特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ウ○コ男

2024-06-18 05:54:30 | 死臭 消臭
容易に想像してもらえると思うが、夏場の特掃業務は過酷さを極める。
更に、夏場は特掃依頼の数でいうと、一年を通した山場でもある。

その理由も想像は説明するまでもなく、気温・湿度の高い夏は遺体の腐敗スピードも早いからである。
しかも、一件の現場のみならず、そんな現場を複数抱えなければならないことも、過酷さを増す要因になる。

逆に、気温・湿度の低い冬場は遺体の腐敗スピードもかなり遅く、不幸中の幸いに、ある程度の腐敗が進行する前に家族や関係者に発見されるケースが多い。
「無断欠勤が続いている」「ここ何日か電話にでない」「新聞がたまっている」等の生活異変で。
もちろん、真冬でも遺体は少しづつ腐っていくが、ミイラ化現象も並行していくので絵に描いたような腐乱死体になるには、結構な時間を要するのである。
(「絵に描いたような腐乱死体」については、7月12日掲載「液体人間」を参照)
対して、夏場は「異臭がする!」と近隣住民が通報することがほとんど。
それだけで、現場の悲惨さや過酷さを想像できると思う。

それでも、玄関や窓を開けて作業ができればまだマシ。
できるだけ外部に悪臭を漏らさないように、ドアや窓を閉め切って作業することを望まれる依頼者も少なくない。極端なケースだと、外から中が絶対見えないように雨戸を閉め切らざるを得ないこともある。
もちろん、そんなことを横柄に指示してくる依頼者はいない。こちらの労苦にも配慮をもらった上で、言いにくそうに頼んでくる人ばかり。
近隣住民に対する依頼者の気持ちは痛いほど分かるので、「冗談じゃないよ!」「勘弁してくれよ!」等とは思わず快く引き受ける。


しかし、それだけ作業は過酷になる。
最悪なのは、電気が停まっているのに雨戸を閉め切らないといけない場合(これは滅多にないが)。
昼間と言えども中は暗くなる。
大きめの懐中電灯を部屋のあちこちに置いての手探り作業。当然、頭にもつける。
そんな現場は、まるでサウナに腐乱死体と入っているようなもの。
一時間も連続しては入っていられない。
こまめに外にでて水分補給と深呼吸をしないと倒れそうになる。
(残念ながら、年齢による体力の衰えが否めない)
そして、その都度、防汚装備を脱着しなくてはならず、作業効率はかなり落ちてしまう。
でも、作業効率を優先するあまりに無理をして、仮に中で倒れて逝ってしまうようなことがあったら、私の関係者は泣いていいのか笑っていいのか分からず反応に困るだろう(笑)。
自分の死を常に意識する癖がついてしまっている私は、ちょっと体調が悪くなっただけでもそんな事を考えて気持ちの帯を締め直す。
そして、どんなに作業効率が落ちても、キツイ無理はしない。
現場で死んだら、ホント、洒落になんないからね(笑)。

汚染現場が水回り系(風呂・トイレ等)だと全身防護服を着ることが多いが、そうでないとマスクと手袋くらいで済ます。
サウナ状態の現場で全身防護服なんか着たら、作業に手を着ける前に倒れてしまう。

防護服を着ても腐敗臭は身体やユニフォームに付着する。
当然、防護服を着ないと尚更。
これが臭い!!
自分でも自分が臭いことが分かる!
作業が終わって外にでてもプ~ンと自分が匂っているのが分かる。
生きているくせに腐乱死体の臭いがする人間なんて、世界広しと言えどもそう滅多にはいないだろう。ひょっとして天然記念物級の貴重な存在?
そんな状態だから、事情を分かっている依頼者以外の他人には近づけない。
(店に入ると他人に不快な思いをさせてしまうので、飲料・食料類は事前に買っておく)

しかし、「何やってるんですか?」「ここで何かあったんですか?」と、モノ珍しそうな顔をして不用意に近づいてくる通行人がいる。
依頼者とは暗黙の守秘義務を交わしている私は他人に余計な事は言わない。
返事の代わりに悪臭パンチ。私の身体が放つ悪臭パンチに驚愕の表情を浮かべてスゴスゴと引き下がって行く(逃げていく)。

