特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

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2016-04-20 09:16:33 | 特殊清掃
その日、私は東京から離れたところにある とある会社の工場にいた。
用向きは、特殊清掃の事前調査。
そこで、作業員の一人が機械設備に巻き込まれて死亡。
血まみれとなった機械設備を清掃するための調査だった。

最初は、電話での問い合わせだった。
しかし、その機械設備について素人である当方が言葉で把握できることは少ない。
結果、具体的な現場の状況が想像できず。
更には、仕事として請け負えるものかどうかも判断できず。
とにかく、現場を見ずしては どうにも話を進めることができず、結局、現地調査に出向くことに。
ただ、場所は遠方で、かかる時間も交通費もバカにならない。
私は、普段は無料で行っている現地調査を今回は有料とし、更に、当方から辞退する可能性も充分にあることを承諾してもらい、現地調査の日時を約した。

訪れた現場は、ある製品の原材料をつくる大きな工場で、同じ形態の機械が整然と並んでいた。
機械は、原材料の攪拌プレスを目的とするもので、一基に一人の作業員が従事する仕様。
事故が起こったのは、その中の一基。
その傍らには白布が掛けられた台が置かれ、その上には仏具と花や飲料が供えられており、日常の悲しみとは趣を異にした不吉な雰囲気が漂っていた。

亡くなったのは私と同年代の男性で、熟練のベテラン社員。
故人のプライベートに深入りし過ぎると気が重くなりそうだったから、妻子があるのかどうか等、それ以上のことはあえて訊かず。
私は、事が起こった経緯に話題を絞って、工場の責任者の説明に耳を傾けた。

事故は、終業時の機械清掃の際に発生。
この工場の機械は、一日の作業を終えると、翌日に備えて機械を清掃メンテする必要があった。
その際は、機械が動かないよう、手元スイッチはもちろん、離れたところにある動力源も切り、更に安全バーを掛けることが規則になっていた。
しかし、動力源のスイッチがあるのは、長いハシゴの先。
清掃は試運転を行いながらやらなければならず、それを切ったり入れたりするのは結構な手間がかかる。
それが面倒だった故人は、動力源を切らないまま、手元スイッチと安全バーだけを使って清掃することを常にしていた。
そして、その日・・・
いつも通りの清掃メンテナンス作業をしていた故人は、誤って作動させてしまった機械に押し潰されてしまった。
故人の規則違反と慣れと油断によって、結果的に、取り返しのつかない事態が起きたのだった。

警察や労働局の調査は終わり、清掃の許可は降りていた。
供養式(御祓い)も施行済み。
(ちなみに、個人的には、こういう類のことは無要だと考えている。)
しかし、肝心の清掃消毒が手つかず。
責任者は、色々な業者に問い合わせしてみたが色好い返事をする者はなし。
もちろん、責任者を含め、社内の人間でそれを買って出る者もおらず。
しかし、できるだけ早く機械を再稼動させないと会社の損害は膨らむばかり。
頭を抱えた責任者は、藁にもすがるような思いで当方に連絡してきたのだった。

問題の機械設備は、血だらけ・血まみれ・・・まったく酷い有様。
薄っすら汚れている部分もあれば、濃く飛び散った部分もあれば、分厚い血塊を形成している部分もあり、汚染は複雑かつ広範囲。
また、機械の下部には、血まみれの帽子や手袋が放置されたまま。
機械ごと交換したほうがいいんじゃないかと思われるくらい凄惨な光景だったが、この機械設備は相当なもので、莫大な費用と時間がかかるのは、この分野に見識のない私でも容易に察することができた。

私が提示した金額は安くはなかった。
工場側の足元をみたつもりは毛頭なかったが、作業の難易度と危険度、そして気の重さを考えると、安価で引き受ける気にはなれなかった。
あと、“断られてもいい・・・”“断ってほしい・・・”という考えも、頭のどこかにあった。
しかし、
「料金はそれで構いません・・・誰かにやってもらわなければなりませんから・・・」
と、責任者は、料金と作業内容をすんなり承諾し、
「作業は、いつできます? なるべく早くお願いしたいんですけど・・・」
と、心の準備を整える時間が欲しかった私にプレシャーをかけてきた。

その日の夕刻、私は、臆病風に吹かれながら会社に戻った。
安請け合いしたつもりはなかったのだが、とりあえず請け負った特殊清掃がきちんとやれるかどうか、また、安全にやれるかどうかに不安を覚えたのだ。
事務所にいた同僚に現場の状況を話すと、
「その仕事、今からでも断ったほうがいいんじゃないの?」
と、“自分だったらやらない”といった表情を浮かべて心配してくれた。
しかし、かなり気が重かったことは確かだけど、私は、“断ろう”とは思わず。
責任感とか使命感とかじゃなく、また男気とか意地とかでもなく、過去の人生において、イヤなことから逃げに逃げて散々な目に遭ってきた私は、逃げることに対する恐怖感みたいなものがあったのだ。


