特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

自我自賛

2012-12-31 10:15:55 | 特殊清掃
過ぎてみればはやいもの、2012年も今日でおしまい。
冷たく乾いた空気が、世相を反映している。
それでも、大晦日の東京は、雲が多いながらも晴天に恵まれている。

例によって、私の仕事納めは今日。
世の中には9連休の最中にある人もいるようだが、ま、他人事。
他人を羨ましく思うけど、置かれた境遇を恨めしく思うけど、まだまだ楽させてもらっている感もある。

とにもかくにも、また一年が過ぎた。
無事でない現場を渡り歩きながらも、一年を無事に過ごせたことに感謝・感謝。
大晦日の今夜は、ちょっと贅沢した料理に舌鼓を打ちながら、不調の心身と相談しつつ酒を楽しもうと思っている。

例年のことながら、今年も色々あった。
変りばえのない毎日を過ごしているはずなのに、思い返してみると色々あった。
変りばえのない毎日を過ごしているはずなのに、何年も前には想像もできなかった今年があった。


今年も多くの人が亡くなった。
来年も多くの人は亡くなるだろう。
そして、いくつもの死に遭遇することになるだろう。

死は人につきまとう。
しかし、人は死を嫌う。
それでも“死”に高揚し、美を重ねる。

死は、恐いものである。
それでも、美しいものとする。
感動的な話の多くには、死が織り込まれている。

このブログがまさにそう。
人の死を織り込みながら、感動的に、かつ美しくまとめようとしている
そんなことに傾倒する私は、一体、何者か。


この夏、ひとつ年上の従兄弟が死んだ。
交通事故死だった。
「不幸中の幸い」と言っていいのか、自損事故で従兄弟の他に死傷者はいなかった。

その昔、同じ学校に通っていたわけではないが、盆や正月など、小学生の頃は年に何度か顔を合わせることがあった。
そして、一緒に遊んでいた。
しかし、中学にあがると会うことはなくなり、お互い様だろうが、そのうち、その存在さえも忘れていた。

そんな中での急な知らせ。
第一報は父親からの電話。
父は、少し興奮し、運転の多い私の身を案じてくれた。

事故のニュースはテレビでも流れた。
事故の概要と現場の映像、そして「運転手の男性は搬送先の病院で死亡が確認された」と。
・・・即死だった。

当日の朝、彼はいつも通り出勤したのだろう・・・
予定されていた担当業務に就いたのだろう・・・
自分の家に二度と帰れないなんて、露ほども思わず・・・

彼の死は、何の前ぶれもなく訪れた。
死のかたちは、老病ばかりではない。
いきなり、瞬間的に訪れることもある。

生は、人の未来を固めてくれない。
時は、人の事情を待ってくれない。
死は、人の力を酌んでくれない。

年がら年中、人の死に接している私でも動揺があった。
ただ、縁が薄かったこともあり、性格が冷たいせいもあり、特段の情や悲しみも湧いてこなかった。
が、今更ながら、生の儚さと人生の不確定さを感じさせられた。


さて、自分の死はどうか。
いつ、どういうかたちでやってくるのか、日々、考える。
そして、いつまでたってもあらたまらない生き方に悩む。

今年も、たくさんの死を扱った。
今年も、たくさん余計なことを考えた。
今年も、たくさん小さなことに悩んだ。

たいしたことはやっていないのに、たくさん愚痴った。
たいしたことはやっていないのに、えらく高ぶった。
たいしたことはやっていないのに、すごく疲れた。

今年一年、自分は何をやってきただろうか・・・
何を得て、何を蓄積してきただろうか・・・
ただ働き、ただ食い、ただ飲み、ただ遊び、ただ寝てきただけか・・・

それでも、今日、自分が生きていることには意味と理由がある。
自分が、その意味と理由を知らないだけで。
人は、ただ生きている、ただ生かされているだけではない。

楽観的な人、余計なことを考えない人、小さなことで悩まない人を羨ましく思う。
しかし、自分の中のどこかに、そのような人を見下している自分がいる。
そして更に、このように自分の偽善性や悪性を吐露する自分がいる。

善人にみられるために偽善者を自称する。
賢者にみられるために愚者を自称する。
自分を肯定するために自分を否定する。

小さなことに悩む自分を、真摯な人間に思うことがある。
自分をダメ人間と卑下する自分を、謙虚な人間に思うことがある。
弱く愚かな自分を嫌う自分が、実は好きだったりする。

そんな自分は何者か。
善い自分も悪い自分も、強い自分も弱い自分も、賢い自分も愚かな自分も、すべて自分。
認めたくなくても受け入れるしかない自分、赦せなくても認めるしかない自分、好きでもあり嫌いでもある自分。

