数日、夏のような日が続いている。
ただ、その五月も明日で終わり、もうじき梅雨の時季。
しばらく、ムシムシ・ジメジメと過ごしにくい日が続くことになるけど、例年、私のウォーキングコースの一角には紫陽花が咲く。
今年も、蕾が出ているので、じきに咲き始めることだろう。
そして、雨が降っているときや雨上がりには、その脇の歩道に、生まれたばかりの小さなカタツムリがたくさん這い出てくる。
その姿は、とても小さく、とても可愛らしい。
ただ、彼らは、まったくの無防備で、よくよく見て歩かないと踏みつぶしかねず、その際は、ゆっくり慎重に歩くことが必要。
しかし、道行く人が、皆、私と同じことを心配しているとは限らず、となると、当然、踏みつぶされる子もいるわけで・・・残念ながら、淋しい想いをすることも少なくない。
 
歳のせいか、メンタルが弱っているせいか、このところ、何もかもが淋しく想えて仕方がない。
人間関係もそうなのだが、特に淋しく思えるのは、過ぎ去りし日の想い出。
事ある毎に、「笑顔の想い出は人生の宝物」と言ってきた私。
今も、その考えに変わりはない。
しかし、今は、そこに、極端な淋しさが覆いかぶさってくる。
 
ネクラな私にも、過去には、楽しかった想い出がたくさんあるわけで、それを想い出すたびに、
「もう二度とないんだな・・・」
「もう、この先、あんな楽しいことはないんだろうな・・・」
と、やたらと悲観的に捉えてしまう。
そうすると、生き甲斐が見いだせなくなり、その結果、生きることの意義や、自分の存在価値も見失ってしまう。
 
人生のプロセスには、すべて“時”がある。
すべてにおいて、“始まり”があれば“終わり”もある。
その“時”が過ぎてしまえば、すべておしまい。
時の流れに抗う力がない以上、諦めるしかない、受け入れるしかない。
「元気を出そう!」と、藁をも掴む思いですがりつく“笑顔の想い出”が、更に、淋しさを増長させているような始末。
戻れない時を想うと、戻せない時を想うと、私は、ヒドく淋しい気持ちになってしまうのである。
 
 
 
出向いた現場は、住宅地に建つ一軒家。
建てられてからそれなりの年数が経っており、そこそこ古びて傷んではいたものの、大きな家屋で、ちょっとした豪邸。
新築当初は、きっと、人も羨むような家だったに違いない。
また、下世話な話だけど、当時、結構な建築費がかかったはずだった。
 
そこでは、高齢の女性が一人で生活。
しかし、その昔は、一家五人で生活。
子供達はこの家で大きくなり、夫は会社勤めを続けた。
ただ、時の流れには逆らえず、子供達は成長、独立し、老齢になった夫も死去。
女性も齢を重ね、不自由の多い身となった。
 
私が訪問したとき、女性は、体調を崩して入院中。
で、現場で私に応対してくれたのは、女性の長男(以後「男性」)。
男性にとって、ここは実家で、依頼の内容は、家財生活用品の処分についての相談。
それは、単なる「不用品処分」というより、「生前整理」「終活」に近いニュアンスのもの。
なかなかデリケートな仕事になることが予感される相談内容だった。
 
促されるまま、家の中に入ってみると、広いはずの屋内は手狭な雰囲気。
大型の家具が数多く置かれ、その他の家財もかなりの量。
「ゴミ屋敷」と言うほど、ヒドく散らかっていたり、不衛生な状態になったりはしていないながらも、まるで家全体が、倉庫・物置になってしまったような状態。
あまりの窮屈さに、感嘆の溜め息を漏らしてしまうくらいだった。
 
この家は、男性が幼い頃、まだ若かった男性の両親が建てたもの。
築年数は、約五十年。
長年に渡って買い増されたのだろう、タンスには衣類等がギュウギュウ。
子供のモノから亡き夫のモノまで。
親戚が集まって寝泊りするときに使っていたのだろう、押入には、「旅館か?」と思う程の布団や座布団。
誰かの結婚式などの贈答品だろう、ギフト箱に入ったままの毛布やタオル、鍋やフライパン、コップや皿。
時の移り変わりと共に増えていったのだろう、食器棚には食堂を思わせる程の大量の食器。
その他、大量の割り箸やレジ袋、たたまれた包装紙や紙袋。
居間の物入れの引き出しには、昔出掛けた旅行のパンフレットや泊まった旅館の手ぬぐい、
果ては、ご当地弁当の容器や割り箸の袋まで。
どれもこれも、かなりの年代物。
ただ、これらは、ほんの一例。
一つ一つ説明しているとキリがないくらい。
家中に、五十年の生活の中で手に入れた、ありとあらゆるモノが保管されていた。
 
私にとって、特に圧巻だったのは、二階の子供部屋。
つまり、男性をはじめとする女性の子供達が使っていた部屋。
もちろん、「模様は当時のまま」という訳ではなかったが、部屋に置いてあるモノや しまってあるモノは、ほとんど当時からのモノ。
子供用の勉強机はもちろん、二段ベッドも当時のまま。
押入には、当時の布団をはじめ、箱に入れられた教科書やノート、漫画や玩具も。
ランドセルや学生カバンも。
タンスには、学生服や子供服までも保管。
それ以外にも、とにかく、想い出の残るモノは、徹底的に取り置いてあり、この家に何の想い出もないアカの他人の私でも「懐かしい!」と思ってしまうようなモノがたくさんあった。
 
モノであふれる家を見るにつけ、男性は、それまでも、幾度となく片づけを思案。
しかし、女性が、それをスンナリ認めないことも容易に想像がついたし、また、それは、母親をはじめ、家族の人生を否定するようにも思えて、結局、具体的な行動にまではつながらず。
ただ、そうは言っても、人は、時間には逆らえない。
誰もが皆、過ぎた時間の分だけ歳をとり、老い衰え、やがて死んでいく。
だから、どんなに大切にしているモノでも、どこかのタイミングで始末しなければならない。
どんなに執着しているモノでも、いずれは手放さなくてはならない。
自身もいい年齢になり、更に、女性が病院の世話になるようになって、そのことを悟った男性は、少しずつでも片付けることを決意。
女性に、そのことを相談する意思を固めていた。
 
