特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

探しもの

2014-01-31 09:18:39 | 特殊清掃 消臭消毒
一月も今日で終わりか・・・
私にとって、この一月はえらく長く感じるものだった。
正月を祝ったのはたった一月前のことなのに、だいぶ前のことのよう・・・
精神状態がよろしくないせいで、一日一日を噛みしめながら・味わいながら過ごしたものだから、長く感じたのだろうと思う。
ま、一日一日をそうして過ごすのは、悪いことではない。
むしろ、いいことだと思う。
心地いいのか悪いのかわからない疲労感をともなうけど、時間の有限性を意識しながら過ごすのは、なかなか乙なものである。

悪いことといえば、気持ちに余裕がないこと。
そのせいかどうか定かではないけど、日常の生活で、探しているモノが目の前にあるのに視界に入らないことがたまにある。
例えば、カバンの中のボールペンとか、冷蔵庫の中の調味料とか、下駄箱の上の鍵とか。
完全に視界の中にあるのに、自分ではそれに気づかない。
冷静に探せばすぐに見つかるはずなのに、目がそれに気づかないのである。

それでも、
「ここにあったはずなのに・・・」
「おかしいなぁ・・・」
と怪訝に思いながら探し続ける。
そうすると、大方のものは見つかる。
しかも、自分の視界の中から。
そうすると、視界の中にあったのにそれが完全に見えてなかったことに気づく。
そして、「俺、どうかしてるな・・・」と、何かのトリックにひっかかったような、キツネにつままれたような奇妙な気分になるのである。


出向いた現場は、街中に建つ1Rマンション。
待ち合わせた依頼者は、若い男性。
男性は、先にいた私に近づくと緊張の面持ちで頭を下げた。

「死んだのは私の弟で・・・」
「自殺なんです・・・」
男性は、いいにくそうにそう言った。

「そうですか・・・」
「どんな亡くなり方でも、仕事はキチンとやりますから・・・」
素人みたいに驚くのは失礼だと思った私は、表情を変えずそう応えた。

男性兄弟の両親は健在だった。
が、二人とも現場には来ず。
息子を失った悲しみと、息子を愛する気持ちと、息子を救えなかった罪悪感と、自殺と腐乱に対する嫌悪感と恐怖感が複雑に絡み合い、気持ちが故人の方を向いても足が現場に向かないよう。
だから、若い男性が、家族を代表して事の処理にあたっているのだった。

故人は二十歳前。
身分は学生。
包丁で身体を刺しての自死。
将来を悲観してのことと推定されていた。

当初、故人は大学への進学を希望。
それで、高校3年のときに大学を受験。
第一志望は国公立大学。
学力や社会の評価が高く、私立大学に比べて学費が安く済むことも魅力だった。
しかし、残念ながら、第一志望は不合格。
滑り止めの私大には受かったものの、そこに魅力は感じず入学は辞退した。

当初は、浪人して試験を受けなおす予定だった。
そこで、故人は、予備校の学費を稼ぐためのアルバイトと併行して勉強を続けた。
多忙だったのか、逆に、考える余裕ができたのか、そんな浪人生活の中で、故人は精神の調子を崩すように。
あくまで想像だけど、苦学して大学に行く意義、その先に続く競争社会を戦う意味、そうまでして生きなければならない理由etcを故人は考え、その答を探せず苦悩したのかもしれなかった。
次第に、顔からは笑顔が減り、ふさぎこむことが多くなった。
そのうち、アルバイトをやめ、受験勉強も滞るように。
遊ぶことさえも意欲的にできなくなり、将来に向けての光を失っていった。

心配した家族は、故人の本心を探った。
大学進学への意欲が低下していることがわかると、それを強く勧めることもやめた。
そして、幸せな人生は学校が用意してくれるわけではないこと、興味のあること・自分が夢をもてる分野へ進むことも大事な生き方であること、学歴社会・格差社会にあって、それが通用するかどうかはわからないけど若者がチャレンジする価値は充分にあるということ等の考え方を共有した。
結果、故人は専門学校に進むことを決意。
併せて、実家を出て、通学しやすいところで一人暮らしをすることも予定した。

故人の死は、新しい生活を始めた矢先の出来事だった。
故人は、心機一転、新しい一歩を踏み出したばかりのはずだった。
将来に対する不安もあっただろうけど、期待や夢もあったはずだった。
なのに、自ら人生を終えてしまった。

当然、家族は、それを信じることができず。
また、納得もできず。
男性は、
「私達家族は、弟が最期に何を考えていたのか知りたいんです・・・」
と、強く私に訴えた。

そういう事情があり、男性は、故人の部屋を細かく確認したがった。
しかし、床と壁にはおびただしい量の血痕。
更に、腹をえぐるような異臭が充満。
男性が、そんな部屋に入れるわけはない。
とりあえず、血痕と腐敗体液の清掃をし、消臭消毒を先行することに。
それを、部屋の雰囲気や模様をできるかぎりそのままにしておくことに留意して行うことになった。

特殊清掃は、何日もかかるものではない。
時間がかかるのは消臭。
家財・建材に染みついた臭いは、そう簡単に落とせるものではない。
悪臭を抜いていく作業は、何日もの手間暇がかかるのだ。
したがって、再び、現場で男性と会うのは、それから半月余後のこととなった。

このときもまた、両親は姿を現さなかった。
それは、心の傷が一向に癒えていないことを物語っていた。
私は、そんな家族のことを気の毒に思いつつも、故人を非難する気持ちにはなれなかった。
その行為は決して賛成できるものではないけど、同類の人間として、生きるための戦いがあったことが痛いほどわかったからだった。

男性の用は、極めてプライベートなこと。
「あとでキチンと片付けますから、散らかるのは気にしないで下さい」
「時間もありますから、気が済むまでみて下さい」
と、私は、部屋を出ようとした。
すると、男性は、
「いてもらってもいいですか?」
と、私が部屋にとどまることを要望。
それは、自殺現場に一人でいるのが心細いからではなく、何かが見つかったときに冷静さを失わないようにするためのよう。
それを察した私は、内にいる野次馬に轡(くつわ)をはめて、部屋にいることにした。

男性は、クローゼットや引き出しの中はもちろん、カバンの中や服のポケットまでチェック。
故人の心情を汲み取れそうなものが何かないか、必死に探した。
しかし、遺書めいたモノは見つからず。
また、心情を知る上で手がかりとなりそうなモノも何も見つからなかった。
それでも、男性は、
「もっと生きていたかったんだと思います・・・」
と、何かを得たようなことを言い、悲哀の表情にわずかな生気を滲ませた。

