特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

踏んだり蹴ったり

2008-10-29 14:00:38 | Weblog
つい先日のこと。
一仕事を終えた私は、次の現場に向かって車を走らせていた。
そこは、見通しのよい広めの二車線道路。
特に急いでいたわけでもないけど、道が空いていたこともあって制限速度は少しオーバーして走行していた。

そうして走っていると、前方に小さな交差点。
右折専用レーンはなく、道の中央に右折待機の原チャリが一台。
私側の信号は青で、歩行者用信号も点滅しておらず。
私は、自分の車が余裕で通過できると判断し、大きく減速することもなく交差点に接近。
すると、何を血迷ったか、直前まで右折ウインカーをチカチカさせて止まっていた原チャリが私が走る直進車線に進路変更。
バイクの左を通り過ぎようとしていた私の目前に、右側から飛び出してきた。

「ダメだ!」
私は、クラクションを鳴らしながら左へ急ハンドル。
車がひっくり返るくらいに急ブレーキを踏んだ。

「やっちゃった!」
私は、瞬間的にそう思った。
がしかし、私の車はバイクを避けながら、その左際を大きく湾曲して通過。
その先、交差点を過ぎた街路樹下に停止した。

「このヤロー!」
怒り心頭の私。
急いで車を降り、後ろから来るバイクの行く手を遮って停止させた。

「危ないだろ!どこ見てんだよ!」
凍り付いた心臓に、噴火寸前の頭。
普段は穏和な私なのだが、この時ばかりは鬼の形相になっていたと思う。

「ご、ごめんなさい・・・」
ヘルメットの下からでてきたのは若い女性。
自分に非があるのは充分にわかっていたようで、無条件降伏の様子。
表情を強ばらせ、平身低頭に謝ってきた。

「き、気をつけて下さいよ・・・ケガでもしたら大変だから」
自分の非を認めて素直に謝ってくる相手に怒りをぶつける訳にもいかず。
私は、続けて出かかっていた怒鳴り声を呑み込んでその場を治めた。

「まったく、もぉ・・・」
ボヤきながら車に戻ると、荷室の備品道具類は車ごとひっくり返したようにグチャグチャ。
私は、解凍し始めた心臓に普段とは違う不快な温度を感じながら荷室を片づけた。
そして、イヤな気分を払拭できないまま車を再出発させた。

そうして走っていると、何だか首の後ろがムズムズ。
始めは大して気にもしていなかったが、そのムズムズ感は次第にエスカレート。
ゴミか何かが着いているのかと思い、走る車の中で自分をルームミラーに映してみた。
すると・・・

「え!?あ゛ーっ!!」
何と!私のシャツの襟元には小指大の毛虫。
それがモゾモゾと柄の悪い身体をクネらせていた。

「うあ!うあ!うあ゛ー!」
頭の中は真っ白・パニック!
ハンドルを放すわけにもいかず、されど毛虫を首元に置いておくわけにもいかず。
微蛇行する車の中で一人大騒ぎ。
そして、高速道路の中央分離帯に車を止め、弾けるように外に飛び出した。

「何なんだよぉ・・・」
慌ててシャツを脱ぎ、毛虫を振り払う私・・・
公の道路で、裸になってシャツを振り回す男・・・
その様は、通り過ぎる人達には奇異に映っただろう。
しかし、私には、人の視線を気にする余裕はなかった。

幸い、着いていた毛虫は一匹だけで、大事には至らず。
ただ、短時間のうちに二度も心臓を凍らせた私は、その冷解凍の繰り返しに疲労困憊となってしまった。

とにもかくにも、次の仕事に向かわなければならなかった私は、荒れた気持ちを入れ替える必要があった。
そのために、ポジティブシンキングを意識。
冷やした肝に何を残すべきかを考えた。
「双方ともケガがなくてよかったこと」
「スピードの出し過ぎは危ないこと」
「周りの人は、自分の予想通りに動くわけではないこと」
「苛立ちや憤りは、他人ばかりではなく自らにも苦味を味わせること」
それらを考えていくと、おのずと気分が切り替わっていった。
ただ、毛虫については、どうポジティブに解釈すればいいものやら、考えあぐねる私だった。


「ホント、最期まで・・・」
依頼者の女性は、諦め顔でそうボヤいた。

現場となったのは、古い賃貸マンション。
そこで、中年の男性が孤独死。
そして、例によってその発見は遅れてしまい、本人も部屋は異様な変貌を遂げていた。

「かなりヒドいですよ」
女性は、申し訳なさそうに私に鍵を渡した。
私は、表情を曇らせないように気をつけながら、鍵を受け取り、マンションの入口に向かった。

「そんなでもないじゃん」
玄関を開けると、嗅ぎ慣れた腐乱臭に見慣れた腐敗液。
素人の女性には凄惨極まりない光景でも、玄人の私には見慣れた光景だった。

亡くなったのは、女性の弟。
故人には、その昔妻がいたが、その妻とも何年も前に離婚。
子供はおらず、離婚を機にこのマンションに越してきて、それからずっと一人暮らしをしていた。

