特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

2024-10-30 04:53:18 | 遺体処置
空は夏から秋へと変わりつつある。
少しずつ過ごしやすい季節になってきた。
こんな時季は大気も不安定。
夏と秋が押相撲をしているようなものか。
あちこちで落雷が発生している。
雷にあたって亡くなる人もいるくらい。
特に、朝の雷は要注意らしい。
秋が夏を寄り切るまでは、しばらくこんな空模様が続くのだろう。

ある家で遺体処置をしていたときのこと。
遺族の中に二十歳前後の男性が二人いた。
二人は私の作業を遠巻きに、もの珍しそうに眺めながら話していた。
回りが静かな分、二人の話し声は誰にも聞こえるものだった。

「お前、仕事を探してんだろ?この仕事やったら?」
「ふざけんなよぉ、やれる訳ねぇだろ!」
「それにしても、よくやるよなぁ」
「だよなぁ」

私の仕事を奇異に思い、嫌悪した会話であることは誰にも明らかだった。
そして、私の耳にも、他の遺族にもハッキリ聞き取れていた。
私は、聞こえていないフリをして作業の手を動かし続けた。
遺族は私から視線を逸らして、それぞれが聞こえていないフリをしているようだった。

私は、誰とも目を合わさないように注意しながら、さりげなく全員の様子を伺った。
気まずそうに下を向いている人、ヒソヒソ話をしている人、ニヤニヤしながら隣の人とつつき合っている人etc、色々いた。

若い二人は、自分達の声の大きさは気にすることなく、話しに夢中になっていた。
二人は故人の孫らしく、従兄弟か兄弟のようだった。
そして、故人を取り囲む遺族の中に二人の親らしき人もいた。

遺族の誰かが、親に合図を送っていた。
さしづめ、「子供達を黙らせろ!」といったところだろう。
親は困った様子ながら、一向に子供達を制止するような行動はとらなかった。

その場は、故人の死を悼む雰囲気が消え、皆が気持ちの置き所を失ったような気まずい雰囲気が漂っていた。

こんなことには何度も遭遇している私だが、その度に色んなことを考えさせられる。
そして、時には不快に、時には悲しく、時には腹も立つ。
そして、今回の場合は残念に思った。

人が頭の中で何を考え、腹の中でどう思おうと、その人の自由だ。
ただし、言葉にして発すると意味は変わってくる。
更に、それが相手に聞こえてしまっては、もうそれは陰口ではない。
言葉が暴力になってしまうこともある。

私は、若者二人から投げられた言葉はほとんど気にならなかった。
そんなの日常茶飯事だし、自分の中にも似たような葛藤が付き纏っているから、他人のことをどうこうと言えた柄ではない。

残念な気持ちは、若者二人の陰に隠れてモジモジしている大人達の姿にあった。
言いたいことがあるのに言えない(言わない)大人達。
言うべきことを言わずして、言わなくていいことを言う大人達。

実は、礼儀・マナーと世渡りのテクニックは相関するものだったりする。
しかし、多く人がそれを相反するものとしているのではないだろうか。

この家の親子に見られたように、今の社会は、親子の縦関係が崩れているような気がする。
横関係、つまり親子が友達のような関係であることが良しとされる風潮になっているということ。

例によって個人的な自論だが、やはり親子関係はキッチリした縦関係であるべきだと思う。
親は子供に言うことをきかせるべきであり、子供は親の言うことをきくべき。
そのためには、楽しいばかりの馴れ合い関係ではなく、厳しさも備えた信頼関係が必要。

厳しくしているつもりで冷たくしてしまうこと、優しくしているつもりで甘やかしてしまうこと、そんなことをやってはいないだろうか。

こんな社会には雷が必要だと思う(自戒も込めて)。
雷親父が落とすデカいヤツね。


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2006-09-12 19:43:14
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ハイ、チーズ!

