特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

残された時間 ~中編~

2021-01-30 08:52:25 | 遺品整理
依頼者は、「余命二カ月を宣告された」とのこと。
そして、また、「できたら、ブログを書いている人に来てほしい」とのこと。
“ブログを書いている人”って・・・つまり、私のこと・・・
ただの仕事ではないことは依頼者と話すまでもなく明らかで、しかも“ご指名”ときた。
私は、慣れない依頼に、狼狽に似た戸惑いを覚えた。

が、まったく、自分らしい・・・
少しすると、今度は、いつもの悪い性質が頭をもたげてきた。
妙に気分が高揚、酒に酔ったときのように気持ちが大きくなってきた。
そこには、“誰かに頼りにされている”といった男気や、“誰かの役に立てるかも”といった喜びはなく、あったのは、“思い上がり”と“下衆の高ぶり”だけ。
「人の不幸は蜜の味」とまでは言わないけど、情けないことに、依頼者を思いやる優しい気持ちは小さく、珍事が起こったごとく、好奇心旺盛な野次馬が駆け回るばかりだった。

訊くまでもなく、女性はブログの読者。
しかも、“通りすがり”ではなく、多分、愛読者。
ということは、女性なりの“特掃隊長像”を持っているはず。
自分でいうのもなんだけど、「特掃隊長」って、欠点や短所を脇に置いてカッコつけるクセがある。
女性がイメージしているキャラクターと実際が大きく異なっていたら申し訳ないような気がして、野次馬は野次馬なりに、妙なプレッシャーがかかってきた。

想像するに、女性は、おそらく末期の癌患者・・・
しかも、「余命二カ月」ということは、かなり進行しているのだろう・・・
身も心もボロボロになっているかもしれない・・・
特掃隊長を指名してきた理由は何だろう・・・
“癒し”とか“励まし”とか、何かを求めてのことだろうか・・・

どちらにしろ、“余命二カ月”ということを知ってしまった以上は、「プレッシャーゼロ」というわけにはいかない。
“特掃隊長=私”、別に化けているわけじゃないから、化けの皮は剥がされようがないけど、女性の期待を蔑にする“裏切者”にはなりたくない。
私が冷酷非情な一面を持っているのは事実だけど、そこばかりに囚われて卑屈になっていては、女性が失望する側に人間が偏る。
結局のところ、明るく話せばいいのか、厳粛に落ち着いた感じで話せばいいのか、自分がブレまくり、どういったスタンスをもって電話をすればいいのか、固めることができず。
結局、私は、手が空いても、すぐに電話をかけることができなかった。

独りよがりでいつまで考えても、所詮は、私が特掃隊長で、特掃隊長は私。
ブログだって、他人が打った文字はこれまで一つもなく、今更、立派な男に化けようもない。
もともと、“特掃隊長=私”なんてダメ人間の代表格。
今更、気どる必要など どこにもないし、どんなに気どったってポンコツはポンコツ。
開き直った私は、小心者らしい不安を抱えたまま、素に近い自分で電話をかけた。


スマホを手元に置いて連絡を待っていたのか、女性はすぐに電話をとった。
神妙な心持ちでかけた私とは対照的に、思いのほか明るく、礼儀正しく丁寧な物腰。
重い病を患っていることは、言われなければわからないくらい、明るい声でハキハキとした口調。
そして、一通りの話がすんだ後、女性は、少し言いにくそうに、私が“特掃隊長”なのかどうかを訊いてきた。
私にウソをつく理由はなく、「そうです・・・そのようにご要望いただいたものですから・・・」と正直に答えた。

私が特掃隊長だとわかると、女性は、テンションを一段上げて喜んでくれた。
そして、自分がブログの昔からの愛読者であること、まさか自分が特掃隊長に仕事を依頼する立場になるなんて思っていなかったこと等々、興奮気味に話してくれた。
まるで、自分に 幸運が訪れたかのように・・・
私は、そんな女性に対して、声のトーンを落として応対。
短い会話だけでは、女性の真(心)の温度を想い計ることができなかったからである。

女性宅を訪問する日時を決めるにあたっては、「午前中は体調が整わないから、できたら午後にしてほしい」とのこと要望があった。
で、私は、次の日曜の午後を予定。
すると、女性は、「本来、日曜は休みなのでは?」「自分との面談より休暇を優先してほしい」と、心遣いをみせてくれた。
残された時間が二カ月とすると、たった一週間でも、その一割くらいを占める・・・そんな厳しい状況にも関わらず。
もう時間がない・・・日にちを空けることが躊躇われた私は、女性の心遣いに感謝しつつ「原則、年中無休だから大丈夫です」と返答した。

訪問予定の日まで四日の間があった。
その間、あまり経験したことのない出来事を前に、私の心持ちは、神妙なものに変わっていった。
そして、昼となく夜となく、私は、女性のことを考え、その心情を想った。
女性に関して知っていることは、氏名・住所、余命二カ月ということくらいで、顔も、年齢も、経歴も、何も知らないのに。
「残された時間が二カ月しかない」という現実は、ドライな私にも、それだけのインパクトを与えていたのだった。

「どんな心持ちだろう・・・」
「街や人は、どんな風に見えているだろうか・・・」
「空は、きれいだろうか・・・」
それが、ただの好奇心なのか、勝手な同情心なのか、独りよがりの感傷なのか、自分でもわからなかった・・・今でもわからない。
ただ、わずかでも、女性を思いやる気持ちが湧いており、そこには、自分らしくない、ある種の正義感があった。


12月13日 快晴、約束の日。
その日の午前中、私は、自分が片づけた腐乱死体現場跡を確認する仕事があった。
コロナウイルスは空気中を漂うだけでなく、服等にもついて移動するらしい。
自分が感染しないことはもちろん、女性宅にウイルスを持ち込んだら大変なことになる。
この身に腐乱死体臭はついてはいなかったが、私は、その現場を離れるとき、手指をキチンと消毒し、車の中で洗いたての作業服に着替えた。

約束の13:00の15分前、私は、女性が暮らすマンション近くのコインPに車を入れた。
そして、マスクを新品に交換し、手指を再度 念入りに消毒しながら、約束の時刻が近づくのを待った。
私は、ピッタリの時刻にインターフォンを押すつもりで、数分前に車を降り、ゆっくりと女性宅に向かった。
約束の時刻が迫ってくると、にわかに心臓がドキドキしはじめ、3Fへの階段を昇ると それは動悸にように不快なものに変わってきた。
自分が気弱な小心者であることは充分に承知しているけど、その類の緊張感を味わうのは滅多にないことだった。

私は、3分前の12:57に女性宅前に到着。
玄関を開ける前から心臓がドキドキするなんて・・・
どんな凄惨な現場に入るときも、そこまで緊張することはないのに・・・
「どんな男がやってくるのだろう・・・」と、女性は期待しているはず。
「俺に何ができるだろう・・・」と、私は不安に思っていた。

私には、余命短い女性を癒し励ますことができるほどの見識はない。
勇気や希望を与えることができるほどの力もない。
そんなこと充分にわかっていた。
しかし、どうしようもないプレッシャーを感じていた。
それは、偽善者でもダメ人間でも、少しはマトモな正義感が持てている証かもしれなかったが、そのときは、そんなことで自分を慰める余裕もなかった。