家は、「異常」と言っても過言ではない状態だったが、女性の心情を察すると、理解できるところもあった。
戦中戦後の、貧しくてモノのない時代を経験した人にとって「使えるものを捨てる」というのは、我々が想像する以上に抵抗があるのかもしれない。
また、“想い出”というものは、心に残るものだけど、忘れ去られやすいものでもある。
しかし、それに関係するモノが物理的に残っている場合は、それに接する度に、当時の温かさを蘇らせることができる。
そうすることによって、知らず知らずのうちに、無機質のモノが擬人化され、“家族同然”みたいな感覚を抱くこともあると思う。
女性にとっては、それらを捨ててしまうことが、まるで、大切な想い出と家族を捨ててしまうような感覚で、大きな淋しさを覚えることだったのかも。
また、自分でも気づかないところで、どことなく、満たされない淋しさを抱えていたのかも。
それで、自分でも気づかないところで、心の隙間を物理的に埋めようとしていたのかもしれなかった。
 
 
モノに対する想いの込め方は、人それぞれ。
モノに想い出を重ねる人もいれば、ドライな人もいる。
私のように、極端に、過去の想い出に縛られる人は、実は、未来志向で生きることが苦手な、さみしがりなのかもしれない。
 
しかし、生き方としては、モノに執着しない方が楽なような気がする。
その人の性格や、その時の精神状態によるのだけど、想い出というものは、心を軽くする浮きになることもあるけど、逆に、心を重くする錘になってしまうこともあるから。
ただ、人によっては、それが簡単でないこともある。
“想い出の品”って、そう簡単に割り切ることも、冷淡に処分することもできるものではない。
 
「心がときめかないモノは捨てた方がいいモノ」「一年使わなかったモノは一生使わないモノだから不要なモノ」と、他人は勝手なことを言う。
そう言われても、当人には「使わないから不要」「使うから必要」といった概念はなく、“使うor使わない”は、問題ではない。
想い出の品が手放せないのは、ただの所有欲とは違う。
何に使うわけでもなく、金銭的な価値がなくても、持っているだけで心が満たされ、心が癒されるのだから。
 
 
私は、これまで、「あれが欲しい!これが欲しい!」と欲張った生き方をしてきた。
余計なモノを手に入れるために、どれだけの時間と労力を費やしてきたことか。
無用なモノを手に入れるために、どれだけの金と気を使ってきたことか。
それだけの、時間・労力・金・気をもっと有用なことへ投じれば、人生はもっと豊かになったかもしれない・・・
しかし、結局のところ、最期は、全部ゴミ。
どんな物持ちも人も、何も持っては逝けない・・・
まま、一生かけて、必死で手に入れた数々のモノは置き去りにするしかない・・・
自分のこの身体だって、ゴミと同じように燃やされてしまうだけ・・・
「この身体も、最期は骨クズと灰クズ」「ゴミ屑も同然」
それを悟ると、モノに対する考え方と自分が出す答が変わってくる。
 
この鬱々とした気分が少しでも変わることを期待して、私は、この春、断捨離することを思い立った。
「死ぬ準備をしておけば、少しは気が楽になるかな・・・」と、ただの“断捨離”というだけではなく“終活”するような気持ちもあった。
というわけで、「想い出は心の中にある」と、今まで捨てられなかったモノも思い切って処分することに。
そして、「こういうことは一気にやった方がいい!」と、先日、そのためだけに休暇をとって一人で作業した。
 
すると、あるわ あるわ、出るわ 出るわ、つまらないモノが、わんさか。
無趣味につき、何かを集めるような収集癖はないのだが、ケチな性分も手伝って、使っていないモノはもちろん、棚・引き出し・押入・クローゼット・収納ケース等には、存在自体を忘れていたり、一体、何のために取って置いたのか、自分でもわからないようなモノまでたくさん。
中には、ホコリにまみれたモノや、カビが出たモノもあり、取って置いた自分をバカにしたくなるようなモノも。
昔の日記や写真、プレゼント、手紙etc、想い出深いモノが現れたときは、思わず声を上げたり、つい手が止まったり、涙が出そうになったりもした。
もちろん、「淋しいなぁ・・・」「もったいないなぁ・・・」といった未練はあった。
それでも、当初の決意を思い出し、思い切ってゴミ袋に放り込んだ。
 
昼休憩はとったけど、朝からやって夕方前には終了。
それで、「処分する!」と決めていたモノの九割くらいは片付けることができた。
残ったモノは、一部の書類と衣類、それから、手紙・写真・日記の類、つまり、想い出深~いモノ。
これらのモノは、最初から「捨てる」と決意していたものではないのだが、それでも「日記くらいは捨てよう」と考えていた。
が、結局、手をつけることができず、「次回にしよう・・・」ということに。
ただ、“次回”も、そんなに先にするつもりはない。
気が変わらないうちに、心が折れないうちに、面倒臭くなる前に、少しずつでも進めたいと思う。
 
今回の“自分始末”は、自分としては思い切ったアクションだったのだが、結果として、メンタルに期待していたほどの変化はなし。
「俺は、この世に不必要な人間なんじゃないか・・・」
「俺の代わりになる人間なんて、いくらでもいる・・・」
そういった淋しさは、ほとんど変わっていない。
まぁ、それでも、「余計なことしたかな?」といった後悔はなく、「片付けてよかった」という気持ちにはなっている。
鬱っぽさは変わらないけど、スッキリした感覚はある。
 
気持ちに変化がないのは、“心の断捨離”できていないから。
気持ちを変化させるには、“心の断捨離”をするしかない。
何の気配もない心配事、自分を陰鬱する勝手な想像、根も葉もない劣等感、勝者のいない敗北感・・・そして、気分を沈ませる過去の記憶・・・
探してみると、心の中には、捨てた方がいいモノがたくさんある。
手放すべきものは手放し、捨てるべきものは捨て、身も心も軽くなれば、この淋しさも、いくらか癒えるかも。
 