何日か後、私は、重い気分を持ち上げて、再び工場に向かった。
前日から重かった気分は、当日の朝には一層重くなっていた。
それでも、契約を交わした以上、責任は果たさなくてはならない。
「夕方には気分は軽くなっている」
「ほんの何時間かの辛抱だ」
そう自分に言いきかせながら、同時に、
「生きて帰れなかったりして・・・」
と、冗談半分・本気半分で思った。
そして、仮にそうなったとしても、それが自然の摂理、自分の“定め”なのだろうと、覚悟や悟りよりも低いところで自分を納得させようとした。

工場に着いた私を責任者はVIP客でも来たかのようの歓迎してくれ、そこまで気を使ってもらう必要はないのに応接に通しお茶をだしてくれた。
そして、
「動力源も完全に落としてありますし、安全バーも新品にして固定してありますから大丈夫です!」
「あと、ちゃんと御祓いもしてありますから!」
と、完全が確保されていることを強調。
ただ、私にとっては、“御祓い”がしてあるかどうかなんてどうでもいいこと。
また、残念ながら、人間にミスはつきもの。
だから、私に安心感は湧いてこず、気分を落ち着かせることもできず。
私は、気持ち悪いものをブスブスと心の中にくすぶらせながら機械が誤作動しないことに念を押すのみだった。

その特掃作業が困難を極めたことは言うまでもない。
自殺や事件があった部屋の後始末は何度となくやってきたが、血痕清掃って、もともと手間がかかる。
ゴマ粒程度の血塊でも、それが水分を含んだら一筋の血流になり、ウエス(雑巾類)が汚れなくなるまできれいにするには、同じところを何度も何度も拭く必要がある。
また、血塊は洗剤をかけたくらいでは溶けず、血痕の厚みによっては、スクレイパー(金属ヘラ)で削らないと取れないこともある。
しかも、そこは、部屋ではなく勝手がわからない機械内部。
思うように身動きがとれない状況で四苦八苦、作業着も血だらけに。
時には、故人が亡くなったときと同じ姿勢になって狭い機械内に上半身を入れるハメにもなり、緊張の連続。
私は、手を変え道具を変え、休業無人で薄暗い工場で、ただ一人、恐怖心を拭えないまま、ただ血痕だけを拭った。
そうして、自分の身体に血痕を移し換えるようにしながら、少しずつ故人の死痕を消していった。

事故が起こった日、故人は、いつも通り起床し、いつも通り出勤し、いつも通り働き、いつも通り仕事を終えたはず・・・
“生きて帰れない”なんて、まったく思っていなかったはず・・・
しかし、突然、その命は失われてしまった・・・
そんな物思いにふけながら作業する私の心持ちは、悲しさもなく寂しさもなく、ただ静かに佇むばかりだった。

陽が傾きかけた頃、作業は何とか完了。
疲れた身体と精神を休めつつ、私は、工場の休憩室で、汗でふやけた手と血が飛び散った顔を洗わせてもらい、ワインレッドに染まった作業服を着替えさせてもらった。
そして、差し入れてもらった缶コーヒーを空け、その苦香で深呼吸。
元来、私は、コーヒーが嫌いなのだが、腹にたまったものはそれよりはるかに苦く、その苦味は甘ささえ感じさせるものだった。

帰り際、責任者は清塩を持ってきて、私にふってくれようとした。
しかし、私は、心づかいに感謝しつつ、それを断った。
そんなこと、まったく気にしないし、気にしていたら仕事にならないから。
また、亡くなった人に失礼なような気もするから。
そのことを話すと、責任者はちょっと気マズそうにしながらも理解を示し、笑って礼を言ってくれた。
そして、何度も頭を下げながら、遠ざかる私の車を見送ってくれた。


事件・事故・災害・紛争・病・・・
人の命が失われたニュースは、毎日、途切れることがない。
生きたくなくても生きなければならない人がいる中で、生きたくても生きられない人がいる。
先日来の九州地震もそう。
その日が人生最後の日になるなんてことは誰も思っていなかったはずなのに、多くの命が失われてしまった。

“死”というものは、いつ訪れてもおかしくないもの。
人は、不確かな毎日の上に保証のない予定を立てて生きている。
私くらいの年齢だと、うまく生きられたとしても、あと20~30年のものだろう。
これを“長い”とみるか“短い”とみるかは人それぞれだろうけど、“限り”があることに違いはない。
不本意でも心の準備ができていなくても、その中のある日が、いきなり最期の日になる可能性は充分にある。
ひょっとしたら、今日が、最期の日になるかもしれない。

