特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

笑顔の素(前編)

2008-09-29 08:16:44 | Weblog
いきなりのこんな話で申し訳ないが・・・
何年か前、私は尻を患ったことがある。
体調を崩して拒食症になり、そのせいで重度の便秘になった挙げ句にそうなってしまったのである。

症状としては軽度で、日常生活に支障をきたす程でもなかった。
しかし、唯一、用(大)を足すときに激しい痛みと戦わなければならなかった。
そして、その痛みは、ハンパではなかった。
それでも、つまらない羞恥心が捨てられなくて、病院に行く気にはなれず・・・
薬剤師に相談するのも恥ずかしくて、ドラッグストアで薬を買うこともできず・・・
そうして、自力で治すことへの希望を捨てることができないまま悶々とした日々を送っていた。

そんなある日、現場作業で古新聞を片づけていた私の目に、一つの文字が入ってきた。
〝ぢ〟・・・
それは、有名?某社の広告。
尻に火が着きそうなくらいまで追い詰められていた私は、作業の手を止めて食い入るようにそれを注視。
追って読むと、そこに書いてあったのはサンプル薬を勧める内容のものであった。

それに、興味を引きつけられた私だったが、小心者であるが故に、その後のセールスが心配に。
サンプルとは言え、タダで物をもらうとそれが借りになる。
〝タダより高いものはなし〟と言われるように、その後が高くつく可能性があることに警戒感がでてきた。
「買いたくないものを買うハメになったらイヤだしなぁ・・・」
「かと言って、毅然と断ることも苦手だし・・・」
〝らしい〟と言えば〝らしい〟・・・私は、グズグズと余計な心配をした。

そうこう考えていると妙案が浮上。
住所と連絡先を自宅にすると断りにくいけど、会社にすれば何かの時に避けやすいと考えたのだった。

その何日かの後、サンプルは会社に送られてきた。
包装は、中身がわからないようにするため無記名。
しかし、その配慮が微妙な怪しさを演出。
職場には、得体の知れないその荷物を怪訝に思った人間もいたかもしれなかったが、正体がわかっていた私は平静を装いながらいそいそと持ち帰った。

その後、特効薬?を手に入れた私は、心強い味方が来てくれたような、頼れる後ろ盾を得たような・・・そんな気持ちになり、それまでの窮々とした気持ちから解放された。
そして、それと同時に、気のせいか痛みも和らいできたように感じられた。

結局、肝心の尻は、そうこうしているうちに自然に治ってしまった。
サンプル薬が本来の薬効を発揮することはなかったけど、精神的には抜群に効いたのかもしれなかった。
人の思い煩いなんて、些細なこと・小さなきっかけで解決する・・・笑顔の素になるのは、結構そんなものだったりする。

ただ、弱ったことが一つ・・・
以降、定期的なDMが薬会社からの届くようになった。
もちろん私宛で会社に。
例によって、その封筒には社名も広告も記されておらず。
ただ、御丁寧にも、〝親展〟ではなく〝本人以外開封厳禁!〟とハッキリ印字。
それが、発送者の気遣いとは裏腹に、充分に周囲の関心を引く原因をつくっていた。
そして、それが会社に届くたびにオドオドと挙動を不審にする私だった。


ある日、不要品処分について相談する電話が入った。
声の主は女性。
体調が悪いのか気分が優れないのか、その声はとても暗く、私が声を大きくしようものなら途端に消えてしまいそうなくらいの声だった。
しかも、寝起きを感じさせるようなボンヤリとした語り口で、何の依頼なのか要点がなかなかつかめず。
女性の自発的な情報提供を待つかたちをとっていた会話のスタイルを、私が質問したことに対して女性に返答してもらう形式に切り替えた。

始めは話しにくそうにしていた女性だったが、冷たいくらいに淡々と質問していく私に警戒心が薄らいだのか、次第にその口は滑らかになっていった。

通常、人との会話を弾ませようと思ったら、その反応は大袈裟なくらいが調度いい。
しかし、〝わけあり〟の相手・・・つまり、話しにくいことを話さなければならない立場にある人が相手の場合、それは逆効果になる。
特に、驚きや嫌悪感を感じさせるような雰囲気を醸し出すのは禁物。
驚嘆してもおかしくないような話でも、感情を表にだすことなく、平然と受け答えてこそ、何事も相談してもらいやすくなる。
また、それが、人を相手にすると感情が表に出にくい性質を持つ私にとっても楽だったりするのである。

私は、女性が片言で伝えてくる部屋の状況を今までの経験に重ね合わせて、頭の中で現場の光景を組み立てた。
そうすると、女性が〝ゴミ〟という言葉を使わないようにしていても、そこがゴミ屋敷になっていることが容易に想定できた。
そして、だいたいの画が見えてきたところで、質問をやめ、話題を現地調査の日時を決める段階に移した。

現地調査は、それから日を置かずに実施。
約束の時間よりもだいぶ早く到着した私は、とりあえずアパートを下見確認。
そして、女性にも心積もりがあるはずなので、約束の時刻がくるまで離れたところで待機することにした。

車で少し走ったところに大きな公園を発見。
その脇の道路に木陰を探して車を停止。
私は、そこでしばしの休息をとることにした。

公園では、何人かの子供達が誰に気を使うことなく楽しそうに遊んでいた。
どの子も屈託のない笑顔を浮かべ、無邪気な笑い声を上げながら・・・
その姿をボンヤリと眺めながら、今となっては夢幻と化した幼い頃の日々を懐かしく回想した。