高ぶる気分を少しでも落ち着かせるため、私は、晴れ渡る青空に向かって深呼吸。
昔から、何かにつけ仰ぐ空に、そのときもまた助けを求めた。
それでも、なかなか心臓の鼓動はおさまらず。
自分に自信が持てない私にかかるプレッシャーも なかなかのもの。
結局、その間に耐えきれなくなり、私は13:00になるのを待たず、12:58、意を決して力が入りきらない指に勢いをつけてインターフォンを押した。                       


約束の時刻が迫る中で待ち構えていたのか、女性は、すぐに玄関を開けてくれた。
「はじめまして・・・」と言いながらも、親しい友人を出迎えたときのようなフレンドリーな雰囲気。
そして、「お待ちしてました・・・」と、イソイソとスリッパをすすめてくれた。
一方の私も、多少はドギマギしていたものの、半分は古い友人に会うような感覚。
「こんにちは・・・」と、マスクの下で社交辞令的な笑顔をつくり、部屋へあがらせてもらった。

訪問の目的は、“遺品整理の見積調査”。
とはいえ、事実上、それは「付録」みたいなもの。
“面談”が、女性の真の依頼であり、目的であった。
そうは言っても、見積調査を放っておくわけにはいかず、そそくさと家財を確認。
部屋は1Kの賃貸マンション、お世辞にも「広い」とは言えず・・・ハッキリ言えば「狭く」、更に、余命を意識してかどうか、家財の量も少なく、見分作業は ものの数分で終わった。

見分作業が終わると、女性は私に椅子をすすめ、自分は「いつもここに座ってるんです」と、使い古されたソファーに腰をおろした。
いつもそうなのか、寒い外からやってくる私に気をつかってか、暖房がきいた部屋は とても暖かく、やや暑いくらい。
しかも、その日は快晴で、私の左側の窓からは明るい陽光が射しこんでいた。
少し暑かったし、“密”になるのを避けたかった私は、窓を少し開けて換気してもらおうかとも思ったけど、風邪でも引かれたら困るのでやめておいた。
何はともあれ、天気のいい穏やかな日曜の昼下がりだった。


はじめ、女性は、熱いお茶を入れてくれた。
私は、それに口をつけるかどうか迷った。
重々気をつけてはいるし、自覚症状はないけど、PCR検査は受けておらず、私がコロナウイルスをもっていない保証はどこにもない。
茶碗にウイルスが付着して、それに女性が感染でもしたらマズイと考えたのだ。
しかし、缶やペットボトルならいざ知らず、せっかく入れてもらったお茶に口をつけないのは失礼だし、しばらく手をつけないでいると「どうぞ」と二度すすめられたので、結局、ウイルスのことは考えないで普通にいただくことにした。

初対面なのだから「当然」といえば当然か。
揉め事の解決や難しい商談をしに来たわけでもないのに、はじめは、何とも落ち着かず。
どんな態度で、どんな温度で、何をどう話せばいいのか・・・
ナーバスになっているかもしれない女性にとっては、私が吐く何気ない言葉が、デリカシーのない暴言になる可能性だってある
だから、当初は、女性の様子をうかがいながら頭に浮かぶ単語を慎重に選び、ややビクビクしながら言葉を発した。

そしてまた、目も口ほどにものを言う。
顔の半分はマスクで隠れているから、表情はつかみにくいけど、その分、“目の色”の変化は鮮明に表れる。
曇らせたり、驚いたり、引きつらせたり、険しくしたり・・・女性の余生を暗くするために来たのではないのだから、女性の心持ちにそぐわない目の色を浮かべてしまってはよろしくない。
私は、口から出す言葉だけではなく、自分の目の色にまで神経を尖らせた。
そして、お茶を飲むためマスクを外すときは、似合いもしない柔和な顔をあえてつくった。


女性は、このブログ初期からの愛読者で、実によく読み込んでくれていた。
気が向いたときに気が向いた記事だけ“つまみ読み”してもらっても充分なのに、すべてに目を通してくれているよう。
書いた本人でも忘れているようなこともシッカリ憶えてくれており、例年、冬の時季、私が調子を崩すこともわかってくれていた。
それで、自分の病気をそっちのけで、「大丈夫ですか?」と心配してくれた。
そして、普通なら「大丈夫です!」と言うべきところ、私は、「実は、あまり大丈夫じゃないんです・・・」と、バカ正直に答えてしまった。

そういうときは、ウソでも何でも「大丈夫です!」と明るく応えるべきだろう。
「大丈夫じゃない・・・」なんて言われたら、招いた女性も気を遣うし、気マズい思いをする。
ましてや、大きな病を抱えているのは女性の方で、「大丈夫じゃない」というのは、本来、女性のセリフ。
吐く言葉には細心の注意を払うつもりでいたのに、しょっぱなからしくじった。
私は、どんなときも自己中心的な自分に対し、マスクの下で小さな溜息をついた。

女性は、ブログを愛読してくれているだけではなく、“特掃隊長”のことをやけに気に入ってくれていた。
私の何かを勘違いしているのだろう、「前からの大ファン!」とのこと。
やたらと特掃隊長を褒めてくれ、賞賛してくれ、「カッコいい!」と持ちあげてくれた。
また、野次馬根性で訪問したにも関わらず、私と顔を会わせたことも大いに喜んでくれた。
その、はしゃぎようといったら、“残された時間が少ない・・・”といった切迫感を忘れさせるくらいのものだった。


この私、性格は暗く 内向的、人付き合いも下手なうえ苦手。
しかし、女性はその真逆。
明るく社交的な人柄。
誰とでも、親しく上手に付き合えるような感じ。
私は、人に褒められる喜びと、自分は持ちえない明るさに惹かれつつ、女性が醸し出すWelcomeな雰囲気に、温泉にでも浸かっているような心地よさを覚えた。

そんな女性の人柄と、自分の苦境を他人事のように話す明るい語り口によって、張りつめていた緊張の糸はみるみるうちに緩んでいった。
結局、色々と神経を尖らせ、気を遣っていた私が“素”で会話できるようになるまで、そんなに時間はかからなかった。
場の雰囲気に酔ってしまったのか、気をよくした私は、まるで酒に酔ったときのように饒舌に。
自分が話すことより女性の話を聴くことを心掛けつつも、聴き上手の女性を相手にすると、どうしても多弁に。
そう簡単には、自己中心的な性格は直らないのだった。

私を必要としてくれ、私の存在を喜んでくれ、こんなブログが女性の生き方に良い影響を与えているなんて・・・
おだてられる一方の私は、表向きは恐縮至極、内面は鼻高々。
照れくさいやら、恥ずかしいやら・・・
同時に、それは、とても嬉しく、とてもありがたく、少し誇らしくも思えることだった。
ただ、その後、話題は、向かうべきところに向かっていき、女性を泣かせてしまう場面もあったのだった。
つづく


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残された時間 ~前編~

2021-01-26 08:37:10 | 遺品整理
もう時間がない・・・
今夏に予定されている東京オリンピック、コロナ禍のせいで盛り上がりに欠けている・・・国民の関心が著しく薄れているのは明らか。
街には、開催を諦める空気が充満、再延期や中止を求める声も多くなっている。
いや・・・もっと言うと、もう、どうでもいい・・・今では、人々の関心はコロナと経済に集中し、オリンピックなんて何処吹く風。
それは、日本だけにとどまらず、世界中に広がりつつある。