そう・・・“死”というものは、元来、生のド真ん中にあるもの。
だからと言って、“死”を頭のド真ん中に置いて生きる必要はないと思うけど、頭の隅には常に置いておいたほうがいいと思う。
そして、たまにはそれを強く意識したほうがいいと思う。
今を大切にするため、未来を大切に考えるために。

私は、明日をも知れぬ儚い命に人生を懸けざるを得ない人間の弱さに悲しみを覚えたと同時に、明日をも知れぬ儚い命に人生を懸けることができる人間の強さに喜びも覚えた。
そして、やがて来る“最期の時”が教えてくれる“今”の愛おしさを噛みしめながら心を燐と立たせ、現場を後にしたのであった。


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隙間風

2016-04-15 07:02:28 | 特殊清掃

「取り壊す予定のアパートに白骨死体があった」
ある年の初冬、不動産会社から特殊清掃の依頼が入った。
“人の死”に慣れてしまっている私は、寒風吹く曇空の下、事務的に支度を整えて現場に向かった。

現場は木造二階建、“超”がつくほどの老朽アパート。
最後の住人が出て行ってから数年がたち、それからは、誰の手が入ることもなく放置。
雨風に晒されるまま朽ちていき、不気味な様相を呈していた。

そこは都会の一等地。
周辺には住宅やマンションが建ち並び、ハイソな雰囲気が漂っていた。
しかし、そのアパートだけは時代を異にし、周囲の景観を不自然なものにしていた。

遺体を発見したのは、アパートの解体業者。
マンションの建替計画を進めるため、解体調査に入ったときのこと。
妙な異臭がすることを怪訝に思いながら一室ずつ検分し、そして、二階の一室で遺体を発見したのだった。

空家にホームレスが入りこんで生活し、そこで孤独死するケースはそんなに珍しいことではない。
私も、その跡片付けをしたことが何度かあった。
だから、その現場で起こったことも、私にとってそんなに珍事ではなく、私は、乾いた感情をぶら下げて、錆びてボロボロの鉄階段を昇った。

玄関に鍵はかかっておらず。
私は、艶のなくなったノブに手をかけ、軋み音を発するドアをゆっくり引いた。
すると、目の前には、異臭と共に、先の見えない暗闇が現れた。

雨戸が閉められていたため、室内は真っ暗。
所々の隙間から光が差し込んではいたけど、外も曇で陽も弱い。
私は、懐中電灯をポケットから取り出し、スイッチを入れた。

暗闇に気持ち悪さを覚えた私は、玄関ドアが自然に閉まらないよう固定してから奥へと前進。
室内は雨漏りがしていたらしく、天井の一部は剥がれ落ち、畳も腐り、床は抜けそうなくらい軟弱。
そして、部屋には、どこからともなく冷たい隙間風が吹き込んでおり、遺体痕を見る前から私の体温と心温を下げた。

間取りは2DK。
私は、懐中電灯の光を四方八方に回しながら、ゆっくり前進。
年数が経っているわりには異臭濃度は高く、甘く考えて専用マスクを持ってこなかった私の鼻を容赦なく突いてきた。

遺体痕は、奥の和室の片隅にあった。
懐中電灯の光が照らし出したそれは、既にクズ状。
腐敗液・腐敗脂・腐敗粘土をはじめ、頭髪や爪などが残留するのが一般的なのだが(腐乱死体現場を“一般的”と言うのもおかしいけど・・・)、ここの遺体痕は数年が経過しており、元肉体のほとんどが乾燥したクズ状態になっていた。

足元に注意しながら遺体痕の傍に進むと、何かが私の頭に当った。
ドキッとした私が視線を上げると、目の前には一本の電気コード。
天井裏の梁からブラ下ったそれが、私にぶつかった反動で、生き物のようにブラブラと揺れていた。

よく見ると、それは、先端が結ばれて小さな輪がつくられていた。
しかも、そこには、見覚えのある汚れが付着。
似たような光景を何度も見てきた私には、それが“何”であるか、すぐにわかった。

どうみても、それは、首を吊るのに使ったもの。
故人は、自然死ではなく縊死・・・
故人の氏名・年齢・性別はもちろん、死因も知らされていなかった私は、一瞬たじろいだ。