そう言えば・・・
子供の頃は、悩みらしい悩みはなかったように思う。
食べること・着ること・住まうことetc・・・
将来のこともひっくるめて、生きることで負担になるものは何もなかったように思う。
それが、いつから、余計な思い煩いを抱えるようになったのか・・・
今では、大きなことから小さなことまで、ありとあらゆる悩みを抱えている。

人生において、屈託なく無邪気に笑える期間は本当に短い。
何故、子供はそんな生き方ができるのか、私なりにその笑顔の素を探し求め・探し出した。
ただ、多くの人が大人になるにしたがってそれを失う。
失ったモノの正体を知らないまま、それに気づきもせず・・・
しかし、カタチは変わっても、それは大人になってからも取り戻せる。
まずは、それが何であるか、探さなければならない。気づかなければならない。
・・・もちろん、簡単なことではないけど。
只今、思案中・苦悩中・格闘中・・・
そうこうしているうちに約束の時刻が近づき、私は、現場のアパートに向かって車を戻した。

アパートはたいして古くない建物だったが、玄関前に立ってみると女性の部屋だけが違う雰囲気。
玄関ドアや窓はホコリまみれで、あちこちに蜘蛛の巣。
他の部屋と違って、外回りも全く掃除していないようだった。

インターフォンを押すと、ゴミ屋敷特有の異臭とともに一人の女性が顔をのぞかせてきた。
見た目は30歳前後、想像していたよりも若い感じだった。
ただ、何かに怯えたような・疲れ切ったような暗い表情は、電話を通して抱いていた印象と変わりなかった。
そしてまた、玄関から見える奥の光景は、女性の心理状態を代弁するかのように荒廃しており、私の気分までブルーにさせた。

当然か不自然か・・・足元を見ると、女性は靴を脱いでいた。
しかし、玄関から先に広がるゴミ野は土禁である必要はなさそう。
そうは言っても、人様の家に土足で上がり込むような無礼もできず。
私は、「靴のままで構いませんよ」との一言を期待しながら、ゆっくりと靴を脱いだ。

室内は2DK、異酷情緒漂う完全なゴミ屋敷。
私は、足裏に伝わってくる異物感を不快に感じながら一歩二歩と前へ。
食べ物関係のゴミが散乱する台所は不衛生極まりなく、顔をしかめたくなるほどの悪臭とともに無数の小蝿が乱舞。
それでも、私は、感情の起伏を態度と表情にださないよう努め、機械的な動きと無表情・淡々とした物腰を維持しながら部屋の見分を進めていった。

そんな中で、ドアを開けた奥の部屋に衝撃の光景が・・・
私の目には、全く予想していなかったモノが飛び込んできた。
それは、事務的な冷静さを堅持していた私を驚嘆させるほどショッキングなモノであった・・・

つづく




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秋、色々・・・

2008-09-23 08:38:48 | Weblog
朝晩の冷気に、ハッキリと秋が感じられるようになってきた今日この頃。
例の体調不良を除けば、今年の夏は目立った故障もなく無事に過ごすことができ、一息ついている。
過酷な夏の反動があるせいか、秋は私にとってホッとできる季節だ。

それにしても、今年は秋の到来が早い気がする。
気のせいだろうか・・・
例年だと、9月に入っても猛暑が続くのに、今年は厳しい残暑も続かず、既に随分と過ごしやすくなっている。

しかし、秋は全ての人に歓迎される季節ではないみたい。
「何となく寂しい感じがする」
「意味もなく物悲しい」
そんな感じで、秋を苦手とする人は意外と多いようだ。

それは、秋という季節には、人生の悲哀を感じさせる何かがあるからだろうか・・・
冬と死を重ね合わせて、本能的に人生の晩年を連想してしまうからだろうか・・・
確かに、人生が終わりに近づいていることを想うと、独特の切なさや寂しさを感じて日常の価値観に変化がもたらされる。
そうして、季節の移り変わりは、我々に大切な何かを教えてくれているのかもしれない。

そんな秋、私にとって難点がないわけではない。
例年通り、冬場の低空飛行に向かって、精神の機首が下がり始めてきたのだ。
突発的な乱気流にでも巻き込まれないかぎり急降下することはないのだが、気の持ちようとは関係なく下降してきていることは確実に自覚できている。
毎年のことなので慣れてはいるけど、低空飛行なら低空飛行なりに安定飛行でいきたいものだ。


何はともあれ、〝秋〟と言えば・・・

「芸術の秋」
今は、芸術には縁(えん)も縁(ゆかり)もない生き方をしているけど、大人になる前は図画工作を得意?としていた私。
上手い下手は別にしても、特に絵を描くことが好きだった。
10代の頃は、知り合いの会社のポスターを描いたりして、ちょっとした小遣いを獲ていたくらい。
どちらにしろ、〝安定〟とは無縁な人生を歩むことになるんだったら、思い切ってそっちの道にチャレンジしてみてもよかったかも?