一番手間がかかるのは子供。
近くに子供達の姿が見えると「こっちに来るな!」と念じる。
子供は好奇心が旺盛だ。
ちょっと変わった雰囲気を醸し出している私に遠慮なく近寄ってくる。
そして、「うわぁッ!臭ぇー!」と更に遠慮のないセリフを吐いて走り逃げて行く。
愉快な連中になると、友達を呼んできては度胸試しでもするかのように私に近づいては逃げることを繰り返す。
かつての自分にも覚えがあるが、子供って無邪気な分、言葉や態度もストレート。
他人への礼儀なんかお構いなく、自分達が楽しむことを優先する生き物(それでいい)。

始めは、微笑ましく思いながら寛容に受け入れているものの、何度もやられると次第に悪戯心が芽を出す。
そのうちこっちも開き直って子供のようになり、「オジさん、ウ○コがたくさん着いてるんだ」と言って追い駆けるようなしぐさをする。そうすると、叫び声をあげて逃げていく。
でも、そこは子供。
結局、それを遊びにしてしまい、また戻ってくる(可愛いものだ)。
戻ってくる度に人数が増えてくる。
まるで、ウジ・ハエのような連中だ(笑)。
彼等が成長していくにつれ、「ウ○コ男」は伝説になっていくだろう(笑)。

子供達には子供時代の純真無垢な楽しさを充分に満喫してほしい・・・かつての私のように。
そして、無邪気な笑顔で真っ直ぐに育ってほしい・・・私のような人生を歩まないように。
消臭剤を自分にかけながら、その思いを強くする私である。


トラックバック 2006/07/18 09:04:46投稿分より

-1989年設立―
特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社

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鼻つき

2023-03-20 07:00:13 | 死臭 消臭
コロナが落ち着いてきたのを機に、「マナー推奨」の条件付きとはいえ、マスク着用が解禁となった。
議論されることは多々あったけど、マスクはウイルスの放出や吸引を抑制し、感染防止に一定の効果があったと思う。
(大金がつぎ込まれた“アベノマスク”は無駄以外の何者でもなかったように思うが。)
功罪は別として、前回書いたとおり“覆面”の効果もある。
これで安心感を得ている人も少なくないだろう。
また、ニオイについても影響がある。
自分の口臭に気づきやすくなったり、外のニオイに気づきにくくなったり。
事実、口臭対策の商品がよく売れているそう。
ただ、一般の不織布マスクでは、常日頃、私が遭遇している鼻を突くような悪臭を防ぐのは無理。
マスク自体が一瞬にしてクサくなって、防塵としての役割しか果たさなくなる。
何はともあれ、マスクの脱着が余計なトラブルを招くようなことがないまま月日が流れていってほしい。
デリケートな領域の事柄につき、誰かのちょっとした行為が鼻につく人も少なくないように思われるから。

しかし、いつの世にもどこの地にも、鼻につく人間っているもの。
良し悪しは別として、合わない人間はどこにでもいる。
ただ、他人の欠点や短所には敏感なクセに、自分のそれには気づかないのが人の性。
“自分が正しい”“自分は良い人間”と思っていたら大間違い。
結局のところ、誰かにとっては、自分も鼻につく人間の一人のはず。
そこのところを充分に弁えておくことが大切だと思う。

SNSを一切やらない私には縁のない世界の話だけど、「炎上」という言葉はよく耳にする。
時折、ニュース等で、ネット上で繰り広げられているヒドい誹謗中傷を目の当たりにすることがある。
人と人との距離が空間を越えているこの時世では、鼻につく人間というのは、身近な現実社会よりもネット社会の方に多いような気がする。
些細な言動や行動が火種となり、顔も名前をわからない“敵”に袋叩きにされる。
「思想・表現の自由」と言ってしまえばそれまでだけど、「よくもまぁ、いちいち難癖をつけられるものだ」「冷酷になれるものだ」「ヒドイ言葉を思いつくものだ」と憤りを通り越して感心してしまうくらい。

利害関係者なら理解できなくもないけど、攻撃する輩の大半は、何の害も被っていない無関係の人間だろう。
それが、どこからか、ウジのように沸いてくる。
ただ、実際のウジとは違って、そういう輩は、ほんの一部の人間、ごく少数だそう。
単に、世間からの注目を浴びやすく目立ってしまうから大勢のように錯覚するのだそう。
あくまで、広いネット世界の一部に存在する狭いコミュニティー内の文字攻撃なのだから、気にしなければいいだけのことかもしれないのだけど、攻撃される当人にとっては、そう簡単に受け流せるものではないのだろう。