不動産会社が、そのことを知らないわけはなかった。
そして、そのことを私に言わなかったのも意図的だと思われた。
ただ、私は、そのことに引っかかりはしなかった。

それは、私への嫌がらせや酷い悪意からきたものではなく、自殺の事実を嫌悪する気持ちが強いことからきたものだと思ったから。
また、自殺の事実を知ったことくらいでオタオタするほど、特掃隊長の心はあたたかくなかったから。
そして、「それが人間・・・」といった冷めた想いが湧いてきたから。

「自死に対して、嫌悪感や恐怖感みたいなものはまったく感じない」と言えばウソになるけど、実際ほとんど感じない(ある意味、死んだ人間より生きてる人間のほうがよっぽど恐い)。
“祟られる”とか“憑依される”とか、そんな恐怖心もない。
冷酷なのか無慈悲なのか、それとも“慣れ”なのか、この時の私の心は微動したのみで、乾いた溜息をついただけだった。

部屋に生活感はなく、故人の遺留物もなし。
残されたコードと遺体痕だけでは、故人の素性はもちろん、年齢も性別も不明。
当然、自死理由も知れるはずはなかった。

仕事か、金か、健康問題か、人間関係か、プライドか、疲労感か、虚無感か、怠け心か・・・
残念ながら、実際、この世に生きるのがイヤになると思われる理由は、その辺にゴロゴロ転がっている。
私は、その辺のところに想いを巡らせながら、また一つ溜息をついた。

故人は、最期の何日か、何週間か、何ヶ月か、ここで生活したのだろうか・・・
それとも、死に場所を探して入り込み、即座に決行したのだろうか・・・
どちらにしろ、故人は、自分に意思でこのボロアパートを最期の場所に決めたはずだった。

できるだけ人に迷惑を掛けないで済みそうなところを選んだのか・・・
一人静かになれそうなところを選んだのか・・・
その存在が消えた事実に誰も気づかないまま、歳月だけが流れていった。

故人の生い立ちや、最期を迎える気持ちを想像する必要はどこにもないのに、凄惨な場所に一人たたずむ私の頭には、そのことがグルグルと巡った。
そして、そっちに気が引っ張られ、そっちに気持ちが傾いていった。
すると、何とも言えない寂しさが心の内に込み上げてきて、同時に、その心は、部屋の暗闇に侵されるように暗くなっていった。


はたして、自殺者は愚か者なのだろうか・・・弱い人間なのだろうか・・・
もともと、人間は、自分がうぬぼれているほど賢くはないし、自分が信じているほど強くもない。
結局のところ、人間なんて皆、賢さや強さを持ってはいるけど、愚かで弱い生き物でもあるのであり、自殺する人が特別なのではない。

あくまで、「自殺は反対」というスタンスに立った上だけど、私は、自殺を、愚行・蛮行・非行だとは思わない。
“自殺”という死に方に虚しさや寒々しさを覚えることはあるけど、自殺者を嫌悪する感情はない。
死に方は否定するけど、その命と、その人生と、その人は否定しない。

自殺を決行する人の事情や心情を察すると、私は、単なる同情を越えた同志的感情を覚える。
もちろん、それは、“独り善がりの感傷”“その場かぎりの薄っぺらい同情心”かもしれない。
それでも、悩み多き私は、故人の一部を自分に重ね、また、自分の一部を故人に重ね、きわどいところで一対を成す生と死を真摯に直視しようと試みると同時に、このようなことが日常的に起こってしまうこの現実を深々と噛みしめながら、故人の過去と自分の未来をプラスに転じさせようと心を働かせるのである。


世の風、人の風、時の風・・・
今日は今日の風が吹き、明日には明日の風が吹く・・・
人生、生きていれば色んな風が吹く・・・

背中を押してくれる順風・追い風ばかりではない。
進路を阻む逆風・向かい風もある。
心に、冷たい隙間風が吹き込むこともある。

生きることが面倒臭くなるときがある。
生きることに疲れるときがある。
生きることがイヤになるときがある。

それでも、人は生きる。
生きる意味もわからないまま、苦悩を背負い、ただ生きるために生きる。
命は生きるために生まれ、命は生きたがるのだから、命は生かしてやらなければならない。

自分が可愛くて義を欠き、人を裏切ってしまうことはある。
自分が弱くて理を欠き、自分を裏切ってしまうこともある。
しかし、最期の最期まで、命は裏切ってはならないのである。

苦しいのに、辛いのに、悲しいのに、何故、生きなければならないのか。
その答(意味・意義・理由)が見えないからといって、“答はない”と思ってはいけない。
答がわからないからといって、悲観する必要はない。

自分という人間に、自分の人生に、自分の命に答がないのではない。
ただ、自分(人)にそれを解く力と、それを突き止める力がないだけのこと。
頭を抱えるほどの問題ではない。