もう半年しかないという段階でも、コロナ禍は一向に治まる気配はなく、悪化の一途をたどっている。
世界に目を向ければ、欧米の状況は、我が国よりも更に悪い。
国によっては、突貫工事のごとくワクチンが乱打されているけど、仮に、これがうまくいったとしても、全体的な効果がでるには一年も二年もかかるらしい。
こんな状況で、どうやってオリンピックが開催できるというのか・・・
出場予定の選手や関係者には気の毒なことではあるけど、どこからどう見ても無理。

“お偉いさん”達に、庶民にはわからない大人の事情があるのはわかる。
それぞれに立場(利権?)があり、表立って、開催に否定的な発言ができないのもわかる。
しかし、決断力や指導力、頼もしさや潔さがなさすぎる。
“国の祭”より、“国民の命”“国民の生活”の方が大切なのは、わかりきったこと。
はたして、こんな状況で無理矢理に開催したオリンピックが、楽しいものになるだろうか、喜ばしいものになるだろうか、弱っている人達が勇気づけられたり、困っている人達が癒されたりするだろうか・・・はなはだ疑問である。

いつみても虚ろな目をしている総理の言葉は、他人が書いた学芸会のセリフのようで、力強さや熱もなく、魂や志も感じず、信念やビジョンもみえない。
国が右往左往、迷走する中で強引に開催しようものなら、思いもよらないしっぺ返しがくるはず。
そして、そんな愚策によって、真っ先に犠牲になるのは、下々にいる身体的・社会的・経済的弱者であり、また、医療従事者やエッセンシャルワーカーの人達。
金や利権、権力や名声をもった、社会の上の方にいる人達ではない。
国民は、国のリーダー達の、政治家としてのスポーツマンシップと最高のパフォーマンスを求めているのである。



もう何年も前の話・・・
初老の男性から遺品整理の相談を受けたことがあった。
ただ、「遺品整理」と言っても、男性は、遺族ではなかった。
相談の内容は、“自分が死んだ後の始末について”ということ。
今風にいえば「終活」ということになるのだろうが、その中身は、一般的な終活とは異なっていた。

男性は、緩和ケア病棟、いわゆる“ホスピス”に入院中。
末期癌で、余命が短いことを宣告されていた。
しかも、医師から宣告された余命期間は過ぎた状態で、いよいよ残された時間が少なくなっていた。
何らかの事情があってそうなったのか、意図的にそうしたのか、結構、ギリギリのタイミング。
“モタモタしていられない”と判断した私は、早速、面会の日時を調整した。

男性の事情だけでなく、病院の都合もあり、面会予定の日時はすぐには決まらず。
また、「日時を約束しても、体調によっては急に変更をお願いすることがあるかも」とのこと。
あと、男性が現場(男性宅)に同行することはできないので、私が鍵を預かって一人で見に行くことになることも、面談の条件となった。
ただ、どれも私にとっては問題ないことなので、二つ返事で引き受けた。
その上で、私は、何かに急かされるように、一日でもはやく動ける日を探していった。

原則として、当社は遺品処理について生前契約は行わない。
当人の死後に相続が円滑に行われるとはかぎらないし、本人が想定していなかった相続人が現れるかもしれないし、誰も気づかなかった負債があるかもしれない。
つまり、遺産相続手続きに抵触し、トラブルに発展するリスクが高いのである。
あと、本人の死後に渡って、確実に当方の信用度を担保するものも提供できない。
したがって、死後の始末については見積書や契約書の作成にとどめ、事前に契約締結や金銭を授受することはないのである。

本来、こういった類の相談には、故人の代理人として相続人、もしくは相続人と同等の権限を有する人(後見人)を立ててもらう必要がある。
そして、その上で、本人には遺言書を書いてもらっておく。
正式な契約は、その代理人と取り交わし、作業はその契約・権限において実施するわけ。
たから、本件でも、代理人を立ててもらうつもりでいた。
ただ、会う前からそんな難しいことを言っても話がややこしくなるだけなので、まずは、面会日時を決めることを最優先にした。

この仕事を長年に渡ってやってきて、多くの経験も積んできた私。
世間様に自慢できる仕事ではないことは重々承知しているものの、“熟練”の自負はある。
ただ、経験してきた現場のほとんどは、本人が亡くなった後の始末。
生前の相談を受けたことがあっても、皆、健常な高齢者で、死期が明確に迫った人達ではなく、ほとんど一般論や世間話に近い内容。
“死”を取り扱った話でも、そこに、切迫感や緊張感はなかった。

稀有な仕事が舞い込んできたことに、私は興奮。
自分が頼られていることを誇らしく思い、喜びもあった。
心優しき善人でいたかったけど、私の中には、野次馬が闊歩。
若干の同情心はあったけど、深い悲しみや、男性を憐れむ気持ちはなかった。
自分の薄情さにはとっくに慣れており、そういう自分が“人としてどんなもんか”という疑問や嫌悪感は微塵も湧いてこなかった。

ただ、思いあぐねるところはたくさんあった。
余命いくばくもない人を相手に、どう接することが適切なのか・・・
男性の心を癒すことに努めるべきか、事務的な姿勢に徹するべきか・・・
どちらにしろ、下衆な野次馬根性や好奇心はもちろん、薄っぺらな同情心や、心にもない傷心は、簡単に見透かされるはず。
私は、心にもない沈んだ表情を浮かべたり、白々しいセリフを吐いたりするのはやめにして、とにかく、男性の雰囲気や温度を観察し、それに合わせることを心がけようと思った。

面会を約束した日の朝。
私は、どことなく高揚、どことなく緊張・・・落ち着きを失っていた。
不謹慎ながら、私の中には、どこか楽しいところに遊びにでも行くかのような妙な感覚が湧いていた。
同時に、そういう自分の悪い性質に対する敗北感も。
そんなソワソワした気分を携え、私は、男性が待つ病院へイソイソと車を走らせた。

そうして車を走らせることしばし、もう少しで到着するというとき携帯電話が鳴った。
相手は、男性を担当する看護師。
「少し前に、○○さん(男性)が亡くなりまして・・・」
「面会のお約束をされていると思うんですけど、そういうわけですから・・・」
それは、その日の未明に男性が死去したことを知らせる電話だった。

「え!? 亡くなったんですか!?」「そうでしたか・・・」
看護師に「ご愁傷様です」なんて言うのもおかしい。
驚きとともに、それ以上 返す言葉失った私は、
「それは・・・どうも・・・お疲れ様でした・・・」「じゃ・・・引き返します・・・」
とだけ応えて、そのまま電話を切った。

いきなり“肩すかし”を喰ったかたちとなり、とりわけ、それが人の死によるものだったから、私は、強い脱力感に襲われた。
面会の約束がキャンセルになったのは理解できたものの、その先にすべきことがすぐに思いつかず、しばし呆然。
未経験の寂寥感、妙な喪失感を覚えて、身体の力が抜けてしまった。
そうは言っても、いつまでもボーッとはしていられないので、気を取り直し、後ろ髪を引かれるような思いを胸に、イソイソと来た道をトボトボと引き返したのだった。