意味は変わるが、私も、よく“鼻をつく人間”になってしまう。
想像の通り、仕事で悪臭が身に着くためだ。
「悪臭」の種類は様々あるが、とりわけ、腐乱死体臭は色んな意味で別格。
鼻はもちろん、素人の場合、腹をえぐられることもある。
同様に、メンタルがやられてしまうことも多々。
あまりにショッキングな光景を目の当たりにし、ショッキングなニオイを嗅いでしまったことで、それがトラウマになる。
そして、一般社会に戻ってからも腐乱死体臭が精神から離れなくなり、ノイローゼ状態になってしまうのである。

幸か不幸か、私はとっくに慣れきっている。
かつては重宝していた専用マスクも、近年は、面倒臭くて装着しないことがほとんど。
鼻から入るニオイは防げたとしても、どちらにしろ、身体は悪臭まみれ(ウ〇コ男)になってしまうことに変わりはないから。
ただ、作業服についたニオイは洗濯すれば落ちる。
身体についたニオイも風呂に入れば落ちる(髪は やや落としにくいけど)。
それでも、「身体に着いたニオイは風呂に入っても落ちない」と思っている人がいるよう。
社会の陰に細々と存在する珍業だから都市伝説になるほどではないけど、そう思っている人がいるらしい。

十年余り前のことになるが、仕事の用で とある出版社の女性スタッフと電話やメールでやりとりしたことが何度かあった。
何度かやりとりするうちに、彼女は、私との面談を希望してきた。
まるっきり会わないのも不自然に思われたため私も応じるつもりではあったが、仕事柄、予定を立てにくいのも現実。
現場仕事を優先せざるを得ないため、約束した日時はキャンセル・変更の連続。
で、結局、彼女と顔を合わせることはないまま用件は片付き、そのまま縁もなくなった。

用件が無事に済んだのだから、私にとって、それはそれで何の問題もなかった。
しかし、事はそれで終わらず。
偶然というか必然というか、とあるサイトで、彼女が書いた私に関するコメントを発見。
そこには、
「特掃隊長は、身体に浸みついたニオイを気にして人と会わない」
といった趣旨のことが書かれてあった。
会わなかったのは、あくまで仕事の都合、スケジュールの問題。
彼女にもそう伝えていた。
しかし、彼女が表にしたのは上記のとおり。
おそらく、私に見られることはないだろうと思って書いたのだろうけど、これも、ある種の誹謗中傷。
「随分、失礼なことを書くもんだな」
と、当時は、かなり気分を害したし、少し悲しくもあった。
気分的には文句の一つも言ってやりたかったけど、既に用件は終わり縁を保つ必要もない人物であり、
「文句を言っても自分の口が汚れるだけだから」
と、そのままスルーし、今では忘れかけた想い出として残っているのみである。



消臭についての問い合わせがあった。
電話の相手は、とある内装業者。
現場は、住宅地に建つ一戸建。
そこで暮らしていた住人が孤独死。
住宅密集地で近隣には多くの人が暮らしていたが、直ちにその異変に気づく人はおらず。
結局、季節の暑さも手伝って、遺体は著しく腐敗してしまった。

現場となった家屋は、故人所有。
相続人はいたが、以降、そこに居住する縁者はおらず。
第三者に売却されることになり、とある不動産会社が買い取った。
そして、リフォームを施した上で再販。
私が相談を受けた時点では、既に再販の売買契約は成立しており、当家屋のリフォーム工事も完了。
買主への引渡しを待つばかりの状態だった。

ただ、「亡くなっていた部屋だけ妙な異臭が感じられる」とのこと。
内装がきれいになっているのに異臭が残留しているということは、そもそもの作業内容・工程を間違った可能性が高い。
本来なら異臭をキチンと除去してから内装を仕上げるべきところ、「内装をきれいにすればニオイもなくなるだろう」と、腐乱死体臭の性質を理解していない一般の人は、その辺のところを甘く考えてしまうわけだ。
この内装業者も、同様に甘く考えていたのか・・・
しかし、現実として遺体臭は残留してしまい、工事が終わっても買主に引き渡すことができない事態に陥っていた。