そのことを謙虚にわきまえれば、答は見えなくても、それに近いものが見えてくる。
苦しみも、辛さも、悲しみも、遭って然るべきことがわかってくる。
そして、心に吹き込んでくる隙間風の冷たさにも、静涙の向こうに見える明日に向かってジッと耐えることができるようになるのである。



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春爛漫

2016-04-07 09:07:26 | 特殊清掃
春本番。
ただ、今日の東京は、あいにくの雨天。
そして、終盤に入ってきた桜花も、今日でだいぶ散ってしまうだろうか。
それでも、低温のおかげで、咲いた状態が長く続いた。
だから、日々、あちこちの現場に走り回っている私も、多くの街に咲く桜を楽しむことができた。

咲き様、散り様が、日本の文化やそこで育まれた日本人の性質にマッチしているのだろうか、日本人はホントに桜が好き。
「狂ったように咲く様が気持ち悪い」と言う知人もいるけど、大半の人は、桜をみて心湧くものがあると思う。

私も、桜を愛でる気持ちは持っている。
「またこの季節が来たんだなぁ・・・」
と、時の移ろいのはやさをしみじみ感じながら、桜を見上げる。
そして、
「こうして春を過ごせるのも、あと何回かな・・・」
と、この命と人の世の儚さに切なさを覚える。

昨年は、夜桜見物に出かけたけど、今年は行かなかった。
気分を変えるために出かけてみようかとも思ったのだが、結局、行かず。
以前に書いたけど、どうにもクサクサした気分が抜けないのだ。

その反動か、この前、久しぶりに泥酔するまで飲んだ。
“家飲み派”の私が外で飲むことは滅多にないのだが、20年来の知人に誘われたため、「たまには・・・」と思って都心の酒場に出かけたのだ。

一件目は居酒屋。
まずはビールを一杯。
次に氷ぬきのハイボールを数杯。
この辺で、だんだんと酔いが回りはじめ、その後は、相手に付き合ってあまり好きじゃないワインをボトル飲み。
酔いが回っていく中で味なんかどうでもよくなり、ボトルが空くたびに追加。
そして、結構酔ったところで、一軒目は終わった。

しかし、酔うと気持ちが大きくなるのは小心者の典型パターン。
そんな私が、それで大人しく帰るわけはなく、「たまには羽をのばしてやろう!」という気持ちもどこかにあり、馴染みの街に電車で移動し飲みなおし。
ウイスキーの水割りを・・・もう何杯飲んだか憶えていないくらい好きなように飲み続け、更に、「どこでどう飲もうが俺の自由!」とばかり、気の向くままハシゴ酒。
結果、諭吉先生は愛想をつかして次々と出て行き、残ったのは英世先生たった一人。
ケチな私に似合わず散財し、“春乱漫”の頭を置いて懐は真冬に逆戻り。
深夜の一時頃、振る袖と体力がなくなったところで御開きとなり、ようやく帰途についたのだった(その数時間後、ヒドい二日酔で仕事に行ったのは言うまでもない)。



出向いた現場は、閑静な住宅地にある賃貸マンション。
間取りは、広めの2LDK
その分、家賃は高めで、住宅ローンを組んだほうが安く済むんじゃないかと思うような金額。
しかし、生前の故人は、「財産を残してやりたい人もいないから」と、あえて賃貸暮しを選択。
“家は持ったほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

亡くなったのは50代の男性。
独身の一人暮らし。
結婚歴もなく、一番近い親族は兄弟。
いい女(ひと)の一人や二人はいたのかもしれなかったけど、「家族に縛られるのはイヤ」と、持ち込まれる縁談も断り続け、結局、結婚せず。
“家族は持ったほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

職業は“物書き”。
どこで区別するのはよくわからないけど、「フリーライター」「コピーライター」「エッセイスト」とかいう類の仕事。
若い頃から、「好きな仕事をしたい」という志向が強かった故人。
一流大学を出たのに、大企業や役所等には目もくれずフリーランスの道へ。
“固い仕事に就いたほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

死因は病死。
寝室のベッドに横になり、そのまま死去。
死後経過日数は約一ヵ月。
皮膚は茶黒に変色し、顔も、すぐに本人確認できないほど変容。
ただ、季節は晩冬。
気温も低く乾燥した季節で暖房もついていなかったことが、事を小さく治めていた。

汚染痕は寝室にあり、ベッドマットに薄っすらと残る人型が、故人の最期の姿を映し出していた。
それは、リラックスして安眠している姿。
腐乱死体痕なんて、一見すると気味悪い光景ではあるけど、そこには、ありがちな寒々しさはなく、逆に、まだ故人の体温が残っているような気さえするほどだった。