約一ヶ月半前のこと・・・2020年12月9日、曇天の昼下がり、一本の電話が会社に入った。
電話の相手は女性、相談の内容は遺品整理。
しかし、ただの遺品整理ではなかった。
電話を受けたスタッフは、その旨を部署の人間にメールで連絡。
その一人である私のスマホにも、その連絡は入った。

通常、日中は現場に出ていることが多い私。
緊急でないかぎり、会社からの連絡はメールで入る。
着信音が鳴るから気づくことはできるけど、作業中で手がふさがっているときは、わざわざ手を空けて見ることはしない。
とりわけ、汚物と格闘しているときなんかは。
私は、その時も作業中で、着信に気づいたものの、スマホを手に取るのは後回しにした。

「さてさて・・・どんな仕事かな・・・」
作業が一段落ついて、私は、いつものようにポケットからスマホを取り出した。
そして、会社からの連絡事項を確認すべく、メールの受信画面を開け、思わず目を見開いた。
そこには、依頼者曰くとして、「余命二カ月を宣告された」との文字。
そして、依頼者からの要望として「できたら、ブログを書いている人に来てほしい」
と記してあったのだった。
つづく



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野良犬

2021-01-13 08:30:27 | その他
月日がたつのは、はやい・・・
可愛がっていたチビ犬がいなくなって、もう六年半余が経つ。
スマホの待受画面は、ずっとチビ犬にしていたけど、一年前に機種変更したとき画像はど
こかへいってしまい、それからは、待受画面は味気ない既製画像になっている。

外を歩いていると、たまにチビ犬と同じ犬種(シーズー)を見かけることがある。
もともと犬好きの私だから、どんな犬も可愛く思えるのだけど、とりわけシーズーには格別に目を惹かれる。
他人がつれているよその犬なのに、ジーッと見つめてニヤニヤしてしまう。
どこの誰とも知れないオッサンがニヤニヤしていると、すごく怪しいけど・・・
飼主が話しかけやすそうな感じの人(だいたい中高年女性)だと、見ず知らずの人でも声をかけ、犬に触らせてもらう。

もう二十年近く前の話・・・
住んでいたマンションに近接する駅前スーパーの前に一頭のレトリバーがいた。
首輪をしていたものの、リードは着けておらず。
リードにつながれていないことを不審に思わなくもなかったけど、「買い物をしている飼主を待ってるんだろう・・・」と思い、多くの人と同じく、私も、そのまま素通りした。
しかし、それから、何時間か後。
再びスーパーの前を通ると、その犬は まだそこにいた。
さすがに妙に思った私は、犬に近寄り、頭や身体を撫でながら首輪を確認。
同時に、鑑札を探し、それを見つけた。
犬はおとなしく、やや怯えたように、やや遠慮がちに、下がり気味の尻尾をゆっくり振った。

時刻は夕暮れにさしかかっていた。
当時は、動物を飼ってはいけないマンションに住んでいた私。
首輪には鑑札もついており、捨て犬ではなさそうだったから、そのまま放っておいても問題なさそうだったけど、車に撥ねられたり、酒癖の悪い酔っぱらいや、弱い者いじめが好きな不良連中に襲われたりでもしたらマズい。
結局、犬を放っておくことが躊躇われた私は、「一晩くらいならいいだろう・・・」「明日、役所に問い合わせればいいんだから」と、首輪に手をかけた。
犬は、不安そうな顔をしながらも、おとなしくついてきた。
そして、私は、人妻でも誘ってきたかのようにキョロキョロと周りの目を気にしながら、そそくさとエレベーターに乗り、コソコソと部屋に引き入れた。

その翌日、私はすぐに役所へ連絡。
鑑札に刻まれたナンバーと伝え、氏名と住所、無事に引き取っていることを伝えた。
すると、飼主はすぐに見つかった。
飼主の方も、飼犬が失踪したことを前日中に役所へ届けていたらしく、すぐに連絡がきた。
思いのほか早くみつかったことに、私は、鑑札の重要性を再認識。
同時に、見捨てるつもりはなかったものの、「飼主が見つからなかったらどうしよう・・・」と不安に思っていたので、ホッと胸を撫で下ろした。

飼主宅は、同じ江戸川区内。
ただ、犬を見つけたところとは別の街で、何キロも離れたところ。
しばらく待っていると、飼主の女性が犬を迎えに来た。
犬は、何かの拍子で綱が外れ、庭から脱走。
そして、気の向くまま遊んでいるうちに迷子になったよう。
女性は、「このバカ!心配してたんだから!」と泣き笑いで、犬の頭を撫でるようにポンポンと叩いて叱った。
そこからは、犬が、家族の一員として大切にされていることが見てとれ、微笑ましく思った。
一方の犬は、自分が引き起こした事態を理解してか、上目遣いで気マズそうに尻尾をふった。

不意の客を招いた私は、大切な客をもてなすみたいに、美味そうなドッグフードを買いそろえた。
トイレの問題があるから、ビニール紐で即席のリードをつくって、夜と朝に散歩にも出かけた。
周りに気づかれたらマズいので、スリル満点だった。
犬が一宿一飯の恩をどれだけ感じていたかわからないけど、私の方は、なかなか楽しいひと時を過ごした。
あれから、随分の月日がたつ・・・
もう、あの犬も、寿命がきて死んじゃっただろうな・・・
飼主に引き取られて私のもとから去っていくのを少し寂しく思ったことを、今でも憶えている。

その後、私は住居をかえ、その何年か後に、「Hot dog」で書いた現場でチビ犬に出会うことになるのだが、チビ犬の前にも、近所をうろついていた野良犬(捨て犬)を連れて帰って飼っていたことがある。
雑種の中型犬、とてもおとなしくて いい犬だった。
ハスキー犬?の血が混ざっていたのか、額の真ん中に薄っすらとハートマークがあり、愛嬌タップリ。
相当の悪天候でもないがきり、春夏秋冬、朝と晩、それぞれ30分くらい一緒に散歩。
毎日の決まったことなのに、犬は、連れて出るたびに狂喜し、ハイテンションで跳び回った。
私も若かったから、季節の美景とその移ろいを肌で感じながら、とにかく 一緒によく歩いた。

引き取ったとき、犬はフォラリアに感染しており、すぐに入院治療。
その治療が痛かったのだろう、苦しかったのだろう・・・余程恐かったようで、年に一度、病院に連れていっていたのだが、ひどく怯えてガタガタ震えた。
診察室に入るときも、病院のフロアをモップのように引きずられる始末で、その様は、可哀想でありながらも可愛らしくもあった。
結局、六年半くらい共に暮らしたところで、老いて弱り、儚く死んでしまった・・・チビ犬を連れて来る一年半前のことだった。

このコロナ禍で、見捨てられるペットが増えているらしい。
巣ごもり生活で、新たにペットを飼い始めた人が増えた一方、「手間がかかる」「クサい」「うるさい」等と、見放す者も多いそう。
安易な動機と、人間にとって都合のいい欲望が、この状況を生みだしている。
「よくもまぁ“家族”を捨てられるものだ」と、呆れるのを通り越して憎悪の念を覚える。
コロナ禍で飲み歩いている連中よりも、更に性質が悪い。
動物とはいえ、“いのち”を預るということがどういうことなのか、想像も自覚もできないなんて・・・そういう連中は、ロボット犬を買うべきだ。