必要なのは、「勇気」と「決意」と「覚悟」。
勇気を出さず、固い決意も、強い覚悟もないままで、変化だけを求めるなんて、人生にも世の中にも、そんな虫のいい話はない。
しかし、いつになったら、それらを持てるのか自分でもわからない。
どちらにしろ、こんなに弱っているうちは無理そうだから、もうしばらくは、淋しい人生をしのいでいくしかなさそう。
 
「今の苦しみは、明るい未来に向かうための“鍛錬”“荒療治”、そして、“吉兆”」と、無理矢理にでも自分に信じ込ませて。




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親心 子心

2022-05-19 07:00:30 | 腐乱死体
五月に入り、梅雨のような日や、寒暖差が激しい日が続いたが、ここにきて、やっと、この時季らしい陽気に恵まれるようになってきた。
次の波が来ないとも限らないが、幾度となく社会と人々を苦しめてきたコロナも派手な動きを見せないようになってきている。
マスク着用の要否も議論され始めている中、先日の11日、私も、ワクチン三回目を接種してきた。
自宅近くの病院で、結局、三回ともすべてファイザー。
「今日は激しい運動は控えて下さい」と看護師から言われたが、残念ながら、夜になっても、一緒に“激しい運動”をしてくれる相手はおらず、いつも通り、おとなしく酒を飲んで就寝。
何はともあれ、三回とも、副反応は腕(肩)の痛みのみで、倦怠感も発熱もなく、仕事にも影響なく済んで助かった。

高齢の両親も、幸い、コロナに感染することなく今日に至っており、しばらく前に三回目の接種も終えている。
しかし、すんなり受け入れた父とは違い、当初、母は、得体の知れないワクチンを打つことに難色を示していた。
母は、肺癌と糖尿病、基礎疾患の中でも「コロナにかかると最も危ない」とされる病気をWで患っているわけで、おまけに高齢ときている。
したがって、大多数の専門家と同様、私は、「ワクチンを打つリスクより、打たないデメリットの方がはるかに大きい」と判断した。

それで、その辺のところを幾度となく説明。
脅して強制するつもりは毛頭なかったが、
「その身体でコロナにかかったら命はないよ!」
「“打たない”という選択肢はあり得ない!」
「自分のためだけじゃないよ!」
と、接種を強くすすめた。
かつて、よくやらかしていた親子喧嘩にならないよう気をつけながら。
すると、私が本気で心配していることが通じたのか、しばらくして、母は、やっと承諾。
同地域同年代の人には遅れをとったものの、無事にワクチンを接種することができ、ひとまず、安心することができたのだった。



訪れた現場は、古い賃貸マンションの一室。
間取りは、今では少なくなってきた和室二間と台所の2DK。
その一方の和室で、暮らしていた高齢女性が死去。
「ありがち」とはおかしな表現かもしれないが、ここまでは“ありがち”な孤独死。
しかし、ここからが、あまりないケース。
故人は、亡くなってから半年余り経過して発見されたのだった。

半年も放置されると、当然、遺体は、それなりに腐敗。
ただ、気温が下がり始める秋に亡くなり、上り始める春に発見されたわけで、山場は、低温・乾燥期の冬。
畳には、人のカタチが残留し、頭があったと思われる部分には、白髪まじりの頭髪が大量に残留していたものの、それでも、その汚染は軽症。
また、異臭は発生していたが、「外にまでプンプン臭う」といったほどでもなし。
ウジ・ハエの発生もほとんどなし。
おそらく、その身体は、「腐敗溶解」という過程ではなく、「乾燥収縮」という過程を踏んで傷んでいったものと思われた。

家賃も水道光熱費も、銀行口座からの自動引き落としになっていたのだろう。
そして、同じマンションで親しく付き合っている人もいなければ、わざわざ訪ねてくる人もいなかったのだろう。
また、無職の年金生活者であって、社会との関りも希薄だったのだろう。
高齢につき、ネット通販を利用するようなこともなかったか。
ただ、故人は、天涯孤独な身の上ではなく、息子とその家族がいた。
それを考えると、「半年」という時間は、決して、短い月日ではなく、私には、長すぎるように思えた。

依頼者は、その息子(以後「男性」)。
母親の孤独死したことを半年も気づかずにいたことに罪悪感みたいな想いを抱いているようで、気マズそうにしながら、
「家族の恥をさらすようですが・・・」
と前置きし、発見までの経緯を話してくれた。

男性宅は、もともと男性の両親が建てたもので、現場とは駅の反対側、現場からそう遠くない距離にあった。
そして、数年前まで、男性家族と故人は、一つ屋根の下で同居していた。
ただ、家族といえども、一人一人の人間であり、人間関係に多少のギクシャクがあっても不自然なことではない。
また、「どっちが正しい」とか「どっちが悪い」とかいう問題ではなく、人には「相性」ってものがある。
相性が合わない同士は、どうしたって合わない。
ただ、生計を一にする家族である以上、相性がどうのこうのとワガママは言えない。
お互い、ある程度は、尊重と我慢をしなくては生活が成り立たない。
しかし、それにも限界があるわけで、限界を超えてしまうと、その生活は保てなくなる。
それを理解していたのだろう、もともと、“一枚岩”の家族ではなかったものの、皆がテキトーなところで折り合いをつけることによって、何とかうまくおさまっていた。

転機となったのは、男性の父親(故人の夫)の死去。
「家族の重石がなくなった」というか「規律を失った」というか、家族関係のバランスをとっていた支柱がなくなったみたいな感じで、それ以降、目に見えない何かが変わっていった。
露骨に変わったのは、嫁(男性の妻)と故人。
それまでは、お互い、抑えるところは抑えて、耐えるべきところは耐えてきたのに・・・
「これからは自分の天下」とまでは思っていなかっただろうけど、それぞれ、自分でも気づかないうちに気持ちが大きくなっていったよう。
その結果、家事の分担、家計費の分担、共用スペースの使い方、食事の好み、生活スタイルやリズム等々、些細なことで二人はぶつかるように。
嫁姑の確執なんて、家族間にありがちな揉め事の代表格なのだが、日を追うごとに、その関係は悪化していった。