そこから感じ取れたのは、“故人は最期に苦しまなかった” “眠るように、穏やかに逝った”ということ。
もちろん、真偽は定かではないけど、最期に苦しんだかどうかは遺体痕から観ることもできる。
不自然な姿勢だったり、身体を曲げた状態だったり、身体の一部をベッドからハミ出させた状態だったりすると、苦しんだ様が読み取れるのだ。

具合が悪くなったとき、119番くらいできたかもしれないのに、それはしなかったよう。
時間的な寿命より健康寿命を重んじ・・・最期まで好きなように生きようとしたのか。
ベッドに横たわり、朦朧(もうろう)としていく意識の中で、故人は最期を覚悟したかもしれなかった。

どういった想いが頭を廻っただろうか・・・
寂しさや虚しさではなく、好きなように生きたこと、好きなように生きてこられたことへの感謝の気持ちや満足感に満たされて逝ったのではないか・・・
目の前の光景を一連の想像でソフトに受け止めた私は、何の確証もない勝手な推察であることは承知のうえで、ホッと安堵した。


部屋の各所には、故人の几帳面な性格が表れていた。
汚れがちな水廻りもきれいに掃除され、整理整頓もきちんとできていた。
また、キッチンには、男の一人暮らしとは思えないほどの調理器具や調味料が揃えられていた。
そして、缶ビール・缶チューハイ、そして、ウイスキーのボトルもたくさんあった。
銘柄こそ劣るけど、この“三点セット”と炭酸水は私の家にも常備してあるもので、似たような好みに、私は勝手に親近感をもった。

故人は、それなりの経済力を持っていた。
また、趣味も多かった。
酒の銘柄もそうだし、部屋に置いてあるモノからは、その余裕と嗜好をうかがい知ることができた。
もちろん、それは、単に、時勢が合っていただけでも運が良かっただけでもなく、仕事の能力が高かったことはもちろん、相応の努力・忍耐・挑戦、ストレス受容等の結果がもたらした実のはずだった。

人の世話になることと迷惑をかけることは違う。
我流を通すことと社会に反することは違う。
自制できないことを自由とは言わない。
そして、自分を厳しく律しないと自立した生き方を貫くことはできない。

保守的で臆病者の私は、自立して生き通したであろう故人に興味を覚えた。
そして、自分にない素質に触れてみたいとも思った。
もちろん、苦労したこともたくさんあっただろう。
それでも、できるかぎり、自分の思うがままに生きようとした姿に、私は惹かれるものがあった。


人生なんて、なかなか好きなようには生きられないもの。
多くの人が、大きな不自由の中で、小さな自由を選び取って生きている。
自分次第で、小さな自由が大きな自由になることを学びながら。

「逃避」「諦め」「保守」「弱腰」「ネガティブ思考」
私は、つまらないことを恐れ、無用なことを心配し、消極的選択でここまで生きてきた。
楽しく幸せに生きるための選択をしてきたつもりなのに、逆に、それが、それらを遠ざけてきたような気がする。
本質的な何かを考え違いしていた・・・考え違いしているのだろう・・・
そして、そんな自分に、しばしばうなだれる。

「挑戦」「冒険」「革新」「自信」「ポジティブ思考」
私は、失敗を恐れず、自分を信じ、積極的選択で生きることができる人が羨ましい。
そして、そんな生き方ができる人を尊敬する。
例え、それが、他人から“負け”に見えるような生き方でも。

「過ぎた時はどうあれ、残された人生に、小さくてもいいから、きれいな花を咲かせたいもんだな・・・・・」
散り逝く桜花を愛でながら、なかなか熱を帯びない心に春爛漫を描いている私である。


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再出発

2016-04-01 08:01:23 | 不用品

「引越しをするので、不要品の処分をお願いしたい」
依頼者は女性。
一人暮らしで、仕事の合間をぬって引越しの準備を進めているよう。
特別汚損が発生している現場でもなく、通常なら、私が出る幕ではなかったのだが、現地調査の希望時刻は女性の仕事が終わった後の夜。
しかも、仕事が忙しいらしく、結構な遅い時間。
そんな時間に動きたがるスタッフはいない。
また、同じような依頼で現地に出向くと、“実はゴミ部屋だった”なんてことも珍しくない。
人が行きたがらないところへ行き、やりたがらないことをやるのが特掃隊長。
気が向こうが気が向くまいが、そんなこと関係なく私が出向くことになり、約束の日の夜、私は女性宅に赴いた。