故人の死は、家族に深い悲しみをもたらした。
家族の心に深い傷も負わせた。
しかし、亡くなっても、家族にとって、故人は愛する家族の一員であることに違いはなかった。
そして、そんな故人の想いを探すことは、マイナスのことばかりには思えず・・・
故人は、家族に悲しみとキズだけではなく、人生における大切なものを探す術を残したようにも思えたのだった。


人は、死にたくても生きなければならない。
人は、生きたくても死ななければならない。
人は、何のために生まれ、何のために生き、何のために死ぬのか・・・
生きていると、その答を探したくなるときがある。
ただ、その答は、容易に見つかるものではない。

しかし、ひょっとしたら、その答は、既に目の前にあるのかもしれない。
笑うこと、泣くこと、食べること、寝ること、働くこと、学ぶこと、遊ぶこと、楽しむこと、感動すること、考えること、悲しむこと、悩むこと、苦しむこと、怖れること、怒ること、頑張ること、逃げること、耐えること、努めること、戦うこと・・・・・
すべての感情、すべての行い一つ一つに、生きる意味と意義と理由があるのかもしれない・・・
自分が、それに気づいていないだけで・・・

そう思うと、いいときも悪いときも、一日一日を噛みしめながら・味わいながら過ごすことの大切さが見えてくるのである。



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2014-01-25 09:19:57 | 特殊清掃
冬の空気は、冷たく乾燥している。
けれども、他の季節にはないほど澄んでいる。
猥雑な地上にいると、空を見上げる気力さえ失うことがあるけど、それでも空は万民をその下に置いてくれる。
そんな空を見上げると、一時的だけど心の空気が入れ替わる。

最近、特に気に入っているのが晴天の夜空。
満天の星空を仰ぐと、気持ちが癒される。
外はモノ凄く寒いけど、何か、あたたかい慈愛のようなものを感じる。
そして、命の儚さと、抱えている苦悩の小ささを確認する。

この空は、子供の頃に見上げた空と変わらない。
私が、この地上に生まれるずっと前から、空は変わらないのだろう。
そして、私がこの地上からいなくなっても、変わらないのだろう。
空にも“永久”はないのかもしれないけど、それでも、人間の時間をはるかに超えた時間、空は変わらないままだろう。

対象的に、地上の景色と自分は変わる。
地上の時間は過ぎるスピードも速く、生かされる時間も短い。
かたちあるものは、たちまち風と消えゆく。
まるで夢のように。
しかし、苦しい人生は長く感じる。
時間は、過ぎてみれば“アッという間”に感じるけど、苦悩の中にあるときは永遠のように長く感じられてしまう。

私は、寝ていても、夢の中で何かを考えるような性質。
起きているときは尚更で、余計な思い煩いが私を苦しめる。
思い煩いが始まったら「考えるのはこれでやめ!」「これ以上は考えるな!」「頭を空にしろ!」と自分に言いきかせる。
しかし、自分は、それに素直に従わない。
もともと、人間は、考える動物だからか。
人間にとって、考えることも難しいけど、考えないことはもっと難しいことなのかもしれない。
それでも、夜空を見上げると、一瞬だけど頭が空になる。
今の私にはこれが大事であり、これが必要なのである。


それは、ある日の夕刻のこと。
昼間の作業を終え、汚らしい格好になっていた私は、事務所に向かって車を走らせていた。
そこに、特掃の依頼が入ってきた。
それは、緊急の要請。
一日の仕事を終え、完全に気を緩ませていた私は、「とにかく現場に向かえ!」という会社の指示に、闘志まじりの溜息をつきながら車を現場の方に向けた。

到着したのは、高級賃貸マンション。
フェンスの隙間から見える駐車場には高級車がズラリ。
私にとっては、まったくの別世界で、“羨ましい”なんて身近な感覚は涌いてこず。
そんなことよりも、自分の汚らしい格好が気になり、大して変わるわけもないのにパンパンと作業服を叩いて、前現場のホコリを払った。

建物の前では、管理会社の担当者とマンションの管理人が、私の到着を待っていた。
我々は、正面玄関からではなく裏口から建物内に入り、管理人室へ。
そして、小さな事務机を囲むように並べられた椅子に腰掛け、協議を始めた。
私は、他件の類似事例にもとづいてアドバイス。
担当者は、そこが並の賃貸マンションではないことを強調しながら、発生した問題を説明。
我々は、必要と思われる作業と想定されるリスクを確認しながら、意見を交わした。

特殊清掃、消臭消毒、家財撤去、内装工事etc・・・
通常、この一連の作業は、幾日もの日数をかけて行われる。
とりわけ、消臭には長期間を要する。
もちろん、異臭の程度にもよるのだが、長期間を要することが多い。
しかし、ここでは、そんな悠長なことは言っておれず。
周囲には、既に、風評が立ち始めており、退去を示唆する住民もではじめていた。
それを防ぐためにも、一刻も早く、故人の跡・・・死の痕のみならず、生の跡もすべて消す必要があった。
死の痕だけでなく生の跡まで滅失させることは、一人の人間・一つの命を完全否定することと同じことのような気がして、私は、ちょっとした寂しさを感じた。
が、中途半端な対応が原因で、残された人間に死活問題がふりかかることもある。
結局、特掃の後は簡易消臭をし、できるだけ早い段階で内装建築を全面解体することに。
部屋を完全に空にすることによって、住民の心的被害と高級マンションとしてのステータス性の下落を最小限に食い止める算段をしたのだった。

一通りの打ち合わせを済ませたところで、とりあえず、現場の部屋を見ることに。
目的の部屋は上階だったが、他の住民に配慮し、エレベーターではなく階段を使用して向かった。
目的の階に到着すると、我々は階段の踊り場で一時停止。
担当者は、
「ここから先は一人で行ってもらえますか?」
と、部屋の鍵を私に差し出した。
そして、更に、
「中に入ったら、玄関ドアはすぐに閉めて下さい!」
と、少し語気を強めた。
大の男が複数でウロウロすると目立ってしまうからか、単に、部屋に入りたくないからか、その理由はわからなかったが、私に断る理由はないので、素直に鍵を受け取り、一人で廊下を進んだ。
そして、高級な雰囲気に圧されるように、そそくさと開錠し、ドアの向こうに身体を滑り込ませた。