話を聞いただけで、私は“内装工事のやり直しは避けられないだろう”と判断。
「現場を見ないとハッキリしたことは言えませんけど・・・」
と前置きした上でその旨を伝えた。
それでも、内装業者は、
「このまま消臭できると助かるんですけど・・・とりあえず、現地を見てもらえませんか?」と強く要望。
私は、“仕事にならない可能性が大きいかな・・・”と思いながらも、“これも何かの縁”と、同じ肉体労働者である情に後押しされながら現場に出向く約束をした。


訪れた現場は、街中の住宅地に建つ一戸建。
大きな建物ではなかったが、築年数は浅そうで、外観もきれいな状態。
そこには、二人の男性が。
一人は、電話をしてきた内装業者。
作業服姿で四十代くらい。
もう一人は、不動産会社。
スーツ姿で三十代くらい。
私は、それぞれに名刺を渡し、立場に上下はない中でも、礼儀として丁寧に頭を下げた。

問題の部屋に入ると、日常にはない異臭が私の鼻孔に侵入。
低濃度ではあったものの嗅ぎなれたもので、その正体は明らか。
「やっぱ、遺体のニオイですか?」
二人は、緊張の面持ちでそう訊いてきた。
「残念ながら そうですね・・・断言できます」
私は、自信をもってそう返答。
すると、二人は、“マズイなぁ!”と言わんばかりの引きつった表情で顔を見合わせたかと思うと、次第に、不動産会社の表情は怒ったようなものに、内装業者の表情は怯えたようなものに変わっていった。

私は、内装業者のスマホに保存されていた工事前、工事中の画像を確認。
遺体液によりフローリングは腐食し、下地もダメに。
ただ、画像で見るかぎり、床は下地もフローリングも全面交換されており、問題は見受けられず。
次に問題視すべきは天井と壁。
そのクロスはすべて新品に貼り換えられており見た目は新築状態。
ただ、鼻を近づけてみると、微妙は感じ。
明らかにクサくはなかったものの、下地ボードから出ていると思われる異臭をわずかに感知。
また、建具や収納庫などにはハッキリとした異臭が付着。
部屋の異臭は、それら全体から、ジワジワと滲み出ているものと思われた。

「急いで脱臭する必要があるなら、新品のクロスを剥がしてもらうことになると思います」
「もしくは、いずれは生活臭の方が勝るときがくるので、この状態で生活して、自然に中和されていくのを待つか・・・それなりの月日はかかると思いますけど」
私は、そうアドバイス。
もちろん、買主は、当家屋が事故物件であることは承知で購入したはず。
地域相場より割安なわけで、敬遠する人が多い中でも「お買い得」と考えて購入したのかも。
そうは言っても、家屋が原状回復する前提での購入のはずで、遺体臭が残ったままでは暮らしようがないだろう。
契約した価格を更に下げれば話は変わるのかもしれないけど、この状態で買主が納得して入居する可能性は低いと思われた。


私は、部屋に漂うニオイも鼻についたが、それよりも鼻につくことが別にあった。
それは、内装業者に対する不動産会社の態度。
私を含めた三人の中では、明らかに不動産会社の方が一番年下。
にも関わらず、不動産会社は内装業者に対してタメ口。
それにとどまらず、何を勘違いしているのか、初対面の私にまでタメ口。
横柄、偉そう・・・
それが親近感からくるものではなく、上から目線からきているものであることは明白。
「元請→下請→孫請」の構造(上下関係)がハッキリしている製造業や建設業では当り前の慣習なのかもしれないけど、部外者の私にとってそれは、かなり不愉快なものだった。

しかも、両氏の会話からは、本工事は、不動産会社の指示通りに行われたことが伺い知れた。
内装業者は、「内装改修のみでの消臭は無理では?」と不動産会社に進言したようだったが、不動産会社は「内装工事をすればニオイも消えるはず」と安易に考えたよう。
当社のような専門業者を入れれば工期も長くなれば費用も膨らむ。
逆に言えば、ニオイを無視すれば、余計な工期も費用はかからない。
で、結局、内装業者は、不動産会社の指示通りに工事を行ったよう。
しかし、不動産会社は、そういう経緯を無視して妙な理屈をこねくり回し、その責任を丸ごと内装業者に押し付けるような方向で話を進めていった。