「収穫の秋」
主食である米を筆頭に、秋は主だった農作物の収穫時期。
一年間、自然を相手に汗と泥にまみれた成果が実る季節だ。
その恩恵は、農家だけのものではない。
代価を払うとは言え、我々だってその糧と美味に預かれる。
作ってくれる人・運んでくれる人・売ってくれる人がいてこそありつける収穫だ。感謝。感謝。
しかし、至る所で偽装が発覚している昨今、何をどう信用していいものやら・・・残念である。

「スポーツの秋」
日々の肉体労働がそれなりの運動になっているだろうけど、もともと、スポーツには縁のない私。
草野球やゴルフ等、スポーツを趣味にしている人を羨ましく思う。
しかし、私にそんなことをする体力も時間もない・・・
いや、ないのは体力でも時間でもなく、〝やる気〟〝やりたい気持ち〟なのだろう。
前向きなことについては何事に対しても、できない理由ばかりを並べ立てるのが私の悪い癖。
脳ミソぐらいは運動させて、柔らかくしときたいものだ。

「行楽の秋」
たまには、ひなびた温泉旅館にでも逗留して、露天風呂にでも浸かりながらのんびり過ごしたいもの。
しかし、まとまった休暇をとるのは不可能。
また、こうも物価が上がっては財布の紐も縮こまって旅行どころではない。
入浴剤でも買ってきて、空想温泉でも楽しもうか。
また、この人生旅行も、考え方によってはなかなか楽しめる。
この旅もじきに終わることを想えば、充分な行楽感を味わえるものである。

「読書の秋」
文字を読むことが滅法苦手な私は、本を読むなんてことは滅多にない。
新聞も雑誌も漫画も何も読まない。
活字を読んでいると、すぐに眠くなる。
それでも、日常生活に困ったことはない。
それより、要らぬ情報に気を取られている間に心の声を聞き逃さすことがないよう気をつけたい。
自分の心は、自分で思っている以上に弱く不安定なものだから。

「食欲の秋」
もともと食い意地の張っている私。
食欲も旺盛だし、大食いでもある。
暴飲暴食をやらせたら、いい線を行く。
しかし、口を開けて〝頂戴!頂戴!〟するメタ坊を甘やかす訳にはいかない。
身体の健康がないとメタ坊だって生きていけないのに、ヤツは食欲に走るばかりで身体の健康なんて眼中にない。
まったく愚かな相棒だ・・・
道連れにされないよう、自制が必要だ。


ある年の初秋、一人の若者が孤独死。
故人は、翌春の就職も内定していた大学四年生。
都内の大学に通うため、実家を離れて一人暮らしをしていた。

当初、自殺が疑われたが、警察の検案は自然死。
死後経過は、一週間から10日。
残暑の折、それは肉体が溶けるには充分な時間だった。

現場は、小さな老朽アパート。
その造りは、今では珍しくなった、風呂なし・共同玄関・共同トイレ。
立地もよくはなく、車では入っていけないような狭く入り組んだ路地の奥に建っていた。

依頼者は、アパートの大家である初老の女性。
未だかつて経験したことのない事態に、ヒドく困惑していた。

異変を知らせたのは近所の住人。
今までに嗅いだこともないような異臭が、このアパートから漂いだしたかと思ったら、現場の部屋の窓に無数の黒点が発生。
そのニオイは日に日に濃くなり、また黒点は日に日に増加。
その奇妙な現象に不気味なものを感じた住人は、古くからの顔見知りだった大家に連絡。
現場に駆けつけ大家は、窓を外から見ただけで悪い勘が働き、すぐに警察に通報したのだった。


「このアパートは、この子(故人)を最後に終わりにするつもりだったんです」
「そうなんですか・・・」
「だから、部屋が空いても新しい人を入れないでいたんです」
「はい・・・」
「でも、最後の人がこんなことになるなんてねぇ・・・」
「・・・」
「こんな年になっても、初めて経験することってあるものなんですね・・・」
「・・・」
アパートに他の住人がおらず、故人を最後に取り壊されることになっていたことは、大家・遺族双方にとってまさに不幸中の幸い。
女性は、アパートの最期と故人の死に妙な因果を感じたようで、感慨深そうに建物を見上げた。

「かかる費用は、田舎の親御さんが払ってくれることになってますので・・・」
「わかりました」
「でも、どうせ壊すだけのアパートですから、最低限のことだけやって下されば結構ですので」
「はい・・・」
「親御さんも、楽じゃないでしょうから・・・少しでも安くお願いしますね」
「承知しました」
「それにしても、親御さんが気の毒ですよ・・・」
「・・・」
「私にもいい年をした息子がいますけど、先に死なれることなんて考えるのも恐ろしいですよ」
女性は、自分の災難をよそに両親に深い同情を寄せていた。
私も、話を聞いて同じような気持ちになった。

「ところで、中はどんな状態でしょうか」
「さぁ・・・見てないのでわかりません」
「そうですか・・・これから見せていただきますけど、一緒に御覧になります?」
「え!?無理!無理!見れません!見れません!」
「・・・」
「見なくてもいいですよね!?」
私がしつこく誘ったわけでもないのに、女性は同行を頑なに拒否。
女性が顔に浮かべる恐怖感は、腐乱死体に対するものではなく、〝子供の死〟に対するもののように感じられた。