室内は、真っ暗で、見えるのは暗闇のみ。
鼻を突く特有の異臭だけが、部屋の状況を教えてくれた。
暗闇を不気味に感じた私は、小さく光る電灯のスイッチに手を伸ばした。
そして、それをON。
すると、天井にあるスポットライトが点灯。
真の前の床に広がる、黒にも見えるワインレッドの粘液を照らし出した。
床を這うように四方に広がるそれが故人の痕であることは一目瞭然。
汚染痕の傍らにある洋室のドアは、蝶番が破損し、不自然に傾斜。
多分、故人は、ドアに紐状のものを引っ掛け、自分の全体重を掛けたものと思われた。
それに気づいた私は少し動揺。
死因に問題を覚えたのではなく、作業後の身労と心労がリアルに想像できたからだった。

一通りの検分を終えた私は、管理人室に戻り状況を報告。
異臭のレベルや汚染の具合等々、できるだけ細かく説明。
死因について触れようかと思ったが、担当者は、「余計なことは訊くな」といった雰囲気を漂わせていたため断念。
どうも、部外者には、故人の死因を知られたくないようで、担当者のその様子は、死因についての私の疑心を確信に変えた。
だから、私は、故人の死因はもちろん、性別や年齢等も一切訊ねず。
具体的な対策案を示し、それについての要望や指示だけを聞いて、特掃の準備に取り掛かった。

時刻は、もう夜になっていた。
室内は普通に電灯が使えたので視界に不自由はなかったし、慣れた仕事に心細さもなかった。
ただ、私の気分をブルーにさせるものがあった。
それは、周囲の壁は張り巡らされた鏡。
内装としては高級感のある造りなのだが、余計な視界を与えるその鏡は、私には邪魔な存在だった。

鏡には、床面の腐敗液はもちろん、それを除去する自分の姿が映った。
スポットライトに照らし出される自分の姿は、何かのショーをやっている者のよう。
もちろん、見物客などはいないけど、鏡の中の自分が見世物のように見え、しかも、その姿があまりにも貧相なものだから、その様が、私の気分をブルーにさせた。

また、鏡に故人の姿が映ることも頭を過ぎった。
俗に「霊」と言われる類のものだ。
こんな仕事をやっているクセに、私は、この類のモノが大の苦手。
だから、頭を空にして作業に集中するように努めた。
しかし、鏡はあまりに大きく多面にわたり、視界から除くことはできず。
一人きりの夜にあって、考えないように努めても、見知らぬ故人の姿が次から次へと頭を過ぎった。
しばらく格闘して後、私は、自分の中のその対立が自分の基本スタンスを揺るがし、余計な心労が生まれていることに気づいた。
そこで、私は、考えないことを諦め、考えないことをやめることに。
自然に任せ、少し前までそこに生きていた故人に思いを巡らせた。

私と故人とは、生前の縁もなければ、死後に敵対する因縁もない。
自殺者に対する差別意識も、もともと持っていない。
よく考えると、故人を怖れる理由も嫌悪する理由もないことがわかった。
そうすると、ザワザワと騒々しかった恐怖感と嫌悪感は鳴りを潜めた。
そのうちに、死人も死痕も関係なくなり、一般の家で、ただのルームクリーニングをやっているような感覚になっていった。

作業が終わった頃、外は、とっくに夜闇に包まれていた。
私は、周囲に人がいないことを確認してから車の傍らにしゃがみ込み、満天の星空を仰いだ。
頭を空にしてボンヤリと・・・
私の身体は汗と脂にまみれ、作業服もヨレヨレで誰もが気持ち悪がる粘液と悪臭も付着。
とても陽のあたる場所にいてはいけない姿だった。
しかし、人気のない夜闇には、そんな男を否定するものは何もなく・・・
ただ、ボロボロの身体とクタクタの精神から、心が解き放たれたような爽快感だけがあったのだった。



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穴埋め

2014-01-20 08:36:34 | 遺品整理
遺品処理の依頼が入った。
依頼者は、中年の女性。
亡くなったのは、女性の母親。
現場は、古くて小さめのマンション。
もう長く誰も住んでいない部屋なのに、そういった雰囲気はなし。
リアルな生活感こそないものの、それなりの生活感が残っていた。

部屋は、女性が故人から相続したもので、賃貸物件でなし。
したがって、家賃もなければ退去期日もなし。
リスクといえば、維持費や税金、築年数が増える分の不動産価値の下落だけ。
退去するもしないも、売却するもしないも、女性の自己裁量で自由にできる物件だった。

女性の住まいは、現場から目と鼻の先。
現場までは歩いて往来できる距離で、女性は、故人のもとを頻繁に訪れていた。
故人は晩年も足腰は達者で、大きな不自由もなく一人暮らしを続けていた。
が、女性は、一人で暮らす母親のことが心配で、こまめに世話を焼いていた。

女性は、そんな暮らしが永遠に続くとは思っていなかった。
それでも、母親に対して、いつまでも元気でいてほしいという願いはやまなかった。
しかし、自然の摂理に逆らえる者はいない。
愛する母親は、晩春のある日、長寿をまっとうして先に逝ったのだった。

女性は、故人が残していった遺品一つ一つを自分で確かめたかった。
また、他人の手で無情に捨てられるのも抵抗があったため、女性は、細かいものの片付けは自分の手でやろうと考えた。
そこで、「四十九日過ぎたら始めよう」と作業開始時期を決定し、それまでに気持ちが落ち着かせようとした。
しかし、そんな期待に反して、四十九日が過ぎても遺品を片付ける気は起きず。
何もできないまましばらくの日が過ぎ、結局、「涼しくなってからやればいい」と、開始時期を秋まで延ばした。
しかし、秋という季節は、寂しさを一層強いものにし、片付ける気は失せる一方。
季節が冬に代わる頃になると「暖かくなってからやればいいか・・・」と、再び延期に。
それを何度か繰り返し、結局、二年の月日が経過したのだった。

楽しい気分で葬式をだしたり、遺品を処分できる人は少ないと思う。
大方の人は、悲しみや寂しさを覚えるものと思う。
大切な人と別れたわけだから、それは自然な感情であり、ある意味で正常な感情でもある。
しかし、度を越すと、自分の中で違和感がでてくる。
更には、それが、いつまでもそれを引きずって生きていきたくないという気持ちと対立し、
嫌悪感のようなものを覚えるようになってくる。
この女性もそうで、その喪失感はかなり深刻なよう。
そして、それが、自分に妙なストレスを与えているようだった。

