特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

今の俺 俺の今

2021-08-13 08:36:37 | 腐乱死体
無理矢理に開催されたオリンピックも、先日、“やっと”終わった。
“やっと”という言葉を使ってしまうのは、「早く終わってほしい」と思っていたから。
特に、今回のオリンピックは、「やるべきではない」と思っていたから尚更。
もともと 私は、オリンピックにかぎらず、他のスポーツイベントにも、あまり興味を覚えない人間。
当然、TV中継された開会式も閉会式もまったく観なかったし、何かの競技を能動的に観ることもなかった。
しかし、開催期間中、TVはどこも、競技中継(録画放映)やオリンピック関係のニュースばかり。
「もう、いい加減にしてほしいな・・・」と、あまりに目障りで、イラついたこともあった(だったら、TVをつけなきゃいいんだけど)。
おまけに、首都高速が¥1,000も値上げ。
車で仕事をする者にとっては大迷惑な話。
しかも、あまりに一方的で、何だか、いわれのない差別を受けているような気がして不愉快だった。

開催前の世論は「中止」が大半だった。
しかし、実際に開かれてみると、そんな意見はほとんどマスコミから消えた。
「開催された以上は楽しまなければ損」「水を差すようなことを言っても野暮なだけ」といった感覚だろうか。
それとも、ビジネス優先で、御上に取り込まれてひっくり返った世論に迎合したのか。
その時々の時勢に合わせて立ち位置を変えていくことはスマートな生き方なのかもしれないけど、手の平を返したようなお祭り騒ぎには不気味な違和感を覚えた。
また、国なのか、東京都なのか、IОCなのか、JОCなのか、組織委員会なのかわからないけど、大きな力によって民意がなし崩しにされる様をまざまざと見せつけられたようで、ちょっとした恐怖感すら覚えた。
そして、御上の思惑とは関係ないところで健闘した競技者や奮闘した関係者を労うと同時に、メダルの輝光が当たらない医療従事者やコロナ患者のことも想わずにはいられなかった。

そんなオリンピックが終わったら、心情的には、季節が一歩進んだように感じる。
しかし、気候変動の影響だろうか、依然として危険なくらいの猛暑が続いている。
青空にそびえる積乱雲を見上げると、夏が大好きだった青春期が思い出される。
それでも、これを夏の趣として受け止めるには、さすがに暑すぎる。
で、毎年のことだけど、この時季は、現場の状態が急速に悪化しやすい。
そして、その分、作業も過酷になる。
当然、熱中症には充分に気をつける。
とりわけ、エアコンも使えず、窓も開けられない密室での単独作業は要注意。
そこで倒れても、しばらくは誰も気づいてくれないから。
そんなところで命を落としてしまったら、洒落にならない。
ある意味、故人に失礼なことかもしれないし。
作業に集中すると、ついつい、そこのところが疎かになってしまうので、よくよく慎重にやっていかないといけない。

ただ、現代人は、冷暖房に甘え過ぎのような気がする。
それで、結局、自分の体力(健康)を削いでいるようなところもあるのではないかと思う。
ある程度は、春夏秋冬の温度に生活(身体)を合わせていくことも大切なのではないだろうか。
で、私は、以前、真夏でも、一人で車に乗るときはエアコンを使わなかった。
身体を冷房に甘えさせると酷暑への耐性が弱まるような気がしていたから。
普段から、ある程度の暑さに身体を慣れさせておくと現場作業のツラさが軽減すると考えていたのだ。
この考えに科学的根拠はないけど、あながち間違ってはいないと思う。
実際、冷房の効きすぎた部屋なんかに長時間いると調子が狂う。
しかも、加齢にともなって、体力は間違いなく衰えているわけで、そんな根性論は通用しなくなっている。
いつまでも若いつもりでいてしまうのが人の常だけど、もう、この歳になると、体力を過信してはいけない。
そんなことしていたら、運転中に熱中症になってしまう。
だから、昨夏くらいからは、控えめながら、車でもエアコンを使うようにしている。

近年は、建築現場や道路工事現場などでは、“空調服”を着ている人を多くみかけるようになった。
聞くところによると、「涼しい」とまでは言えないけど、汗を乾かす気化熱の分だけは高温を抑えてくれるので、着ていないときより楽なのだそう。
今のところ、私は導入の予定はないけど、ぼちぼち必要かも。
そのうち、ただの風ではなく冷気がでる空調服が出回るかもしれない(今も高価で重装な製品ならあるのかもしれないけど)。
そんなのがあったら、炎天下で重労働する人達は、本当に助かるはず。
そこはモノづくり大国の日本。
安価で高性能の製品が出てくることを期待している。