「死は防げなかったとしても、腐乱は防げなかったのだろうか・・・」
私には、いくつかの疑念が沸々。
学校・アルバイト先・友人・知人etc・・・
これが現代社会の実態か・・・小さな部屋に広がる凄惨な腐乱痕と学生だった故人を取り巻いていたであろう人間関係がマッチせず、何とも納得できないものを感じた。


結局、すべてのことは大家を介して進められ、最後まで、田舎の両親と私が顔合わせることはなかった。
ただ、全てが片付いた後の日に、父親が電話をくれ、私の労をねぎらいながら礼を言ってくれた。

一人前の大人にしようと精魂込めて育てた息子。
都会の大学に入れ、あとは社会に巣立つのを待つばかりだった。
その命が、いきなり消えてなくなった。
残ったのは、変わり果てた肉体と部屋だけ。
両親は、まさか、こんなことが起こるなんて、微塵も心配していなかっただろう・・・
電話では社交辞令的な挨拶を交わしただけだったが、父親が抱える悲哀はそのまま涼秋となって私に届いたのだった。


あの秋。
若かった故人は、突然に世を去った。
余生が長いことを信じて疑わず、将来に夢と希望と計画を持ったまま・・・

この秋、私に死ぬ予定はない。
しかし、生きて冬を迎えられる保証・・・死なない保証はどこにもない・・・
言うまでもなく、死は、老人や病人だけのものではないから。

〝人生二度なし〟〝今日は今日だけ〟
「〝今を生きる〟ってどういうことだろう・・・」
秋は、私にそんなことを考えさせる季節でもある。




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良薬

2008-09-17 08:22:52 | Weblog
〝百薬の長〟
言わずと知れたことだが、私の好物である酒を指した言葉。
酒は、適量をきちんと守れば薬効が期待できるものらしい。
〝全く飲まないよりも適量を飲む方が身体にいい〟という説もある。
飲兵衛にとっては、Happy&Welcomeな話だ。

飲兵衛は、〝飲み過ぎは身体に悪い〟とはわかっていても、「量を飲まなければ平気」等と言い訳にならない言い訳をする。
更には、「ワインや蒸留酒は健康に効くから、いくらでも飲んでも身体にいい」なんて、根拠のない理屈をつける。

かく言う私も、昨年の今頃は、毎日の晩酌が欠かせず、ビールやチューハイを中心に大量の酒をあおっていた。
1日の最低量は1リットル。
それでも、身体と財布のことを考えての制限量。
ハードな現場をやった日などは、労働の報いとして、それ以上の量をグイグイやっていた。
それがまた格別に美味くて、翌朝の倦怠感と不快感を引き換えにしてまでもやめられなかった。

そんな具合で、意志の弱い私はもう何年も酒の量を減らすことができないでいる。
しかし、そんな私でも今までに何度か、禁酒・節酒が叶ったことがある。
体調を崩したときだ。
そうでもない限り、私は酒をやめることができなかったのだ。

そして、今が、まさにそう。
6月末に体調を崩したのを境に、日常的な飲酒がストップ。
人との付き合いで外で飲むことはあっても、自宅で飲むことはほとんどなくなった。

元気なうちは誰の忠告にも耳を貸さず、少々の体調不良なんか何のその。
「我慢したって長生きできる保証はない」とばかりに開き直り。
そんな強気も、体調が崩れれば一変。
弱い心身には小さな苦しみでもかなりこたえ、いきなり気が弱くなる。
そして、後悔と改心の念が怒涛のように押し寄せてくる。
この様に、身に受ける困難・苦難・艱難は、弱い人間にとって良薬になることがままある。

しかし、苦味が喉元を過ぎ時間が経過すると、良薬の記憶は薄まっていく。
そしてまた、何も省みない元の状態に戻る。
悲しいかな、人間ってそんなもの。
同じ過ち・・・悔い改めと堕落を何度も繰り返す。
そして、ある時、そんな不甲斐ない自分を見ては落胆し・卑下し・嫌悪するものなのである。

では、そんな人間は、人として一寸の成長も一歩の前進もないのだろうか。
いや、そんなことはない。
三歩進んで二歩下がりながらも、確実に一歩は前進している。

それは、子供の成長にも似ている。
一日一日では、外見も内面も成長を感じることはない。
しかし、10年経てば10歳になり、20年経てば大人になっている。
日々の成長は目に見えないけど、いつの間にか、自然に成長しているのである。

人が人として成長することも、これと似たようなものだと思う。
苦しみ・悩み・悲しみの中にあって、何の進歩もないように思えるときでも、生きている限り人は成長しているのだと思う。
後悔と改心と堕落の繰り返しは、決して無意味なことではない。
〝良薬、口に苦し〟
後に、それが良薬だったことに気づくことができれば幸せ、気づかなくても不幸ではないのである。


亡くなった故人は、老年の男性。
長寿の末の安らかな最期。
その死顔は無表情で、この世での戦いを終えた者にしか与えられない力みのないものだった。

そんなに広い家でもないのに、故人宅にはたくさんの親類縁者が集合。
その中の床の間に、故人は安置されていた。

着せ替える着物は白い死装束ではなく、一張羅の羽織着物。
遺族がそれを希望。
洋服に比べて和服は着せ替え易いし、手間も死装束を着せる場合とほとんど変わらないので、すぐに承諾した。