「“ポッカリと心に穴が開いたよう”ってよく言われますけど、ホントにそんな感じで・・・」
「寂しくてたまらないんです・・・」
「もう二年も経つのに・・・」
「いい歳して、おかしいでしょ?」
女性は、疲れたようにそう言った。
しかし、私は“おかしい”なんて少しも思わなかった。
親を慕い想う気持ちに年齢は関係ない。
いくつになっても、親は親、子は子。
共に生きた月日と注ぎあった愛情は確かにあり、色が変わることはあっても褪せることはない。

だからこそ、故人が使っていた遺品を捨てるのは、なかなかの力がいる。
単なる腕力・労力だけではなく、そこには、心の力も必要。
遺品のほとんどは遺族の実生活には必要のないものだけど、中には心が必要とするものもある。
それを処分するわけだから、それなりの心力が必要なのだ。
それでも、目に見えるモノは処分していかないと、それは生活の重荷になり、厄介の種になる。

それとは違い、“想い出”というものは、いくら残しておいてもいい。
細かいことをいちいち記憶しておくことはできないけど、自分の記憶力が許す範囲においては、想い出は、自分の好きなだけとっておくことができる。
自分の心(頭)の中にしまっておけるものだから、それが物理的に生活の邪魔をすることもない。
だから、想い出は、好きなだけとっておけばいいと思うし、好きなだけとっておいていいものだと思う。

必要なのは、“遺品を処分することは想い出を捨てることではない” “喪失感や悲嘆を拭うことは故人を忘れることではない”ということを理解すること。
大切なのは、故人との過去を笑顔の想い出に変えること。
そして、そのプロセスによって、心の穴を埋めること。
遺品を片付けたくらいで心の穴がすぐに埋まるとは思えないけど、私は、その一歩を踏み出すことによって、女性の心の細胞が回復へと動き出すのではないかと思った。


今、私の両親は、ともに70代。
歳も歳だから、身体に不具合はあるだろうけど、今も健在。
だから、親を亡くしたときの気持ちは、想像することくらいしかできない。

父親は、大病なく健康。
だが、何分にも高齢。
健康のために、何年も前から好物の酒もやめて(控えて?)いる。
それより少し若い母親は何年も前から糖尿病を患い、肺癌もやった。
肺癌は、手術をしてから5年余が経つ。
治療成績が悪い癌の代表格とされる肺癌ながら、今のところ、癌細胞もおとなしくしている模様。
入院することもなく、定期健診でここまできている。
しかし、何となく再発の兆しはあるよう。
ただ、母は正確なところを話したがらない。
精神の浮き沈みにのまれながらも、とにかく、人に自分の弱みを見せたくないらしい。
急場にいるわけでもなさそうだから、本人の意思を尊重して、余計なことは訊かないようにしている。

とっくに引退しているけど、現役の頃の父親は、ずっとサラリーマン。
大方の父親がそうであるように、身を粉にして働き、家族を養ってくれた。
しかし、収入は限られており、極貧ではなかったものの裕福でもなかった。
「中流の中の下流」と言えばシックリくる感じ。
そのため、母親が専業主婦をやっていた時期は短く、ほとんど両親共働き。
「子供に、自分達と同じような苦労はさせまい」と、教育にお金をつぎ込んでくれた。
労苦に苦労を重ね、質素に倹約を重ねて幸せの基礎をつろうとしてくれた。
ちゃんとした教育を受けさせ、ちゃんとした仕事に就かせ、大金持ちにはなれなくても社会的にも経済的にも安定した幸せな人生を子に歩ませたかったのだろうと思う。
ところがどうだ・・・
親の期待や希望なんて、そっちのけ。
人生の先輩としての訓戒に耳も貸さず、将来のことを真剣に考える頭も持たず。
生意気なことばかりほざき、“その時々が楽しければそれでいい”みたいな生き方をして今日に至っている。

子を養育することも、親の責任であり義務であったりする。
しかし、育ててもらった恩義はある。
私は、子として、人として、その恩の対する、また、その恩を返せない不義に対する穴埋めをしなければならない。
苦労している姿を目の当たりにしてきたのだから尚更。
しかし、まったくそれができていない。
親孝行なんて何もできていない。
思い返すと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

そういう気持ちがありながらも、親子関係はずっと疎遠なまま。
過去には、親に、嫌な思いをさせられなり傷つけられたりしたこともある(その原因が自分にあったことも多いのだが)。
迷惑もたくさんかけた。
子供の頃から色々なことで確執が生じ、特に、母親とは幾度となく激しく衝突した。
その昔、2~3年、音信不通の時期もあった。
今は音信不通ではないけど、年に2~3度電話で話すくらいで、顔を合わせることは滅多にない。
“自分が生活していくことで精一杯”という現実と、ある種の禍根が混ざり合って、現状が続いている。

それでも、親との想い出はたくさんある。
特に、子供の頃の想い出は。
悪い想い出もあるけど、笑顔の想い出もたくさんある。
人生において、“笑顔の想い出”は大きな宝物。
その宝物を掘り返しては、懐かしんだり、笑ったり、反省・後悔したり、今の自分を励ましたりする。

このまま、親が逝ってしまったら、私は何を思うだろう・・・
別れに涙を流すだろうか・・・
想い出に笑みを浮かべるだろうか・・・
そんなことを考えると、やはり、子供の頃の笑顔の想い出が甦ってくる。
そして、心が、やわらかなあたたかみを帯びる。
更に、それは、この私が幸せに生きることが、親への不義の穴埋めになるのかもしれないことを教えてくれるのである。



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暑熱寒冷

2014-01-16 10:13:27 | 特殊清掃
季節は真冬。
自然な話だが、極寒の日々が続いている。
早朝の最低気温は零下になることもざらで、昼間の最高気温が10℃に届かない日も珍しくなく、昨日なんて5℃にも届かなかった。
夜の睡眠は、安物の毛布と布団と自分の体温だけが頼り。
エアコンや電気毛布といった暖房器具は使わない。
私は寒さに弱いほうではないと思っているけど、夜中、寒すぎて目が醒めてしまうこともある。

春夏秋冬、季節に移ろいがあるのはすばらしい。
四季折々の景色、風情、情緒、食べ物、色々な恵みが味わえるから。
反面、それは過酷な環境をつくりだすものでもある。
真冬と真夏では、その気温に40℃もひらきがあるわけで、これに耐え、順応していくのはなかなか楽じゃない。
そんな環境では、道路・建物・車等々、かなりの耐久性が求められる。
急速に劣化してもおかしくないわけで、それがそうならないところに、日本の技術が生みだす品質の高さがうかがえる。