この暑さに便乗して人々を苦しめようとするかのように、コロナも最大の広がりをみせている。
頼みの綱はワクチン。
私のところには、7月6日に摂取券が届いた。
「心待ち」にしていたわけではなかったけど、少しずつでもコロナ対策が進んでいることが実感できて、それを手にしたときは、少し嬉しい気持ちを抱いた。
が、肝心のワクチンが足りていないようで、簡単には予約ができない状態。
私は、高齢でもなく基礎疾患もなく、かかりつけの病院もない。
後回しにされるのは仕方がないけど、感染急拡大のニュースを目の当たりにすると、気持ちがザワつくことがある。

この一年半、外での飲食もほとんどせず、不要不急の外出も控えてきた。
なるべく人と接しないようにし、仕事上でやむを得ない場合も細心の注意を払ってきた。
幸い、身近なところで感染者はでていないけど、知り合いの知り合いに感染者が現れたりはしている。
しかし、もう、外堀が埋まってきているような気配がして、身近なところで発生するのも時間の問題か。
これまで、何とか感染を免れてきたわけだけど、ワクチン接種を目前にして感染してしまう恐れもあり、そうなってしまったら・・・もう悔しくて仕方がない。
ワクチン接種が先か、感染してしまうのが先か、誰も当てにはできず、どちらに転ぶのか、結局は自分自身の感染対策にかかっているのだろう。

そうは言っても、頼みのワクチンも万全ではないよう。
ワクチンを打っていても感染はするし、発症する割合も決して低くはない。
また、人に感染させる可能性も充分にあるらしい。
重症化する確率が低いというだけ。
事実、接種率の高い国や地域でも、感染が再拡大している。
つい、この前まで「ワクチンを打てば安心」「コロナ前とほぼ同じ生活ができる」と思っていた私だけど、その勘違いは捨てなければならないと自戒している。

とにもかくにも、いまだにワクチンを打っていない私は、今、これまで以上に慎重な生活を心掛けている。
私生活では、ほぼ問題ないと思っているが、やはりリスクが高いのは仕事。
多数ではないものの、見ず知らずの人と接する場面があるから。
もちろん、今は、誰もがマスク着用を当り前としているが、それでも、誰かと会う場合は気を使う。
短い立ち話で済むことがほとんどだけど、それでも、会話中、あまり近づいて来られると後ずさりするくらいに神経を尖らせている。

とは言え、幸い、私は単独での作業が多い。
コロナの“ソーシャルディスタンス”“三密”とは関係なく、もともと、単独作業を好むから。
一人では手に負えない作業や、手分けしてやった方が明らかに合理的な仕事は複数協働で行うが、大変だろうがキツかろうが、一人でできることは一人でやる。
身体はキツくても、その方が気楽だし、変なストレスがかからない。
結果・成果を出しさえすれば、自分のやり方で、自分のやりたいようにできる。
車での移動時間も、ドライブ気分で心を自由に遊ばせることができる。
だから、どんなに凄惨な特殊清掃でも「誰かに助けてもらいたい」「誰かと一緒に来ればよかった」とは思わない。
「キツー!」「しんどー!」「クセー!」「汚ねぇー!」等と、愚痴りはするけど、一人作業を悔やんだりはしないのである。



「かなり悲惨な状態」
とあるマンションの浴室で住人が孤独死。
不動産管理会社からの特掃依頼だった。
「警察からは“誰も入れる状態ではない”と言われた」
放置された日数だけでなく、季節の暑さも手伝って、肉体のほとんどは溶けてしまったよう。
管理会社の誰も、現場に入ることができなかった。

「扉が開いてんのかな・・・」
浴室は密閉性が高く、扉が閉まっている場合、異臭が大きく広がることは少ない。
しかし、この部屋は、玄関前にも悪臭がプンプン。
「これじゃ、避難するしかないか・・・」
私は、住人が避難して無人となった隣室の玄関ドアを横目に、使い捨ての手袋を両手に装着。
そして、いつものように、諦めきれない不安と逃げ道のない覚悟を胸に玄関を開錠した。