出向いた現場は、昭和の香が漂う老朽アパート。
橙色にボンヤリ光る裸電球、むき出しの木柱、剥がれかけた土壁、雨戸も窓枠も木製、レトロな磨りガラス、タイル貼の和式便所、蜘蛛の巣だらけの天井・・・
所々がトタン板で補修されていたものの、メンテナンスらしいメンテナンスはされておらず。
外周は、草樹が野性の趣くまま うっそうと茂り、廃材やガラクタも散乱。
陽射しを遮るくらいに荒れ放題で、「幽霊屋敷」と揶揄されてもおかしくないくらいの薄暗さ。
今風の建物に囲まれる中、そのアパートだけがポツンと時代に取り残されていた。

亡くなったのは、70代の男性。
もちろん、一人暮らし。
間取りは1K、風呂はなくトイレは共同。
とはいえ、他の部屋はすべて空いており、「共同」といっても使うのは故人だけだから、事実上は「専用」。
その部屋で、ひっそりと孤独死。
そして、気づいてくれる人もおらず、そのまま何日も放置。
肉は虫の餌になり、骨がむき出しになる頃になって やっと発見され、ゴミのように運び出されたのだった。

依頼者は、故人の元妻(以後“女性”)と、その息子(以後“男性”)。
男性は、故人の実の息子でもあった。
ただ、両親は男性が幼少期のときに離婚。
幼い頃は、時々は、故人と会うこともあったけど、いい想い出は残っていないようで、“父への情”はまったく感じられず。
その死を悼んでいる様子はなく、むしろ、故人を嫌悪しているような、軽蔑しているような冷淡な空気を漂わせていた。

一方の女性は、やや複雑な心境のよう。
女性も、“死”を悲しんでいる風ではなかったけど、故人との いい想い出を大切にしたいのか、悪い想い出が捨てきれないのか、何かしらの想いを持っているよう。
弔いのつもりか、仕返しのつもりか、一時でも、夫だった故人の最期を始末することを、自分のためにしようとしているようにも見え・・・
法定相続人である男性が相続放棄しさえすれば、故人の後始末には関与しなくて済むのに、それを“よし”とせず。
で、後始末を段取るべく、男性を擁して現場に来たのだった。

「自由に生きる! 自由に生きてみせる!」
若かりし頃の故人は、口癖のようにそう言っていた。
そして、実際に仕事も趣味も、好きなようにやっていた。
若かった女性には、そんな故人が、男らしく、頼もしく思え、カッコよくも見えた。
しかし、二人の間に子供ができた途端に状況は一変。
定職に就かなければ生計は安定しない。
生活より趣味を優先すれば、生計が成り立たない。
それでも、故人は、妻子のことを顧みることなく放蕩生活を続けた。
定職に就かなかったのはもちろん、遊ぶために借金までした。
それでも、故人は生き方を変えず、結果、家族の生計と夫婦関係は破綻した。

世の中には、あえて定職に就かずに生きている人はたくさんいる。
夢や目標のために、社会や誰かのために。
フリーランスで失敗する人も少なくない中、成功している人も多い。
とにかく、皆、勇気をもってチャレンジしたり、相当に努力したり、辛抱したりしているはず。
あと、その気概も覚悟もあるはず。
しかし、故人には、その能力はなく、根性もプランも何もなし。
努力も忍耐もできず、何より、人生に対する夢や目標がなかった。

その後、故人がどういう風に生きたのか・・・
職も転々、住居も転々、人間関係も転々、家族からも見捨てられて・・・
野に逃げ出した犬のように、錯覚した自由を胸に・・・
自らが目指していた“自由な生き方”は、とんだ見当違い・・・
生き方を変えないかぎり、明るい将来は想像し難く・・・
事実、借金も重ね、結局、破産者に・・・
一時は、刑務所のお世話になっていた時期もあるようで・・・
最期の何年か、普通の人は入らないようなボロアパートに暮らしていたことや、年金がなく生活保護を受けていたことを勘案すると・・・
他人の人生を勝手に“判定”するのは愚かなことだけど、私は、到底、故人が、自由な人生を手にしていたとは思えなかった。


私の持論。
「飼犬は野良犬の不自由を知らず、野良犬は飼犬の自由を知らない」。
“自由”とは、自分を律しないこと、自制しないことではない。
“自律・自制できない人間”を“自由な人間”と呼ぶことはできない。
皮肉なことに、自由に生きようとすればするほど不自由になる。
結局のところ、自律心・自制心が自分を自由にすることを理解しなければならない。

あくまで、外面的・物理的なところに軸足をおいた自由論だけど、私は、自由の礎になる材料としては「金」「時間」「健康」が三位一体で成り立つことが必要だと思う。
(※内面的・精神的な自由は、重なる部分はあるけど本質的に別物。)
例えば、ディズニーリゾートに遊びに行きたいと思ったとして、
金があっても時間と健康がなければ無理、
時間があっても金と健康がなければ無理、
健康があっても金と時間がなければ無理、
というわけ。
もちろん、その他、世の中が平和であったり、愛する家族や親しい友人がいたり等、外的要因もあるけど、一個人の自由を見るときは、その三要素が基本だと考えている。

では、その三要素を手に入れるにはどうすればいいのか。
言わずと知れたこと・・・勤勉に働き、時間に正しい優先順位をつけ(公私のバランスを適正に保ち)、健康管理に努めること。それに尽きる。
制限・制約は、それに抵抗するのではなく、そこから逃げるのではなく、自律・自制によって取り払われる。
自分を律することや自制するといったことは、一見、不自由なことのように思えるけど、実は、それが自由の礎となり、そこから自由が生まれてくるのである。


コロナ第三波は、これでも、まだ潮位を上げたくらい。
考えたくもないけど、本波はこれからやってくる。
この災難は、摂理による訓戒、摂理による訓練なのかもしれない。
今、我々一人一人に、多くのことを学ばせてくれ、多くのことを気づかせてくれている。
同時に、我々一人一人が、どれだけの自律心・自制心を育むことができるかを問うてきている。

まるで、我々が、野良犬のような不自由な目に遭わないため、正しい自由を手に入れるための生き方を教えてくれようとしているかのように。


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春がくるまで

2021-01-08 08:56:18 | その他
「冬らしい」と言えば、冬らしい。
秋があまりに長く、あまりに暑かったせいか、寒さが 一層 身体に堪える。
特に、朝は色んな意味でツラい!
しかし、それで寝坊なんかしたりしたらアウト!
冗談抜きで、下手したら、そのまま会社を休み、そのまま二度と社会復帰できない事態に陥る可能性もある。
だから、そこは、あえて荒療治。
重い心と重い身体を引きずり起こして、まだ薄暗い極寒の早朝にウォーキングに出たりしている。
そして、「春になれば、きれいに咲くんだよな・・・」と、桜並木をぼんやりと見上げては、憂鬱な一日を始めている。