ただ、腕の注射痕に問題あり。
血管に開いた小さな穴から、生きている人だったらとっくに失血死しているだろうと思われるほど大量の出血があったのだ。
そして、ワインレッドに染まる浴衣とシーツを前にして、遺族は当惑していた。

それを止めるには荒技を使うしかなく、しかし、部屋にごった返す人達を退席させられるほどのスペース的余裕はその家にはなく・・・
私は、遺族に了承してもらった上で、自分自身の身体を故人と遺族の間の壁にしながら止血作業を行った。
しかし、好奇心を抑えきれずに脇から覗き込んでくる人の視線まで防ぐことはできなかった。

腕の出血をはじめ、血色のない顔・病院の浴衣・無精髭・髪の毛の寝グセ・・・
それら一つ一つが、もう故人の身体には魂がないことを強く感じさせていた。
それが、着替・剃髭・整髪・薄化粧が終わり、生前の故人と変わりないくらいになると、遺族は「生きてるみたい!」と喜んでくれた。
しかし、そんな錯覚ができるのも束の間。
息もなく微動だにしない故人に、生を見いだすことができる訳もなく。
一瞬の錯覚も虚しく、遺族は故人の死を受け入れるほかはなかった。
そして、それもまた、故人の死を受け入れるために必要なプロセスだった。


黙って作業をすすめていると、遺族同士の会話が自然と耳に入ってきた。
そして、その話からは、故人を取り巻く家族模様を伺い知ることができた。

故人の傍らには、老婆が一人・・・
小さくなった身体を正座させ、静かに故人の顔を見つめ、気のせいか穏やかに笑みを浮かべているようにも見え・・・
この女性は故人の妻だった。
その他に、40~50代くらいの男女が二人ずつと30代半ばくらいの女性が一人。
それぞれが故人の息子・娘のようだった。
男性は神妙な顔、女性は泣き顔・・・
その中でも、30代?女性が一際悲嘆に暮れ、泣きはらした顔を更に涙で濡らしていた。

その女性は5人兄弟姉妹の末っ子で、故人が50代になってからの子供。
上の兄姉とは10以上も歳が離れていた。
不意なことではあったけど、娘を授かった故人はその誕生をとても喜んだ。
そして、その可愛がりようは半端ではなく、その姿は微笑ましいものだった。

しかし、幸せいっぱいの故人にも不安がないわけではなかった。
一般的に、当時の故人は、孫ができてもおかしくない年齢で、新たに子育てをスタートする歳ではなく・・・
また、体力の衰えや身体の不調も頻繁に感じられるようになり・・・
そんな中で、「子供を一人前な育て上げることができるだろうか・・・」と、故人は苦悩を抱えるようになった。

それまでの故人は、〝我慢して長生きするより、長生きできなくても好きなことをしていたい〟という価値観のもとで、健康の〝け〟の字も気にかけることなく自由奔放にやっていた。
また、下戸を相手に「酒が飲めないなんて、人生を半分損してる」等と豪語。
その故人が、一念発起。
「末娘が一人前に育つまでは、何か何でも元気でいないと!」
と、まるで人が変わったかのよう健康管理に気を使うようになり、好きだった酒もやめた。
その代わりに、人が勧められるサプリメントを飲むようになり、それは晩年まで続いた。

普通に考えると、そんな禁欲生活は苦痛のように思えるけど、周りから見ても故人はストレスを抱えているようには見えず。
それどころか、それまでよりもずっと健康的で若々しい雰囲気に。
娘のためにやることが自分のためにもなり、自分のためになることが娘のためにもなり・・・
その結果として、故人は健康と長寿を得たのだった。


作業の終盤、人生をまっとうした故人の柩を家族が取り囲んだ。
そして、その柩には、故人の息子・娘達の手で愛用のサプリメントと紙パックの酒が涙と共に納められた。
それから、故人の妻が、目を閉じる故人の顔の側に古い家族写真をそっと置いた。

故人にとって家族は最愛のものであり、最良の薬であった・・・
それを証しするように、老婆は、故人の無表情の中に見える笑顔に自分の笑顔を重ねて涙を落としたのだった。





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キズ隠し

2008-09-11 08:37:04 | Weblog
初老の男性の声で特掃の依頼が入った。
「社員寮として借り上げているアパートで、社員が体調を崩した」
「トイレで吐血したらしく、汚れてしまったので掃除をしてほしい」
とのこと。
零細企業ながら、男性はその会社の社長らしかった。

〝体調を崩して吐血〟と聞いては、安易に引き受けるわけにはいかない。
自分の身を守るうえで、まずは感染症を疑わなくてはならないのだ。
もちろん、病院の診断だけを真に受けるわけにもいかないけど、その診断を聞くことは重要。
現場の状況確認はその後でも遅くないので、私は、その辺のことを先に尋ねた。

「感染症の疑いはありませんか?」
「・・・多分・・・」
「その方は、今、病院ですか?」
「・・・はぃ・・・」
「医師の診断は何ですか?」
「ちょっと、そこまでは・・・」
「んー・・・では、容態はどうなんでしょうか」
「それもちょっと・・・」
私が何を質問しても、男性の口から出るのは歯切れの悪い返事ばかり。
その様子は、私のスタンスを慎重なものにさせた。