ここからは、私の想像も含まれるけど・・・
もともと、自分達夫婦が建てた家にやってきた新参者(嫁)が、年月が経つにつれ、自分より幅を利かせるようになってきた。
「老いては子に従え」とも言うが、老いた者にだって自尊心やプライドはある。
年寄り扱いするだけならまだしも、疎まれ、邪魔者扱いされるのは我慢ならない。
必要のないところでも上下関係をつくりたがるのが人間の悪い性質だったりするのだが、居心地が悪くなってくるばかりか、この家で一緒に生活すること自体が苦痛になり、故人は、別れて暮らすことを思案。
「息子家族を追い出すより自分一人が出ていく方が諸々の影響が少ない」と判断し、結局、自分一人が出ていくことに。
高齢で始める一人暮らしのハードルは低くない中で、それでも意地を通すべく、地元の知り合いをツテに、今回、現場となった部屋を見つけ、そこに移り住んだ。

比較的、中立的な立場にあった男性は、時には妻の味方になり、時には母親の味方になり、何とかうまくやろうとしていたのだろうと思う。
しかし、男性には男性の生活がある。
そしてまた、家族のためだけではなく、自分のために生きていい人生がある。
争い事があまりに多いと、いちいち関与していられない。
また、その種があまりに小さいと、いちいち仲裁に入っていられない。
そんな男性の心情や事情は、充分に察することができた。

事実上のケンカ別れだから、以降、双方、関わり合いになろうとせず。
互いに行き来することはもちろん、電話やメールで連絡を取り合うこともなし。
盆暮れのイベントや誕生日などの記念日もスルー。
他人以上に他人行儀な関係に。
“意地とプライドの戦い”でもあったのか、結局、それは最期まで続き、あまりに変わり果てた姿での再会となってしまったのだった。


「それくらいは私がやります・・・」
と、男性は、台所にあったレジ袋を手に遺体痕の方へ。
そして、遺体頭部の脇にしゃがんで合掌。
それから、そのレジ袋を手袋の代わりにして、腐敗体液と混ざって畳にへばり着いた頭髪を、むしり取るようにベリベリと引き剥がし始めた。
時々、小さな溜め息をこぼしながら。

男性が、何を想いながら故人の遺髪を掴み取っていったのか・・・
供養の気持ち、感謝の気持ち、後悔の気持ち、謝罪の気持ち、色々な想いが交錯していたはずで、それを察するに余りあるものがあり・・・
その作業は、本来、私がやるつもりだったことだが、口出しはせず。
「お母さん、天国で喜んでいると思いますよ」なんて歯の浮くようなセリフは、とても吐けたものではなかったが、まんざらそう思わなくもない中で、私は、男性の後ろから、泣いているかのように震える背中を黙って見ていた。
時々、小さな溜め息をこぼしながら。



人間という生き物の性なのだろうか、小さなことのこだわりが捨てられず、意地になってしまうことってよくある。
自分が不幸になることに気づかず、自らの手で、大切な人を蔑ろにしてしまうことも。
時間が経ち、頭が冷えた頃になって、自分で自分がイヤになるほど悔やんだり、情けなくなったりすることもしばしば。

かく言う私も、これまで、随分と小さなことに引っ掛かり、随分と小さなことにつまずいてきた
それで、随分と親子喧嘩を繰り返してきた。
とりわけ、母親とは、子供の頃から、ほんの数年前まで頻繁にケンカ。
顔を合わせたときにかぎらず、電話で何気ない会話をしているうちにケンカになったことも多々。
長い間、絶交状態になったことも、「もう、一生、会えなくてもかまわない」と、頑なに心を冷たくしたことも一度や二度ではない。
しかし、もう、父は八十五、母は八十になり、この私も、結構な年齢になっている。
「もう、先が短いことが見えている」というか、ここまでくると、小さなことにこだわっている場合じゃない。

今となっては、親不孝を悔いることもしばしば。
両親共働きで、中学から私立の進学校へ。
貧乏しながら行かせてくれた大学でも、車やバイクを乗り回し、酒と女の子との遊びに興じ、勉学より優先して得たバイト代も、親に何か贈るどころか、すべて遊び代に費やしてしまった。
挙句の果てが、社会の底辺を這いずり回るような“死体業”への就職と、不名誉極まりない“特掃隊長”への就任。
こんな親不孝・自分不幸が他にあろうか・・・
あれから三十年経つのに、今でも自分の生活を維持するのが精一杯で、何の恩返しもできていない。
もう、申し訳なさ過ぎて、情けなさ過ぎて、この世にいる価値さえ見失いかけている。
そしてまた、そのことに、いい歳にならないと気づけなかったことが、とても恨めしく感じられている。

父や母に、私がやってあげられることがあるとすれば、孤独死腐乱した場合、誰にも負けないくらいシッカリ掃除することくらい。
冗談じゃなく・・・ホント、ガッカリなことだけど・・・
でも、もし、そうなったら、一生懸命!やろう・・・
異臭と汚れと残留汚物を、涙と汗で流しながら。
そして、この先、自分が死の床についたら、ロクに動かせなくなった身体と、ロクに動かなくなった頭で、病院の天井を見つめながら、最期を悟りながら、できるかぎり想い出そう・・・
父と母が与えてくれた“笑顔の想い出”を、後悔と謝罪に勝る、喜びと感謝の気持ちを抱きながら。

「親の心、子知らず」「子の心、親知らず」
それでも、いくつになっても親は親、子は子。
有限の命にある その愛と絆は無限。
こうなってしまった私の人生は もう仕方がないし、孝行らしい孝行ができるとも思えないけど、頻繁に会えない代わりに、メールや電話は こまめにしようと思っている。
そして、あまり無理をしないで、でも、無理をしてでも長生きしてほしいと思っているのである。



ヒューマンケアでは様々な現場の事例を公開しています。
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生と死 権利と義務