耐久性が求められるのは、人間も同じこと。
生きているかぎり、毎年、酷暑の夏、厳寒の冬を乗り越えなければならない。
暖房器具・冷房器具を使い、服の厚さを調節してそれをしのぐわけだけど、それでも、身体には堪えるものがある。
もちろん、大変なのは身体ばかりではない。
良くも悪くも、季節は精神にも影響を及ぼす。

私の場合もそう。
酷暑の夏は、仕事においては過酷を極め、現場においては凄惨を極める。
おまけに、一年で最も作業密度が上がる時季で、身体には相当こたえる。
熱中症にかかってもおかしくないような現場で、連日、汗と脂と特有の汚れにまみれる。
疲労困憊、ヘトヘトのクタクタになる。
それでも、精神は、外気に負けない熱をもって仕事に取り組もうとする。
逆に、冬の身体は楽。
着込めばある程度の寒さは防げるし、身体を動かせばあたたまる。
汗をかくほどの仕事をしても、少しの休憩ですぐにクールダウンできる。
腐敗レベルや異臭レベルは夏場に比べて低く、また、作業密度は一年で最も低い。
もちろん「良好」とまでは言えないけど、作業環境もそんなに苛酷ではない。
しかし、精神は外気よりも更に寒々しい。
陰鬱な気分が常に自分を支配し、精神から熱を奪っていくのだ。


季節は夏。
現場は、一般的な分譲マンション。
その一室で住人が孤独死。
発見は死後3日。
それを聞いた私は、ライト級からミドル級の光景を想像。
ただ、「玄関周辺には異臭が漂い、窓にはハエの影もみられる」とのこと。
私は、故人の身体が深刻な状態にまで腐乱溶解していた可能性があることも視野に入れ、現地調査に臨んだ。

管理人が故人と最後に会ったのは、つい数日前。
姿を見かけない期間が数日であれば、不審に思うはずもない。
管理人は、住人が部屋で亡くなっているなんてことは微塵も考えなかった。
しかし、玄関前には異臭が漂うようになり、窓にハエの影が見えるように。
そうなってもまだ、人体が腐っていることはもちろん、“死”を想像することもできず。
「生ゴミでも腐らせてるんじゃないか?」と、玄関ドアに合鍵を差し込んだ。
しかし、そこには、想定外の現実が・・・
凄まじい悪臭にたじろぐ間もなく目に飛び込んできたのは、人のかたちをした異様な物体。
それは、腐敗溶解の真っ只中で、腐敗ガスを含み、生前より一回り太った状態に様変わりした住人の身体だった。

室内には、高濃度の腐乱死体臭が充満。
そして、床には不気味に照る漆黒の紋様。
その紋様の所々には、故人の体型が出現。
ありがちな、頭髪や皮膚の一部も残留。
その周辺には、故人の溶解を手伝った大小のウジが無数に徘徊していた。

たった三日の放置で、そこまで腐敗するとは・・・
非常に珍しいケースのように思われるかもしれないけど、決して珍しいことではない。
実際、夏場では、短期間で発見された遺体でも腐乱溶解していたケースが多くある。
もちろん、それは、生前の病や体格、部屋の気温によって大きく異なるのだが、高温と高湿度が身体を腐らせてしまうのだ。
窓から西陽でも差し込もうものなら、室内温度40℃を超えるはず。
その中にあって、遺体が急速に腐敗していくは当然のことだろう。


また別の事例。
季節は冬。
現場は、一般的な賃貸マンション。
その一室で住人が孤独死。
発見は死後3ヶ月。
それを聞いた私は、ミドル級からへヴィー級の惨状を想像。
ただ、「玄関周辺には異臭はなく、窓にハエの影もみられない」とのこと。
私は、故人の身体が大して腐敗していなかった可能性があることも視野に入れ、現地調査に臨んだ。

管理人が故人と最後に会ったのは、もう何ヶ月も前。
その後、ある日を境に、故人は忽然と姿を消した。
外と中を出入りする姿をまったく見かけなくなり、愛用の自転車を動かしたような形跡もなし。
ポストから郵便物が回収されることもなく、中には封書やチラシがたまりつつあった。
管理人は、住人が部屋で亡くなっていることを疑い、所属する管理会社に連絡。
しかし、家賃はキチンと銀行口座から引き落とされており、滞納はなし。
周囲への異臭や害虫の漏洩もなければ、家族等からの安否確認依頼もなし。
住人のプライベートに立ち入ることをヨシとしない管理会社は、室内を確認することはせず。
結果、管理人の気がかりは放置され、そのまま三ヶ月近い月日が経過した。

ポストに郵便物が入りきらなくなった頃、管理会社は、やっと重い腰を上げた。
投函物がポストの口から大量にハミ出している様は異様で、さすがに、「おかしい」ということになったのだ。
心配されていた住人は、寝室の布団に横たわっていた。
呼吸も体温もとっくに失っていたが、その身体は、腐敗溶解することなく乾燥収縮。
いわゆるミイラ状態で、皮膚の色を浅黒くし、生前より一回り痩せた状態で発見されたのだった。

室内に、特段の腐乱死体臭はなし。
鼻に感じるのは、一般生活臭・カビ臭・尿臭が混ざったような低異臭。
布団に残留しているのも、オネショの痕程度の液痕。
ありがちな、頭髪や人型の紋様、茶黒い液痕等は見受けられず。
「人が亡くなってた」と知らされないかぎりは、それに気づかないのではないかと思われる程度の汚染しかなかった。

三ヶ月も放置して、腐敗しないとは・・・
非常に珍しいケースのように思われるかもしれないけど、決して珍しいことではない。
実際、冬場では、長期放置された遺体でも腐乱溶解しないケースが多くある。
もちろん、それは、生前の病や体格、部屋の気温によって大きく異なるのだが、低温と低湿度が、身体を長期保存させるのだ。
ちなみに、「酒好きは、生前から身体がアルコール消毒されているから腐りにくい」なんて話があるけど、それは何の根拠もない都市伝説だろう。