通常、法定伝染病や結核でなければ常用の装備で充分に防護できる。
だから、いつものように備えをもってすれば現地調査に出向くことは可能だった。
しかし、男性の物腰に善意ではない何かを感じた私は、その時点での現地調査依頼を保留にした。
その代わりとして、現場の写真を送ってもらうことに。
そして、それを基にして必要な作業を組み立て、それに伴う費用を算出することにした。


数日後。
現場の写真何枚かがE-mailの挨拶文に添付されて送られてきた。
それを開けた私は、目が悪いわけでもないのにモニターに顔を近づけて凝視。
黒い模様が着いた便器・・・
そして、床には新聞紙が散乱し、所々黒く変色・・・
時に、写真は現物よりも凄惨さが際立つことがある。
この時もまさにそうで、その光景は単なる吐血の域を超越。
私は、目をしかめながら、写真の一枚一枚を舐めるように見分していった。

「送っていただいた写真を拝見しましたが・・・」
「はぃ・・・」
「これ・・・吐血ですか?」
「は、はぃ・・・」
「言葉が悪くて申し訳ありませんけど、かなりヒドいですねぇ」
「・・・」
「ご本人は御無事なんですよね?」
「まぁ・・・」
「まだ、入院しておられるんですか?」
「はぃ・・・」
「容態はどうなんですか?」
「・・・」
男性は、前回同様、濁った返事しかせず。
その態度に、私は、当人の存命を疑わしく思った。
そして、男性と話せば話すほど、その疑心はどんどん膨らんでいった。


写真だけしか材料がないため、見積書は条件付のものしか作成できず。
しかし、男性は、私が付けた条件をすんなり了承。
その上で「早めにやってほしい」と要請。
その応対に、男性が切羽詰まった状態にあることが伺えた。
同時に、私も重い腰を上げざるを得なくなり、その場で訪問予定日時を約した。


現場訪問の日。
部屋の鍵は、先に教わった場所に隠してあった。
男性は現場に来ないことになっていたので、私は素のままの態度で機械的に玄関を開けた。
それから、土足のまま上がり込み、事務的にトイレの扉を開けた。
すると、目の前には、写真で見たままの光景。
ほぼ想像通りで心の準備ができていた私に驚きはなく、写真では表現しきれていなかった生々しさを感じるのみだった。

現場を確認した私は、男性に電話。
事前に送った見積内容に変更が生じなかったため、男性は正式に特掃を依頼。
私は、暗い緊張感を抱えながら作業の準備に取りかかった。

便所掃除は、慣れているとは言ってもなかなかやりにくいもの。
スペースが狭いうえに、中央には便器が座っているため、床を掃除するときにはこれが至極邪魔になる。
そんな便器の奥(裏側)まで手を届かせるためには、結構な筋力と冒険心が要るのだ。
私は、責任感半分・諦め感半分で、黙々と作業を進めた。

「なんだ!?」
そんな作業中、赤黒に染まる床に妙なものがあることに気がついた。
注視すると、それは細長い金属質の物体。
血泥ごとつかみ上げてみると、それは一本の果物ナイフだった。

「オイ、オイ・・・」
それがナイフだとわかった途端、全身に悪寒。
と同時に憤りにも似た嫌悪感が頭をもたげてきた。

「こんなの聞いてないぞ!」
私は、作業の手を止めて以降のことを思案。
そして、何かを抗議するため、依頼者の男性に電話をかけた。

「妙なものが出てきたんですけど・・・」
私は、興奮を抑えながら、作業の途中経過と刃物がでてきたことを男性に報告。
それを聞いた男性は、明らかに動揺。
そして、次の質問に耐えられないと判断してか、男性は言いにくそうに事の真相を打ち明けてきた・・・

トイレから当人を運び出したのは、消防ではなく警察。
やはり、部屋の住人は亡くなっていた。
そして、死因は病気による吐血ではなく自殺だった。

故人は、男性が経営する会社に勤務していたが、しばらく前に退職。
亡くなったときは、既に社員の身分ではなかった。
それが、自己都合の退職だったのか会社都合の退職だったのかまではわからなかったけど、故人が会社を退職するにあたっては一悶着あった様で、男性は声のトーンを落とした。

会社は辞めた故人だったが、近しい身よりもなく孤独な身の上。
アパートを出ても住む所はない。
そこで、次の仕事が安定するまで継続居住を希望。
男性は、家賃を本人が自己負担することを条件に、そのまま住み続けることを了承した。

男性には、仕事を失った故人が困窮することはわかっていた。
しかし、男性にも守らなければならない生活と会社がある。
家賃を滞納されることを覚悟しつつアパートへの継続居住を認めることが、男性が故人にかけられるせめてもの温情だった。
そんな中で、実際に故人は家賃を払うこともなく、自らの手で人生に幕を引いたのだった。

男性は、故人の死について、良心の呵責に苛まれているようだった。
そして、事を公にすることが、自分の薄情さと罪悪感を浮き彫りにしてしまう恐怖感に耐えられず、事の真相を露にできなくなったらしかった。

「個人情報やプライバシーに関することですし、守秘義務もありますので、私は余計なことを言うつもりはありませんけど・・・」
「でも、〝写真を見せろ〟とか〝住んでいた当人に会わせろ〟なんて言われたら、逃げ場はありませんよ」
「後で事実が明るみなる可能性も大きいですし、隠せば隠すほど問題は大きくなるだけだと思いますよ」
私には、男性の苦悩と心痛がわからないわけではなかった。
しかし、大家や不動産会社には事実をきちんと伝えた方がいいと思い、諭すようにそれを促した。
そして、男性は〝そんな事、言われなくてもわかってるよ〟とでも言いたそうにしながらも、私の話を反論なく聞いてくれた。