仕事は、そこそこ真面目。
高収入ではなかったけど、家賃や公共料金の支払いを滞らせたり、妙な借金をつくったりすることもなく。
自分一人の食い扶持は、自分で何とかしていた。
しかし、経済的には一人前にやっていても、マンションの賃貸借契約や治療入院の保証人など、社会的責任を果たすために女性(姉)の助けが必要だった。
また、単身の男手には負いきれないことも多々あり、女性の助力が絶えることはなかった。
にも関わらず、故人は一人前のつもりで都合の悪いことには耳をかさず。
悠々自適な生活を満喫していた。
それでも、女性は、故人と疎遠になることはなく。
「姉弟助け合って生きるように」との両親の遺志と実弟なればこその情もあって、苦言を呈しながらも世話を焼き続けた。

故人の死に大きく影響したのが、長年の持病である糖尿病。
しかし、故人は無類の酒好き。
医師から止められようが女性が厳しく注意しようが、やめることはなかった。
そして、それを物語るように、部屋にはゴミ袋いっぱいの酒缶があり、テーブルの上にはインシュリンの注射器が転がっていた。

私には、インシュリンを打たないと保てない身体にもかかわらず酒を飲むことが、正気の沙汰には思えなかった。
そんな生活の末路は見えている。
病状は悪化する一方で改善するはずがないことは、故人にもわかっていたはず。
なのに、そんな愚行をやめなかった。やめられなかった・・・
が、しかし、それはサプリメントで肝臓に鞭入れながら酒を飲むことと大差ない。
そのことに気づかされて、内心で気マズイ思いをした私だった。

「でも、ご本人は好きなように生きてこられたんでしょうね」
「ホントにそうですよ!」
「それはそれでよかったんじゃないですかね」
「まぁねぇ・・・でも、最期がこれじゃぁねぇ・・・」
「・・・」
「ホント、踏んだり蹴ったりみたいな感じですよ」
女性は、悲しみも怒りも通り越したように呆れ顔。
冷たさを感じてしまうくらいに、サバサバとしていた。

「でも、いなくなったらいなくなったで、何だか寂しいものですね・・・」
「こんな人でも、子供の頃から一緒に育った弟ですから・・・」
「あと、〝この人がいてくれたからこそ・・・〟ってこともあったでしょうし・・・」
女性は、悲しそうな表情こそ見せなかったけど、小さな声でそう呟いた。
そして、薄っすらと笑顔を浮かべて見せた。
そこには、時の有限性と命の儚さ・人と人生の妙があった。
そしてまた、その呟きと微笑みの奥にある人の情愛に、何とも救われるような思いがした私だった。


〝踏んだり蹴ったり〟
人は、何故に踏まれたり蹴られたりするのだろうか。
艱難・困難・災難は、ただ我々が痛めつけられるためだけに降りかかってくるのだろうか。
その局面の最中にいるとそうとしか思えないのが人の性質だが、そうでないことを願うのもまた人の性質。
捉え方の角度を少し変えれば、踏まれることによって錬られていること、蹴られることによって喝を入れられていることに気がつく。
そうして、今ある教訓は、過去の踏蹴からもたらされたものであることを知る。
それぞれ振り返ってみると、多くの人に多くの心当たりがあるだろう。

難しいのは、やはりその最中にある時。
〝全ては時間が解決してくれる〟
〝人生晴れたり曇ったり・・・雨の日もあれば晴の日もある〟
〝朝の来ない夜はない〟
等と、理屈ではわかっていても、人はそれほど強くも賢くもない。
意識してつくったポジィティブな自分なんて長くは保てない。
だからと言って、力のなさを卑下することはない。
必要なのは、苦難に立ち向かう戦闘力ではなく苦難が過ぎ去るのを待つだけの忍耐力。
大切なのは、それによって、強く生きるための力が養われること。

踏んだり蹴ったり、嘆いてばかりじゃ枯れ行くのみ。
しかし、踏まれても蹴られても、なお実を探し続ける・・・
どうせなら、そんな生き方をしたいものだ。
誰のためでもなく、自分のために。







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すっぴん

2008-10-23 18:17:04 | Weblog
日常において、私は自分の顔に化粧をすることはない。
私と同様、大方の男性には化粧の習慣はないだろう。
しかし、最近は、〝化粧〟とまではいかなくても、それをするに近いくらいに肌をメンテナンスする男性も増えてきているよう。
そして、それを反映してか、膨大な種類の男性用化粧品が流通している。
しかし、私は興味が湧かず縁もない。

そんな私は、もう〝おにいさん〟ではなく立派な〝おじさん〟だ。
近年、そう呼ばれるには充分過ぎる風貌になり、若く見られることに若干の嬉しさを覚える年頃になってきた。
さすがに若作りしようとは思わないが、身だしなみ程度には肌をメンテナンスした方がいいのかもしれない。

男の私はそれでいいかもしれないけど、女性はなかなかそうもしていられない。
女性にとって化粧は、身だしなみでもあるようだから。
人によっては、スッピンの素顔を人前に曝すのは、裸で出歩くのと同じようなことであるらしい。
・・・私には理解しえないことだが、なかなか大変そうだ。

何はともあれ、女性にとって、若作りは永遠の課題?
躍起になって、アンチエイジングに取り組む勇姿には男顔負けの力強さがある。
まぁ、外面を飾ることによって内面にも磨きがかかれば尚良しで、そうなれば言うことはない。