とにもかくにも、早急に悪臭を除去するには、一部の内装工事をやり直す必要があった。
となると、追加の工事費用がかかるのはもちろん、買主への引き渡し時期を遅らせる必要もある。
消臭にかかる費用をはじめ追加の工事費は、当然、買主に負担させるわけにはいかない。
ま、それは、内装業者か不動産会社が負えば済む。
問題なのは、買主に事情を説明し納得してもらうこと。

買主は、引っ越しの予定を決め、引越業者の手配も終わっているだろう。
退去日も確定させているはずで、賃貸住宅の場合だったら、問題は尚更大きくなる。
大迷惑をかけてしまうことは明白で、大顰蹙も買ってしまうだろう。
事情を説明したとしても、到底、すんなり了承してもらえるとは思えない状況。
そうは言っても、買主と協議しないまま事が収まるはずはなかった。

内装業者は不動産会社の下請業者だから立場も弱い。
つまり、イヤな役回りを押し付けられやすい立場ということ。
また、追加でかかる費用についても、それなりの負担を強いられる可能性が少なくない。
ひょっとしたら、買主に対して矢面に立たされるかもしれない。
ただ、内装業者としては、現実の力関係と先々の商いを考えると、納得できないことはあっても受け入れるしかないところもある。
元請と下請、この弱肉強食の構図は、この世の中に五万とある。
想像するだけで気の毒に思えたが、内装業者がその役割を担わされることになるのは、他人の私でも容易に想像できた。


その後、当社の提案に沿って再工事。
内装業者とも何度か顔を合わせるうちに、仕事のことはもちろん、他のことも色々と話せる間柄に。
彼は一人親方で、職人仲間と力を合わせて、色々なところからの下請工事をこなしているそう。
本件の不動産会社は大口の取引先の一つ。
ただ、「どの担当者も偉そうで、人使いも荒く、好きになれない取引先」とのこと。
それでも、食べていくために仕事は選べず、儲からない仕事や雑用でもペコペコ・イソイソとやっているそう。
そんな話の中で、
「これからもそうやっていくしかないんですけどね・・・」
と、表情を曇らせた。
その顔からは、不動産会社への不満だけにとどまらず、それまでに味わってきた世の中の理不尽さと資本主義の罪に対する悔しさも滲み出ているような気がした。

結局のところ、泣きをみるのは、力のない者、立場の弱い者なのか・・・
いつの世でも、理不尽な目に遭うのは、力のない者、立場の弱い者なのか・・・
私は、その“答”にたどり着けないまま小さな溜め息をついた。
そして、「生きていくって楽じゃないよな・・・」と、曇りがちの空を力なく仰いだのだった。

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人間臭

2012-03-06 11:08:37 | 死臭 消臭
人は一人一人、顔や身体が違う。
不思議なくらい異なる。
同じように、五感の感覚も異なる。
臭覚も個人差があり、敏感な人もいれば、鈍感な人もいる。

一般的な健康診断には“臭覚検査”というものがない。
自分の視覚や聴覚の良し悪しはだいたい把握しているものの、臭覚については、一体、自分の感覚がどの程度なのか把握する機会は乏しい。
だから、自分の臭覚に何らかの問題がありながら気づかないままでいることも多いのではないだろうか。

「自分の臭覚は標準的」と思ったら大間違い。
ニオイを感じるレベルや感じ方、また、その好みは十人十色。
仕事柄、臭覚は鋭敏であったほうがいいのだが、私は、自分の臭覚を平均的なものだと思っている。
第三者が感じるニオイを感じなかったり、逆に感じたりすることがあるから、そう判断している。
だから、現場における臭気確認も、依頼者をはじめとする第三者を含めた複数の人間(少なくとも三人)によって行うことが肝要。
自分一人では客観的な判断もできなければ、客観的であることを説得することもできないから。

とにもかくにも、“ニオイ”っておもしろい。
よく「いい匂い」とか「わるい臭い」とか言うけど、判断基準や境界線はかなり曖昧。
同じニオイでも、人によって“いい匂い”にもなり“わるい臭い”にもなる。
顕著な例は食品。
その代表格は、納豆、チーズ、クサヤ等の発酵食品。
これらのニオイは、好む人もいれば嫌う人もいて、賛否両論がある。
また、これらのニオイは、熟成によって変化することも多い。
それによって、悪臭だったものが芳香に感じられることもある。
また、視覚や味覚がニオイの感じ方に影響することもある。
こういったことから、「ニオイは鼻で感じるものだけど、鼻だけで感じるものではない」ということがわかる。