誰だって、心の中にキズの一つや二つ持っている。
誰にも曝したくない触れられたくないキズを、人にも自分にも治せないキズを持っている。
それが、人が生きていく上で負わされる宿命であるとは言え、結果的に、故人のナイフはその身だけではなく依頼者男性の心にまでも深い傷を負わせた。

血まみれのナイフを拾い上げる私の手もまた血まみれ。
それは、まるで、私自身がキズを負ったかのようにも見えた。
そして、それが何を教えようとしているのか・・・
その答を掴み取ろうと、必死にナイフを握り締める私だった。




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星空

2008-09-05 10:50:34 | Weblog
ある日の夕方。
その日、早く仕事を終えた私は、陽もまだ沈みきらないうちから仲間と共に居酒屋に繰り出した。
明るいうちから酒を飲むなんて、堕落した人間のように思われやすいけど、私にとっては年に何度も味わえない贅沢。
いつ鳴るかわからない携帯電話をテーブルの傍らに立て、とある居酒屋の席に腰を落ち着けた。
そして、手始めの生ビールを何杯か飲み進めていた。

そんな私のところへ、会社から一通のメール。
〝孤独死・腐乱現場の処理について問い合わせが入ったので、依頼者に連絡を入れよ〟との、無情な内容。
せっかくいい気分になりかけたところでのメールに私は憮然。
しかし、仕事は私にとって大切なもの。
そんな時間から酒を飲んでいる私に逆らう理由はなく、素直に指示に従うことに。
私は中座して、外から依頼者の携帯に電話をかけた。

電話には若い声の女性がでた。
若干のアルコールが回って柔らかくなっていた私とは対照的に、女性は緊張した様子で事情を話し始めた。

亡くなったのは女性の父親。
現場は街中の賃貸マンション。
発見したときは死後10日前後で腐乱。
警察の霊安室で変わり果てた故人を確認したが、あまりにもショッキングな態様に悲哀を通り越した恐怖感と嫌悪感に襲われたらしかった。

「ところで、亡くなっていた場所はどこですか?」
「場所?」
「えぇ・・・例えば、台所とかトイレとか風呂とか・・・」
「あー・・・お風呂らしいです・・・」
「お風呂・・・ですかぁ・・・」
「はぃ・・・」
「中はご覧になりました?」
「いえ・・・一歩も入ってません・・・てゆうか、マンションには行ってないんです」
「そうなんですかぁ・・・」
話題のせいか女性の温度が伝わってきたためか、私には、会話を進めるうちに自分のホロ酔いが冷めていってるのがハッキリわかった。

ケースはまちまちながら、基本的に、汚腐呂の始末は私の気分を藍色にする。
遺体があったのが浴槽の中なのか外なのか・・・
浴槽の中だった場合、湯(水)が溜まったままなのか抜かれているのか・・・
お湯(水)溜まっていた場合、保温機能がついているのかついていないのかetc・・・
この要因の組み合わされ方によっては、汚腐呂と言えどもライト級で済んでいることもある。
逆に、スーパーヘビー級になることもあるけど・・・

そんな事情もあって細かい情報を拾いたい私だったが、現場に行っていない女性がそこまでのことを把握している訳もなく。
そこら辺のことを警察から少しは聞いていないかとも思ったけど、やはり、女性はほとんど把握しておらず。
私の質問に応えられないことにストレスを感じさせたら申し訳ないので、あとの状況は現場で直接確認することにして質問を閉じた。

私は、女性の都合と自分の予定を調整して、翌日の夕方に現場に行く約束を交わした。
そして、仕事モードに切り替わってしまった頭を引きずって居酒屋の席に戻った。

しかし、翌日にレベル不明の汚腐呂が待っていると思うと、飲む気が急激にダウン。
気分が乗らず、ビールから切り替えた日本酒もほどほどにして、早めに解散。
酒宴の中断・仕事の労苦・生活の糧・一人の死・依頼者の悲哀・・・
複雑な心境を抱えた帰り道、気晴らしに見上げる夜空に星はなかった。
ただ、街の明かりをボンヤリと反射するばかりだった。


翌日の夕方。
約束の時刻よりも早く到着した私は、現場に間違いがないように建物に記されたマンション名を確認。
それから、入り口エントランスの集合ポストに故人名を探した。
見つけた部屋番のポストには名前はでていなかったけど、無造作にたまったDMやチラシ類が、暗に住人の不在を示していた。

その後、時間のあった私は部屋の前へ。
様子を観察しても、玄関まわりに特段の異常は見受けられず。
中に充満しているはずの異臭も、外までは漏れ出していなかった。

空のオレンジに青みがかかってきた頃、マンションに向かって歩いてくる女性が一人。
私の姿を見つけるとは小走りに近寄ってきた。
走ったせいで息が切れたのか緊張のせいか、女性は微妙に震える声で私に挨拶。
少しはリラックスしてもらえるかと思い、私は軽い笑顔でそれに応えた。