「こんな顔じゃなかったのに!」
女性は、面布の下からでてきた故人の顔を見てそう言った。
その強い口調は、バラバラに散っていた皆の視線を一点に集めるほどに厳しいものだった。

故人は老婆。
私からすると、特段の損傷や変色もなく、ごく普通の遺体にしか見えず。
生体と遺体では肉の根本が異なるので、女性の言いたいことがわからないではなかったが、わざわさ目くじらを立てる程の変容ではないと思われた。

女性は、故人の娘。
生前の面影を薄くした故人に、納得がいってないことがありあり。
その思いが態度と表情に表れて、周囲の雰囲気を気マズイものに変えていた。
しかし、それが女性が抱える悲哀の表れであることがわかっていた周囲は、口を挟まずに黙っていた。

少しすると、女性は何かを思いついたように離席。
それから、化粧用品を一式持って戻ってきた。
そして、皆の視線が集まる中で臆することなく、故人の顔に化粧を始めた。
私は一抹の不安を覚えながらも、一歩下がってその様子を眺めることにした。

前記と通り、生体と死体では肉の根本が異なる。
遺体は、血色もなければ体温も低い。
筋力はなくなり、硬直がでる。
生前の顔つきと違って見えるのも自然なこと。
そんな遺体に化粧をしたところで、生前の顔が完全に戻るわけもなく・・・
仕方のないことだけど、女性はその辺のことを全く理解しておらず、その化粧は極めて不自然な仕上がりとなった。

それでも女性は諦めず。
何度も首を傾げながら、何度も化粧をやり直し。
しかし、どうやっても化粧はきれいに仕上がらず、安らかに見えていた故人の顔は、気のせいか疲労したように見えてきた。
同時に、最初は意気を上げていた女性も次第に消沈していった。

「もういいよ・・・」
シビレを切らした他の遺族が、沈黙を破って女性を制止。
女性も素直にそれに従った。

「おばあちゃんは、もともと化粧なんかしてなかったんだから、そのままの方いいよ」
遺族一同の意見はまとまり、結局、故人の顔に中途半端に塗られた化粧は落とされた。

女性はその様子を見ることもなく、離れた所に引き下がってずっと俯いて泣いていた。
女性は、故人(母親)の死をキチンと受け止めるためにも、その別れを美しい思い出にするためにも、故人の顔に化粧をしたかったのだろう。
しかし、死人の冷たさは生きた人間の温かさをもってしてもどうすることもできず、女性のささやかな願いは虚しく跳ね除けられたのだった。

故人が柩に納められる段になって、離れた所でうなだれていた女性は再び故人に近寄ってきた。
泣いてパンダになったその顔を見た遺族は、泣き顔と笑い顔を交錯。
その場に起こった人々の泣き笑いが人間らしくもあり、それに、すっぴんで眠る故人の笑顔が加わって、何とも温かいものを感じたのだった。


自分の心を素顔にすること、人の心に素顔を見ることって、簡単なことのように思えて意外と難しい。
本音だけでは渡っていけない、人の本音が見えない世の中にあり・・・
自分を守るために自分に不正直にならざるを得ないときがあり・・・
人は、自分に嘘をつくことができ・・・
人は、自分で自分を騙すことができ・・・
ある種の自己暗示や思い込ませによって、自分をごまかすことができるから。
そして、自分に対しても人に対しても、素顔を隠して生きた方が楽であったりするから。

それでも、人には、人として生きるために必要なことがある。
そう・・・〝自分に素直になる〟〝自分に正直に生きる〟こと。

もともと、人には〝自分に素直になりたい・正直に生きたい〟という願望・・・良心・良識がある。
誰に教わるでもなく、誰に押しつけられるでもなく、善行への願望や良識を守ろうとする意欲がある。
それは、自分では意識できないものかもしれないけど、人の中に自然と存在するものなのである。
しかし、同時に、人には邪悪な考えを持ったり悪い行いをしてしまう性質もある。
それによって得られる、歪んだ快楽を求めてしまう弱さがある。

〝正直〟とは、その字のごとく、悪に対しての忠実さや従順さを表すものではない。
自己中心的な思いや自分勝手な振る舞いを指すものではない。
あくまで、自分の中にある善良な意志に従うことなのである。
つまり、〝自分に正直に生きる〟とは、〝正しく生きる〟ことなのである。

では、何が正しくて何が正しくないのか、どうすることが正しくてどうすることが正しくないのか。
物事の正邪善悪なんて、そんなに簡単に分別できるのか。
・・・残念ながら、それは難しい。
何故なら、人間には、悪を喜ぶ忌まわしい性質があるから。
そしてまた、〝素直・正直〟を、浅はかな邪心をもって自己中心的な自由とすり替えるから。

自分に正直であることと自分勝手なわがままとは違う。
自分を律することと周りから制されることとは違う。
真の自由は良心にもとづく自制の上にしか成り立たない。
単なる利己主義・自己中心主義とは違うのに、それを〝正直〟と混同してしまうのだ。