2024-10-27 08:09:30 | 特殊清掃
写真を撮る時の決まり文句、「ハイ、チーズ」。ひょっとして、今は死語?
とにかく、写真は笑顔がいい。

葬式の時に遺影(写真)を掲げる家は多い。
今や、葬式に遺影を用意するのは常識みたいになっている。
ある程度の年配者になると、自分の葬式を考える人も多く、遺影にも使えるようなきれいな顔写真を撮っておく人も少なくないように思う。

私が知る老人の一人は、毎年の正月に撮る写真を遺影にも使えるように撮影して家族に残している。
正月は毎年キチンと和装をするから、ついでに遺影用の写真も撮っておくのだ。
新年に希望を持ちながらも、自分の寿命を考えて、近いうちに来るであろう死の準備を粛々と整えておく。
こういった心構えを私も見習いたいと思う。

一般的に、遺影の写真は行楽などで普通に撮ったスナップ写真を使うことが多いようだ。
フィルム(ネガ)がなくても大丈夫だし、写真が小さくても着衣が正装でなくても問題はない。
小さく写った顔は拡大できるし、着衣は切り貼りで着せ替えることができるから。
便利な分、何だか味気ないような気もする。

学生時代の友人から食事に誘われた。
招かれた所は、高級とまではいかないが、わりと値段も高めのレストランだった。
勤務先の会社で昇進したらしく、随分と機嫌もよく饒舌だった。
その肩書がついたのは、同期の中でも早い方らしく、本当に嬉しそうだった。
大きな組織で働いたことのない私には分からない感覚だ。
こういう時は、少々おだてて祝ってやるのがマナーなのだろうから、白々しいくらいに誉め倒しておいた。

酔いもまわり、気持ちが大きくなってきた友人は、「今日は俺がおごるから遠慮するな」と、高いワインや食べ物を頼みはじめた。
安い居酒屋しか知らない私は、何がでてくるのかちょっと期待した。

ほどなくして、私達のテーブルに小さな円柱形の木箱がでてきた。
木箱には横文字が入り、全体的に濡れていた。
友人は、慣れた手つきで木箱を開けて中の白い物を取り出した。

「ハイ、チーズ!」
「おー、チーズか!」(旨そう)
「俺、ワインとチーズにはうるさいんだよ」
「食通なんだな」(おだてといてやるか)
「これは○○産の○○チーズで、すごく旨いんだよ!」
「へぇ~」(高そうだな)
「この匂い、嗅いでみろよ」
「どれどれ・・・グホッ!」(何だ?この臭いは!)
「これを臭く感じるようじゃまだまだだな」
「そうか・・・」(この臭いは・・・)
「んー、いい匂いだ」
「・・・!」(腐乱臭!)
「この匂いがたまんないんだよな!」
「た、確かに・・・たまんないな」(ホントにたまんねぇよ!)
「モグモグ・・・旨い!」
「よかったな・・・」(よく食えるなぁ)
「ん?遠慮しないでオマエも食えよ」
「ああ・・・」(食えない!)
「あれ?ひょっとして、この匂い苦手か?」
「んー・・・あまり得意じゃないな」(慣れた臭いだけど)
「そんなんじゃ、通になれねぇぞ」
「そうか・・・」(通になれなくたっていいよ)
「○○産の○○チーズはな、良質の脂肪分が高くてコクがあるんだよ」
「へぇ~」(別の物が頭に浮かんでしまう)
「それだけデリケートでな、常温に置いたままにすると溶けてくるんだよ」
「なるほど~」(分かるような気がする)
「やっぱ旨いなぁ、口に入れると溶けるよ」
「・・・口で溶けるのか・・・」(なんか凄そうだな)
「子供じゃないんだから、オマエも一つくらい食ってみろよ」
「俺はやめとくよ」(子供でもいい)
「もったいねぇな~めったに食えないのに」
「俺の脳が、食わない方がいいって指令を出してるんだよ」(一生食えなくたっていいよ)
「何?訳わかんねぇこと言うなよ」
「まぁ、鼻と胃の問題じゃなくて、脳が拒否してる訳よ」(脳、No!)
「変なヤツ・・・あー旨かった!」
「御馳走様」(あー臭かった!)
「オマエ、食ってねぇじゃん」
「脳が満腹になったよ」(コイツにも話さない方がよさそうだな)