年末の特番だったか、TVで超常現象・怪奇現象を扱った番組をやっていた。
少し興味はあったけど、苦手なモノがでてきたら困るから、結局、その番組は数分しか観なかった。
「苦手なモノ」とは、いわゆる、“心霊写真”“心霊スポット”、幽霊関係のネタ。
私は、この類が超苦手!
中学の頃、興味本位で、友達が持っていた心霊写真集を見たことがあり、その中には超強烈な画があり、それがトラウマになり、それ以降、そういった類のものを拒絶するようになった。
そのとき抱いた恐怖心・嫌悪感は凄まじく、思い出しただけで 今でも背中に悪寒が走る。
だから、今でも、心霊写真と言われるものは絶対にみないし、心霊スポットと言われるようなところにも絶対に行かない!
恐ろしく苦手な蛇の方が、まだマシに思える。

なのに・・・
腐乱死体現場や自殺現場に一人で入るのは平気。
真っ暗闇の浴室現場だって、我ながらおかしくなるくらい平気で入れる。
自分のスマホで遺体痕写真を撮るもの平気。
そこに何かが写るかもしれないのに、平気でパシャパシャと撮る。
実際、同僚が担当した現場の写真には、白い煙のようなものが、床に横たわる遺体のかたちになって写っていたことがある(社内で話題になったけど、私は断固として見なかった)。
あと、私が特掃した後の自殺現場で、電気工事会社のスタッフが、目に見えない誰かに腕をつかまれて悲鳴をあげたようなこともあった。

相反する、その二つの感覚は、自分でも不思議。
そんな奴が、よくもこんな仕事に就き、ここまで続けられているものだと、呆れついでに感心もする。
自己分析すると、多分、現場に入ると、自分の何かに火がつくからだろうと思う。
あと、目の前の故人を嫌悪・恐怖する感情が湧いてこないからだろうと思う。
凄惨・悲惨に思う気持ちと、嫌悪・恐怖する気持ちは別物だし、嫌悪・恐怖する理由もない。
あとは、私が、“大変な変態”ということもあるかもしれない。


昨今のコロナ禍も ある種の“超常現象”。
で、国の施策も ある種の“怪奇現象”か・・・
「今更?」といった感が否めない中、とうとう一都三県に緊急事態宣言が発出された。
が、「一大事」っぽく感じつつも、春のときとは明らかに様相が異なる。
主策は、飲食店の時短営業のみで、誰がどう見てもお粗末。
そもそも、この期に及んで夜に飲み歩いているのは ごく一部の人間で、それを締めだしたからって、何が変わるというのか・・・
(ニュース映像に、“宣言前の飲み納め”している者が出ていたけど、個人的には、不快なほどその神経を疑う。)
「緊迫感に欠ける」というか、「他人事のように見える」というか・・・
で、多少は街の人通りは減っているのかもしれないけど、ゴーストタウン化するような寒々しさはなく、「これじゃ、大した効果は見込めないんじゃない?」と首を傾げる。

私は、もともと、外食が少ない人間。
外で飲むことは年に一~二度くらい。
昨年なんか、一度も外で飲んでいないし、外食したのも、記憶にあるのは一度きり。
友達がいないうえ、ヒドい面倒臭がり屋なものだから、外での飲食が制限されても、まったく平気。
ただ、自制している部分もある。
仕事以外の外出は極力減らし、外に出るときは常にマスクをつけ、人と話すときは できるだけ距離を空けている。
電車やバスにも乗らない・・・あれは、どうみても危険。
通勤通学などで、乗りたくなくても乗らざるを得ない人を気の毒に思う。

藁にもすがるような思いで、新開発のワクチンに羨望の眼差しが向けられている。
しかし、接種が始まっても、社会が劇的に回復していくわけではない。
数量の限界もあれば、回数の問題もある。
ワクチンが広がるスピードより、ウイルスが広がるスピードの方がはるかにはやい。
ワクチンが防ぐ前に、ウイルスが入り込む。
将来の副作用も不透明。
私は、ワクチンは必要だし役に立つだろうと思ってはいるけど、それが救世主になるとは思っていない。
「このコロナ禍が過去のものとなるには数年かかる」と言っている専門家もおり、それが現実的であることは、世界の混乱ぶりが示唆している。

感染対策と真剣に向き合わない一部の民衆も問題だけど、国や行政の弱腰にも問題がある。
世間に呆れられるほど、国は迷走し、毅然とした対策を打たず、すべてが後手後手、しかも中途半端。
ただ、国の迷走は今に始まったことではなく、「国」「政府」というものが もともとそういうものであることは、かつての“アベノマスク”が、大枚をはたいて国民に教えてくれた。
ここまできたら“指示待ち人間”をやめて、「自分が国を守る」という気概と責任感をもって、一人一人が積極的に自衛していくしかない。

私は、基礎疾患はないけど、自分で気づかないところで病に侵されているかもしれない。
また、「高齢者」ではないけど、若くもない。
同年代はもちろん、自分より若い年代の人でも重症化し、亡くなることが珍しくないことは承知のとおり。
自分が感染したらどうなるか不安もあるし、周囲に大迷惑をかけてしまうことも恐い。
元気を失った今の私は、免疫力がだいぶ下がっていそうだから、コロナに感染したら、相当マズイことになるかもしれない。

まずは、常日頃から免疫力を上げておくことが肝要。
ストレスを溜めず、よく食べ、よく眠り、適度な運動を心がけることが大事。
しかしながら、このところ調子が悪いのは前回書いたとおり。
ストレスは溜まりっぱなしだし、食欲はないし、熟睡なんて程遠い。

ただ、食欲があってもなくても、一日の始まりの朝食はシッカリ食べるようにしている。
玄米飯・味噌汁・納豆・生卵が定番、今の時季は それに菊芋が加わっている。
「精進料理か?」って感じ。
昼食はいたってシンプル。
ここ数年は、決まった菓子パンですませていたのだが、今はそれも食べたくなくなり、バナナ1~2本に加え、煎餅やチョコレート等を間食、とても「食事」とはいえない内容。
夕飯も、わりと軽め、量は決して多くはない。
昔みたいな「肉が食べたい!刺身が食べたい!大福が食べたい!」といった欲もなく、身近にあるモノをテキトーな量食べれば充分。
歳のせいか、コッテリしたものも好まなくなり、このところは、肉や油物なども滅多に食べなくなっている。
結局のところ、これじゃ、身体は強くなりようがないか・・・

その程度の食欲だから、体重も増えてはいかない。
あまりに痩せてくると見た目は貧相になるし、筋力も落ちるので、玉子は必ず一日二個は食べるようにしたり、もともと好きではないけど牛乳を飲むようにしたりしている。
ただ、そこに“食の楽しみ”はない(感謝はある)。


何か、いいストレス解消法があればいいのだけど、趣味らしい趣味を持っていない私。
しいて言えば、飲酒・スーパー銭湯・旅行・ドライブ等々か・・・
できることなら、温泉旅行とか、あちこちのレジャー施設に行ってみたい。
しかし、今の精神状態では、うまい酒を飲むことはできないし、今の時勢では、スーパー銭湯にも出かけにくい。
開き直って長期休暇をとるくらいの余裕が持てればいいのだけど、懐具合とコロナ事情がそれをゆるしてくれない。
今できるのは、せいぜい、仕事中でも、車を運転しているときはドライブ気分を楽しむよう心がけることくらい。
特に、見慣れない景色の道や、遠出の道程は、自分の気分次第でどうにでも楽しめるから。