しかし、まだ諦める必要はない。まだまだ人は捨てたものではない。
〝自分に正直に生きる〟〝正しく生きる〟とは、一体どういうことか・・・
それを考え・悩むことこそが、正しい道を生きようとしている証拠・・・つまり、正しく生きようとしていることそのもの・・・正しく生きていることに限りなく近いことなのである。
そして、正しく生きようとすることは誰にでもできることなのである。


私は、心の化粧を否定しているのではない。
それはそれで人が生きるために必要なものであるし、善い面もたくさんあるから。
ただ、それでも、たまには自分に素直になる時・自分に正直になる時・・・自分自身に自分の素顔を見せる時が必要であり、人生においてはそれも大切であることを伝えたいのだ。
そう・・・ちょうど、化粧直しに明け暮れた一日が終わり、就寝時には自分の顔を取り戻すように。

素の自分と対話する。
素の自分を見つめ直してみる。
そうすることによって、不安定極まりない心の行き先が安定する。
浮いたり沈んだり、右に行ったり左に行ったり、さまよう気持ちの軌道が定まる。
空費してきた過去を振り返る道程は楽ではないかもしれないけど、そうすることによって残された時間をどう自分と向き合うか、どう生きるかの道筋が何となくでも見えてくる。

・・・では、〝すっぴんの自分〟は、何のため?
何の意味がある?
それは、今を、確実に生きるために必要なもの。
そして、命を・人生を・自分を喜ぶことのできる、大きな意味があるのである。





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隙間風

2008-10-17 09:23:16 | Weblog
「さむ・・・あの時はまだ暑かったのに・・・もう、そんな季節になったんだな・・・」
四方を無機質のコンクリートに囲まれた部屋で、私は思わず首を竦めた。
わずかに開いていた窓の隙間から、晩秋の寒風が吹き込んでいたのだった。

話は、二ヶ月ほど遡る・・・
残暑も和らいできた初秋の頃、とある賃貸マンションで一人の若者が自殺した。

「またかよぉ・・・」
その時、複数の自殺現場を抱えていた私は、その死因を聞いてもさして驚きもせず、それよりも少々ウンザリ気味。
本来なら非日常的なことが私にとっては日常的なことになっており、私の神経は、明らかに麻痺しつつあった。

「こりゃ、相当なことになってそうだな・・・」
玄関前の共有廊下には、例の悪臭がプンプン。
そこは、それぞれの玄関ドアが廊下の両側に並ぶ構造で、その通気性の悪さが悪臭の濃度を上げていた。

「これじゃ、我慢のしようがないな・・・」
自宅の玄関先がこれほどにニオってたんでは、同じ階の住人もたまったものではないはず。
不動産会社に多くの苦情が寄せられていることにも頷けた。

「うぇ・・・」
玄関を開けてミニキッチンを横切ると、目の前には衝撃の光景・・・
1Rのフローリングを埋め尽くすかのように、おびただしい量の腐敗粘土と腐敗液が拡散。
死亡推定日と目の前の甚大な汚染が私の頭ではリンクせず、現実を理解するのに数分の時間を要した。

「これか・・・」
腐敗液の紋様は、故人が部屋隅に置かれたステンレスラックに自身を委ねたことを示唆。
その下の腐敗粘土は、疲労感を覚えるくらいに盛り上がり、無数のウジが掬っていた。


元来、情報伝達に人を介すると、錯誤や誤解が生じやすい。
それが、一般の人が理解し難い腐乱死体現場の話となると尚更。
現場調査を終えた私は、その後の協議をスムーズに運ぶため、手間はかかってもそれぞれの人に直接話すことにした。

マンションのオーナーは、降りかかった災難に憤る余裕さえなくして消沈・・・
不動産管理会社の担当者は、何をどうしてよいものやら困惑・・・
遺族は、負わされる責任の大きさが見えず、不安に苛まれ・・・
そこには、三者が三様に抱える苦悩があり、故人に対して舌打ちしたくなるような感情が湧いてきた。

問題解決の突破口は、やはり特掃。
〝まずは早急な特掃が必要〟〝特掃をしないと何も進まない〟ということに。
その結果を受けて、私は、急いで作業の準備に取りかかった。

広大な汚染は、闘志の火をくすぶらせるほどの威力があり、作業手順を考える力をもねじ伏せてきた。
それでも、私は、玄関側から少しずつ腐敗汚物を除去。
両手をベタベタにし、両足をヌルヌル滑らせながら、少しずつ前進した。

一人でやる特掃は心細さもあるけど、普段はだせないパワーを発揮できる場でもある。
死んでいった人の後始末をしていると、自分が生きていること・生きようとしていることを認識させられる。
その勤しみは世の中の陰に位置し孤独なものではあるけど、剥き出しにされ生の本質が刺激されることによって、熱いものを感じさせてくれるのだ。

そんな格闘の末、腐敗汚物の除去清掃は完了。
しかし、特掃が終わったところで、問題はほんの一部が解決したに過ぎず・・・
作業の甲斐なく、それ以降、自殺腐乱死体に恐れをなしたマンションの住人は続々と退去していった。
しかし、オーナーにも不動産会社にも、出て行こうとする住人を引き留める術はなく、ただ成り行きに任せるしかなかった。