「でも、ある意味オマエは偉いよなぁ・・・よくやってるよ、その仕事」
「全然、偉くなんかないよ」(色々あるんだよ)
「所詮は、俺の代わりなんて、会社にも社会にもゴロゴロいるんだよ」
「そんなことないだろぉ、オマエは出世頭なんだろ?」(でも、代わりはいくらでもいそうだな)
「でも、オマエの代わりができる人間なんて、そうはいないだろ?」
「だろうな・・・自分で言うのもおかしいけど」(いいこと言ってくれるじゃん)
「いくら金を積まれたって俺にはできねぇよ」
「それが普通さ」(ホントそう)
「死体が腐った臭いってスゴイんだろ?」
「まぁな・・・」(食事の場でその質問をしてくるとは、なかなかいい度胸してるな)
「例えて言うと何の臭いに似てる?」
「んー、食通はそんなこと知らない方がいいと思うな」(オマエが食ったばかりのモノだよ!)
「もったいつけないで教えろよー!」
「聞いて後悔するなよ?」(仕方ない、教えてやるか)
「しない!しない!」
「○○産の○○チーズにソックリな臭いだな」(言ってしまった)
「えっ!?・・・」
「あれ?ひょっとして、その臭い苦手か?」(苦手に決まってるか)
「ゲプッ・・・」
「オマエは食通、俺はショック通」(ハハハ)
「・・・わりー、ちょっとトイレに行ってくる」
「胃の高級チーズを粗末にするんじゃないぞ」(トイレ掃除は得意だけど、俺にやらせんなよ)

写真の話に戻る。
私は、わりと写真に写るのが好きな方だ。
そして、たいていは笑顔で写ることにしている。
たいして楽しい気分でない時でも。
知人の結婚式、新郎新婦と一緒に撮った写真で一番笑っていたのは自分だったこともあるくらい。

写真って、思い出として後から見るもの。
笑顔の自分を見ると気持ちが和むし、ちょっとは楽しい気分になる。
そして、その時また笑顔になれる。

人の笑顔っていいもんだ。
残された人生を歩くときも、来たるべき死を覚悟するときも、満面の笑顔でいたいもんだ。

何でもいいから、まず笑顔。
「ハイ、チーズ!」


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2006-09-11 18:16:42
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俺の靴、世の靴

2024-10-25 06:45:21 | 特殊清掃
身の回りには色々な靴がある。
色んな仕事に、色んな靴がある。

私は、仕事用に三種類の靴を使っている。
一つは遺体処置と遺体搬送用で、黒い革靴。
ホワイトカラーのビジネスマンが履いているような、一般的な靴だ。
もう二つは特掃用の靴だ。
安全靴タイプ(紺)とスニーカータイプ(黒)の二つ。
手袋と違って、靴は使い捨てにはしない。
たまに消臭剤やエタノールをかけたり、そして、すご~くたまに洗ったりしながら使っている。

そんな特掃靴を、私は時々可哀相に思うことがある。
察してもらえる通り、特掃靴を履いて行く先は、並の場所ではないからね。
見積の時も作業の時も、容赦なく腐敗液の上を歩く。
ウジも潰すし、ハエも踏む。
靴が腐敗粘土に埋もれてしまうことも日常茶飯事。

私は、現場に行く度に思う。
「うわぁ・・・靴がヤバイことになっちゃったなぁ」
「この現場が終わったら、この靴ともサヨナラだな」
でも、作業が終わってみると、「次の仕事を最後にしよう」と思い直す。

情を持っている訳ではないのだが、私の靴は、どんな現場でも一番先に最前線へ突入していく、頼りになる有能な隊員。
まっ先に、しかも誰よりもヒドク汚れるイヤな役回りだ。
そんな靴を簡単に捨てることはできない。
結局、そんなことの繰り返しで、汚い靴を履き続けている。
物を大切にするのはいいことだしね。

思えば、靴によって助けられていることってたくさんある。
靴が汚れてくれるお陰で私の足は汚れないで済むし、靴が痛んでくれるお陰で私の足は痛まないで済む。

承知の通り、私が遭遇する汚れはハンパじゃない。
もし、店に売られている靴に買い手を選ぶ権利があったら、どの靴も私に買われることを拒むだろう。
無理矢理にでも買っさらっていこうものなら、靴は勝手に逃げてしまうかもしれない(靴だけに、逃げ足は速そうだね)。
私に買われた靴は災難だ。