「うは・・・」
玄関前に漂う異臭もさることながら、室内の異臭は、それよりはるかに高濃度。
高い室温が、それを更に醸成させていた。
「ヒドい・・・ヒド過ぎる・・・こんなヒドい“汚腐呂”は久しぶりだな・・・」
“過去一位”という程でもなかったけど、状況は上位クラスのヘビー級。
特掃作業については、前夜から気分が沈むパターンであることが自ずと想定された。

「いつも通りにやるしかないよな・・・」
翌日の作業を前に、私は、作業手順を思案。
結局のところ、その基礎は、並盛の体力と大盛の根性だった。
「俺がやるしかないんだよな・・・」
自分の中で一通り問答。
わかりきった答を前にした、いつものルーティンだった。

「よし!やるか!」
作業手順を念入りにシュミレーションし、必要な道具類も準備万端。
あとは、いつもの体力と根性があれば大丈夫なはず。
「一生続くわけじゃない!」
これから始まる苦難の作業。
私は、それにも“終わり”があることを望みにして、作業に取り掛かった。

「凄まじいな・・・」
故人が倒れていたのは浴室の洗い場。
湯に浸かったままの方がマシだったのかどうかわからないくらいまで溶解。
「でも、こうなろうとしてなったわけじゃないんだからな・・・」
元肉体は、ドロドロの汚泥状態。
それは、排水口を詰まらせたうえ、かなりの厚みをもって堆積していた。

「キツいけど仕方がない・・・」
これが私の仕事。
泣こうが喚こうが、これが自分の責任。
「これで生きてんだから仕方がない・・・」
これが私の糧。
悔やもうが惨めだろうが、これが自分の人生。

「我ながら、うまくやるもんだな・・・」
作業は、シュミレーション通りに進行。
誰にも自慢することができない自画自賛だった。
「ここまでやれれば上出来!上出来!」
思いのほかきれいになった仕上がりに満足。
大きな難はあったものの想定外の難はなく、私は、やり遂げた後、床のシミとなって現れた故人に同志的な眼差しを向けた。

「どんな人生でしたか?」
多くの現場で故人に訊く私。
ここでも、あるはずのない返事に向かって問いかけた。
「楽じゃないけど、食うためにやってるんです・・・」
多くの現場で故人につぶやく私。
ここでも、いるはずのない故人に向かって同情を促した。

「終わったな・・・」
重い仕事を終えると、その分、気分は軽くなる。
そこには、誇らしくも思える 小さな達成感があった。
「今夜の酒は、うまいだろうな・・・」
私は、好物のビールやハイボールを思い浮かべてクスリ。
そこには、“人の死”で飲む酒を美味にしながら生きてきた人間の悲しい性質があった。


かわり映えのない つまらない毎日・・・
飽き飽きするような 退屈な日常・・・
オリンピックにイライラ、コロナに恐々、猛暑にクタクタ・・・
見た目もくたびれ、身なりもパッとせず、生活ぶりも貧乏くさい中年男・・・
「楽しみ」と言えば、一人 気ままにやる晩酌くらい。
一日中、無表情・仏頂面・シカメっ面で過ごし、一日一回も笑顔を浮かべない日もざらにある。

そんな生活に嫌気がさし、「こんな毎日に、一体、何の意味があるのだろうか・・・」と、何度、自分に、そう問うてきたことか。
そんな生き方がイヤになり、「腐るな!スネるな!いじけるな!」と、何度、自分に、そう言いきかせてきたことか。
それでも、愚かな想いばかりが湧いてくる。
それが、人間の悪性・愚性・弱性・・・そもそも、私(人間)とは、そういう性質をもった生き物なのだろうけど、それを知ったところで何も片付かない。

しかし、生きている事実、生かされている事実はある。
そして、平和に生きられるだけの、家も、仕事も、金もある。
そんな日々が、どれだけありがたいことなのか、私は、いまだよくわかっていない。
ただ、がんばることの大切さは知っている。
仕事も学業も、会社での役割も家庭での役割も、趣味も遊びも、そして、喰って 寝て 息をしながら生きることも。
私の この“がんばり”は、また、貴方の その“がんばり”は、望むかたちで報われるかどうかはわからない。
悲しくとも、まったく報われないかもしれない。
しかし、私は思う。
何でもかんでも、とにかく がんばることは気持ちがいい。
そして、違う何かが得られ、別の何かが獲れる。

喜怒哀楽に振り回され、
紆余曲折の中で七転八倒し、
七回転んで八回起き、
汗かきベソかき、
それでも、何とか がんばっている。

ブログは滅多に書かなくなったけど、相変わらずの生き方をしている2021年晩夏の私である。


-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社

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