最終的に、その部屋の内装は全解体することに。
物理的な原状回復をするには、そこまで壊す必要もなかったのだが、それがオーナーの強い要望。
「腹立たしいうえに気持ちが悪いので、故人が使ってたモノは全て廃棄したい!」
「できることなら、マンションごと取り壊したいぐらいだ!」
と、故人に対する憤りと嫌悪を露わにした。

コンクリートの箱になった部屋には、故人が垂らした腐敗液が残留。
その赤黒いシミは、弱った人々に追い討ちをかけようとするかのごとく、悪臭を放ち続けていた。

「少なくとも一年間はそのまま放置して、ほとぼりが冷めるのを待つつもりです」
「それでも、地域の風評から逃れられる自信はありませんけど・・・」
「窓は少し開けておいて下さい・・・部屋にまだイヤなものが残ってるような気がしてならないので・・・」
オーナーは、そう言って苦悶の表情を浮かべた。
また、その空間が再び生きた人の温度を取り戻すことができるかどうか、私にも想像することはできなかった。
そして、私は、全ての窓にわずかな隙間を開け、一~二ヶ月後に残臭調査に来る旨を伝えて、部屋を後にしたのだった。


発展途上国や貧しい国・地域には、〝自らが命を絶つ〟・・・〝自殺〟の概念は薄いという。
それが事実だとすると、その理由に興味を覚える。
余裕のない生活環境で、生きることを何よりも大切にし、生きることに必死のあまり、自分で自分の命を絶つなんて余計な概念を持つ〝余裕〟がないのか・・・
それとも、自死を否定する価値観が浸透し、それを支える哲学・思想が人々の心に根付いているのか・・・

一方、豊かな我が国。
多くの人が、毎日至るところで自らの命を絶っている。
これは、前述の人達から見ると、摩訶不思議な現象に映るに違いない。

個々の要因はあるにせよ、何故にここまでのことになっているのだろうか。
この豊かさが、人の生存本能を麻痺させているのか・・・
力まなくても生きていける環境が、我がままな生きにくさを生み出しているのか・・・
生きることに対する中途半端な余裕が、心に隙間を生んでいるのか・・・

偏った豊かさの陰にある満たされない想い・・・
そんな心の隙間に、乾いた冷風が吹き込んでくる。
それを防ぐため、人は、心の隙間を埋めようともがく。
心の隙間を埋めることができそうなものを、次から次へと手当たり次第に求める。
しかし、真に心が満たされることはない・・・
そうして、生きることに疲れ、生きることを諦める。


自分の命は、自分のものか・・・
自分のものなら、落としたときにまた拾えるはず。
自分の努力で、命を延ばすこともできるはず。
しかし、できない。
・・・やはり、自分のものではないのだろう。

自殺は、自分のものではない命を殺すこと・・・人を殺すことと同じ、一種の殺人・・・嫌悪されて然るべきものである。
ならば、何故、人は人を殺してはいけないのだろうか。
この問いに、明確かつ的確に応えられる人は少ない。

「人は何のために生きるのか」
「人は何のために生きなければならないのか」
少なからずの人が、一度や二度はそんなことを考えたことがあるだろう。
しかし、人の命を殺してはいけないその訳を考えたことがある人は少ないのではないだろうか。
「命は大切!・・・だけど、その訳がわからない・その理由を知らない」
大方の人がそうではないだろうか。
そんな人々が屯する現代社会で自殺者が減らないのは、自然のなりゆきなのではないか・・・
また、命の本質を見失っているこの世の中が、自殺をくい止める理由を持てないのもまた然るべきことなのかもしれない。

それを裏付けるかのように、あっちに行っても、こっちに来ても、右を向いても左を見ても、目の前からなくなることがない。
それはまるで、土俵際に残る私の足をはらおうとするかのように、次から次ぎへと現れる。
そして、そんな現場に立つ度に、ウ○コ男は深い溜息をつく。
その溜息は、隙間だらけの心に吹き込み、弱い自身を震わせる。
そうして、一人一人の死を背負いながら、自分が求めている心の隙間を埋められるものの真偽を確かめるのである。





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開眼覚醒

2008-10-11 07:40:42 | Weblog
陽が暮れるのが目に見えて早くなってきたと同時に、朝が明けるのも遅くなってきた。
ただでさえ重い朝のツラさが、これから日に日に増してくることを考えると、一層気が重くなる。

元来、私は、朝に弱くはなく、寝起きも悪くない。
しかし、重度?の不眠症。
夜中に何度も寝返りをうち、何度となく目を覚ます。
時には、眠りながら考え事をしてしまうような始末。
熟睡できていないのが、自分でもわかる。

そんな状態も今に始まったことではないので仕方ないものと諦めてはいるけど、過去には策を講じたこともある。
いつかのブログにも書いたと思うけど・・・
睡眠導入装置なる機械を使っていたこともあるし、心療内科にかかって眠剤を処方してもらったこともある。
また、寝酒やサプリメントを飲んだり、枕を変えたり靴下を履いたり、色々と試行錯誤・・・
しかし、どれもこれも、決定的な改善をもたらすことはなかった。
だから、今は〝これ〟といったことはやっておらず、ひたすら、早く就寝するように努めているだけ。