金のため自分のためとは言え、私は世の靴みたいな役割をやらせてもらっている(?)。
そうだとすると、誰よりも汚れること、誰よりも汚い目に遭うことが、靴(私)の役割と存在価値(?)。

そう考えると、私の仕事がある故に、汚れなくて済む人がいるということか。
また、痛まなくて済む人がいるということか。
だとすると、少しは気分も軽くなる。

私の記事には、自分や自分の仕事を卑下するような文が少なくない。
その自覚も持っている。
ただ、決して、自己憐憫に陥っている訳でもないし、自分を謙虚な人間だと誤解している訳でもない(と思う)。
また、謙遜な人間になろうとしているのでもなければ、自分を虐めることに快感を覚えるSM嗜好も持っていない(と思う)。
もちろん、同情や理解が欲しい訳でもない(ホントは欲しいのかな?)。

現実を書こうとすると、おのずとそうなってしまう。
私を取り巻く現実に比べれば、これでも控え目に書いているつもり。
一般の人が想像する以上の戦いが、自分の内にあり、外にあるのだ。
ま、私が置かれている現実を少しは知ってもらうことで、それを知った人が何かの実を採ることができれば幸いだと思う。

この仕事をいつまで続けることになるか分からない。
一生やることになるのか、意外に早く止めることになるのか・・・先のことは誰にも分からない。
でも、やっている限りは世の靴になれるように頑張ろうかな。
汚く汚れて、クタクタになって捨てられるまで・・・

・・・できることなら捨てないでー!!


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2006-09-10 15:33:40
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目・鼻・口

2024-10-21 09:55:19 | 遺体処置
最近でもたまに遭遇するが、私が死体業を始めた頃は口や鼻から腹水がでている遺体が多かった。

私が「腹水」と呼んでいるものを分かり易く説明すると、「胃に溜まった腐敗体液」、あるいは「胃の内容物が腐敗したもの」。
色は、黄色っぽいものから茶色っぽいものまである。
どれも臭いのだが、色が濃いほどその臭さもキツい。
特掃現場の腐乱臭とはまた違った臭さだ。

腹水が溜まっている遺体は、だいたい腹部が張って口腔から異臭がしている。
腐敗ガスが腹を膨脹させ、それが少しずつ口から漏れているのだ。
経験を積めば、すぐにそれと分かる。
そして、それが分かると未然に腹水トラブルを防ぐ死後処置が施せる。

遺体と対面する時には既に口や鼻から流れ出してていることもある。
または、流れ出てはいなくても、今にも吹き出そうな遺体もある。

腹水トラブルの一つ。
まだ経験が浅い頃は腹水の有無をよく観察せず、不用意に遺体を動かしてしまい、口から腹水を噴出させたことが何度かある。
更には、その様を目の当たりにした私も「もらいゲロ」に似た感覚でオエッ!となってしまうことも。
遺族の前でこれをやってしまうと、非常にマズイ。
遺体の口から臭いガスと茶色い液体がグシュグシュ!ブシュブシュ!と音をたてて吹き出す様を想像してもらえると分かると思うが(想像できる訳ないか)、辺りには悪臭が充満するし、遺族もビックリ!して遺体を怖がるようになってしまう。
もっとヒドイ場合は、口な鼻の中に小さなウジが這い回っている。
彼等は、口や鼻の内腔を食っているのだ(これは想像しない方がいいと思う)。

また、目から体液が流れていることもある。
これがまたいけない。
遺体が涙を流している訳でもないのに、遺族には泣いているように見えてしまうからだ。
その状況は、遺族の悲嘆に追い撃ちをかけてしまう。

私の場合、「故人が泣いている」と言って悲しむ遺族にはあえてクールな説明をする。
「あくまで、死後変化の一過程」と。
神経を弱めている人に霊的な話や精神論は禁物だし、こんなケースではそんな無責任なことを言ってはいけないと思っている。