暑熱寒冷は、人の身体の大きな影響を与える。
熱くし、冷たくし、腐らせることもある。
人の心も同様。
人は暑熱寒冷を帯び、それが人生をつくり、また変えていく。

近年、少しは熱を帯びるようになってきたけど、もともとの私の性格は、かなり冷めたもの。
随分前のブログに書いたけど、この仕事を始めた動機もかなり冷たいものだった。
それより更に前、多感な10代の頃、何かに心を動かされたり、感動したりすることが極めて少なかったように思う。
ともなって、喜怒哀楽の感情を表にだすことも少なく、周りからは、よく「冷めたヤツ」と言われていた。

通っていた高校は進学校で校内規則は厳しかったのだが、1年から3年の間、運動会(「体育祭」と言っていた)には一度も参加せず。
理由もなく学校を休んで、サボっていた。
当時の私には、熱くなって汗や涙を流す同世代の生徒が幼稚に見え、「そんなのバカバカしくてやってられるか!」ってな調子だった。
それが大人のような気がして、それがカッコいいと勘違いしていた。
しかし、その実体は、甘ったれた子供。
自分の忍耐力のなさや自制心のなさ、努力不足を社会や他人のせいにした独り善がりだった。

そんな人間の将来がどうなるかなんて、周りの他人にはだいたい想像がついていただろう。
当の本人に想像がつかなかったのが大問題で、それは、今日に至るまでの道筋につながっている。
そして、結局、若い頃、汗と涙を流さなかった分、今になって、不本意な汗と涙を流すハメになっているのである。

私は、肉体労働者なので、身体はそれなりに動かしている。
それにともない、少なからずの汗も流している。
たまに、目に涙を滲ませることもある。
しかし、心が燃えていない。
「ぬるま湯に浸かっている」というか、「守備ばかりやっている」というか、たまに燃えることがあったにしても不完全燃焼。
ある意味で、私は、一所懸命に生きていない・・・
だから、いつも、色んな思い煩いに悩まされている・・・
・・・そんな気がする。

これまで、私は、これといって燃えたことがなかった。
また、今、何かに燃えているわけでもない。
人並みに生活していくのがやっとで、人からバカにされないように背伸びするのがやっと
で、何かに燃える余裕もなく、そんな志向性も育たなかった。

しかし、何かに燃えるって、大切なことだと思う。
人生を燃焼させることって大切なことだと思う。
ダサくてもカッコ悪くても、何かに心を熱くし、何かに心を動かし、何かに感動できるって、とても幸せなことだと思う。

私の人生、うまく生かされたとしても、あと20~30年くらいのものだろう。
たったそれだけの時間。
うまく生かされなければ、今日、死ぬかもしれない。
それだけ儚い時間。
それを、放っておいてはもったいない。

いずれ冷たくなる身体をまとい、凍える精神を持て余し、心が焦げるくらいまで燃えて生きてみたいと願いながら、その火種と燃料を手に入れることができなくて、その火種と燃料が何なのかわからなくて苦しんでいる厳冬である。



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痩心

2014-01-11 08:42:39 | ゴミ部屋 ゴミ屋敷
ゴミの片付け依頼が入った。
電話の向こうは、中年女性の声。
現場は、女性が暮す賃貸アパート。
間取りは2DK。
床一面をゴミが覆い尽くし、更に、それが結構な厚さに堆積しているとのこと。
「どれくらいの費用がかかりそうですか?」
との問いに、私は、想定の概算費用を返答。
「やっぱり、それくらいかかりますか・・・」
女性は、その金額を聞いて、しばし沈黙。
声のトーンを落とし
「分割で払うことはできますか?」
と、言いにくそうに訊いてきた。
女性の資力が乏しいことは、聞かずとも明白だった。

代金の分割払いは原則として可能。
しかし、そこには、おのずと条件がつく。
頭金の金額、月々の支払金額、支払期間、安定収入の有無etc・・・当社にとって受忍できる範囲のリスクを超える場合は、契約することができない。
しかし、それも原則。
諸条件をクリアすることも大事だけど、最後は人物で判断する。
イザとなった場合、契約書も契約書も何の役にも立たないから。
(それが痛い思いをする原因にもなるわけだけど。)
そこで、私は、質問がプライベートなことに及ぶことをあらかじめ詫びて、女性の経済力を知るべく、色々と質問をしてみた。
すると・・・
職業は派遣スタッフ。
月の収入は十数万円、しかも不安定。
クレジットカードの与信はなし。
資産や預金類、担保になりそうなモノもなし。
お金を貸してくれそうな人も保証人になってくれそうな人もいない。
・・・とのこと。

それでも、私は、女性がある程度の予算は確保しているものと思っていた。
ところが、女性はそれを一切持っておらず。
まとまった額の頭金もなく、その上で分割払いを希望。
「ちゃんと払いますから、何とかお願いします!」
と、声のトーンを上げた。
それを聞いた私は、逆にトーンダウン。
私が聞いたもの以外の借金や滞納がないとも限らないし、それがなくても、月々の収入は、家賃を払って食べていくのがやっとではないかと思われるような金額。
「こりゃ仕事にならないな」
と、内心で思いながら、
「その条件で分割払いは無理です・・・」
と、私は、展開した話を締めにかかった。
それでも、女性は引かず。
「何とかならないでしょうか・・・お願いします!」
と、切羽詰った様子で訴えてきた。

女性は、当方に相談する前に、既に、自分で探しうる各方面・各業者にも相談していた。
だが、女性に資力がないことがわかると、どこも、女性を相手にせず。
現場は、東京の隣県の某市。
「近い」とは言えない距離。
現場を見に行けば、時間もかかるし移動交通費もかかる。
仕事にならない可能性が極めて高いとなれば、二の足を踏んでしまうのも当然。
しかし、誰も相手にしたがらない相手を相手にするのが私の仕事でもある。
私は、無駄足にならない可能性を探すため、無駄足になる可能性が高い現場に向かって車を走らせた。


訪れた現場は、住宅地に建つ二階建のアパート。
女性宅は、その一階。
私は、いきなり訪問してインターフォンを押すようなことはせず、少し離れたところに車をとめ、そこから女性に電話をかけた。
これは、依頼者に心の準備をしてもらうためであり、近隣対策のためでもあり、また、ゴミ部屋を訪問する際の私なりのマナーでもあるのだ。
そして、その心づかいは、女性も気づいてくれたよう。
部屋を見て驚かないよう心の準備をしてくること、近隣住民に気づかれないように玄関を入ること等、訪問するにあたって注意する点をいくつか教えてくれた。