ある意味で、人間は変われる。
しかし、ある意味で人間は変われない。
この自分でこの人生を生きていくしかない。

ただ、どうせ生きるなら、元気に生きたい、明るく生きたい、正しく生きたい。
寛容に、謙虚に、勤勉に、柔和で、笑顔で。
だから、そうでない自分の中に葛藤・苦悩・戦いが生まれる。

それらを頭に反芻し、文字に記し、心に刻む。
時間がすぎるばかりで進歩しない人生を、成長しない自分を諦めないために。
そして、まだ知らない自分を知るために、顔で泣いても心で笑うために。

かくして、つまらない自我自賛ブログかもしれないけど、くだらない自我自賛ブログかもしれないけど、2013年も書いていくつもり。
気の向くまま、細々とでも。
そして、社会の下にいながらも、社会の陰で働きながらも、上を向いて明るく生き抜くことを志すつもりである。

せっかく生きてるんだから。



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今の俺 俺の今

2012-12-14 16:58:57 | 特殊清掃
季節は冬になり、世の中は師走を迎えている。
クリスマスや正月をひかえ、街は虚勢を張るかのように賑わっている。
やはり、世の中は明るい話題に乏しい。
経済の低迷、国力の低下、政治の混迷・・・それらから派生する数々に問題・・・
冬に寒さにも引けをとらない時代の冷たい空気が、人々の不安や不満を駆り立てている。

個人的にも同様。
相変わらず、現場には率先してでているものの、気分が浮かない。
ま、これは今始まったことではないわけで、もはや、思考法や精神力ではどうしようもない。
更に、今年は持病の喘息まで再発してしまい、困った状態である。

以前に書いたことがあるかどうか忘れたけど、私は“喘息もち”。
最初に喘息の発作に見舞われたのは、20代半ばの秋。
この仕事に就いて一年くらいの頃で、仕事上でかなりのプレッシャーを抱えていた頃のことである。

当時・・・ある日の晩、急に咳が続いたかと思ったら、呼吸が急激に苦しくなった。
それは一日だけでは終わらず、以降、毎晩続くように。
あまりの苦しさに気持ちはイラつき、身体は置き所をなくした。
外の空気を吸えば楽になるかと思い、夜の外を徘徊したこともあった。

そんな状態では夜もろくに眠れず、さすがに耐えられなくなった私は病院へ。
血液検査の結果、アレルギー対象物質はみつからず。
自分では、原因は仕事上のストレスだと思った。
何はともあれ、診断は「喘息」。
薬を処方してもらい、発作は薬で抑えることができるようになった。

以降、数年は、気管拡張剤を携帯する日々が続いた。
今にしてみれば懐かしいかぎりだが、作業中に発作が起こり、薬を吸いながら作業を続けたことも何度となくあった。
ただ、ここ何年も大きな発作に襲われたことはなく、自分が“喘息もち”であることさえ忘れていたくらい。
それが、今年の秋になって再発した次第なのである。

日常的ではないものの、普通に過ごしていてもたまに息苦しくなる。
更に、酒を飲むと、それが顕著にあらわれる。
20代の頃ほどの重症ではないものの、そんな具合だからあまり酒が飲めなくなってしまった。
先日行われた会社の忘年会でも酒は一滴も飲まなかった。
そんな具合だから、飲みの誘いも極力断っている。
酒って、我慢するものツラいけど、具合が悪くて飲めないのもまたツラい。
ま、健康のことを考えれば、その方がいいのかもしれない。



現場は古いアパートの二階。
間取りは1DK。
亡くなったのは初老の男性。
死後数日。
寒冷の季節、遺体の腐敗はさほど進行していなかった様子。
部屋には生ゴミ臭にも似た低異臭があったものの、遺体汚染痕と思われるような目立った汚れは見当たらなかった。

依頼者は、同じ敷地内の一軒家に住む大家。
「貴重品は警察から遺族に渡されたようです」
「たいしたものは残ってないでしょうが、遺族に渡したほうがよさそうなものがあったら私に預けて下さい」
とのこと。
故人には娘がいたが、何分にも遠方で、部屋の片付けは大家が一任されているようだった。

現場の規模は大勢でやるほどのものではなし。
家具も家電も一人で運べるような小型のものばかり。
その量もそれほど多くはなし。
時間に余裕のあった私は、この仕事は一人きりでやることにして、準備にとりかかった。


腐乱死体現場や自殺現場の処理は特にだが、作業を一人でやることに依頼者の多くが驚く。
死や死体を忌み嫌うことに由来する何かしらの固定観念があるのだろう。
ただ、私は、一人でやれることは一人でやる主義。
肉体的には大変だけど、精神的に重い分、精神の土台が安定するからである。
そしてまた、賃金が懐にたまり、自分という人間の核力が心にたまるからである。