しかし、そこで目から流れる体液を止められなければ何の意味もない。
口ばかり達者で、理屈ばかり通しても遺族の悲嘆を軽くすることはできない。
やはり、口にも勝る経験と技術が肝心。
こういった遺体のトラブルを防ぐためにも、キチンとした技術を用いた死後処置を施しておくことが大切である。

一見、可哀相な事をしているような感を受ける死後処置の作業。
自分でやっていて痛々しく思えることもある。
ただの自己弁護かもしれないが、同じ仕事をするにも故人を思いやる気持ちを持っているか否かで、死体業の価値が大きく変わってくると思っている。

一般の人には、その辺のところがなかなか理解してもらえないんだけどね。

まぁ、どんなに考えたところで、目から涙・鼻から鼻水・口から唾がだせているうちのことか。


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2006-09-09 18:38:14
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真友(後編)

2024-10-14 05:41:15 | 特殊清掃
汚染部分の解体撤去から出た廃材を片付ける私に、依頼者の男性は意外なことを質問と依頼をしてきた。

「そのゴミはどうするのですか?」
「可燃ゴミですから、焼却処分します」
「もっと別な処分方法はありませんか?」
「?・・・リサイクルはできませんし・・・廃棄物ですからねぇ・・・」
「この廃材も、○○さん(故人の名前)の身体の一部のような気がして、ゴミとして捨てるのは偲びなくて・・・」
「んー・・・あとは、遺品の類でしたら、供養処分することがありますが・・・」
「そうですか!でしたら、その供養処分をお願いします」
「え!?費用が余分にかかりますよ」
「大丈夫ですから、供養して下さい」

故人の愛用品や人形・布団、仏壇などの供養処分を依頼されることは多いが、廃材のそれを頼まれるのは極めて珍しい。
さすがに不思議に思って、そこまでやる理由を尋ねてみた。

「○○さんは強く・厳しく、まるで姉のような人でした・・そして、誰よりも優しかった」
男性は抱える事情を話し始めた。

かつて、男性は自分で商売をしていた。
景気のいい時代もあり、その頃は仕事も遊びも充実し、他人にも気前よく楽しくやっていた。
交友関係も広く、親しい友人もたくさんおり、更に色んな人が男性と仲良くなろうと近づいて来た。
故人もその時代に知り合った一人だった。

ところが、ある時から不況の闇雲が立ちこめ始め、次第に商売にも陰りが見え始めた。
同時に、経済的にも精神的にも行き詰まっていった。
そして、それに合わせるように、今までいい顔ばかり見せていた友人達も離れていった。
肩書も金も失っていく男性のもとから、友達・仲間だと思っていた人々が去ったのだ。

「世間は冷たい」
「頼れる者は自分だけ」そんなことは商売を始めた時から肝に命じて、シビアにやってきたつもりだった。
しかし、現実の厳しさはその時の覚悟を越えていた。
自分がその境遇に置かれてみて、世間の本当の冷たさを知った。
みんな、自分個人(人格)ではなく、自分の持つ肩書(社会的地位)と金(経済力)になびいていたに過ぎなかったことを痛感。

それを知って愕然とした。
人間不信に陥った。
強い虚無感に襲われた。
先のことが考えられなくなり、自殺願望にも囚われた。

しかし、故人だけは違った。
何も変わることなく、損得を抜きにして、以前と同じように付き合ってくれた。
そればかりか、金銭的にも精神的にも随分と支えになってくれた。

結局、男性は取り返しがつかなくなる一歩手前で商売をたたんだ。
その決断には勇気が要った。
それも、故人が後押ししてくれなかったら決断できなかった。
あのまま商売を続けていたら、本当に首をくくることになっていたかもしれない。

男性は故人に返しきれない恩を感じていた。
借りた金も、全額は返しきっていないようだった。
そして何よりも、故人が腐乱死体になるまでその死に気づかなかった不義理を悔やんでいた。

せめてもの罪滅ぼし・恩返しのつもりで、この腐乱現場の片付けと故人の供養を担ったらしい。

いちいち息子を伴っている理由も、その辺にあった。
息子にも、自分の弱さ、故人の強さ、世間の冷たさ、真友の温かさを教えたかったようだった。

今は亡き故人は、死んだ後も男性に大切なものを与え続けていた。

親友をたくさん持つ人は多いだろうけど、はたして、その中に真友はどれだけいるだろうか。
今の肩書と金を失っても、変わらず付き合って(助けて)くれる友はどれだけいるだろうか。