あと、身近にあり手軽にできることといえば、自然と接すること。
月星・太陽・空雲・海湖・山丘・森林・樹木・草花・風の音・鳥虫の声・・・視界に人を入れず、聴界に人の雑音を入れず、そういったモノに身を晒し、そういったモノの中に身を置き、そういったモノを眺めると、何とも気分が落ち着く。
もちろん、日常生活においては、世界遺産的な大自然に出かけることは簡単ではないけど、身近なところでも空は仰げるし、街路樹もあれば公園には草花もある。雑草でもいい。
実際、自然の中に身を置くメリットには科学的な根拠(フィトンチッド等)があるらしいから、おすすめである。


例年、冬場は、過酷な現場は減る。
低温乾燥の時季、遺体は腐敗損傷しにくい。
また、今年は、コロナの影響もあるのだろうか、仕事量も少ない。
肉体的には楽である。
しかし、“肉体的な楽”と“精神的な楽”は同一とはかぎらない。
このところは、ちょっとしたことが大きな問題のように感じられるし、些細なことが面倒臭く思えるし、大したことをやっていないのにスゴく疲れる。
心配事は、無数に湧いてくるウジのようにキリがなく、不安感は、無数に飛び交うハエのように光を遮る。
無力感・脱力感・虚無感・疲労感となって、私から意欲を奪っている。
精神と肉体のバランスが崩れているだけではなく、精神内の明暗・躁鬱のバランスも崩れているのは明らかである。

やはり、私は“デスクワーカー”ではなく“デスワーカー”。
文字を読むのが苦手なうえ、時代遅れのアナログ人間。
現場仕事がなくて、ずっと事務所にいると気分が煮詰まってくる。
ずっとキツイいのはイヤだけど、ずっと楽チンでいては身体も心も萎えてしまう。
ぬるま湯に浸かっているのは好きだけど、本当に ぬるま湯に浸かりっぱなしでは、人間がぬるくなる。
生活にはメリハリが、人生には彩が大切。
心身のバランスは、適度な苦楽があってこそ保てるのではないかと思う。


世の中に、腐乱死体現場、自殺汚染現場、ゴミ部屋、猫部屋等々・・・いわゆる「特別汚損現場」なんかない方がいいに決まっている。
しかし、現実にはそれがある。
言うまでもなく、私は、その後始末を生業にしている。
そこから糧を得て、それで生活している。
それが、「生きること、そのものになっている」といっても過言ではない。

おかしな現象だけど・・・
特殊清掃なんかやりたくないけど、やらないと心身が衰弱してくる。
きれいなモノばかり触っていたけど、自分の手が それを好しとしない。
きれいなモノばかり見ていたいけど、自分の目が それを好しとしない。
きれいなことばかり聞いていたいけど、自分の耳が それを好しとしない。
・・・私は、人生の半分以上をこうして生きてきたのだから、そんな人間になってしまっている。

凄惨な現場が好きなわけではない。
重度の汚染が好きなわけじゃない。
腐った人肉が好きなわけじゃない。
凄まじい悪臭が好きなわけじゃない。
ウジやハエ、ゴキブリやネズミが好きなわけじゃない。
ゴミや死骸、糞や尿が好きなわけじゃない。

当然、面白おかしい仕事でもなく、楽しい作業でもない。
ただ、そこに集中すると、上下・前後・左右、過去・未来のことが頭から離れて、その瞬間、余計な雑念を捨てることができ、無用な邪心を削ぎ落とすことができ、自分の芯を研ぎ出すことができる。
今風にいうと「全集中」で作業に没頭でき、いい意味で“無”になれ、一時でも強くなれるのである。
心的基礎疾患がある私にとって、これがいい薬になるのである。


春がくる頃には、コロナも、少しは落ち着いているだろう。
こんな私でも、必要としてくれる人が現れるかもしれない。
役に立てる現場があるかもしれない。
今は、その時季がくるまで、ジッと耐えるしかない。

春はくる。必ず。
それを信じて。


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重圧

2021-01-03 16:36:05 | 自殺腐乱死体
2021謹賀新年。
日本海側は大雪で難儀しているようだけど、この三が日、こちらは気持ちのいい快晴に恵まれた。
一見は穏やかな正月、元旦は、早朝から日課のウォーキングに出かけ、明るくなれない心に初陽の光を当てながら黙々と歩いた。
自分の心に纏わりつく暗い過去を振り払うように、自分の心が欲しがっている明るい未来を探すように。

特に忙しかったわけでもないが、例年通り、大晦日が仕事納めで、元旦が仕事始め。
また、これも、ほとんど毎年のことだけど、
「また、一年、労苦に汗し、苦悩を携えて生きていかなければならないのか・・・」
と、動悸にも似た浅い溜息が、幾重にも口を突いてでてきた。
とはいえ、大晦日と元旦の夜は、TVを相手に、いつにない御馳走に舌鼓を打った。
気分は浮かないながらも、「せっかくの正月だから」と、酒も、いつもより多めに飲み、それなりに穏やかに、それなりに平和に年を越すことができた(0:00になる前に寝てしまったけど)。

しかし、今年の正月は、「おめでとう」とばかりは言っていられない。
承知の通り、コロナ第三波が猛威をふるっているからだ。
その禍は、春の緊急事態宣言時をはるかに超越していて、もはや制御不能の状態。
しかも、そのピークは、まだ見えていない。
緊急事態宣言が再び発出されるのは、時間の問題かもしれない。

この冬が、今回のコロナ禍において、最大・最悪の山場になるであろうことは、かねてから予想されていたことだろうけど、我々がコロナに慣れてしまっていること、我慢・自制に疲れてしまっていること、政府の対策が後手後手になっていること等々、一波・二波にはなかった要因が、感染に拍車をかけているように思う。
併せて、「経済を回すため」「自分は重症化しない」等とのたまわり、医療従事者の苦境も他人事にして自制しない人達のことが目につき、どうしても気に障ってしまっている。
飲食店や観光業を支援する術は、他にもたくさんあるはずなのに。

ただ、身体が不要不急の外出をしていないだけで、自分だって、中身は似たようなもの。
「人々の気が緩んでいる」と言われている中、私にも心当たりがある。
忘年会中止や、新年会不要不急の外出を自粛しているのはもちろん、スーパーマーケット以外、人が多いところに出向くこともしていないけど、第一波のときに比べると緊張感は薄い。
あの頃は、人の少ない屋外をウォーキングするだけでもピリピリしていたけど、今は、そこまでではない。
で、この期に及んでも、「たまには、スーパー銭湯くらいには行きたいな」なんて、呑気なことを考えてしまう。
そんな自分を顧みて、“他人を批難することは簡単、自分を改めることは難しい”と、つくづく思う。
とにかく、国や自治体が行う感染対策の足を引っ張らないようにだけは気をつけたい。

やはり、心配なのは医療体制。
このままだと、医療体制が崩壊するうえ、医療従事者といわれる人達が病んでしまう(既に病んでしまっている人も多いらしい)。
「感染したって重症化しなければいい」と、自分だけのことを考えるのはよした方がいい。
感染者を罪人扱いするつもりもないし、罪人扱いしてならないけど、無責任な行動によって多くの人を感染のリスクに晒し、多くの人の手を煩わせることになることを肝に銘じよう。
自分だって、コロナに限らず、いつ、どんな傷病で病院のお世話になることになるかわからないのだから。