ちなみに、子供の頃の私には、ニオイについて変わった好みがあった。
ひとつは、母親が使っていた除光液のニオイ。
これが好きで、瓶の蓋をとっては、鼻を近づけてウットリしていたものだ。
また、タクシー(ガス燃料)の排気ガス臭も好きだった。
タクシーを見つけると、後ろについてはマフラーから出る排気ガスを嗅いでいた。
しかし、よくもまぁ、そんなバカなことをしていたもの・・・
鼻がどうかしてる前に頭がどうかしていたとしか思えない。
ひょっとして、今の自分がこんななのは、その後遺症なのかも?



「部屋のニオイについて相談にのってもらいたい」
臭気相談の電話が入った。
声の感じは30代~40代くらいの女性。
そのトーンは低く、暗い雰囲気。
なにやら重いものを感じた私は、いつもの事務的(冷淡?)な態度で質疑応答を繰り返した。

現場は、女性名義の一戸建。
構造を聞くと、一般的な二階建。
異臭の原因は腐乱死体。
亡くなったのは、この家に同居していた女性の姉。
私は、同居と腐乱の因果関係に下衆な好奇心を抱きながら、状況確認を進めた。

女性宅は、二世帯住宅ではなく一般の住宅。
一階は故人(姉)が使い、二階を女性(妹)が使用。
トイレは一階と二階にそれぞれあり、それぞれが別使用。
台所、風呂、玄関は共用。
同居といっても普通の同居のようではなく、何かいわくがありげな感じだった。

具体的なことは訊かなかったが、二人の間には過去に相当のことがあったよう。
それを機に、“お互いに干渉しないこと”“お互いの部屋には立ち入らないこと”“お互いをいないものとして生活すること”を取り決め。
更に、家の中で顔を合わせないようにするため、お互いの生活パターンと物音に気を配った。
そうして、一軒家の同居にもかかわらず、お互い、家の中で顔を合わせることのない生活が始まった。

そんな生活がしばらく続いたある日、女性は、一階から物音がしなくなっていることに気づいた。
いつもは、足音やドアを開け閉めする音、TV音などが聞こえてくるはずなのに、何も聞こえず。
「外に出かけたのか?」
はじめの一日・二日はそう考え、たいして気にもとめず。
しかし、3日目くらいになると、ちょっと不審に思うように。
それでも、過去の苦い思い出を甦らせたくなかった女性は、干渉することはせず。
意識して、姉のことは考えないように時を過ごした

しばらくすると、一階には嗅いだことがない異臭が漂うように。
そして、そのニオイは日に日に濃度を上げていった。
同時に、何匹ものハエが出現。
「生ゴミでも腐らせたか?」
当初、女性はそう思った。
しかし、そのニオイは尋常ではなく・・・
悪い予感が脳裏に過ぎった女性は、意を決し、姉の部屋の扉を開けてみた。

真っ先に目に飛び込んできたのは、床に倒れた姉の姿。
そして、肥え太った無数のハエ。
驚いた女性は、「クサい」なんて感じる余裕もなく、姉に近寄り肩を揺り動かしてみた。
しかし、姉はビクとも動かず。
女性は、慌てて119番へ通報。
救急車のあとにパトカーも来て、大騒ぎになった。

故人(姉)が、亡くなってから発見されるまで数日が経過。
暑い時節で腐敗はハイスピードで進行。
悪臭とともに無数のウジ・ハエが発生。
周囲には腐敗液が流れ出し、皮膚は黒く変色、顔は別人のように。
警察から身元確認を求められても即答しかねるほどの変容ぶりだった。

警察が遺体を運び出してからしばらくの間、部屋は立ち入り禁止に。
同時に、女性自身に対する取り調べも行われた。
しばらくして、事件性がないことが確認されると、立入禁止は解除に。
悪臭が充満する部屋で、女性は姉の死と対峙。
何をどうしていいかわからないまま、とりあえず部屋を掃除することに。
纏わりつく悪臭に侵されながら、涌いたウジ・ハエを始末し、汚物を処分。
そして、多くの汗と涙をともないながら、姉の痕を、何度も何度も繰り返し拭きとった。