また、相手の社会的地位や経済力が変わっても、何も変わることなく付き合える(助けられる)自分であるだろうか。

幸か不幸か、私は別の面で世間の冷たさを知っている(そう言う私も世間の一人)。

そして、今の私には肩書も金もない。
その分?友達・またはそれらしき人も少なく、極めて狭い人間関係の中で生きている。
みんなが自分を守ることに精一杯、戦々恐々としている世の中で、たいした人格を持たない私には、それが合っているのだろう。


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2006-09-08 08:18:55
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真友(前編)

2024-10-13 15:37:46 | 特殊清掃
初老の男性から特掃の依頼が入った。
現場は古いマンション、トイレで腐乱していたらしい。
故人は年配の女性で身寄りがないらしく、依頼者の男性は「生前の故人に世話になった者」ということだった。

腐乱場所が風呂やトイレの場合、かなり酷い状態になっていることがほとんど。
私は、今までの経験から、相応の覚悟を持って現場に向かった。

依頼者の男性は、その息子と現場に現れた。
息子は、そこに連れて来られた意味が分からなそうにして戸惑いの表情を浮かべていた。
そして、腐乱現場にはビビっているようだった。
臆せず部屋に入る私と男性、息子はその後ろを恐る恐るついて来た。

男性との世間話から、故人は生涯独身・子供もなく、今で言う「キャリアウーマン」だったことが伺えた。
故人が女性と分かり、急に男性との関係が気になり始めた下衆な私だった。

さて、汚染場所に案内された私は驚いた。
予想していた状況とは逆で、軽い腐敗臭はするものの腐敗液・腐敗粘土の類が見当たらなかったのだ。
明らかに誰かが掃除をした後だった。

「ここで亡くなっていたんですよ」
と、男性はトイレと脱衣場を指しながら、
「でも、発見が遅れてしまって・・・」
と、後ろめたそうに言葉を濁した。

確かに、よく観察すると木部にシミや隅々に汚染痕が確認できた。
しかし、そこは私の出る幕ではないくらいに掃除されていた。

「ここは清掃されてますよね?」
「ええ」
「どなたが掃除されたんですか?」
「私です」
「!・・・よくここまできれいにされましたね」
「いえいえ・・・」
「大変だったでしょう?」
「でも、私にはやらなきゃいけない訳がありますから・・・」
「?・・・ところで、私は何をやればいいですか?」

私は、男性が掃除したと聞いて感心した。
汚染痕から想像するに、ライトな腐乱だったとは思えなかったし、その清掃作業の大変さは誰よりも分かっているので。
男性が一人で掃除している姿を思い浮かべると、ホント、頭が下がる思いだった。

男性の要望は、腐敗痕と腐敗臭を完全に消して欲しいとのことだった。
これ以上の清掃もあまり効果を期待できず、「要望に応えるには汚染箇所の解体撤去しかない」と判断、その旨を伝えた。
併せて、その費用を誰が負担するのかも確認(私にとっては大事なことなので)。
費用は全て男性が負担するとのことだった。

「清掃作業といい費用負担といい、身内でもないのにそこまで負うとは・・・」
ちょっと不思議に思った。
そして、嫌がる?息子をわざわざ連れて来ている訳も。

「何か、相応の事情があるんだろうな」
下衆の勘繰りに拍車がかかった。

数日後、汚染箇所の解体撤去を行う日。
男性は、また息子を伴って来た。

ビニールクロスを剥がしてみると、その下のベニア板には腐敗液が生々しく染み着いていた。
一時的に濃い腐敗臭が甦った。
ま、これはよくある状態。
壁も一部壊す必要があった。
隅々や細かい隙間にウジが潜んでいることがよくあるのだが、幸いここでは彼等と会うことはなかった。
汚染箇所を切り取るような作業は、特掃というより内装工事に近いものだった。

作業も終盤、悪臭のする廃材を片付ける私に、男性が意外なことを言ってきた。

つづく


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2006-09-07 08:38:29
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