現場は、低層小規模の賃貸マンション。
オートロックもなく、玄関までは誰でも素通りが可能。
夜遅い時刻に女性一人の部屋を訪れるのは、ちょっと抵抗がある。
自分が頼んだこととはいえ、見ず知らずの男が部屋に入り込んでくることには、女性のほうも少なからずの不安感を覚えるはず。
私は、“マジメな人間”であることを少しでもアピールするため約束の時刻ピッタリにマンション下から女性の携帯電話を鳴らし、その上で玄関前に行きインターフォンを押した。
そして、ドアの覗き窓からこちらを見られることを意識してキリッとした顔をつくった。

女性はすぐにドアを開けてくれた。
見たところ、年齢は40歳前後か・・・
そして、
「こんな時間にスミマセン・・・お疲れ様です・・・」
と、私を労ってくれ、
「どうぞ・・・」
と、玄関内に招き入れ、スリッパをだしてくれた。

「この際、使わないモノは思い切って捨てて、身軽になろうと思いまして・・・」
引っ越す理由はわからなかったが、女性は、張り切っている様子。
自分でマンションでも買ったのか、それとも、新しい仕事への転職による転居なのか、夜遅くまで仕事をしていたことを感じさせないくらいハツラツとしていた。
そして、そんな女性の姿は、夜間仕事に消沈気味の私に気を使ってくれようとしているようにも見え、私も、その日最後の仕事を明るくこなそうと気持ちを入れ替え、笑顔を浮かべた。

新居はここより手狭らしく、荷物の量を減らす必要があった。
ただ、その“要らないモノ”は、まったく分別されておらず。
引っ越しの日が近いとみえて、ある程度の荷造はすすめられていたが、それでもまだ要るモノと要らないモノが家財生活要品の中に混在していた。
例えば・・・
本棚の中に、要る本と要らない本があり、
タンスの中に、要る服と要らない服があり、
下駄箱の中に、要る靴と要らない靴があり、
食器棚の中に、要る食器と要らない食器があり、
収納ラックの中に、要るCD・DVDと要らないCD・DVDがある。
そんな具合で、その他、押入れや収納ケースにも、必要品と不要品が混在したままだった。

“この仕事、気がすすまないなぁ・・・”
私は、そう思った。
何故なら、作業が面倒臭いものになるのは目に見えているから。
しかも、要るモノを捨ててしまったり、要らないモノを残したりしてしまうミスが起こりやすい。
つまり、“トラブルが起こる可能性が高い”ということ。
更に、汚物がからんでいないため、料金もほどほどにしか見積れない。
“作業が面倒なわりに、それに見合った料金がもらえない”となると、やる気がでないのも仕方がない。
私は、やる気のない心持ちが言動や態度にでないよう気をつけながら、契約不成立を覚悟の上で、トラブルが起こった際の責任のほとんど女性に負ってもらうかたちで打ち合わせを進めていった。

当の女性も、自分が依頼する作業がかなり面倒臭いものであることは理解していたようで、
「貴重品はあらかじめ取り避けておきますし、細かいことは言いませんから・・・」
と、少々の取捨錯誤は気にしないとのこと。
結局、“必要品・不要品の取捨錯誤及び貴重品類の滅失・損傷について、当社は一切の責任を負わない”という条項が付いた契約が成立した。

このケースのように、依頼者が女で、かつ細かな関わりが必要な作業の場合、ムサ苦しい男と一緒にやるより女同士の方がやりやすいため、女性スタッフを希望されることが多い。
しかし、女性は、
「誰でもいい(私でいい)」
という。
結果、この仕事は、私が担当することに。
“うまくいけば、この面倒な作業を他のスタッフに押しつけられるかも”
と悪知恵を働かせていた私は一時消沈。
まだ何十分とたっていないのに、この仕事を明るくこなすことにしたことを忘れて不満を覚えてしまった。
しかし、本来、仕事があること・仕事ができるのはありがたいこと。
私は、感謝すべきことを不満に思ってしまう悪いクセをすぐに反省し、また、この仕事を明るくこなすことにしたこと思い出し、気を取り直して作業の話を進めた。


作業の日・・・
覚悟していたより、作業はスムーズにすすんだ。
そして、その労働は、一次消沈したことが恥ずかしいくらい軽くすんだ。
それは、女性が、ある程度の取捨基準を伝えただけで、それ以上のことは私の判断に任せてくれ、いちいち細かいことを言わなかったから。
私は、女性の意図を汲んで、判断に小さく迷うモノはいちいち女性の確認をとらず、廃棄用のビニール袋に放り込んでいった。

家の中からは、色々な不要品がでてきた。
特に目についたのは“男モノ”。
服や靴はもちろん、細かな持ち物にも男性用のモノがたくさんあった。
“男モノは全部捨てる”ということは、あらかじめ指示されていたため、私は、それらを躊躇わずビニール袋に入れていった。