そんな私だから、同年代の男性に比べると就寝時刻は圧倒的に早い(と思う)。
夜中零時を超えるまで起きているのは、外で飲んでいるときか大晦日ぐらい・・・一年を通しても両手で数えられる程度。
何もなければ10時台には布団に入り、11時台には就寝する。

だからと言って、朝の起床は特段に早いというわけではない。
首都圏で働くビジネスマンと比べても平均的な時刻だと思う。
早く寝て普通に起きているわけで・・・結果的に、私の睡眠時間は長いということになる。
なのに、慢性的な睡眠不足感が抜けない・・・
とにかく眠りが浅くてどうしようもないのだ。


仕事柄、仕方のないことだから不満は覚えないけど、不眠症の一因として夜中の電話がある。
とりわけ、人の死にまつわる依頼だと、眠気も一気に吹き飛び目が冴える。
私の中に生きる特掃魂が、目を覚ますのだ。
しかし、その逆に、的外れな依頼だと一気に力が抜ける。
依頼者には申し訳ないが、ズッコケてしまうような相談を受ける時もある。


ある日の夜中、若い女性から電話。
「ゴキブリがでたんです!すぐに来て下さい!」
「ゴキブリ!?」
「そうなんです!大変なんです!」
「何匹くらいですか?」
「一匹!」
「一匹!?ご自分で駆除できませんか?」
「できるわけないじゃないですか!」
「・・・伺うにしても、到着は○時頃になると思いますけど・・・」
「え!?どうしてそんなにかかるんですか!?」
「〝どうして?〟って言われましても・・・」
「救急車みたいに来れないんですか!?」
「さすがにそれは・・・」
「じゃぁ、いいです!!(ガチャ!)」
女性は、泣いて怒って電話を切った。
スーパーマンじゃあるまいし、〝すぐに来て!〟の〝すぐ〟にも限界がある。
女性は、110番や119番にも電話しかねない勢いだったが、無理なものは無理だった。
しかし、女性の要望に応えらなかったことが自分の落ち度のように思えて、後味の悪さだけが残り・・・その後、醒めてしまった目が簡単に閉じるはずもなく、浅い眠りに朝まで付き合わされたのだった。

また、別の日の夜中、若い男性から電話。
「虫の駆除をお願いしたいんですけど」
「はぃ・・・何の虫ですか?」
「クモです」
「クモ!?」
「ええ」
「たくさんいるんですか?」
「いえ、一匹です」
「一匹!?・・・ご自分で駆除できませんか?」
「え!?できませんよー!」
「・・・」
「もの凄くデカいんですから」
「大きくても、襲ってきたりしないはずですよ・・・」
「・・・」
「費用もかかりますので、やはりご自分でやられた方がいいと思いますよ」
「いくらかかります?」
「移動交通費と作業費だけでも○○円くらいはかかりますね」
「え!?たったのクモ一匹で?」
「はい」
「だって、時給1000円にしたって、一時間もかからないでしょ?」
「いや・・・そういう計算じゃ・・・」
「じゃぁ、いいです(ガチャ!)」
男性は、不満げに電話を切った。
クモ一匹の駆除・・・作業内容や所要時間だけみると、そう思われても仕方がなかったのかもしれないが、さすがに1000円や2000円では請け負えなかった。
しかし、男性の要望には応えられなかったことが自分の落ち度のように思えて、後味の悪さだけが残り・・・その後、醒めてしまった目が簡単に閉じるはずもなく、浅い眠りに朝まで付き合わされたのだった。


そんな生活をしている私は、日中、急な睡魔に襲われることもしばしば。
特に、それは車に乗っているときに現れる。
ガムを噛んだり苦手なコーヒーを飲んだり、音痴な歌を歌ったり身体をツネったりして抵抗するも、次第に瞼が重くなり瞬きのスピードが落ちるてくる。
そして、瞬間的に気絶してハッ!と目を覚ます。

運転中の眠気って、自分と睡魔との戦いだけでは済まされない。
居眠運転で事故でも起こそうものなら、人に大きな迷惑をかけてしまう。
単なる物損でも充分に迷惑をかけるのに、人にケガをさせたり人の命を奪ったりするようなことになってはもう取り返しがつかない。
事故を起こしてからでは遅いのだ。
そうなると、どんな事情も言い訳も通らない。
予防的な休憩・仮眠も職務のうち・・・本当に大切なものは何か・・・過ちを犯す前に目を覚まし、物事の優先順位を考え直す必要がありそうだ。

ちなみに、日中頻繁に睡魔に襲われる私でも、現場での作業中に眠くなることはない。
仮に、特掃中に眠くなるようだったら、私もやっと一人前?
・・・いや、そんな無神経な人間になっちゃ、特掃隊員失格だ。


「閉じていたはずの目が開いてる!!」
私は、遺族の驚愕ぶりと遺体の状態を思い浮かべながら現場に向かった。

現場は、閑静な住宅街に建つ一戸建。
周りにも似たような家が整然と建ち並んでおり、番地表示と表札がなければすぐに他の家と間違いそうなくらいの家並だった。

亡くなったのは老年の男性。
通夜を当日に控え、家は慌ただしい雰囲気。
家族も、故人の死を悼む余裕もなさそうに、忙しく立ち動いていた。
そして、その慌ただしさに輪をかけたのが、遺体の変容だった。