2022-05-09 07:00:00 | 特殊清掃 自殺
五月に入り、色とりどり、街や野山のあちらこちらでツツジが満開の盛りを迎えている。
そんな中、長~いGWが終わった。
懐が寒くなっている人、渋滞や人ごみに疲れた人、飲み過ぎ食べ過ぎで太った人など、様々な人がいそう。
とにもかくにも、久しぶりに政府や自治体による規制らしい規制がないGWで、多くの人が、その ひと時を楽しんだことだろう。
そして、そこでは、多くの“笑顔の想い出”が生まれたことだろう。
今は気づいていないかもしれないけど、この先、それは、“人生の宝物”になるもの。
だから、次の楽しみを追うばかりではなく、これはこれで、大切に、大切に、心にしまっておいた方がいい。
先々、自分を癒し励ましてくれることがあるかもしれないから。

併せて、今日から再び仕事の人も多いだろう。
家族から解放されてホッとしている人、再びの労苦に向かって憂鬱になっている人、様々か。
憂鬱になっている人にとっては、キツいところ。
そのうちに慣れてくるのだろうけど、とりわけ、新入社員や新入学生などは、五月病にならなければいいけど。
現実逃避からくる退職・退学等の間違いが起こって、私のような人生を歩くことになったら、目も当てられないからね。

私の場合、GW明けとか、まったく関係なく、毎朝、キツい思いをしている。
毎朝、起床前の数回、ほんの数秒から十数秒なのだが、「波」というか「発作」というか、胸の内を得体の知れないものが襲ってくる。
鬱にも慣れたこの頃は、それが「来そう」「来てる」「過ぎた」というのが自分でもわかる。
うまく言葉では言い表せないけど・・・
奈落に突き落とされるような恐怖感、暗闇を彷徨うような不安感、追い詰められるような切迫感、動悸がするほどの緊張感、息をするのもイヤになるくらいの虚無感・・・すべて自分の中で起こっていることながら、身の危険を感じるときもある。
あくまで、個人的な憶測だけど、ビルからの飛び降りや電車への飛び込み等、衝動的な自殺の場合、当人は、この症状に見舞われているときが多く、瞬間的な感情に動かされてしまうのではないかと思う。



「自殺があった部屋なんですけど・・・」
取り引きのある不動管理会社から、現地調査の依頼が入った。
日本人が自殺する場合、「縊死」、つまり、首をくくることが多いのだが、自刃の場合は“血の海”になっていることも多く、念のため、私は、そのことを質問。
すると、担当者は、
「“首吊り”です・・・」
と、声のトーンを落として返答。
発見に至った経緯や汚染・異臭の具合も訊きたかったけど、それ以上、担当者の気分を沈ませては申し訳なかったので、“現場に行けばわかること”と、私は、質問の言葉を飲み込んだ。

希望された調査日は、それから数日後。
訪れた現場は、閑静な住宅地に建つアパート。
軽量鉄骨構造で、「マンション」とは呼ばないものの、「アパート」と呼ぶには高級。
外観もきれいで、同地域の木造アパートに比べると、間違いなく家賃は高いはずだった。

早めに到着した私は、建物の前で待機。
すると、程なくして、二人の男性が現れた。
一人は、電話で話した管理会社の担当者。
そして、もう一人は中年の男性で、故人の遺族(以降「男性」)。
落ち着きのない物腰と、怯えたような表情から、故人とは、かなり近い血縁者であることが伺えた

通常の孤独死でも充分ショッキングなのに、自殺となると、男性も、心中、穏やかではいられないはず。
通常の精神状態ではなく、デリケートな状態、ナーバスになっていても不思議ではない。
私は、前もって、遺族が来ることを知らされておらず。
だから、そんな男性を前に、私は、やや緊張。
どんな表情で、どんな物腰で、どんな言葉遣いで接すればいいのか、ない知恵を絞って思案した。

現場の状況については、「担当者に会った時に訊けばいい」と考えていた私。
しかし、男性が一緒となると、なかなか訊きにくい。
結局、死後どれくらいで発見されたのか、汚染や異臭はどんな具合か、状況は不明のまま、短く挨拶を済ませただけで、我々は部屋の方へ。
玄関前に着くと、担当者は、カバンから鍵を取り出し、何の躊躇いもみせず、ドアの鍵穴に差し込んだ。

部屋が凄惨な状態になっている場合は、一番先に私が入ることが多い。
もっと言うと、私しか入らないことが多い。
しかし、ここでは、鍵を開け、ドアを引いた担当者は、迷うことなくそのまま入室。
次いで男性も。
中が汚い場合は土足のまま、またはシューズカバーをつけて入ることが多いのだが、二人とも玄関で靴を脱いで。
部屋を見るまでもなく、もう、それだけで「軽症」であることが判明した。

部屋に入ると、室内に家財はなく、空っぽ。
また、汚染らしい汚染もなく、異臭らしい異臭もなし。
というか、これから誰かが入居してくるのはないかと思われるくらい、かなりきれいな状態。
事情を知らずに一見すると、部屋を探している人を不動産会社が案内しているのかと見まがうくらいの画で、私は、逆の意味で驚いた。

間取りは1DK。
「この辺です」
部屋に入ると、担当者は、そう言って、遺体があった辺りを指さした。
そして、
「床に、少し体液がついていたようですけど、〇〇さん(男性)が掃除されたそうです」
と説明。
残っていた家財も男性達遺族が片付けたようだった。

「ところで、私は、何をやれば・・・」
特段の汚染も異臭もない部屋で、自分がやるべき仕事を計りかねた私は、そう質問。
「床の清掃と部屋の消毒です!」
担当者は、男性に気遣う素振りもみせず即答。
「大家さんが強く希望されているものですから」
と、言葉を続けた。
しかし、「掃除」と言っても、既に床はピカピカ、「消毒」と言っても、部屋は充分に清潔な感じ。
しかし、大家は、それを強く希望。
担当者は、更に言葉を続け、
「その後、床と天井壁のクロスは貼り替えます」
「水周りの設備をどうするかは検討中です」
と、大家の“要望”・・・というか、”命令”を代弁。
私は、内心で、“どうせ貼り換えるなら、清掃も消毒もいらないんじゃないかな・・・”とも思わなくもなかったが、それを口にしても自分の得にはならないので、黙って聞き流し。
男性も、故人の身体あったところの床を見つめながら、黙ったまま反論もせず。
この流れからすると、「向こう〇年間、通常家賃の〇%を補償していただきます」といった家賃保証の問題がでてくるのも時間の問題だった。