特別汚損のないこの現場には、特殊清掃は必要なし。
必要な作業は、部屋に残置されている家財生活用品の荷造りをし、それを運び出し、一般的な清掃と簡易消毒消臭をするのみ。
私は、軽易な作業を軽易じゃない気持ちで黙々と進めた。

「?」
押入れの中に風呂敷に包まれた四角形。
持ち上げてみると、結構な重量感だった。

「?何だろう・・・」
風呂敷を解いてみると、中には漆黒の箱。
更に箱の蓋を開けてみると、中には分厚い本のようなものが入っていた。

「家系図?」
表紙には「○○家 家系図」の文字。
どうも、故人の家の家系図のようだった。

「どうしよ・・・」
貴重品として返すか、ゴミとして処分するかどうか迷った。
しばし考えた結果、遺族に渡すことにした私は、箱の蓋を閉め、元通り風呂敷に包んだ。

その後、その家系図は大家を通して遺族の手に渡された。
それを受け取った故人の娘は、中を見ただろう。
そして、自分のルーツを目の当たりにして、何か感じるものがあったかもしれない。
少なくとも、“親切の押し売り”にはならなかっただろうと勝手に思っている。



家系・・・
私については、もう父方と祖父母も母方の祖父母も亡くなっている。
叔父や叔母にも既に亡くなっている人は多い。
平均寿命にはまだ間があるものの、両親も高齢になっており、死去していなくなるのもそんなに遠い未来のことではなさそう。
亡くなった人にもかつては“今”があり、老齢の両親にも“今”があり“今”があった。
その時々に苦悩や泣き笑いがあったはず。
それもみんな過去・・・夢幻と化した。

そういう私も立派な?中年オヤジ。
何となく生きていたら、いつの間にかこの歳になっている。
何歳まで生きることになるのかわからないけど、生きてきた月日と残された月日を比べると後者の方が短いはず。
もう、“今”を思慮なく浪費していい歳ではない。


気持ちが晴れない。
気分が浮かない。
私の頭からは、憂鬱が抜けることはない。
楽しく遊んでいても、楽しく酒を飲んでいても、ゆっくり風呂に入っていても、眠っていても、「必ず」と言っていいほど頭のどこかに憂鬱がある。

でもまぁ、それも「自分」。
元気に、明るく、前向きに、楽観的に生きられなくても、それが自分。
弱く、暗く、後ろ向きに、悲観的にしか生きられなくても、それが自分。
変りたいけど変れないのも現実の自分。

そんな人生や自分自身に価値を見出せない自分でも、誰かの役に立っていること、何かの役に立っていることがあるかもしれない。
自分の中で消化できない劣等感が、社会の中で消化されることもあるかもしれない。
自分の中で消化できない後悔が、歴史の中で消化されることがあるかもしれない。

ダメな自分と戦うことには意味がある。
ダメな自分を受け入れることも同じ。
そしてまた、ダメな自分と戦えなくて悩むこと、ダメな自分を受け入れられなくて苦しむことにも大きな意味がある。
どんな苦悩や艱難にも意味があり、“今”は、次々と過去になる。
人生の意味は、一人の人生だけで完結するものではなく、ある意味で、一人の人生を超えて、社会的に・歴史的に完結するものなのではないかと思う。

社会の中で自分自身をどう生かすか・・・
歴史の中で今をどう生きるか・・・
“今”という瞬間において自分が正しいと思うほうを選択し、“今”という瞬間において自分が正しいと思う行いをすること・・・
社会的な大正義を志すことも大切だけど、同じように、個人的な小正義を持つことも大切・・・
つまり、自分にとって本当に大切なものを大切にすること・・・
・・・「今を大切に生きる」って、そんなことじゃないかと思っている今の私である。







付録

「自分にとって大切なものは何?」という質問に対して「家族」と答える人は多いと思う。
しかし、実際のところ、本当に大切にしているだろうか。
家族を大切にしていることを、日々、実感できているだろうか。
また、家族は大切にされていることを、日々、実感しているだろうか。
自分が漠然と大切に思っているだけで、日常生活で表現していないことが多くないだろうか。

よい息子・娘、よい夫・妻、よい父・母であろうと意識・努力しているか・・・
それどころか、愚痴をこぼし不平不満をぶつけ、挙句の果てには外で抱えてきたストレスを家族に向かって発散していやしないか・・・
愛想よくするどころか、その顔は仏頂面で凝り固まっていないか・・・

家族同士、気持ちのいい挨拶を交わすこと、相手の労苦をねぎらうこと、相手の立場になって話を聞くこと、素直に謝ること、感謝の気持ちを言葉にすることetc・・・
たったそれだけのことでも、“今”は随分と充実するのではないかと思う。

善は急げ・・・・・「明日があるさ」との油断・慢心してはいけない。
“個人的な小正義”を表すべきは、刻一刻と過ぎている“今”なのである。





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