故人は、その前日の早朝に死去。
穏やかな最期で、家族はただただその死を悼んだ。
遺体は、病院から自宅に運ばれ、仏壇のある床の間に安置。
故人は、眠るような安らかな顔をしていた。

自宅に戻った故人を、多くの親類縁者や近所の人達が弔問。
懐かしい顔に故人に対するそれぞれの想いが相まって、話には自然と花が咲いた。
そして、人々の話を聞いてか聞かずか、故人は表情を変えることもなく、布団に横たわっていた。

翌日。
その朝は、家族の悲鳴で明けた。
前夜までは安らかに眠っていた故人が、朝になると覚醒。
目を開けるなずのない故人が目を開けおり、家族は騒然。
家族の驚きは恐れに変わり、哀悼すべき故人は恐れの対象になった。


故人の脇に座って面布を取ると、確かに、故人は目を開けていた。
しかし、痛いほど遺体を見てきた私が驚くほどの状態ではなく、私は故人の顔に自分の顔を近づけてマジマジと観察した。

瞼は完全に開いているわけではなく、眼球が三分の二くらい見える程度。
その眼球は白く乾いて、視線も虚ろ。
どう見ても生きている人間の目とは違っていた。

瞼が開いた一番の原因は、眼球の陥没。
人の死後、その眼球が頭の奥に向かって大きく落ちることはそんなに珍しいことではない。
この故人もそうで、眼球が奥に落ちてその表面積と瞼の面積が合わなくなり、瞼と眼球が離れて隙間ができることによって目が開いたように見えていたのだった。

遺族は、霊的な何かを心配をしているようだった。
私はそんな遺族の不安をよそに、眼球露出の原因を説明。
そして、必要な処置を遺族に了承してもらい、故人の目に細工を施した。
そうして、故人は安らかな顔を、遺族は平安な悲哀を取り戻したのだった。


目が開けていられるのも、生きているうちの特権。
やがて、自分にも朝が来ない日が来ることを想えば、それまで見えてなかったものが見えてくる。
そして、その視力が、自分が生きるべき道を見据えてくれる。

そうして後、迎える最期・・・
できることなら、私は両目をシッカリ見開いて、天空を仰ぎながら逝きたい。
澄みきった青空を、透き通った星空を仰ぎながら・・・
そして、その時、何が見えるのか・・・人生の答を見極めたいと思う。




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笑顔の素(後編)

2008-10-05 08:04:38 | Weblog
「わ゛!!」
奥の部屋のドアを開けると、私が全く予想していなかったモノが目に飛び込んできた。
なんと、そこには、幼い二人の子供がいたのだ。

「こんにちは~」
「こ、こんにちは・・・」
無邪気な笑顔で挨拶してくる二人に対して、私は、同じ言葉を返すだけで精一杯。
本来なら、大人である私の方が先に挨拶をするべきでだったのに、あまりに唐突なシチュエーションに言葉を失った。

二人は、女性の子供で姉弟のよう。
年齢的にみても、女性に子供がいても何ら不自然なことではない。
また、その子供が母親と一緒にいることも自然なこと。
なのに、〝一人暮し〟なんてことは一言も言ってない女性に対して〝ゴミ屋敷=独身独居〟と決めつけていた自分の固定観念が、私を驚かせたのだった。

しかし、そこは一流のゴミ屋敷。
その環境が、教育上も衛生上もいいわけはない。
それでも、無邪気な笑顔をみせている二人の子供。
その可愛らしさとゴミだらけの背景にギャップがあり過ぎて、私は複雑極まりない心境に陥った。

私は、子供達に威圧感を与えないよう、それまでの無表情を笑顔に変えて部屋の見分を進行。
元来の無愛想がそんなことでごまかせる訳もないのだが、私は似合いもしない〝優しいおじさんキャラ〟を熱演。
そして、そんな挙動が怪しく見えたのか、女性は不安そうに私を眺めていた。

広くない室内を見分するのに時間はかからず。
私は、早速、片付作業の見積書を制作。
特段の値引もない代わりに割増もなく、一般?のゴミ屋敷と同じ基準で値付け。
それから、必要な作業内容とそれに伴う費用を説明。
頂く側には安価でも払う側には高値であるのが商売の常・・・かかる金額を聞いた女性は、暗い表情を更に曇らせた。
そして、ポツリポツリと自分の苦境を話し始めた。

女性は、精神的な病を疾患。
比較的調子のいいときは派遣労働者として生活の糧を得、日常は生活保護を受給して維持。
死別か離婚か、元々のシングルマザーかまでは尋ねなかったが、どう見ても母子家庭。
その暮らしが、精神的にも肉体的にも経済的にも楽ではないことは歴然。
そんな女性に、蓄えらしい蓄えがあるわけもなく、私が提示する金額はとても負担できない様子。
それでも、部屋をきれいにしたいという気持ちは強いようだった。