しかし、床にはシミが残留。
それは、何度拭いても落とすことができず。
そしてまた、異臭も完全には消えず。
市販の芳香剤をつかっても窓を開けて換気しても、異臭は室内に滞留。
それは、とても我慢しきれるレベルのものではなかった。

一通りの話を聞いた私は、とりあえず、現地に赴くことに。
本件のように、同居している家族が孤独死し、腐乱状態で発見されるケースはままある。
数として多くはないが、「極めて珍しいケース」というほどでもない。
経験が浅い頃は「なんで!?」と怪訝に、ときには腹立たしくも感じたものだが、場数を踏んでくると「人間関係って色々あるよな・・・」と冷静に受け止められるようになって
いる。
私は、「たいした仕事にはならなそうだな・・・」と、お気楽なことを考えつつも、込み入った事情を聞いてしまったことからくる気の重さを抱えながら車を走らせた。


到着した現場は、古い一戸建。
目的の部屋は、リビングにつながった一階の洋室。
一階のドアや戸には南京錠がいくつも取り付けてあり、それは、姉妹が断絶の関係にあったことを証明していた。
ドアを開けると、覚えのあるニオイが鼻を突いた。
更に、床に目をやると汚染痕が残留。
それは、遺体が長期に渡って放置されたためにできた、腐敗液の浸透痕。
ただ、その表面は床板の艶がなくなるほど磨かれており、女性が何度も拭いた苦心の痕でもあった。

通常、このケースなら、原状回復させるにあたってフローリングを張り替える。
ただ、女性には、以降、その部屋は使う予定がないこと、また、“あまり費用がかけられない”という事情があり、床フローリングはそのままにしておくことに。
その上で、汚染痕には相応の処理を施し、その部屋を重点に家中を消臭消毒することに。あれこれを話し合い、女性の要望と私の提案が合致したところで、作業の請負契約は成立となった。

当初の予想通り、作業は難しいものにはならず。
肝心の腐敗体液は女性の手で掃除されていたわけで、あとは、決まりきった手順で作業を進めるのみ。
短い時間で済んだ作業の終盤、私は、室内の換気をこまめに行うことと、必要に応じて市販の消臭芳香剤をつかうことをアドバイス。
そして、
「この床掃除は、感謝されるに値するものだと思いますよ・・・」
「これが“和解”のきっかけになればいいですね・・・」
と、女性の心には届くかどうかわからないクサい気休めを言って作業を終了したのだった。



私は、クサいところに行くことが多い。
そして、自分がクサくなることも多い。
驚くほどクサくなることもしばしば。
しばしば「ウ○コ男」と自称するように、まさに「ウ○コが人間のかたちをして歩いている」と言っても過言ではないくらいの状態になることも珍しくない(※ニオイ自体はウ○コとは異なる)。
さすがに、そこまでいくと、自分の悪臭は自覚できる。
が、往々にして、自分のニオイって自分では感じにくい。
口臭や体臭をはじめ、人柄や性格から醸し出される自分の“ニオイ”ってなかなか自覚できないもの。
他人の悪臭には敏感なのに、自分の悪臭には鈍感・・・これもまた人間の性質なのだ。

私は、クサいことをたくさんやっているし、クサいこと(ウサン臭いこと?)をたくさん言って(書いて)いるだろうと思う。
また、他人には悪臭と感じられても、自分ではクサく感じていないことも多いかもしれない。
芳香のつもりで悪臭を放っていることもあるだろう。
悪臭をごまかすため、腹にもない笑顔をつくり、詭弁を弄し、偽善で覆っていることもあるだろう。
ただ、それもまた人間臭。
まぎれのない自分の人間臭なのである。

私は、欠陥だらけのポンコツおやじ。
現場臭、加齢臭、ダメ人間臭・・・悪臭がプンプンしている。
ただ、この身体・この歳・この頭・この性質を取り替えることはできない。
もはや、そこからでる悪臭は諦めるほかない。
せめてもの術は、「精神の腐乱臭をどれだけ抑えることができるかどうか」「悪臭を熟成させ芳香に近づけることができるかどうか」。

そのためには、謙虚さをもって今に感謝し、向上心をもって今に満足し、誇りをもって今を活き、信頼をもって今に逆らわず、希望をもって今に耐え、勇気をもって今と戦うこと・・・
過ぎゆく今を、ひたむきにガムシャラに生きることが必要なのだろうと思う。



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