「早速ですが、部屋を見せていただけますか?」
「はい」
「玄関を開けてもらっていいですか?」
「はぃ・・・」
「一緒に中をご覧になりますか?」
「・・・」
「私一人で行ってきましょうか?」
「・・・」
「〝御遺体と同じように、見ない方がよかった〟ってことになったら取り返しがつきませんし・・・」
「はぃ・・・どうしようかなぁ・・・」
女性の頭には遺体の姿が蘇ったのか、顔には困惑の表情。
女性はしばらく迷い、結局、玄関前まで一緒に行って、そこで決めることに。
私は、部屋の鍵を持つ女性に先行して、狭い階段を上った。

女性は、ぎこちなく鍵を差しドアを引いた・・・
すると、いつもの腐乱臭がモァ~ッ。
私にとってのそれはライト級だったけど、女性にとってはスーパーヘビー級。
そのニオイが鼻だけでなく精神まで殴ったのだろうか、足をヨロつかせながら後退りし、その場に座り込んでしまった。

「やめといた方がよさそうですね」
「・・・」
「ドアも早く閉めた方がいいと思いますし・・・」
「・・・」
「私一人で行ってきますね」
「はぃ・・・お願いします・・・」
女性は力なく頷いて、私が一人で入ることを了承。
私は、そそくさと中に入り、異臭を放つ玄関を急いで閉めた。

「どこかな・・・」
はじめにまず、暗い部屋の電気をON。
問題の浴室は、台所の脇にあった。
私は、下の方に視線を落としながらその扉を開けた。

「?!」
扉を開けると、目の前には通常の浴室にはないものが一本。
それが、天井の方からブラ下がっていた。

「あ゛・・・」
よく見ると、それは革のベルト
それが何本かつなぎ合わされて、天井から垂れ下がっていた。

「そういうことかぁ・・・」
天井の点検口は本来の目的には使われず。
暗黒への入り口のように口を開けて、その奥に暗闇を備えていた。


前日の電話からその時まで、女性は、故人の死因にはまったく触れず。
ただ、目の前の状況は明らか。
私は、浴室の処理方より、女性への対応方を考えながら汚染具合を調べた。

「楽に済みそうだな」
汚染はライト級。
余計な虫も湧かず、天井・壁・浴槽は無事。
床面に赤茶色の汚れが付着しているだけだった。

「問題はコレだな」
私は、天井奥の暗闇から自分の方へ向かって伸びる革ベルトを注視。
そして、上から下から視線を往復。
それから、天井裏の鉄梁を凝視して、ベルトの取り付け具合を観察した。

「切った方が早そうだな」
この仕事のメインとなる作業は腐敗液の清掃ではなく、革ベルトの取り外し。
天井裏に上半身を突っ込む作業は、独特の寒気を感じるものであるが、私はそれを覚悟して玄関を出た。


「お待たせしました」
「いぇ・・・」
「浴室を見てきましたが・・・」
「はぃ・・・」
「汚染の程度は軽いものです・・・ただ・・・」
「ただ?」
「警察から聞いておられませんか?」
「???」
とぼけているのか、本当に知らないのか・・・
業務上で必要な情報でもなかったし、私が代われないものを女性に背負わせるわけにもいかなかったので、私は喉からでかかっていたものを飲み込んだ。

処理を急いでいた女性は、その場で作業を依頼。
精神力次第では短時間で済む作業に、私は、自分にプレッシャーをかけた。
そして、いつもの特掃用具に脚立とカッターナイフを加えて、再び浴室に入った。

天井からベルトが垂れたままじじゃ、床掃除もやりにくい。
何よりも、気が散って仕方がない。
私は、最初にそれを始末することにした。

汚染床にビニールシートを敷き、点検口の真下に脚立を設置。
そして、それをよじ登って、天井裏に上半身を突っ込んだ。
それから、おもむろにカッターナイフの刃をベルトに当てた。

革ベルトって、意外と固いもの。
切られることに抵抗するその固さが、自死を選択した故人の意思の固さを表しているようで、それが私の身体を強張らせた。

一通りの作業を完了させた私は、暗闇に包まれた外で待つ女性をエントランスに呼び寄せた。
そして、浴室を外観上は何もなかったかのように戻せたことを伝えた。


「自殺ではない!」
「精神的な病で死んだ〝病死〟なんだ!」
「そう思わないと、自分までおかしくなりそうだ」
別件の自死遺族に、そんな話をされたことがある。
身内が自殺した現実と、それを受け入れたくない感情。
それが、自分の中でぶつかり合い壮絶な葛藤が生まれる・・・
これは、よくあるの遺族感情の一つだと思う。
そして、本件の女性も、同じような悲哀を抱えていたのかもしれなかった。


私を信用してくれたのか浴室に対する恐怖感と嫌悪感が消せなかったのかわからなかったけど、結局、女性は浴室はおろか玄関から中に入ることはなかった。
そしてまた、故人の死因について口にすることもなかった。
ただ一言・・・
「ありがとうごさいました」
と、泣きたいのをこらえるようにして深々と頭を下げてくれた。


複雑な心境を抱えた帰り道、気晴らしに見上げる夜空に星はなかった。
しかし、暗闇の視力の向こうに輝く星があることは疑うまでもなかった。
そして、それを思い、時が来れば女性の空にも再び星が輝きだすことを確信した私だった。





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