我々は、いい解決策を探して思案。
少しずつ話を詰めていくと、女性は〝頭金0で低額の長期分割なら払える〟とのこと。
しかし、それは、信販会社を通すわけでもなく、保証人や担保があるわけでもない。
また、醸し出す雰囲気からは積極的な支払意思や責任感は感じ取れず。
その状態では、満額はおろか一円も回収できない可能性だって充分にある。
それは、私にとって、かなりリスキーな条件だった。

通常、私の仕事では、そんな支払方法はまず認められない。
冷酷だろうが無情だろうが、こんなケースはキッパリと断って仕事を辞退するところ。
しかし、女性の傍らにいる子供の笑顔が懐に入ってきて、私の仕事観を揺さぶってきた。
そして、本来なら悩むところではないところで頭を抱えた。


作業の日。
私は、代金回収のことは考えないようにして作業に臨んだ。
ゴミを片付けることが物珍しいのか、終始、二人の子供は私の近くから離れず。
私のやることにいちいち質問。
その無邪気な好奇心もまた愛らしく、邪気だらけで黒くなった自分の腹が掃除されているようでもあった。

一通りの不要品・ゴミを部屋から出すと、それなりにきれいになった。
ただ、掃除は充分に必要なレベル。
掃除までは請け負ってなかったけど、簡単な掃除だけやることに。
女性も、それを手伝おうとする素振りを見せたので、私は遠慮なく掃除道具を渡した。
以降は女性が自身でやらなければならないことなので、私は、それを教えるように作業をすすめた。

結果、限られた時間と労力でやることなので、ピカピカにきれいにすることはできなかったが、当初に比べれば見違えるようにきれいになった。
それはもう、誰が見ても〝土禁〟の部屋。
そうして仕事は完了。
私は、余った洗剤や掃除道具を置土産にして現場を後にした。

私は、外まで見送りに出てくれた三人をバックミラーに見ながら車を出した。
二人の子供は、満面の笑顔で元気に手を振ってくれた。
その姿には、大きく癒された。
ただ、女性の顔に笑みはなく、私の中に重い不安が過ぎったのだった。


その翌月末日。
第一回目の支払期日がきたが・・・
案の定、願いも虚しく、女性からの入金はなかった。
そればかりか、電話をかけてもでず。
私は、奥歯を噛みしめて溜息をつくしかなく・・・
その内は、悔しさや腹立たしさはなく、ただただ残念な気持ちでいっぱいに。
金が支払われなかったことだけではなく、何の連絡もなく約束を反故にする女性の不誠実さが残念であった。


女性に始めから騙すつもりがあったのかどうか知る由もないが、積極的な意思で嘘をついたとも思えなかった。
ただ、払えないであろうことは既にわかっていたのではないかと思う。
私は、そのことがわかっていながらもこの仕事を請け負ったわけで・・・自業自得でもあった。


作業から二ヶ月余後。
私は、別の仕事で女性宅のある街の近くに行く機会を得た。
そこで、夜ではあったが訪問するに無礼な時刻でもなかったので、私はアパートに行ってみることに。
子供の笑顔に癒されながら作業したことを昨日のように思い出しながら、アパートの前に車を着けた。

私は、少し緊張して玄関の前に立った。
部屋の窓は真っ暗、中に明かりらしい明かりは見受けられず。
インターフォンを押しても音は鳴らず、ドアをノックしても反応はなし。
配線が外された電気メーターが、女性が居留守をつかっているわけではないことを証明し、また、台所の窓に映る洗剤ボトルの影が、女性が正規に転居したわけではないことを物語っていた。

また、ドアポストには、何通かの郵便物。
勝手に触れるわけにもいかないので、顔を近づけて注視。
それらは、大半が督促状や通告書の類だった。

万事休す・・・
私は、投げやりな溜め息をついて呆然。
未練でもなく、後悔でもなく、憤りでもなく・・・ひたすらブルーな気分に襲われた。
そして、その時点で、私は女性と接触することを断念。
それ以降、女性から連絡が入ることはなく、私から連絡をとろうと試みることもなくなった。


私は、完全にタダ働きをさせられた・・・
無駄骨を折らされた・・・
毅然と断るべきだったか・・・
経費と時間と労力をつかっただけで、金は一円も入らず・・・
金勘定だけでみると大損を被った。
しかし、私は、女性を信用してこの仕事を引き受けたわけではなかった。
期待はすれど信用はしていなかった。

では、何故、やることにしたのだろうか・・・
やはり、子供の存在は大きかった。
同情と言えば同情、慈愛と言えば慈愛・・・
もちろん、代金回収も期待したが、結局は、子供達の苦境を目の当たりにして断る勇気が持てなかったのだ。
それによって、自分の中に延々とブルーな気分が残るのを恐れたのだ。
・・・それは、慈愛ではなく自愛。
ただ、汚部屋を片付けることが、女性親子の暮らしを明るい方向へ変えるきっかけになることを願ったことも事実であった。
その小さな想いが、後になってみると、私の笑顔の素になるのだった。


今、あの親子はどこでどうしているだろう・・・
子供の笑顔は、真っ暗な大人の世界に輝く小さな光。
どんな苦境にあっても、でてくる笑顔は偽りではない・・・本物である。
私に笑顔の素をくれた二人の子供に、ずっと変わらずに無垢な笑顔があり続けることを願う今日この頃である。




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