玄関を入ると、目前には想像通りのゴミ野原。
悪臭も著しく、天井や壁には何匹ものゴキブリが張りつき、あちこちにネズミが走り回っていた。
玄関には靴を脱ぐ隙間もなく、また、広がっているのは靴を脱ぐ必要があるような光景でもなく、私は、「土足のままで構わない」という女性の言葉よりも先に、靴のまま上がりこんだ。
そして、あまり驚くと女性に失礼なので、私は、事務的かつ淡々と、狭い部屋に広大に広がるゴミ野原を散策した。

しばらく前から、このアパートにはゴキブリやネズミが発生するように。
始めは、その原因は不明で、その駆除については各戸がそれぞれ対応。
しかし、その発生はおさまるどころか、増える一方。
そのまましばらくの時が経つ中で、次第に、女性宅が原因として怪しまれるように。
窓にゴキブリが張りついているのを見られたり、周辺に漂う異臭が女性宅からでていることを勘付かれたりしたのだ。
決定的なのは、隣の住人に室内を見られたこと。
窓は中が見えないようカーテンを閉めっぱなしにしていたのだが、玄関ドアは出入りの際に開けざるを得ない。
その際は、室内の光景が外からの視線に晒されないよう細心の注意を払っていたのだが、ある時、隣の住人と玄関前で鉢合わせ。
瞬間的とはいえ、閉じかかった玄関ドアの隙間から室内の一部が露に。
以前から女性宅を疑っていた隣人にとって、それは、疑心を確信に変える絶好の材料となった。
隣人は自分の目を疑うことなく、すぐにアパートの管理会社へ通報。
そして、管理会社は、数日後に立入検査を行う旨を通知してきたのだった。

部屋の惨状を管理会社が目の当たりにしたら、タダでは済まないことは容易に想像できる。
ただちにゴミを片付けることはもちろん、すみやかにアパート退出することを命じられるだろう。
そして、重汚損が残留するであろう部屋を原状に回復させる責任を負わされるはず。
しかし、一連の費用を工面できない女性は、即座に行き詰るだろう。
住処をなくし、路頭に迷うかもしれない。
八方ふさがって、“死”が頭を過ぎることになるかもしれなかった。

それでも、この状況を招いた責任は女性にある。
他人の所有物である部屋を借りている女性には、その使用にあたって、善良なる管理者としての注意義務がある。
一般的な良識・常識をもって、社会通念を逸脱しないよう借用物を善良に使用する義務があるのだ。
女性がそれを怠ったのは明らかで、女性に非があるのも明らか。
普段から、ゴミを出す生活をしていればこんなことにはならないわけで、他の誰が悪いわけでも、他の誰かの責任でもない。
「自業自得の自己責任」としか思いようがなく、私の中には、代金の分割払いにおいて女性を信用する気持ちは一向に沸いてこなかった。

せっかく現場を訪問した私だったが、結局、無駄足にならない可能性を見つけることはできず。
数万円規模の仕事なら裏切られても浅いキズで済むので請け負った可能性が高いけど、これはその域をはるかに越えたもの。
私は、会社に相談するまでもなく女性の依頼を断った。
すると、女性は、とうとう泣きだした。
そして、
「お願いします!お願いします!お願いします!」
と、必死に懇願し、とめどなくあふれる涙もそのままに、私に向かって手を合わせた。

その必死さは私にも伝わった。
ただ、同時に、“人間は、ノドもと過ぎればすぐに熱さを忘れる生き物”という冷めた思いも頭を過ぎった。
また、女性が、情に訴えようとして涙をみせたわけではないこともわかった。
しかし、私の中には、イヤな不快感も沸いてきた・・・
正確に言うと、女性が涙をみせたことが不快だったのではなく、女性の涙を不快に感じてしまう自分の痩せた心が不快だったのかもしれなかった。


特掃隊長は、優しさや親切心が“売り”のようになってしまっている。
“しまっている”と、まるで不本意なことのように書きながらも、それは、“他人から善人に見られたい”という気持ちが強い私の本意でもある。
善人ぶりがわざとらしくて、あまりいい印象をもたれていないかもしれないけど、中には好印象をもってくれている人もいるかもしれない。
しかし、私は、それを売りに仕事をしているわけではない。
人のためになることがあっても、人のためにやっているのではない。
自分のため、金のため、ビジネスと割り切って仕事をしている。
人に優しくできるのは、ふくよかな心を持った人。
人に親切にできるのは、ふくよかな心を持った人。
自分を犠牲にできるのは、ふくよかな心を持った人。
ふくよかな心は、きっとあたたかいはず。
そういう心を持たない私は、特掃隊長の皮を被った別の人間なのかもしれない。


私の判断は、仕事としては正しかったと思う。
しかし、人として正しかったのかどうかまではわからない。
仕事として請け負うことはできなくても、人として手助けできることは他にあったかもしれないから。
人は、助け合って生きている・・・助け合わないと生きていけないのだから。

事情はどうあれ、自分に助けを求める人が目の前のいたのに、私は、それを見捨てた。
ここに挙げたのは仕事上の一事だが、残念ながら、私という人間は万事がそう。
後悔とか罪悪感にまでは及ばないけど、その度に、少しずつ心が痩せていくような気がして、寒い思いをしているのである。



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肉野菜

2014-01-06 09:48:56 | 特殊清掃
2014年 謹賀新年。

この正月、多くの人が、美味しいものをたくさん食べ、美味しい酒をたくさん飲んだことだろう。
一年間の無病息災を願いながらも、暴飲暴食をしてしまう。
しかし、これもまた、正月の楽しみ。
私も、いつもよりはいいモノを食べ、酒もいつもよりは多めに飲んだ。
体にしがみついて離れないメタ坊も、楽しい正月を過ごせたことだろう。
しかし、正月が過ぎたらそんなことしてられない。
腹八分を心がけ、酒もほどほどにバランスのとれた食事をするのが、自分のためである。

9連休明けで、今日が仕事始めの人も多いみたい。
私の場合、例年通り、仕事納めは12月31日。
そして、仕事始めは1月2日(いきなりの特掃)。
運よく?元日の一日は休むことができた。
いつ鳴るかわからないため携帯電話を離すことはできなかったけど、出社は免れた。

昨年は、元旦から現場にでた私。
仕事を嫌がってはいけないのだけど、正直いうと、モノすごく嫌だった。
憤りにも似たストレスを、どこでどうやって吐き出せばいいのかわからず、ひたすら自制に努めるほかなかった。
大晦日の晩酌もテキトーに切り上げて就寝。
翌朝も早くから起きだして、シーンと静まり返る極寒の街に車を走らせた。
もちろん、私一人で。
それが一年を象徴する出来事のような気がして、妙な気分になったのをおぼえている。