担当者としては、この痛ましい現実に対して、いちいち男性に気遣って、その心情を汲んでいては仕事にならない。
親切のつもりで感情を移入すると、それが、精神的な負担を重くすることもある。
担当者は、横柄な態度をとるとか、偉そうな口調で話すとか、そんなことはなく、男性に対する礼儀をわきまえつつも、男性の顔色をうかがうことなく、一方的、且つ、やや事務的に大家の意向を伝えていった。

同時に、私は、大家の心情も察した。
大家は、ありきたりのアパートを建てて、ありきたりの家賃を得るより、付加価値の高いアパートを建てて、地域相場より高い家賃を得ることを選択したのだろう。
もしくは、結構な資産家か。
どちらにしろ、アパートへの愛着もあれは思い入れもあって当然。
しかも、問題は、この部屋だけのことでおさまる保証はない
「気持ち悪い」と、他の部屋の住人が出ていく心配もある。
「あそこのアパートで自殺があった」等と、一部屋だけの問題ではなく、アパート全体が風評被害に遭って、他の部屋まで家賃を下げなければならなくなる可能性だって充分にある。
ただの孤独死なら、ある種の不可抗力な出来事でもあるが、事情はどうあれ、あくまで自殺は「故意」。
大家は、その事実に対して、大きな嫌悪感を抱き、強い憤りを覚えていたのではないかと思われ、そんな気持ちを考えると、遺族に対する要求は理不尽なものとも思えなかった。

成り行きで、私は、その場にいたのだが、担当者と遺族がやりとりする中では無用の存在。
極めてデリケート、かつ故人や男性のプライバシーに関わるような話だから尚更のこと。
しかし、そこに、「用は済んだので、私は引き揚げます」と口を挟めるような雰囲気はなく、結局、黙ってその場に滞在。
そして、マジマジと見つめたわけではなかったが、担当者が何かを言うたびに、私のチラチラとした横目視線は、自然と遺族の方へ。
無表情の中にも滲み出る心情があり・・・
下衆の野次馬根性がありながらも、独善的な感傷がありながらも、私の頭は、その心情を読んでいった。

亡くなったのは、男性の息子。
年齢を訊く立場にはなかったけど、男性の年齢からすると、故人は若かったはず。
若くして逝った故人の苦悩はいかばかりだったか・・・
残された遺族の嘆き悲しみはいかばかりか・・・
抱えきれない苦悩を抱え、負いきれない重荷を負い・・・
倒れないでいるだけでやっと、潰されないでいるだけでやっと・・・
生きているだけでやっと、やっと生きている・・・
担当者の口から出る言葉に対して、男性は、短い質問こそすれ反論はせず。
反論したいことがなかったわけでもなく、大家の言いなりにもなりたくなかったはずだけど、故人がやってしまったことを大家の立場になって考えると言い返す言葉も見つからなかったのだろう。
私の目には、床に視線を落としたまま黙っている男性が、
「息子はそんなに悪いことをしたのだろうか・・・」
「これだけ人に迷惑をかけてるんだから、やはり、悪いことをしたんだろうな・・・」
と、無理矢理、自分を納得させ、
そしてまた、
「育て方が悪かったんだろうか・・・」
「助けてやる方法はなかったんだろうか・・・」
と、深く悔やんでいるように見えた。
そして、私は、そんな男性の姿に、何も及ぼせない過去を痛感させられ、男性にとって、何の役にも立たない哀れみや同情心をともないながら、ただただ小さな溜め息をつくのみだった。


「自殺」というものは、痛ましいことであり、悲しいことであり、憐れむべきことかもしれない。
しかし、往々にして、「自殺」は悪行とみなされ、故人だけでなく遺族まで罪人のような扱いを受ける・・・
やったのは故人で、遺族ではないのに、いわば、故人の身代わりとして、重荷を背負わされる。
同時に、同じ、一人の死でも、“自殺”となると、同情心はなかなか湧いてこず、疑義や咎める気持ち、場合によっては嫌悪感や恐怖感が沸いてきやすい。
特に他人は。
これも、また現実。
正邪・善悪で片付けることができない中でうごめく悩ましい現実。
しかし、これを「冷酷」と非難することはできない。
もともと、生存本能をもつ人間は、“死”に対して嫌悪感や恐怖感を持っているものだし、自ら命を絶つことに対して、更に強い感情を抱くことも自然なことだと思われるから。

私は、これまで、遺族・利害関係者・他人に関係なく、「自殺」という事象によって甚大な害を被った人々の悲哀や苦悩もたくさん目の当たりにしてきた。
そして、残念ながら、これからも、自殺現場に携わることが少なからずあるだろう。
それでまた、己のメンタルにダメージを受けることもあるだろう。
また、百歩譲って、それで故人は救われるのかもしれないけど、残された人は、誰一人、幸せにはならない。
それどころか、未来に向かって持っている、幸せに生きる権利さえも奪いかねない。
だから、故人を責める気持ちになれないのも事実だけど、私は、決して「自殺」というものを肯定しない。


生きることは権利なのか、それとも義務なのか・・・
不幸の底にいると義務のように思えてしまうこともあるけど、実のところは権利。
行使していいもの。
また、死ぬことは権利なのか、それとも義務なのか・・・
絶望の淵にいると権利のように思えてしまうこともあるけど、実のところは義務。
履行されなければならないもの。
つまるところ、“生きることは権利”であり“死ぬことは義務”であるのが、本来のあり方のように思う。
生きる義務の履行中は死ぬ権利は行使できず、生きる権利を行使している中でも死ぬ義務は履行される・・・つまり、いつまでも生きていたくても、いつか死ななければならないのだから。

本来、権利である“生”を義務として履行せず、本来、義務である“死”だけを権利として行使するのは、虫が良すぎやしないだろうか・・・
しかし、私は、今、義務的に生きてしまっている。
程度に差はあれど、生きにくくなる一方の現代社会には、似たような人も少なからずいそう。