それでも、残念ながら、これから、感染者数・死者数は激増していくはず。
私の場合、感染者数や死者数だけでなく、同年代男性の、倒産、破産、失業、路上生活に転落・・・なんていうニュースがやたらと目につき、とても他人事として流すことができず、気分を落ち込ませている。
この寒空の下、外で夜を明かさなければならないなんて・・・
どんなに寒いだろうか・・・
どんなに惨めだろうか・・・
どんなに淋しいだろうか・・・
「生きているのがイヤになる」って、よくわかる・・・切ない。

それも一因としてあるのだろう、昨年から気分が優れない。
例年の“冬鬱”か。
虚無感・疲労感、そして、得も知れぬ孤独感・・・
今回はここ数年になかったくらい重症で、なかなかツラいものがある。
夕方から夜にかけては、比較的 楽になるのだが、夜明け前の早朝がもっとも苦しい。
不眠症は長年の持病なので仕方がないとしても、寒いはずなのに身体が熱くなって、ベットリと汗をかく。
息は浅く、小刻みになり、時にはうなされる。
一体、自分はどうなっているのだろう・・・原因は何なのだろう・・・
自分よりはるかに苦しい境遇にあっても、果敢に生きようとしている人達もたくさんいるというのに、得体の知れない重圧が、私の精神を押さえつけてくるのである。

重鬱になると、今や未来、周りの環境や周り人達に気持ちが向かなくなる。
仕事や家族のことさえ、心の視界から消える。
周りの迷惑を考えないわけでもなく、誰かが悲しむのがわからないのでもなく、「周りがどうなってもいい」と思うのでもなく、自分のツラさだけで手いっぱいになり、周りのことに想いが行かなくなるのである。
そして、人によっては、それが自死に向かわせる・・・それが恐い。
死生観的な“健常者”が、そこのところを理解すれば、少しは自死を減らすことができるような気がする。



出向いた現場は、市街地に建つ賃貸マンション。
駅近で生活の利便性は高い地域。
築年数は浅く、間取りは1K。
部屋の状態は、一言でいうと、「腐乱死体ゴミ部屋」。
ドロドロの遺体汚物、無数のウジ・ハエ、凄まじい悪臭はもちろんのこと、目を引いたのは、ウイスキーの空瓶と氷の空袋。
かなりの量を飲んでいたのだろう、それが、部屋中に散乱・山積みされていた。
その荒れ様は、そのまま、故人の最期の生き様が映し出されているようで、凄惨さの中にも何ともいえない切なさがあった。

発見のキッカケは異臭と害虫。
当該現場から妙な異臭がしはじめ、そのうち小さなハエまででるように。
それが日に日に悪化してきたものだから、隣室の住人は、管理会社に通報。
玄関ドアの隙間から漏れ出る異臭は、それまでに嗅いだことがない種類の悪臭。
部屋の中でとんでもないことが起こっていることはドアを開けずとも察することができ、管理会社は、そのまま警察に通報。
そして、部屋の床、ゴミに埋もれるように、人間のかたちをした物体が、人間とは思えないくらい変わり果てた姿で横たわっているのを発見。
凄まじい悪臭と、無数のウジ・ハエが放たれる中、その後、警察の手によって、その物体は、人間扱いしたくてもできないくらいの状態で、引きずられるように搬出されたのだった。

亡くなったのは、50代後半の男性。
死因は、一応、自然死(病死)。
晩年は無職。
ただ、一流企業でもなく、エリートでもなかったけど、それ以前は一所の会社に長く勤務。
出世も望まず、当たり障りなく、誰かと競うこともなく、無難なサラリーマン生活だった。
一方、社宅暮らしの独身で、上司に従順だった故人は、会社にとっても動かしやすく、使い勝手のいい社員だった。

そんな中で転機となったのは異動。
肩書きは“昇進”だったが、社内の誰の目にも、それは“左遷”。
ただでさえ、歴代、そのポジションに就いて長くもった人はおらず、いわば“窓際”。
五十も半ばにして「NО!」と言えない立場であることは、会社にも見透かされていた。
会社都合の転勤や異動に黙って従い、実直に勤めてきた見返りがこれ・・・
余計なプライドや自分を幸せにしない意地は持たないようにして、従順サラリーマンを渡世として無難に過ごしてきた故人だったが、事実上の「クビ」を言い渡され、自分の中で、張りつめていた何かが“プツン”と切れた。

結局、定年を待たず退職。
同時に、住み慣れた社宅を出て、新しい住処(現場)へ転居。
「何とかなる!」「まだやれる!」と信じて。
が、自分が思っていたよりはるかに現実は厳しく、なかなか新しい仕事にありつけず。
それでも、非正規のアルバイトや派遣の仕事で食いつなぎながら、粘り強く就職活動を続けた。
しかし、経験や能力をよそに、自分の年齢が、それを邪魔した。
年齢だけ訊かれてはねられたことは数知れず。
悲しく、悔しい思いをしたことも数知れず。
“現実”に打ちのめされ、“現実”をイヤと言うほど思い知らされた。

この状況では、「心を折らず がんばれ!」と言う方に無理がある。
労働意欲は次第に削がれていき、そのうち、就活も頓挫。
現実を忘れたくて・・・
昼間から酒を飲むクセがつき・・・
貯えは減っていく一方で・・・
先には暗闇しか見えず・・・
自らを破滅に追いやることはわかっていたけど・・・
そこから抜けだす術がわからず・・・
理性は麻痺し、そのまま酒に溺れる日々は続いていった。

病死、老衰、事故死、戦死、餓死etc・・・そして自死・・・死因は後の人が決める。
また、“自殺という名の病死”があれば“病死という名の自殺”もある。
故人は、「このまま死んだってかまわない」と思いながら飲んでいたように思え・・・
私には、故人が、生きること・生きなければばらないことの重圧に押しつぶされた、いわば“圧死”のように思えた。
そして、それは、私にとって決して他人事ではなく・・・
その圧が重すぎるのか、こちらか弱すぎるのか・・・その答を導くヒントさえ見つけることができず、私は、ただただ重苦しい溜息を吐くしかなかった。



死業二十九年目の冬・・・
私も、随分と歳をとった・・・
そして、何だかスゴく疲れた・・・
鏡の中に衰えた自分を見ると、その顔からは、「後悔」なんて簡単な言葉では片づけられないくらい重苦しいものが滲み出ている。

あと、どれくらい、こうやって生きていかなければならないのだろうか・・・
この重い虚無感・疲労感・孤独感が癒される日はくるのだろうか・・・
自分に待っているのは明るい未来ではなく、暗い日々ばかりのように思えることもしばしば。

それでも、生かされているうえは生きなければならない。
死ぬまでは生きなければならない。
それが、摂理だから。

私は、「生かされている」ことの感謝・喜びと、「生きなければならない」ことの苦悩・重圧の狭間で、もがいている。
決意もなければ、覚悟もできていない中で・・・
しかし、生きていくかぎりは、これからも もがき続けるしかない。

「がんばれ・・・」
心の奥底にこだまする、幸せに生きたがる自分のそんな声に、かすかな希望を抱きながら。


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