私の性格は、「遅刻」というものを嫌う。
約束の時間に待たされるのも嫌いだけと、約束の時間に人を待たせるのはもっと嫌い。
だから、時間がゆるすかぎり、早め早めに行動を起こす。
このときも、「約束の時間に遅れてはいけない」と、早めに出発。
仕事に向かう身体と仕事に向かいたがらない心の対立に運転を乱されないよう気をつけながら、現場に向かって車を走らせた。

元旦早朝の道はガラ空き。
出発時刻も早かったことから、約束の時刻よりもかなり早く現場に到着。
日も日だから、依頼者に電話したところで、時間を繰り上げられる可能性は低い。
私は、約束の時刻まで、諦めて待機することにした。

私は、昔から、自分ばかりを可哀想がるクセがある。
「自分が誰よりも苦労して、自分が誰よりも大変な思いをして、自分が誰よりも頑張っている」ってな具合に。
もちろん、日本中・世界中の人達と比べてのことではなく、身の回りの人達と比べてのことだけど。
どちらにしろ、「健全な思考性」とは言えない。
しかし、それがわかっていても、この思考性はなかなか抜けない。
この朝も、「元旦早々こんな労苦に遭っているのは俺くらいのもんだよな」といった、ボヤキ気分が私を覆っていた。

年が明けて、私が初めて顔を合わせた人はその現場の依頼者。
が、そこには、めでたいことなんて何もなく、室内にはめでたくない光景が広がりばかり・・・
「明けましておめでとうございます」
なんて言える雰囲気はどこにもなかった。
それでも、時候のネタに触れないのも不自然なような気がした私は、
「今年になって初めて話す人は○○さん(依頼者)ですよ」
と、言ってみた。
しかし、依頼者は反応薄。
とても、余計なおしゃべりをする気分にはなれない様子。
私は、正月らしい趣もないまま、黙々と依頼された仕事をこなし、約束通りの成果をもって完了させた。

作業は、午前中のうちに終わった。
その日の予定はそれだけだった私は、そのまま帰途についた。
薄汚れた作業服を着たまま、よろしくないものを荷台に満載にして。
そんな私とは対照的に、街には、初詣や買物・レジャーに出かける人々が繰りだしていた。
皆がオシャレをして、幸せそうに、楽しそうに、晴れやかな笑顔を浮かべていた。
また、その中には、働く人達の姿があった。
あちこちの店の店員、トラックドライバー、タクシードライバー、新聞配達員、郵便配達員etc・・・
一人一人が、自分の役割をひたむきにこなす姿があった。
それは、私が抱いていた労苦への不満が、非常に自己中心的で、異常なほど甘ったれたものであることを教えてくれた。
同時に、そんな考えが捨てられない私に自省をうながしてくれた。

正月に働くのも、その人の役割。
家庭においても、会社においても、社会においても、人にはそれぞれの役割がある。
それは、何かを生産したり金銭を稼いだりすることばかりではない。
誰かに必要とされることだけでも、充分な役割。
存在すること自体が役割であったりすることもある。

私だってそう。
私には、私の役割がある。
もっと言えば、私にしかできない役割があると思う。
人から羨ましがられることもなく、人から憧れられることもない役割だけど。
まずは、自分に与えられた役割をまっとうすること、それが大事。

このブログを書くことは、もはや「仕事」とは言えなくなっている。
会社のサイトに公開されてはいるものの、原則として、会社の指揮監督下にはない。
書くことも書かないことも、自己裁量。
誰に咎められることも、誰に褒められることもない。
だから、手間隙かけて書いても、目に見える報酬はない。
しかし、これもまた私に与えられた役割。
自分を含めた誰かが必要としてくれ、自分を含めた誰かの役に立っていることがあるかもしれない。
これを読むことで、何かが上向きに変わることがあるかもしれない。
そして、その期待感が、私の報酬なのかもしれない。


2014年も、もう一週間が経とうとしている。
また一年、歳をとるからには、少しでも心の眼が開かれたいもの。
同じく、心の舌の感度も高まってほしい。
今ある肉の眼は、“欲しいもの”と“必要なもの”を見分けることができないから。
肉の舌は、本当の味を感じることができないから。

肉の眼が追うものばかりを求めることは、ときに虚しい。
肉の舌が欲しがるものばかりを求めることは、ときに害を招く。
例えて言うなら、「食べたいのは肉だけど、食べる必要があるのは野菜」ということ。
確かに、食べたいモノを食べることは大事。
人生の幸福に貢献する。
だけど、食べる必要があるモノを食べるのは、それよりもっと大事。
それを見つけるのは心の眼。
そして、それを美味しいと感じるのは肉の舌ではなく心の舌。
辛抱、我慢、負け惜しみ等ではなく、それを「美味い」と感じられる心の舌がほしい。

しかし、身体にいいからといって野菜ばかり食べていては精神を害す。
とは言え、前記の通り、美味しいからといって肉ばかり食べていては身体を害す。
大事なのは、そのバランスと、それぞれを見分ける眼と味わえる舌を持つこと。

人は、努力すること、忍耐すること、鍛錬することが必要。
しかし、そればかりの人生は、はたして幸せだろうか。
もちろん、何の努力・忍耐・鍛錬もない人生にも幸せは来ないはず。
肝心なのは、やはり、バランス。
仕事することも休むことも、酒を楽しむことも我慢することも、金を遣うことも貯めることも、勉強することも遊ぶことも、すべてバランスを保つことで相乗効果を発揮する。
そして、それが、自分の幸福感を高めていく。

ここ何年もそうだったように、今年も、多くの時間を労働に費やすことになるのだろう。
週休二日、年間休日100日なんて無理な話。
それが、会社における私の役割。
また、依頼者から求められる役割だったりする。
そんな仕事は、私にとって“肉”でもあり“野菜”でもある。
美味しいときもあれば、不味いときもある(苦しいときもあれば、楽しいときもある)。
美味しい部分もあれば、不味い部分もある(辛い部分もあれば、嬉しい部分もある)。
とにかく、好き嫌いせずバランスよく食べることが大事。
それが、身体と心に栄養をくれるのだから。

明日、七草粥は食べないだろうけど、“人生の肉野菜”は、バランスよく、しっかり食べていきたいと考えている年始である。




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