「俺には、俺が生きる権利を奪う権利はないよな・・・」
「死ぬことは、義務として定められているんだから、そんなに、生きることを恐れる必要はないのかもな・・・」
私は、混乱している頭でこの文を打っている自分に、そう語り掛けている。
そうして、やっとの想いで、明日への命を繋いでいるのである。
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泣き虫

2022-04-28 07:00:00 | 自刃自殺
四月も末になり、日によっては、暑いくらいの陽気に。
それにしても、「春暖」というものは、とても心地よい。
秋涼の十月ともども、一年のうちで四月は、心にも身体にも優しい時季である。
また、新年度で、新たな人生や生活をスタートさせた人が多い時期でもあり、私には関係ないこととは言え、それだけでも、少しは新鮮な気分が味わえる。
が、しかし、現場で作業する上では障害になることも少なくない。
やはり、気温が高いと体力を消耗しやすい。
また、孤独死現場などでは、汚染と異臭が深刻化しやすく、ということは、それだけ作業もハードになるわけで、体力消耗と併せると「三重苦」になってしまうのである。

とはいえ、春の陽気なんて、まだまだ序の口。
この後には、蒸し暑い梅雨がきて、猛暑の夏がやってくる。
今の時季でも、既に「ツラいなぁ・・」と感じることがあるのに、夏になったら、どんなヒドい目に遭うことになるのか・・・
もう、過酷な夏はイヤと言うほど経験しているけど、加齢にともなう衰えを携えての夏は、毎年、初めて。
衰えるばかりの中、今年も、それを受け入れるしかないわけだけど、本音を言うと、もうウンザリ・・・
身体が壊れるのが先か、精神が壊れるのが先か、どうしたって明るい気持ちにはなれない。

しかし、世の中は、明日から、嬉しい 楽しいGW。
一般的に、今年は4月29日~5月8日の十連休か。
コロナ禍も、「BA.2」とか「ⅩE」と言われる変異種も流行ってきていて微妙な感じだけど、重症化のリスクを鑑みると、人々は活発に動きそうな雰囲気。
政府や自治体による大きな規制もないし、一昨年・昨年に比べたら、多くの人が、帰省・旅行・飲食等を楽しむのだろう。
「十連休」なんて、まったく縁のない私には夢のような話。
それでも、人々が休暇を楽しんでいる姿を目にすると、ホッとするものがある。
休暇はなくても、そんな平和な社会に自分もいられるわけで、それはそれで、ありがたいことだと思っている。

それにしても、何日も遊び歩くには、相応の費用がかかるだろう。
時間があっても金がなくちゃね・・・
十日間、ずっと遊び通せるのは、そこそこ裕福な人か。
旅行で何泊もし、名湯に浸かり、アトラクションを楽しみ、おいしいものを食べ、欲しいものを買う・・・
それとも、金をかけずに時間を楽しむ術を知っている人か。
ドライブやツーリング、スポーツやアウトドアレジャー、読書や散歩等々・・・
他人の懐事情は私には関係ないことだけど、結局のところ、その両方とも持ち合わせていない私みたいな人間は、長期休暇なんかない方が幸せなのかも?
金も趣味も友達もないのに時間だけできたとしても、外に出ることさえ面倒臭くて、部屋に引きこもったまま昼間から酒を飲むか、眠くもないのに布団でゴロゴロするのが関の山。
そんなことしてたら、身体や精神を余計に壊してしまうだろうから、長期休暇やレジャーは、頭で妄想するだけに済ませた方がよさそうだ。



訪れた現場は、住宅地に建つフツーのアパート。
目的の部屋は一階の一室。
玄関前には、薄っすらとしたコゲ茶色の汚れが点々。
よく見ると、そのカタチは靴の跡。
一般の人だったら気にも留めない汚れだろうけど、私は、それをマジマジと注視。
それが、遺体を搬出する際に警察が残していった血の靴跡であることは、ほぼ間違いなかった。

現地調査を依頼していたのは、このアパートを管理する不動産会社。
私は、そこから「室内で事故があった」とだけしか聞いておらず。
一体、それがどのような事故なのか、室内のどこで起こったのか、それで住人がどうなったのか、まったく知らされておらず。
とにかく、部屋をみて、必要となる対策を提案するよう言われていただけ。
しかし、玄関前の足跡は、私の期待なんか無視して、室内が軽症であることを真っ向から否定。
汚染が、軽くてもミドル級以上であることは、ドアを開けずしても察することができた。

イヤな予感は的中。
玄関ドアを開けると、床は一面ワインレッド。
血で彩られた無数の足跡が重なり、肴のウロコのような紋様がビッシリ。
それだけでも充分に衝撃的な光景だったのだが、それは、まだ序章。
本当の現場は、その脇にあるユニットバスで、私は、扉を開ける前に浴室電灯のスイッチを入れた。

すると、扉の半透明アクリル板の向こうには、「赤」が映し出された。
普通の浴室なら、「白っぽい黄色」もしくは「黄色っぽい白」のはず。
しかし、ここは、「くすんだ赤」。
こうなると、浴室で何が起こったのか、浴室がどういうことになっているのか、だいたいの想像はつく。
もう、ミドル級どころか、おそらく、ヘビー級。
私は、大きく溜息をついて呼吸を落ち着かせ、浴室から視線を避けながら扉を開けた。

すると、目の前には衝撃の光景が・・・
浴槽にたまった水は真っ赤、洗い場の床も壁の下部も真っ赤・・・
それに加えて、あちらこちらに手足の跡による濃淡や紋様が・・・
所々には血塊が黒く光っており、故人に悪い言い方になるけど、まるで地獄絵図・・・
何かよくないものに囲まれたような錯覚を覚え、こういうところには慣れているはずの私の背筋にも強烈な悪寒が走り、また、何かの感情が揺さぶられたのだろう、その目には滲むものがあった。