ただ、気にならないことがなくもなかった。
そこには、女性が男と一緒に暮らししているような雰囲気がなかったから。
ま、そうは言っても、男女の別れなんてどこにでもあることだし、別れのかたちが様々あるのも当然のこと。
一緒に暮していた男が、事情あって、私物を置いて出て行ったのかもしれず・・・
私は、頭に野次馬を走らせながら、作業の手を動かし続けた。

そうして、しばらく黙々と作業。
ただ、次から次へと目の前に現れる男モノを前に、何も訊かないのも不自然なような気がした私は、
「随分、男モノがありますね・・・」
と、独り言っぽくつぶやいた。
すると、女性は、
「これ、全部、彼のモノだったんです・・・」
と、それまでの明るい口調からトーンを落とし、神妙な表情で小さく溜息をついた。

“やっぱ、そうか・・・”
と、女性の言葉にあった“過去形”に確信を得た私は、
“余計なこと、訊いちゃったな・・・”
と、気マズさを覚えながら手綱をとって、頭の野次馬がこれ以上走らないようにした。

ところが、女性と“彼”の別れは、私が想像していたかたちではなかった・・・
「昨年、亡くなったんです・・・急に・・・」
女性は、言葉を落とすようにつぶやいた。

“生と死は隣り合わせ”
“人は、いつ死んでもおかしくない状況で生かされている”
なんて、普段から知った風なことを言っているクセに、若年という先入観が働いていたこの時の私の頭には“死別”というかたちがまったく用意されておらず、女性に、何も言葉を返すことができなかった。

聞けば・・・
女性は、“彼”とこのマンションで10年近く同棲。
「同棲」という言葉は女性が使ったものだが、そう言ったところをみると籍は入れてなかったよう。
いわゆる“内縁関係”“事実婚”というかたちだ。
まぁ、“籍”なんてものは、つくられた型に過ぎない。
もともとは、政を治める者の都合でつくられた支配制度。
今は、意識付けと利便性を求めた社会制度。
あとは、浮気の抑止力になるかどうかといったところか。
どちらにしろ、男女の愛とか情といったものを否定できるものではない。

そんなパートナーの“彼”・・・
ある日の朝、
「体調が優れない・・」
と言いながらも、いつも通り仕事に出かけた。
そして、いつも通り、仕事に励んだ。
ところが、その日の午後、勤務先の会社で急に倒れ、そのまま意識不明に。
そして、数日後、意識は戻らぬまま、帰らぬ人となってしまったのだった。


それから、約一年。
女性は、この部屋で、一人で暮らし続けた。
“彼”との想い出を背負い、部屋に残る“彼”のモノもほとんど始末できないまま。
女性が、深い悲しみに打ちひしがれたこと、寂しくて辛い日々を過ごしたこと、そして、なかなかそこから抜け出すことができなかったことは、聞かなくても想像できた。

そんな中、いわゆる“カープ女子”の友人が野球観戦に誘ってくれた。
しかし、女性は、野球なんてまったく興味はなく、プロのチーム数やチーム名はもちろん、ルールさえ知らず。
それでも、“気晴らし・気分転換になれば”と思い、その誘いに乗ってみた。
そして、友人ともども、真っ赤に染まるレフトスタンドに赤いユニフォームを羽織って座った。

初めて行った野球場には、目を見張るものがあった。
その広さ、その彩り、そのプレー、その演出、その歓声、その迫力・・・
何万もの人が集まって一つのことに集中するエネルギーはすさまじく、女性は、それまで体験したことがない熱気と興奮に包まれた。
そして、人々が喜怒哀楽の感情を露に、そのひと時を楽しむ姿は、日常の世界で目にする人々や自分の姿とはまったく異なりイキイキとしたもので、心躍らされるものがあった。
と同時に、その心に沸々と湧いてきた想いがあった。
それは、「残りの人生を楽しもう!」というもの。
そして、その想いは、日を追うごとに深々と心に刻まれていき、女性に再出発する勇気と希望を与えていったのだった。


あれから、しばらくの時がたった・・・
新しい生活は、女性の勇気と希望に応えてくれただろうか・・・
寂しさと悲しみを想い出に変えることができただろうか・・・
残された日々を楽しめているだろうか・・・
過ぎ行く時間のなかで、女性の顔も女性の声も遠くにかすみ、ほとんど忘れてしまった。

ただ、
「残りの人生を楽しもうと思う」
その言葉だけは、昨日のことのように思い出せる。
そして、私は、女性のそれが叶っていることを想い、また、自分のそれが叶うことを願っているのである。

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