不動産会社が伝えてきたように、「事故」と言えば事故なのかもしれない・・・
しかし、正確に言うと、「自傷行為」。
当人が亡くなったかどうかは断定できないけど、残された血は大量で、残された血痕は重症で、出血がかなりの量だったことを裏付けており、医学的知識がない私でも「これじゃ、とても生きちゃいられないだろう・・・」と思うほかなく・・・そうなると、私の思考は、不本意でも、「自殺」というところに着地するしかなかった。

部屋に残されたものから、故人の氏名・年齢が判明。
私より少し若い男性だったが、ほぼ同年代。
どんな経緯があったのだろうか・・・
重い苦悩を抱えていたのだろうか・・・
無邪気に人生を楽しめていた頃もあっただろうに・・・
精力的に生きていた頃もあっただろうに・・・
故人の生い立ちは知る由もなかったが、同年代男性の衝撃死は、私の胸に深い溜息と重苦しい鉛を投げ込んできたのだった。

現場がどんなに凄惨であろうと、作業がどんなに過酷であろうと、私は、一人でできる作業は一人でやる主義。
当然、この現場もそう。
「これをやらなきゃならないのか・・・」
「我ながら、よくやるよな・・・」
嫌悪感と恐怖感と同情心が、ゴチャゴチャに混ざり合った“トホホ・・・”な感情を抱きながら、私は、汚染具合を充分に確認して後、ひとまず現場を後にした。

それから数日後のある夜。
私は、いつものように一人で晩酌。
そんな中、何を考えていたわけでもなかったのに、ふと、この現場のことが頭に浮かんできた。
あの、凄惨な、真っ赤な光景が・・・
すると、徐々に、気持ちがグラグラと動揺。
そして、少しすると、目に涙が滲み出てきた。
酒に酔っていたせいもあるのだが、意味不明なことに、滲み出た涙は、こぼれ落ちるくらいに。
いつもの濃いハイボールを飲みすすめながら、血に染まった現場を思い出し、背中を丸めて黙々と掃除する自分の姿を想い浮かべると、泣けてきて・・・泣けて泣けて仕方がなかった。
「やりたくない」というか、「惨め」というか、何かが悲し過ぎて・・・
おそらく、故人への同情と哀れみと、自分への同情と哀れみが、酔った頭の中でグチャグチャに混ざり合って、消化できない想いが涙となって流れ出たのだろうと思う。

作業の日。
特に腹をくくってきたわけでもなく、自分を奮い立たせてきたわけでもないのに、同情心こそ残っていたものの、覚悟していた嫌悪感や恐怖心はまったく湧いてこず。
それどころか、気持ちは至って冷静。
動揺も狼狽もなく、あったのは、同士的感覚で、故人に話しかけるように、「大丈夫!すぐにきれいになる!」と、独り言を繰り返しながら黙々と作業。
“ノリ”としては、まるでライト級の現場でも片づけるかのよう。
その揺るがない感覚は、自分でも不思議なものだった。

ただ、作業自体は決して楽には進まず、なかなか難儀なものに。
汚染度は深刻かつ広範囲で、赤に囲まれた雰囲気もなかなかの圧力。
また、血塊となった部分は石のように固く、なかなか除去できず。
自分の作業によってきれいにできたところが、別の作業で汚れてしまうような始末。
自分で自分の手際の良さを褒めながら、また、自分で自分の段取りの悪さを責めながらの作業となった。

しかし、労苦の甲斐あって、あれだけ赤かった浴室は、もとのベージュ色に回復。
血生臭かったニオイも消えた。
言われなければ、ここで何が起こり、どれだけ汚れていたのかも、知れることはないくらいに。
また、頭の中で、特殊清掃のBefore・Afterを比べると、自分でやったことにも関わらず、まるで夢でも見ていたかのように思えるくらい浴室はきれいに。
その様子を見て、私は安堵。
ちょっとした達成感もあった。
ただ、その中には、故人と自分に対する妙な虚しさや悲しさもあり、再び、私の目は潤んだのだった。


平均的に考えると、私の人生は三分の二が過ぎた。
残されているのは、あと三分の一。
それも、頭も身体も衰えていくばかりの“下り坂”。
そこに、どういった夢や希望が抱けるというのか・・・
どういった夢や希望を抱くべきなのか・・・

この故人も、苦悩を抱えていたのだろう・・・
「人生に苦悩はつきもの」と頭でわかってはいても、心がそれを受け入れない。
「悩んでいるうちに人生は終わる」と頭でわかってはいても、その時間に耐えられない。
心で泣き、顔で泣き、苦悶の涙を流したこともあっただろう・・・
「死にたくはないけど、生きているのもイヤ」といった苦境に陥ったことも何度となくあったかもしれない。

人生は、思い通りにならないもの。
だから、耐え忍ぶことが必要。
そして、耐え忍ぶことは尊い。
しかし、それに潰されてしまいそうになることもある。
ただ、人には、我慢しなくていいことがある、我慢しない方がいいことがある。
また、人生には、我慢しなくていいときがある、我慢しない方がいいときがある。


人は、涙を流すことで癒されたり元気がでたりすることがあるのだそう。
ストレス多き現代社会には、「涙活」という言葉もあるくらい。
諸説・異論もあるだろうが、能動的に涙を流すことでストレスが発散できるらしい。
ただ、口に唾液があるように、鼻に鼻水があるように、目に涙があるのにも意味があるはず。
ということは、「泣く」ということは、まんざら悪いことだけではなさそうだ。

泣きたいことがたくさんある私は、現実にも、泣いてしまうが多い。
ほとんどは一人きりのときだけど、人前で声を詰まらせたり、目を潤ませたりすることも少なくない。
この歳になって、まったく、恥ずかしいかぎりなのだが、しかし、それで恥をかくのは自分だけ。
他の誰かを辱しめるわけではない。
だったら、いいじゃないか。泣いたって。だよね!?

何かが悲しくて、何かが辛くて・・・
そしてまた、何かが嬉しくて、何かがありがたくて・・・
威張れることでもなければ、自慢できることでもないけど、この泣き虫オヤジは、「人生はアッという間」「あと、もう少し」と、今日も心で泣きながら、たまに顔でも泣きながら、自分なりに必死に生きているのである。



-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社
コメント
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